1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2018/10/31
虚飾・きょしょく
30・10・31
本日で10月が終り、明日は11月1日であり、其の11月1日は私にとって是まで数度、切り替わりが起きた日付けでもある。
今朝のメッセージには、「虚飾・きょしょく」との言葉が一言告げられて来た。
次に、私は他の人々と、競う様な雰囲気で、花を咲かせる為の作業・行動を始める場面が映し出されて来た。
そして、私が選んだ場所は、二階建の建物の日当たりが良い二階南側の窓際であり、其の窓の外のベランダに、草を刈り取って来て敷いてから、土が入った植木鉢を置いて、草花の種子を播いて居た。
次の場面は、虹色の光彩が輝く場面が映し出されて来た後に、緑色の太い電線が一本、左右に伸びている場面が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時14分」であった。
其れから再び眠ると、勢い良く伸びている南瓜の緑色の葉が映し出されて来た。
次に、白菜やキャベツの様に、中心が白い野菜の存在が示されて来た。
そして、「3月13日」の日付が示されて来たので、起きて時計を見ると時刻が「7時10分」であった。
其れから、台所に行って由香に「何かビジョンを見なかった」と訊くと、「いしのてるお」の名前が示されて来たが、石の漢字ははっきりしているのだが、他の漢字は実際には無い文字であったとの事である。
今朝は、PCを立ち上げて、先ず「きょしょく」を検索すると次の様に載っている。
きょ‐しょく【虚飾】 大辞泉の解説
実質を伴わない外見だけの飾り。みえ。「虚飾に満ちた生活」
内容を伴わない上辺だけの飾り。みえ。 「 −にみちた生活」
其れから、起された時刻「3時14分」と「7時10分」、其れに告げられて来た3月13日の日付から、今年の「3月13日・14日」「7月10日」の文章を見て見ると、次の様な事が書いて有る。
2018/3/14今朝のメッセージの映像は、先ず、広がったアコーディオンが閉じられる様に、長い竹の節間が無く成って、縮められる場面が映し出されて来て、其れは人間の是までの歴史が濃縮される様な意味が有り、時間軸が圧縮されて一箇所に纏められる理・ことを意味している様であった。
次に、何も無い空間に、固めの水飴の様な塊が浮かんでおり、其の塊が、左側の方から、下方に垂れ下がっている場面が映し出されて来た。
次に、真っ白い箪笥が映し出されて来て、其の引き出しの中には、様々な色の布が詰まっている事が判った。
次に、季節に合わせた正食料理が出される宿泊施設の存在が映し出されて来た。
其れ等の映像に付いて考えて居て、自我意識が目覚めたので照明を点けて時計を見ると時刻は「5時3分」であった。
其処で、眠れなく成ったので、起きてPCを立ち上げ、昨年の5月3日の文章を見ると、次の様に書いて有る。・・
次の映像の、何も無い空間に、固めの水飴の様な塊が浮かんでおり、其の塊が、左側の方から、下方に垂れ下がっている場面が映し出されて来たのは、時空が歪む事を示しており、我々が存在する世界も、固定された物ではない理・ことを示して来ているのであろう。(メビウスの環)
次の、白い箪笥の引き出しの中に、様々な色の布が詰まっていた場面は、布が人間の意識(織物)を示唆しており、真っ白い神の世界に、様々な個性の人間が詰められて居る理・ことが、示されて来ているのであろう。
次の、季節に合わせた正しい料理が出される宿泊施設の存在が映し出されて来たのは、次の様な事が考えられる。
・人類は他の動物と同じく、自然環境に因る季節の移り変わりに合わせて、体温調節が行われる躰を有し、季節の変化に合わせて変わる食べ物を食べて、進化して来ているので、其の生体リズムから外れてはいけない事。
・其の変化に対応する事で、五感が発達し、人間には第六感と呼ばれる、意識の世界も身に付いている事。(其れが神と呼ばれる世界)
・地球環境は様々な地域で、独特の環境が有り、其れに合わせて様々な異なる民族が存在し、価値観も異なっている事。
・其れ等の、異なる価値観を有した世界中の民族が、平和に生活して行く為には、お互いの文化を理解する場を設ける必要が有る事。
・正しい食事とは、「身土不二・しんどふじ」の言葉や、「産土神・うぶすなかみ」との言葉と関係が有り、自分が生まれ育った土地の環境条件に合った食生活の伝統を護る事で、自分達の先祖の霊魂である「御祖神・みおやかみ」を継続できる事。(直合・なおらい)
是等の事を考えると、今朝のメッセージは、私が2001年5月3日の憲法記念日に「地球憲法を引き受けてくれるか」と告げられて来た事と関係が有り、70億人にも達している人類が共有できる地球憲法(人間の生き方の基本)を制定する必要が有り、其れは、老子の謂う「道・タオ」や、釈迦の謂う「ダルマ・法」、其れにイエスキリストの謂う「永遠の命に入る為」の言葉に、添うモノでなければ成らないと言う事に成るのであろう。
其れは、権力者の都合に合わせたモノではなく、全ての民族が納得でき、平和な暮らしが送れるモノでなければ成らない。
「未来創造」https://green.ap.teacup.com/20060818/4555.html
2018/7/10今朝のメッセージの意味が、私にも能く解らないので、取り敢えず「八幡と八岐大蛇」とした。
其れは、私が人間社会で、八部門の事を立ち上げて戦いと謂うか、仕事をしなければ成らないのだが、正しい道(手法)が通用しないと謂うか、私と同じ舞台(考え)で競う相手が居ないので、やる気が失せてしまう映像だったからである。
其処で照明を点けて、時計を見ると時刻は「3時33分」であった。
其れから、再び横に成ったのだ、今朝の映像の意味が能く理解できないので、悩み始めて、眠れないので起きて台所に行き、穀物コーヒを入れてから時計を時計を見ると時刻は4時44分であった。
其れから、コーヒーカップを手にし縁側に立つと、東の空の雲が赤く棚引いていた。そして、パソコンを立ち上げると、庭先の木の枝に雀が遣って来て、餌を催促する様に鳴き始めた。其れで時刻を見ると5時5分であり。今朝はぞろ目の数字で認識作用が動いている。
其れに、気付いて見れば、題にした言葉も「88」である。
今朝の文章の題を「八幡と八岐大蛇」としたのは、私が八部門の事を開始しようとするのだが、其れに対して、全て、協力者が現れず、反対(邪魔)をする人達ばかりで、私は嫌気が差してやる気が失せてしまったからである。
今朝は、文章の書き様が無いので、昨年の7月10日の文章を見ると次の様に書いて有り、翌日11日の文章の題は「3時33分」で、今朝起された時間と同じである。・・
今朝のメッセージと謂うか、私の意識状態から考えると、昨日の「自然に帰る」の文章と関係が有り、私は本来の自分自身に復帰して良いとの事なのかも知れない。其の様に考えると、34年間の長きに亘り私が続けて来た作業は、是で一段落する事に成りそうである。
其れは「土肥無庵」の想いを、叶える事にも成るのではないだろか。
「八幡と八岐大蛇」https://green.ap.teacup.com/20060818/4676.html
2018/3/13平成元年3月13日に、初めて阿蘇に有る「日宮幣立神宮」に参拝してから、本日で30年が経過経過した事に成る。
昨日は、本日の為に「3月13日」と「日宮幣立神宮」の件に関しての文章を調べた心算であったが、昨日告げられて来た『ここで 一度切り替える為』との言葉と関係が有り、昨日の作業は、昭和天皇の御魂の指示で始まった日宮幣立神宮の神事が、締め括られた事に成った様である。
今朝のメッセージの映像は、出雲の安部忠弘氏が運転する車に、私と由香の二人が便乗して何処かの緑豊かな村に一人で住んで居る、小柄の60歳代の男性の家を訪ねる場面が、映し出されて来た。
