1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2019/2/28
近代農業の終焉
31・2・28
早いもので、本日で2月が終り、明日から3月で、今年も六分の一が終わる事になる。
今朝のメッセージは、近代農業の行き詰まりに付いて示されて来ており、其れを良く考えていると、昨日のメッセージは、人間界の近代システムが崩壊寸前である理・ことが示されて来たモノであると思えて来た。
『其れは 貴方の意識が
原点に返る為の 布石と成るものです。
何故かと謂うと 貴方の意識・おもいが
先にばかり向いて行くと 原点のところが
失われてしまう恐れがあるからです。
何事も 原点が失われてしまうと
拡大 膨張し過ぎてしまい
維持が できなく成ってしまうからです。 』8時25分
今朝のメッセージの映像は、私の意識が屋久島に在って、果樹園を経営している農家を訪ねなければ成らないのだが、足が無いので困って居ると、誰だか判らない男性が中古の軽自動車を借りて来て、買うのならば12万円だと謂った。
私は他に方法が無いので、取り敢えず其の車を運転して、果樹園に向かうと、其処は集団で国有林を払いさげて果樹園にした所であり、大きな岩石の有る急傾斜の場所であった。
私が、ポンカンやタンカン等の柑橘類が植っている園内の中の細い道路を登って行くと、途中に岩の凸凹の場所があり、床の高い四駆車でなければ走れないので、其処で諦めて引き返す事にした。
其れに、下り始めると其の軽自動車はブレーキの利きが甘いので、買い取る事を止めなければ成らないと意っていた。
其れで一端、車を止めて、捨てて有るポンカンの果実の山の中から、良さそうな物を選んで皮を剥くと、化学肥料を使っているので、味が不味い事が判ったので、食べる事を止めた。
そして周囲を観察すると、果樹の枝葉には真っ白に農薬が散布されており、土地には除草剤が散布されているのか、雑草が一本も生えておらず、中の防風垣も邪魔に成るので伐採されているのである。
其れ等の様子を見て居ると、60歳位に見える女性(女神・瀬織津比売?)がポンカンの果実を一個手にして、左側から現れ、其れをお供えされても、喜べない事を私に示した。
今朝のメッセージは、緑豊かな地球の環境が、山岳まで破壊されて、化学肥料や農薬等に汚染されている事が示されて来ており、養分が無い土地で収穫された農産物は、人間の身体に悪いだけではなく、神(はたらき)も喜べない理・ことが示されて来ている様である。
其れに「女神・(瀬織津比売?)」らしき女性が登場したのは、河川の源流まで木々が伐採されて、化学肥料や農薬が撒かれれば、河川の水が汚染されてしまい、禊ぎ祓いの儀式も行えなく成る理・ことが、示されて来ている事にも成る。
そして、私が運転した軽自動車が廃車寸前の状態であったのは、農村の経済状況が最悪の状態まで低下して来ている理・ことが示唆されているのであろう。
其れは此の30年間で、戸数は約四分の一 従事者が約五分の一に減少している事で明らかである。
【年間農業収入が50万円以上】
農家個数 1985年から2015年の30年間変移 統計
農家数 604万戸から133万戸。
農業従事者数 1932万人から340万人へと、大きく減少している。
出所 農林水産省「農業センサス」
2008/10/28・・其の事で、子供や若者から、故郷の記憶や郷愁が消え去り、村の生命力が失っているのではないだろうか。
昨日の、農林普及課の神埼課長の話しでは、現在の屋久島の農家数が113家しか無く、其れも老齢化しているので、もう直ぐ70家ぐらいに成り、屋久島の農村は、成り立たなく成るとの事であった。
其れは現在でも、先進国の中で、自給率が低い日本全体の30%よりも、さらに低い屋久島の15%の自給率が、更に低下する事を意味している。・・・
「デザイン」https://green.ap.teacup.com/20060818/932.html
2006/12/16・・其の次に伝えられた事は、日本国が食糧危機に成って、殆どの人達が、食べ物が手に入らなく成る事が告げられて来た。・・
日本の国は、食料自給率は30%で、先進国では最低の水準である。
家畜の餌や、味噌や醤油・豆腐等の原料は90%以上が輸入である。だから、輸入が止まれば「鶏・卵・豚肉・牛肉・牛乳」等の生産が出来なく成るし、パンや麺類等も総て無くなるのである。
オマケに経済危機が起きれば、一気に円安に成るので、他の石油やガス等も買えなく成るし、工業も原材料がストップするので、全面的に生産ストップに成り、貿易が止まるので、あらゆる経済活動が停止し、国家が崩壊し、公務員も其の職を失う事に成る。
其れは、70%の国民が、食べ物の有る国に、避難しなければならない事に成る。しかし、8000万人もの人間を、受け入れてくれる国は、何処にも無いだろう。そう成れば、3分の2は死んで行くしか他に方法はない。
日本は、100年前までは90%が百性だったのである。
処が、現在は農家の跡取りが居なく成り、もう直ぐ農家の数は、半減するだろう。何しろ、毎年、医者の数は9000人程増加しているのに、農家の跡取りは1000人にも満たないのである。
1億3000万分の1000は、統計学では誤差の範囲で「0」と見なされる数字なのである。
屋久島は、80%が山岳を占めており、耕地が少ないので、島で生産できる食べ物を、全て島内消費しても自給率は18%である。
其れ等の事柄を考えれば、屋久島の経済をどうするかを考えれば、日本全体の経済の在り方も、見えて来るかも知れない。・・・
「事象の反転」http://green.ap.teacup.com/20060818/127.html
2010/12/17・・其れ等の映像は、屋久島の人達が、都会の文化に侵されて、本来の屋久島の暮らしから遠のいていると言うか、昔の暮らし向きを、忘れ去ってしまっている理・ことを現している。
確かに、現在では、屋久島では米を栽培している人は少ないし、猿や鹿の食害で家庭菜園をやっている人も極僅かである。
本格的に栽培されているのは、島外に輸出するタンカン・ポンカン・ジャガイモや、胃腸薬の原料であるガジェツ(紫ウコン)等である。
だから、屋久島の暮らしは自給体制が壊れており、食料自給率はタンカン等の柑橘類を全部島内で食べても、18%である。
だから、正確に言うと、島内の自給率は10%を切るのかも知れない。
では、屋久島の暮らしが、何で保たれているかと言うと、観光収入が60%以上で、観光客関係が最大の収入源であり、他に、国の公共事業等の補助金が支えと成っているのである。
其の事を考えると、都会の経済が崩壊すれば、屋久島の暮らしは成り立たなく成り、島に移住して来ている人達は、再び、島外に逃げ出さなければ成らなくなるだろう。・・・
「是からの社会動向」https://green.ap.teacup.com/20060818/1768.html
