1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2006/11/30
命仕込み
18・11・30
今月も、今日(晦日・みそか)で終り、今年最後の晦日まで、残り31日と成った。明日から師走である。
其の、暦に合わせての事か分からないが、今朝は、新しい分野が開いた事が知らされて来た。
先ず、初めに、パソコン画面の、サイトの一番左上の角だけが、映りだされて「命仕込み」との文字が出て来た。
其れで、私が思い当るのは、私のトップ-ぺージの左肩の部分である。
みいつのHPには「四次元プログラム」(魂しいの創造)、森の木のHPには「水素原子管理公社」(物の管理)と、書いて有る。
其れは、22年前(1984年6月4日・旧暦5月5日)に、神の世界に飛び込んだ時に、先ず神に告げられた最初のメッセージである。
其れは、此の世界を維持して行く為には、どうしてもなくては成らない仕組みである。
「四次元プログラム」は、今の宗教や哲学・倫理等の世界で、目に見えない「魂しい・精神」の世界をプログラムする為のものである。
其れは、自分の先祖のお墓や、仏壇や神社やお寺などの中味の事でもある。
「水素原子管理公社」とは、此の宇宙は総て「水素原子・H」を素に出来上がっている物なので、「モノ・物質」を「公・おおやけ」で管理する事である。
其れは、政府の仕事でもあるので、地球全体の管理をする世界政府機関の働きと言っても良いだろう。
此の二つの働きは、江戸時代までは「四次元プログラム」の方は、宮家と神社やお寺が行い、「水素原子管理公社」は、幕府が行なっていた事である。
今朝は、其の二つの仕組みを創る事を初めとして、「命・みこと・役目」を仕込めとの事を伝えて来たものであろう。
22年前に告げられた事が、漸く段取りが出来て、始められるらしい。
今朝は、其の始まりの場面も映像で映されて来た。
初めに、エネルギー体が現れて、其のエネルギー体が人の顔に成り、次々に変化して、幾つもの面・おもてを見せた。
中に、女性の顔が一つ在ったので、「七福神」の中の「弁財天」だったかも知れない。後は皆 男性の顔だったので七福神の神々が現れたのだろうか。
そして、其の神々が、青い果実の様な玉を地上に投げた。
其の、地上に撒かれた玉数を数えると、丁度10個である。其の十個の青い玉が、何を意味するのかは分からない。
次に、広い紙に、赤い色の文字で書かれた文章が出て来たが、何と書いてあるのかは、読み取れなかった。
其の意味する処を、私なりに推測すると、今朝のメッセージは、新しい使命の仕組みを造り上げろとの事だから、青い玉は安全な「御魂・みたま」を意味しているのではないだろうか。
そして、赤い文字の文章は、行なってはいけない禁止事項が、書かれていたのではないだろうか。
其れは、新しい種が地上に撒かれ、未来創造が始まっても、其れに都合の悪い人達が協力を惜しんだり、邪魔をしたりすれば、神のプログラムが地上で現実化しない事に成る。
だから、事を始めるのには、行なってはいけない事柄を明確にして、ルールを公表しなければ成らないとの、事なのかも知れない。
其の後、会社の会議室の様な処に、スーツを来た現代風の働き盛りの人達が10名程テーブルに着き、今後の事を、話し合っている場面が映って来た。
其の中で、一番元気な人は、左側の奥から二番目の椅子に座っている、50歳くらいの男性で、其の人が一番事情に詳しいらしく、盛んに、何かを話して居たが、其の内容は分からなかった。
若しかしたら、其の男性が「大国主命」の働きを意味しているのだろうか。
最後には、神社の近くに住んで人望を集めている、知り合いの男性が出て来たが、其の人は棍棒を手にし、相棒と周囲の見回りをして居たので、是から始まる事は、現在の社会情勢での見掛けとは、内容が違うとの事だろう。
此の映像の意味は、私が是まで、22年間、此の世界に触れて来て、例え世話に成った方でも、義理が有るからと言って、新しいプログラムの中に入れては成らないとの理・ことであろう。
