1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2015/10/31
マヤの神が現れる
27・10・31
愈々10月が今日で終り、明日11月1日を迎える。
今朝のメッセージの映像は、私が肉体労働をして、10万円の手当を貰い、山の家に帰る為に坂を登って居ると、其のお金を狙って、後ろから二人の男性が迫って来たので、石を投げて追い払って、何とか、山中に有る神社の様な建物に帰り着く事が出来た。
そして、「飛行機は駄目だ」との言葉が告げられて来た。
次の映像は、私が、左側に存在する神の情報に接続しようとすると、拒否されて繋がる・侵入する事が出来なかった。
そして、後ろを振り返ると、右側の空中に、マヤの翡翠の神の仮面が浮かんでおり、私は是から、其の神の情報を、組み立てなければ成らない事が、示されて来た。
続いて、私と愉伽さんが、二人で民宿の様な宿に宿泊して居り、私が夜中に男子トイレを捜して居ると、二m程の背丈がある50歳位の浅黒い男性が、登山の用意をして、部屋から廊下に出て来た。
私が、時計で時刻を確認すると午前4時であった。
今朝のメッセージの映像は、昨日のメッセージの映像で、横書きの日本語の文章が、縦に澤山重なって書かれている物が映し出されて来て、其の文章の基礎と成る三分の一程が、新しい文章と入れ替えられる場面が、映し出されて来た事と関係が有り、日本語で現さなければ成らない事は完成・終了したので、是からはマヤ・アステカの神の世界に付いて、情報を集めなければ成らないと言う事なのかも知れない。
そして、最初の追剥ぎに襲われる場面と、「飛行機は駄目だ」との言葉は、神の世界を究める為には、危険であっても自分の足で確かめる必要があり、飛行機で現地に飛んでは、神の世界を認知する事は、出来ないとの理・ことを示して来ているのではないだろうか。
今朝のメッセージの映像からすると、私は日本国だけで神の世界を研究して来ているが、外国に渡航して神の世界を調べた事が無いので、現地に足を運んで、自分の気で、神の息吹を感じ取らなければ成らないと言う事なのかも知れない。
そして、南米でも、屋久島の岳参りの行事が行われており、午前4時から出発して、奥岳の山頂に祭祀されている神に、参詣する必要があるとの事なのではないだろうか。
2004/2/16・・今年の、学研発行の雑誌「ムー1月号」に、鹿児島と屋久島の間に有る海底火山「喜界島カルデラ」の大爆発によって、南九州に住んで居た縄文人が逃げ出して、南米のエクアドルに辿り着いた事が載っている。
6300年前の喜界島の爆発によるアカホヤの下に、それ迄の縄文人の使用していた土器が発見されているのだ。12000年前の氷河期には、現在のミクロネシアやニューギニア島辺りは大きな大陸で、多くの人々が住んでいて、其の後の温暖化に因る海進で北上を始め、南九州にも渡って来て住み着いていたのであろう。
其れが、6300年前の大爆発で、沖縄から関西辺りの地に住んでいた縄文人は、逃げ出しているのだ。だから、アイヌや蝦夷と呼ばれる人達は、関東以北に残った事に成り、沖縄とアイヌの人達が似ており、南米エクアドルやアンデスの人達の遺伝子が、その人達と同じである事も、科学的に証明されている。
数年前、日本に来たエクアドルの人達が、屋久島の岳参りの風習と同じ風習が、南米にも残り伝えられていると、驚いて居たそうである。縄文人達には、山を信仰する風習があった様だ。沖縄にも、「御嶽・うたき」と呼ぶ聖地が在り、森や石が信仰の対象と成っている。南米でも、山の湧水の有る所が、精霊の住む聖地とされているのである。これは、アイヌの風習と同じである。
私が20年前、神の世界に入った時には、毎日、屋久島中の湧水の有る所や、古代の人達が、生活して居たであろう水場に、静かに座って瞑想をしていたのも、古代の人達の霊に導かれての事であったのかもしれない。
古代の人達は、山の樹木や、岩石に、精霊が宿ると信じていたのである。
私が体験した世界は、正にその世界であったのだ。
屋久島から、6300年前に人が消えても、島の岩に記憶された人間の意識・精霊の働きは、残されていたのである。その古代の霊魂の働きで、私の意識は目覚め、世界中の霊界人とコンタクトがはかれる様に成ったのだ。
私は、1984年の6月から10月末迄、屋久島での修業を終え、11月から全国の旅が始まり、1985年の7月2日迄、日本国中を巡り、屋久島の小石を全国の山や岬に埋めて廻った。だから、現在、屋久島で生活していても、全国に島の石が有って、霊的な回路として働いている事に成るのである。
