1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2016/12/30
落ちる
28・12・30
今朝のメッセージの映像には、何処かの合宿所に中年の人達が、10人程集まって居る場面が映し出されて来て、其の合宿の解散時に、私が部屋の中に有るテレビのスイッチを入れると、或る番組が放送されていて、其の音が聞こえた「多田氏(健康の為なら死んでも良い。が口癖の人)」が、急いでテレビの前に遣って来た。
其の番組は、四国の何処かで、女性が中心と成って、新しい村造りを行っているニュースかドキュメントの様な番組であり、其の女性は、多田氏の知り合いであると言う事であった。
其の女性は、丸顔で黒縁の眼鏡を掛けた40歳くらいの女性であった。
そして、散らかっていた部屋の中も綺麗に掃除が為され、モップ掛けも済み、私と多田氏以外の人々は、帰ってしまったので、其の建物には私達二人だけとなった。
そして、多田氏と話している間に時間が経ってしまったので、多田氏はもう一泊其処に泊る事にして、布団を二人分敷いて横に成ったので、私も、もう一泊する事にした。
其れから、何等かの映像が映し出されて来た後に、「落ちる」との言葉が告げられて来た。
其れは、私が32年半前に「解脱・げだつ」した事が、再び起きるとの事の様であった。
其れは、32年半前の解脱は、36歳までの人生(人間社会)から、解脱する事であったが、今朝の「落ちる」との言葉は、私が其の後32年半取り組んで来た、天神(てんのはたらき)への対応が終わると言うか、違う意味の解脱を迎えると言う事なのかも知れない。
其れとも、私の無意識の世界に棲んでいる神霊や4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が、此処まで私が見極めて来て事で、全ての事柄が「腑に落ちた」との事を示して来たモノであろうか。
其れを考えると、今朝PCを立ち上げて「落ちる」との題を打った時に、私の左手の親指に強いカモ・(神の電気信号)の反応が起きた事も、腑に落ちて来る。
今此の文字を打つと再び同じ現象が起きた。
どうやら、其れが当たっている様である。10時30分
其れに、今朝の映像で、女性が中心と成る村造りの放送は、是までの男性意識に拠る社会構造システムではなく、女性意識に拠る社会構造システムが構築される理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れに、其の女性が黒縁の眼鏡を掛けて居たのは、昔とは違い、女性の方も高等教育を受けて、知識が豊かに成って来ている理・ことが示されて来ており、女性が政治的な分野で主導権を持っても、何等問題が無いと言う理・ことが示されて来ているのであろう。
其れは、東京都知事が、女性と成った事でも現実化している。
其れが、四国であると言う事は、「弘法大師空海」の存在と関係が有り、女性の存在が「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の働きに近く成っており、「真言・マントラ」も子育てをした女性の方が、是からの時代・次元に適合すると言う理・ことも、含まれているのかも知れない。
其の様に考えると、是からの2000年間は「水瓶座・アクエリアス」の時代であり、女性性の時代であると云われている事と、合致する事にも成る。
今朝は、8時5分に起きたが、起きる前に「貴方は今も」との言葉が、一言告げられて来た。
其れは、私に「現在・いま」の気持ちと言うか、考えを想起させるモノであり、私が、未だ過去の出来事を引き摺って居るのか、未だ未来に対して望みを持ち続けているのかなどの事が、質問されている様な気がする。
だが私は、是まで32年間、自分の考えで生きて来た譯(わけ)ではないので、「貴方は今も」と訊かれても、何を、どの様に応答して良いのやら、判らないのが現状である。
何れ、私が32年半掛かって成し遂げて来た事が、社会に認められる事に成れば、別れて生きて来た家族も、其れなりの理解をしてくれるのではないだろうか。
其の様に考えれば、私にも、其れなりの希望が有ると言う事に成るのだが、果たしてどうなのであろうか。
明日で今年も終りである。
今年の師走は、満70歳を来月に迎える私の気持ちにも、是までに無かった心の安定感が有る。
