1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2022/1/14
時から紀へ
4・1・14
今朝のビジョンには、先ず日本語の横書き文章が、箇条書きで、長く記されている場面が映し出されて来て、其の文章は格調が高く、私の意識・頭脳・能力では、綴れない言葉使いである事がはっきり判ったので、何者かの意識が神(はたらき)している事は、間違い無い様である。
次に、私が一人で旅を始める様子が映し出されて来て、辿り着いた岬の岩場は茶色の砂岩の中に、白い岩盤の層が横に続いているので、其の白い層に近づいて確かめると、其れは白い砂粒ではなく、もっと細かい真っ白の粉状質の層である事が判った。
次に、其の岬から引き返して、山岳の方に向かうと、大きな木杭を打っている広い牧場が存在して、私(意識)が其の木杭の柵の側に立って居ると、長身の中年女性が、有機農産物の販売を行っている「天波博文氏」を連れて来て、其の杭の頭の部分の栓蓋を開けて、中から玄米を手に取って天波氏に見せ、「こうして措けば 逃げ出した物も帰って来る」と、説明して居る場面が映し出されて来た。
其れで私は、其の映像の意味は、家畜の事ではなく、国民の事を示唆している理・ことを理解していた。
次に、とても大きな平仮名文字で「えん」と、青色で記されている場面が映し出されて来た。
今朝は「とき から ときへ」との言葉が一言告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は「7時50分・8時10分前」であった。
其れから台所に行き、由香に何か見なかったかと訊くと、「見た」との事であり、其れは次の様な内容である。
娘がバラ寿司を作って居り、其のバラ寿司(岡山では祭り寿司)は美しい彩りであったとの事である。
次に、政治に携わる人達が動き出して居る様子が映し出されて来たとの事である。
私は、其の由香のビジョンから「めでたい」印であり、国民の為の政治が行われる・創造・建設が始まる兆しである事を想った。
其れからPCを立ち上げ、「とき から ときへ」との言葉を考え、「とき・時節」は「紀(とき)の祭り。みいつ建国へ」ではないかと意ったので、取り敢えず「時から紀へ」と題に打った。
そして起こさされた「8時10分前」の数字から、昨年の8月10日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021/8/10今朝のビジョン・メッセージは、一昨日に私の身体に落雷が起きる現象・体感が起きた事と関係が有るのか、今朝は一場面しかなく、私の意識はすっきりした状態である。
其のビジョンは、左側から青緑のスーツを着こなした50歳位の紳士(優秀な男性)が私の意識(存在)の前に訪れて来る場面・様子が映し出されて来て、其の男性は私に話を聴きに来たとの事であり、私は其の男性の質問に丁寧・真剣に対応して居た。
其れから、女神の聲で「色々様々考えてね」との言葉が一言告げられて来て意識が目覚めたので、起きて時計を見ると、時刻は「7時5分」であった。
其れからPCを立ち上げ、起こされた7時5分の数字から「7月5日」の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
21/7/5・・夜間に電柱に装着されている街灯の光の下の地面に人影が出来る様に、私自身の影が地面に存在している場面が映し出されて来て、其の私自身の人影が、暗闇を背景にして、手前の方に引き剥がされる様に立ち上がって来る場面が映し出されて来た。
其れから、金剛棒の様に固くて細い鉄棒が渋し銀色で、此方側から真っ直ぐに暗闇の中に、永遠・とわに続いている・伸びている場面・様子が、映し出されて来た。
そして次に、「閉める役割の人」の意味を現す「閉」の漢字の後に平仮名文字が記されている単語・文章の存在が映し出されて来た。
其れから、漢語林で「閉」の漢字を調べると、次の様に載っている。
「閉・ヘイ・とじる・とざす・しめる・しまる」【解字】会意。「門+才」才は、木材の意味。門を木のかんぬきでとじたさまから、とじるの意味を表す。
【字義】@とじる。しまる。また、とざす。しめる。⇔開。㋐門がしまる。また、門をしめる。㋑開いているものがしまる。また、とじこめる。「幽門」㋒ふさがる。また、ふさぐ。㋓おさまる。また、おさめる。かくす。「密門」㋔断ちきれる。また、絶ちきる。㋕守る。㋖やめる。おえる。A錠前の鍵をさしこむ筒。Bゆだめ。弓のまがりを正す道具。C立秋。また、立冬。
此の「閉 Bゆだめ。弓のまがりを正す道具。」との意味からすると、今朝のビジョンに映し出されて来た「金剛棒の様に固くて細い鉄棒が渋し銀色で、此方側から真っ直ぐに暗闇の中に、永遠・とわに続いている・伸びている場面」が関係が有り、今朝示されて来た「閉める役割の人」の役割とは、「久遠実成・くおんじっじょう」から未来に繋がる真理の道・ルートを正す人・真っ直ぐにする人との意味合いが有るのではないだろうか。
其の様に考えると弘法大師空海が手にする「金剛杵(こんごうしよ)」が、空海の手を離れて、永遠の宇宙の金剛道(ルート・ケーブル)に成ったと言う事なのかも知れない。・・
此の「立って居てください」との言葉からすると、今朝のビジョンで私が真っ暗な世界で地面から引き起こされた場面と関係が有り、私は毎晩取り組んでいる「天御臥間 (あめのおふすま)・真床覆衾(まとこおふふすま)」の世界・役割から解放される時が来たとの事なのかも知れない。
「閉るひと」https://green.ap.teacup.com/20060818/5846.html