私にとっては、日本列島全部が御岳・うたきと成って、霊的な働きをしている事に成る。
私は未だ、国外に出て、他の言語や風土には触れていない。
日本での答えがハッキリしない内に、国外に出る事は、意識の乱れに繋がるし、霊界の混乱を引き起こし、新しいアカシックレコードの製作に影響を与えるのであろう。・・・
「海渡族の謎」http://moon.ap.teacup.com/20061108/536.html
2006/8/18「約束は護られる」http://green.ap.teacup.com/20060818/1.html
其れ等の事を考えると、確かに、私は明日11月1日から、意識を切り替える必要があるのだろう。
平成27年10月31日
礒邉自適
2015/10/29
過去と未来
27・10・29
今朝のメッセージの映像は、私が客人を接待(もてなす)為に、海岸に伊勢海老捕りに出掛けると、海岸には普通の伊勢海老が居ないで、岩穴から髭や角が出ているのを引き出して見ると、其れ等の生き物は硬い甲羅の生き物で、食べる事が出来ない物であった。
私は仕方が無いので、漁港の市場に行って見ると、戦時中に鹿児島に疎開して来て、戦後沖縄に帰れなく成って屋久島に住み着いた、与論島出身の故「若松氏」が素潜りで捕って来た、伊勢海老などの獲物が販売されていた。
しかし、伊勢海老は1sが12000円するとの事で、私は手が出ないで他の物を見ると、草履海老や靴海老の他に、見た事も無い甲殻類が何種類か居て、其れ等の生き物は、アンモナイト等が生きて居た時代の物である事が判った。
次の映像は、前田氏が経営する会社に行くと、私が見た事が無い未来の情報システムが完備されており、其れ等の機器や道具は、現代の物とは違っていた。
そして、記録されている文章の中には、現代では使用されていない新しい漢字文字が、多数含まれていた。
そして最後に、「愉伽さん」に雰囲気が似た、丸い顔の女性が微笑んでいる様子が映し出されて来た。
今朝は、朝起きてPCを立ち上げると「ななめ読み」との言葉が有ったので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「貴方は 全ての事を
知ろうとする必要は ありません
何故なら 不必要な情報まで
入力してしまう 恐れが有るからです
其れは ななめ読みをする事で
本当に必要な事だけが 認識されるからです
其れは 全体の事を 網羅しなければならないが
全ての事を 審査する必要が無いからです
貴方は 自分の役割として
自分が出来る範囲の事だけを
しっかりと 把握すれば良いのです
残された 人生を ゆっくりと過ごす事で
是まで 誰も認識出来なかった事が 認識できるでしょう 」
「ななめ読み」http://moon.ap.teacup.com/20060103/696.html
ななめ‐よみ【斜め読み】
[名](スル)全体の流れをつかむために、細かい部分は所どころ飛ばして早く読むこと。「パソコンを使って新着ニュースを―する」
今朝の映像に映し出されて来た、女神の顔が愉伽さんに似ていたのは、北九州市小倉の銀天街の近くに存在する「瑜伽神社」の存在と関係が有り、私が1984年の夏に、其の瑜伽神社の境内に建っている「猿田彦神」の石碑で、不思議な事が起きた事と関係が有り、私は、猿田彦神の働きで「過去世」と「未来世」に渡された事に成るのではないだろうか。
2014/3/30・・昨日の映像で、何故「愉伽さん」が、行き詰まっている私を連れ出して、駅の様な所に連れて行ったのかを考えていると、私が1984年の夏に北九州市小倉の旦過市場の近くに在る、「瑜伽神社」の境内に立っている「猿田彦神」の石碑で、三途の川の渡し賃である「6文銭」を渡された事を思い出した。
其れを考えると、瑜伽神社の祭神が女性神であり、私を見守っている事に成る。
「重計」http://green.ap.teacup.com/20060818/3010.html
2006/4/1・・1984年の夏には、小倉に有る「田川ホテル」から、朝「無庵師匠」の家に向かう途中、道を間違えて「瑜伽神社」の前に出たので、お参りをして「猿田彦神」と彫られている石に、清めの水を一度掛け、二度目を掛け様とすると、一番上に彫られている「猿」の文字の所に、新しい5円玉と1円玉が突然に現れた。
