1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2018/12/31
万物の母
30・12・31
本日は今年の大晦日である。
私は、大晦日には何も告げて来ないのではないかと想って居たが、豈図らず一晩中映像が映し出されて来た。
其れは、昨日姿の見えない存在から、コンパスを手渡された事と関係が有り、私が、事象の全てに付いて把握をすると謂うか、測(科)らなければ成らない理・ことが、示されて来ているのであろう。
今朝のメッセージには、頭に「母」の文字が付く横書きの日本語で、課題・テーマが縦に何十も並んでいる場面が映し出されて来た。
そして、其の後9時頃まで様々な映像が映し出されて来たので、其の映像はあまり思い出せない。
今朝のメッセージの内容から、私は、以前書いた詩を思い出した。
【神はささやくのです】
「さようならは 云うな」と
「また 会いましたね」と
「ようやく 会えましたね」
それだけ それの繰り返し
私たち 此の世のすべての 者も 物も
母さんの 夢の中で 遊ぶ風車
嬉しくまわるも 悲しくまわるも
私たちの 心次第なのです
1987年5月14日に
【愛するあなた達へ】
愛する あなた達へ
貴方達に 授(あ)げられるモノは
素(そ)のままの自由。
生きる事も 死ぬ事も 貴方達の 望みのまま。
決まりを 創ったのは 貴方達自身です。
創る人も 創らせる人も 同じ次元に 住んで居る。
神も 仏も 悪魔も 貴方達が 創り出した迷いごと。
あたしは 貴方達の 自由で
囚われのない 様(さま)にしか
棲むことが 出来ないのです。
童べのときが
あたしの 一番 花咲いているとき。
水も風も 光も雲も 夜も昼も 星の輝きも
自分の部分(なか)であり 全体(そと)であるとき
あたし自身も 其の中で自分を忘れ 戯れる事が出来る。
あたしの子等が 永い習わしを 継いだとき
子供の世界と おとなの世界が 離(わか)れてしまった。
習わしの中で 子供達は 不自由の衣を羽織ってゆく。
そして 段々と あたしは 住む事が出来なくなる。
大阪空港にて
皇紀2647(S62)7月15日
「女神のブログ」より https://moon.ap.teacup.com/20060103/
今朝のメッセージの映像には、人間の生活・くらしの場面だけではなく、新しい漢字の組み合わせで、平仮名の無い漢文の様な短文や、数式の様な物の世界にも映し出されて来たので、此の森羅万障の世界が「母・ボ・はは」の概念の中に在るとの理・ことが示されて来ている事は確かである。
其れは、父親・男性意識が組み立てる様々な「言葉・文字・文章」「絵画・芸術」「科学・化学・数学・天文学」「音楽・踊り・祭・映像」「道具・武器・機械・工業」「競技・戦争」等々は、其の母なる母体(自然・宇宙)を舞台として行われている、部分的な現象であると謂う理・ことに成る様である。
今朝の多くの映像の中から、思い出す場面を幾つか書き出すと、次の様な事であった。
*私が自転車を漕いで町の中に入って行くと、両方のブレーキが全く効かないので、修理工場を探すと、車の修理だけではなくオートバイの修理ができるとの看板が川沿いの土手の左側に有るのが目に入ったので、一階の店・事務所ではなく、下の修理工場の方に自転車を持って行くと、40歳代の男性が居るので事情を話すと、私の自転車を調べて「此の自転車のブレーキは とても複雑にできているので 部品を取り寄せて修理しなければ成らないから 時間が掛かる」と謂うのである。
其れで私は、中古の安い自転車を買った方が良いと意い、其の場を後にした。
其の映像の意味は、私・自分の意識が乗っている・運転しているモノ・世界は、自分が簡単に運転できると思っていても、其れが実に複雑な構造をしており、自分だけではなく、専門家であっても、取り扱いが難しい世界であるとの理・ことが、示されて来ているのであろう。
*私が弟の事務所に行くと、其の事務所には、最新式の様々な電子機器が揃えられており、私は自分が文章を打って配信をするには、どの機器を使用すれば良いかを訊ねていた。
其の映像から、私に考えれられる理・ことは、私が「みいつ・御稜威 ・御嚴」の役割を果す為には、自分で事務所を構えたり、通信機器を揃えたりする事を考えたりしては成らないと言う事であり、私は唯、用意された場所で、今の作業を続けるだけで良いとの理・ことが示されて来ているのであろう。
其れは、神社の仕組みが神社を維持管理する役割が「宮司職」であり、「神官・神主」は私の様に、何の管理にも関わらず、自然の中で修行をして精錬潔白を保って、生体電気を高めて措かなければ成らないと言う理・ことなのであろう。
其れは又、「宮内庁」の役割と「天皇陛下」の本来の役割とも関係が有る。
*私が自分の小さな事務所に居ると、40歳位の国家公務員の男性が遣って来て、私の調書を取り始め、最後に現在の時間を謂えと謂うので、私が壁に掛けて有る左右の時計を見ると、両方とも布で覆っているので、机の上の置時計を見ると其れも隠してあるので、私が机の上に置いて有る団扇で、其れを外そうとすると、其れも邪魔をするので、私がどうして其の様な意地悪をするのかと思って、手にしていた団扇で其の男性の顔に軽く触れると、其の男性は「公務執行妨害で訴える」と謂うのである。
私は、自分の方が私に時計を全部見えない様にして措いて、時間を謂えと言うのは、道理に反しているので、其れが現在の公務員の精神性を表しているのだと思った。
其れは、国家公務員の仕事は国民の生活を護る為の役割であり、自分から国民の安全や幸福の為に真剣取り込む姿勢を示さなければ成らない役割であり、其の為に大事な国家の予算・税金から給料を貰っているのである。
其れが、自分から意地悪をして措いて、団扇で顔に軽く触れただけで「公務執行妨害で訴える」と謂うのは、言語道断である。
其れは、極端な場面であるが、現在の公務員の精神性のレベルが示されて来ているのであろう。
今朝は由香にビジョンを見なかったと訊くと、見たとの事であり、其れは次の様なビジョンである。
川の左岸の土手を歩いて行くと、手前に中年の女性が居り、姿はハッキリとは見えないが、其の女性の母親が其の向こう側にぼんやりと居るのが見えて、女性が母親に向かって、一方的にずっと敬語で話し掛けていたとの事である。
次は、目の前に澤山の種類の果物が山の様に積み上げられて、全ての種類の果物を口にしなければならないとの事で、とりあえず、一番手前にあったイチジクを食べたとの事であり、其のイチジクは今までに食べた事のない美味しさであったの事である。
此の由香のビジョンも、私へのメッセージ「川の左岸の土手の場所」「母親に敬語を使って話す娘」が関係有り、澤山の様々な果物の存在は、母神が生き物に食料を供給している理・ことを示しているのであろう。
其れに、イチジクが凄く美味しかったと謂うのは、新約聖書のマタイ福音書2【4章24:32 いちじくの木からこの譬を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。24:33 そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。】
と有る事など、イチジクは「紀(とき)」の譬えに何回か出て来るので、其れが美味しく食べられとの事は、母神の愛・慈悲が熟すと謂うか、満ちた事が示されて来ているのではないだろうか。
其の様に考えると、本日が大晦日である事と関係が有り、イエスの誕生日である12月25日(Xマス・冬至祭)よりも、一年の締め括りである大晦日の日の方が重要であると謂うか、宇宙(森羅万象)と直接関係が有る理・ことに成るので、今のトキを生きる自分自身にとって、一年の締め括りと、新年を迎える為の大事な節目の日・時であると謂う事に成る。
其れを考えると、本日のメッセージは人類・人間にとって最も大事な理が示されて来ており、今朝のメッセージの内容は、私にとっても34年半の締め括りであり、人生最大の天神(てんのはたらき)との応答が表明された事にも成る。
其れに、今朝私と由香に映し出されて来た場所が、河川の左岸の土手であったのは、母神の働きと、水の流れ・循環が最も近いと謂うか、密接に絡んでいるとの理・ことが示されて来ているのであろう。
キー「お母さん ありがとう」
2017/12/27明日12月28日は「御用納め」の日であり、本日が最後の有仕事日である。今朝のメッセージの映像は、其の事に関係が有るのか、「何も無い」との言葉が告げられて来て意識が目覚めた。
今朝のメッセージの映像は、私自身の母親ではないが、一人の母親の姿が映し出されて来て、子育てに大変苦労をして居る様子が映し出されて来た。
私は其の様子を見て、私達がこうして存在して居るのは、全て母親が産みの苦しみや、子育て苦労をしているからである理・ことを、改めて理解して居た。
其れは人類だけではなく、殆どの動物が同じ様なシステム・仕組みで存在しているのである。
そして、告げられて来た言葉は「何も無い」である。
其の言葉は、私自身にする事が何も無いと言う事なのか、老後の男性には何も無いとの事なのか、能くは判らない。
私は1984年6月4日(母親の64歳の誕生日)に、此の世界に飛び込んで、自分が存在して居るのは、母親の存在のお陰だと思って、涙が溢れ出し、実家の座敷の襖一枚全体に「母さんありがとう」と筆で大書した事が有る。・・・
「何も無い」https://green.ap.teacup.com/20060818/4478.html
2002/12/17・・朝起きて、顔を洗い、外に出て安房川を眺め、河口に昇る太陽を拝してから、定位置の机に向かい、タンポポコーヒーを飲みながら、先月来島したキム・シンさんから、留守中に届いていたCD『まほろば』の音楽を聴きながら、昨日、日吉眞夫さんに頂いた雑誌「生命の島」の自分の文章を読んでいて、何故か涙が流れて来て「ありがとう」の言葉が、実感として湧いて来た。
