1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2018/11/29
引き返す事はできない
30・11・29
昨夜は床に就いて目を閉じて居ると、瞼に、耕作放棄された土地に雑草が茂り、元の原野や山林に返って行く様子が示されて来た。
次に、私の意識が、其の荒れ果てた土地の中の農地を耕作する場面が映し出されて来て、生えている草や竹を切り払う場面が映し出されて来た。
そして眠りに入ると、「塞がっている」との言葉が告げられて来て、其の意味は、人間はもう引き返せない次元に至っている事が示されて来た。
次に、漫画(劇画)の様な本が一冊映し出されて来て、其の表紙には50歳代の男性が此方向きに歩いて来る絵が描かれており、其の男性の後ろには神様を意味するのか、身長が人間の4倍程有る男性を伴って居た。
そして、其の後ろの背景は、大都市が真っ赤な炎に包まれて、崩壊して行く様子の絵が描かれていた。
其れから、大洪水か大津波が起きた後の様に、全てが破壊されている町跡の場面が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時6分」であった。
其れから再び眠ると、今度は自然の田舎道が映し出されて来て、其の道端には、誰かが弁当を食べて忘れて行ったのか、日本製の塗り箸が二本、置かれて居るので、私は其の田舎道を進んで行けば、人が住む村が存在するのだと思って、其方の方に向かう事にした。
次の映像は、自分の家の食卓が映し出されて来て、其のテーブルは六人用なので、倍の12名程が座れるテーブルに変える必要がある事が、理解されてきた。
そして其れは、イエスキリストの弟子達の存在と関係が有るのだと、思われてきた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「5時41分」であったので、私は其の数字を「541・ごしい・語しい」と記憶して再び眠った。
今朝は、私の右の耳元に、赤家蚊が侵入して来た羽音が聞こえたので、目が覚めて、起きて時計を見ると時刻は「7時57分・8時3分前」であった。
今朝は先ず、起された3時6分から、今年の3月6日の文章を見て見ると、次の様に書いて有る。
2018/3/6昨日3月5日は、私が「土肥無庵」が屋久島に建てた神社の様な自宅で、「マクロビオティック・正食」を始めた日であり、本日から35年目が始まる事に成る。
今朝のメッセージの映像は、先ず、左側に山岳から清水が流れ下って来ている小川の有る土地が、映し出されて来た。
其の土地は、何百年か前に平らに整地された四角な土地であり、山側と右側は石垣が綺麗に積まれており、其の石垣の上は笹が生い茂っているので、何物も進入して来れない雰囲気であった。
私の意識は、其の平らに整地された土地に、誰か姿の見えない人物と居て、其処に、神社と謂うか、古代文化(真実の世界)を復活する建物を、建てる準備を話し始める様子が示されて来た。
次の映像は、私が神殿(神楽殿)の様な、御座が敷いて有る、広い板床に居る場面が映し出されて来た。
そして、私は、何物か判らない男性の前で、美しく磨かれた大きな丸太の神柱を頭上に立てて居り、其れが倒れない様にバランスをとりながら、歌舞伎を舞う部分に敷いて有る御座を、足で押し退けて居た。
其れから、其の舞踏が終わった様で、私が、囲炉裏が切られている広い板間に座って、食事の準備を始め様として居ると、右側の窓から白黒の斑模様の子猫が一匹入って来て、納戸(控えの間)に入って行った。
そして暫くすると、其の子猫が、納戸から人間の様に立ち振る舞いながら姿を現して、私に何事かをテレパシーの様に傳え始めた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時35分」であったので、私は其の数字を「335・みさご・鶚鮨」と記憶した。
其れから再び眠ると、今度は「01 971」との数字が映し出されて来た後に、「小松クラ婆さん」の様な雰囲気の「鬼人・貴女」が、祭壇らしき壁を背にして座った姿で、私の方を見て居る場面が映し出されて来た。
其の鬼人・貴女は、細面の顔で薄暗い中で目が凄く怖い感じに光っていた。
そして「味は教えない」と、一言私に告げて来た。
今朝のメッセージは、昨日の文章に書いた「心御柱」と関係が有り、日本の神道の世界の復活に付いて示されて来ている様である。
何故、私が其の様に考えるかと謂うと、今朝示されて来た「01 971」との数字は、「1箇所しか無い 971(くない・宮内)」と読めるからである。
そして、「小松婆さん」らしき人間の姿が祭壇の前に座って居り、告げられて来た「味は教えない」との言葉・台詞は、小松婆さんは「八重岳食堂」を経営していた人間であり、天皇家の神が「御饌殿・みけどの」である事と関係が有り、其の御饌殿の食事方は教えては成らない理・ことが示されて来ており、其の食事方こそが、本人(新帝)が神霊の導きに因って、味わなければ成らないと言う理・ことなのであろう。
其れこそが、物部初代の「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」が始めた「申食国政太夫・おすくにのまつりごともうすのまえつきみ」の世界なのであろう。
今朝のメッセージの映像で、私が頭上に大きな神柱を載せて、舞踏の足場を探っていた場面は、昨日のメッセージの映像で、私が三系統の電線を地中で探して居た事と関係が有り、其の地下埋設のアース(地球)の存在は、今朝の神柱を降りて来る「天神(てんのはたらき)の情報」を繋ぐ施設であった事に成りそうである。
そして、其の施設の用地として、今朝の映像に映し出されて来た山岳から清水が流れ下って来る小川の横に有る、石垣に囲まれた土地が関係有ると言う事に成る。
其れを考えると、宮内廰(庁)や天皇家の場所は、空気や水が汚染されており、騒音の有る大都会の中に在っては、役目を果たせないと言う事であり、伊勢神宮の様な神域(御所)に移設しなければ成らないと言う事に成るのであろう。
何故なら、力を有する神霊は現代社会に生活した人間ではなく、古代社会で森に囲まれた神域で生活した人間の御霊であるからである。
其れは、組織的に、儀式や暖簾を守るだけでは駄目であり、本人自身が、昔の自然環境の中に躰を置いて、肌感覚で神経を研ぎ澄まさなければ、お金を掛けて新嘗祭(にいなめさい)や大嘗祭(だいじょうさい)を盛大(大袈裟)に行っても無駄であると言う事である。
其れは、国民の目を欺く行為であるので、行う事よりも、行わない方が善いと言う事にもなる。
今朝の由香のビジョンは、美しい空色の天空にとても大きな虹が架かっている場面が映し出されて来たとの事であり、次に活け花が映し出されて来て、緑の植物と、包装紙に巻かれた「薔薇」と「紫の小菊」の花が挿してあり、完成した所で包装紙を外すと、薔薇の花びらはパラパラと床に散っていったが、紫色の小菊は其の侭の状態で長持ちしていたとの事である。
