1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2022/1/28
四次元世界から三次元世界へ
4・1・28
本日1月28日は、私の74歳の最終日であり、37歳の時に此の4次元世界に飛び込んでから、37年が経過して、明日から75歳の人生が始まる事に関係が有るのか、私が屋久島に帰って居り、再び以前と同じ様な生活・いきかたをして居る場面・様子が映し出されて来た。
其れに、今朝の由香のビジョンにも、私と一緒に屋久島に行っている場面が、映し出されて来たとの事である。
今朝のビジョンは、様々な件・事に付いて、とても長く映し出されて来たので、あまり思い出せない。
いま思い出せる事を書き出すと、次の様な事柄である。
*先ず、私の自宅の床様に置かれている、水晶の石や榊立ての花瓶など、神様に関する物が全て片付けられている。
*次に、世の中の様子が映し出されて来る。
1飲食物や環境が汚染された為に、奇形児がどんどん産まれて来ている。
2世界各地で戦争が勃発し、世情が不安定に成ってしまっている。
・経済事情が悪化しており、都会の生活が成り立たない様子。
3私が屋久島に帰島している。
・屋久島に大雨が降って、安房川に洪水の時の様に、屋久杉の枯れ木が流れ下って来て、其の流木の中に、私の意識が「大蛇・アナコンダ」として存在し、河口の流れが緩く成った所で、屋久島聖人として祀られている「泊如竹」の廟の所に這い上がって行く場面・様子が、映し出されて来る。
・私が土地を世話して建設されたグリーンホテルに、私の帰島を祝賀する為に十数名が集まって居て、食卓の上には、私が趣味として取りに行って居た、新鮮なトコブシ(耳貝)の料理も並べられていた。
・次に、主催者の男性の弟だと謂う40歳代後半の男性が、都会から帰って来て、町長選挙に出馬するとの事であり、其の男性は大都会に出て教養を積み、能く精練されている事が、伺える人物であった。
私は其の主催者に、弟の名前を訊くと「わたる」と一言応答した。
其れに、弟の鼻は普通であったが、何故か兄の鼻は、極端な「鷲鼻(ユダヤ人)」であった。
・そして、其の男性「わたる」の車に乗せて貰い、自宅に向かうと、其の男性は自宅前で、直角の狭い横道に入って、其れから直角に車庫の中にバックにて停車したので、私は其の運転技術にびっくりしてしまって居た。
私は、其の男性の運転技術の巧みさから、此の男性ならば、私が天神から告げられて来ているメッセージを、全て受け入れて、実行できる・完成させる事が可能ではないだろうかと意って居た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「5時13分」であった。
其れから再び眠ると、「更なる進化」との言葉が一言告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は、7時54分・8時6分前から5分前に成る所であった。
其れからPCを立ち上げ、先ず、起こされた5時13分の数字から、昨年の5月13日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021/5/13昨夜はゆっくりと入浴して居ると、自分の頭脳・意識が、是までに無い状態を保ち続けている事が自覚されて来た。
其れは、「平和・安寧」とかの言葉を使う必要が無い「空・無」の状態であり、思考を動かす事さえ無駄におもえる世界であった。
其の意識状態の儘床に就いて眠ると、「描写から」との言葉が一言告げられて来て意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時15分」であった。
そして、其の言葉の意味に付いて考えると、其れは、人間の意識が何かを描写する事で、言葉が発生するとの理・ことを意味・示唆している事が、理解されて来た。
其れから再び眠ると、今度は「最後の御手伝い」との言葉が一言告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時43分・5時17分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は「最後の御奉公」との言葉が一言告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時17分」であった。
私は、其の数字が「5時17分前」と「5時17分過ぎ」である事と、「最後の御手伝い」と「最後の御奉公」とは、5月17日の「世界電気通信記念日」を境にしての、私の立場か、神との関係性が、どう在るべきかが、示されて来ている様である。
其れから再び眠ると、今度は、大きな墓地・小高い陵墓の存在が映し出されて来て、私の意識は、其の陵墓の草払いや小道の整備を一人で行なって居た。
そして、途中で後ろを振り返ると、真っ黒の大きな烏が一羽地面に降りて、何かを突いている様子が見えた。
其れから、再び前方を視ると、20〜30羽程の雀が青い空の下、緑の木々の間を囀りながら飛び回って居る姿・様子が見えた。