此の「閉るひと」との言葉は、私に一昨日(8月8日午後6時4分)落雷の現象が発生した事と関係が有り、8月8日は「天石門別八倉比売神社・あめのいわとわけやくらひめじんじゃ」の大祭日であった事に関係が有り、「八倉比売」が岩戸を開けるとの事は、開けた儘であるのではなく、開閉を司っているとの事であり、私の身体に落雷の現象が起きた事は、神(はたらき)から何等かの物が、私に入力・インプットされるとの事ではなく、私の身体に有った物が全て「抜き取られた」との出来事であった事に成りそうである。
そして、私の寝室「天御臥間 (あめのおふすま)・真床覆衾(まとこおふふすま)」の時計が6時4分(1分・60秒間)であり、由香の着信が6時3分(1分・60秒間)であったのは、私が此の神の世界に飛び込んだ日が母親の64歳の誕生日であり、私が全てを捨て去って旅に出て、私が「皇女・斎宮・倭姫命」の御魂であった「井上佳子」に出逢ったのが1961年6月3日であり、其の「井上佳子」の葬式を1998年4月29日(昭和天皇誕生日)に行って、其の井上佳子の誕生日である「2001年11月21日」に「由香」と出逢った事が、全て神の仕組み・システム内のプログラムであったとの事であり、「天石門別八倉比売・あめのいわとわけやくらひめ」が関わりを持っている世界は、人間の生死や出会い(結び)に直接関係があるとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れを考えると、今朝7時5分に「色々様々考えて」と一言告げて来た女神の聲は、其の八倉比売の聲であると考えられる。
そして、昨日の「決して振り返っては成らない」との事は、自分で望んで岩戸開き(トンネル潜り)をした人間は、必ず反対側から出る事に成功しなければ成らないとの理・ことなのかも知れない。
今朝のビジョンからすると、私は此れまでの様に、過去の人達の御魂や過去の歴史の事に意識を向けるのではなく、此れから人類はどの様に生きて行けば良いのかを模索する方向に進めば、今朝のビジョンに登場した男性に出会えるとの事なのかも知れない。
そして其の男性に会う事が出来れば、2008年6月3日の「定着した画像」に記して有る、「最後である九回目のトンネル潜り」の目途が立つと言う事なのかも知れない。
08/6/3本日6月3日は、私が1984年6月4日(旧暦5月5日)に、此の神の世界に入って24年目の最後の日であり、伊勢神宮を創建した皇女・斎宮である「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった「井上佳子」と1986年6月3日に高知で初めて出会ってから丸22年の日でもある。・・
私が、1984年11月21日の早朝、初めて伊勢神宮外宮に参拝してから、大王岬を回り、三重県志摩市阿児鵜方字西ノ河内の電電公社の電波塔の近くの広場で、車中に一泊した時の未明に、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の上半身の姿が、夢枕に現われた。
そして22日の朝、車を運転して磯部町を走って居ると、道路の右側に在る「正傳寺」の階段が気に成り、道路の横に車を止めて、階段を上がって行った。
すると境内に、神懸りに成った車椅子に乗ったお爺さんが居て、其の傍らでは、お婆さんが「朝から お爺さんの気が狂った」と云って、激しく泣いて居るのである。其のお爺さんは、寺の住職に向かって「地球が危ない」と叫んで居るのである。
其のお爺さんは、私が階段を上がって境内に入ると、私の気配を感じたらしく、後ろを振り向いて、「ああ お前だ。此処の坊主では 何にも解らん。」と云った。
そして、私に「是まで 8回トンネル潜りに失敗して 今回が9回目で 最後のチャンスである」と云い、更に「早稲田や 慶応に 沢山孫が居るので 助けてくれ。」と、云うのである。・・・
「定着した画像」https://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
何れにしても、私が37年間掛かって此処まで詰めて来た事象(四次元プログラム)は、ある程度の形を整えたと言う事であり、4311体の「御魂の恩頼・みたまのふゆ」の存在も成仏できると言う事なのかも知れない。
其の様に考えると、一昨日からの出来事は、私に「閉る言葉・仕切り」を行えと言う事なのかも知れない。
「色々様々考えて」https://green.ap.teacup.com/20060818/5917.html
此の文章には、次の様に記して有る。
「左側から青緑のスーツを着こなした50歳位の紳士(優秀な男性)が私の意識(存在)の前に訪れて来る場面・様子が映し出されて来て、其の男性は私に話を聴きに来たとの事であり、私は其の男性の質問に丁寧・真剣に対応して居た。」
此の内容からすると、其の私の話を聞きに来た優秀な男性の存在は、神仕えであり、私の会話や意識を通して、新時代の情報(アカシックレコード)を作成している存在・役割であり、其れが完成した事を、今朝示して来たのではないだろうか。
其れに、此の文章には「閉るひと」との題名の文章が貼り付けられているので、今朝のビジョンで牧場の柵が映し出されて来た事と関係が有り、現在(いま)は、神の世界から外れて居る人達も、帰れるチャンスが残されているとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れに、此の文章の最後には・・私に「閉る言葉・仕切り」を行えと言う事なのかも知れない。・・・と記して有る。
