1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2018/4/28
事象の節目
30・4・28
今朝のメッセージの映像は、先ず、太陽の光が照っている昼間に、海岸の海水が印が付いている海底まで、完全に干いている場面が映し出されて来た。
そして、其の干いていた海水が、是まで上がった事のない場所まで、急激に満ちて来る場面が映し出されて来た。
次に、広い農地が映し出されて来て、其の畑の農作物が、収穫期を過ぎている事が示されて来た。
其れは、西瓜やメロン等の蔓性の野菜の果球が熟し過ぎて腐っており、隣の畑にはイネ科の穀物類が収穫期を過ぎて枯れて、実は既に、地面に散ってしまっている場面である。
次の映像は、私が瞑想道場や、宗教的な修行施設を訪れると、其れらの施設は役割を終えており、皆が去って行くところであった。
次に、集団で行う命の祭り等が、もう必要ではなく成った事が示されて来た。
今朝のメッセージの映像は、簡単に並べると次の様に成る。
・潮が最も深く下がったので 一気に最高地点まで満ちてくる。
・作物(いのち)の収穫期が過ぎている。
・精神的な修行や、宗教的な禱りが必要ではない。
・集団で行う祭りや、音楽活動・イベントの開催が不必要。
其れ等の事柄から考えられる事は、時・時節が満ちた理・ことを示唆しており、人間の考えで行う行為は、効力が無く成ったとの事であり、人間は作為を止めて、自然の法則・おきてに従う必要がある事が、示されて来ている様である。
其れは、キリスト教の開祖「イエス」や、仏教の開祖「釈迦(ガウタマ・シッダールタ)」其れに道徳経の作者である「老子」などが、其れ等の行為を行っていない事で明らかな様に、人間は不自然な行為・活動を止めて、本来の「ところ(立場・座)」に復帰しなければ成らないとの理・ことなのであろう。
今朝のメッセージは、私が此の世界に飛び込んでから、長年旅をしながら関わって来た世界(社会的活動)が、もう全て、必要では無く成った事が示されて来ている様である。
其れは、私が元の普通の生活に還ると謂う事であり、34年間の行動は、一種の財務整理の様なモノであり、其の役割が終わったと言う事なのではないだろうか。
其れを考えると、私に1984年6月4日(旧暦5月5日)に起きた4311体の「御霊の思頼・みたまのふゆ」が解決されて、全てが終わり、霊界が元の静けさを取り戻した事に成るのかも知れない。
今朝何故、其の様な事が示されて来たかを考えると、昨日長野県松本市在住の平田和文氏が来訪して、話し合った事と関係があり、私自身が何かの事を起こさなくても、新しい御世造りの活動は、既に神(はたらき)に拠って動いていると言う事であり、私自身は本来の自然の暮らし(立ち位置・座)に還って良いとの事なのであろう。
其の様に考えると、現在のPC機器と、ITの存在が掛け替えの無いモノであり、私はイエスキリストの謂う「私の教えを広めなさい」との行動や、「釈迦(ガウタマ・シッダールタ)」が一生続けた説法の旅をしないで済んだと謂う事であり、僅か5000字を書き残すだけで、其の大役を終えた老子の様に、弟子を一人も採らず、宗教団体も造らないで、人間社会から雲隠れできると謂う事にも成りそうである。
『そうではなく 貴方の役割は 是からが本番なのです。
ですから 気を抜くのではなく 気を引き締めなければ成らないのですよ。
そうしなければ 未来世界は生まれないし 貴方の子供や孫達も 救われないのです。』
『ただ 此処まで成長した貴方の存在を 逞しくおもっています』
此の、いま告げられて来た女神の言葉からすると、やはり私は「御嚴・みいつ」との言葉や「永遠の命」の世界を忘れては成らないと言う事であり、人類全体や地球に存在する全生命の為に、一瞬たりとも気を抜いては成らないと言う事なのであろう。
其の様に考えると、やはり釈迦牟尼世尊の謂う「私は 過去・現在・未来の三世に在り 衆生一切わが子」との言葉を肝に銘じて、命を永らえなければ成らないと言う事に成り、其れが「禱り」「壽命」の本来の意味なのであろう。
