1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2019/10/29
無策の中に神家が隠されている
1・10・29
昨夜は一眠りすると意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「0時41分」であったので、私は其の数字を「041・れいしはじめ・霊視初め」と記憶して再び眠った。
すると今度は、上空を飛ぶ飛行物体のの存在が映し出されて来て、其の機体の操縦士は40歳代に見える洋服姿の男性であった。
其の飛行物体は、私の居る上空を一度通り過ぎて行ったのだが、私の存在に気付いたのか、Uターンして引き返して来るので、私は建物の中に隠れたのだが、赤外線銃の赤い光が心臓の有る所に当てられるので、私は家畜小屋の牛の腹の下に避難すれば逃れられるのではないかと考えていた。
だが、様子を見て居ると其れは私の心臓を銃で打ち抜くのではなく、正しい行いをしている者の存在を、心臓の鼓動を熱センサーで感知しているモノであり、危険性が全く無い事が理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時10分」であった。
其れから再び眠ると、今度は「善悪に関係無く此の世は終わる」との言葉が告げられて来て、どう言う意味だろうかと考えて居ると、639の数字が映し出されて来て、次に、其の639の3の後ろに6の数字が隠されているのが示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると、時刻は「6時4分」であった。
其れで、私は「639」の数字は「639・むさく・無策」と読めるし、3の後ろに隠れていた6は、漢字の六が家の象形であるので、PCを立ち上げ、題を「無策の中に神家が隠されている」とした。
其れに、6時4分の数字は、私が此の神の世界に飛び込んだ1984年6月4日の日付であり、其の日は母親の64歳の誕生日であった。
其れに、5時10分は、私に太陽から「写真を撮れ」と告げられて来た「1997年5月10日」の数字であり、計算上は私が母親の胎内で命と成った日付でもある。
其れで、今年の6月4日と5月10日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2019/6/4本日6月4日は、私が1984年6月4日に屋久島の安房川の岸辺で、「土肥無庵」が見守る下「禊ぎ祓い」を行って、4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」を受け、神の世界に飛び込んでから、丸35年目の日である。
そして、最初に告げられて来た言葉が、「残り16年半しかない」「アンテナが二つ要る。四次元プログラム=水素原子管理。」「事象の特異点・新しい神の座標軸」等のテーマ・課題であった。
今朝のメッセージの映像は、先ず、四枚開きのサッシ戸の入り口が土台からこじ開けられて、屋内の物が全て無く成っている場面が映し出されて来た。
其れは、私が必要としている生活必需品を始め、事務関係の機器・用具や、文章などの文字関係・写真記録などの物が、全て何も無く成ってしまっている事を示唆していた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「4時3分」であったので、神武天皇の大祭日(命日)である4月3日の事を思った。
其れから再び眠ると、私が訪ねた家が、調理場や風呂だけではなく、トイレも無い家屋であり、食料も無いので、全く生活が出来ない条件の施設なのである。そして、庭の方に出て見ると、畑も無く、食べられる野草も無い事が判った。
其れ等の、人間の暮らしに必要な物が何も無い状況を考えていると、日本語の横文字の文章が映し出されて来て、其の文章の中に「广・ゲン・ゴン・家」中に「甲」「乙」の様な簡単な文字が入っている、二文字が混ざっている事が、認識された。
次に「91」と「61」の文字が映し出されて来て、其れは「九(陽)の一(はじめ)」と「六(陰)の一(はじめ)」を、示唆している事が理解されて来た。其れから「何も無い時間軸から」との意味が示されて来たので、照明を点けて時計を見ると時刻は「7時15分」であった。
今朝はPCを立ち上げ、今朝起された「4時3分」の数字から、今年の4月3日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「建国」文章の中に貼り付けられている、三つの文章の題・内容は「建国」のテーマと共に、今朝のメッセージ「何も無い時間軸から」とのテーマの前置きである様である。
