たった一人の30年戦争
小野田寛郎 著 東京新聞出版局 刊
ISBN 978-4-8083-0535-2 ¥1,682(税込)
☆☆☆★★★
1972年(昭和47年)、グアム島から横井庄一伍長が帰国。彼の帰国の第一声。「帰って参りました…恥ずかしながら、生き永らえて帰って参りました」この言葉はこの年の流行語にもなった。
2年後の1974年(昭和49年)、フィリピンのルバング島から小野田寛郎少尉が帰国。
昭和20年の終戦から約30年。高度経済成長時代を迎えていた日本人には、さながら生きた亡霊を見る様に思えたのではないだろうか?私はその頃小学生だったのでうろ覚えなのですが、それでも彼等が羽田空港に降り立つのを見て、今の今まで、終戦を知らずに戦争を続けていたという事実に驚愕したのをよく覚えています。
この本は、戦後50年にあたった平成7年に「戦後50年企画」として、新聞に連載された小野田さんの手記を単行本化したもの。今回これを読んでみて、なぜ30年近くも終戦に気がつかずにいたのかという疑問が解けました。
ちょっと前に中村獅童が小野田さんを演じたテレビドラマがやってましたよね。私は、うっかり見そこなってしまったのですが、彼は、中国語が出来る事を理由に、市川雷蔵の映画でも有名な陸軍中野学校へ送られ、スパイ活動、およびゲリラ活動の訓練を受ける。これが、彼が決して玉砕をしなかったまず第一の理由。
第二の理由としては、軍部の方針として、大東亜共栄圏達成のために100年戦争を予定しているという指針が出されていた事。そのため、何度捜索隊が「戦争は終わった」と訴えたり、入手したラジオで日本の繁栄を耳にしても、日本本土はアメリカの植民地となり傀儡政権を樹立。日本奪回を目指す日本人は、満州に臨時政府をつくり、アメリカとの戦争を続けていると誤解した事にある。
おりしも、朝鮮戦争、ベトナム戦争と続き、フィリピン上空、海上には、多くの米軍機や船が行ったり来たりしていたのを、日本との戦争が続いているためと、すっかり誤解してしまったのだそうです。
家族の説得にも応じなかった彼が投降してきたのは、冒険好きの一人の青年のおかげ。小野田さんと話がしたかったと、無防備で単身キャンプをしていた彼と出会い、彼を通じて直属の上官から任務解除・降伏命令を受けて、日本へ帰国する事となったのです。
しかし、任務とは言え、一体どれほどの精神力があったら、ジャングルの奥地で、30年も戦い続ける事が出来るのだろう・・。読みすすむほどに、どうして投降してこなかったのかと、イライラする程でした。本当に、事実は小説より奇なるものですね。
小野田さんはいまでもご健在。戦後の日本の世相に耐えられず、ブラジルへ移住。牧場を経営するかたわら、時々日本に来て「小野田自然熟」として子供達に自然の中でのサバイバル術などを教えているそうです。
先日は、トーク番組に出てるのを見ましたが、すっかり優しい顔つきの好々爺になってました。
本当に、人間の運命とは不思議なものだと思います。多くの日本人の犠牲の上に、今の日本の繁栄が成り立っているという記憶を風化させない事が、とても大事だな・・・・とあらためて思いました。

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