1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2018/1/31
合宿
30・1・31
今朝のメッセージの映像は、先ず、私の左側に、姿の見えない男性意識の存在が在って、其の意識体と一緒に、世界各地の地図を見ながら、人類がどの様なルートで、世界中に移動して行ったかを、調べている場面が映し出されて来た。
其れは、民族移動の歴史を探るモノであり、神仏などの精神世界には何も関係が無い、純粋な人類史と言うか、生命の拡散に関する世界である。
次に、横書きの漢字の単語が幾つも並んでいる行が、何段か並んでいる映像が映し出されて来て、私は其の単語を読もうとしたが、其れは、新しい価値観・概念を表現している物らしく、今の私には意味不明であった。
次の映像は、私が公共の施設で行われる、男性だけの短期の合宿に参加している場面で、合宿が終わると自分の荷物だけではなく、自分が持ち込んだ塵なども、全て持って帰らなければ成らない規則に成っていた。
だが、私は自分が乗って来た軽トラックが無いので、店に行って中古のバイクを買い、合宿所に帰って来ると、次の人達が到着して居たので、急いで自分の荷物を建物から外に出していた。
今朝のメッセージは、其れだけであるので、文章の題は「合宿」とした。
今朝の合宿の場面は、昨日のメッセージに有った、研修所と関係が有り、男性には、共に学ぶ合宿が必要である事が、示されて来ている様である。
私が、今朝のメッセージから思った事と、昔は、若者が村の神社に集まり、参籠(おこもり)をする習慣が有った事である。
だが、今朝の映像は、其の様な村の神社ではなく、公共の施設であり、祭壇や仏壇が有る様な施設ではなく、単なる合宿所であった。
其れは、現在、スポーツの世界で行われている合宿の様なモノであり、仲間意識を育てると言うか、同じ課題に共同で取り組む意識(こころ)の道場の様なモノ(形態)である。
其れらを考えると、昔の様に、神様を対象として参籠(おこもり)をする必要はなく、科学的に人間・自分が何故この世に存在するのかを、お互いが学ぶと言うか、見詰め合う必要が有る理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝の初めの映像で、私が目に見えない男性意識体(男神)と一緒に、世界各地の地図を広げながら、人類の民族移動のルートを調べて居た事の意味が理解されてくる。
其れは、大陸から伸びている列島の位置が、重点的に調べられていたので、大海に船で漕ぎ出す時代ではなく、人間が筏や小船で、島伝いに移動していた時代を示唆しており、人類移動の初期を現しているモノの様である。
神仏の「仏・佛」は、人類の記憶(遺伝子情報)に「覚醒・めざめ・成仏」した人間(ブツダ・仏陀)の事であるが、「神・ジン・かみ」とは、人間が目に見えない宇宙の働きを現す「名・ことば」である。
其の神の名・概念が生じたのは、人間が言葉を開発した時からのモノであるので、それ以前は、神の世界は無かったと言う事に成るので、我々は「神が人間を創造した」との言葉・概念は、頭から消去して掛からなければ成らない。
何故なら、其の言葉が頭に有る間は、人間の自立心が成り立たないので、真実が認識出来ないし、人間の永遠のテーマである「自分・自らの分け」が解明されないからである。
其れは、「覚醒・成仏」に成功した、釈迦牟尼佛が「本当に頼れる物は此の自分の躰だけである」と謂っている事で明らかであり、其処には頼るべき「神・佛」の存在は無いのである。
其れを考えると、今朝のメッセージの映像で、私が左側に存在する姿が見えない男性意識・男神に、人類が移動したルートの地図を見せられていた場面は、我々人間に対して、神(宇宙意識)が究極の世界と言うか、我々人間が、頭に何を重点的に置けば良いかを、示して来た事に成る。
今朝は、PCで「人類の移動」で検索すると次のHPが出て来て、「理系」と「文系」の人達が共同研究している事が判った。
「人類の移動誌」 http://idoushi.jp/
此のHPの存在から、私は自分自身が其れ等の研究に意識を向ける必要は無い事が判ったので、私の役割は、神学・精神学の方向性に付いて、正しい方向にアドバイスをすれば良いと言う事なのであろう。
其の様に考えると、今朝の合宿所が神社仏閣の施設ではなく、公共の施設であった事も理解されて来る。
其れに、昨日告げられて来た「マスターキー」と「セブンキー」の言葉の意味が理解できるし、今朝人類の移動ルート・道を示してくれた男性意識の存在は 「猨田彦大神・さるたひこ」と関係が有るのかも知れない。
『まことに そうである。
だが其れも 貴方が歩き出さなくては 働く事は無い。』
キー 「猨田彦大神・さるたひこ」
2017/1/15・・其の様に考えると、昨日初めて参拝した「金富八幡宮」の古い参道の左側に、13基の「猨田彦大神」「庚申」「賽神」の石碑が立っていた事と関係が有り、昨夜眠る前に映し出されて来た「道」の存在と、今朝の映像で私に「信号」の事を告げて来た左側に立って居た男性は、其の「猨田彦大神」に関係が有りそうである。
其れで、「猨田彦大神」「庚申」「賽神」の名前に使用されている漢字を調べると次の様に載っている。
