1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2007/12/31
今年も最後の日と成りました
今年も最後の日と成りました。
私は毎日 夜遅くまで 前の文章を整理しています。
来年は忙しく成りそうなので 早くHPを完成したいのですが なかなか はかどりません。
しかし PCに触って3年に満たないのに 此処まで来た私を 自分で許したい気分です。
今年はITの御陰で 多くの素晴らしい人達と 繋がりが出来ました。
其れも 神の存在を信じる 手掛かりと成るものだと感じています。
読者の皆様 今年も 私の訳の解からない文章を 辛抱強く読んで頂いて 心から感謝申し上げます。
良いお年をお迎え下さい。
屋久島の地より 皆様の御幸せを 心から祈念しております。
自適拝
2007/12/31
状況
19・12・31
今日は、いよいよ今年最後の日と成った。
しかし、私にとっては、いつもの日と何も変わらない一日である。
門松を立てたり、注連縄を張ったり、鏡餅を飾ったりする事もしないし、自分の家が無いので、大掃除をする必要も無いのである。
だから、今日も、明日も、何等変わらない日々が、過ぎて行くだけである。
是が、老子の謂う「自然無為」の世界であろう。
だからこうして、毎日変化している、森羅万象が映り込んで来るのであろう。
其れは、私の身体が、宇宙の玄の響きと、正しく共鳴している事に成るのだ。此の状態が「覚者・ブッダ」であり「すめみま」の本来の姿なのである。
今朝のメッセージは、先ず「じょうきょう」との言葉があり、映像は、私が「れんが屋」と言う名のレストランにカメラを持って行き、其処の経営者である日高夫妻の写真を、撮る場面から始まった。
其の夫妻は、白い服を着ていて、私は其の奥さんを、灯りが点いている蝋燭の前に座らせてカメラを向けた。
そして、レンズを通して視ると、其の奥さんの顔は、蝋燭の火の向こうに在って、ボケてぼんやりといる。レンズに焦点が合っているのは、蝋燭の芯の部分で、其処には熱で溶けた蝋が、水滴の様に、今にも零れ落ちそうに成っている処だった。
其の意味は、私にも良く解からないが、私成りに解釈すると、「じょうきょう」とは「上京」ではなく「状況」であり、現在の天界の様子を、知らせて来たモノ・現象であると思われる。
れんが屋の名は「煉瓦を積む」との言葉があるので、「積み上げる」事を意味しているのではないだろうか。
そして、夫妻の名が日高であるのは、日本国の名前が「日の本のくに」であり、其の名の由来は「日高見の国」から来ている事を意味しているのだろう。
そして、ご主人の方を写すのではなく、奥さんの方を写していたので、男性神の「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」ではなく、女性神の「伊邪那美命・いざなみのみこと」の世界である事を、示唆しているのであろう。
其れに、夫婦が普段着ではなく、白いコックの服装をしていたのは、清潔の意味の白で、穢れが祓われている理・ことを、意味しているのではないだろうか。
其の様に考えると、日本の本来の「日高見の国」の働きが、穢れなく積み上げられて、女神の働きが灯火と成って、新しい年を迎えるとの、意味なのかも知れない。
そして、此の映像が映されている間の、店内のBGMの音楽は、いま流行りの「千の風に乗って」であった。
其れは、日本から始まる催しが、「霊魂不滅」や「輪廻転生」の概念に基づいているとの事ではないだろうか。
日本の伝統は「天津日嗣・あまつひつぎ」であり、輪廻転生説に基づいて行われている。其れが、新嘗祭や大嘗祭の儀式である。
天皇の代替わりの大嘗祭は、仏教の儀式で行なわれる「灌頂・かんじょう」の儀式と元は同じで、シュメール文化の儀式が伝わって来たものである。
「スメラ・天皇」とは、其の「シュメール」が変化したもので、「スメラ・シュメール」とは「葦の生える地を治める者・総べる(スメル)」の意味で、水辺に暮らす稲作の民の文化であり、弥生文化である。
だから天孫降臨は、稲穂を齎した事に成っているのである。
そして、稲作には太陽が必要であるので、豊穣の女神として「天照神」が祀られる様に成ったのである。
今朝は夜が明けてから、次の映像が映り出されて来た。
