1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2017/7/30
観世音菩薩
29・7・30
今朝のメッセージの映像は、私が学校の校舎の様な建物に居り、其の建物には世界各地から優秀な人々が集められて居た。
そして、姿は全く見えないのだが、主催者らしき人物の挨拶が有って、其の次に校長らしき人物の挨拶が有った様子が示されて来た。
次に、私の意識が、教室の中の教壇(師座のテーブル)に着いて、「三番目」だと、人々に示したのだが、私の姿が見えないのか、誰も気にする事なく右の方に向かって廊下を去って行くのである。
私は、其の人達に数度「三番目」だと呼び掛けて見たが、誰も私の存在を気に掛けずに立ち去ってしまった。
其れから、私は其の施設の中で一人で生活を始め、施設の掃除を始めたり、庭の草取りなどを始めた。
すると、姿が見えない何物かが、毎日、朝、机の上に、短い課題を書いて置いてある事が始まった。
私は、毎日其の課題を消化して居ると、有る日、其れは私が「統尊すめらのみこと」としての訓練を受けると言うか、修行をさせられている事が判った。
其れで私が、其の相手が、誰であるのかを気にすると「観世音菩薩」の名が聴こえて来た。
其れから、数日経ったら、若い男性が一人、私の机の前に講義を聴きに来て座って居るのである。
其れで、私が其の教室の中の「教壇(師座のテーブル)」に座って若者と対面すると、若者の背後の壁にスクリーンが現れて、其のスクリーンに文字が現れ始めた。
そして、横書きの文章の下に、私が知らない大きな漢字が、一文字映し出されて来て、其の文字の意味は、東洋の是までの概念ではなく、西洋の有名な古代の哲学者の概念で、解釈しなければ成らない事が示されて来た。
其れ等の意味に付いて考えて居て、意識が目覚めたので、起きて時計を見ると、時刻は6時24分から25分に成るところであった。
其れから、洗面を済ませ、穀物コーヒーを飲みながら蓬団子を食べて、PCを立ち上げて先ず「観世音菩薩」を調べて見ると次の様に載っている。
「観音菩薩(かんのん ぼさつ)」は、仏教の菩薩の一尊。観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)または観自在菩薩(かんじざいぼさつ)ともいう。救世菩薩(くせぼさつ・ぐせぼさつ)など多数の別名がある。一般的には「観音さま」とも呼ばれる。
名称の由来
サンスクリットの(アヴァロキテシュヴァラ)を、玄奘は「見下ろす」と「自在者」の合成語と解釈し「観自在」と訳した。鳩摩羅什訳では「観世音」であったが、玄奘は「古く光世音、観世音、観世音自在などと漢訳しているのは、全てあやまりである」といっている。
此の説明に有る、玄奘の「見下ろす」と「自在者」の合成語「アヴァロキテシュヴァラ・観自在」との意味からすると、今朝のメッセージは、昨日愉伽さんが見せられた「目」の存在と関係が有りそうである。
「・・今日の愉伽さんのビジョンには、真っ白い顔をした女性が左側から横向きで座った状態で登場し、その女性の前には、白い布の様な物の上に目玉が置かれていたとの事である。
其の愉伽さんが見た「女性の目玉」は、万物を見通す目である「ウジャトの眼」や、「籠目」と関係が有り、其の目の存在は、全ての事を見ている女神の意識であると言う事に成るのであろう。
其の様に考えると、私が毎日夢の中で見ている映像は、女神の意識が私の脳の仕組みを使って、全てを事を観ている証であると言う事に成り、私は女神が見ている映像を、自分が知っている言葉に置き換えている事に成る。・・・」
其れに、昨日の文章の題が「統尊を育てる」であった事と関係が有り、其の統尊を育てる事が、どう言う事であるかが、具体的に示されて来ている事にも成る。
今朝のメッセージの映像からすると、私の存在が其処に在っても、現代社会の価値観と言うか、教育・学習で知識を得た優秀な人達は、気付かない理・ことが示されて来ており、私は自分成りに静かな暮らしをしながら、与えられた課題を毎日消化して居れば、其の内に、若者が興味を持って訪ねて来る様に成ると言う事なのであろう。
