1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2007/2/28
民主主義への抵抗
19・2・28
今朝は、久し振りに、私の意識が海で泳ぐ映像を見た。
其れは、イセエビや、蛸や、ウツボの棲む世界である。
其の三種類の生き物の、天敵としての互いの働きが理解された後、三人の人間の関係性が、指摘されて来た。
其れは、動物の世界の関係性と、人間世界の役割の違いを、私に認識しろとのことだろう。
そして、最後に「民主主義への抵抗」との言葉が有った。
今朝のメッセージは、簡単なテーマのようであるが、そう簡単には、解読出来ない。何故なら、私にとっても、今まで認識していない部分を、抱え込んでいるからである。
特に、「民主主義に抵抗する」との言葉は、非難を浴びる言葉であるので、誤解を受けない様に紐解くには、其れ成りの覚悟と智慧が必要である。
其れには、先ず「民主主義」の言葉の概念を、正しく理解する処から、始める必要があるだろう。
「民主主義」を、広辞苑で調べると(democracy・デモクラシー)語源はギリシャ語のdemokratia,demos(人民)とkratia(権力)とを結合したもの。
すなわち人民が権力を所有し、権力を自ら行使する立場をいう。古代ギリシアの都市国家に行われたものを初めとし、近世に至って市民革命を起こした欧米諸国に勃興。基本的人権・自由権・平等権あるいは多数決原理・法治主義などがその主たる属性であり、また、其の実現が要請される。と 載っている。
此の説明からすれば、別に、民主主義に抵抗するべき原因は、無い様に意われる。デモクラシーを、何故「民主主義」と誰が訳したのかは分からないが、「民主主義」の漢字の言葉に、問題が有るのではないだろうか。
「主義」は、「福地桜痴」による訳語で「思想・学説などにおける明確な一つの立場。イズム。 とある。
だから「主義」の言葉には、別に問題は無い。
有るのは「民主」の言葉である。
「民主」の漢字を、漢語林で調べると、「主・シュ」は、火ともし台の皿の上に、炎がじっと動かないで中心に定まって燃えている象形から、「じっと 止まって 動かない 中心的存在・あるじ。」と ある。
「民」は、戦いに負けて目を針でつぶされ、敵に奴隷として使われている目暗人の意味である。
これ等の事から、問題は「民」の文字に有るようだ。
民主主義の言葉は、漢字の意味からすると「目の見えない人を 主とする思想」と言う事に成る。
其れは、ブラックジヨークの様に、現在の日本の政治を言い当てている。
其れは、最早、日本だけの事ではなく、世界中の政治が、同じ状態であると云えるかも知れない。
其れ等を、どうするかが、今朝のメッセージの課題なのであろう。
其れは、2600年前に釈迦仏陀が謂った、「無明の世界(衆生一切が 真実が見えなく成り 救いが無い状態。)」が、現実と成っているとも言える。
釈迦は、其の状態のトキに、「弥勒菩薩・マイトレーヤ」が現われて、光明と成り、衆生の目を開け、真実を齎すと予言している。
聖書の教えでも、『其のトキに「メシア・キリスト・救い主」が現われて、人々を救う。』と、予言されている。
其れ等の、聖者の予言から考えれば、「民主」ではなく「聖なる主・真実のぬし」が登場しなければ成らないし、其の者は「目明き・覚醒者・ブッダ・すめらのみこと・ラーの神官」で、なければ成らない事となる。
そうであれば、「民主主義」の概念ではなく、別の言葉の概念で、其のトキの訪れを、待たなければ成らない事に成る。
岡本天命氏の、「日月神示・日嗣神事」には「富士は晴れたり日本晴れ。日本から 神一厘の仕組みが始まると有る。
其れが、真実であれば、先ず、日本から其の受け入れ体制を、整えなければ成らない。其の為の準備として、今朝のメッセージがあるのだろう。
今朝、映像に現われた三名の人間関係は、若い男女と、年配の男性で、年配の男性は空中に浮かんで立って居たので、イエスの謂う「天の父」を意味し、若い男女は、陰陽の関係で、生命の存続を意味しているのだろう。
其れは、日本の古事記から言えば、「天御中主神」と「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」・「伊邪那美命・いざなみのみこと」の、男女一組の関係性を示唆している事に成り、聖書の「天の父」と「アダムとイブ」の関係とも、言えるものではないだろうか。
聖書では、「此の世の現象物は、全て 神が人間に与えた物である。」と有るが、今朝の、映像に伊勢海老や蛸が現われたのは、其の意味ではなく、生命の関係性を表すものであった。