自分の存在が、自分の勝手で在るのではなく、世界全体の調和として発生している理・ことに気付いたのである。
私の考えや発想は、決して自分で独り占め出来るものではなく、神の働きに因って創造されている現象・ものなのである。
18年前、神の世界に触れた時、感謝の念が湧いて来て、実家の部屋の襖に「かあさん ありがとう」と、襖一枚に筆で大きく書いて、家族に、変に想われる原因と成ったが、その文字は、今でも実家の襖に残っている。
その時の“ありがとう”は、今朝の“ありがとう”とは、少しニュアンスが違う様である。
18年前の“ありがとう”は、自分の存在感が身・からだの方に有り、私を産んでくれた母親と、育ててくれた屋久島の自然とに関した、感謝ではなかっただろうか。
しかし、今朝の“ありがとう”は、自分の心・魂が、喜んでの事の様な気がする。
自分の気持ちが、文字に表され、自分の好きな人に拠って本に成り、その文章を自分で再確認しながら、キム・シンさんの作曲及び演奏を耳にしていると、魂そのものが打ち震えて来るのである。
是は、私の感情ではなく、18年間、私と旅を共にした4311体の霊魂が目的を果し、其の成果を喜んでいる様な気がする。
私が、私一人ではなく、全ての総合体として、存在しているのだと言う事である。
此の考えで行けば、西洋式の特許権の存在は、神の掟には反している事になって来る。
自分の肉体を始め、自分が創造する物事の一切は、社会全体のバランス(和魂・にぎたま)から産み出されるものであり、自分にも権利は無いのである。
だから、自分の功績に対して、何も威張る事は出来ない。
昔から、日本では「いえ お蔭様なのですよ」という挨拶が伝えられている。是は、他人から個人に対しての、賞賛に対しての応えである。
西洋の「私の力でやった」との自慢とは、反対に位置している。
其れは、東洋に伝えられている“徳の世界”の文化なのかも知れないが、日本ではそれよりも、もう一段深い位置が、認識されていたのではないだろうか。
島根県出雲地方には、「ありがとう」の事は「だんだん」と言う言葉で伝わっている。何事に対しても「だんだん だんだん」なのである。
「ありがとう」の感謝の表現ではなく、人間の認識段階の進歩を示唆する、何かを含んでいる。
神々の故里「出雲」ならではの方言であり、古代の人々が、神社を岡や山頂に造り、階段を設(しつら)えて、その段を一歩一歩上がって行く。
其の肉体の作業が、新たな自分の意識の覚醒を齎すのだとの考えがあり、又その階段は日常の社会生活の中にも、存在するのだとの考え方ではないだろうか。
私の、37年間の屋久島での生活体験と、18年間の心の旅、そして又屋久島での生活、其れ等の事を他人に説明しようとすれば、階段の存在は便利なものであり、出雲の方言「だんだん」は、用を得ていると想わざるをえない。
私は、新たな段を上り出さなければならない様である。
安房区長の日高雲平さんに、1月1日の新年会に町長「日高十七郎さん」の挨拶の後、20分くらい話をするよう依頼があった。
「一年の計は元旦に有り」との諺が有る。
私に、新たな門出が始まろうとしている。
両親が、屋久島に移住して57年目である。屋久島の島民二世として、私がこれから、故郷の為に何が出来るか、その事が、是からの私の新たな課題であろう。
第三回目の「ありがとう」の期節が、何歳の時に体験出来るか未だ分からないが、新たな次元へと向って、一歩一歩「だんだん」の言葉を、胸の「文(あや、おもい)」として進んで行かなければならない。
文化の本来の意味も、其処にあるのだと想われる。
現代の、歪んだ文化の中に、育ち続けている私の子供達に対して、私が出来るたった一つの事が「言葉を正す」と言う作業なのかも知れない。
父親としての責任感として、「ありがとう」を心から言える子孫の繁栄を願うしかない。その事が、宇宙の本来の目的であり、神の存在意味も、其処にあるのだと想われるからである。
森羅万象 全てに 感謝である。
「ありがとう だんだん」https://moon.ap.teacup.com/20061108/220.html
2017/9/17「あらためてありがとう」https://moon.ap.teacup.com/20060615/308.html
此の文章の内容と、今朝の私達二人へのメッセージからすると、私に第三回目の「ありがとう」が起きるのは、間近な気がして来た。
平成30年12月31日
礒邉自適
2018/12/30
コンパスが渡される
30・12・30
昨夜は床に就いて目を閉じて居ると、瞼に、明るい世界で岩台の上に榊の様な木の枝が、置かれている映像が映し出されて来た。
次に、肉体は目に見えない人間の手が、私に「コンパス」を差し出して渡す場面が映し出されて来た。
次に、フード付きの黒い服を着た中年の男性が、三人程、私の所に遣って来る場面が映し出されて来た。
其れから眠りに入ると、私が着替えをしなければ成らない場面が映し出されて来て、其の為に、自分の干していた洗濯物を、部屋に取り込んで畳もうとすると、其れは二枚のアンダーシャツと、五枚程のズボンであり、上着が無いので、私は其れだけでは外に出掛けられないし、冬を過ごせないと想って居た。
次に、「加藤登紀子さん」がギターで歌を歌って入る姿が映し出されて来て、其れを知り合いの「山下敏正氏」が撮影をしている場面が映し出されて来た。
其の撮影機材は、キャスター付きの丸い三脚の上に乗せられている物で、全てがコンピュータで動いている物であるので、山下氏は途中で何処かに行ってしまい、登紀子さんが歌い終えて去っても、其処に帰って来ないのである。
私は仕方が無いので、其の撮影機器を停止させようと意い、機能を調べて見たが、どのスイッチを押せば良いのかが判らないので、電源のスイッチを探し始めたが、其れも何処に有るのか判らない儘、其の映像は終わった。
今朝のメッセージの映像は、私自身にも能く判断できない物である。
取り敢えず、考えて見ると次の様な事が思い当たる。
*明るい世界で、岩の上に置かれていた生きた木の枝。
・日本の神社の儀式で行われる「玉串・たまぐし」と関係が有る事。
・モーゼが岩山に登った時に、木の柴が火の様に赤く燃えて、十戒の石版を渡された事。
*見えない手からコンパスが渡される場面。
・コンパスは、「石工・メーソン・石職人」の道具である。
・石工・メーソンの印章は、「下向きのコンパス」と「上向きの定規」の組み合わせの中央に「G(ゴッド)」が記されており其れは「至高存在・神の意識・プロビデンスの目」を表している。
*フード付きの黒い服を着た中年の男性三人程が私の所に遣って来る場面。
・石工の秘儀を扱う霊魂が私の意識の中に入り込む。
*加藤登紀子の名前。
・「登紀・とき」の漢字に意味が有り、私に示されて来ている「紀(とき)の祭りを行え」との事と関係が有れは、「登る紀・紀が登る」との意味に成る。
*山下敏正の名前。
・山の下(麓)敏(はやく)正せ」との意味に解釈できる。
*自動撮影の機械の意味。
・事象の動きは自動的に撮影されており、人間の手では止める事が出来ない・不可能であるとの理・こと。
今朝は、其れ等の意味に付いて長く考えて居て、起きて時計を見ると時刻は8時21分であった。
其れで、今年の8月21日の文章を見てみると、次の様な事が書いて有る。
2018/8/21今朝のメッセージの映像は、私の父親が生きて居た頃の姿で登場して、美しい書体の文字を書いて居る様子が映し出されて来た。
そして、私は其の姿を眺めて居て、とても懐かしく感じて居た。
次に、其の父親の書が展覧会に出品される事に成り、私が其の会場に行って、父親の書が掛けられている壁の前に立って居ると、年配の書の先生が弟子の女性を連れて、父親の書の右側に掛っている自分の書を見に遣って来た。
そして、私に自分の書いた草書体の文字を「読めるか」と訊くので、私が「読めない」と応答すると、其の先生・師範は無表情で立ち去ったが、連れの女性は私が無知であると思ったのか、くすくすと笑いを堪えながら、師範の後に付いて立ち去って行った。
次の映像は、私が6歳位の娘と、娘の友達を連れて、安房川の左岸堤防の上を散歩している場面が映し出されて来て、河口の場所まで辿り着いた所で、娘がトイレに行きたいと謂うので、近くを見ると、とてもセンスの良い近代的な落ち着いた新しいトイレが有る事が判った。・・
そして、何故、父親が書家の様に筆を手にして、書をしたためて居たのかを考え始めた。何故なら、私の父親は朝日新聞を購読しており、読み終わってから其の新聞氏を使って漢字の練習はしていたが、本格的に筆字で書をしたためて居る姿を見た事が無いからである。
私は、今朝の書の世界から、其れは「人間」だけが行う世界・行為である理・ことを思った。・・
私を捜し出して、此の世界に送り込んだ「土肥無庵」は、書き物を残していないし、自宅には一枚の書画も飾ってはいなかった。
そして、私に「全ての書画は 脳の排泄物だ」と謂って居た。
だが此の私は、既に7400項目もの文章を書き残してしまった。
其れは土肥無庵が、「自適さん もう堪らない。書いてくれ 書いてくれたら私は幾らでも頭に納められるから」と謂うので、私は一生文章を書く事は無いと思っていたのだが、仕方なくノートと鉛筆を買って来て、書き始めた事の結果が、現在・いまの状態なのである。・・・
「書の世界」https://green.ap.teacup.com/20060818/4718.html
此の文章の内容からすると、今朝のメッセージは「石工の秘儀」と関係が有り、石工・メイソンの世界は、実際の事柄に付いて文章に書き表す事は違反であると謂うか、絶え間なく変化する森羅万象の流転を文字にして表す・残す事は、人々の意識を其処に固定してしまう事に成るので、大罪に成ると謂う理・ことなのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝の映像で「敏正」が、ギターを弾いて歌っている「加藤登紀子」の姿を、キャスター付きの全自動カメラで撮影して居た事の意味も、理解されて来る。
