1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2007/2/19
コンサートマスター
19・2・19
今朝は、私の背後に、女性のデザイナーが張り付いて居て、私に、合図をする役目を押し付けて来た。
其れは、コンサートマスターと言う役目らしい。
昨日は、是から始まる事を、全て自分で遣らなければ成らないのかと想い、煩わしさを覚え、面倒臭い気分に陥っていた。
だが、今朝のメッセージから受け取ったものは、他に指揮者が存在しており、其の指揮者が台に立って、私に指示が有った時に、コンサートマスターとして、皆をスタート位置に着ける役目が私の役目のようである。
そうであれば、私は自分の立場に在って、楽団の夫々が、時を同じくして自分の音を出し、指揮者のタクトに従って、調和を醸し出せば良いと言う事になる。
其れだと、私の役割は、音合わせをする役目だから、昨日のメッセージの「月讀尊・つきよみのみこと」の働きと、関係が有りそうなので、今日のメッセージと繋がっている事に成る。
今朝は、私が居る所に、五名の都会人が訪ねて来る映像が映った。
其の中心人物は、黒いスーツを着ていたが、ノーネクタイで、白いタートルネックのシャツを中に着ていたので、普通のサラリーマンではなく、芸能関係の社長さんなのかも知れない。
其れとも、一流の指揮者なのだろうか。
どちらにしても、私の側に、世に出すべき何者かが存在して、其れを表舞台に引き出す為に、誰かが、此方に訪ねて来るとの知らせではないだろうか。
私が、今居る「森の家」には、ピアノを弾いている娘さんが一人居る。
不思議な事に、其の娘さんは、私と同じく中学校しか出ていないのに、天才的に絵が上手で、詩を付けた画集を一年間で完成させ、今は一人でピアノの練習をしている。
其れは、現在為されている教育に、疑問を持たずにはいられない現象である。
其の娘さんだけではなく、昨年12月27日に屋久島に私を訪ねて来た女性も、中学校しか出ていないのに、イラストを描く事で生活をし、バンドを結成してドイツまでコンサートに呼ばれたりしている。
其れ等の事柄から、私を、其れに遭遇させている現象の裏側には、確かに、誰か、此の世をデザインしている、大きな意志を持つ存在がある事が理解出来る。
私自身も、其の存在が創り出している、一時的な影法師にしか過ぎないのだ。
其の、神が創り出している影法師を、人間社会が必要とする時節が来て、中学校しか出ていない私達が、捜されるのではないだろうか。
現在、政治の世界やマスコミ界でも、教育改革が緊急課題に上がって来ている。其れが、なかなか解決の糸が見付からないのは、其の問題に取り組んで居る人々が、従来の教育環境の中に居る人々だから、画期的なアイデアが出せないのである。
其れは、其の人々にとって、今までの教育体制が根本から崩れれば、自分のアイデンティティを失う事に成るので、口が裂けても言い出せない事なのである。
今朝の映像では、子供達が、太陽の光がサンサンと当たる校庭で、楽しく遊んでいる状況が映り出されて来て、子供達に取っては、机に向かって勉強する事より、身体造りや、精神のコミユニケーションを図る事が、大事である理が示されて来た。
特に、二人三脚の様に、相手と呼吸を合わせて、同じ目的の為に前進する訓練が、一番大事である理が伝えられて来た。
私達の子供の頃は、受験勉強をする人は、島外から屋久島に来ている役所の息子くらいで、殆どの子供は、自然の中で遊んで居た。
其れが、良いか悪いかは別として、人間が幸福に暮らす為には、勉強ばかりするのは問題が有る事は、誰もが気付いている事である。
其れが、止められないのは、自分だけが勉強しないと、皆から遅れてしまうと言う恐怖が有るからである。
其れも、本人と言うより、母親の恐怖が、子供達を追い立てていると言った方が、当たっているだろう。
今回、日本から起きる世界維新は、是までの様に“血を流す”革命ではなく「マクロビォテック」を旗印とする“血を造る”革命である。
其の、マクロビォテックの創始者の「桜沢如一」は「此の母親のバカどもが 自分の大事な子供を 何故 奴隷にする為に 勉強ばかりさせるのか。」と、怒っている。
桜沢如一の訓えの真髄は、「無限の自由」「永遠の幸福」「絶対の正義」の三原則である。
その桜沢如一の三原則さえ理解出来れば、人間はアイデンティティを確立する事が出来て、孤高の人生を送れるのである。
現代社会の混迷は、其の三原則の確立が出来ていない人間が、社会の主流を占めているからに他ならない。
今朝のメッセージは、人間が神の子(分身)である事を明らかにする為に、私が屋久島から狩り出されている事を示して来ている。
私の役割は、コンサートマスターとして、第一バイオリンの音色を、本来の自然音(宇宙の玄の響き)に調律する事なのであろう。
其れが、「調読みの命・つきよみのみこと」と呼ばれる働きなのだ。
そうする事に措いて、人々が本来の処に帰れるのである。
其処にこそ、イエスキリストや、釈迦仏陀や、老子の御霊の思頼が有るのだ。
今日の、浮羽の天候は快晴である。
しかし、屋久島と違って、草花が少なく、デジカメを使用する機会が少ない。其れでも、彼方此方に、水仙の蕾が膨らみ始めている。
花盛りの田園風景の中で、子供達の笑い声を耳にしながら、草花にレンズを向けて居る、私の姿を想像しながら、此の作業を、もうしばらくは辛抱しながら、進めて行かなければ成らないのであろう。
今朝は、5月3日と5月8日の日付が出て来たので、其の日付で、何らかの動きが起きるのだろうか。
平成19年2月19日
礒邉自適
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