1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2019/5/30
自発的な行為
1・5・30
今朝のメッセージの映像には、敵対・相反する二つの情報機関のアドレスが、内部の人間の裏切り・反乱で漏れた為に、双方の非公開の情報が、互いに公表されてしまう場面が映し出されて来た。
其れは、「民間放送と国営放送」「資本家側と労働組合側」の様な関係の物であり、互いの長・代表が向き合って睨み合うと謂うか、お互いがどの様な対処をすれば良いかに困惑している場面である。
其の状況を見て居る私の意識には、其れを解決すると謂うか、上手く纏める為には、運動会や祭の会場の中心に立てる、旗を付けた紐を四方に張る為の中心に立てる高い孟宗竹や、丸いテントの中心に立てる柱の様な物が、必要である理・ことが浮かんで来た。
そして、其の事を考えて居ると「自発的な行為」との言葉が一言告げられて来て、其れには「塩・ナトリウム」の摂取が必要である理・ことが示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると6時30分であった。
今朝はPCを立ち上げて、先ず、昨年の6月30日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2018/6/30昨夜は床に就いて目を閉じて居ると、瞼に映像が映し出されて来た。
其の映像は、晴れた昼間の世界に、枯れて樹皮が剥げ落ちている一本の木の枝が、枯れた幹から、左方に伸びている場面である。
次に、地面に湧き水が噴出している様子が映し出されて来て、其の湧き水の一部が、一滴の水球と成って、枯れた枝に向かう様に、空に向かって飛んで行く場面が映し出されて来た。
そして、眠ってからの映像には、現在の世の中に流通している飲食物が、殆ど化学物質で汚染されている事を示す場面が、長く映し出されて来た。
次に、10代の娘を一人連れた夫婦が三人で抱き合う様にして、岡の上に立って居り、天の神に救いを求めて居る様子が映し出されて来た。
次に、一頭の「月輪熊・つきのわぐま」を檻で飼っている家族の存在が示されて来て、私は其の熊の足に嵌められている足枷を外して、其の熊と家族と一緒に、崖を下りて谷川に水浴びに向かう場面が映し出されて来た。
次に、青い蔓が茂っている西瓜畑の中に、未だ成長過程である同じ大きさの青く丸い西瓜が、同じ場所に三個寄り添って、纏まっている様子が映し出されて来た。
次に、「是までに 秒読みは 何度も行なって来ている」との言葉が聴こえて来た。其の、秒読みの事が、私が是まで書いて来た文章の内容と関係が有るのだろうかと思って居ると、「6時30分」との時刻が告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、何と、時刻は其の「6時30分」であり、時計の長短の針は6の数字の所に重なっているのである。
今朝の文章の題は、「生命の水・いのちのみず」にしようかと意って居たのだが、大雨の様子から、其れを止めて、起こされた時刻の「6月30日6時30分」とした。
6時30分の時刻の針の位置は、「0時・12時・子・ね・北・0度・360度・」の反対側であり、「午・うま・南・180度」である。(正午は12時0分)
試しに、昨年の6月30日の文章に目を通すと次の様な事が書いて有る。・・
此の内容からすると、今朝のメッセージの映像に、枯れた樹木が立っており、地面から水球が、空に向かって飛び上がっていた事と関係が有りそうである。
其れに、今朝の映像では、私は檻に入れられていた熊を自由にして、崖を降りて谷川に水飲み・水浴びに連れて行く場面が映し出されて来たのは、日本列島に住む「アイヌ・蝦夷(えみし・えぞ)」が「熊」を神としていた事と関係が有り、其の熊の足枷を外して自由にすると言う事は、日本列島に古代から創生されていた神の存在(概念)を、解き放ったと謂う事が示されて来ているのかも知れない。
其の様に考えると、娘を連れた夫婦が三人で抱き合う様にして、岡の上に立ち、天の神に救る姿は、人間が真実の世界に目覚め、人間社界の自縛から解き放たれて、宇宙神と謂うか、此の森羅万象の有り様に感謝の念(禱り)を現して居た事に成るのかも知れない。
今朝の映像には、西瓜畑に同じ大きさの若い西瓜が三個、一箇所に纏まっている場面は、正に三輪のマークと謂うか、象徴が、示されて来ている様な感じがする物である。其れを考えると、1月14日に告げられて来た「三輪が動く」とのメッセージと関係が有るのかも知れない。・・
今朝起された時刻が「6月30日6時30分」であったのは、正に私が、「時間・ときの神(はたらき)」に管理されている事に成り、「是までに 秒読みは 何度も行なって来ている」との言葉は、此の世界は、一時の休みも無く、絶えず「時間・とき」の流れが、マクロの世界でミクロ的に動いており、一瞬の気の緩みも許されない世界であるとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れは、私が目覚めて居る昼間だけではなく、夜間眠って居る時も、意識(脳細胞)が働いている事と関係が有り、私の心身を使用して情報を組み上げ・処理しているモノが存在する事に成る。
だからこそ、マヤ・アステカでは「時間の操縦士」の存在が考えられたのであろう。
何れにしても、今朝のメッセージの内容を考えると、神(はたらき)の世界は総合的に能く機能し始めていると謂う事であり、私に告げられて来た「紀(とき)の祭りを行え」との事は、順調に進んでおり、其れが「森羅万象の流転」との言葉や「人間は万物の霊長である」との言葉と、関係が有る事に成る。
「6月30日6時30分」https://green.ap.teacup.com/20060818/4666.html
此の文章の内容から考える、今朝のメッセージの映像は、私に告げられて来ている「紀(とき)の祭りを行え」とのメッセージと関係が有り、今朝のメッセージは、其の祭の為には、中心に立てる高い柱の存在が必要であるとの理・ことなのではないだろうか。
其れを考えると、昨日告げられて来た「培体」との言葉が関係有り、培の漢字の意味が「草木の根元に 土をふっくらと盛る、つちかうの意味を表す。」である事と関係が有り、人間社会の中心に「倒れない丈夫な柱・中心軸」を立てる必要が有ると謂う事であり、其れが「高御産巣日神・たかみむすびのかみ」の神名・概念に繋がると謂う事なのではないだろうか。
