1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2022/5/17
大道を開く
4・5・17
今朝のビジョンには、先ず、私のブログの文章が映し出されて来て、其の文章に目を通すと、私の記憶には無い内容の物なので、日付を確認すると「令和7年7月7日であり、其れ迄は空白である事が判り、其の7月7日から一週間分が記されている事が映し出されて来て、其の7月7日の文章には、大事な三項目の課題が箇条書きで記されているので、私は其の三項目の文章をコピーしようとしていると意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は、「4時43分・5時17分前」であり、私は5月17日5時17分前に起こされた事が判った。
其れで、此れはどう言う事だろうかと意うと「ネット(網)を拡げる為」との言葉が一言告げられて来た。
私は其の「ネット(網)を拡げる為」との言葉から、「帝釈天の網」が拡大される時節を迎える事に成るとの理・ことを考え、再び眠る事にした。
2008年04月14日「帝釈天の網」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55926904.html
すると「人間の努力」との言葉が告げられて来たので、其れは「天神・宇宙意思」が行うモノ・世界ではなく、人間自身が行わなければ成らない行為・役割である事が理解されて来たので、私は「人間・ジンカン」との言葉は「時間」「空間」との言葉と、同類のモノ・世界であり、我々人間が「時・空の存在」を認識しなければ、其れ等の「理・ことわり」が生じない理・ことを想った。
すると「大道を開く」との言葉が一言告げられて来たので、私自身が何等かの思考を開始しなければ成らない事を意った。
そして再び眠りに落ちると、私が屋久島に帰島して居る場面が映し出されて来て、「藤山幸盛」の所に向かって歩いて居ると、黒い箱バンの車が坂道を登って来るのに出会い、運転している男性の顔に見覚えが有るので、顔を見詰めて通り過ぎて行く車を振り向いて視て居ると、其の男性も気に成ったらしく、Uターンして引き返して来た。
そして、其の車が私の横に停車したので、後ろの席を見ると70歳位の女性(女神)が乗って居る事が判った。
次に、私が其の車と別れて海岸に到着すると、若者達が崖の上から賑やかに海中に飛び込み遊びを行って居り、私は右側の別の入り江に向かうと、其処には静かな澄み切った深みが存在して、其の深い海中に、三体の人間が亀の様に潜水した儘横に成って居り、時々ゆっくりと息継ぎに海面に浮かんで来る様子が見えたので、其の息の長さから、其の三体は人間ではなく「住吉三神・表筒男命(うわつつのおのみこと)中筒男命(なかつつのおのみこと)底筒男命(そこつつのおのみこと)」の世界に関係が有ると思った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「5時13分」であった。
2022年05月13日「大日如来」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55933061.html
其れから再び電気を消して横に成ると「生命のリズム」との言葉が一言告げられて来たので、其れは海中に潜って居た三体の人間(神)の呼吸に関係が有ると思い、私はゆっくりとした呼吸をしなければ成らないとの理・ことを考え「長息・長寿」の世界を考え始めた。
其処で時刻が気に成るので、照明を点けて時計を見ると、長短の針が真っ直ぐに立っており時刻は「6時00分」であった。
そして、再び横に成ると「自ら立ち上げる。リズムを刻む。」との言葉が告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は「6時19分」であったので、其の数字から6年前に「自らの仕掛けで滅びる」と告げられて来ていた言葉を思い出し、其の言葉とは反対に、私は自分自身で新しい「生命・いのち」を刻み始めなければ成らない理・ことを意った。
2016年06月19日「自らの仕掛けで滅びる」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55521238.html