人間の世の中は、未だ、権力が有る人が上座に座たり、財産やお金が有る人が、強く表に出ようとしたりする傾向がある。
是から始まる事は、総てが0からなので、過去の実績や、現在の地位等を無視して、新しい世界の為に、何が出来る人かを、見極める事が一番大事であるとの理・ことであろう。
他にも、数十名の名前が書かれた名簿が、映り出されて来たが、私が知っている人の名前は一個も無かった。
其れは、私の知らない若い世代の人達が、此のプログラムの主役と成るとの事ではないだろうか。
私が始めた時は、38歳の働き盛りだったが、年が開けた一月には満60歳に成る。
22年前に、小学生だった子供達が、30歳代に成って来ているのである。
其の年代の人達こそ、是から始まる未来社会創造の、中核と成るのであろう。私達の年代は、自分の経験の中から智慧を出して、彼等のオブザーバーとして協力して行く事が大事なのであろう。
其れが、自分達の孫達が生きて行く社会を、構築する事に繋がるのである。
今朝の「命仕込み」とは、新しい社会制度の構築の為に、使命や天命を抱いて地球に降りて来ている、魂しいを探し出して、其の者の命・みことに合った椅子を、用意しろとの事ではないだろうか。
其の為に、是までの22年間の段取りが有り、私の生き様の理由も見えて来ると言うものである。
平成18年11月30日
礒邉自適
2006/11/29
人間の言葉は皆例え
18・11・28
今朝は、2時から起きて、事務所に出て来てパソコンに向かって居たが、6時過ぎに、また眠く成って思考が進まないので、宿舎に帰って眠る事にした。
そして、映って来た映像は、鮮やかな現象・モノだった。
初めに、文学の世界らしき雰囲気が現われ、屋久島に住んで居て4年前に亡く成った、百姓詩人「山尾三省」の墓らしき物が映り出されて来て、其の山尾三省の背景には「宮澤賢治」などの霊魂が、無限に繋がっているのが知らされた。
そして、次に映り出されて来た映像は、美しい水が流れる川や、桜吹雪が風に舞う路などの、風景である。
其の、鮮やかな日本風の景色の中に、漢字が一文字ずつ名付けられていた。
其の漢字は、「例」の漢字の右横に、「水」や「花」の文字が付いているのである。
其れは、例が「扁・へん」で、水や花の物が「旁・つくり」に成っているのである。
其の映像が示す意味は、水や花だけでなく、総ての文字が、例えの説明でしかありえない理・ことを、告げて来ている。
其の意味から考えて見れば、新約聖書は「イエスキリスト」の例え話しを集めた物であるし、仏教経典は「釈迦牟尼佛」の方便を伝える物でしかない。
確かに、世界中で頼りにされている文献が、例え話しか、方便にしか過ぎないのである。
そう考えれば、世界中に在る文献は、皆 真実の物ではないと言う事に成ってくる。
確かに、釈迦牟尼佛は「言葉では 真実を伝えられない」と謂っているし、イエスも聖書を持って歩けとは云っていないで、「何も考えないで旅をしなさい。行った先の現象に合わせて 聖霊が舌を借りるから。」と謂っている。
其れに、禅宗の訓えでも、紙に一度書かれてしまった文字は「不立文字・ふりゅうもんじ」であるから、意味が無いと言っている。
其のような理を、最初から云ってくれば、私も是だけの文章を、書き残しもしないし、パソコンに毎日10時間以上も向かう事が無く、其の為に、目を悪くする事も無かったのである。
しかし、其れは、言っても無駄な事で、今までの課程があるからこそ、今日、其の様に知らせて来たのだろう。
其れに、今朝の2時頃の映像を、文章にしたからこそ、次が下りて来たのである。
其れは、如何に、今朝の文章が価値有る物だったかが、理解される事にもなる。今朝の「子育ての大変さ」こそ、人類にとって一番大事な「理・ことわり」だったのである。
今朝の文章を書いた事で、私の中の霊魂達はU−タンをしたのだろう。
是からは、男性の霊魂達が、未来の社会を創造する為に、墓石から旅立って、新しい言葉の創造に向うのであろう。
