約束を護る
1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。 其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。 其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
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2020/12/26
「私は道標の役割」
未来創造
私は道標の役割
2・12・26
今朝のメッセージは、先ず私が、1984年6月4日(旧暦5月5日)に此の神の世界に飛び込んでから、今年の12月4日の所まで行動して来た事・起きた出来事が、高速で走馬灯の様に流れ去り、其の間の重要な事を纏め上げなければ成らない事が示されて来た。
次に、私が屋久島の汽水域の水中に潜って、鰻を捕まえる場面や、海中に潜って様々な魚やイセエビ・蛸・貝などを捕る場面が映し出されて来た。
其れは、私が「土肥無庵」に找し出され、家族と離縁して土肥無庵と一緒に「マクロビオティック ・Macrobiotic」の生活を始める迄の36歳迄の人生の有り様を示唆しており、私の人生・生活は二部構成に成っていた事を示している事が理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時34分・6時26分前」であった。
其れから再び眠ると、日本映画の「灯台守」に登場する様な真っ白い灯台の存在が映し出されて来た。
次に、屋久島の私が以前住んで居た裏の家の「日高雲平」氏が、私が新しく一人で住んで居る自宅を訪ねて来て、知り合いから蛸を貰ったので、其の茹で方を習いに来たと言う場面が映し出されて来た。
其の日高雲平氏は、私が中学を卒業してから中学教師と成った方であり、私の五歳下の弟は生徒で、結婚する時は仲人をして貰っており、私が前田氏に紹介して「屋久島おおぞら高等学校」の理事も務めた方である。
其れに、私が帰島して其の自宅に棲んで居る時に、朝訪ねて来て、「今朝不思議な夢を見て『隣に住んでいる人間は 大文字のファザーである』と告げられた。」との事を、教えてくれた方でもある。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時36分・7時24分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は日本アルプスの南側の麓の風景を、上空から見下ろしている景色が映し出されて来た。
次に、女神(万物の母)の聲で「貴方は 本当は何がしたいのか。」と告げられて来たので、其の問に対して、私の脳裏に浮かんで来た事は「天津日嗣の復活」とのテーマであった。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は8時29分であった。
其れからPCを立上げ、先ず、起こされた「6時26分前」の数字から、6月26日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/6/26今朝のビジョンは、先ず、私が家具や備品などが一切何も無い、何処かの宿泊施設に、誰だか判らない男性と二人で宿泊して居り、朝起きてから、何処かに向かう為に、其の男性がグリーン色の新しい飛行機を、滑走路に出してエンジンを始動している場面が映し出されて来た。
其れで、私は其の施設は飛行場である事が判った。
其の滑走路に出されている飛行機は、練習用のプレぺラ機の様で、名前や飾りが一切無い、グリーン一色の物であり、何処に向かうのかも、一切判らない状況の儘であった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は3時38分・4時22分前から、39分・21分前に成る所であった。
私は、照明を消して再び横に成ったのだが、其のビジョンの意味が全く分からないので、起きてPCを立ち上げ、今年の4月21・22日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「紀(とき)の構築・構成」の文章には、乗り物の操縦席に事が書いて有り、女神の言葉として次の様に記して有る。
『何が何でも 貴方の気持ちを 切らさない様にしなさいね。
何故なら 貴方の気持ちが切れてしまえば
是までの事が 全て水の泡に成ってしまうからです。
他の事柄は 何も心配する必要はありません。
貴方は唯 自分の芯を正しく 強く
保つ事に 専念すれば良いのです。』
此の女神の言葉からすると、私が昨日の文章に「私は屋久島の深い森の中に静かに座って、粘菌の様子を観察して居た子供の時・頃に還って良いのではないだろうか。」と、書いた事と関係が有り、私は「自分が 休む事を考えてはならない。」との事なのかも知れない。
其の様に考えると、今朝のビジョンで用意されていたグリーン色の新しい飛行機の存在は、マヤ・アステカの「時間の操縦士」と関係が有り、私は新しい次元・世界にフライト・飛行しなければ成らないとの事が、示されて来ている事に成る。・・
此の文章の内容からすると、今朝滑走路に飛行機を出して、エンジンを始動していた男性の存在は、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」の御魂であり、私を新しい「紀(とき)の構築・構成」に、導こうとしている事に成りそうである。
今此処で、PCの中央に小さな蠅が来て止まり、私の方に頭を向けて、左右の羽根を交互に動かし始めた。其の羽根の動きは、手旗信号の様に、何かの暗号・メッセージを私に送って来ている様な感じである。
若しかしたら、英語で蠅は「fly・フライ」なので、本当に今朝の飛行機と関係が有るのではないだろうか。
其れに、私に「紀(とき)のまつり」との言葉が告げられて来た日のビジョンには、蠅取紙に澤山の蠅が飛んで来て止まる映像が映し出されて来ている。・・
すると今度は、是までに見た事が無い、ハイレベルのビジョンが映し出されて来た。其れは登場する神々や人間の存在がレベルが高く、建物施設や舞台・備品も全て国宝と成る様な物ばかりであり、映像も現実世界よりもリアルな感じの場面・世界である。
そして其の世界は、私の意識と直結しており、私の意思・思惑が其の儘反映されて来る事が判った。
其れは、私の意識が自分自身のモノ・世界ではなく、天神と謂うか、宇宙の有り様・仕組みが、其の儘、私の脳細胞・思考システムに、組み込まれている様な世界であった。
其れに、其の様なハイレベルな人間・人材や、人工物は現在の世界には無いので、其れは過去の世界が現れて来ているモノではなく、未来世界が映し出されて来ているモノである事が理解出来た。
