1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2020/12/2
太陽と植物と空気の関係
2・12・2
昨夜は床に就いて目を閉じて居ると、瞼に、力強く生きている草木が生えている自然の景色が映し出されて来た。
其れは昼間のとても明るい世界であり、季節は7月頃で、木々の葉が成長して夏の光を目一杯受けて、吹いてくる風でゆらゆらと揺れている場面であり、其の木々の枝葉が、次々に移り変わるので、私の意識・視線は其の変わる木々の枝葉の存在を追い掛けて、樹木の名前を確認していた。
そして、其の移り変わる枝葉の場面が遠のいて、景色が拡大されて、谷筋が見えて来た。其の谷筋のカーブの外側には、人間の手に拠って作られた段々畑が有って、其の谷筋の遥か遠くには、木々が茂った山岳が青く霞んで存在する事が判った。
其れから眠りに落ちると、牧場にでもするのか、男性達が緩やかな傾斜のある山林を、重機を使って破壊して、倒した木を積み上げて燃やしており、煙(二酸化炭素)がモウモウと立ち昇っている場面が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「1時48分・2時12分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は30歳代位の若者達が、研修所にて交代制で研修を受けて居る様子が映し出されて来た。
其の研修所に60歳代の男性教授が居て、其の教授は勤務時間の合間に、生徒達と同年代の娘と一緒に「上昇気流」の調査研究の為なのか、セロハン紙の様に薄い紙かポリ袋製の、50センチ角程の四角な軽い熱気球の様な物を作って、其れが太陽光で温められた空気で、ふわりと上がって行く状況を記録・研究している様子が映し出されて来た。
そして、私は其の教授と意気投合したのか、其の教授が運転する車の助手席に乗り込んで、何処かに向かう事に成った。
だが、其の教授は田舎道での運転が苦手の様で、草地でスリップしたり、下りのバックで崖から落ちそうに成るので、田舎道に成れている私が、運転を交替する事になった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時13分」であった。
其れから再び眠り、今朝起きた時刻は8時13分である。
今朝のビジョンは、昨日迄のメッセージと異なり、三次元世界・現実的な人間の生活と、自然の関係性に付いて、私なりの見解を出す事が求められて来ている様である。
今朝起こされた「2時12分前」の数字「2・12」は「令和2年12月」の数字の並びと同じである事に意識が向いたので、暦にも何らかの関係が有るのかも知れない。
今年の2月12日の文章には、次の様に書いて有る。
2020/2/12昨夜は、入浴してマッコウ鯨瞑想をして居ると、男性の声色で「歩け 走り出せ 自分では何もしないで 」との言葉が告げられて来た。
今朝のビジョンは、先ず、「3人+3人=6人」のセットで、各地で選出された人々が、会議に集まって来る様子が映し出されて来た。
そして私の意識・存在は、議長の様な役割で有ったが、中にとても知識の有る50歳代の男性が居て、私の謂う事を訂正して来るので、私は其の会議を先に進める事が出来ずに、其の立場を降りる事にした。
次に、私は自由な身と成り、自宅に居ると、会議に参加して居た人々が、私の所に、次々に話を聞きに集まって来る様子が映し出されて来た。
そして、「腕の良い親子」との言葉が一言告げられて来て、私は自分は不特定多数の人々が参加する、公の会議に参加するのではなく、職人が自分の技を息子に伝授する様に、引き継いで行けば其れで良いのだと考えて居た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時13分」であった。
其れから再び眠ると、今度は「ごせん」との言葉が告げられて来てから、市役所の様な建物の存在が映し出されて来た。
そして私が、其の敷地を見ると、全体の白い砂岩の中に、幅が2m程の黄土色の断層が、建物の中央を通っている事が判ったので、其の事を役所の職員ではなく、男性議員に知らせて、其処に緯度の数字を掘った石碑を立てる事を、勧めている場面が映し出されて来た。
