1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2022/1/25
約束は守られると傳って来た神
4・1・25
此の自分(わたし)は、後4日で74歳の時を終わる。
其れは、「覚醒した37歳+ブッダ歴37歳」が残り4日で終了する事に成る。
其の事と関係が有るのか、昨夜入浴して居ると、「自分」との言葉・単語が最も重要・大事である理・ことが、認識されて来た。
其の自分との言葉は漢語であり、意味は「自らの分け」であり、日本語では「わたし・わし・おのれ・おれ・てまえ」等である。
「自分」https://wave.ap.teacup.com/20060106/477.html
私は、其の理由を知ろうとすると、其の事には、他人・他物は何も関係が無く、神仏や財産、家族・恋人などの存在物が、意識対象と成っていては、其の「自分(自らの分けを知る)」との課題は、解決しようが無いと言う理・ことが理解されて来た。
そして、其の「自らの分けを知る」との言葉には「自分の心臓」の鼓動に意識を向ける事であり、其の行為に意識を集中させれば、他の一切の物事は意中から消えてしまう理・ことを意った。
其れで、中国の漢字の「文・ブン」が、胸に刻んだ刺青の象形である事が其の行為と関係が有る事を思い、其の事が、マヤ文化で生きた人間の心臓を取り出して「石像・チャックモール」のお腹(祭壇)にお供えする神事と、関係が有る事が思われて来た。
そして其れは、心臓を持つ生き物全体に関係が有る事を想い、心臓の鼓動を持つ動物には「心・こころ・意い」が有るのだとの理・ことを意った。
そして、では心臓の無い他の植物等には「こころ・意い」が無いのだろうかと考え始め、人間の「心・こころ・意い・意識・霊魂」が、「樹木・神籬(ひもろぎ)」や「磐境(いわさか)岩石」にダビングされて、「生き物・意思を持つ物」として取り扱われて来ているのではないかと考え始めた。
「命の根源」https://green.ap.teacup.com/20060818/5435.html
「縁源・えんげん」https://green.ap.teacup.com/20060818/5667.html
そして、眠ってからのビジョンには、先ず私(意識)が、ダムの底に沈んでしまう村・土地に居て、遺跡の調査をしており、古代の人達が崖の祭壇に設置している、彫刻が成されている石などの模様を、カメラに納めている様子が映し出されて来た。
そして、其の遺跡や彫刻の図柄などから、其の遺跡はマヤ文化の遺跡である事が認識されて来た。
次に、私が何処かの森林に居て、鹿猟をして居ると、私の他にも二人の猟師が鹿撃ちに来て居る事が判明したので、私は諏訪神社の前宮の十間廊で行われる「御頭祭」に関係が有るのだろうかと思って居た。
今朝起きた・起こされた時刻は、「6時46分・7時14分前」であった。
其れからPCを立ち上げ、起こされた7時14分前の数字から、昨年の7月14日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021/7/14・・「こころのおきどころ」との言葉は正に、昨日のメッセージで私に残された課題が「こころ&こころ」であった事に直結している事に成る。
其れで「古語林」で「こころ」を調べると、次の様に載っている。
@人間の精神作用の根源。また、そこから生まれる精神の働き。㋐精神。心。意識。肉体に対する精神の意。㋑感情。心情。気持ち。気分。㋒意思・意向。㋓思慮。考え。判断。㋔心構え。注意。用心。予想。㋕愛情。恋心。思いやり。情け。㋖誠意。㋗性質。気質。気位。㋘内心。本心。心底。㋙意図。しめし合わせる気持ち。㋚趣向。工夫。風流心。A転じて、物事の内部の事情。・・・と、数ページに渡って記されている。
此の「こころ」の冒頭の説明からしても、「こころ&こころ」との言葉・世界は、此れまで唯「こころ・心」の一言しか認識されてなかった私にとっては、厄介な課題が残った・残された事に成る。・・
18/8/1・・此の「しめなわ・七五三縄」の事からすると、今朝の映像に幟用の旗竿二本が、長い紐で括られた儘であった事と、直会(なおらい)の様な集いが行われていた事は、日本の伝統文化と謂うか、精神の基本的な理・ことが示されて来ている様である。
「粋心」との単語は、有りそうなのだが、辞書には載ってはいない。
*「粋・スイ」【解字】形声。「米+卒」音符の卒は、まったい(完全)の意味。完全に精米した米の意味から、まじりけがないの意味を表す。【字儀】(一)@まじりけがない。「純粋」Aもっぱら。専一。B完全。かけるところがない。質がよい。また、その部分。最も良質で純粋な部分。「精粋」(二)くだける。くだく。国語。スイ。いき。⇔野暮。㋐世態人情に通じていて、ものわかりのよいこと。㋑遊里や芸人の社会などの事情に通じ、動作が自然とその道にかなっていること。
