1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2019/1/31
手締め式
31・1・31
今朝のメッセージの映像は、長年「議長」を努めて来たらしい長老が、引退する為の集会が開催されている場面が映し出されて来た。
其の会場に私の意識も在り、私は其の長老の右側の背後に立って居ると、主催者の男性が遣って来て、壇上の方に行く様に謂うので、壇上の方に向かうと、私の他にも40歳位の男性が二人立って居り、三人で数百人の参加者を眺めて居た。
だが、三人とも何の為に壇上に上がらされたのかが、判らないで居ると、50歳位の先輩らしき男性が壇上に上がって来て、「手締め」を行えば良い事を教えてくれた。
私は、其れを聞いて「一本締め」か「三本締め」なのかが判らないし、自分が其の様な事を行った事が無いので、辞退しようと思い、壇上から降り様としたのだが、残された二人も出来ない様なので、中央に戻って「一本締め」の「三・三・三」の数や、結婚式の「三々九度」の盃の事などに付いて話し始め、「一・十」の数字を「三」で割ると、「3333333・・・」で永久に割り切れない理・ことや、一の数字が「はじめ」を意味する理・ことなどを話し始めた。
次の映像は、縁側の軒下に長い梯子が置かれている場面が映し出されて来て、私は其の梯子が雨腐れしたらいけないと思い、建物の中に収納する場面が映し出されて来た。
其れから「116」の数字が示されて来て、意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は7時7分であった。
其れから台所に行き、由香に何かビジョンを見なかったかと訊ねると、白く丸い小船に乗って川を流れて行くと、岬の岩上に、白い小さな灯台が立っていたとの事であった。
今朝は、PCを立ち上げて、昨年の7月7の文章を見てみると、次の様に書いて有る。
2018/7/7今朝のメッセージの映像は、先ず、私が誰だか姿の見えない男性に、共通の知り合いである男性が急死したとの事を知らされて、私は然程付き合いの有る人間ではなかったのだが、一応気に成るので、普段着の儘、何も持たずに其の家を訪ねて見た。
すると其の家は、林の中の立ち木を利用して、木材を組み立て、其の木材に建築工事用のコンパネ(ベニア板)を打ち付けた小屋の様な施設であり、室内に入って見ると、死んだ男性は30歳代の男性らしく、20代の弟が三人、途方に暮れている感じで座って居た。
そして、左側にダンボールで仕切った部屋が有って、其処に遺体が寝かされている様であった。
其れに、家財道具が見当たらず、炊事場やトイレの施設も無いのである。
私は、香典や見舞いの品を何も用意しておらず、居辛く成って来たので、其の部屋から外に出ると、赤子を抱いた奥さんが見送りに出て来て、私に「畑に葱が有るので 要れば持って帰ってください。」と謂った。
私は、其の映像が何を意味しているのかを考えると、縄文時代の生活の方が未だ恵まれていると思ったので、其れは、私には解決出来ない世界であり、其れこそが「政府・国家」の役割であると考えて居た。・・
其れから再び眠ると、今度は私が60歳位の紳士に案内されて、何処かの都市の中に行くと、レンガ造りの年季の入った巨大な建物が、左傾斜の緩やかな土地に建っており、其の建物施設の中道(街筋)に入って行くと、其の紳士が「此処は古い町なのだが 雰囲気が良いので 若者のデートコースにも成っている」と謂った。
其れから、其の巨大な建物の正面玄関に到着して、中に入って行くと、其の中央には貴賓室(viproom)が存在し、其の中も見せて貰った。其れから大きな会議室や、劇場なども案内され、其の他にも貴重品を売っている店や、美術品を商っている男性の店なども有った。
其れから、レストラン・食堂街を通ってある施設に入って行くと、5〜6人中年の男性が存在して、其の人達は同じレベルの精神性を有しており、久し振りに集合したのか、白い陶磁製の器に注がれた「甘酒・濁り酒」を左側の男性から飲み始め、右側の人物に渡して行き、最後に右端の男性が一口飲んでから、私の方に持って来て手渡した。
私は、其の器を受け取りながら、是は天智天皇の霊魂が私に告げて来た「神籬の代々の乱れを盃に 菊一輪と回し飲み」の言葉が、現実と成ったのだと思った。
其れで、私は本日の文章の題を、其の「神籬の代々の乱れを盃に菊一輪と回し飲み」にしようと考えた。すると、姿の見えない存在が「このよろこびをつちかわそう・此の喜びを椎交わそう」と、一言告げて来た。
今朝告げられて来た「このよろこびをつちかわそう・此の喜びを椎交わそう」との言葉は「祝い」に関係が有るので、其の言葉は香取神宮の祭神「祝い主神・伊波比主命(いはひぬしのみこと)・経津主神(ふつぬしのかみ)別名斎主神(いわいぬしのかみ)」に関係が有るのだと思った。
何故かと謂うと、香取神宮の大祭が「4月14日・15日」だからである。・・
今朝は、告げられて来た「このよろこびをつちかわそう」との言葉を漢字表現するのに「つち」に漢字の何を当てれば良いかを考えて居ると、櫛稲田姫の両親である「足名椎命(あしなづち)・手名椎命(てなづち)」の名前が気に成って来た。
其れで「椎」の漢字を調べると、次の様に載っている。
*「椎・ツイ・ズイ・スイ」【解字】形声。「木+隹」音符の隹・スイは、堆に通じ、うずたかいの意味。厚みのある木づちの意味を表す。
【字儀】(いち)@つち(槌・鎚)。物を打ちたたく道具。「鉄椎」Aうつ。たたく。つちで打ちたたく。Bもとどり。Cせぼね「脊椎」Dにぶい。口が重い。「堆魯」(二)しい。ブナ科の常緑高木。葉はかしに似、秋、円錐状の実をつける。
漢語林より
其れに、「相槌を打つ」や「培う・つちかう」の言葉が有る。
相槌(あいづち)を打・つの意味デジタル大辞泉(小学館)
相手の話に調子を合わせて、受け答えをする。「友人の主張に―・つ」
[補説]「合いの手を入れる」と混同して、「相槌を入れる」とするのは誤り。
培う・つちかう
*「培・バイ・つちかう」【解字】形声。篆文は、「土+杏」音符の杏(ハイ)は、ふっくらとして大きいの意味。土をふっくらと盛る、つちかうの意味を表す。常用漢字は土+咅の形声文字。
【字儀】(一)@つちかう。㋐草木の根に土をかける。転じて草木を養い育てる。「栽培」㋑素質や能力を伸ばす。Aます(増)。(二)@つか。小さい丘。「培塿」A耕地のあぜ。(三)@かさねる。Aよる(馮)。よりかかる。また、乗る。
漢語林より
アシナヅチ・テナヅチは、日本神話のヤマタノオロチ退治の説話に登場する夫婦神である。『古事記』では足名椎命・手名椎命、『日本書紀』は脚摩乳・手摩乳と表記する。是等の事から、今朝の文章の題は「此の喜びを椎交わそう」とした。
今朝のメッセージでは、夫を亡くした女性が、見送りに出て来て、私に「畑に葱・ねぎが有るので 要れば持って帰りなさい」との事を告げた。
其れは、昨日のメッセージに映し出されて来た、「葷・クン」の中に混ざっている「ねぎ」であるが、昨日のメッセージとは、全く意味が異なり、良い意味で使われて来ている様である。
今朝の初めの映像は、とても恵まれない家族が苦境に立たされていた場面であったが、後半の場面はこれ以上無い様な、最高のレベルの社会構造の様子であった。其の違いは、私に何を考えろと言う事なのであろうか。
私を捜し出して、此の神の世界に入れた故「土肥無庵」は、私に「自適さん 精神性の高い人が 良質の物品を作り、其の物品が 優れた精神の人間を育てるのだ」との理・ことを、謂って居た。
其の土肥無庵の言葉を考えると、今朝のメッセージは其の土肥無庵の思念・おもいが漸く叶うと謂うか、天神(てんのはたらき)に浸透して、現実化する時節が巡って来たと謂う事なのかも知れない。
其れに、今日の由香のビジョンは、数人の賢者が、一品ずつ物を手にして、別々の場所から、ある場所へと向かっていたとの事で、一人だけは何も手にしておらず、其の人は心の純粋さを持ち合わせている事が伝えられて来たとの事である。
別の場面は、或る人が周囲に対しての不満、愚痴を言って来たので、「喜びに変えたらどうですか」と伝えたとの事である。
是等の事柄を考えると、今朝のメッセージの映像は、経済が止まればどう成るか言う理・ことが示されて来ており、正しい道が選択できれば、人間の精神や文明は、もっと高める事が出来る理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝「此の喜びを椎交わそう」と告げて来た男性の声は、「土肥無庵」や「天智天皇」などを含む八百万神々の代表として「祝い主神・伊波比主命(いはひぬしのみこと)」が、私に挨拶をして来た事に成るのかも知れない。
「此の喜びを椎交わそう」https://green.ap.teacup.com/20060818/4673.html
其れに「116」の数字で検索すると、次の文章が出て来た。
2015/4/1・・次の映像は、私が農村に在る施設に行くと、其の建物は農作業をする人達が宿泊する施設であり、聾唖者らしき夫婦が、其の建物の管理をして居た。そして、私が食堂のテーブルに着くと、グリーンピース入りの豆ご飯と 魚と一緒に煮た野菜の味噌汁、其れに沢庵などを出してくれた。
其れから「呑気はだめ」「食糧不足」との言葉が告げられて来てから、「5月16日」の日付と、「116」の数字が示されて来た。
5月16日は、「世界電気通信の日・5月17日」の前日であり、「116」の数字は、NTT「お問い合わせ」の番号である。
そして、朝起きる間際に『此の世界は 全て 造化三神の「高御産日神・たかみむすびのかみ」「神産巣日神・かみむすびのかみ」の働きで出来ているとの説』との言葉と、『相思相愛の事』との言葉のフレーズが告げられて来た。
「相思相愛」
互いに慕い合い、愛し合っていること。
「相思」は 相手を慕い合うこと。
「相愛」は 互いに愛し合うこと。