其れを考えると、私は「石工・石部・磯部・礒邉」の家系・血筋の働きは続けなければ成らないが、其の内容に付いて、文字に書き残す事をしては成らないと言う理・ことに成りそうである。
其れは、明日31日が今年の大晦日であるので、私に、後世にカルマ・業を残しては成らないと言う理・ことが、示されて来ている事にも成るのであろう。
平成30年12月30日
礒邉自適
2018/12/28
イノベーション・innovation
30・12・28
今朝のメッセージは、一昨日の「ファイナル」と、昨日の「リフレッシュ」に続く物であり「イノベーション」との言葉が、何度も告げられて来るので、照明を点けて時計を見ると時刻は「6時9分」であったので、私は「道・タオ」のマークと、弘法大師空海の言葉「乾坤は経籍の箱なり」との言葉を思った。
「全てを知る必要は無い」https://green.ap.teacup.com/20060818/4445.html
今朝のメッセージは、先ず、透明の衣装ケースの様な箱が一個映し出されて来て、其れは書類を入れるケースで有り、蓋の下には薄いボックスが付いていて、其処には、其の中に収納される書類の目録が納められる物である事が理解されて来た。
次に、漢字だけの文章が、横書きで一行書かれている物が、間隔を空けて数段並んでいるのが映し出されて来たが、私は其の文字を読み取る事が出来なかった。
次に、今度は易しい漢字が混ざっている、平仮名の横書きの長い文章が映し出されて来たが、其の文章の内容も記憶には残っていないので、何が書かれていたのかは、思い出せない。
次に、私の自宅の台所が映し出されて来て、天井・屋根が外されて神社の「御饌殿・みけどの」様な施設に、改造され始めている様子が映し出されて来た。
其れから、神様の働きを示唆する幾つもの言葉が告げられて来た。
其の中には、平仮名の名前も有り、最後には「みそはちまん」との言葉も告げられて来た。
そして、其れ等の言葉の意味が何の神(はたらき)であるかを考えていると、「イノベーション」との言葉が、繰り返し何度も告げられて来た。
其処で起きて時計を見ると、時刻は6時9分であり、間も無く6時10分に成ったので、私は今朝のメッセージは昭和19年6月10日(時の記念日)に千葉県成田市台方の麻賀多神社の境内に在る「天之日津久神社」の祠の前で岡本天明に始まった「ひふみ・霊文神示・日月神示・天津日嗣神事」と関係が有り、「此の日本から神一厘の仕組みが発動する」との事が、始まるのだと想った。
其れを考えると、昨日の文章に、本日が「御用納めの日」であると書いたが、私にとっては「御用始めの日」である事に成る。
今朝は先ず、「イノベーション」で検索すると、次の文章が有る。
2009/5/25・・そして、其のメッセージが、どう言う意味を告げて来ているのかを考え続けていると、明け方に「イノベーション」との言葉が告げられて来た。
朝に成って、早速、新しい会社の事務所のパソコンで「イノベーション」を検索して見ると、次の様に載っている。・・・
どうやら今朝のメッセージは、新たな価値を創造しなければ、古い「渦巻・カルマ」から脱出できない理・ことを、告げて来ているのではないだろうか。其れに、現在の船・乗り物の積荷の情報は、凍結していて、「真崎・真先・真前」には通用しないと言う理・ことである。だとすれば、何とか「イノベーション・innovation」を成し遂げなければ成らないと言う事に成る。・・・
「イノベーション」http://green.ap.teacup.com/20060818/1154.html
2014/11/24今朝のメッセージの映像には、森の中に、とても大きな、白色の新しいビルディングが、一棟建っているのが映し出されて来た。
其れから、私が、様々な人間社会の活動に加わっている、現場が映し出されて来てから、「イノベーション」との言葉が告げられて来た。
其の、私が関わっていた様々な活動現場は、私が是まで体験して来た、精神的な家離・たびの行程や、宿泊先の様子、其れに様々な祭りやセミナー等の現場など、様々な映像が映し出されて来て、其れ等の物事は、過去の延長線の物であり、是からの世の中には、不向きな物事であるとの事である。
そして、私の是までの体験や修行と共に、インドなどの修行僧・ヨギの修行も古いと言うか、無駄である理・ことが示されて来た。
其れは、チベットの五体投地や、イスラム教の聖地巡礼なども、過去のモノと成り、新しい天神(てんのはたらき)とは合わないとの事の様である。
今朝告げられて来た、「イノベーション」との言葉を検索すると、次の様に載っている。
・イノベーション(innovation)とは、物事の「新結合」「新機軸」「新しい切り口」「新しい捉え方」「新しい活用法」(を創造する行為)のこと。
一般には新しい技術の発明と誤解されているが、それだけでなく新しいアイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自発的な人・組織・社会の幅広い変革を意味する。つまり、それまでのモノ・仕組みなどに対して全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出して社会的に大きな変化を起こすことを指す。
語源[編集]
英語の「innovation」は動詞「innovate」(革新する・刷新する)に名詞語尾「-ation」が付いたもので、「innovate」はラテン語の動詞「innovare」(リニューアルする)の完了分詞形「innovatus」リニューアルされたもの)から由来している。更に、「innovare」は「in-」(「内部へ」の方向を示す接頭辞)と動詞「novare」(新しくする)に分解される。動詞「novare」は形容詞の「novus」(新しい)から由来している。「innovation」という語自体の用例は1440年から存在する。日本で使われている技術革新という意味では「technical innovation」あるいは「technological innovation」と言う[1]。
定義[編集]
イノベーションは、1911年に、オーストリア出身の経済学者であるヨーゼフ・シュンペーター[2]によって、初めて定義された。
シュンペーターはイノベーションを、経済活動の中で生産手段や資源、労働力などをそれまでとは異なる仕方で新結合することと定義した[3]。そしてイノベーションのタイプとして、新しい財貨すなわち消費者の間でまだ知られていない財貨、あるいは新しい品質の財貨の生産。
・新しい生産方法の導入。・新しい販路の開拓。
・原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得
・新しい組織の実現。 という5つを挙げている。
ウィキペディア辞典 現在記載
これ等の「イノベーション」の意味からすると、今朝、最初に映し出されて来た森の中に立つ新しい大きな建物は、其のイノベーションの基地と言うか、本部と成る建物であり、其れが、都市の中に在る大学や研究所ではない事を見ると、其のイノベーションの基本と言うか中核は、「森・みどり・自然」がテーマと成らなければ成らないと言う事なのであろう。・・
今朝のメッセージは、此処数日間のメッセージの総纏めの様なモノであり、是から私が成すべき事は、以前の文章にも書いて有る様に、世の中にイノベーションを齎す事にあるとのことなのであろう。
其れは、愈々「弥勒菩薩・マイトレーヤ」の働きが、始まるとの事に成るのではないだろうか
そして、其の理由は、此の私が、世界自然遺産に登録される様な屋久島の大自然の中で生まれ育ったからであり、其の私の意識を土台・基礎として、天神(てんのはたらき)が発動すると言う事なのであろう。
其れは、私が、日本語の「霊留・ひと」の働きをすると言う事でもある。・・
今朝は、10時15分に江藤敬介氏から電話が有り、今朝の見たビジョンを知らせて来た。
其れは、六門が開いて、新しい情報が、世の中に発信される内容であったとの事である。
其の江藤敬介氏のビジョンは、私の今朝のメッセージと連動しており、新しい六波羅蜜の世界が開くと言う事ではないだろうか。
「イノベーション2」https://green.ap.teacup.com/20060818/3274.html
今朝の映像に映し出されて来た透明な書類を入れるケース・箱は、24日のメッセージに映し出されて来た透明な三個の空ボックスと関係が有り、古い情報は空間に飛散して行ったが、其れに替わる新しいボックスが用意された事を示して来ており、其のボックスに新しい情報である「イノベーション(新結合・新機軸・新しい切り口・新しい捉え方・新しい活用法)」を収納しなければ成らない理・ことが示されて来ているのであろう。
そして、其の手始めとして、天皇家に傳えられている「御饌殿・みけどの」の機能を「リフレッシュ・復活」させなければ成らないと言う事なのであろう。
其れに、最後に「みそはちまん」との言葉が告げられて来たのが「味噌八万」の文字を当てて良いのであれば、25日の「肉」と「大豆」の料理と関係が有り、「麴(バイオテクノロジー)」の世界が「八万(八万四千・やよろずしせんの略・数が多いの意味)」有り、人間の身体の健康だけではなく、自然環境の保全にも最適である理・ことが示されて来ているのかも知れない。
其れは「宇佐八幡神社」が戦いの神とされている事とは反対であり、人間を健康にし生命・いのちを生かしながら、平和な世の中を作る原点・根本に成ると言う理・ことなのかも知れない。
キー「御饌殿・みけどの」
