2008/6/7
屋久島「生命の島」HPより
屋久島の小瀬田に有る「生命の島」の代表日吉真夫氏の文章紹介
生命の島 HPhttp://www8.ocn.ne.jp/~seimei39/

メモ 教育の場としての屋久島
このところ、これからの屋久島の進むべき方向、こうあって欲しい、こんなこともあったらいい…というような事柄について、たとえば「木の文化」のこととか、幾つかのことを考えている。そのなかで「教育の場」としての屋久島というテーマは昔から仲間たちと語り合い、考えてきたことだが、何とかして形にしたいという想いが心に強く浮んでくる。心のなかの想いだけでは話にならないので、全体の構想を企画書とか趣意書の形にまとめる手前で時々に思い浮かぶ着想を断片のまま文字化し、メモ的に書き留め、収録しておきたい。
《趣意》
1) 屋久島の大自然と、この自然を環境として生きる人々の暮しのなかにはゆたかな価値がまどろんでいる。
昭和の終り以来、屋久島が観光地としての注目を浴び、観光客数の絶え間ない増大が続いて来たのは、まさに屋久島の内在的な価値が、意識的にせよ無意識的にせよ、人々の心を惹いてやまないからである。
2) 地球表面の温暖化、気温と海水温の上昇によってもたらされる異常気象を初め、世界的規模での環境の変化は、地球と生物と人類の破局に向って、とどめがたい勢いで不気味に進みつつあるように見受けられる。
それが正確にいつであるは別として、自然科学は、数十年前から破局の接近を警告しつづけている。
各国政府はこの問題をめぐって、たとえば温室効果ガスの削減を検討すべく会合をかさねながら、効果的対策を決定できないまま、不毛な討論を続けている。それぞれの国家がそれぞれの国益を最優先に考えるかぎり課題を解決できないのは明らかである。全地球的視点から見れば、いわゆる国益はそれぞれの国の身勝手、すなわちエゴイズムに過ぎないからである。
そして、いまや、エゴイズムは人々の間に蔓延しつつあるように見受けられる。
3) エゴイズムは自己中心的な考えかたであるが、自己中心的であることそのものが悪いのではない。誰もが第一義的には自己中心的に考え、行動する。
問題は中心に据えられる自己そのものが表面的、肉体的、物質的に過ぎて、真の自己でないところにある。利己的に振舞う人々は、真の自己を正しく把握していないため、利益にならないものを利益と考え、結果的に自分に不利益をもたらすのである。
地球規模の問題に関して、互いが国益を主張して譲らず、解決の道がえられない場合を考えてみれば、事は一目瞭然であろう。自国中心の身勝手な要求を握りしめたまま、国家も人類も大多数の生物とともに滅び去らざるをえないのである。「私益」を最高の価値として追究する個々人の自己中心主義についても同じことが言えるだろう。
日本の社会においてこれほどエゴイズムが氾濫し、これほど冷酷・非情・凶悪・破廉恥な犯罪が多発した時代は史上かつてなかったのではあるまいか。
4) すべての生物が自己中心的に生きている。しかし人間を別とすれば、あらゆる動物も植物も微生物も、すべての生物が自己中心的に生きながら、地球の上には豊かな生命が繁栄し、豊かな調和が保たれ、豊かな自然環境がもたらされているのである。人間の活動だけがそこに不調和をもたらした。
なぜ、そうなるのか。どのように生きるのが人間にとって正しい意味で自己中心的な、真に自己を生かす生き方であるのか。この時代は、子供たち、若者たちにそのような知識を体得させる教育を必要としている。
5) 豊かな自然に包まれ昔ながらの人情が息づく屋久島は、島全体が教育の場としての限りない可能性を秘めている。その可能性を可能性のまま眠らせておくのではなく、未知の宝庫の扉を開き、事業として具体的に展開してゆくべき時が来ているのである。
〔20・2・21〕
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