其の男性は、自分で建てた手造りの簡素な木造の家で生活しており、訪問した人間は、自分の飲食物は別棟に有る台所で、勝手に作らなければ成らない様に成っていた。
其の男性の話では、下の方に暮らして居る従来の農家は、生活に行き詰っているとの事であり、私にも、「此処に住みたければ 土地をくれる」と謂った。
其の日は、其の男性の友人も遣って来て、遅くまで話したので、其の家に、其の儘宿泊したのか、朝起きると、安部忠弘氏は帰ってしまって居るので、私と由香はバス路線も無い地域なので、どの様にして、自宅に帰ったら良いのかを考えている間に、意識が目覚めてしまった。
其れで、私が現実には、現在・いま福岡に住んで居る事を改めて自覚し、自分の不安定な旅が終わっている事を確認した。
今朝のメッセージの様子と謂うか、意識の状態から、私が感じる事は、1984年6月4日(旧暦5月5日)の禊ぎ祓いの儀式で起きた、4311体の「御霊の思頼・みたまのふゆ」の現象から始まった、覚醒(解脱・成仏)に因る様々な出来事が、昨日で一段落したと言う事に成り、其れが、昨日告げられて来た『ここで 一度切り替える為』との言葉と関係があり、其の事は、天神(てんのはたらき)の世界でも、了承済みであると言う事なのであろう。
私は、今朝のメッセージの映像から、田舎の農家が生活に行き詰っている状況から、後継者も居ないだろうとの事を考え、日本国の経済の仕組みが、貿易中心であり、農村・農家・農業を切り捨てている事を考え、イザ何かが起きて、貿易が停止した時には、大変な事に成ってしまう事を考えた。
そして、其の事を考えて居て、未来を「創造」しなければ成らない行為は、「覚醒」の行為とは、全く「反対・逆・相反」する世界であると考えた。
其れは、仏教(釈迦の教え)は、人間が「自分の本質に目覚める事」に付いての理・ことを解いているモノであり、其れは人間が、他の生物と同じ世界に住み、其の世界と言うか、背景が「宇宙全体・時空」のプログラムであると言う理・ことを認識する為である。
だから、釈迦の教訓には未来創造の為の手法は無く、寧ろ其の様な考え・行為を止めなければ成らない理・ことが、説かれているのである。
其れは、人間の脳の仕組みが、過去の情報を思い出す事と、未来を創造する事を、同時に行え無い理・ことを示唆している。
其れを考えると、私の意識状態は、昨日告げられて来た『ここで 一度切り替える為』との男性の存在が、管理・コントロールしている事に成り、私の脳の働きは、既に、私自身の物ではないと謂う事に成るのであろう。
其れは、私が本物の「霊留・ひと(人)」であり、私は「空蝉・うつせみ・空だ(躰)」状態であると言う事に成る。
「覚醒と創造は相反」https://green.ap.teacup.com/20060818/4554.html
是等の文章の内容から、私に考えられる事は、私が昭和天皇の御霊の指示で、平成元年3月13日に阿蘇に有る「日宮幣立神宮」に初めて参拝し「3時33分」に、私の肉体に激しい神罹りが起きた事が関係あり、昭和天皇の御霊が大葬の日の朝「吾が身既に遠く 良き世を願い奉る」と告げて来た事が、是から開始されると言う事が示されて来ているのではないだろうか。
天皇霊其の二「昭和天皇」http://star.ap.teacup.com/20060505/69.html
其の「良き世」とは、虚飾の無い世界であり、真実の文化の花を咲かす必要があり、私が日当たりの良い二階の窓際に、草を刈り取って来て敷いて、其の上に植え木鉢を置いて種子を播いて居たのは、次の様な事が考えられる。
・中国の皇帝は北を背にして、南向きに御座につく。
・二階の部屋からは、通りを往来する人々の姿が目に映らない。(御簾)
・植え木鉢の下に、草を刈り取って来て敷いて居たのは、私に告げられて来ている「グリーンクラブ」の事と関係が有る。
・虹色の光の光彩・輝きは、「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」や、「毘盧遮那仏・びるしゃなぶつ」の世界を示唆している。
・緑色の一本の電線は、「天神(てんのはたらき)・宇宙意志」と「皇帝・天皇・統尊(すめらのみこと)・大君」の繋がりを意味している。
・勢い良く伸びる南瓜の蔓と緑の葉は、民の生活・社会経済を意味している。
・中が白く、中心から花塔が伸びて来る白菜の存在は、天皇・皇帝の、「皇」の漢字が「白+王」である事と関係が有る。
【此処で、私の右手の中指に強いカモの反応が起きる。9時14分。】
此の「914」の数字は、「149」の数字が「123」の二乗である事と関係が有り、天皇の寝床「天御臥間・ あめのおふすま」の畳の比率や、149の数字は「いしく・石工」と読める事と関係が有り、今朝由香に示されて来た「いしのてるお」との言葉・名前と関係が有り、「石工・メーソン(自由な石工)」の世界の秘儀である「大天使ルシフエル」の神(はたらき)が蘇る時が来たと言う事なのかも知れない。
2015/6/24「フリーメイソン・自由な石工」https://green.ap.teacup.com/20060818/3508.html
其れに、今年の9月14日の文章の題は「天津日嗣・あまつひつぎ」である。
2018/9/14今朝のメッセージの映像は、先ず、一昨日のメッセージの「山中に存在する男子の為の道場」と、昨日の「ゴッドファーザー・パドリナスゴ」の事に関係があり、成年男子が集う山中の施設の存在が映し出されて来て、其の施設では「動物(家畜やペット等)」を飼っては成らない理・ことが示されて来た。
次に、十代の障害者の兄弟の存在が映し出されて来て、其の兄弟の障害は、両親が近親結婚である事と関係有る理・ことが示されて来た。・・
今朝は、由香に「何かビジョンを見なかったか」と訊ねると、見たとの事であり、其れは次の様な事である。
・蛭子さんが登場し、次の場面では亡くなっていて、皆に宛てたメッセージを書いた紙が置いてあったという場面。
・透明なガラスケースをプレゼントされて、中を見ると澤山の「水晶・クオーツ」と「時計」が陳列されている場面。
其の「蛭子さんが亡くなっていた場面」は、「蛭子・エビス・ひるこ」は、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」と「伊耶那美命・いざなみのみこと」が天上から地上に降りて来た時に、最初に生まれた子供が手足の無い「蛭・ひる」の様な子供であった事から、名付けられた名前であるので、上記した「種の保存」の文章の内容と関係が有り、私に告げられて来た「近親結婚に因って生まれた障害者」の存在とも関係が有る。
其れに、「ガラスケースの中に、澤山の水晶・クオーツと時計が陳列されている場面。」は、「水晶・クオーツ」の振動周波数が正確・安定している事から「クオーツ時計」が開発されている事と関係が有り、「水晶・石英・珪素・シリコン・シリカ」が、人間の「第三の目・松果体」と関係が有り、松果体が「メラトニン」を出して人体の自律神経を司っている事と関係が有るのだろう。
是等の内容から考えると、今朝のメッセージは昨日の「ゴッドファーザー・パドリナスゴ」の役割を担う男性は、釈迦牟尼世尊の様に第三の眼である松果体のチャンネルを開眼させなければ成らないと言う事に成り、其の為に必要な道場として山中に有る施設の存在が示されて来たのであろう。
そして近親結婚は、正常な「DNA・遺伝子」の継続活動を阻害する原因であるので、天津日嗣の継続には最大の悪要因に成るとの理・ことなのであろう。
其れに「三世の繋ぎ・うつほ」の文章には、「12月4日の日付が告げられて来た」と書いて有るので、其の日付も「天津日嗣」に関係が有る。・・