2004/7/9日本の「天皇家」の存在は、外国の「王家」と違って、祭祈を司るのが本来の役割だから、雅子妃の様に、外交に意識を向けることは、天皇家の本来の役割からは外れている。
天皇家が一番大事とするべき事は、皇御祖(すめみおや)の霊をお祭りする事である。
天皇家が神とするものは、台所の神、食べ物の神である「御饌殿・みけどの」の神であり、その神を祭祈するのが本来の目的である。
天皇とは、「天照皇大神・あまてらすすめおおかみ」佛教での「ブツダ」として、国民を代表し、森羅万象と自分の意識を同調させ、国の平和と安定を願う事に、徹しなければならないのだ。それ以外の件は、余計な事であり、精神を余計な事に使つては、本来の役割を果たす事が出来ない。
何故、台所(御饌殿)が神なのか、其れは人間の肉体は、神霊の受け皿であり、心身を清めてこそ、其の役割を果たす事が、可能と成るからである。
心身を清く保つ為の、一番重要な件は食べ物である。食べた物が血に成り、血が細胞にも脳味噌にも成る。
脳味噌がイメージすることが、言葉(意識)と成り、言葉が神霊とのコミュニケーションや、国民との繋がりをつくり出す。
食べ物が悪く成れば、血は濁り、意識は乱れる。
だから、外宮の「豊受神・とようけのかみ」も、熊野神社の「櫛御氣神」や「ケツミの神」も、皆食べ物の神である。
朝饌・夕饌の食べ物の世界こそ、天皇家が一番重きを置かなければ成らないことなのである。その事を置き去りにしては、天皇家の存在には意味が無く成る。
毎日を、「皇御祖・すめみおや」と供に共食・直合してこそ、天皇家の存在に意味が有り、世界に誇れる伝統ある家柄とされるのだ。
天皇陛下を初め、皇室の面々は、日本伝統の原点に立ち返るべきである。
「本来の天皇家の役割り」https://moon.ap.teacup.com/20061108/504.html
2000/4/15「食」の文字が、文献に現れるのは「食国の祭りごと」と言う言葉だと、本に書かれています。
日本の伝統を、永く伝えている天皇家は、この事を傳(つた)える為の仕組みの一つです。
11月22から、23日に掛けて、夜通しで行なわれる「新嘗祭・にいなめさい」の儀式は、その年に取れた米を、「天皇(儀式つかさ)」が心身を清めて、初めて口にする、セレモニーなのです。
その為に、「御饌殿・みけどの」と呼ぶ台所が、一番大事にされています。
三重県伊勢市には「内宮」があり、「天照大神(天照皇大神)」が祭られていますが、「外宮」には、食物の神である「豊受饌(とようけ)の神」が祭られているのも、食物を一番大事に考えていたからです。
では、どうして、この様な祭り(セレモニー)が大事にされて来たのかと言うと、其れを日本人の生活の指針としていたからです。
現代は、学校へ出かけて勉強するのは当たり前ですが、明治時代までは学問をするには寺に入るか、武士の子か、お金のある家の子供達でしかありませんでした。
また古い文化は、天皇家と貴族を中心とした体制の中で、発展してきたのです。一方、民衆側は、収穫のお祭りや、豊作祈願としての祭り、お正月のセレモニーなどで、守るべき事柄を、供養物や、飾り、祝詞の言葉や、踊りの所作として、伝え続けてきたのです。
其れが、昔の学習や教育の形態でした。
現代の様な、知識の詰め込みではなく、体験学習の積み重ねだったのです。現代の世の中の、トレンド・風潮があまりにも変しいのは、護り傳えるべき大事な「カタチ」が、失われたからです。
人間の脳の仕組みは、物の世界で五感を育て、親や社会から生き方を学習して、その積み重ねによって、成長するように出来ています。
人間社会は、子供、親、祖父母と、三世代が連綿として、社会秩序を保ち続けてきました。今こそ、其の大事さに気付いて、今一度、日本の文化を、再構築する必要があります。
お金や、物は、有り余っている世の中です。
求められているのは、精神的な安らぎと、変わる事の無い人生の指針です。
其れが、日本には、世界に誇れる文化として、連綿と続いています。
其れこそが、日本の、金には代ええられない財産なのです。
この理を大事にしなくては、日本は、世界に対して何を言えるでしょうか。
今こそ、国民が−致団結して、この事に取り組まなくてはなりません。
「食国の祭りごと」https://moon.ap.teacup.com/20061108/34.html
2000/2/23・・だから、其の神は、元々の奈良の神ではないのである。
元々の大和・奈良の神は、「日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)」「大物主(おおものぬし)」で、「饒速日命・にぎはやひのみこと」に関係が有り、石上神宮に其の伝統が伝えられている。
其の、石上神宮で一番大事な儀式が、饒速日命の命日の11月22日?に行われる「禊ぎ祓い」の儀式であり、22日から23日に掛けて、夜通しで行われる「新嘗祭・にいなめさい」である。
其れは、持統天皇の時代から、天皇家の儀式として取り入れられ、現在でも宮中行事として行われているのである。
そして、其の新嘗祭は、天皇が代替りの時には「大嘗祭・おおなめのまつり・だいじょうさい」として、即位の儀式に取り入れられているのである。
其の新嘗祭の儀式は、昼間ではなく、夜の間に行われ、先祖の霊魂である「御祖神・みおやかみ」を呼び寄せるモノであるから、太陽の儀式と言うものではなく、霊界の儀式であり「月読界」に関係が有ると、考えた方が良いのではないだろうか。
其の様に考えると、大物主神や、日本大国魂大神は「月読命・ホルス(左目)」の方であると、考えた方が良い事に成るのではないだろうか。
其れに、三輪山の神である「大物主」「大己貴・おおなむち」は、夜中に宮に降りて来る蛇だから、太陽神ではなく「大山祇神」系であると言う事に成るだろう。其の様に考えると、是までの事が全て繋がり、私にも理解が出来てくる。
「新嘗祭」とは、稲を神の体(御霊・みたま)として、其の年・歳のイナ(米)をナメル儀式である。「イナビカリ・稲光」のイナが穂に成って、其れを「食べる(なめる・嘗める)」事が、「ミケ・御氣」を戴くとの事なのである。
天皇の、食べ物である「みけ」を準備する所を、「御饌殿・みけどの」と呼ぶが、「みけ・御氣」とは「霊氣・みけ」の意味でもあり、「氣・ケ」は「もののケ」のケの意味でもあるから、目に見えない力の事にも成る。
古代の人々には、「稲・イナ」に、雷の電気(水)や、太陽の力が籠っていると考えられていたのである。
新嘗祭の儀式が、執り行われる事に成った分けは、其の年に収穫した、新しい米の「稲魂・いなたま」を受ける事で、来る年の安定を願ったのであろう。
「秋」の漢字の元字は、「穐」と同じく「禾+火+亀」の組み合せで、稲の収穫を終えたら、火を焚いて、其の火で、亀の甲羅を焼いて、来年の吉凶を占う事を意味している。
其の儀式が行われた事から、「秋・穐」は、「トキ・時」と読む様に成ったのである。
「大嘗祭」は、新しい「天皇・すめらのみこと」の、即位の儀式が行なわれる事であるが、其の儀式には「悠紀殿・ゆきでん」と「主基殿・すきでん」の二つの建物が準備される。・・
此の日本は、「豊葦原の瑞穂の国」と呼び、葦の生える水辺で、稲を栽培する民族が、安定した生活が出来、子孫に恵まれ、部落の数を増やして、日本の文化の基を築いて来たのである。
其の文化の継続に、天皇家が、中心的役割を果たして来たのである。
其の伝統保存の為に、新嘗祭や大嘗祭は、欠かせない儀式だったのである。
其の事を考えると、人間の暮らしにとって、大事な儀式は、是からも継続して行かなければ成らないのである。
「大嘗祭・だいじょうさい」https://moon.ap.teacup.com/20061108/419.html
2018/1/13次に「食と性は純粋な本能」との言葉が示されて来て、「ミスターバックアップ」との言葉が告げられて来た。
今朝は先ず「バックアップ」の言葉を検索すると、次の様に載っている。
バックアップ【backup】[名](スル)
1 野球などで、ある選手の失策に備えて、他の選手がその後方を守ること。
2 後ろだてとなること。援助してもりたてること。「立候補者をバックアップする」
3 コンピューターで扱うデータやプログラムの破壊・紛失・盗難に備え、あらかじめ複製をとっておくこと。複製そのものをバックアップと呼ぶこともある。
デジタル大辞泉(小学館)
此の、バックアップの言葉の意味から私に考えられる事は、「ミスターバックアップ」との言葉は日本語の「しんがり・殿」の存在を示唆しており、私が人類の殿(しんがり)を努める事と合わせて、生命情報をバックアップしている事が示されて来ている様である。
そして、最初に告げられて来た「内(なか)の胃」が最大のテーマであると言うのは、地球生物が、38年前に酸を利用して有機物(タンパク質・遺伝子)の合成を始めた微生物(バクテリア)の事に関係が有り、其の細胞が進化した姿が動物の胃の仕組みであり、其の理に気付いた中国の男性が「胃」との漢字を創ったのであろう。
其れは、文字を持たなかった日本人が「虫の知らせ」との言葉で、表現している世界なのである。そして、其の世界に気付いた釈迦仏陀が「精進」との言葉を謂ったのであろう。
「謂・イ」【解字】形声。「言+胃」音符の胃は、囲に通じ、かこむの意味。ある概念をはっきりかこみ区別して言うの意味を表す・
【字義】@いう(言)。㋐のべる(述)。かたる(語)。つげる(告)。㋑批評する。㋒となえる。名づける。Aいい。㋐名称。呼び名。㋑いわれ。理由。わけ。㋒趣旨。Bおもう(思)。Cつとめる(勤)。D所謂(いわゆる)は、世間で言うところの。一般に言っている。E謂何(いかん)は、いかが。いかに。 漢語林より
今朝告げられて来た「ミスター・バックアップ」との言葉が、私自身に対するモノであるのなら、私は其の言葉を真剣に考えると言うか重要視しなければ成らないのであろう。