其れを考えると、今朝のビジョンに、大きな平仮名文字で「えん」と青色で記されていた場面が関係有るのではないだろうか。
其れが、漢字の「縁」ではない事を考えると日本語の「えんむすび」や、インドの「rūpa・ルーパ・縁起・色」の言葉が関係が有り、全人類が理解できる共通の言葉・概念を創作しなければ成らない理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
キー「縁 エン 糸+彖 ふち へり」
2016/5/18昨夜は、眠る前に目を閉じて居ると、瞼に60歳代の品格のある男性が一人、車を止めて私の所に訪ねて来る場面が映し出されて来た。
そして、眠ってからは、朝まで映像が続いていた。
今朝のメッセージの映像は、先ず・漢字の「厂・がんだれ」が映し出されて来て、其れが「国家」に関係有る事が示されて来た。
次に、玄関口の壁に取付けられている、呼び出しベルの装置の蓋が外れて、中の二個の電池が真っ赤に錆びている映像が映し出されて来た。
次に、泥が着いて汚れている、役人の制服が映し出されて来た。
次に、ピカピカに輝く電気炊飯器の中釜が映し出されて来た。
次に、日本建築様式の、木造の長い建物の側面が映し出されて来て、其の側面の長い廊下・縁側の部分が、PCのキーボードに成っていて、其のキーボードは長期間使用されていない為に、枯草が彼方此方に生えていた。
其処に40歳代の男性が、一人現れて、枯草を取り除き、先ず三ケ所・三部門が動く様に、手入れを始める様子が映し出されて来た。
次に、演劇の「言葉・台詞」の世界が映し出されて来て、其の世界で「強者」と「弱者」の差が生まれる理・ことが示されて来た。
そして、「シェイクスピア」と「蜷川幸雄」の存在が示されて来て、「マクベス」との言葉が告げられて来た。
今朝は起きて、PCを立ち上げると「騒がないで」との言葉が有ったので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「騒がないで
貴方のする事は 他に有りますので
一時的な事に 騒ぐ必要はありません。
今朝の映像は 一部の事であり
全体的な流れの 主流ではありません。
其れに 演劇の世界に付いては 貴方は素人なので
余計な事を 謂う必要がないからです。
貴方は、全体的な流れを 観て行けば良いのです
其処に ディレクターの役割が 生まれて来るのです。 」
「騒がないで」http://moon.ap.teacup.com/20060103/719.html
今朝は、先ず「マクベス」で検索すると「蜷川幸雄演出の舞台NINAGAWA・マクベス」が有り、今朝のメッセージは現実の世界に関係が有る事が判った。・・
此の「マクベス」の物語からも、今朝のメッセージは「国家」の運営か、行く末に付いて危機感が示されて来ており、其の事に「言葉の世界・情報の取り扱い」が重要である理・ことが、示されて来ているのであろう。
先ず、漢語林で「厂・がんだれ」を調べると次の様に載っている。
「厂・カン・ガン・がけ」【解字】象形。けずりとられた、がけの形にかたどり、がけの意味を表す。【字義】@がけ【字義】@がけ(崖)。Aきし(岸)B石。国語 @雁・鴈(かりの意)の略字。A歴・暦の略字。 漢語林より
此の「削り取られた崖」の意味からすると、現在の「国家」の在り方は、土台の部分が削り取られて、崩壊寸前状態に在ると言う事なのであろう。
次の、玄関口の壁に取付けられている、呼び出しベルの装置の蓋が外れて、中の二個の電池が真っ赤に錆びている映像が映し出されて来たのは、其の国家の崩壊に付いて、質問をしようと意っても、聴き取りをするべき役所である「聴(庁)舎」が不備であるとの事が、示されて来ているのであろう。
そして、次の映像の、泥が着いて汚れている役人の制服の存在は、其の原因が政府の役人が汚れてしまっているので、役所に本来の働きが無い理・ことが示されているのであろう。
次の映像の、ピカピカに輝く電気炊飯器の中釜が映し出されて来たのは、主食が米である日本の文化が、新しく輝く文化(言葉・台詞)を、生み出す・創造する事が示されて来ているのであろう。
次の映像の、日本建築様式の建物側面の長い縁側・廊下の部分が、PCのキーボードに成っていて、其のキーボードを40歳代の男性が掃除をして、三ケ所が動く様に手入れを始める様子が映し出されて来たのは、「豊葦原瑞穂国・とよあしはらみずほのくに」の文化が見直される事を示唆しており、此の日本の言霊の世界・文化が、新しい文明・文化の発信基地と成る理・ことが、示されて来ているのであろう。
そして長い廊下は、情報の縁の多彩さを示しており、先ずは、基本的な三つの世界を新しく開かなければ成らない理・ことが示されており、其れは40歳代の働き盛りの男性の役割であると言う事なのであろう。
そして、其の情報発信の世界は、ハッキリと物を言う必要が有り、言葉に「真理」と「力強さ」がなければ成らないと言う事であり、是までの日本人の「どうも どうも」の様な好い加減な言葉使い・優柔不断な態度では、駄目であると言う理が、示されて来ているのであろう。
今朝は、其れ等の映像で、私は完全に演劇の世界に入らなければ成らないと考え、昨日のメッセージである「処理・100時間」は、其の演劇の事であると意って居たので、其の意いを訂正させる為に、女神が「騒がないで」と告げて来たのであろう。
私が、今朝考えなければ成らない事は、長い縁側がPCのキーボードと成っていた事と関係があり、物事の「因縁・基礎」と成っている情報を、再稼働させる必要があり、其れが、私のディレクター・監督としての役割であると言う事なのであろう。