其のビジョンは、天界が美しく晴れ渡った事と、神の意思が天空に広がる事を示して来ており、薔薇の花弁が散るのは西洋の価値観(文化)が滅びる事を示唆しており、其れに代わって日本の価値観(文化)が世界に広がる事が、示されて来ているのであろう。
何故、私が其の様に考えるかと謂うと、西洋では薔薇の花が持て囃されるが、日本国では天皇家の家紋が菊花紋であり、紫色の小菊が吉とされるが、西洋では其の紫色の小菊は反対に不吉な物とされているとの事だからである。
今朝のメッセージの映像で、私の頭の上に立っていた磨き抜かれた柱の存在は、神道の世界だけではなく、仏教の世界までも含んでおり、神仏混交の価値観の文化で育って来た、日本人の精神構造の働きが、未来社会創造に対して必要不可欠であると言う事が、示されて来ているのではないだろうか。
今朝の映像で、唯一姿を現して「味は教えない」と告げて来た「小松クラ婆さん」が「宇迦之御魂神・「御食津神」の母親である「大宮売神 おおみやのめのかみ」の存在を示唆しているのであれば、私が中学生の時に、橋の袂に立って居て「日高三郎が生きて居れば 屋久島も今とは違っていただろう。」と言葉を掛けて来た事は、私の人生は、其の時から人生の方向が決まっていた事に成るのかも知れない。
「味は教えない」https://green.ap.teacup.com/20060818/4547.html
此の文章の内容からすると、今朝の映像で、田舎道に一膳の塗り箸が有った場面は、「須佐之男尊・すさのをのみこと」が出雲に渡って来て、斐伊川の下流で流れて来ている箸を見付け、上流に人里が有る事を知って、川を遡って行き、大山祇神・祇神(くに つかみ)の夫婦に出会い、櫛稲田姫を守って結婚した事と関係が有るのではないだろうか。
其の様に考えると、「塞がっている」と「引き返す事はできない」との言葉は、人間は過去の世界に引き返そうと思っても、過去は時間的に塞がっているので、引き返せないと謂う理・ことであり、過去に戻りたければ其の儘前進し、Uターンをして現在・いまの状態を良い方向に改善して行くしか、他に方法が無いと言う理・ことなのではないだろうか。
其れに、赤家蚊の羽音で起された8時3分の数字は、私の両親が終戦にて満州から故郷の鹿児島市谷山町に帰って来て、1946年8月3日に屋久島に上陸した日であり、荒地を開墾して農業を始めた事と関係が有り、私の人生の生い立ちの環境設定が、示唆されて来ているのであろう。
其れを考えると、私が起された「5時41分」を、私が「541・ごしい・語しい」と記憶した事は、私の「語る」事が大事であると謂う事であり、其れが「惜しい」事に成らない様に、勤めなければ成らないと言う事なのかも知れない。
何故なら、私が此処まで71年間生きて来て、私の様な育ち方をして、私の様な考えを持つ人間が、いまのところ見当たらないからである。
其れから今朝の映像に映し出されて来た、本の表紙に人間の男性が此方に向かって歩いて来る姿が有り、其の後ろに大神の様な存在が付いており、其の背景に都市が炎に包まれて崩壊して行く情景が描かれていたのは、旧約聖書に記されている「ソドムとゴモラ」の物語と関係が有り、人間が自分の手でUターンしなければ、天神(てんのはたらき)が同じ様な出来事を起すと謂う事が示されて来ているのではないだろうか。
其れは、次の映像の大洪水か大津波の跡の場面とも関係が有り「ノアの箱舟」の様な出来事が、必要な世の中にしては成らないと言う事なのであろ。
キー「ソドムとゴモラ」
2012/6/14今朝のメッセージの映像は、前田氏がオーナーで、数カ所の山で木材の積み込み作業が行われていた。其の木材は、前田氏が経営する温泉場に運ばれて、お湯の中に漬けられていた。
しかし、一度に大量の木材を、其の温泉プールに入れた為に、お湯の流が悪くなり、プールの温度が下がってしまった。
次の映像は、私が車を運転して、高速で道路を走っていると、前方で光エネルギーの大爆発が有った様で、前方の光の中から、車や馬車などが粉々に成りながら吹き飛んで来た。
私は、急いで車を止めて、道路の下に降りて、道路の下に有る排水溝・暗渠・トンネルの中に、身を潜めて難を逃れた。
次の映像は、私が車を運転して、狭い道路が通じている住宅地の、知人の家の前に到着すると、荷物を降ろさないうちに、前方から一台の車がやって来たので、私は住宅地の端までバックで下がって行って、ようやく離合ができた。
今朝の最初の映像の、木材の「材」は、人材の材に使用されるので、材木を山から集める場面は、「人材を 荒野から 広く集める」理・ことを意味し、前田氏の存在は「ニギハヤヒ大王」を意味しているので、新しい国造りの為に、人材を集めなければ成らない事を、告げて来ているのであろう。
そして、木材を温泉プールに漬けていたのは、人材を登用するには、其の人達の「湯浴み・禊ぎ祓い・潔斎」が必要である理・ことを、示唆しているのであろう。
しかし、一回の湯浴みに、澤山の材を投入すると、一人も「禊ぎ祓い」が出来ないとの理・ことではないだろうか。
次の映像は、人間の常識では考えられない様な、光の大爆発が有り、地上の全ての物体が、周囲に吹き飛んでいる場面である。
私は、其の映像で、旧約聖書に記されている、「ソドムとゴモラ」の物語を 思い出した。
「ソドムとゴモラ」とは、旧約聖書の『創世記』に登場する、天からの硫黄と火によって滅ぼされたとされる都市(商業都市)。後代の預言者たちがソドムとゴモラに言及している部分では、例外なくヤハウェの裁きによる滅びの象徴として用いられている。 ウィキペディア辞典より
現在の人間社会は、人間のエゴと言うか、欲望で満ちているので、天・神の怒りをかうのは当然の事である。
しかし、其の人類を、此処まで育てて来た「天・神」にとっては、此処で人類を滅ぼしてしまうのは、自分のミスと言うか失敗を、認めてしまう事になる。
だから、天・神としては、何とかして、人類の意識を正し、更なる人間の進化を速したいのである。
最後の映像は、良い人材が住む、良い道であっても、離合出来ない様な狭い道に入って行くと、自分の方が、後退・バックしなければ成らない羽目に陥るので、狭い世界には、入って行くなとの理・ことであろう。
確かに、私の進むべき道は、天下の王道であるので、身動きが出来なく成る様な狭い世界に入って行く事は、自分の役目を果たせなく成るので、注意しなければ成らない様である。
今朝のメッセージの内容は、非常に大事な理・ことを告げて来ている。
現在の人間社会は、欲望に塗れて、暴走を続けているので、何れ滅びる事は明らかである。此の儘、何もしなければ、旧約聖書に記されている「ソドムとゴモラ」の二の舞に成ってしまうだろう。