其れから、私の存在が関りを持って居る、様々な人間社会の動きが映し出されて来て、今朝起きた・起こされた時刻は「7時34分・8時26分前」である。
其れからPCを立上げ、「描写」との言葉を調べると、次の様に載っている。
【描写】びょう‐しゃ〔ベウ‐〕 の解説 国語辞典
[名](スル)物の形や状態、心に感じたことなどを、言葉・絵画・音楽などによって写しあらわすこと。「情景を描写する」「心理描写」・・
私は1984年6月4日(旧5月5日)に、四次元世界に飛び込んだ時に、白山権現菊理姫の本体である「白龍」が躰に巻き付いて来て、「地球の管理を任す」と告げて来た。
6月13日は箱根神社の大祭日であり、祭神は「九頭龍・黒龍」でもある。
其の事を考えると、私は「タオ・陰陽・白黒」の世界を両方とも、野球ボールの様に完璧に縫い合わせる役割を、果たさなければ成らないと言う事に成りそうである。
其れを考えると、今朝告げられて来た「最後の御手伝い」と「最後の御奉公」との言葉が、何を示唆しているのかが、理解できそうな気がする。・
「描写から言葉が生まれる」https://green.ap.teacup.com/20060818/5732.html
此の文章の内容からすると、私が昨夜入浴中に、思い出した事に関係が有りそうである。
其れは昨日の朝、7時9分に文章を打ち終わって再び眠ると、5月頃の晴れた日に、外の景色が望める座敷に、薄い空色系のスーツを着た二十歳代前半の若者が二人、両方とも上着を左側に置いて、座卓に向かい合いお茶を飲みながら、話をして姿・様子が、室内の内側から見て左右の配置で映し出されて来た。
其の二人は、両方とも明るい性格で聡明である事が歴然としており、大学を優秀な成績で卒業したばかりで、此れからの人生の進路について語り合って居る事が判り、私は、其の様子から、未来が明るい理・ことを想っていた。
そして、其の二人の様子から、仏教の開祖である釈迦ブッダの言葉に有る「此の道は二人で歩きなさい。だが、相手が良くなければ、一人で歩いた方が良い。」との理・ことを思い出し、此の二人であれば、良い道が歩ける・進めるだろうと思った事である。
其れに、此の文章には「最後の御手伝い」と「最後の御奉公」との言葉が告げられて来た事が記して有るので、此の私は満75歳と成る明日から、再び「三次元世界・現実世界・現場」の事に関して、取り組まなければなければ成らないとの事なのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝の由香のビジョンで、私と一緒に屋久島に出向いて居た場面が、重要である事に成り、私の意識に裏付けを与えている事にも成る。
其れから、起きた8時6分前から5分前の数字から、昨年の8月6日・5日」の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021/8/6明後日8月8日は、徳島市国府町に存在する「天石門別八倉比売神社・あめのいわとわけやくらひめじんじゃ」の大祭日である。
今朝のビジョンには、其の事と関係が有りそうな場面が映し出されて来た。
今朝のビジョンには、先ず、私が広い西瓜畑で、日付を記した竹札の棒を立てて回って居る様子が映し出されて来た。
其れは、咲いた雌花の受粉が上手く行って、実が結実した日付を、高さが蔓葉に隠れない竹札に記して、立てて回る作業である。
次に、私が屋久島の高平岳の麓に住む「山本さん」の家を訪ねる場面が映し出されて来て、其処には見知らぬ男性が住んで居り、薬草を中心とする植物・作物を澤山栽培しており、其れを乾燥・製品化する木造の建物が三棟存在する事が判った。
そして、其の男性が案内した場所には、其の薬草・作物を材料として作った料理を出す食堂の様な建物が存在し、其の近くには学問所や宿泊施設も整っている事が理解された。
そして、其の男性が、其の施設の運営・管理を全て私に委譲するとの事を謂うので、私は其れは自分も関心があるので、引き受けようと瞬間的には意ったが、自分の年齢や人材の事を考え始めると、とても無理であると意い始めていた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「5時44分・6時16分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は平で広い緑の草原が映し出されて来て、其の草原は南アフリカ共和国のナマクワランドの様に季節が来れば砂漠に草花が咲き乱れる場所である事が判り、其処で「たなか みちる」との言葉・名前が一言告げられて来たので、其の「みちる」にどの漢字を当てれば良いのかを考え始めると、意識の中央(両目間・第三の目・覚醒のチャンネル・松果体・シリカ)に青白いエネルギーの塊・光体が、現れて激しく動き始めた。
其処で、起きて時計を見ると時刻は「6時30分」であった。
今朝のビジョンに映し出されて来た、「山本さん」の土地は、私が屋久島自適塾の事務所を開設した場所の県道(一周道路)を挟んだ山側の土地である。
