1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2007/4/30
思考の罠
19・4・30
今朝の映像は、何処かの、駅の待合室の様な所に、私の意識は在り、他には誰も居なかった。
ただ、テーブルの反対側に、白い大きな紙バックが有り、中に何かが詰まっているらしく、大きく膨らんでいた。
そして、「ボーナス」との言葉が届けられた。
其れは、私だけが一人、駅の待合室に座って居る事に成り、もう誰も残って居ない事を意味している。
そして、誰かが置いて行った、白い紙バックが残されているだけなのである。
其の、白い紙バックが、私へのボーナスだと言う事だろうか。
そうであれば、其の紙バックの中身の事を、考えなければ成らない。
今朝は、パソコンに向かうと「思考の罠」との言葉が来たので、紙バックの中身は、人間の思考か、生命に関する情報ではないのだろうか。
其れは、待合室には他には誰も居なかったので、私の、研ぎ澄まされた最後の思考が、旅の土産物として、其処に置かれていた事に、成るのではないだろうか。
其れは、私に起きた4311体の神霊の思頼(みたまのふゆ)が終わり、最後の答えだけが、其の白い紙バックの中に、入っているとの意味なのかも知れない。
何故、今朝のメッセージが、其の様なものに成ったのか、其の要因を考えて見ると、一昨日から、私の家に来ている三人の女性が、其れに関する情報を齎しているのかも知れない。
彼女等は、昨日、無事に縄文杉に会って来た。
其の、目的を果たした安堵感が、旅の終わりの感覚を、生み出しているのではないだろうか。
彼女達は、30歳代半ばだが、まだ皆独身で、好きな様に生きている仲良し三人組みである。
私とは、25歳くらい離れているので、思考感覚の時代差が有るようで、天真爛漫で、何も悩みが無い様に振舞って居る様に、私には見える。
人類の未来社会がどう成るか、地球環境がどう成るか等の心配は、一切無い様に見受けられるのである。
彼女達の、其の振る舞いを見ていると、私の心配事など、未来には関係が無い様に、思われて来てしまうから不思議である。
確かに、良く考えて見れば、私の悩みは4311体の神霊の思頼の所為で、其の神霊の頼み事が無ければ、私も、彼女等と同じ世界に居て、生を徒・ただ楽しんで居たかも知れないのである。
彼女等の振る舞いを見ていると、此の地球に遊びに来た、天使の様に想われてしまうのである。
其れは、子供を産んで育てていないからであろう。
女性は、子供を産んで育てる事で、母親の顔に成って行くのである。
其れは、子育てとは、自己犠牲を強いられ、自分の時間とエネルギーを、つぎ込む事であるので、自由に生きて居た時とは違い、母親としてのカルマが顔を変えて行くからである。
其れは、牛や馬の母親でも同じ事である。
其れが、雌としての、本来の姿なのである。だから、子育てを体験しない者は、歳を重ねても、娘のままだと言う事に成るのだ。
彼女等の振る舞いを見ていると、天女が、人間の姿をして遊んで居る様にも、想えて来る。
其れは、稲の害虫であるウンカが、環境が良くて平和な時は、自分が生を楽しみたい為に、卵を産まない事にも似ている。
ウンカは、自分の生活環境が悪化すると、慌てて卵を沢山産み、子孫を残そうとするのである。
そして、孵化した子供は、風に乗って飛び、他の土地に移動して行くのである。
現在の都会では、其のウンカと同じ現象が起きていて、若い女性が結婚をしないで、自分の生を楽しんでいるのである。
其れは、戦後、食料は少ないのに子供が沢山産まれ、ベビーブームが起きた時とは、反対の状況である。
人間も、昆虫と同じく、明日の生活が安定しない不安な状況に陥れば、危機を感じて、子孫を残したく成るのである。
植物でも、其れと同じ現象が見られるので、其れは、地球上の全生命のシステムであるとも、言えるのではないだろうか。
