1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2007/5/31
新しい記憶
19・5・31
今朝は、今までには無かった「記憶回路」の事に付いて、メッセージが有った。
其れは、霊界に存在する文章か、私が無意識で書かされた文章を、其のまま現実界にコピーしようとすると、消去されてしまい、其の文章は、画面から消えてしまうものである。
其の意味を、良く考えて見ると、人間の記憶には、自分自身が認識出来ている情報の他に、別の情報が在るのだが、普通の人には、其の情報は現実して認識出来てないと言うか、記憶の表には現われて来ないと言う理・ことである。
其れは、普通に暮らして居る人達の意識には、自分の個体に関係有る情報しか入力されていない事に成る。
だから人間は、物を考えるのにも自己中心的で、自分に都合が良い事は「善」で、自分に都合が悪い事は「悪」であると言う、単純な考えしか、脳裏に浮かばないのである。
其の例として、解かり易い件を一件上げれば、国は既に800兆円も借金を抱えているのに、未だ国民は、自分達の都合の為に、予算を付けろと言い合って居る。
其れは、国の借金が、永遠に減るどころか、増えるばかりである事を示している。だから、今のまま進めば、何れ日本経済は一度崩壊するしか無いのである。
其の事からも判る様に、現代社会が何時までも、此のまま続くと想って居る人達は、余りにも、軽率であると言わなければ成らないだろう。
現代社会は、余りにもグローバル化している為に、日本の食糧は70%が輸入で賄われている。だから、イザ経済が崩壊すれば、食料を輸入出来ないので、半数は国外脱出するか、死ぬしか他に道は無い事に成る。
そして、経済が崩壊すれば、ITに拠る情報社会も維持出来ないので、社会の機能も止まってしまうであろう。
そう成った場合、頼れるのは、自分自身の肉体と、其の、無統制に陥った社会に対応出来る、情報収集力と管理能力だけである。
特に、農村に暮らす人達より、都会に暮らす人々が、其の能力を必要とするのは、誰でも理解出来る事である。
今朝のメッセージは、目に見える世界だけの情報でも、其の様に、変化に対応出来るものでなければ成らないが、目に見えない「こころ」の世界は、もっと危うい事を伝えて来ている。
其れは、人間の存在は、物質の安定だけではなく、精神的な安定がなければ、安定しない理・ことを、知らせて来ているのである。
今朝のメッセージは、物質の世界は、物質さえ補われれば、直ぐに解決できる事であるが、精神的な世界は、真柱を失えば、容易に解決出来ない理・ことを知らせて来ている。
現代社会の、精神的な支えである宗教は、全て、経済の安定の上に成り立ち、維持されている物だから、経済が崩壊した時には、何の役にも立たなく成るので、特定の宗教団体に頼っている人々は、パニックに陥る事は明らかである。
だから、今朝のメッセージは、現実世界に役に立たない訓えを、早く取り去れとの事ではないだろうか。
精神的な強さとは、自分一人に成った時に、役に立つものでなければ成らないのである。
其れが、特定の宗教に依存しては、経済が崩壊し、情報網が消え、組織の運営活動が止まった時に、行き成り自己管理と自己判断を迫られるので、路頭に迷ってしまう事に成るのである。
特に、今朝のメッセージは、精神的な世界は、自分で組み立てていても、現実的社会が崩壊した時に、其の侭、応用出来ない理・ことを示して来ている。
其れは、他人に対する慈悲が大事と考えていても、イザ自分の子供が餓死しようとして居る場合には、他人と争っても、食料を確保しなければ成らなくなること等である。
其の時には、どんな宗教の訓えも、邪魔には成っても、役には立たないのである。其れだけ、精神世界は危うく頼り無いものなのだ。
だから今朝のメッセージは、未来に対して、新しい情報を、意識に組み込めとの事ではないだろうか。
人間の脳の記憶は、全て、過去の情報に因って出来ているものである。