其れは、IT用のパソコンのトップ画面で、緑色の画面の中に、箒星の様な白い流れが、右下から左上の方に向かって、カーブで描かれていた。
其の、箒星の尾の部分の中には、様々な文字が、星屑の様に散りばめられていた。そして、左上の本の星は二個在り、一個は青色で、一個は紅色で、其の形は四角で、印鑑の様に、バーコードの模様が刻まれていた。
其の二個の星は、「相対世界」と「絶対世界」の、情報の生みの親を意味しているのであろう。其の二つの世界は、既に、私が「四次元プログラム(絶対界)」と「水素原子管理(相対界)」として、HPをアップしてある。
「みいつ」 http://www17.ocn.ne.jp/~yjj/
そして、其の緑色の画面が拡大されて来て、其の緑色の画面は、様々な木の葉で構成されているのが、映し出されて来た。
其の意味は、植物の葉の形は総べて異なっていて、其れが植物の個性であり、又、遺伝子情報の分裂の有様を、物語っている理・ことが理解された。
其れは、植物だけの世界ではなく、昆虫や動物の世界も同じであり、小鳥の鳴き声も、空間を音で占める為に、其々が自分の鳴き声を、意識的に選んでいる理・ことも示されて来た。
そして、其れ等の情報を選べるシステムは、地球が生み出している「地磁気・マイナス電気」である、「アース・earth」に在る理・ことが示されて来た。
どうやら、我々生物が、此の地球に姿を留めて居られるのは、遺伝子の糸にアース電気が作用して、存在を支えているらしい。
遺伝子・DNAの糸は、四つの塩基の組み合わせで出来上がっている物だが、其のアースの振動波が流れなければ、情報処理反応が停止し、いのちの脈動が止まるらしい。
そして、其処に、松果体や、触覚髭などの成分である「珪素・シリコン・ぬか」の振動波が、作用しているらしい。
私には、能く解からないが、覚者が瞑想するのは、此の相対世界の「物質・色」から目線を外し、其のアースに、脳波や、指先からの電気信号を繋いで、宇宙の森羅万象の響きに、チャンネルしているらしいのである。
其れが、本来の「トランス体」である「スメラの命」の役割で、其の働きを「御陵威・みいつ」と呼んでいたのである。
そして、其の御稜威された情報は、「磐座・いわくら」や「神籬・ひもろぎ」にダビングされて残るので、釈迦牟尼佛は「私の死後500年は 其の振動波・情報が残る。」と、謂ったのである。
釈迦が、彌勒菩薩の下生を預言したのは、其の現象が、2600年の周期で廻って来るので、次の「チャクラヴァルティン・転輪聖王」の役割を「彌勒・マイトレイヤー」がすると想ったのであろう。
其れが、釈迦自身の考えであれば、其れが、そう成る様に「念じる・思索」をしている筈である。
其の事が、現在進んでいて、其の状況を、今朝は伝えて来たのかも知れない。
今朝は、箒星の緑の画面が現れる前に、薄暗い空が映り出されて来て、右上に雲の塊が在り、其の雲を見ると、男性の首から上の姿に、其の雲が成っていて、私の方を見下ろしながら、右手で敬礼の挨拶をした。
其れは、雲が、水の記憶を持って存在しており、其の水の分子構造が、今朝のアースに関係しており、箒星・彗星の尾の氷分子と、関係がある事を、画像を使って示して来たのではないだろうか。
其れは、水分子の世界が、我々人間が予測出来る以上に、情報に絡んでいるとの事であろう。
其れは、水の神である「弁財天・サラスヴァティー」が、此の地球の湖水だけをベッドにしているのではなく、彗星の存在とも、親戚関係である事を示唆しているのではないだろうか。
屋久島の山奥には、美しい山姫が居て、綺麗な水溜まりで長い黒髪を洗って居るのを、見た人が何人かいる。
其の山姫が振り向いて目が合った人は、3日間高熱を出して死んでしまうらしい。
其の山姫と、箒星に跨って遣って来る魔女と、どちらが年上なのかは解からないが、雲の存在が、私に敬礼をしてくれたのだから、私は、其の女性達のお役に立っているのであろう。
私は38歳の時に、自分の意識が変調を起こして来たので、此の世界に入ったのだが、其の年はハレー彗星が一番近くに来た年であった。
其れは、私が誕生した時には、一番遠くに在った事に成るので、私は「38年+38年=76歳」の老人を、重点的に探したのである。
其れは、彗星が一番此方側に在った年に、産まれた人達であるからだ。