私は、其の二枚の硬貨を三途の川の渡し賃である「6文銭」だなと想い、其の6円を手に取り、前日に買ったばかりの、新しい車のキーホルダーの小銭入れに入れて、再び無庵師匠の家に向かった。
そして、其のキーホルダーを無庵師匠の自宅居間の応接台の上に置き、食堂のテーブルで朝食を摂っていると、又、目の前に5円玉が出て来た。
私が、変だなあーと想っていると、又、続いて1円玉がテーブルの上に出て来た。
私が、其の出来事に変だなと想い、襖を開けて、隣の部屋の応接台の上に置いて有る、キーホルダーの中を見ると、神社で入れたお金は消えて、ホルダーの小銭入れの中は、空に成っている。
私がテーブルに戻り、無庵師匠に其の事を話したが、師は表情も変えず「今は 食事中ですから」と云って、其の6円は後ろの棚に置いて、静かに食事を続けて居る。
無庵師匠にとっては、そんな事は大した事ではない様で、食事が終わっても、師は其の事には一切触れなかった。私の師にとっては、そんなことは重要ではなかったのであろう。・・・
「猿田彦の神」http://star.ap.teacup.com/170606/1079.html
今朝のメッセージの映像から考えられる事は、ブッダと成った釈迦の言葉に三世「過去・現在・未来」が有り「衆生一切我が子」と有るので、其の世界が今朝映し出されて来たのではないだろうか。
今朝の映像は、アンモナイトが古生代の四億年前に誕生した物であるので、人類発生650年より遥か昔の世界である。だから、人類の意識を超えた生命の記憶を示唆しており、是から人類が何処に向かうかも、示唆されて来ている。
2008/10/18・・其の、三段に別れている文章が、私の意識作業で、一つの章に繋がる事の意味は、過去・現在・未来の事が、私の是までの作業で、一つの繋がりを持つ事に、成功したとの事を、意味しているのかも知れない。
其れは、釈迦牟尼佛の言葉である、「過去・現在・未来の三世に 私の存在が在り、現在の私は、過去の情報の因果で存在して居り、未来の因を創造するのは、現在の私である。」との意味である。
其の、釈迦牟尼佛の言葉を参考にすると、私は今朝、三世を繋ぐ事に成功したと言う事に、成るのではないだろうか。
其れこそが、日本の伝統である「天津日嗣・あまつひつぎ」との意味なのかもしれない。・・・
「三章の文章」http://green.ap.teacup.com/20060818/921.html
2003/11/24「生命プログラム」http://star.ap.teacup.com/170606/92.html
2015/2/21「神の目線」http://green.ap.teacup.com/20060818/3368.html
2003/7/1「ファーザー(Father)」http://wave.ap.teacup.com/20060106/139.html
今朝の「愉伽さん」のビジョンには、父親の雰囲気が有る男性の力強い声で、「〇○の大菩薩」と告げられて来たとの事である。
其の、愉伽さんに言葉を告げて来た男性も、「ファーザー(Father)」だったのかも知れない。
平成27年10月29日
礒邉自適
2015/10/27
「軍神が付いて居ます」
27・10・27
今朝のメッセージの映像は、明日28日が台所の「竈の神」である「荒神様」の日である事と関係が有るのか、農業や食べ物の世界に関係が有る「セミナー・講習会」が、数カ所で開催されている場面が映し出されて来た。
そして最後の会場で、古い時代の服を着た30代半ばの丸顔の日本人の女性が、私の所に遣って来て、私に「軍神が付いて居ます」と云った。
「軍神」を検索すると、次の様に載っている。
【軍神】(ぐんじん、ぐんしん、いくさのかみ、いくさがみ)とは:
軍事・戦争を司る神。武神ともいう。(英: god of war, Mars)
壮烈な戦死を遂げて神格化された軍人。(英: war hero)
概要(編集)
軍神とは戦勝や武運長久を祈願し、聞き届けてくれるといわれる神を指す。
日本では、天照大神が皇孫瓊瓊杵尊を葦原中国に降されるにあたり、武甕槌神と経津主神が先発して平定したという故事が『日本書紀』に記されており、その二柱の神をそれぞれ祀った鹿島神宮、香取神宮は、古くから軍神として崇められた。
また平安時代後期から中世にかけて、武家の筆頭であった清和源氏が石清水八幡を氏神とし、鎌倉の鶴岡八幡宮をはじめ各地に勧請したことから、八幡神は広く武士達に軍神として崇拝されるようになった。
近代以降になると勇猛な戦死者の美称としても用いられるようになった。西住小次郎中尉以後は軍が公式に指定する事になる。
