1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2019/4/30
大作天才
31・4・30
本日で「平成」が終り、明日から「令和」と成るが、考えて見れば「詔勅・みことのり」の出来ない立場の者に合わせて、年号が変わるのは可笑しな事なのかも知れない。
其れに比べると、「イエスキリスト」の生誕が原因と成っている西暦は、2019年間も安定して続いており、今後も大変革が起きない限り続いて行く事になる。
其れを考えると、日本も「神武天皇」を紀元とする2676年を使っていた方が、良かったのかも知れない。
今朝のメッセージの映像は、昨日、古い世界の情報が、文字を含めて全て波状の闇に覆われて、消えてしまった事と関係が有るのか、此の世に未だ存在しない文化文明の世界(未来世界)が映し出されて来て、其れは、言葉に表現できない素晴らしく高い次元の世界であった。
其の中には、高級な衣服や靴やベルトなど、ケチのつけ様の無い品々が、もの凄く高いセンスで組み合わされて、広い店内全体に展示されており、入り口の右側のコーナーには、小豆色の時計版が大小幾つも展示されており、其の中の代表的な時計版には、中央右に主時計が有り、其の主時計の上から左側へ、七つ程の丸い時計が嵌め込まれていた。
其れは、主時計が、現在使用されている時計と同じ物(はたらき)で、人間社会全体の生活の為(三次元)の時計であり、他の七つの時計は、人間の「心臓(こころ・精神)」の時計(ときはかり)や「肺(呼吸・リズム・いき)の時計、其れに「松果体に関する自律神経時計」「自然の季節時計」「惑星運行の時計」「宇宙の銀河時計」など、人間の存在・生活空間に関する全ての条件を、認知しなければ成らない世界が、到来する理・ことが示されて来ている物の様であった。
其れから「大作天才」との文字が示されて来て、「陸軍歩兵」との言葉が告げられて来た。
其れは、空軍や海軍の兵隊では、為しえない世界を示唆していた。
其処で、右の耳元で赤家蚊の羽音が聞こえたので、意識が目覚め、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時56分・4時5分前」であったので、私は其の数字を「45・しご・死語」と記憶して再び眠った。
すると今度は、粒子・量子的な肌合いの濃い若葉色の空間を背景に、一本の茎の上に、透き通った空色の蓮の花が咲いている映像が映し出されて来た。
そして、其れは、釈迦牟尼世尊の「拈華微笑・ねんげみしょう」と「不立文字」の世界に関係が有る理・ことが理解されて来た。
其れに、今朝の由香のビジョンにも「空色」の世界が映し出されて来ており、其れも「見る物と 見られる物」の世界に関係している様である。
今朝の由香のビジョンは、服を着替えて鏡の前に立つのだが、どうもすっきりしないので、何度か着替えを繰り返した後、首の周りは白い羽毛の産毛の様で、肩から下は空色の羽毛の様な服で鏡の前に立つとしっくり来たので、部屋のドアを開けて表に出ると、階下の方から二台のカメラで写真を撮られてから、階段を降りて行く場面であったとの事である。
今朝は、8時36分・9時24分前に起きて・起されて、PCを立ち上げると「令和」との言葉が告げられて来たので、其れを題にしようかと思ったが、やはり「大作天才」の言葉の方が大事であると考えたので、其方にした。
今朝起された「4時5分前」と「9時24分前」の数字から、今年の4月5日と昨年の9月24日の文章を見ると、次の様に書いて有る。
2019/4/5今朝のメッセージは、先ず、男性の存在が映し出されて来て、男性が「たたかい・競技・競争・腕比べ」等が好きなのは、罪業ではなく、「本能・さだめ・宿命」である理・ことが示されて来た。
其処で意識が目覚めたので照明を点けて時計を見ると時刻は「2時46分・3時14分前」であった。
そして再び眠ると、私が猟銃を手にして大きな木々が繁る森の中に居て、其の森の大きな木の枝の彼方此方に、鳩やヒヨドリ・つぐみ等が、澤山止まって居たが、其処は、人家から近く200m以上離れていないので、私は法律に反すると思って撃つ事はしないで、鳥の様子を観察して居た。
すると、其処に猟銃を肩に掛け、空気銃(エアガン)を手にした60歳代の男性が一人遣って来て、発砲音のしない空気銃の方で、其れ等の鳥を撃ち始めた。
私は、其の行為を見るのが嫌に成ったので、人家から離れた奥山に向かい、鳩が数羽戯れて居る大木を視付けたので、一発で二羽当たる枝を狙って引き金を引くと、其の猟銃の中に入っている散弾は不発弾だったので、薬莢のベルトを確かめると、他に弾が無い事が判った。
其れで、私は、殺生をしては成らない立場である理・ことが理解されて来た。
次に、天神の存在が意識されて来て、私が中央に向かって右向きに立つ、「左大臣・左丞相・左門従(中国王朝)、左議政・チャウィジョン(朝鮮王朝)」に任命される場面が映し出されて来た。
其れで、私は、イエスキリストの言葉に有る「あなたたちは人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る。‘神の右・神の存在からは左側’」との、言葉を思い出して居た。・・
是等の文章の内容から考えると、今朝のメッセージは一昨日の「建国」「高ちゃんを刺激しろ」との言葉と関係が有り、「天父・天神・天帝」の意思から私に左の門に立てとの命令が降ろされた事に成る様である。
『其れは 貴方に以前から 何度も伝えている事が
始まると言う事ですが 特別に 貴方が何かをしなければ
成らないと言う事では有りません。
何故なら 貴方は現在・いま
其の事を 現実として 行っているのですから。』 9時54分
今朝起された3時14分前と、8時15分前の時刻から、昨年の3月14日と8月15日の文章を見てみると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章の内容は、今朝告げられて来た女神の言葉の内容と関係が有り、全ての事柄は「宇宙を両翼とする女神・ヤハウェ・エホバ」が森羅万象の流転を管理していると謂う事であり、其の管理の中で「天父・天神・天帝・御祖神(みおやかみ)」が育っていると謂う事なのであろう。・・
次に、先ほどの道を戻り、反対側の左手の方の道に進んで行くと施設があり、肉体と精神を鍛え上げた丈夫・頑丈な「僧侶」と「自衛隊員」とを合わせたような男性達の姿が映し出されて来たとの事である。
其の由香のビジョンは、私の立場が「左大臣・左丞相・左門従(中国王朝)、左議政・チャウィジョン(朝鮮王朝)」に任命される場面が映し出されて来た事と関係が有り、其の肉体が丈夫・頑丈な自衛隊員(軍人)の存在は、「右大臣・将軍・右丞相・右門従(中国王朝)、右議政(朝鮮王朝)」の働きを示唆しており、国防や、災害地での人民救済の、活動・役割の男性を示唆しているのであろう。
其れを考えると、今朝の私のメッセージで示されて来た・・男性の存在が映し出されて来て、男性が「たたかい・競技・競争・腕比べ」等が好きなのは、罪業ではなく、「本能・さだめ・宿命」である理・ことが示されて来た。・・との理・ことも能く理解されて来る。
其れに、床に水が零れており、其れが尿の様な物に見えたと言うのは、「弥都波能売神(みづはのめのかみ)罔象女神」が「伊耶那美命(いざなみのみこと)」の尿から生まれたとされている事と関係が有り、由香に今朝見せられたビジョンの世界は「伊耶那美・イザ波」の神(はたらき)の世界であるのかも知れない。
其の様に考えると今朝のメッセージは、私には「天上・世次元世界」の事が示されて来ており、由香には「地上・大地・三次元世界」の事・舞台が示されて来ている事になる。
是等の文章を綴って居ると、今年の「令和元年5月3日の夜」から、新約聖書に記されているイエスキリストの言葉「神の左に座す者が現れたら・・云々」との事が、現実として始まるとの事なのかも知れない。
『其れは 二面性を持っており 貴方は滅びの面ではなく
未来創造を 行わなければ成らないと言う事なのです。
其れが 建国。高チャンに刺激を与える。皆を喜ばせろ。
との行為と 関連しているのです。 』11時5分
「神の左に座する者」https://green.ap.teacup.com/20060818/4951.html
2018/9/24今朝のメッセージの映像は、私が若い黒人として存在し、「女・雌」を獲得する為に、若い男性と競い合って居る場面が映し出されて来た。
次に、私は、何かはハッキリしないのだが、甘い食べ物を食べて居る事を、口の中で感じて居た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「5時54分・6時6分」であった。
今朝のメッセージの内容から、私が直ぐに・素直に意った事は、人間の本能は「DNA・遺伝子」情報に拠り起きて来る純粋な行動であるので、本能とは、善悪の価値判断には属さないモノ・世界であると謂う事である。
何故なら、生物は其の本能を失ってしまえば、存在出来ないし、絶滅してしまうからである。
今朝のメッセージは、昨日の映像に、新聞記事が映し出されて来て、其の内容は、人類の祖と成った類人猿の子供の存在が示されて来た事と関係が有り、人類の存続に付いて、根本的な原因・原理が示されて来たのであろう。
今朝起された6時6分前の数字から、今年の6月6日の文章を見てみると、次の様な事が書いて有る。・・
此の「神界の花が開く」との題名と、内容の「神の世界に通じる舞台装置」の事から考えると、類人猿から突然変異で誕生して、此処まで進化して来た我々人類の存在と謂うか「生命・いのち」は、植物が花を咲かす事と同じモノ(形態)であり、「天神(てんのはたらき)・宇宙意識」としては、動物である人間も、花を咲かす植物と同じ舞台で、生きているモノ(生命)であると謂う理・ことに成る。
其れは、今朝のメッセージの映像が、私が黒人であり女・雌を獲得する為に、他の男・雄と競い合って居た場面と、甘い食べ物を口に含んでいる感覚を覚えたのは、熟した木の実を猿が好む事の根本原理が示されて来たモノであろう。
何故、昨日と今朝、「アフリカ」の「類人猿&人類」の存在が映し出されて来たかを考えると、「彼岸」との言葉と関係が有り、人間が暦に設定している「彼岸の日」を利用して、我々人間の意識が何処に向かえば、救済(済度)されるかを、示して来ているのであろう。
【済度・さいど】デジタル大辞泉(小学館)
1 《「済」は救う、「度」は渡す意》仏語。仏が、迷い苦しんでいる人々を救って、悟りの境地に導くこと。「衆生 (しゅじょう) を済度する」
2 困難や苦労から救うこと。・・
此の「彼岸」や「波羅蜜」の言葉からすると、昨日と今朝のメッセージは、私の意識が「至彼岸」して居る事に成り、私には既に、既存の仏教の教訓は必要では無く成っているとの事になるのであろう。
其れは、私が「釈迦(ガウタマ・シッダールタ)」の霊魂と共に、新たな冥土に渡っている事になり、人類に新しい次元(奥深い悟り・般若波羅蜜)を齎していると謂う事に成るのであろう。
はんにゃはらみつ【般若波羅蜜】大辞林 第三版の解説
〘仏〙 六波羅蜜の一。悟りに至るための修行の一つで、世界の実相を知ること。智慧波羅蜜。・・
何れにしても、私は34年前に安房川の岸辺で「土肥無庵」が見守る中、禊ぎ祓いを行って起きた「神霊の思頼・みたまのふゆ」を消化して、新たな人間の意識世界を開闢した事は間違い無い様である。
だが、其れは私の功績ではなく、是まで数知れない人々の努力で、科学・工学の世界が発展し、ミクロ(DNA・遺伝子)からマクロ(宇宙)の世界が解明されて来た結果であり、人類総体の結果であると謂う事でもあり、私は其の取り纏め役を熟しただけに過ぎないのである。
其の様に考えると、確かに私の行っている役目は、「統尊・すめらのみこと」との名前・言葉に当て嵌まるモノなのかも知れない。
いま此処で、左手の人差し指にカモ(神の電気信号)の反応が起きて来た。
8時15分
此の8時15分の現象から考えると、やはり冬至(12月23日)生まれの「矢追日聖法主」に、昭和20年8月15日に起きた、天神(てんのはたらき)からのお告げは本物であり、岡本天明に降りた「ひふみ・霊文神示」に有る「日本から始まる神一厘の仕組み」とは、確かなモノ(現象)として動いている事に成る。・・
此処で日付を打ってから畑に下りて、農作業を行い10時に自宅に帰って来て栗を食べながら話をしていると、由香が栗のイガを見つけて野菜に刺し、「お盆の精霊馬みたい」と謂った後、「もしかして今日は旧暦の8月15日?」と暦を調べ出し、「本当にそうだった」と謂って来たので、今朝8時15分に起きたカモ(神の電気信号)現象の事を思い、「なるほど」と納得できた。
其れを考えると、やはり私に「紀(とき)の祭りを行え」と告げて来た神(はたらき)は、時間・日付・年月を管理している「トキの神」であり、昭和19年6月10日「時の記念日」に千葉県成田市台方の麻賀多神社の境内に在る、「天之日津久神社」の祠の前で、岡本天明に降りて来た「ひふみ・霊文神示・日月神示・天津日嗣神事」の出来事に関係が有る事は間違い無いようである。
「本能は純粋な遺伝子情報」https://green.ap.teacup.com/20060818/4753.html
此の二つ文章には、「男性の本能」「競技・戦い・軍隊・自衛隊」に付いて書いて有るので、今朝告げられて来た「大作天才」と「陸軍歩兵」との言葉は、海原を船に乗って進む事や、大空を飛行機に乗って飛ぶ事、其れに陸地を車や戦車に乗って走行する者は、本能である純粋な遺伝子情報が目覚めないと謂うか、眠った儘の状態であるので、自分の足で大地を歩き回った人間しか、650万年前の人類猿の記憶(DNA・遺伝子情報)まで覚醒する事が出来ないので、釈迦仏陀の謂う「過去・現在・未来に自分が存在し 衆生一切我が子」との様な、大きなビジョンを描き出す事が出来ないと謂う理・ことが、示されて来ているのであろう。
今朝、PCを立ち上げた時に、明日から使用される「令和」の言葉が告げられて来たのは、令が「A・(牛神)+卩(跪いて禱る人)」の組み合わせである事と関係が有り、今朝のメッセージの映像に映し出されて来た、濃い若葉色の世界を背景として、空色の蓮の様な花が一本・一輪咲いている映像が映し出されて来たのは、25日のメッセージで示されて来た、「見る物(a)と 見られる物(b)と 其の関係性」の事と関係が有りそうである。
2009/1/18「実行命令」 https://green.ap.teacup.com/20060818/1014.html
2006/6/6「令はA+卩(B)」https://star.ap.teacup.com/170606/926.html
其れは、見る者(a)が「人間(釈迦、摩訶迦葉)」であり、見られる物(b)が「蓮の花」であり、其の関係性が「自然の法・ダルマ(色・rūpa・ルーパ・縁起)」であると謂う事に成り、釈迦牟尼世尊は、人間の禱りの対象である「牛・A・バール」を「花・自然の法・ダルマ・縁起」に替えた事に成る。
其の様に考えると、何故「鳩摩羅什・くまらじゅう」が「rūpa・ルーパ・縁起」を「色(男女・雌雄・陰陽)」と訳したのかの理由が、理解出来そうな気がする。
其れに、何故、私がPCを立ち上げた時に「令和」の言葉が告げられて来たかを考えると、令和が「A(神)(人)が和する」との意味であるので、天神と人間界が和するとの事は、4月5日の文章に書いて有る、