此の「神武天皇霊の鎮魂」の文章に書いてある「金鵄」の降臨も、鳥類の頭に磁気を感知する松果体のシステム・チャンネルが存在する事と関係が有り、天神(宇宙意識)と「ゴッドファーザー・パドリナスゴ」の役割の男性の間には、松果体・第三の眼の開眼が必要不可欠であるとの理・ことなのであろう。
何れにしても、是から始まる新次元の未来社会創造には、各国々に複数の「覚醒者・ブッダ・眼明き」の存在が必要であり、其の人々の目覚めの為に、何処かの山中に禊ぎ祓いの道場施設が必要であると謂う事なのであろう。
「天津日嗣・あまつひつぎ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4743.html
此の文章の内容からも、「珪素・シリコン(水晶・石英)・岩戸・第三の眼」に目覚めた「石工・石屋・統尊(すめらのみこと・澄んだ眼の尊)」の存在と謂うか、「花(菊花)」が開花する必要があると言う理・ことの様である。
何れにしても、虚飾(実質を伴わない外見だけの飾り)の無い御世の創造が必要不可欠であると謂う理・ことである。
平成30年10月31日
礒邉自適
2018/10/30
一軒の小屋から
30・10・30
今朝のメッセージの映像は、昨日の「古い自分を脱ぎ捨てる」との言葉や、「自分自身が 鋭利な刃物で事象の空間を切り裂き 真実・真理を掴み出す」とのメッセージと関係が有り、人間の行為や意識の原点に付いて、思索を始めなければ成らない事が示されて来た。
其れは、私が1984年6月4日に此の世界に飛び込んだ時に、私の役割が「事象の特異点」であり、別の言い方をすれば「新しい神の座標軸」であると告げられて来た事が、是までとは違う舞台で始まるとの事なのかも知れない。
其れは、老子の謂う「道・タオ」や釈迦牟尼世尊の謂う「ダルマ・法」、其れにイエスキリストの謂う「永遠の命に入る為には・・云々」との言葉とは、少し切り口が異なるが、聖者としての役割がどう言うモノであるかが、示されて来ている様である。
其れが何であるのかは、仏教の重要な課題である「人間の煩悩」や、神道の「つみけがれ」の世界と関係が有り、我々人間は、自分の毎日の情報収集活動と其れに伴う言動にて、本来の自分の「命・メイ(みこと)」を見失い、原点に戻れなく成ってしまっており、其れを取り戻す事に努めたのが、過去の聖者と呼ばれる人達の存在であると、謂う事に成るのであろう。
其の様に考えると、今朝のメッセージは、其の理・ことを熟知している何物かの御魂が、私の意識に映像・ビジョンを送り込んで来た事に成る。
今朝のメッセージは、先ず、自然の林の中に中型のコンテナ車ぐらいの一軒の小屋が建っている場面が映し出されて来て、其の小屋の土台の四隅には「ころ・車」の様な物が付いているので、道路に引き出せば移動可能な物である事が判った。
次に、男性が一人で住んでいる小さな家屋の存在が映し出されて来て、其の家には、電柱から勝手に電線が引かれており、メーターが取り付けられない儘、電気器具が使用されている様であった。
ところが、其の男性は電気の事に詳しくない人物なので、コードが絡んだ儘であり、ショートして、火花で畳みに火が点いて、火事に成ってしまった。
私は、水を掛けて火を消そうとしたのだが、水道のモーターのコードがどれなのかが判らず、スイッチを入れる事が出来ないので、火を消す事が出来ずに、火は野外の草むらにまで燃え広がって行った。
今朝は、起きてから由香に何かビジョンを見なかったと訊ねると、「陶芸が行われている場所を訪ねる旅行の計画を立てていた」との事であった。
其の由香のビジョンからも、今朝のメッセージは人間の暮らし向きに付いて示されて来ており、私に映し出されて来た小屋は、人間の住まいの原点を示唆しており、由香のビジョンは縄文時代から始まった、焼き物である様々な食器や甕・壷などの世界を示唆しているのであろう。
そして、電気が引かれており、火事で燃えてしまった建物施設の存在は、文明の発達や、人間の技術の世界を示唆しており、其の科学技術の発展で築かれて来た、現代社会の功罪に付いて、能く検討しなければ成らない理・ことが示されて来ているのであろう。
今朝映し出されて来た小屋の存在からは、次の様な事が考えられる。
*其の小屋の使用方法。
・自分の住まいにする。
・物置にする。
・食べ物の貯蔵庫にする。
・作業場にする。
*小屋の土台に付いていた「ころ・車」の意味。
・向きを東西南北に自由に変えられる。
・何処にでも移動できる物なので、必要な場所に移動できる。
・暮らす場所が自由である。
・他人との交わりをコントロール可能。
是等の事を考えると、人間の暮らしの原点に付いて、深く考え直す必要が有る理・ことが示されて来ており、私が何故、屋久島の自然の中で産まれ育つ必要があったのかの、理由(わけ)が理解されて来る。
其れに、其処から思考を始めるのであれば、他人の考えを使用・利用する必要が無いので、昨日告げられて来た「とっかえ ひっかえ 他人のことば(概念)を使用するのではなく、自分自身が鋭利な刃物で事象の空間を切り裂き、真実・真理を掴み出す。」との言葉の意味も能く理解されて来る。
今朝のメッセージから、私に考えられる理・ことは、私の反対側に、アメリカ国の大統領と成った「トランプ氏」の存在が考えられ、日本国に賭博場を造ろうとしている「安倍晋三総理大臣」の存在も、其のトランプ大統領の政(まつりごと)に追従している事になるであろう。
其れは、2000年前にイエスキリストが予言している、「その時には 一番さきの者が 一番後に成る」との事が、現実と成る方向に現代社会が進んでいる事に成り、仏教で謂う所の人間の「煩悩・ぼうのう」が限界にまで満ちて来ており、近代文明の滅びが間近に迫っているとの事になるのであろう。
そして、其の問題の解決の為に、此の私に、新しい課題が与えられて来ている事に成るのであろう。
平成30年10月30日
礒邉自適
2018/10/28
新銀河伝説
30・10・28
本日10月28日は「荒神様」の日であり、私を捜しだして此の世界に送り込んだ「土肥無庵」の生誕77年の日でもある。
今朝のメッセージの映像は、先ず、過去に建物が立っていた基礎の岩盤が、左手前に三角定規の角の様に残った儘、その三角の岩盤を左角の基礎として、右側と上部が視界に収まらない巨大なビルが、建設されている場面が映し出されて来た。
そして、其の建築現場は関係者以外は立ち入り禁止であるが、私は「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊・あまてる くにてるひこ あまのほ あかり くしたま にぎはやひ の みこと」と一緒だったので、其の建築現場に立ち入る事ができ、昼食の為に下に降りて来た人達と話を始めて居た。
次の映像は、巨大な温泉施設の存在が映し出されて来て、其処も関係者以外は立ち入り禁止なのだが、私は饒速日尊の代理として、電源設備の確認や、各湯船の点検を行っていた。
其の温泉施設には、大浴場だけではなく、家族風呂の様な小浴場が幾つも存在して、一人で瞑想状態にて入浴できる施設である事が示されて来た。
そして、其の客人の中には、私が子供の頃、優しくしてくれた人格者の故「川東さん」が居て、私に笑顔で話し掛けて来た。
そして、現実に有った事ではないのだが、私に「自適さんに戴いた山葵(わさび)は とても美味しかった」と謂った。
其れに何故か、車椅子に乗った40歳代の男性が一人遣って来て、其の儘温泉の中に浸かってしまうと、車椅子に付いていた枯れ草などの塵が湯船に広がってしまったので、私は其の湯船の湯水を排出し、掃除をしてから、新しいお湯を注ぎ込んで居た。
其れで、その施設は生きている人達の為の施設ではなく、霊界と謂うか神世界の施設であるのではないかと思った。
其れで、其処で働いている従業員の人達を調べると、従業員は全て同じ世話係用のユニフォームを着ており、表情は刑務所に入れられている人達と同じ様なものであるので、其の人達は、其の施設の温泉に入る事はできない、囚人の様な立場で働いている事が理解されて来た。