其れに、4月22日の文章の内容からすると、「土肥無庵」が私を捜し出した時に、私に「自適さんは想った事がそう成るでしょう。だから 自適さんが想えば良いのですよ。」と謂った事が、現実と成ったとの事なのかも知れない。・・
今朝のハイレベルなビジョンの内容からすると、私が1984年11月22日の未明に、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」から頼まれた「九回目のトンネル潜り」は、現在の人類全部ではなく、神が地球に送り込んでいる人材に拠って準備されており、此の三次元世界に、別の世界として重なっているとの理・ことであり、其れがイエスキリストが謂う「其の時」や「針の穴を潜る」との言葉と関係が有りそうである。
今朝の由香のビジョンでも、散歩に出掛けるほどの気分で、飛行機で出掛けようとしていたとの事である。
何れにしても、私は新しい飛行機を飛ばすイメージを、膨らませなければ成らないのであろう。
「フライト」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5406.html
此の「フライト」の文章の内容からすると、今朝のビジョンに日本列島の背骨に当たる日本アルプスの南裾野の景色が、上空か見下ろされていた事と関係が有り、大国主命の次男である「建御名方」の神(はたらき)が、関係して来ているのではないだろうか。
其れを考えると、諏訪の神々が動き出すとの事なのかも知れない。
キー「諏訪 キリスト」
2019/5/5本日5月5日は、「男の子」の健康を禱る「端午の節句」である。
今朝のメッセージの映像は、諺(ことわざ)に有る「可愛い子供には旅をさせろ」との言葉と関係が有るのか、私が一人で旅を続けている場面が、長い間映し出されて来た。
いま思い出せるのは、次の様な場面である。・・
此の「摩利支天」の文章に有る、『貴方も 礒邉自適の存在が 何であるのかを ぼつぼつ真剣に考えなさいね。其れが明確に認識されなければ 首座が定まりませんよ。』との女神の言葉からすると、今朝告げられて来た「新しいユダヤの王」との言葉は、イエスキリストが「新しいユダヤの王」である事を、ユダヤの人々が認める事なく殺害した事と関係が有り、其のイエスキリストが「メシヤ」であったとの事の続きが、2000年振りに始まるとの事なのではないだろうか。
そして、其の事が長野の「諏訪大社」に関係があるとすれば、「前宮」の「十間堂」がユダヤの「幕屋」であるとの事を考えると、昨年の4月22日に告げられて来た「キリストの救済」が其れに関係が有ると言う事に成るのだろう。・・
其れから再び眠ると、今度は、50人程が参加している講演会の会場が映し出されて来て、私は最前列の右側の方に着席して居た。
そして、演台で話をして居る人物は、大学教授の様な60歳代の男性であり、其の話しの内容はとても次元が高く、私は自分が納得できるモノだったので、安心して机に頭を着けて眠り込んでしまった。
其れから、其の男性の話が終わった所で、私が目覚めると、講演会の主催者である、40歳位の身体の大きな男性が話しを始めて、其の男性の名前は「諏訪繚」である事が示されて来た。
私は、其の講演会が終わってから、其の「諏訪 繚」という人物と話し始めるた。繚さんは「ただ天界に還る日を待っている」との事を謂うので、私は其れに対して「貴方は 今回の役目を果たさなければ成らない」と、謂っていた。・・
其れから、「新しきユダヤの王」との言葉が大きくはっきりと聞こえたので、起きて時計を見ると、「6時40分から41分・7時20分前から19分前」に成る所であった。
今朝は先ず、講演会を開催して居た男性の名前が「諏訪 繚」であったので、其の漢字繚を調べると、次の様に載っている。
「繚・リョウ」【解字】形声。「糸+寮」音符の寮は、かがり火の意味。火の粉が、もつれみだれるようにまつわりつくの意味を表す。【字儀】@まとう。まつわる。Aめぐる。めぐらす。糸などでしばる。Bもとる(戻)。道理などに反する。Cおさめる(理)。=撩。
此の「かがり火の意味。火の粉が、もつれみだれるようにまつわりつくの意味」との事からすると、古い因縁が燃え尽き、新たに物事が始まる事が示唆されており、其れに「糸」偏が付いている事を考えると、昨日のメッセージ「生命の誕生と紀(とき)」や「紀(とき)の祭りを行え」の言葉と関係が有り、新たな「縁結び」が始まる事が示されて来ているのではないだろうか。
其れに、繚さんの苗字が「諏訪」である事を考えると、其の事は「大国主命・おおくにぬし」の息子である「建御名方神・たけみなかたのかみ」が祭神である長野の「諏訪大社」に関係があるのかも知れない。・・
此の内容からすると、昨日のメッセージ「生命の誕生と紀(とき)」の内容と関係が有り、「繚」と「紀」が糸偏である事や、縁側や縁起(色・rūpa・ルーパ)の糸の意味との関連性が伺える。・・
2018/4/22今朝のメッセージの映像は、先ず、大型バス二台に男性達が乗り込んで、人工林の間伐作業を行う場面が映し出されて来た。
其れは、過密状態に成っている杉や檜の人工林の間伐を徹底的に行い、太陽光線が射す様に成った空間に、自然の木々が生えて来て、森林が自然の状態に還る為の作業である。
其れに何故か、其の中には諏訪大社の御神木の様に、とても大きな真直ぐに伸び上がる「檜(ひのき・火の木・ファイヤーツリー)」が一本立っているのが映し出されて来た。そして、其の作業をする人達には、同じ「海苔お握り」の弁当が配られていたので、全てを指揮する主催者が存在する事が理解されて来た。
そして、其の場所が長野県松本市に関係が有り、其れがキリストの救済と関係が有る事が示されて来た。
次の映像には、二本の竹棒が映し出されて来て、其の二本の竹棒は、枝が2〜3段付いている上で切断されている物であり、大きさと高さがそっくり同じ物である事が映し出されて来た。
そして、其の竹棒が、何を意味している物であるかを考えると、私の姿と、もう一人の男性の姿が登場して、其の二人が、同じ状態に育っている事が理解されて来た。
次に、葉書大の私の写真が重ねられている場面が映し出されて来て、其の一番上に有る写真は、神の光に満たされて、私が満面の笑顔で写っている写真であり、其れは、私の「卒業証明」に当たる物である事が、示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「5時1分」であった。・・
「卒業証明」
https://green.ap.teacup.com/20060818/4596.html
此の卒業証明の文章には、「5時1分」に起された事が書いて有り、其れは今年「令和」の時代が始まった日付であり、今朝は「5時2分」に起されたので、昨年の5月2日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此処まで打って来ると、此れ以上の作業が出来ないと謂うか、頭脳が動かない。