*「累・ルイ」【解字】形声。「糸+田」音符の田は、かさねるの意味を現す。糸を順序よくかさねるの意味。【字義】(一)つなぐ。しばる。(二)@かさなる。かさねる。つみかさなる。つみかさねる。「累積」Aしきりに。つづいて。つぎつぎに。「累戦」(三)わずらわす。㋐関係を及ぼす。手数をかける。㋑たのむ。ゆだねる。まかせる。Aわずらう。また、わずらい。㋐うれえ(憂)。心配。また、めいわく。㋑かかりあい。まきぞえ。「累座」㋒足手まどい。やから。みうち。「係累」
*「縁・エン」【解字】形声。「糸+彖」音符の彖・タン=エンは、転に通じ、めぐらすの意味。衣服のふちにめぐらせた装飾。ふちかざりの意味から、ふち・まつわるの意味を表す。【字義】(一)ふち。へり。㋐衣服のふちかざり。㋑物のへり。まわり。(二)@よる。Aえにし。ゆかり。つながり。かかわりあい。よすが。関係。「縁故」「由縁」Bまつわる。からむ。まとう。めぐらす。C仏。因によって果を生じる作用。めぐりあわせ。「因縁」国語。エン。えんがわ(縁側) 漢語林より
16/1/13・・次に、其の私が居る施設の他に、大きな施設(システム)が存在する事が示されて来て、「知縁二割」との言葉が告げられて来た。
其れは、私が是まで文章に書いて来た事と言うか、触れて来た世界が、全体の二割であり、他に、私が知らないと言うか、認識の無い世界・他縁が、存在すると言う理・ことである。
次に、記号・数字・文字等が二〜三文字組み合わされている、単語の様な物が、横書きで澤山並んでいる画面が映し出されて来て、其れは、是から始まる新しい世界の、課題・テーマの頭文字を意味している様であった。
先ず「縁」の漢字を検索すると、次の様に載っている。
えん【縁】
1《(梵)pratyayaの訳》仏語。結果を生じる直接的な原因に対して、間接的な原因。原因を助成して結果を生じさせる条件や事情。「前世からの―」
2 そのようになるめぐりあわせ。「一緒に仕事をするのも、何かの―だろう」
3 関係を作るきっかけ。「同宿したのが―で友人になる」
4 血縁的、家族的なつながり。親子・夫婦などの関係。「兄弟の―を切る」
5 人と人とのかかわりあい。また、物事とのかかわりあい。関係。「金の切れ目が―の切れ目」「遊びとは―のない生活」
6(「椽」とも書く)和風住宅で、座敷の外部に面した側に設ける板敷きの部分。雨戸・ガラス戸などの内側に設けるものを縁側、外側に設けるものを濡れ縁ということが多い。 国語辞典より
此の説明から、1「仏語。結果を生じる直接的な原因に対して、間接的な原因。原因を助成して結果を生じさせる条件や事情。」の他の説明は関係無い様であり、今朝のメッセージの「知縁二割」とは、私は未だ「結果を生じさせる条件や事情」に付いて、二割だけしか知らない・把握していないとの事なのであろう。
そして、今朝のメッセージで、私が、全く自分の知らない自分として登場し、新しい世界・未知の事を、文章にして居たのは、残りの八割の縁・世界に踏み込んで行かなければ成らないと言う事なのではないだろうか。・・
「知縁二割」http://green.ap.teacup.com/20060818/3725.html
07/5/3・・其の夢の内容は、天から紐が二本下りて来ており、其の紐の両端を引くと、根元の所に、私が居たと言うものである。
其れは、私が、結びの要に位置しているとの意味になる。
日本の、古神道の根本原理は「むすび」である。
だから、神社では注連縄を飾るのである。
其れは、英語の「リリジョン(再び神と結ばれる)・宗教」の意味と同じであり、仏教の「時節因縁(じせついんねん)・一大事因縁(いちだいじいんねん)」の概念とも通じるものである。
更に、インドの「ヨーガ」も、神と結ばれる為の修行の手段として、存在するものである。・・・
「時節因縁・一大事因縁」http://green.ap.teacup.com/20060818/274.html
此処まで打つて来たら、今朝のメッセージは、昨日のメッセージで、私が、娘「舞光・まいか」の学校で行われている文化祭を、校庭の柵の外に木に登って覗いて居た事と関係があり、今朝のメッセージに示されて来た演劇の「マクベス」「シェイクスピア」「蜷川幸雄」の事は、日本国の文化が、西洋文化の導入に因って、基礎部分が削り取られて、崖淵に立たされている理・ことが示唆されているのではないかと想われて来た。
其れを考えると、今朝の映像で政府の役人の制服が汚れていた事や、日本建築の建物縁側のPC機器が停止していた事の意味も、理解されてくる。
其れに、昨日舞光の学校の給食掛かりの婦人に、調理場の方に案内された事と、今朝の炊飯器の中釜が関係が有り、此の国の食事をパンや牛乳から本来の米食文化に返さなければ成らない理・ことが示されて来ているのであろう。
何故なら、現在の学校給食のパンの材料である小麦粉は100%外国からの輸入であり、牛乳を生産する酪農牛の飼料も大部分が輸入であり、身土不二の基本から外れているからである。
日本が、穀物で100%自給できるのは稲作・米だけである。
其の主幹作物である稲作を疎かにしては、日本人の精神独立は無いのである。
一番問題なのは、味噌汁・魚・漬物が合うのは米食であり、パンと牛乳が合うのは肉食である事である。
其れは、牛肉1kgを生産するのに、穀物が7kg必要であると言うエネルギー消費に、力を貸すと言う事である。
戦後のアメリカの政策に拠って、当時アメリカで畑に山積みにされている小麦を、日本に売り付ける為に、子供の頃からパンを食べさせる事が始まり、其の事で、日本国の食文化の伝統が破壊されて来たのである。