「猿・エン・さる」「正字 猨」【解字】形成。「犭(犬)+袁」音符の袁は、爰・エンに通じ、ひくのいみ。長い手で物を引き寄せてとる動物、さるの意味を表す。【字義】さる。ましら。猨の俗字。
「庚・コウ・キョウ」【解字】象形。甲骨文でもわかるように、きねを両手でもちあげる形にかたどる。
【字義】@かのえ。十干の七位。五行では金、方位では西、四時では秋に配する。Aとし。よわい。年齢。「同庚」Bみち(道)。Cかわる。=更。Dつぐなう。 漢語林より
「前人未到の綱渡り」http://green.ap.teacup.com/20060818/4116.html
2015/10/26・・私は、其の外国人が住んでいる建物の部屋の中で、其の男性と話しを始めた。
其の男性は、ドイツの国籍ではあるが、先祖はヨーロッパの何処かの半島の出身であるとの事であった。
そして、其の男性と話しを始めて、良く顔を見ると、両目の瞳が無い事が判り、其の男性の正体は、普通の人間ではない事が理解されて来て、其の人物は「猿田彦神」の存在と、何等かの関係が有る事が理解されて来た。
其れから、「日本の国の起こりである2700年前の時代」の事と、「萌・ミョウ」の文字が示されて来た。
朝起きて、萌の漢字を検索すると、次の様に載っている。
【萌】[人名用漢字] [音]ホウ(ハウ)(慣) [訓]もえる きざす きざし草の芽が出はじめる。物事が起こりはじめる。きざす。きざし。「萌芽・萌生」[補説]「萠」は俗字・人名用漢字。[名のり]め・めぐみ・めぐむ・めみ・もえ[難読]萌... デジタル大辞泉
【萌】 発音
音読み
呉音: ミョウ(ミャウ)
漢音: モウ(マウ)
慣用音: ホウ(ハウ)、ボウ(バウ)
訓読み: も-える、きざ-す、めばえ、きざ-し、きざし、もえ
今朝のメッセージの映像は、私にも不可解なモノであり、良くは判らないが、日本の神話で「天照大神・天津族」を出迎えた事に成っている「猿田彦」が、鼻の高い外国人の様な出で立ちである事と関係が有り、日本国の成立に外国人が関係している事を、示して来ているのかも知れない。
其の事と、「萌・ミョウ」の漢字の意味を考えると、再び、日本国の開闢・かいびゃくが始まる事を示唆しており、其の為には、外国人の登場が必要であるとの事なのではないだろうか。
何故なら、日本人が自分で、日本国の良さを表現しても、自画自賛と成ってしまい、外国人に広く知って貰う事が出来ないと意うからである。
其の様に考えると、昨日の文章の「王と藤花」の内容である藤棚の蔓の拡がりの事と関係があり、中心の「王・主体・理」の存在と、広く花を咲かす為の手段として、ドイツ人(猿田彦神)の感覚・働き・作用が、必要であるとの事なのかも知れない。・・・
「萌・ミョウ」http://wave.ap.teacup.com/20060106/614.html
2016/9/19・・すると、自宅庭の入り口に、着物姿で杖を突き、頭髪を赤い紐で括った中屋先生が、一人で立って居た。
私は、其の中屋先生の顔を見て「良い眼をしていますね」と一言謂うと、中屋先生は自宅に帰って行った。
そして、手伝いの女性が代わりに出て来て、「先生が お茶をどうぞと謂っています」と云って、私達は自宅の客間に通された。
私は、中屋先生が現れる迄、静かに眼を閉じて居ると、瞼に映像が映し出されて来た。其の映像は、糸巻きが一個現れて、クルクルと空中から、糸を巻き取っている場面である。
私は、中屋先生が部屋に入って来た時に、「此処で糸巻きが回っている」と一言言うと、中屋先生が「どうして其れが判った。貴方は神界が視えるのか。」と訊くので、私は自分に起きた事を話し始めた。
すると、中屋先生が「今朝は 朝から良い事が有る気がして居たので めったに使用しない赤い紐を、髪と腰紐に使っていた。」と謂い、「一晩で良いから 家に泊まってくれ」と謂うので、私は其の儘一晩泊る事に成った。
そして翌朝、初めての家で、朝からウロウロする譯にも行かないので、静かにして居ると、手伝いの女性が、部屋の外で「起きてますか」と訊くので返事をすると「お風呂をどうぞ」と云うので、私は風呂場に行くと檜風呂であり、私が風呂から上がると、其の儘客間に案内された。
すると、朝から宴会の準備が為されているので、私が「是は 朝から何事ですか」と訊ねると、「今日は 実に目出度い」と言うので、其の理由を聞くと、今朝未明に、枕元に真っ白い神様が立って「来た人は指導神なるぞ 仕えよ」と、告げられて来たからだとの事であった。・・・
「中屋龍州翁との思い出」http://moon.ap.teacup.com/20061108/645.html
キー「生命史」
2009/5/1・・其の、生命年表に興味を覚えて、熱心に覗いて居るのは、私自身なのだが、其の私を見ている意識の存在は、誰のものであるのかは解からない。
私の中に居て、私を観ている、其の大きな意識の存在は、何者なのであろうか。其の存在は、私が「生命・DNA」の年表に興味を持っている事を知っており、私の行動を見守っているのである。
其の存在は神なのか。其れとも、自分自身のDNA・遺伝子が、自らの記憶を辿っているのであろうか。