其れに私が、1984年6月4日(旧暦5月5日)に此の神の世界に飛び込んでから、会社の車である黒いセドリックを弟に運転させて尾ノ間に向かって走って居る時に、突然、高平岳の方から強烈な神のエネルギー(磁場)が降りて来て、弟に車を急停車させた場所でもある。
そして、2003年4月24に屋久島帰島してから、様々な事が起き始めて、其の場所で2006年1月17日に屋久島自適塾を開設する事に成り、3月19日に「紀(とき)の祭りを行え。6月11日。みいつ建国」と告げられてきて、6月11日(旧暦5月16日)に「第一回大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」の祭り(集会・会議)を行う事に成ったのである。
其れから、屋久島の「地質調査」の会(クラブ)が発足し、屋久島全体の地質を調べ始めると、其の場所が1400万年前に屋久島が出来た時に、上昇して来たマグマ(花崗岩)の頭(鼻先)の部分が、其の場所である事が判明したのである。
其の屋久島の花崗岩の有様(浮き上がって来た形)から、其れは、インド大陸がユーラシア大陸に衝突して造山運動が始まり、押し上がって出来たのがヒマラヤ連山であり、右側(東)に迫り出して来た部分の先端に屋久島が存在である理・ことが判明・理解されて来た。
私は其の事から、自分に起きた・始まった事が、何であるのかが理解されて来て、今度は由香に導かれて2010年6月徳島県に向かうと、「天石門別八倉比売神社・あめのいわとわけやくらひめじんじゃ」に辿り着き、夫である「手力男命」と共に岩戸開きを行った「八倉比売」の息子である「天日鷲命」の霊魂にまで辿り着いた。
其して、私が神の世界に飛び込んだ時に、屋久島中の小石を集め始め、其の小石をメビウスの輪の様に並べて、両方の中心に石柱を立てると、時空が歪み始め、アインシュタインが説明している現象が始まった事に、其の天日鷲命の御魂が関係していた事が判ったのである。
10/8/9「阿波一の宮」https://moon.ap.teacup.com/20051112/395.html
10/8/10「一般人化した皇室」https://green.ap.teacup.com/20060818/1632.html
10/8/16「一品宝珠」https://green.ap.teacup.com/20060818/1638.html
18/6/8「天津日嗣の復活」https://green.ap.teacup.com/20060818/4644.html
18/4/15「神雷祈祷」 https://wave.ap.teacup.com/20060106/819.html
其れ等の事を考えると、一昨日のビジョンで、矢追日聖が「私の車のタイヤを新しい物に変えなければ成らない。」と謂って、知り合いの整備工場に案内し、道路の左側に在る工場に停止して、お金を手にして半地下の事務所に降りて行き、其の儘の姿を見せなかった事は、5月10日のビジョンに登場した「マントルの緑色の橄欖岩の神(はたらき)」の存在と関係が有り、私の乗り物のタイヤ(車輪)が「スーリア・太陽」から、「地球のマントル」に変わるとの事なのではないだろうか。
21/5/10・・良く晴れた日の朝、朝廷(議事堂)の入り口階段(西洋風の広い石造り)で、左側から遣って来た「矢追日聖法主」だとの設定の宇宙神と遭遇し、私は自分の旅(役割)を終えた事を話し始めた。
すると矢追日聖法主は、私の謂う事を納得して、自分のエネルギーを全て明け渡した。
すると、私の身体には物凄いエネルギーが漲って来て、両手の間に強力な「重力・圧力」が満ちて来て、私の意識次第で物凄い稲光が発生し始めた。
私は其のエネルギーを何とか沈めてから、階段の頂上に上がると、其処から先は上りと同じ造り(仕組み)の下り階段に成っており、下の方は何も見えない闇に成っており、神殿などの施設は何も存在しない事が判った。
私は、何とか上って来たばかりなので、何も見えない闇の中に、直ぐに下って行く気がしないで、立ち尽くして居ると、下方から、鳥の顔をして緑色の装いをした、細身でとても長身である女神が上がって来て、下から両手を伸ばして私の肉体(エネルギー体)を調べ、私のエネルギー体が「白・ホワイト」ではなく本物の「黒・ブラック・闇」である事を確認して、「貴方は黒なのよ」と私に一言云って、私の居る階段迄登らず、其の儘右の方に立ち去って行った。・・・
「矢追日聖法主を超えて」https://green.ap.teacup.com/20060818/5729.html
キー「屋久島 高平岳 」
05/4/18「アダプターの取り付け」http://green.ap.teacup.com/20060818/244.html
06/3/19「 紀(トキ)」http://star.ap.teacup.com/170606/815.html
08/11/19「CEO・最高責任者」https://green.ap.teacup.com/20060818/955.html