2018/1/22「何が始まるのか」https://wave.ap.teacup.com/20060106/806.html
2008/3/14今朝のメッセージの映像は、雨期で湿った大地を、山へ向かって這い上がって行く「いのちたち」の最先端に、私の意識が存在している事が示されて来た。そして、私の母親や、29歳で亡く成った弟が、私の進む道を、支えて居てくれた事が示されて来た。
今朝のメッセージの映像は、私が男性だから、精子のカルマを潜在意識に持っているからかも知れないが、陸に這い上がった動物が、水が流れて来る「源・水もと」へと、這い上がって行く原因を示しているのかも知れない。
其れは、稚鮎や、鰻の稚魚や、鮭が産卵の為に、川を必死に遡って行く事に似ていて、人間の意識も、自分の生命の源が、水の存在に関係が有る理を、無意識で知っているのではないだろうか。
後6日で、「春分日(20日)」であり、春の彼岸の中日である。
私達は、子供の頃から、春の彼岸には、「川を 河童が山に上って行き、秋の彼岸には、山から川を下りて行く」と、聞かされていた。
今朝のメッセージの映像は、其の事が、満更嘘でもない様に想われるものである。
其れは、人間の意識の中に「源・水もと」に引かれる潜在意識が潜んでおり、山の泉に、神が住むと考えられ、「御嶽・みたけ・ウタキ」信仰が生まれる原因と、成っているのではないだろうか。
だからこそ「川上・かわかみ」との言葉が有り、「神・シン」を「かみ」と呼び、自分の事を「みずから」と自覚するのかも知れない。
其れを科学的に考えれば、森林を形成している植物は、皆、数億年前に海から陸に這い上がって行った物であり、其の植物の活動で落ち葉が生まれ、其の落ち葉を微生物が分解して、森の栄養であるフルボ酸鉄が生まれ、其のフルボ酸鉄を含んだ水が川を下って、水田を肥沃にしている。
更に、其の水は海に流れ出して、植物プランクトンの餌と成り、其の植物プランクトンが動物プランクトンの餌と成り、其の動物プランクトンが小魚の餌と成り、其れを鰯や鯖が食べ、其れを鰹やマグロが食べているのである。
其の理を考えれば、生命の源は森に在る事に成り、其の生命・いのちの元に意識が還ろうとするのは、当然の事と謂えるであろう。
其の潜在的な生命情報が、人間に、神・上の世界を創造させているのであろう。だから、古代に同じ様なビジョンを見た者が居て「人間は 粘土(アルミと珪素の化合物)で創られた」と謂い、其れが、旧約聖書の物語に成って来たのであろう。
更に、最初に創られたアダムの骨から、イブが創られたと有るのは、動物が海から陸に這い上がる時に、カルシウムやミネラルを蓄える貯蔵庫として、甲殻ではなく骨格を用意した事を、潜在的に感じ取って、説明したものではないだろうか。聖書も、コーランも、仏教経典も、みな人間が、言葉や文字を発明したからこそ、伝えられて来た物である。
だから、言葉や文字がなければ、宗教も無いと言う事に成る。
そして、言葉や文字がなければ、全ての人々が、私の様に、毎日見る夢を真実の世界と憶いながら、生活して居たのではないだろうか。
だからこそ、学校が無い自然の中で、生活して居る現住民は、夢を大事に考え、其れを見せてくれる精霊を、神として来たのである。
だから、学校が出来て、聖書やコーランや経典を、机の上で勉強する様に成れば、神やブッダは、本の中に閉じ込められ、もう夢の中には現れなく成るのである。
昨夜は、ベッドに着き眠りに入る前に、「あつらえる」との言葉が伝えられて来た。私は「イスラエル」ではないかと疑問に意ったが、やはり「あつらえる」との言葉である事が分った。・・
私は、24年前の1984年6月4日(旧暦5月5日)に、4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」を受け、其れから、其の霊魂・精霊・神霊の云う事を聞いて行動して来た。しかし、其の霊魂に対して、明確に「はい」とか「イエス」との返事を返してはいない。
何故かと言えば、返事をしなくても、其の前に、私の意識を占有し、手足の動きや、言葉を支配しているのだから、答えずとも、其の様に働いていたからである。つまり、抵抗しても無駄だったからである。
しかし、昨夜の様に、他人に向けて「あつらえる」事を依頼するのであれば、他人を、此の世界に引き込む事に成るので、おいそれと「いえす」と答えられないのである。
何故、今に成って、私の意識が「返事・応答」を気にするかと言えば、私の応答しだいで、精霊や神霊が動く時節が、到来している様に感じるからである。
其れに、今朝のビジョンでは、生きとし生ける物達の最先端に、自分の意識が在るとの事だから、人類の都合だけで、返事をする分けには行かないのである。
其れは、万物の霊長の立場として、「衆生一切・生きとし生ける物」の全体的バランス・調和を、図らなければ成らないからである。
今朝、私に理解出来る事は、地球上の全生命には、基本的な処に共通の「データソース・DataSource」が存在し、其れが、生命全体で情報を共有していると謂う事である。其れを、仏教では「仏の世界」と呼んでいるのであろう。
「誂える」とは、スーツを新調する意味でもある。
其れは、是まで着ていた服を、脱ぎ捨てる事でもある。
其の理・ことを考えれば、此処から先は、どんな宗教やイデオロギーも、脱ぎ捨てて、掛からなければならないと言う事でもある。
果たして、全く新しいスーツを、何処に発注すれば良いのだろうか。
其れも、データソース・DataSourceの中に、既に組み込まれているとの事であろうか。そうであれば、私は是からも、現状維持を続ければ良いと言う事に成るが、今日の処は、是以上の事は分らないので、明日のメッセージを待つしかないだろう。
「源へ還る意識」https://green.ap.teacup.com/20060818/672.html
今朝は明け方に、蚊が首の所に飛んで来て追い払ったし、起きて台所に行って蓬餅をトースターで焼きながら穀物コーヒーを飲んで居ると、手首に赤家蚊が飛んで来て止まった。
其れは、明日から3月で春本番が来る事を、昆虫・むしが知らせて来ている事に成る。其れこそが、自然の移ろいを示しており、自分が自然の中の一員である理・ことを、実感できるモノ・現象である。
平成31年2月28日
礒邉自適
2019/2/25
時間は管理するモノ
31・2・25
今朝のメッセージの映像は、一個の生塵を入れるボックスが映し出されて来て、其の中を綺麗に掃除をし、其のボックスの中に「時間・とき」を三分割して収める場面が映し出されて来た。
そして、其の「事・行為・作業」は「総務」の役割である理・ことが示されて来た。
本日2月25日は、私の娘「舞光・まいか」の28歳の誕生日であり、其の「マイカ・mica・きらら・雲母」の名前が告げられて来たのは、1991年2月26日に高千穂の岩戸神社の裏山をトラックで走行して居る時である。
