1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2019/11/12
道化師の楽園
1・11・12
今朝のメッセージの映像は、先ず、26歳で死亡した私の弟「農夫成・のぶなり」から「鹿が罠に掛かっている」との連絡が有ってので、現場に行って見ると、其処は急傾斜の藪であり、其の罠は自分の物ではなく安房の「時さん」の物である事が判った。
其の鹿は大きな雄鹿であり、無闇に近付くと角で突かれたり、足で蹴られたりして大怪我をする恐れが有るので、私は時さんの自宅に知らせに向かった。
すると、私の知らない女性が居るので、話をすると、私が知っている男子5人・女子1人の他に、娘3人居るとの事であった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時13分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、中国の「弥勒菩薩」の様な恰幅の良い男性が街中に居る場面が映し出されて来て、私が其の男性に話し掛けると、其の男性は私の知らない世界を色々と知っている事が判ったので、私は其の男性の家に付いて行った。
すると、其の男性は地下か洞窟の様な所に住んで居り、自分の座に座ると、私に合わせる為なのか、自分の肉体や格好を様々に変化させ始めた。
そして、老子の様な雰囲気の姿で変化を止めて、改めて私に対応し始めた。
すると今度は、私の方からは左の壁(男性からは右側の壁)が、スクリーンの様に成って、原色の曼荼羅華の様に映像が映し出され始めた。
其れは、初めは花が咲き乱れてている様な感じの映像であったが、次第にサイケデリックの様な雰囲気の物と成り、人間界から神仏・幽界・妖怪の動きの様な物に変わっていった。
私が其れを長い間視続けて居ると、其の男性が「お前は怖くないのか」と訊くので、私は「とても面白い」と答えていた。
其の後、入り口から中年の女性が道化の様な雰囲気で入って来て、其の女性も私の存在に気付くと、私に合わす為なのか、自分の姿や服装・格好を変え初めて、最後には普通の女性の姿で停止した。
すると今度は、屋久島の様子が映し出されて来て、私に関わりの有った人々が全て、神(はたらき)と謂うか、神の舞台の役者であった事が示されて来た。
すると、今度は「時間・とき」が螺旋階段の様に逆回転を始め、停止した所で其処が「第七幕」であると知らされて、現在自分が存在している場が、下から第七幕目(段階)である事が理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時29分」であったので、其の4・29の数字は、昭和天皇の誕生日であり、皇女・斎宮の御魂であった「井上佳子」の葬式の日である事を思った。
其れから再び眠ると、今度は、私が是から取り組んで行かなければ成らない世界が映し出されて来て、男性が姿を現し「此の世界は『しんしん』と読む漢字で表す」と告げて来たが、其の漢字がどの様な字であるかの事は示されて来なかった。
其処で起きて時計を見ると、時刻は「7時37分・8時13分前」であった。
『貴方が 今一番欲しいモノは 何ですか
其れが 明確に成れば 事が動き出します。
良いですか 貴方が願わなければ 何も 事は始まりませんよ。
それが 統尊の御稜威であると言う事なのです。』9時33分
今朝起こされた2時13分の数字から、今年の2月13日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2019/2/13今朝のメッセージの映像には「水計」との文字が映し出されて来て、其れは「時計・とけい・土計(土影計)」や「雨量計」「温度計」「体温計」「体重計」等と同じく「水計・みずはかり」の意味である事が理解されて来た。
今朝のメッセージの映像は、先ず、私が牛飼いを始めた20歳頃の生活が映し出されて来て、農家では屋久島一番の借金を抱えて苦しんで居る時の様子が映し出されて来て、意識が目覚めると、其れは全て解決している昔の意識が甦って来ているモノ・現象である事が理解できたので、再びそのまま眠った。
すると今度は、1983年3月18日に「土肥無庵」に捜し出されて、全ての事を止めた37歳の時と同じ様に、自分の家中の物を全て処分して居る場面が映し出されて来た。
だが其の家は、昔の私の自宅ではなく、鉄筋コンクリート造りの二階建ての家であり、狭い階段から様々な物を下ろしていた。