其れは「百聞は 一見に如かず」の「諺・言技」を、カバーする文化の創出である。
今朝の映像の意味は、美しい水の流れと言っても、濁った河しか見た事がない人には、理解出来ないし、桜吹雪の景色の荘厳さを見た事が無い人に、其の感激を説明しても、想像する事は不可能である。
其れは、砂糖を食べた事が無い人に、砂糖の甘さを言葉で教える事に似ている。
砂糖の甘さを教えるには、何の説明も文章も必要無いのである。
唯、無言で砂糖を食べさせれば、済む事である。
今朝の映像から、私の心身が、是からどう動かされるのかが、少しは理解されて来た。
それは、自分の人生の在り様が、理解されて来る事でもある。
何故、私は37歳まで、殆んど勉強らしきものをした事が無いのか。
小中学校には、確かに9年間通いはしたが、其れは、先生の話を聞いて居ただけで、自分から、頭に詰め込む努力をした事が無いのである。
本は少し読んでも、其れは、文字の中から場面を汲み取るだけで、総て通り過ぎてしまっている。
だから、私の頭には漢字とか、方程式とか、アルファベットなどが残っていないのである。
だから、電子手帳やパソコンが無ければ、とても此の様な文章は書けない。
私が、子供の頃から、何を遣って来たかと言うと、物を見詰める事である。
木の実を一年中捜して食べたり、草花を栽培したり、池に鯉を飼ったり、小鳥を何十羽と飼ったりして、其の動きや表情を、毎日見詰めて来たのである。
だから、目白は、普通の人には皆、同じに見えるだろうが、飼って見れば、全部顔の表情や仕種が違っていて、見分けが着くのである。
其れは、和牛を40頭飼って居た時も同じである。
其れに、海に魚釣りに行ったり、山に蘭取りに行ったりして居たので、生き物が生きて居る背景も、能く読み込んでいたのである。
其の訓練が、今人間の特徴や、言葉の端々から、其の人が、何を考えているかも汲み取れるのである。
其れに、顔の表情を見て居れば、口で云っている言葉に嘘が有る事も、見抜ける様に成って来るのである。
だから、私は子供の時より、誰が、何処で、何時、何を云ったかも、能く記憶に残っている。
22年前から、日記を付ける様には成ったが、其れは、有った事に対して、日付が無いと、整理が出来ないからである。
其れに、日付は、霊界の人達が此の世に対して、スケジュールを組むのに、必要不可欠の物のようである。
私が、日付の記帳をしていなければ、メッセージも役に立たなく成ってしまうらしい。
あの世の人達は、此の世の人達が、情報を受け取って、記憶に残さないと、何も出来ないらしい。
其の為にも、日記は不可欠な物でもある。
其の点から云えば、現在のIT社会のブログは、大変大事な物でもあるのだ。特に、写真を入れられるので「百聞は一見に如かず」を、カバー出来ているのである。
私の行動と、ブログの発達は、とても無関係だとは想えない。
正に、トキを得ていると云えるものである。
是からの、私の行動は、其の世界の最先端を、進む事に成るのではないだろうか。
昨日のニュースでは、今一番伸びている商品が、能力開発に関係する物らしい。其れが示す様に、人間の脳はPCの存在に拠って、急速に認識パターンが進み、脳の進化を生むのではないだろうか。
そう成った時に、一番危惧されるのが、人間の意識が、此の三次元の現象から分離して、一人歩きをしてしまう事である。
其れは、文字や、数字や、CGの画像だけで、人間の意識が、別の世界に運ばれて行ってしまう事である。
今朝の映像の意味は、其の様に成らない為に、私にブレーキ役をしろとの事だろう。
今の経済を進めている流れは、強力なパワーエンジンは搭載しているが、大事なブレーキ装置が、完備されていないのである。
私は、其のブレーキ役として、今後、働かなければ成らないのではないだろうか。
未だ、能くは分からないが、物事に対して、正しく名前を与えて行かないと、森羅万象の働きから、人間の意識が分離してしまい、しまいには自然との調和を失って、滅びて行く事に成るのではないだろうか。