多く男女間に用いるが、自分の入りたいチームなどが 自分を獲得したがっている状態などにも用いる。 国語辞典
今朝のメッセージの映像には、多くの意味が込められている様なので、全部に触れる事は、根気が続きそうに無いので、簡単に幾つかの事に触れて見る事にする。
一番重要な事は、最初に触れた「九鬼文献」の内容に関する物で、大本教の祭神である「うしとらの金神」の存在と、「須佐之男尊(祇園様)」の存在が、関係する事である。・・
今朝は、起きてPCの前に座ると、「貴方に相応しい」との言葉が有ったので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「貴方に 相応しい事
其れは 何もしない事です。
そして 其の 何もしない事で
完璧に 貴方の役割が果たせるのです。
其れが 本来の すめらの命の働きなのです。
ですから貴方は 何も自分の手で行っては成りません。
其の 自分の行為をなさない事で
貴方には 無限の作為が可能なのです。
其れは 貴方の意いが
此の世界に完成して行く事でもあります。
だから貴方が 自分で 一部分の事に直接関わる事は
働きを 小さくする事に成るのですよ。
良いですか 判り難いかも知れませんが
無作為の中の 創造なのですよ。
其処のところが 貴方に定着すれば
愈々 本番と言う事に成るのですよ。
良いですね 。貴方は 自分に一番相応しい姿が
どう言う物であるかを しっかりと認識するのですよ。 」
此の女神の言葉からすると、今朝の様なメッセージが告げられて来ても、私自身は、其れ等の事には、直接手を出しては成らないとの事の様である。
其の様に考えると、今朝のメッセージは、新しい国造りが始まる事を、示して来て居る事に成る。そして、『此の世界は 全て造化三神の「高御産日神」と「神産巣日神」の働きで出来ているとの説』との言葉は、此の世界が「結び・因縁・情報」で出来上がっている理・ことを示唆しており、其の事を認識できる様に成る為には、中学生の頃から、自然の様子と言うか、システムをしっかり見詰める必要があるとの理・ことが、図画の時間の「写生・スケッチ」にあると、言う事ではないだろうか。
其れと、外国の老人が日本に来て、海岸の白洲で癒しの準備をして居た場面は、子供達とは反対に、老人は彼の世に「還る・往生」する前に、此の日本に来て、日本の伝統である「禊ぎ祓い」の作法・儀式を学ぶ事に成る、との事なのかも知れない。
今朝のメッセージは、是までの世界の天神(てんのはたらき)を総合的に示して来ており、世界共通の神事が再編成されて、此の日本から、電気通信にて発信される事に成るとの事なのであろう。
「新しい舞台」https://green.ap.teacup.com/20060818/3412.html
此の二つの文章の内容からすると、今朝のメッセージは本日が1月の晦日である事と関係が有り、何等かの「締め事」が神界で行われる事が示されて来ており、議長らしき長老が引退するのは、古い体制・体質が終わる事を示唆しており、次の段階(新体制創り)に、私の存在が関係する事に成ると言う事が示されて来ている様である。
そして、其の事に長い梯子が関係あると言うのは、天界・神界との関係性に付いて、示されて来ているのであろう。
「手締め」に付いては、次の様に載っている。
【手締め(てじめ)】とは、日本の風習の一つで物事が無事に終わったことを祝って、その関係者が掛け声とともにリズムを合わせて打つ手拍子である。手打ちともいう。祭りや冠婚葬祭などの式典、商談や株主総会などの終わりに行われる。
手締めの音は「シャンシャン」と表現される。特に質疑応答もなく短時間で終了する株主総会は、参加者は手締めしかしないということで「シャンシャン総会」と揶揄される。
概要
「手打ちによって締める」が語源である[1]。なお、関西では「手締め」のことを「手打ち」と表現する[1]。
手締めの主旨は、行事を取り仕切った者が行事が無事に終了したことを協力者に感謝することである[1]。そのため来賓の場合、仮に音頭を取ることを依頼されたとしても断ることが筋である[1]。
江戸締め
手締めは地方により、そのリズムや回数、掛け声が異なる。大きく分けて江戸締めと大阪締めに分けられる。中でも江戸締めは全国的に広く行われ、最も基本的な手締めの形態である。
江戸締めには一本締めと三本締めがある[1]。拍数の「3回・3回・3回・1回」は3回の拍が3回で九になり、もう1回手を打つと九に点が打たれて「丸」になり「丸く納まる」の意味になるから[1]とも言われている。
また、はじめと間に「イヨー」「ヨッ」「もう一丁」などと掛け声をかけ最後に拍手する。「イヨー」は「祝おう」が転じたものとされる[1]。
一本締め。3回・3回・3回・1回手を打つ[1]。
三本締め。一本締めを3回行う[1]。
ウィキペディアフリー百科辞典 2019/1/31現在
キー「三本締め 三々九度 」
2013/11/26・・其の数字を考えると、此の世界・宇宙の絡繰・からくりは、在るべき状態が三・3方向に分裂して行く事で、膨張を続けており、其れは「3×3=9999・・・」で無限に拡大している事に成る。
処が、其れに「0、・・・・1」を何処かで加えると、此の宇宙は瞬間に消えてしまうと言うか、将棋倒しが起きて閉じてしまう理・ことに成る。
其れが「無」の世界であり「空」の概念なのである。
「30を3で割ると、答えは10」との事は、10は完数なので、悟りに関係があり、人間の行為を閉じ「空・無」の状態に成れば「三十・30」を「三・3」で割り切れるのであろう。
そして、其処に、「自分」に成功した事になり、「空・無」が生じ、「自由」な精神が訪れるのである。
「大君の役割」https://green.ap.teacup.com/20060818/2883.html
2007/11/8・・の九次元の世界に入れば、自分が、宇宙の中心軸に成るので、自分は「主」であり「全体」である。其れが、釈迦牟尼佛の謂う三千世界の意味である。だから、釈迦牟尼佛の訓えには「宗像神」も「住吉神」も「御岳神」も出て来ないのである。
其れは、神の働きが消えたのではなく、自分の意識が、宇宙の全体意識にまで拡大したので、全てが、自分の意識内に取り込まれてしまった為である。
だから九次元に至れば、全ての森羅万象が、自分の意識内で流転を始めるのである。
人間から、其れ等の働きが外れない様に、考え出されたのが、三々九度の盃や、一本締めや三本締めの手打ちの儀式なのである。
そして、其の神の「数字・働き」である三を、上下左右に拡げ、人間の生活がスムーズに行く様に考えられたのが、下記の三神の組み合わせなのである。
「三段階の神とは」https://star.ap.teacup.com/20071015/4.html
今朝の「議長の退任」「手締め」「長い梯子」や、起された時刻が「7時7分」であった事を考えると、「七夕」や「高天原」の概念が関係が有り、聖徳太子の意識が関係が有るのかも知れない。
其れに、由香のビジョンの事を考えると「弥都波能売神(みづはのめのかみ)」が、灯台(道しるべ)の役割を果すとの事が示されて来ているのかも知れない。
平成31年1月31日
礒邉自適
2019/1/30
タイミング
31・1・30
今朝のメッセージの映像は、先ず、山間部に耕作放棄されている、階段状の水田跡地の存在が映し出されて来て、其処に山中に入って行く道路の工事が始まっている様子が映し出されて来た。
私の意識が、其の道路工事現場を山に向かって歩いて行くと、山中の入り口の左側に、薄桃色系の服を着た30歳代位の女性が一人居て、私の前に角笛を作れそうな形をした、屋久杉の土埋木の枝本を一本置いた。
私が、其の枝に視線を向けてから顔を上げると、其の女性の姿は消えており、今度は森の中に50歳位の細身の男性が一人で立っており、私に「さすけが始まる」との事を謂うので、私は其の男性の後を付いて行く事にした。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「2時時58分・3時2分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は白色の丸い器に、清水が注ぎ込まれる場面が映し出されて来て、其れが一杯に成った所で、右側でオイルライターを灯す音が一回聞こえて来た。
其れから「タイミング」との言葉が一言告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時30分」であった。
其れから再び眠ると、今度は「子孫を残せ」との言葉が告げられて来てから、「アカシックレコードの末裔」との言葉が告げられて来た。
其処で起きて時計を見ると、4時36分であった。
PCを立ち上げ昨年の「3月2日」と「3月30日」の文章を見てみると、次の様に書いて有る。
2018/3/2二日間吹いた強い春風が通り過ぎて、本日は朝から穏やかで、暖かな日差しが縁側に射し込んで来ている。
今朝は、昨日と同じく一眠りすると「2時6分」に起こされてしまった。
そして、再び眠りに入ると、明け方まで幾つかの場面が映し出されて来た後に、「日本人・にっぽんじん」との言葉が告げられて来て、日本人の中に存在する極小数の人達が、新しい御世を創造する為に活動を始めると謂うか、天神(てんのはたらき)に動かされ始める事が示されて来た。
今朝は先ず、昨年の2月6日の文章に目を通すと次の様に書いて有る。・・
ウィキペディアフリー百科辞典の説明には、文化人類学的に現在明らかに成って来た事が網羅されており、三次元的には多くの事が明らかに成って来ている。
だが、今朝私に示されて来た事は、其れとは異なり、人間の目には直接見えない、人間の精神的な働き・役割の世界であり、簡単に謂うと、「人類の未来が 日本人・にっぽんじんに掛かっている・委ねられている」と言う事であった。
