1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2018/6/28
ペンチ
30・6・28
今朝のメッセージの映像は、新未来を創造する為の様々な世界が映し出されて来た。其れは、次の様な事である。
・食料を生産する為の農作物の品種改良。
・人間が生きて行く為の正しい文化の創造や、世の中の仕組み。
其れ等の事に付いて考えて居ると、意識が目覚めたので照明を点けて時計を見ると時刻は「5時25分」であった。
其れから再び眠ると、「ペンチ」との言葉が一言告げられて来たので、私は未来を創造する為には過去の柵(しがらみ)を断ち切る必要がある理・ことが、告げられて来たのだと思った。
何故かと謂うと、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」が、私に「自適さん 過去の人達を切って措かないと やがて細い糸がロープの様に太く成って 繋がって来るよ。」と謂った事が有るからである。
其れで、先ずPCを立ち上げて「ペンチ」を調べると次の様に載っている。
ペンチとは、先端同士が噛み合う構造の2つの金属製ステーをピボット(軸)で結合し、自由に開閉できる構造をした工具である。
語源は、pinch(挟む)がペンチに聞こえたからだと言う説がある[要出典]。英語では pliers(プライヤ、常に複数形)または cutting pliers(カッティングプライヤ)と呼び、ペンチは pliers の一種であるが、逆に日本でプライヤと言うとペンチの一種を指すほど、ペンチはモンキーレンチと同じように一般家庭に汎用工具として普及している。
ウィキペディアフリー百科辞典 2018/6/28現在
此のペンチの意味からすると、本来ペンチとは針金を切断する道具ではなく、鋏む道具である事に成り、私が今朝考えた「過去の事を断ち切る」との解釈は間違っている事に成る。
其れで、pinch(挟む)を調べると次の様に載っている。
pinch・ピンチ
[名](スル)1 追い詰められた苦しい状態。苦境。窮地。危機。「ピンチに陥る」「ピンチを救う」2 道具などで挟むこと。挟んで締めつけること。3 園芸で、摘心すること。「新芽をピンチして枝数を増やす」
デジタル大辞泉
此の説明からすると、今朝告げられて来た「ペンチ」の言葉は、幾つかの意味が有る事に成る。
1現在の世の中が 「ピンチ・追い詰められた苦しい状態。苦境。窮地。危機。」であるとの事。
2「新芽をピンチして枝数を増やす」との事から、「七支剣の枝、七つの燭台」を増やす。
3 pinch(挟む)の「道具などで挟むこと。挟んで締めつけること。」から、昨日の「母神の御手伝い」との事と関係が有り、天空の意思である母神と、地上の私が人間社会を上下に挟んで改革を行うとの事。
何故、私が其の様に考えるかと謂うと、老子の言葉に「天は大なり 地は大なり 人も大なり」と「天地人」の関係を謂っている言葉が有るからである。
2013/4/23天は大なり 地は大なり 人もまた大なり
域中に四大あり 而して人は其の一に居る
人は 地に法(のっと)りて 地は 天に法りて
天は 道に法りて 道は 自然に法る
老子「道徳経」第二十五章
有物混成、先天地生。寂兮寞兮、獨立不改、周行而不殆。可以爲天下母。吾不知其名、字之曰道。強爲之名曰大。大曰逝、逝曰遠、遠曰反。故道大、天大、地大、王亦大。域中有四大、而王居其一。人法地、地法天、天法道、道法自然。
書き下し文
物有り混成し、天地に先んじて生ず。寂(せき)たり寞(ばく)たり、独立して改(かわ)らず、周行して殆(とど)まらず。以(も)って天下の母と為すべし。吾(わ)れその名を知らず、これに字(あざな)して道と曰(い)う。強(し)いてこれが名を為して大と曰う。大なれば曰(ここ)に逝(ゆ)く、逝けば曰に遠く、遠ければ曰に反(かえ)る。故に道は大、天も大、地も大、王もまた大なり。域中(いきちゅう)に四大(しだい)あり、而(しか)して王はその一に居る。人は地に法(のっと)り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。
中国の思想 老子・列氏 徳間書店 奥平卓訳
「天・地・人」http://moon.ap.teacup.com/20061116/43.html
2013/4/24其の様に考えると、本日が本格的な雨天である事も、私の存在と森羅万象の働きが、一体化している理・ことの証しと成るであろう。
そして、其れは、昨日のメッセージに有った、「天地人」の内容
「天は大なり 地は大なり 人もまた大なり