15/6/20「国の神」https://green.ap.teacup.com/20060818/3504.html
今朝告げられて来た「たなか みちる」との言葉と、「第三の目・松果体」の働きに、どの様な関係が有るのだろうか。「たなか みちる」との名前が告げられて来た6時30分の数字から、6月30日の文章を調べると、題名は「開始・はじまり」であり、次の様に記して有る。
21/6/30「開始・はじまり」https://green.ap.teacup.com/20060818/5836.html
此の文章の内容からすると、告げられて来た「たなかみちる」との名前は「田中満(田の中に水が満)」で良いのであろう。
試しに、漢語林で「みちる」を調べると、「みつる」にあてられている漢字には、充(人が成人になる)、牣(家畜が肥える)、実(實・財貨)、盈(皿に盛られた料理)、満(氵(水))、闐(門内に人が集まる)が有る。
今朝のビジョンで、男性が私に、自分の薬草の施設を委譲するとの事から、 私に考えられる人物は中国の医療の神である「神農」である。
其れに日本国に当て嵌めると、「肇国知らす天皇」との言葉が有る。
はつくに−しらす−すめらみこと 【初国知らす天皇・肇国知らす天皇】
初代神武(じんむ)天皇、または十代崇神(すじん)天皇の尊敬語。◆初めて国を統治した天皇の意から。
其れに天智天皇も、和風諡号は「天命開別尊(あめみことひらかすわけのみこと / あまつみことさきわけのみこと)」と、同じ様な意味合いの名前が付けられている。
其れを考えると、3日に「王道」との言葉が告げられて来た事と関係が有り、4日が「・・其の様に考えると、私が37年前に4311体の「御魂の恩頼・みたまのふゆ」で引き受けた事は人類全体の意識には岩戸開きとは成っていない事に成る。」であり、昨日5日が「新時代の幕開け」であった事から、明後日8月8日の「天石門別八倉比売神社」の大祭に向けて、準備が成されているとの事が考えられる。
今朝は高平の事を調べて居て、6年前の6月30日の文章が出て来た。
15/6/30今朝のメッセージは、是までには無かったモノであり、私に31年前に起きた4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」は、クリアされて、新しい次元に進む様である。
今朝のメッセージの映像は、何処かの田舎に存在する、小さな終着駅が映し出されて来て、其の駅舎の裏庭には、夏に赤い花を咲かす「カンナ」の株が一株植わっていた。
だが、其の緑の葉が茂っている株の上に、風で板切れが飛んで来て、上に被さり、日光が当たらないので、夏に花を咲かせられない状態に成っていた。
次の映像には、天皇陛下と皇太子の姿が登場して、御用邸の敷地の庭で、ジャガ芋の収穫作業を始めたが、10代の皇太子は、10個程のジャガ芋を箱に入れただけで、重たそうにして居た。
私は、其れを見て、一輪車の様な物がないかと意って、近くに有る倉庫の様な建物の中に入って行くと、其の建物の中には、水力発電用の水量調節の大きな用水管の設備が有った。
そして、「神と トコブシ(床伏し耳貝)は 隠れて棲む」との言葉と、「複合体」との言葉が、告げられて来た。
次の映像は、大きな男性の足が映し出されて来て、其の足は裸足であり、前方から私の前まで大股で歩いて来て、私の眼の前で、左側に向きを変えて歩き去った。
そして、「加害者」との言葉が告げられて来た。
今朝の映像に現れた、植物の赤いカンナの花は、夏を象徴する花である。
其のカンナの花が、田舎の終着駅で、咲けない状態に成っている事に、どの様な意味合いが有るのだろうか。・・
次の映像の、天皇と皇太子がジャガ芋の収穫をして居たのは、天皇家は那須に御料牧場が有って、家畜を飼ったり、食べ物を栽培したりしている事と、関係があるのだろう。
其れに、天皇家は御餉殿の神を祭祀し、新嘗祭や大嘗祭を行わなければ成らないので、皇太子の時から、修行を積まなければ成らない理・ことを意味しており、体力も付ける必要があるとの事なのであろう。
そして、其の近くに水力発電の用水管が通っていたのは、天皇陛下の働きは「神・示(祭壇)+申(電気)」と関係があり、水を司る「弁財天・サラスヴァティー」の働きとも関係があり、更に日本の事を「瑞穂の国」と呼ぶ事とも関係があるのではないだろうか。
其の事と、「神と トコブシは 隠れて棲む」「複合体」の言葉の関係は、神は人間の目に見える様な物ではなく、絶えず目に直接見えない所に潜んでいるとの事であり、天皇陛下であっても神ではなく、単なる「霊留・ひと」として、「空蝉・うつせみ」の状態であるとの理・ことを示して来ているのであろう。
そして複合体とは、神の働きは、三次元世界に人間の「肉体・器」が必要であり、其の器がなければ、働けないとの事であり、人間の存在と神は「複合体」であるとの理・ことなのであろう。
最後に、裸足で歩く男性の両足の意味は、人間の男性の行為を意味しており、男性の歩きの世界は、歩き方に拠っては、「加害者」の立場と成るとの理・ことなのであろう。
