1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2008/8/27
ラビ・オリオット
20・8・27
今朝のメッセージは、此の世界の奥深さを示して来ており、何故、片目の翁が、最後の答えを教えなかったのかが、理解されて来た。
其れは、人間の智慧の最高レベルに達している御魂でも、此の領域・レベルに踏み込んではいないからである。だから、過去の文献にも、言い伝えにも残っていないのである。
今朝、理解できて来た事は、老子や釈迦仏陀やイエスキリストも、此の領域には踏み込んではいないと言う事である。
しかし、古代のシャーマンは、理論化出来なくても、其の世界を無意識で観て居た様である。其れが「道・タオ」の、二匹の蛇や、蜥蜴の姿で表現されているのである。
だが、其の二匹の蛇は雌雄ではなく、雄の「反目体制」だったのである。
「タオ・道」を、陰陽と意味付けているので、私も其の陰陽の言葉に引っ掛かり、二匹の蛇は雌雄の関係だと思い込んで居たのである。
考えて見れば、「雌雄、陰陽、プラス・マイナス」の関係であれば、柱を巻き付いて登る必要は無く、地上で直ぐに合体して溶け合ってしまい、選択・チョイスが起きないのである。
何故「選・エラブ」が、二匹の蛇の競い合いの象形であるのかは、雄が雌を獲得する為に、競い合って、進化を促して来たからである。
其れは、「雌」が自分のDNAを継続させる為に、自分の一部を切り離して「雄」を創り、情報収集の為に環境に放しているのである。
だから、雄は「帰巣本能」が働いており、雌の所に良い情報を持って帰る為に競い合っているのである。だから、生命樹・ヘルメスの杖の管理人は男性の老人であり、女神ではないのである。
此の思考の世界は、雌には、何の関係も無いのである。
「道・タオ」のマーク自体が、「雄」が創り出した世界であって、雌には何等関係が無いのである。雌が行っている事は、唯一、優良な情報を持って還って来る雄を選んで、子孫を残すだけなのである。
宗教の世界に、女性が興味を持って集まるのは、無意識にて、一番優良な情報を抱えている雄を、探しに来ているだけなのである。
だから、女性は理論には弱く、直感力が冴えているのである。何故なら、言葉に拠る理論は間違いが多く、直感力の方が当っているからである。
其の様に考えると、ヘルメスの杖の上に止まっている鳥は、「雌」であることになる。何故なら、雄が鳴くのは、雌を獲得し、縄張りの主張の為である。
だから雄は、雌の為に命懸けで生きていると言う事になり、雌の方が優位に在るのだ。
其れを、雄の方を優位にしてあるのが、雌のズルさなのだ。其れは、雌の方が戦いをせず、長生きする事で明白である。
だからこそ、其の理に気付いた老子は「雄の立場を知った上で 雌の立場に身を置け」と、謂っているのである。
其の様に考えると、「鳳凰・ほうおう」の存在が参考に成る。
鳳凰の、鳳は雄で、凰は雌を意味し、凰の方が身体が大きく、鳳の方が味体が小さいそうである。
其れは、エジプト文化の羽根を有する「イシス女神」と、身体の小さな「夫神・オシリス」の関係と同じである。
其れは、蛙の様に、卵を産む雌の方が身体が大きく、精子を掛ける雄の方が身体が小さい事に似ている。其れは、DNAを残す雌の方が、大きな身体を必要とするからであろう。
処が、現実の鳥の世界では、雄の方が身体が大きい。其れは、雄が雌を獲得する為に、戦いを始め、身体が大きく力の強い者が勝ち残って来た為である。
しかし、今朝のメッセージでは、脳内のスクリーンに映った遺伝子の反目は、身体を大きくする事ではなく、如何に、環境に適合した肉体に変化するかと言う事である。
其の一部として、戦いに勝つ為や、寒さに適応する為に身体を大きくして来たのである。
しかし、環境が変化して食料が少なく成ると、身体の大きな方が先に滅ぶのである。其の事は、身体の大きな恐竜が滅んで、水場に隠れて暮らしていた両生類が、生き延びた事でも示されている。
何れにしても、其れ等の理の奥には、雌の優位が秘められているのである。其れは、雌の存在こそ、此の生命世界の土台・基盤であると言うことである。
今朝のメッセージには、「ラビ・オリオット」との言葉が有り、「もう一回振る」と伝えられて来た。