其れは、昨日父親の口調で「自適 お前は自分では何もするな」と一言告げられて来た事と関係が有り、もう私の意識の「たび(家を離れるの意味)」が完了した事に成るのではないだろうか。
其れは、私が中国の王様の鍼師の子孫であった清水先生に六回に亘り鍼治療を受けて、教えられた事が、現実と成っていると謂う事であり、「土肥無庵」に渡されたメモ書きの内容を守らなければ成らない時節を、迎えた事に成るのではないだろうか。
「新しいユダヤの王」
https://green.ap.teacup.com/20060818/4981.html
次に起こされた「6時36分・7時24分前」の数字から、7月24日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/7/24本日7月24日は、マヤの「13の月の暦」の大晦日であり、明日25日は「時間の拘束が無い日」とされ、26日が「一年の始まりの日」である。
今朝のビジョンは、一口に謂うと、私の認知しない世界・ところで新しい建国の儀式が行われている様子・場面が映し出されて来て、私の存在(意識)も、其の会場に入る為に、何列か人々が並んで居る受付の列の中に在った。
すると、後から到着した仲間らしき男性が、私に、「井上佳子(伊勢神宮を創建した斎宮・倭姫の御魂)」から伝言を受けたとの事で、其れは「花 七色」との言葉であった。
其の「花 七色」との言葉は、日本原産である「紫陽花」が七色に変化すると言われている事と関係が有り、奈良の「矢追日聖法主」に終戦日に天神が告げて来た「新しい世の中は紫陽花の花の様な仕組み」との言葉と、関係が有りそうである。・・
其の矢追日聖法主は、1911年(明治44年)12月23日(旧暦11月3日)「冬至」生まれであり、其れは、マヤの13の月の暦で2012年12月23日から新しい御世・世界・次元が始まるとされていた事と深い関係が有り、其のマヤの予言は、私に2012年11月11日に「8年先延ばしにする」と告げられて来て、其れは今年の12月23日である。・・
此処で私の右手の小指にカモ(神の電気信号)の反応が起きる。8時18分
此の8時18分の数字は、マヤ・アステカの神である「ククルカン・ケツァルコアトル」が「約束は守られる」と告げて来た平成18年8月18日の日付であり、小指は「指切り拳万」の約束の作法に使う指なので、矢張り今朝のメッセージはマヤの神(はたらき)である「時間の操縦士」に関係が有る様である。
其れに私は、其の三年前の2003年8月18日に由香のガイドで屋久島の奥岳縦断(東経130度30分・御稜威ライン)を行ってもいる。・・
此の文章には、次の様に書いて有る。
「・・「6時13分」が「前」ではなく「過ぎ」である事を考えると、昨年の6月13日のメッセージが「切り開く能力・ちから」である事と関係が有り、既に「新しい御世の創造」は始まっているとの事なのではないだろうか。・・・」
此の「13日」の日付の事を考えると、「マヤの13の月の暦」の世界は、私が1984年3月13日に太陽が太平洋に半分顔を出している時に「神だから守れ」と告げられて来た時から連動しており、私が11月半ばに全国の旅に出発し、12月13日に私が酒井勝軍が神の宝剣を受け取ったとされている五葉山で「イエスキリスト」の御魂と遭遇した事も、設定済みの出来事であったと言う事に成りそうである。・・
今朝のビジョンには、新しい時代・次元の王である若い男性の存在が映し出されて来たが、其の人物の手前には黒糸の網(御簾)が降ろされているので、顔を確かめる事は出来なかった。
其れは、今月18日のビジョンに映し出されて来た男性・王の存在と関係が有り、今朝の若者が、其の王に成る迄には20〜30年の歳月が必要であり、此の私も其の若い男性が「新しい王・統尊」に成る迄、何らかの役割を果たさなければ成らないとの事の様である。
私が此処の所、気に成っている事は、衛星写真で中国の病院の駐車場の車の台数を調べると、昨年の8月から台数が増えており、其の原因を調べると患者に新型ウイルスと同じ様な症状が見られるので、新型ウイルス感染は8月から始まっていたとのニュースである。
私が何故、其の報道を気にするかと言うと、昨年の6月30日に「明日から始まる」との事が告げられて来ているので、新型ウイルスの発生には天神の意図が働いているのではないかと想われるからである。
何れにしても、本日7月24日に明日の事を書かされたのは、私にも明日、休日(時間の拘束が無い・解かれる。)が、与えられると言う事なのかも知れない。
「マヤ暦の大晦日」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5434.html
此の文章には、・・「井上佳子(伊勢神宮を創建した斎宮・倭姫の御魂)」から伝言を受けたとの事で、其れは「花 七色」との言葉であった。・・・と書いて有り、8時18分にカモの反応が起きたとの事で、8月18日の日付はマヤ・アステカの神である「ククルカン・ケツァルコアトル」が平成18年8月18日に「約束は守られる」と告げて来た日であり、平成15年に私が由香のガイドをして屋久島の山岳縦断をした日付けでもある。
其の由香の今朝のビジョンには、どこかの村の家の中に居ると、「外を見てごらん」と云われて、家の外に出て見ると、まだ夜明け前の薄暗い中で、梅か桜か桃かは判らないが、「白色〜桃色〜赤色」の花が満開に成った木が辺り一面に拡がっていたとの事である。
次は、赤子を抱いて乳を与えている場面であったとの事である。
其の由香のビジョンは、昨日の私の「浄土」の言葉と関連しており、新しい御世の創造が開始されているとの事が、示されて来ているのではないだろうか。
其れから、起きた・起こされた「8時29分」の数字から8月29日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/8/29昨日は「三本の矢」をスローガンとして長年総理大臣を務めた「晋・おさえる(抑)。つつしむ。」の意味の名前の人物が辞任を発表した。
今朝のビジョンは、先ず私が、姿がはっきりしない老人・翁と、其のお世話をしている50歳位の躰の大きな男性を、屋久島に案内しなければ成らない様子が映し出されて来て、私の意識は、自分が現在・いま何処に居て、どんな手段で屋久島に向かえば良いのかを考え始めて居た。
次に、廃車に成っている小型のトラックを手に入れて、其の運転台を自分好みの物にする為に、専門家に依頼する場面が映し出されて来た。
そして、広めの運転台・室が取り付けられて来たので、私は其の中に必要な電信機器を取り付け、カメラ類や荷物を置く棚も配置していた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「1時5分」であった。