其れも、今朝のメッセージの「厂・がんだれ」に、関係しているのであろう。
今朝のメッセージの内容を考えると、故「井上佳子」が1996年3月21日(弘法大師空海命日)に見せられた映像の事が思い出されて来た。
其の日の私に日記には、「井上佳子」が見た映像で、弘法大師空海が興した真言宗の僧侶である「章敬」氏が居る広い建物に、私と「佐藤宇三郎氏(自然素材の服)」と「井上佳子(倭姫命の御魂)」の三人が集まって話を始め、私が「全国を自然食にしよう」と言うと、皆が賛成する。
だが、其れでは何でも食べられる事に成るとの事で、佳子が「マクロビオティックが良い」と謂うと、二人とも其の方が良いと云った。と、記されている。
其の弘法大師空海の命日のメッセージと、今朝のメッセージの演劇の「言葉・台詞」の世界や、縁側からの情報発信の事を考えると、弘法大師空海が興した真言宗の「真言・マントラ」の世界が関係有り、日本(豊葦原瑞穂国・とよあしはらみずほのくに)から「大和言葉」にて、情報発信を始めなければ成らない理・ことが示されて来ているのではないだろうか。
昨夜、眠りに落ちる前に私を訪ねて来た一人の男性の姿は、其の「弘法大師空海」か「御祖神・みおやかみ」の存在だったのかも知れない。
其の様に考えると、天界の希望を、私一人が担っている事に成るのであろうか。
「厂・がんだれ・縁」https://wave.ap.teacup.com/20060106/665.html
2017/3/17・・此の「rūpa・ルーパ」の意味からすると、今朝「大日如来・マハーヴァイローチャナ」が告げて来た「追いついて」「相手にしないで。」とのメッセージは、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」其の物の存在が、その「色・rūpa・ルーパ」であり、全ての縁起の源であると言う理・ことに成り、其の「ルーパ・縁起」が、次のステップに踏み出す事が、示されて来ている事に成る。
「大日如来の声」https://wave.ap.teacup.com/20060106/728.html
驚いた事に、此の「厂・がんだれ・縁」の文章には・・昨夜は瞼に60歳代の品格のある男性が一人車を止めて私の所に訪ねて来る場面が映し出されて来た。・・・と記して有り、日本の主食である「米」と「役人」の事が記して有るので、何故「えん」の文字が青色で大きく記されていたかの理由が理解されて来る。
其れに「大日如来の声」の文章を考えると、今朝のビジョンに登場した長身の女性の存在は、其の「大日如来・マハーヴァイローチャナ(宇宙の真理の本体の意味)」であり、玄米を主体とする有機農産物を販売して居る「天波博文氏」に境界柵の木杭の中に入れて有る玄米を手に取って説明をして居た事は、天波博文の名前が「天の波 ひろく拡がる文」である事と関係が有り、穀物・食料の有無が、国家を維持する為の最重要事であるとの理・ことを、示唆している事に成る。
其れに、今朝のビジョンで、私が一人で旅を始める様子が映し出されて来て、辿り着いた岬の岩場は茶色の砂岩の中に、白い岩盤の層が横に続いているので、其の白い層に近づいて確かめると、其れは白い砂粒ではなく、もっと細かい真っ白の粉状質の層である事が判った映像場面は、何事を示唆しているのであろうか。
私に「岬・みさき」として、真っ先に思い出すのは、屋久島の真北に飛び出している矢筈岬の存在であり、其の矢筈岬を東経130度30分00秒の線が通っている事を、屋久島の地図を拡げて奥岳の位置を調べて居る時に発見して、私が旅を始める切っ掛けに成った事である。
其れに18年振りに屋久島に帰って暮らす事に成ったのは、スーリアさんを屋久島に案内して、其の矢筈岬の岩場に存在する白い石英の線上に存在する小石(回路石)を岩場から外す儀式を、2003年6月9日に行った。
其れに、前日8日の夜に「グリーンホテル」で地元の人達も招いて「スーリアサロン」を開催した。
そして、其の6月8日に突然、高平岳の「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」の祭祷を続けている「大山邦博」氏の足が動かなく成っていた事が判明し、其の事から「紀(とき)の祭り。6月11日 みいつ建国」の儀式を行う事に成り、其の儀式が其のまま「みいつ建国」の始まりに成っていた事が、4月6日に確定したので、4月6日から「みいつ15年4月6日」と、みいつ・御稜威」の元号を使用する事に成った事に、関係が有りそうである。
2021/4/3本日4月3日は、日本国の歴史(暦)の始まりと成っている「神武天皇」の大祭日(命日)である。
・・PCを立ち上げ、文章の題を「歴史と時間」と打つと「ときのこうちく・こうせい」との言葉が告げられて来たので、「紀(とき)の構築・構成」とした。
*こう‐ちく【構築】 の解説
[名](スル)組み立てて築くこと。「城を構築する」「理論を構築する」
*こう‐せい【構成】 の解説
[名](スル)
1 いくつかの要素を一つのまとまりのあるものに組み立てること。また、組み立てたもの。「国会は衆議院と参議院とで構成されている」「家族構成」
2 文芸・音楽・造形芸術などで、表現上の諸要素を独自の手法で組み立てて作品にすること。「番組を構成する」・・
今朝のビジョンは、私が、蝶々の様にふわふわとゆっくりと空を飛ぶ飛行機(乗り物)を運転して、屋久島の北側から、山岳の上を越えて行くと、海べりに有る飛行場の存在が見えて来た。