西洋のカバラにも、「生命の樹」として、其の記憶を、目に見える形にする工夫が為されている。
其れは、日本でも「スサノオ(苆(スサ)の尾・穂)」の名で呼ばれ、「勾玉・まがたま」の形で、記憶の中に留める努力が、成され続けて来ている。
そして聖書の中でも、「人間は 神に 自分の姿を真似て 粘土で創られた」と記されている。
其れは、珪素とアルミが含まれている粘土のミネラルの海で、最初の「DNAの糸・結び」が発生したからであろう。
其の粘土の海で、雷の電気刺激に因って結ばれた、蛋白質の記号情報は、38億年もの永いトキを経て、現在人間の身体にまで進化を続けて来たのである。
其の我々人類は、アフリカ大陸で650万年前頃、チンパンジー等の類人猿から別れた物である。そして、8万年前頃、アフリカ大陸からアジア大陸に渡って来たらしい。
しかし、私の中に立ち現れて来る記憶は、其れより遥かに源の意識である。其れは、聖書に書かれている記憶に近いものなのかも知れない。・・・
「生命の年表図」http://green.ap.teacup.com/20060818/1129.html
2008/8/1今朝のメッセージの映像は、私の意識が、あらゆる世界の真実に関わっており、私の働きが「真人・まことひと」である事が示された。
其れは、全てが「自己管理能力」の世界であり、人間以外の生物は全部、自己管理能力の世界で生きて居ると言う理・ことである。
其れは、太陽の光を浴びた世界で、皆が一日も休まず、自分の生を自己管理内で生きている理・ことわりを示していた。
そして、「女」篇と「隶」の組み合わせの文字「女隶」が出て来て、「貴方が何を望むか」との言葉が告げられて来た。
「隶(イ・タイ・およぶ)」は、奴隷の単語に使われ「隷」は「崇+隶」の組み合わせで、「崇(スウ・シュウ)」は「あがめる。とうとぶ」で「隶」は「とらえる」の意味である。
此の意味は、「貴方が何を望むか」と告げて来る女神を、自分の内に捕らえていると言う事を示している。其れは、私は、神を外側に持つのではなく、神を内側に内在した事を意味する。
是で、大体の宇宙の神秘は、解けて来た事に成るのではないだろうか。
と謂うのは、大日如来は女の性であり、其れは、森羅万象の質量である流転の姿の赤黒い黄金龍が「雌体」であり、其れを意識内に飼っているのが、永遠の暗黒宇宙の無意識である「エール・居る・強力な存在」なのである。
そして、其の暗黒宇宙を、自分の意識に治めた物が「アザゼル = ルシファー(サタナエル) = 我は神なり = 孔雀王」なのであろう。・・・
「真人(まことびと)」http://star.ap.teacup.com/2007313/492.html
2017/1/13今朝のメッセージの映像には、「季節」と「食物」と「人間の躰」の関係性に付いて、示されて来た。
其れは、昨日のメッセージの映像に映し出されて来た、水瓶の中に浸されていた陶磁器の食器の世界と関係が有り、様々な食べ物と、人間の関係性が示されて来ているのであろう。
そして、其の食べ物の存在は、水の世界の中に存在すると言う理と関係が有りそうである。
今朝のメッセージは、昨日の「鏡開き」の文章と関係が有り、私に、新たな世界を切り開けと言う事が示されて来ている様である。
其れは、是まで傳えられて来ている「身土不二・しんどふじ」や「医食同源・いしょくどうげん」等の概念を、超えて行く世界と言うか、段階であると謂えるだろう。
今朝のメッセージと言うか、私の脳意識のチャンネルの変化は、昨日の文章に次の様に書いた事と関係が有り、自分の意識の中に、新たな「階段・階層・段階・神(はたらき)名」の「踏み段・梯子」が、創られて来た事に成るのではないだろうか。・・・
「季節と食べ物の関係」http://moon.ap.teacup.com/20061108/648.html
2013/7/20今朝のメッセージの映像には、縦長の透明な三本の筒の様な物が並んでおり、其の筒の中に三人の男の子の兄弟が、其々に入って立って居る場面が映し出されて来た。そして、其の三兄弟の長男は、何故か、私の意識と通じている事が理解された。
次の映像には、東南アジアの海岸付近・デルタ地帯の様子が映し出されて来て、魚の稚魚を護る必要が有る理・ことが示されて来た。
そして、其の事を、男の子達に伝えると言うか、其れを基礎として、子育てをしなければ成らない事が映されて来た。
そして、「宣事情報」との言葉が示されて来た。・・・
「宣事情報」http://wave.ap.teacup.com/20060106/524.html
2003/1/14「小石や岩に刻まれた文字」http://wave.ap.teacup.com/20060106/88.html
2006/2/25「星が歩く(第3ステージ)」http://star.ap.teacup.com/170606/684.html
2008/8/16「みづ と いづ」http://green.ap.teacup.com/20060818/850.html
2009/7/31「神が色サイコロを転がす」http://green.ap.teacup.com/20060818/1223.html