其れから再び眠ると、今度は私が、自分が暮らす為の中古のこじんまりとした木造住宅を手に入れて、室内を大工に頼んで自分好みに改装する場面が、映し出されて来た。
其れから、何故か私は、昔のゴワゴワした駱駝色の毛布を手に入れて来て、洗濯機で洗う準備を始めて居た。其の毛布は、一枚だけであるが、少し広めの物であり、其処に有る洗濯機は、其の毛布一枚洗うだけがやっとの物であった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時13分」であった。
其れから再び眠ると、「ミニマム・コンセプト」との言葉が一言告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は8時8分であった。
私は其の「ミニマム・コンセプト」との言葉の意味を考えながら、畑に下りて野菜を収穫し、カラカラに乾いて来ている畑の作物に水掛けを行ってから、PCを立上げ、「ミニマム」と「コンセプト」の言葉を調べると、次の様に載っている。
ミニマム【minimum/min.】 の解説
1 最小。最小限。最低限度。「作業に必要なミニマムの日数」⇔マキシマム。
2 数学で、極小 (きょくしょう) 。極小値。⇔マキシマム。
ラテン語の「最も小さい」という意味が語源。
コンセプト【concept】 の解説
1 概念。観念。
2 創造された作品や商品の全体につらぬかれた、骨格となる発想や観点。「コンセプトのある広告」 デジタル大辞泉小学館
此の「ミニマム・コンセプト」の言葉の意味からすると、今朝のメッセージの映像は、正に私自身(誰?)が、其のテーマに取り組んでいた事に成る。
其れで、今朝起こされた時刻「1時5分」「3時13分」「8時8分」の数字から、今年の「1月5日」「3月13日」「8月8日」の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章の内容から考えると、今朝私の脳・意識を使用していたモノは、其の「天の父神」であり、其れがイエスキリストの謂う「天の父」であり、日本語の「御祖神・みおやかみ」であると言う事に成りそうである。
其れに、今朝映し出されて来た、私が住む家と、洗濯機で洗おうとして居た古い毛布の存在は、「天の御臥す間(あめのおふすま)真床 襲衾(まとこおふすま)」の世界を、暗示しているのではないだろうか。・・
これ等の文章からすると、今朝のメッセージは、私自身には「岩戸開き」や「旧暦7月14日秋禊ぎ・9月1日」は関係が無く、次のコンセプトが始まっており、其れは自分の顕在意識は関係が無く「天の父神」に脳を使用させて、映し出されて来るビジョンを、文章に変換してPCに打ち出す作業を続けるだけで良いと言う事であり、其れが「統尊・すめらのみこと」の「詔勅・みことのり」や「御嚴・みいつ・御稜威」に代わる役割あるとの事なのであろう。
そして其の事に、今朝告げられて来た「ミニマム・コンセプト」との言葉が関係が有り、其れは現在年間200億円もの税金を注ぎ込んでいる天皇家や宮内庁の存在や、バチカンなどの宗教施設も必要ではないと言うか、其れ等の巨大な建物や組織が、人間の意識を無明に落とし込んでいる原因であるとの理・ことなのであろう。
今日は、2月15日釈迦仏陀の命日は、反対側の8月15日「お盆・終戦日」と対面であり、釈迦仏陀の「覚醒・成仏日・12月8日に「太平洋戦争」が始まり、「イブ・4月7日」に「戦艦大和」が屋久島西方約230Kmの所(東経128度04分・北緯30度22分)に沈んだ事の、日付の符合がまた一つ認識できた。
「ミニマム・コンセプト」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5470.html
次に今朝のビジョンで白い灯台の存在が映し出されて来た後に、日高雲平氏が蛸を手にして私を訪ねて来た場面の意味を探る為に、「日高雲平 大文字 ファーザー」で調べると次の文章が出て来た。
2003/7/1今日は、梅雨の晴れ間で天気が良いので、梅雨の間の湿気を、全部戸外に追い出そうと意い、朝7時に家中の戸を開けていると、隣に住む、安房区の区長さんが遣って来て、「自適さん、お早うございます。今日は、初めて不思議な夢を見た」と云う。
私が「え、どんな夢だったのですか」と応えると、「隣りの家に『Father・ファーザー』が居ると告げられ、其のファーザーの頭文字は 大文字であった。」との事である。
私は、それを聞いて、愈々神の作戦が始まるのだと感じた。
今年の4月13日に「残り80日」とメッセージが有って、日付を計算すると、7月2日である事が分かった。其のメッセージが有ってから、7月2日迄は、何かを始めたりしては成らないのだろうと想い、出来るだけ、物事を考えない様にして来た。
その7月2日を、明日迎える事になって、今朝の区長さんの出来事である。
安房区の、区長さんをされている「日高雲平氏」は、安房では一番由緒ある家柄の方で、昭和38年4月より安房中学校の教師となられ、平成元年に26年間の教職を辞められ、現在は、屋久町の公の役を、数多く成されて、多忙な日々を過ごして居られる方である。
私は、屋久島に帰り一年経つが、日高雲平さんは、「日吉眞夫さん」と並んで、私を理解して下さっている貴重な存在である。
私の父が、生前云って居た事に「雲平とは、良い名前だ」との事がある。
父は、「雲平」の名にすごく感銘をしていた。
私の名の「自適」も、父にとっては自信作だったのだろうが、「自適」は中国の「悠々自適」の「自適」なので、人間の暮らし方を言った言葉だが、「雲平」とは、大自然の雄大な風景を言い表しており、その情景を想うだけでも、人間の心の情景が豊かになり、善い方向に誘われる物である。
私が、雲平さんの御尊父・日高純夫さん(明治22年〜昭和63年)に、「私の父が、生前『雲平』という名前は、とても良い名前だと言っていました。」と伝えると、お父さんは「中国の古典の、ある文章の中に載っていたので、それが気に入ったので付けた。」と、応えられた。
雲平さんの父親の日高純夫さんは、長い間、屋久町(旧下屋久村)の町議会議長を務められた方で、現在の屋久町町長の「日高十七郎氏」は、純夫さんの御孫さんに当たられる方である。
日高純夫さんの父上で、雲平さんの御祖父にあたる方は、「日高小三」と云って、下屋久村の村議会議員を長く務められた方で、90歳まで長生きをされ、村の為に尽されたとの事。
前町長の「泊 義文氏」の御母堂は、小三氏の娘さんである。
現在は、小三氏の血筋は町長の他に、町議会議員を二名が務めて居られるので、日高家は、屋久町でも力の有る家系と言う事が出来るだろう。
私は20歳代の時、農業を営んでおり、黒毛和牛を多い時は40頭近く飼っていた。資金繰りに困った時、雲平さんのお父さんに、大金を貸して貰ったりした事がある。
