1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2007/10/3
自分の手で
19・10・3
今朝のメッセージの映像は、先ず、光りが射して明るい空間の中に、横に長い、引き出しの様な枠の付いた台が、引き出された様に成っていて、其の一番右の端には鍵が入っており、あとの左側の方には、金貨の様な物が沢山入っているのが映されてきた。
其れは、私に、新しき経済の世界が齎されるとの事なのかも知れない。
其の為に、新しき世界を開く鍵と、金貨(財・予算)が、用意されているとの事ではないだろうか。
次の映像は、赤い実の着いた万両の木が、道路の左側の土手に、等間隔で生えているのが映し出されて来た。
其の意味は、赤い実が成るのには、ある間隔が必要であり、其れに接触するのには、道を、自分の足で進んで行かなければならない理・ことを、意味しているのではないだろうか。
其の意味を伝えるのに、万両の木が使われたのではないだろうか。
そして場面が変わり、洗い桶みたいな器な中に、人間の両手が入れられて、何かの作業をしているのが見え、人間は、御魂の進化の為には、何事も、自分の手で行なわなければ、身に付かない理・ことが示されてきた。
其れは、他人が体験した事を、ただ見聞きするだけでは、自分の魂しいの進化には繋がらない理・ことを、意味しているのではないだろうか。
其の点に於いては、私は、机で他人が考えた事を読んだり、他人の体験した事を覗いたりするのではなく、自分自身で、様々な体験を積んで来ていると言えるだろう。
次の映像は、素焼きの深皿が次々に現れて、左の方へ移動して行くのが映されて来た。
其れは、マントラのトラ(容器・サラ)の意味を表しており、言葉が、ようやく私の意識の中で消化され、跡形が無くなった事を、意味しているのではないだろか。
今朝のメッセージの内容は、何かの変化が、私に起こりそうな気配が感じられるものである。
今日は、静岡の石垣雅設氏と夕方東京で待ち合わせて、静岡県の袋井市に行く事になっている。
隣の掛川市には、手力男の子供が祭られている神社が在るとの事なので、其処に参詣すれば、其の答えが見付かるのかも知れない。
平成19年10月3日
礒邉自適
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