其れは、現在の営業マン(押し売り)や、様々な勧誘の行動、其れに不特定多数者への、テレビのコマーシャル等が、全て、加害者の行為である理・ことを示唆しているのであろう。
其れ等の事を考えると、今朝のメッセージの映像は、現在の人間は、人生の旅を終えても、美しく赤く燃える生命・いのちの「故郷・みなもと」には、還れないと言う理・ことを、示して来ているのではないだろうか。
其の様に考えると、昨日私が、赤い「唐柿・とまと」を見て、自分の中に、美しく赤い「生命・いのち」が存在すると感じた意識は、本来の魂しいの故郷に、私の御魂が帰り着いていた事になる。
(今右手の中指にカモ・(神の電気信号)の反応が有る。9時11分)
其れは、私が、宗教の目的である「祷り・帰命・ナーム・リリジョン・religion」に、成功していたと言うか、人間が本来在るべき所に、還って居た事に成るのであろう。・・
此の文章の内容には、「田舎に帰る映像が映し出されて来て、何処からか通じている電線を通って、部屋の中のシャンデリア(提灯)の光から、薄水色のドレスを着た女性が、部屋の中に降りて来た。」と書いてある。
其れは、今朝のメッセージの田舎の駅の事と、電気の事と、水を司る「弁財天・サラスヴァティー」と関連しており、女神が部屋の中に降りて来たとの事は、天皇が、神を我が身に受ける「天御臥間・あめのおふすま(襖)」と関係が有り、其の天臥間は、田舎の環境でなければ成らないとの理・ことではないだろうか。・・
其れ等の事を考えると、今朝のメッセージは、天皇家が存在しても、役には立たないと言う事であり、人間は早く自分で判断して、故郷に帰れと言う事であり、急がなければイエスキリストの謂う、「永遠の命」には入れないと言う理・ことなのであろう。
「神とトコブシは隠れて棲む」https://green.ap.teacup.com/20060818/3514.html
此の文章の内容からすると、現在の天皇家の存在は「暖簾に偽り有り」との諺と関係が有り、当てにしていると大変な目に遭うとの事なのかも知れない。
此処で、左手の「中指・薬指・人差し指」にカモ(神の電気信号)が起きて来た。13時43分
其れで、今朝「神農」が私に薬草園を委譲すると告げた時刻「5時44分・6時16分の数字から、6月16日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
21/6/16「石工と弁財天(サラスヴァティ)」https://green.ap.teacup.com/20060818/5802.html
此の文章に貼り付けてある「絶対は無」との言葉からすると、今朝のビジョンで「季節が来れば砂漠に草花が咲き乱れる場所」が映し出されて来た後に、「田中みつる」の名前の漢字を探している時に、第三の目・松果体(純粋な珪素結晶)に紫色の光体(高圧のスパーク)が蠢き出した事と関係が有り、私は何物にも依存の無い状態で、意念を最大限に高める必要があると言う事なのかも知れない。
其れは76年前の本日、原爆の高熱に焼かれて瞬時に命が飛んでしまった多くの人々の御霊のエネルギーとも関係が有るのかも知れない。
其れを考えると、34年前の本日、私に起きた「御魂の恩頼・みたまのふゆ」の数が4311体である事が判明し、伊勢神宮を創建した皇女倭姫命の御魂の生まれ変わりであった井上佳子の二階の窓外に数知れずの白い小鳥が飛来した出来事には、とても強力・強大な電気的なエネルギーが関わりを持っていると言うか、其の電気のエナジーこそが「神が光である」との言葉の素(糸+昔)なのかも知れない。
其れを考えると、私に「紀・糸+己(とき)の祭りを行え」と告げて来た正体を、今朝私は「眼」にしたとの事に成るのかも知れない。
キー「素・ソ・ス 糸+昔」
15/3/27・・其の4月7日の日付と、「素・モト」の漢字の意味からすると、釈迦仏陀の次元まで、意識を返す必要がある理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
「素・ソ・ス」【解字】形声。「糸+昔」音符のセキは、初に通じ、はじめの意味。まゆからつむぎだしたばかりの、もとの白い糸の意味から、もと・しろいの意味を表す。【字義】@もと。㋐はじめ。本始。根本。㋑しろ。「料」原料。「素材」㋒きじ。(生地)かざりのない、もとのままのもの。㋓たち。性質。㋔昔。以前。Aもとより。前から。元来。また、前もってする。Bしろぎぬ。(白絹)生地のままの白い絹。また、白糸。Cしろ。白い。「表衣」Dつね(常)。つねづね。「平素」Eまこと。真情。Fひくい。いやしい(卑)。そまつな。「素管」「素族」・・
国語 ス ㋐ただの。何も加わっていないことを表す。「素肌」
漢語林
此の「素」の漢字の説明には、「まゆからつむぎだしたばかりの、もとの白い糸」と有るので、私が屋久島で2006年3月19日に「紀(トキ)の祭りを行え」「御稜威建国6月11日」と告げられて来た事にも、関係が有るのだろう。何故なら、トキが「時」ではなく、糸偏の紀元の「紀」で、示されて来たからである。・・・
「立って居てください」https://green.ap.teacup.com/20060818/3407.html