「純夫おじさん(屋久島の人達は尊敬出来る親しい目上の方を、○○おじさんと呼ぶ)」は、私をとても気に入って下さって、大事にされた事に、今でも感謝している。
私の父親「礒邉 勲(いさお)」も、純夫おじさんと、良い交流をしていたので、父親の信用が、私の人生にプラスと成っていたものと考えられる。
私が、20年振りぐらいで町役場に行くと、年長者の方々が、私の父や母の事を直ぐに話題にする。それは、皆さんが私を見ると、死んだ父や、福祉の仕事をしていた母親の姿を思い出すからだろう。私の背景に、生前の父親や、良心的な母親の姿が在る事は、間違いの無い事実の様である。
私が、常識的では無い行動を起こしても、何とか、社会的に相手をして貰っていられるのは、両親の徳の力が作用しているからだと想われる。
今朝、雲平先生(私達は雲平先生と呼び慣れているので、そう呼ぶ)に、現れた「ファーザー」のメッセージで、父を課題にする文章と成って来たが、雲平先生へのメッセージの裏には、私の父親や、雲平先生の御祖父・御尊父が霊界に在って、関係して来ているものと考えられる。
「ファーザー」を辞典で調べて見ると、
@ 父 。Aカトリックの神父や修道院長。 (有紀書房・カタカナ語辞典)
@ 父。A神父。(広辞苑) と 載っており
「父」を調べると、@親・父親・実父の総称
@ (キリスト教)㋐神 ㋑三位一体(さんみいったい)の第一の位格。
(広辞苑)
@両親のうちの男の方・実父・継父・養父の総称。父親。
A キリスト教で神をいう。
B 新しいものの開祖。先駆者。また偉大な貢献者。
(言海社・最新式字典)
@ 父親。子のある男子。
A(キリスト教)天帝。 と、載っている。
この中で、気に成るのは、言海社の字典には、@は「father」で頭が小文字なのに、Aは「Father」で頭が大文字に成っている事である。
雲平先生の話では、どうして頭が大文字なのかが分からないとの事だったが、言海社の字典からすると、「父親」と「天帝」との違いが、有る事になる。
大文字のファーザーは、「天帝」や「天神」との意味であり、小文字のファーザーの「父親」とは、区別が有る事になる。
この事からすると、私が、言海社の字典を持っている事を、知っている何者かが、今朝のメッセージを送って来た犯人なのかも知れない。
それが、何者かを考えて見ると、佛教の開祖・偉大な人類の貢献者(ファーザー)である、「釈迦仏陀」の教えの言葉に「三世(過去・現在・未来)に 私の存在があり 衆生一切我が子」と有る。
これは、自分が天帝と一体であるとの自覚が無ければ、出て来る言葉ではない。ブッダに成る(成仏)事とは、宇宙意識を自分の物とする事である。
日本の、天皇家の元(はじまり)も、「皇御祖・すめみおや」の概念が根本の処にあり、「スメラのミコト(天皇)」は、国民(民草)全体の、平和と安定・調和を願うのが役目である。
これも「f」ではなく、「F」の頭文字の「ファーザー」であろう。
「イエス・キリスト」は、自分を子の位置において「天の父よ」と言っているので、自分の父親を、天に在る「神・天帝・ファーザー」としているのだから、「F」の「ファーザー」を呼んでいる事に成る。
私も、1984年(昭和59年)6月4日に、佛教で云う処の、虚空界の体験をして、全ての人類や、生物を救わなければ成らないとの、使命感に満たされた。
虚空界とは、イエスがヨルダン川で禊ぎの後、精霊に満たされキリストとして目覚めた時の状況と同じで、霊界に存在する高い次元の霊団が現れて、その者の守護に付く事を意味している。
日本の、天皇家の代替わり時の大嘗祭の儀式も、同じ意味を伝えるものであり、全ての国民の源である先祖の霊が、子孫を守る為に、総動員されて現われ出て来るのである。
其れ等が、先祖と、天帝とを認識する、大文字のファーザーの意味なのであろう。
「ファーザー(Father)」
https://wave.ap.teacup.com/20060106/139.html
2016/5/12今朝のメッセージの映像には、私が、屋久島の実家に、東方の道路から帰って行き、屋敷の前の道路に達すると、反対側の西方の道路から「日高雲平氏」が物蓋の様な容器を両手で持って遣って来て、二人で馬小屋の前で合流した。
すると、日高雲平氏が、両手で持って来た其の容器を私に渡して、上の覆っていた布を剥がした。
そして、中に入っている服や品物を、「此れらの品物は 嵩靖君が入学した時に使用していた品物である」と説明した。
私は、其の品物を受け取って、母親に見せなければ成らないと意い、日高雲平氏を伴なって母親が住む家の方に向かう処で、其の映像は終わった。
私は、其の映像で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると、時刻は5時55分であり、太陽が昇って縁側に朝日が射し込んで来ていた。
其れから、穀物コーヒーを入れて、縁側で、蓬団子を食べながら考え事をしていると、「ただいま」との男子の声が脳内に響いたので、時計で時刻を確かめると「7時27分」であったので、PCを立ち上げて文章を打つ事にした。
今朝の映像に登場した「日高雲平氏」は、私が安房中学校を卒業した後に、安房中学校の教師に赴任した人物であり、私が2002年2月24日に屋久島の自宅に帰った時は、自宅裏に有る実家に帰って生活をして居たので、隣人であった人物である。
其の日高雲平氏は、私が大文字の「ファザー」であるとの霊夢を見た事が有り、私が前田氏に紹介して「屋久島おおぞら高等学校」の始まりの理事と校長先生に成って居た事もある。・・
今朝は、日高雲平氏に8時13分に電話を掛けて、暫く話した後、PCで検索すると、今年の屋久島町の広報誌に、屋久島の荒木町長とおおぞら高等学校の前田理事長が、1月29日に手を取り合った事が、ニュースとして載っていた。
其の日付は、私の69歳の誕生日であるので、私の是までの働きが、現実世界でも現象化して来ている事の証しと成るのであろう。
◆町報やくしま とぴっくすTOPIX 2016.3.10
屋久島町と学校法人KTC学園 屋久島おおぞら高等学校は、相互の連携を
図ることで屋久島町内の交流人口増加並びに活性化を促進するために包括
連携に関する協定を1月29日(金)に締結しました。
屋久島町の情報発信や施策PR、教育の振興、子育て・青少年育成や福祉
の向上に関すること、観光やブランド振興・文化に関することなどについ
て連携し協力していくとし、役場本庁舎で行われた調印式では、荒木町長
と学校法人KTC学園 前田理事長が協定書に署名し、固く握手を交わしました。
今朝のメッセージの映像で、日高雲平氏が私の実家に遣って来て、私に嵩靖が学校に入学した時の服や品物を届けて来た意味と、今朝脳内に響いた「ただいま」との声は、息子嵩靖が私の下に帰ると言うか、此方の世界に入る時が来た事が示されて来ているのであろう。