其れを考えると、昨日のメッセージの映像に、高い山の頂上に向けて石の柱が登山道の様に立て掛けられていた事と関係が有り、人間社会の「国家の対立、政府と国民の対決、思想の対決、資本家と労働者の対決」等を止めて、人類全体で、皆が「降雨」や「日照り」から身を守る為の大きなテントを張る為の中心の柱や、祭りの会場の旗紐を張る高い竹竿を、立てる必要が有ると謂う事なのではないだろうか。
そして、其の為には、何物かの命令を待つのではなく、一人一人が「自発的な行為・行動」を起こす必要が有るとの事であり、其の為には「塩・ナトリウム・塩気」が必要で有るとの理であり、陰性体質の改善が不可避であるとの理・ことが示されて来ているのであろう。
キー「陰性体質」
2003/9/15・・現代では、医学の発達で、脳が活発に動く時は、酸素を脳が必要とする理は解明されている。しかし、それは近年の事で、昔は他の事柄で、血液が濁れば、脳の働きが悪くなる理を知っていたのだ。
血液が濁れば、顔色は悪くなり、唇の色も鮮やかさが失せて、腹は脹れ、身のこなしも鈍くなり、全てのスマートさが消えてしまう。
現在の中年男性に、この様な人間が増えた事は、食物の質の悪さにも因るが、「血の巡りが悪い」との言葉が使用されなくなった為に、認識が出来なくなった所為であろう。大人社会に、この認識が無い為に、子供達の食生活も乱れ、益々、血の濁りを深くしている。
血液は、細胞の元であり、精子や卵子の元でもある。
血の濁りは、遺伝子まで劣化させてしまうのである。
二、気が利く
「気が利く」とは、「その場に応じた 適切な判断が素早く出来る。心が行き届く事。」(広辞苑)であるので、「血の巡りが悪い」の反対の意味を表している。
英語の「スマート」とは、体付きも、身のこなしも、物言いも、三拍子揃った人の様子を言うらしい。
自分の事だけではなく、他人の事にまで目が行き届き、行動が出来る人、それが気の利く人であり、スマートな人間である。
三、目から鼻に抜ける
「目から鼻に抜ける」とは、「すぐれて賢いこと。また、ぬけ目が無く、敏捷なことの形容。」(広辞苑) と載っており、目から鼻に抜けるとは、気が利くの一段上の段階を言い表している様に想われる。
○物事を視るのに落ち度が無く
○敏捷とは、スマート以上の速度を加えてある。
現代社会には、その様な人は、なかなか見付からない様である。
目から鼻に抜けるとは、目で見たり 耳で聞いたりした事が、間を置かず、理解され、目に現れ、呼吸に通じる事である。
その現象は、鼻の病気の蓄膿症とは、反対の処を言い表している。
蓄膿症の人は、物覚えが悪く、理解速度が遅い事が知られている。
蓄膿症の人は、甘い物が好物で、砂糖を取り過ぎるので、血液が酸化して血の巡りが悪くなり、鼻の細胞が爛れ、空気の通りが悪くなるので、冷却が効かず、脳に通う血液が冷やされず、脳の働きも鈍ってしまうのである。
甘い物を多く取り陰性体質に成ると、体ばかり大きくなり、「大男 総身に知恵が回りかね」と、悪口を言われる様にもなる。・・
自分の大事な想いを、念じ続けて行く事は、忍耐力が必要とされ、体の健康も大事である。胸に印象を刻む事は、自分の意いが、他の力に影響されて、変化する事を防ぐ方法でもある。
人間が、自分の念いを、一生変えないで生きて行く事は、根性が強くなければ出来ない事である。其の為には、自分の體を強靭に保たなくてはならない。
その為にも、食生活は重要な位置を占めている。
現代社会は、文明は進んだが、環境は悪化して来ている。
段々と、食物の力も弱まって来ているし、體が喜ぶ食物が、少なくなっているのだ。・・・
「忘れては成らない言葉」https://moon.ap.teacup.com/20061108/455.html
2018/10/17今朝のメッセージの映像は、昨日の文章の題を「鏡の向こう側に帰る」とした事と関係が有りそうで、今朝は、私が「土肥無庵」に捜し出される迄、行なって居た世界が映し出されて来た。
今朝は由香に「何かビジョンを見なかったか」と訊ねると、三つの村が示され、二つは静かに暮らす人々の村で、一つは騒がしく暮らす人々の村である事が、対照的に映し出されて来たとの事である。
私は、其の由香の話から、自分は結婚する迄は、矢本嶽の麓の農家に産まれ、静かな生活環境で育ったが、結婚してから安房の繁華街で生活を始めた事を思った。そして、「土肥無庵」に捜し出されてから、一切の事を整理して、此の神の世界に入ったのである。
今朝のメッセージは、其の私の人生の境目の事が示されて来ており、私は「土肥無庵」に捜し出されて一切の世事から離れていなければ、今朝のメッセージの映像は、現実の事に成っていた恐れが有ると謂う事に成る。
今朝のメッセージの映像から、私に考えられる事は、次の様な事柄である。
*宝石店。化粧品店。
・宝石や化粧品などの物品は、装飾の世界であり「虚飾」に繋がる物である。
*マージャン屋。
・賭け事やゲーム(博打)は、経済的にも精神的にも、人間を堕落させるモノ・世界である。
・室内に閉じ籠もる事、徹夜を繰り返す事は、自然との繋がりも切れて、肉体的な健康も害してしまう。
*北側の天井が落ちる意味は、神前で北向きに手を合わす事と関係が有り、北方の神(はたらき)が「玄武(げんぶ)や、北斗神・妙見神である事と関係があり、「紫微垣・しびえん」との関係が崩れる。
*西側の壁が、薄く成って消え失せるのは、西方の神(はたらき)が「白虎・びゃっこ」であるので「商売(経済・道路・交通・運輸)」の世界が崩れる。
*刈り取った稲の苗。
・苗を刈り取ってしまえば、稲作が出来ない。主食が失われる。
・根無しの物事は、成果を上げない。実を得られない。
*飴・砂糖。
甘い物の多食は、虫歯に成るだけではなく、躰を陰性体質にしてしまう。
*太陽にあたらない生活は、自然の摂理・法則・リズムから外れてしまう。
・南方の神(はたらき)は、朱雀(すざく)であり太陽の化身である。
*中国の四神は、北方「玄武」、西方「白虎」、南方「朱雀」であり、東方は「青龍(せいりゅう)」であり、智慧を司る神(はたらき)であるので、中国のマージャンは「東・西・南・北」を始め、科学や数学等の学問が組み込まれているので、本来は賭け事ではなく、智慧を磨く為に創られたモノ・世界である。