其れが、今日パソコン画面に現れたのであるから、此の作業は、私の76歳まで続くのかも知れない。今日も、変な話の展開に成ってしまったが、私に敬礼してくれた人のメッセージは、次の様な詩である。
青い空 白い雲
青い空 白い雲 それは 昼の景色
暗い空 黒い雲 それは 夜の景色
本体は いずれも 同じ もの
今朝現れた、緑色のトップ画面を創るのは、私の技量や、資材では無理である。
24年間で、私に理解出来て来た事は、神々は、人使いが荒いと言う事である。
とりあえずは是で、今年の役割は終了する。
昨年は、年の暮れに琵琶湖まで引っ張り出されたが、今年は屋久島で新年が向えられそうである。
不思議な事に、今日は母親から事務所に電話が有り、「私宛の手紙が 五反田から届いているので 取りに来い。」との電話が有った。
母親は、車で10分程の所に住んでいるのだが、もう3年以上一度も顔を見てはいない。其の母親から呼び出しが掛かったと言う事であれば、私の意識も、少しは身内の方に向いても良いとの事であろうか。
そうであれば、イエスキリストの様に、会いに来た母親や兄弟に、「私の母親とはだれであるか。私の兄弟とは誰であるか。」とかは、もう云わないでも、良いとの事だろう。
其れに、私には、七人の子供と、二人の孫も居る。
近い内に、孫とも初対面が出来るのだろうか。
其れも、箒星に跨っているお婆さんの、心積り次第であろう。
平成19年12月31日
礒邉自適
2007/12/30
言葉が大事
19・12・30
今年も残り後一日と成り、漢字の「冬」の意味である「縒り糸の結び目」の締め括りの日と成りました。
今朝のメッセージは、其の日に相応しく、是までの、私の旅の締め括りの様な言葉が届きました。
しかし、其れは、来年から始めなければ成らない、大きな出来事の前触れでもあります。
其の、来春から始まる、人類の新しい御世の幕開けが、私の思考に掛かっている事も、告げられて来たのです。
其れは男性の声で、一言「言葉が大事」と告げられて来ました。
是までに、ハッキリとした男性の声で、意味の有る力強い言葉が、音で伝えられて来た事は、あまり記憶に有りません。
今朝の声が、力強く命令的であったのは、神の世界が、是まで不安定であったのが、安定して来て「力・エネルギー」を得たからだと想われる。
旧約聖書には、「始めに言葉ありき言葉は神なりき。」と有ります。
其れは「ロゴス」の世界である。
ロゴス【logos】とは、 大辞泉
1 ギリシア語で、言葉・理性の意。2 古代ギリシア哲学・スコラ哲学で、世界万物を支配する理法・宇宙理性。3 言葉を通じて表される理性的活動。言語・思想・教説など。4 キリスト教で、神の言葉の人格化とし
[さらに]
1 ギリシア語で、言葉・理性の意。
2 古代ギリシア哲学・スコラ哲学で、世界万物を支配する理法・宇宙理性。
3 言葉を通じて表される理性的活動。言語・思想・教説など。
4 キリスト教で、神の言葉の人格化としての神の子イエス=キリスト
と、説明されています。
其れに、弘法大師空海が興した密教の真言宗でも、言葉(マントラ・真言)が一番大事であり、言葉その物が、宇宙の真理であることが説かれています。
そして言葉の力で、宇宙の森羅万象のエネルギーを操れるとされている。
それは、日本の古神道の「ふとまに」の世界にも、繋がる世界である。
そして、神社の出入り口である鳥居の前にも、「あ・始まり」「うん・完了・終結」の、高麗獅子の像が置かれている。
其れ等の事から、宗教以前に、生活の中で一番大事なものが、言葉である事が認識されていたのである。
言葉とは、自分の意思を音信号に換えて、口から発する動物の鳴き声の一種である。
だから、基本的には、本能的に自分の「憶いの猛・思いの丈」を、全身全霊で言葉に変換するものでなければ成らないのだ。
其れが、現在では、社会のシステム上「本音」と「建前」を使い分けなければ、生活出来ない世の中に成ってしまっている。
其れが、社会の中で成長する子供達にとって、人間不信の元と成り、社会が混乱している原因であろう。
其の点に於いては、私の両親は誠実な人間であり、祖父母の関わりもなく、屋久島の大自然の中の、一軒家に生まれ育った私は、言葉の悪い汚染を受ける事無く、順調に、意識を積み上げる事が出来たのだと想われる。