其れは、天から硫黄や火が降って来なくても、神が人間の意識を、核戦争の方に仕向ければ、簡単に起きる事象でもある。
是から、我々が遣らなければ成らない事は、良い人材を集めて、新しい国造りを行う事である。其の為には、現在の穢れた世の中から、神の意志に適う人々を、捜し出さなければ成らない。そして、其の人々に、新しい智慧・神の指示を、授けなければ成らないのである。
其れが、本来の日本の伝統である「神惟道・かんながらのみち」であり、禊ぎ祓いの儀式が行われていた、神社の役割なのである。
其れ等の復活こそ、此の日本に与えられた役割であり、日本の伝統を築いた「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊・あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと」の意志を、継ぐ事なのである。
「饒速日命・天の穂日命」は、天照大神(渡来系)の使いとして、出雲の「大国主命」の下に遣って来て、其のまま、大国主命が造った国で生活を始め、大陸には帰っていない。
其の後、国の権力が渡来系に移譲されても、「饒速日命・にぎはやひのみこと」は主導権を把握して、日本列島の国造りを続けている。
私は、全国を旅して、其の饒速日命の足跡と、其の子孫である物部一族の流れを調べて来た。其の調査の結果として、「饒速日命・天の穂日命」の意志が、常世に存在する理・ことを確認している。
今朝のメッセージは、愈々、其の饒速日命の御魂が動き出す事を、示して来ているのではないだろうか。其れは、破壊であるハルマゲドンの難を、招かない為であるし、狂ってしまった政・まつりごとを、元に戻す事でもある。
其の為には、早く、良い人材を集める必要があるのだろう。
「事象の転換」https://green.ap.teacup.com/20060818/2340.html
2017/5/8「お前達は 虚像の中で生きている。
真実は 自然の世界に有り 人間社会は 虚像に満ちている。
其の虚像の中に在って 真実の世界に目覚める事が 成仏である。
上の空に意識を向けるのではなく 前方に意識を向けて
何が真実であるかを しっかりと見詰めなければ成らない。
そうすれば 虚像を売り物にして 生業を立てている者達は
敗北するのである。 」? 何物の意識か判らない。
今朝の私の意識と言うか、大脳の感覚は、昨日の女神のメッセージに有った、私の意識の変化が、確かに起きている様で、是までとは違って来ている様である。
今朝のメッセージには、我々が生活する此の近代文明社会の様子が、幾場面も映し出されて来て、其れ等の映像場面に付いて考えていると「虚像」との言葉が映し出されて来た。
其れは、現在の世の中の文化が、自然の法則から外れた嘘の世界で成り立っており、其の中で生まれ育った人間は、真実の世界が判らなく成り、何が正しいのか判断出来ない為に、自己確立が出来なく成っていると謂う事である。
朝起きて、先ず「虚像」の言葉を調べると次の様に載っている。
きょぞう【虚像】
@物体から出た光線が凹レンズや鏡などにより発散させられた場合、実際に光線が交わって生じる像ではなく、発散した光線を逆向きに延長してできる像。
Aある人や物の本当の姿とは異なる、他によってつくられたイメージ。「マスコミがつくり上げた−」 〔「物理学術語和英仏独対訳辞書」(1888年)に英語 virtual image の訳語として載る〕▽↔ 実像
じつぞう【実像】
@反射・屈折した光線が実際にその各点で交わることによってできる像。
A地位・肩書きや風評などを離れた、その人や物の本来の姿。「現代経営者の−」▽↔ 虚像 大辞林 第三版の解説
「虚・キョ・コ」【解字】形声。篆文は「北+虍」北は丘で、おかの意味。音符の虍(コ)は、巨に通じ、大きいの意味。大きなおかの意味を表し、転じて、むなしいの意味をも表す。
【字義】@むなしい。(空)㋐ない。存在しない。㋑中にものがない。からである。から。「空虚」㋒内容がない。才能・欲望などがない。㋓実がともなわない。㋔少ない。まれである。Aむなしくする。からにする。B弱い。「虚弱」Cうつろ。穴。うろ。Dおか。大きい丘。=墟。Eあと。昔の建物などのあと。F空。天空。国語@むなしい。はかない。Aむなしくなる。死ぬ。
「像・ゾウ」【解字】形声。人+象 音符の象は、相に通じ、ものの姿の意味。人の姿・かたちの意味を表す。
【字義】@にる。また、にせる。かたどる。Aかたち。すがた。ようす。Bにすがた。えすがた。Cのり(法)。かた(型)。
漢語林より
今朝のメッセージの映像には、人間社会の「名前」の付け方や、「料理・食べ物」の味付け、其れに「宗教」や「マスコミ・映画・小説・漫画」などの世界が次々に映し出されて来て、其れ等の世界が、虚飾に覆われている事が示されて来た。
其れは、次の様な事柄である。
*言葉・名詞・名前・人名が、浮ついた物と成って、重みが無く、人間の思考が深く入り込む物ではなくなっている事。
*料理の味に、人工の化学製品・薬品である、甘味料や色素などが加わっている為に、本来の人間の味覚・五感が麻痺して来ている事。
*宗教の世界が、「宗(もと)を教える」物ではなくなっており、人々を無明の世界に引き込んでいる事。
*マスコミの世界が、商業主義に染まっているので、真実の世界が人間の意識から遠のいている・失せている事。
*映画や小説などが、真実の世界ではないので、人間の意識が架空の世界に飛翔してしまい、現実の世界・真実の現場に還れなく成っている事。
*お伽噺は、子供の頃の童話だけの世界であるべきで、成人に成ってからも、架空の物語を視覚に取り込めば、人間の脳細胞は真実・現実の世界を見詰められなく成ってしまうので、流行の世界に押し流されてしまい、人生を棒に振ってしまう事になる事。
其れ等の事柄を纏めて謂えば、現在の世の中は、全て虚飾に覆われていて、真実が失われており、人間は無明の中に落ち込んで居ると謂う理・ことである。
そして、其の所為で、真実(まこと)の世界を生きようとする人達が、生きて行けなく成っていると謂う理・ことでもある。
虚飾
実質を伴わない外見だけの飾り。みえ。「虚飾に満ちた生活」
デジタル大辞泉虚飾
内容を伴わない上辺だけの飾り。みえ。 「 −にみちた生活」
大辞林 第三版
政府が、子供達の学校教育の中に「道徳」の時間割を作ろうとしているが、子供の手本と成る、両親や先生・社会環境から、道徳感が失われてしまっているのだから、どうする事も出来ないのである。
其れに、肝心な「NHK・日本放送協会」が、視聴率アップを重要視するあまり、低俗化して来ているので、話にならない有り様と成って来てもいる。
現在の、人類社会(都会文化)の様相を眺めると、世界一の力を有するアメリカ国の現状は、品位が無くなって来ており、此の儘では聖書に記録されている「ソドムとゴモラ」の様に、神の怒りを買って、滅ぼされるのではないかと思われる様な有り様である。