ウィキペディアフリー百科辞典 現在記載
だが、今朝のメッセージの映像では、戦争の事は全く関係が無いので、「軍」の漢字を調べると、次の様に載っている。
「軍・グン」【解字】会意。「冖(勹)+車」。勹は包むで、かこむの意味。車は、戦車の意味。戦車で方位する、いくさの意味を表す。
【字義】@いくさ。㋐つわもの。兵士。㋑軍隊。㋒たたかい。戦争。Aたむろする。陣取る。B陣営。C軍隊の編成上の名。
漢語林
此の軍の意味からすると、今朝のメッセージは、食べ物の世界を護る為に、台所の神の陣営が、動くとの事なのではないだろうか。
荒神様の説明には、次の様に有る。
【荒神】・・御祭神は各県により若干の違いはあるが、道祖神、奥津彦命(おきつひこのみこと)、奥津姫命(おきつひめのみこと)、軻遇突智神の火の神様系を荒神として祀っている。神道系にもこれら火の神、竈の神の荒神信仰と、密教、道教、陰陽道等が習合した「牛頭天王(ごずてんのう)」のスサノオ信仰との両方があったものと考えられる。祇園社(八坂神社)では、三寶荒神は牛頭天王の眷属神だとしている。・・・
ウィキペディアフリー百科辞典 現在記載
其れに、私に4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が起きた時に、最初に姿を現したのが、マクロビオティックの世界を創出した「桜澤如一」であり、次が大本教の「出口王仁三郎」で、次が剣豪の「宮本武蔵」であった。
2009/12/30・・其の順番の意味は、「桜沢如一」は食の世界で、能く噛む事の修行。「出口王仁三郎」は足の世界で、正しく歩く修行。「宮本武蔵」は二刀流であり、左右の腕をバランス能く使う事で、左右の脳の働きを良くする修行だったのである。其の後にも、ゲーテや、ピカソや、一休禅師や、利休や、松尾芭蕉などの霊魂が、次々に私の身体を交代で使用し、其の有様を4311体の霊魂が、全部で見詰め、総合的な体験・智慧を積み上げて行ったのである。
そして、有る程度の修行が済んだら「猿田彦神」等の神霊が身体を使い始め、全国の旅が始まったのである。・・・
「除夜の鐘と初詣」http://green.ap.teacup.com/20060818/1388.html
其れと、私が東京の「オオサワジャパン」の事務所を初めて訪問した時に、「此処がお前の仕事場だ」と、桜澤如一の言葉が告げられて来てもいる。
2006/12/15「シンクタンク・トップ」http://green.ap.teacup.com/20060818/126.html
其れ等の事を考えると、昨日のメッセージに「萌・ミョウ」の文字が示されて来た事と、両目の瞳が無い男性が登場した事が関係有り、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いているという猿田彦神が、目の輝き・光を取り戻して、動き出すとの事なのかも知れない。
其れは、日本の伝統である「食国政事・おすくにのまつりことの」の復活であり、天皇家の一番重要な台所の「御餉殿・みけどの」の神(はたらき)が、力を取り戻すと言う事でもあるのだろう。
2005/10/29・・昨日10月28日は、阿蘇の山里で「荒神様」の儀式が行なわれる日である。
家の主人が、川に行って小石を拾って来て、屋敷の裏庭に積み上げ「荒神様」に祈りを捧げるのである。
荒神様は、カマドの神様で、奈良県の三輪山から奥に入った村に神社が有る。
広辞苑には、「かげにいて それぞれの人を保護すると信じられていた神、西日本で祭る屋敷神。同族祭祈のことが多い。」と 載っている。
「三宝荒神」http://white.ap.teacup.com/miitu1223/1062.html
今日は、1943年3月18日に私を捜し出して、屋久島に自宅を建てて引っ越して来て、1984年6月4日(旧暦5月5日)に私を此の世界に送り込んだ、土肥無庵の誕生前夜・イブの日である。
其の土肥無庵は、2001年11月7日に身罷って14年が経過しようとしている。
今朝のメッセージの内容から考えると、其の土肥無庵が、彼の世・四次元世界で「食国の政・おすくにのまつりごと」の復活に、動いている可能性が高い。
そうであれば、明日のメッセージで、其れらしき事が映し出されて来るかも知れない。
平成27年10月27日
礒邉自適
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