【雲母(うんも)】は、ケイ酸塩鉱物のグループ名。きらら、きらとも呼ばれる。特に電気関係の用途では、英語に由来するマイカの名前で呼ばれる事も多い。英語のmicaはラテン語でmicare(輝くの意)を由来とする。
今朝のメッセージは、其の「岩戸神社」の存在と関係が有るのか、「時間・とき」は管理されるモノではなく、管理するモノである理・ことが、示されて来た。
其の事で、私は此れまでの出来事が全て理解できる様な気がして来た。
其れは、次の様な事柄である。
1.「時の祭りを行え」ではなく、何故「紀(とき)の祭りを行え」と告げられて来たのか。
2006/3/19「 紀(トキ)」https://star.ap.teacup.com/170606/815.html
2.何故「ほととぎす」が「時鳥」と記され、禽鳥類(朱鷺・とき)、鳶・とんび)、隼・はやぶさ)が、「時・とき・事象」を運ぶ・知らせる物であるとされるのか。
2014/12/01「ハヤブサがトキを運んで来た」http://star.ap.teacup.com/20121223/
2012/4/16「鳥神」https://green.ap.teacup.com/20060818/2279.html
3.中国の皇帝が何故、椅子に深く腰掛けて、心臓の脈拍が変化しない為に、物事を一切考えては成らないのか。
2007/2/26「平らかに成った世界」http://green.ap.teacup.com/20060818/200.html
4.日本の天皇・皇室が、職業に就いては成らないので、苗字・姓を持たないのか。
2014/5/29「皇室の在り方」https://green.ap.teacup.com/20060818/3083.html
5.「マクロビオティック ・Macrobiotic」の創始者である桜澤如一の教訓。
・玄米を一口運んでから、箸を置いて50回以上噛む。
・男性は奴隷・勤め人と成っては成らない。
2017/12/7「マクロビオティックの本質」https://moon.ap.teacup.com/20061124/100.html
6.私が此の世界に入った時に、あらゆる時計を壊した事。
2001/1/10「心を刻む」https://star.ap.teacup.com/20060505/89.html
7.1年・1月・1日・1分・1秒は、全て物の回転・動きで生まれているモノであり、其れ等の物がなければ「時間・とき」は存在しない。
8.瞑想とは、其れ等の時間・ときの束縛から自由に成る行為である。
9.時間とは「管理されるモノ」ではなく、「管理するモノ」である。
・其れが「統尊・すめらのみこと」「メシヤ・キリスト・救世主」の「仕事・役割・つとめ」である。
10.進む光は、重力で空間が歪んでいる所では曲がる。
11.何故、「統尊・皇帝・大君・聖者・仙人」が高圧者でなければ成らないのか。
・高圧者は電圧が高い理・ことで、強い磁力線を維持しているので、自分の空間を創り出し、時空を自由に管理する事ができる。
・イエスキリストが、数々の奇跡を起せたのは、其の力が強かった。
12.人間は本来自由に生きる生物であり、時間や組織や法律に管理されて生きる存在ではない。
今朝のメッセージの映像で、時間を三等分するボックス・箱が「生塵ボックス」であったのは、生塵が人間の生活・行為を意味しており、其れ等の物は「過去・すぎさった」物であるので、「ときの中」に塵程も残しては成らない理・ことを示唆しているのであろう。
其れに、時間・ときを三等分すると謂う事は、2016年6月19日のメッセージで、天空を両翼とする鳳(おおとり)が私に三個の「タルト・螺旋」を皿に載せて渡して来た事と関係が有り、其れは、此の世界を事象・森羅万象を維持管理する為には、「とき」を三等分すると謂うか、三つの「とき・時・紀・暦・聖」が必要であり、其れ等を纏める者が「総務」であり、其の者の呼び名が「統尊・すめらのみこと・大君」であると謂う事なのであろう。
2016/6/19今朝のメッセージの映像は、先ず未明に、現代社会の有り様は「自分が仕掛けた 仕掛けで 滅んで行く」理・ことが示されて来た。
其れは、次の様な物であった。
・政治家が 政治の遣り方で滅びる。
・銀行家が 銀行のシステムで滅びる。
・宗教家が 自分の宗教で滅びる。
・教育家が 自分の教育で滅びる。
・医者が 自分の医療体系で滅びる。
・スポーツ家が スポーツで滅びる。
・近代農業家が 近代農業で滅びる。
・マスコミの関係者が 自分の垂れ流した情報で滅びる。
其れ等の事が示されて来た後に、私が、自分の世界がどう成るのだろうかと思うと、斜め左下に存在する、渦巻く事象の中心部分から、優しい女性の声(姿は全く無い)で「あなたも 同じようになるのよ」と告げられて来たので、私は、自分自身では、何も仕掛けを作ってはいけないのだと感じて居た。
其れから朝まで、様々な世界が映し出されて来た。
其れは、是から始まると言うか、新しい「人間界」と「天界・宇宙」の関係性に付いてであり、私の此の世の肉体は、其れ等の事に対して、一晩中のた打ち回る様に、向きを変えて居た。
其の状況の中で、はっきりと記憶に残されたのは、「ファー」と言う言葉が、「天界・天蓋」を意味し、其のファーを背景(子宮壁)として、「后・きさき・母神」の姿(其の顔は人類が其の次元まで進化する象徴)が神々しく現れ、「タルト」との言葉が告げられて来てから、「栗たると」の様な丸い形の物を三個、私の前に差し出した。
私は、其の三個のタルトを、自分の刀で切ろうとしたのだが、其れは、私が手にする刃物では、絶対に切れないモノであり、その三個のタルトから、地上に、神の意思と言うか、プログラムが、降ろされて行く理・ことが示されて来た。
今朝は、PCを立ち上げると「貴方が基本的な理を」との女神の声が聴こえて来たので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「貴方が 基本的な理・ことを学ぶ事で
此方の方も 事を 先に進めることが出来ます。
貴方が 未来を創造する 元形と成るのです。
其れは 未来永劫 変わらぬモノと成るでしょう。
貴方が 此処まで 進んで来た事で
事態が 此処まで築かれて来たのです。
ですから貴方は 自分自身の存在に 誇りを持ちなさいね。
其れが 貴方の心の安定に 繋がるでしょう。
貴方が 此処まで 事態を進めて来た事で
未来の行方が 明るいものと成って来ました。
ですから ゆったりとした気持ちで
是からの人生を 楽しみなさいね。
此方も 其れを望んでいます。 」
此の女神の言葉からも、是から始まる人類の未来に付いて、私が、新しい価値観に基づく人間社会を、構築して行かなければ成らないと言う事になる。