其処には、瞑想や祈りの儀式などは一切必要ではなく、無為自然の心構えで、日々を自然と供に過ごす・暮らす事である。
其の様に考えると、昨日のメッセージの「直道・なおみち」の言葉は、私自身に関係が有るのかも知れない。
其れは2014年11月26日のメッセージの映像に「矢追日聖法主」が登場して、私に「順道」との文字が書かれた掛け軸を見せた事とも、関係が有りそうである。
2014/11/26其の儀式が済んだ後、私は矢追日聖法主に誘われて、隣の部屋に移った。
そして、矢追日聖法主が、私に「此れは 知り合いが書いてくれた物だ」と言って、壁に掛けられている一幅の大きな掛け軸を見せてくれた。
其の掛け軸には、上部分から、左の方に筆文字が書かれており、中央やや右には、特別大きな文字で「順道」と縦に書かれていた。
そして、其の掛け軸は矢追日聖法主がとても気に入っている物であり、「順道」との言葉は、是からの未来世界に対して、全て理・ことを含んでいる言葉である事が示された。・・・
「順道・じゅんどう」http://green.ap.teacup.com/20060818/3277.html
キー「禱り」「壽命」
2015/9/6 昨日は、9月3日に開設した「永遠のいのち」のブログを、正式にアップした。其して、縦書きの文章にした。私は、今回の新しいブログの表題に【イエスキリストは 「永遠の命に入る為」と謂い 老子は「古の人は素晴らしい」と謂い 釈迦は「私が悟ったのは 今世ではなく 何代も前である」と謂っています。私は 是からの人生の実りの為 其のテーマに想いを馳せて行きます】と、書いた。
其の「永遠のいのち」を、今朝、日本語の平仮名の「とわのいのち」に変えようかと意って、「とわ」の語源を大修館書店の「古語林」調べると、「とわ」の言葉が無いので、「とは」のページを見ると次の様に載っている。
とは(・なり)【永久】(形動・ナリ)『上代には「とば」か』永遠だ。永く変わらない。例「津の国の なには思わず 山城のとはに 逢い見むことをのみこそ(古今・恋四)
其れから、ITで検索を掛けて見ると、次に様にある。
1永久(名・形動)[文]ナリ いつまでも変わらない・こと(さま)。永久(えいきゆう)。永遠。「−の誓い」「−に幸あれ」
大辞林 第三版
2常[名・形動]《古くは「とば」とも》いつまでも変わらないこと。また、そのさま。とこしえ。永遠。えいきゅう。「―の別れ」
デジタル大辞泉
「とはのいのち」http://green.ap.teacup.com/20060818/3587.html
2008/9/10・・日本語の「いのり」には、漢字の「祈・キ」を使用しているが、祈の「示+斤」の組み合わせは、「幸福を願って 鈴の飾りを付けた旗を持ちながら 神に近づく」の意味である。
「祈禱・キトウ」の禱りは、「示+壽」の組み合わせで、「壽・ジュ」は「長く連なる。ひさしい。」の意味であるから、禱り」は「神を祭る祭壇の前で 自分の長寿を願う」との、意味合いである。
*「祈・キ・いのる」【解字】形声。金文は「方人+單+斤」方人は、ふき流しの旗の象形。單は、鈴の象形。音符の斤は、近に通じ、ちかづくの意味。鈴の飾りの付けた旗を持ちながら、幸福に近付くことを願うさまから、いのりの意味を表わす。篆文は「示+斤」
【字儀】@いのる。神仏に福を願い求める。また、いのり。Aもとめる。願う。Bつげる。神や人に告げる。
*「禱・トウ」【解字】形声。「示+壽」音符の壽・ジュは、いのちながからんことを祈るの意味。示を付し、いのるの意味を表す。
【字儀】@いのる。神に事を告げてさいわいを願い求める。また、いのり。「祈禱」Aまつる。 漢語林より
そして、日本語の「いのり」の「いの」は「帰る」の意味である。
現在でも、地方の方言では、家に帰る事を「ぼつぼつ家にイノ」と云うので、「いのる」の日本語は「帰る・還る」の意味であり、「祷る」仕種は、神仏の懐に帰る為の、精神的な儀式を意味しているのである。・・・
「神の家に帰り着く」http://green.ap.teacup.com/20060818/876.html