其れで、其の人達の顔を良く見ると、其の人達は警察に捕まって刑務所に入った事は無いが、他人を騙したり、借りた金を返さない人達であり、中には宗教に嵌まり過ぎて自分自身の精神(こころ)を失った男性も居た。
私は其の様子から、其の施設は此の世の物ではなく、霊界の施設であり、此の三次元世界の人間社会に居る時の行い次第で、四次元世界・彼の世で、客人に成れるか、囚人の様な立場で毎日肉体労働をしなければ成らないかの、選別が成されている理・ことが理解されて来た。
そして、其の温泉施設から帰る際に、谷川を見下ろすと、其の谷間には温泉施設の排水・温水が溜まって広い温水プールの様に成っており、澤山の人々が自分の服を着たまま、溺れそうに成りながら泳いで居る姿が見えた。
其れは、仏教で表現されている「火炎地獄」の様な世界が、水に溺れる世界として示されて来ており、人間は「此の世(三次元世界)」で生きて居る時に、罪を犯した者・煩悩に溺れた者達が、「彼の世(四次元世界・冥府)」では立ち直る事が難しい理・ことを示しており、人間はこの世に生きて居る時の振る舞いにて、霊界での生活が決まってしまう理・ことを、示して来ているモノである事が分かった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時25分」であった。
其れから再び眠ると、映画館で映画が始まった時の様に、美しい宇宙を背景にして「新銀河伝説」との文字が記されているスクリーン場面が映し出されて来た。
そして、其の画面の左部分の一部が拡大されて来ると、真暗な世界を背景にして、芙蓉の花の様な形で、空色の花弁(はなびら)と紫色の中心が組み合わさり、茶色の筋脈が走っている、言葉に言い表されない美しい光影の電子映像の画面であった。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は「9時9分」であった。
今朝は先ず起された「6時25分」と「9時9分」の数字から、今年の6月25日と9月9日の文章を見てみると、次の様な事が書いて有る。
2018/6/25今朝のメッセージの映像は、一晩中、映像や文章の存在にて、繰り返し「種の保存」に付いて示されて来た。
其れは、特に、動物を狩る場合は、子供や雌を残すと言うか、守護しなければ成らない理・ことが強調されていた。
そして、全ての生命の「元種・もとだね・原種」を大事にすると謂う理・ことである。
今朝のメッセージの内容から、私が想った事は、釈迦牟尼世尊の仏教は生命の世界を「精神的」に捉えているが、大山祇神(祇神・くに つかみ)の民族が暮らして居た、此の日本列島に渡来して来た「天津系(ユダヤ・イスラエル)」の民族、思考体系と謂うか文化は、物の世界を科学的に考え様としていると謂う事である。特に「ノアの箱舟」や「バベルの塔」の物語は、西方(オリエント)的であると謂えるのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝のメッセージの内容は「ノアの箱舟」的考え・思考のモノであり、日本に最初に渡来して来た「須佐之男尊・すさのをのみこと」に関係が有り、古事記や日本書紀の物語も、大山祇神系の物語・伝説ではなく、ユダヤ・イスラエル系民族のモノである事に成るのであろう。
特に、釈迦牟尼世尊の教えには星座的な喩えは無いが、西方(オリエント)の考えには星座(宇宙)的な価値観と謂うか、考え方が含まれている気がするので、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」と「伊耶那美命・いざなみのみこと」が、天に架かる橋を渡って来て、島々を生み出したと謂う話や、目と鼻から三貴神が誕生したとの話も、エジプトの神話と類似しているので、モーゼに先導されてエジプトを脱出したユダヤ人が、エジプト文化を日本に持ち込んで、現在の神社や神道の世界が有ると謂う理・ことにも成る。
そして、其の接点に「須佐之男尊・すさのをのみこと」が出雲に渡って来て、大山祇神系の娘である「櫛稲田姫」を娶って、須賀で生活を始めた出来事が有るのだろう。そして、須佐之男尊から六代目に当たる「大国主命・おおくにぬしのみこと」が「少彦名命」の協力を得て国造り行い、其の後に「饒速日尊・にぎはやひのみこと」を中心とする「天照神(イシス女神)」を崇拝する天津系が次々に渡って来て、現在の日本の政治体制が生まれた事に成るのである。・・
是等の事柄から考えると、本日の「種の保存」とのテーマは、神々の役割や概念(命・みこと)を超えて、人類の事だけではなく、地球の環境を含め、全生命の保全及び継続を考えなければ成らない理・ことが示されて来ており、其れが「経津主大神(ふつぬしのおおかみ) ・伊波比主神/斎主神(いわいぬしのかみ)・斎之大人(いはひのうし)。」との名前・名称にて表されていると謂う事なのではないだろうか。
何れにしても、誰かが新しい考えを打ち出さなければ、時代は此の儘、末法の時代へと突き進んでしまう事に成り、人間だけが自滅するのであれば「自業自得」であるが、他の生き物達にとっては、甚だしい迷惑であると謂う理・ことである。
「種の保存」https://green.ap.teacup.com/20060818/4661.html
2018/9/9今朝のメッセージの映像は、古代からの歴史の中で、権力闘争で殺された、正統な皇子達の御霊が何十人も、私の下に集って来る映像が映し出されて来た。そして、其の中の代表的な30歳代の男性の顔が、目の前の大きく光り輝いて映し出されて来た。
其れから、古代の奈良(大和)街道の様な山を抜ける大通りの存在が映し出されて来て、私は其の大通りに茂っている草や蔓を撤去して、大通りを復活させなければ成らないと意って居た。
今朝のメッセージの映像は其れだけだったので、私は、本日9月9日の日付との関係を模索し始めている。
古代の「正統な皇子の御霊」とは、次の様な人々の事なのであろう。・・
其れに範囲を広げれば、ユダヤ民族の新しい王として使わされた「イエスキリスト」も当時の権力者の手に拠って、罪人と共に磔に成って殺されている。
其れ等の出来事を考えると、今朝のメッセージの映像は正しい者達の魂しいが復活すると謂う事であり、其の事に「白山大権現菊理姫・白龍」の神(はたらき)が関係有るのならば、「菊理姫・括る神・ククルカン」の働きは、現在の地球の管理だけではなく、古代の霊魂の世界まで遡って管理が出来ると謂う事になり、今朝の私の意識は完全に自分自身のモノではなく、森羅万象を司っている神(はたらき)が私の躰に潜んでいる事に成る。
そして、奈良・大和から通じる大街道の復旧作業が開始されるとの事は、2000年前奈良の斎宮であった「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった故「井上佳子」に、1986年12月31日のメッセージに映し出されて来た、奈良の平城京址に世界中から人々が集まり、儀式が行われていたとの事が、漸く始まる時節が到来したと謂う事なのかも知れない。・・
「平城京 井上佳子」で検索を掛けると、此の「父親と息子」の文章が出て来た。
此の文章の内容から考えると、人間の意識は男系に拠って継続されて行くとの事であり、息子・跡継ぎを失った霊系の存在が問題であると謂う事に成りそうである。
其れこそが「天津日嗣・あまつひつぎ」の世界であり、其の天津日嗣で継続されて行くモノ(体制・システム)こそが「御祖神・みおやかみ」の信仰・精神世界であり、其の代表として存在を続けて来たのが、日本の皇室の存在なのであろう。
