1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2006/6/3
神との約束
18・6・3
明日から、私の神との付き合いも23年目に入る。
昨日インターネットで、アメリカの予言が載っているHPに辿り着いて読んで見ると、日本の陸地で人間が残る処は、四国と南九州と種子島・屋久島だと書いてある。
私は、自分は、海抜の高い所に引っ越したので、自分の事は心配ないのだが、子供達の事が気に成っていた。
処が、此の記事を見て、七名の子供が皆、安全な地域に住んでいる事に成っているので不思議だと想い、神の存在を改めて意識し、少し安心が湧いて来た。
私も、やはり人の親で「親馬鹿 チャンリン」である。
私は、「神との約束」の題で、文章を書く気に成ったのは、次の様な事が要因である。
私は、1983年3月18日に無庵師匠に探し出され、師が屋久島に土地を購入して、家の建築を始めた。
そして、家が完成して、無庵師匠は1984年3月5日に、家族3人で屋久島に引っ越して来た。
私は其の日から、無庵師匠の下で、玄米自然食のマクロビオティックの世界に入ったのである。其の結果として、丁度三ヶ月後の6月4日に、神の世界に突入した。
そして、見せられたビジョンは核爆弾に因る「第三次世界大戦」の様子であった。其の核戦争で、私は自分の息子が、放射能被曝を受けて死に、其の死骸を抱いて、葬式をしている映像を見せられたのである。
其の悲しい世界を、ビジョンの中で体験して居ると、神が「だが こんな別の世界が有る。」と云って、別の世界が映し出されて来た。
其の世界は、映画の「サウンド・オブ・ミュージック」の様な雰囲気で、若い女性教師が、子供達を引率して、花が咲き乱れる野辺の道を、歌を唄いながら歩いて行く映像であった。
神は、其の両方の映像を見せて、私が、どちらの世界を選択・チョイスするかを、求めて来たのである。
しかし、選択を迫ったと言っても、息子が死んで、悲しみにくれながら葬式をする自分と、子供達が、美しい花畑を楽しく、歌を唄いながら歩いている場面の、どちらかを選べと言われても、其れは選ぶ意志などが、当て嵌る世界ではない。
つまり、99%選ぶ必要の無い状況を、私に押し付けて来て、其れでも「自分で選べ」と迫って来るのである。
其れは、其処に向かって進むしか、他に道は無いとの事なのである。
何故、其の様な、選び様の無い選択を、神が迫って来るかと言うと、人間は自分で選んだと言う自覚がなければ、上手く行かなかった時に、神の所為にしてしまうからである。
私は、其の、他に選び様の無い選択を迫られて、核戦争に拠る人類滅亡のプログラムではなく、女性と子供達が、笑って生きている未来の世界を、選んだのである。
其れから二年後の、1986年6月3日に高知県高岡町で、高知大学の満塩教授の紹介で「井上佳子」と出会った。
そして、二人で室戸岬に行く途中の「十一面観音様」を祭るお堂の横で、其の井上佳子が「倭姫命の霊の生まれ変わりだから 護れ」と云われた。
そして、1988年11月21日に式を挙げ、二回目の結婚をして井上佳子と暮らす様に成った。
其の二度目の妻佳子は、1998年4月27日に癌で死亡し、29日に葬式を執り行って、その後、四名の子供とも一度も会っていないのである。
昭和天皇の大葬の日(1989年2月24日)に、昭和天皇霊に阿蘇の「日の宮弊立神宮」の事を知らされて、蘇陽町に引っ越す事に成り、それから丁度10年後の、昭和天皇の誕生日の日に葬式をして、子供達は高知に皆引き取られて、私も蘇陽を去る事となった。
まるで昭和天皇の霊に、操られているかの様である。
今日は、その井上佳子と出会って、丁度20年目の日である。
そして、明日からは、神の世界に入って、23年目が始まる事に成るのだ。
私自身にも、分けの解らない22年間の月日であったが、昨日の記事で、確かに、神の約束通り七名の子供は、みな護られているのだと実感が湧いた。
子供達は皆、健康で健やかに過ごしており、昨年五月には、男子の初孫も出来たと、風の噂で聞いている。
私は、自分の知らない処で、「お祖父さん」と成ってしまっているのだ。
今の処、私は、自分の事は全て棄て去っているので、自分自身には何の問題も無い。
22年前の1984年6月4日は旧暦の5月5日であった。
今年の旧暦の5月5日を見ると、5月31日であるので、既に過ぎてしまっている。
其の5月31日のメッセージは「信頼関係」と有り、今日の話題に合ってもいる。
当分は、私自身に取っては、何の問題は無いのだろう。
今日は、ハワイから新しいスタッフが、午後の飛行機で到着する。
サテ、是から、なにが始まるのやら・・・。
平成18年6月3日
礒邉自適
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