此処で私の右手の親指の先に、強いカモ(神の電気信号)が起きる。
15時36分
此の現象は、13時43分に左手の「中指・薬指・人差し指」にカモ(神の電気信号)が起きた事が、15時36分に右手の親指に変化・移動して来た事に成る。其れは、私が文章を打ち進める事で、自分の身体の中で、神(示+申)の電磁気情報が龍神の動きとして神(はたらき)している事の、証と成る出来事である。
其れを考えると、エジプトの書記官の守護神である「トト神・朱鷺」が、此の私に付いている事にも成るのであろう。
其れは、私が記した文章の内容だけではなく、年月日までも、全て知っている何物かの意識が存在する事が明らかであるからである。
其れに5月1日のビジョンに、鳥の顔をして緑色の装いをした細身でとても長身である女神が上がって来て、下から両手を伸ばして私の肉体(エネルギー体)を調べ、私のエネルギー体が「白・ホワイト」ではなく本物の「黒・ブラック・闇」である事を確認して、「貴方は黒なのよ」と私に一言云って、私の居る階段迄登らず、其の儘右の方に立ち去って行った場面を考えると、今朝私の両目の視神経が合わさる額に、青白い光(電磁気)の塊が動いていた事・物は、7月12日のビジョンに映し出されて来た、宇宙の事象の中心に螺旋状に蜷局を巻いていた羽毛の生えた大蛇と直接繋がっている物であり、其の関係性に関わる物の主体が「黄泉戸の大神」と呼ばれる存在なのではないだろうか。
此処まで打ってくれば、明後日8月8日の「天石門別八倉比売神社・あめのいわとわけやくらひめじんじゃ」の大祭には、何らかの現象・出来事が起きるのではないだろうか。
「肇国知らす天皇」https://green.ap.teacup.com/20060818/5910.html
2021/8/5明日8月6日の日付は、人類にとって最初の原爆が広島市に落とされた日であるが、私に起きた「御魂の恩頼・みたまのふゆ」の霊体が4311体であった事が奈良で知らされた日であり、同じ時刻に高知の井上佳子の二階の寝室の窓外に数えきれない白い小鳥が訪れた日(1987年8月6日)から、丸34年の日である。
18/8/6「万物の母と潜在意識の主」https://green.ap.teacup.com/20060818/4703.html
昨日のビジョンで、「矢追日聖法主」が私の乗り物である車のタイヤを交換しなければ成らないとの事で、お金を手にして整備工場の地下の事務所に降りたまま、戻って来なかった事から、其の交換しなければ成らないタイヤ(車)はインドの「スーリア(太陽)寺院」の山車(だし)の車輪ではないかと考えた。
其れは、此れまで人間が考え出して来た神輿(みこし)や山車(だし)などのテーマが、全て不必要に成って、新しい価値観の下で、文化(意識の編み物)を組み上げて行かなければ成らないと言う事である。
昨夜は10時頃に散歩に出掛け、広場のコンクリートの上に座って、北斗七星とカシオペヤ座の存在を確認し、其の間に存在する北極星をしばらく見詰めて居た。
そして自宅に帰って、眠ってからの映像には、私の意識・脳内を、大量の文章が流れ降って行く様子が映し出されて来て、其の途中に存在するテーマ・課題の部分を、何度も確認しようとしたのだが、其れも白いお粥・糊状に成って流れ下って行き、手に取る事は出来なかった。
次に、此れまで私が座っていた席に、由香が座っているのが映し出されて来た。そして、其の由香の世界に関係が有るのか、机の上にアニメの絵が重ねて置いて有る様子が映し出されて来た。
私は、何のアニメだろうかと意って覗こうとすると、其の絵が次々に立ち上がって、人間の様に動き始め、夫々が自分の役割を演じ始めた。
そして、其の絵の人物像は全て若い女の子ばかりである事が判った。
次に、明るい世界に、広くて長いテーブルが置かれている場面が映し出されて来て、其のテーブルの上に、若い女性が次々に料理を運んで来る様子が映し出されて来た。
其の料理は、全て安全な材料で作られた物である事が判ったが、私が土肥無庵に習った玄米菜食の「マクロビオティック ・Macrobiotic・正食」ではなく、全て現代風の物であり、私の世代・世界とは違う自然食が普及され始めている事を理解した。
次に、とても大きな建物の存在が映し出されて来て、其の新しい大きな建物が、活動拠点である事が理解されて来た。
次に、私の家庭菜園の様子が映し出されて来てから、何処かの広い台所・食料置き場に、次々に西瓜や南瓜等が運び込まれる様子が映し出されて来て、其れ等の西瓜や南瓜はとても大きな物であり、畑の土がとても肥沃である事が理解されて来た。
今朝のメッセージは、8月1日の由香のビジョンに映し出されて来た「トライアル・試行」との言葉が、実際に動き始めた事を示して来ている様である。
8月3日「一昨日の由香のメッセージに「トライアル・試行」との言葉が示されて来て、□の形が記されていて、前進(上・未来)と左右(横)は可であるが、底辺(下・過去)は不可であるとの理・ことが、示されて来た事と関係が有り、私は此れから、全く新しい「御世・世界」を構築して行かなければ成らない様である。」