其れ等の事柄と、今年の5月10日の「絶対的信頼・磐石な地盤」の文章の内容から考えると、今朝のメッセージは私に、其の「絶対的信頼」が措ける「磐石な地盤」を考えろと言うか、造り上げろとの事が示されて来ているのかも知れない。
『其れは 貴方だけではなく 人類全体に対するアドバイスです。
人間自体が創り出す物が 人間社会なのです。
ですから 人間が自分で考え 自分自身が
行動を起こさなければ成らないのです。
其の事の為に 貴方が必要であり 其の為に
此処まで貴方を育てあげて来たのです。
良いですか ですから先ず貴方自身が
自分の役割が何であるかを 自覚する必要があるのですよ。
其処に こちら側の支援体制も 整って来るのですから。』9時39分
どうやら、今朝のメッセージは、昨日が伊勢神宮の「神嘗祭・かんなめさい」であった事と関係が有り、人間界の意識の切り替えが必要不可欠である事が示されて来ている様である。・・・
「鏡の裏側から此方を見る」https://green.ap.teacup.com/20060818/4778.html
2019/1/5・・今朝の最初の映像に映し出されて来た、薄暗い世界に、右側から濃い紫色、次に暁色の布旗が並んで下げられていた場面は、太陽光線の波長が紫外線から赤外線に分けられる事と関係が有り、紫外線の方が波長が高周波であるので、周波数が高い紫外線(濃い紫色)の方が精神性が高い理・ことを、示唆しているのではないだろうか。
次の映像の、焦げる寸前まで焼いた鰻の蒲焼の料理は、カロリーが高く滋養に効く食べ物であり、焦げる直前まで焼いた物であるとの事は、最高の「陽性」の料理に成るので、高周波の精神性を持つには、身体を陽性体質にしなければ成らない理・ことが、示されて来ているのであろう。
そして、私が川の辺に存在する菜園から、山葵を収穫して居たのは、山葵は陰性の植物であり、陽性の魚等の毒を中和・消す働きが有るので、食べ物の陰陽の世界が示されて来ており、其れ等の「陰(カリウム)陽(ナトリウム)」のバランスを能く図る事が、最も重要である理・ことが示されて来ている事に成りそうである。
其れから、奥さんの方が営業している料理屋に、逞しい女性の運動選手が食べに来て居た場面は、女性は机に座って学問に励む事よりも、丈夫な子供を産み育てる為に、丈夫な身体を作る事と、料理の世界を極める事が、最も重要(本分)である理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
そして、今朝告げられて来た「おおるり」は、青い色(東・春)の象徴である事と関係が有り、人間の精神状態は、何時も曇り無い青空の様に晴れていなければ、幸せに成れない理・ことを示唆しており、其の為にも食べ物や着る服の選択が大事であると謂う事に成るのであろう。・・・
「精神と食物」https://green.ap.teacup.com/20060818/4859.html
キー「塩・ナトリウム」
2011/4/2・・「塩」はナトリウムで、ナトリウムは陽性物質である。
「野菜」はカリウムが多く、カリウムは陰性物質であり、塩分濃度を調節する働きが有る。其の関係性の為に、野菜類を茹でる時には、塩を入れるのである。
日本語には、「塩梅・あんばい」と言う言葉が有って、塩梅とは、梅を漬ける時の塩加減の事から生まれた言葉である。
青い梅はシュウ酸が強く、人間が青い梅を食べると、死ぬ事が有ると言われている。其のカリウム・アクが強い青梅を、塩・ナトリウムに漬けると中和されて、人間が食べられる食品に変わるのである。
私の師である無庵師匠は、「梅干しは世界一の薬であり 下痢にも便秘にも効果が有る」と謂っていた。其れは、梅干しは、病状に因ってナトリウムが反応したり、カリウムが反応したりするからであるとの理・ことである。
今朝の私のメッセージの映像には、塩に関して、自分の身体が維持出来ている理・ことや、生命が海から誕生した理・ことや、食べ物の塩分のことや、血圧のことなど、様々な塩に関する事が示されて来て、塩・ナトリウムに関する事を研究している、70歳くらいの男性研究者の姿が、映し出されて来た。
私の意識は、其の後、神社や繁華街の入り口に、手塩が盛られる事や、葬式に参加した後に、塩が清めとして、使用される事の理由を考えていた。
其の理由として考えられる事は、昔 塩が自由に手に入らない時に、植物性の食べ物ばかりを食べていると、人間の身体に「カリウム・あく・陰性」が溜まり過ぎて、吹き出物が出たり病気に成ったりするので、其れを悪霊の仕業と考えて、「塩・ナトリウム・陽性」を撒く事を考え付いたのかも知れない。・・・
「上りと下り」http://green.ap.teacup.com/20060818/1885.html
2016/11/20・・今朝のメッセージの映像には、光に満たされた顔をした、30歳代の男性の上半身が現れて、食の世界の研究会を主催している様子が映し出されて来た。
そして、其の男性が取り組んでいる最大のテーマが、「塩・ナトリウム」である事が強調されて来て、其の解明が進まないので、其の男性は、向こう側の部屋から、隠し鏡(マジックミラー)の様な物が嵌められている私が居る方に向かって、壁に両手を着き額が鏡に当たる様な近距離にて、私に「協力してくれ」と言う様な表情・仕草を繰り返して居た。
其の事を考えて居ると、「いそべのやかた」との言葉が一言告げられて来たので、私は「礒部の館」「石部の屋方」「石工の館」等の言葉を考えて居た。
其れから、再び電気を消して「食べ物」の世界と「塩・ナトリウム」の事に付いて考え始めると、日本の「塩梅・あんばい」との言葉や、「土肥無庵」の訓えに付いて思いが動き始めた。・・
そして、「ミネラル」の世界や「カルシウム」等の世界に付いて想いが至ると、英語の「ソール・soul」と「ルーツ・ツール」との言葉が、中国の「魂魄・コンパク」の世界と通じているのではないかと考え、やはり人類の言葉・概念の元が、マレー語の世界に有り、其れが南方からと、西洋から、日本に合流して来ているのではないかと考え始めた。
其れは、釈迦牟尼佛の謂う「本当に頼れる物は 此の自分の躰だけである」との理をしっかりと自覚して、精進に努める事の他に「自分(みずからの分け・存在理由)」を解明する手段は無いと言う事である。
そして、其れに成功した者にしか、石上神宮の初代である「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」が傳う「申食国政太夫・おすくにのまつりごともうすのまえつきみ」の役割を、果たせないと言う理・ことである。