2010/1/4「葦原のカラカラ鳴るは」http://wave.ap.teacup.com/20060106/410.html
2013/3/26「まほろば」http://wave.ap.teacup.com/20060106/511.html
2013/12/2「貴方は依頼主を超えた」http://green.ap.teacup.com/20060818/2889.html
2014/1/18「文化を頼む」http://green.ap.teacup.com/20060818/2936.html
2014/11/9「意識の乗り物・カーマ」http://green.ap.teacup.com/20060818/3256.html
2015/12/18「自由な暮らしと住み分け」http://wave.ap.teacup.com/20060106/627.html?rev=1
2015/5/19「スコット・Sukkot」http://green.ap.teacup.com/20060818/3469.html
2016/5/22「意八」http://wave.ap.teacup.com/20060106/666.html
2015/7/10「伊波比主命」http://green.ap.teacup.com/20060818/3525.html
2016/6/19「自らの仕掛けで滅びる」http://green.ap.teacup.com/20060818/3891.html
2017/8/23「須佐之男尊の意識」http://wave.ap.teacup.com/20060106/776.html
2017/10/11「とても爽やかな朝」http://green.ap.teacup.com/20060818/4397.html
2018/1/8「くしみけぬのみこと」http://green.ap.teacup.com/20060818/4490.html
これ等の文章のテーマからすると、昨日告げられて来た「マスターキー」との言葉は、生物の「DNA・遺伝子」の世界が「親キー」である事が示されて来ており、日本の天皇家や神社の祭神が「御祖神・みおやかみ」である事を、更に深く、踏み込んで行かなければ成らない事が、示されて来ているのであろう。
2013/6/30「御祖神・みおやかみ」http://moon.ap.teacup.com/20061108/579.html
其れは、「神学・精神学」ではなく、発展した近代科学の世界で、真理を究めて行く事である。
其れを考えると、天照大神を迎え入れたとされる「猨田彦大神」の存在は、生命遺伝子の影なのかも知れない。
平成30年1月31日
礒邉自適
2018/1/30
マスターキー
30・1・30
今朝のメッセージの映像は、先ず、中年男性の研修会が教室で行われており、終了した者には、空色の縁取りが有る半袖のユニホームが与えられていた。
だが、私が授与される順番が来た所で、其のユニホームが品切れになってしまい、係りの男性が何処かに仕入れに向かった。
私は、其の男性が何時帰って来るのか判らないので、代金の千円札を手にしたまま、其の施設から外に出て歩き出すと、黒い洋服を着た60歳位の女性が、庭に一人立って居て、私に「貴方は 其の様な軽率な動きをしては 成らないのですよ。」と、待つ事の重要性を謂った。
私は、其の女性の謂う事は理解した上で、引き返す事はせずに、山々の峰を見下ろせる高台の方に向かって歩いて行った。
次の映像は、私が大きな河川を渡らなければ成らない場面が映し出されて来て、其の川は歩いて渡る事が出来ないので、一度川下の方に下って橋を渡ってから、再び上流に上って来なければ成らない事が判った。
そして、橋を渡ってから、暫く歩いて行くと、川の土手で、中年の男性達が数人で、肉体の鍛錬を行って居り、其の人達は精神的にも完成している事が示されて来た。
次に、右側(東南方)に向かって、緑の葉が付いた薔薇の蔓が、三本程揃って、同じ方向に伸びて行っている場面が映し出されて来た。
其れから、其の先の方に意識を向けて行くと、面長の緑色の顔をした女性(大地の女神?)が一人、丸い地球の様な物を手元に抱えて、座って居る場面が映し出されて来た。
次の映像は、丸いピザ生地の様な物が映し出されて来て、8分割程に切られて配られていた物が、一箇所に集められて、元の形に丸められる場面が映し出されて来た。
次の映像は、私がトラックの荷台に乗っており、其のトラックは大きな建物を建てる為に必要な、丈夫な鉄筋を運んで来る為に、走っている物である事が判った。
だが、何故か、運転席を見ると、運転手はブレーキとアクセルを足で操作するのではなく、両手で操作して居るのである。
それらの事付いて考えて居ると、片仮名で「マスターキー」一本と別に「セブンキー」が必要である事が示されて来た。
今朝のメッセージの映像は、何を示唆しているのかは、私にも良く判らないが、本日が私の72歳への第一日目であるので、私が是から、何を考えれば良いかが示されて来ているのであろう。
取り敢えず、今朝のメッセージを私なりに解釈して見る事にする。
1、男性は、子育てが一応済んだ段階で、人間社会から一度離れ、山岳に籠もって精神(魂)の完成を図らなければ成らない。