其れは、由香と一緒に、五年間生活を共にする事で、出来上がって来た結果でもあるので、由香の存在にも、感謝の念が湧いて来る大晦日でもあると謂う事にも成る。
平成28年12月30日
礒邉自適
2016/12/27
二分化
28・12・27
昨夜は、眠る為に眼を閉じて居ると、瞼に田舎暮らしと言うか、個人が自分自身の能力で、生活を築き上げて行く様子が、村々で始まっている様子が映し出されて来た。
そして、眠ってからの映像は、私が布団に寝たまま、稲藁や麦藁などの穀物の収穫済みの残債が、山の様に捨てられている谷間・谷合に、滑り落ちて行く場面が映し出されて来た。
処が、其の谷間・谷合は藁積み全体に火が廻っており、私は、其の火が布団に燃え移る前に、逃げ出そうと思ったのだが、其処は足場の無いフカフカの藁積みであり、周囲は赤々と火が着いて燻っているので、布団から足を踏み外する、其の火中に沈んでしまうので動けないで居た。
次に、正等な情報が世の中に公に流布され、其れに合わないと言うか、落ち毀れた人達が、野球チームの二軍の様に、特訓を受ける様子が示されて来た。
そして、其の特訓に対して、私が是まで色々記して来た事が、役に立っている様子が示されて来た。
其れから「二分化」との言葉が告げられて来て、都会から田舎に移住して、空き家を借りて、自給自足をしながら、陶芸や工芸品の製作を始めている人々の様子が、映し出されて来た。
次に、農作業の現場が映し出されて来た。
其れは、大規模用の農業機械が使われるのではなく、昔の牛馬を農業に使う遣り方に近い程の、個人的な作業風景であり、牛馬の代わりにエンジン付きの駆動機械や、車が使用されている物であった。
今朝のメッセージの内容は、「二分化」との言葉にヒントが有り、アメリカ型の大規模農業や、大量生産・大量消費形の経済システムとは、別の生活手段が図られる事が、示されて来ている様である。
今朝のメッセージの内容から、私が感じ取った事は、政府や大規模な組織の言い成りに成ると言うか、言われた通りに生きて行く人々と、自分自身の生き方を模索して行く人々の二通りに、人間の生き方が二分化して行くと謂う事である。
其れは、政府や大規模な組織の言い成りに生きて居ると、其れが頓挫した時に、世の中全体が崩壊してしまう恐れが有るので、其れとは別の生き方が、存在(安定)していなければ成らないとの理・ことなのではないだろうか。
其の様に考えると、二軍の人達の特訓に、私が是まで記した来た事が、必要であると言う事も、理解されて来る。
其れは、簡単に謂うと、独立独歩の生き方を貫いている人々が存在しなければ、全体主義が崩壊した時に、助かる道と言うか、選択手段が無くなってしまうからである。
今朝最初に映し出されて来た、私の寝て居る布団の周囲に、全て火が燃えていたのは、既に、人間社会全体に火が燃え広がっており、全体が発火して炎が立ち上がる出来事が、目の前に迫っていると言う理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
そして、私が寝て居る布団に、其の火が燃え移らないのは、私が毎日受け取っているメッセージは、永遠の世界に繋がっているので、其の火・炎とは、次元が異なっていると言う事なのであろう。
そして、其れが椅子ではなく、布団であったのは、私が毎日メッセージを受け取っている世界は、「すめらのみこと・大君・天皇」の「天御臥間・ あめのおふすま」の世界である理・ことが、示されているのであろう。
其の様に考えると、今朝の映像で、稲藁や麦藁などの穀物の殻に火が燃え広がっている谷間の上に、私が寝て居る布団が滑り落ちて行く場面は、既に人間社会全体に火が廻っており、漢字の「謂」の世界が危機的な状態に至っており、人間と天神の「繋がり・結び」が切れて来ている理・ことが、示されて来ているのであろう。
2004/12/28・・人間の胃は、胃袋に入って来た食物を、酸を出して溶かすのが役目であり、胃で溶かされた食物は、十二指腸から出されるアルカリで中和されて、小腸に送られる。
そして、其の栄養分は、小腸の繊毛(白根と同じ)から吸収されて、血液で運ばれ、人体を支えるエネルギーと成るのである。
植物は、外向きに根を出しているが、動物は内向きに根を出しているのである。
これらの理・ことから、人間の身体で、一番古い働きを行っているのは、胃袋の細胞だと言う事が出来る。