其れから、37歳の時は燃える物は全て、自宅前の安房川の岸辺で焼却したのだが、今朝の映像では野焼きが出来ないので、全て何処かの塵集積場に運んで行かなければ成らない様子が示されて来た。
次の映像は、実家から安房の町に下って行く途中に在る県の出先機関である「合同庁舎」から下る坂道の道路が映し出されて来て、其の道路の山側の側溝が大きな物であり、其の側溝の中には水が満タンに溜まっており、其の中に澤山の蟹の様な赤い生き物が蠢いて居る様子が映し出されて来た。
私が不思議に意って、其の生き物を能く視ると、其れは鋏が有る蟹ではなく、目鼻も無い、真丸の体に足だけが20〜30本程付いている古生代の生き物である事が判った。
そして、其の生き物を能く観察していると、頭に「テールエノール」との言葉・文字が映し出されて来た。
「テールエノール」を調べると次の様に載っている。
*テール〘名〙 (tail)テイル@ 尾。しっぽ。
*「enolエノール」という名前は、二重結合を表す「eneエン」にアルコールを表す「olオール」をつけ加えて作られた名前である。これに対して、カルボニル構造の互変異性形をケト形という。
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
此の「tail・enol」の意味から、私に考えられ事は、海原を治める役割を意味する「須佐之男尊・すさのをのみこと・苆の尾の命」の名前である。・・
此の「苆の尾の帰命」の文章には、「・・緑色の苔が人手・ヒトデの様な動きをして、私の手に移動して来た。」と書いて有るので、今朝映し出されて来た真丸の蟹の様な生き物と関係が有り、今朝のメッセージは古生代(約5億年前)の生き物のDNA・遺伝子の記憶の世界に迄、思索を深くしろとの事が示されて来ているのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝其の生き物が居た場所が、県の出先機関である合同庁舎の前の下り坂の始まりの場所であった事に意味が有り、其れは国家・政府を挙げて、全ての関係機関合同で取り組まなければ成らないと言う理・ことなのではないだろうか。
其れは、昨日告げられて来た「ときの始まりとする」との言葉と関係が有り、先ず我々が取り組まなければ成らない事は、「生命・いのち」の実体・真実を見極めて、地球全体の自然環境の保全・調和を考えなければ成らないと言う事であり、其れが成されなければ、人類の平和・幸福は築けないと謂うか、お先真っ暗であるとの事なのであろう。
其の事を始める為には、自分の「エゴ・利己主義」を改めなければ成らないと言う事であり、其の為にこそ、自分の生活や人間社会に存在する不要な物事を、全て消去しなければ成らないと言う事である。
今朝「時計」や「温度計」の様な感覚で「水計」との言葉が示されて来たのは、時計で時刻を測る事や体温計で自分の体温を測るだけではなく、自分の肉体がどの様な環境状態の中に存在するかを、的確に深く認知する必要があると言う事が示されて来ているのであろう。
体温が高いかどうかは、体温計で測る前に判るし、水温や温度は体感できるが、生命を支えている空気の「気圧」や「湿度」、「重力」「引力」「磁気力」などは、殆ど気にしないで生活している。
其れ等の感覚器官は、昆虫や鳥などは今だに肌感覚で感知しているであろうが、冷暖房付きの丈夫な住居に住む人間が失ってしまった感覚である。
だが我々生命は、全て40億±2億年前に海で発生した微生物から進化した物であるので、基本的に一番大事な計りは「水計・みずはかり」であり、塩素が多く投入されている水道水を飲む人間は、其の水計が壊れてしまっている事に成る。
其れは、此の世に誕生した時に最初に肌に触れる「産湯」も同じ事である。
其れ等の事柄を考えると、近代都市に暮らす人々の殆どが、其の条件を満たしていないと謂う事に成り、昨日告げられて来た「ときの始まりとする」との言葉は、「馬の耳に念仏」や「猫に小判」と同じ事に成るのであろう。
今朝起きた時刻・起された時刻が「8時44分・9時16分前」であったので、いま試しに昨年の9月16日の文章を見てみると、何と須佐之男尊の写真付きで、水の事に付いて書いて有るので、今朝の「テール・エノール」の言葉の解釈が当たっている様なので全文を載せて措く事にする。・・
此の「視覚を失った闇の世界」との言葉を考えると、釈迦が予言している「弥勒菩薩が下生して 闇の世に灯りを点す」との事が、現実と成るとの事なのかも知れない。
