1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2018/9/27
神様の世界
30・9・27
今朝のメッセージの映像は、先ず台の上に、薄茶色の陶器製の大中小の丸い器が三個、右側から左側へ順番に並んで置かれているのが映し出されて来て、其の各器の中には「聖水」がたっぷりと注がれている事が示されて来た。
次に、若葉が着いている二本の藤の様な植物の蔓が、地上から天空に、真直ぐに伸びている映像が映し出されて来て、其の蔓は同じ種類なのだが、左側が細く、右側の蔓が太い物であった。
次に、天空から落下傘の様に、一人の30歳代ぐらい男性の姿が、紐で吊るされた状態で降ろされて来て、其の男性の手には赤色のマーカーの様な物が握られており、其の男性の存在が丸い円を描く様に廻って行き、其の下の地上には、範囲・境界を示す様に標しが引かれて行った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時36分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、神様の御心に適合した人々が、地上で生活をして居る場面が次々に映し出されて来た。
其れから、其の人達が栽培している農作物の畑や果樹園の存在が映し出されて来て、其れ等の自家栽培をした作物・収穫物で作った、料理やジャムなどの食べ物がテーブルの上に澤山並んでいる場面が映し出されて来た。
今朝のメッセージの映像は、天神(てんのはたらき)の存在と人類の関係性が示されて来ており、是から、天神・宇宙意識に適った人々の生活(くらし)が本格的に始まる理・ことが示されて来ている様なので、今朝の文章の題は「神様の世界」とした。
最初に映し出されて来た「聖水が貯められている三個の陶器の器」の存在は、私が「約束を護る」のブログのトップページに載せてある、「三がテーマ」との件や「罔象女神・みつはのめのかみ」の存在と関係が有り、其のテーマと謂うか理(ことわり)の究極の「罔象・みつは」として映し出されて来た物なのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝起こされた時刻が3時36分であり、其の数字は「3+3=6」の数式とも成る。
2009/3/31今朝のメッセージの映像は、水の世界が、三つに別れている「理・ことわり」が、文章の説明として示されて来た。
そして、次に、B4程の大きさで、厚さが3センチ程の縦形の本が一冊現れて、其の本を捲って見ると、カラー写真入りの文章が書かれているのである。
其の、写真入りの頁をドンドン捲って行くと、3分の1を過ぎる所からは、写真も文字も、色が消えてモノクロの頁に成った。
そして、其の写真入りの本は、神の世界の「日記・ブログ」の様な物である事が、理解出来た。
どうやら其の本は、此の人間が存在する世界を、天・神が、映像と言葉・文字で記録している理・ことを示して来ている様である。
其れは、一昨日、地球環境を見詰めていた存在が、昨日は、宇宙の景色を写真集にしていて、今朝は、人間が生きている此の現象世界を、人間が歴史を記録する様に、記録している事を知らせて来ている様である。
今朝の映像に現れた本は、内容の前半3分の1は、光が当っている、色着きの世界の出来事を記録した物で、後半の3分の2は、光の無い闇の世界の出来事を、記録している物の様である。
そして、其の「3・3・3」の割合こそ、宇宙が存在している理・ことわりを、示して来ているのだろう。
其の、「3・3・3」の割合の世界こそ、密教の「三密」の世界であり、日本の古事記に有る「天照界」「月読み界」「素戔鳴界」の分類の要因なのであろう。
古事記の分類からすると、「天照神」の世界の3分の1が、今朝の本のカラーの世界であり、「月読命」と「素戔鳴尊」が、影の部分と謂うか、土台の部分である理・ことを、示しているのではないだろうか。
今朝は、水の存在・はたらきが、三つに別けられていた事から、私にイメージされて来た言葉・言霊は「みつは」である。
其れは、何故かと謂うと、3月20日に告げられた「4月23日」の日付が、旧暦の3月28日で、私の身体に異変が起きて来たのが、新暦・太陽暦の3月28日で、其の日が「328・みつは」の日であるとの事が、思い出されたからである。
私の身体の変調は、3月28日に、左の後頭部が痛く成り、29日は頭全体が痛く成り、耳鳴りがして、頭を動かすとクラクラして、吐き気もして居た。