漢字の「言う」は、本来は「謂う」なので、「人間の意識は 胃に有る」と、古代の人々は考えていた様である。
「謂」の漢字は、「言+胃」の組み合わせで、「胃」は「田+月(肉)」の組み合わせで、田は「口+米」の組み合わせであり、胃の意味は、胃袋の中に入っている穀物との意味である。 漢語林より
「一番古い身体の細胞」 http://moon.ap.teacup.com/20061108/428.html
2004/11/13・・其れに、日本の天皇・大君の事を昔「スメラのミコト」と言っていたのも、シュメール語の「葦の生える地を治める者」の意「スメル」から来ているのも、日本の地に、シュメール文化が流れ着いている事の証明である。
日本の事を「豊葦原の霊稲(ちい)穂秋の瑞穂の国」と言うのも、シュメール文化の名残ではないだろうか。
その文化が「食国のまつりごと」と成って、日本の伝統文化となり、現在、「神嘗祭・新嘗祭」の名で、天皇家で毎年続けられている。
日本の天皇家の神は、「御饌殿・みけどの」と言って、台所の神である。
天皇は、君(神に仕える者)として禊祓いをして、先祖の霊と共に「稲(い=飯)の霊(ち)」を通して、神の世界(大自然の法則)と、合意しなければならないのである。
其れ等の儀式の意味する処は、「謂う」の漢字として残っている。
「謂」は「言+胃」で、「胃」は「胃袋の中の穀物」を表しており、「月」は「肉」で、「田」は「口の中に米の字(殻の実がついた姿)」が入って出来ている。
この文字でも理解出来る様に、人間の意識は、穀物の霊を飯する事で、生じると考えられていたのである。
「私」の漢字は、「禾(イネ科の穀物)+厶」の組み合わせで、「厶」は「腕で抱え込む形」を示しており「自分の物だと、腕で稲穂や麦穂を抱え込む」事から、私有心を表現するものである。
この様に、文字を調べる事で、文化の流れが見えて来る。・・・
「漢字の始まり」http://moon.ap.teacup.com/20061108/510.html?rev=1
2016/1/2「 體=胃=食べ物」http://green.ap.teacup.com/20060818/3712.html
2004/8/12・・「仏・佛・ほとけ」とは「ブッダ・仏陀」の事で、其れは「覚醒した者」の意である。
其の「ブッダ」を日本語にすると、「スメミマ」であり、「スメ」とは「覚醒した者の目(意識)」のことで、「ミマ」とは「聖者の肉体」のことである。
それが、祭祀の時の天皇(祭祀王)の尊称「スメミマ」と成っているのだ。
「スメ」とは「仏陀の第三の目」と同義であり、それは松果体と呼ばれている珪素で出来た物質が、額の中央に有る事から来ており、「珪素」は英語で「シリコン」である。
シリコンの純粋な結晶は、松果体(まつかさ状)に成るらしい。
と言う事であれば、覚醒(さとり)とは、珪素の振動波に、意識が同調する事であると理解出来る。
日本の主食である、米の糠に含まれる籾殻は、90パーセント以上が珪素で出来ているらしい。
天皇家の伝統文化は、玄米や未精白の穀物を食べる事にある。「白米」や「白いパン」を、饌・ケとして居ては、スメミマと成る事は出来ないのだ。
天皇が、禊ぎ祓いをして「天臥間・あめのおふすま」にて、稲魂から森羅万象の情報を受け取る。それが、新嘗祭の儀式なのである。
日本の伝統は、ブッダに成る為の儀式を、毎年繰返す事なのだ。
其れは、天皇家だけではなく、古代社会では、各部族の代表が行なって居た儀式でもある。
天皇家は、全国民の代表として、日本の伝統である「天津日継・あまつひつぎ」を、継続すべきなのである。・・・
「皇室の役割」http://moon.ap.teacup.com/20061108/550.html
2008/8/20・・今朝は、雷が鳴り始まる前に、ビジョンは映されて来ていた。
其れは、経済が伴っていなければ、「悠紀殿・ゆきでん」と「主基殿・すきでん」の間の渡り廊下が、しっかりと整備出来ない事と、神殿に雨漏りがすれば「天御臥間・あめのおふすま」の寝具が濡れ、夢見が機能しない事と、病に掛かっても治療が受けられないと言う事である。
其れ等の条件が正しく整備されてこそ、はじめて「スミラノミコト・天皇・大君・ミカド」の不安が取り除かれて、「素目身真・すめみま」が正しく機能し、「御陵威・みいつ」が行われると言う事である。