其れは、日本人の精神構造と謂うか、大和言葉に因って組み上がって来ている意識(文化)が、宇宙の意思・天神(てんのはたらき)と直接関係が有り、其の脳の記憶(概念)が未来社会創造の基盤・土台と成ると謂う事である。
其れは、純粋な日本人の精神構造の源流が、老子の謂う「道・タオ」、釈迦の謂う「ダルマ・法」、イエスの謂う「永遠の命」に、直接関わりが有ると謂える様な世界である。「可逆的世界」
其れを簡単に謂うと、現在のグローバル社会でITを酷使して物や情報を動かし、長者番付に名を連ねている人達の行動とは、正反対の世界の事である。
「不可逆的世界」
『永遠性の中を生きる』
此の、いま脳裏に浮かんで来た言葉が、全ての答えを導き出しており、其れをどうするかが、今人間に求められて来ている課題なのであろう。
其れは、此の儘の延長線上には、人類の未来は無いと謂う事でもある。
其れこそが、人類が永遠に潜在意識の中で求めている「祷り・帰命・ナーム・リリジョン・religion」の世界であり、其の道筋を探り当てなければ、人間の幸福(しあわせ・仕合わせ)は無いし、「子孫繁栄」も無いし「御祖神・みおやかみ」の祭祈も継続しないので、天津日嗣・あまつひつぎが途絶えてしまうと謂う事に成ってしまう。
其れを考えると、今朝2時6分に起こされた事の理由が分かるし、「万物の霊長としての人間」と「剛の者」の文章との関連性も理解されて来る。
そして、今朝のメッセージの映像で、私が取り組んで居た世界・作業に付いても、理解されて来る。
其れは、「万物の霊長」としての「剛の者」が必要であると謂う事である。
其の事を考えると、私が1984年11月21日に伊勢外宮に初参拝して、翌22日の未明に姿を現した、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の存在自体に、今朝私の意識が成っていた事に成りそうである。
であれば、過去に八回失敗した事象のトンネル潜りが、漸く九回目で成功する兆しが見えて来た事に成るのであろう。
「日本人・にっぽんじん」https://green.ap.teacup.com/20060818/4543.html
2018/3/30今朝は一眠りすると起こされたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「1時5分(丑刻)」であり、時計の長短の針が5の数字の上で一本に重なっていた。
其れから、再び眠ると、人の手が加わった事の無い山奥の森が映し出されて来て、其の森の中に長方形の土地が開かれており、其処に、米麴の様な物の塊が解されて、撒かれる様子が映し出されて来た。
そして、其の中から7〜8本の稲が発芽して来て、成長し、実を稔らせる様子が映し出されて来た。
其れから、私の意識が、其の金色の稲穂を手に取ると、「まことのほうしょう・真の宝償」との言葉が告げられて来た。
そして最後に、横長の長方形の地面が映し出されて来て、其の地面には黒い隕石の板状の破片が散らばっており、其れが「生命の基」である理・ことが示されて来た。
今朝のメッセージは、一昨日の「最終局面」と、昨日の「マクロビオティックの大改革」とのテーマの続きであり、「生命の基」が、隕石である理・ことが示されて来ており、「太母・グレートマザー」の存在とは、宇宙空間に拡散している鉱物である理・ことが、示されて来ている様である。
其れは、私にも初めてのメッセージの内容であるが、其の事については、私も薄々感じては居たし、近代科学の世界では、地球生命は全てビッグバンから誕生した、星の誕生や爆発から生じた物質・鉱物が組み合わさって生じている事が明らかに成って来ているので、当たり前の理・ことでもある。
だが、科学者にとっては、「石」に「意思」が有るとは思えない(証拠が無い)ので、口にできないだけの事である。だが私は、此の世界に飛び込んだ時に、自分の意識が岩石と共鳴を起こし、様々な現象が起きたので、岩石が、私の心身と直接関係が有る理・ことは、最初に理解していた事である。
其れを考えると、今朝のメッセージは、私が34年前に実感・体感した事が、改めて宇宙から表示されて来た事に成る。
そして、今朝映し出されて来た「金色の稲穂」と、「まことのほうしょう・真の宝償」との言葉は、神話で「天照大神が 天津日高彦火瓊々杵尊・あまつひだかひこほのににぎのみことに、稲穂を手渡して、地上に降臨させた。」と記されている事を、消去しろとの事が示されて来ているのであろう。
其の稲穂に付いても、近代科学で稲科の植物は、6500万年前にメキシコに巨大隕石が落下した後に、繁茂して来た植物であり、民族移動で南アジアから日本列島に渡って来た物である事は、明確に成っているので、其の情報も消去しなければ成らない。
そして、其の稲穂が、森の中の土地に撒かれた米麴の様な物から発芽して来る場面は、日本最初の神社である島根県松江市に存在する国宝の「神魂(かもす)神社」の名前と関係が有り、「かもす」とは「醸す」である事と関係が有り、「神魂・ジンコン」が「岩石・ミネラル」と「微生物・バクテリア」の関係性で、発生しているとの理・ことが示されて来ているのであろう。・・
其の様な事を考察すると、確かに今朝のメッセージは、稲穂が日本人に与えられた「真の宝償」であると言う事に成り、江藤敬介氏が2月17日「祈年祭日(としごいのまつり)の日」に出雲に行った事と関係が有りそうである。
其の江藤氏は、数日前に自分が借りている四反(45アール)の水田を地主に頼まれて、安価(170万・坪1200円)で購入したとの事であるので、其れも「真の宝償」であると言う事に成るのかも知れない。
しかし、其の金額は日本のTPP(環太平洋パートナーシップ協定)加入で米価が下がり、稲作の採算が採れなく成っている事で、水田の価値が下落しての事であるから、日本の全体的な政(まつりごと)を考えると、決して喜ばしい出来事ではないのである。
其れは、此の儘では日本の伝統である「瑞穂の国」の文化は、根本の所から崩壊してしまう事を示している。
何れにしても、日本国から稲作文化の伝統が消えてしまえば、人間の意識・御魂のルーツが消えてしまうと言うか、未来社会の創造が頓挫してしまうと言う事ではないだろうか。
何故なら、稲作文化は水の流れがなければ成らないので、森林の保全が第一であり、森林を破壊する放牧民族(肉食)の生活とは、根本的に生活様式が異なるからである。
「真の宝償」https://green.ap.teacup.com/20060818/4571.html
此の二日分の文章は、確かに今朝のメッセージと深く繋がっている事は間違い無い。
今朝のメッセージの映像から、私に考えられる事は次の様な事である。
*山間部の水田が荒地に成っている場面。
・日本の文化は稲作中心で発展して来た物であるが、現在は農村の過疎化が進み、其の文化が滅びようとしている。
*新しい道路が山に向かって造られている場面。
・山岳信仰を中心とする、自然環境保全の体制・道を整えなければ成らない。
*屋久杉の土埋木の枝で角笛が作れる。
・屋久杉は数千年生きる樹木であるので、其れで角笛が作られるとの事は、長い歴史・文化の復活の合図が伝えられる。
・其れが、土埋木の枝であると謂うのは、地域に埋没している文化の復活を意味する。
・其の土埋木の枝を持って来たのが女性であったのは、女性の方が基本的な生活文化を傳えて来ている事を示唆している。
*山中に立って居た男性が「さすけが始まる」と告げた事。
・「さすけ」は、身体能力を競う競技の「サスケsasuke」で、学歴や知識は然程関係がなく、純粋に男性の身体能力が発揮できる物である。
・其れに、サスケは到達する迄の時間の制約が有るので、時間に関係が有る。
・最終段階で、高い塔の上にまで登らなければ成らないので、勝利者が少ない。
・私を迎えに来たのが男性であり、其の人物が山岳に向かったのは、山岳信仰をマスターする為には、サスケの優勝者の様な実力が欠かせないと言う理・ことを示唆している。
*白く丸い器の中に清水が注ぎ込まれる場面。
・人間の精神や肉体には、穢れの無い(波動の高い)清水が必要不可欠である。
*オイルライターを点火する音。
・古典的な方法で狼煙が上げられる。
・其れが着火の為の音だけであったのは、四次元世界・神界も関係が有る。
*「タイミング」との言葉。
・此の三次元世界の出来事・現象は、全て、タイミングが決め手と成って成立している。
・未来世界の創造を果す為には、タイミングを外してはならない。
*「子孫を残せ」との言葉。
・地球生物は全て「DNA・遺伝子」の継続に拠って存在しているので、子孫を残す事が第一義である。
・其の為には、親が努力を積み重ねて、優秀な子供を育てなければ成らない。
・特に人間は、肉体だけではなく、精神・智慧・情報・魂しいを積み重ねて行かなければ成らないので、家系・家風・血筋・血統が重要である。
*「アカシックレコードの末裔」との言葉。
・アカシックレコードとは、宇宙に存在する情報の記憶盤の事であるので、其のレコード盤に接続が出来る血筋の後継者を、絶やしては成らない。
其れに、今朝の由香のビジョンは、大きな建物の中を2歳ぐらいの男児に寄り添って、其の男児が向かう方向にずっと付いて歩き回って居たとの事である。
其の後、男児が何処かに辿り着いた所で、自分は二階の建物の窓から外に出て、屋根の上を歩いて居たとの事である。
其の由香のビジョンも「子孫を残せ」との言葉と関係が有り、部屋から外に出たら二階の屋根の上であったと謂う事は、現在の世の中では、育てては成らない子供達が誕生して来る理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れに起きた時刻「4時36分・5時24分前」の数字から、昨年の5月24日の文章を見てみると次の様に書いて有る。
2018/5/24今朝のメッセージは、昨日の「メシヤ・キリスト」に関する文章と「全てを取り除いて見る」との言葉と関係が有るのか、過去の情報が消されて行く場面が映し出されて来た。