弘法大師空海が、何故 食を断ち「即身成仏・そくしんじょうぶつ」を図ったのか、其の心情が理解されるような気がする。
今朝の、山尾三省の後ろに控える大御所は、空海かも知れない。
そうであれば、其のまた後ろには、大日如来が存在するのだろう。
今朝のメッセージの、一番重要な部分は、言葉や文字は、総て例えにしか過ぎないとの理・ことである。
だから、他人の云う言葉や、書かれた文章には、真実が無いとの事である。
私の父親は、満州から引き上げる時に、たった一つ大事に持って帰った物が「見猿・聞か猿・云は猿」の、三猿の置物である。
漸く、此の年令に成って、親父の凄さが見えて来た様な気がする。
平成18年11月28日
礒邉自適
2006/11/29
子育ての大変さ
18・11・28
今時刻は午前2時25分、空は雲一つ無く晴れて、月の光りが無いので、空は満天の星である。
真上の右には、オリオン座が在り、其の左下にはシリウスが大きく輝き、天空の大三角形が見事である。左の空には、北斗七星が柄を下にして立ち上がり、反対側にはW字形のカシオペアが在る。
正に、晩秋の空の背景である。
もう虫の声も、殆んど聴かれなく成り、まだ小鳥も、眠りの中にある。
数日前は、お腹の大きな蟷螂・かまきりが、ヨタヨタと卵を産み着ける所を捜して歩いていた。もう、卵を産みつけて、一生を無事に終えただろうか。
今朝の状況は、頭の中にメッセージが来ると言うより、意識自体が、赤紫の宇宙エネルギーの中に溶け込んで、悶えている感じであった。
其れは、今までには感じた事の無い世界で、生命の存在の、根源的エネルギーの淵の様な世界に、嵌った感じである。
其のエネルギーの、混沌の中で耐えていると、一人の女性の姿が出て来て、子育てをしている場面が、継続して映り出されて来た。
其れは、母親が、夜中に起きて、泣く子をあやしたり、子供に授乳をしたり、洗濯をしたり、子供をお風呂に入れたりして居る場面なのである。
それに、夫の両親に気を使い、自分の生理の始末もしなければ成らないのである。
私の意識は、其れ等の事柄を、自分の事の様に感じて、動いて居た。
今朝の場面は、丸で自分が女に成って、子育てをしている様な感じで、女性の魂しいが、自分の意識の中に重なって存在して居るかの様であった。
昨日は、一人の若い女性が、私の所に近付いて来る感じが有ったが、どうやら其の女性の御魂と言うか、情報が、私の意識の中に入り込んで、今朝の世界が生まれたのであろう。
其の存在が、マリア像や、慈母心の象徴である「聖母観音菩薩」を人間に創らせるのかも知れない。
今朝の体験から考えられる事は、此の宇宙は、生命現象を支える為に、総てが存在しており、其の根本は、女性の存在にあるとの事だろう。
旧約聖書では、アダムが先に出来て、イブが後から創られた事に成っているが、其れは、男性が考え出した想念・イメージであり、間違いの様である。
日本の古事記でも、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」と「伊邪那美命・いざなみのみこと」が、島々を産み出したと伝えられているが、是も間違いである。
そんな迷信が、何故、数千年も伝え続けられて来たのか。
其れは、新しい神話が登場しないからである。新しい神話が誕生して、其れが伝えられれば、古い神話は崩れ去るはずである。
今朝の私の体験は、今までのマリア像も、ただの美しい姿だけでは、駄目である事を告げて来ている。
此の地球の生命は、総て、雌の働きを基本として、存在を維持して来たのである。
だから、其のシステムを一番前に出して、女性が心安らかに、子供を産み育てられる環境を整えなければ成らないのである。
今朝の映像から理解できるのは、洗濯機、ガスや電気で沸かせられるお風呂、自動炊飯器に掃除機等の存在で、昔に比べて、女性は随分と肉体労働は楽に成って来ている事である。