「・・今朝告げられて来た女神の言葉の内容と関係が有り、全ての事柄は「宇宙を両翼とする女神・ヤハウェ・エホバ」が森羅万象の流転を管理していると謂う事であり、其の管理の中で「天父・天神・天帝・御祖神(みおやかみ)」が育っていると謂う事なのであろう。」との事と、関係が有りそうである。
其の様に考えると、西遊記で、岩石から生まれた孫悟空が「何処まで飛んで行っても、観音様の掌の中であった」との物語と関係が有り、平成天皇が退位を表明したのも、安倍内閣が新しい年号を「令和」と決めた事も、全て「観音様の手中・鳳の翼の中」の出来事であると言う事に成り、全ての人間は、現在・いま必要だからこそ、此の三次元世界に、現象化している理・ことに成りそうである。
其れは、「悪世界」を蔓延させなければ、人々が「善良」を求め始めないから、地球環境にダメージを与えながらも、人類の「目覚め・覚醒」を待っているのであろう。
2009/1/18今日から、屋久島自適塾発足五年目の始まりである。
今朝のメッセージは、其れに相応しいモノ・現象と謂えるだろう。
今朝のメッセージの映像は、先ず、複数の人々の考えを書いた文章が、「道(タオ)・法(ダルマ)」の検索機に掛かって、正しく無い部分が、排除される映像が映し出されて来た。
其の文章は、短く纏められた理論の文章が、幾分大きな青色文字で上段に書かれており、其の理論の説明が、下段に、小さな黒色文字で長めに書かれていた。
其の意味は、老子の謂う「道・タオ」や、釈迦牟尼佛の謂う「法・ダルマ」から外れた文章は、人間社会にとって害には成っても、善い結果を齎さないので排除すべきであるとの理・ことだろう。
其れは、現在の世の中でも、子供達の意識にとって、有害な図書が増えている事を考えても、良く理解出来る事である。
特に、遠藤周作氏が謂う様に、現代社会の出版物には「大説」が無く、「小説」や、汚いマンガ本等が多く、紙を無駄にし、森林破壊に拍車を掛けているのである。
次ぎの映像は、私が、町の中の手打ち蕎麦屋まで行くと、未だ午前10時の開店まで時間があるので、暖簾が出ていなかった。私は、時間待ちの為に通りを歩くと、こぢんまりとした雑貨屋が有ったので、店の中に入った。
其の店は、女性向きの商品が多く並べられており、生活に必要な品物が、重点的に置かれていた。
私は、暫らく其の店で時間を潰した後、また蕎麦屋に戻った。
蕎麦屋に着くと、店の前に五名程の人達が開店するのを待って居て、其の蕎麦屋は、人気の有る事が理解出来た。
私は階段を上がって、に階の部屋でザル蕎麦を注文した。其の蕎麦屋のメニューには、「松・竹・梅」の区別の様な、各種の膳が五種類ほど有る事が、書いて有った。
私は、其の蕎麦屋を出てから、知り合いが住んでいる村を訪ねた。
其の村は、環境の良い村で、前の住人が居なく成った空き家に、都会から来た人達が移り住んでいる事が判った。私が訪ねた、知り合いの男性は、大きな木造の家を借りて住んで居り、一部屋は事務室の様に使われており、PCも一台置かれていた。
其の、「蕎麦屋」と「生活用品」の店と「住宅」の映像の意味は、人間に必要な衣食住の事であろう。其れは、是からの人間の暮らしに取って、ある程度のレベルと言うか、規模が必要である事を意味している。
今朝の映像には、子供が一人も現れなかったので、今朝の映像の次ぎの段階には、男女のペアや、夫婦や、子供や、家族構成が現れなければ成らない。
そして子供が現れれば、学校や病院等も必要に成って来るし、交通機関も必要に成って来る。
今朝のメッセージの映像は、其れ等の社会システムの、基本的要素と言うか、雰囲気を、先ず示して来たのであろう。其の続きに、大きな工場や、大型航空機が登場する必要が有るのかどうかは、今朝のメッセージでは、未だ明らかにされては来なかったのである。
今朝は、最後に、真っ白に光り輝く空間の場面が現れて、私の意識が、空白に成っている事が示されて来た。其れは、25年前にも、私が無庵師匠の下で、実際に体験した事の有る世界である。
そして、其の後「実行命令」との言葉が告げられて来た。
私は1983年3月18日に無庵師匠に捜し出され、次ぎの年84年の3月5日から、師の下で修行が始まった。其の修行とは、中国の「漢方」や、ドイツの「近代医学」ではなく、日本の「和法・わほう」に基づく、身心浄化の医療方法の実行である。其の和法とは、肉体の毒素を排出すると同時に、大脳の記憶を、全部「浄化・禊ぎ祓い」する事である。
其れに成功すると、肉体から、體に必要の無い不純物質は、体外に排出され、意識は浄化されて、真っ白な状態に成るのである。そうする事で、本来のDNA・遺伝子の記憶が蘇り、また自分の本来の「天命・使命・みこともち」が、表に現れ出るのである。
其の、意識が真っ白に成る状態が、24年8ヶ月振りに再び起きたのである。
24年8ヶ月前には、37歳迄の、自分自身の人生の「過去の情報・(人間社会にて記録されたノイズ)」が消去されて、真っ白に成ったのだが、今朝の其れは、24年8ヶ月前から始まった、私の精神的な旅の記憶が、全部消去された事を意味しているのであろう。其れは、24年8ヶ月前に起きた、4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が、済んだ事にも成るのではないだろうか。
しかし、今朝は「実行命令」との、新たな世界の始まりが告げられて来た。
其の「実行命令」との言葉の意味が、私には良く解からない。
何を、「実行せよ」との事であろうか。
「命令」に付いて検索すると、次ぎの様に載っている。
【命令(めいれい order)】
上位の者が下位の者にある事をするように言うこと。命を令すること。
行政府が制定する法規。行政立法ともいう。政令、府令、省令、庁令(海上保安庁令のみ存在する)、規則がある。→命令 (法律)
裁判官が発する裁判。→命令 (裁判)
軍事において指揮官が指揮を下す時に発する戦闘命令(combat orders)のこと。
事務命令→行政など組織で見られる体質的な命令。強制的な命令ではなく、自己判断のもと命令の意図に沿うよう答えを出すような体質的な命令で、暗黙のルールのようなものになっている。この命令の問題としては、パワーハラスメントや責任の所在などが見えにくい。
【法律との関係による分類】
命令は、法律との関係で主に以下のように分類される。
「執行命令」 法律の規定を執行するために必要な細則を定める命令
「委任命令 」法律が立法権を行政機関に委任したことにより定められる命令
「独立命令」法律とは無関係に行政機関の独自の権限に基づき定められる命令
「緊急勅令」 緊急時に、法律に代わって制定される天皇の命令
ウィキペディアフリー辞典 現在記載
今朝のメッセージから、私に考えられる事は、人間の新しい「暮らし向き・ライフスタイル」を、創造しろとの事である。
其れは、人類の歴史や文化を換える事である。
其れを、私個人が、実行出来るとは想えないが、「神・天・宇宙意志」が人類全体の潜在意識に関わっており、私の言葉や文章を「引き金・スターター」に使うとの事であれば、私に不可能な事ではないだろう。
其の事に関係が有るのが、今朝のメッセージに現れた、人々の「考え(文章・理論)」の間違い正す事である。
私が得意な部分は、上記した難しい「法律用語」の世界ではなく、4000年前の人々が使っていた、自然背景を持つ人々の、暮らしの象形文字の世界を、現実として実行する事である。
其れは、神と人間のコミュニケーションの為に開発された大事な文字を、嘘の多い「裁判」や「政治」の世界に使用するのではなく、言葉や文字を、本来の処に戻す作業である。
其の為には、先ず、冬至から一週間も外れている、現代の「カレンダー・グレゴリオ暦」から、正しい物にしなければ成らないだろう。・・・
「実行命令」https://wave.ap.teacup.com/20060106/352.html
2008/2/14「運命」https://green.ap.teacup.com/20060818/643.html
2009/3/21「いのちのリレー」https://star.ap.teacup.com/2006413/263.html
2009/10/21「一番高い山」https://green.ap.teacup.com/20060818/1312.html
2011/6/27「バール神が沈む」https://green.ap.teacup.com/20060818/1972.html
2014/12/26「命分け・みことわけ」https://green.ap.teacup.com/20060818/3308.html
2015/9/5「神を助ける」https://green.ap.teacup.com/20060818/3586.html
2016/7/1「何千頭もの牛」https://green.ap.teacup.com/20060818/3905.html
2017/6/23「父親の意識」https://green.ap.teacup.com/20060818/4280.html
2017/10/30「おもころころ式」https://green.ap.teacup.com/20060818/4417.html
2018/2/4「人間が管理できる事と出来ない事」https://green.ap.teacup.com/20060818/4517.html
2018/3/18「命が無い」https://star.ap.teacup.com/2006413/368.html
2018/1/13・・次に「食と性は純粋な本能」との言葉が示されて来て、「ミスターバックアップ」との言葉が告げられて来た。
今朝は先ず「バックアップ」の言葉を検索すると、次の様に載っている。
バックアップ【backup】[名](スル)
1 野球などで、ある選手の失策に備えて、他の選手がその後方を守ること。
2 後ろだてとなること。援助してもりたてること。「立候補者をバックアップする」
3 コンピューターで扱うデータやプログラムの破壊・紛失・盗難に備え、あらかじめ複製をとっておくこと。複製そのものをバックアップと呼ぶこともある。
デジタル大辞泉(小学館)
此の、バックアップの言葉の意味から私に考えられる事は、「ミスターバックアップ」との言葉は日本語の「しんがり・殿」の存在を示唆しており、私が人類の殿(しんがり)を努める事と合わせて、生命情報をバックアップしている事が示されて来ている様である。
そして、最初に告げられて来た「内(なか)の胃」が最大のテーマであると言うのは、地球生物が、38年前に酸を利用して有機物(タンパク質・遺伝子)の合成を始めた微生物(バクテリア)の事に関係が有り、其の細胞が進化した姿が動物の胃の仕組みであり、其の理に気付いた中国の男性が「胃」との漢字を創ったのであろう。
其れは、文字を持たなかった日本人が「虫の知らせ」との言葉で、表現している世界なのである。そして、其の世界に気付いた釈迦仏陀が「精進」との言葉を謂ったのであろう。
「謂・イ」【解字】形声。「言+胃」音符の胃は、囲に通じ、かこむの意味。ある概念をはっきりかこみ区別して言うの意味を表す・
【字義】@いう(言)。㋐のべる(述)。かたる(語)。つげる(告)。㋑批評する。㋒となえる。名づける。Aいい。㋐名称。呼び名。㋑いわれ。理由。わけ。㋒趣旨。Bおもう(思)。Cつとめる(勤)。D所謂(いわゆる)は、世間で言うところの。一般に言っている。E謂何(いかん)は、いかが。いかに。
漢語林より
今朝示されて来た7月25日の日付は、マヤ暦で「一年に一回の休み」の日とされている日である。
其の事と、多数の人々がコカの葉を噛んで居た場面の関係は、人間には休息が必要である理・ことが示されて来ているのであろう。・・
此の「お茶」と「カフェイン」の事からすると、今朝日本の茶畑が映し出されて来た事と、タラの芽が誰かに摘み取られていた事に関係が有り、確かに「休息・休み時間」に付いて考えなければ成らない様である。
私は、日本語の「いきる」は「呼吸・息・いきをする事」であり、「死ぬ・なくなる」は其の「息が停止する事」であり、「いのち」は「胃の血・胃の霊」であると考えている。其れに「癒やし・いやす」は「胃休め」の事であると考え、其れが「断食・瞑想・座禅」の基本であるとも考えている。
其れに、「一寸休む」の言葉の「寸」の漢字は、「丁(右手)+ 、(左手の親指)」の象形であり、「右手の腕の脈を左手の親指で計る」事を意味しており、休の漢字は「人+木」の組み合わせで「人が木に寄り掛って休息する」姿の象形である。・・
今朝告げられて来た「ミスター・バックアップ」との言葉が、私自身に対するモノであるのなら、私は其の言葉を真剣に考えると言うか重要視しなければ成らないのであろう。
私は、「土肥無庵」に1983年3月18日(36歳時)に捜し出されて、翌年の3月5日から「マクロビオティック・Macrobiotic」の生活に入り、三ヵ月後の6月4日に禊ぎ祓いを行なって4311体の聖霊に満たされ、それから屋久島の荒野を五ヶ月間昼夜の区別無く、彷徨い歩いた。
そして、様々の植物を齧り、海の貝などを採って食べて過ごした。
其の間に、様々な奇跡現象や体験を得て、自然の神秘や生命の本質に付いて、深い真理を悟ったのである。
そして、33年7ヶ月の年月を経て、昨日迄で此の世界の認知作業が一段落した様であり、私は気持ちと言うか、自分の意識を再構築しなければ成らないと言う事であり、其の事に「ミスターバックアップ」との言葉が関係有るのであろう。
驚いた事に「殿・しんがり」で検索すると、次の文章が最初に出て来て「恵比寿・事代主命」の事が書いて有り、10日の「動き出した八重言代主神」のメッセージと繋がっている。・・
これ等の文章の内容と言うか、存在から考えると、神からのメッセージ(史)には、一環した流れが組み込まれていると言う事になり、確かに出雲の国造りを行なった大国主命の後継者を、復活させなければ成らないと言う事に成りそうである。・・
だが、今朝のメッセージで「食と性は純粋な本能」との言葉が告げられて来たのは、男女(雌雄)の結びが生命の基本であり、其の生命を支える為に食べ物が必要不可欠で有るので、其の事も含めて「体内の胃袋」をしっかりと管理しろとの理・ことなのであろう。
今朝告げられて来た「ミスターバックアップ」との言葉が、「殿・しんがり」との言葉と同じ意味なのであれば、私は老子の謂う「我に三宝有り」との言葉を、しっかりと胸に収めていなければ成らないと言う事に成る。
「殿謂・ミスターバックアップ」https://wave.ap.teacup.com/20060106/803.html
此の「殿謂・ミスターバックアップ」の文章の内容からすると、私は老子の謂う「我に三宝有り」との言葉を、唯実行すれば良い時を迎えたのであろう。
2001/12/20・・67章「我れに三宝有り」
「我有三宝 持而保之 一曰慈 二曰倹 三曰不敢為天下先」
(我に三宝有り、持して之を保に、一に曰わく慈、二に曰わく倹、三に曰わく敢えて天下の先たらず)の、文章である。
訳
第一は、「人をいつくしむ」心である。
第二は、「物事を控えめにする」態度である。
第三は、行動において「人の先に立たない」ことである。
人をいつくしむからこそ、勇気が生まれる。控え目だからこそ、窮まることがない。人の先に立たぬからこそ、人を指導することができる。
中国の思想 老子・烈士 徳間書店 奥平卓訳