域中に四大あり 而して人は其の一に居る
人は 地に法(のっと)りて 地は 天に法りて
天は 道に法りて 道は 自然に法る 」 とも 繋がっている。
今朝のメッセージで示されて来た「帝京」の言葉は、辞典に次の様に載っている。
てい‐きょう【帝京】
1 天帝のいる天上。2 天子のいる都。帝都。
「帝・テイ」の漢字 象形。甲骨文でわかるように、木を組んで締めた形の、神をまつる台の象形。天の神の意味から、天下を治める、みかどの意味を表す。
帝を音符に含む形声文字に、締・諦・蹄などがあり、これらの漢字は「しめくくる」の意味を共有している。
【字義】@みかど。きみ。天子。「帝王」「皇帝」Aあまつかみ。天の神。「天帝」「上帝」Bかみ・五行の神。「五帝」Cおおきい。
「京・キョウ・ケイ」の漢字 象形。甲骨文でもわかるように高い丘の上に建つ家の形にかたどり、高いおか・みやこの意味を表し、転じて、大きいの意味をも表す。京を音符に含む形声文字に憬・景・などがあり、これらの漢字は「高く大きな丘」の意味を共有している。
【字義】@みやこ。帝都。「帝京」Aたかいおか(丘)大きい丘。また、たかい。B大きい。さかん。Cうれえる形容。D数の名。兆の十倍。今は兆の一万倍。
漢語林より
今朝は、起きて階下の事務所に下りて来ると「一縷の望み」との言葉が告げられて来たので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられてきた。
「一縷の望み 其れは
貴方に対する あたしの気持ちです。
貴方の存在がなければ 天の働きを
原点・もとに戻す事が出来ないのです。
ですから 貴方の存在が あたしにとって
一縷の希望であると言う事に成るのです。
ですから 貴方の 現在・いまの取り組みは間違ってはいません。
ですが貴方の行動は 人間社会にとって効果的ではありません。
ですから此れから 流れを少し変化させますので
其の事を 気に留めていてくださいね。
是からが 本格的な詰めなので 今朝 帝京の言葉を送りました。
其の言葉が 貴方の是からの 指針と成れば良いと意います。
其れは貴方にしか 出来ない事なので
他人に 無理やり 理解を求めなくてもけっこうです。
全ての無意識の中に あたしの存在は通じています。
其れが 神の真の在り方です。
ですから あたしに お任せあれ 」
今朝のメッセージの内容を総合して考えると、現在の人間社会の在り方と言うか「政・まつりごと」が、正しくないと言うか、本来のカタチではない事を示して来ている。
其れは、改革が必要であり、其の基本は、子供達の教育にあると言う理・ことである。・・・
「帝京」http://wave.ap.teacup.com/20060106/516.html
2017/12/31・・其れを考えると、現在の世の中はテレビ放送だけではなく、様々な手段に拠って、情報が垂れ流されているので、それ自体が最大の煩悩の製造機関であると言う事なのであろう。
其の様に考えると、今朝の映像に映し出されて来た、横書の漢字文字の意味が「人から人に傳っている良書を読む」であった事が、能く理解されて来る。
良書とは、辞典に「よい書物。ためになる書物。 ⇔ 悪書」と載っている。
其れに「人から人に傳っている」との事は、昔から人々に傳っているとの意味だから、伝統的な人の道の意味も有る事に成る。
其の様に考えると、私の脳裏に直ぐ浮かぶのは老子の道徳経である。
其れは、王様の図書館に勤務していた老子が、老齢に達してから自分の考えを、自分で5000字に纏めた物であり、他の宗教本・経典の様に、後の人間が自分の考えを通して書き残した物ではないからである。
其の老子の文章には、「天は大なり 地は大なり 人もまた大なり」と有り、天や地だけが偉大ではなく、人間も同じ様に偉大であると謂っているので、人間が天地に平伏す必要がなく、天地の存在を支えているのが、人間であるとの意味合いにも成るので、今朝のメッセージで天空を翼とする鵬・ほうおうの両翼が、人間の意識・気持ちの受け手であると言う事も、理解されてくる。・・・
「煩悩は情報過多から」http://green.ap.teacup.com/20060818/4482.html
其れと、今朝起された5時25分の数字から、先月5月25日の文章を見てみると、次の様な事が書いて有る。
2018/5/25今朝のメッセージの映像は、先ず、貴乃花親方(花田光司氏)の姿が映し出されて来て、私に駅前で饂飩を一杯ご馳走してくれながら、「先が長く無いので会長を務めた方が良い」と告げてから、駅の改札の中に去って行く場面が映し出されて来た。
