1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2009/7/31
神が色サイコロを転がす
21・7・31
本日31日は、7月の晦日であり、旧暦では6月10日である。
新暦の6月10日は「時の記念日」で、岡本天命に千葉県成田市台方の麻賀多神社の境内に在る、「天之日津久神・あめのひつくのかみ・日嗣の神」の社の前で、「日月神示」のメッセージが始まった日である。
新暦の晦日と、旧暦6月10日の、どちらが重要なのかは判らないが、今日は是までには無かった次元の、映像が映されて来た。
今朝のメッセージの映像は、先ず、紫色掛った壺が一個現れて、其の壺には、人間の願いが書かれた紙札が、入っている事が解かった。
そして、其の壺は、何処かの山神の下に、横にして、埋められている物である事も解かった。
其れから、対面に大きな神の存在が現れて、右手から一個のサイコロを、床か机の上に転がした。
其のサイコロは、数字が刻まれたサイコロではなく、七色の無地のサイコロで、色占いに使う様な物である。
其のサイコロを振り出した存在は、胴体と手の部分だけで、顔や足の方は見えなかった。
其れに、透明な存在なので色柄は何も無く、どちらかと言うと、男性神の様な気配であった。
私は、其の存在は「天帝」である様に感じる。
中国の秦の始皇帝は、「天に 天帝が存在し 朕は其の天帝に代り 此の地上世界を治める皇帝である」と謂っている。
其の始皇帝の言い方だと、天帝は上に在り、自分は、下の地上に在ると言う理・ことになり、神と人間は、上下関係に在る理・ことに成る。
しかし、今朝サイコロを振り出した存在は、私の存在が、鏡に写っている様な存在であり、上下関係ではなく、対等な関係なのである。
だが、其れは、鏡に写っている私ではないのである。
何故なら、鏡に写る自分の右手は右側に有り、私が、右手で振り出したサイコロであれば、右側から左側に転がるからである。
しかし、今朝のサイコロは、左側から右に転がったので、私の右手で振り出した物ではなく、対面に居る存在が、右手で振り出したサイコロなのである。
其れは、愈々「神・天帝」がサイコロを振り出した事に成り、俗に言う「賽は投げられた」と言う事に成るのであろう。
「賽は投げられた」(古典ラテン語:Alea jacta est、アーレア・ヤクタ・エストゥ)は、古代ローマのガイウス・ユリウス・カエサルが元老院に背いて軍を率いて南下し、北イタリアのルビコン川を通過する際に言ったとして知られる言葉。出典はスエトニウスの文章である。「ここを渡れば人間世界の悲惨、渡らなければわが破滅。(兵士たちに振り返って)進もう! 神々の待つところへ! 我々を侮辱した敵の待つところへ! 賽は投げられた!」
ウィキペディア辞典
だが、何故、今朝のサイコロは数字のサイコロではなく、七色の無地のサイコロだったのであろうか。
其れは、仏教の般若心経に有る「色即是空・空即是色」の意味に関係が有り、新しい色の世界が、始まるとの理・ことではないだろうか。
しかし、其れが、無地である事の理由は、七色のエネルギーは、「天帝・てんてい」が四次元から人間世界に与えるが、其の色の使い方は、人間自身で考えろとの理・ことであろう。
其れは、一昨日のメッセージの「自己定義」の文章に書いた、神の手から零れ落ちた種子と同じく、人間に与えられている「自由(リバティ・ラテン語の libertas)」を意味しており、神側からの押し付けではなく、人間の創造性こそが、神の頼りである事を、示唆して来ているのではないだろうか。
そして「神・天の働き」は、其の人間の創造力を支える為に、七色の光エネルギーを与えているのである。
何故、今朝のメッセージに「神の 賽が投げられる」ビジョンが現れたのであろうか。
其の要因としては、昨日、私は、東京の田園調布に事務所を持っている「建入ひとみ女史」に連絡を執り、8月3日から5日までの間に、オーナーと合って具体的に話しを進める様に、告げたからではないだろうか。
私が、建入ひとみ女史に初めて会ったのは、1995年7月21日に東京都八王子で開催された「瑞穂の国の集い」である。
其れから、数度お会いしているが、此処8年程は会ってはいない。