今朝は先ず、「ファー」を調べると、「fur(ファー)」が有り、意味は古期フランス語の「おおう(もの)・覆う物」の意。が、有った。
其れに「タルト」を調べると、次に様に載っている。
トルテとタルト - 起源と語源・語史、異同
古代ローマ時代(ラテン語)は丸い皿状の菓子をトールタ tōrta と呼んでいたが、これはトルクウェーレ torquēre 「捩る、丸める」という動詞から派生したものである。ラテン系の言語にそのまま引き継がれたが、古フランス語では torte から tarte に変化し、これは「タルタル tartar, tartarum」の影響を受けた(引っ張られた、民間語源)とされる。また、スペイン語ではトルタ torta がケーキを含む厚焼き料理全般を指し、指小辞 -illa を付してスペインの卵料理トルティージャ・デ・パタータスや中南米の薄焼きパンのトルティーヤの語源となっている。
ウィキペディアフリー百科辞典 2016/6/19現在
此の説明に拠ると、今朝のメッセージで、「ファー」と言う言葉が「天界・天蓋」を意味していたのは、「fur(ファー)古期フランス語のおおう(もの)・覆う物」と符合しており、「后・きさき・母神」が私に手渡した丸い三個の物は、天界の働きと言うか仕組みが、三個に分類された物であると言う事に成り、「タルト(トルクウェーレ torquēre ・捩る、丸める)」との説明と、符合している事になる。
私が、今朝の映像場面から思い出すのは、密教の大日如来・マハーヴァイローチャナの「三密」の世界や、エジプトの「ヌト(天空の女神)・シュウ(大気の神)・ゲブ(大地の神)」の存在である。
だが、今朝のメッセージは、其れ等の考え方ではなく、全く新しい価値観と言うか、考え方・捉え方が示されて来ている。
其れは、全く新しい「神(はたらき)」の世界が始まると言う理・ことであり、 現在の人間社会の機構は殆どが、其れに合わないと言う事に成るようである。
今朝のメッセージは、昨日の女神のメッセージと関係が有り、私が何かを外に求めなければ、内側から事象のプログラムが開いて来ると言う事であり、其の中心核には、私を是まで支えて来た、女神の存在が有ると言う事になる。
其の女神は、優しさだけが基本に有り、人間を滅ぼす気持ちなどさらさら無く、ただただ「生命を育てる」だけであると言う事になり、人間界の仕組みが滅ぶのは、其の作為者自身の行為が「道・タオ、ダルマ・法」に合っていないので、真実の事象の扉が開かれた時に、「事象の流れ・森羅万象の掟」から外れて行くと言う理・ことなのであろう。
今朝示されて来た、段階と言うか項目を順序立てて纏めると次の様に成る。
「fur(ファー)・天蓋」は、138億年前に始まったビックバーンの、時空の広がりの外壁を意味し、其れは時間・とき(存在)の覆いであると言う事になる。
次の、其のfur(ファー)を子宮の内壁として、此方を向いて居た「后・きさき・母神」は、人間に「エホバ・ヤハウェ」や「大日如来・マハーヴァイローチャナ」を想像させた存在であると言う事に成るだろう。
そして、其の女神が、私に三個に分類された「タルト・トルクウェーレ」を差し出したのは、此の世界が「三宝・三法」で成り立っている理・ことを示しており、其の三つの球の世界は、人間の力では扱えないモノであり、其処から生まれ出るモノ・世界の中で、我々人間は、夫々が自分の働き・役割を見つけ出さなければ成らないと言う事になる。
其れから、斜め左下に存在する、渦巻く事象の中心部分から、優しい女性の声で「あなたも 同じようになるのよ」と告げて来た女神の存在が、人の姿を持たない大地の「神(はたらき)」であり、地球に生命を育てている存在であると言う事に成るのであろう。
其れを考えると、此の世界を創造している仕組みには、138億年掛けて広がっている時空の壁を背景にして働いている女神と、地球の中心核と言うか、物の世界に陣取っている女神が、差し向かいで、我々人間を育てている事に成るのではないだろうか。
其の理・ことを考えると、私は、人間としての自分の役割が見えて来そうな気がする。其れは、人間の意識・思考は、視覚で物(品物・道具・文字・対象物)を捉える事から生まれるので、「太陽光線・天照界」からのモノであり、其れは男性意識と言うか、男性の創造力に関係が有ると言う事である。
そして、人間の肉体は、40億年±2億年前にミネラルの海から誕生した微生物の進化の最前線に存在し、其の繁殖・出産が、月の存在で起きる、潮の干満と関係が有るので、子供を産む女性の肉体は「月の調べ・月讀界・つきよみかい」に関係が有ると言う事になる。
其れを考えると、今朝のメッセージには男性神は登場せずに、天地の二方の女神だけであり、唯一男性である私に、三個の「タルト」が差し出されたのは、私に「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」の働きが委ねられたと言う事になり、伊邪那岐命の目鼻から生まれた「三貴神」の働きに代わる、新たな概念(神名)を、創り出さなければ成らないと言う事なのであろう。
其れは、女神側の働きである、生命の根元に身を置かなければ成らないと言う事に成るので、肉体中心に意識を戻す必要がある。
其れを考えると、やはり、日本の伝統文化である「身土不二・しんどふじ」の基本を護る事が必要であり、仏教の「精進・しょうじん」の世界が重要であると言う事に成るであろう。
今朝のメッセージは、一昨日の「不確かな言葉」の文章で、世界中の創造神の名前を列挙した事と関係が有り、其の働き・存在に対して、新しい名前を付ける必要が有るとの事なのかも知れない。
今日は、今朝のメッセージを参考に、「Tritarte fur ( tri =ラテン語の接頭詞3(トライ)・tarte= ドイツ語のタルト・fur= 古フランス語のファー・覆うもの)」を結びつけて、「トライタルトファー」の言葉を作ってみた。
「自らの仕掛けで滅びる」https://green.ap.teacup.com/20060818/3891.html
此の文章の説明に有る「・・スペイン語ではトルタ torta がケーキを含む厚焼き料理全般を指し、指小辞 -illa を付してスペインの卵料理トルティージャ・デ・パタータスや中南米の薄焼きパンのトルティーヤの語源となっている。」との事からすると、昨日の映像に映し出されて来た「フライパンで焼いた鯛身100%の丸く薄いケーキ」の存在が関係有りそうである。
其れが「弓矢を射る的」であるとの事を考えると、今朝のメッセージは、私が自分の意識を何処に向ければ良いかを示唆しており、其れは「時間・とき」「森羅万象の流転」「時空の存在」「我々が存在する渦巻き銀河」等の世界と関係が有り、其の事が、私が此の世界に飛び込んだ時に告げられて来た「事象の特異点」や「神の新しい座標軸」との言葉と、関係が有るのではないだろうか。
