1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2016/6/30
生命の元氣(もとき)
28・6・30
今朝のメッセージの映像は、先ず、自然の林の中に、林檎の原種の木が一本立っており、其の枝先の彼方此方に、色付いた果実が数個着いているのが、映し出されて来た。
そして、「生命の元気(もとき)」「元気な生命(いのち)」との、どちらとでも言える言葉が、重要である理・ことが示されて来た。
其れから、自然界や、その自然の中での人間の営みが、次々に映し出されて来て、其の映像の中の随所で、大事と言うか、必要な言葉が、日本語で表示され、其の日本語の後に( )付きでCentury文字(セリフ文字)にて、英語の意味・読みが付されていた。
そして次に、真っ黒な世界に、金色の文字で、其れ等の単語が繋がって、「玉枝垂れ」の様に、放射線状に広がっており、傘骨を回転させる様に、回り始めた。
今朝の映像に、様々映し出されて来た場面中には、一婦人が、自分の菜園で栽培した「スギナ」を、私の所に持って来て「是は 身体に良いので 食べてください」と云って、置いて行く場面が有った。
私は、其のスギナの事で、「マクロビオティック・正食」を世界に拡げた故「桜澤如一・さくらざわゆきかず」の事を思った。
〇自然の中の原子転換/日本CI協会
ケルブランは低エネルギー核融合という新興科学を「生物学的元素転換」と命名した。後に生理学分野のノーベル賞にノミネートされたケルブランは、自然界、特に植物や動物の個体内では、低エネルギー核融合を通じ元素が結合し新しい元素を生み出していると提唱した。元素転換は低温、低圧、低エネルギーの状況下で2つの原子核が融合することで発生する。ケルブランは、二つの「原始」元素を自然な環境の下融合させることで新たな「子孫」元素が誕生すると考えた。・・・
原子転換の原理は、その昔、フランスのルイ・ケルブランによって発表され、食養の大家、桜沢如一(さくらざわ ゆきかず)先生と共に研究されて来ました。
スギナが、ケイ素と炭素の原子核を組み合わせることができれば、 カルシウムを自前でつくることができる。 スギナだけではない・・・。
引用終了
其の「桜澤如一」は、私が此の世界に入って4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が起きた時に、一番先に私の身体を使い始めた人物である。
其れを考えると、今朝スギナを、私の所に届けた来た婦人は、桜澤如一の御魂に関係が有り、桜澤如一が何等かの意思を、伝えて来たモノなのではないだろうか。
其れに、今朝、最初に映し出されて来た、林檎の原種の木は、旧約聖書に記されている、蛇が勧める知恵の林檎と関係が有り、聖書の物語・比喩は、林檎の木にとっては甚だ迷惑な事なので、林檎の存在を、人間の罪の喩えに使うのは、止めてくれとの事ではないだろうか。
そして、知恵の林檎を食べる事で、「自分が裸である。恥ずかしい。」との言葉を知って、エデンの園から追放された「アダム」と「イブ」の物語に代わるモノが、今朝映し出されて来た玉枝垂れの言葉の回転であり、新しい言葉の楽園を築かなくては成らないとの理・ことなのであろう。
そして、其の言葉は、人間の生活に無くては成らない単語であり、其の言葉の基礎と言うか、始まりの所には「生命の元気(もとき)」「元気な生命(いのち)」との、意味がなければ成らないと言う理・ことなのであろう。
其れは、私に「命を探せと云った人の名は」のブログの切っ掛けを与えた、女神の存在と関係が有り、我々人間が、一番気にしなければ成らない意識の原点(根源樹)なのであろう。
其の様に考えると、私は女神に指示された次元に、到達した事に成るのではないだろうか。
今朝はPCを立ち上げると「そうね 貴方には何も」との女神の声が聴こえて来たので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「そうね 貴方には 何も
自分から するべき事は 無くなったわ
貴方は 完全に 自分の為すべき事を 終えたのよ
ですから 気持ちを楽にしなさい