今朝のメッセージは、私が麻生太郎元総理大臣の実家である飯塚市の建物を訪問し、麻生太郎の弟・現在の「株式会社麻生」の代表取締会長である「麻生泰(ゆたか)氏」と、応接間で人払いをしてから話し始める場面が映し出されて来た。
そして、何故か話が終わる頃には、二人とも裸に成って居るのである。
次の場面は、服を着て居る姿で台所の方に行き、母親の故「麻生和子」と立ち話を始める場面が映し出されて来た。
最初に麻生和子の目を覗き込むと、人間の目ではない魔物の瞳をしていたが、話をして居ると其の魔物の瞳は消えて、穏やかな人間の瞳に変っていった。
私は、自分の母親の事を話して居た。
其れは、母親が大正9年生まれである事や、キリスト教の学校を卒業している事等である。
其れから、麻生家の先祖の情報が記されている文章が映し出されて来て、冒頭の部分を残して、過去の文章が、パソコンで消されて行く様に、上から下に向かって文字が全行消えて行く場面が映し出されて来た。・・
今朝のメッセージは、確かに昨日の「メシヤ・キリスト」に関する文章と「全てを取り除いて見る」との言葉と関係が有る事は間違い無い様である。・・
是等の事が、消されて行く事に、どの様な意味合いが有るのだろうか。
麻生家の先祖が、西郷隆盛と同郷である大久保利通である事を考えると、大久保と木戸孝允(桂 小五郎)が、西郷隆盛を自決に追い込んだ事が関係が有り、私に「始めようか」かと告げて来た西郷隆盛の国への意念が溶解したと謂う事にでも成るのであろうか。
其の様に考えると、昨日のメッセージで初めに暗い世界に文章が映し出されて来て、其れがキリストに関係が有ると告げられて来た事と関係が有り、「イエスキリストが 全ての人間の罪業を背負って磔で死んだ」との事が、私の是までの働きで解消されたと謂う事に成るのかも知れない。
それであれば、昨日告げられて来た「全てを取り除いて見る」との言葉が、私の潜在意識に有効に働いたと謂う事に成る。
其れを考えると、「全てを自分達の王に結びつけるのだ」との言葉も、重要・肝要であると謂う事に成る。
今朝の由香のビジョンには、頭の無い「蛸」や「烏賊」の足だけが沢山並んでおり、其の周囲に子供達が遊んで居たとの事である。
其の意味は、私が、今朝のメッセージの内容から考えると、蛸や烏賊は、手足に吸盤が付いており、其れで獲物を捕まえて食べる生物なので、其の周りに子供達が遊んで居た事を考えると、子供達は未来を創造する為に生まれて来ているのだから、過去の歴史を吸収させる事は、害には成っても、プラスには成らないとの事なのかも知れない。
何故なら、戦後に生まれた子供達には、韓国の慰安婦問題や、中国の南京虐殺などの重い記憶は、心を暗くする情報に過ぎないからである。
其れは、ドイツ人にしても、ヒトラーが起こした残虐な行為が、自分達に関係が有ると考えれば、心が暗く成ってしまう事と同じである。
要するに、過去の時代の人々が犯した罪業を、何も関係の無い子供達が引き継ぐ必要は無いと言う理・ことであり、負の連鎖は何処かで立ち切ってしまわなければ、人間の意識は自由(幸)に成れないと謂う事である。
其の様にしなければ、権力や暴力や所有欲に塗れた、魔物の瞳を継続する血筋・系統に成ってしまうと謂う理・ことなのであろう。
其の為に、必要な言葉と謂うか概念が、「全てを 自分達の王に結びつけるのだ」との事であり、其れを頭・意識に置けば、過去の情報は何も必要ではないと謂う事に成るであろう。
私に、今日考えられる事は、「イエスキリストは 全ての人間の罪業を背負って・肩代わりして、死んだ。」との言い傳えを止めて、「未来を創造する為には 自分自身が新しい意識の芽を出して 自分の好きな形で 太陽に向かって 蔓を伸ばして行かなければ成らない」と謂う理・ことを、意念する事である。
其処には、誰の手も必要では無いし、過去の人達の考えは 参考には成らないと謂う事でもある。
「過去の情報を消して行く」https://green.ap.teacup.com/20060818/4629.html
73歳の始まりの日に、この様な映像が映し出されて来たのは、是から天神(てんのはたらき)の最終段階が始まると言う事が、示されて来ているのであろう。
だが、其れに付いて具体的な事が示されて来た譯ではないので、私自身が何らかの事を考えなければ成らないのであろうか。
『そうではなく 此方が全てを準備するので
貴方は 其の動きを 冷静に見詰めて 必要な指示を
皆に 与えるだけで良いのです。
ですが 其れも 自分から発しては駄目ですよ。
状況を把握した上で 求められて来た事に
応答するだけにしなさいね。
それが 最大に 貴方の存在が
生かされると言う事に 成りますから。』10時13分
追記:「おおやまと」の1月号を見てみると、正月の行事や「すめらのみこと・天皇」の役割などに付いて、「矢追日聖法主」が分かり易く話している文章が載っている。
http://www.ohyamato.jp/ohmotomiya/pdf/oymt201901.pdf
平成31年1月30日
礒邉自適
2019/1/29
72歳の誕生日
31・1・29
72の数字は、ゴルフでは4ラウンド「18×4=72」の数字でもあるが、西洋の「カバラ」も72の文字(言葉)が組み込まれている。
今朝のメッセージの映像には、先ず、「基本的な食事の有り方」に付いて示されて来た。
其れから、「宮人(神官・巫女)」は外泊しては成らない理と、外国に出ては成らない理・ことが示されて来た。
其れは、神に仕える人間は基本的な食生活を続け、毎晩決まった住居で就寝する事が大事であり、外国に出掛ける事は、自分の心身の波動(生体リズム)や、生命情報を狂わす事に成るとの理・ことを意味していた。
其れから、「ペンチ・コート」との言葉が告げられて来たので意識が目覚め、照明を点けて時計を見ると時刻は「6時5分前」であった。
其れから再び眠ると、体に金色の産毛が生えている裸の35歳位の男性の姿が映し出されて来て、私に全身を使って身振り手振りで、何かを伝える場面が映し出されて来た。
其の男性は、口も動かしているのだが、全く音声が聞こえないので、何を私に伝えているのか、全く判らないのである。
次の映像は、朝鮮半島の人らしき男性が数人居て、私の様子を録画(録音)して、其の情報を本国に送る作業をして居る様子が映し出されて来た。
其れ等の映像に付いて、長く考えて居て起きた時刻は9時21分であった。
「ペンチ・コート」との言葉は、辞書には無いので以前の文章を「ペンチ」と「コート」で、別々に索ると次の様な文章が有る。
2018/6/28今朝のメッセージの映像は、新未来を創造する為の様々な世界が映し出されて来た。其れは、次の様な事である。
・食料を生産する為の農作物の品種改良。
・人間が生きて行く為の正しい文化の創造や、世の中の仕組み。
其れから再び眠ると、「ペンチ」との言葉が一言告げられて来たので、私は未来を創造する為には過去の柵(しがらみ)を断ち切る必要がある理・ことが、告げられて来たのだと思った。・・
此のペンチの意味からすると、本来ペンチとは針金を切断する道具ではなく、鋏む道具である事に成り、私が今朝考えた「過去の事を断ち切る」との解釈は間違っている事に成る。
其れで、pinch(挟む)を調べると次の様に載っている。
pinch・ピンチ
[名](スル)1 追い詰められた苦しい状態。苦境。窮地。危機。「ピンチに陥る」「ピンチを救う」2 道具などで挟むこと。挟んで締めつけること。3 園芸で、摘心すること。「新芽をピンチして枝数を増やす」
デジタル大辞泉
此の説明からすると、今朝告げられて来た「ペンチ」の言葉は、幾つかの意味が有る事に成る。
1現在の世の中が 「ピンチ・追い詰められた苦しい状態。苦境。窮地。危機。」であるとの事。
2「新芽をピンチして枝数を増やす」との事から、「七支剣の枝、七つの燭台」を増やす。
3 pinch(挟む)の「道具などで挟むこと。挟んで締めつけること。」から、昨日の「母神の御手伝い」との事と関係が有り、天空の意思である母神と、地上の私が人間社会を上下に挟んで改革を行うとの事。
何故、私が其の様に考えるかと謂うと、老子の言葉に「天は大なり 地は大なり 人も大なり」と「天地人」の関係を謂っている言葉が有るからである。・・・
「ペンチ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4664.html
2018/7/2本日7月2日は、私が日本一周の旅を1985年7月2日に終えた日であり、其れから丸33年が経過する。
そして、其の「日本語・大和言葉」の言霊に付いて、色々考えて居ると意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「4時49分」であったので、私は其の数字を「449・ししく・獅子吼」と記憶して、再び眠った。
すると、再び易しい日本語の平仮名の横書き文章が映し出されて来て、「浅く広く」との言葉が告げられて来た。
今朝11月5日の日付が示されて来たのは、此の「一人の目開きが明りを灯す」との言葉と関係が有り、私は是から、易しい日本語・大和言葉を使って、小学生でも理解できる様な文章表現で、新しい文化を立ち上げて行かなければ成らないとの事が、今朝示されて来ているのであろう。
其れは、昨日のメッセージの映像で、鳥神が私から見て右方向に動く事(鳥神にとっては左方向)に動く事が未来であり、私が其れに合わせて、右方向に動けば、天地間で人間社会を「ピンチ・pinch(挟む)」する事に成り、未来創造に繋がるとの理・ことが示されて来ているのであろう。
今朝8時3分に、私の右手の薬指のカモ(神の電気信号)が起きたのは、私の両親が屋久島に初上陸した日が1956年(S21)8月3日である事と関係が有り、其の出来事の背景にも「鳳・おおとり・鳳凰」の意思が在ったと謂う理・ことが示されて来ているのであろう。・・・