だが、其の日本の皇室の存在も上に記した様に、権力争いで正当性が失われている理・ことは明らかなので、9月1日のメッセージ「アウトロッド」で告げられて来た「今回は繋がらない」との事が関係あり、今朝のメッセージに映し出されて来た神の様に輝く代表の男性の顔が、新時代の「統尊・すめらのみこと」の魂しいであり、其の御魂が世界を統率する存在・神(はたらき)であるとの事なのであろう。・・
そして、奈良・大和街道を整備すると謂うのが、平城京に世界から人々が集まると謂う事であれば、其の準備の為にこそ、白山菊理姫の神(はたらき)が私の躰に巻き付いて来て、「地球の管理を任す」と告げて来たという事なのであろう。
「正統な皇子の御霊の集合」https://green.ap.teacup.com/20060818/4738.html
此の「種の保存」と「正統な皇子の御霊の集合」との言葉は、関連性が有るので、今朝の私の意識をコントロールしている神(はたらき)は、テーマを絞っている事に成り、其のテーマは、一昨日の「天之日嗣の継続」の続きであると謂う事に成りそうである。
其れを考えると、今朝の映像で、私が「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」の存在と一緒に、二つの施設を訪れて居た事は、天之日嗣の伝統の元が「渡来系・天津神」であり、巨大な建物の左端手前の基礎の部分が、古い岩盤の上に建築されていたのは、基礎の部分は「石上(いそのかみ)物部・石工(メーソン)・石部・磯部」の伝統・情報である理・ことが示されて来ているのであろう。
そして、温泉に入浴して居た故「川東さん」が、私に「自適さんに戴いた山葵は とても美味しかった」と謂ったのは、山葵が龍神の食べ物であるとされている事と関係が有り、其れが「川東さん」であったのは、中国の考え方は、風水では川が東を流れている地が吉である事と、四神の東方の守護神が、水と智慧を司る「青龍せいりゅう」である事と関係が有り、「メシヤ・キリスト・救世主」は慈悲と叡智を兼添えた人物でなければ成らないと言う理・ことが、示されて来ているのであろう。
【此処で左手の中指にカモ(神の電気信号)の反応が起きる。12時4分】
2007/12/19・・そして、救いは、日本に渡って来ているユダヤ民族の血筋が、表に現れる事だとも云っていた。私し自身も、何故、この様な人生を歩かされるのか興味が有るので、今まで色々と調査して来た。
私の先祖は、鹿児島市の磯辺町で、現在の上福元町であり、電車の駅は谷山駅である。私は、屋久島で産まれ育ったので、故郷は屋久島であり、私が礒邉の実家に初めて行ったのは、1歳8ヶ月の時で、祖父の葬儀の時だから、お爺さんの顔は絵でしか知らない。
磯部の姓は、鹿児島の錦江湾の磯辺町と、伊勢湾の磯部町に有る。
三重県志摩市磯部町上之郷には「磯部の宮」が有り、志摩国一の宮で、「伊雑宮・いざわのみや・いぞうのみや」と呼ばれ、「遥宮(とおのみや)」とも呼ばれている。伊雑宮は、伊勢皇大神(内宮)別宮の一つとされ、祭神は「天照坐皇大御神御魂」が祭られている。
しかし、伊勢神宮を創建したのは倭姫命で、倭姫命に土地を提供したのは磯部の民だから、伊勢神宮よりも、磯部の宮の方が以前から存在した事になる。
倭姫命は、「垂仁天皇」の皇女で、景行天皇の時代に伊勢に住んでいた事に成っている。だから、伊勢神宮は未だ2000年経っていないのだ。
それよりも古い神社は、奈良の「石上神宮」である。
石上を、何故「イソノカミ」と呼ぶかと言うと、イソとは石・岩の有る所で、砂の有る所の「浜」と区別をして、石の有る所を磯とよぶのである。
伊勢の「イセ」は、石敷(イシヒキ・イシフセ)の意味だとの事らしい。
その証拠に、物部一族の墓地は石を敷詰めている。・・・
「磯部の宮」https://star.ap.teacup.com/8940/77.html
今朝、カモが起きた12時4分の数字は、私が此の神の世界に入った1984年6月4日に「残り16年半しかない」と告げられて来て、其の16年半の年月は日本の歴史の基と成っている神武天皇が、南九州を出立つしてから奈良・大和で政権を把握するまで掛かった年数であり、長髄彦(ながすねひこ)が神武に政権譲りを決めた原因が、天空が輝いて金鵄が降りて来て神武天皇が手にする弓に止まった事に有り、其の日が12月4日とされている事と、関係が有るのだろう。
2017/4/2明日4月3日は、日本の元号の始まりである神武天皇の、誕生日とされている日である。其れから考えると、本日2日は、神武天皇の「イブ・誕生前夜」であると言う事にも成る。
今朝のメッセージの映像は、其の事に関係が有るのか、私自身を含む三人の男性が、夫々故郷に帰る準備をしている場面が映し出されて来た。・・
今朝のメッセージの映像は、私が1984年6月4日に此の世界に飛び込んだ時に、「残り16年半しかない」と告げられ、其の日が2000年12月4日であり、16年半との年数は、神武の兄弟が南九州を出発してから奈良(大和)で「政・まつりごと」を始める迄の年数である事が、後に判明した。
そして、12月4日の日付は、奈良で「神武天皇」が「長髄彦・ながすねひこ・登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)」と対峙して居る時に、天空が光輝いて「金鵄」が降りて来て、神武天皇の弓に止まった為に、其の現象を目にした長髄彦が、政権を委譲する事を決めた日付である。
其の神からのお告げに因って、私の行動や、全国への家離・たびが始まったのである。
本日のメッセージの内容からすると、其の神武の兄弟のカルマと言うか、塩土老翁が神武の兄弟に告げた神のプログラムが、解決した事に成り、私は神武天皇の霊魂を鎮魂したと言う事に、成るのではないだろうか。
「神武天皇霊の鎮魂」https://green.ap.teacup.com/20060818/4194.html
今朝は起きて、由香に「何かビジョンを見なかったか」と訊くと、見たとの事である。
最初の場面は、黒人の60歳ぐらいの女性が、賛美歌を唄っている姿が映し出され、其の後に、其の歌を聞いて目を輝かせて感激している茶褐色の肌の5歳ぐらいの少女の姿が映し出され、其処は教会であり、唄っている女性と少女とは部族で、数人ずつ、各部族の人達が集まって居る事が判ったとの事である。
次は、何処かの施設内に居ると、ガラスの塊りを誰かが床に落として、かなり離れた場所に居たにも関わらず、足元にまでガラスの破片や粉が飛び散って来て、足の踏み場も無い程だったが、周りに居た人達は片付けるどころか、全く気に留める様子も無く、それまでと変わず、其の上を普通に歩き回っていたとの事で、別の部屋に移動しなければならなかったので、仕方なくそっと裸足で歩いてみたところ、全く怪我もしないし、痛くもなく、不思議な感覚であったとの事である。
此の由香のビジョンからすると、キリストの降臨と関係が有り、床に散った粉々ガラスの粉は、私に映し出されて来た銀河の世界と関係が有り、メシヤ・救世主の降臨と関係があるのかも知れない。
何れにしても、本日10月28日が生誕77年である「土肥無庵」が、私を捜し出して仕組んだ事が、成功したと謂う事に成るのであろう。
其れは、土肥無庵が17歳の時にオートバイを運転して居る時に崖から落ち、頭蓋骨骨折の重症で、魂しいが小倉に在る「妙見神社(御祖神・みおやかみ)」の階段を上って居ると、境内に真っ白い神が現れて、「お前は役目が有るので帰れ」と告げられて意識が目覚め、奇跡的一命を取り留めた事と関係が有り、「御祖神・みおやかみ」の計画が実行されている事を示して来ている事にも成る。
2015/4/3本日4月3は、日本国の歴史の基と成っている、神武天皇の大祭日である。昨日のメッセージの映像では、私が「天御中主神」であるとされる人物と一緒に、何処かに向かわなければ成らない場面が映し出されて来たが、今朝のメッセージでは、其の人物が、私の先祖霊と言うか、「御祖神・みおやかみ」である理・ことが解かって来た。