『所で 貴方は 何をしたいのか。
此の儘では 此方は動き出す事は出来ない。』9時14分
此の、いま告げられて来た男性の言葉は、昨夜入浴中に男性の声で告げられて来た「歩け 走り出せ 自分では何もしないで」との言葉と関係が有り、私自身が歩き出さなければ、神霊界の人々は、此の人間社会に何も手を出せないとの事の様である。
其れを考えると、昨日が建国記念日であった事と関係が有り、新しい国造りは、私が自分で歩き出さなければ、何も始まらないとの事なのかも知れない。
だが私自身は、小学4年生の時に、父親が洗面器に喀血している赤い血を見た時から、父親を手助けしなければ成らないと考え、自分で何かを始める事は考えられない人間・性格と成り、他人から頼まれた事を熟(こな)すだけで、自己欲で何かを始める事は出来ないのである。
其れは仕事だけではなく、三回の結婚もそうであり、此の神(はたらき)世界に入ったのも「土肥無庵」に頼まれたからであり、其の結果4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が有り、其の後、昭和天皇の御霊の「我が身既に遠く 良き世を願い奉る」との頼みで、此処まで歩いて来ている。
其れに、神武天皇・天智天皇・後醍醐天皇の御霊も、同じ様に頼み事をして来ている。
天皇霊其の一「天智天皇」 http://star.ap.teacup.com/20060505/67.html
天皇霊其の二「昭和天皇」 http://star.ap.teacup.com/20060505/69.html
天皇霊其の三「後醍醐天皇」http://star.ap.teacup.com/20060505/91.html
天皇霊其の四「神武天皇」 http://moon.ap.teacup.com/20061108/567.html
其れ等の事を考えると、一昨日のビジョンで、私が大王から「日本帝国印」の印鑑を手渡された事と関係が有り、私自身が何らかの行動を起こさなければ、何も動き出さないと言う事の様である。
其れを考えると、一昨日の夜「明日から幻滅が始まる」と告げられて来た事が関係が有り、現在の天皇家の親子の存在は、「腕が良くない」との事に成るのかも知れない。
其れで『所で 貴方は 何をしたいのか。此の儘では 此方は動き出す事は出来ない。』と告げられて来た、9時14分の数字から、昨年の9月14日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
9/14今朝のメッセージの映像は、此処数日のメッセージの続きの様で、新しい人間社会を構築する為の、人脈構成を図る場面が長い時間映し出されて来た。
そして、其の事に、私の意識(存在)が中心的な役割を果たしており、一組(二人間)の組み合わせを図る・検討する時間は、30分間に限定されている事が示されて来た。
だが其の映像の、中間場面には、其の情報を盗みたい人間が現れて、私の上着のポケットや、私のカバンの中から、メモや書類を抜き取ろうとしている場面が映し出されて来た。
そして、画面一杯に、細糸を張っているかの様に見える、横書きの小さな日本語の文字文章が記されている場面が映し出されて来て、其れ等の人脈構成(縁組)の背景には、巨大な情報システムが存在する事が理解されて来た。
其処で、耳元で赤家蚊の羽音が聞こえて来て意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時5分」であった。
其れから再び眠ると、今度は「天津系の遮断」との言葉が告げられて来て、次に「アリゾナ」との地名が映し出されて来た。
其れ等の事に付いて色々考えていると、携帯電話の呼び出し音が鳴ったので、起きて時計を見ると、時刻は「7時56分」であったので、私は其の数字を「756・なごむ・和む」と記憶した。
其の電話の相手は「松本 キリストの救済」に関わりの有る人物からである。・・・
「新しい人間関係の始まり」
此の文章には、「新しい人間社会を構築する為の、人脈構成を図る」と書いて有るので、今朝のビジョンに会議が開催される場面が映し出されて来た事と関係が有ると言う事に成る。