「獅子吼・ししく」http://green.ap.teacup.com/20060818/46
2018/12/6今朝の映像で、私の体内に宇宙空間の様に薄茶色の粉末が渦巻いていた場面は、人体の腸内細菌の数が宇宙空間の星の数程住んでいる事と関係が有り、宇宙空間の漂う物質と、人体の腸内細菌の次元・事象は、ミネラル的に直接関与しているとの理・ことが示されて来ているのであろう。
我々が存在する宇宙空間には、2兆個の銀河団が存在する事が分かって来ているので、2兆個×其の空間に存在する星の数=未知数?である。
【腸内細菌・ちょうないさいきん】とは、ヒトや動物の腸の内部に生息している細菌のこと。ヒトでは約3万種類[1]、100兆[2]-1000兆[1]個が生息し、1.5kg-2kgの重量になる[1]。
概要
ヒトをはじめ哺乳動物は、母親の胎内にいる間は、基本的に他の微生物が存在しない無菌の状態にある。生後3-4時間後には、外の環境と接触することによって、あるものは食餌を介して、あるものは母親などの近親者との接触で、あるものは出産時に産道で感染することによって、さまざまな経路で微生物が感染し、その微生物の一部は体表面、口腔内、消化管内、鼻腔内、泌尿生殖器などに定着して、その部位における常在性の微生物になる。一部の原生動物や古細菌を除き、その多くは真正細菌である。一般には常在細菌と総称されることが多い。このうち消化管の下部にあたる、腸管内の常在細菌が腸内細菌である。腸の内面を広げるとテニスコート1面分にも相当しさながら花畑のように細菌類が生息していることから「腸内フローラ」とも呼ばれる。フローラは「花畑」を意味する[1]。・・・
「制度」https://green.ap.teacup.com/20060818/4829.html
此の文章と、「ペンチ・コート」との言葉が関係有るのならば、今朝のメッセージで告げられて来た「基本的な食事」と、「宮人(神官・巫女)」は外泊しては成らない理と、外国に出ては成らないとの理・ことは、日本の伝統文化である「身土不二・しんどふじ」や「医食同源」の世界や「産土神・うぶすなかみ」と関係が有るのではないだろうか。
其の様に考えると、私が毎日打っている是等の文章は、広げるとテニスコート一面程の広さが有る「腸内フローラ」と、天空・宇宙に挟ま(ペンチ)れている世界であり、体に金色の産毛が生えている裸の35歳位の男性の姿が映し出されて来て、私に全身を使って身振り手振りで、何かを伝える場面が映し出されて来たのは、腸内細菌の総合意識の世界を示しており、其の存在が昔から「虫の知らせ」との言葉で傳えられて来たのであろう。
其れを考えると、今朝の映像で朝鮮半島の人々が此方の様子を録画して、本国に送ろうとして居た場面は、日本の有機農業の世界が、韓国で大々的に広がっている事と関係が有り、其れを世界中に広げる必要があると謂う事なのではないだろうか。
*「金成勲(キム・ソンフン)1939年生まれ」前韓国農林大臣が国家トラスト運動団体や持続可能な農業を目指す韓国農業連盟の共同代表を務めて広げた。「農都不二」
今朝起こされた「6時5分前」「9時21分」の数字から、昨年の6月5日と9月21日の文章を見て見ると、次の様な事が書いて有る。
2018/6/5本日6月5日は、私が此の世界に1984年6月4日に飛び込んでから、35年目と成る初日である。
今朝のメッセージの映像は、昨日私が、午前2時過ぎまで瞑想をして居る時に「不純物の除去」との言葉が一言告げられて来た事の続きの様であり、今朝のメッセージには、天界・四次元世界に、何万人もの賢者が準備されている様子が映し出されて来た。
其の人達は、40歳から50歳代に見える人達で、全て優秀(レベルが高い御魂)な事がはっきりしており、男女とも自分の個性に合った服装であり、飾り物を一切着けていない上品な出で立ちの人々ばかりである。
そして、全員が自分の「能力・特徴・働き」を活かせる部署の部屋に控えており、其の部署の入り口には、人間社会にとって必要なあらゆる役割の看板・標識が立てられていた。そして其の人々は、私が此の三次元世界で事を始めれば、其れに関わる役割の人間が、次々に役目の場所に降りて来る事が理解されて来た。
次の映像は、人間社会で既に様々な場所で新しい動きが始まっており、私は其れ等の人々の動き・働きに見入って居ると、自分が右手にしていた墨筆が、スーツの首筋・襟元に突き当たったので、白いシャツが汚れてしまった。
どうやら、私は、皆と一緒に現場で動くのではなく、指令書の様な物を書く立場の様であり、余所見をするのではなく、真剣に書道(詔勅・みことのり)に勤しまなければ成らない立場の様である。
私は、自分の白いシャツの襟元が真っ黒に成ってしまったので、服を着替えなければ成らないと考え、其の部屋から出て、建物の階下に階段を下りて行くと、一階の出口は次の大きな建物に続いており、其の建物には多くの人々が働いて居る事が判った。・・
『神の御意思にそぐわない者達よ 其の者達に 何を与えられようか。
もう 其のトキは 目の前に有る。
何を望むかと言う事ではなく 自分が何をするべきかの 選択のトキなのである。
他人の動きを見るのではなく 自分の魂しいに意識を向けなければ 其の解決法は見付からない。
其処に 全ての事が 秘められている。 』11時34分
本来、正しく在らなければ成らない政治が、虚偽に覆われている現況を鑑みると、今朝の私と由香へのメッセージは、確かに神の手が下される時が来ている事が示されている事に成る。
私は34年前に此の神の世界に入った時に、天神が核に因る第三次世界大戦の映像を見せて来た。其の滅びのプログラムは、私が神の希望を引き受けた事で解除された。
だが、其の後、人類の罪穢れは薄まる所か、段々と深く成って来ている。
其れに付いて考えると、全ての事を滅ぼしてしまう核戦争は回避されても、自然災害や病気の発生、其れに経済破綻に因る人間社会の混乱などは、避けられないと言う事なのであろう。
其れ等の事に対して、私は何らかの手を打たなければ成らないと言う事であり、其れが、現在の政治家への忠告であると言う事なのではないだろうか。・・
「ヨハネによる福音書1章51節
「更に言われた。『はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる』」。「神の天使たちが昇り降りするのを見る」ヤコブの夢。・・
何れにしても、不純物を除去しなければ、新しい御世は始まらないとの事の様である。
「不純物の除去」https://green.ap.teacup.com/20060818/4641.html
2018/9/21其れから再び眠ると、ディズニー映画の様な雰囲気で、城の様な建物に住む中年の女性の存在が復活する映像が映し出されて来た。
其れは、本人が其の為に努力する場面ではなく、其の女性を愛する男性が、資金面だけではなく、あらゆる問題を解決して、建物の復活や環境条件を整えてやる物語の場面である。
そして其れは、西洋の価値観の世界である事が認識されて来た。
次の映像は、山中に男性の修行道場と謂うか、生活を続ける施設が有る場面が映し出されて来て、各地から精神修行を求める若者が集まって来て、年配の導師の指導を受けている場面が、ドキュメント映像の様な雰囲気で映し出されて来た。
そして其れは、東洋の価値観の世界である事が認識されて来た。
次に、木々が生い茂る森の存在が映し出されて来て、人間の手に因って切断された枝から、新芽が伸び始めている映像が映し出されて来た。・・
其れに、此の文章の内容から考えると、今朝のメッセージは、其の東洋の文化(稲作)と対比する西洋文明の事が示されて来ている。
西洋(ヨーロッパ)文明・文化は「海賊(バイキング)」の「頭目」が権力を付けて「王族」と成っている事と関係が有り、其の海賊の代表が大きな城・宮殿を建てて、妻・后を住まわせた事が基礎に有る理・ことが、思われる。
其れは、善悪の概念で考えるのではなく、生活環境の違いから生み出されて来た「文化・文明」の差であると考えた方が良いであろう。
今朝は起きて、由香に何かビジョンを見なかったかと訊ねると、見たとの事であり、其れは次の様な場面であったと言う事である。
一人がようやく立って歩ける程の幅の塀の上の道が存在して、螺旋の様に緩やかなカーブで塀の高さが段々高く成って行き、最後の方では目が眩む程の高さに成っているのが分かったとの事である。
由香は高い所が苦手なので、其れを見て足が竦んだが、最初の2、3メートルまでの区間を歩く過程で審査を受けて、許可が下りた者だけが、其の先へ進めるとの事なので、とりあえず、其の審査を受ける事に成ったとの事である。
其れで、三人の年配男性が審査(スキャン)をして、何かの言葉を謂われ、次に「空海(くうかい)」と謂われて、其の後、許可が下りたと知らされ、恐怖心があったが、「空海」が自分には付いて居るのだと思い、その先へと進む覚悟を決めて歩き出すと、塀・道の両脇には何十人かの外国人の人々が此方を見上げて、微笑んで見守ってくれていて、更に先へと塀・道を歩いて行くと、段々高く成って行くが、恐怖心がいつの間にか消えて行ったとの事である。
今朝の映像場面は、西洋の物語はディズニー映画(アニメ・夢物語)の様な雰囲気で映し出されて来て、東洋の物語はドキュメンタリーで映し出されて来た。
其れに、人間より寿命が長い森の樹木の枝が、人間の手に因って切断されていたが、其の枝からは新しい新芽が生えて元気良く成長していた。
其の映像の内容から、今朝のメッセージの題名は「ネバー・エンディング・ストーリー(果てしない物語)」とした。
其れは、水田稲作文化は水が必要不可欠であるので、森林を大事にする伝統文化であり、其の文化の方が永遠の生命を維持・継続できるからである。