是からの出来事は 貴方の カルマに成る事ではないので
気軽に 接して行けば 良いのです
ですが 是からの事は 貴方無しでは 進める事が出来ないので
其処のところは 充分に熟知して 対処しなさいね
何故なら 其の事で 未来世界が 創造されて行くのですから
例え 何が有っても
貴方の是までの実績は 消える事は有りませんので
其処のところは 安心して良いのですよ
では 残りの人生を 楽しみなさい
「女神のブログ」http://moon.ap.teacup.com/20060103/726.html
此の女神の言葉からすると、私は桜澤如一から始まった4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」の出来事や、聖書等の宗教の世界からも、意識を外して良いとの事なのではないだろうか。
其の様に考えると、私は確かに自由に成ると言うか、肩の荷が完全に下りて、気持ちが楽に成る様な気がする。
私は、5月30日にPCが壊れてから、作業中に音楽を聴く事も無くなったし、夕食で焼酎を飲む事も、余り必要では無く成って来ている。
其れは、私が「土肥無庵」に傳えられた事や、4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が私のストレスと成っていたと言う事であり、其のストレス・呪縛が解かれた事の、影響なのであろう。
今朝のメッセージから、私が考えられる事は、人間の暮らしの営みの中で使用されている、基本的な言葉と言うか、重要な単語を、改めて確認する必要が有り、其れが世界共通の概念と成る様に、英語の単語(解釈)も整備しろとの事なのであろう。
そして、其の作業の基本と言うか、基礎・土台の所に「生命の元気(もとき)」「元気な生命(いのち)」との「意識のタイトル」が、必要不可欠であるとの理・ことなのであろう。
本日6月30日は、私のPCが壊れてから、丁度一ヶ月目の日である。
其の日に、「そうね 貴方には 自分からするべき事は 何も無くなったわ」との女神の言葉が告げられて来たのは、5月30日にPCが壊れたのも、其の女神の仕業であり、今日と言う日を迎える為の、天神(てんのはたらき)の計らいなのであろう。
其の様に考えると、私は1984年6月4日の朝、紫陽花を一輪渡され、安房川の岸辺で、禊ぎ祓いの儀式を行ってから始まった神の世界を、此の紫陽花の季節に、卒業する事に成るのであろう。
其の事を認識するだけでは、私の意識・脳が空白に成り、無に成った意識に「不如帰・ほととぎす」の声が響けば、私は虚空の谷間に吸い込まれて行き、自分の意識を失ってしまう可能性が有る。
其れを防ぐ為に、今朝の映像では、新しい言葉の玉枝垂れが回転し始め、私に新しい世界を、提示して来たのではないだろうか。
其の様に考えると、天神(てんのはたらき)の世界の配慮に、感謝をしなければ成らないと謂う事になる。
いま個々まで打った処で、右手の中指にカモ・(神の電気信号)の反応が起きた。
時刻を確認すると、10時07分である。
其の10時07分の数字は、私が2005年10月7日に、2008年9月15日に「リーマンブラザース証券」が倒産する事が告げられて来た日である。
「情報の管理と発信」http://star.ap.teacup.com/170606/597.html
其れを考えると、いまのカモの反応は、其の事の背景と言うか、裏には、天神(てんのはたらき)が有り、人間社会の有り様と言うか、人間意識の裏には絶えず、神の意識が存在すると言う理・ことなのであろう。
其れを考えると、仏教で言う処の「人間の行いは 全て観音菩薩の掌の中」との訓えや、イエスキリストが謂う「神は 貴方達の今日の髪の毛の数まで 知っている」との理・ことが、理解されて来る。
其の上での、私に与えられた自由である。
是は、確かに「では 残りの人生を 楽しみなさい」である。
平成28年6月30日
礒邉自適
2016/6/26
反射的に動いては成らない
28・6・26
今朝のメッセージの映像は、長い時間が掛かって、男性が導き出さなければ成らない課題が有る事が示されて来た。