2017/2/10今朝のメッセージの映像は、先ず、漢字文字が一字映し出されて来て、其れは人間の「おもい」が、一番強く発せられる理・ことを意味する文字である事が示されて来て、そして其の為には、高圧の電気が必要である理・ことが理解されて来た。
其れから、「ざんさい」との言葉と「大統領」との言葉が告げられて来た。
次に、天界の情報を取り出す為の「チューナー・同調回路」機器が映し出されて来た。
其れは、横に三層に成っている物で、各層に5本程の端子(オス)が飛び出している物で、情報を取り出す側(人間)の方は、メス端子を押し込まなければ成らない物であり、其れは通常のチューナー・同調回路の仕組みとは、反対・逆のシステムであった。
其れは、三層チューナーから情報を受け取る為には、15本のメス端子コードが必要であると言う事に成る。
其の「おもい」の意味の漢字と、「チューナー機材」の仕組みから私が考えた事は、神佛への「禱り」とは、自分の願いを発信するのではなく、天神(てんのはたらき)からの情報を受け取る態度・姿勢を、意味していると言う事である。
其れは、「南無阿弥陀仏・なむあみだぶつ」や「南無妙法蓮華経・なむみょうほうれんげきょう」等の禱りの言葉の「南無・なむ」は、「帰依します」の「ナーム・帰命・リリジョン・religion」を意味しており、神社に参拝して儀式を受ける時に宮司・神主が奏上する祝詞が、自分の意識を祓い清める為の文言であり、願い事をする為のモノではない事と同じである。・・・
「禱りとは受信体に成る事」http://green.ap.teacup.com/20060818/4142.html
2018/2/26今朝のメッセージの映像は、先ず、地震体験を行う実験施設の様に、大地を意味する台の様な物が映し出されて来て、其の台の上に七層程の、列車の客車の様な部屋が積み重ねられている場面が映し出されて来た。
そして激しい揺れが起きると、最上階の部屋は其の儘なのだが、下の階は全て破壊されて崩れ落ちてしまい、上から二番目の階は、中央から折れて分離して重なってしまっていた。
だが、最上階の部屋は其の儘何事も無かったかの様に、一番先の地面に着地しており、其の部屋の中から60歳代に見える、明るく優しい顔をした女性(女神)が顔を見せた。
私が、其の女性が何者であるのかを意うと、「八千草かおる」の名前が告げられて来た。
次の映像は、昨日のメッセージの映像で示されて来た、「言葉の世界に精通する男性」の存在と「中央制御室」との言葉と関係が有るのか、新しい漢字が使用されている横書きの文章が映し出されて来て、「33」の数字の世界が始まる事が示されて来た。
そして、其の情報が建物程の大きさの有る「ブラックボックス」の様な物の中で「管理・制御」される事が示されて来た。
そして、其の世界は今月19日のメッセージ(主の言葉は和文にて)で示されて来た、天津金木・魔方陣の中央が「な・名」と「か(神(かみ)の力)」であった事と関係が有り、其の事が現実として動き出すとの事であり、表の数字は「10月23日」に関係が有って、裏側に秘されている記号数字は、とても小さい文字で、縦に「s96s」である事が示されて来た。・・・
「中央制御室」http://green.ap.teacup.com/20060818/4539.html
2017/9/3・・其れから、白い石碑と言うか、墓石の様な物が映し出されて来て、「神・はたらき」との交信の場には、其の石の石碑だけでよく、是までの様な建物施設は何も必要ではない理・ことが示されて来た。
今朝登場した「大山邦博」氏は、昨年の11月26日に満88歳で亡く成ってっている。
其れに、大山邦博氏が祭祈していた「大山祇神」は、麦生地区の高平岳や奥岳に登る参道の、国有林の入り口(山の口)に建てられている一基の花崗岩の石碑に、大山祇神の神名が刻まれている物である。
大山邦博氏が死亡したのは、昨年の11月26日であり、其の11月26日の日付は、私の弟礒邉農夫成の命日であり、台湾の蘭嶼島に住む、ヤミ族(タオ族)の「ミカギシ」の祭りが行われる日でもある。・・・