そして、昨日30日は、頭の痛みや吐き気は消えたが、右耳の鼓膜が、パタパタ音を立てる感じの違和感が有ったのである。
しかし、今朝は、何事も無かったかの様に、異常は何も無いのである。
そして、朝、事務所に出て来てPC前に座ると、女神の声で「なんでもないのよ」と有ったので、「パートナーズ」の「命を探せと云った人の名は」のブログを開いて、其の「何でもないのよ」の言葉を打つと、次の言葉が告げられて来た。
「何でも ないのよ。
貴方が 気付きさえすれば それで良いのです。
貴方が 其れに気付きさえすれば 全てはうまくはこびます。
貴方の意識が 其れを確かに 見つめて居てくれれば
あたしが 其処に存在できるのです。
其の理に 是まで 誰も気付かなかったのです。
あたし其のモノが 貴方の存在であり 総べての存在なのです。
だから貴方は あたしの確かな目に成ったのです。
其れが みつはめの神・はたらきと 言うことなのです。 」
其れに、私が、平成元年3月13日(313)に、初めて阿蘇の「日宮弊立神宮」に参詣したら、3時33分に日の宮の神が激しく掛かって来た事がある。
そして、同じ年の5月16日に、奈良の自然農の「川口由一氏」を日宮弊立神宮に案内してから、北九州市小倉に帰って来て、救世教の自然食品店に買い物に行くと、自分の手が勝手に動いて、棚の上に有る本を一冊取って、其の本を開くと、其の頁には「岡田茂吉聖師」が死んだ・昇天した時間が「3時33分」だと記されていた。
そして、其の岡田茂吉が信仰していた神は、「弥都波能売神(みづはのめのかみ)」である事も解かった。
其れに、同じ年の9月1日から日宮弊立神宮の境内に有る地球平和道場に宿泊していると、3日の夜中3時33分(3・3・33)に聖徳太子が「高天原に達した」と、伝えて来た事も有る。・・・
「罔象女神(みつはのめのかみ)」http://green.ap.teacup.com/20060818/1094.html
そして本日「9月27日」の数字は、「3×3=9」の数字の組み合わせである「9(9+9+9)」にも成る。
キー「9 3×9=27」
2014/9/27今朝のメッセージの映像は、先ず、花か紅葉で美しく彩られている、なだらかな山が、一岳映し出されて来た。
次に、庭や畑の草木に、花が咲いている映像が映し出されて来た。そして、「いわなが」との言葉が告げられて来た。
次の映像は、私が、絹糸の原糸の様な物の束を、2t積トラックの程の車の荷台の枠一杯に搭載して、公衆電話ボックスの様な所から、何処かに連絡を執っていた。
次の映像は、何処かの大きな料理屋で、関係者が数十人集まって、食事会が開かれる準備が為されており、私は皆と同じ部屋には席がなく、特別な人達が数人でテーブルに着く部屋の方に、通されていた。
今朝の映像には、人物の姿が一人も登場しなかったので、神々の様子と言うか、働きが示されて来ているのではないだろうか。
紅葉する山の姿と、草木の彩りが映し出されて来た事、其れに「いわなが」との言葉を考えると、其れは「大山祇神・おおやまづみかみ」の家族の存在を示唆しており、紅葉する山は「大山祇神」を意味し、庭や畑に咲く花は「木花之佐久夜毘売命・このはなさくやひめ。別名 神阿多都比売・かむあたつひめ」で、「いわなが」とは姉である「岩長姫」の事を、示しているのではないだろうか。
絹糸の様な物を、私がトラックの荷台に積んで、何処かに連絡を執っていたのは、養蚕の世界を意味しており、蚕の服を着ていた「少彦名命」の存在を意味し、国造りを行う「大国主命」にでも、連絡をしていたのであろうか。
最後の食事会の様子は、私が特別室の方に案内されたので、何か大事な事が有り、私は、其の指導部か企画部門の方に、関係が有る事を示唆している様である。
今朝の愉伽さんのビジョンには、植物の蔓で編まれた籠を組んで造られたベッドの上に居て、其処には一組の白い布団が敷かれていたとの事である。
そして其の、ベッドの蔓の隙間から下を見ると、とても高い場所・空中であり、こんな所では安心して眠る事が出来ないと意って、枠を跨いで下に降りようとしたが、枠が高すぎて跨ぐ事が出来ず、どうしたものかと考えていたら、「高みに在れ」との言葉が告げられて来たとの事である。
其の「愉伽さん」は、屋久島で開催された、第一回の「大山祇神」の祠で行われた「紀(トキ)の祭り」にも参加しているので、今朝のメッセージは大山祇神の神霊が、私達が神の領域に達した事を、示して来ているのかも知れない。
其れは、私が是まで、30年・一世を掛けて取り組んで来た事が、功を成して、神々の働く場が形成された事に成るのではないだろうか。