だから、過去の情報が、未来社会に必要な情報でなければ役に立たないし、場合に拠っては邪魔に成り、自分の命を、危機に晒す事にも成りかねないのである。
今朝のメッセージは、私に、過去の情報に頼らずに、新しい情報を組み立てて、記憶としろとの事ではないだろうか。
其れに、霊界の情報・記憶も過去のものだから、次元の壁が訪れれば、消去されて、未来社会には記憶されないとの事なのかも知れない。
聖書には、エホバの言葉として「わたしは今 新しい世界を創造している。だから もう 過去の記憶は 思い出される事も 意識に上る事も無い。」載っている。
だからこそ、現代の人間にも、過去の世界での記憶が、残っていないのだろう。そう考えると、今の世界に生きて居る私達の記憶も、未来世界には残っていない事に成る。
私達は、人類として、未来世界に存在する為には、未来世界に通用する情報をキャッチし、其れを記憶の断片として、未来世界への手がかりとしなければ成らないのだ。其れが、聖書に登場する聖者の「予言」と「異言」なのである。
聖書とは、古代の出来事を学ぶ為に、存在する物ではなく、未来社会に存続出来る為の手掛かりとして、人類に与えられたものなのである。
釈迦の法華経の訓えも、其れと同じ意味を、含んでいるのである。だからこそ、「弥勒菩薩」の登場が予言されているのだ。
もう何処かで、「弥勒菩薩・マイトレイヤー」の異言が、為されているのかも知れない。其の異言こそ、未来世界に存続出来る為の手掛かりなのであろう。
しかし、其の異言は、過去の情報・訓えに執着して居ては、解読出来ないのであろう。私達は、未来世界を創造する為に、新しき理解を示し、記憶の土台を構築しなければ成らない時節に到っているのである。
平成19年5月31日
礒邉自適
2007/5/30
大門の中の星
19・5・30
今朝は、幾つもの映像が現われた。
最初の映像は、大きな寺院の入り口に在る、立派な門の様な形が現れ、其の入り口の中央に、筆書きの「星」の文字が有った。
漢語林で、「星」の文字を調べると「晶+生(清)」の組み合わせで「澄んだ光の星」の意味である。
其の意味と、門を組み合わせて考えると、「天門」の意味に成り、澄み切った天空への門が、準備された事を告げて来ている事になる。
二番目の映像は、「隹」の文字の上に、「比」等の冠が着いた文字が、幾つか出て来た。
「隹・ふるとり」使った漢字は、「隼・雇・雀」等が有るが、今朝現れた文字は、其れ等とは違っていた。
「隹」は「舊」の略字で、元は「舊・ふるい」で、鳥とは違う意味で、尾の短い飛べない鳥である、「鶉・ウズラ」や奄美大島に住む「ヤンバルクイナー」等の意味である。
「隹」の上に、異なる形が有る意味は、鳥の鶏冠・とさかの意味か、鳥の働きの意味を示して来ており、「冠」は種族別を意味し、其々の種族・部族の特徴か、遺伝情報の意味を示して来ているのではないだろうか。
先日、「奪」の文字が現れて、意味を調べると「死んだ時に 懐から 隹が失われる。」との意味であった。
其れは、人間には、其々の鳥の意志・魂が住み着いていて、死んだ時に、其れが「懐から去る」との意味であるようだ。
其れを参考にすると、人間には、其々の種族には其々違った鳥の意識が住んでいて、種族毎に、違った働きが組み込まれているとの事ではないだろうか。
私が23年前、最初に見せられた映像で、四名の神霊が、此の世に残すべき人間の数に付いて、話し合っている場面が映されて来た。
其の場面は、小さな建物の土間に置かれている切り株の椅子に、インデアンと、金髪と、黒人の「代表・先祖霊・始祖」が座って居り、座敷の上には東洋系(中国)の霊人が座って、座長の役割を果たし、残すべき系統・血統の数を、話し合って決めていたのである。
今朝のメッセージは、其の事が、是から、現実世界に現れて来るとの事かも知れない。
今朝は、其の後に、海岸の岩場に、波が打ち寄せたり引いたりする映像と、岩に生えている海草の様子が映り出されて来た。
次に、光る人間の手の指が映されて来て、其の手の指は、何故か五本ではなく七本なのである。
