1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2012/4/27
生きる術・すべ
24・4・27
本日4月27日は、胃癌で亡く成った井上佳子の命日で、29日に葬式を済ませ、子供達四人が、阿蘇から祖父母に連れられて高知に行ってから、本日で14年が経過する事に成る。
今朝のメッセージの映像は、スルメの様に見える、魚の干し物が映し出されて来た。
其の魚は、背開きで乾燥されており、其れを、近代的な機械で粉にして袋詰めし、全国に出荷すると言うものであった。
其の行程は、乾燥技術が徹底されていて、稼働時間も正確に決められており、仕事が途中であっても、機械は停止され、従業員は帰って行った。
其の映像は、現代社会の技術が認められており、働く人達の労働時間も、しっかりと守られている理を示している。
其れに、魚を乾燥させて粉末にする事は、食糧の確保や、流通が無駄無く行われる事を意味しており、資源の無駄が無く成る理・ことを、意味しているのではないだろうか。
穀物菜食は、肉食と違って出汁が必要である。
其れを考えると、鰯や鯖などを養殖の餌にして、ハマチやマグロを育て食糧にするよりも、魚を粉末にして流通させる手段の方が、無駄が無いし、効率が良いと言えるだろう。
次の映像は、私が一人で海を泳いでいると、36年前、私が29歳の時に、病気が原因で、29歳にて亡く成った弟「農夫成・のぶなり」が、カメラや水筒を首に下げて岩場に現れた。
そして、私の方に来ようとしているので、私は弟に、大声で「首に下げている物を置いて 服を脱がなければ成らない」と叫んでいた。
すると、弟は、其の様にする為に、振り向いて、服を脱ぐ所を捜していると、大波が押し寄せて、海に流されてしまった。
私は、大変な事に成ったと思い、海中で逆さに成っている弟の所に泳いで行き、助ける為に、先ず靴と靴下を脱がせてから、首の物を外して、頭を上にしようとしている処で、其の場面は終わった。
其の映像の意味は、何事にも手段が有り、体験を積んで学なければ、行動できないと言うか、生きられない理・ことを、示して来ているのではないだろうか。
今朝のメッセージは、昨日のメッセージ「知識の道 と 体験の道」の続きであり、「知識」と「体験」に付いて、具体的に現場を映し出して来たモノ・現象であろう。
其れと、はっきりとは思い出せないが、今朝の映像の始まりには、亡く成った妻の佳子らしき存在が在って、薬草を干して粉にしている場面が有った様な気がする。
其れを見て、何を粉にしているのかと、意って近付いて行くと、其れが植物の葉ではなく、魚を、木の葉の様に干した物だったのである。
そして、工場の様な施設が映し出されて来た。
其の映像を考えて見ると、佳子は病死であるし、弟も病死である。
其れを考えると、今朝のメッセージは、病死の事か、病気に効く薬に関係が有り、霊界が、其の事に関係している理・ことを、示して来ているのではないだろうか。
其れに、薬草の本を調べると、人間が口にする植物は、米から大根まで、薬草の中に入っている。
薬草の事を考えると、私が12年前から、愛媛県大洲市で関わっている少彦名神社の存在がある。
大洲市に在る「少彦名神社」は、薬の神、智慧の神である「少彦名命・すくなひこなのみこと」の御陵が在る神社である。
其れを考えると、今朝のメッセージは、其の少彦名命の御魂が、関係しているのかも知れない。
少彦名命は、大国主命が出雲の国造りをする時に、智慧を出して協力したとされている神・はたらきである。
其の事を考えると、今朝のメッセージは、其の少彦名命の御魂が絡んでおり、私の身内の霊魂を、引き合いに出して来ているのかも知れない。
其の様に考えると、神霊界の協力なくしては、国造りができないと言うか、事が進まないとの理・ことなのかも知れない。
其の様に考えると、人間は、古代から先祖の霊魂や、神霊を敬って来た事の理由も解る様な気がする。
私は、白土宏氏に、新しい御世創りの「宣言文」の様な文章を書けと云われて、昨日から、其の事に取り組み始めている。
其の主なテーマに、東経130度30分の「夢と志の有る国 日本」石碑建立と、其の線上に存在する「神功皇后」の斎宮跡に植えられている「頭山満翁」の、お手植えの公孫樹をしようと考えているのだが、今朝のメッセージから考えると、もっと違う方向から、アイデアを組み立てる必要があるのかも知れない。
今朝の、メッセージの様子からすると、彼の世の仕組みと言うか、神霊界の在り様を、もっと深く知る必要があるのではないだろうか。
何故なら、世界中で、古代社会は、神霊を祭祀する事が「政治」の中心に成っているからである。
其の、理・ことに触れなければ、東経130度30分の石碑建立も、頭山満翁の植樹の意味も、社会に色濃く反映されないし、政・まつりごとの本来の意味が、再認識されないからである。
私の妻と成った「井上佳子」は、出会った時に、室戸の千手観音を祀る神社の所で「此の娘は倭姫である」と告げられ、「倭姫・やまとひめ」とは誰であろうかと想っていると、ラジオや新聞や雑誌等で「倭姫」に付いての事を見聞きする様に成った。
倭姫とは、垂仁天皇の皇女であり伊勢神宮を創建した女性で、「日本健命・やまとたけるのみこと」の叔母さんに当たる人物である事が判ったのである。
そして、其の倭姫の霊が「奈良に帰りたい」と告げて来たので、1988年5月4日〜5日に掛けて、井上佳子の肉体を依代として、昔し伊勢へ向かったルートを逆に通って、倭姫の御魂を奈良へ連れ帰った。
そして、其の年の11月21日(佳子31歳の誕生日)に佳子と結婚して、小倉で暮らす事に成り、次の年の9月26日に「日の宮幣立神宮」が在る阿蘇の蘇陽町に引っ越して、9年間住む事になった。
不思議な事に、昭和天皇の大喪の日である平成元年2月24日に、昭和天皇の御魂に蘇陽町に在る「日の宮幣立神宮」の事を知らされ、3月13日に初めて参拝し、5月6日に二度目に参拝した時に「空き家が有る」と告げられ、地元の人に訊くと「競売物件が有る」と云うので、直ぐに入札して買う事が出来、登記日は佳子の誕生日である11月21日と成っていた。
そして、9年間蘇陽町で暮らし、昭和天皇の誕生日である平成10年4月29日に、佳子の葬式を済ませ、蘇陽町を出て出雲に引っ越す事に成ったのである。
其の事からも、私の人生は、天皇家と言うか、霊界に左右されている、コントロールされている事に成る。
今朝のメッセージからすると、此の人間社会が、どの様に営まれているのかを再検討し、新しい国造りの基本を、考えなければ成らないのかも知れない。
平成24年4月27日
礒邉自適
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