しかし或る段階から、周りの人間は真実ではなくなり、私は、孤独な世界に落ち込んで行き、土壇場の処で無庵師匠に捜し出されて、救われている。
しかし現在の世の中は、90%は不真実のまやかしの中に在る。
其れは、社会全体が商業システムに置き換わり、全てがコマーシャル-ベースで「流行化・ファッション」されているので、人間の意識は、真実の処に立ち返れなく成っているのである。
其れは、今流行りの神社廻りの傾向も、同じ様相を示しており、御陰さま参りの再現の様である。
其れは、明後日の元旦に、一番の盛り上がりを見せる。
其れが、釈迦牟尼佛の謂う「無明の時代」の意味であろう。
其の無明の世の中に、明かりを灯して、人民を救うと伝えられているのが「弥勒菩薩・マイトレイヤー」であるが、マイトレイヤーとは「有情」との意味なので、情報を持って人民の進む方向を換える人の意味である。
其の働きを、漢字に置き換えたのが「弥・彌勒・みろく」で、「彌」は「あまねく満ちる・花が咲き誇る。」の意味で、「勒」は馬のくつわの意味で「力を加えて方向を変える。」の意味である。
だから弥勒菩薩下生とは、「正しい言葉で人々を導き 真理の花が咲き乱れる世の中を 創る人が現れる。」との意味に成る。
其の、釈迦牟尼佛の預言が現実と成るのなら、真実の言葉をもって、情報を広める男性が、現れなければ成らないと言う事になる。
其の意味では、今朝の声で「言葉が大事」と告げて来た男性は、弥勒菩薩に関係が有るのだろう。
(此処で左腕全体にカモ(神の電気信号)が有る)
どうやら言葉の神は、「打て・右手」ではなく「さて・左手」の方に関係しており、左大臣の役割の様である。
来年は、右手の軍隊や葬式屋の方ではなく、左手の文学部か、理学部や芸能部が、力を発揮して来るのではないだろうか。
昨日大阪から、知人が帰って来て会った所為か、人間社会の「カルマ・業」が伝わり、メッセージの映像は俗世界其の物の内容であった。
大阪は、昔から港町で、俗世界の権化の様な場所である。
其の証拠に、挨拶までもが「儲かりまっか」であり、其の応えは「ボチボチでんな」である。
そんな所に祭られる神は、煩悩色の赤い鳥居の中に祀られる「狐神・いなり」である。
其の女狐の旦那様は、政治家の「狸親父」である。
現在の、大きな宗教団体の代表者は、其の狸親父と同じく政治的であり、大事な言葉を、金と信者集めに使用している。
今朝のメッセージは、其の世界の崩壊を告げて来たものである。
其の世界は、動物的な「食欲」と「性欲」と「ボス趣向」の本能的世界である。其れ等は、動物であれば、わざわざ教育をしなくても、本能で出来る事である。
そして、動物は、群れで動く事で勢力を拡大して行く。
其の、動物的カルマ・業から脱皮出来ない人達が、現在の社会システムを構築しているのである。
老子や、釈迦や、イエスは、其の社会システムから、脱出する事を勧めているのだが、其れは現代人のハートには響かなくなり、宗教もビジネスだと割り切って、金儲けの為に「イエスキリスト」の名を使用する御仁まで、大手を振って大道を歩いている始末である。
今朝の映像では、公園の様に新しく整備された所に展望台が造られていたが、大雨が降って地盤が緩み、土砂崩れと成って、地面がソックリ流されて行くのが映り、「言葉が大事」と告げられて来た。
其の意味する処は、基礎と成る土台の言葉を、しっかりと組み上げなければ、舞台が出来上がっても、イザ大雨が降れば、崩れ落ちてしまうと言うことである。
其れは、先ず、正しい言葉を組み上げなければ、何をしても、無駄に成るとの事であろう。
其れは、宇佐八幡の祭神である女神が、言葉が正しく成らなければ立ち上がらないとのメッセージが有った事と繋がっている。
「節名・せつな」http://wave.ap.teacup.com/20060106/268.html
今朝のメッセージには「貴方は 仲間を裏切るのか」と、声の荒い女性の声も有った。
其の声に、私が「私は 孤独を護っているので 仲間は居ない」と応えると、其の声は「貴方は 凄いわね」と云って、頭から消えた。
其れは、私への女神の最後の試しだったのであろう。
言葉とは、単独で生きて居る者には、必要ないものである。
だから動物でも、森林に単独で生活する虎や、ジャガーには、言葉は必要ないだろう。