そして、私の右側の席には、イタリアに本部が有るスローフード協会から「スローフード大賞」を受賞した武富勝彦氏が座っている事が判った。
次に、私が棺の中に上向きで寝かされて居る姿が映し出されて来て、其の私の身体には、紅色の花が満開に咲いている、蔓科の植物が巻き付けられていた。
次に、姿の見えない存在の左手が、黒米の種子が1kg程入っている透明なビニール袋を手渡して来る場面が映し出されて来た。
そして「2666年」との年数が大きく映し出されて来た。
「紀(とき)の構築・構成」https://green.ap.teacup.com/20060818/5340.html
此の「紀(とき)の構築・構成」の文章には、「・・姿の見えない存在の左手が、黒米の種子が1kg程入っている透明なビニール袋を手渡して来る場面が映し出されて来た。そして「2666年」との年数が大きく映し出されて来た。・・・」と記して有るので、やはり「稲・米」の事・世界が関係有るようである。
2021/4/6昨日は、午前中に「武富勝彦氏」より電話が掛かり、是からの事に付いて暫く話した。其の武富氏の存在は、4月3日(神武天皇祭日)のビジョンで、私とフライトして居た存在である。
そして、午後には江藤敬介氏から電話が有り、色々話した。
其の二人の電話に共通している事は、人間界の立て分けが激しく始まっているとの件・事であった。
今朝の私の意識の状態は、何かの情報が通過(御稜威)している事は感じられるのだが、私の記憶に残るビジョンは一切何も無いのである。
其れは、是まで続いて来た、私の夢見の世界が終わったと言う事なのか、体制・次元が変化する為の節目なのかは、私には判断できない。
そんな状態で、私が意識・イメージして居た事は、「太陽の光熱」と「地球の大地と水」「月の引力と海水の干満」の存在で、地球生命が存在し、静かにしている人間の心拍が一分間に60回であり、60秒で「60分・→24時→365・25日」が割り切られる理・ことである。
其れを考えると、小さな「鼠」の存在と、大きな「象」の心拍数では、其の様には行かないので、「人間が万物の長」であると考えられる人間の脳は、確かに惑星運動の中心的役割を果たす生物である事に成る。
其れ等の事を考えて居て、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時24分」であった。
其れから再び横に成り、自分の頭脳が空白である事が確かめられたので、起きて時計を見ると時刻は7時19分であった。・・
此の「今回のプログラムは終了」と「非常事態宣言」との題名・言葉は、昨日武富勝彦氏と江藤敬介氏からの電話で、激しい立て分けが始まっている事が、知らされて来た事と関係が有り、4月3日「神武天皇祭日」に告げられて来た事柄は、愈々イエスキリストの言葉に有る「其のトキ」が、三次元世界に現象化する時節を迎えたと言う事なのかも知れない。
其れは、新次元・未来世界に進為には、清水に拠る「禊ぎ祓い」と、日本の伝統文化である「惟神の道」の概念を理解しなければ成らないと言う事である
「・・其れに、今朝のビジョンに、私が棺の中に上向きで寝かされて居る姿が映し出されて来て、其の私の身体には、紅色の花が満開に咲いている、蔓科の植物が巻き付けられていた場面は、「天津日嗣・あまつひつぎ・天の棺」の世界と関係が有り、私は2681年前に始まった日本の「歴史・紀元」の666年の五回目を、2006(皇紀2666)年6月11日(旧暦5月16日満月)に、引き受けていた事に成るのであろう。
其れを考えると、本日4月3日は「みいつ15年4月3日(旧暦2月22日)」である事に成る。・・」
此の事を考えると、私は是から、文章の日付は「令和」ではなく「みいつ○○年」と記さなければ成らないのかも知れない。
「太陽・地球・月」https://green.ap.teacup.com/20060818/5695.html
此の「太陽・地球・月」の文章には、「・・静かにしている人間の心拍が一分間に60回であり、60秒で「60分・→24時→365・25日」が割り切られる理・ことである。其れを考えると、小さな「鼠」の存在と、大きな「象」の心拍数では、其の様には行かないので、「人間が万物の長」であると考えられる人間の脳は、確かに惑星運動の中心的役割を果たす生物である事に成る。・・・」と、記して有る。
其れを考えると、今朝告げられて来た「とき から ときへ」の一つは「時」の漢字で良い事に成り、皇紀2666年6月11日(旧暦5月16日)から開始された「みいつ・御稜威」の政(まつりごと)の世界は、もう一つの「紀(とき)」で良いのではないだろうか。
其れは、宇宙の運行である「年月日分(秒・人体の脈拍)」を、人間界の「政り事・歴史・紀元、生活・くらし、教育」に「転写・おきかえる」必要があると言う理・ことなのではないだろうか。
其れに「とき」には「秋・穐」の漢字が有り、其の事には「一年・ひととし」の「稲米の収穫」の事・時節が主体と成っている。
キー「 秋・穐 禾+火+亀 」
2000/2/23・・「新嘗祭」とは、稲を神の体(御霊・みたま)として、其の年・歳のイナ(米)をナメル儀式である。
「イナビカリ・稲光」のイナが穂に成って、其れを「食べる(なめる・嘗める)」事が、「ミケ・御氣」を戴くとの事なのである。
天皇の、食べ物である「みけ」を準備する所を、「御饌殿・みけどの」と呼ぶが、「みけ・御氣」とは「霊氣・みけ」の意味でもあり、「氣・ケ」は「もののケ」のケの意味でもあるから、目に見えない力の事にも成る。
古代の人々には、「稲・イナ」に、雷の電気(水)や、太陽の力が籠っていると考えられていたのである。