其の様に考えると、私は現在の人間社会・世間の事は何にも考えないで、天・宇宙の意思(プログラム)に沿って、日々を過ごして居れば、良い結果が齎されると言う事の様である。
今朝のメッセージの映像から、私に考えられる事は、孫悟空の物語に出て来る「観音様」が実在すると言う事であり、私は其の観音様の掌の中で、自分に与えられた課題を消化(理解)し、積み重ね(認識)て居れば、其れが必然として統尊(すめらのみこと)の役割りを果たす事に繋がり、其れが「御嚴・みいつ」を行なう事であると言う事に成るのであろう。
今朝起こされた時間が、6時24分から25分に成る所であったので、6月24日と25日の文章を見ると、次の様な内容である。
2017/6/24・・今朝のメッセージの映像は、先ず、私が短めな文章を書き続けなければ成らない事が、何回も繰り返し示されて来て梅日記との文字が映し出されて来た。
其れから、私が大きな登山用リュックを背負った女性と、山から町に下ると、一人の女性が大きな鉄筋コンクリートの桃色系のマンションビルの入り口で、「私は 今は此の建物の西側の窓の部屋に住んで居る」と謂って、建物の中に入って行った。
其の女性と別れて、もう一人の女性と何処かへ歩き出すと、由香の語り口調で、母親が諭すように「行ったらいけんよ」と一言告げられて来た。
其処で起きて照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時45分」であったので、私は其の数字を「245・にしご・西子」と記憶した。
そして、再び眠ると、今度は日本建築の木造アパートみたいな建物が映し出されて来て、其の建物一階の右側の部屋の中に、私の祖父である「礒邉助次郎」の、紋付の服を着た写真の姿で立って居る映像が映し出されて来た。
其れから、大きな寺院の伽藍が崩れ落ちる場面が映し出されて来た後に、故「矢追日聖法主」の姿が登場して、新しい法主の座に着く様子が映し出されて来た。・・・
「梅日記」http://green.ap.teacup.com/20060818/4281.html
2017/6/25・・私は、其の長く続く画面から、其れが昨日告げられて来た梅日記との言葉の世界であり、早速、梅日記とのテーマでHPかブログを新しく創って、是まで続けて来たHPやブログは、止めなければ成らないと想っていた。
そして、其の梅日記は、「神籬日記・ひもろぎにっき」である事が示されて来たので、私は御神木の意識に代わって、其の毎日の書き込み作業を、続けなければ成らないのだと想って居た。
すると、大きな樹木の切り株が映し出されて来て、其の切り株の皮を剥いで見ると、中は虫食い状態で腐る寸前と成っている事が判った。
私は、其の根株の状態から、現在・いまの世の中・人間社会は「根本(ねもと)根元」が腐っているのだと想って居た。
そして「私は 物の形の中で 育って来たのだ」との認識が、内側から沸いて来た。
今朝、最初に映し出されて来た芝居・演劇の舞台の意味は、現代社会の人間が、神話を元とする宗教の世界を、真実の世界だと想って生活しており、其れが幻夢の世界である理に気付かず、子供達にも教育して、何千年も其の過ちと言うか、嘘の世界を継続していると言う理・ことである。・・・
「根元が腐っている世の中」http://green.ap.teacup.com/20060818/4282.html
此の文章の内容からしても、今朝の示されて来た観自在菩薩が「統尊(すめらのみこと)」を育てており、其れが此の私の事であるとのことは、誰も理解する者が無いと言う事であり、私は観自在菩薩が育てている後継ぎの若者が登場する迄、静かにして居れば良いと言う事なのであろう。
そして、其の背景には日本の「惟神道・かんながらみち」の世界や、親鸞の謂う「他力本願」との言葉の世界が、間違いなく存在すると言う事である。
平成29年7月30日
礒邉自適
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