2、彼岸に渡る為には、水の流れのシステムを理解した上で、覚醒しなければ成らないが、其れには精神修行だけではなく、健康で丈夫な肉体が必要である。
彼岸・神世界で成功者として生きる為には、この世で精神と肉体をしっかりと鍛えると言うか、完成して措かなければ成らない。
肉体を離れてからでは、考える為の脳が無いので、彼の世では止まった儘に成るから、此の三次元で生きて居る人間の躰を借りなければ成らなくなる。
3、地球生命は、全て太陽の光を必要としているので、動植物だけではなく、人間自体も夜間・闇に潜むのではなく、太陽の存在に意識を向けて、生きて行かなければ成らない。
其れは、地球の生む働き・法則を熟知しなければ成らないと言う事。
4、人間は、自分自身の存在だけではなく、物事を知る為に、分割(判断)をしなければ成らないが、分割した一片だけに囚われていると、全体の理・ことが解らなく成ってしまうので、時々は全体の事を纏めて、総合的な理を確かめる必要が有る。
5、どんな物事にも、筋金を入れる必要がある。
筋金が通っていなければ、物の世界だけではなく、人間の精神や政(まつりごと)は上手く行かないと言うか、長続きをしない。
6、人間は、歩く事は無意識で行えるが、自分の人生の運転は、足の動きの様に無意識にて行うのではなく、前頭葉でしっかりと確認しながら操縦しなければ成らない。
7、統尊(すめらのみこと)の役割は、人間社会の働きが鈍かったり、失敗が有っても、辛抱して待つ事が大事。
其れは、16年半の約束が、倍の32年を経過している事でも明らかである。
8、宇宙の情報を更新する為のマスターキーは一本(一人)であり、其れを支える部屋・部分・分割キーが七本(七人)必要である。
マスターキーは「統合・白色・透明」で、部分キーは「虹・七色」。
本日は、此処までにして、明日のメッセージを待つ事にする。
マスターキー(英: master key)
特定のマスターグループに属する複数の異なる錠前(シリンダー)をすべて解錠できる鍵。親鍵。もしくはそのような管理がなされたシステム(マスターキー・システム)[1]。
ウィキペディアフリー百科辞典 2018/1/30現在
平成30年1月30日
礒邉自適
2018/1/27
神の意識が降臨する
30・1・27
昨夜は床に就いて目を閉じて居ると、色白の面長でとても優しい神の顔が下りて来て、私の顔頭に覆い被って消えてしまった。
其の顔は、性別の判断ができない物であった。
そして眠ってからの映像は、年配男性が数名登場して、海に潜りに行く様子が伺えたので、私も、夢に時々登場する、自分の縄張りの東の海岸に、潜りに行かなければ成らないと考えて居た。
次に、何処かの山中が映し出されて来て、村人が、子供達が泳げる池・プールを造る為に、谷の間に堤防を築いてから、水が流れている川から、パイプで水を引いて来て貯水する様子が映し出されて来た。
そして、其の堤防やプールの周りには、海の砂浜の様に、白砂を敷いて甲羅干しが出来る様にしていた。
次の映像は、田舎の見捨てられた廃屋を修理して住み着く、若者達の様子が映し出されて来て、其の人達の生活条件が整うと、其の人達の所に、次々に都会から若者達が遣って来て、其の人達も、自分が生活できる場所を探し始める様子が映し出されて来た。
其の人達は、普通のサラリーマンや、公務員の様な人達ではなく、芸術家の様な個性を持った人々であり、自分のポリシーをしっかりと持っている人々である事が、外見からも判った。
其れ等の人々の行動に付いて考えて居ると、意識が目覚めたので照明を点けて時計を見ると時刻は「4時42分」であったので、私は其の数字を「442・ししに・志士に」と記憶した。
其れから再び眠ると、「108-73」等の数字や記号が、次々に映し出されて来て、其れ等の数字や記号は、是まで人間が使用して来た物である事が理解されて来た。
そして、其れ等の数字を取捨選択して、必要な物だけを、新しいプログラムに導入して行かなければ成らない事が示されて来た。
其れ等の事に付いて、長らく考えて居て時間が気に成ったので、起きて時計を見ると時刻は「8時6分」であった。
其れで、昨年の8月6日の文章に目を通すと、次ぎの様な事が書いて有る。
2017/8/6・・今度は、私の意識が、傾斜が急で、岩石がごろごろしている山中の木々の下を、大蛇がうねる様に、通れる場所を見付けながら登って行く場面が、映し出されて来た。
其れは、全然道の無い場所を登って行く場面なので、道を歩いて行く人間の足取りとは、全く異なる世界である。
其れから、山の峰を越えて反対側に降りるのか、今度は人間では足が滑って転倒する様な場所を、木々や岩を避けて下って行く場面が、映し出されて来た。
私は、其れ等の映像から、其れは奈良の三輪山に棲む「大物主神」の神霊であると思っていた。
次の映像は、縦書きの箇条書きで、文章が書かれている場面が映し出されて来て、其れは私が書かなければ成らない、完全な理論である理・ことが、とても強く示されて来た。
次の映像は、スチール製のテーブルの机・台が映し出されて来て、其の台の足元にはキャスター(コロ・回転車)が付いており、其の台はPCなどの電子機器を載せたまま、移動出来る物であり、普段は本人が好む場所で夫々に事務作業が出来る事を意味しており、会合が開かれる時は、関係者が其の台を移動して一箇所に集めれば、其の儘広いテーブルに成る事が示されて来た。・・