何れにしても、東洋の稲作文化の方が継続可能な生き方であり、天津日嗣の世界は東洋の価値観でしか、認識できない世界なのであろう。
「ネバー・エンディング・ストーリー」https://green.ap.teacup.com/20060818/4750.html
今朝のメッセージの特徴は、神(はたらき)が神霊や水や岩や木として登場するのではなく、毛虫が人間の姿として映し出されて来たモノである。
其れに、手足や口が表現体として動いていたが、音声が出て来ないのは、言葉を話す事が出来るのは、650万年前に類人猿から別れた人類だけであるので、腸内細菌は40億年±2億年前に登場した微生物の延長線上に有るので、生命の源(久遠実成・くおんじつじょう)の世界が、現在に繋がっている理・ことを示して来ているのであろう。
其れは、イエスキリストの謂う「永遠の命」の世界を示唆しており、三日前の「水が全ての源」の次の舞台が示されて来ており、昨日の文章「性と食は本能だから罪ではない」に関連している事に成る。
今日は、自分が72歳の誕生日である事と、「腸内フローラ・花畑」に棲む生き物のパフォーマンスの様子から、「始めに 言葉有りき 言葉は神なりき」と「72の言葉」で調べると次の文章が有る。
2007/8/30・・旧約聖書には、「始めに 言葉有りき 言葉は神なりき」と有り、カバラの世界では72の文字・言葉が組み込まれている。其れを言い出した・考え出した昔の人が、体験した事がいま私に起きて来ているのではないだろか。・・・
「節名 http://green.ap.teacup.com/20060818/436.html
2013/2/16・・明け方のメッセージの映像には、屋久島全島の地図が現れて、小杉谷付近に印が付いていた。其の場所は、屋久杉が伐採されていた頃に集落が存在した場所で、現在でも小・中学校の跡が残っている場所である。
次の映像は、登山用の大きなリュックを背負った若者が数人、町中の観光案内所で、其処に向かう道筋を訪ねていた。其の様子を窺っていると、其処に72歳の長老が住んでおり、其の長老の所に勉強に行くとの事であった。
山中に居る「長老・仙人」が、72歳であるとの事は、旧約聖書に「始めに言葉ありき 言葉は神なり・・。」と有る事や、カバラが72の文字・言葉で組み合わされている事と関係があり、言葉・言霊・マントラの世界を示唆しており、正しい言葉を勉強すると言うか、言霊の世界を浄化する必要がある理・ことを示しているのではないだろうか。
其れが、町の中ではなく屋久島の奥山であるのは、事態が「クライマックス」に達している事を示しており、究極の森の中に身を置かなければ、正しい言霊の世界に還れない理・ことを示唆しているのではないだろうか。・・・
「エンライト」https://green.ap.teacup.com/20060818/2596.html
2001/2/18今朝の夢告には「72」と出て、次に「国体」と出た。
「72」は、カバラで言葉・文字の世界を表す数である。
旧約聖書には、「始めに 言葉有りき 言葉は神なりき」と有り、カバラの世界では72の文字・言葉が組み込まれている。其れを言い出した・考え出した昔の人が、体験した事がいま私に起きて来ているのではないだろか。
神の名の「名」は、文字の「文・ブン」で、日本では「文・あや」と読み、一つの文字に付いた音である。
日本語には、「あ」から「ん」までの48清音と、濁音半濁音合わせて70近く残っている。古代では、48音の一つ一つが、意味を持っていたらしい。
72とは、人間の意識で、72の意味付けが有ったと言う事だろう。
「国体」とは、戦後生まれの私には、良く解からないが、天皇を中心とした日本の伝統の事だと思われる。国体とは、誰の言葉を基に行動するのか、物事を起こすのに、中心的役割を担うのは誰なのかと言う事を決めて、其れに基づいて、造られた体制と言う事ではないかと考える。
日本は、戦後「民主主義」となり、天皇陛下の言葉に、国を動かす権限はなく、国会で決められた事に、天皇は国民を代表して、承認の印を捺すだけの存在になってしまった。
現代の国家体制は、国会議員が利己的な欲望のままに決定を下せば、そのまま通ってしまう体制なのである。本来、政治とは、国民の為を想ってする事であって、自分の都合を考えてする事ではない。
「治める」は「治ろしめす」とも読む。そして、「治す」とも読む。
鎌倉幕府が出来、源頼朝が政治の実権を握るまでは、一応、政治は天皇の下・もとで行われていたのである。明治維新で、形だけは天皇中心に成ったけれど、実権は、官軍が名を変えた新政府に有り、官軍の元は、江戸幕府の構成員である「薩長両藩」の延長線なのである。
では、本当に天皇の下で、天皇の言葉を基に、政治が行われていたのは何時かと言うと、天智天皇まで遡らなくてはならない。
国体は、天智天皇の政治を手本に作り直すのが良いと考える。
この時代、天皇は「スメラのミコト」と言って、太陽神に仕える神官であり、天地の働きを和らげ、民を安心させることが役目であり、その権力は、天皇・大君が発する言葉に集約されていた。
「始めに言葉ありき 言葉は神なりき」其処の処に、スメミマの大君は在るべきなのだ。その理・ことが、今朝のメッセージであった。
人類全体の事を、考えるべき時代に至り、国を越えた地球規模の「大御心・おうみこころ」の発動が待たれる。其の働きが、生まれる土壌が日本の国であり、それが「大和・やまと」と名乗った人達の、霊界からの願いなのである。
「治ろしめす」とは、言葉の力に拠って、民を感化する、社会体制を創り上げると言う事であろう。
漢字の「治」の意味は、「民の心を耕してして 安らぎを 与える。」と言う理・ことである。以上の理・ことが、今日の私が感知した事である。
「72と国体」https://star.ap.teacup.com/170606/466.html
是等の文章の内容からすると、私は72歳にして、ようやく自分の腸内フローラの住民である「虫」と、初対面をしたと謂う事に成りそうである。
平成31年1月29日
礒邉自適
2019/1/27
優しさ
31・1・27
今朝のメッセージの映像は、先ず、横書きの日本語の長い文章が映し出されて来て、其の文章が終わった下の空白の部分に、年数か、月日か、時間を意味するのか、判断できない数字が、頭に付加されている単語が、無数に並んでいる場面が映し出されて来た。
次に、昔から続いている大きな鉄工場の様な施設が映し出されて来た。
其の工場の初期の建物の中には、民芸館が会館できる程の古い鉄鍋や漆器などが、澤さん山積みに成って埃を被っている様子が映し出されて来た。
そして、近代工業の工場の方に歩いて行くと、人影は無いのだが、機械が動いている場所に出て、私が鋼鉄パイプの横を通った時に、身体が触れた為にパイプの取り付け部分から高温・高圧の循環油がシャワー状・霧状に噴出し始めたので、私は離れた場所に避難すると、新しい工場の方から男性技術者が走って来て、其のパイプの元を閉めて修理を始めた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「5時11分」であった。
其れから今度は、人間が関わっている様々な世界が映し出されて来た。
其れは、最初に映し出されて来た文章の下の空白部分に記されていた、数字付きの「単語・課題・テーマ」に付いての世界が、映像にて映し出されて来た物である事が理解されて来た。
其の中で記憶に残っているのは、石の世界に付いてであり、石の存在は金銀鉄などの鉱物だけではなく、磁器やガラスの原料と成る物から、人間の身体に必要なカルシウム・燐・マグネシウムなどのミネラル(希少鉱物)などの、様々な物として人間の存在に欠かせない存在・世界である。
其れから、人間の身体の世界が示されて来て、濁りの無い真っ赤な血液の存在が大事である理・ことが示されて来た。
そして、最後に、菠薐草(ほうれんそう)か不断草(ふだんそう)の様な深緑色の広い野菜の葉が、フライパンの中で油炒め状態に成っている場面が映し出されて来た。
其れから、「やさしさ」との言葉が一言告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は「8時1分」であった。
今朝は先ず、起こされた時刻「5時11分」と「8時1分」から昨年の5月11日と8月1日の文章を見てみると次の様に書いて有る。
2018/5/11今朝のメッセージは、私が誰だか判らない男性と一緒に、何処かに旅をする場面が映し出されて来て、私は、自分の軽トラックで行こうかと思って軽トラを置いている場所に行くと、其の男性が、「まだ知人と子供が居るので、是では駄目だから、自分の大きな車を持って来る」と謂って、自宅に帰って行った。それから、私は、自分の荷物を用意して、デパートの前に有るバス停のベンチの所に行って車の到着を待って居た。
そして、喉が渇いて来たので、デパートの中に飲み物を買いに入って行き、買物を済ませてベンチの所に帰って来ると、私の荷物が全部消えてしまっており、テーブルの上に、空に成った財布だけが残っているので、「しまった 荷物を盗まれた」と意い、財布が空に成っているので、是で旅に出掛ける事が出来なく成ったと思い、右手をズボンの後ポケットにやると、自分の財布が手に触れたので、ほっとした所で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「1時49分・2時11分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は横書きの日本語の長い文章が映し出されて来た。そして、最後の部分には、英語の単語が幾つか混ざっており、其の英語の意味が何だろうかと思うと、「ルーマニア」「アレックス」「ワーグナー」との言葉だけが頭に記憶されて来た。
次に、「天津日嗣・あまつひつぎ」に関する映像が映し出されて来て、次に「天皇」に成る50歳代の男性が、子供と手を紐で繋いで登場し、広場で走り始める場面が映し出されて来た。