今朝のメッセージの重要課題は、人間が「時間に管理される」のではなく、「時間を管理する」モノでなければ成らないと言う事である。
其の事で考えると、私が此の神(はたらき)の世界に飛び込んだ時に、白山権現菊理姫の存在の本体である白龍が、私の躰に巻き付いて来て「地球の管理を任す」と告げて来た事と関係が有り、天智天皇が「神籬の代々の乱れを盃に菊一輪と回し飲み」と告げて来た事が関係有りそうである。
何故かと謂うと、「菊理」を「くくり」と読むのは、朝鮮語で「菊」を「くくぁ」と発音する事と関係があり、朝鮮では大事な儀式では、大きな盃に酒を注ぎ、其の中に菊花を一輪浮かべた物を、回し飲みする慣わしが傳えられているからである。
其の事に、「香取ヘッジ」との言葉が関係有るのであろう。
其の事を考えると、やはりマヤ文化の神(はたらき)が「時間の操縦士」であり「ククルカン・括る神」であるのは、昭和天皇の長男である「加治木義博先生」が謂っていた、マレー語のルーツと関係が有り、菊花紋をイコンとする文化は、マレー語の文化から生じた大山祇神系の流れであると言う事に成りそうである。
2011/8/23・・此の日本には、氷河期の前(1万6500年前)に縄文文化が有り、其の民族が寒冷化とともに、インドネシアやニューギニアの島々か大陸(ムー)に下り、温暖化と共に、また北上して来た事と関係が有るのかも知れない。
英語の元はフランス語で、フランス語の元はラテン語で、ラテン語の元はシュメール語で、シュメール語の元は、其のムー大陸の言語であった「マレー語」であるとの事である。
其のマレー語が、日本語の基本に有るので、ヘブライ語だけではなく、ニュージーランド(マオリ族)や、ベトナムや、朝鮮半島まで、日本語と同じ語源が伝えられているとの事である。
其れは、オーストラリアの原住民であるアボリジニだけを除いて、セイロン島(スリランカ)や、南米(エクアドル)まで広がっているのである。
其の文化の特徴は、七回半トグロを巻く「大蛇・ククルカン・」であり、マヤ文化や、アステカのピラミッドの神であり、エジプトのピラミッドの価値観であり、釈迦の台座や背後の護り神であり、日本の綱引きの文化や、山の御神木に藁縄が七回半巻き付けられる稲作文化の大蛇である。
其れ等の事柄を考えると、一万数千年前からの人類の記憶を取り戻し、人間の潜在意識の中に存在する、真実の人間像を探り当てなければ成らない。そして、其の完成された人間像を、新しい人類のテキスト・お手本にしなければ成らないのである。・・・
「王道」http://green.ap.teacup.com/20060818/2033.html
2013/9/4「鳳凰の羽根」https://green.ap.teacup.com/20060818/2799.html
2018/2/19「主の言葉は和文にて」https://angel.ap.teacup.com/20071208/1202.html
7.1年・1月・1日・1分・1秒は、全て物の回転・動きで生まれているモノであり、其れ等の物がなければ「時間・とき」は存在しない。
2018/6/10・・其れ等の事柄を考えると、今朝の私の無意識の世界は「潜在意識の主(あるじ)」が旅を終えたと謂う事であり、私は自分の存在理由(運命・さだめ・使命)を無事に果した事になり、「自分・自らの分け」を解いたと謂う事に成るのであろう。
其れが、本日が6月10日「時の記念日」であり、「ひふみ・霊文神示」が「天之日津久神社」の祠の前で始まった日である事を考えると、確かに私の人生は天津日嗣(あまつひつぎ)の仕組みの中に存在し、「年・月・日・時・分・秒=1年・太陽(地球の公転)。1月(29.45日月の周期)。1日・地球の自転。1秒・心臓の鼓動)」の運動・リズム其のモノで、生かされている理・ことに成る。・・・
「ブッダの母神」https://green.ap.teacup.com/20060818/4646.html
此の文章に書いて有る様に、人間の心臓の鼓動がなければ、「寸・時・心」の漢字や概念が存在しないし、稲作が行われていなければ「年・歳・私・穗」の漢字や概念が存在しないのである。
其れに太陽の存在がなければ、「天照大神・大日如来・マハーヴァイローチャナ・阿弥陀」の言葉・概念も生まれないし、太陽の力がなければ地球に生物は存在しないので文化・文明が起きようもない。
そして、月が存在しなければ「暦・カレンダー」だけではなく「月・干満・十五夜の文化・花鳥風月」の言葉や文化が存在しないし、「女性(雌)の生理・出産」も無い事になる。
今朝のメッセージの内容からすると、私が此の世界に飛び込んだ時に、身の回りの時計だけではなく、ラジオやテレビなどを全て壊して、人間社会の騒音から逃れ、昼夜の境界を無くして24時間静寂の中に身を置き、自分の時間を停めて、新しい時間の渦を、其れまでとは逆に回した事の結果が、漸く此の三次元世界に現象化して来る時節を迎えたと謂う事に成るのであろう。
(此処で右手の小指にカモ(神の電気信号)が起きる。11時52分。
其れを考えると、「現人神・あらひとかみ」との言葉が、現実の物と成って来る。
2006/3/17今朝は、意識一杯に、隼・ハヤブサの顔が現われた。
それは、トキが訪れた事を意味している。
中国の古文書にも「其のトキが来たら 先ず禽鳥が其れを受けて 人間に伝えて来る」と有る。其のトキ・時とは、回転する宇宙の調べの変わり目の事である。
宇宙には「玄の響き」が存在し、其れが定期的に、地球にも訪れる事を意味している。
宇宙は、月・地球・太陽系・銀河の腕・銀河と、順番に大きく回転をしている。だから、自分より大きな回転の中に入ると、北と南の磁場が反対に成り、陰陽が逆転するのである。
だから、其れに因って、人間の左右脳の働きも影響を受けて、意識が反転してしまうのだ。
昔の人は、其の「理・ことわり・事分け」を良く知って居て、伝説や言葉として残しているのである。禽鳥とは猛禽類のことで、隼・鳶・鷹・鷲等である。だから、ネイティブ‐アメリカンは禽鳥を守護神としているのである。
「ハヤブサがトキを運んで来た」https://star.ap.teacup.com/20121223/
平成31年2月25日11時55分
礒邉自適
2019/2/24
電光石火
31・2・24
今朝は一眠りすると意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「2時54分・3時6分前」であった。
其れから再び眠ると、台の上に、水晶かガラス製かは判らないが、大きな筆字を書く時に文鎮に使えそうな、60cm程の四角で透明な棒が一本だけ置かれている場面が映し出されて来た。
次に、誰だか姿のはっきりしない男性が、儀式として、矢を的に向かって放つ場面が映し出されて来た。
