1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2007/2/9
私に考えさせろ
19・2・9
今朝のメッセージは、「出港・出港・出港」と、何度も繰り返し、同じ言葉が続いて、次に「あけがらすはや」とあって、更に「私に考えさせろ」と言葉が有った。
「あけがらすはや」とは、真宗大谷派の僧侶「暁烏 敏(1877・7・12〜1954・8・27)」の事である。
其の暁烏敏が「私に考えさせろ。」とは、私の頭脳・意識を、自分に貸せと告げて来ているのだろう。
其れは、此処から先の世界は、礒邉自適の体験や能力では対応できないので、思考システムを引き渡せと、云って来ているのだと想われる。
そうしなければ、新しい時代に向けて、船が出港出来ないと言う意味だと、思われる。
昨日のメッセージで、「大事な事が有るので えびのに寄れ。」と有ったので、えびの市に居る友人の居宅に立ち寄ると、お客さんが三名来て居て、晩餐が行われていた。
其れは、地元に住む「大西登氏」の満80歳の誕生日で、客の一人と話しをすると、宮崎の「玉依姫・たまよりひめ」を祭る「宮浦神社」の近くの生まれで、山口宮司の長男さんと同級生である事が判った。
私が、「山口宮司とは 23年前から知り合いだ」と云うと、其の奇遇にビックリしていた。
昨夜は、二次会でカラオケに行き、私も数曲歌って、皆で盛り上がって騒ぎ、12時過ぎに帰って休んだ。
今日、午前中「大西登さん」の車を、知り合いが運転して自宅に届け、車庫入れしてから車の番号を見ると、「12・05」の数字である。
其の数字は、私が神に告げられた16年半の期限の日付であり、私は次に日の、2000年12月6日から「森の木」のHPを立ち上げて、情報を流し始めている。
そして、本日2月9日は自適塾を立ち上げて、丸2年目の日でもある。
其の日に、えびので「出港」との言葉が有り、暁烏敏が「私に考えさせろ」と告げて来たのには、何らかの大きな意味が有るのだろう。
暁烏敏をITで検索して調べると、釈迦を出現せしめた宇宙の本願に対して、熱心な研究をした人だと言う事が判明した。
私は、釈迦の名を多く使用しているが、釈迦に付いて、本格的な研究はしていない。していないと云うか、釈迦の本願を実現させる為に、23年間身体を使って動き廻って来たので、お釈迦さん自身の事に付いては、能く知らないと云った方が当たっているだろう。
其れに比べると、暁烏敏はインドにも行っているし、優秀な頭で一生を掛けて、釈迦仏陀の研究をしているのである。
其の事を考慮すれば、私が是から、自分の見識を高めるよりも、暁烏敏にソックリ頭を明け渡した方が、早道なのかも知れないのである。
日蓮上人は725年前の人だし、弘法大師空海は1272年前の人である。
其れに比べ、暁烏敏は未だ死後53年しか経っていない御仁であるので、近代社会に合った思考が、組まれるのではないだろうか。
今日は、午後大西登氏同伴で、知り合いの車で、人吉に有る天然うなぎの料理屋である「長寿庵」に行き、美味しいうなぎを満足するまで食べた。
久し振りに、身体の調子を気遣わずに、食欲に意を任して見た。
9月8日から続いている、胃腸の不調は以前続いている。
其れが、霊的なものなのか、胃腸の病気から来ているものかはハッキリしないが、とにかく神のプログラムは進行している様なので、此の侭進むしか他に道は無いだろう。
果たして、暁烏敏と言う御仁が、私の身体の事まで、把握しているのかどうかは判らないが、此のまま心身を預けて、日々を過ごして行くしかない様である。
平成19年2月9日
礒邉自適
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