一の「慈・ジ」は、仏教の慈悲の心や、イエス・キリストの愛の教えと同じものだろう。
二の「倹・ケン」は、足りるを知るで、現状の不足を唱えないで、満足する事を意味し、仏教の教えとも同じである。
そして、三は、お釈迦さんやイエスキリストの教えの中には、出てこない様に思える。其れは、釈迦は、行動する事を止める理を教えているし、イエスは「教えを広めなさい」と、行動を起こす事を、弟子達に云ったとされているからである。・・・
「我に三宝有り」https://moon.ap.teacup.com/20061108/150.html
平成31年4月30日
礒邉自適
2019/4/29
塵と一緒に嫁を貰った
31・4・29
今朝のメッセージの映像は、先ず、部屋の中の床に、深緑色のプラスチック製の器具の破片が、小さな木の葉が散っているかの様に、散乱している場面が映し出されて来た。
そして、其の破片を、私が電気掃除機で吸い取ろうとすると、其の掃除機は古い物であり、塵を吸い取る事が出来ないのである。
次に、私の父親と客人が畳みに座って話しを始めたので、私がお茶を入れてお盆で運んで行くと、私の母親が子供達の髪を散髪したらしく、畳の上に髪の毛が散乱しているので、お盆を其処に置くのを躊躇っている場面が映し出されて来た。
次に、畑の茄子の枝が繁り過ぎていて、日光が充分に当たらない為に、実が着いていないので、整枝・剪定をしなければ成らない場面が映し出されて来た。
次に、稲の収穫期なのに、収穫をするのを忘れていた水田に行って見ると、其の水田の稲は誰かが盗む為に、半分程機械で刈り取っており、作業の途中で雨が降り出したらしく、刈り取った稲束が、雨水に濡れたまま放置されているのである。
私は、其の儘では籾が発芽してしまうので、トラックに積んで持って帰ろうと考えたが、稲束の結束が緩いので、稲が抜け落ちてしまい運ぶ事が出来ないのである。
其れ等の意味に付いて考えて居ると「塵と一緒に嫁を貰った」との言葉が一言告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時46分・7時14分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は画面一杯に、古代の象形文字らしき物が書かれている場面が映し出されて来て、其の書かれている文字が、右側から左側へ消去されて行く場面が映し出されて来た。
更に、右側の方から、波が打ち寄せる様に黒い物が何回も覆い被さって来て、闇が広がり、私の意識は真っ黒な闇に覆われて行った。
今朝のメッセージは、昨日のメッセージで、縁側のサッシ戸の掃除をしなければ成らない場面が映し出されて来た事と関係が有り、今朝告げられて来た「塵と一緒に嫁を貰った」との言葉は、人間社会は縁(色・rūpa・ルーパ・縁起)で出来上がっている理・ことが示されて来ている様である。
本日4月29日は、昭和天皇の誕生日で其れを記念とする祝日「昭和の日」であるが、伊勢神宮を創建した斎宮「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった「井上佳子」の葬式をした日でもある。
其の井上佳子は、「土肥無庵」に初めて会わせた時に、私に「折角別れさせたのに 前の嫁より悪い 頭が真っ白な女ではないか」と謂ったので、私が「ブレーキだ」と答えると、其の意味が理解できたのか、何も謂わなく成った。
其れに二度目の結婚は、其の井上佳子が買った家に一緒に住む事であったので、私が嫁を貰った事には成らないのである。
其れを考えると、今朝告げられて来た「塵と一緒に嫁を貰った」との言葉は、最初の妻の事であり、妻が持って来たのは創価学会の日蓮曼荼羅「南無妙法連華経」であったので、創価学会の日蓮曼荼羅は塵であったと謂う事にもなる。
其れに、「塵と一緒に嫁を貰った」との言葉が「7時14分」前であったのは、7月14日が「夏禊ぎ日」である事と関係が有り、本日が斎宮「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった「井上佳子」の葬式の日である事が関係あるのだろう。
2005/9/10「倭姫命のおことば」
黒(きたなき)心 なくして 丹(あか)き 心をもちて
清く潔(いさぎよ)く 斎(ゆまわ)り 慎(つつし)み
左の物を右に移さず 右の物を左に移さずして
左を左とし 右を右として 左に帰り 右に廻る事も
万事 違(たが)う 事なくして 大神に仕え奉れ
元(はじめ)を元とし 本(もと)を本とする故なり
「倭姫命のおことば」https://star.ap.teacup.com/170606/573.html
2006/3/16「ゆまわり つつしむ」https://star.ap.teacup.com/170606/811.html
そして、其れ等の事を考えると、今朝告げられて来た「塵と一緒に嫁を貰った」との言葉は、日本の仕来りである嫁入りが「角隠し」「白無垢姿」である事と関係が有り、嫁入りの時には頭を真っ白(過去のデーターを消去)にして嫁がなければ成らないとされていた事と関係が有り、其の風習・伝統は他国の宗教の価値観よりもレベルが高いモノであった事の証しと成るのではないだろうか。
2009/3/29・・其の意味から、究極の男性の役割とは、「神に鞭打たれて 答えを出す」事であると言うことになる。
そして「雪馬車」とは、女性が他家に嫁入りし、子孫を残す事が役割である理・ことを、意味しているのではないだろうか。
雪の世界は、銀世界を現しており、真っ白で穢れの無い世界を意味している。其れは、花嫁が嫁ぐ時に「白無垢・しろむく」「角隠し・つのかくし」の衣装を身に纏う事と、同じ意味合いを現しているのでないだろうか。
「白無垢」とは、罪穢れの無い状態を意味し、「角隠し」は自分のエゴ心を出さない理・ことを意味しているのである。其れは、他家に花嫁が嫁ぐ時は、身も心も純真無垢で在らなければ成らないと言う理・ことわりを、含んでいるのである。
其れは、自分の宗教や思想を、嫁入り先に持ち込んだり、自分の家の風習を押し付けたりしない理・ことを、意味しているのである。
そして馬車とは、DNA・遺伝子を運ぶ・継続する肉体の事を、意味しているのであろう。其の様に考えると、今朝のメッセージの「檻と雪馬車」は、「男性」と「女性」の究極の役割を示して来ているのだろう。
其の様に考えると、「釈迦牟尼佛」や「イエスキリスト」の生き方は、道理に適っていない事に成ってしまう。しかし、私が此の様なメッセージを受け取り、此の様な文章を書いているのは、釈迦牟尼佛や、イエスキリストの様に生きているからこそ、可能に成っているのである。
「檻と雪馬車」https://green.ap.teacup.com/20060818/1092.html
其れに、今朝起こされた・起きた時刻7時14分前の数字から、昨年の7月14日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2018/7/14・・其れから、宇宙空間の映像が映し出されて来て、其の空間を背景にし左側から右側へ「宇宙に甚大な影響を与える座標軸」とのテロップが流れて行く映像が映し出されて来たので、起きて時計を見ると時刻は6時29分であった。其れで起きて、PCを立ち上げて6月29日の文章を見ると、次の様に書いて有る。・・
此の文章の内容から考えると、私の意識と肉体の存在は、私個人の物ではなく、宇宙の森羅万象の流転と直接関係していると謂うか、繋がっている事に成り、私は誰よりも自分の肉体を守る必要が有るようである。
『まことにそうです。
貴方は 物事・出来事を 斜め読みにするのではなく
真正面から 見据えなければ成らないのです。
其の態度がなければ「御嚴・みいつ」の役割は 果せないのです。
良いですか そして其の為に 最も必要な条件が
マクロビオティック (正食・精進)に有るのですよ。』
此の女神の言葉からすると、6月29日に男性の声で「1.8インチ」と「90センチメートル」との言葉が、砂糖キビ畑の中から告げられて来た事の意味も理解されて来る。
砂糖キビは、砂糖の原料であり、化学調味料の「味の素」の原料でもある。
そして、砂糖キビは竹の様に節が有る植物なので、物の尺度(物差し)の意味も兼ねており、食べ物摂取の節度を示唆していたのであろう。
此処で、左手の薬指にカモ(神の電気信号)の現象が起き、丁度からくり時計の8時のチャイムが鳴った。
此の現象も、森羅万象の流転と人間の手指(手印)が関連している事の証であり、釈迦ブッダが説法の時に、両手の指の反応を見ながら話して居た事の理由・謎も理解されて来る。
今朝のメッセージは、昨日の「人体と宇宙」と「榮養」との言葉その儘の内容が、継続されて来ている事に成り、昨日の猛暑(天候)も神(はたらき)の悪戯であると謂う事に成りそうである。
[・・此の文章にも「神武天皇」の事が書いて有り、『・・「肉体」が過去のDNA・遺伝子が組み合わさって出来ている物であるが、「意識」も過去の人々が積み上げて来た情報で組み上がっている物である。・・・』と書いて有るので、今朝のメッセージに「宇宙・天体」と「人間の肉体」の関係性が示されて来ているので「天皇・すめらのみこと・現人神」の在り様に付いて、示されて来ているのであろう。
其の事と、「蒲鉾形のテント」と「多数の鹿」にどの様な関係が有るのだろうか。・・・]
其れを考えると、今年の大量の降雨で、スイカやメロンが半分程駄目に成った事も、私の飲食物の摂取量を、神(はたらき)が管理しているとの事に成りそうである。
其れに、11日の「変化に備えろ」との文章にも、次の様に書いて有る。
『・・そして、私が其の男性の奥さんに「夢見」の世界と、「食べ物・薬草」の事を話して居たのは、日本の「食国政り事・おすくにのまつりごと」や「天御臥間・ あめのおふすま」の世界を示唆しているのであろう。
其れに「川東信樹」との名前の男性が、薬と成る草木の苗を澤山植えて育てて居たのは、「東の川の樹を信じる」との意味合いが有るので、日本の神道の世界である「御神木・神籬(ひもろぎ)」の価値観や、「祇園様・神農神・須佐之男尊」や「少彦名神」の存在、其れに水と智慧の世界を司る「青龍(せいりゅう)」などに関係が有るのではないだろうか。・・・』
此の青龍(せいりゅう)の存在からすると、昨日ドラム缶の様な筒の中で死に掛けていた「白虎・びゃっこ」は私自身の存在を暗示しており、私が正しい生活・いきかたをしなければ、「道」が失われてしまうと言う理・ことが示されて来ているのかも知れない。
其の様に考えると、今回の私の腹痛は、神(はたらき)が私に、強い自覚を求めて来ている事に成る。
今朝、私の左手の薬指にカモ(神の電気信号)の現象が起きると同時に、8時のチャイムが流れて来た出来事は、昨日の文章にアップした今年の4月2日の内容と連動している。
2018/4/2・・そして、景色を眺めると、其処は人家や人気が全く無い、古代の大自然の中であり、森林の中を清い水がゆったりと流れる大きな川が有るので、私は其の川の流れで、躰だけではなく、精神の禊ぎ祓いが出来ると思って居た。
今朝起こされたのが、「8時00分・八時ジャスト」であった事を考えると、漢字の「八」は、末広がりの意味が有るので、今朝のメッセージは「乾物化」しているあらゆる情報を、清水に浸して生き返させる必要が有ると言う理・ことに成るのではないだろうか。
其の様に考えると、過去の情報だけではなく、人間自身の禊ぎ祓いが必要であり、其れが実行されなければ、社会全体の大改革も行えないと言う理・ことなのであろう。・・・「現在は過去の情報の上に」
此の「・・人間自身の禊ぎ祓いが必要であり・・」との文言は、本日7月14日が「夏禊ぎの日」である事と関係が有り、私に今朝起きた事も浄化の現象であるのかも知れない。
キー「7月14日 禊ぎ祓い」
2003/7/25「今日一日 無事にありますように」此れは、人々の一番手短な祷りの言葉です。
其の祷りの気持ちの前には、昨日までの不都合な事は、全て消えて欲しいとの望みがあり、幸せに成れます様にとの、未来の時間への希望が含まれています。
本日7月25日は、中南米に住んでいた、マヤの人達の暦では、一年の最後の日であり、日本の大晦日の日に当ります。
南米は赤道直下ですから、日本の様に四季がありませんので、一年の終り・イコール冬の季節との考えはありません。
マヤの人達は、地球の気候よりは、宇宙の星の運行に興味を持っており、現在の天文学にも劣らない、観測技術を用いていました。月や太陽の他に、金星の運行までを取り込んだ、複雑な暦を作り、生活を営んでいたのです。
その内容を見れば、現代人よりも、マヤの人達の方が、優秀だと考えられる程です。
マヤの暦では、今日25日は、一年で一日余る日で、心の整理をする日と成っています。
日本では、12月31日の夜、お寺で除夜の鐘を打ち、一年の煩悩を祓いますが、同じ様な願いがあったのではないでしょうか。
今日の日付の意味を、気にしていた所為か、今朝は「あらもうば」との言葉が出て来ました。「あらもうば」とは、神社で唱える祝詞の中に出て来る言葉で、「罪穢有らむをば 祓へ給ひ 清め給へ」の事と想われます。
(かけまくもかしこき いざなぎのおおかみ つくしのひむかのたちはなのおどのあはぎはらに みそぎはらえへたまいしときになりませるはらえどのおおかみたち もろもろのまがごと つみ けがれあらむをばはらえたまい きよめたまへともうすことを きこしめせとかしこみかしこみももうす)
日本には、古くから、自分の身心に着いた、罪やケガレを祓い清めて、病気や災いからまぬがれようとの、考え方がある。
昔は、晦日以外にも、春禊・旧暦3月最初の巳の日と、夏禊ぎ・旧暦7月14日に、川や海で禊ぎをして、身心を清める儀式が行われていた。
現在、行われている8月15日のお盆の行事は、この旧暦7月14日の夏禊ぎの行事が、仏教の行事に置き換わってしまったもので、仏教とは本来、関係が無いものだったのである。
其れが、仏教に置き換わったのは、徳川幕府のキリシタン弾圧政策の影響に因るもので、「盂蘭盆・うらぼん」とは、梵語のウランバーナの音写で「はなはだしい苦悩」という意味で、仏弟子の「目蓮」が、餓鬼道に落ちた母の苦しみを救ったのに由来する物語を、夏禊ぎの儀式に利用したものであり、本来の目的である禊ぎの意味からは、外れてしまっている。
本来の夏の禊ぎの意味は、7月14日に家の主・代表が、川や海の清い水で禊ぎを行い、夕方先祖の霊を迎える篝火を焚いて、先祖の霊を家に迎え入れ、神棚に野菜等を飾り、お椀に飯を山盛りにもって草の茎の箸を立て、先祖に供えて一族の繁栄を願うものだったのである。・・・「つみけがれあらもうば」
今朝宇宙空間を背景して、「宇宙に甚大な影響を与える座標軸」とのテロップが左側から右方向に流れる映像が映し出されて来たのは、私が1984年6月4日に、私の役割が「事象の特異点」であり、別な言い方をすれば「神の新しい座標軸」であると告げられて来た事と関係が有り、其れが本番を迎えるので、私に自覚を求めて来たのではないだろうか。
其の様に考えると、私は自分の気を引き締めて、事(森羅万象の動き)に当たらなければ成らないと謂う事に成って来る。
何故かと謂うと、私の行動・行為が「道・タオ」から外れれば、甚大な影響が生じてしまうと謂う事の様だからである。
「座標軸」https://green.ap.teacup.com/20060818/4680.html