其れから、的と成る丸い物が空中に浮かんでいる様子が映し出されて来て、其れは、鯛のすり身100%が丸いフライパンでケーキの様に焼かれた物である事が判った。
次に、大きな鯛が一匹、姿煮にされている場面が映し出されて来て、其の鯛の半身を皿に盛って、神棚の様な所に御供えされる場面が映し出され、残りは私達が食べる物である事が理解されて来た。
次に、お酒の一升瓶が映し出されて来たが、中身が空であったので、其の儀式や食事・直会(なおらい)には、お酒が不要である事が理解された。
そして、携帯電話の呼び出し音が聞こえて来たので、実際に鳴っているのかと思い、目を開けると未だ部屋は暗く、電話の呼び出し音は聞こえないので、夢の中である事が分かり、時刻が気に成ったので、照明を点けて時計を見ると時刻は丁度「6時00分」であり、長短の針は南北に真直ぐであった。
其れから再び眠ると、今度は庭木の枝に、一羽の雀が向こう向きに止まって、背中を私の方に向けており、今にも飛び立つ様な感じであった。
そして、「電光石火」との言葉が一言告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は7時30分であった。
其れから、PCを立ち上げて先ず「電光石火」の言葉を調べると、次の様に載っている。
【電光石火】デジタル大辞泉
1 稲妻や火打ち石が発する閃光(せんこう)。きわめて短い時間のたとえ。2 動作が、きわめて速いこと。すばやいこと。「電光石火の早業(はやわざ)」
【電光石火】大辞林 第三版
〔稲妻の光や石を打った時に出る火の意〕 非常に短い時間。また、動きが非常に速いことのたとえ。 「 −の早技」
其れから起された時刻「3時6分前」と「7時30分」の数字から、昨年の「3月6日」と「7月30日」の文章を見て見ると次の様に書いて有る。
2018/3/6昨日3月5日は、私が「土肥無庵」が屋久島に建てた神社の様な自宅で、「マクロビオティック・正食」を始めた日であり、本日から35年目が始まる事に成る。
今朝のメッセージの映像は、先ず、左側に山岳から清水が流れ下って来ている小川の有る土地が、映し出されて来た。
其の土地は、何百年か前に平らに整地された四角な土地であり、山側と右側は石垣が綺麗に積まれており、其の石垣の上は笹が生い茂っているので、何物も進入して来れない雰囲気であった。
私の意識は、其の平らに整地された土地に、誰か姿の見えない人物と居て、其処に、神社と謂うか、古代文化(真実の世界)を復活する建物を、建てる準備を話し始める様子が示されて来た。
次の映像は、私が神殿(神楽殿)の様な、御座が敷いて有る、広い板床に居る場面が映し出されて来た。
そして、私は、何物か判らない男性の前で、美しく磨かれた大きな丸太の神柱を頭上に立てて居り、其れが倒れない様にバランスをとりながら、歌舞伎を舞う部分に敷いて有る御座を、足で押し退けて居た。
其れから、其の舞踏が終わった様で、私が、囲炉裏が切られている広い板間に座って、食事の準備を始め様として居ると、右側の窓から白黒の斑模様の子猫が一匹入って来て、納戸(控えの間)に入って行った。
そして暫くすると、其の子猫が、納戸から人間の様に立ち振る舞いながら姿を現して、私に何事かをテレパシーの様に傳え始めた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時35分」であったので、私は其の数字を「335・みさご・鶚鮨」と記憶した。
其れから再び眠ると、今度は「01 971」との数字が映し出されて来た後に、「小松クラ婆さん」の様な雰囲気の「鬼人・貴女」が、祭壇らしき壁を背にして座った姿で、私の方を見て居る場面が映し出されて来た。
其の鬼人・貴女は、細面の顔で薄暗い中で目が凄く怖い感じに光っていた。
そして「味は教えない」と、一言私に告げて来た。
今朝のメッセージは、昨日の文章に書いた「心御柱」と関係が有り、日本の神道の世界の復活に付いて示されて来ている様である。
何故、私が其の様に考えるかと謂うと、今朝示されて来た「01 971」との数字は、「1箇所しか無い 971(くない・宮内)」と読めるからである。
そして、「小松婆さん」らしき人間の姿が祭壇の前に座って居り、告げられて来た「味は教えない」との言葉・台詞は、小松婆さんは「八重岳食堂」を経営していた人間であり、天皇家の神が「御饌殿・みけどの」である事と関係が有り、其の御饌殿の食事方は教えては成らない理・ことが示されて来ており、其の食事方こそが、本人(新帝)が神霊の導きに因って、味わなければ成らないと言う理・ことなのであろう。
其れこそが、物部初代の「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」が始めた「申食国政太夫・おすくにのまつりごともうすのまえつきみ」の世界なのであろう。・・
今朝のメッセージの映像で、私が頭上に大きな神柱を載せて、舞踏の足場を探っていた場面は、昨日のメッセージの映像で、私が三系統の電線を地中で探して居た事と関係が有り、其の地下埋設のアース(地球)の存在は、今朝の神柱を降りて来る「天神(てんのはたらき)の情報」を繋ぐ施設であった事に成りそうである。
そして、其の施設の用地として、今朝の映像に映し出されて来た山岳から清水が流れ下って来る小川の横に有る、石垣に囲まれた土地が関係有ると言う事に成る。
其れを考えると、宮内廰(庁)や天皇家の場所は、空気や水が汚染されており、騒音の有る大都会の中に在っては、役目を果たせないと言う事であり、伊勢神宮の様な神域(御所)に移設しなければ成らないと言う事に成るのであろう。
何故なら、力を有する神霊は現代社会に生活した人間ではなく、古代社会で森に囲まれた神域で生活した人間の御霊であるからである。
其れは、組織的に、儀式や暖簾を守るだけでは駄目であり、本人自身が、昔の自然環境の中に躰を置いて、肌感覚で神経を研ぎ澄まさなければ、お金を掛けて新嘗祭(にいなめさい)や大嘗祭(だいじょうさい)を盛大(大袈裟)に行っても無駄であると言う事である。
其れは、国民の目を欺く行為であるので、行う事よりも、行わない方が善いと言う事にもなる。
今朝の由香のビジョンは、美しい空色の天空にとても大きな虹が架かっている場面が映し出されて来たとの事であり、次に活け花が映し出されて来て、緑の植物と、包装紙に巻かれた「薔薇」と「紫の小菊」の花が挿してあり、完成した所で包装紙を外すと、薔薇の花びらはパラパラと床に散っていったが、紫色の小菊は其の侭の状態で長持ちしていたとの事である。
其のビジョンは、天界が美しく晴れ渡った事と、神の意思が天空に広がる事を示して来ており、薔薇の花弁が散るのは西洋の価値観(文化)が滅びる事を示唆しており、其れに代わって日本の価値観(文化)が世界に広がる事が、示されて来ているのであろう。