其れ等の事を考えると、虚飾に覆われた此の無明の世界を、何とかしなければ成らないのであろう。しかし、其の解決法も、人間自身が考えなければ、人間・人類の進歩に繋がらないのであるから、難しい課題である。
だが、其れを何とかしなければ、最後には、神の手(意思)に拠って「ソドムとゴモラ」の物語の様な結末を迎える事に成るのだろうから、一人でも多く其の事に目覚めなければ成らないのである。
先ずは、税金の様に受信料を取り立てるHNK・日本放送協会から、「実像」を復活させなければ成らないのではないだろうか。
「虚像」https://angel.ap.teacup.com/20071208/914.html
2015/9/23・・其のブログに掛かれている短い文章は、天神・宇宙意思からのメッセージであり、其の内容は、是までの体制とは異なり、全てを公表出来ないモノであり、宇宙意思からの人類に対する注文と言うか、指示の様な内容であった。
其れは、宇宙意思と人間の関係や、人間自身の規範に関するモノ等があり、是から具体的に、人類と言うか人間社会に対する、天神(てんのはたらき)が開始される事が含まれており、人間社会と言うか我々の存在は、神の働きに拠って現存している物であるので、人類の生存権は天神(てんのはたらき)に拠って、どうにでも成ると言う理・ことである。
何故、是程罪深い現代社会の人間が、是まで、旧約聖書に有る「ソドムとゴモラ」の様な天罰を、受けなかったかと言うと、人間側に、其の受け入れ準備態勢が出来ていなかったからである。
其れは、人間が意識していない時に、天罰を下すと言うか、事象を変化させても、人間に自覚が齎せないからである。
しかし、其の事は、私がトト神である書記長の役割を、31年間掛かって果たして来た事で、体制が整って来たのであろう。
今朝のメッセージの内容からすると、新しいブログかHPを用意して、是から傳えられて来る天神からのメッセージを、書き留めて行かなければ成らないかの様であるが、其れは、是までの様に、全てを公表出来るモノ・内容ではない。しかし、其れは、私一人だけに対するモノではないのだから、何等かの手立てが必要であるとの事であろう。・・
今朝のメッセージに映し出されて来た、始めの七日分の文章の中には、第一に「人間は天神(てんのはたらき)で創造されている。」や第二に「嘘をつく人間は 神の世界には絶対に入れない。」との理が、書かれてあった。
其れ等の事を考えると、旧約聖書に記されている「此の世界は 七日間で創造された」との事と関係があり、創造主の神(はたらき)が関わって来ているのかも知れない。
何れにしても、本日が私の祖父の命日である事を考えると、今朝のメッセージは「妙見神社」や「天祖神社」の祭神である「御祖神・みおやかみ」が、関わって来ているのではないだろうか。
其れを考えると、是から始まる新しい御世・新世紀の在り様は、天皇家の先祖神(天照大神)や八幡神社などの、他人の先祖神を祭祀するのではなく、自分自身の正しい先祖神を捜し出して、其の御魂・霊魂を力強くする事が、重要であるとの理・ことに成るのではないだろうか。
そして、最も大事な理は、其の自分の先祖神の次元を通過して、人類の根源である650年前の類人猿との分離まで辿り着いて、其の先にある恐竜と哺乳類の分離6500万年前を超えて、40億年(±2億年)の生命(DNA・遺伝子)誕生の次元を通り過ぎ、138年前に始まった此の宇宙の起源に迄、「祷り・帰命・ナーム・リリジョン・Religion」する事である。
其処に辿り着けば、自分自身が「天御中主神」「エホバ・ヤハウェ」「大日如来・マハーヴァイローチャナ」「阿弥陀・アミターバ(無量光仏)・アミターユス(無量寿仏)」の、意識と成るのである。
其れこそがブッダの世界であり、「久遠実成 (くおんじつじょう)」の言葉の意味なのである。
【久遠実成 (くおんじつじょう) )とは、法華経の教えにおいて、釈迦は35歳で悟りを開いたのではなく永遠の過去から仏(悟りを開いた者)となって輪廻転生してきているという考え方。久遠成実、久成正覚などとも言う。「久遠」とは、漢語で「永遠」を意味する言葉で、時間が無窮であること。・・・
ウィキペディアフリー百科辞典 現在記載
そして、一番大事な理・ことは、其処に辿り着けば、自分の先祖の霊魂だけではなく、人類全体の霊魂を救う理・ことに成り、自分の子孫が生きて行く為の未来を、壽(ことほ)ぐ事にも成るのである。・・・
「天神(てんのはたらき)の変化」https://green.ap.teacup.com/20060818/3604.html
2008/6/3「定着した画像」https://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
2017/3/17「大日如来の声」https://angel.ap.teacup.com/20071208/862.html
今朝のメッセージは、「天行儘・テンギョウジン」「天の行うまま」との言葉と関係が有り、天の動きには回転(裏表・両面)は有るが、「引き返す・後退・逆回転」は無いと言う理・ことであり、其れは神道の極意である「惟神・かんながら」と同じ意味である「天行儘・天の行いまま」にて進むしか、他に道・世界は無いと言う理・ことなのであろう。
其れが、老子の謂う「道・タオ」や、釈迦牟尼世尊の謂う「ダルマ・法」、其れにイエスキリストの謂う「永遠の命に入る為」と関係が有り、宇宙には永遠に続く輪廻が存在し、アカシックレコードの充実の為には、周期的に振るい落としの仕掛けが働くと言う事なのであろう。
平成30年11月29日
礒邉自適
2018/11/28
天の行う儘
30・11・28
今朝のメッセージの映像は、先ず、私の意識が、戦争で破壊された様々な大切な文化文明を、復興・復旧させる行動を行っている場面が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「2時17分」であったので、私は其の数字は「祈年祭・としごいのまつり」と関係が有ると思った。
其れから再び眠ると、今度は、私の意識が各国に若い大統領を育て上げている場面が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「5時13分」であったので、私は其の数字を「513・ごいみ・語意味」と記憶した。
其れから再び眠ると、「天行儘・テンギョウジン」との言葉は、日本語で「天の行う儘・てんのおこなうまま」と読む事が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は7時6分から7分に成る所であった。