私にとって建入ひとみ女史との思い出は、7月21日に初めてお会いして、5ヶ月後の12月15日の霊夢に「建入ひとみ女史」が現れて、東京の何処かの広い野外のパーティ会場に、多くの人を集めているのである。
其の会場に来ている人達は、全員、日本の実業界の大物ばかりであり、其の人達から多くの資金を集める為の、活動の一環の場面なのである。
私は、其の霊夢が、余りにもリアルだったので、初めて「建入ひとみ女史」の事務所に電話を掛けて、其の夢の事を話すと、建入ひとみ女史は「今日は 私の誕生日なの」と謂うのである。
其れから、彼女が、企業人を集める活動を何時始めるのかと想っていて、何度か接触を持って居たのだが、今日まで、其の霊夢が現実に成る事は無かったのである。
オーナーには、昨年、彼女の事は話して電話番号を教えてあり、丹治史彦氏にも数年前紹介した事が有った。
「建入ひとみ」http://www.h-intl.co.jp/intro/intro.html
私は、現在「屋久島総合開発会議」と名打って、屋久島全体を、人類の未来社会の雛形にする為に動いている。
そして、釈迦牟尼佛の憶いである祇園精舎の用地として、薬草園の買収をオーナーに進め、其の土地の買収は、大体の処かたが着いたので、次は、自然環境と調和した村を建設する為の、用地交渉に取り組んでおり、其の土地の買収に付いても、昨日で大体の目処が着いたのである。
その事で、私の気持ちが動き、自分から、積極的に電話連絡を執ったのである。其の行動が、トキの現象に合っているので、神の賽が投げられたのであろう。
岡本天命の日月神示には「田舎に都 都に田舎が出来る」と有る。
「日月神示」うみの巻 第九帖 8月23日 552p
そして、「此の日本から 神一厘の仕組みが現れる」とも有る。
其れが、新暦の6月10日ではなく、旧暦の6月10日に賽が投げられたのは、神の働きが、新暦より旧暦にシフトしたとの事なのかも知れない。
地中に埋められる壺は、太陽に捧げられる物ではなく、月読みへの願い事を意味し、七夕の短冊と同じく、旧暦の方が合っているのかも知れない。
今朝の映像には、神がサイコロを転がした後に、PCの左サイドのお気に入りの所が、光に包まれていて、其処に、澤山の言葉が記録されているのが映されて来た。
其れは、神が、人間の希望を受け入れた理・ことを、意味しているのではないだろうか。
そして、其れは「少名彦神」が大洲市の壺神山に埋めた願いの壺か、「宇摩志麻遅の命」が島根の三瓶山に埋めた瓶壺の願いが、ようやく此の世界に現れるとの事なのかも知れない。
昨日は、大阪に住む津川君・24歳から連絡が有り「屋久島に行けとのメッセージが来たので 8月15日に屋久島に行くので 自適さん 会ってくれますか」と言って来たので、8月15日に東京に出掛ける事は止めにした。
8月15日は終戦日であり、奈良の「矢追日聖法主」が自分の先祖の神社で、昭和天皇の玉音放送の後に「日本から 新しい精神革命が 起こる」と神に告げられた日でもある。
津川君のブログを見ると、若者に対しても、神の呼び掛けが始まっている事が理解できる。
其の若者の意見を聞く事で、神の動きが掴めるかも知れない。
今日は、昼前に、知り合いの畑の鹿除けの網に、雄鹿が角を引っ掛けて動けなく成っているとの連絡が有ったので、捌くのを手伝って、肉やレバーを貰って来た。
そして、皮は鹿皮の製品を作りたいと言って、屋久島に移住して来た若者夫婦が居るので、なめし革にする為に冷凍庫に保存した。
屋久鹿が、網や罠に掛かる時は、何か、神の働きの節目に成る日である。
本日、鹿が網に掛かった事も、神のお祝いの意味が、有るのかも知れない。
いよいよ、神が賽を投げたのであれば、明日から始まる8月は、忙しく成るのではないだろうか。
今の処、6日が今月の大山祇神の集いで、7日から9日までは大阪の安田弘子さんと李さんが来島し、15日は津川君が来島する。
其の他にも、村造りの事に付いて、2〜3回は集まりを持つ必要がある。
確かに、此処の処のメッセージは、現実世界に直接、関係の有る指示が続いて来ている様である。
私は、其れに、冷静に関わる態勢が出来つつある。
其れが、私の26年間の修行の成果なのであろう。
平成21年7月31日
礒邉自適
1 2 3 4 5 | 《前のページ |
次のページ》