私は、「土肥無庵」に1983年3月18日(36歳時)に捜し出されて、翌年の3月5日から「マクロビオティック・Macrobiotic」の生活に入り、三ヵ月後の6月4日に禊ぎ祓いを行なって4311体の聖霊に満たされ、それから屋久島の荒野を五ヶ月間昼夜の区別無く、彷徨い歩いた。
そして、様々の植物を齧り、海の貝などを採って食べて過ごした。
其の間に、様々な奇跡現象や体験を得て、自然の神秘や生命の本質に付いて、深い真理を悟ったのである。
そして、33年7ヶ月の年月を経て、昨日迄で此の世界の認知作業が一段落した様であり、私は気持ちと言うか、自分の意識を再構築しなければ成らないと言う事であり、其の事に「ミスターバックアップ」との言葉が関係有るのであろう。
驚いた事に「殿・しんがり」で検索すると、次の文章が最初に出て来て「恵比寿・事代主命」の事が書いて有り、10日の「動き出した八重言代主神」のメッセージと繋がっている。・・
だが、今朝のメッセージで「食と性は純粋な本能」との言葉が告げられて来たのは、男女(雌雄)の結びが生命の基本であり、其の生命を支える為に食べ物が必要不可欠で有るので、其の事も含めて「体内の胃袋」をしっかりと管理しろとの理・ことなのであろう。
今朝告げられて来た「ミスターバックアップ」との言葉が、「殿・しんがり」との言葉と同じ意味なのであれば、私は老子の謂う「我に三宝有り」との言葉を、しっかりと胸に収めていなければ成らないと言う事に成る。
「ミスターバックアップ」https://wave.ap.teacup.com/20060106/803.html
2002/10/30「紫雲 勲賞」https://wave.ap.teacup.com/20060106/100.html
2004/11/13「漢字の始まり」https://wave.ap.teacup.com/20060106/446.html
2004/12/28「一番古い身体の細胞」https://moon.ap.teacup.com/20061108/428.html
2008/8/10「交因」https://moon.ap.teacup.com/20060403/739.html
2008/8/11「満法」https://wave.ap.teacup.com/20060106/331.html
2008/8/20「総合プランナー」https://moon.ap.teacup.com/20060615/147.html
2008/11/4「食国の政の長」https://green.ap.teacup.com/20060818/939.html
2008/11/25「三宝荒神様の日」https://green.ap.teacup.com/20060818/962.html
2008/12/25「唯一の真理の道」https://moon.ap.teacup.com/20060507/37.html
2009/4/9「あけわたし」https://green.ap.teacup.com/20060818/1103.html
2009/4/25「道場 2」https://green.ap.teacup.com/20060818/1119.html
2009/5/26「くしみけぬのみこと」https://green.ap.teacup.com/20060818/1155.html
2009/6/6「国の政(おすくにのまつりごと)」https://green.ap.teacup.com/20080921/9.html
2009/8/17「食養道」https://green.ap.teacup.com/20060818/1243.html
2013/8/1「リバー・ファイナル」https://green.ap.teacup.com/20060818/2765.html
2016/1/19「まな板と折れた刀」https://green.ap.teacup.com/20060818/3731.html
2016/10/11「神の光の柱」 https://wave.ap.teacup.com/20060106/698.html
2016/10/16「伊勢神宮 神嘗祭の日」https://green.ap.teacup.com/20060818/4021.html
2018/1/8「くしみけぬのみこと」https://green.ap.teacup.com/20060818/4490.html
2018/2/6「剛の者」https://green.ap.teacup.com/20060818/4519.html
今朝のメッセージの映像で、私の自宅の台所が社の様に改築されている場面が映し出されて来て、様々な神(はたらき)の名前が示されて来たのは、神(はたらき)に新しき名前を与えなければ成らない理・ことが示されて来ており、神(はたらき)の名前とは人間側が名付け親と成らなければ成らないとの事ではないだろうか。
何故なら、宇宙は無であるので、此の三次元世界に存在する人間が、其の時代の事象に合った名前を名付ける事で、其の神(はたらき)が生じるとの理・ことであり、其の名付け親である人間が、時代に合わない名前を何時までも唱えて居れば、宇宙と謂うか、此の世界は、進化をする事が出来ないと謂う理・ことが、示されて来ているのであろう。
其れを考えると、竈(かまど)を使わない現代社会であるので「竈の神(はたらき)」の名前もリフレッシュしなければ成らないと言う事になる。
キー「宮中八神」
2006/12/4本日は、私が1984年6月4日(旧暦5月5日)に、此の神の世界に入って、地球の管理を任され、「16年半掛かる」神に告げられた約束の日から、丸22年半と成る日である。
其れで、私の旅と言うか役割は、16年半で終るのかと思って居たのだが、其の期日の2000年12月4日には、日本一周の旅が終っただけで、私の神への奉仕は終らずに、現在まで続いて来た。
そして、今朝は、終わる処か、是からが、始まりである事が告げられて来た。
初めに告げられた、「16年半」は2666年前に、「神武天皇」が南九州を出発して、奈良で政治を始めるまでに掛った年月と同じである。
其の16年半の年数は、旅の途中で、本屋に足が向いて歩いて行き、棚から神に手に取らされた、本のページを開いた所に、其の年月の事が記されていて、判明した事である。
其の16年半の旅が終ってから、12月6日から「森の木」のHPを立ち上げて、毎日のメッセージを書き留める事が始まった。
其れは、新しい形の「まつり事をしろしめす」行為であろう。
だから、特別に、宮内庁や政府に席を置いて居なくても、其の行為は果たされているのである。
本来なら、此の作業は「宮内庁」と「天皇家」が、務めなければ成らない仕事なのである。其れが、果たされていないので、私の霊系「磯のかみ物部」に横枝を出して、芽吹いて来たのである。
今朝のメッセージは、初めに「宮中八神」と言葉が来た。
私は、其れに付いては何も知らない。
だから、今朝PCで検索して見たら、次のように載っている。
是で見ると、どうやら「天皇陛下」が「スメラノミコト」として機能を果たす為に、必要とされているのが此の八神で、其の働きが、八通り必要とされる事から始まった物の様である。
おそらくは、其の原形は、奈良の「石上神宮」の物部家に伝えられている、「とくさのかんだから・十種神宝」の秘儀が、元に成っているのではないだろうか。
私は、昨日の、周りの状況から徳島県穴吹町に有る古代斎祈遺跡「五社三門」をブログにアップしたが、其の作業の中で、其の「五社三門」が、私の旅の最後の参拝の場であり、其の日付も、丁度私が入神して丸18年目の6月4日である事が分かった。・・・
「宮中八神」https://green.ap.teacup.com/20060818/113.html
2010/1/3本日1月3日は、私の長女の35歳の誕生日であるが、神社では「元始祭・げんしさい」が行われる日である。
・「元始祭(げんしさい)」は、戦前の祝祭日の中の大祭日の一つ。現在では新暦1月3日、天皇が宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)においてみずから主宰する「親祭」であり、皇位の元始を祝ぐ儀式である。
元始祭は、明治3年(1870年)1月3日 (旧暦)、神祇官八神殿に八神・天神地祇・歴代の皇霊を鎮祭したのに始まる。明治6年(1873年)1月3日から現在の三殿親祭の形式となった。明治41年(1908年)制定の「皇室祭祀令」(皇室令)において大祭に加えられ、昭和2年(1927年)に祝祭日となった。戦後は国民の祝日からは外されたが、宮中では現在でも従来通りの元始祭が行われている。
ウィキペディア辞典
是に拠ると、今日は、天皇家では「宮中八神」を祭る儀式が行われるらしい。
「宮中八神」の言葉は、秩父に在る「今宮神社」の塩谷治子宮司さんに聞いて知って居たが、是まで詳しく調べた事が無かった。
*「宮中八神」八神殿(はっしんでん)は、日本の律令制の下で神祇官西院に設けられた、天皇を守護する八神を祀る神殿である。
八神殿に祀られる神は以下の神である。『延喜式』と『古語拾遺』で表記が異なるが、同じ神である。
第一殿 神産日神 神皇産霊神 かみむすびのかみ
第二殿 高御産日神 高皇産霊神 たかみむすびのかみ
第三殿 玉積産日神 魂留産霊 たまつめむすび
第四殿 生産日神 生産霊 いくむすび
第五殿 足産日神 足産霊 たるむすび
第六殿 大宮売神 大宮売神 おおみやのめのかみ
第七殿 御食津神 御膳神 みけつかみ
第八殿 事代主神 事代主神 ことしろぬしのかみ
天皇を守護することで、ひいては国家も守護するとされる。そのためか、民間でもこの八神を祀ることがあった。鎮魂祭では、この八神に大直日神を加えた九神を祀る。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%A5%9E%E6%AE%BF