次の映像は、私の行動を支える為に遣って来たと謂う、能力の高い40歳位のスーツ姿の日本人男性が映し出されて来て、私が、人間社会での実働を何から始め様かと相談すると、其の男性は「先ず 対話を始める必要がある」と謂って、其の準備の為に帰って行く場面が映し出されて来た。
其の解釈が当たっているのであれば、一昨日のメッセージで「全てを自分達の王に結びつけるのだ」との言葉と「全てを取り除いて見る」との言葉が告げられて来た事と関係が有り、我々は過去の怨念や柵(しがらみ)を全て消去しなければ、未来へ出立出来ないと言う事なのかも知れない。
其の様に考えると、今朝の映像に、相撲界の貴乃花親方(花田光司氏)の姿が映し出されて来て、私に「先が長く無いので会長を務めた方が良い」と告げてから、駅の改札の中に去って行く場面が映し出されて来た事と関係が有り、「花田光司」との名前は、「水田が花の様に光を司る」との意味に解釈できるので、日本国の呼称である「豊葦原瑞穂の国」の名前に関連している事に成る。
今朝、貴乃花親方(花田光司氏)が私に「先が長く無いので会長を務めた方が良い」と謂った事と、40歳位のスーツ姿の優秀な男性が「先ず 対話を始める必要がある」と謂った事は、大事な役割を持っている人達は、まず対話から始める必要が有る理・ことが、示されて来ているのであろう。
そして、最後に色の白い丸顔の30歳代女性の現代人の顔が映し出されて来て、其の顔が早いスピードで変化を繰り返しながらバックして行き、最後には闇の中に消えてしまう場面が映し出されて来た映像は、是まで長い期間人類の進化の為に、男性の魂しいを支えて来た「女神・母神・鳳(ほうおう)・弁財天・サラスヴァティー・大日如来・マハーヴァイローチャナ」の神(はたらき)が、役割を果たして無に還って行くと言う事なのではないだろうか。
其の様に考えると、本日のメッセージは「過去の整理」と、「未来への準備」に付いて、示されて来ている事に成る。・・
今朝のメッセージの内容からすると、明治維新で余りにも強引に西洋の価値観を導入した為に、歪がみ・歪ずみを出していた「豊葦原瑞穂の国」の政(まつりごと)が、回復すると供に、西洋の価値観も改まる時節が到来したとの事であり、其の事で悩んで居た霊界の人々も成仏できると謂う事なのかも知れない。
『まことにそうなのです。 其れこそが 貴方の大役が 果されたと言う事に成るのですよ』・
「 線香を炊く」http://green.ap.teacup.com/20060818/4630.html
2018/5/24「過去の情報を消して行く」http://green.ap.teacup.com/20060818/4629.html
2018/5/23「全てを取り除いて見る」http://green.ap.teacup.com/20060818/4628.html
2018/5/22「罠・かえして」http://green.ap.teacup.com/20060818/4627.html
昨日からのメッセージの流れを考えると、私が此の神の世界に入って丸3年目の、1987年(S62)6月29日(旧暦6月4日)に、「天上を娶り 天下を治らす」の題で、詩を書かされた事が、31年間掛かって、漸く現実の動きと成って来ているのかも知れない。
2007/9/17・・今朝のメッセージは、先ず、中心に存在する意識(女神・母性・ガイア・ラーラ・天照・ビルシャナ・大日如来)が、「是以上無い」と言う程の喜びを現している姿を、私に認識させて来たと言う事は、私が、24年掛かって、宇宙の夫として合格した事を、示して来ているのではないだろうか。
其れに付いては、意識として、私が神の世界に入って丸3年目の、1987年(S62)6月29日(旧暦6月4日)に、「天上を娶り 天下を治らす」の題で、言葉に表されている。
「天上を娶り 天下を治らす」
1987・6・29
調翔けて 陽を仰ぎ 星の中に眠る
緑を食み 身の中に清水を蓄え 静かに庵に暮らす
無が静かに 養われ 行く事の遅きこと 老牛の如し
遥かに覚えるものは 己が血の中に住む 2本の蛇糸
前も後も無く 今の中に 永遠のトキが 枕す
自適
此の頃の私は、全ての事から解脱して、カルマ・業の無い状態だったので、巧く言霊の世界に嵌り込んで居たのだと想われる。其の世界が、20年振りに復活と言うか、今日再び廻って来たのだろうか。・・・
「喜ぶ女神」http://star.ap.teacup.com/2007313/214.html