新嘗祭の儀式が、執り行われる事に成った分けは、其の年に収穫した、新しい米の「稲魂・いなたま」を受ける事で、来る年の安定を願ったのであろう。
「秋」の漢字の元字は、「穐」と同じく「禾+火+亀」の組み合せで、稲の収穫を終えたら、火を焚いて、其の火で、亀の甲羅を焼いて、来年の吉凶を占う事を意味している。
其の儀式が行われた事から、「秋・穐」は、「トキ・時」と読む様に成ったのである。
「大嘗祭」は、新しい「天皇・すめらのみこと」の、即位の儀式が行なわれる事であるが、其の儀式には「悠紀殿・ゆきでん」と「主基殿・すきでん」の二つの建物が準備される。・・
餅の事に、もう少し触れると、お正月には、三方の上に鏡餅を御供えするが、是も先に述べた様に、餅は食べ物で、橙は「代々」を意味し、譲り葉は「譲る」で、裏白羊歯は「心の裏が真っ白」の意味、昆布は「喜ぶ」の意味で、其れを繋いで考えると、「食べ物に恵まれて 代々子孫に恵まれて 健やかに 家督を継いで 喜ぶ」の意味に成り、祷りの儀式の一つである事に成る。
此の日本は、「豊葦原の瑞穂の国」と呼び、葦の生える水辺で、稲を栽培する民族が、安定した生活が出来、子孫に恵まれ、部落の数を増やして、日本の文化の基を築いて来たのである。
其の文化の継続に、天皇家が、中心的役割を果たして来たのである。
其の伝統保存の為に、新嘗祭や大嘗祭は、欠かせない儀式だったのである。
其の事を考えると、人間の暮らしにとって、大事な儀式は、是からも継続して行かなければ成らないのである。
「大嘗祭・だいじょうさい」https://moon.ap.teacup.com/20061108/419.html
2015/12/5・・今朝のメッセージから、私が感じ取った事は、生年月日等にて占いを行う四柱推命の様な物が、此の世に存在する理由も、其の様な世界に関係が有り、人間は、自分が此の世に誕生する時には、自分なりの「時間・運命・使命・さだめ・みこと」を持って来ており、其々が自分の「時・とき・穐」で、宇宙の事象に繋がっている理・ことに成るのだ。
そして、個人的に宇宙の事象に繋がるのに成功した者が、「悟り・覚醒」に成功したブッダであり、全体的な宇宙の事象・森羅万象に繋がって、時間軸に影響を与える事が出来る者が、「大君・帝・すめらのみこと」なのであろう。
そして、其の「大君・帝・すめらのみこと」として、最大の功績・実績を上げた者が「御祖神・みおやかみ」として天界に存在し、其れを祭祀するのが北斗信仰である「妙見宮」であり、信仰対象が銀河の回転軸である北極星なのであろう。
其の「御祖神・みおやかみ」を祭祀する行事・儀式が、11月22日から23日に掛けて、一晩中行われる「新嘗祭」の伝統なのであろう。
其れは、日本の夏期の「お盆」の行事や、冬期の「年越し」の行事として、家族が本家に集まって、各戸で行われて来た事が、正しい風習・慣習であると言う理・ことに成るのだ。・・
「尚島千秋」https://green.ap.teacup.com/20060818/3680.html
2014/12/17今朝のメッセージの映像には、右側の暗闇の世界から、壁を抜けて50歳代の男性が一人、現れて来た。
其の男性は、手に、鼠・マウスの耳の形をしたシールを数枚持っており、此の三次元世界に、時間・ときを観る能力の有る子供達を、探しに来ている事が解かった。そして、左側からもう一人男性が現れて、私と三人で、是から、何かを始めなければ成らない様子が示されて来た。
次の映像は、明るい昼間の世界で、大きな馬が飼われている馬小屋が現れた。
其の大きな馬は、茶色の毛並の馬で、静かに道路側を向いて、立っているだけであった。
そして、其の馬小屋の道路の反対側には、広い野菜畑が有って、一段下の土地には、木造の古い農家の作業小屋兼倉庫が一軒建っていた。
其の建物の中には、60歳代の男性が、精米機を動かして精米作業を行って居た。・・
今朝のメッセージのテーマは、宇宙の「穐・とき・時間」がテーマの様である。
先ず、簡単なのは、昼間の世界で、道路の方を向いて、静かに立ち尽す大きな馬の存在は、時計が出来る迄、一日の時を計っていた、正午の「午刻・うまのこく」を意味しているのであろう。
そして、其の馬を持ち主が絶対に売らないと言う事は、「午の刻」は絶対に動かせない理・ことを、示唆しているのであろう。
・・・因みに「時計・とけい」とは、元語は「土はかり」で、地面に棒を立てて出来る太陽光の影を計る事を意味し、太陽が真南・真上に来た時が「正午・ただしいうまの刻」であり、前が「午前」で、後が「午後」である。
「とき」に関する件は、次の様な物が有る。
@ 針・60秒(一分)・心臓の鼓動。
A 時間(60分)
B 一日(24時間)地球の自転。
C 一カ月(30・31日)月の満ち欠け。
D 一年(12カ月)地球の公転。
E 四季(地球の23度26分の傾きに因る物)
F 受精から誕生まで(9ヶ月×29・45日=265日)。
G 人間の寿命(12支×10還=120歳)。
H 時節(人生や歴史の節目)。
I 銀河年(ぎんがねん、galactic year)は太陽が銀河の中心のまわりを1周するのにかかる時間の推定値で、約2億2500万年から2億5000万年。
時間・時刻の「時・ジ・とき」は、「日+寺」の組み合わせで、寺は「止+寸」の組み合わせで、「寸」は「右手+左手の親指」の組み合わせで右手の脈を左手の親指で計る意味である。
其の事から、「寺」は立ち止まって自分の心臓の鼓動を確かめる事であり、「時」は太陽の位置を計るの意味である。