伊勢海老の天敵は、「蛸」で、蛸の天敵は「ウツボ」である。
其れは、ジャンケンポンの様に、生き物は一方には強くても、一方には弱い立場にあり、其のバランスで地球上の生物は、調和を図っている理を示唆して来ている。
処が、人間には、其の天敵が存在しないので、人間だけが増殖して、地球上の最大の問題と成って来ているのだ。
今朝のメッセージは、其れ等の状況を把握した上で、人類の救いの道を、整えろとの事だろう。
西洋のデモクラシーの概念は、「イエスキリスト」や、「天の父・ゴッド」が存在し、其の神の下での、人間の自由である。
処が、日本に戦後導入されたデモクラシーは、神の存在の無い民主主義なのである。
其の間違いを正さなくては、此の日本から、新しい救いが現われるとの事は、適わないのである。
今朝のメッセージは、先ず、私に其の事を認識しろと、伝えて来たのではないだろうか。
ヒントに成るのは、「カール・マルクス」の考えである「神の存在の下に生きる為には、元々無い土地の権利に関して、地主と契約書を交わしたりしてはいけない。」「神の名に於いて、本や神具を売り買いする行為を止めろ。」などである。
私が、マルクス以上の概念を出せるかどうかは分からないが、とにかく今一度、思索の森に入り込まなければ成らない様である。
「ひつぎの皇子」http://star.ap.teacup.com/170606/51.html
平成19年2月28日
礒邉自適
2007/2/27
三回目の6月9日の儀式
19・2・27
今朝のメッセージの映像には、日本列島の形が現われて、名札の様な物に「6・9・2」と書かれてあった。
其れは、過去に二回、6月9日の儀式が行われており、今度、三回目の6月9日の儀式が行われる事が、伝えられて来たものである。
其の件で、私に思い当たる儀式の一回目は、大阪府池田市の山中に有る寺で、1994年6月9日に、奈良県の天河神社の「柿坂宮司」参加の下で行われた「安倍晴明の結界」を解くもので、二回目は屋久島の真北の岬で、岡山市の「スーリアさん」中心で行われた2002年6月9日のものである。
「タオ・スタジオ開局」http://green.ap.teacup.com/20060818/122.html
今朝の映像からすると、三回目の場所は、関東以北に成る様である。
其れは、今朝の映像では「陰陽・タオ」のマークの蛇体の動きが本州には在ったが、未だ東北の方には、其の姿かたちが現われていないのが、映されて来たからである。
どうやら、6月9日に関東以北の地で、タオの動きが起きるように、何等かの儀式をする必要があるらしい。
其れは、阿部清明に関係が有る儀式のようである。
今朝の映像では、日本列島の気の流れが、蛇の動きの様に現われて見えた。
九州にも、南北に頭を向けた「龍・蛇体」のエネルギーが流れており、私は其の流れに乗って、屋久島と福岡を上り下りしている様である。
私が、現在・いま住んでいる浮羽の六角堂は、「耳納連山・みのうれんざん」の龍の頭に成っている所で、二つ並んで建つ六角堂は、其の頭の「目」の部分として建てられている物である。
昨日のメッセージでは、全ての事象が真っ白な状態と成り、平らかな世界が完成し、是から新しい世界が、其のキャンバスに描かれ始めるのだと感じたが、其れは九州の事であって、日本全体や地球全体の事ではない様である。
其れを思うと、九州は雛形として動き出しているだけで、全てがそう成って動き出すのではない事になる。
であるなら、私の役目は、未だ完成しているのではない事に成り、漸く一部で其れが始まっただけで、全体的な動きではない事になる。
だとすれば、私には、休みが訪れるのではなく、是から本番が始まるとの事になり、何等、事は解決していないのだ。
此処まで書いたら、日光は照っているのに、行き成り大粒の雨が降り出して来た。
此の現象は、私が此の文章を打った事で、耳納連山を棲家としている「龍神」が喜んでいるとの示しだろうか。
(お寺での得度式でも 此の現象が度々起きる。)
中国では、黄金の龍神が守護神に付いた者が皇帝に成り、龍神が去った皇帝は位から退かなければ成らない様に、決められていたとの事である。
いま日本列島に、其の龍神が動き出しており、守護するべき者を、捜しているのではないだろうか。
今朝から、「森の家」の「純子・すみこさん」に降りて来るメッセージを、ブログ「つきさかきいづのみたま」に、載せる事にした。