何故、私が其の様に考えるかと謂うと、西洋では薔薇の花が持て囃されるが、日本国では天皇家の家紋が菊花紋であり、紫色の小菊が吉とされるが、西洋では其の紫色の小菊は反対に不吉な物とされているとの事だからである。・・
此の文章には、『・・「機能がなければ 動けない」との言葉が聞こえて来て、其の言葉の意味を考えて居ると、意識が目覚めてしまったので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時35分」であったので、私は其の数字を「335・みさご」と記憶して再び眠った。すると今度は、私が仰向けに寝て居ると、天空から一体の観音菩薩像が私の足元の方に降りて来るので、私が自分の足元の方を見ると、私の両足の間に透明で光り放つ高さ1m程で直系30cm程の柱が立っており、其の観音菩薩像の台座の空洞が其の儘其の柱に納まった。・・・』
と書いて有るので、今朝のメッセージの映像で、私の頭の上に立っていた磨き抜かれた柱の存在は、神道の世界だけではなく、仏教の世界までも含んでおり、神仏混交の価値観の文化で育って来た、日本人の精神構造の働きが、未来社会創造に対して必要不可欠であると言う事が、示されて来ているのではないだろうか。
今朝の映像で、唯一姿を現して「味は教えない」と告げて来た「小松クラ婆さん」が「宇迦之御魂神・「御食津神」の母親である「大宮売神 おおみやのめのかみ」の存在を示唆しているのであれば、私が中学生の時に、橋の袂に立って居て「日高三郎が生きて居れば 屋久島も今とは違っていただろう。」と言葉を掛けて来た事は、私の人生は、其の時から人生の方向が決まっていた事に成るのかも知れない。
「味は教えない」https://green.ap.teacup.com/20060818/4547.html
2018/7/30今朝のメッセージの映像には、水色文字で「柄しっかりとしめつけろ」と書かれている文字が、蛇の様に地面をくねくねと這い廻っている場面が映し出されて来て、「草との競争」との言葉が告げられて来たので、意識が目覚め、照明を点けて時計を見ると時刻は「2時15分」であった。
其れから再び眠ると、今度は白い建物の設計図が映し出されて来てから、40歳代の弟子が一人居る、痩せ型の60歳代の基礎工事を請け負う男性の存在が映し出されて来て、其の二人に頼んで、其の建物の基礎工事を始めなければ成らない事が示されて来た。
そして現地に行くと、西から東に向けて舗装道路が通っており、其処は、他に人家が一軒も無く、電気や水道などのインフラが何も無い荒地であった。
其れに、道路の先は木々が茂る深い谷に成っており、其処で行き止まりに成っている場所である事が判った。
道路の左側(北)の土地の背後は山に成っており、右側(南)の方には耕地整理された農地が広がっていたが、全ての土地は耕地整理が成された後、一度も利用された事がなく、放置されたままで茅が全面に生えていた。
私は、道路と山の間に有る土地が良いと意い、其処に建物を建てる事にして、弟(正也)に水を持って来る様に謂って居た。
すると「アンモニアの計測」との言葉と、「罠」との言葉が告げられて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「5時10分」であった。
其れから、再び横に成って居ると「昭和64年」との年数が示されて来た後に、昨日告げられて来た「時間厳守」との言葉が頭に浮かんで来た。
其処で起きて、時計を見ると時刻は6時00分であり、時計の針は南北を差していた。
今朝のメッセージの映像から、私に考えられる事は次の様な事柄である。
*昭和64年とは、1月7日に昭和天皇が身罷った事で終わった年号であり、其の1月7日の夜中に昭和天皇の霊魂が私の心臓に飛び込んで来て、2月24日の「御大葬の日」の未明に「吾が身既に遠く良き世を願い奉る」との言葉が告げられて来た年である。
*「時間厳守」との言葉と、「6時00分」の時計の針の位置「0時・12時・北・子(ね)」とは、短針が反対側の「南」である。
・其れは、以前、日付の変更は人間が眠っている時刻0時・12時ではなく、太陽が真上に有る「午・うまのこく」に行われていた事と関係が有り、人間は正確にトキを把握する必要がある理・ことが、示されて来ているのであろう。
・其の時間の正確な認識がなければ、「時間の神・鳥神」とは同調できないと謂う事であり、神(はたらき)とのコンタクトは計れないので、「事象の特異点」「神の座標軸」の役柄は勤まらない。
*「アンモニアの計測」とは、動物が尿を掛けて縄張り・テリトリーを獲得する事と関係が有り、他人の縄張り・思考に関わりの無い場所・ステージを、獲得しなければ成らない。
*「罠」とは、建設する施設の存在が、現代社会の宗教や政治や商売の様に、他人の意識を罠に掛ける様な事に成ってはならない。
*私が弟の正也に「水を持って来てくれ」と頼んでいたのは、土地の水平を計る為の水準器に使用する水の事か?。
・其の土地の水道施設が無いので、行き止まりに成っている谷川の上流から水をパイプで引いて来なければ成らない。
・その土地は行き止まりの土地であり、人家が無いので、左側(北)の山岳から流れて来る水は、穢れの無い清らかな水である。
・2月15日の文章「全ての物質は水素原子の振動で」の内容と関係が有り、水の世界を第一としなければ成らない。
*今朝の映像に映し出されて来た建物施設は、此処まで発展して来た近代科学の理論を通して、人間と天神(てんのはたらき)の関係性を明らかにするシステムを、構築する物であり、其の事に、基本的な事から私に関わって欲しいとの事が、示されて来ているモノと考えられる。
*水色文字で「柄」の漢字を頭にして、「柄しっかりとしめつけろ」と書かれている文字が、蛇の様に地面を這っている場面が映し出されて来たのは、「水」と「蛇(弁財天・サラスヴァティー)」の関係性を示唆しており、其れを「しっかりとしめつけろ」との事は、人間社会を動かしている「事柄」は、言葉の世界が柄(つか)であるので、其の言葉の力(真言・マントラ)を復活させろとの事が、示されて来ているのではないだろうか。
*「草との競争」との言葉が告げられて来たのは、昨日のメッセージにイネ科の草の写真が澤山映し出されて来た事と関係が有り、草の生命力に負けない様に、人間も逞しく生きて行かなければ成らないと謂う事なのかも知れない。
今朝のメッセージは、私の事を全て知っている何物かの存在が、私の大脳の仕組みを使って、新しい次元で自分達の考えを実現しようとしている事は明らかである。
何故かと謂うと、今朝の映像の内容は私が全く考えたり、想ったりしている事柄ではないからである。
こと‐がら【事柄】デジタル大辞泉の解説
1 物事の内容・ようす。また、物事そのもの。「調べた事柄を発表する」「新企画に関する極秘の事柄」「重大な事柄」
2 《「こつがら(骨柄)」の音変化という》人物のありさま。体格。品格。