其れは、密教の両部曼荼羅の世界と関係が有り、中心に「阿・大日如来・マハーヴァイローチャナ(宇宙の真実の本体)」が定着する為の、方法と言うか、実践に関するモノ・世界である事が、理解された。
私は、余りにも長い時間が掛かるので、カンニングをしようと意い、何かの文章を盗み見ると、其処に書かれている文章は横書きで、記されている文字はフニャフニャで形を成している物が無いので、全く意味を汲み取れない物であった。
私は、其の儘では埒が明かないと意い、何処かの受付に向かうと、大きな建物の玄関口に、何十人もの人達が、玄関扉が開くのを一列に並んで待っており、其の後ろの方は、広場に、隊列に並んで多くの人達が待って居るので、私は其処でも埒が明かないと意い、他の場所の受付に向かった。
其処で、受付の係りの人(姿は見えない)に必要な金額が示されたので、自分の財布を取り出して、1万3000円を渡すと、別に3000円が必要であると示されたので、其の3000円(三枚)も渡した。
すると、次に、何も物が存在しない空間が映し出されて来て、其の何も無い白い空間に、二人が向き合って座れる座敷の囲炉裏が映し出されて来て、其の囲炉裏の枠の左側に座っている70歳位の男性茶人が、私の方を振り返って見た。
私が、其の男性と目が合うと、其の場面は消えてしまった。
私は、其の場面で、男性に必要な事は「簡素に生きること」である理・ことが理解されて来た。
そして、「反射的に動いては成らない」との理・ことが、示されて来た。
そして、次に6月16日のメッセージの映像に映し出されて来た、建物の基礎の地面に生えていた、二本の紫色の樹木の芽の、右側の一本が映し出されて来た。
其れは、左側の過去の処理システムが完成して、是から右側の未来の幹・枝葉が繁り始める事が、示されている様であった。
其れから、最後に、男性か女性か判別のつかない声で「あなたは わたしを避けた」との言葉が一言告げられて来た。
私は、其れから其の言葉が気に成ったので、何時・何処で、誰の存在・行為を避けたのかを、過去を振り返って見たが、其れらしい人物の存在は浮かんで来ないのである。
何故かと謂うと、私はどんな悪人であれ、頼まれた事には相談に乗って、数え切れない程の損をしたが、其れでも、近付いて来るものを避けた事は無いからである。
そして、此の世界に入ってからも、神霊界の動きには何一つ抵抗しないで、身を任せて来ている。
其れ等の事を考えて居ると、時刻が気に成ったので、照明を点けて時計を見ると、7時00分であった。
私は其の時間で、一昨日6時59分に起こされた事が、事態が進んで、7時ジャストに成ったと思った。
其れから、頭に、屋久島の唯一の民謡である「まつまんだ」の歌詞に有る、「チョイサヨ チョイサヨ」との掛け声が、祭りの囃子の様に聞こえて来た。
今朝は、起きてPCを立ち上げると、「おおやまと新聞」が気に成ったので、HPの5月号の記事に目を通すと、次の様な「矢追日聖法主」の話が載っている。
「夢枕に立った人」
夢枕に立つということも古くからよく聞く話ですが、これは現在でも経験した人は世間によくあることと思います。
浅い眠りの時に現れる現象のようです。
夢のお告げというものもこの類ですね。
私はね、昨年10月18日に有馬温泉の兵衛旧館に一泊した事がありました。
19日の朝「お茶はいかが」と声を掛けられたのでぱっと目をさましました。気分は爽快でした。見ると、茶人姿をした、中年の男子が私の右肩の脇に座り、左手は膝において、右手を伸ばし一服いれたお茶碗を枕許へ置いているところでした。
もう何時からしらと時計を見ると、5時30分でしたので、早朝からお気の毒に有り難いことだと。実は 内心では旅館の誰かが、特別サービスで茶人を差し向けてくれたのかしらと思いながらもどうにか腑に落ちない点があったのですが、ともかく起き上がろうとすると、寝巻きの右裾が茶人の膝の上で押さえられていたため、二三回起きようとした時に、はっきり目がさめました。
時計を見ると5時35分でしたから時計は正確に見ているのですが、枕許のお茶や茶人は消えていたのです。
面白いこともありますね。
朝の散歩に出かけると、旅館の廊下に茶会のポスターが貼られているのが飛び込むように目に映ってきましたよ。