其れは、近代科学の発展と、技術革新のお陰様である。其の点に於いては、男性は、女性の役に立っている事に成る。
しかし、肉体的には、女性は楽に成っている事は確かだが、今の社会情勢の中で、女性が本当の幸福感に満たされているかと言うと、そうでもない様である。
其れは、社会情勢が不安定で、先行きも不透明だからである。
其れ等の、諸問題を解決して行くのが、我々男性の役目なのである。
是まで、物質的には、確かに世の中は進歩して来ている。
其れは、男性の弛まぬ努力の成果である。
しかし、是からは、精神的な分野の補強をしないと、コンピュターに拠るライフスタイルの進歩で、肉体感覚の実感が薄れ、益々、魂しいは痩せ細って行く事に成る。
昔は、確かに、お産も命懸けであったし、炊事・洗濯・掃除も、朝から晩まで大変であったけれども、其れに対して取り組んで行く事で、逞しく、丈夫で、智慧の有る母親が育ち、其の母親の智慧で、社会全体が支えられて来たのである。
其れが現在、核家族に成った事と、分業社会の発達で、一人当たりの体験と工面が減り続け、智慧の伝達が希薄に成り、社会全体が崩壊しそうに成って来ている。
昔は、人間の社会が崩壊しても、自然環境が安定していたので、立ち直りは早かったのである。
しかし、現在の社会はグローバル化しており、此の巨大システムが崩壊すれば、忽ち世の中は混乱してしまうだろう。
そう成れば、一番大変なのは、子育て中の母親達である。
母親が、安らかに子育てが出来ない社会には、未来は無いのである。
今朝の映像は、其の根源的生命のシステムが不安定に成り、宇宙全体のプログラムが混乱して来ている事を、知らせるものではないだろうか。
何故、男である私が、此の様な霊的体験をしなければ成らないのだろうか。
これ等の事柄は、女性自身の方が、能く理解出来るはずである。
其れを、何故 男性の私に見せて来るのか。
其れは、女性が論理や言葉の世界に弱いからであろう。
其れに、男性側の立場に居る私に、其の事を認識させて、是からの社会創りに役立てる心算であろうか。
私は、夜空の星を見て居て、何時も想う事は、オリオン座の三ツ星は地球から見れば並んでいる様に見えるが、地球から離れて、真横から見れば、北斗七星と南十字星程も距離が有り、全く並んでいないのである。
天空の大三角形と言っても、其れは、地球人だけの考えであり、宇宙的には全然真実ではないのである。
其の理に気付けば、星座占い等は迷信でしかない事に成る。
其れ等の、思い違いや、勘違いが、今の社会には、幾らでも有るのだ。
其れ等の事柄も、皆整理して、真実だけの世の中にしなければならないのである。
現代社会は、音楽だ、芸能だ、スポーツだと云って騒いでおり、一番大事な子育ての世界を、疎かにしているのである。
此処らで、本来の生命システムを見詰め直し、宇宙の事象とのバランスを取り戻さなければ、人類の平和な未来は無いのである。
今朝の映像は、最終的な、神からの指示であると想われる。
後は、自分自身の遺伝子を残す努力をした者だけが、其のいのちのシステムを継続する事が出来るのである。
先月、天照が告げて来た様に、神自身は、人間を救う事はしないのである。
生き残る努力をする者だけが、命を伝える事が出来るのだ。
私はただ、其れ等の事柄を、神に代って、代弁させられているだけなのである。
未だ、一番鶏は鳴かないが、昔の女性達は、もう此の時間には起き出して、カマドに火を着けて、朝餉の準備を始めて居たのである。
だから、現代社会の女性達は、神社の鏡にお礼を云いに行かなくても、炊飯器や掃除機や洗濯機を使う時に、其れ等を創り出した人達に、感謝の念を持たなければ成らないだろう。
其れ等の事は、誰も、迷信とは言わないだろうから・・・。
平成18年11月28日4時25分
礒邉自適
2006/11/28
受け継がれて行く
18・11・28
今朝は、メッセージらしき物は何も無く、唯一30歳代の小柄な日本人女性のイメージが感じられ、其の女性が、此方に近付いて来ている感じだけが残っている。