何故、其の様に考えるかと言うと、私が島根県太田市に有る「物部神社」に初めて参拝した時に、裏山の御陵で私の足の裏から強烈なエネルギーが流れ込んで来て「此処がお前の墓だ」と告げられた事が有り、メッセージで「子供達に早く岩を溶かしたミネラルを与えろ」と告げられて来たからである。
其れは、岩の成分であるミネラル(稀少成分)が、人体の成長に最も必要であり、其の吸収バランスが悪ければ、正常な魂魄の完成が出来ない理・ことが示されており、宇宙とチャンネルする電磁気力が高まらないと言う理・ことである。・・・
「石部の館」http://green.ap.teacup.com/20060818/4059.html
2009/7/19・・其れは、新しい陰陽・タオの結び付きの「真理の箱・truth-boxトゥルース-ボックス」を意味して居るのではないだろうか。
其れは、人間の精神・魂しいの完成に関わる世界である。
そして、水分が多い建物の壁は、人間の肉体の水分濃度を意味しているのであろう。人間の肉体は、60〜70%が水であるので、四捨五入すると、人間は固体ではなく、液体である事に成る。
そして、體を形作っている物は骨であり、骨が建物の鉄骨である理・ことに成る。だから、「からだ・体」の元字は、「骨+豊」の組み合わせの「體・タイ」で、骨が豊なのが身体である事に成り、肉太の「肉体」は體ではない理・ことに成る。そして、砂や砂利は、ミネラルや栄養分等を意味しているのであろう。
今は真夏の季節で、熱中症の多い時期である。
熱中症を防ぐには、水分補給を小まめにしなければならない。
しかし、水ばかり飲んで居ると、塩分不足に成るので、塩分補給が欠かせないのである。其の塩分は「ミネラル・希少鉱物」である。
人間の身体は、カルシウムのバランスだけでも、血液中のカルシウム濃度の1万倍が「細胞」に有り、其のまた1万倍が「骨格」に有るとの理・ことである。其の「カルシウム(ミネラル)」のバランスが崩れると、あらゆる病気の引き金と成るらしい。
人間の身体には、最低でも46種類の栄養素が、必要であると謂われている。其れは、108種類ある元素の約半分程にも成る。・・・
「身体の水分濃度」http://green.ap.teacup.com/20060818/1211.html
2018/11/27・・其れから再び眠ると、今度は建物の中に、幅が広く長いテーブル・台が、三列ほど並んでいる場面が映し出されて来て、其の台の上に白い粒粉が広げられているので、私は最初、砂かと意って、棒で掻き混ぜて見ると、其れは砂ではなく、塩が干されている物である事が判った。
其れで、自分が掻き混ぜた部分を元に戻そうとしたのだが、元通りの平らな状態には返せないで居た。
すると其処に、白装束の男性職人(神社の人?)が遣って来て、角スコップの様な形の木製のヘラで、一度に多くの塩を掬い取って、ヘラを反対にしてから台の上に置いて、ヘラを引くと、見事に塩が紙の様に薄く広がったので、私は其の技に感銘して居た。・・
此の文章の内容からすると、今朝の映像に母方の叔父である加藤一彦が、類人猿(アジル手長猿)に迄、先祖還りをする男性を連れて来たのは、人間の肉体(DNA・遺伝子)は母系で伝わっている理・ことが示されて来ており、其の事に最も大事な事は「塩・ナトリウム」の摂取であり、塩が最大のミネラル(希少元素)である理・ことが示されて来ているのではないだろうか。・・
此の「才利」の意味からすると、其の意味は「生まれ付きの能力がするどい」との解釈が出来る。其の事と、「嗣長・しちょう」との言葉を繋いで考えると、昨日の「伯耆」と「語」に関係が有り、「語」を読む「嗣長」は「才利」の伯耆でなければ成らないとの意味に成りそうである。
そして、其の事と干していた「塩・ナトリウム」の存在は、日本の神道の儀式で塩が欠かせない物である事と関係が有り、塩気の効いた人間でなければ、其の役割が果せないと言う理・ことなのではないだろうか。
そして其れは、昨日が「ミカシギの祭り」の日で「サトイモ」が神様にお供えされる事と関係が有り、芋類には、塩・ナトリウムが必要不可欠であるとの理・こととも関係が有るのだろう。
今朝のメッセージは、昨日の「V字回復」との事と関係が有り、其の内容・要因に付いて示されて来ており、其れが「天行儘・テンギョウジン」との言葉と関係が有るのだろう。
「才・利・嗣」https://wave.ap.teacup.com/20060106/854.html
2018/5/12・・次に、火山活動に因る地殻変動で、巨大な山崩れが起きる場面が映し出されて来て、私は岩陰に非難して、振って来る噴石を避けて居た事と、一頭の日本犬が向う側から、土砂崩れの隙間を探しながら、此方側まで走り抜けて来る映像が映し出されて来た場面の意味は、現在生き残って来た地球生命は、度重なる地球の大変動に対して、上手く逃げ延び・耐えながら、進化を遂げて来た理・ことを示して来ているのではないだろうか。
次の映像の、フライパンでスライスした鹿肉が調理されている場面が映し出されて来て、近くに、丸い青緑のキャベツが一個宝石の様に輝いていた場面は、「動物蛋白質」は人間にとって欠かせない食べ物(陽性・ナトリウム)であるが、其れを食べるには毒性を中和する野菜(陰性・カリウム)が必要であり、野菜の方が価値が高く、神(はたらき)の世界に近いと言う理・ことが、示されて来ているのであろう。
次の映像の、私の左足が大きな藤蔓の様な植物の根元に変形して行き、地面の中に根を広げて行く場面が映し出されて来たのは、私が島根県太田市に存在する「物部神社」の裏山に存在する「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」の御陵に参拝した時に、左足の裏から強いエネルギーが流れ込んで来た事と関係があり、其の大地のエネルギー(龍)が私の躰を通過して、再び地球の中に新しい情報として、流れ込むと謂うか、記憶される事に成った理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝告げられて来た「勝理の物語」との言葉は「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」が創設した「申食国政太夫・おすくにのまつりごともうすのまえつきみ」の役割・神(はたらき)が、新次元で復活したと謂う事なのかも知れない。・・・