是を見ると、昨日のメッセージに有った「食べ物の神」は、「第七殿 御食津神 御膳神 みけつかみ」と成っており、「事代主神 ・ことしろぬしのかみ」よりは一段上に成っている。
其れに、「大宮売神 おおみやのめのかみ」が第六殿と成っているが、大宮売神がもともとは「宇迦之御魂神(稲荷神)」を祀る巫女だったとの事なので、普通の人間の巫女なのに「御食津神」より上に成っているのは、変しな事である。
其の「宇迦之御魂神」は、「御食津神」の別名であり、出雲の熊野大社の祭神である「素戔鳴尊・すさのおのみこと」と「神大市比売(かむおおいちひめ)(大山祇神の娘)」との間に生まれた子供である。
だから、第六殿と第七殿の神名の表記は、上下が逆に成っている事に成る。・・
何故、其れが、今日でなければ成らないのか。
其れは、今日が1月3日で、天皇家の「元始祭」であるからではないのだろうか。
「元始祭」とは、天皇が宮中三殿(賢所・皇霊殿・神殿)において自から主宰する「親祭」であり、皇位の元始を祝ぐ儀式である。との事である。
其の天皇家の「親祭」の「親」とは誰の事であるのか。
天皇家の始まりは神武天皇であり、其の先祖は「天津日高彦火瓊々杵尊・ににぎのみこと」である。其の「瓊々杵尊」は、大陸から鹿児島の笠沙の浜に上陸して来た、渡来人である。
其の先祖は、おそらくエジプトから脱出して、シルクロードを経由し、日本列島に、神社の「鳥居門」や、「ライオン・高麗獅子」の文化と「天照神・イシス女神」と「エビス(イビス・Ebisu)神」の名前を持って来た、民族と同族であろう。
其の先祖が「アブラハム」であれば、天皇家の「親神」とは「アブラハム」か「モーゼ」であり、「マンママリア」の先祖であると言う事に成る。
其の様に考えると、今朝、私の左肩の後ろに立って居た「マンママリア・飯マリア・飯屋の女将・メシヤの御上」は、イエスキリストの母親であり、天皇家の親神と、同じ血筋を引く者であると言う事に成る。
其の様に考えると、天皇陛下が、孫娘が「基督教大学」に入学する事を、お許しに成る事の意味も、理解されてくると言うものである。
今朝のメッセージの映像は、思い掛けない物であったが、こうして書いてしまえば、何時もの事で、大そうな事ではない。
何故なら、単なるビジョンであって、文章にしてしまえば、只の夢に過ぎないからである。
しかし、夢を見て居る時は、こうしてPCに向かって居る時より、現実感を伴っていた。其れは、旧約聖書が、夢見の予言書である事と同じ世界である。
其れが、現実と成るかどうかは、其れを、現実として受け取る人達が、何人居るかで、決まるのである。
判っている事は、其れを、真実として受け取る人間が現れなければ、現在の、神の存在を忘れた貨幣経済は、神の意志に拠って、滅ぼされてしまうと言う事である。
私は、其れに付いては、26年前に止めているので、何等関係は無いのである。寧ろ、地球環境全体の事を考えれば、現在の物質主義の世界経済は、一度崩壊した方が、他の生物の為には良いのではないだろうか。
ま、折角イエスキリストの仲間が揃ったのだから、学会活動に明け暮れて婚期の遅れている娘の為にも、何とか、神の計画が上手く行く様に、協力するしかないであろう。
其の為には、「マンママリア」や「イエスキスト」と一緒に、食事が出来る「飯屋・メシヤ」を、用意して遣らなければ成らないのである。
何故なら、イエスキリストのお勧めは、「一緒に 食事をしなさい」であるからである。・・・
「一緒に食事をしなさい」https://green.ap.teacup.com/20060818/1392.html
今朝のメッセージの内容から、私に考えられる事は、神霊が自由に降臨できる「御饌殿・みけどの」を整備して、神々と共に、未来創造の為のイノベーションを準備しなければ成らない時節・段階が来たとの事であり、其の事は私自身が、其の様な段取りをしなければ成らないと言う事なのであろう。
平成30年12月28日
礒邉自適
2018/12/27
リフレッシュ
30・12・27
今朝は一眠りすると、意識が目覚めたので照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時44分・4時16分前」であった。
其れから朝、電話が鳴ったので出て見ると7時11分で有り、其の人物の話を聴いて居る間に、今朝のメッセージは全て消去されてしまった。
其れから、何か思い出そうと意い床に就くと「貴方に何もさせない為」との言葉が告げられて来たので、今朝電話が掛かって起きた現象の意味が理解された。
すると、「リフレッシュ」との言葉が告げられて来たので、今朝の出来事は、昨日のメッセージで示されて来た「ファイナル」との言葉の続きである事が、理解されて来た。
今朝は先ず、起された時刻「4時16分前」と、電話で起された「7時11分」から、今年の4月16日と7月11日の文章を見てみると、次の様に書いて有る。
2018/4/16今朝のメッセージの映像は、私が、姿の見えない男性と二人で、とても明るい日中に、コスタリカの石球の様な物を探している場面が、映し出されて来た。
其れは、其の石球が、何故作られたのかの原因を探る行為であり、森林の中だけではなく、河川や濁った泉沼、其れに波が打ち寄せる海岸地域まで、広範囲に亘るモノであった。
そして、大小に関わらず、一個も探し出せない儘その場面は終わった。
次の映像は、何処かの研修場の様な建物施設の存在が映し出されて来て、私も皆と一緒に其の教室の中で授業を受けていた。
だが、其の授業内容が明らかに成らない儘、研修期間が終了してしまった。
そして、私は一枚の紙に、感想文の様な物を書いて居ると、他の人は全て教室から去っており、私が其の文章を書き終えない間に、其の研究所の責任者である痩せ型で背の高い年配女性が遣って来て、施設の戸締りを始めるから早く退出する様に謂うので、私は荷物を纏めて其の施設から出る事にした。
次の映像は、ロシアのクレムリン(城の意味)の建物の様に、河川の向こう岸に、緑色の屋根や壁をした建物が並んでいる町の景色が映し出されて来て、今朝のメッセージの映像は終わった。
今朝は、映像の意味が判らない儘、自分は無宗教であり、仏像だけではなく、石球を御神体として祭祈したりする事が一切何も無い儘、神の世界に入ると謂うか、宇宙の神秘に覚醒する事に成ったので、今朝のメッセージはソ連の様に、「神仏の存在を重要とする考えが 無い方が良いのだろうか」と考えて居た。
そして、摂り合えずPCを立ち上げて「丸い石の球」と題を打つと、「お願い」との言葉が告げられて来たので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「お願い
お願いだから あたしの存在を明らかにして。
そうでなければ 貴方自身の価値も 薄らいでしまい
真実の未来性も薄らいでしまいます。
其れに 貴方が此処まで 培って来た物語りや
積み上げて来た情報も 役に立たなく成ってしまいますよ。
何かを無くす事は 其の事だけでは済まず
全体の崩壊に 繋がるのです。
だから 貴方が過去の消去にしたがい
未来への想いを 抱かなく成れば
人類の未来が 創造できなく成ってしまいます。
其処の所を能く考えて 思考を拡げなさいね。
そうしなければ 是までの全ての事が
霧散してしまい 再び無明の闇が訪れますよ。
貴方が より良き未来を 夢見なければ
人類の進歩が 止まってしまいます。
其れは 貴方を支えている 全ての御魂の希望も
失われてしまうと 言う事に成るのです。
良いですか 人間・ひとの存在と 役割に付いて
貴方は 深く洞察する必要があるのですよ。
其処から 新しい貴方の意識が 開花するでしょう。 」
此の女神の言葉で、今朝のメッセージは「石球」が不必要なのではなく、人間の意識は何らかの物を、「意識・こころ」の対象にしなければ、精神が不安定に成ると謂うか、成長できないと謂う理・ことが理解されて来た。・・
是等の文章の内容から考えると、やはり日本語の「たましい」との言葉が持つ意味が、とても重要であると言う事に成って来る。
「たましい」には、漢字の「魂・コン」が当てられているが、私は其の漢字が好きではないので「魂しい」として使用している。
其れは、「楽しい・嬉しい・悲しい・頼もしい」と、精神の関わる言葉には漢字一字の「楽(ラク)・嬉(キ)・悲(ヒ)」に「しい」が付いているからである。
しい( 接尾 )〔形容詞型活用[文] シク し〕
名詞や動詞の未然形、畳語などに付いて、形容詞をつくる。そういうさまである、そう感じられる、という意を表す。 「おとな−・い」 「喜ば−・い」 「毒々−・い」「にくにく−・い」 大辞林 第三版の解説より
「魂・コン」【解字】形声。「云+鬼」「鬼」は、死者のたましいの意味。音符の「云・ウン・コン」はめぐるの意味。休まずにめぐるたましいの意味を表す。
【字義】@たましい。たま。㋐人の精神をつかさどるもの。肉体をつかさどる「魄・はく」に対していう。生きている時は、この二つが宿っているが、死ねば離れるという。㋑霊魂。⇔肉体。Aこころ。思い。 漢語林より
此の説明に、「@たましい。たま。」と有るので、「魂しい」と使用しても間違いではないだろうし、其の日本語の「たま」は「球」の事であるので、人間の「たましい」は「たま・球」である理は、古代から日本人が認識できていた概念・世界である事は間違い無い。其れに、昔から、人間が死んだ時に夜間に飛ぶ光の球を「ひとだま・人魂」とも言い表して来ている。
其れに、今朝のメッセージの映像で、何故「コスタリカの石球」の様な物を、姿の見えない男性の意識体と一緒に、探し回って居たのかが能く分からない。
能くは分からないが、コスタリカの住民が、長い時間を掛けて手仕事で丸い石球を作り上げる事の目的は、随分と重要な意味・考え・思いが有った事は間違い無い。