智慧の神とされている梟も、単独で深い森に住んで居る。
しかし、人間は、もう森林で暮らせる動物ではない。
だから、どうしても、言葉や文字に頼らずには、生きて行けないのである。
其の為には、嘘偽りの無い言葉の世界を、構築しなければ成らないのだ。
そして、其の社会を組み立てる為に、現在のIT社会が、与えられているのである。
それも、中国の漢字文化と、老子の智慧や、釈迦牟尼佛の悟りの言葉を、上手に取り込み、更に、西洋の近代科学を取り入れて、文化を築き上げて来た日本の役割は、大きいのである。
昨日は、ネットワークとバーコードの件に付いてメッセージが有ったが、今朝は、其の中身を占める言葉に付いて、指示が有った事に成る。
どうやら来年に向かって、具体的な指示が降り始めている。
其れは、人間が神の力を頼みにする事ではなく、神の方が、人間に頼み事をして来ている証である。
人間社会には、教会などに、悩み事を聞く窓口が用意されているが、神様の悩み事を聞いて遣る窓口が無い。其の為に、私は、神の悩みを受け取る役割をやらされている事に成るのだ。
清水の流れる森の中に在る神社の社とは、本来はそう言う施設であったのだ。其れが、現在では、人間が頼み事をする所に、変わってしまっているのである。
我々は、神社の鳥居の前に有る御手洗い水で、自分の欲望を禊ぎ祓って、神の知らせを受け取る、本来の立場に返るべき時節を、迎えているのである。
我々は、正しい「言の葉風」の世界を、取り戻さなければ成らないのだ。
平成19年12月30日
礒邉自適
2007/12/29
新しいバーコード
19・12・29
未だ、今年の締め括りも終えていないし、新年を迎えてもいないのに、今朝のメッセージには新しい体制造りの要請が有った。
其れは、全てを、新しい情報に切り替える為の、情報センターの準備と、其の事務的中心になる、30歳代の男性一人の探索である。
其れは、人間社会の一切の情報が、新しいものに、切り替えられると言う事である。
其れは、此の日本から、新しい文化文明の創造が興って、人類の未来を決定すると言う事でもある。
其の内容の第一義には、海の潮の満ち引きに、生命が深い関係を持っている事を、当てなければ成らない理・ことが示された。
其の理を組み込まなければ、幾ら情報にアクセスを掛けても、其の、神と一体化している情報には、繋がらないと言う事である。
其れは、日本の神話に出て来る「潮盈珠(しおみちのたま)・潮満ちの玉」と「潮乾珠(しおひのたま)・潮引きの玉」が、大事である理・ことを、示唆しているのではないだろうか。
其の球は、「山幸彦」が龍宮の「豊玉姫」との結婚で、授けられた物である。
今朝のメッセージは、神の計画が、神の意い通りに進み出した事を意味しているし、もう、人類滅亡のハルマゲドンのシナリオは、回避されたと言う事でもある。
其の中心に成る人物は、未だ、私が会っていない男性で、パソコンが有る机に座って仕事をして居る日本人であり、私が探しに来るのを、待っている様子が伺えた。
そして、新しい情報の組み込み方や、新しく使うバーコードの図柄と、使う方法も示されて来た。
其の内容は、其の男性を探し出して、直接伝えなければ成らない様である。
是で、来年の私の行動指針が、何処に向かうのかが、少し見えて来た。
私には、24年間の旅があるので、大体の骨組みと、人脈の繋がりは、認識の中に納まっている。
だから、中心に成る人物さえ見付かれば、後は、其の男性のパソコンに、全てを入力してしまって、私は、本来の屋久島の自適に返れるのである。
何事も、三年程で飽きてしまう私が、よくも24年間も同じ事を続けて来れたものである。
其れは、此の世界は、宇宙の森羅万象が相手なので、深遠かつ広大で、底が見えないからであろう。宇宙には、底が無いのが当たり前の事ではあるが。
若し、底が簡単に見える様な器であれば、釈迦や老子も、あそこまで嵌まり込む事はなかったであろう。
しかし、老子は、其の器は無限の大きさが有り、其の中身は恍惚であると知っているので、137億光年の光のお風呂に、入浴した体験があるのは間違いないだろう。
イエスは、其の風呂が天界に在るって、父が、お湯を沸かしてくれていると想ったのかも知れない。
其れは、イエスが「ロゴス」に拘っていたからである。