是等の文章の内容から考えると、今朝のメッセージは、是まで人間が築き上げて来た「文明・文化」を一切消去して、「無・空」から「立ち上げる・組み直す・考える」必要が有ると言う事であり、其れは、昨日の「時間を止める者がブッダ」との言葉と関係が有り、「陰・六 & 陽・九」の世界を「一・はじめ」から創出・創造しなければ成らないと言う理・ことが、示されて来ている事に成る。
私が35年前、此の世界に飛び込んだ切っ掛けと謂うか、神のプログラム・計画を引き受けたのは、自分の息子(海生・4歳)が第三次世界大戦(核戦争)の放射能汚染で死亡し、私は其の息子の遺骸を両手で抱いて、泣きながら葬式をする映像を見せられたからである。
だが、今朝のメッセージの映像は、人類が創造して来た文化文明が何も無い・全くの無から、人間の生活や文化を立ち上げて行かなければ成らない理・ことが示されて来ているので、35年前の時点とは、状況が全く異なると謂うか、反転している事に成る。
其れに、今朝「何も無い時間軸から」との言葉・意味が告げられて来た時刻が「7時15分」であったのは、本来のお盆が旧暦の7月15日に行われていた事と関係が有り、「何も無い時間軸から」との言葉の意味は、仏教(釈迦の教え)である「お盆・彼岸に渡る」との世界と関係が有り、今朝のメッセージは昨日のテーマ・題「時間を止める者がブッダ」の続きである事にも成る。
『私は 過去・現在・未来に在り 衆生一切わが子』・・
此の「十二因縁起」の内容から考えると、私は其の釈迦牟尼世尊の教えと謂うか、真髄を、今朝体得した事に成り、其の時点から「新しい座標軸」を立ち上げて行かなければ成らないとの事なのであろう。
其れは明日6月5日が、私が此の世界に飛び込んでから「12干支×3回=36年」の「一・はじめ」の日である事と関係が有り、「陰・六 & 陽・九」の世界を「一・はじめ」から創出・創造しなければ成らないと言う事なのであろう。
今朝のメッセージの映像の文章の中に、「广・ゲン・ゴン・家」中に「甲」「乙」の様な簡単な文字が入っている、二文字が混ざっている事に、どの様な意味が有るのだろうか。
甲乙には、「甲乙付け難い」との言葉が有る。
甲乙(こうおつ)付(つ)け難(がた)・い
二つのものに差がなく、どちらが優れているかを決めるのが難しい。「―・い作品だ」 デジタル大辞泉の解説
此の言葉からすると、今朝の映像で、家の中の物品が全て持ち出されていた事と関係が有り、甲乙の後に「91」「61」の数字が示されて来たのは、「陰陽・雌雄・男女」「乾坤」「拡散&収縮」「+(プラス)−(マイナス)」等の存在・はたらきには、順位が付けられない・対等の関係であるとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れは、老子の「タオ・道」の概念と通じており、「广・ゲン・ゴン・家・空間」の中は、陰陽(ペアー・番)が存在しなければ、物事が成り立たない理(ことわり)が示されて来ているのであろう。
「何も無い時間軸から」https://green.ap.teacup.com/20060818/5011.html
此の「何も無い時間軸から」の言葉からすると、今朝告げられて来た「善悪に関係無く此の世は終わる」との言葉は、前段階が終わる事が告げられて来ている事に成る。
其れに、此の文章には、次の様に書いて有る。
・・「广・ゲン・ゴン・家」中に「甲」「乙」の様な簡単な文字が入っている、二文字が混ざっている事が、認識された。
次に「91」と「61」の文字が映し出されて来て、其れは「九(陽)の一(はじめ)」と「六(陰)の一(はじめ)」・・・
との事からすると、今朝の映像に映し出されて来た「639」の3の後ろに、6が隠されていた場面が関係が有り、3の後ろに隠れていた6は、六の象形が家の形であり、六は家が立ち並んだ村・国を現す「六合」と関係が有り、「3」に付いては矢追日聖法主が「3は神の数字であり一人歩きする」と謂っていた事や、老子が「初めに一が有り、一から二が生まれ、二から三が生まれ、其の三から全てが生まれる」と謂っている事が、関係有りそうである。
其れに、6と9の数字は、中国では「六(陰)・九(陽)」と考えられているので、「3・三(神)」の両脇には「69・陰陽」が有る、「3・三・神」は陰陽に挟まれて存在する、との意味が考えられる。
2019/5/10今朝のメッセージの映像は、先ず、大型カメラを持っている身体の大きな男性が黄金色系の服装で登場して、自然の景観・景色を撮影する為に、大型ヨットの帆の様に、高い木の柱に吊るされている反射版を、ロープを引いて調節し始める様子が映し出されて来た。