私は、今朝のメッセージの映像から、其の私の意識は自分・己のモノではなく、神(はたらき)が私の頭脳の仕組みを使用して、人類社会全体の意識を動かしている事が理解されて来た。
そして、其の事こそが老子の謂う、最も良い政治の有り方と言うか、基本であると理解されて来た。
中国の老子の言葉には、「無為の政治」が良いとの謂いが有る。其れは、一番良い政治は誰が国を治めているのかを、民衆が知らない・気にしない状態であり、一番悪い政治は弾圧・恐怖で行われる政治であるとの理・ことである。
老子道徳経 十七章「無理のない政治」
原文
太上下知有之。其次親而譽之。其次畏之。其次侮之。信不足、焉有不信。悠兮其貴言、功成事遂、百姓皆謂我自然。
太上は下これ有るを知る。その次は親しみてこれを譽む。その次はこれを畏(おそ)る。その次はこれを侮る。信足らざれば、不信あり。悠としてそれ言を貴ぶ。功成り事は遂げて、百姓みな「われ自らり」と謂う。
訳
もっともすぐれた君主のもとでは、人民は君主が存在することさえ、忘れている。
次の段階のよき君主のもとでは、人民は君主を慕い、君主を讃える。
さらに下の段階の、悪(あ)しき君主のもとでは、人民は君主を恐れ、もっとも悪しき君主のもとでは、人民は君主を軽蔑する。
人民を生きるがままに放置する。それが君主の要諦(ようてい)である。
すぐれた君主というものは、万事を人民にまかせきりで、政令などもめったに出さない。しかも政治は成功するが、人民の眼には、それが君主のはたらきによるものだとは写らない。人民はただ、なるようになっただけだと考えるのである。
中国の思想 老子・烈士 徳間書店 奥平卓訳
2013/4/16老子の道徳経 第五十七章「策にこだわるな」
以正治國、以奇用兵、以無事取天下。吾何以知其然哉。以此。夫天下多忌諱、而民彌貧。民多利器、國家滋昬。民多智慧、邪事滋起。法令滋彰、盗賊多有。故聖人云、我無爲而民自化。我好靜而民自正。我無事而民自富。我無欲而民自樸。
正をもって国を治め、奇をもって兵を用い、無事をもって天下を取る。
われ何をもってその然るを知るや。これをもってなり。天下に忌諱(きい)多くして、民いよいよ貧し。民に利器多くして、国家ますます昏(くら)し。人に技巧多くして、奇物ますます起こる。法令ますます彰(あきら)かにして、盗あること多し。故に聖人は云う、「われ無為にして民おのずから化す。われ静を好みて民おのずら正し。われ無事にして民おのずら富む。われ無欲にして民自ら樸なり」。
訳
正義は、政治の役に立つ。奇策は、戦争の役に立つ。だが、正といい奇といっても、所詮は相対的な区別にすぎない。それにとらわれてはならないのである。
民心を帰服させて天下を治めるには、正奇を超越した無為によらねばならぬ。なぜ無為でなければならないか。次の事実を見るがよい。
そもそも、禁令がふえればふえるほど、人民は貧しくなり、人民に智恵が増せば増すほど、社会は乱れているではないか。技術が進めば進むほど、不幸な事件が発生し、法令が整えば整うほど、犯罪者は増加しているではないか。
聖人はこういっている。「わたしが無為であれば、人民はおのずと生きる。わたしが動かずにいれば、人民はおのずと正しくなる。わたしが手をくださなければ、人民はおのずと豊かになる。私が無欲であれば、人民はおのずと本性に返る。 中国の思想 老子・烈士 徳間書店 奥平卓訳
今朝のメッセージは、昨日「少彦名命」を祭祀する、少彦名神社の祭典に参加した事に関係が有るのではないだろうか。其れは、出雲の国造りを行った「大国主命」に少彦名命が智慧を出す事で協力をしているからである。
其れを考えると、是から始まる未来国家の建設に、少彦名命の御魂が情報を送って来る事は、何ら不思議な事ではない。
「気にしないで済む政治」https://green.ap.teacup.com/20060818/2656.html
其の老子の言葉と、今朝最初に起された「2時17分」の数字が、2月17日が「祈年祭・としごいのまつり」の日である事を考えると、今朝のメッセージは世界中と謂うか、人類全体の脳意識に新しい政(まつりごと)の仕組みが始まると言う事が示されて来ており、其れこそが、私が1984年11月22日に伊勢の「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である天照坐皇大御神御魂 (あまてらしますすめおおみかみのみたま)」に頼まれた事が、解決に向かっているとの事ではないだろうか。
2008/6/3・・其の様子から連想されるのは、青森県に在る有名な太陽ストーン-サークルである。其の太陽ストーン-サークルは、ピラミッドであると云われている黒又山を背景にして造られている。
私が、其処で見たビジョンは、中央に立てられている立石の所に神官が立って居り、其の神官の周囲には、各部族の長老が、自分の住んで居る地域の石を持って円形に集まり、神のお告げが降るのを見守っている光景であった。
其れ等の、古代の儀式の様子を参考にして考えると、其の頃起きたであろう現象が、今起きようとしているのではないだろうか。
其の様に考えれば、私に、是まで起きた様々な現象も理解出来るし、是からどの様な行動を起こせば良いのかのイメージも湧いて来る。
私が、1984年11月21日の早朝、初めて伊勢神宮外宮に参拝してから、大王岬を回り、三重県志摩市阿児鵜方字西ノ河内の電電公社の電波塔の近くの広場で、車中に一泊した時の未明に、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の上半身の姿が、夢枕に現われた。
そして22日の朝、車を運転して磯部町を走って居ると、道路の右側に在る「正傳寺」の階段が気に成り、道路の横に車を止めて、階段を上がって行った。
すると境内に、神懸りに成った車椅子に乗ったお爺さんが居て、其の傍らでは、お婆さんが「朝から お爺さんの気が狂った」と云って、激しく泣いて居るのである。
其のお爺さんは、寺の住職に向かって「地球が危ない」と叫んで居るのである。
其のお爺さんは、私が階段を上がって境内に入ると、私の気配を感じたらしく、後ろを振り向いて、「ああ お前だ。此処の坊主では 何にも解らん。」と云った。
そして、私に「是まで 8回トンネル潜りに失敗して 今回が9回目で 最後のチャンスである」と云い、更に「早稲田や 慶応に 沢山孫が居るので 助けてくれ。」と、云うのである。・・・
「定着した画像」https://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
2018/2/17本日2月17日は、11月23日の米の収穫を祝う「新嘗祭」に対して、田植えの用意をする為に、山岳の神を麓に迎える「祈年祭(としごいのまつり)」の日である。
其れに、本日は旧暦1月2日で「初夢」の日でもある。