だが今朝の会議の場面では、とても賢しらな男性が居て、私の話を遮るので、私は皆に話をする事が出来なくて止めてしまった。
其の事を考えると、誰か力の有る人間が、会議を取り仕切る必要が有ると言う事に成る。
其れを考えると、一昨日のビジョンで私の右横に座った様な男性の存在を、捜し出す必要が有ると言う事に成って来る。
今朝起きた・起こされた時刻は8時17分であったので、昨年の8月17日の文章を視て見ると、次の様な事がが書いて有る。
其れに、始めに起こされた「4時13分」の数字は、虚空蔵菩薩の大祭日4月13日の日付ではあるが、私の長男「名越海生」の誕生日でもある。
其れを考えると、創価学会の会員である息子「海生」も、宗教世界に「幻滅」を覚えて、自分なりの生き方を始めるとの事が、示唆されているのかも知れない。
今朝のビジョンでは、「ごせん・御線」との言葉が一言告げられて来てから、市役所の様な建物敷地の中心を幅の狭い地層が通っており、私は其処に緯度を刻んだ石碑を立てる事を、議員の男性に勧めて居た。
其の場面から、私に考えられる事は、「子午線・経度」は縦・南北の位置を示す物であり、縦線の認識世界で有るが、「緯度」は横線で有り、季節・気温の移り変わり・地域性が認識できる世界であるので、緯度を認識する事で、世界中の人間に横繋がりの感覚・認知が起こり、織物の世界の様に、人間の意識に「人間曼荼羅(文化・風習・民族性)が描ける事に成り、人類に新しい世界が開闢する事に繋がりそうな気がする。・・
此処数日のメッセージの内容からすると、私が何らかの事・世界を模索・創造・決定しなければ、事は何も始まらないとの理・ことの様であるが「無・空」の修行を続けて来た私自身には、是とした考えは浮かんでは来ない。
やはり、私は「天神・宇宙意思」が何を望んでいるのかを、探るしか他に道が無い様である。
其れは、「日本帝国」の言葉の「帝・テイ・みかど」の文字が、「木を組んで締めた形の、神をまつる台の象形。天の神の意味から、天下を治める、みかどの意味を表す。」との意味であるので、其処から一歩も踏み出せないからである。
キー「帝・テイ・みかど」・・
「腕の良い親子」https://green.ap.teacup.com/20060818/5271.html
此の「腕の良い親子」の題名からすると、田舎道では運転が下手な教授が、娘と一緒に上昇気流の調査の様な事を行って居た場面が関係が有り、人間は目に見える形の物・形態がなければ、上昇気流の有無は判らないが、渡り鳥達は、其の仕組みを能く知っており、「習・シュウ」の漢字の象形が「何も知らない雛鳥が 親が羽根を広げて飛ぶ姿・行動を 真似る・学ぶ・学習する」との意味である事と関係が有るのかも知れない。
其れを考えると、現在の天皇家は親から息子へ、儀式的な形式だけが傳えられているが、真の学習・教育が、傳えらておらず、本来・従来の「天皇・皇帝・帝・御カド・統尊」の役割が、果たされていない・受け継がれていないとの事が、示されて来ているのかも知れない。
其れから次に起こされた「6時13分」と「8時13分」二時間違いの「13分」である。
2020/6/13今朝のビジョンは、先ず、地表の上に、澤山の柔らかい白い球が浮かんでいる場面が映し出されて来て、其の中央部分に、二個の紅白の球が少し間隔を開けて、浮いている様子が示されて来た。
其の球は、先日のビジョンに映し出されて来た「白黒・陰陽」の球と同じ様に、 野球ボールの縫い目の様に、紅白が捻じれながら合わさっている物であった。
次に、電気炊飯器の中窯の様な丸い器が、大窯の中に小窯が入れられている物で、其の二つの器には透明な水が満たされており、其の両窯の水は、分けられている物ではあるが、両方ともが、同じ水を共有していると言うか、全体が同じ水の中に浸されている物である事が理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「1時47分・2時13分前」であった。
私は其の数字を「147・いしな・石名」と記憶して再び眠った。
すると今度は、透き通った「みずうみ」の中に、和紙を漉く(すく)繊維の様に、日本語の言霊が無限に漂っている様子が映し出されて来た。