「勝理の物語」https://green.ap.teacup.com/20060818/4617.html
2006/9/3・・今月1日に、木蓮科の花から始まり、木の幹の上に、丸い珪素の石が置かれ、今朝の映像では、人間が木の丸い板に成って、積み上げられ、其れ等も全てドクロの中に回収され、お婆さんの手で、海に返されてしまった。
そして、其のお婆さんも、海原の中に消え去ってしまったのである。
其れ等の映像を繋ぎ合わすと、「珪素・シリコン」の情報で組み上げられた生命の世界は、カルシウム・骨の世界に回収され、其のカルシウムも、海の塩化ナトリウムやミネラルの中に、溶け消えてしまった事に成る。
残されたのは、広い海原と、肉体を持たない、私の意識だけである。
其れは、地球上に、未だ生命が誕生して居なくて、炭酸ガスの雲が、空を被っている薄暗い海原である。般若の面を、海に返したお婆さんは、「塩土の爺」の妻か、母親ではなかったのだろうか。
何故、昨日は、其のお婆さんが、山の上から籠を持って下りて来たのかは判らないが、森と海原を歩き回っている、お婆さんである事は間違いない。
其の「お婆さん(祖の母)」が、地球誕生からの38億年間に、どれだけ「母」を積み上げて来たのかは判らないが、今朝、自分のカルマ・業を、海に返してしまったのではないだろうか。
其の事が、示している事は、般若波羅蜜の智慧も、其の「お祖母さん」のカルマ・業の一部だった事に成る。
其のお祖母さんの存在が、人類意識の始まりなら、私がこうして存在していると言うことは、未だ、其のお祖母さんが、顕在すると言う事でもある。
私の意識の本体こそ、其のお祖母さんの意識ではないのだろうか。・・・
「般若波羅蜜・はんにやはらみつ」https://star.ap.teacup.com/170606/1029.html
2017/12/7・・そして、其れは、新しい統尊(すめらのみこと)の「御嚴・みいつ」の世界であると言う事なのであろう。
そして、其の事に「陽(ナトリウム)」と「陰(カリウム)」のバランスが重要であり、1gの狂いが有っては成らないとの理・ことで、「マクロビオティック・Macrobiotic」の本質は、『自分の内側・体内のバイオリズムに有って、外側の如何なる環境にも、影響を受けては成らない』との理・ことなのではないだろうか。
其れは、釈迦牟尼佛の訓えである「ダルマ・法」の真髄や、「弘法大師空海」の謂う「乾坤は経籍の箱なり」との言葉に通じるモノであり、老子の謂う「自分の躰の事を心配している者に国を預ければ 潰れる事は無い」との理・ことに通じるのであろう。
そして、其れは、今朝のメッセージで建物のオーナーが私に料理の事を訊ね、私が掘りたての自然薯を渡した事と関係が有り、日本料理で最初に出される「お吸い物椀(箸洗い)」の塩加減の世界に関係が有るのだろう。・・・
「マクロビオティックの本質」https://green.ap.teacup.com/20060818/4458.html
2017/11/14今朝はハッキリとしたメッセージの様な物は無く、私の意識が自分の脳内を探っていると、私が昨夜の夕食に掘ったばかりの自然薯を、吸い物にして食べた事と関係が有るのか、「季節の一椀」との言葉のイメージが浮かんで来た。
其れに、5月15日の文章には、「・・塵を片付けて掃除をし、テーブルの上を拭き取って、何時でも人が訪ねて来て良い状態に準備を整えていた。」と書いて有るので、今朝起こされた時の映像と、共通する場面である。
其れに「・・大きな桃の木を・・中心の真っ直ぐな幹一本に仕立て直す・・」との文章内様に付いて考えると、今朝のイメージの「三角の鏃」の存在は、私が「一矢を放つ」と謂うか、何等かの意思を決定する必要が有り、其れが決れば、関係者が集まって来るので、カウンターかテーブルの埃を拭き取って措かなければ成らないと言う事なのかも知れない。
今朝の愉伽さんのビジョンには、私が、他人が書いた幾つもの文章に目を通して、承認をして居る場面が映し出されて来たとの事である。
其れ等の事を考えると、「季節の一椀」との言葉は、昨日私が掘ったばかりの自然薯を吸い物にして食べた事だけではなく、四次元の神霊と、此の世の人達との結びと成る「直会・なおらい」の儀式が、必要な時節が到来したとの事が告げられて来ているのかも知れない。・・・
「季節の一椀」https://green.ap.teacup.com/20060818/4432.html
2008/11/5「水の性質」https://moon.ap.teacup.com/20061108/406.html
2017/11/11「近代化」https://green.ap.teacup.com/20060818/4429.html
此の「季節の一椀」の文章に書いて有る「・・大きな桃の木を・・中心の真っ直ぐな幹一本に仕立て直す・・」との言葉からすると、昨日と今朝のメッセージと関係が有り、何らかの形で「紀(とき)の祭り」の為の、中心柱を立てる為の直会(なおらい)を、行う必要が有るのかも知れない。
其れを考えると、6月11日の日付が気に成って来る。
何故かと謂うと、「紀(とき)の祭りを行え」との言葉は2006年3月19日に「御稜威 建国 6月11日」との言葉との指示と共に、告げられて来た物であるからである。
2006/3/19・・今朝の映像は、玄(宇宙の赤黒いエナジー)の世界に、最初の記号が書き込まれているのが映って来た。其の文字を解読すると、紀元の「紀」で、其の音は「トキ」であることが示された。そして天井から、白い幕の様な蠅取紙が降ろされ、其れに自然にドンドン蠅が止まって、くっ着くのが見えた。そして「みいつ 建国 6月11日」と言葉が有った。
朝事務所に来て、6月11日の旧暦を調べると5月16日である。其の日付には心当たりは無いが、宇宙の運行か、人間の意識を動かすのに、其の日に何等かの設定が必要なコトを告げて来たのだろう。其れに、漢字の「紀」は「糸+己」の組み合わせで「己」は糸巻きの形で「紀」は糸筋を分けるの意味を表わしており、転じて、治める・きまりの意味を表わす。と、漢語林には載っている。
今朝のメッセージは、宇宙がゼロから情報を組み上げる事を意味し、天が幕を降ろして必要な人間を其れに止まらせるとのコトであろう。其の為には、人間界に糸筋を分ける人間が必要で、其の為に私の22年間の国内の旅が必要だったのだと考えられる。・・・