其れを考えると、「時」の概念は、自分の心臓の鼓動・心拍を確かめる事から始まっている事が解かるので、マヤ文化の神である「時間の操縦士」に生きた人間の心臓を捧げる事の意味も理解されて来る。・・・
「トキの正体」http://green.ap.teacup.com/20060818/3094.html
「時は行為その物」http://green.ap.teacup.com/20060818/3099.html
「心を刻む」http://moon.ap.teacup.com/20061108/40.html
「基礎石」http://green.ap.teacup.com/20060818/2048.html
「重計」http://green.ap.teacup.com/20060818/3010.html
「バージン時計」http://green.ap.teacup.com/20060818/1643.html
「車輪と食べ物」http://green.ap.teacup.com/20060818/2708.html
今朝の最初の場面には、右側の暗闇の世界から、壁を抜けて50歳代の男性が一人、現れて来て、其の男性の手には、鼠・マウスの耳の形をしたシールが数枚有って、其のシールを貼るか、渡すかの子供達を、捜しているとの事が示された。
「鼠・マウス」は、「正午・午の刻・昼」の刻限とは、真反対の「0時・12時・夜中」の刻限を表す「子の刻・ねのこく」の象徴である。
其れを考えると、其の鼠の耳の形をしたシールを貼られる子供達は、「子の刻・とき」を感じると言うか、宇宙の「玄の響き」が聴ける能力が備わった子供達であると言う事に成る。・・
其れに、其の鼠の耳形のシールを持った男性は、闇の世界の壁を抜けて、此方側の世界に遣って来た人物である。其の人物が、何者であるかを考えると、私には日本の「月讀尊・つきよみのみこと」の存在と、エジプト文化の「オシリス」の事が気に成る。・・
朝のメッセージで、私が一番気に成るのは、馬小屋と精米所が左右に有る場所に、30歳代の女性が遣って来て、私にメモ書きを渡しながら、「自分の家族は 銀河の中を流れる穐の米を買っていて 協力できないが 知り合いが東京に住んでいるので 其の人に 声を掛けてみてください」と云って、其のメモ書きの人物名が「時」であった事である。
其れは、「銀河の中を流れる穐・とき」と、「米」と、都会に住む「時氏・時部」に、関係性が有る事が示されている。
「穐」の漢字の意味は、次の様なものである。
「穐」(秋)形声。もとは、禾+火+龜。音符の龜は、かめの意味。
古代の占いは亀の甲に火を近づけて行われた。その亀は、秋季に捕獲され、
また秋季には穀物の収穫もあるため、禾を付し、あきの意味を表す。
【字義】@あき。四季の一つ。九月から十一月まで。旧暦では七月から九月まで。五行説では金に配し、それに基づいて、色は白、方位では西に配する。
Aとき。だいじな時。危急存亡のとき。Bみのり。穀物が実ること。また、その時。Cとしつき。歳月。Dものの形容。 漢語林より
これ等の事柄を考えと、昨日のメッセージの映像に映し出されて来た、白い花崗岩の岩壁に掘られた、「石窟」の天井に画かれていた模様は、方位・方角の印であり、其の石窟に棲む人物は、時を計っているか、時を管理する役割を、担っている存在だと言う事なのかも知れない。
其の様に考えると、私が1984年6月4日(旧暦5月5日)に、此の神の世界に入った時に、私の役割が「事象の特異点」であり、別な言い方をすれば「神が新しい御代を創造する為の座標軸」であると告げられた事に、関係が有るのではないだろうか。・・
其れ等の世界を考えると、今朝のメッセージの映像に、日本人の女性が登場して、「自分の家族は 銀河の中を流れる穐の米を買っていて 協力できないが 知り合いが東京に住んでいるので 其の人に 声を掛けてみてください」と云った事の意味が、理解できそうな気がする。
其れが、米であった事に深い意味が有り、日本の伝統文化である「新嘗祭」や「大嘗祭」、其れに、天皇家の神様である「御餉殿」や、物部の「食国の政・おすくにのまつりごと」が、如何に重要であるかが想われて来る。
そして、其の理・ことは、4000年前に創られた中国の漢字の世界でも「謂」の文字で示されているのである。・・
今朝のメッセージ全体の事を総括して考えると、太陽の世界である「午の刻」は、人間の力ではどうする事も出来ない確定した世界であるが、「子の刻」の闇の事象は、鼠の耳を有する能力の人間なら、動かせる様な、不確定の世界であると言う理・ことなのではないだろうか。
其処にこそ、「密教」の世界や「錬金術師」の世界が在るのだろう。
「銀河の中を流れる穐」https://green.ap.teacup.com/20060818/3299.html
此の「銀河の中を流れる穐」の文章には、「自分の家族は銀河の中を流れる穐の米を買っていて・・云々」と記して有り、又「白い花崗岩の岩壁に掘られた「石窟」の天井に画かれていた模様は、方位・方角の印であり、其の石窟に棲む人物は、時を計っている・・・」と記して有る。
其の「白い花崗岩の岩壁」との言葉は、今朝のビジョンで、大地の岩盤に白い層が伸びていた事と関係が有り、私に37年前に始まった東経130度30分のラインの矢筈岬の白い石英の回路石から始まった出来事は、東経130度30分のラインの石碑を通じて、地球全体の「珪素・シリコン・シリカ層」に行き渡ったとの事なのかも知れない。
みいつ16年1月14日
礒邉自適
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