私は其の言霊を繋いで、意味有る文章にしようと努力を続けたが、自分の意識の中に其れ用の単語(目的用語)が無いので、綴る事が出来ない・意味を組み立てられないで居た。
其処で「至難の業」との男性の聲色が聴こえたので、意識が目覚め照明を点けて時計を確認すると、時刻は3時20分から21分に成る所であった。
其れから、再び電気を消して横に成ったのだが、其の「至難の業」との言葉と、二つのビジョンの意味が気に成って眠れ無いので、起きて時計を見ると時刻は「4時16分」である。・・
此の文章には、本日6月13日の日付の事が書いて有り、「・・其れが「統尊・すめらのみこと」の「高御座・たかみくら」の意味なのです。」と有るので、昨日の「統尊・すめらのみこと」の言葉は、一年前から用意・準備されていた「テーマ・課題」であった事に成り、本日6月13日は「切り開く能力」の本番・舞台が始まった事に成る。
だが、今朝のビジョンでは、私は「みずうみ」の中から「言葉・単語・文章」を漉く事は出来なかった。
其の理由は、自分の頭・意識に「目的・意図・プログラム」が全く無い為である。其れは、私自身に「欲望・業・カルマ」が何も無い事を意味している。
其れを考えると、「空の透明な一升瓶」と成っている自分の意識・脳に、何らかの目的・希望を持ち込まなければ成らない事に成る。
其れを考えると、今朝告げられて来た「至難の業」との言葉や「切り開く能力・ちから」の言葉が、重く圧し掛かって来る。
今朝二つのビジョンの、「二つの紅白(陰陽)の球」と、水の中に浸けられている「二つの炊飯器の中窯」の存在から、私の意識・脳味噌に浮かび上がって来る物は、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」が、私に物事の考えた方の基本として「陰と陽」「絶対と相対」「マクロとミクロ」の三つの言葉を教えてくれた事の意図である。
其れを考えると、私は自分の食生活や、意識の的をもう一回、ゼロから構築する必要が有り、其れが、昨年の今日告げられて来た「切り開く能力・ちから」との言葉と関係が有るのだろう。
『さあ 是からが君の 本番なのだよ。
長い月日を要しましたが 其れは
君の能力の 伸びしろが有った為なので
何も気にする必要は有りません。
宇宙には 時間と言うモノ・世界は有りませんので
一向に 月日の長さに付いて 気使う必要は無いのです。
其れに 君は 既に 永遠の世界に 入っているのですから
壽命との言葉を 気にする必要も無いのです。
良いですか 君には 無限のトキと
エナジーが 与えられているのです。
ですから 時間的な制限を自分に課す必要は全く有りません。
のんびり ゆったり と構えてこそ
君の本来のモチベーションが高まるのですから
其の理・ことを 胆に命じて 神情朗達を生きるのです。』11時16分
「至難の業」https://green.ap.teacup.com/20060818/5393.html
此の文章には、起こされた時刻が「1時47分・2時13分前」であり、今朝の2時12分よりは一分遅く、2時11分の数字「2月11日」は建国記念日である。
其れを考えると、最後に書いて有る、「のんびり ゆったりと構えてこそ 君の本来のモチベーションが高まるのですから・・」との言葉は、私がモチベーションを高める秘訣は、時間・時刻にあり、自分の心臓(こころ)の脈拍・心拍数の安定が大事・重要である事に成り、其れが神情朗達を生きる秘訣であるとの理・ことなのかも知れない。
2006/8/20・・人間の平均体温36・5度は、地球の一公転間の自転回数365・4日に対応しているかのようであるし、心臓の鼓動を1秒として、其の60回を1分とし、60分を1時間として、1分間の呼吸の数12回を、1日の時間割として来たのも、人間の無意識と、惑星活動の働きが、影響し合っての事だと考えても、何等不思議ではないだろう。
其処の次元に心身を置けば、人間自身には、何の悩みも不安も無いことになる。其の理を、釈迦牟尼佛は説明したかったのではないだろうか。
そう考えれば、釈迦は水(陰)を意識し、老子は光り(陽)を意識していたことになる。
何故、我々人類は、自分の脳・意識で、宇宙を感じる事が出来るのだろうか。
其の不思議さを想えば、人間と神は、一体と考えるのが自然であろう。