そして其の男性は、世界の重要事の二部門を制覇している事が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「1時50分・2時10分前」であった。
其れから、明け方の映像には「小匙・スプーン」が一本映し出されて来てから、「八万四千」との数字と「粒子」との言葉が示されて来た後に、「微分・積分」との言葉が告げられて来た。
今朝のメッセージの映像は、是までには無かったパターンなので、私には何を意味するのか能く解らない。
特に「微分・積分」との言葉は、私には理解出来ない世界でも有る。
今朝はPCを立ち上げて、先ず起された2時10分前の数字から、今年の2月10日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の「ときが満ちる」との言葉からすると、本日が5月10日であり、1997年5月10日に太陽から「写真を撮れ」とのメッセージが来た事が関係が有り、私は「太陽の息子」として、合格したと謂うか、役割を果したと謂う事に成るのかも知れない。
其れを考えると、今朝の映像で、大きな太陽光線の反射板を空中に吊り下げて、大地に光が当たる様に操作をしていた黄金色を服を着た大きな男性は、ギルガメッシュの「太陽神が 人間界の王様に杖を渡す場面」と関係が有り、其の杖は太陽光其の物であるとの理・ことが示されて来ているのかも知れない。
其れを考えると、今朝示されて「八万四千」との数字は、仏教の概念に有る「八万四千の法灯」との言葉と関係が有り、其の世界を数学の世界で分析・検討しろとの事が「微分・積分」との言葉と関係が有るのではないだろうか。・・
ウィキペディアフリー百科辞典 で「微分・積分」を調べると、中学校までしか教育を受けていない私の意識には、全く受け入れ難き内容である。
だが、他の易しいHPでは、車の速度や距離・時間などのグラフで其の事が説明されているので、「八万四千の法灯」と「微分・積分」との数学の世界を考えると、「私の人生(今日まで73年間)」と、「太陽運行(自然環境)」の関係性がグラフで表せる可能性が有ると言う事が、示されて来ているのかも知れない。
其れに、今朝の映像に、太陽光線をコントロールする「大きな反射板」と、「小さなスプーン」の存在が映し出されて来た事は、私が「土肥無庵」に捜し出された時に、物の考え方の基本として「絶対と相対」「陰と陽」「マクロとミクロ」の三つを教えられた事と関係が有り、其の中の「マクロとミクロ」の世界が今朝示されて来たモノ・現象なのかも知れない。
其れを考えると、今朝映し出されて来た「大きな太陽光の反射板」と「物を量る子匙・スプーン」の存在は、太陽光線が「波動と粒子」の両面で計測・観測できる事に関して、課題が与えられて来たとの事に成るのではないだろうか。
「マクロとミクロ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4986.html
此の文章の内容からすると、今朝のメッセージの映像で、私が何処に隠れても、天空の乗り物から、熱センサーで私の心臓の鼓動が捕捉されていた場面と関係が有り、私の心臓の活動・はたらきは、太陽の存在と直結しているとの理・ことが示されて来ており、其の天空を飛ぶ乗り物の操縦を男性が司っていたのは、
肉体の継続である遺伝子・DNAの世界「魄・パク」ではなく、精神・たましいの継続である「魂・コン」の世界を示唆しており、其れが日本語の「こころ」に「心」の漢字が当てられている事と関係が有り、アステカ文化で生きた人間の心臓が取り出され、チャクモールの臍に捧げられる事と関係が有り、「時間の操縦士」の概念が創り出された原因なのではないだろうか。
「無策の中に神家が隠されている」との言葉を考えると、日本の伝統である「惟神・かんながら」の世界と関係が有り、宇宙の在り方には「行為・行動」が無く、生命の自立心と謂うか、独自の「遺伝子・DNAプログラムの自主性」こそが、生命・いのちの存続と進化を司っているモノで有り、宇宙・天神は其の舞台を提供・あたえているだけであるとの理・ことなのではないだろうか。
そして、其の生命の本質は、生命全体が雌雄・陰陽の組み合わせ・仕組みで存続しているとの理であり、其の世界には、何者も手を加えては成らないとの理・ことなのかも知れない。
何故かと言うと、其の完璧な自然法則に手を加える事は、部分的には良い結果が出たにしても、全体的な大調和の中では長続きしないで、水の泡として消えてしまうと言う事ではないだろうか。
其れは、リーマンブラザーズ証券の倒産に拠って、世界同時金融危機が起きた事と関係が有り、其の原因・要素は改善されるどころか、益々グローバル化の名に拠って拡大され続けているので、近い内に金融だけではなく、食料を含む経済危機が起き、近代社会のシステムが総崩れして、都会で生活して居る人々は生きて行けない事態に陥ると言う事なのかも知れない。