そして、私は歩いて居ると、其の男性とぶつかってしまったので、其の男性は目は開いているのだが、全く視力が無い事が判ったので、私は地面に両手を付いて平謝りをして居た。・・
此の二日分の文章を読むと、今朝告げられて来た女神の言葉と関係が有り、私が現在の人間社会・三次元世界の事に意識を向けて居ると、未来創造が発生しないと謂う事であり、それは宇宙意識・天神(てんのはたらき)とのチャンネルが切れる事に繋がり、宇宙のプログラムが停止してしまうと謂う事なのであろう。
其れを考えると、今朝のメッセージは「ひふみ・霊文神示」の送り主である「国常立尊」の神(はたらき)がどう言うモノであるかが、理解されて来そうな気がする。
其れに、いま日付を打って気が付いたのだが、本日が5月11日であり、「層なっている天国」の文章は、一年前の今日のメッセージであるので、「・・要は、天国・神の園・エデンは、遠い上方に存在するのではなく、身近な此の三次元世界に、層なっていると謂う事である。・・・」との事を真剣に考えなければ成らないと言う事に成るのだろう。
『正に 其の通りよ。貴方が想わなければ 何事も始まらないのです。
其れは 貴方の想う行為が一番大事であり 其れがなければ 此の過去の情報世界・「色・rūpa・ルーパ・縁起」が 此の儘続いて行くと言う事であり 此のまま 惰性で滅んでしまうと言う事なのです。 』
「今 時が 進む 」 11時11分
此の、「今 時が 進む」の言葉が告げられて来た11時11分の時間・タイムは、5月11日11時11分である。
此の、瞬間的出来事を考えると、私は丸事、マヤ・アステカの神(はたらき)である「時間の操縦士」の手中に在ると、謂う事に成りそうである。
「天国は此の世に重なっている」https://green.ap.teacup.com/20060818/4616.html
こ文章には、〔其れに、いま日付を打って気が付いたのだが、本日が5月11日であり、「層なっている天国」の文章は、一年前の今日のメッセージであるので、「・・要は、天国・神の園・エデンは、遠い上方に存在するのではなく、身近な此の三次元世界に、層なっていると謂う事である。・・・」との事を真剣に考えなければ成らないと言う事に成るのだろう。
『正に 其の通りよ。貴方が想わなければ 何事も始まらないのです。
其れは 貴方の想う行為が一番大事であり 其れがなければ 此の過去の情報世界・「色・rūpa・ルーパ・縁起」が 此の儘続いて行くと言う事であり 此のまま 惰性で滅んでしまうと言う事なのです。 』
「今 時が 進む 」 11時11分 〕と 書いて有るので、二年前の5月11日の文章を見てみると次の様に書いて有る。
2017/5/11今朝のメッセージの映像は、昨日のメッセージで、私が「天名・あまな」と言う名前の老女に、「岐阜」に招かれた事と、「大英帝国」との言葉が告げられて来た事に関係が有り、私は階段の有る大きな山の道を登り、天国・桃源郷に辿り着いた事が、映像にて映し出されて来た様である。
今朝のメッセージの映像は、私が、見た事が無い70歳位の男性に招待されて、別荘地の様な所に有る、大きな建物に到着する場面から始まった。
其の建物は、豪邸と言う感じではないのだが、全ての面において調和しており、物音(音楽やテレビ・ラジオ放送や車などの騒音など)が一切しない、静かな世界であった。
其の建物は、自然の風景と言うか、環境条件と大調和しており、何処からが建物で、何処からが大自然なのかの、境界が判らない状態の世界である。
おまけに、部屋の中に置かれている置物が、鉄かブロンズ製の樹木の幹に、生きた蓮の様な美しい花が咲いていて、物と生物の境界・分離も定かではないのである。
そして、同じ年代の奥さんが、其れ等の建物や備品や庭を視て歩いて居るので、私が、其の男性・主人に「これ等のデザインは 奥さんが行なっているのですか」と訊ねると、否定も肯定もしないで、穏やかな雰囲気で私の質問を受け流した。
其れから、其の建物の続きの施設を案内されると、其の施設は、リゾートホテルの様な感じに成っており、世界中から様々な人種の人達が宿泊に来て居り、夫々が好みのブロック・コーナー・部屋で、男女のペア(夫婦)等がとても幸せそうに、寛いでいる姿が在った。
そして、其の主人が私を外に連れ出して、周囲を散策する事に成った。
すると、絵に描かれている様な青い空、青い海、背景に緑の木々が繁る白い砂浜と、白いコテージ・建物、の風景が眺められ、其処を通り過ぎると、御崎の先に港が有り、ヨット等の船が停泊していた。
だが、何故か、スポーツをして居る人の姿はなく、レストランの様な店もなく、ホテル施設の中にはトイレや浴場の様な物も見当たらなかった。
其れ等の様子からすると、今朝私が訪れた世界は、此の世(三次元世界)ではなく、彼の世(四次元世界)のモノであった様である。
今朝のメッセージの映像から、私が感じた事は、今朝の映像世界が、人間の意識が辿り着くべき究極の世界であり、其の次元に至る為に、此の三次元での人間の暮らし・修行が有るのだと言う事である。
そして、私は全ての修行が終わったので、今朝、最終的な次元に招待されたと謂うか、神上がったのではないだろうか。
其の事を考えると、昨日文章を書き終えた時に、「ゆめ」との言葉が告げられて来て、受け取ると次の様な文章と成った。
夢
「貴方が 眠っているときに見る夢は
貴方自身の事ではなく
此方の希望が 映し出されるモノですから
貴方は 其の事に 振り回される必要はありません。
ですから 貴方は 自分が見た夢の内容を
実行しなければ成らないと 意う事は 止めなさいね。
ただ 其れを 貴方に知らせたかっただけです。」
此の女神の言葉は、今朝のメッセージの前触れであり、今朝、夢に映し出されて来た世界を、現実の世界として、造ろうとしては成らないとの事が、示されて来ている様である。
其れに、今朝の様な映像世界を見せられた人間は、此の三次元世界での活動が全て無意味に思えるか、理想主義者と成ってしまい、此の世で行なうべき人間の役割(体験学習)を放棄してしまう可能性が高い。
だからこそ、修行を終えると言うか、体験学習が完了した人間にしか、今朝の様な映像・世界は見せないのであろう。
だが、今朝の映像からすると、此の人間社会で生活する人々が、理想として求めている世界が、其の様な世界であるので、人間の無意識の領域には、今朝映し出されて来た世界が、潜在意識として描写されているのであろう。
其れを考えると、昨日女神が告げて来た「ゆめ」の言葉・文章が、其の事を示して来ている事に成る様である。
何れにしても、私は自分の「命持ち・みこともち・使命・さだめ」を果たした事に成る様である。其れは、4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」も友連れとして、霊界の残念霊を浄化(クリア)した事にも成るのであろう。
今朝のメッセージの映像は、私が昨日、12時から蓬団子用の蓬摘みに出かけ、「ユスラウメ(梅桃、山桜桃梅)」を見つけて食べた事に関係有り、「身土不二効果」が有ったと言う事に成るのかも知れない。
要は、「天国・神の園・エデン」は、遠い上方に存在するのではなく、身近な此の三次元世界に、層なっていると謂う事である。
「層なっている天国」https://green.ap.teacup.com/20060818/4236.html
此の「天国はこの世に重なっている」との言葉・考え方からすると、今朝のメッセージは昨日の「水が全ての源」との言葉と関係が有り、天国とは空間的な次元の境に在るのではなく、水の面に在ると言う理・ことなのかも知れない。
2018/8/1今朝は一眠りすると起されたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「0時8分」であった。其れから再び眠ると、透明感のある青色の人の形が、神殿の入り口の様な場所に三体並んで立って居る場面が映し出されて来て、其の三体の御魂が誰であるかを確認しようとして居ると、私の左足の小指の付け根に強いカモ(神の電気信号)が起き、其の痛みで目が覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「2時35分」であったので、私はその数字を「235・ふみいつ・文何時」と記憶して、再び眠った。
すると今度は、二本の幟を立てる長い旗竿が伐り出されて、長い紐で括られた儘、広場の地面に寝かされている場面が映し出されて来て、其の竹竿の頭の部分には未だ緑の枝葉が付いていたので、伐り出された直後である事が判った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は3時41分であったので、私は其の数字を「341・みよはじめ 御代始め」と記憶して再び眠った。
すると、今度は日本語の縦書きの文章が映し出されて来て、其の文章の中に「粋心・スイシン」との単語が存在する事が、大きくクローズアップされて来た。
次に、何処かの山中に存在する日本の昔ながらの村落が映し出されて来て、其の村の木造の大きな集会所で、直会(なおらい)の様な行事が行われており、右側の上座には着物を来た三人の長老が座って居た。
そして、広間には数十人の村人が集まっており、左側の台所の方では、年配の女性が料理を作っており、野外にはとても大きな平鍋が竈に載せられており、其の平鍋の中には、鯖鯵等の青魚ではなく、岩場で釣れる大きな鯛などの魚が10匹ほど醤油で煮付けられていた。
私は、何故か料理を手伝う事に成り、生きた河豚を捌く事に成ったが、免許を持っていない私が捌いても良いのだろうかと意って居た。
其の会場に集まって居る人々の様子から、其の村は現代社会の風潮に汚される事なく、日本の文化を傳えている人々が暮らしており、上座に座って居る三人の長老は頑固だが、とても優しい心を持った人間である事が理解された。