「水計」https://green.ap.teacup.com/20060818/4899.html
此の文章には「ときの始まりとする」との言葉が書いて有るので、今朝のメッセージの映像で、鹿が罠に掛かったのは「時さん」が仕掛けた罠であり、其の時さんの家に私の知らない娘が三人居たとの事は、昨日の三本の茄子(紫微垣の三女神)と関係が有り、今朝のメッセージは昨日の続きである事に成りそうである。
今朝のメッセージの映像で、岩壁(スクリーン)に映し出されて来た曼荼羅華の様な映像から、サイケデリックを調べると、次の様に載っている。
【サイケデリック】(形容詞 psychedelic)、サイケデリア(名詞 psychedelia)は、LSDなどの幻覚剤によってもたらされる心理的感覚や様々な幻覚、極彩色のぐるぐる渦巻くイメージ(またはペイズリー模様)によって特徴づけられる視覚・聴覚の感覚の形容表現である。しばしばサイケと略される。
精神科医のハンフリー・オズモンドが「psychology」+「delicious」(別説ではギリシャ語のpsyche/精神+delos/出現)を組み合わせた造語に由来する[1]。その翌年1957年に、精神分析学会で言葉を紹介した[2]。
幻覚剤の影響下にあるときに出現する幾何学的な視覚パターンは、フラクタルとしてコンピュータで再現でき、ジャック・コーヘンとバード・アーメントロウトが、サイケデリックな幻覚の数学に基づく幾何学的形態に関する理論を提唱している[3]。
*【ペイズリー (paisley)】 は、模様(文様)のデザインの一種。衣類、壁紙、カーテン、ソファー、ネクタイなどの装飾に使われる。
19世紀にイギリスのペイズリー市でこの柄の織物が量産されるようになり、模様は生産地の名前を取った「ペイズリー」と呼ばれるようになった。日本語では松毬(しょうきゅう)模様と訳され[1]、勾玉模様とも言われる。
模様の特徴
模様の優美な曲線、草花を元にしたモチーフが繰り返されるリズムは、人間の心理に安心感を与える効果があると考えられている[2]。模様の向き、配置のパターンに変化を付けることができ、空間の構成の自由度が高いため、用途に応じたデザインをすることができる[2]。ペイズリーの形はゾウリムシやミドリムシなどの原生動物、植物の種子・胞子・果実、花弁、ボダイジュなどの葉、初期段階の胎児、尾を引いた生命の塊などに例えられ、生命力や霊魂と結び付けられることもある[3]。ペイズリーの発祥の地として挙げられているイラン、インドでは本来模様が持っていた宗教的意味や象徴性は忘れられ、単純に装飾として使われている[4]。
模様のモチーフはボダイジュ、ナツメヤシ、ザクロ、ヒマラヤ山脈から吹き付ける強風で曲がったイトスギなど諸説ある[5]。ペイズリーの周辺に蔓を伸ばし、花を咲かせた構図が多く、ペイズリー自体に花や葉が描かれることもある[6]。ペルシア風の花鳥文を交互に配置した文様がインドに影響を与え、やがて花の形が抽象的な文様に変化していったと考えられている[7]。19世紀末のヨーロッパで発生したアール・ヌーヴォーの潮流はペイズリーにも影響を与え、細長い葉が風に揺らぐ、水が流れるようなデザインが多く生み出された[8]。
紋織物にデザインされたペイズリーは線が固く、同一の並びのパターンが連続するものになりがちだった[9]。カシミア・ショールに使われる綴れ織、刺繍はモチーフの色や形を自由に調整することができるためにペイズリー模様は曲線的になり、複雑化した輪郭は布地に溶け込んでいくようになった[9]。カシミール地方でカシミアに織り込まれたペイズリー模様には再現不可能とも言われる難解な技術が使われており[10]、19世紀にカシミア・ショールの模造品が生産されていたイギリスではカシミアと同質の羊毛が入手できず、羊毛に木綿や絹を織り込んで間に合わせていた[7]。初期のペイズリーには藍、アカネの根、ブドウの葉、クルミの殻、ザクロの皮から採取されたと思われる自然の染料が使用されていたが、イギリスで生産されるようになった後には化学染料が中心になる[2]。
イタリアのアパレル企業であるエトロ、アントニオ・ラッティ(イタリア語版)が立ち上げたラッティはペイズリーをあしらった製品で知られている[11]。
フリー百科事典『ウィキペディア』2019/11/12現在