昨日は、出雲に向かう「江藤敬介氏」が10時頃立ち寄る予定だったのだが、直前に「岡部さん」の仕事が入って、其れを済ませてから出発したとの事で、着いたのは12時45分であった。
そして、安部忠弘氏への手土産である自然薯などを渡して、出発したのは丁度13時00分と成った。其れは、江藤敬介氏が本日13時丁度に「安部忠弘氏」の事務所を訪問する事に成っているので、24時間前のタイミングと成るモノである。
今朝のメッセージは、氷の世界が映し出されて来て、其の氷の世界に、二つのキが生じる事が示されて来た。
其の氷の世界は、横から見ると中央に氷柱(つらら)が下がっていたので、一度溶けて水に成った事のある事が理解出来たが、キの世界は「氣」なのか「木」なのかが全く分からないのである。
水の存在は、水が凍る「0度」が温度の基準と成っており、水の1ℓが1kgと成っているので、量と重量の基準も水である。
其れに、天空に架かる七色の虹の存在も、水玉がプリズムの役割を果たして、太陽光線を分離して出来る現象である。
其れ等の事を考えると、生命を育てている水環境だけではなく、多くの事柄・現象に、水の存在が関係している事に成る。
其れに、水は水田稲作にとって必要不可欠な物であるので、今朝、氷の存在が映し出されて来たのは、本日が祈年祭(としごいのまつり)である事と関係が有り、人間の禱りは、基本的には水に対するモノであると言う事に成りそうである。
何故かと謂うと、「としごいのまつり」の、「とし・年・歳」との言葉は、一年に一回稲作を行う事、収穫を一度済ます事を意味する言葉であり、「ごい」は「請う」の意味なので、「稲作が無事に行われる事を 山の神に請い願う祭り」であり、其れは山岳から流れて来る水に恵まれる事を、願う事にも成るからである。
しかし、1月14日のメッセージで、出雲の安部忠弘氏の存在・働きが映し出されて来て、次に江藤敬介氏の存在・働きが映し出されて来て、2月17日の午後1時に二人が、会わなければ成らない事が示されて来た事と、昨日、江藤敬介氏が私の自宅を午後1時ジャストに出発する事に成った出来事・現象は、単なる山岳の水神に請い願う行為だけで起きる事ではないだろう。
確かに、其の日の文章の題は「三輪が動く」なので、「三輪山の神」か大神神社の祭神である「大物主神」が関連している事は間違い無いのであろう。
其れを考えると、今年に入ってからのメッセージは、誰の目にも分かる様な事柄が起きる事が示されて来ている事にも成る。・・・
「氷と二つのキ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4530.html
5時13分・5月13日「513・ごいみ・語意味」
2018/5/13昨夜は11時前に、ITで自然界の不思議に付いての映画を観て居ると、どうしようも無く睡魔が襲って来たので、這う様にして寝室に向かい、其の儘布団に入った。
すると、誰だか判らない細身で長身の男性が現れて、私は其の男性と二人で、広葉樹の細長くて薄い若葉を手で採って、吹いているそよ風の中に、笹舟を水に浮かべて流す様に、放って居る場面が映し出されて来た。
次の映像は、山中から湧き水がパイプで引かれて来て、浅く広い池に竹筒から流れ落ちている庭の有る敷地の建物に、私が案内される場面が映し出されて来た。そして、其の建物の中に入って広い座敷に座ると、其の家の主である60歳位の男性が登場して、私達二人と向き合う形で話しが始まった。
其れから、私を案内した男性が私の事を、家主に説明を始めたので、私は座敷から縁側の板間の方に移動して、座禅を始めた。すると、別の男性が訪ねて来て、私の姿を見て、家の主に「此の人は何者か」と質問をした。
其の男性は、先に居た男性達の師匠みたいな立場であり、私の存在を気に入っている様であった。・・
是等の文章に目を通して居ると、今朝のメッセージとの関連性・雰囲気が少し理解されて来たので、5時前に再び床に就いて眠る事にした。
すると今度は、名詞単語が、其の意味する物品の色に合わせた、色付き文字で書かれている長い文章が映し出されて来て、其の文章は、私の意識・存在の中に吸い込まれて消えて行く場面が、映し出されて来た。
次に今度は、文字が消えた後の三次元世界に有る物で、不必要な物・不自然な物が次々に消えて行く場面が映し出されて来て、其れは、私の心身を管理・運営している「天神(てんのはたらき)・主」の存在を示唆しており、色即是空(しきそくぜくう)の世界が、現実化している事が理解された。
そして、其の現象が私の躰を使って起きる事が、現実の事として私の肉体に起きて来て、私はイエスキリストの様に振舞い始め、私の肉体には34年前に様々な奇跡が起きた時の様な力・パワーが全身に満ちて来て、現実的に私自身の肉体が運動を始めた。
其の現象は、私の顕在意識が目覚めても止まらないので、私は自分の肉体にイエスキリストの霊魂が降臨していると謂うか、依り憑いて来ていると意った。・・
其して、起きて立ち上がると、頭に「構造改革」との言葉が聞こえて来たので、其の言葉は、2000年前にイエスキリストが行おうとしていた事が、是から始まるとの事であるとの解釈が、私の意識に生まれて来た。
其れで、私は今朝の文章の題は「構造改革」にしようと思ったが、既に「勝理とは理を超える事」との題を付けて有るので、其の儘の題とする。
其れに、「勝理とは理を超える事」との言葉は、イエスキリストの言葉や行動に付いて考えると、イエスは唯(ただ)「天神(てんのはたらき)・主」の意志に従っただけなので、イエスの頭には「理」との言葉・概念(理屈)は無かったと思われるからである。
今朝のメッセージと謂うか、私に起きた現象から考えると、私が1984年12月13日に、岩手県の五葉山でイエスキリストの御魂に遭遇して、頼まれた事が、33年半掛かって、ようやく始まると言う事なのかも知れない。
其れは、「イスラエルの新しい王」の登場であり、岡本天明の「ひふみ・霊文神示・日月神示・天津日嗣神事」に示されている、「148(石屋)の救世主が日本から出る」との事や、「イスラの源がはっきりする。イスラエルと日本が手を結ぶ。」との事が、現実と成るとの事なのかも知れない。
イスラエルの意味【イスラIsra(勝つ者) エルel(神)】神が支配する意。・・
今朝のメッセージには、誰だか判らない細身で長身の男性が現れて、私は其の男性と二人で、広葉樹の細長くて薄い若葉を手で採って、吹いているそよ風の中に、笹舟を水に浮かべて流す様に、放って居る場面が映し出されて来た。
其の若葉は、新時代の「言の葉・言の霊」を示唆しており、新しい時代を開く情報は、既に天地に満ちており、地球上の何処(いずこ)でも、若葉が発するフィトンチッドを躰に取り込めば、神・主の言葉(意思)を脳裏に受け取れる理・ことが示されて来ているのであろう。
そして、其の為には、精霊の棲む環境と、神人の集う場が必要であると謂う事である。・・・