昭和42年9月4日 日聖記
「おおやまと」http://www.ohyamato.jp/ohmotomiya/pdf/oymt201605.pdf
此の文章の内容から考えると、今朝の私の映像に現れた茶人も、其の事に関係が有るのではないだろうか。
其れに、此の文章にも、時計の存在が強調されているので、私が時計・時刻にコントロールされている事と通じている。
其れに、此の文章の日付が9月4日である事を考えると、私に、平成元年9月4日の未明3時33分に、聖徳太子の御魂が「ようやく高天原に達した。臨在から始める」と告げて来た事にも関係が有り、日本の茶道の世界が、未来創造に対して重要な意味を持っている事に成る。
「動き出した聖徳太子」http://star.ap.teacup.com/170606/772.html
2014/3/18・・すると、今度は、大阪に有る「太子堂」の様な建物・施設の縁側に、私が座って居て、お点前の準備をしている場面が、映し出されて来た。そして、準備が出来ると、三名程の男性客が到着したので、お茶を立てて出した。其れから、阿蘇の「日宮幣立神宮」の境内に「聖徳堂」を建立した、故「西村見暁氏」が遣って来て、其の後に、次々に知り合いが遣って来るので、茶碗が足り なく成り、裏方をしていてくれる年配の男性に、後を頼んで、近くに在る自宅に、お茶に使える茶碗を、全て取りに帰る処で、其の映像は終わった。そして、其の映像が、何を意味しているのかを考えて居ると、1989年(平成元年)9月3日に、日宮幣立神宮の境内に在る「地球平和道場」に、家族三人で 宿泊している時に、3時33分に聖徳太子の御霊が「ようやく高天原に達した。臨済から始める」と告げて来た事と、関係が有るのだと思われて来た。
「茶道」http://green.ap.teacup.com/20060818/2998.html
其れを考えると、今朝「貴方は 私を避けた」と一言告げて来た御仁は、「土肥無庵」であったのかも知れない。
何故なら、土肥無庵は茶道に興味を持っており、自分の息子に「利休」と「宗悦」と名付てもいたからである。
「貴方は 私を避けた」との物言いは、土肥無庵が何十億円もの資金を持っており、私に証書の束を見せて「何から始めるか」と訊いたり、「屋久島のヤマハホテルを買い取り 総理大臣から自適さんに会わせる為に連れて来る」と謂った事や、東京の明治神宮に連れて行き、清正の井戸(湧き水)の有る所に建っている日本建築の家に「自適さんは 此処に住んだらどうか」と謂った事に、私が従わなかった事を、示唆しているのではないだろうか。
其の土肥無庵は、お点前を披露してくれた事はないが、食事に使う器は人間国宝に成った人達の作品であり、毎日お茶時に使用する、急須と湯呑みは「北大路魯山人」の作品であった。
「無庵師匠の御魂」http://green.ap.teacup.com/20060818/2915.html
今朝のメッセージの内容からすると、私が、秘密と言うか答えを知る為に、姿が見えない受付の相手に、1万3000円と、別に千円札3枚を渡したのは、1万三千円が、13仏の「虚空蔵菩薩」の存在・はたらきを示唆しており、三千円が、「Tritarte fur・トライタルトファー」の「天蓋の内側に定着している 女神の働きから生まれる 三個の螺旋の宝珠」の宝珠の事を、意味しているのではないだろうか。
何故かと謂うと、虚空蔵菩薩の存在は「虚空蔵求聞持法・こくうぞうぐもんじほう」と関係が有り、其の「虚空」は天蓋の「fur・ファー」に関係が有り、其のfur・ファーに定着した「女神」が手渡す「三個の螺旋の宝珠・トライタルト」の受け取り手が、新しい此の世の「王・キリスト・メシヤ・大君」であると、考えられるられるからである。
だが、其の「トライタルト・三個の珠)の受け取り手が現れないので、事が動かせないと謂う事であり、紫色の樹木の苗・芽が成長する事が、出来ないとの事なのであろう。
其れに、此の儘では「埒が明かない(競馬の柵が開かない)」ので、何とかしなければ成らないのであろう。