其れ等の理を考えれば、自然の営みの偉大さが見えて来る。
その大自然の理・ことわりこそ、釈迦が謂う「ダルマ・法」であり、老子の謂う「タオ・道」の意味ではないだろうか。
若い女性が、結婚もしないで、楽しく暮らしている現代社会の様子は、大自然のシステムが稼動しているとの事だろう。
其れを、私がどうにかしなければと考えるのは、余計な、取り越し苦労なのかも知れない。
私の24年間の旅は、4311人の思考のカルマを消去する為のもので、其の旅の終着駅で手に入れた物は、たった一つの手提げ袋に詰められた、大自然のシステムの真実だけだったのである。
今朝の状況から、私に考えられる事は、途轍もない大きな存在が在って、此の地球上の全生物を、管理運営していると言う事である。
私も、其の大きなシステムの一部として機能している、一個の部品にしか過ぎないのだ。
今朝、駅の待合室に置かれていた、紙袋の中身が何なのか。
そして、其の紙バックを持って旅に出るのか、自宅に帰るのか、其れは、今朝のところは未だ分からない。
分かっているのは、其れが、私へのボーナスで、是から其れを手にして、新たな旅に向かうのか、其れとも、家族の待つ家庭に帰るのか、はたまた其の紙袋の中身を記憶して、彼岸へ渡る事に成るのか、其れ等の、何れかであろうと意われる。
とにかく、私の思考も、ようやく何処かの駅に着いて、是から何処かに向かう乗り物に、乗る必要があるとの事だろう。
彼女達は、皆30歳代半ばだが、もう私の思考では、其の意識は全面的には理解出来ない。更に、其の下の20歳代とも成れば、他の惑星人ほどの、思考の差が有るだろう。
其の若者達に、紙袋の中身を理解して貰う手立ては、私には無い。
其の手段のヒントとして、今 我が家に三名の天使が、神の使いとして、宿泊しているのかも知れないのである。
今朝のメッセージは、未来を創造する若者達を、思考の罠に嵌めては成らないとの、事ではないだろうか。
私が、此の様な人間に育ったのは、父親が、私を社会の罠から護ってくれたからでもある。其の事を、皆に伝えるだけで、良いのかも知れない。
宇宙の「ビルシャナ・真実」は、何処にも隠れはしないのだ。
ただ、其処に何時も存在するのだから、手を伸ばすだけで、誰でも手に入れる事が出来るのである。
そして、手提げ袋程の大きさなので、何の道具も荷車も要らないで、手に入れる事が出来、持ち運びも楽なものなのである。
私は、其の物を23年前、一本の杖として授かったのである。
ようやく、其の杖の意味も理解出来て来た。
今日も、天気は穏やかで、行楽日寄りである。
三人娘達には、安房川のカヌー遊びにでも案内しようか・・・。
遊びの漢字は、元は「游」で、川の流れに任せて流れて遊ぶの意味で、漢字の「勝(両手で 船を上流に押し上げて行き 流れに勝つの意味)」とは、反対の言葉である。
私も、もう游んで、良い時節を迎えているのかも知れない。
平成19年4月30日
礒邉自適
2007/4/29
たましいの運動会
19・4・29
今朝のメッセージは、先ず、三本の竿に、色々の小旗が着いて、竿立ての筒に立てられている映像が映り出されて来た。
次に、運動場が現れ、一人一人が別々に走る為の、白いラインの代わりに縄が張られており、走者は他人のコースに入り込んではいけない様に成っていた。
其れは、個人メドレーの様な競争を、意味している様であった。
しかし、其れは、運動会の様に身体だけの競争ではなく、学力や魂しいの世界も含まれていて、総合的な能力を競うものの様である。
昨日から、「縞子さん」の友人が二名来島して、午後から屋久島を半周したり、夕食を一緒にして、同じ建物に眠ったので、彼女等の魂しいや、生命情報の事が関係有るのではないだろうか。
彼女達は、三名とも30代であるが、独身で好きな生き方をしている。