昨日と今朝のメッセージが、「掃除」や「整枝(剪定)」「稲束の管理」がテーマであるのは、私が35年前此の世界に飛び込んだ時に、仕事を止め、離婚して家族を嫁の里に返し、私が自宅と実家の大掃除を何日も続けた事と関係が有り、「統尊・すめらのみこと」の「「御嚴・みいつ」「御稜威 ・みいつ」を行う為には、一切の世事から離れ、頭が真っ白な状態と成らなければ成らない理・ことが、改めて強調されて来ている事に成る。
2018/12/3・・私は、其の「アンテナが二つ要る」「16年半しかない」とのお告げから、仕事を全て止め、家族を妻の実家に帰し、古い物を全て処分し、自宅だけではなく実家の大掃除を始めた。
そして、新しく買った車に、新しい布団と鍋釜などの料理道具を積み込んで、作務衣姿で全国の旅に出発したのである。
其の時点では、カメラ以外は、PCだけではなく携帯電話も無かったので、現在の様に文章を打つ事も無かったのである。・・・
「自然の働きには穢れが無い」https://green.ap.teacup.com/20060818/4826.html
其れに、今朝最後に、古代の象形文字が消去されて行く場面が映し出されて来たのは、私が文字・漢字の世界から離れなければ成らない理・ことが示されて来ており、其れは釈迦牟尼世尊の「十二因縁起」の教訓や「拈華微笑」の行為と関係が有り、私が中国の王の鍼師の子孫である清水先生に六回に亘り鍼治療を受けた事と関係が有り、私は全ての事から離れて、頭を真っ白にしなければ成らない時が来たのかも知れない。
2007/2/26・・私は、1995年の8月に東京都調布にお住まいの鍼師である「清水先生」に探し出されて、中国の王様が受ける鍼の治療を二ヶ月に亘り、六回受けた事が有る。
其の時に、鍼師に云われた事は「北を背にし 南を向いて椅子に正しく座り 呼吸を整え 頭に一切の言葉を 想い浮かべては成らない」との理であった。
其の事が、今の私に、現実として起きて来ているのだ。
其の時の日記の内容(東京都目黒から通う8月19日・21日・23日 9月5日夜中に阿蘇の自宅で寝て居る時に、鼻の下に遠隔鍼を打たれ「9月13日までに来い」と告げられたので、7日の11時30分の飛行機で羽田に向かう。9月14日5時清水先生宅。24日日曜日11時〜3時まで。)
其れ等の事柄を考えると、今朝の状況こそ、神々と精霊達が此処まで私を導いて来た事が完成したことを意味し、23年前に私を探し出した無庵師匠の云った事が、現実と成った事を証明しているのではないだろうか。・・・
「平らかに成った世界」http://green.ap.teacup.com/20060818/200.html
2018/1/28・・其れから、再び眠ると、私の意識が空高くから、地上の様子を見下ろしながら飛んでいる映像が映し出されて来た。
今朝は、「はずれるな」との言葉が告げられて来たので、起きて時計を見ると8時5分であり、最初に起こされた2時5分から、6時間が経過している事が判った。
今朝はPCを立ち上げると、「貴方には愈々」との女神の声が聴こえて来たので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「貴方には 愈々 前代未聞の出来事が始まります。
ですから 身の回りの事に 十分に気を配りなさいね。
いまに 貴方の事は 世間に知れ渡る事に成りますが
其れは 貴方自身には 全く関係が無い事なので
其の事に対して 貴方が何かを考える必要は無いし
対策を図る必要も有りません。
貴方は ただ只管 自分の役割を果たして行けば良いのです。
其処に 新しい御世が 生じて来るのですから。
良いですね 何が起きても 貴方から
動き出す必要は 何も無いのですよ。
貴方が 他の事に少しでも 対応すれば
全ての事が 止まってしまうのですから
其れが 惟神道の鉄則なのです。 」
此の女神の言葉からすると、今朝告げられて来た「はずれるな」との言葉は、「惟神道・かんながらみち」から外れては成らないとの理・ことが、示されて来ている事になる。・・・
「はずれるな」https://green.ap.teacup.com/20060818/4510.html
「法華経の十二因縁起」https://wave.ap.teacup.com/20060106/
何れにしても、明日で平成の時代は終わるので、頭を空白にして5月3日の夜を迎えなければ成らない様である。
平成31年4月29日
礒邉自適
2019/4/27
星に成る
31・4・27
昨夜は床に就いて目を閉じて居ると、瞼に映像が映し出されて来た。
其の映像は、私の存在が狭い戸口の内側に座って居て、外側から十人程の縦縞の浴衣(着流し)を着た人々が、私の横を擦り抜ける様に入り込んで来て、後ろ側に回り込む場面である。
其れに、其の人達は、後ろで黒色・グレーの服に着替えてから、私の存在を護衛する為に左右と背後に付いた。
そして、眠ってからの映像は、私が首が据わったばかりの孫を抱かされると、其の孫が、私に意味の分かる言葉をしゃべり始め、最初は自分の耳が変しいのかと思ったが、能く聞いていると、確かに意味の有る言葉であり、其れは神(宇宙意志)からの伝達である事が理解されて来た。
そして、其れを両親に伝えて、孫を渡すと、其の両親にも同じ様な事を話すので、両親も其れを認めた。
其れから、マスコミが其れを取り上げると、政府が介入して来て、食事の専門家を始め、様々な分野のエキスパートが召集され、国家で新しいプログラムを立ち上げて、其の出来事を解明し始める場面が映し出されて来た。
其れは、私が此の世界に飛び込んだ時に起きた出来事が、どう言うモノ・現象であるかが、人類全体に公に成る事を意味していた。
其れから、本棚・書庫の様な物を背景として「7月10日」の日付が大きくはっきりと映し出されて来た。
今朝は、其れ等の事に付いて様々な事を考えていて、起されて・起きて時計を見ると、時刻は「9時8分」であった。
其れからPCを立ち上げて、今日の題を何にするかと意っていると「星に成る」との言葉が告げられて来たので、其の言葉を題として打ち込んだが、何時もの女神の言葉の様に後が続いて出て来ないので、其の儘今日のメッセージに付いて打ち出す事にした。
今朝の映像で、本棚・書庫を背景にして映し出されて来た「7月10日」の日付から、昨年の7月10日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2018/7/10今朝のメッセージの意味が、私にも能く解らないので、取り敢えず「八幡と八岐大蛇」とした。
其れは、私が人間社会で、八部門の事を立ち上げて戦いと謂うか、仕事をしなければ成らないのだが、正しい道(手法)が通用しないと謂うか、私と同じ舞台(考え)で競う相手が居ないので、やる気が失せてしまう映像だったからである。
其処で照明を点けて、時計を見ると時刻は「3時33分」であった。
其れから、再び横に成ったのだ、今朝の映像の意味が能く理解できないので、悩み始めて、眠れないので起きて台所に行き、穀物コーヒを入れてから時計を時計を見ると時刻は4時44分であった。
其れから、コーヒーカップを手にし縁側に立つと、東の空の雲が赤く棚引いていた。
そして、パソコンを立ち上げると、庭先の木の枝に雀が遣って来て、餌を催促する様に鳴き始めた。其れで時刻を見ると5時5分であり。今朝はぞろ目の数字で認識作用が動いている。
其れに、気付いて見れば、題にした言葉も「88」である。
今朝の文章の題を「八幡と八岐大蛇」としたのは、私が八部門の事を開始しようとするのだが、其れに対して、全て、協力者が現れず、反対(邪魔)をする人達ばかりで、私は嫌気が差してやる気が失せてしまったからである。
今朝は、文章の書き様が無いので、昨年の7月10日の文章を見ると次の様に書いて有り、翌日11日の文章の題は「3時33分」で、今朝起された時間と同じである。
2017/7/10昨日は、14時頃に文章を書き終えると急に睡魔が襲って来たので、寝室で横に成ると、長い間、次々に文章の存在が映し出されて来て、其の中に「意識の絡繰・からくり」とのテーマの文章が有る事が示されて来た。
昨夜は、其の昼寝が二時間程に成った為に、夜寝付けないで居ると、突然に左足の裏の、人差し指(第二趾)の骨の付け根の部分に、強烈なカモ・(神の電気信号)が起きたので、照明を点けて時計を見ると、12時8分だったので、私は其の時間から、12月8日に覚醒・成佛した釈迦牟尼佛の事を思った。
そして、眠る前に瞼に映像が映って来た。
其の場面は、私が居る建物に、困った様な表情をしている大人達が、相談に訪れて来て居る様に、表玄関の方に向かって一列に並んで居る場面が映し出されて来た。
そして、其の中に中年の青い服を着た女性が居り、其の女性の存在を目に留めた建物の主である女性が、ガラス戸を開けて、其の女性を一人だけ中に引き入れた。
其の女性は、教育者の様な雰囲気の理知的でおとなしい女性であり、結婚もしないで教育に身を捧げて来たので、子供も居ないらしく、自分の人生は一体何の為にあったのかが判らず、迷いが生まれて来たので相談に訪れたらしく、寂しく俯いた儘であった。
そして、其の女性の存在が、「高岡」との名前である事が示されて来た。
そして、眠ってからの映像は、私が夜中に部屋の中で、枕元に小さな明かりを灯して、布団に腹ばいに成って本を読んで居ると、ガラス戸の向こう側に合羽を着た人物が雨宿りをして居るのに気付いた。
其れで、右手に懐中電灯を持って、其の人物の頭の部分を照らすと、其の人物が此方を振り向いて顔が見えた。
其の人物は、25歳位の若者であり、好青年である事が判ったので、建物の中に入れると、其の建物の持ち主である女性が起きて来て、「あら 良く帰って来たわね」と優しく其の若者を迎え入れ、直ぐに着替えさせ、布団を敷いて遣ると、其の若者は直ぐに眠りに就いた。
其れから、朝まで、次々に映像が映し出されて来た。
其れは、古く成って滅んで行く人間社会を、再生する為の、様々な人々の活動風景である。
其れに付いて、思い出せる場面は次の様な物である。
・建物の掃除や修理。
・台所の掃除と改修。
・様々な調理道具や器を揃える。
・農産物を栽培する田畑の整備。
・小川に沿って、山岳に上る登山道の入り口に、男性が石の祠の様な物を設置する。
・山中に建っている、大きな建物・空きビルの使い道を考える。
・30歳代と40歳位の男性が二人遣って来て、私が命令を何も告げないのに、私の役割りが果たせる様に、次々に環境を整えて行く場面。
・稲が青く茂っている水田のあぜ道を、白黒の斑模様をした乳牛の子牛が、左側から右の方にゆっくりと歩いて行く。
其れ等の映像が、映し出されて来た後に「終結」との言葉が、一言告げられて来た。
今朝は、起きてから先ず、昨夜カモ・(神の電気信号)の反応が起きた足の裏のツボに付いて調べて見た。
すると、足の裏のツボ療法では、「肺」を刺激するツボとされ、釈迦仏陀の佛足で調べると、其の場所は「双魚」の場所であり「長生き」の相とある。・・
此の説明からすると、12時8分に其の「双魚」のツボに強烈なカモ・(神の電気信号)の反応が起きたのは、私が其の魚から549番目である事が示されて来ているのかも知れない。
其れに、今朝の愉伽さんのビジョンは、私と二人で床板を張る作業をしており、其の建物の中に、亀が一匹居て、種類は判らないが、鳥も一羽居たとの事である。そして、二人の若者の男性が、色々と手伝ってくれていたとの事である。
其の愉伽さんのビジョンは、二人の男性の存在が私の映像と重なっており、亀と鳥の存在は「亀は万年 鶴は千年」との言葉と関係が有り、亀が「長生き」の象徴とされている事と関係が有るので、「双魚」のツボが、呼吸・息に関する「肺」のツボである事と関係が在り、私に「長生き・長息」しろとの事が示されて来ているのではないだろうか。
今朝は、色鉛筆を引き出しから取り出すと、「土肥無庵」から1987年頃に届いた手紙が下に有った。其の手紙に書かれている文章は、次の様な内容である。
『拝啓
沢山の山の幸 ごちそうになりました。心から感謝申し上げます。
人生捨去既 心豊大
不見 不聞 不言
低圧者不相手 平常心極意 印(土肥無庵) 』
昨日、昼寝の時に告げられて来た「意識の絡繰・からくり」の言葉で、以前の文章を検索すると、次の文章が有った。・・・「意識の絡繰」
此の土肥無庵の言葉「人生捨去既 心豊大。不見 不聞 不言。低圧者不相手 平常心極意。」からすると、私は漸く土肥無庵の言葉を実行する時節が巡って来たとの事なのかも知れない。
2017/7/11今朝のメッセージの内容は、簡単に一口で謂うと「神界の次元が一段上がった」と言う事である。
今朝のメッセージの映像には、フイルムのネガの様に、白黒の世界が映し出されて来て、其の世界・画面には、新しく創造された漢字で、幾つもの単語が映し出されて来たが、其の文字の読み方や、意味の理解は記憶には残っていない。
其れに、其の世界・画面には、文字だけではなく、電子顕微鏡で捉えた、生命に関する写真も有る事が示されて来た。
そして、大阪弁で一言「食べ物が無ければ 全ての事は成り立たない(存在しない)」との意味の言葉が告げられて来て、其の意味を考えると意識が目覚めてしまったので、照明を点けて時計を見ると、時刻は3時33分であった。
其れから、再び眠ると、今度は私が山間の村に居て、水が流れ込んでいるプールの様な施設が有ったので、私は其のプールで禊ぎ・沐浴をする目的で、水中に入ると、何だか肥溜めの様な臭いがするので、其のプールには水洗便所などの生活排水が流れ込んでいる事が判ったので、急いで水から上がった。
そして、其の穢れを洗う為に、清水が流れる川を探し始めて居た。
そして、なかなか清水が流れる川が見付からないので、右往左往して居ると、現実的に自分の身体が動いて居るので、自分の身体の動きを確認すると、毎日東枕で寝ている私の身体が、北枕に成っているのに気付いた。
其れは、東枕だと起き上がった時に「西向き」に成るのだが、北枕だと起き上がった時は「南向き」と成る体勢である。
今朝のメッセージの映像から、私の脳裏に真っ先に浮かんだのは、世界救世教の創始者である故「岡田茂吉」の存在である。
其れは、岡田茂吉が昇天した時間が1955年2月10日3時33分であり、其の世界救世(メシア)教では「自然農法・食べ物」に力を入れているからである。
其れに、岡田茂吉が祭祈していた神は「伊都能売神・いづのめのかみ」であるので、一昨日のメッセージに映し出されて来た、「雨雲」の中の眼と関係が有りそうである。・・・「3時33分」
2017/7/12今朝のメッセージの映像は、先ず、私が蕎麦の生地を自分の手で練り込んで伸ばし、其の生地を折り畳んで四角い器に収納して、上にラップの様な透明な蓋をし、埃や雑菌が入らない様にした。
そして、其れを、女神の館に持って行った。
其の女神は、透明でスラリととした長身であり、色像が全く見えない存在である。
そして、何故か、其の蕎麦の生地が入った器を、大きな古木の空洞を植木鉢にして、其の中に納めて居た。
今朝は、其れ等の事を考えながら起きて、台所に入って時計を見ると、時刻は丁度6時00分であり、長短の針が垂直の位置に有った。
今朝のメッセージの映像から、私が感じとった事は、私が自分の役割を無事に果たしたと言う事である。
其れは、昨日『なかなか良く書けたが お前が其れに付いて 何が出来るのかが 抜けている』と、男性の声で告げられて来て、私が、其れに対して「私に何が出来るか」と自分自身の気持ちを確かめた時に、自分が遣りたいと想っている事が、特定出来なかった事と関係が有り、私には本来、自分の欲望が無かったと言う事に成りそうである。・・