其れから、其の村の中を見学して廻ると、木々が茂っている森の様な場所が有るので、其方に行って見ると、其処は昔の武家屋敷の跡の様な場所であり、大きな木々の間には、昔の屋敷の跡が幾つも残っていた。
そして、村外れの方に向かうと、山岳から大きな水路で清い水が勢い良く流れて来ており、水田が広がっていた。
其の水田から、海の方に向かうと、其処の水田の土手は城壁であるので、お城の跡が水田に成っている事が判った。
どうやら其の村は、以前お城が存在し、武士が其の儘、農業や漁業を始めて生活を続けている事が理解できた。
そして、「探した宝」との言葉が告げられて来て「2月5日」の日付が示されて来た。
其処で起きて時計を見ると、6時42分であったので、私は其の数字を「642・むしに・虫に」と記憶した。・・
此の「しめなわ・七五三縄」の事からすると、今朝の映像に幟用の旗竿二本が、長い紐で括られた儘であった事と、直会(なおらい)の様な集いが行われていた事は、日本の伝統文化と謂うか、精神の基本的な理・ことが示されて来ている様である。
「粋心」との単語は、有りそうなのだが、辞書には載ってはいない。
*「粋・スイ」【解字】形声。「米+卒」音符の卒は、まったい(完全)の意味。完全に精米した米の意味から、まじりけがないの意味を表す。
【字儀】(一)@まじりけがない。「純粋」Aもっぱら。専一。B完全。かけるところがない。質がよい。また、その部分。最も良質で純粋な部分。「精粋」(二)くだける。くだく。国語。スイ。いき。⇔野暮。㋐世態人情に通じていて、ものわかりのよいこと。㋑遊里や芸人の社会などの事情に通じ、動作が自然とその道にかなっていること。
*「心・シン」【解字】象形。心臓の象形で、こころの意味を表す。心を音符に含む形声文字に芯などがある。
【字義】@こころ。㋐精神。知情意の本体。考え。気持ち。「小心」「愛国心」㋑意味。㋒おもむき。A心臓。また、胸。「強心剤」Bシン。㋐まんなか。中央。「遠心力」「天心」㋑中心に入っている物。芯。㋒物事の重要な部分。「核心」 漢語林より
此の「粋・心」の意味からすると、「粋心」とは「まったいこころ・まじりけのないこころ・完全な心」との意味合いである事に成り、今朝のメッセージは「完全な心」に付いて示されて来ている事に成る。
其れを考えると、今朝のメッセージは昨日2018年7月31日で、神武天皇を基とする日本の歴史の「(業(カルマ)・柵(しがらみ)」が消去されたと謂う事であり、本日が8月朔(ついたち)であり、0時8分から新しい次元に突入したとの事なのかも知れない。
其れを考えると、今朝の映像に、伐り出されたばかりの青竹二本の旗竿が映し出されて来た時刻が「3時41分」であり、私が其の数字を「341・みよはじめ 御代始め」と記憶したのは当たっている事になる。
そして、其の事と、私の左足の小指の付け根の裏に強いカモ(神の電気信号)が起きた事は、どの様な意味が有るのだろうか。
『其れは 貴方の真実が 明らかにされると言う事であり
貴方はまことの道を 歩き始めなければ成らないと言う事です』9時41分
此の9時41分の数字は逆にすると「149」であり、其の数字は「123」の二乗であり、「149・いしく・石工」と読めるので、「礒邉・磯部・石部・石工」の血筋・系統の道を、歩き始めなければ成らないと言う事の様である。・・
今朝は由香のビジョンを尋ねると、次の様な内容である。
何処かの山の上にある広い森林公園の様な場所で、古武士の様な長老と年配の男性が数名登場して、私が盛山に生えている木々の根元の土を、丁寧に除去して、根張りの様子を調べる作業をしていると、其れを見て、長老と男性達が、同じ様に作業を始めて居たとの事である。
其の後、由香は、お婆さんを背負い、農作業の道具一式を前に下げて、山から畑に向かって歩いて居たとの事である。・・
今朝のメッセージの映像で、神殿の入り口の様な場所に、青色の人の形が三体並んで立って居る場面が映し出されて来たのは、新しい御世創りに三体の神霊が降りて来る事が示されて来ているのであろう。
其れは新しい御世を創造する為には、神の意識を宿した人物(霊留・ひと)が必要であると謂う事であり、其れは一体では駄目だと言う事である。
其れを考えると、先ずは、「粋心・スイシン・まったいこころ・まじりけのないこころ・完全な心」の人物が必要であると言う事になる。
其れは、物事の在り様を、根本的に把握している人物の事なのであろう。
そして、其れが真実の武士道に有り、其れが、私が長い間探し続けている日本の宝であると謂う事である。
「粋心」https://green.ap.teacup.com/20060818/4698.html
此の、「粋心」とは「まったいこころ・まじりけのないこころ・完全な心」との意味からすると、今朝告げられて来た「やさしさ」との言葉は、其の「粋心」との言葉の世界に生じるモノであると謂う事であり、其れが水の存在に関係が有るのなら諺にある「魚心あれば水心」との言葉の意味と関係が有り、人間と神(はたらき)の関係も其の様なモノ・世界であるとの謂う理・ことなのではないだろうか。
今日は「優しさ」に関連するメッセージを調べると、次の様なものが有る。
2005/9/29『やさしさのてっぺん』
「生命の基本は優しさです。
神も 仏も 優しさの上に 成り立っているのです」
この宇宙は 優しさの海である
その優しさの海で人々も生きる。
観音菩薩の声が聴こえなくても
マリア様の姿が観えなくても
すべては その愛の中に 生かされている。
今日も 明日も そして未来も。
2004/2/17『悲しみが去って』
一番前(さき)を歩く者の 悲しみが去って
暖かい春の兆しが 見えて来た。
嘗て 道を先んじた 聖者達の涙の跡が
道導と成って 私達に救いを与えてくれる。
過去の模様(とき)が 現在(いま)に重なって
未来を紡ぎ出しているのだ。
遥かな時間(とき)が産み出した 永遠のいのちの世界
今 私達は その世界に住む。
満ち足りた 此の感覚は
私達だけの現象(もの)ではない。
古から 世界を支えて来た 先覚者の意いの
礎が 有ったればこその成果なのだ。
其の 嘗ての 聖者達の喜びも
現代を 共に祝福しているのだ。
「貴男がそうであった様に、嘗ての者達も
存在を支える為に、絶え間無い 努力を積み重ねて来たのだ。」
そう 告げて来る 観音菩薩の声も
悲しみに堪えていたのだろう。
人の生が 此の世に在る限り
悲しみが 地上から消える事は無いだろうが
生を喜ぶ者が 増える事で 暖かさは強く成るであろう。
神と引き裂かれた 悲しみ深き者達が
神の愛の泉に立ち返る時 世界は優しさに包まれる。
最早 一番前を歩く者は 必要では無くなる
もう直ぐ 暖かい春の風が 皆を包み込むのだ
やがて 人々の想いは 神の念いと同じに成る。
2005/6/18やさしさの 海に おぼれて
愛されている事に 気付かない私を お許しください。
あなたの 優しさに 気付かないまま
今日まで 歩いて 来ました。
随分 迷い道を して来たけれど
ようやく あなたの 優しさに気付きました。
穏やかな 海の中に 居るのに
自分から 波立たせていた 私なのです。
ようやく 自分の力が萎えて来て
あなたの 愛の深さに 気付いたのです。
ようやく あなたの 穏やかな海に 身を沈めて
その 愛の深さを 確かめて行きます。
是までの 恥ずかしき行いを 悔い改められる うちに。
2009/5/18優しく在りなさい。
貴方の 家離・たびは 終わりました。
貴方は 新しい世界を 齎したのです。
貴方が 新しく齎した世界は
新しい人類の 進化のタビに 繋がるものです。
ですから もう 貴方は
唯 静かに トキを過ごして居れば 良いのです。
貴方が 静かに 在ることで
全ては 穏やかに 調和して行きます。
貴方の望みは 其の事にあるでしょう。
其の希望が 適う時節が 巡って来たのですよ。
優しく在りなさい」
是等の以前の文章の内容から考えると、「やさしさ」との言葉告げられて来る前に、真っ赤な血液の大事さと、フライパンの中に深緑色の葉の野菜料理が有る場面が映し出されて来たのは、肉食ではなく、太陽光線を蓄えて育つ植物を食べる人間の方が血液が澄んでおり、優しい心(粋心)を維持できるので、優しい言の葉が醸し出されるとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れを考えると、古くて大きな鉄工場の初期の施設の中に古い鉄鍋や、漆器や木の器などが澤さん山積みに成っていて、中間の場所には、新しい工場に送り出す為の、潤滑油が循環する高圧パイプが有って、其のパイプに私が触れた為に、其の潤滑油が噴出し始めて、新しい工場の方から係りの人が走って来て修理を始めたのは、次の様な事が考えられる。
*昔は鉄鍋と薪で料理が作られ、漆器などの自然素材の器に盛られていたので、身体に鉄ミネラルや火のエネルギー、其れに作り手の愛情・やさしさが込められていたが、現在の世の中はアルミ鍋やプラスチックの器なので、其れ等の気・エネルギーが供給できない。
*私が登場した事で、新しい未来が創造される事に成ったので、神の意思にそぐわない場には潤滑油の補給が行かなくなる成る。
*其れ等の事が改善されなければ、幸福な未来社会を創造する子供達の社会進出が出来ないので、天神の意いの現実化が不可能である。
*だが、私が34年半7ヶ前に此の世界に飛び込んだ時に、新しい時間軸を立てて、逆回転の事象の渦を起こした事で、地球にスターチャイルドが降臨しているので、其れらの若者が此の三次元で別の生き方を始めており「時の操縦士」として動き出す事が「今時が進む 」5月11日11時11分との知らせであるとの事。
後2日で、72歳である。
平成31年1月27日
礒邉自適
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