釈迦牟尼佛は、其の言葉・ゴロスのカルマが理解出来たので、十二因縁起を説いたのである。
「法華経の12因縁起」http://wave.ap.teacup.com/20060106/
しかし老子には、漢字が有ったので、漢字の世界に、自分の認識を入力して、頭を空にしてしまったのだ。
だから、老子の言葉には、「色即是空・空即是色」の説明は無い。
老子は、其の二面性の世界を、自分の意識の風呂水としてしまったのである。其の世界を、知った親鸞は、人間にはどうせ理解出来ないのだと諦めて、「南無阿弥陀・なむアミターユー・アミターパー(アミターユス・アミターバ)」として、逃げてしまっているのである。
是から、日本で組み上げて行かなければ成らない情報は、其の「アミターユー・アミターパー(人間には計り知れない光と壽の意味)」を、皆が計り知れる世界として、行かなければ成らないのである。
其れは「阿弥陀くじ」の様に、誰か一人だけが、マグレで当る物ではなく、誰もが、手さえ伸ばせば、引き当るくじでなければならない。
宝くじの様に、スカが有ってはならないのである。
其の為には、パソコンをフル活用して、世界を一つの情報網で、繋ぐ必要が有るのだ。
其れは、人類の智慧を統合して、新しい社会システムを構築する事である。
其の規模は、現在・いま存在する「ソフトバンク」や「楽天」等とは違い、国際連合の上に組み込まれる物である。
しかし、其の情報網の為に、大きな建物と、大勢の職員を抱え込む必要はないのである。
其の仕組みは、地震の無い場所で、水力発電の電気が通じている所に、大型コンピュータを設置して、電波塔を建て、世界中のパソコンに繋がれば良いのである。
そして、其のコンピュータに、世界の叡智が入力されれば、自ずと、新経済も立ち上がって来るのである。
其の情報整理のバーコードに、漢字とカタカナと数字が使われるのである。
其の仕事をする事が、日本の役割なのである。
其の為に、日本の皇室の「伝統(あまつひつぎ)」が、此処まで引き継がれて来て、何処の国にも占領された事の無い文化が、残っているのである。
其の文化は、アマテラス文化ではなく、国津神の大山祇神の文化である。
素戔鳴尊も、「饒速日命・にぎはやひのみこと」も、「瓊瓊杵尊・ににぎのみこと」も、皆、大山祇神系の養子と成って、日本の古代文化である「日の本文化」の言葉圏内で、生活を始めたのである。
何故、私が、日本列島のククリに一年掛かり、新しい人脈の縁が1985年7月3日から、京都府の丹後半島の付け根に有る、峰山から始まったのかも理解出来て来た。
其れは、籠神社の祭神に関係が有るのだろう。
籠神社の主祭神は「彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)」で、「瓊瓊杵尊」と「木花之佐久夜毘売命・このはなさくやひめ」の子供であり、屋久島の「益救神社・やくじんじゃ」の祭神と同じ神である。
其の「ヒコホホデミ・山幸彦」は、天津系と大山祇神系の「混血児」と言う事に成る。
私を動かして来た「神・はたらき」の中心には、其の山幸彦が絡んでいるのかも知れない。そして、其の山幸彦は「海神・わだつみ」の娘と結婚しているので、神武天皇の父親の血は、再び混血している事に成る。
そして、其の神武天皇には、日向国吾田邑(ひむかいのくにあたのむら)の「吾平津媛(あひらつひめ)」との間に、長男「手研耳命・たぎしみみのみこと」と次男の「岐須美美命・きすみみのみこと」が誕生している。
其れから、神武天皇は「手研耳命」と共に、奈良・大和に東征し、神武天皇は大和の王である「長曽根彦」の勧めで、大物主命の娘である「媛蹈鞴五十鈴媛」と結婚する事に成った。そして、其の姫との間に三人の息子が生まれている。
長男「日子八井命・ひこやいのみこと、彦八井耳命)
次男「神八井耳命・かむやいみみのみこと」- 多朝臣・阿蘇国造・科野国造・火国造等の祖
三男「神渟名川耳尊・かむぬなかわみみのみこと、神沼河耳命・綏靖天皇)
そして、神武天皇が亡く成った後、随行した長男の「手研耳命」と、奈良の三皇子との間で政権移譲の揉め事が発生して、手研耳命は殺され、三男の「神渟名川耳尊」が跡目を継いで「綏靖天皇・すいぜいてんのう」と成っている。