今朝のメッセージは、私は故「藤山幸盛おじー」の様に、世間・人間社会の有様を気にする事無く、自分の人生・老後を安定させなければ成らないと言う事であり、此の世での「壽命・ジュミョウ」を長引かせる必要があるとの理・ことが示されて来ている様である。
キー「藤山幸盛」
2017/6/2・・其の時に、船行集落に住む「藤山幸盛」氏に出会うと、其の幸盛氏(屋久島では通称 幸盛おじ)が「お前の親父には 試された事が有る」と謂うのである。
私が、其の事に興味を示すと、其の経緯を話してくれた。
或る日、幸盛小父が私の実家を訪ねると、私の父親が「藤山君 焼酎を飲むか」と謂うので、「飲む」と答えると、丼を持って押入れの戸を開け、中から甕を出して、其の丼にドボドボと焼酎を注ぎ始めたので、幸盛小父は、「礒邉さんは頭があまり良くないな。丼から、次何に移すのだろうか。」と思って居ると、其の丼の儘、幸盛小父の前に持って来て置いたとの事である。
幸盛小父は、「此のまま飲むのか」と訊ねると、「そうだ」と謂うので、両手で持ち上げると、自分の顔が、丼の水面に映って見えたとの事である。
其れで、躊躇したが、「礒邉さんは 自分の事を試しているのだな」と思ったので、其の儘一気に飲み干すと、私の父親は、其の様子を気に入ったとの事であった。
其の事で、私は幸盛小父に親しみを覚えたので、自分の現状を話し始めた。
すると、幸盛小父は、次の様な事を話し始めた。
「或る所に、毎日焼酎ばかり飲んで居る人が居て、飲んだ焼酎瓶を床下に積み上げていたら、或る時一升瓶が値上がりして、金持ちに成った。」との話であり、其れは、「人生は 何がどう成るのかは、先に成って見なければ 判らない。」との比喩を示すモノであった。
其れに、馬小屋から馬を引き出して、私を馬に乗せて「姿勢を正して 胸を張れ」謂って、馬を歩かせてくれたので、私は堂々と周りを眺める目線を覚えた事にも成った。
私は、其の幸盛小父の話と指導で、眠れなかった日々が穏やかに成り、救われた気持ちを感じたのである。
其の幸盛小父は、とても風変わりな生き方をして居たので、一般的には「幸盛ボッケ」と呼ばれていた。・・・
「藤山幸盛小父の思い出」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55933414.html
2017年06月02日本日のメッセージの映像には、5月29日の「笑点」で、木久扇師匠が「トランプ大統領 トランプなのに ハートが無い」と謂って、大受けした事と関係が有る様な世界が映し出されて来た。
其れは、トランプ大統領は有名な大金持ちであり、イエスキリストや釈迦牟尼佛、其れに老子や良寛さん等とは、反対の世界に住む人物だからである。
何故、今朝其の様な事を書くかと謂うと、今朝のメッセージの映像は、屋久島の山小屋で一人暮らしをして居た、故「藤山幸盛」の生活の様子が、映し出されて来たからである。
其の藤山幸盛(通称 幸盛おじ)は、夏は海岸の林の中にテントを張り、川の流れにビールを冷やしていて、腹が空いたら、海に潜って魚や伊勢海老やトコブシ貝を捕って来て、流木を集めて火を熾し、焼いて食べる生活をして居た人物である。
今朝の映像では、其の幸盛小父が健在の時の様に、山小屋の方に住んで居て、数人の客人が遊びに来て居り、野外の竈(かまど)で、自分で好きな様に食事を作って、食べて居る様子が映し出されて来た。
私も、其の客人の中に加わって居ると、別の男性が遣って来て、私の横に座った。其の男性は、50歳位の大柄で、肌が浅黒い色をした人物であり、私の事を良く知っている感じで、親しく言葉を掛けて来た。
私も、其の男性の存在は、会った事が有る人物である事は確かなのだが、何時・何処で会った人物なのか、どうしても思い出せないでいた。
そして、次の映像は、世界中の様々な民族が、自分達の衣装を身に纏って集まって来て居る、祭りの会場が映し出されて来て、夫々の民族が、自分のメッセージを傳える為の舞台装置や、ダンスをする会場などが有り、静かな場所では瞑想も行なわれていた。
今朝は、男の子の霊が、私の背中にしがみ付いて来るので、強い金縛りが起きて、暫く其れを拒絶する肉体の反応が有ったが、其れが治まってから、照明を点けて時計を見ると時刻は0時26分であったので、私は其の数字を、「26・踏む」と記憶した。
そして、再び眠ると3時33分に起されたので、私は其の数字を「333=9」と記憶した。・・
其れとは、反対の生き方をして居たと謂えるのが、今朝のメッセージに登場した藤山幸盛小父の暮らし向きである。