此の「ペイズリー模様」の説明からすると、此れまで私が「須佐之男尊・すさのおのみこと」の存在・名前を「すさのお・苆の尾(穂)」とイメージして来た事と関係が有り、「東洋の唐草模様」や、私の子供の頃の主食が「唐芋・薩摩芋」であった事が、私の脳細胞の記憶に影響しており、私の思考パターンが「芋蔓式・いもづるしき」である事が、「時・とき・次元・流転」をタビする事に有利に働いている事に成りそうである。
其れに能く考えて見れば、今朝の映像で私が出会った岩の洞窟に棲む男女の存在・姿に付いては、此れまで何かの書物で読んだ事も、耳にした事も無い世界であるので、今朝の次元まで、意識が到達した人間が、此れまで無かったと謂う事に成り、其れは一昨日の「天国」とは別の世界であり、現在私が存在する次元は、其処から三段階以上低い世界である事にも成る。
其の七段階のステップ・階梯を考えると、日本の神話である「伊弉冉命・いざなみのみこと」から左右八段(16段階目)の「神産巣日神(かみむすび)、高御産巣日神(たかみむすび)」の世界が、現在の私の意識の場であり、其の日本の神話・神名の世界を、昨日からの認識に、切り替えなければ成らないと言う事に成りそうである。
其れは、神話の物語を政(まつりごと)に持ち込むのではなく、地球生命40億年(±2億)の生命(遺伝子・DNA)の進化の現状に合わせて、認識・設定する事である。
其れこそが正しい政(まつりごと)の世界であり、真実・現実に符合した、人間の生き方である理・ことに成るのだ。
其処には、此れまでのどんな宗教の概念も必要ではなく、全てを新しくする事であるので、「宗教(おおもとのおしえ)」や「温故知新」の言葉を超えた、新しい思考の枠組みを創造する事である。
其れを考えると、今朝告げられて来た、「しんしん」との言葉に当てられる漢字を探さなければ成らない。
心身・身心・心神・新進・深深・津津・駸駸・伸身(PCで出る)
搢紳・縉紳・駸駸・岑岑(辞典原泉)
神身・身神・新神・新身・真神・神真・真身 (私の考え)
「深深」@樹木が高く深く生い茂ったさま。
「津津」絶えずわき出るさま。
「駸駸」@馬がはやく走るさま。A時間。また、ものごとがはやく進むさま。
「搢紳・縉紳」「搢・縉」は、さしはさむ。「紳」は、大帯の意味。
礼装の際、笏(しゃく)を大帯にさしはさむところから、官位が高く身分のある人。
「岑岑」頭がひどく痛むさま。
これ等の意味からすると、今朝のメッセージには「時さん」の家と、実際には存在しない三人の娘が登場しているので、【「駸駸」@馬がはやく走るさま。A時間。また、ものごとがはやく進むさま。】の単語が当て嵌まり、事を急ぐ必要があると言う事になるのではないだろうか。
其の様に考えると、【「津津」絶えずわき出るさま。】との言葉が関係が有り、私の夢の世界(天の御臥す間・あめのおふすま。真床 襲衾・まとこおふすま」は忙しく成ると言う事にも成りそうである。
其れを考えると、私にとっては【「岑岑」頭がひどく痛むさま。】な事ではある。
今朝起こされた4時29分の数字から、今年の4月29日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2019/4/29今朝のメッセージの映像は、先ず、部屋の中の床に、深緑色のプラスチック製の器具の破片が、小さな木の葉が散っているかの様に、散乱している場面が映し出されて来た。
そして、其の破片を、私が電気掃除機で吸い取ろうとすると、其の掃除機は古い物であり、塵を吸い取る事が出来ないのである。
次に、私の父親と客人が畳みに座って話しを始めたので、私がお茶を入れてお盆で運んで行くと、私の母親が子供達の髪を散髪したらしく、畳の上に髪の毛が散乱しているので、お盆を其処に置くのを躊躇っている場面が映し出されて来た。
次に、畑の茄子の枝が繁り過ぎていて、日光が充分に当たらない為に、実が着いていないので、整枝・剪定をしなければ成らない場面が映し出されて来た。
次に、稲の収穫期なのに、収穫をするのを忘れていた水田に行って見ると、其の水田の稲は誰かが盗む為に、半分程機械で刈り取っており、作業の途中で雨が降り出したらしく、刈り取った稲束が、雨水に濡れたまま放置されているのである。
私は、其の儘では籾が発芽してしまうので、トラックに積んで持って帰ろうと考えたが、稲束の結束が緩いので、稲が抜け落ちてしまい運ぶ事が出来ないのである。