「紀・トキ」http://star.ap.teacup.com/170606/815.html
2017/6/11本日6月11日の日付は、私が2006年3月19日に「紀(トキ)の祭りを行え」「御稜威建国6月11日」と告げられて来て、2006年6月11日に第一回の大山祇神の大祭を行なった日である。
其の成り行きは、私が2002年に屋久島に帰って6月8日にスーリアサロンを開催した日に、故「大山邦博」の足が突然動かなく成り、其の原因が「大山祇神・おおやまづみかみ」の石碑が倒れている事に有るとの事で、2006年6月11日(旧暦5月16日)に大山邦博に協力する形で始まった物である。
其れに、いま調べると、昨日「6月10日」が旧暦の5月16日であり、昨日が其の大山祇神の大祭日であった事に成る。・・
「女神の下へ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4268.html
其の6月11日に、屋久島で「大山祇神」の祭りを行ってから、今年の6月11日で丸13年と成る。
其れを考えると、残り12日間で何かの事が示されて来るのかも知れない。
因みに今年の6月11日は、旧暦5月9日であり、旧暦の5月16日は新暦の6月18日である。
令和1年5月30日10時10分
礒邉自適
2019/5/27
大日如来の両手
1・5・27
今朝のメッセージの映像には、先ず、屋久島の実家の近所に住む、石屋の息子である「中村一男」氏が、上着は着ていないのだ、青色系のズボンとシャツの洋服を着て、シャツの上にこげ茶色のベストを着ており、右側から左を向いて立って居る場面が映し出されて来た。
其れは、私を何処かに連れて行く為に迎えに来た事が分かった。
其れで、私は由香と二人で出発すると、到着した所は山中に存在する道場の様な施設であり、其処には60歳位の師範が一人居た。
次に、私と由香は食事の準備を始める為に、台所に行き、材料を捜すと、乾麺である蕎麦が一袋見付かったが、其の蕎麦は古い物であり、湿気が有る為に黴(かび)が生えているのである。
私は、他に食べ物は何も無いので、摂り合えず茹でて見様と意い、鍋の中に入れて見ると、鍋の中が熱湯ではないので、入れた蕎麦が湯が煮え滾ると、溶けてしまい食べる事が出来なく成ってしまった。
其処で、耳元で赤家蚊の羽音が聞こえたので意識が目覚め、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時21分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、座って居る私の背後に、何物かが存在し、黒い影の状態で、左右の手が私の両脇から目の前に伸びて来て、私の前で何かを始める事が示されて来た。
そして、其の事と関係が有るのか「群馬」との言葉が、一言告げられて来た。
今朝のメッセージの映像の最初には、何故か石屋であった「中村直吉」の息子である、私より4歳年上の「中村一男」が西洋人の服装で登場した。
其れは「石工」の息子で、名前が「村の中に一人の男」であるので、村落に一人の「石工・メイソン」が必要であるとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
2006/7/20【石工が、石の上に立つ兵士の謎を解く鍵とは、永遠に生ける力のダイナムを、正しく応用することであると知る時、彼は「結社」の神秘を学びとり、ルシフェルの渦巻くエネルギーは彼のものと成る。】
「148・石屋」https://star.ap.teacup.com/170606/979.html
其れに、其の中村一男に案内された場所は、道場の様な施設であり、師範の様な人物が待って居たが、台所には黴の生えた乾麺蕎麦しか残っていなかったので、其の施設は長らく使用されおらず、野菜畑の様な農地も管理されていない事に成る。
其れは、「食国政り事・おすくにのまつりごと」の世界が、廃れてしまっている理・ことを、示唆しているのではないだろうか。
其れに、赤家蚊に起こされた3時21分の数字は、弘法大師空海の命日が3月21日である事と関係が有りそうである。
キー「弘法大師空海 恵果和尚 大日如来は汝の腹中にあり」
2002/9/4今日は、「慈悲は 神の心に近づく階段」との題名で文章を書いて、転寝(うたたね)をして居ると、「あじのさと」との言葉が聴こえて目が覚めた。
「あじのさと」とは「味のさと」ではなく、仏教の言葉の「阿字観」の「阿字の里」である。
「阿字」を、辞典で調べると、「仏教の用語で、梵語の12の母音の第1。事物の始まり。根本を象徴する文字。特に密教では空を象徴するものと考え、阿字の形、音、意味を観ずる阿字観により、真理を体得できるとする」と 載っている。 辞典 言泉
日本の神社に行くと、鳥居の所に「あ・阿」と「うん・吽」の高麗獅子の像が置かれている。この「あ」の像も、同じ意味を持っている。
右側の方の、口が開いている方が「あ・阿」の像であり、始まりの意味を表し、左側の口が閉じている方が「うん・吽」の像で、終了の意味を表している。
参道を歩くのも、階段を上がるのも、「あ」の右側から中に入って、左の「うん」の像の方から出て来るのが、作法として決められている。
「あ」は、森羅万象の始まりとされている。
その「阿字」が、私に今日出て来たのは、何故であろうか。
今までに、此の様な事は無かった。
18年前に、4311体の霊界人が、私に体を貸せと言って来た。
其の霊界人達は、私の現象界の身心だけではなく、私の姿を、夢の世界にまで使っている様である。
森羅万象全ての源が「あ」であって、屋久島が「阿字の郷」であれば、私の姿は屋久島の化身として、使用されている事になるのではあるまいか。
私には、人の夢に出て行こうなどとの気持ちは、一切無いのであるから、夢に現れる私は、実際の私ではなく、霊界・神界で役者にされている、神の世界での礒邉自適の姿である。
顔や、姿は礒邉自適なのだが、出て行く人によって、私の役割は異なっている様である。夢の世界では、私は千両役者を遣っている様なのである。
インドのお釈迦さんは、生前に32相81種類の顔をしていたという。
釈迦仏陀は、説法をする時、相手に合わせて、生命現象を変化させていたのだろう。