そして、今朝のメッセージの映像は、其の事と関係が有り、私は自分の人生の結果を器に詰めて、女神の館に納めた事に成るのである。
何故、私が其の様に考えるかと謂うと、蕎麦を食べる秘訣は「挽きたて・打ちたて・茹でたて」であり、パンの様に寝かして発酵させる物ではないからである。
其れに、今朝の映像では、打った蕎麦を茹でて食べるのではなく、生地のまま乾かない内に雑菌や埃が入らない様に、透明な膜で密封し、中身が見える状態で女神の館に持って行った。
そして、女神の指示に因って、其の器を、大きな古木の空洞で作った植木鉢の中に収納した。
其れは、私が打った物(人生の鍛錬の結果・結論)が、何百年・何千年も生きた樹木の中に、新しい芽生えの種子として納められたのである。
其れは、私の人生・生きた結果が、老子(道院殿老祖様)の謂う「万物の母」に納められたと言う事に成り、私は無事に、自分の宿命(さだめ)を果たした事に成るのであろう。
其れは、7月1日・朔日(ついたち)の22時頃に私の左足の甲に、激しいカモ・(神の電気信号)が起きた事が前ぶれであり、7月10日0時8分に起きた左足の「肺のツボ、双魚の位置」のカモ・(神の電気信号)は、最後の神の「針治療」であったと言う事に成りそうである。
其れは、7月1日の文章の題が「リセット」であり、女神の言葉からも、今朝の状況が理解できる。・・・「牟尼・むに・muni」
2017/7/13「@この上無い喜び」
2017/7/9「日本に不正が有っては成らない」
2017/7/8「紙魚たちよ語り部になってほしい」
今朝のメッセージと謂うか、私の意識状態から考えると、昨日の「自然に帰る」の文章と関係が有り、私は本来の自分自身に復帰して良いとの事なのかも知れない。
其の様に考えると、34年間の長きに亘り私が続けて来た作業は、是で一段落する事に成りそうである。
其れは「土肥無庵」の想いを、叶える事にも成るのではないだろか。
平成30年7月10日6時10分
「八幡と八岐大蛇」https://green.ap.teacup.com/20060818/4676.html
2018/7/11「変化に備えよ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4677.html
此の文章の内容から考えると、7月10日の日付が「本棚・書庫」を背景として映し出されて来たのは、「土肥無庵」から唯一冊だけ受け取った「紙魚たちよ語り部になってほしい」との本の題名と関係が有り、私が「土肥無庵」に捜し出されて起きた出来事(天の仕組み)を人類の宝物として、書物・データとして永遠に伝播・継続させろと謂う事であり、其れが「天津日嗣・あまつひつぎ」の奥義と成ると謂う事なのではないだろうか。
2017/7/8「紙魚たちよ語り部になってほしい」http://green.ap.teacup.com/20060818/4298.html
2003/2/7「私に何が起きたか」https://moon.ap.teacup.com/20061108/246.html
2008/10/23今日は、今朝のメッセージを打ち終わって日付を打ったら、今日10月23日が私の父親の四十四回忌である事に気が付いた。
私の父親が亡く成ったのは、東京オリンピックの開催中であり、「東洋の魔女」の言葉が生まれる事に成った、女子バレーボールの試合で日本が優勝し、国中が盛り上がっていた44年前の今日である。
其れは、私が17歳の秋であった。
其の父親は、私が37歳の6月4日・母親の64歳の誕生日に、4311体もの精霊の軍団を引き連れて、20年振りに彼の世から還って来て、私の前に姿を現したのである。
其の時、父親は精霊達の一番前に立って居り、私に「お前に 是まで苦労を掛けたのは お前の精神を鍛える為であった。もう大丈夫だから 此の人達に身体を貸せ。」と告げたのである。
そして、其の日から始まった事は、ダンスを踊る事だったのである。
今に成って考えると、一番初めに私の身体を使い始めた精霊は、屋久島の山の神である「ピーコドンドン」だったのかもしれない。
私は其の日、朝から散歩に出掛け、母の住んで居る松峰区の実家の方に、紫陽花の花を一枝持って歩いて行き、途中に有る中村さん宅で休んでから、一度安房の自宅に引き返し、今度は車で、平野の無庵師匠の自宅に向かった。
すると、無庵師匠の自宅の門の扉の内側に、師の四歳の息子が待って居て、其の息子が門の鉄格子の隙間から、何かを握っている右手を差し出すのである。私が手を出して掌を広げると、其の私の手に握っていた物を置いた。
其れは、単なる一個の小石だったのである。
私は、其の小石を手に持ったまま、門に着いている入り口の板戸を開けて、屋敷の中に入った。
すると、其の息子さんが、私をプールの方に案内して、其の小石をプールに投げる様に云うのである。
私が云う通りにプールの真ん中に小石を投げ入れると、チャポンと音がして、其の小石が落ちた所から、周囲に波紋の波が拡がって行った。
其の波紋を見ながら、息子さんは「小父ちゃんが出て行ったら こんなに成る」と云って、私から、世の中に波紋が広がる事を示唆した。
次に、私を畑の方に連れて行って、人参を指差して「此の人参を抜け」と云うのである。私が其の人参を手で引き抜くと、葉は茂っているのだが、根の方は細い人参が付いているだけである。
次に、今度は葉が紫で、横に這っている人参を指差して、其れを抜けと云うのである。私が、其の葉の少ない人参を引き抜くと、其処には、丸い大きな人参が付いているのである。
其れは、種類も同じで、蒔いた日付も同じであり、育つ条件は同じなのだが、本数が多い事で日が当らなかった方が、根が小さかったのである。
其の息子さんは、「こっちの方に成れ」と、葉は茂っていなくても根の大きな方を示したのである。其れは、見掛けではなく、根の大きな人物に成れと、謂う理・ことである。
其れから、今度は、父親が止めるのも聞かずに門を出て、近くに有る孟宗竹の山に私を連れて行って、大きな竹を見上げて居るのである。
すると、其処に風が強く吹いて来て、其の孟宗竹が風の力で撓った。
其れを見ながら、「こんな風に 生きて行け」と云うのである。
其れは、風で撓る竹の様に、しなやかに生きて行けと謂う理・ことである。
そして、近くに横たわっている古い竹の方を指差して、歩けと云うので、私が通り道に横たわっている竹を、跨ごうとすると、「跨いでは駄目だ 踏み折って行け」と謂うのである。
其れは、障害物は避けて行くのではなく、踏み砕いて、進んで行かなければ成らない理・ことを、意味していた。
其の後も、家の方に引き返さずに、竹山を見詰めて居るのである。
すると、其処にヒヨドリが二羽飛んで来て、竹の枝の間を飛び回ってじゃれ始めた。すると、其の息子さんは、「小父ちゃん心配するな 別れても 次が待って居る」と、妻と離婚しても、次が準備されている事を示したのである。
其れから、ようやく家の方に引き返すと、今度は畑の境界に張られている鉄状門の所に私を連れて行って、「小父ちゃんは 今日から 此の様に成る」と云って、両手に手錠が掛けられる様な仕種を、して見せるのである。
そして「お父さんに 一筆 書いて貰え」と云った。
其れから、無庵師匠の居る自宅に帰った。
私が、其の息子さんの行動を無庵師匠に伝えると、師は、紙とペンを出して何やら書き始めた。
其れから、私の自宅の有る安房に向かう事に成り、師と奥さんと息子さんの三人を車に乗せ、私が車のエンジンを掛けると、後ろから、其の息子さんが、私の服を引っ張って「未だだ」と合図をするので、私は一旦車のエンジンを切った。
そして暫らくすると、其の息子さんが「もう良い」と云うので、車のエンジンを掛けて、安房に向かって出発したのである。
其の日の事は、今でも昨日の出来事の様に、頭にはっきりと其の場面が残っている。何故、四歳の子供が親の制止を振り切って、其の様な行動をしたのか、今でも不思議に思っている。
そして、安房の自宅に着いて、私が会社で使っていた人間に電話を掛けて、会社の土地の権利書を渡す様に云うと、其の電話を一方的に切ったので、もう一回電話を掛けて、出る迄呼び出し音を鳴らしていると、自宅にパトカーが遣って来たのである。
其のパトカーは、無庵師匠の説明と、自宅で書いて準備をして居た書面を渡す事で、引き返して行った。
私はパトカーが帰ってから、無庵師匠に「川に入って良いか」と訊ねると、師は頷いて「両手を上げて 水に入って行け」と云うのである。
私は其の様にしながら、自宅前の安房川に浸かって、川の反対側の岸まで泳いで行った。
其の、私が水に入って行った場所は、私の両親が昭和21年8月3日(旧暦7月7日)に、初めて屋久島に上陸した地点である。
私の母親は、其の日、安房の沖に停泊している客船から「艀・はしけ」に乗り移って、安房川の岸辺の桟橋に着き、其の桟橋の横の砂浜に座って、荷物と夫が到着するのを待って居たのである。
其の時、母親のお腹には、受胎16週の私が宿って居たのである。
私は、其の母親が39年前に座って居た場所から、母親の64歳の誕生日である6月4日に、彼岸に渡る儀式をする事に成ったのである。
私は、安房川の反対岸まで泳ぎ渡って暫らく休んでから、再び泳いで、此方側に返って来た。
屋久島の季節は、6月だから気温は初夏でもう寒くはない。
しかし、2000mの山から流れ下って来る水は、未だ相当冷たいのである。
川から上がって来た私の身体には、震えが来た。
其の震えが止まらないので、私は師に支えられて、自宅の二階まで上がり、布団を引いて貰い横に成った。
しかし、それでも振るえは止まらず、其の身体の振るえは、有るリズムを持って、床の畳を両手で打ち始めたのである。
そして、師の奥さんが、私の弟に連絡を取ったらしく、弟も二階に上がって来た。そして、仰向けに成って居る、私の両手の右腕を師が抑え、左手を弟が押さえて、振るえが止まるのを待っていた。
すると、目の前の空間に、澤山の人の姿が現れて、其の一番前に20年前に死んだ私の父親が、立って居るのである。
そして、其の父親が「お前に苦労をさせたのは お前の精神を鍛える為であった。もう大丈夫だから 此の人達に身体を貸せ。」と云うのである。そして、更に「仕事だと想うな。遊びだ 遊びだと想っていろ。」と云うのである。
そして私は、今度は弟に「握り飯を持って来い」と云い始めたのである。
初めは、動かなかった弟が、私が何度も同じ事を言い続けるので、階下に降りて行って握り飯を三個作って来た。私は握り飯が来たら、布団から起きて、其の握り飯を持って、其の階に有るトイレの戸を開けて中に籠った。
そして有る程度時間が経ってから、自宅を出て、安房川に架かる橋の中央まで行き、残っている握り飯を、橋の上から下流に向かい流したのである。
其の行動が、何を意味しているのか、其の時点では皆目解からなかったが、後に全国を旅して、其れが、天皇家の新嘗祭や大嘗祭で行われる儀式に繋がっており、物部家の「食国の政(おすくにのまつりごと)の官(つかさ)」に成る為の儀式である事が、判明して来たのである。
大嘗祭では、「悠紀殿・ゆきでん」と「主基殿・すきでん」の二つの建物が建てられ、天皇は其の建物を行ったり来たりするらしい。
其の、悠紀殿と主基殿の建物の代りが、私の自宅と、師の自宅の建物であったのだろう。そして、先祖の「御祖神・みおやかみ」を呼び出す事に成功して、直合に必要な「飯・いい(握り飯)」を要求したのである。
其の日は、其れから、師と家族を自宅に送って、私は、師の自宅の庭の岩の上に暫らく静かに座って居た。すると、身体がまた勝手に動き出して、今度は、屋久島の山岳に向かい両手を広げて、力一杯 口笛を吹き出したのである。
其の口笛が、屋久島の山岳に届いて染み込んだ頃、今度は、庭に有ったバケツを、上下逆さまに地面に置いて、バケツの底を太鼓代りにして、二本の草刈鎌の柄で、山に向かって打ち始めたのである。
そして夕方に成って、師が風呂に入った後、私も風呂に入っていると、身体を洗って流した水が、排水管の方に流れる時に、流しの蓋の間で共鳴して「ヒュル ヒュル」と音を立てた。
私は、其の音を聞いたら、今度は、脱衣所の板場の上に、裸で上向きに成って、上向きのまま両手で小太鼓、両足で大太鼓のリズムを打ち出したのである。
其の間も、師は奥さんを説得して、私の行動が止まるのを待って居た。
若し、無庵師匠の存在がなければ、私は間違いなく、精神病にされてしまうだろうし、師の存在がなければ、私も安心して、其の様な行動は起さなかったであろう。其の日は、何とか夜までに落ち着いて、師の家で夕食を頂いてから、自宅に帰った。
しかし、次ぎの日からは、私の意識はドンドン変化して行った。
私は、其の夜、自宅では眠れなかったので、次の日から、母親の住んでいる実家に行き、仏壇の有る部屋に布団を敷いて、枕元に父親の位牌を置き、蝋燭と線香を立てて、夜間眠らない様にしたのである。
何故なら、父親が霊界から連れ還って来た澤山の霊に、憑依されるのが嫌だったからである。
しかし、最初の晩はどうか成っても、次の夜からは、ウトウトして居ると、首の後ろ側に有る「盆の窪」から霊が入り込んで、段々と自分の体を、自分の意志では、コントロール出来なく成ったのである。
そして昼間に、風呂場の洗濯機に、山水を流し込みながら洗濯機を回して、其の水を、頭から被り始めたのである。
其の時は、地面にアースしなければ成らない電気コードを、足元に置いて洗濯機を回していたので、足元には電流が通じてビリビリしていた。
其れに、水は掻き回すと、水の分子に摩擦が発生するので、エネルギーが発生するらしい。
其れは、滝の水に打たれて行をするのに似た、効果が有る様である。
そして、身体にエネルギーが蓄えられたら、庭に飛び出して、音楽のトー音記号の様な円を描きながら、リズムを持って飛び跳ねて回り始めたのである。
其の様子を、家族が師に知らせたので、師は家族で見に来たが、私と話すと、私自身の意識は冷静さを保っているので、私を其のままにして、帰って行った。
そして、ある日、山に登ると「喜多郎の音楽を聞け」と告げられたので、屋久島に一軒しかない宮之浦のレコード店に行って「喜多郎と言う人の レコードが有りますか」と訊ねると、店の女性が「カセット」が一本有ると云うので、直ぐに其れを買って、空港近くに有った牧場に行き、其の草原の真ん中に車(三菱パジェロ)を止めて、ドアを皆開放し、其の喜多郎の音楽のボリュームを上げて流した。
すると、其のシンセサイザーの音に合わせて、私の脳は、脳幹まで反応を起して、脳内が回転し始めたのである。
其の夜は満月で、誰も居ない其の草原は、ダンスの最高の舞台と成ったのである。
其の夜から、益々、私の音楽的感応は開いて行ったのである。
これ等の私の行程を考えると、私の意識の解放には、最初から、音楽を司る精霊・神霊が関わっていた事が、理解されて来る。
其れは、屋久島の山岳の神々が、確かに、音楽に関わりが有ると言う事になる。
屋久島には、神々の「通り道」が幾つも有り、今回、村造りが始まる小島地区の土地は、鈴川の右岸で、昔し其の斜面を、白い服を着て提灯を手にした精霊が、何十人も山に向かって歩いて行くのを見た人が、居ると聞いた事がある。
其れに、原地区の宮方の釣り場も、太鼓や鈴の音が聞こえる所であり、私は其処で瞑想をしていて、ロシアのバレリーナの「アンナ・パヴロワ」が現れた事が有る。
原の鯛の川から、モッチョモ岳を経由して耳岳を通って、奥岳に通う神様も存在する。