その後、神武69年媛蹈鞴五十鈴媛の長男「日子八井耳命」が、阿蘇の高森に下って来て住み着いている。
其の日子八井耳命が、祭神と成っているのが「草部吉見神社・くさかべよしみじんじゃ」であり、「草部・くさかべ」とはナガスネ王の先兵隊であった「日下部族」の事であり、王子の日子八井耳命に随行して来た人々であろう。
其の日子八井命の長男が「天彦命」であり、「天城彦」とは其の天彦命の事であろう。だから、日の宮幣立神宮に其の親子が祀られているのである。
其の「日の宮弊立神宮」で、今年の3月13日に「皇御子・すめみこ」誕生の儀式も行なった。
皇御子とは、スメラミコトの天津日嗣の儀式を引き継ぐ者の名前である。
私の、是までの行動を見返してみると、私を動かして来た「神々・神霊の動き」が何となく見えて来る。
今朝のメッセージの内容からすると、来年早々から、此の三次元の現象世界に、新しい動きが起きて来て、誰の目にも、其れと解かる様に成るのではないだろうか。
其の準備は、既に出来上がっているものと想われる。しかし、其れは、神々の守護が有るとしても、既存の体制が、其の儘維持されるとの事ではないだろう。
人類は、新しい次元に是から突入するのだから、古い体制から脱却しなければ成らないのである。
其れが、神武天皇が興した新しい体制造りである。
其れは、崇神天皇の時と、天智天皇の時にも行なわれたのであろう。
だから、其の三人の天皇には「初国知らす」の名が贈られている。
其れは、666年置きに行われている。
崇神天皇の御世西暦0年と、天智天皇666年の近江遷都は成功しているが、1333年の後醍醐天皇の旗挙げは失敗して、次の1999年の周期では天皇は目覚めてはいない。
其の事が、ようやく来年立ち上がるのではないだろうか。
しかし、今度立ち上がるのは、日本のスメラミコトではなく、世界のスメラミコトである。
だから、今の天皇家は、神武天皇と、奈良の「媛蹈鞴五十鈴媛」の三男の子孫なので、何処からか、本家の血筋が芽を出して来るのではないだろうか。
其の事も、中心と成る30代の若者を探し出せば、明らかに成って来るであろう。
「年号一覧」http://homepage1.nifty.com/gyouseinet/history/nengouichiran.htm
是に拠れば、神武元年が紀元前660と成っているので、666の周期からすると、今年2667年から6年マイナスして考えなければならない。
すると、今年は皇紀2661年と成る。
是だと、2666年に成るのは5年先なので、丁度2012年12月23日のマヤ暦とも符号して来るではないか。
そうであれば、来年度中に、今朝現れた男性を探し出して、パソコンに情報を入力すれば、5年先のトキの満了に間に合う事に成る。
今朝のバーコードは、マヤ文化のコードマークが、進化した物であるかも知れない。
そうであれば、パレンケのパカル王の霊魂が、2012年12月23日の時間設定に、動き出したのだと受け取っても良いのではないだろうか。
霊界は、私の予想だにしない段階へと、進んでいる様である。
4311体もの霊魂が遣って来たのだから、そう簡単には「神霊の思頼・みたまのふゆ」は済まないだろうとは想っていたが、やはり其れは、まだまだ簡単には終りそうにない。
取り敢えずは、まだ5年間は付き合うしかないだろう。
しかし、マヤ文化に関係有る、緑の壷や、ジャガーの姿や、緑の蜥蜴は三匹現れたが、緑の鳥神は未だ姿を現さない。
平成19年12月29日
礒邉自適
2007/12/28
自分の視覚意識が戻る
19・12・28
今年も一般社会的には、残り3日で、今年が締め括られる事に成る。
しかし、其れは、人間が創り出した社会の事であり、宇宙には何等関係の無い事である。
宇宙のプログラムは、人間サイドとは別な形で動いており、其の影法師として、人間活動の世界が存在しているのである。
其の宇宙の存在と、人間社会のカルマ・業との間に、神霊界と人間の霊魂の世界が在るのだ。
私は、1984年6月4日(旧暦5月5日)に、其の人間社会のカルマから脱出し、宇宙意識と、神霊界と、霊界人の存在に接触して来た。
其の出来事は、日記として、記録は或る程度は残して来たが、其れは毎日の記録であって、私の自我意識の総括は、未だ行なってはいないのである。