其れに、子供心を失っていないで、明るくて陽気な雰囲気を出してもいる。
私の長女よりは、少し年長だが、人生を楽しんでいる様で、未だ20代の様子なのである。
其の様な生き方が、魂しいの運動会に、相応しい生き方だとの事だろうか。本来なら、もう中学生の母親に成って居ても、おかしくない年齢なのである。
今朝のメッセージは、彼女らの生き方を、肯定するかの様な雰囲気である。
未だ、彼女らの仕事や、考え方などは聞いてはいないので、何とも言えないのだが、三名の生き方や考え方に、未来社会創造への鍵・キーが、隠されているのかも知れないのである。
此の大事な時期に、一週間も時間を掛けて、付き合うのだから、其の鍵を開ける事が出来れば、どんな未来世界が、創造されるのか判かるかも知れない。
彼女等は、今朝4時前に起きて、私の知り合いのガイドと「縄文杉」を見に出掛けて行った。
昨日来た二人は、屋久島は初めてで、三名とも縄文杉とは初対面である。
彼女等が、今回の旅で、何を感じるのかは分からないが、未来社会を創造して行くのは、彼女等の年齢層なのであるから、何かの切掛けを、掴んでくれたら良いと意う。
私が、彼女らに、何を与える事が出来るのかは定かではないが、是も、何かの縁なのだから、真剣にお世話をしたいと考えている。
其の触れ合いの中から、私の是からの動向も、見えて来るのではないだろうか。
今日は「昭和の日」で、昭和天皇誕生日であり、私の亡くなった妻「井上佳子」の9回忌の日でもある。
私は、高知に引き取られた四人の子供達とも、もう9年間会っていない事になる。
昭和天皇の願いでもある、良き御代を完成させなければ、私の役目も終わらないし、父親としての責任も果たせない事に成る。
まだまだ、新しい魂しいの運動会が始まるまでは、気は抜けない様である。
髪の毛が抜けない程度に、努力して行かなければ成らないのだろう。
平成19年4月29日
礒邉自適
2007/4/28
色のグラデーション
19・4・28
今朝の映像は、自分の頭髪が、一夜で抜け落ちて、頭のチョッペンに白髪だけが10本程残っているのが映し出されて来た。
其の原因は、私が一般社会に出て行って、他人の悩み事を解決してやるのに、心労が重なった所為であるらしい。
そして、次の映像は、縦方向に白色・水色・青色・紺色と、青系統のグラデーションが現れた。其のグラデーションが、何を意味するのかは解からない。
上が白で、下に行くほど色が濃いのは、天地の間の何かを意味しているのではないだろうか。
天は、白で、地上に降りる程、色が濃く成るのは、意識の業・カルマを意味しているのではないだろうか。
其の様に考えると、他人の揉め事に関わる事は、自分を逞しくし、智慧が付くが、余り其れに関わると、心労で、髪の毛が抜けるとの意味ではないだろうか。
天界に、霊魂として在る間は、身体が無いので、衣食住の心配もしないで良いし、眠る必要も無い。
しかし、肉体が無いので、五感に因る修行も出来ないのである。
だから、霊魂は、地上の人間の肉体を借りて、自分のやりたい事を行なうのである。
しかし、其れが、地上の人間の肉体の許容範囲を超えると、肉体がバランスを失い、身体システムの調子が狂い、病気と成るのである。
日本語の「体・カラダ」の意味は、「空だ・からだ」の意味で、此の肉体は「空蝉・うつせみ」であるとの概念であり、霊魂が宿っている事を「人・ヒト」と言い、「ひと」は霊が止まるの意味で、「ひと・霊止・霊留」である。
其の言葉からしても、霊魂は、天界から地上に降りて来て、人体に宿っている理・ことになる。
「霊留・ひと」とは、出雲地方の方言だが、他にも出雲弁では「ありがとう」と「ごめんなさい」の言葉は無く、其れに対応する言葉は「だんだん」である。
何故、「ありがとう」の言葉が「だんだん」なのかと言うと、人間は、神のレベルに達するには、16段の階段を昇って行かなければ成らないからである。