其の息子・次男「嵩靖・しゅうせい」は、今年の5月3日(憲法記念日)に27歳と成っており、其の27歳は私が最初の結婚をした年齢である。
そして、「ただいま」との声が聞こえた「7時27分」の数字は、私の弟の誕生日「S27年7月27日」の数字でもある。
其れに、今朝のメッセージの映像で、日高雲平氏が私に品物を手渡した場所は「馬小屋」の前であり、其処は、私が生まれた次の日(1947年1月30日)に、父親「礒邉勲」の頭に「自適」の名前が飛び込んで来た場所である。
其の「馬小屋」と「自適」で検索すると、次の様な文章が有った。・・
私は1998年4月29日に、妻井上佳子の葬儀を終えて、30日に子供達と別れ別れと成り、其の後、嵩靖には一度も直接会ってはいない。
今朝のメッセージの内容からすると、18年振りに「嵩靖」と再会出来る日が近付いていると言う事なのであろうか。
何れにしても、物事は良い方向に進んでいる様である。
「息子の復帰」
https://green.ap.teacup.com/20060818/3850.html
2012/10/23本日10月23日は、私の父親の48回忌であり、祖父の月命日でもある。
今朝のメッセージは、3日続けて「父」の立場に関係する事が伝えられて来た。
今朝のメッセージの映像には、経済が崩壊して、幾つかの工場が閉鎖されており、其の中で1番価値が有る物は、機械類ではなく、薪に使える、製材所に放置されている丸太の切れ端や、製材屑であった。
其れは、経済が崩壊して、燃料として薪が必要と成っている事を示唆している。
次の場面は、水が引ける広場に、何台かのワンボックスカーが停車しており、其の車中で生活している人が居た。
私も其の広場に居て、情報端末を操作していると、其処に住んでいるリーダー格の男性の奥さんが遣って来て、機器を操作して音楽を掛けた。
どうやら、無線での通信網は健在であり、PCでの複数の会議が出来て、音楽の発信も成されているらしい。
次の映像は、広いコンクリートの敷地が放置されており、私は、其の土地をどうしたら植物が生える元の大地に復元すれば良いか考えていた。
そして、最後に「尚 社会派父社」と書かれた看板が1枚映し出されて来た。其れは、私の父親が製糖工場を経営しており、資本家の生き方をしていたが、精神は社会主義派であったからであろう。
【解字】会意「尚」は「八+向」の組み合わせで「八」は神の気配がくだる様を示す。「向」は、屋内で祈る様を示す。こいねがう・たっとぶの意味を表わす。【字義】は、1こいねがう。こいねがわくは。たのむ。希望する。
2このむ。したう。「好尚」3たっとぶ。とうとぶ。「尚武」
4たかい。たかくする。5くわえる。そえる。6ひさしい。古い。遠い。
7めとる。めあわせる。特に天子の娘(公主)をめとること。「尚主」
8なお。9つかさどる。 と載っている。 漢語林より
此の「尚」の文字が頭に有るのは、(株)株式会社や、(有)有限会社の組織ではなく、神が下る。神が請い願う。組織、形状の社会組織を意味しており、其の在り方が、父親の精神を持っていると言うか、天の父・ゴッドの意志に添っていなければ成らないとの理・ことではないだろうか。
私は、屋久島に帰って暮らして居る時(2003年7月1日)に、隣の家に住む、安房区の区長さんである日高雲平氏に神のお告げが下って、私が大文字の「ファーザー(Father)」であると知らされた事が有る。
【ファーザー】を辞典で調べて見ると
@父 Aカトリックの神父や修道院長 (有紀書房・カタカナ語辞典)
A父 A神父 (広辞苑)と載っており
【父】を調べると
@親・父親・実父の総称
A(キリスト教) (ア)神 (イ)三位一体(さんみいったい)の第一の位格
(広辞苑)
@両親のうちの男の方・実父・継父・養父の総称。父親。
Aキリスト教で神をいう。
B新しいものの開祖。先駆者。また偉大な貢献者。
(言泉)
@親。子のある男子。
A(キリスト教)天帝。 (言海社・最新式字典)と載っている。
今朝のメッセージでは、現在の経済システムが崩れても、無線通信は残されていると言うか、使用可能だったので、宇宙衛星通信システムと、地上の電気システムは維持される事を示唆しているのであろう。
其の通信システムを使って、どの様な人間の暮らしを維持するかを、考えなければ成らない様である。
其れも、今朝の映像で、私の側に寄って来たのは、若い女性だったので、若い女性の協力が必要である理・ことを示している。其の若い女性は、私の長女や次女と同世代なので、自分の娘達の事も考えなければ成らないのであろう。
其れは、私自身が、子供の父親である事を、取り戻す作業でもあるのだろう。
其れを遣らなければ、彼の世に居る父親や祖父も、本当の安らぎを得られないのかもの知れない。
「尚 社会派父社」
https://wave.ap.teacup.com/20060106/487.html
2015/4/3本日4月3は、日本国の歴史の基と成っている、神武天皇の大祭日である。
昨日のメッセージの映像では、私が「天御中主神」であるとされる人物と一緒に、何処かに向かわなければ成らない場面が映し出されて来たが、今朝のメッセージでは、其の人物が、私の先祖霊と言うか、「御祖神・みおやかみ」である理・ことが解かって来た。
其れは、今朝の映像では、私が、黒人のペアが暮らしている、森の中に居る場面が、映し出されて来たからである。
其処には、言葉も未だ無く、勿論「暦・カレンダー」も無いので、其のペアの名前は判らず、年齢も判らないのである。
そして、食べ物は、女性の方が集めて来た、木の実を煮た物であった。
そして、夕方には、男性の方が狩から帰って来て、二人で焚火に向かい合って座って居た。
次の映像には、原住民の暮らす土地に、先進国の援助でコンクリート製のトイレが建てられているのが映し出されて来た。
しかし、其れは、トイレの建物だけで、水道が引かれていないし、トイレットペーパも用意されていないので、子供達がトイレの穴以外に、排便をするので、全室が足の踏み場が無くなっており、壁には、排泄物を拭った手形が澤山着いていた。
次の映像は、私が誰かと二人で、海岸で釣りをして居ると、相方の方は釣りが初めてらしく、竿の扱いが出来ず、糸が絡んで、巧く釣りをする事が出来ないのである。そして、私が大きな魚を釣り上げて、岸に置くと、其の魚は、行き成り猫科の動物に変身してしまった。
だが、其の猫科の動物は、行き成り身体の仕組みが、鰭から、足に変わってしまったので、四足を動かす歩く事が出来ずに、固まって居た。
今朝のメッセージの映像は、人間の進化の歴史の事だけではなく、動物が海から陸に上がって来た事までが、含まれており、生命の紀元や進化の事まで、広く、深く、考えなければ成らない様である。