また、栗生の太鼓岳に関係が有る神様は、「ピーコドンドン」と呼ばれていて、音楽に関係が有る神様である。
ピーは笛の音であり、ドンドンは太鼓の音である。
其れを、漢字で表記すれば、「笛鼓・ピーコドンドン」と成る。
其の様に考えると、私が1984年6月4日に師の自宅の庭で執った、山に向かって口笛を鳴らし、太鼓・バケツを叩いた行動は、其のピーコドンドンの神様に、音楽奉納をした事に成るのではないだろうか。
屋久島は、1400万年前に浮上して来た、全島花崗岩の島で、中心の最高峰の宮之浦岳は1936mの高さが有り、普通の岩石より2・7%比重の軽い花崗岩の島は、現在も年間1mm、千年で1m上昇しつつある。
屋久島は、石英の花崗岩の島だから、水晶と同じ六角形の形で、コップに入れた氷と同じく、2.7%地表に浮いているだけで、海中に立っている石英の柱なのである。
其の花崗岩の山頂を舞台として、音楽を演じている神は、地球にどれだけの影響を与える事が、出来るのであろうか。
私は、2004年に仲間達と、第一回・屋久島「ピーコドンドン・2004」の祭りを行い、私が其のナレーションの文章も作成した。
『屋久島は 古代から 神の住む島として 称されてきた 修行の地です。
島の神さまには、音楽の神さまも在ります。
その神様は「ピーコドンドン」と言う呼び名で、耳岳と太鼓岳を通り路として、村々の生活を守護しているのです。
音楽の神さまは、大量の雨を島に呼び寄せ、島はその水の力で、何時も浄化されています。』
其の ピーコドンドンの神を 再び揺り動かす時節が 巡って来たのかも知れない。
「屋久島の音楽神」http://moon.ap.teacup.com/20061108/402.html
2018/6/7「香生・かぜかおる」https://green.ap.teacup.com/20060818/4643.html
其れに本日4月27日は、斎宮「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった井上佳子が、1998年4月27日に四人の子供を残して、病気にて41歳で彼の世に逝った日でもある。
其れを考えると、今朝の「星に成る」との言葉は、其の「井上佳子」や「土肥無庵(2001年11月7日死亡)」の御魂が、星に成ったと言う事なのであろうか。
『そうではなく 其れは 貴方が 是から
スターに成ると言う事であり そう成らなければ
此のプログラムは 完結しないと言う事です。
何故かと謂うと 此の出来事を 人類全体に
認識させなければ 人類の未来は開かないと言う事であり
情報を一新する為には 上書きが必要だからです。
其の為にこそ 貴方の歩んで来た 是までの人生体験が
必要不可欠であり 其の為にこそ
「風 麥東 陶・ふうれんとう」と「讜逓聖・とうていせい」
の言葉・概念が必要なのですよ。
ですかから 貴方の人生は
是からが本番であると 言う事に成るのです。
良いですか だからと言って 貴方は
何も変わる事なく いまの儘 平常心を保ちなさいね。 』
此の女神の言葉からすると、昨夜私が床に就いた時に、狭い入り口から滑り込む様に侵入して来て、私の後ろ側に周り込んだ人々の姿は、女神の使いであり、着て居た服(浴衣・着流し)が縦縞であったのは、幟の頂に取り付ける吹流しを示唆しており、其れは風見鳥と同じ次元の神(はたらき)を、示唆しているのかも知れない。
2016/10/2・・私は、其の痛みに付いて考えて見ると、其れは、「時間の操縦士」と関係が有り、石造りの「チャクモール」のお腹の所に、生きた人間の心臓を取り出してお供えする事と関係が有り、私に10月1日(旧暦9月1日)の0時から、其の時間の操縦士の役割が始まったと言う事に、成るのかも知れない。
其の様に考えると、時間の操縦士の臍から天空に伸びる生命の樹の梢には、時を知らせる「雄鶏・酉(鳥)」が止まって居り、其の下の枝の左右には、蜥蜴と太陽がぶら下げられている事と関係が有り、今朝の映像は、上記した「王秘一部公示」の続編であると言う事に、成るのではないだろうか。・・・
「酉の時・トリのトキ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4006.html
2016/3/29・・今朝のメッセージの映像は、私の意識がマヤ・アステカの神である「羽根の生えた蛇」の様な感じで、空中に浮かんで居た。
そして、「暦・カレンダー」の存在が示されて来て、時と現象(できごと)の関係が示されて来て、「王の存在の秘密が 一部公示される」との事が示されて来た。
其の暦・カレンダーでは、「正月元旦」と「10月1日」の日付が、強調されていた。
今カレンダーで「10月1日」を調べると、旧暦9月1日で「月齢 0.1新月」である。
其れに、今年の元日は「旧暦 11/22 月齢 20.7」であり、旧暦の元旦は2月8日で 「旧正月 月齢 29.1新月」である。
此の「新暦10月1日(太陽)・旧暦9月1日(月)」の「朔日・ついたち。ひとひ」の符合を考えると、其の事に何等かの意味が有る様である。
これ等の事と、今朝示されて来た「10月1日」が「旧暦9月1日」である事を考えると、今年の10月1日に何等かの次元変化が起きるのであろうか。
10月1日の日付は、私が大倭の石垣雅設氏と二人で「第一回スピリチュアルタイム」を「11月21日〜22日(旧暦10月1日〜2日)に開催する事を決めた日であり、9月1日は天地根元乃郷で「グリーンクラブ」の会合を開いた日である。
其れに、今年の元旦は旧暦11月22日でもある。・・・
「王秘一部公示」http://green.ap.teacup.com/20060818/3801.html
驚いた事に、いま5月3日生まれの息子「嵩靖・しゅうせい」が、二歳の時に「皆で籠神社に行かなければ成らない」との事を言い出して、9月9日に籠神社に家族で参拝した事を思い出したの調べて見ると、次の様に書いて有る文章が書いて有り、息子が其れを謂った日が何と7月10日である。
1992/2/25・・昨年7月10日には、二歳二ヶ月の嵩靖が、ようやくハッキリして来た言葉で「みんなで 神社に行く」と何度も云い出したので、「どこの神社?」と息子に聞くと、「このじんじゃ」と云うのである。
私達が、籠神社を口に出しているのではないので、是は神のメッセ一ジかなと想ったが、籠神社は、京都府の日本海に面した丹後半島の付け根の場所なので、そう簡単には行く事ができない。
息子は、次の日に、今度はタオルをクルクル巻いて、「こんなのがある」と云うのである。其れは、正しく「天の橋立」ではないか。
籠神社・このじんじゃ」は、天の橋立の片側の付け根に有り、伊勢神宮を創建した皇女「倭姫命」の母親の在家である。
井上佳子の霊魂は、其の倭姫命だと神に聞いていたし、伊勢神宮の土地を、倭姫命に提供したのは、地元の「磯部族(イザワ彦)」であるので、私達一家にしては重大事件である。
早速、丹後に住んで居る友人の「小山君」に電話を掛け、「これこれ こう言う事であるが 大事な日が有りますか?」と聞くと、9月9日に豊受大神の分魂・わけみたまで「ウカの御魂(食べ物の神様)」の社の、新築披露大祭が有るとの事である。
私は、多分その日であろうと考え、其の日に行く事を決めると、息子の嵩靖はそれをかぎりに何も云わなくなった。
9月8日に、宿泊していた亀岡の愛善苑の出口三平さんの所を出て、丹後の温泉宿「木津館」で、高知から来た佳子の両親と合流し、翌日、籠神社で「出口三平さん」と、蕎麦打ちの「進さん」、其れに京都の「由井さん」と待ち合わせ、無事にお参りを済ます事が出来た。
この旅で、今度の世界維新は、食物を中心とした生活・くらしを考え、環境の保全をして行く事が柱であると、強く感じたのである。・・・
「お父さん会えてよかったね」http://moon.ap.teacup.com/20061108/287.html
此の文章からすると、4月6日に告げられて来た「5月3日から始まる」との事は、天の橋立ての付け根に有る「籠神社」と関係が有り、今朝起された時刻が9時8分であったのは、其の時(9月8日)に家族で泊まった宿が、私が1985年7月2日に日本一周の旅を終えて宿泊した「木津館」であり、其の夜に日本列島が黄金色に輝いて浮上する映像が映し出されて来た事と関係があり、5月3日から、「ひふみ・霊文神示・日月神示・天津日嗣神事」に有る、「神一厘の仕組みが此の日本から発動する」との事が始まると言う事なのかも知れない。
そして、其の事は、私に下駄を履かせた「出口王仁三郎」が、生前「9月8日には12の秘密が有る」と謂っている事が、顕かに成ると言う事なのかも知れない。
平成31年4月27日12時14分
礒邉自適
2019/4/26
視て見なさい
31・4・26
今朝のメッセージの映像は、先ず、4〜5歳に見える男の子が、私の左横に現れて、私が日本酒を徳利からお猪口に注いで飲む仕草を、一から十まで真似をするのである。
私は、其の男の子に興味を覚えたので、其の子が住む家の方に付いて行った。
すると、其処は、真四角の敷地の中に、古い木造の学校の様な建物が、東西南北に「十字・クロス」状に建っていて、其の建物には、各地から田舎暮らしをする為に、30歳代から40歳代の独身男性や、家族連れが集まって来て、各部屋・教室に別れて生活しており、十字の中央部分の部屋が、共同の台所や居間の役割を果たしている事が判った。
私は、南の端の入り口から中央の方に向かって歩き始めると、左右に部屋が有る事が判り、中央の部屋に到着すると、鋸などの大工道具を持っている40歳位の男性が、板張りの床に足を投げ出し、壁に寄り掛かって座って居るので、其の右横に座った。
すると、台所に居た女性が、私に手焼きのパン一切れと、飲み物を持って来てくれたので、自分も何か提供しなければ成らないと思うと、何故か私の手荷物の中に鹿肉が三塊り有ったので、其れを其のまま差し出す事にした。
其れから、其の建物に住む人達が、個々に行っている世界が映し出されて来たのだが、今は其の場面を具体的に思い出す事はできない。
そして、其れ等の映像が映し出されて来ている途中で、「みてみなさい」との言葉がはっきりと一言告げられて来て、其の言葉で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時31分・5時29分前」であった。
今朝は起きてPCを立ち上げ、先ず、昨年の5月29日の文章を見てみると、次の様な事が書いて有る。
2018/5/29昨夜は、11頃床に就いて一眠りすると目が覚めてしまったので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「1時45分」であったので、私は其の数字を「145・いしご・石子」と記憶して再び眠った。
すると、映像が映し出されて来た。其れは、天空の一点から地上に向かって、範囲の狭いスポットライトが当てられる感じで、神の気(光エネルギー)が降ろされており、其のエネルギーの枠内に船が進む様な感じで、人々が西から東へ野菜・作物の苗を移動させて行く場面が映し出されて来た。
そして今度は、同じ様子・場面が、逆に東から西へ移動して行く場面が映し出されて来た。
次の映像は、春の季節に、田植えの準備が始まっている水田の土手で、私が誰かに頼まれて、食べられる野草を採っている場面が映し出されて来た。
次に、「岡山が強国」との言葉が一言告げられて来た。
其処で時刻を確認すると、6時3分であった。
其れから再び眠ると、イスラムのコーランの響きの中で「ヤハーイ ヤハーイ ヤハーイ・・・YaHay YaHay YaHay 」と、神を称える歌声が大きく何度も続けて聴こえて来た。
其処で起きて時計を見ると「6時45分」であったので、私は其の数字を「645・むしご・虫子」と記憶した。
其れに、其の時間は、最初に起こされた1時45分から、丁度5時間が経過している事に成る。
今朝は、由香にも「岡山・吉備王国」の映像が長く映し出されて来たとの事で、由香が軽い球状の物を天井にふわっと放ると、天上に穴が開いて、屋根との間に白濁色の四角いソーラーパネルのようなものがあり、それも貫通して、屋根まで突き抜けてしまったとの事である。
そして、どうしようかと思って居ると、由香の息子(実家は吉備の「温羅・うら」の住処であった鬼ノ城の麓)が4,5歳の姿で登場し、幼い子供ながら自力で屋根に上らせて、張替えを行う作業が始められ、私が其れを導いていたとの事である。
その後、由香の意識は中国地方から九州北部、さらに朝鮮半島辺りの地図を上から見下ろしており、船で移動しながら、現地の人々に話を聞きながら、地理を確かめ、陸路か海路で行くかを検討しながら、進出していく様子を、自分が誰かに対して説明をして居たとの事である。
其の映像内容が、私と重なる様なモノであったので、今朝のメッセージの映像は、昔し広島県から岡山県に跨る地域に、吉備王国が存在した時代(次元)の様子・場面が示されて来ている事になる様である。
其れに、天意・神(はたらき)に拠って、民族が移動する場面と、イスラムのコーランの響きの中で「ヤハーイ ヤハーイ ヤハーイ・・・YaHay YaHay YaHay・・・ 」と、神を称える歌声が、大きく何度も続けて聴こえて来た事は、イスラエル(ユダヤ)民族が、吉備王国を造った人達である理・ことが示されて来ているのではないだろうか。
其れに付いては、以前に少し触れている。・・
今朝起こされた「6時3分」を「6月3日」の日付で考えると、私の母親の誕生の前日・イブであり、私が此の神の世界に飛び込んだ6月4日の前日でもある。其れに、私が倭姫命の御魂であった故「井上佳子」に、1986年6月3日に高知県土佐市で初めて出会った日でもある。
其の井上佳子が、1996年2月11日(建国記念日)に岡山付近に鳳のハートが存在する事が示されて来た事が、今朝のメッセージと関係が有り、其の井上佳子の誕生日(2001年11月21日)に由香と合わされた事と、今朝のメッセージは繋がっているのではないだろうか。・・
そして、「1時45分・石子」と「6時45分・虫子」に付いては、私の姓が「礒邉・磯部・石工」である事と、私が34年前、屋久島から旅に出立する時の目的が、人間を救う為ではなく、虫や小鳥などの生き物と、水や環境を守る事が、目的であった事と関係が有るのだろう。
今朝のメッセージで、神を称える為に「ヤハーイ ヤハーイ ヤハーイ・・・YaHay YaHay YaHay ・・・」との、祝詞の様な声が長く聴こえて来たのは、ユダヤ・イスラエル民族の神の名である「ヤハウェ・エホバ」と関係が有り、神・主を賛美する「ハレルヤ」との言葉と関係が有るのだろう。
其れを考えると、今朝のメッセージの映像で、天空の一点から、地上に神の気(光エネルギー)が降ろされて、人々が作物の苗を持って移動していたのは、ユダヤ・イスラエル民族の移動を、ヤハウェ・エホバが支えている理・ことが示されて来ている事になるのであろう。
そして、今朝「岡山が強国」と告げられて来たのは、古代に栄えた吉備王国は其のユダヤ・イスラエル民族と、関係が有ると言う事なのではないだろうか。・・
今朝「ヤハーイ・YaHay」との神を称える掛け声が長く聞こえて来た事は、日本語の「弥栄・いやさか」と関係があり、日本人の神に対する価値観は、イスラエル・ユダヤ人が渡来した事の証拠と成るものなのであろう。