どうやら、私の知らない処で、未来は既に進行していて、若い人達が、其の為に動き出しているらしい。
今朝の女性は、未来社会を組み立てる為の、一番最先端に位置している、御魂なのではないだろうか。
私は、22年間、其の子らが育つ為に、此の三次元を支えて来たのだろう。
其れは、次の人間が育つまで、守護霊である神霊の動きを、サポートする事だったのであろう。
私の前世は、「白髭神・猿田彦」か「少彦名・宿禰彦」の働きを、熟していた者なのかも知れない。
其れだとすれば、昔なら山中に住んで居て、皇帝の訪問を受けてアドバイスをする役目である。
しかし、是から始まる未来社会は、皇帝が存在して、武力を持って国を統治する世界ではない。もう、中央集権的な政治の在り方は、終ったのである。
是からは、女性の母性が中心と成り、ITに拠る処の情報化社会である。
其の為には、子育てを中心に据えた、社会構造を組み上げなければならないのだ。
其の社会を創る為に、私は様々な体験を、60年間積させられたのである。
其の体験が、漸く私の中で、整理が進んで来たので、女性が訪ねて来る時節を向えたのだ。
私の所に、男性が戦争の遣り方を聞きに来ても、私には、何も答えられないが、良い環境の中で子育てをする事や、どんな人間が結婚相手に相応しいかの相談には、幾らでも乗れるだろう。
其の為に、私は世界自然遺産に登録された屋久島で生まれ育ち、様々な「いのち」と触れ合って、生命とは何なのかを見極めて来たのだ。
此処まで来れば、私の役割が、明確に成って見えてくる。
私は、やはり農家生まれで、百性の魂しいなのである。
だから、生命を「ソダテ・素立て、ハグクム・抱組」事しか、出来ない性分なのである。
私は、漸く「自分・みずからのわけ」が見えて来て、「性分・うまれつきの性質」が理解出来て、其の自覚も生まれそうである。
今朝の意識が、本来の私の意識なのかも知れない。
私は「神霊の思頼・みたまのふゆ」を受けて、やがて23年が経とうとしている。其の最終到着駅が、元の百姓魂しいの立場である。
私には、やはり百姓が向いているのである。
私には、権力や贅沢な物には興味が無い。
有るのは、良く切れる刃物や、魚が沢山釣れる海や、車の走る音がしない静かな世界である。
其処に、嵐に心配が無い住まいと、美味しい空気と水が在り、必要なだけの作物を作れる畑が在れば、其れだけで良いのである。
私の意識の旅の終着駅は、やはり老子や、宿禰彦の世界なのである。
漸く私の意識も、老子が謂う様に、賢しらから離れる時が、来たのだろうか。
是は、新嘗祭や大嘗祭などを超えた世界であり、穢れが何も無い、純粋意識の源のようである。
此の世界こそ、本来の「神・源・祈り・安心立命」なのではないだろうか。
平成18年11月28日
礒邉自適
2006/11/27
ねじれる
18・11・27
今朝の映像も、昨日に続いて、文章化するのが難しい。
と言うのは、内容に段階が有り、範囲も幾つにも別れているからである。
是は、どうも、新しい概念を組み込む為に、私の意識を、誘い込む作戦のようである。
と言う事は、過去の概念が、既に、役に立たないと言う事でもある。其のように考えると、もう過去の神話や伝説を研究したり、実行したりしても、時間とエネルギーの無駄に成るとの事である。
今朝の映像から、全体を総括して言葉にすれば、「早く 新しい価値観を創出し、文化を築き上げろ。」との、意味に成るようである。
1、今朝の映像は、自然芋(山芋)が土の中に芋を太らせて行く場面が映り、真っ直ぐ下へ、大きく伸びて行く縦の芋の根と、石に突き当たり、横へ迫り出して行く芋の根が映った。
2、次には、自分の意識の中から、大きな右手が伸びて、天空から何かを掴み取る場面が有った
3、次には「大株」と有って、屋久杉の根株のイメージが現われて来た。
4、次には、夜明けの様に、雲の間に黄色く輝く、太陽らしき光りが見えたが、其れは月の光だったかも知れない。