私も、表情は変化しているみたいなのだが、釈迦の様に、自由自在では無いようだ。しかし、他人の夢に出て行く時は、お釈迦さん以上なのかも知れない。若しかしたら、私の姿を利用して、釈迦自体が動いているのかも知れないのである。釈迦自身が、自分の姿で出て行っても、釈迦を見た事のある人は、この世には存在しないので、誰も、釈迦だとは気付かないだろう。・・
皆が知っている弘法大師空海は、「阿字の子は、阿字の地に帰る」と詠っている。空海が、中国の師匠「恵果」に、密教の秘法を全部伝えられた後、恵果は空海に告げたという。
「大日如来は 汝の腹中に在り、直ぐ日本に帰れ。今度は 私が汝の弟子と成って、日本に産れる」と、それを聞いた空海は、約束の年数に至っていないのに、日本に直ちに帰国したのである。
そして、朝廷の許しが出る迄、福岡の地で待ったと云う。
空海は、次の大日如来の現れる地を求めて、全国を巡った末、現在の高野山を定めたとの事である。私が、旅の最中に、高野山の奥の院に入ろうとすると、山門の所で「今は 汚れているから入るな」と告げられ、そのまま下山し、未だに高野山には上がっていない。
空海は、生前に、恵果より受けた密教の秘法を、授ける者が現れなかったので、生きながら、魂しいを肉体から引き剥がして、霊界にて1300年間、自分の後継者の育成に力を注いでいるのだ。
私は、四国の地が、新しい「阿の地」かと想って、二年間暮らしたが、どうも四国ではなく、屋久島なのかも知れないと思い始めている。
仏教では、世界の中心に「須弥山・しゅみせん」なる高山が大海中に在り、四方に四大洲があり、衆生は其処に住むと言い伝えられている。
私は、神に「人類最後のチャンスを、お前に授ける。チャンスは一度で、失敗は許されない。」と告げられて、ここまで遣って来た。
私の頭は地球であり、地球の物事は皆、私の頭を通じていると、諭されたのである。そして、其れは屋久島が、私の頭と、地球の中間に位置していて、私の頭→ 屋久島→ 地球となる。
其の様な事は、荒唐無稽な事であることは、私が一番良く知っている。
しかし、私が、自分自身で体験した事であるのも、また事実である。
私自身が信じられない事が、現に起こっているのである。
その力が、何なのか、私には、正確に話す事は、未だ自信が無いが、其の内に万人に理解される様になるだろう。
何故なら「阿字の郷」とは、私が自分で言うのではなく、「大日如来(ビルシャナ)」自身が告げて来る事だからである。
「阿字の郷」https://wave.ap.teacup.com/20060106/102.html
2018/9/28「古い業からの脱出」https://green.ap.teacup.com/20060818/4758.html
此の文章の内容からすると、今朝の映像で、私の背後に「黒子」の様な姿がはっきりしない存在が有り、私の両腕・両手を背後から動かす様な行為を行う場面は、私の背後・背景に其の「大日如来(ビルシャナ)」が付いており、自分が人類に知らせたい事柄を、私に文章化させるとの事が、示されて来ているのではないだろうか。
其れを考えると、今朝「群馬」との言葉が告げられて来たのは、今朝私が石工の息子に案内された場所が、群馬県に存在するとの事に成るのかも知れない。
其の様に考えると、私が思い出すのは群馬県の南北村に存在する「黒滝山不動尊寺」の事である。
2006/2/25「星が歩く」https://star.ap.teacup.com/170606/684.html
2011/6/24「名前の登録」https://green.ap.teacup.com/20060818/1969.html
2014/4/30「度会家の文書」https://star.ap.teacup.com/20060505/95.html
『明らかに違う 是はお前の役目ではない。
確かに 何かを始めなければ成らないが
それは お前の役割ではなく お前が指示を出して
他の人達を 動かさなければ成らない 事案である。』7時35分
此の男性の意思・言葉からすると、どうやら私は 夢分析をする事に徹して 自分が見せられるメッセージを、直接行わなければ成らないとの事を、想っては成らないとの事の様である。
キー「大日如来・マハーヴァイローチャナ」
2013/3/21・・本日3月21日は、弘法大師空海の1178回目の命日である。
今朝のメッセージは、其の弘法大師空海の霊魂と言うか世界に関係が有り、弘法大師空海が、本当の意味の「遍照金剛・へんじょうこんごう」の世界に達した事が、映し出されて来た様である。
其れは、私と、空海の霊魂が、一緒に、宇宙意識と言うか、本来の霊留・ひとの在り方に、辿り着いたと言う事に成るのであろう。
今朝のビジョンの様子からすると、「釈迦仏陀」の前に何者かの意識が在り、其の次に「イエスキリスト」の意識が在り、次に「聖徳太子」の意識が在り、次に「弘法大師空海」の意識が在り、其の延長線上に、私の意識が存在する様な気がする。其の様に考えると、釈迦如来が「私が悟ったのは 何世も前である」と謂っている事が理解されて来る。・・
今朝は、起きて洗面を済ませ、PCの前に座ると「一番大事なこと」との言葉が有ったので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「貴方にとって 一番大事な 事は
人々の 対象と成る事であって
人々の為に 動く事ではありませんよ。
何故なら 動く事は一つの行為ですから
何かの為に 動いてしまうと
其の行為だけが 他人の目に認識されてしまうからです。
ですから 貴方は 一つの行動に
走る事をしては成らないのです
其の為にこそ 貴方を自由の身にしてあるのです。
良いですか 貴方の役割は
全ての事から自由である姿を
人々に 認識させる為にあるのです。
其して 何事からも自由であるからこそ
貴方は いまの役割が果たせているのですよ。
其れを考えれば 貴方はいまの儘で完璧なのですから
何の悩みも 無いと言う事に成るでしょう。
そうなのです 貴方はいまの儘で
あたしの ねがいに適っているのですよ 」
此の女神の言葉から、私の立場と言うか、存在がどの様なモノであるかが、理解出来る様な気がする。
今朝のメッセージの映像は、弘法大師空海が、中国の「恵果和尚」から受け継いだ「宇宙の真理の本体(大日如来・マハーヴァイローチャナ)」が、見事に完成した理・ことを示して来ているのではないだろうか。・・