「勝理とは理を超える事」https://green.ap.teacup.com/20060818/4618.html
此の5月13日の文章の内容は、確かに、私が起された5時13分の時間を「513・ごいみ・語意味」と記憶した事と符合しており、キリストの神(はたらき)の条件とは「ロゴス・真言・マントラ」との世界や、水を司る「弁財天・サラスヴァティー」の神次元と、関係が有る事に成る。
2018/7/6今朝のメッセージの映像は、私が良かれと意って、無料奉仕で他人の「韮・にら」の収穫作業を手伝う場面が映し出されて来た。
其れは、私が畑に植えられている韮の、刈り取り作業を行う事である。
だが、刈り取った後、作業場の持ち主が処理を遅らせた為に、商品価値が失われ、出荷出来ない状態に陥り、其の事で、私の事を何処かの組織・機関に訴えに行く場面が映し出されて来た。・・
此の「神が望む事」との言葉は、本日7月6日が、明日の「七夕」の為に七夕飾りを準備する日であり、人間側が短冊に願い事を記す事と、逆の世界(バージョン)である。・・
此の「韮・葷」の漢字の意味からすると、今朝のメッセージは私に「群生する物・生臭い物」に関わると謂う事であり、「他人の修行・体験の 邪魔をしては成らない・手出しをしては成らない。」との理・ことが示されて来ているのであろう。
其の様に考えると、今朝PCを立ち上げた時に父親らしき男性の声で、「自適よ 是から何の為に生きるのか。」と告げられて来た事が関係が有り、是から私は自分自身で、自分の生きる「道・ルート・辻」を選択(チョイス)しなければ成らないと言う事なのかも知れない。・・・
「 七夕飾りを準備する日」https://green.ap.teacup.com/20060818/4672.html
2018/7/7今朝のメッセージの映像は、先ず、私が誰だか姿の見えない男性に、共通の知り合いである男性が急死したとの事を知らされて、私は然程付き合いの有る人間ではなかったのだが、一応気に成るので、普段着の儘、何も持たずに其の家を訪ねて見た。
すると其の家は、林の中の立ち木を利用して、木材を組み立て、其の木材に建築工事用のコンパネ(ベニア板)を打ち付けた小屋の様な施設であり、室内に入って見ると、死んだ男性は30歳代の男性らしく、20代の弟が三人、途方に暮れている感じで座って居た。
そして、左側にダンボールで仕切った部屋が有って、其処に遺体が寝かされている様であった。
其れに、家財道具が見当たらず、炊事場やトイレの施設も無いのである。
私は、香典や見舞いの品を何も用意しておらず、居辛く成って来たので、其の部屋から外に出ると、赤子を抱いた奥さんが見送りに出て来て、私に「畑に葱が有るので 要れば持って帰ってください。」と謂った。
私は、其の映像が何を意味しているのかを考えると、縄文時代の生活の方が未だ恵まれていると思ったので、其れは、私には解決出来ない世界であり、其れこそが「政府・国家」の役割であると考えて居た。・・
今朝の初めの映像は、とても恵まれない家族が苦境に立たされていた場面であったが、後半の場面はこれ以上無い様な、最高のレベルの社会構造の様子であった。
其の違いは、私に何を考えろと言う事なのであろうか。
私を捜し出して、此の神の世界に入れた故「土肥無庵」は、私に「自適さん 精神性の高い人が 良質の物品を作り、其の物品が 優れた精神の人間を育てるのだ」との理・ことを、謂って居た。
其の土肥無庵の言葉を考えると、今朝のメッセージは其の土肥無庵の思念・おもいが漸く叶うと謂うか、天神(てんのはたらき)に浸透して、現実化する時節が巡って来たと謂う事なのかも知れない。・・・
「此の喜びを椎交わそう」https://green.ap.teacup.com/20060818/4673.html
2018/7/8今朝は、一眠りすると目が覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時00分」であった。
其れから再び眠ると、屋久島の実家に、40年程前の姿の母方の祖母「加藤キイ」と、叔父「加藤一彦」が、遊びに来ている場面が映し出されて来た。
そして私が、透明なヤリイカ一匹(一杯)と、真蛸一匹を野外で料理しようとして居ると、弟が外に出て来て「お婆さんが 魚のアラ(骨)で出汁を取ってと謂っているよ」と伝えに来た。
私は其れで、魚を手に入れていないので、又買出しに出掛けなければ成らないと考えて居た。何故なら、槍烏賊や蛸には骨が無いからである。
其れから、明け方に男性の強い声で、「文章を止めるのは誰だ」との声が聞こえて来。・・
海の生物は、陸上の植物や動物とは違い、重力に対応する必要が無い生き物である。其れを考えると、人間が座禅や瞑想をする時に、座る事の意味が隠されているのかも知れない。
其の様に考えると、「辻・行・道」の漢字が不要であると謂う事に成り、「すめらのみこと・みかど」が御座に着く事や、「禅・ゼン」の漢字の意味が重要であると謂う事に成ってくる。
其れに、今朝告げられて来た「文章を止めるのは誰だ」との言葉は、文章を書く・記す人間の存在が重要である理・ことが示唆されているので、誰かが文章を書き記す必要が有り、其れを何者も止めては成らないと言う事に成る。・・
今朝の映像には、長老・翁ではなく、私の母方の祖母の存在が示されて来た。
其れは、母系の方で生命(DNA・遺伝子)を継続しているが、情報と謂うか魂しいの方は、血筋・血統に関係無く「禅」で継続される事が示されて来ており、其れは言葉に拠るモノ・世界なので、文章の継続を止めては成らないと言う理・ことが示されて来ているのであろう。
其の為には、背骨(脊椎)の丈夫な男性の存在が必要であり、「希少鉱物・ミネラル」を切らしては成らないと言う理・ことである。・・
本日「脊椎・背骨」の事が示されて来たのは、昨日告げられて来た「此の喜びを椎交わそう」との言葉と関係が有り、人間の真の喜びは、脊椎を流れる気(プラーナ)に有ると謂う事なのかも知れない。
其の様に考えると、やはり「禅・ゼン」の言葉・世界は、非常に大事であると謂う理・ことになる。
「文章を止めるのは誰だ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4674.html
是等の文章の内容から考えると、「語」の世界は確かに故「白川静」が、「漢字は 神とのコミュニケーションの為に創られた物である」と謂っている事と関係が有り、此処数日、私に漢字や言葉が続けて示されて来た事と関係が有り、天神(てんのはたらき)の方から、新しい漢字や言葉の開発が、必要である事が示されて来ている事に成る。