だから、苦しみも悲しみも、全て神の意識に達する為の、肥やしだと考えていたからなのであろう。
神社に在る拝殿から、神の住む社まで、16段の階段が設置されているのは、神が降りて来る階段の意味ではなく、自分が、神に成る為の目的の方が、強い意味が有るのではないだろうか。
神霊には、肉体が無いので、降りて来る為の階段は必要ないのである。
階段や、梯子を必要とするのは、此の地上に在って肉体を持っている、人間の方なのである。
今朝は、昨日のメッセージに続き、天の父と、地上の母の関係性を、知らせて来ているのかも知れない。
天地が相俟って、地上の人間の「肉体」と「魂しい」を育てているとの、事ではないのだろうか。
私し自身は、人間の悩みや、揉め事に関わる事なく、天地間のベクトルを測って行けとの事ではないだろうか。
其れが、「スメミマ・ラーの神官」の役割なのかも知れない。
今日は、午後の船便で「縞子さん」の友人二名が来島し、3日まで共同生活をする。
此の時期に訪ねて来る人達だから、何等かの役割を担っているのだろう。
私はただ、其の人達との交わりで現れるイメージを、解析して行けば良いのだ。ただそうする事だけで、神のプログラムが進行するのだろう。
私は、ただ老子の謂う「無にして 為さざるはなし」を、実行して行くだけで良いのだろう。
平成19年4月28日
礒邉自適
2007/4/27
経済
19・4・27
今朝のメッセージは、ハツキリした物は覚えてはいないが、「経済」の仕組みを考えなければ成らない様な雰囲気であり、言葉は忘れたが、号令の声が掛かったのは覚えている。
経済とは「経世済民・けいせいさいみん」の略で、意味は世の中を治め、人民の苦しみを救うこと。経国済民。と 広辞苑には載っている。
経済の「経」の漢字の意味は、機織・はたおりの縦糸を通すの意味で、「済」は等しく揃って渡す・救済するの意味である。
だから「経世済民・経国済民」とは、国の方針を立て、国民を等しく救済して、安堵させるの意味と成る。
何故、此の私に、精神的な事ではなく、人民救済、国の建て直しをする為の、号令を掛けさせようとしてくるのだろうか。
と言う事は、精神的な事柄が、国の行く末の方針を決めるのに大事で、其の精神的な縦糸に合わせて、経済のシステムを構築せよとの事だろうか。
古代中国の国造りの考えは、四方神の働きに合わせて、都を築くことである。
四方神とは、北方の護り神が「玄武・げんぶ」で、東方は「青龍・せいりゅう」、南方は「朱雀・すざく」、西方は「白虎・びゃっこ」である。
其の中で、経済に関係が有るのは、西方を守護する「白虎」である。
白虎は、道路(交通)の神で、商売の神とされている。
其れは、経済事が皆、物の流通に関しているからだろう。
つまり、経済イコール物の流通となり、運輸が一番重要である事になってくる。
しかし、其の事だけを考えるなら、今ほど、物や人間が、大量に移動流通している時代は無い。
だから、物の流通だけを考えるなら、別に問題は無いと言う事に成る。
しかし、現在の世界経済は、石油の存在に依存している経済なので、石油が無く成ったら、滅びる事は間違いないのである。
特に、東京などの大都会は、石油が止まれば瞬時にして、食料は無くなり、電気も、水道も、交通も、全て停止するので、ゴーストタウンに成る事は間違いない。
だから、今朝のメッセージは、早急に、現在の経済システムと異なる、縦糸を通す事を、指示して来ているのではないだろうか。
其れには、やはり人間の物質中心の考えから、精神中心の考えへと、価値観の転換を図る必要があるだろう。
その様に考えれば、私に号令の指示が届けられるのも、納得出来ることである。
中国の四方神とは、西方が白虎で「道路(交通)の神」で、北の玄武は「水の神(宇宙)」で、東の青龍は「智慧」を意味し、南の朱雀は「太陽神」を意味している。