今朝最初に起こされた時刻が「0時41分」であり、私が其の数字を「041・れいしはじめ・霊視初め」と記憶した事が正しければ、天意・神意が地上に生きる人間の「真心・まごころ」を「捜査・審査」し始めるとの事が示されて来ており、其れは聖書に有る「ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。」との事と関係が有り、イエスキリストの謂う其の時が来たと言う事なのではないだろうか。
マタイによる福音書 - 章 24
・・34 よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起るまでは、この時代は滅びることがない。
35 天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。
36 その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。
37 人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。
38 すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。
39 そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。
40 そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。
41 ふたりの女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひとりは残されるであろう。
42 だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。
43 このことをわきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、目をさましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう。
44 だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。
45 主人がその家の僕たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。
46 主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。
47 よく言っておくが、主人は彼を立てて自分の全財産を管理させるであろう。
48 もしそれが悪い僕であって、自分の主人は帰りがおそいと心の中で思い、
49 その僕仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりしているなら、
50 その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて、
51 彼を厳罰に処し、偽善者たちと同じ目にあわせるであろう。彼はそこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。・・・
現在の世の中の現状は、此の聖書の教訓を人々に伝道する役割を担う神父が、性的犯罪を犯し、其の賠償で多数の教会が破産の憂き目に遭っており、信者達が自分の寄付金が其の賠償に当てられる事に不満を表し始めている。
其の現実を考えただけでも、現在の世の中は末法の世を迎えている事に成り、一度滅ばなければ救い様が無いと言う事なのであろう。
そして、新しい御世を創造する為に「天意・神意」は、真心を持つ人材を捜し始めていると言う事なのであろう。
其れが「荒神様」の翌日であるのは「悔い改める」との言葉は「食い改める」との言葉から始めなければ成らないと言う事であり、其れはイエスキリストの「最後の晩餐」ではなく、「始まりの朝食」からであるとの事なのかも知れない。
其の様に考えると、私が、祖父までは「御殿医」であり、父親が神父であった「土肥無庵」に捜し出されて、全ての事を停止し「マクロビオティック・精進」の生活を三ヶ月間実行した後に、安房川の岸辺で禊ぎ祓い(パプテスマ)を受け、此の神の世界に飛び込んだ私の存在・人生は、正に基本通りの道筋を辿った事に成るのであろう。
令和1年10月29日
礒邉自適
1 2 3 4 5 | 《前のページ |
次のページ》