其れは、東京の「中山博さん」のメッセージに続くものであろう。
中山博さんは、人形町の水天宮の近くで誕生しているが、東京の水天宮は、久留米藩が久留米の水天宮を分霊した物で、久留米の水天宮が全国の本宮である。
いま私は、其の水天宮の水神が住む、筑後川の上流の支流に在る、小さな池の側に暮らしているのである。
私が、初めて金縛りを体験したのは、40年前に其の水天宮の直ぐ側の家に泊まって居て、夜中に二階の窓から陰陽の水神・河童の霊が部屋に入って来て、押さえ込まれた時である。
インドには、一つの河川に一匹のアナコンダが住んでいるとの伝説が有る。
そして、水全体を管理するのが「サラスヴァティ・弁財天」である。
日本では、本州の利根川が「坂東太郎」と呼ばれ、九州の筑後川が「筑紫次郎」で、四国の吉野川が「吉野三郎」と呼ばれている。
屋久島で、一番水量が多い川は、私の自宅の前を流れる安房川で、安房川と筑後川は繋がっているのだとの、古老の話も聞いた事がある。
水を大地に齎し、生命を育んでいるのは川であるが、其の水の源は山脈である。今朝の、タオ・陰陽で動いていたエネルギー体は、其の水と無縁ではないだろう。
他の方のブログを見ても、メッセージがシンクロしている部分も有るので、新しい動きが、全体的に始まるのかも知れない。
いよいよ、「タオ・スタジオ」の開局を迎えるのであろうか。
平成19年2月27日
礒邉自適
2007/2/24
最後に残った思い
19・2・24
今朝のメッセージは、不思議なものであつた。
始めに、小豆色の旅行ケースが出て来た。
次に、屋台村の料理店みたいな店舗が映り、其処の主人も現われた。
次に、中華料理の店の主人と話した後、外に出て山の方を見ると、旋毛風・つむじかぜが起きて、大きな木が捩れたまま里まで飛んで来た。
其の後、仏陀の座った形が現われて、白い世界に解け消えた後、放射状の阿弥陀佛の光背が現われて、其れも白い世界に溶け消えて、全てが白い世界と成り、私(自分)の胸に痞えていた物も、消滅して行くのが分った。
其れは、私の中に残っていた物が、全て消滅した事を意味している。
今日は、熊本県阿蘇市黒川の西巌殿寺で行われる、林英臣氏の講演会に、「悦子さん」の車に便乗して、行く事に成っている。
私は、林氏には初対面で会うのだが、林氏のブログの提示版には、昨年から書き込みをしているので、全くの無縁と言う分けではない。
今朝の、メッセージの様子からすれば、私が、新しき「まつりごと・政治」を興さなければ成らないと意っている事が、林氏に会う事で、消えるとの事なのかも知れない。
其れは、林氏が政治の世界を立替る為に、長年努力を積み重ねて来ているからである。
其れと、最初に出て来たのは、小豆色に輝く女性用の旅行ケースだったので、其の色から察すると「サラスヴァテイ・弁財天」が、物質の世界を動かすので、私の動きが、物の世界に移行するとの意味ではないだろうか。
私が此処まで、精神的な世界に関わって来て理解したことは、人間の心は、物の存在に因って組み上がっていると言う理である。
だから、物の世界を正しく組み込まなければ、心・精神も正しく成らないと言う理・ことに成るのだ。
私の、是からの働きは、此の世・三次元的世界の、物質の安定調和を図る事に、向かうのではないだろうか。
其の働きこそ、「スメミマ」「すめらのみこと」の働きなのかも知れない。
其の意味では、今日の林英臣氏との出会いは、大きな意味が有るのだろう。
昨年「桜の会」との名のHP が、霊夢に現われて、其の関係者のリンク名が三個程、光るのが見せられたので、私し自身が「桜の会」のHPを作成しなければ成らないのかと想い、朝PCで桜の会で検索すると、既に、桜の会が実在する事が判った。
其の件を「悦子さん」に告げると、林氏が其の中の一人だと教えてくれたので、林氏の存在を知る事に成ったのである。
老子の教えには、「精神的な理を 他人に云う事は愚かな行為である。」と有るが、今朝のメッセージの映像で「釈迦」の仏陀の姿が消え、阿弥陀佛の光背も消えるのが見せられたと言う事は、其れ等の世界が、私の意識の世界から、全て消え去る事を知らせて来たのだろうか。
其れが、今朝告げられて来たのは、其の役割が「林秀臣氏」の役割なので、私は其の世界から、離れて良いと言うか、忘れて良いとの、意味なのかも知れない。
もう、出掛けなければ成らない時間に成ったので、此処までで止めて措く・・・・・
平成19年2月24日
礒邉自適
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