今朝のメッセージは、昨日の「神が望む物」との言葉と関係が有り、其れが我々人間の意識を構成する中心的「核・球」が、何であるかが示されて来ており、其れが、崩壊した「ソビエト連邦(死んだら終わりの共産主義)」には、無かったと言う事なのかも知れない。
「丸い石の球」https://green.ap.teacup.com/20060818/4589.html
2018/7/11今朝のメッセージの映像には、車の組み立てや整備を行う会社を経営しながら一人で稲作を行っている、60歳位の健康でとても優秀な男性の存在が映し出されて来て、私は其の男性と水田の畦道で立ち話しをして居た。
其の男性は、「現在の世の中は 資源の浪費を抑える為に 法令で車の基本的な構造が統一されているので、各社の部品を寄せ集めて、様々な車を造り上げる事が可能なので、とても楽しく仕事が出来る」と謂って居た。
私は、其の男性が車の会社経営だけではなく、稲作も行って居り、世の中(人間社会)の実体・実情にも、とても造詣が深い事が判ったので、尊敬の念を覚えて居た。
其れに、其の男性が「現在の車の主流は水自動車である」との事を謂うので、私は未来社会に居るのだと思った。
そうして居ると、奥さんがお茶を準備して遣って来たので、挨拶をしてから自分の事を紹介し始めた。
そして、自分は毎日夢を見て文章を書いて居る事を説明し、其の為には、飲食物にとても注意を図らなければ成らない理・ことを説明して居た。
其れから、地面に生えているオオバコの葉を摘んで、「例えば此のオオバコの葉を食べれば・・・云々」と話を始めると、他の農家の男性が水田の作業に遣って来て、私が止めている車が邪魔に成って通れないらしく、警笛を鳴らしたので、私は急いで其の場から立ち去る事にした。
其処で男性の声で、「変化に備えよ」との言葉と「ハザードマップ」との言葉が告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時23分」であった。
其れから、再び眠ると、今度は様々な薬草木の苗が植えられている、広い農地の存在が映し出されて来て、私が何が植えられているのかと意って、観察をして居ると、作業小屋の中から一人の男性が出て来た。
其の男性の顔を見ると、其の人は知り合いの「川東信樹」氏に似た人物であった。
次の映像には、30歳位の男性が登場して、「二年間 天草の天然塩造りの工場に修行に行って帰って来た」と謂うので、私は、其れはとても良い事だと思って、其の男性に期待をしていた。
次の映像は、私が自分で何かを始めなければ成らないと意ったのか、見捨てられている農家の施設を再開する為に、壊れている竹製の生垣やパイプ等の解体をして、敷地の中で焼却処分の作業を始め、火が勢い良く燃え始めたところで、次に燃やす竹を運びに行って居る間に、焚き火が隣の藪に燃え移っているので、早く水を掛けて消火しなければ成らないと意い、急いで水を探すところで目が覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「4時59分・5時1分前」であった。・・
此の「偶然という意味あいもある」との説明からすると、今朝告げられて来た「変化に備えよ」と「ハザードマップ」との言葉は、単なる「危険」な出来事の意味だけではなく、寧ろ、自分が考えていない・予測しえない出来事が、偶然の出来事の様に今後多発するので、其れ等の出来事・変化に備えよと謂う事であり、聖書の言葉にも関係が有るのかも知れない。
其れは、自分自身は危険な事・危ない世界には、決して関わらないと決めていても、偶然の事の様に、様々な出来事が、自分の身に降り懸かって来ると謂う事なのではないだろうか。
其の様に考えると、其れを告げて来たのが、男性の声であったのは、「イエスキリスト」と関係が有るのかも知れない。
キー「盗人のように」
24:32 いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。
24:33 そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。
24:34 まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代は過ぎ去りません。
24:35 この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
24:36 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。
24:37 人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。
24:38 洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。
24:39 そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。
24:40 そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
24:41 ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
24:42 だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。
24:43 しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。
24:44 だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。 マタイの福音書 24章42-44節
此の聖書の言葉からすると、7月8日に「文章を止めるのは誰だ」と告げて来た男性の声は、キリストの関係が有り、「言葉・ロゴス・予言」の世界が、復活して来たと謂う事なのかも知れない。
其れは、天神(てんのはたらき)からの指示が下ると謂う事であり、現実として「その日・その時」が始まると謂う事である。
だが、今朝のメッセージの映像には、「未来の車を組み立て、稲作をする夫婦」「薬となる草木の苗を育てて居る男性」「天然の塩を作る男性」が登場しているので、未来社会が存在する事が示されて来ており、神の意思に適った人々は、未来世界に進む事が決定(保障)されている事に成る。
だが、私が自分で過去の残骸を整理して焼却処分を行って居ると、隣の藪・敷地に燃え広がってしまった場面は、今朝女神が『あなたは 何もしてはいけないのよ。其れは 此方の役割ですので 現場の事に付いては 何も考えないでね。』と告げて来た事と関係が有り、私自身は直接現場に関わっては成らないと謂う事なのであろう。
今朝の映像で、車の組み立て・製造を行っている男性が、一人で稲作を行って居た場面は日本の呼称が「豊葦原瑞穂の国」である理・ことを示唆しており、日本の伝統文化を絶やしては成らない理・ことが、示されて来ているのであろう。
そして、私が其の男性の奥さんに「夢見」の世界と、「食べ物・薬草」の事を話して居たのは、日本の「食国政り事・おすくにのまつりごと」や「天御臥間・ あめのおふすま」の世界を示唆しているのであろう。
其れに「川東信樹」との名前の男性が、薬と成る草木の苗を澤山植えて育てて居たのは、「東の川の樹を信じる」との意味合いが有るので、日本の神道の世界である「御神木・神籬(ひもろぎ)」の価値観や、「祇園様・神農神・須佐之男尊」や「少彦名神」の存在、其れに水と智慧の世界を司る「青龍(せいりゅう)」などに関係が有るのではないだろうか。
其れに、30歳位の男性が「天草の天然塩作りの修行に 二年間行って帰って来た」との場面は、人間(動物)にとってミネラルが最も重要である理・ことを示唆しており、人体の事に付いて、科学的に深く探求しなければ成らない理・ことが示されて来ているのであろう。・・
此の二つの文章には、未来を開く為には「マントラ・真言」と、新しい価値観や「年号・暦・カレンダー」が必要である事が書いて有る。
其れを考えると、まだまだ私は文章を書かさせられる事は、止みそうにない。
「変化に備えよ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4677.html
其れに「リフレッシュ」との言葉は、次の様に載っている。
リフレッシュ【refresh】の意味
[名](スル)元気を回復すること。また、生き生きとよみがえらせること。「スポーツでリフレッシュする」「からだをリフレッシュする」「リフレッシュ休暇」
デジタル大辞泉
此のリフレッシュの意味からすると、神の世界を「回復する・蘇えさせる」事を、是から行わなければ成らないと言う事に成りそうである。
其の為には、現在世界中に存在する宗教の殆どが、自分のエゴ(利己主義)を満足させる為の手段に「神・佛」の名前が利用されているので、其の事・現状を根本の所から立替なければ成らないと言う事なのであろう。
私は1983年3月18日に「土肥無庵」に捜し出され、84年3月5日から土肥無庵の下で「マクロビオティック・Macrobiotic・正食」の生活を開始し、丁度三ヶ月と成る「6月4日」に自ら安房川で禊ぎ祓いを行い、4311体の聖霊に満たされ、其の聖霊の導きに拠って、此処まで34年6ヶ月を過ごして来た。
其の間、神社や寺院に参拝・参詣して来たが、其れは、神佛に私が頼み事をする為ではなく、神佛の頼み事を私の方が聞く・問う為であった。
今朝の「リフレッシュ」との言葉は、其れ等の事も含めて、全ての事を新しくしなければ成らないとの理・ことが示されて来ているのであろう。
『そうではなく 何も形状が必要では無いと言う事です。
何も形状が無いからこそ 貴方は此処まで 辿り着いたのですよ。
ですから 是からも同じ様に 神佛の世界に踏み込む為には