「つらだましひ、―、いづれも劣らず」〈平家・九〉
ことがら【事柄】大辞林 第三版の解説
@ ものごとの内容や様子。また、単にものごと。 「重要な−」 「見聞したさまざまな−」A 〔「骨柄こつがら」の転〕
㋐ 人の体の骨ぐみ。骨格。 「誠に器量−人に勝れたりければ/太平記 10」
㋑ 人柄。人品。 「容儀・−おとなしやかにて大将軍なりとぞみえし/保元 上」
此の説明に有る「骨柄・こつがらの転」との事からすると、今朝「柄しっかりとしめつけろ」との水色の文字が、蛇が大地を這い回る様に動き廻っていた場面は、正に其の骨柄(こつがら)の言葉と関係が有り、人間の背骨の「構造・ならび」が和歌の短句「5・7・5・7・7=31(みそひともじ・三十一文字)」や俳句の「5・7・5=17文字」と関係が有り、人間の言葉が水の世界である「弁財天・サラスヴァティー」と関係が有るとの理・ことではないだろうか。
何れにしても、私が何かを考えなければ、事柄は先に進まないと謂う事であり、私は自分の手に意識を集中して、何かをしっかりと「掴まえ・柄前」て、神前に立たなければ成らないとの事なのであろう。
「時間厳守」https://green.ap.teacup.com/20060818/4696.html
此の3月6日の文章には、『・・透明で光り放つ高さ1m程で直系30cm程の柱が立っており、其の観音菩薩像の台座の空洞が其のまま其の柱に納まった。・・』 と書いて有るので、今朝の映像に映し出されて来た透明な棒の存在と関係が有り、其れが透明の水晶・ガラスの様に透明な物であり、文鎮に使用できる物であったのは、無色透明である事が「味は教えない」との言葉と関係が有り、私が真っ白の状態で文字・言葉を書き始めなければ成らない理・ことが示されて来ているのではないだろうか。
『其れは 貴方の気持ち次第で 事が動き出すとの事であり 貴方が真っ新らでなければ成らないと言う事です。
其の為にも 貴方は 過去の柵(しがらみ)(色・rūpa・ルーパ・縁起)を断ち切って 何も無しから 物事を判断しなければ成らないのです。』9時19分
『でも其れは 貴方自身が 物事を考えるのではなく 事象の動きを判断をすると言う事です。
そして 其の判断が 貴方の 言の葉と成るのです。』
「時間厳守」の文章の中には、次の様に有り、今朝電話の呼び出し音が聞こえた時間6時00分と同時刻である。
『・・其れから、再び横に成って居ると「昭和64年」との年数が示されて来た後に、昨日告げられて来た「時間厳守」との言葉が頭に浮かんで来た。
其処で起きて、時計を見ると時刻は6時00分であり、時計の針は南北を差していた。・・・』
此の「時間厳守」との言葉を考えると、現在の時計は水晶振動子を利用した「電子時計・クオーツ時計」であるので、時計の時刻その物が水晶の波動であるので、水晶の文鎮を使って文字を書くと謂う事は、時間・時計と人間の意識(脳)が一体と成って、言葉を紡ぎ出す事にも成る。
*クォーツ時計(クォーツどけい)とは、水晶振動子を用いた時計である。水晶時計( Quartz watch)または単にクォーツとも。20世紀後半から普及し、それまでのぜんまいばねを使用した手巻や自動巻時計に代わって、現在最も一般的な時計となっている。ぜんまいばねに代わる駆動としてステップモーターを使用しており、電源が必要なためボタン電池や太陽電池などが内蔵されている。 従来のぜんまいばね式時計のデザインを踏襲したアナログ時計のほか、同じく電源が必要な液晶やLEDを時刻表示部に採用し数字で時刻表示したデジタル時計がある。 ウィキペディアフリー百科辞典 2019/2/24現在
其れに7月30日の文章には、次の様に書いて有る。
*昭和64年とは、1月7日に昭和天皇が身罷った事で終わった年号であり、其の1月7日の夜中に昭和天皇の霊魂が私の心臓に飛び込んで来て、2月24日の「御大葬の日」の未明に「吾が身既に遠く良き世を願い奉る」との言葉が告げられて来た年である。・・
其の2月24日は、何と本日の日付である。
2001/2/10昭和64年(1989)1月7日の夜、私はいきなり、ドカンと心臓に強い衝撃を受けて、飛び起きた。それで、私は、昭和天皇の死に何か関係が有るのかと考えながら、再び眠りに付いた。
その後は、何事も無いまま過ぎたが、元号が代わり平成元年2月18日になって、今度は妻の「佳子」の夢に、昭和天皇の御影・写真が出て来た。
更に2月24日の未明、私の夢に光り輝く平仮名文字が現れた。其れは、初めに「けいとく」と現れ、次は「あまぎ」であった。
私は、余りにも、其の文字の映像が印象深いモノ・現象だったので、朝起きてから、其れを手帳に書き留めようと、ペンを持ったとたんに、自分の手が勝手に動き出し、「わが身すでにとおく、よき世を 願い奉る」と、書かされたのである。
この日は、昭和天皇の大喪の礼が行われる日であったので、私は「けいとく」と「あまぎ」は、昭和天皇に関係の有る事だと考え、調べて見る事にした。・・
天皇霊其の二「昭和天皇」http://star.ap.teacup.com/20060505/69.html
今朝のメッセージは、其の昭和天皇の御霊とも関係が有り、今朝の映像で矢が放たれる儀式の存在が映し出されて来たのは、其の昭和天皇の意いが叶えられるトキが来たとの事なのかも知れない。
其れに、今朝のメッセージの内容から考えると、今年の3月6日から、何かの事象が「電光石火」で始まると言う事に成るのかも知れない。
其れは、私が1984年3月5日に「土肥無庵」の家で「マクロビオティック ・Macrobiotic」の生活を始めて、今年の3月5日で丸35年が経過し、3月6日から36年目が始まるので、3月6日と36年の数字が重なっているからである。
其れに36年の数字は「12干支×3回」でもあるので、私が1983年3月18日に「土肥無庵」に捜し出された36歳とも関係が有り、今年の3月18日で丸36年とも成る数字である。
其れ等の事を考えると、私の人生と謂うか運命・さだめは、全て「暦・カレンダー」と「時計・時刻」に管理されている事に成るので、マヤ・アステカの神である「ククルカン・ケツァルコアトル」&「時間の操縦士」が、私に昭和18年8月18日に「約束は守られる」と告げて来た事と関係が有り、今朝9時19分に女神が告げて来た言葉が「時・紀・とき」が来た理・ことを、示唆しているのであろう。
其れを考えると、今朝のメッセージの映像で、庭の枝に雀が今にも飛び立ちそうな姿で背を此方に向けて居たのは、太陽神の使いである「朱雀・イビス・朱鷺(とき)」が、私の言葉・文を背負って「太陽神(天照神・大日如来・マハーヴァイローチャナ・阿弥陀)」に知らせるトキが来た事を、示しているのかも知れない。
平成31年2月24日
礒邉自適
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