其の考えからすると、南の太陽は天の働きだから、人間がどうこう考える事ではない。
北の玄武も宇宙の働きを意味しているので、人間がどうこう出来るものではないので、祈りの対象でしかない事になる。
残りは青龍の智慧だが、其れは白虎の働きである交通と同じで、人間の努力で何とか出来る事である。
道路と交通・運輸は、もう是以上、発展させる必要はないだろうから、残りの青龍の智慧をどうするかである。
其れこそが、人間の意識の進む方向を生み出す「力・働き」と言えるのではないだろうか。
今日は、此の文章を打って居たら眠たく成ったので、眼を閉じていると、70歳くらいの男性の巨人が現われて、其の巨人の左手を誘って、地上に降ろしてやる、普通の人間の女性の姿が映って見えた。
其れが、何を意味するのか解からないが、大きな巨人は「天の父・ゴッド」を意味し、地上の女性は「ガイヤ」か「サラスヴァテイ」なのではないだろうか。
そうであれば、天の父を、地上の女神が招き入れて、手を結んだとの意味ではないだろうか。
私は、シャブドーのCDジャケットの月のリズム「テンポ116」の音楽を聞いてから眠く成り、頭が動かなく成って来ている。
そして、縞子さんが昨夕着いて、早速平内の海中温泉に行き、半月のおぼろ月を眺めながらリラックスして、一時間程温泉に浸かって居ると、半月の回りに大きな虹の輪が掛かった。
風も無く、海も穏やかで、其の静けさに癒されてから、自宅に帰って来て、夕食を作り「縞子さん」と食べながら話して、11時には部屋に入って先に寝た。
今朝の私の思考には、縞子さんの情報が、影響を与えているのかも知れない。今夜は、またシャブドーが自宅に来て合流するので、新たな思考が生まれるかも知れない。
こうして、私は新たな思考の海に、旅立って行くのだろう。
平成19年4月27日
礒邉自適
2007/4/26
一番大事なこと
19・4・26
今朝は、胃の痛みも無く、安らかに朝を向かえ、風呂に湯を溜めて、ゆっくりと入浴し、意識の動きを確かめた。
風呂から上り、外に出ると、天気は快晴で、風も無く穏やかなので、沸かした豆乳を注いだカップを手にし、屋上に上って、360度の景色を眺めた。
そして、私が感じた事は「何故、いま 此処に居るのか。」との、人生の不思議である。
何が、どう成っているのは明確ではないが、確かに、私の人生をコントロールしている、何者かが存在すると言うことである。
そうでなければ、屋久島に生まれ育った人間が、是だけの、知識や人脈を得る事は不可能である。
其れが、何物であるのかを知る為の鍵・キーは、遺伝子の存在に在る様に考えられる。
其の事は、昆虫の様子を観察していれば、良く解かる。
昆虫は、卵で産み落とされ、親も無く、学校も無いのに、自分の能力だけで餌を探して成長し、相手を見つけて交尾をし、また子孫を残して行く。
其れは、脳で考えているのではなく、遺伝子が、全ての情報をコントロールしているからである。
今朝のメッセージは、其の理・ことを裏付ける様なものであった。
始めの映像は、高菜漬の様な葉物と、イカの煮付けの様な物を、居酒屋で出る小鉢の摘み物の様に、小さく切っている場面で、次に、大事な情報だけをファイルに納めて、棚に収容する場面の映像であった。
其の映像の意味する所は、出来るだけ、胃の負担に成らない様に、食事をしろとの事ではないだろうか。
人間の歯は、前歯や、犬歯や、奥歯が、其々の役割を果たす様に成っており、胃袋に送るまでには、其れなりの加工をして措かなければ成らない。
其れは、胃が届けられた食べ物を、溶かし易い状態にして措く、必要が有るからである。
其れが、良く噛まないで、唾液も含まれていないまま、ジュースやビールや酒などの液体と一緒に、硬いままで流し込まれて来れば、胃袋は大変な難儀をするのである。