其れは、七回半トグロを巻いて鎌首を持ち上げて居た大蛇が、トグロを八回巻きにしており、もう一回頭を左に振って八段目の意識を完成させるとの事である。
其れは、八段の左右の神・はたらきである、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」から「高御産巣日神・たかみむすびのかみ」までの、「16段(8段×左右=16)」の神名が、是で完成を向かえて「天御中主神・あめのみなかぬしのかみ」の働きが、現象界に現れるとの事ではないだろうか。
だから、八段のピラミッドの階段を、左右に身をくねらせて登った「巳・み」は、最後の頭を「神産巣日神・かみむすびのかみ」の座から、「高御産巣日神」の方に振ると言う事である。
「ラビ」とは、ユダヤ教の神官の呼び名であり、宗教指導者・学者等の意味を表わす言葉である。其れに、「オリオット」とは、「エリオット」の姓が有るので、意味の有る「氏・部」の人名であろう。
若しかしたら、オリオットとの姓名は、過去にラビの役目を司る氏族の名で、由緒正しき血筋の者なのかもしれない。
其の氏族が、日本の神社の16段の階段や、十六菊花紋を創り出したのかもしれない。だとすれば、「ラビ」とは「ラ(太陽)・ビ(霊)」で「太陽の霊を司る者、霊知り・ひじり・聖者・日読み(かよみ)」との意味なのかもしれな。
今朝のメッセージで気付いた理・ことは、全ての神事・かみごとは、人間が頭の中で考え出した事であって、神(宇宙の働き)自体には、何等関係が無いと言う事である。
我々が、現在、三次元に現している神仏の世界は、内面の精神活動を外側に投影したモノ・現象であり、真実の世界ではないのである。
真実の世界は、其の様なイメージを、脳のスクリーンに映し出しているDNAの働きに有るのである。
何故なら、其の脳内のスクリーンこそ、我々生命の肉体を環境に合わせて、変化させて来た源だからである。
其れは、肉体の変化は、睡眠中の夢である情報整理の中で、行なわれていると言う事である。
だから我々人間は、絶えず無意識にて、其の源に帰ろうとしているのである。
其の感情が、宗教の世界を創り出してしまったのである。
特に、雌は子孫・DNAを継続させる為に、未来に思考が向いているが、男性は生殖機能が成熟すると共に、帰巣本能が働いて、源に還ろうとの意識が働くのである。
其の生殖機能の働きから、「帰命・ナム」とか「リリジョン・religion」とかの意識が働いて、還るべき所を神仏の世界としてしまったのである。
其れは、「神宮」とか「宮・みや・御屋」とかの言葉で理解出来る様に、男性の心理は子宮に帰りたがっている事で明白である。
そして、其れは、男性の意識が、精子の働きに牛耳られている理を明らかにしており、其れは「男根・リンガー・ペニス」の形の御神体が、女性に担がれて神社に運ばれる祭りで表現されている。
其れ等の事柄を考えると、人間自身の意識とは無く、ただ本能の無意識にて動かされているだけに過ぎないと言うことになる。
其の様に考えると、教育制度の無い昔の暮らしこそ、自然の理に適っていた事になる。
しかし、今朝のメッセージでは、「女性・雌」は更なる進化を求めており、其の進化を促す為に、優良な情報を持つ「男性・雄」の競い合いを渇望していると言う事である。
何故なら、雌は環境が悪化すると、其の環境を克服して、未来にDNAを継続させる為に、新しい情報を必要とするからである。其れは、ミジンコの生体研究で、明らかにされている。
処が、現在の学校教育は、過去のデータを記憶させるだけで、雄の進化を促す為の教育が行われていない。其れは、教育制度の貧弱化を物語っている。
特に、学校教育が充実すればする程、雄の本能は弱体化し、其れに正比例して帰省本能も弱まるのである。
其の現れとして、旅に出なければ成らない男性が、閉じ籠もりと成り、優良な雄が居ないので、女性も子供を生みたがらないし、結婚する気にも成らないのである。
中国のパンダは、発情期に成ると木に登って、フェロモンを風に乗せて流し、雄が木の下に集まって来て争うのを、木の上から静かに見下ろしている。
そして、強い雄が勝ち残ったら地上に下りて来るのである。