5、そして、最後の映像には、白くて丸い球石が一個出て来た。
今朝の映像を、順番に書き出して見たが、説明をしなければ、何の事だか解らないだろう。其の映像に、私なりの解釈を付けると、次の様に成るだろうか。
1は、四次元の天からエネルギーが、此の三次元に太い根を降ろして来るとの意味であろう。山芋は、店に売ってあるのは澱粉の塊で、根は其れに着いている黒くて細い根である。
土の中では、其の黒くて細い根の先に、白い毛細根が着いていて、其の白い根から酸を出して、土を溶かしながら吸収し、芋が伸びる穴を、土中に空けて行くのである。
其の根が着いた、太くて大きな芋が下に伸びて来るとの映像は、天の働きが、此の三次元世界に、其の様に降りて来るとの意味ではないだろうか。
更に、其れが、石に突き当たると横に拡がって行くのは、天の働き・エネルギーが人間に触れた処から、地上に拡がるとの意味なのかも知れない。
2は、私の場合は、自分からも、右手を伸ばして、天の働きを掴み取る事が出来るとの意味ではないだろうか。
しかし、其の手は、人間である私の手ではなかったので、私の意識の中に存在している、何者かの手であろう。
3は、大きな屋久杉の根株だったので、私に、沢山の根の働きと、枝葉を広げる幹の中間に、大きく、存在しろとの意味ではないだろうか。
4は、朝日か、夕日か、月の出の映像なのかが、区別が着かない日の光りが、海の上の雲間から、輝き出るのが見せられた。
其れは、朝日と夕日は同じ太陽である事と、月の光りも太陽の光りが46万分の1反射している物だから、元は同じ光源であるとの意味であろう。
其れは、「根源は皆一つだから、区別をして見るな。」との意味ではないだろうか。其れは、人間の意識に置き換えれば、世界の宗教は皆、出所は一つである理を意味していることに成る。
其れに、地球の生き物も、皆 同じ働きの現われである理も、意味しているように考えられる。
5は、人間の意識を一つの元に戻すには、石英の含まれた球石を意識の的にすれば、世界の分裂している人間の意識を、集合出来るとの事ではないだろうか。
古代では、世界中が「玉(翡翠)・水晶・トルコ石・花崗岩」等の、石英系の石や岩を御神体として扱って来ているので、其れが何故なのか、近代科学で理論体系を組み上げれば、皆が納得できる説明が可能と成るであろう。
石は、何語もシャベル事が無いので、人間の反発は起きようが無い物である。其れに、石は永久に長持ちするし、維持費も掛らないので一番安上がりな御神体でもある。
此の5つの課題を、深く追求して行くと、沢山の文章に成るので、此処では述べない。
今朝、此の文章を打つ為に、PCの前に座ると「ねじれる」との言葉が来たので、其れを題にした。
其の「ねじれる」の意味は、メビウスの環が既に捻られて、次元のドアが反転した事を、告げるものではないだろうか。
其れは、四次元の事象が反転し、天界のプログラムが様変わりする事を意味している。
と言う事は、此の現象世界である三次元空間も、急激な変化が起きると言う事になる。
私は、既に22年前に、次元の扉を潜り、総てのカルマを捨て、何物からも執着を無くして来たので、今更 驚く事は何も無いが、是から、次元の壁を越えなければ成らない人達は大変である。
今朝のメッセージでは、私の意識の中に、天に手を伸ばして、掴み取る存在が在る事が見せられたので、私自身は 新しい現実世界を、組み立てて行くだけであるので、何の心配も必要も無いだろう。
確かに、門が24日に現われてからは、メッセージの内容が変わって来ている。「神霊の思頼・みたまのふゆ」にも、古人の悩みを説き解く事と、彼等の出来なかった事を行い、知らない事を知る事の二通りの世界があるようだ。
私は、もう過去の事に触れる必要はなく、未来の創造に、全力を注ぎ込むべき時節を、迎えているとの事なのかも知れない。
平成18年11月27日
礒邉自適
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