今朝のビジョンの映像で、物の形が、水色の透明な光の中に消える場面を見たので、其の映像は、是から、生涯に亘って、私の記憶から外れないであろう。
其れは、透明な水色の光の世界が、何の物質も無いし、意味着けされたものも一切無い世界だからである。
其の映像が、頭の中から外れない限り、其処には、どんなカルマも生じ様がない。其れは、もう仏像や、マンダラや、鏡等が必要ない世界である。
今日は、事務所に出て来てパソコンの前に座ると、頭が、左の壁の方に引き付けられるので、其方を見ると、壁の桟に丸い木の節目が一個ある。
其の節目を視ていると、木の枝も輪切りにすると、丸い渦巻きが有る事が解かった。
其れは、極当たり前の事なのだが、其れには、大きな意味が有る事が認識されて来た。
真っ直ぐに、上に伸びて行く幹を輪切りにすると、大きな輪の年輪が有る。
そして、其の幹には、四方八方に枝が伸びている。
其の枝を輪切りにすると、枝の方にも、其の枝の太さに見合う、丸い年輪が有る。
其の理・ことを、人間社会の人間の在り様に当て嵌めると、人間社会の意識構造が見えて来る。
其れは、どんな人間でも、自分自身の年輪を、刻んでいると言う理・ことである。
其の、一本の木の構造を思い浮かべると、36億年の時間を掛けて進化して来た、地球生命の系統である「生命樹」の構造も理解されて来る。
永い時間を掛けて、大きく育った木に着いている枝は、多くの枝の中から生き残って来た枝である。
其の生き残っている枝が、現在・いま生きている地球生物の遺伝子の分岐を表わしている事に成る。
そして、途中で、日光が当らなく成って枯れて行った枝が、過去に滅びて行った生物種である。
しかし、中心である幹は、寿命がある間は、中心の年輪を保ちながら、周りに着いている枝を支えて行くのである。
其の様に考えれば、人類の生命樹は、いま700万年の年輪を刻みながら、未だ未来に向かって伸びて行っている事になる。
其の幹の梢に成る者が、スメラノミコトなのである。
そして、其のスメラノミコトは、永遠に梢に存在するのではなく、一年間を掛けて上に伸びたら、春に、自分の頭の上に次なるスメラノミコトを立てて、其の生命を支えて行くのである。
其れが、生き物全体のシステムなのである。
だから、現在・いま地球上に大繁殖している人類は、自分の存在の自覚と、其の責任を痛感しなければ成らないのである。
此の侭、人類の我儘放題が際限無く進めば、其の生命を支えている太陽其の物が、エネルギーを閉ざしてしまう事に成る。
其の理が、天照大神の岩戸隠れの物語として、比喩されて来たのであろう。
私は38歳まで、屋久島の自然の中で暮らして居たので、古事記や聖書や、佛教等に、意識は穢されてはいない。
其れに、父母が特別な宗教や、思想に被れてもいなかったし、家の中に仏壇や神棚も設置されてはいなかった。
其れ等が、今回の神のプロジェクトにとって、幸いしたのであろう。
それと、一番重要な事は、此の世界自然遺産に登録された、屋久島の大自然の中で産まれ育ち、第一次産業の世界に身を置いて、私の意識が積み上げられて来た事である。
其れに加えられるのが、18年間に亘る私の全国の旅暮らしである。
其の旅の間に、神社や寺院の在り様を具(つぶさ)に自分の目で監察し、都会の社会状況も学び、文明文化の何たるかも研究して来た。
そして五年前に、再び島に帰り、新しき目線で、屋久島の暮らしと自然環境を見ながら、自分の意識の成長過程も、把握する事が出来た。
今日は28日で、御用納めの日である。
其の日に、私の意識が変容し、現実的な視野で物事を認識しているのも、人間の意識と、暦の不可思議な関係である。
(此処で左手の中指にカモ(神の電気信号)が有る。)
顕在意識である、相対世界に目を向けても、神の御加護は続いている様である。
来年が、どう言う年に成るのかは判らないが、良い方向に事象が進んでいる事は間違いないだろう。
是が取り敢えず、私の還暦での人生の総括と成るだろうか。
離島の農家に生まれた中学卒の私が、この様な文章を綴っている事自体が、私にとって、一番の奇跡と言えるのかも知れない。
神の世界と、父母と、人間社会に対して、改めて感謝である。
平成19年12月28日
礒邉自適
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