【 弥栄、彌榮】(いやさか、いやさかえ、やさかえ、やさか、やえい)とは、主に一層、栄えるという意味の単語。 また、「万歳」に意味が近く、めでたい意味で使われることもある。 一般的な場合にはいやさかと読むが、祝詞ではいやさかえが本来の正式な読みである。 また神事ではない祝辞の場合にはいやさかでも間違いではない。
ウィキペディアフリー百科辞典 2018/5/29現在
「神を称える祝詞の声」https://green.ap.teacup.com/20060818/4634.html
今朝告げられて来た「みてみなさい」との言葉は、昨日の文章で触れた「此の世は 見る物(a)と 見られる物(b)と 其の関係性で成り立っている」との理と関係が有り、私に、「人々が何を求めているかを 能く視なさい」との事が、示されて来ているのではないだろうか。
『そうではなく 貴方自身が 人々をどの様に
導けば良いかを 検討しなければ成らないと言う事です。
ですが 貴方自身が直接 其の現場に立ち会う必要はありません。
何故なら 貴方が現場に立ち会う事は
貴方は自分の持ち時間を 失う事に成ってしまうからです。』10時51分
此の、いま告げられて来た女神の言葉からすると、今朝の始めの映像に映し出されて、私の仕草を其のまま真似をする男の子の存在にヒントが有り、私は日々新しき世界を開発しながら、先に進む必要があると言う理・ことなのかも知れない。
『其れもまた 外れています。
ただ無闇矢鱈に 先に進んでも何にも成らないのですよ。
何故なら 貴方だけ一人が 先に進もうと意っても
其の様な世界は 何処にも無いからです。
此の世は 貴方一人で成り立っている世界ではなく
全てが一体と成って 組み上がっているモノであり
貴方は ただ其の一部でしかないからです。
ですから 貴方に
能く視て見なさい と 云っているのです。』11時01分
此の女神の言葉からすると、今朝「みてみなさい」と告げられて来た時刻が4時30分ではなく、4時31分・5時29前であり、其の5月29日の文章が「神を称える祝詞の声」の題である事が関係有り、何故、「神を称える」必要があるのかを、能く考えなければ成らないと謂う事に成りそうである。
其れは、神(はたらき)を能く理解しなければ成らないので、日本語の「かんながらたまちはえませ」との言葉の世界と、関係が有るのではないだろうか。
キー「かんながらたまちはえませ・惟神霊幸倍坐世」
2014/1/5・・今朝のメッセージから、私に考えられるのは、私自身が「マクロビオティック・正食」の世界を、しっかりと護っていなければ、新しく構築されている御世の世界・幕が壊れて、滅びの世界・過去の事象に返ってしまう理・ことを示唆して来ているのであろう。
其の様に考えると、私が「申食国政太夫・おすくにのまつりごともうすのまえつきみ」の役割を徹底しなければ、人類の未来は、無いと言う理・ことに成るのであろう。
今朝は、食べ物の件に付いて、自分の文章を検索すると、丁度10年前の2004年1月5日に、「御饗・みあへ」の文章を書いている事が判明した。
其の事を考えると、一昨日他に買う物が無くて、豚肉とチーズを買い、其れに合せて赤ワインを買って来て、其れ等を飲食した事も、神の為せる仕業であったのであろう。
何故なら、一昨日の食事が、正しい物であれば、今朝のビジョンは正しい物であり、肉食の事に触れないし、前の文章を検索する事も無かったからである。
やはり、神の世界は「惟神霊幸倍坐世・かんながらたまちはえませ」である。
「肉食の弊害 六」https://green.ap.teacup.com/20060818/2923.html
2008/5/2今朝のメッセージの映像は、旅の場面であり、言葉のテーマは「しんねん」であった。
いま、PCで「しんねん」を検索すると「信念・心念・宸念・軫念・新年」と五つ有る。是を見て、「宸念・軫念」の言葉が有る事を、始めて知った。
其の言葉の意味は、漢語林に次の様に載っている。
「宸念」天子の考え。宸襟。
「軫念」は、天子が心を痛めること。また、天子の心。と説明されている。
是は、私も驚きである。
其れは、昨日「目が痛む」の意味の「督」の文字が伝えられて来た事と、今朝の「軫念」の「天子が心を痛めること」が、繋がっているからである。
此の現象は、平成元年1月24日に「昭和天皇霊」に告げられた、「吾が身 すでに遠く 良き代を 願い奉る」と、1985年1月10日に天智天皇霊に告げられた「神籬の 代よの乱を盃に 菊一輪と まわし飲み」の言葉に込めた、両天皇霊の念いが、今も生き続けている事を示している。
おまけに、明日は5月3日で「憲法記念日」である。
其の、憲法記念日を前にして、目が痛むの「督」と、天子が心を痛めるの「軫念」の文字に拠って、二日続けて伝えられて来た事は、非常に重要な意味を持っている。其れは、私が24年前に、人類の未来を任された事と、確かに、連動している出来事であり、其の事が、いよいよ此の三次元世界に、現実化しようとしているのだろう。其の事に気が付けば、改めて、身が引き締まる想いがする。
しかし、其れに気付いても、未だ私には、真からの理解者も無いし、資金も無い。有るのは、是まで旅を続けて来て、知り得た情報と人材ぐらいの物である。此処まで書いて来たら、今朝のビジョンの意味が解けて来た。
今朝の映像は、私が一人旅を続けて居て、団体旅行をしている人達と合流する為に、同じ大型バスに乗る必要が出て来た場面であった。
しかし、私が、世話に成っている人の自宅二階の部屋に、荷物を取りに帰っても、未だ、干して有る洗濯物は畳まれていないし、押入れの物も、バックに詰められてもいないのである。
私の意識は、是では、出発の時間に間に合わないので、団体には先に行って貰うしかないと想った処で、其の映像は終わったのである。
そして、其の旅の様子が、何であるのかを考えていると、「しんねん」との言霊が脳裏に浮かんだのである。
今朝のメッセージの内容は、「天子・天皇・ミカド・帝・スメラミコト」に成る者は、若い時に一人旅をして、将来、自分が治める事に成る国土を、見て回る必要がある理・ことを示している。
そして、其の国の民が、幸福である事を、第一儀としなければ成らないのである。其れは、自分が、王として贅沢をする為に、国民に、重税を掛ける事とは反対の世界である。
其の事を考えると、インドの釈迦族の「ゴータマ・シッダッタ王子」が、国民の貧困や病を視て、城を出た事の理由も頷けると言うものである。
そして、今朝のメッセージと、明日が憲法記念日である事の関係を考えると、政治の在り様を、是からどうするかを、考えなければ成らないとの事ではないだろうか。
其れは、今朝の場面が旅であったので、先ず、旅の意味を考えなければ成らない。
現在の、日本の歴史の基は「神武天皇」からと成っているが、其の神武も南九州を出発してから、奈良で政・まつりごとを始めるまで、16年半の間、旅を続けた事になっている。其れに、神武より三代前に遡ると、「饒速日命・にぎはやひのみこと」や「瓊瓊杵尊・ににぎのみこと」も渡来人の旅人であり、其れより五代前の「素戔鳴尊」も大陸から遣って来た旅人である。
其の事を考えると、王・帝と成るべき者は、若い時に、旅を体験した者でなければ成らないと謂う事に成る。其れも団体旅行ではなく、自由な一人旅でなければ成らないのである。
其の点で言えば、現在の天皇家の息子は、何処に行くのにも、護衛や世話役が付いて居るので、自分でキップの手配をしたり、自分で泊まる所や、食べる物を選ぶ事も出来ない。其れは、人形の移動であって、人間の本来の旅と言えるものではないのである。
本来の、日本語の「たび」の意味は「家を離れる」であり、漢字の「旅・リョ」は、軍隊が旗を立てて移動するの意味だから、本当の「家離・たび(自由に成るの意)」ではない。旗を立てて、集団で移動するのは、現在の日本人の遣っている団体旅行と同じであるから、其の意味では、団体旅行は旅の漢字と合っている事になる。
だから、今朝ビジョンに現れた、団体客が乗り込むバスは、旅用の物だったのであろう。其れに、私は、個人住宅の二階に厄介に成って居たので、「たび」で一個人と親しく成っている事を意味している。一方団体客の「旅」は、ホテルか旅館に金を払って泊まっているのだから、私の個人的な「たび・タビ」とは、全く赴きが違っている事になる。
今朝、私が、旅の事で理解できて来た理・ことは、イエスや釈迦の様な精神的な聖者は、無一物のタビ人であり、松尾芭蕉や種田山頭火等の歌人も、其れに類する者だと言う事である。其れに準じる者が、円空やレオナルド・ダ・ビンチやモーツアルト等の芸術家である。
彼等はタビ人ではあるが、技術者なので、物や道具が必要であるので、一定期間同じ所に留まる必要があるのだ。
其れに対して、素戔鳴尊や「饒速日命」「瓊瓊杵尊」、其れに「神武天皇」等の政治に関わった者は、タビは若い時の一時的なものであり、新転地に着けば、其処に定着して「政・まつりごと」を、始めなければ成らないのである。
其れが、「精神的な聖者」と「芸術家」と「政治家・王」の、三つの役割の違いであろう。
其の、三通りの男性のタビから考えれば、私の役割は、どれに当るのであろうか。
詩を書く事や、文章を書く事を考えれば、芸術家の分野に成るし、杖を付いて旅に出れば、イエスや釈迦の様な聖者のタビ人に成る。
そして、是から法律を制定して、政・まつりごとに手を染めれば、政治家と言う事に成ってしまうのだ。
其の、三様の選択の鍵が、昨日告げられて来た「木督」と、今朝示されて来た「軫念」の概念であろう。
しかし、何故この様な一番大事な言葉が、私が61歳に成るまで、耳に届かなかったのであろうか。其れは、学校の教育や、マスコミの報道の中に、其の言葉が使用されず、又其の説明が為されないからである。
其れは、戦後から続いて来た教育が、天皇制に偏見を持つ、日教組の教師達の影響を受けたからであり、自民党政府も彼等に気を使って、其れ等の言葉が、教科書から消え去る事に、目を瞑って来たからであろう。
しかし、其れは、人間が人間として生きて行く為の、一番大事な尊厳を、失う事に繋がってしまったのである。
其れは、父性を失うどころか、「ゴッド・天父」の存在を忘れてしまう程の、効果を上げてしまっているのだ。
本来の「民主主義」の概念は、「天の父の下での 万民の主権」である。
其れは、天父の心が、痛まない社会を創出する事が、人間の正しい生き方である理・ことを意味している。
今朝のメッセージは、其の理を理解する為には、「たび・家離」が必要である事を、示して来たのであろう。
私は、一応、18年間日本国内をタビして、2002年4月24日に屋久島に還って来て、丸6年が経過した。其の6年の間に、新たな人生が始まっているし、こうして毎日、天からのメッセージを受けて文章にしている。
だから、昨日と、今朝のメッセージで伝えられて来た、人民の暮らしを見詰める目は、養って来ている自信は有る。
其れが、是からどう生かせるのかは、また明日のメッセージで、知らされて来るのではないだろうか。・・
神界では、確実に、物語が出来つつあるのだろう。
此処まで書いたら、私の左後頭部が痺れて来た。何かの現象が、動き出している事は間違い無い様である。
明日5月3日は憲法記念日で、現憲法は私の生まれ年と同じ、1947年に発布され、私の在家得度の戒名も「護法」である。
そして、私の息子は、明日で20歳を迎えるが、其の息子が生まれた朝、告げられて来た名は「嵩靖・しゅうせい」で、意味は「高き所に立ち 国を靖かにする。」との意味である。段々と、現象は煮詰まって来ている様である。
「かんながら たまち はえませ」の言葉が、必要なトキを、向えたのかもしれない。其れは、日本国の国土を護る神が、発動するとの事であろう。
「軫念と旅の関係」https://star.ap.teacup.com/20060505/50.html
此の文章の内容からすると、今朝告げられて来た「視て見なさい」との言葉は、「統尊・すめらのみこと」の目(意識)に付いて、示唆している事に成りそうである。
其れに、此の文章には、私が屋久島に帰った日が2002年4月24日である事が書いて有り、其れは一昨日の日付であるので、其の日から17年が経過している事に成る。
そして、昨年の4月22日のメッセージで「卒業証明」との言葉が告げられて来て、一年が経過している事に成る。
2018/4/22今朝のメッセージの映像は、先ず、大型バス二台に男性達が乗り込んで、人工林の間伐作業を行う場面が映し出されて来た。
其れは、過密状態に成っている杉や檜の人工林の間伐を徹底的に行い、太陽光線が射す様に成った空間に、自然の木々が生えて来て、森林が自然の状態に還る為の作業である。
其れに何故か、其の中には諏訪大社の御神木の様に、とても大きな真直ぐに伸び上がる「檜(ひのき・火の木・ファイヤーツリー)」が一本立っているのが映し出されて来た。そして、其の作業をする人達には、同じ「海苔お握り」の弁当が配られていたので、全てを指揮する主催者が存在する事が理解されて来た。
そして、其の場所が長野県松本市に関係が有り、其れがキリストの救済と関係が有る事が示されて来た。
次の映像には、二本の竹棒が映し出されて来て、其の二本の竹棒は、枝が2〜3段付いている上で切断されている物であり、大きさと高さがそっくり同じ物である事が映し出されて来た。そして、其の竹棒が、何を意味している物であるかを考えると、私の姿と、もう一人の男性の姿が登場して、其の二人が、同じ状態に育っている事が理解されて来た。
次に、葉書大の私の写真が重ねられている場面が映し出されて来て、其の一番上に有る写真は、神の光に満たされて、私が満面の笑顔で写っている写真であり、其れは、私の「卒業証明」に当たる物である事が、示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「5時1分」であった。
其れから再び眠ると、今度は私が、山からパイプで引いて来た水を、池に溜めて、鯉などの魚を飼っている場面が映し出されて来て、其れは、山岳の自然が元に還ったので、湧き水が復活して来た事を意味していた。
今朝は先ず、起こされた時刻「5時1分」から、昨年の5月1日の文章を見ると、次の様に書いて有る。
2017/5/1今朝のメッセージの映像は、私が「昭和天皇」の生物研究の手助けとして、海岸の磯に天皇を案内をする場面が映し出されて来た。
そして、其の結果が良好だったので、宮内庁で開催される催しに参加する事に成り、何百人かが集まって居る参集殿会場の左前の席に、私は着席して居た。
そして、私は其の褒美として、何故か薄紫色の傘を授与された。
其れから、其の催しが終わった後、私は今度は、皇后様が主催するお茶会の様な席に参加すると、姿ははっきりしないのだが、其の皇后様から、是までの私の努力に対して、感謝の言葉が告げられ始めた。
其の言葉は、とても慈悲深いモノであり、私は其の言葉を聞きながら、眼から涙が溢れ出して居た。
そして、其の言葉を聞きながら、私は是までの苦労が報われる意いがして、全て是で良かったのだと思って居た。・・「春の受勲」
其の理由を考えると、今朝のメッセージで「長野県松本市」「キリストの救済」との事が示されて来た事が関係有り、和暦では範囲が狭いので、イエスキリストが起因と成っている「西暦・キリスト暦・新暦」に救済のプログラムの月日が切り替わると言う事なのかも知れない。
其れに「あすなろの樹・2017/11/20」の文章には、「・・江藤氏に其の人物の事を調べてくれる様に頼むと、・・・「まつもと」と言う名前の人物であるというものであった。」と書いて有るので、「檜・あすなろ・松本・キリスト・メシア」の言葉が、未来創造に関するヒントとして、松本市に関係が有ると言う事に成るのかも知れない。・・