其れは、今朝の映像では、私が、黒人のペアが暮らしている、森の中に居る場面が、映し出されて来たからである。其処には、言葉も未だ無く、勿論「暦・カレンダー」も無いので、其のペアの名前は判らず、年齢も判らないのである。
そして、食べ物は、女性の方が集めて来た、木の実を煮た物であった。
そして、夕方には、男性の方が狩から帰って来て、二人で焚火に向かい合って座って居た。・・
今朝のメッセージの内容は、此処まで書き進めれば、本日が神武天皇祭の日であり、私が「1984年6月4日・母親の64歳の誕生日」に此の世界に入った時に、「残り16年半しかない」と告げられた事が、神武天皇の東征の年月と同じであった事の理由も、解けてくる。・・
其れに、私を捜し出して此の神の世界に送り込んだ土肥無庵の出身地は、「御祖神・みおやかみ」が祭神である「妙見宮」が存在する北九州市小倉であり、其の土肥無庵は、17歳の時にオートバイで崖から落ちて、頭蓋骨折で意識不明の状態の時に、意識が妙見宮の階段を上って行くと、真っ白い神様が現れて、「お前は未だ役目が有るから帰れ」と告げられて、意識が奇跡的に回復したとの事である。其れ等の事も、今朝は全て繋がって来た。
「天御中主は御祖神」http://green.ap.teacup.com/20060818/3414.html
2018/9/17「遠津御親神」https://green.ap.teacup.com/20060818/4746.html
今朝の文章の題は、映し出されて来た「新銀河伝説」とした。
其れは、新しい時代の人類の意識の舞台を示唆しており、是までの宗教観とは違う、科学的な理に適う心の指針が創造される事が、示されて来ているのであろう。
平成30年10月28日
礒邉自適
2018/10/27
完全な自由
30・10・27
昨夜は眠る為に目を閉じて居ると、瞼に、台所に有る野菜を入れる大きな簀子(すのこ)状の箱の中が空に成っており、中には、白い買い物用のビニール袋が数枚、結んだ状態で入っているだけであった。
次に、二人の男性が真正面を避けた差し向かいで、テーブルの上に置いて有る料理を箸で摘まんで、口に運んでいる場面が映し出されて来て、其の料理は葉物野菜の煮物であった。
其れから、眠ると、私の自殺を止めると謂うか、精神に自由を与えた故「藤山幸盛おじー」の存在が映し出されて来て、私が其の幸盛おじーの荷物を運ぶ為に、トラックを必要としている事を周囲の人々に知らせると、幸盛おじーのファンらしき男性が、30万円のトラックを買って来てくれた。
そして、幸盛おじーは免許を持たないので、私が運転をして幸盛おじーの荷物を積み込むと、其れは多数の人達が幸盛おじーの家に置き忘れていた衣服である事が判り、其の中には私の衣服も数枚含まれている事が判った。
次の映像は、私が居酒屋の様な店に行くと、カウンターに60歳代の落語家が座って飲食をしており、私が話し掛けると、其の男性は上着を脱いで裸に成り、自分の胸の皮を剥ぐと、胸皮の下に、何枚もの膚皮が、本のページを捲る様に付いているのである。
私は、其れを見て、大勢の前で話をするのには、其れだけの情報を抱え込んでいなければ成らないのだと意ったので、自分には無理である事を自覚していた。
そして自分の思いと謂うか、意識を確認すると、上下の端が確認出来ない真っ白い長い紙の存在が映し出されて来て、其の紙には、中央に平仮名の横文字で「たまゆら」と書いて有るだけであった。
次の場面は、私が中古のオートバイに跨って、路地から表通りに出て左折すると、ダンプ等の大型の車が交差点で停止しており、信号が青に成って車が動き出して、前の車が左右に分かれて行き、私が一番前に出ると、其処はT字形の交差点であり、私はどちらに行けば良いのか判らないので、其のまま直進し、旧市街の細い道に入って行った。
其れに夕暮れ時であり、私は、何処に向かって走ったら良いか全く判らないで居ると、其処に制服姿の巡査が通り掛かったので、私が其の巡査に「すみません 此処は何処ですか」と訊ねると、其の巡査は私のオートバイのメーターの所を覗いて、「カーナビは着いていないのですか 此処は田布施です」と答えた。
其れで私は、此処は「友清歓真の神道天行居が有る町だ」と思って居ると、「完全な自由」との言葉が告げられて来たので、意識が目覚め照明を点けて時計を見ると時刻は「5時44分・6時16分前」であった。
昨夜、眠りに入る前に映し出されて来た「食べ物」の映像は、明日10月28日が「荒神様」の日であり、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」の誕生日である事と関係が有り、明日で、私は其の「土肥無庵」に会ってから始まった事から、完全に自由に成れると言う事なのかも知れない。
何故其の事が、田布施の「神道天行居」に関係が有るかと考えると、私が最初に旅に出発した1984年11月に、大分の国東半島の山中に車中泊してから、朝宇佐八幡に参拝して北上を続けて居ると、ラジオで「熊毛郡田布施で蓮華の花が開花しています」と放送されているので、私の生まれた住所の「熊毛郡」と同じ名前の土地が有るのだと想い、其処に向かう事にして、天行居の神社に参拝する事に成った事が有るからである。
其れに、其の「神道天行居」の存在が「完全な自由」との言葉に関係が有るのかを考えると、「友清歓真」は世襲を禁じているし、北海道の青年がわざわざ訪れ「神に頼まれた」との理由で、石城山の神殿にガソリンを撒いて火を点け全焼させる事件が有ったので、友清歓真は霊界に旅立ってから神社建物の存在が必要ではない理・ことを悟ったとの事ではないだろうか。
其れを考えると、私は宗教を興していないし、神社を建ててはいない事で、完全な自由の身である理・ことが理解されてくる。
其れに調べて見ると、「神道天行居」の教義は、伊勢神宮を創建した斎宮「倭姫命・やまとひめのみこと」教義が「口伝で相伝されてきた秘事」であると記されている。
其の倭姫命の事を考えると、私が倭姫命の御魂であると告げられた「井上佳子」を、結婚式の後の帰り道で其の「神道天行居」に案内し、神主である「七夕氏」と三人で話をした事も関係が有る事に成る。
【神道天行居(しんどうてんこうきょ)】は、友清歓真(ともきよ よしさね)によって創始された古神道系の新宗教団体。秘密結社に分類される事もある。本部は、山口県熊毛郡田布施町の石城山の麓。現在でもユダヤ陰謀論を信じ、「霊的国防」を唱えている。他宗教でいう信者を同志、教師を道士と呼ぶ。
*先達(編集)
神道天行居の先達は主に友清歓真(ともきよ よしさね)に「太古神法」を伝えた堀天龍斎である。他に本田霊学を開いた本田親徳や幽冥界(死者の世界)に往来したという宮地水位、堀天龍斎に「太古神法」を伝えた沖楠五郎、河野至道の師で吉野山から登仙した山中照道寿真がいる。
*教義・教理(神道霊学)
教義・教理の詳細は神道霊学 (神道天行居)を参照。ここでは概略を示す。
堀天龍斎道人は神道天行居の教義の中核となる古神道「太古神法」などを神道霊学と称し、その著書で普く紹介している。しかしその著書で述べられているもののうち霊魂観や産土信仰については主に本田親徳の論の引用であった。また、幽冥観や霊術・禁厭に関する秘辞や伝法書類は大半が宮地水位の伝によるものであった。その他、祈祷師で霊能者の本田亀次が伝授した霊学や、断易の九鬼盛隆の論考などからも多くを引用し、新たに独自の教義大系を作り上げた。
*歴史
前身は友清歓真が1920年(大正9年)に創設した霊学の実践団体(格神会)である。1927年(昭和2年)には石城山上の石城神社での神示(山上の天啓・十の神訓)があった。
1931年(昭和6年)、井口寅次に宗主職を譲り、友清は顧問となったが、1934年(昭和9年)、内紛のため井口の宗主の地位を剥奪された。