今朝の愉伽さんのビジョンでは、愉伽さんが社会全体に対して、分け隔て無く母性を発揮して居り、私も其の愉伽さんの活動の一部を支えると言うか、手伝って居たとの事である。
其の愉伽さんのビジョンの内容から考えると、古代社会では「大地母神」が信仰の対象と成っていた事と関係が有り、今朝のメッセージは、現代社会の様な仕組みが出来上がる前の、人間の暮らし向きだけではなく、精神構造の土台・基盤が示されて来ている事に成りそうである。
今朝の私のメッセージの映像から、私が考える事は、太平洋のど真ん中で、7月21日に台風として認められた台風5号が、二週間掛かって屋久島に到着した事と関係が有り、50年振りの大雨は、世界自然遺産に登録される事で穢れてしまった、屋久島の穢れを全て浄化する働きをした事に成るのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝の映像で奈良の三輪山の神とされている蛇神の「大物主神」は、「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」と同じ物であり、私に「紀(とき)の祭りを行なえ」と告げて来た事が、本番を向かえつつあると言う事なのではないだろうか。
其れに、屋久島に影響が出始めたのは8月3日・4日・5日で、本日6日9時頃には屋久島が台風の目に入っている。
其れは、私の両親が昭和21年8月3日に屋久島に上陸した事と符合しており、其の8月3日は、以前に屋久島で山岳信仰の「岳参り」の行事が行なわれていた日付でもある。
其の72年前の8月3日に、両親が屋久島に上陸した時には、私は母親のお腹の中に三ヶ月の命として宿って居たのである。・・
此の11年前の文章「万物の母」の内容からすると、今朝の愉伽さんのビジョンは、正に其の事と関係が有り、大地の存在や生命の営みを支えている意識の存在が有る理・ことが、明確にされている事に成る。
其れを考えると、今朝のメッセージの映像に、私が完全な理論である縦書きの日本語文章を、箇条書きにしなければ成らない事が、強い口調で示されて来た事は、非常に重要な意味が有り、私は其の事に対して、真剣に取り組まなければ成らないと言う事に成る。
だからこそ、今朝のメッセージの映像には、移動可能な机の存在が示されて来て、私一人が電子機器の扱いに挑むのではなく、複数の仲間が存在し、机(頭)を付き合わせて、情報の作成や発信に取り組まなければ成らない様子が、映し出されて来たのであろう。
今朝のメッセージの様子からすると、私には山岳の森の中を這い回る大蛇(龍神)の意識の存在が示されて来ており、更に私は完全な理論を、日本語の縦書き文章にて、書き上げなければ成らない事が示されて来ている。・・
そして、其の私の行動が愉伽さんのビジョンでは、母性の協力者である事に成っているのである。
其れを考えると、此の世界のトップは母性(母神・女神)であり、男性の存在は其の母神の活動を支える事が、本質であるとの事に成るので、是までの世の中が、男性の思考で創られて来た事を改め、女性の考え・価値観に合った社会構造に変革して行かなくては成らないと言う事になる。
そして、其の事を、私が完全な理論として表現しなければ、人間の活動だけではなく、神霊界も動きが執れないと言う事なのであろう。
其れは、72年前に、日本に二個の原爆が落とされる事に成った経緯を見れば、明らかな事であり、次に核に因る第三次世界大戦が起これば、短期間で悲惨な結末を迎え、現在の様な豊かな人間社会は、二度と築き上げる事はできないであろう。
其れを考えても、早急に何等かの手を打たなければ成らないと言う事に成る。「大物主神」http://green.ap.teacup.com/20060818/4328.html
此の文章に有る「72年前に日本に二個の原爆が落とされる事・・」との事は、今朝の映像に映し出されて来た「108-73」の数字は、「108」が「人間の煩悩」の数である事と、73の数字は原爆が落とされた1945年から、今年が73年目と成る事が示されて来ているのかも知れない。
其の様に考えると、1月17日のメッセージに「原子爆弾が落ちた日」と告げられて来た事が関係有りそうである。
2018/1/17・・今朝は、先ず月日を現す数字が映し出されて来て、「原子爆弾が落ちた日」との言葉が告げられて来た。
人類史上初めて、原子爆弾が広島に落とされたのは、昭和20年8月6日である。其の8月6日の日付で、私に心当たりが有るのは、1987年8月6日のビジョンで、私に起きた「神霊の思頼・みたまのふゆ」の霊魂の数が4311体である事が示されて来た日であり、其の日は高知に住む井上佳子に澤山の白い小鳥が現れる現象が起きている。
今朝のメッセージの映像から、私に考えられる事は、是から始まるであろう地球規模の変化に対して、我々が考えなければ成らない事は、釈迦牟尼佛が謂う様に「真に頼れるモノは 此の自分の躰だけである」との理・ことと関係が有り、魂しいの乗り物である自分の肉体・心身を、健康な物としなければ成らないと言う事であり、其れが、今朝映し出されて来た手術をしたがる医者と、自転車競技の世界の場面なのであろう。