しかし、其れでも、直ぐに交尾を許すのではなく、暫らくは噛み付いたりして焦らすのである。それ程、雄にストレスを与えて情報の進化を促すのである。
其の、雄の行動を真似ているのが、男性の修験道の道であろう。
そして、其の世界を物語として伝え残しているのが「かぐや姫」の話である。
簡単に、其の世界を一言で謂ってしまえば、雄が雌の為に切磋琢磨する事で、遺伝子が進化していると言う事である。
其の世界を説明しているのが、密教の般若理趣経の訓えである。
其れは、天皇家の大嘗祭で、付き添いの女性が付く事や、皇族の男性が旅をする時、宿所に夜伽が付く事にも関係が有るのだろう。
何故なら、神霊が憑依して来た時に、其の情報が身体に溜まり、負荷を与えるので、情報を抜く必要があるからである。
其れが上手く行かないと、「垂仁天皇」の様に、夜も眠れなく成り、衰弱し、堪らなく成って、憑依して来た神霊を宮から外(伊勢)に追い出さなければならなく成るのである。
其の症状は、情報が肉体に充満して来て、頭頂から抜けて行かない状態を意味しているのだろう。其の症状を止める為に、密教で謂う処のクンダリーニの調整が、必要との事ではないだろうか。
今朝の「ラビ・オリオット」で理解されて来た事は、密教の奥義の世界を知っている者が、神霊界に居て、私の意識を誘っていると言う事である。
其の世界を考えると、日蓮やイエスはレベルが低いと言う事に成る。
何故なら、自分が奥義を修めて、自分の意識で森羅万象の流転を調整していないからである。奥義を修めていれば、イエスの様に神殿のラビを攻撃したり、体制側に文句を云ったりする必要が無いからである。
其の点で言えば、老子や釈迦は大人と言うか、完成した人間であったと言えるであろう。
彼等は、自分の中で雄の闘争心を消化して、競い合う遺伝子の蛇を、雌側の立場まで戻す事に成功したのであろう。
彼等の、其の手法を学び採れば、人間の世界から紛争が消える事は間違いないだろう。
其の二人の共通点は、自分がこうなったのは、自分の能力ではなく、過去の「賢者・聡・サトリ」の叡智の賜物であり、其の叡智の根拠は「道・タオ」「法・ダルマ」であると謂っている事である。
其の、二人の考えの根拠を突き詰めて行けば、人間の無意識をコントロールしている、DNAの螺旋構造に行き当たるのである。
釈迦は、「真に 頼りに成る物は 此の自分の肉体である。だから 精進に務めなさい。」と謂っている。其れこそが、生命の源であるDNAの情報世界に触れる事なのだ。
人間の身体は、約60兆個の細胞で組まれており、其の細胞一個に一組のDNAが存在し、其の遺伝子の糸を引き伸ばすと1・8m有り、その長さに60兆を掛けると、太陽と地球の間を300回も往復する長さ(1億4060万km・光の速さで8分19秒)が有るとの事である。其れを考えると、我々の意識がどの様な背景を持っているのかが、漠然とではあるがイメージされてくる。それだけの遺伝子情報に支えられて、私達一個人が成り立っているのである。
参考HP 身体の不思議 http://www4.ocn.ne.jp/~hoeikai/karada.html
そして、其の集合体としての意識(情報の蔓)が、最終的な高みに這い上がって、次の枝を捜して触覚を振っているのである。
其の遺伝子の触覚は、「シリコン・珪素・ヌカ」のアンテナに絡みついて、次なる遺伝子の船を捜しているのである。其の様子が、今朝、自分の脳のスクリーンに映し出されて来たのである。
其れは、雌が仕掛けている罠を、雄である私の意識が、覗き込んだ事に成るのではないだろうか。そうであれば、「伊邪那美命・いざなみのみこと」や、「豊玉姫」に気付かれない内に、産屋である宮から逃げ出さなければ成らないだろう。
此の、ラビ・オリオットが仕掛けている、ラビリンスの罠は、世界中に張り巡らされているのだ。帝釈天の網として・・・。
ラビリンス【Labyrinth】ギリシア神話で、ミノス王がミノタウロスを閉じ込めるために工匠ダイダロスに命じてつくった迷宮。ラビュリントス。
平成20年8月27日0時00分
礒邉自適
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