「水の感覚」https://star.ap.teacup.com/170606/1015.html
「ハートが基本」https://green.ap.teacup.com/20060818/2749.html
「心を刻む」https://star.ap.teacup.com/20060505/89.html
2020/8/13・・其の事と、私が毎日PC前を行って居る部屋の、縁側の外に生えている金縷梅(まんさく)の木の枝に、道路の信号機の様に黄色・青色・赤色の鳥が三羽遣って来て、並んだ居た場面に、どの様な関係が有るのだろうか。
「金縷梅・まんさく」の語源は、東北弁で「先ず咲く・まんずさく」との意味であり、春先に一番早く花を咲かす花木の意味であるとの事である。
其の事を考えると、お盆の行事は本来は旧暦7月14日に行われていた神道の「夏・秋禊ぎ」が、徳川幕府が隠れキリシタン取り締まりの為に、「仏教で葬式をしない者は隠れキリシタンと見なす」との発布を行った為に、天皇家と神社関係以外が、仏教に改宗しされてしまった事と関係が有り、其の事を元に戻す必要があり、其の事が、私が毎日打っている文章と関係あるとの事なのではないだろうか。
其の様に考えると、私が毎日打たされているメッセージの文章が、交通整理の役割を果たすとの事が考えられる。
そして、其の信号の役割・働きが鳥であった事は、鳥神の世界と関係が有り、日本の神輿の上に乗っている鳳凰だけではなく、マヤ・アステカの「時間の操縦士」の臍から天空に伸びている「生命樹」の梢に止まっている雄鶏(風見鳥)の存在とも関係が有り、時間・時節にも関係が有りそうである。・・・
「お盆の入り」https://green.ap.teacup.com/20060818/5454.html
此の文章に書いて有る、「・・私が毎日PC前を行って居る部屋の、縁側の外に生えている金縷梅(まんさく)の木の枝に、道路の信号機の様に黄色・青色・赤色の鳥が三羽遣って来て、並んだ居た場面・・」
「・・其の信号の役割・働きが鳥であった事は、鳥神の世界と関係が有り、日本の神輿の上に乗っている鳳凰だけではなく、マヤ・アステカの「時間の操縦士」の臍から天空に伸びている「生命樹」の梢に止まっている雄鶏(風見鳥)の存在とも関係が有り、時間・時節にも関係が有りそうである。・・」
との事は、昨夜私が眠る前に映し出されて来た、太陽光線が満ち溢れている昼間に、成長しきった様々の木々の梢の枝葉が、そよぐ風に揺れている場面は、私の意識が地面ではなく、高い木々の梢に在った事に成り、其れはマヤ・アステカの神である「時間の操縦士」の臍から伸びる、木の梢の先に止まっている雄鶏(風見鳥)と関係が有り、私の意識は、其の風見鳥の意識で、近くの木々の様子や、遥か向こうに霞む山々を眺めていた事に成り、私の寝床・寝間には、形の無い、何らかのレーダーが設置されている様である。
今朝の文章の題は「太陽と植物と空気の関係」とした。
其れは、太陽光にて植物が炭酸同化作用を行って、動物に必要な酸素を排出しているが、風が吹かなければ、其の葉の周辺は「酸素」だけに成ってしまうので、「炭酸ガス欠乏」と成って、植物の葉は呼吸(ガス交換・息・いきる事)が出来なく成ってしまう。
だから植物にとっては、炭酸ガスが食べ物であるので、風(空気の移動・流れ)が必要不可欠なのである。
其れを考えると、今朝登場した男性教授は都会育ちで、科学の世界には強い(見識が高い)が、草が生える湿気の多い地面や、石ころが散乱している岩場の道路での運転は苦手であったのだろう。
其れを考えると、私の役割は、都会育ちの典型であるプロフェッショナルの「土肥無庵」と、自然・田舎育ちのプロである「礒邉自適」の間で、お互いが学習して認識した事を、人類の財産として、記録に残す必要が有るとの事なのかも知れない。
其れは、6月13日の文章「至難の業」に書いて有る「土肥無庵」の言い分と関係が有り、現在は神霊界(四次元)に存在する土肥無庵と、此の現実界(三次元)に居る私の間で、相変わらず文化発展の技が継続されていると言う事に成るのであろう。
令和2年12月2日
礒邉自適
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