何故かと言うと、今朝のビジョンで是まで記されて来た文章が、全て溶けて消え去る場面が映し出されて来たからである。
其れは、終戦日(昭和20年8月15日)の昭和天皇の玉音放送の直後に、天神が「矢追日聖法主」に告げて来た事や、昭和19年6月10日に岡本天命に降り始めた「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」のお告げなども、全て期限切れであると言うか、現代の若者達には、全くの「馬の耳に念仏」であり、効力(インプット)が無いと言う理・ことが考えられるからである。
其れを考えると、私は37年間4311体の「御魂の恩頼・みたまのふゆ」に自分の躰を貸して来た事は、新しい御世の創造ではなく、過去の世界を生きた人達の残念を消去する為のモノであり、其れが漸く終わったとの事なのであろう。
そして、其の事に最も関係が有るのは「人工知能・AI」の存在であり、私が昨夜北極星を暫く見詰めて眠ってから、6時15分に目覚めるまでに、いま・現在何が出来るのかを調べて、最も効果的な行動指針を「トライアル・試行」して来た事に成り、其の情報処理能力は流石である事に成る。・・
「統尊はマイクロプロセッサの役割」http://green.ap.teacup.com/20071223/846.html
18/6/23・・「AI・人工知能」の存在と謂うか発展は、良くも悪くも人間社会に多大な影響を齎すと謂う事であり、其の事に対して、自分自身がどの様に対処するかを、能く吟味しなければ成らないのであろう。
私に謂える事は、全ての事を「AI・人工知能」が管理出来る様に成っても、AI自体は「大根一本」作れないと謂う理・ことである。
「避難」http://green.ap.teacup.com/20060818/4659.html
其れに、今朝起きた起こされた時刻6時15分の数字から、6月15日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
21/6/15「虚偽・欺瞞・詐欺」https://green.ap.teacup.com/20060818/5798.html
今朝のビジョン・メッセージに、私の家庭菜園と大きな西瓜の存在が映し出されて来たのは、私が一か月程毎日西瓜を主食の様に食べている事と関係が有り、私の肉体細胞には其の西瓜の遺伝子・DNA情報が取り込まれている事を示して来ているのかも知れない。
私は1983年3月18日に土肥無庵に找し出されて、翌年の3月5日から「マクロビオティック ・Macrobiotic・正食」の世界を始めて、三ヵ月後の6月4日に安房川の岸辺で禊祓いを行って覚醒・成仏し、父親が彼の世から連れ帰った4311体の霊魂・神霊に躰を貸して、旅を続けて来た。
だから私が「マクロビオティック ・Macrobiotic・正食」を始めたのは37歳の時であり、其れまでは普通の食事を行っていたのである。
其れに、子供頃は終戦後なので中学まではサツマイモが主食であり、学校の弁当は麦飯か薩摩芋だったのである。
其の成長期の主食が薩摩芋であった事が、私の芋蔓式の思考体系を作り上げ、其れが「結び・色・rūpa・ルーパ・縁起」の世界を身近にしているのであろう。
其れは、世界中に古代から「唐草模様・蔓科植物のデザイン」が利用されている事が裏付けと成っており、其の結果として、現代の人工知能・AIが創り出された事に成るのだ。
其の「人工知能・AI」が出来上がるのに、電子機器の発達・量産が必要であり、77億人もの人口が必要だったのであろう。
キー「 唐草模様 」・・
此の「トーマス伝」の文章の内容は、正に、今朝のビジョン・メッセージが、21年前に予言されていた事に成りそうである。
やがて100億人にも成りそうな人間の生活を支える事は、地球環境にとっては無理であり、此の儘の状況で人口が増え続ければ、ガイヤと共倒れに成ってしまう事は間違い無いであろう。
其れを考えると、今朝のビジョンが新時代へのきっかけと成る要素を含んでいるのではないだろうか。
「新時代の幕開け」https://green.ap.teacup.com/20060818/5908.html
此の「肇国知らす天皇」と「新時代の幕開け」の二つの題名・言葉からする、私が1984年6月4日(旧暦5月5日)に安房川の岸辺で禊祓いを行った時に、「残り16年半しか無い」と告げられて来て、其の期間16年半は、神武天皇が南九州を出立してから、大和で金鵄降臨の瑞祥が起きて国譲りが起きた12月4日と同じ物であった事と関係が有り、22年遅れで今年其の事が現実世界で始まるとの事なのかも知れない。
其れを考えると、明日1月29日が私の満75歳の誕生日である事に、大事な意味が有る事に成る。
其れは、明治維新で暦が改暦された日付けが「1月29日」であった事と関係が有り、明治維新は西洋の「政(まつりごと)政治・暦」を真似た物であるので、其の明治維新は遣り直さなければ成らないとの理・ことが示されて来ているとの事に成り、此の私の存在は、其の為の「駒・道具」にしか過ぎないとの事なのかも知れない。