其れ等の状況を考えると、無庵師匠に捜し出されてから「30年目・一世」で、今朝の状態に成った事こそ、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の存在が確かに在る事の証明と成り、森羅万象の流転には、宇宙意志が関係している理・ことが確信されると言うか、理解されて来る。・・・
「遍照金剛」http://green.ap.teacup.com/20060818/2629.html
2018/11/18・・其の事を知った「土肥無庵」は直ぐに実家に遣って来て、「自適さん何をしているのですか。自適さんの事を理解する人間は 何処にも居ないのですよ」と謂ったのだが、私は「確かめて来る」と一言告げて旅に出たのである。
其れから、既に今月で34年が経過し、残り4日で、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」から頼まれた事が現実として、此の三次元世界で愈々始まるとの事なのではないだろうか。
先ずは、人間の言葉をゼロ点に戻して、再構築を図らなければ成らないと言う事であり、其れは弘法大師空海が取り組んだ「真言・マントラ」の世界と関係が有り、「大日如来・マハーヴァイローチャナ(宇宙の真実の本体)」が「三蜜・身・口・意」であるとの事と関係が有り、「統尊・すめらのみこと」の「詔勅・みことのり」が、どの様なモノ世界であるかを、再認識しなければ成らないとの事なのであろう。
其の事を考えると、私が天神(てんのはたらき)から与えられている役割は、確かに「算年・サンとし」との言葉と関係が有り「森羅万象とどめ」との言葉の意味は、私が「森羅万象の流転」を留める役割を担っている事に成り、それはインドで謂う所の「転輪聖王・チャクラヴァルティン」の存在と直結している事に成り、釈迦牟尼世尊が予言している「彌勒菩薩・マイトレーヤ降臨」の事が現実と成っているとの事なのではないだろうか。
其れは「森羅万象の流転」が、事象・時空のエネルギーの流量と関係が有り、其の流れを、人間が壁・堤防を造って留(とど)めて、新たな事象・時空を創出する事であり、其れが真実の般若波羅蜜であり、有名な般若心経の「色即是空 空即是色」の言葉が、其の世界を言い表しており、日本の「統尊・すめらのみこと」が「現人神・あらひとかみ」と呼ばれている事と関係が有るのだろう。
其れは、私が此の世界に飛び込んだ時に、私の役割が「事象の特異点」であり、別な言葉で言えば「新しい神の座標軸」であると告げられて来た事の意味なのであろう。・・・
「森羅万象とどめ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4810.html
2017/3/17今朝のメッセージは、本日が「彼岸の入り」である事と関係が有りそうである。
今朝の映像は、先ず、広い水田か沼地の様な黒い泥濘の地面の中に、昔の人が埋めた金貨を、数人の男性が手探りで捜している場面が映し出されて来て、他の人達が諦めて去った後で、私が其れを、手探りで捜し出す場面が映し出されて来た。
其の金貨は、十数枚有り、私が其れを手にして、沼地から出て水洗いして居ると、三体の金色の仏の様な人型が、私の方に向かって歩いて来る様子が示されて来た。そして、森に生えている、広葉樹の大きな御神木の姿が一本映し出されて来てから、「累縁」との文字が示されて来た。
私は、其れ等の映像から、私が地面の中から探り出した金貨は、佛像彫刻師が、山から切り出した原木から、仏の像(イメージ)を彫り出す事と、同じ意味である事を感じていた。
次に、葉が内側に巻き込まれるキャベツの様な野菜が、変化して、日の光を浴びながら白い木蓮の花の様に、六弁程の花弁が地面から開いて、伸び上がる場面が映し出されて来た。
そして、其の白い花の様な野菜を見て居ると、男性の声で「個別に 驚く事が始まる」との言葉が告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は5時14分であったので、私は其の数字を「514・ごいし・碁石」と記憶した。
そして、再び電気を消して目を閉じていると、優しく力のある女性の声で「追いついて」「相手にしないで」との言葉が告げられて来た。
私は、其の声の主が「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の声であると思ったので、今朝の文章の題は「大日如来の声」とした。
今朝のメッセージは、其の「大日如来・マハーヴァイローチャナ」との名前の意味が「宇宙の真実の本体」との意味なので、宇宙の真実の本体とは「女神・女性性」であり、地球・大地の女神だけではなく、宇宙全体の「神(はたらき)」も女性性である理・ことが、明確に成ったと言う事に成る。
そして、「追いついて」「相手にしないで」との言葉は、私の意識よりも、宇宙意識の方が「先・前」に進んでいる事を意味しており、其の宇宙意志に追い付く為には、此の世の人間の相手をして居ては、自分が、先方に向いて進化する事が出来ないと言う理・ことが、示されて来ているのであろう。
其れは、人間以外の生物が、他の生き物の事を考えずに、自分自身が環境の変化に合わせて、進化して来ている理と照らし合わせて考えると、人間は大脳が発達した為に、余計な情報を取り込んでしまい、意識が、自分の躰の内側の細胞(DNA)に向かなく成っている為に、進化が止まってしまっている理・ことが考えられる。
そして、本日が「彼岸の入り」である事を考えると、其の「彼岸・ひがん」との言葉の概念も、再検討する必要が有るのだろう。
彼岸との言葉は、辞典に次の様に載っている。・・・
「累縁」https://wave.ap.teacup.com/20060106/728.html
今朝のメッセージは、昨日示されて来た「三段階」との事と関係が有り、私は「マハーヴァイローチャナ」の言葉・名前が「宇宙の真実の本体」との意味であるので、現代社会の言葉で其の「宇宙の真実」を明らかにすると謂うか、正しい言葉で表現する事を、始める必要が有ると謂う事なのではないだろうか。
だが今朝のメッセージの内容からすると、其れ等の事を始めるにしても、全てゼロから始めなければ、何も準備は成されていないとの事の様である。
令和1年5月27日
礒邉自適
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