「卒業証明」https://green.ap.teacup.com/20060818/4596.html
4月6日に告げられて来た「5月3日から始まる事は 絶対の秘密事項である」との事が、真実の世界として動き出すのであろう。
そして、其の為にこそ「能く視て見ろ。」との意味との言葉が告げられて来たのではないだろうか。。
2019/4/6今朝のメッセージの映像は、先ず、私の意識が、「弘法大師空海・真言宗」の「弟子・派」の僧侶の人達の存在(御魂・霊魂)を横目に視ながら、一番の高みに上昇して行く場面が映し出されて来て、「最高優秀賞者」との文字が映し出されて来た。
次の映像は、子牛から成牛に向かって成長を始めている、白黒模様の乳牛である「ホルスタイン」の若い牛が、左向きに立っている場面が映し出されて来た。そして、其れは「醍醐味」との言葉と関係が有る事が示されて来た。
次に、棚の上に料理を盛る大きな平皿が、上から順にガラス製・磁器製・陶器製と、三枚重ねられている場面が映し出されて来た。
そして、台所の裏が映し出されて来て、其処は熊本県山都町東竹原地区に在る「栗屋克範氏」の家の裏庭であり、荒神様が祭られている所である事が示されて来た。
次に、小さ目の文字で、日本語の横書きの文章が映し出されて来て、其れは、二項目の文章に別れており、一項目は20行程に見えた。
次に、別の画面が映し出されて、其の画面にも横書きの日本語の文章が記されており、其の冒頭には「遠神笑美給・とおかみえみため」の文字が記されているのが映し出されて来た。
其れから明け方に、「5月3日から始まる事は 絶対の秘密事項である」との事が告げられて来た。
今朝のメッセージは、昨日の「神の左に座する者」の続きであり、神(はたらき)が本格的に動き出すとの事が示されて来ている様である。
其れに、「神の左に座する者」の言葉は「聖書・キリスト教」に関する言葉であるが、今朝の「最高優秀賞者」との言葉が告げられて来た世界は「真言宗・仏教」の世界であり、「遠神笑美給・とおかみえみため」の言葉は、日本国の「神道」の世界である。・・
今朝告げられて来た「最高優秀賞者」との言葉は、神霊界・世次元世界の舞台での物事であり、此の現実世界では全く目にする事ができない事なので、他人に認められる事ではない。
だが、其れは、私自身にとっては意味の有る言葉であり、35年間の努力が実った事に成るので、ある程度の満足観は有る。
「最高優秀賞者」https://green.ap.teacup.com/20060818/4952.html
「みてみなさい」
ごらん‐なさい【御覧なさい】の意味
1 「見なさい」の尊敬語・丁寧語。「お手本を、よくご覧なさい」
2 自分の予想が当たったときに得意になってその結果をさし示す語。「ご覧なさい、私の忠告したとおりになったでしょう」
3 動詞の連用形に接続助詞「て」が付いた形に付いて、補助動詞的に使われる。「…てみなさい」の尊敬語・丁寧語。また、「…した場合には」の意にも用いる。「今お前に死なれてご覧なさい、どんなことになるか」「耳をすましてご覧なさい」 デジタル大辞泉(小学館)より
今朝最初に映し出されて来た、4〜5歳に見える男の子が、私の左横に現れて、私が日本酒を徳利からお猪口に注いで飲む仕草を、一から十まで真似をする場面は、男の子だけではなく、女の子が母親の料理や赤ちゃんの世話をしている姿を真似る仕草と関係が有り、私は子供の頃から、父親の農作業や、自宅に村落の人々が集まり会合を行っている様子を目にして居たので、私の目線・視覚の基礎・土台には、父親の行動・様子が納まっており、其れが私の性格や性質の源に成っている理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れを考えると、「統尊・すめらのみこと・皇帝・天皇・みかど・大君」の立場に立つ者は、現代の学校教育では育たないと謂う事に成り、近代社会には「統尊・すめらのみこと」の役割を果す人材は居ないと謂う事に成るのだろう。
其れを考えると、7日後に迫った「5月3日・憲法記念日」から始まる事が何であるのかは、私にも予測が付かない。
それで、2008年5月2日の文章「軫念と旅の関係」に書いて有る、・・昨日「目が痛む」の意味の「督」の文字が伝えられて来た事と、今朝の「軫念」の「天子が心を痛めること」が、繋がっているからである。・・・の「目が痛む」と「督」の事から前日5月1日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2008/5/1今日から5月で、今朝のメッセージは、其の月の始めに相応しいモノ・現象と言えるだろう。
昨日は、PCの作業として「神霊の思頼・みたまのふゆ」のブログから、過去の記事を「前のメッセージ」に移動して居て、18年8月18日の「約束を護る」の記事をコピーした処で、左手の人差し指にカモ(神の電気信号)が来た。
其れは、昨日の「黒蛇神・影大蛇」が、確実に情報システムに介入している事の証であろう。
今朝の映像は、白い枠の窓の中に、真紅の火の炎がメラメラと燃えているのが、竈の中の火の様に見えて来た。そして、「東京ビジョン」との言葉が知らされて来た。
次に、同じ様な白い枠が、横に四つ並んでいて、其の四つの枠の中は真っ白で何も無かった。其の場面の後、真っ白な野球帽子が配られる映像が現れ、其の帽子の発行元は神社庁である事が解かった。
だが、其の帽子の額の所のマークが、未だ付いていないので、どうしたのかと私の意識が思うと、其れは、新しき菊花紋であり、18弁のマークを私が制作して付けなければ成らない事が理解された。
そして、其の帽子が配られている土地は屋久島で、白い枠の世界も、屋久島に有る事が示された。そして、「目」の文字が使われている漢字が、沢山現われ、其の中に、木偏に督の漢字が、旁として組まれている文字が有った。
「木督」がどう言う意味を持つのか、先ず「督・トク」の漢字を調べると、
【字義】@みる。よく見る。調べる。Aただす。㋐取りしまる。「監督」。㋑いましめる。㋒せめる。とがめる。Bうながす。すすめる。「督促」Cかしら。おさ。多くの人を統率する人。長官。大将。「総督」Dひきいる。統率する。E長子。家をつぐ者。「家督」
【解字】「目+叔(シュク・スク)」音符の叔は、いたむの意味。目がいたむの意味を表わす。また、叔は中に通じ、中正な目でとりしまるの意味をも表わす。また、とりしまるべき位置にあるかしら・長子の意味をも表わす。
と 載っている。 漢語林
是は、非常に大事な理・ことを、明確に示して来ている。
私が、今朝、配っていた帽子は、其の役割が出来る人間に対してだったのだろう。そして「目が痛む」との意味は、「東京ビジョン」が「東京(都会)の人間の業火」であり、其の人間のカルマを「天の目」が見て、心を痛めているとの事ではないだろうか。
今朝は、天から「神の両手」が降りて来て、綺麗に包装されている紙箱を手に持っており、其の箱が下界にプレゼントされた。
私の意識が、何だろうかと想って、其の包みを開いて箱の中身を見ると、其の中身は、九つ程の金色の菩薩の姿が印刷されている、色紙の様な物であった。
そして、其の贈り主である女神の声で、「わたしは 兄さん役」との言葉が伝えられて来た。
其の意味は、天からプレゼントされた九つの菩薩が、阿弥陀の化身である「十一面観音菩薩」の頭の周囲に着けられている九体の菩薩であり、兄とは頭頂に乗って居る本尊の事であろう。そうであれば、残り一つの顔が「十一面観音菩薩」自身の顔であり、私の意識は「妹」と言う事に成る。
「妹」とは、可愛い者の意味であるので、阿弥陀にして見れば、良く自分の云う事を聞く私は、可愛い妹・いもと言う事に成るのだろう。
其れは、私は肉体的には「男・雄」であるが、老子の謂う「雄の立場を知った上で 雌の立場に 身を置く」の言葉を、既に現実として、実行している理・ことを示している。
「十一面観音菩薩」とは、「阿弥陀・アミターパ・アミターユス」の化身とされているが、其れを「大日如来曼荼羅」の「九会」に合して考えると、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」は「宇宙の真理の本体・万物の慈母」との意味であり、此の宇宙のあらゆる物質は、全部、其の大日如来の身体であるとの事である。だから、地球・大地の神であるガイアも女神なのである。
其の、一切の物質の意思である者の声が、女性の声で「わたしは兄さん役」と伝えて来るのは、「督」の漢字の「長子」の事を意味しており、其の長子が、此の現象世界を視て、心を痛めているとの事であろう。
そして、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」が、自分自身では「観自在菩薩」の働きが出来ないので、私の身体を借りているとの事ではないだろうか。
其の「督」の漢字に、木が符されて「木督」の文字に成っていたのは、先日の写真に映った御神木の渦巻きが、其の目に当たるとの事かもしれない。
屋久島は、世界自然遺産に登録された島で、80%が国有林であり、山奥には大きな木が沢山生えている。だから、聖霊・ピーが沢山住んで居ると考えても、何等、変な事ではないだろう。
だから、大都会とは違った、真っ白の窓枠が四つ出て来たのであろう。
今朝、真っ白の窓枠が四つ現れたのは、大都会の業火を消す為の秘密が、屋久島に内蔵されているとの事ではないだろうか。
そして、其の窓に関係が有るのが目であり、其の目を使った漢字に、謎解きのヒントが隠されていると言う事である。
「目」は視覚を意味し、視覚は、人間が認識をするのに、一番大事な感覚である。だから、今朝のメッセージに現れた四つの窓は、其の認識に付いて、四つの分野別けを示して来ているのだろう。
人間にとって、大事な四つの認識の為の窓は「宗教・精神・神」「教育・学び」「科学・研究」「生活・現場・道場」と、考えて良いのではないだろうか。
そうであれば、現在・いま私が考えている構想は、其の事に関係が有るのかもしれない。
其の一つ目は、生命や生活に付いて研究する「屋久島生命研究所」であり、二つ目は自然農法の村と道場であり、三つ目は環境大学であり、四つ目は屋久島の花崗岩の山岳を、神の住いとして敬う、山岳信仰の宗教・シャーマニズムの世界である。
其の4つの分野が立ち上がれば、大都会の業火も消せるのかもしれない。
(今4つ目の処で左手の人差し指にカモ(神の電気信号)がある。)
今朝は、其の活動の為に、数名で東京に向かおうとすると、屋久島生まれの人間が、船の出港時間に成ってから、土産物を買いに行って遅れてしまったので、船に乗る事が出来なかった。
其の映像の意味は、此の屋久島に生まれたからと言って、役に立つわけではない事を示しているのだろう。其れは、脳性麻痺的に頭脳が混濁して、明晰さの無い者は、使えないと言う事である。
特に、役所の公務員は事務的であり、現在の立場が安定して、継続する事を願っているので、大きな改革が起きる事には消極的であり、宇宙の時間の流れには、間に合わないと言う事である。だから、今朝のメッセージの場面で、私が帽子を配った人達は、皆「督・痛みの目」を持った自由人であったのだろう。
今朝の場面では、屋久島の民宿の建物から、十数人の自由人が、仕事場に向かう為に出て来た。其の人達は、全員が、ネクタイとスーツ姿ではなかったので、自由に自分の仕事をして居る人達だろう。
そして其の人達は、宿屋に泊まっているのだから、未だ、屋久島に自宅を有している人達ではない。其れは、其の事の関係者が、島外から必要な時に屋久島に来て、仕事をするとの事ではないだろうか。
そして、若し、其の事が上手く行かなければ、老子の様に、見る目の痛みに耐えかねて、町から脱出しなければ成らなくなるのである。
其れに、今朝知らされた事は、是までの社会体制は、統率の為に、上から下へ命令が降ろされる必要があったので、縦の体制で構成されていたとの事である。其れが、PCとITの普及で、縦の命令系統が不用に成り、皆が、横繋がりで自分の役割を果たせる様に成っているである。
其れは、最早、人間界には縦の芯柱が必要なく、皆横倒しにすれば、自由に転がって行く事が出来ると言う事でもある。
聞いた話では、「ローリングストーンズ」とは転がる石の意味で、「川の流れに任せて転がって行く石には 苔が着かない。」との意味からの命名らしい。
立っていて、一ヶ所から動かない柱は、上の方は掃除をし難いし、後ろには埃が溜まり易いのである。
其の点、転がって行く柱・人材は、絶えず移動するし、同じ場所に根が生えないので「柵・しがらみ」が発生する事も無いだろう。其れに、無理に、同じ場所に立っている必要も無いので、倒産する事も無いのである。
私が、何時から、東京へ仲間と一緒に、出向く事に成るのかは判らないが、屋久島の体制が一応整うまでは、出ては行けないだろう。
其れに、白い帽子の作成も、考えなければ成らないらしい。
そして、屋久島に四つの窓・分野を、出来るだけ早く、準備しなければ成らないと言う事である。
其の企画書の制作が、9月15日までに行われなければ成らないのだ。
其れが私に与えられている、当面の役割であるとの事だろう。
今朝、私が改めて気付いた事は、神は、私が是まで目にして、記憶している人や、物や、現場の映像を、全部知っていると言う事である。
其れは、私の記憶装置を、何等かの手法で操っている事を示している。
其れが、どう言うシステムであるのかは、私には、未だ定かには成っていないが、其の装置が、屋久島の花崗岩の山岳や、木や、水に、関係が有るとの事だろう。
そして、是から其の装置を使って、人間社会に、新しい風を吹き入れる窓を、準備しなければ成らないとの事であろう。
「東京ビジョン」https://green.ap.teacup.com/20060818/735.html
此の文章に書いて有る、「黒蛇神・影大蛇」と「白い枠の窓の中」との言葉は、4月22日のメッセージの映像に登場した「黒蛇・リュウグウノツカイ」と、昨日のメッセージで示されて来た「ディズニーの白いハンドル」などの白い世界と関係が有り、今年の5月1日に皇太子が即位し、年号が変わる事は12年前の5月1日から「東京のビジョン」が変わる事が、天界で決められていた事に成る。
其れを考えると、5月3日から始まる事には、4月22日のメッセージに登場した、「黒蛇・リュウグウノツカイ」が関係がる事に成り、屋久島の麦生(むぎお)集落の森山に有る「祇園様」の祠から出た黒大蛇が、2008年4月30日から動いていた事に成る
其れを考えると、「キリストの救済・松本」から丸一年である4月22日に「足元から興せ」と告げて来たのは、祇園神社の祭神である「須佐之男尊・すさのをのみこと」の御魂と関係が有り、「イエスキリスト・基督」の御魂と、須佐之男尊の御魂が関連している事に成りそうである。
そして、其の事が「御稜威建国 6月11日」と「紀(とき)の祭りを行え」との事と関係が有るのだろう。
「麦生森山」https://moon.ap.teacup.com/20060615/130.html
2015/6/11「唯一・ただ」https://moon.ap.teacup.com/20060507/43.html
平成31年4月26日
礒邉自適
1 2 3 4 5 | 《前のページ |
次のページ》