其れ等の意味に付いて考えて居ると「塵と一緒に嫁を貰った」との言葉が一言告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時46分・7時14分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は画面一杯に、古代の象形文字らしき物が書かれている場面が映し出されて来て、其の書かれている文字が、右側から左側へ消去されて行く場面が映し出されて来た。
更に、右側の方から、波が打ち寄せる様に黒い物が何回も覆い被さって来て、闇が広がり、私の意識は真っ黒な闇に覆われて行った。
今朝のメッセージは、昨日のメッセージで、縁側のサッシ戸の掃除をしなければ成らない場面が映し出されて来た事と関係が有り、今朝告げられて来た「塵と一緒に嫁を貰った」との言葉は、人間社会は縁(色・rūpa・ルーパ・縁起)で出来上がっている理・ことが示されて来ている様である。
本日4月29日は、昭和天皇の誕生日で其れを記念とする祝日「昭和の日」であるが、伊勢神宮を創建した斎宮「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった「井上佳子」の葬式をした日でもある。
其の井上佳子は、「土肥無庵」に初めて会わせた時に、私に「折角別れさせたのに 前の嫁より悪い 頭が真っ白な女ではないか」と謂ったので、私が「ブレーキだ」と答えると、其の意味が理解できたのか、何も謂わなく成った。
其れに二度目の結婚は、其の井上佳子が買った家に一緒に住む事であったので、私が嫁を貰った事には成らないのである。
其れを考えると、今朝告げられて来た「塵と一緒に嫁を貰った」との言葉は、最初の妻の事であり、妻が持って来たのは創価学会の日蓮曼荼羅「南無妙法連華経」であったので、創価学会の日蓮曼荼羅は塵であったと謂う事にもなる。
其れに、「塵と一緒に嫁を貰った」との言葉が「7時14分」前であったのは、7月14日が「夏禊ぎ日」である事と関係が有り、本日が斎宮「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった「井上佳子」の葬式の日である事が関係あるのだろう。・・
そして、其れ等の事を考えると、今朝告げられて来た「塵と一緒に嫁を貰った」との言葉は、日本の仕来りである嫁入りが「角隠し」「白無垢姿」である事と関係が有り、嫁入りの時には頭を真っ白(過去のデーターを消去)にして嫁がなければ成らないとされていた事と関係が有り、其の風習・伝統は他国の宗教の価値観よりもレベルが高いモノであった事の証しと成るのではないだろうか。・・
昨日と今朝のメッセージが、「掃除」や「整枝(剪定)」「稲束の管理」がテーマであるのは、私が35年前此の世界に飛び込んだ時に、仕事を止め、離婚して家族を嫁の里に返し、私が自宅と実家の大掃除を何日も続けた事と関係が有り、「統尊・すめらのみこと」の「「御嚴・みいつ」「御稜威 ・みいつ」を行う為には、一切の世事から離れ、頭が真っ白な状態と成らなければ成らない理・ことが、改めて強調されて来ている事に成る。・・
其れに、今朝最後に、古代の象形文字が消去されて行く場面が映し出されて来たのは、私が文字・漢字の世界から離れなければ成らない理・ことが示されて来ており、其れは釈迦牟尼世尊の「十二因縁起」の教訓や「拈華微笑」の行為と関係が有り、私が中国の王の鍼師の子孫である清水先生に六回に亘り鍼治療を受けた事と関係が有り、私は全ての事から離れて、頭を真っ白にしなければ成らない時が来たのかも知れない。
何れにしても、明日で平成の時代は終わるので、頭を空白にして5月3日の夜を迎えなければ成らない様である。
「塵と一緒に嫁を貰った」https://green.ap.teacup.com/20060818/4975.html
此の文章には、「畑の茄子の枝が繁り過ぎていて、日光が充分に当たらない為に、実が着いていないので、整枝・剪定をしなければ成らない場面が映し出されて来た。」と書いて有るので、昨日と今朝示されて来た「紫微垣・しびえん」の三女神のサーポートが非常に重要であり、其の三女神に天神の光エネルギーが良く当たる様に、環境を整えなければ成らないと言う事に成りそうである。
其の三女神の役割を考えると、8日のメッセージの・・朝鮮半島の様子・地形が航空写真の様に映し出されて来て、日本列島の側から、姿は見えないのだが、三匹の大蛇(大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神)が、川の文字の様に三匹平行に並んで、草木を押し広げながら、上陸して行く様子が映し出されて来た。場面が関係が有り、先ず韓国との関係に付いて考える必要が有るのかも知れない。