そして、其の事に日本の茶道の世界が関係有り、茶道の世界を極めた人物の登場が必要であり、其の人物は、起きてくる出来事に対処するに当たり、「反射的」に動いては成らないと言う理・ことなのであろう。
其れは、大事が発生した時に、一々反射的に反応して居れば、大事を損なうと言う事であり、其の為にこそ、茶道の世界が必要不可欠であるとの事ではないだろうか。
其の様に考えると、「土肥無庵」が、最終的に私に求めていたモノ・世界は、其の茶道の世界であったのかも知れない。
其れを考えると、私は是から、其の茶道の世界を極める必要が有りそうである。
其処のところの、埒が開かなければ、人々が未来に向かって走り出せないとの事なのではないだろうか。
そして、其の世界が「七時」の「時間・とき」に関係が有るのだろう。
其れから、今朝私の脳内に聴こえて来た、屋久島の唯一の民謡である「まつまんだ」の歌詞の「チョイサヨ チョイサヨ」との言葉が、祭りの囃子の様に聞こえて来たのは、屋久島の山岳に集う神々が、喜びを現している事が、示されて来ているのではないだろうか。
2009/5/24・・今朝のメッセージは「合殿」と言葉が示され、青い空を背景に、高い山々の峰が幾重にも聳えていた。屋久島の一番古い民謡の「まつばんだ」の歌詞には、「屋久のお山を 疎かに想うなヨ 金の倉より まだ宝 チョイサヨ チョイサヨ」とある。其の「チョイサヨ チョイサヨ」とは、朝鮮語で「目出度いな 目出度いな」の意味である。そして「まつばんだ」とは、中国の雲南省の言葉では「神々の集まる場」の意味があるらしい。 其れを考えると、愈々、其の「まつばんだ」の意味が、世界中に知れ渡るトキが来たのかも知れない。其れは、弥勒菩薩が住むと言う兜率天の「須弥山」の山が、明らかに成ると言う事でもある。・・・
「合殿・あいでん」http://moon.ap.teacup.com/20060615/201.html
2009/4/30・・建物の外に出てから、私は、何物が建物を壊しているのかと想い、棒切れを拾って床下の壁を突っついて、開いた穴から、中を覗いて見ると、地下の部屋には男性が七人働いていて、古い建物を、土台からきれいに壊している事が解かった。其処で映像が終ったので、私は、其の七人の男性の事を考えていた。七人の男性は、日本では「七人の侍」とか、「七人の敵」とかの言葉が有るが、チベットの山にはシャンバラが有って、其処には「七人の聖者」が居るとも云われている。日本の七人の男性は、現実的な社会人の事であるが、チベットの山の聖者とは、現実的な社会人ではなく、神霊の事なので、今朝、古い建物を壊していた七人の男性は、チベットの七人の聖者の御霊だったのかも知れない。 其の様に考えると、其の七人の聖者は、新しい精神道場が建てられる事が決ったので、チベットの山に存在する古い精神道場を、取り壊し始めた事を、示しているのではないだろうか。・・・
「道場7」http://green.ap.teacup.com/20060818/1127.html
2007/6/16「亀甲紋の島」http://green.ap.teacup.com/20060818/327.html
今朝のメッセージは、4月25日の「王降臨新制」の文章と関係が有り、明後日の6月28日に、何等かの事が開始されると言う事なのかも知れない。
2016/4/25・・次に、黄色の「王」の漢字が映し出されて来て、其の王の漢字の右側には、上空から王の文字に添う様に、黄色の矢印の様な線が二本下っている様に書かれていた。其れから、「新制」との文字が映し出されて来た。次に、3000部の台帳が必要である事が示されて来た。次に「6月28日」の日付が映し出されて来て、其の日を境にして、何かが動き出す感じが有った。私は、其の「628」の数字を「むにや」と記憶した。・・・
「王降臨新制」http://green.ap.teacup.com/20060818/3829.html
だが何れにしても、私自身は、反射的に動いては成らないと言う理・ことなのであろう。
平成28年6月26日
礒邉自適
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