今朝のメッセージの映像から、私が感じた事は、言葉や日付が無い時代には、歴史が認識できないし、神の存在に名前を与える事が出来ないので、神の存在も無かったと言う事である。
其の様に考えると、神が誕生したのは、人間に言葉が発生した時代からであり、人間の大脳が発達して、言葉が出来る迄は「神」は存在しなかった事に成る。
そして、人間の意識に、神が存在する様に成ったのは、神話が生まれてからと言う事に成るのだ。
其の証拠に、人間と99%が同じ遺伝子を持つチンパンジーには、言葉が無いので、神も存在してはいない。
其れを考えると、神が存在する様に成ったのは、最長650万年前からであると言う事になり、それ以前には神は存在しないので、「創造神」は存在しない事になる。
人類の誕生に付いては、ウィキペディアフリー辞典に、次の様に記載されている。
・656万年前±26万年 - ヒト族とゴリラ族が分岐したとされている。
・487万年前±23万年 - ヒト亜族とチンパンジー亜族が分岐した。
猿人の出現。直立二足歩行の開始。
・370〜100万年前 - アウストラロピテクス(猿人)
最初の人類とされる。一定の道具使用した。
・約250万〜180万年前 - この頃、石器の使用がはじまった。
エレクトス原人が出現する(250万年前)。
・約50万年前 - 北京原人。
・約40万年前 - マンモスは、北東シベリアで誕生したとされている。
・約23万年前 - ネアンデルタール人の出現。
・約20万〜19万年前 - ホモ・サピエンス(現在のヒト)の出現。16±4万年前のミトコンドリア・イブの存在。
・約15万年前 - マンモスがヨーロッパに現れた。
・約12万5千年前 - 初期のヒト属による火の利用
・約10万年前 - 現代人(ホモ・サピエンス)がアフリカを出て世界各地に拡がった(アフリカ単一起源説を裏付けるもの。)
・7万年前±1万3000年にヨーロッパ人と日本人の共通祖先が分岐。
・約5万年前 - クロマニョン人。
・約3万年前 - ネアンデルタール人がこの頃絶滅。
ウィキペディアフリー辞典 現在記載
【言語の起源】
ヒトにおける言語の起源は広範に議論される話題である。それにもかかわらず、究極的な起源やその年代についての合意は得られていない。経験的な証拠では限界があり、多くの学者はこの話題を全体として真剣な研究の対象にそぐわないものとみなし続けている。大学の授業でこの話題を議論のテーマとすることがある。1866年に、パリ言語学協会はこの主題を禁止するまでに至った。この禁止令は西洋世界の大部分を通じて影響力を保っている[1]。今日、言語が最初に起こったのはどのように、なぜ、いつ、どこでなのかに関して数多くの仮説が存在する[2]。チャールズ・ダーウィンの自然選択による進化の理論がこの話題に対する空想を励起した100年前よりも今日の方が合意に至るのは困難である[3]。しかしながら、1990年代初頭以降、「科学の最難問」を考え始めるのに新しい方法でとりくむ言語学者、考古学者、心理学者、人類学者その他の専門家の数が増加している[4]。
アプローチ[編集]
言語の起源に対するアプローチは、何を基本的な前提にしているかによって分類することができる。「連続性理論」は、言語は複雑なので何もない所から急に完全な形で言語が現れるのを想像することはできないという考えに基づいている。言語は、私たちの祖先の霊長類の間で言語に先立つ前-言語的体系から発展してきたに違いない、とされる。「不連続性理論」は、逆の考え、つまり、言語は他に類のない特徴なのでヒト以外の動物の特徴と比較することはできないし、そのため人間の進化の過程で全く突然に表れたに違いない、という考えに基づいている。もう一つの異なる理論は、言語が概して一般的に符号化された生来の能力であると大抵みなしている前二者と違い、言語を主に文化的な、つまり、社会的な交流を通じて習得される体系だとみなす[5]。
ノーム・チョムスキーは不連続性理論の卓越した唱道者だが、この問題に関して彼は同僚たちの中で孤立している。約十万年前に言語機能(心―脳の構成要素)が「瞬間的に」「完全」もしくは「ほぼ完全」な形で出現するような進化の一度きりの突然変異が霊長類の一個体に起こった、と彼は主張している。・・・
ウィキペディアフリー辞典 現在記載
此の説明にも有る様に、人類の言語は10万年前からのモノであると言うだけでも、孤立するとの事であるから、僅か10万年前でも、神は存在しなかった事に成るのである。
だとすれば、私に起きた不思議・奇怪な現象は、一体何なのであろうか。
私に、理解出来て来ている事は、我々人類の大脳その物が「宇宙の進化」其の物であり、我々人間の意識の進化と、宇宙意識の進化は、同体であると言う事である。
其の様に考えると、釈迦如来の謂う「真に信じられるのは、此の自分の肉体だけである。」との事や、「過去・現在・未来に 私が存在する。」との謂いが、的を射ていると言うか、今朝の私と、同じ意識の次元に釈迦は居た事になる。
そして、其れは、日本の「御祖神・みおやかみ」の概念と同じであり、日本の天皇家の伝統が「御祖神」を対象として「新嘗祭」や「大嘗祭」の儀式を行う事が、的を射ている事に成るのだ。
今朝の映像では、私の相方が、現在の釣道具を扱えなかったのは、近代社会を生きた事が無い事を、示唆しているのであろう。
そして、私が、海から釣り上げた魚が、行き成り「猫科(四足の動物)」に変身して、分けが判らずたじろいで居たのは、生物が海に誕生して、陸に上がって生活する様に成った、進化の過程が、抜かれているからなのであろう。
それに、先進国が行進国に、新しい文化を寄贈・援助しても、其の扱い方法を訓練する事や、インフラの整備までを行わなければ、有難迷惑である事や、子供の教育や躾けがなければ、人間は正しい行動が出来ない理・ことを示唆しており、文化は一朝一夕では伝承出来ないと言う事であろう。
今朝のメッセージで、私に明らかに成って来た理・ことは、私の現在・いまの意識は、私の68歳の人生だけの物ではなく、私の父親と祖父、其れに母方の祖母を通して、遥か古代のアフリカまで遡って続いており、其の「656万年前±26万年」の先には、6500万年前に起きた巨大隕石衝突に因って、地球環境が劇的に変わって恐竜が絶滅し、哺乳類が台頭して来た時代まで遡るのである。
そして、其の先には、海原で「DNA・遺伝子」が複雑に絡み始めた、「スサノオ・苆の尾・穂」の世界が存在するのである。
・40億年前(±2億年) - この頃、原始生命が誕生したと考えられている。 → 生命の起源
・38億年前(±3億年) - 真正細菌(バクテリア)と古細菌(アーキア)の出現。 → 共通祖先。
・32億年前 - 光合成をする生物が現れる。藍藻(シアノバクテリア)。
・27億年前 - シアノバクテリアが大量発生。
この頃のシアノバクテリアの化石が大量に見つかっている。酸素の供給量が増加。