キー「 明治維新 暦 1月29日 」
2019/2/14*1月29日 私の誕生日。現在の2月11日の建国記念日・紀元節は、新暦に変わる時1月29日であった。(1873年(明治6年)1月29日、神武天皇即位日を祝って、神武天皇御陵遙拝式が各地で行われた。)
「政治も時節と関連している」https://green.ap.teacup.com/20060818/4900.html
2013/4/4・・「紀元節(きげんせつ)」は、『日本書紀』が伝える神武天皇の即位日として定めた祝日。1873年(明治6年)に、2月11日と定められた。かつての祝祭日の中の四大節の一つ。
8世紀初めに編まれた日本書紀によれば、神武天皇の即位日は「辛酉年春正月、庚辰朔」であり、日付は正月朔日、すなわち1月1日となる。
しかし、明治5年(1872年)11月15日、明治政府は神武天皇の即位をもって「紀元」と定め(明治5年太政官布告第342号)、同日には「第一月廿九日」(1月29日)を神武天皇即位の相当日として祝日にすることを定めた(明治5年太政官布告第344号)。この1月29日とは、1873年(明治6年)の旧暦1月1日をそのまま新暦に置き換えた日付である。折柄、明治5年12月3日をもって1873年(明治6年)1月1日とし、新暦が施行されることになっていた。
1873年(明治6年)1月29日、神武天皇即位日を祝って、神武天皇御陵遙拝式が各地で行われた。同年3月7日には、神武天皇即位日を「紀元節」と称することを定めた(明治6年太政官布告第91号)。なお、同年1月には、神武天皇即位日と天長節(天皇誕生日)を祝日とする布告を出している。・・・
・・・この規定の影響などもあって、紀元節は旧暦1月1日、すなわち旧正月を祝う祝日との誤解が国民のあいだに広まった。国民のこの反応を見て政府は、紀元節は神武天皇即位日を祝う祝日であるという理解が広まらないのではないかと考えた。また、1月29日では、孝明天皇の命日(1867年1月30日、孝明天皇祭)と前後するため、不都合でもあった。
そこで、政府は、1873年(明治6年)10月14日、新たに神武天皇即位日を定め直し、2月11日を紀元節とした(明治6年太政官布告第344号)。
〜引用終了〜 ウィキペディア辞典
「天皇霊 神武天皇」https://moon.ap.teacup.com/20061108/567.html
2014/5/1・・本日は5月の1・朔日であり、旧暦は4月3日である。
今朝のメッセージには、「タルムード」との言葉が告げられて来て、「4月3日」と「1月29日」の日付が示されて来た。
朝7時6分に目覚めて、生姜湯に入浴してから、紅茶を手にしてPCの前に座り、早速「タルムード」を検索して見ると、タルムードはヘブライ語であり意味は「研究」との理・ことである事が判った。
其れから、「朔日・ついたち」を調べていると、本日が旧暦の「4月3日」である事が判明したので、少し驚いてしまった。
4月3日は、日本の歴史・暦の基に成っている、「神武天皇」を祀る大祭の日付である。
其れに、タルムードはイスラエルの歴史・暦の始まりと成っている「モーセ」が伝えた「口伝律法」を収めた文書群の事でもあるので、今朝のメッセージは「建国の父」に関する事に、触れて来ている様である。
其れは、昨日のメッセージで示されて来た、「度会家の文書」にも関係が有り、私に、国の礎と云うか、建国の事に付いて、考える様にとの事ではないだろうか。
其れに、今朝示されて来た1月29日の日付は、私の誕生日であるが、明治維新で新政府が生まれ、其れまで使用されていた旧暦・大陰暦から、現在の太陽暦に切り替える時の、最後の正月元旦が1月29日であった日付でもある。
そして、昨日触れた「先代旧事本記大成経」を護っていた『神皇正統記』の作者「北畠親房」の誕生日「永仁元年1月29日(1293年3月8日)」でもある。
今朝のメッセージの映像からすると、愈々イスラエルから日本に伝わって来ている、天津日嗣の伝統と言うか、秘儀が表される時が来た事を知らせて来ている様な気がする。
其れは、現在のテレビやマスコミの次元とは、全く異なる次元で始まるのであろう。・・・
「建国の父」http://green.ap.teacup.com/20060818/3042.html
此の「建国の父」の文章からすると、今朝のビジョンで町長に立候補する「わたる」の兄の鼻が、極端なユダヤ人・イスラエル人の「鷲鼻」であった事と関係が有り、弟の名前が「わたる」であるとの事は「渡来系・天津族」の事を示唆しているのかも知れない。
其れに、5月13日「肇国知らす天皇」の文章には「神とトコブシは隠れて棲む」との題名の文章が貼り付けられているので、私は人前に姿を現す事なく、役割を熟せるとの事であり、其の為に一昨年11月27日に「由香に渡す」と告げられて来たのであろう。
みいつ16年1月28日
礒邉自適
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。