何故、手の指が五本ではなく、七本なのかを考えて見ると、神の手は光のエネルギーなので、五ではなく七光であるとの事ではないだろうか。
其の七つの光線が、地球生命の始祖である生物を、海の中に誕生させたとの事を、示して来ているのかも知れない。
そして次に、弘法大師空海らしき男性が現われて、是から使用される、エネルギーの流し方を決めると伝えて来た。
そして、其の男性は、団体の行進の列の中に入って行った。其の団体の行った先には、寺院が在り、其の寺院では大祭が行なわれていた。
次の映像は、私が運転している車に、男性数名と「悦子さん」が乗って居て、悦子さんが見付けた男性を、向かえに行く所であった。
処が、私が、其処の地理に詳しくないので、道に迷ってしまう処で、今朝の映像は終わった。
今朝のメッセージは、天・宇宙の働きであるエネルギーの流れが、始まる事を伝えて来ており、其のエネルギーは、満ちたり引いたりしながら、生命を育てており、其の成果として、人間にも七つの性質が存在し、其のバランスを調和させながら、今後の人類社会を、構成して行くとの事ではないだろうか。
其の働きに、弘法大師空海が関係しているとの事ではないだろうか。
何故、弘法大師空海が、指導的立場で現れて来たのかを考えると、空海ほど、此の現実世界に力を発揮した御仁は居ないからではないだろうか。
釈迦仏陀は、王様の家に生まれ育ったので、世間の事柄には疎く、イエスキリストは、権力や社会に対してデモンストレーションを起こしただけで、現実的な事柄に対しては、何も功績を残してはいない。
寧ろ二人は、此の人間社会の現実から、離れる事だけを説いているのである。
其の点に於いて、空海は宗教世界以外にも、建築土木や医療に功績を残し、書に於いても「弘法大師も筆の誤り」と云われる程の書の達人でもあるので、世界一の才能の持ち主であったと云えるだろう。
其の空海が、団体行列の中に入って行き、大事な儀式に影響を与える様に成るとの事は、是からの動きに、空海のエネルギーが作用して来るとの事ではないだろうか。
そして、現実世界には「悦子さん」が力を発揮するとの事ではないだろうか。
私は、今朝の映像では、道に迷い運転に失敗してしまった。
其れは、是までの私の動きには「猿田彦神」が着いて居て道案内を勤めたが、是から始まる現実世界には、猿田彦も力を発揮出来ないとの事ではないだろうか。
其れは、是からの動き・流れには、猿田彦より弘法大師空海の方が、力を発揮出来るとの事なのかも知れない。
猿田彦は、「天照大神」の道案内しか出来ていないが、空海は密教の世界で大悟しており、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の働きを「供奉・ぐぶ」しているので、大日如来を操る術を習得しているのである。
だから、空海の指は、既に七本有るのだろう。
大日如来の坐像は、全ての指の働きを止めているが、其れが立ち上がって動き出せば、千手観音として力を発揮するのである。
愈々、大日如来の働きが、此の地上世界に現れるとの事なのかも知れない。
今日は、是から、屋久町立神山小学校の五年生の野外教室の先生として、現場に行かなければ成らない。
其の子供達の手が、其々の役割を果たせる様に成る為に、幾らかの助言や手伝いが出来れば、私は、私なりの社会貢献をしている事に成るのである。
人間は、ただ、此の地球の生き物として存在して居るのではなく、全宇宙のプログラムの発動体として、此の世に生を受け、働き手として現象化しているのである。
だから、此の、生命豊かな母船である地球に生じている者は、皆何等かの役割を果たしているのだ。
其の理を理解する為には、清なる門を潜り、星に通じる意識・こころを持たなければ成らないのである。
其の、人類の先輩として、金星と意識が通じた「弘法大師空海」の存在があるのである。
平成19年5月30日
礒邉自適
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