其の様に考えると、私は、生が有る間・うちに、神々の世界に参加する事に成ったと言う事なのかも知れない。
本日の日付は9月27日で、其の数字は「9 ―(9+9+9)」と成る。
其の数霊を考えると、天地を結ぶ働きが、全て「九・陽数」の次元に達した事に成るのかも知れない。
何故、私が、其の様に考えるかと言うと、本当の天皇家の家紋は「十六菊花紋」ではなく、三方に拡がる、九つの花びらの菊花紋であり、其れを数字で表すと「3×9=27」と、成るからである。
2008/9/27・・其れは、平安時代の天皇家の菊花紋に関係が有り、中央から三方に出ている菊の花びらが、各9弁有り「3×9=27」であったからではないだろうか。何故、中心が有って周囲に「9・9・9」の広がりがなければ成らないのか。
其れは、昔、日本にも仏教の曼荼羅的思考が、在ったからではないだろうか。密教の曼荼羅は、人間界を動かしている、仏の配置図である。其れは、其の仏の働きが、此の現象界に写し出される事を、意味しているのである。
禊ぎ祓いの儀式は、自分の頭脳を、自分で使用するのではなく、祓いを受けて、自分の頭を空にし、神に使用させる事で、神の計画が、此の三次元世界に、正しく映り込む事を願うものなのであろう。・・・
「ファイナルアンサー(最後の解答)」http://green.ap.teacup.com/20060818/896.html
2008/3/27本日3月27日は、22年前(1986年)衆議院議員「二階堂進氏」の鹿屋の自宅を訪ね、次の総理大臣に付いて話をした日であり、25日には皇居に手製のロケット弾が3発打ち込まれ、28日は大阪府警本部に火炎弾が三発打ち込まれてもいる。
そして、其の日に知った事は、本来の天皇家の菊の紋は、9つの花びらの菊花が、3つ三菱のマークの様に組み合わされた物であると言う事だった。
其れは「3×9=27」で、今日の日付の「3・(3×9)27」と、数霊として因縁が有りそうである。
何故、其の様な事が、今朝、気に成るかと言うと、今朝のメッセージが「政治・まつりごと」に付いての、助言の様な事ばかりだからである。
「政(まつりごと)の助言」http://green.ap.teacup.com/20060818/686.html
今朝のメッセージの映像には、人物や神々の姿は、何も登場してはいない。
只、私が映されて来た映像にて、解釈をしているに過ぎない。
だが、愉伽さんのビジョンには、「天皇・すめらみこと・すめらぎ」の位を意味する、「高見倉・たかみくら」の様な物が映し出されて来ている。
其れを考えると、新しい神々の御坐が、用意されている事を、窺い知る事ができる。・・・
「木花之佐久夜毘売命と岩長姫」http://green.ap.teacup.com/20060818/3210.html
其れから、二番目に映し出されて来た「天地間を繋ぐ二本の植物の蔓」は、「天(太陽)光・熱」と「地(地球)土・水・空気」の存在で、地球生物が存在する理(ことわり)を示唆しており、其れは相互関係にある理・ことが示されて来ているのではないだろうか。
特に、其の蔓が藤の花が咲く植物の蔓であったのは、日本国の文化(生活様式・環境)を示唆しており、日本人の魂しいの特異性が示唆されているのかも知れない。
其れから、30歳代位の男性が「落下傘・パラシュート」の様な物で中吊りに成った儘、赤いマーカーの線を地上に丸く引いて行く意味は、神の意思に従い未来世界を創造して行く人々の存在を示唆しており、古い時代の人間とは隔絶した地域で、新しい御代が築かれる理・ことが示されて来ているのであろう。
そして、落下傘で下ろされる(既に降ろされて居る)御魂は30歳代の男性であり、其の男性には天界の糸(つながり)が何十本も結ばれているとの理・ことが、示されて来ているのであろう。
そして、其の男性と一緒に、未来社会を創造して行く人々の存在が、幾つもの映像で映し出されて来た、自然な暮らしをして居た人々の姿なのであろう。
・・神様の御心に適合した人々が、地上で生活をして居る場面が次々に映し出されて来た。
其れから、其の人達が栽培している農作物の畑や果樹園の存在が映し出されて来て、其れ等の自家栽培をした作物・収穫物で作った、料理やジャムなどの食べ物がテーブルの上に澤山並んでいる場面が映し出されて来た。・・・
平成30年9月27日
礒邉自適
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