何も形状が必要無い理・ことを 示して行かなければ成らないのです。
其れが 一番正しい道なのですから 貴方が 其処を外れては
全ての事が 水の泡と成ってしまいますよ。
貴方は34年掛かって 漸く無庵師匠の言葉に
答えを出す時節を 迎えたのです。』9時27分
2007/5/22・・無庵師匠が、私に書いて下さったメモ書きが二枚だけ有る。
ナニモナサザルナ ソノママデヨイ
自然無為
達人が平凡に生くることこそ
本科・かんよう・必要 なり
こそ道 無庵記
其れと 後日 私の動きが止まらないので 次のメモ書きを渡された。
すべての書物 及び記された物は
ちょうど 画家が自分の感動したものを 絵に表すに似たり
表わされた時より 自然より離反し ただの骸骨に化す
万物 流転して 其の止まるを 知らず
あえて 止めざるは これ 考えの始めなり
無庵記
昭和六十(1985)年四月吉日
「神惟道・かんながらのみち」http://green.ap.teacup.com/20060818/296.html
2013/12/28本日は、「御用納め」の日で、正月行事に関係の無い職種は、昨日で通常業務を閉じて、仕事仕舞いをし、年越しの準備をする日である。
今朝のメッセージの映像は、昨日のメッセージが「故郷・くに」のテーマであり、私の意識の成り立ちや、脳の記憶の基盤の様なモノ・世界が、映し出されて来たが、今朝のメッセージの映像は、其れとは全く逆の世界に、私の意識が在った。
其れは、私の思考ではなく、私を捜し出して、此の世界に入れた「無庵師匠」の意識の世界であった。
無庵師匠は、東京の或る大学の助教授を二年間務めていたが、二年間の間に、自分の教えたい事を理解できる学生が、一人も居ない事に落胆し、教師を止めて、骨董の世界に入って、様々な人々の人生相談を受けながら、財を築いた人物である。
其の無庵師匠は、イギリスで行われた競売で購入した、「魯山人」の急須400万円と湯呑み200万円の茶道具で、毎日お茶を飲んでおり、私に「自適さん 是が 高いか 安いか どう想う」と問うた。
私は、其の無庵師匠の問いに対して、「お茶を飲むのに 其の様な お金を掛ける必要は ないのではないか」という様な、意味の応えをした。
すると、無庵師匠は「自適さん ご飯茶碗は 日に二〜三度しか使用しないが 湯呑み茶碗は 毎日 其の倍以上は使用するので 一生を通じて 計算すれば 一回に何円にしか つかない」「其れに 大事に扱うので 日々の作法が身に着くのだ」と謂った。
無庵師匠は、其の茶道具を、毎日、自分の手で棚から出して、使ったら自分の手で、収納していた。其れは、自分の修行でもあるが、奥さんや子供に其れをさして、若し落として割ったりすれば、他人に、責任転換をしてしまうからでもあった。
そして、私を東京に連れて行って、「ホテルオークラ」に泊めたり、赤坂の「辻留」に食事に行ったりした。其れは、私に場慣れをさせる為であった。
其れに、身支度として、絹地の100万円のスーツを誂え、オーストリアの貴族の人達が履く靴のメーカー「ゲオルク・マテルナー」の、35万円する靴を誂えて履かせ、時計はローレックスで、財布には100万円の現金を入れて、黒い旅行バックを手にする姿である。
私は、最初に旅に出た時は、其の様な身支度であったのだが、なかなか自分の意う様な人物には出会えないし、自然の中に有る温泉にも安心して入浴できないので、其の恰好での旅は止めた。
そして、三菱パジェロに布団と炊事道具を積み込んで、作務衣と下駄と、郵便局のカードに切り替えての旅を、続けたのである。
其れで、日本一周の旅を終えた日に、宿泊した料理旅館の御主人の案内で、禅宗の龍献寺を訪問し、住職である「安井桂造禅師」と出会い、新しい「人脈」と「世界」に入る事に成ったのである。
今朝のメッセージの映像は、私の姿は見えないのだが、私の意識が東京の銀座の繁華街に在って、彼方此方を調査していた。其れは、全て一流の施設や場であった。
其れ等は、様々な印鑑が展示されている間口の広い施設、良い物品が並べられている店舗、優秀な若者が集まってダンスの練習をしている教室や、発表会が行われている劇場。
其れに、レベルの高い食事の出来る、レストランの奥に有る特別な部屋にて、其の座席数の確認と、集める人材の選出などを、検討している場面なのである。
そして、私が真っ先に会うべき人物として、青い作務衣の様な服を着ている、60歳位の男性の姿が映し出されて来た。其の男性は、理知的でしっかりした顔をした、体格の良い哲学者の様な感じであった。
私は、其の男性に連絡を執る為に、事務所の人間に、住所と名前と電話番号を調べる様に、連絡を入れていた。
そして、其の男性が生活している家屋の名前が「風我堂」の様な名前であり、「寺」ではなく「堂」の感じである事を知っていた。
今朝のメッセージの映像場面は、私が37歳まで暮らした、屋久島の生活とは逆の世界であり、2001年11月7日に此の世を去った、無庵師匠の意識の世界であり、日本で最大の都市である東京銀座の文化の場面である。
何故、今朝のメッセージの映像に、其の様な場面が映し出されて来たかと言うと、是から、私の新しい活動が始まると言うか、私の、修行や認識作業が昨日で終了して、是から、無庵師匠の意識の世界が始まるとの事ではないだろうか。
無庵師匠は、屋久島に1984年3月5日に引っ越しして来て、私が魚釣りや、農作業や、木の実取や、その他の作業を見ていて、何度も「天才だ 天才だ」と謂っていた。
其れは、無庵師匠が、其れまで触れた事の無い世界を、私の活動の中に見たからであろう。
無庵師匠は、図書館の本は全て読み終えたと事で、私の質問には、何でも直ぐに答えていた。
其れに、無庵師匠は、一日二食・間食無しの、玄米自然食の生活であり、最長では28日間も断食状態で、一日も休まずに仕事をしたりする人物であり、本屋に出掛けても、本のページをパラパラと捲るだけで、全てを脳にインプットできる能力を持っていた。
更に、一枚の写真を見るだけで、其の人物の病気や、性格を的確に読み取って、判断を下す能力も身に付けており、医者などのクライアントの症状を看て、一週間分の食事のメニューを、メモ書きで渡すだけで、100万円程の謝礼を受け取る程の、実力を持ってもいた。
無庵師匠の家は、祖父の代まで御殿醫をしており、其の門外不出の「和方」の医療体系を用いて、三ヶ月間で私の治療を済ませて、私を神の世界に送り込んだのである。
そして、私が1984年6月4日に覚醒してから、東京の明治神宮に連れて行き、神域に有る日本建築の家を見せて、「此処に住め 相談者を連れて来るから」と云った事もあった。
そして、其れを私が断ると、屋久島の永田に有るホテルを買い取って、一日一組だけ客をとる宿を、始めようとの事であった。私が、「其れで 採算が採れるのか」と質問をすると、私が居れば大丈夫だとの事であった。
其れは、一日一組だけの客であれば、私の事を理解する人は、其れだけの金額を置いて行くとの事で、判らない客は二度と来させない。
先ず「三木総理」が友人だから、先ず三木総理を連れてくれば、後は自然に繋がるとの事であった。
私は、其の無庵師匠の言葉を聞いて、現在・いまの能力では国の総理大臣に質問されても、対応が出来ないだろうと想って、国の事や、自分の実力を知ろうと考え、全国の旅に出たのである。
そして、1985年3月27日には「二階堂進代議士」の自宅を訪問し、直接話した事も有った。
最初の旅では、網野町龍献寺の「安井桂造禅師」から、亀岡市の西光寺「田中真海禅師」→ 「杉岡伴太夫政房」→ 奈良市の「石垣雅設氏」「矢追日聖氏」→ 群馬県の鬼石町「中屋龍洲氏」南北村の「長岡良円禅師」→ 気功家の「中健次郎氏」→ 福岡県「白土宏氏」→ 佐賀県「武富勝彦氏」→ 千葉県「鶴見武道氏」と順調に繋がって行ったが、途中から其の様な人物との出会いが少なく成ってしまった。
そして、屋久島に帰って「前田氏」と出会って、現在に至っている。
今朝のメッセージの内容からすると、私は自分の「印鑑」を準備する必要があり、食事をする店の選定や、集める人材の選出を考える必要があり、若者の自己表現の場を、考える必要があると言う事に成るのであろう。
そして、一番大事な事は、自分の話し合手と言うか、意識を再構築する為の、対象者を捜し出さなければ成らないと言う事である。
其れは、是までの私の旅と言うか、認識作業の総決算を済ませて、新しい自分の世界を、創造・構築しなければ成らないと言う事であろう。
其れ等の、総決算の材料を幾つか挙げると、次の様な物が有る。
私の、身の上に起きた「神霊の思頼・みたまのふゆ」の現象は、1983年3月18日に無庵師匠に捜し出されて、84年3月5日から無庵師匠の下でマクロビオティックの生活を始めた事が、要因と成っている。
其の日から、来年の3月5日で丸「30年・一世」を迎える事に成る。
其れを前にして、示されて来た、今朝のメッセージの内容は、私が無庵師匠の訓えを、正しく取り込んで、新しい自分の人生を、歩き出さなければ成らない理・ことが、示されて来ているのであろう。
其れを考えると、私はもう一度、気を引き締めて、物事に当たらなければ成らないと言う事に成り、是からが、私の人生の本番であると言う事に成るのではないだろうか。
「無庵師匠の御魂」https://green.ap.teacup.com/20060818/2915.html
奇しくも、此の「無庵師匠の御魂」の文章は五年前の12月28日の物であるので、明日が今年の「御用納め」の日である事と関係が有り、私は新年を迎えるに当たって、自分の意識をリフレッシュして措かなければ成らないと言う事が示されて来たのであろう。
「何も無く 何も無いからこそ 此の道が歩いて行ける」9時57分
平成30年12月27日
礒邉自適
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