「大山祇神の本体」http://moon.ap.teacup.com/20060615/305.html
2013/3/10・・次の映像は、田舎の田畑に、温泉が湧いている場所が有り、私は、其処からお湯を引いて風呂桶に溜めて入浴していた。
其れに、近くの土地には、都会から老夫妻が来て、ベッドの部屋と、台所と、居間と、温泉風呂が有る、簡単な家を建てて、暮らしているのが映し出されて来た。其れは、幸福な老後の在り方を示して来ているのであろう。
其れに、今朝のメッセージの最後には、「本番開帳」との意味の言葉が告げられて来た。
寿命の「壽・寿・ジュ」の漢字は、「老+ジュ」の組み合わせで、音符のジュが長くつらなるの意味。年老いるまで生命が長くつらなる、いのちながいの意味を表す。後に壽と書き改められ、常用漢字の寿は、この壽の草書体による。
【字義】@ひさしい。いのちながし。寿命が長い。「仁壽」Aいのち。とし。よわい。「長寿」Bとしより。ことほぐ。いわう。また、ことほぎ。ことぶき。尊者に杯を進め、健康を祝福したり喜びをいわうこと。また、其のことば。「壽詩」Cとしより。老人。 漢語林より
「壽・みどり」http://wave.ap.teacup.com/20060106/506.html
2014/6/26「最後の祷り」http://green.ap.teacup.com/20060818/3111.html
2008/12/28なんだ かんだ 言っても貴方の存在が最高です。
今まで貴方の様に あたしの存在に
付き合ってくれた御仁は居ません。
皆 起きる現象に振り回されて われを忘れてしまいました。
其れは 毎日の変化に怯えて
昨日の出来事を 物の形として残すからです。
そうするから 意は過去に引きずられてしまうのです。
ですから貴方には 絶えず新しき現象を与えて
認識が終ったら 直ぐに引き剥がしました。
其の結果が いまの貴方の意識・認識力です。
ですから貴方はまだ 意識を固定する為に
物を所有しては成りません。
貴方の役割は あたしの肉体である地球全体のバランスが
図られる迄は終らないのです。
貴方が望むべき事は 自分のこころの安定だけです。
其の「こころ・意」は 絶えず 三点の間で
揺れ動くモノなのですから 貴方は其の三点の囲みの中で
違う自分を 感じて行けば良いのです。
其れが自由と謂う 理であり人間としての
貴方と あたしの関係性の在り方なのです。
だから 貴方が存在する事で あたしが
新しいあたしとして サキに進む事が出来るのです。
其れが「さきはえたまえ」の 祝詞の言の葉が
含んでいる世界なのです。
其れがあたしと 貴方達の存在の関係なのですよ。
貴方は其の理を 実在として現す事に
いま取り組んで 居るのです。
良いですか
貴方の寿命には 時間の制限が有りますが
貴方の魂しいと あたしの関係性は
永遠なのですから 何も心配する必要は有りません。
貴方が 不安を感じる時は
貴方があたしと 分離している時なのです。
ですから 其の時は あたしの存在である
大自然に目を向けなさい。
そうすれば 何時でも貴方は あたしと一体に成れるのです。
其れが「大和魂・やまとこころ」の言葉の 背景なのです。
貴方の言葉が 研ぎ澄まされている時
貴方と あたしの関係性は 一体化しているのです。
其れが 「倭言葉・やまとことば」の本来の世界なのです。
其処に キリストの働きが 含まれているのです。
良いですか 言葉の純粋性を 磨いて行くのですよ。
其処に みずから 新しい御世が生じて来るのです。
其れが 真言の本当の意味なのです。
ありがとう。
今日も あたしと共に在る事に 感謝します。
「なんだ かんだ」http://moon.ap.teacup.com/20060103/227.html
今朝のメッセージの題名を、何とすれば良いのかが判らないので、摂り合えず「事象の節目」の節目とした。
平成30年4月28日
礒邉自適
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