是等の事柄から考えると、今朝のメッセージは、新しい御世を創造する為には、天界・宇宙意志を地上で受け取る・スキャンする人間が必要であり、人間社会を、天地で「ピンチ・pinch(挟む)」する必要があり、其れが私の役割であると謂う事なのかも知れない。
其の様に考えると、「統尊・すめらのみこと」の役割は、「神・上・かみ」の御座に着くのではなく、誰よりも低い位置に在って、全てを持ち上げると謂うか、掬い上げる人間でなければ成らないと言う事に成って来る。
2001/10/17日本語の「すくう」の言葉の意味は、前回も述べた様に「手を 下に差し入れて 掬う」の意味で、溺れている人、困窮している人を助ける事が、その行動にある。
今度は、「助ける」とはどう言う意味なのか考えて見た。
「たすける」の、元語に当てる漢字は、漢語林では22字も有るが、「助」の漢字の字義を見ると、音読みは「ジョ」で字の成り立ちは「力+且」で「且(ヨシ)」は、積み重ねるの意味で、力を上に重ねてたすけるの意味とある。
たすけるの「ける」は、動詞で、「上げる」などと同じであるから「たす」だけが、物(現象)を表現する言葉である。
「たす」は足す、加えるの意味で不足をおぎなう「supply・サプライ」の意味だと、字典には載っている。
助けるとは、何かの不足が生じて居る人に対して、力を重ね、積み上げて足してあげる事の意味らしい。
これは、仏教で使う「布施・ふせ」の意味と通じるものがある。
辞典には、「すくいぬし(救主)」の所に、1・助け人「hel-perヘルパー」、救世主「thesavi0rザ・セイヴィア」とも、載っている。
私は、これ等の言葉から考えて見ると、体験豊かな先達が、後から神に近付く者達に対して、手助けをする姿が見えて来る。
自分が、積んで来た体験からの知恵を、後から登る者に対しての、踏み台として与えて遣るのである。
私達の、文化や文明も、過去の人達の業績の上に成り立っている。
科学や、技術の世界もそうであるが、釈迦や、老子や、イエス達が見極めた、宇宙の真理の情報も、私達が道を極める為の、踏み台と成っているのである。
私達は、過去の人達が努力をして、「且・ヨシ)を積み上げてくれた御陰様で、能力が向上しているのである。
現代社会に生きる我々も、次の時代の為に、何等かの業績を、足さなければならないだろう。
老子や、釈迦牟尼仏や、イエスキリストの業績の上に、何を足せるか、私達の努力は、今からが勝負である。
「たすける」の漢字は、介・右・左・丞・佐・佑・助・扶・侑・相・祐・将・將・幇・弼・援・資・輔・賛・翼・贊・眦と、漢語林に載っている。
私が辞典を見て、誰も理解出来ないのではと、想えるのが「眦・ヒ・まなじり・たすける」の漢字である。・・・
「救世主(其の四)」http://wave.ap.teacup.com/20060106/190.html
2007/8/24・・だとすれば、私も是から、「仙(人+山)」や「仏(人+ム)」ではなく、倥に近い「俗(人+谷)」の世界に、身を置かなければ成らない事になる。
池袋先生の姿を借りて、私の霊夢の中に現われて、私を教育の世界に引っ張り込もうとしているはたらき(神)が、一体何者なのかは分からないが、私にとって一番の教師である池袋先生が、ボランティア・義勇兵として、学問をする者の為に、自ら働いて居る姿を見せられては、私も先生への恩返しの為に、泥の中に、入って行かなければ成らないだろうか。
しかし、私の意識を操る曲者は、油断の出来ない相手である。
何故なら、私の事を全部知っていて、一番の急所を突いて来るからである。
是では、何処まで逃げても、逃亡は無理である。
そうであるなら、観念して、泥沼に入って行かなければならない事に成りそうである。
救世主の意味は「世を救う主」である。
しかし、「救」の漢字の意味は、「求+杖」の組み合わせで、「求めて来る者を 杖を持った人が導く」の意味である。
杖を突いて居る者の所に行って、門の扉を叩く者しか救えないのである。
旧約聖書にも「叩けよ さらば救われん」との文句が有り、求める者・乾いている者しか、救いようが無い事を明らかにしている。
だから、皇帝が相談に出掛ける「仙人・聖者」は、山中に住んで居るのである。
しかし、日本語の「すくう」は、金魚掬いの「すくう」の意味だから、手を、水や泥の中に入れて、下から掬い上げるの意味である。
其の意味からすると、泥の中に溺れて居る者の下に、自分から手を差し入れなければ成らない事に成る。・・・
「教師の役割」http://green.ap.teacup.com/20060818/429.html
平成30年6月28日
礒邉自適
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