*「心・シン」【解字】象形。心臓の象形で、こころの意味を表す。心を音符に含む形声文字に芯などがある。【字義】@こころ。㋐精神。知情意の本体。考え。気持ち。「小心」「愛国心」㋑意味。㋒おもむき。A心臓。また、胸。「強心剤」Bシン。㋐まんなか。中央。「遠心力」「天心」㋑中心に入っている物。芯。㋒物事の重要な部分。「核心」
漢語林より
今朝のメッセージの映像で、神殿の入り口の様な場所に、青色の人の形が三体並んで立って居る場面が映し出されて来たのは、新しい御世創りに三体の神霊が降りて来る事が示されて来ているのであろう。
其れは新しい御世を創造する為には、神の意識を宿した人物(霊留・ひと)が必要であると謂う事であり、其れは一体では駄目だと言う事である。
其れを考えると、先ずは、「粋心・スイシン・まったいこころ・まじりけのないこころ・完全な心」の人物が必要であると言う事になる。
其れは、物事の在り様を、根本的に把握している人物の事なのであろう。
そして、其れが真実の武士道に有り、其れが、私が長い間探し続けている日本の宝であると謂う事である。・・・
「こころを盛る」https://green.ap.teacup.com/20060818/5863.html
此の「こころを盛る」の文章からすると、昨夜入浴中に私の意識を補足していたモノは、マヤ文化の神である「ククルカン(括る神)羽毛が生えた蛇」であった様である。
其の事から、何故、日本の神ではなく、南米の神である「ククルカン」が顔を見せて、「約束は守られる」と告げて来たのだろうかと考えると、其の「約束は守られる」との言葉が告げられて来た日付は「2006年8月18日」であり、其の三年前の2003年8月18日に、私が由香のガイドをして、屋久島の東経130度30分のラインである永田岳の頂上に存在する磐座の中に祭祷されている「一品宝珠大権現・いっぽんほうじゅだいごんげん」に参籠した事に関係が有れば、三年掛かって裏側の南米とのチャンネルが開く・通じた事が考えられる。
「約束は護られる」 https://green.ap.teacup.com/20060818/1.html
「念願の屋久島縦断」https://moon.ap.teacup.com/20061108/444.html
2021/8/18「約束は守られるから15年の日」https://green.ap.teacup.com/20060818/5931.html
其の、マヤの神「ククルカン(括る神)羽毛が生えた蛇」の事を考えると、私が37年7カ月前に此の神(はたらき)の世界に飛び込んだ時に、私が自宅の中に有る時間を刻む時計の音が、自分の心臓の鼓動と同調し始めて、私は其の時計の音に自分が支配されると言うか、食われてしまう様な感覚が襲って来て、全ての時計を壊してしまう事で、私は真の自由を得た事に関係が有り、其の出来事は、私が人間社会の時計・時間縛りから自由に成る事で、自分の「とき・いのち・心」を取り戻した事に成り、本来・真実の自分(自らの分け)の道を歩き・進み始めたと言う理・ことに成るのであろう。
そして其の事が、本日で終わると言うか、自分(自らの分け)を生き切ったと言うか、本来の「ひと・霊宿」の生き方が、本日完了したとの事なのではないだろうか。
其の様に考えると、4日後に迎える75歳の誕生日が、どの様なモノ(気持ち・心)に成るのかが、少し楽しみに成って来た。
此処で日付を打った所で、ちょうど由香が部屋に来たので、私が「今、文章を書き終わった」と謂うと、「時計が出て来た」と云うので、私は驚いてしまった。
其の由香のビジョンは次の様なものである。
自然の中に広場が有り、其処に1.5mほどの大きさで、植物が絡んだ様な時計が一つ置いて有り、二人の男性作業員と一緒に、その時計の部品を一度外してから、新たに部品を嵌めて動かす作業を行う場面で、「2時から」と謂われたので、時計の針を2時に設定する事にしたとの事である。
次に、其の作業を行っていた二人の男性を見込んで、私が何かの指導を始めて、どこかへ移動すると、大型船の上から見下ろしている状態で、下方には巨大なプールがあり、其のプールは海と同じ状態にしてあるとの事で、たくさんのイルカが棲み付いていたとの事である。
其の由香のビジョン・メッセージからすると、本日午後二時から、由香の方に「ククルカン・ケツァルコアトル・結びの神」が移動するとの事であり、約束の期日であった2000年12月4日から「2722日。21年1カ月」間、延び延びに成っていた役目から、漸く解放されると謂う事なのかも知れない。
みいつ16年1月25日
礒邉自適
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