其れを考えると、天敵である鳥の目を誤魔化す為に姿を変えた「木の葉蝶」、花の姿に化けて餌虫を待つ「蟷螂・かまきり」、他の鳥の巣に卵を産むカッコウが、自分の産む卵の色柄を、相手の産む卵の絵柄に印刷して産む事など、DNA・遺伝子の能力と謂うか、視覚情報から自分の身体の仕組みを変えられる事と関係が有り、其れ等の昆虫や鳥には、言語情報は必要ではなく、視覚が直接的にDNA・遺伝子を変化させている事と、人間の違いが気に成って来る。
其れは、昆虫や鳥は自分自身の意識と謂うか、視覚情報から自分の生体を進化させられるが、人類のDNA・遺伝子は複雑化した為に、其の原点の能力を失ってしまっており、其の代わりに言語が発達して、他の生き物とは異なる世界を創り出している事に成る。
其れは、無意識でコスミックダイヤルに接続している他の生き物とは、異なる世界を人間は創り出しており、其れが言葉や文字を操る事で、新たな世界が生まれ、他の生き物とは違う、顕在意識に因る霊魂・神霊界が「魂・球しい」として神(はたらき)の概念を持ち、其の人間独自の世界が、自分の脳の身代わりとして「AI・人工知能」を作り出し、其の「AI・人工知能」の電磁気の世界が、人間自身の脳波とチャンネルし、新たな次元を生み出しているのである。
2018/1/26今朝のメッセージの映像は、私が一人で、スーパーか銀行の様な多数の人々が出入りしていた建物施設の大掃除をして居て、最後に残った「蚊取り線香」の皿の掃除をする為に、右手の人差し指を、其の皿の灰の中に触れると、指先にチカッと痛みが来たので指を見ると、指先から血が出て来たので、灰の中を確かめると、小さなガラスの尖った破片が中に有る事が判った。
私が、其の指先の出血を押さえて居ると、弟の「正也」が遣って来て、「支店長が 兄貴に会いたいと謂って 訪ねて来ている」と言うので、私は自宅に帰る事にした。
そして、自宅か事務所に帰ると、姿ははっきりしない男性の存在が、机の上に虹色をした「ブルーレイ・DVDレコーダー」の様な物を数枚並べた。
其れは、其のDVDの中の情報を、是から私と一緒に、色分けや擦り合わせをする作業を意味していた。其れが、どの様な内容なのかと思うと、右側の方に様々な動物の姿が映し出されて来て、最後に人間の存在が現れて、其の顔がドンドンと変化して行く場面が映し出されて来た。
次の場面は、其のDVDの情報が開けられたのか、机の上に、一個の「集積回路・マイクロプロセッサ」の存在が大きく映し出されて来た。
そして、其のマイクロプロセッサから、電子信号情報として、左の方に情報が流れ出して、男性の姿(人型の影の様な物)が机の横に立ち上がって来た。
更に、其の向こう側に一回り大きな男性の姿が立ち上がって来て、手前の方が5万4000で、向う側が7万8000の情報量である事が示されて来た。
其れから、再び電気を消して「集積回路・マイクロプロセッサ」の仕組み・働きを想って居ると、自分の頭の中に、新しい情報が組み上がって行く様子・場面が映し出されて来たので、私は其の頭脳の働きの様子から、統尊(すめらのみこと)の働きがマイクロプロセッサと同じ物である事が理解されて来た。
そして、自分が、其のマイクロプロセッサの様な働きをしなければ成らないのだと考え始めると、女神の声で「貴方は自分では何もしては成らない」との事が告げられて来たので、私は自分の頭脳の回路を、天神(てんのはたらき)に明け渡して措かなければ成らない事を理解した。
今朝のメッセージは、1月22日「何が始まるのか」のメッセージの映像に映し出されて来た、黄金の空盥と関係が有り、私の頭脳の仕組みを使って、天神(てんのはたらき)が新しい情報・プログラムを組み上げる事が示されて来ており、其れが昨日告げられて来た「うるちだい・米代」との言葉と関係が有り、「米代」とは、米の代金の事ではなく、「米の代・世」の意味であり、「豊葦原瑞穂国・とよあしはらみずほのくに」の伝統文化が、再プログラムされると言う事の様である。
其れは、「豊葦原」とは葦の生える湿地の事であり、「瑞穂」とは水田の稲の事であるので、「統尊・すめらのみこと」の「すめら・すめる」が、シュメールの文化から日本に伝わって来た「スメル・葦の生える地を治める」の意味であるので、今朝のメッセージは日本だけの事ではなく、シュメール時代まで遡って、「神(はたらき)」のプログラムが再構築されると言う事に成る。
其れに、1月22日の夜は眠る為に床に就いて目を閉じて居ると、瞼に映像が映し出されて来て、私が何処かの建物を訪れて裏庭の方に廻ると、三組程のテーブルが置かれており、10名程の人達がリラックスして食事をして居る様子が映し出されて来た。
そして、最後に其処に帰って来た人物は、白い服を着た長身の男性であり、私が其の人物の顔を良く見ると、其の人物の顔は類人猿のゴリラの様な黒い顔であった事と関係が有り、私の意識と言うか、脳細胞(DNA・遺伝子)の記憶は、人類が650万年前にアフリカの中央部で誕生する以前にまで、遡っている事に成るのであろう。
其れを考えると、私の脳細胞(DNA・遺伝子)の記憶は、「うるち代」から更に遡っており、人間のDNAと1%しか違わない、チンパンジーの時代・御世にまで、遡っている事にも成る。
だが哺乳類が、6500万年前に隕石が落ちて地球環境が激変し、羊歯類に変わって生えて来たイネ科の植物の繁茂に支えられて、進化して来た生き物である事を考えると、何も不思議な事ではないのである。
其れ等の事柄を考えると、やはり私が、海・山・川の自然条件に恵まれた屋久島で生まれ育って、37歳まで生活していた事と関係が有り、私の肉体細胞や意識が他人とは異なり、DNA・遺伝子の情報の再生には適していたと言うか、向いている事に成るし、天神(てんのはたらき)が私の脳細胞を使用する事の意味も能く理解できる。・・・
「統尊はマイクロプロセッサの役割」https://green.ap.teacup.com/20060818/4508.html
此の文章の内容からすると、昨日のメッセージの映像で叔父である「加藤一彦」が連れて来た男性が、「アジル手長猿」に迄、先祖還りして行った事と関係が有り、私は確かに「久遠実成・くおんじつじょう」の次元に迄、意識が到達しており、其の意識チャンネルを使用して、神霊界が新たな情報網・仕組みを創っている事に成る。
其れを考えると、一昨日の「V字回復」との言葉が理解されるし、昨日の「天行儘・テンギョウジン」の音読みが、日本語の訓読みで「天の行うまま」との読みである事が示されて来た事と関係が有り、「日本語・大和言葉」でアカシックレコード(電磁気システム)が組み上がりつつあると謂う事に成るのであろう。
其の様に考えると、私が此の世界に飛び込んだ時に「後16年半しかない」と告げられ、其れが2000年12月4日(金鵄降臨の日付け)であった事が、34年半掛かって、漸く現実の事と成りつつあるとの事なのではないだろうか。
其の日まで、残り6日である。
平成30年11月28日
礒邉自適
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