戦前には、道士の松浦彦操が離脱し、太古神法を松浦家の家伝とした。
終戦直後には宮地水位の道術を継承した正井頎益(教団の傘下の教会長)・清水宗徳(本部職員)が離脱し、それぞれ宮地水位の道術を継承して古神道仙法教・神仙道本部(土佐五台山)を興した。
戦前からの信者であった渡辺一郎(實川泰仙)も、戦後は紫龍仙道人と改称して天行居道士・岡津健道の協賛で淡紅玄光会を興した。後に静岡の道士の勅使河原大鳳も独立して(富士洗心修道会)を興した。
清歓真は『天行居憲範』で宗主の世襲を禁じていたが、友清死後、第5代宗主・友清操(友清歓真の未亡人)の時代に「憲範」が改変され、友清歓真の三女の友清鈴世が第6代宗主に就任した。これによって今後は友清家が宗主を世襲していくとみられている。・・
*太古神法
友清によると「太古神法とは、神事の根元をなすもので、天孫降臨以来、皇室で伝承されていたが、倭姫命以降、代々の斎宮 [2]に口伝で相伝されてきた秘事」だという。
友清は、京都の堀天龍斎から1927年(昭和2年)に相伝を受けたとされ、この太古神法を伝承していることが、天行居の霊的権威の最大の裏付けとしている。
友清以後は、天行居の宗主と幹事長が太古神法の全伝を伝承し、一般道士は太古神法の関連秘事(この部分も太古神法と称しているが、厳密には太古神法ではないと友清は記している)の一部の相伝[3]のみ許されている。
ウィキペディアフリー百科辞典 2018/10/27現在
此の説明からすると、私が高知で「井上佳子」と出会った時に「この娘は『やまとひめ』である」と告げられて事や、佳子の体を使って「大和に帰りたい」と告げられた事と関係が有り、私の動きには最初から倭姫命の御霊や、古代神道の仙人達が関わって居た事に成る。
2005/9/10此の写真は、1987年5月4日に「井上佳子」と「石垣雅設氏」の家族、其れに「川口由一氏」の家族他で、神宮会館に宿泊した時の記念写真です。
事の成り行きは、此の数日前に、当時、奈良市大倭に住んで居た私に、「倭姫命・やまとひめのみこと」の霊魂が「伊勢から 奈良に帰りたい」と、告げて来たので、倭姫命の霊魂の宿り主である「井上佳子」に、高知から出て来て貰い、2000年前に倭姫が辿った道を、皆で、逆周りに辿る事に成った時の物です。
伊勢内宮の近く在る、「神宮会館」に一泊した5日の未明に、倭姫命のメッセージが有り、「赤と黒」と告げるので、朝起きてから「なんだろう」と言って居たら、川口さんが其の日「月讀神社」で買った本に、倭姫の言葉が載っているのを見付け、私に教えてくれました。
其の言葉とは、次の様な物です
「倭姫命のおことば」
黒(きたなき)心 なくして
丹(あか)き 心をもちて
清く潔(いさぎよ)く 斎(ゆまわ)り 慎(つつし)み
左の物を右に移さず
右の物を左に移さずして
左を左とし 右を右として
左に帰り 右に廻る事も
万事 違(たが)う 事なくして
大神に仕え奉れ
元(はじめ)を元とし
本(もと)を本とする故なり
日本には、2000年前の女性に、此れだけの意識が有ったのです。
同じ頃の、イエスキリストの言葉に比べても、勝りはしても下ちる事は無いでしょう。
古代の人達にとって、言葉とは一番大事なモノであり、この短い言葉に、全ての教育の世界を超えたモノが有ります。
言葉は、神々と協調する為にあり、現在の社会の様に、お金儲けの為にあるものではないのです。・・・
「倭姫命のおことば」https://star.ap.teacup.com/170606/573.html
2012/12/17「ランニング‐コスト」https://green.ap.teacup.com/20060818/2534.html
2016/10/16「伊勢神宮 神嘗祭の日」https://green.ap.teacup.com/20060818/4021.html
2018/4/27「直道・なおみち」https://green.ap.teacup.com/20060818/4601.html
2018/9/9「正統な皇子の御霊の集合」https://green.ap.teacup.com/20060818/4738.html
此の倭姫命の言葉からする、私は其の倭姫命の考えと謂うか、気持ちを漸く適える時節が到来したとの事なのかも知れない。
其れが、今朝映し出されて来た、真っ白に輝く紙帯(光の道)の存在であり、「たまゆら」と一言平仮名で書かれていた文字・言葉に関係が有るのだろう。
其れを考えると、今朝起された「6時16分前」の数字は私が1997年6月16日に奥出雲の稲田姫神社で「三枝祭り・斎草祭り」を安部忠弘氏と共に行った事に関係が有るのかも知れない。
2002/2/15・・私が1997年、京都から出雲に11月1日に引越しをして、出雲の地を調査している内に、「6月16日・斎草祭り」とのメッセージが有った。
場所は、横田町の櫛稲田姫を祭る「奇稲田姫神社」と言う事で、1998年6月16日、島根県仁田郡横田町稲原の「櫛稲田姫神社」で、三枝祭りを出雲の安部忠宏氏と行った。
地元の人達と、全国の人達に呼び掛けて祭りを行い、巫女三名に、笹百合を手に持って舞って貰ったのである。
不思議な事に、舞った女性三名とも、舞い始めて「笹百合」の花の香りを嗅いだ瞬間、意識が消えてしまい、舞が終わって座るまで、意識をまったく失っていたとの事であった。
しかし、舞いの方は、最高の出来だったのである。
古代の人々は、笹百合の香りと、人間の意識の関係を、知り尽くしていたのだろうか。
漢字の「無」が、「何もない」の意味に使われているが、「無」の漢字の元は、「舞」であり、其の舞の意味は「神様の為に舞う時は 人間社会に対して もう何も借りが無い 状態である」との意味から、「無い」の意味に使用される様になった。と、辞典に載っている。・・・
「斎草(さいぐさ)」https://wave.ap.teacup.com/20060106/430.html
たま‐ゆら【玉▽響】
[副]少しの間。ほんのしばらく。
「―も心を休むべき」〈方丈記〉
[補説]「玉響(たまかぎる)きのふの夕見しものを今日の朝(あした)に恋ふべきものか」〈万・二三九一〉の「玉響」を「たまゆらに」とよんだところからできた語。玉がゆらぎ触れ合うことのかすかなところから、「しばし」「かすか」の意味に用いられた。 デジタル大辞泉の解説
其れに、今朝の映像には自由な人生を送った、故「藤山幸盛おじー」の存在が示されて来て、運んだトラックの荷物は、私の物を含む多数の人々の服であった。
其の映像の意味は、私だけではなく、澤山の人々が「幸盛おじー」の所を訪ねて、自分の「悩み・苦しみ」を脱いで行った理・ことが示されて来ており、私は此処まで辿り着けたのは、其の幸盛おじーの存在と謂うか、幸盛おじーに依り憑いていた神(はたらき)の存在が示されて来ているのであろう。
其れに其の幸盛おじーは、新聞や本を読まず、宗教や神仏の話は全くしないで、自分の人生体験から本人に適した話をして居た存在である。
2017/6/2・・其の時に、船行集落に住む「藤山幸盛」氏に出会うと、其の幸盛氏(屋久島では通称 幸盛おじ)が「お前の親父には 試された事が有る」と謂うのである。私が、其の事に興味を示すと、其の経緯を話してくれた。
或る日、幸盛小父が私の実家を訪ねると、私の父親が「藤山君 焼酎を飲むか」と謂うので、「飲む」と答えると、丼を持って押入れの戸を開け、中から甕を出して、其の丼にドボドボと焼酎を注ぎ始めたので、幸盛小父は、「礒邉さんは頭があまり良くないな。丼から次に、何に移すのだろうか。」と思って居ると、其の丼の儘、幸盛小父の前に持って来て置いたとの事である。
幸盛小父は、「此のまま飲むのか」と訊ねると、「そうだ」と謂うので、両手で持ち上げると、自分の顔が、丼の水面に映って見えたとの事である。