そして、今朝の映像で私が二本のネクタイを右手に持って居た場面は、ネクタイが首で結ぶ物であるので、「軛・くびき(首引き)」の意味があり、其れは三輪の結びと関係が有り、私の手腕と言うか、意識行動には、二通りの結びの世界が任されているとの事ではないだろうか。
そして、其の結果として、地球に二通り・二種類の世界が生まれると言う事である。
其の事に、広葉樹の御神木に四方から掛けられている、稲藁製の注連縄・大蛇が関係有り、「神(はたらき)」が変化すると言うか、架け替えられる事が示されて来ているのであろう。
其れに、其の御神木が真直ぐに立つ杉(針葉樹)の様な大木ではなく、横に広がる広葉樹・常緑樹であったのは、「生命・いのち」の言葉に使用されている「生」の漢字の象形に関係が有り、人間の精神性を含む、地球生命全体の仕組みや調和に付いて、示唆されて来ている様な気がする。
其れは、神社の注連縄が示す概念が、一歩先に踏み出すと言うか、人類の意識が次ぎの段階に上がる理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。・・
これ等の事柄から、私に考えられる事はブッダとして成仏・覚醒した釈迦牟尼佛の教えが、「生命・いのち」の世界が主である事と関係があり、其の釈迦の御魂は四国の金比羅山(像頭山)から、ネパールに派遣された「大物主神・ 大己貴大神(おおなむちおおかみ)」である事が、私に示されて来ていた事と関係が有り、釈迦の魂しいは「八重事代主神」の働きと同系統のモノであると言う事に成り、釈迦の情報は「白山菊理姫・ククルカン・ケツァルコアトル」の「神(はたらき)」であるあると言う事に成りそうである。
其の様に考えると、釈迦牟尼佛の教訓が「因縁・縁起」に有る事が納得できてくる。・・・
「地球の新陳代謝」http://green.ap.teacup.com/20060818/4499.html
此の文章に有る「私が二本のネクタイを右手に持って居た場面は、ネクタイが首で結ぶ物であるので、「軛・くびき(首引き)」の意味があり・・」との事は、
1月23日に私が神から手渡された二本の「遺伝子・DNAの綿糸」と関係が有り、今朝のメッセージは、人間界に新しい「命・縁・色・rūpa・ルーパ・縁起」の「集積回路・マイクロプロセッサ」を組み込めと言う事が示されて来ているのであろう。
そして、其の為に「天空の神・宇宙意識」のプログラムが、昨夜私の頭脳に「降臨・インプット」されたと言う事に成るのかも知れない。
其の様に考えると、今朝の映像で、年配男性が数名登場して海に潜りに行く場面は、生命が海から誕生した事と、須佐之男尊が海原を治める神(はたらき)である事と関係が有り、住吉三神の働きが復活する事が示されて来ているのかも知れない。
そして、村人が子供達の為に、山中に新しい「プール・池」や甲羅干しが出来る「砂場」を造っていた場面は、子供達に禊ぎ祓いの概念を認識させる必要が有る理・ことが示されて来ているのであろう。
其れは、私が子供の頃、夏休みに、皆で近くの森の中を流れる川の滝壺に泳ぎに行って居た事と関係があり、人間の肌細胞には、生きた水との接触が欠かせないと言う理・ことが示されて来ているのではないだろうか。
2009/8/21・・今朝のメッセージの映像を説明すると、私が子供の頃、夏休みに皆で泳いで遊んで居た、川の滝壺が現れて、其の滝壺の水流の渦の中に、私が冬の間使用している金色のシルクの「マフラー・えり巻き」が、水龍がウネル様に動いていた。
其れは、随分長く、流れの中をクルクル舞っているらしく、ボロボロに成り掛けていた。
次の映像は、大きな工場施設が不必要に成ったらしく、男性が大きな重機で其の建物を壊しているのだが、基礎が鉄骨でとても頑丈に造られているので、なかなか壊せないでいる場面だった。
私は、其の建物の構造を見に行くと、鉄骨が組まれている部分に幾つものナットが有り、其のナットをどうにかして外さなければ、其の建物を壊す事はとても無理である理・ことが判った。
其の二つの映像は、水の流れに身を任せている物は、自然に分解されて消えて行くが、鉄骨で頑丈に造られている物は、人間が壊そうと意っても、なかなか壊せないと言う理・ことではないだろうか。
しかし、其れは、水の中で分解されて行く物が善くて、硬くて壊せない物が悪いと言う理・ことではなく、其の両方の働きで、此の世界が保たれているとの理・ことではないのだろうか。
其の二つの場面の後に、新品の頑丈な一本のボルトの中程に、しっかりとナットが捩じ込まれて、ネジ一組が安定している事が、解かる映像が現れた。
其れは、雄ネジと雌ネジの強固な組み合わせ・関係性を意味しているのであろう。
其れは、密教の般若理趣経の極意を端的に表わしているモノ・現象ではないだろうか。そして、其れは、道教の「道・タオ」の陰陽の世界でもあり、弘法大師空海の「乾坤は経籍の箱なり」との言葉の意味を、表わしているのかも知れない。