其の藤山幸盛小父は、私が、飼っていた黒毛和牛が暴落して、農家としては屋久島一番の借金を抱えて苦悩して居る時に、私を救ってくれた存在である。・・
2004/6/3「自己認識」http://moon.ap.teacup.com/20061108/491.html
此の「自己認識」の文章の内容から考えると、私が此の世界に入って丸33年を二日後に迎えるに当たって、私が何等かの事を、自覚する必要がある事が示されて来ているのではないだろうか。
其れは、統尊(すめらのみこと)の働きである「全系の嚴(みいつ)」や、「エネルトーン(enertone)・氣の度合い」等の意味に付いて、深く理解し、間違い無い状態で、踏み石を上がらなくては成らないと言う事なのかも知れない。
其れは、祈年祭の祝詞に有る「常盤(ときわ)の神籬(ひもろぎ)」を、しっかりと守護する事である。・
「貧魂者」http://blog.livedoor.jp/jitekiodo/archives/55615132.html
此の「貧魂者」の文章の内容からすると、今朝告げられて来た「ネット(網)を拡げる為」「生命のリズム」「自ら立ち上げる。リズムを刻む。」「人間の努力」「大道を開く」等の言葉は、「人類・我々人間自体」が新しい「生命のリズム」を宇宙に刻み始めなければ成らないと言う理・ことであり、其れは天神・宇宙意志から与えられるモノ・世界ではなく、我々人間の努力で図らなければ成らない課題であり、其れが「大道を開く」との事に成るとの事なのであろう。
そして其の為には、此の私は、現在の人間社会(世間)に関わって居ては・染まって居ては、成らないとの理・ことであり、深く清い静かな海中に、身を沈めなければ成らないと言う理・ことなのではないだろうか。
何故其れが、山岳の巨木の枝の下に存在する花崗岩の上に座る姿ではいけないのかを考えると、私に聖者が告げて来た「風 麥東 陶・ふうれんとう」や「讜逓聖・とうていせい」の言葉・世界は、人間・人類だけの問題であり、地球生命全体の事・世界ではないので、範囲を拡げると言うか、宇宙全体の進化プログラムの為には、キャパシティーcapacityが狭い・小さいと言う理・ことなのではないだろうか。
キャパシティー(capacity)
1 収容能力。また、容量。
2 物事を受け入れる能力。受容力。デジタル大辞泉
其れを考えると、「人間の努力」と「大道を開く」との言葉の意味が能く理解されて来る。
其れは、私が此れまで使用して来た「王道」「君のみいつ」等の言葉は、人間社会に当て嵌める言葉に過ぎないし、「統尊・すめらのみこと」の「詔勅・みことのり」「御嚴・みいつ・御稜威 」との言葉も、人間世界に宛てる言葉なので、今朝告げられて来た「ネット(網)を拡げる為」「生命のリズム」「自ら立ち上げる。リズムを刻む。」との課題・テーマは、釈迦ブッダの謂う「私は過去・現在・未来に存在し 衆生一切わが子」との言葉に、積極的に取り組んで行かなければ成らないとの事なのかも知れない。
其の為には、現代人の「魂魄(こんぱく)・生命リズム」に合わせて居ては不可能なコト・世界であるので、生命が誕生した海中に身を沈め「目耳鼻舌」の感覚器官が使えない・動かない場に、三年間潜む必要があるとの理・ことなのではないだろうか。
其れを考えると、老子の謂う「其の門を閉じよ」との言葉が、符号する事に成って来る。
52章 「小知を捨てよ」
塞其兌 閉其門 終身不勤。 開其兌 済其事 終身不救
【其の兌を塞(ふさ)ぎ 其の門を閉じれば 終身勤せず。
其の兌を開き 其の事を済(な)せば 終身救われず。】
「道」への認識を深めてゆくためには、感性を没却しなければならぬ。
感性的判断に固執するかぎり「道」は永遠に認識できない。
感性では捉えられぬ物事を認識することが、「明知」である。感性に依存する小知を捨てて、存在をあるがままに受容することが「堅固」な認識の立場である。
徳間書店 中国の思想 老子 奥平卓 訳
此の老子の言葉からすると、三年後の「令和7年7月7日」まで、此の私には新たな次元・事象が齎されるのではないだろうか。
其れに7月7日は「七夕」であり、其の七日後の7月15日が「禊祓い日」であるので、其の事にも関係が有りそうである。
みいつ16年5月17日
礒邉自適
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。