其れで、躊躇したが、「礒邉さんは 自分の事を試しているのだな」と思ったので、其の儘一気に飲み干すと、私の父親は、其の様子を気に入ったとの事であった。
其の事で、私は幸盛小父に親しみを覚えたので、自分の現状を話し始めた。
すると、幸盛小父は、次の様な事を話し始めた。・・
幸盛小父は、元気な時は、夏に田代海岸の川の側の林の木に、竹を渡してテントを張り、川の流れにビールを冷やしていて、腹が空いたら、海に潜って魚や伊勢海老やトコブシ貝を捕って来て、流木を集めて火を熾し、焼いて食べる生活をして居た人物である。
そして、自分でベニヤ板を組み合わせた箱舟を作って、近く磯の入り江に繋いでおり、夕方から小さな船外機で、1時間程掛けて安房の川沿いに有る酒場に出かける事が有り、私は誘われて、箱舟の中に流れ込んで来る海水を、バケツで汲みながら、お供をした事も有る。・・・
「藤山幸盛小父の思い出」https://moon.ap.teacup.com/20061108/649.html
其れに、明日10月28日が「荒神様」である事で調べると、次の様な文章が有る。
2010/10/28本日10月28日は、今は亡き私の師「土肥無庵」の誕生日であり、台所の神である「荒神様」の日でもある。
其の、荒神様からのメッセージなのか、今朝のメッセージには、横書きの文章が映し出されて来て、其の中に「食物」の言葉と「27」の数字が有った。
私は、其の「食物」と「27」の言葉と数字から、日本の食料自給率が27%にまで落ち込んでいるのだと思った。
日本の食料自給率は、約40%有ると云われているが、卵や肉や牛乳を生産している家畜の餌の90%近くが、外国からの輸入穀物なので、飼料の輸入が止まれば、其の数字は一気に減るのである。
其れを考えると、今朝のメッセージの内容は、食料自給を考えろとの事ではないだろうか。
日本国の自給率が落ちて来たのは、戦後アメリカ国の圧力に拠り、日本の伝統であった「米飯・味噌汁・沢庵・魚」の食事から、「パン・肉・卵・牛乳」の食事に切り替えて来たからである。
そして現在では、米余りに成って、補助金を出して稲作を減らしているのである。
其れに、以前は、畑や水田であった山間地の土地に、杉が植林されてしまい、現在・いまでは、元の農地に返す事が出来なくなってしまっている。
今朝の映像では、雨が少ない南米の様な国の土地の山が、無理やりに機械で畑にされてしまい、作物が育たないので見捨てられて、砂漠の様な状態に成っている場面が映し出されて来た。
其の映像の意味は、もう地球の土地は、開発の限界に来ており、是以上農地を広げる事は無理であり、化学肥料を使って耕作を続けて来た農地は、ミネラルや有効成分を失って、作物が育たない状況に陥りつつあるとの理・ことである。
其れ等の事柄を考えると、我々の住む此の地球は、既に、自然回復度の限界を超えており、人類の生存危機が一気に訪れる理・ことを、自覚しなくては成らないのだ。
今月のニュースで、地球の人口が今年内に70億人に達すると報道されていた。其れは、地球環境が悪化しているのに、人口は増え続けている事に成る。
其れ等の事柄を考えると、此の侭では、人類には、明るい未来が無い理・ことは明らかである。
日本国では、ここ12年間、年間自殺者が3万人を越えているが、其れ等も大した事では無く成る日が、近付いているのだ。
今朝のメッセージには、もう一つの問題が提示されて来た。
其れは、村から住民が逃げ出して、空き家になった家の中に祀られている、神棚や仏壇の霊魂の処理である。
人間は、生活に困って村から逃げ出す時には、先祖の霊魂や、神様の事には無頓着である。
だから、置き去りにされた霊魂や神霊は見捨てられた事に成り、行き場を失って、建物が崩れ去ったら、浮遊霊と成ってしまうのである。
今朝の映像では、私は、廃村と成った村の建物の中の、神棚や仏壇を見て回っていた。そして、其の村の中心的人物であった人の家に、村人に案内されて上がり込んだ。
其の家の広い部屋には神棚が有り、私が、其の部屋に入って神棚の前に座ると、左手の甲の部分の毛が黒く伸び始めて、20cmくらいの長さに成った。
其の現象は、霊魂の情報・エネルギーは陰である左手から、人間の身体に入り込む理・ことを示している。
そして、頭髪だけではなく、身体全体の毛から「物の怪・ケ」が吸い込まれると言う理・ことに成る。其れは、霊的な場所に行けば、産毛が逆立つ事が有るのとも、関係が有るのだろう。
我々人類は、聖霊の住む自然の森を破壊し、水を汚染し続けて来た。
そして、其れ等の自然霊を祭る事も忘れ、村から逃げ出す時には、自分の先祖の霊や、神様の祭壇さえも置き去りにして行くのである。
利用するだけした神様を、処理しないで、其の侭置き去りにして行く事は、契約違反であると言う理・ことに成る。
其の様な人間は、何処かに新たに住む事が適っても、良い人生を送る事には成らないであろう。
今朝のメッセージの内容は、人間の暮らしにとって「食物」と「霊魂」の存在は、切っても切れない関係が有る事を、示して来ているのではないだろうか。
だからこそ、此の日本の伝統文化には、天皇家の「新嘗祭」や大嘗祭が有り、民間の家でも「お盆」や「正月」には、神棚や仏壇に食べ物が供えられ、「直会・なおらい」や「先祖供養」が行なわれるのである。
今回、私が訪問した、「くりもと地球村」の代表である「佐藤文彦氏」の自宅には、百年に一度巡って来る「村の神様」の社が飾られていた。
百年に一度とは、一生に位置度しか無い巡りである。
其の神棚が、今年、佐藤家に巡って来た事にも、何等かの意味が有るのではないだろうか。・・・
「荒神様の日」https://moon.ap.teacup.com/20061124/68.html
2008/11/25今日は、旧暦の10月28日で荒神さんの日であり、高千穂郷から阿蘇へ抜ける東竹原地区に在る「栗屋克範氏」の家では、毎年この日に祭りが行われる。
今朝の夢解きの為に、先ほど栗屋克範氏に電話を掛けると、いま其の祭りの準備中であるとの事だった。
そして話しの中で、近くで1万2千6百年前の、煮炊きをする縄文土器が発見されて、公民館に展示されたとの事である。
私は是まで、「荒神様」の元は、3000年前から奈良県桜井市笠に祭られている、「笠山荒神様」と思っていたのだが、今朝、電話で話した栗屋克範氏によると、12600年前に煮炊きをしていた土器が、熊本県上益城郡山都町の高知保郷で発見されたとの事なので、荒神様の元は「高知保郷」である可能性が高く成って来た。
奈良県桜井市笠に有る「笠山荒神様」のご祭神は、「土祖神・はにおやかみ」「興津彦命」「興津姫命」と成っている。
其の土祖神とは、「土器を作る親神」だから12600年前の煮炊きをする土器が、其の「神・はたらき」の元と言う事が出来る。
其れは、現実的な証拠と成るものだから、人間の意識を、元に戻す事にはとても役に立つだろう。
是で、天皇家の「御饌殿・みけどの」の神も、トキの底が抜けて、「饒速日命・にぎはやひのみこと」や「瓊瓊杵尊・ににぎのみこと」等の渡来系より前の次元に、帰れそうである。・・・
「三宝荒神様の日」https://green.ap.teacup.com/20060818/962.html
今朝のメッセージの内容から、私の意識は、35年前に「土肥無庵」に探し出される前の自分本来の状態に還っており、此の34年間に亘る出来事は、真に夢幻の様なモノであった様な感覚に成っている。
其れは「たまゆら」との平仮名文字が、長い紙面(光の道)に書かれていた・写されていた事と関係が有り、今朝の私の意識には、斎宮であった皇女「倭姫命・やまとひめのみこと」の意識が反映されているのかも知れない。
平成30年10月27日
礒邉自適
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