今朝のメッセージの映像から、考えられる理・ことは、「生命・いのち」とは水の流転で生かされているが、其の基の処に、しっかりとした「陰陽合体」の固形物がなければ成らないとの理・ことなのではないだろうか。
其の理こそが、「正し」との事なのかも知れない。・・
しかし、其の雌雄の働きを支えているのは、水の循環であり、水がなければ地球生命の存在はあり得ないのである。特に、ナメクジやカタツムリやミミズや蛙などは、水辺を離れては生きて行けない生物である。
其れを考えると、今朝の映像に現れた、水流の中で、休み無く舞っていた金色の「マフラー・襟巻き」は、生命全体を意味していたのかも知れない。・・・
「正し・まさし」http://green.ap.teacup.com/20060818/1247.html
2017/9/29・・私が、中学二年生の時に、学校の登山で宮之浦岳1986mに登ったのも14歳の時である。其れを考えると、何等かの原因が有るのかも知れない。
其れに、私が子供の頃の夏休みは、父親との約束で、午前中は芋畑の草取りをすると、午後は家から歩いて15分程掛かる川の滝壺に泳ぎに行って良い事に成っていたので、天気の良い日には、草取り作業で畑の土と汗で塗れた身体を滝壺に飛び込んで洗っていた。
其れ等の事が、修験道の基礎と成っていたのであろう。
其れから、55年が過ぎて、70歳と成った私が、自分の人生を振り返ると、実に様々な体験・経験を積んで、此の様な内容の文章を書いている事に成る。
今朝の愉伽さんのビジョンには、清い水が流れ落ちている階段が映し出されて来て、「井森美幸」らしき女性が赤子を抱いて、四人ほどの人々と、其の階段を上がって来る場面が映し出されて来たとの事である。
そして、蛇のくねった身体の様にカーブした、とても高い水の滑り台が映し出されて来て、其の滑り台はいくつかのコースに分かれて色分けされており、5歳ぐらいの子供達が、自分でコースを選んで、楽しく滑り下りる場面が映し出されて来たとの事である。
其の愉伽さんのビジョンの内容から、今朝の文章の題は「水の子達」とした。
其れは、赤子を抱いて居た「井森美幸」との名前が、井は「井戸」の井であり、「森」は私が昨夜眠る時に映し出されて来た原始の森(水源)と関係が有るし、「美幸」は「うつくしい・しあわせ」との意味であるので、其の井森美幸が水が流れ落ちる階段で、赤子を懐に抱いて居た姿は「水の女神」の存在を意味していると想うからである。
其れに、多くの子供達が次々に高い滑り台の上から、水の流れに乗って楽しく下りて来るとの事は、未来を担う子供(御魂)が、地上に澤山降ろされる事を意味していると、考えられるからである。・・・
「水の子達」http://star.ap.teacup.com/2006413/358.html
今朝の映像で、見捨てられた廃村の家宅を修理して、住み始める若者達の存在こそ、法華経に有る「譬喩品」三車火宅(さんしゃかたく)の教えと関係が有り、現在の煩悩社会(カルマ・業)から脱出して、真実の人間の生き方を追求する新人(あらたびと)を示唆しているのであろう。
そして、其の人々の活動こそが、是から組み上げなければ成らない「集積回路・マイクロプロセッサ」の情報システムの世界であると言う事なのであろう。
今朝のメッセージの解釈も、何となく形に成って来た。
これ等の内容から考えると、私は「自分(自らの分け)」の「使命・さだめ・みこと・運命」を紐解いたと謂う事であり、明後日に迫った私の71歳(数え歳72)の誕生日は、人間の新しい意識段階を迎えるモノであり、私の「108・煩悩」は「73年目」に、間もなく突入すると言う事なのかも知れない。
其れは、「伊邪那岐命・いざ凪ぎのみこと・時間」の禊ぎ祓いで、鼻(息吹き)から誕生した「須佐之男、苆(すさ)の尾・穂」の「鎖・DNA・遺伝子」情報が、再構築されると言う事であり、其れが整えば「伊邪那美命・いざ波のみこと・空間」が新しい生命・いのちの生産を始めると言う事である。
其れこそが、私が此の神の世界に入った時に、告げられて来た「事象の特異点」と「新しい神の座標軸」との役割が、本番を迎えると謂う事なのであろう。
昨夜眠る前に私に顔頭の上に覆い被さって来て、消えてしまった色白で面長の優しい顔だちの神霊の存在は、水と智慧を司る東方の守護神である「青龍・せいりゅう」の意識体であったのかも知れない。
其の様に考えると、今朝の映像で海に向かう男性の存在や、山中に池プールが造られる場面が映し出されて来た事の意味が良く理解できる。
昨日の文章
*此の文章に書いて有る「・・今朝のビジョンに現れた、虹色に輝く空から、水を飲みに下りて来た龍は、其の青龍であろう。・・・」との文章からすると、今朝の映像で、弟「正也(ただしいなり)」が「支店長が来ている」と謂って、私を迎えに来た事と関係が有り、姿のはっきりしない男性の存在が、机の上に数枚の虹色をしたブルーレイ・DVDレコーダーの様な物を並べた場面は、其の「青龍・せいりゅう」と関係が有り、青龍が、天神の支店長として動き出す事が示されて来ているのではないだろうか。
何れにしても、私が33年7ヶ月間天神(てんのはたらき)に仕えて来た事は、実を結ぶ時節を迎えた様である。*
平成30年1月27日
礒邉自適
1 2 3 4 5 | 《前のページ |
次のページ》