総合プランナーの「プランナー・planner」とは、企画や計画を立てる人。立案者。の意味だから、総合プランナーとは、総合的に企画や計画を立てる立案者と言う事に成る。・・・
「総合プランナー」http://green.ap.teacup.com/20060818/854.html
2016/10/11「神の光の柱」http://wave.ap.teacup.com/20060106/698.html
2016/10/16「伊勢神宮 神嘗祭の日」http://green.ap.teacup.com/20060818/4021.html
2016/7/24「御饌殿の図面」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3934.html
2016/11/16「開国」 http://angel.ap.teacup.com/20071208/755.html
2012/10/27「賢所・かしこどころ」http://green.ap.teacup.com/20060818/2482.html
2013/4/20「タオ・道と田植え」http://green.ap.teacup.com/20060818/2660.html
今朝のメッセージの内容からすると、これ等の私の文章内容を理解する人々が、少なからず居る事が前提と成っており、其れ等の人々はさて置いて、二軍の人達を早急に育てる必要がある事が示されていて、私の是までの努力して記して来た事も、公に役に立つとのことである。
今朝の映像に映し出されて来た、現場の様子からすると、現代社会のシステムが、何事も大型化され、分業化されているので、昔の農家の様に、全て自分で行える「百姓」が居なく成って来ており、人間の原点の生き方が出来る「種人」が、消えつつある理・ことが示されて来ている様な気がする。
其れを考えると、私の存在がどの様なモノであり、天神(てんのはたらき)が私に何を期待しているのかも、理解できる様な気がする。
2013/1/14・・昨夜は、久し振りに9時頃にはベッドに潜り込んだ。すると、映像に「稲」の文字が現れて、其の文字の下には、辞典の様に縦書きの小さな活字が澤山書かれていた。
其の稲の漢字をペーストして、変換のクイックを押してみたが、何度行っても変換されないのである。
私は、其の事で目を覚まし、台所に行って水を飲みながら、時計を見ると0時15分前であった。
其れから、再びベッドに潜り込むと、其の続きの映像が現れて「言霊の会」と言う言葉が告げられて来た。
そして、古代の稲作りの道具である、木製の鍬や鋤などが5〜6品、祭りの時の纏いの上に着けられて、振られている映像が映し出されて来た。
其れから「田の神」として、「くしみけぬのみこと」との言葉が告げられて来た。
「くしみけぬのみこと」とは、出雲の「熊野大社」の御祭神である「神祖熊野大神櫛御氣の命・かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと」の名前であり、其れは「須佐之男尊・すさのおのみこと」の別名とされている。
出雲の熊野大社には、須佐之男尊と、妻の「櫛稲田姫命・くしいなだひめのみこと」が祭られている。其れを考えると、今朝告げられて来た「くしみけぬのみこと」とは、「櫛稲田姫命」に対する「櫛御氣の命」であり、夫婦の名前が揃った事を意味しており、1月7日のメッセージに有った「田の神」が揃った事に成る。
「櫛稲田姫命」の名前は、「稲を栽培する水田」の意味であり、「櫛御氣の命」との名前は、「氣・ケ」が食べ物の事を意味するので、「御氣・みけ」とは「御食物」の事であり、須佐之男尊は「食べ物の神」であると言う事になる。
だから、台所に祭る「荒神様」とは、「竈の神」であり「須佐之男尊」なのである。・・・
「言霊の会」 http://green.ap.teacup.com/20060818/2562.html
明日12月28日は、公の機関では「御用納め」の日であり、今年の行事が全て終了する事に成る。
其の御用納めの日を前にして、公文書が配布される事が示されて来たのには、何等かの意味合いが有るのであろう。
其れは、来年の事象の動きに、何等かの変化が起きる事を示唆しており、私に来年の心構えをして措けと言う事なのではないだろうか。
平成28年12月27日
礒邉自適
1 2 3 4 5 | 《前のページ |
次のページ》