1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2007/6/3
階段思考より蓮花
19・6・3
昨夜は、初めての人間三名と、犬一匹とが自宅に宿泊したので、其の影響か、殆どグッスリ眠った気がしない。
其の間、視ていたモノ・映像は、処理されて行くサイトのページである。
其れは、テスト用紙の問題集の様なもので、現れた画面の文章の項目に、必要な事柄を記入して、入力のクリックを行なうと、其の画面は消えるのだが、直ぐに、次の画面が立ち上がって来るのである。
其れが、何回繰り返されたのかは判らないが、最後に007成らず、005の数字が現れて、其の数字が、ロケット発射の秒読みの様に「4・3・2・1・」と変って行き、最後に000と成った。
そして、朱色の朱雀(鳳凰?)の刺繍みたいな物が、玄(赤黒い色)の世界に光っていた。
朝起きて、今朝のメッセージの意味を考えると、書き込みをした幾つもの場面は、神社の17段の階段の意味か、十六島・ウップルイの16の空間(16の事柄)を、意味していたのではないだろうか。
古代から、人間の意識には「階梯(性格)」が存在し、「シマ(性質)」が在る理・ことが、認識されていたのであろう。
今朝の映像からすると、神(上)に近付く為には、階段を上ると言う概念から、自分の内側に向けて、殻を脱いで行くとの概念の方が、正しい理を、告げて来ている様に想われる。
其れは、釈迦の謂う「久遠元初に到る為には 自分の内側に向かうしかない。」との概念が、正しい事を、示して来ているのではないだろうか。
其の、釈迦の教えを形にしたのが、蓮華台に立つ如来像である。
漢字の、「自分」の字義も「自らを 刀で両方に切り分けて 内側を覗き 自分の存在理由を 確かめる。」の意味である。
だから、今朝のメッセージは、自分が神意識に近付く為には、外向きで三次元の物質である階段を登るのではなく、内向きに、自分の生命の源に辿り付けとの事であろう。
そして、其の中心には「隹・ふるとり」の意識が存在すると言うか、繋がっているとの事ではないだろうか。
今朝は、数字的にカウント・ダウンが始まり「000」に成ったので、新しきシステムか、プログラムが、開始されるとの事ではないだろうか。
今日の日付は、先日から、告げられて来ていた6月3日である。
私は明日から、神の世界に入って24年目が、始まる事に成るのだ。
24の数字は「12+12=24」で、二回目の「干支・えと」が始まる事を意味している。
今朝のメッセージは、私し個人の事だけなのか、人類全体に対するものなのかは、定かではないが、何かが始まる事には違いないのであろう。
具体的には書けないが、昨日から屋久島に来ている人達は、新しい経済に関わっている人で、現代社会の最先端企業の人脈に繋がっている。
今朝のメッセージは、其の人脈に、新しい未来構築が繋がっているとの事ではないだろうか。
取り敢えずは、是くらいで止めて於こう・・・・。
平成19年6月3日
礒邉自適
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