特に、日本型の食事は、穀物や繊維が多い食材なので、能く噛んでから飲み込まないと、消化に難儀するのである。
だから、日本の食事のマナーは、食事の時には、話しをしてはいけない事に成っている。
其の点、肉食の国は、肉は胃酸で溶け易いし、パンも粉で出来ているので、噛まないでも良いから、胃酸が沢山出る様に、楽しい会話をする様なマナーと成っているのである。
其の様な、人間にとって一番大事な理論が纏められて、ファイルに納められるのが、後の映像なのであろう。
其れは、脳の働きである、言語と、文字や絵画の世界である。
言葉の世界が在るのは、人間社会だけである。
他の動物は、言葉や文字で情報が伝えられるのではなく、胃袋の存在が、生活の根本原因と成っているのである。
だから、動物の一員である我々人間も、身体の維持には、胃袋の指示に従わなければ成らないのである。
其の理は、食欲が、人間の欲望の第一位である事からも、疑いの無い事実である。
今朝の映像は、人間の身体の仕組みで一番古い基本的な「胃」の細胞と、最先端の新しい細胞である「大脳」の働きが、示されて来た現象の様である。
今朝は、最後に70歳くらいの哲学者の顔が、ひび割れが有るパズル形式の様に、組み合わされて出て来た。
其れは、人間の意識は、一人の認識で出来上る物ではなく、全体の意識が組み合わさって出来ている理・ことを、示して来ているのではないだろうか。
確かに、私の現在の顔は、私個人の顔である。
しかし、此の顔付きに成るまでには、実に多くの体験をして、認識を深めて来たからである。
其の過程を考えると、宇宙のプログラムだけではなく、多くのエネルギーと、物と、人間が、関わって来ている理・ことがハッキリしている。
だから、現在の私の意識は、私一人の物ではないのであって、全体意識の現われである事に成る。
その様に考えれば、私の現在の意識を公の物として、ファイル化して行かなければ成らない事に成る。
其れは、今までの様に、メッセージを解読するだけではなく、理解出来ている事を、理論的・化学的に纏めて行く作業が、必要であると言う事に成って来る。
今朝も、「多田泰之氏」と瞑想や音楽に付いて話した。
其れは、昨日迄の、過去の世界を話すのではなく、未来を如何するかを「今・いま」イメージすると言う事である。
神は、未来を創造する者にしか、エネルギーを与えないし、守護に付く事もないのである。
もう、必要な物の準備は整ったので、是だけ多くの人口は、必要ないのだろう。
私は、23年前「エゴに陥った人間は 必要ないので、処理する。」との神の指示を、何とか此処まで、止めて来た。
其れは、神の僕・しもべと成って、神の計画を、此の世界に現象化させる作業である。
どうやら、其の努力が、ようやく実り、新しき世界・御代が、実現する時節を向かえたのであろう。
今日は、いよいよ「S子さん」が、夕方の高速船で、屋久島で生活する準備の為に遣って来る。
S子さんは、瞬間的に、男性の哲学者の表情をする事が有る。其れは、彼女の意識の中に、哲学者の意識が潜んでいるからなのであろう。
其の、S子さんの中に潜んでいる哲学者の魂しいが、何を表現したいのか、其れをエデケーションして行くのが、今の私の役割の一つではないだろか。
取り敢えず、今日は、メッセージに映し出されて来た「高菜漬け」と「イカの煮付け」を小さく切って、神棚と、S子さんの前に出して見よう。
何が起きるのかは分からないが、何かの紐解きには、成るのではないだろうか。
イカは、海の生物で、古い時代の生き物であり、高菜は、陸上の植物で海草にも似ている。
其れ等の、細胞の遺伝子に、何かのヒントが隠されているのではないだろうか。
平成19年4月26日
礒邉自適
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