・21億年前(±6億年) - ミトコンドリア、葉緑体、中心体等に相当する生物と共生した真核生物の出現。・・・
*古生代(約5億7000万〜約2億5000万年前)
・約5億3000万年前 - バージェス動物群、バージェス頁岩
三葉虫などの生物が現れる。
・4億2000年万前 - 植物の上陸。・・・
・3億年前 - 爬虫類の出現。
*中生代(約2億5000万〜約6500万年前)
・2億5000万年前 - 爬虫類から進化した恐竜の出現。中生代の三畳紀、ジュラ紀、白亜紀を通して恐竜が繁栄。・・・
・1億年前 恐竜の全盛時代
・6550万年前 - 生物の大量絶滅(白亜紀末)。この頃、恐竜が絶滅。アンモナイトも絶滅。
隕石の落下による環境の激変を原因とする説が有力と考えられている
*新生代(約6500万年前 - 現代)[編集]
・約6550万年前 - 霊長類の出現。
ウィキペディアフリー辞典 現在記載
更に人間の意識は、釈迦や老子が謂う様に、潜在意識で宇宙誕生まで辿り着く事が出来るので、地球誕生の50億年を超えて、138億年先の「玄(くらい)闇宇宙」まで辿り着くのである。
だから「創造主」とは、自分の内側に存在する理・ことに成るのである。
其の証拠に、誰かが「造化三神」である「天御中主神」の名前と、「高御産日神・たかみむすびのかみ」「神産巣日神・かみむすびのかみ」を、創り出したのである。
其れが、何時の時代の誰であるのかは、記録が無いので判らないが、其の様な言葉が使える時代である事は間違いないので、数千年前の事なのであろう。
だから、人類誕生の地であるアフリカの黒人・原住民の所にまで返ってしまえば、造化三神などは存在しないし、其処に存在するのは、自分と周囲の環境だけなのである。だから、近代社会から、神の名前が消えてしまえば、宗教は存在しないし、残るのは子孫の肉体に依り憑いて来る、先祖の霊魂だけなのである。
そして、依り憑いた子孫の能力が高ければ、先祖の霊魂も認識が高まって霊格が上がって行き、立派な「御祖神・みおやかみ」と成れるのである。
そして、人類の根源と言うか、最初の「イブ・母親・源始祖」の所に帰り着いた者が、「天御中主神」の名である宇宙意識の立場で、森羅万象の流転に影響を与える事が出来るのである。
其の存在こそが、イエスキリストが「天の父」と呼んだモノ・存在なのであろう。
其の様に考えると、「日高雲平氏」が霊夢を見て、私の存在が大文字の「Father・ファーザー」であると、知らされた事の意味も理解されてくる。
今朝のメッセージの内容は、此処まで書き進めれば、本日が神武天皇祭の日であり、私が「1984年6月4日(旧暦5月5日)母親の64歳の誕生日」に此の世界に入った時に、「残り16年半しかない」と告げられた事が、神武天皇の東征の年月と同じであった事の理由も、解けてくる。
其れに、私を找し出して此の神の世界に送り込んだ土肥無庵の出身地は、「御祖神・みおやかみ」が祭神である「妙見宮」が存在する北九州市小倉であり、其の土肥無庵は、17歳の時にオートバイで崖から落ちて、頭蓋骨折で意識不明の状態の時に、意識が妙見宮の階段を上って行くと、真っ白い神様が現れて、「お前は未だ役目が有るから帰れ」と告げられて、意識が奇跡的に回復したとの事である。其れ等の事も、今朝は全て繋がって来た。
「天御中主は御祖神」
https://green.ap.teacup.com/20060818/3414.html
2015/4/6・・其の様に考えると、今朝の映像の四つの場面では、私自身は何もしないで、様子を視て廻って居ただけなので、大文字の「Father・ファーザー」である「天の父」の意思が、私の潜在意識と言うか、「カルマ・業・背景」に在ると言う事に成る。
其の様に考えると、私が今朝「胸・懐」から取り出して、台の上に置いた透明な三個の球体は、造化三神である「天御中主神・あめのみなかぬし」「高御産日神・たかみむすびのかみ」「神産巣日神・かみむすびのかみ」の三体を、意味しており其の造化三神の働きは、私の胸の内に在ると言う事になる。
其の様に考えると、昨日の「ポート・プレリウム」との言葉や、一昨日の「結束された靴下」の映像の意味も理解されて来るし、私は、自分の足で歩かないでも、自分の役割を果たしている事になる。
否、歩かないからこそ、此の様な文章を書けると言うか、メッセージが届くのであろう。其れを考えると、如何に、エジプトのトト神である「書記官」の存在が貴重なモノであったのかが、能く理解されてくる。・・・
「国常立神」
https://green.ap.teacup.com/20060818/3417.html
これ等の文章の内容からすると、日高雲平氏が、蛸の茹で方・料理の仕方を訊きに訪れた場面は、蛸の手足が八本である事に意味が有り、此の私は「四方八方」の世界を伝授しなければ成らないと言う事であり、其れが暗闇の中で光を発する「灯台」の役割であるとの理・ことなのではないだろうか。
其れを考えると、釈迦仏陀の予言である「57億6千万年後に彌勒菩薩が降臨して無明の世界に灯りを点す」との事が、現実と成る日が来たと言う事に成りそうである。
其の57億6千万年の数字は「8」で割り切れる数字「72(4×9+2。18×4)」であるので、今朝日高雲平氏が知り合いから貰ったと言う蛸を持って来た事の意味も、理解されて来る。
今朝のメッセージで、私が自分の人生航路を、二部構成で纏める必要が有る事が告げられて来たのは、人間社会の歴史は「神・宗教」を主軸・盾として、権力構造・組織が生まれ・滅して来た記録であり、現在まで傳えられて来ている情報は未来創造には邪魔に成っても、プラスには成り難いので、此の私に、人間の存在意義を原点から体験学習させる必要が有った理・ことを意味しており、私が其の事を自分自身で編集して残す必要があるとの事ではないだろうか。
其の様に考えると、何故私が、世界自然遺産に登録される様な海山川の条件が全て整っている環境の屋久島で、産まれ育たなければ成らなかったのかの分けが理解されて来る。
其れも、細い野道を裸足で通学する事から、飛行機で東京に出張したり、クルーザーを取得して都会からの客人を案内したりする事までを、30歳代までで体験し、37歳の時に「土肥無庵」に找し出されて、神の世界に飛び込んで36年半を過ごして来た私の存在は、是から、誰かが真似しようと考えても、同じ条件下で実行する事は、不可能であるだろう。
其れを考えると、天津日嗣の世界を、未来に継続する行為には、多くの理解者が必要不可欠である理・ことは、明らかであるので、是からの私の行動には、是まで以上に努力が欠かせないと言う事になる。
令和2年12月26日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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