2008/6/28・・今朝のメッセージは、私が韓国の「李明博大統領」の顧問団に呼ばれて、大統領の別荘に案内される場面だった。
処が、其の別荘には、軍関係のヘリコプター等が飛んで来たりしていて、大統領が多忙なので、なかなか私が会う処までは行かないで、其の映像が終った。
其の映像の中で、私の手荷物が、車内に積まれているのが映されて来た。
其の荷物には、私が海に潜って、魚や伊勢海老を捕る道具と、パソコンとDVDが有った。其のDVDに記録して有る情報が、大統領に伝えるモノである事が理解された。
其のDVDに記録されている内容は、@子供を生み育てる女性の身体を護る事。A教育の有り様。B地球環境の保全。に付いてであり、其れが、国の政治の「三大基本方針」でなければ成らない理・ことが示されているものである。
何故、私の荷物に、海に潜る道具が積んであるのか。其の事を考えると、其れは、私が20代から行っていた、都会から屋久島に遣って来る人達への、対応の事を意味しているのであろう。
私は、都会から来る、様々な人達への対応として、海に潜って魚や伊勢海老や貝等を捕って、海岸で焼いて食べさせる事を行っていたのである。
今朝のメッセージは、是から、私が他人に対して行なう事は、其の様な対応ではなく、精神的・律令的な事柄に付いて、指針を示す事が、大事であるとの事であろう。
其の事を考えると、私は今年の3月17日から、左腕が痛く成って使えず、PC以外の作業が出来なく成っている事の、理由も解けてくる。若し、左腕が痛くなければ、3月末からは海水温度が高く成るので、海に行く機会が多く成り、私の意識は、半分は海の方に向う事に成っていた筈である。
其れが、腕が痛い事で、私の意識は100%、神の世界に向いているのである。
其れは、神の計画が大詰めの処に来ているので、一分の隙間もなく、情報が組み込まれる必要があるので、私の意識が他に向かう事を、神が止めているからではないだろうか。
若し、私の意識が海に向かっていれば、メッセージの解釈も疎かに成るし、事務所を空ける事にも成るし、携帯電話は、海には持って行かないので、他所からの連絡も受ける事が出来なく成るのである。
だから、腕が痛くなければ、今回の大山祇神の祭りに参加して下さった「高橋夫妻」や、「森山さん」や、今回の「福ちゃん」の来訪も、無かったかもしれないのである。
今朝のメッセージの場面は、何故、日本の総理大臣が相手ではなく、韓国の李明博(イ・ミヨンバク)大統領が相手であったのだろうか。
其の理由を考えると、現在の韓国の李明博大統領は一代で、企業を立ち上げて成功した実力者である。だから、本当の実権を持っているので、自分が好きな事を云えるし、想った事を実行出来る存在である。
其の事を考えると、アメリカの大統領は背後には、巨大利権が付いているので操り人形の様なものであるし、中国首相は官僚組織のトップの様なものであるので、組織に不利に成る事はできない。
其れに、ミャンマーは軍事政権であるし、ネパールは仏教政治が基本である。
其れに、韓国には、タイ国の王様や、イギリス国の王族や、日本国の天皇の様に、国民の精神的な対象の存在が無いので、大統領が即国家の顔でもあるのだ。だから今朝のメッセージは、本当の実力と顔を持つ人間に、直接神のメッセージを伝えろとの事ではないだろか。
其れが、是からの私が、他人に対応する為の、手段であるとの事であろう。
其れは、24年前に無庵師匠が私に「自適さんは 動かないで良い。私が 総理大臣でも何でも連れて来るので、自適さんは其の人達に云いたい事を云えば良い。」と云った事が、いよいよ是から、本当にそう成るとの事ではないだろうか。・・
現在・いま、屋久島に起こりつつある事と、私のイメージを重ねれば、三つの施設を稼動させる必要がある。其れには、数億の金が必要である。
しかし、神のメッセージでは「1千億円の規模で計画を練れ」と言う事なので、世界規模の人類救済の企画を考えなければ成らない。
其れを考えると、やはり屋久島は情報発信基地の役割でしかないのであろう。しかし、情報発信基地こそ世直しの要であるから、其の事をしっかりと自覚して、物事に取り組まなければ成らないと言う事になる。
其の指針と言うか、心構えとして、今朝のメッセージが、示されて来たのであろう。
今朝は、大事の基本方針が示されて来た事で、今後の私の行き方も、方向性が見えて来た様な気がする。是で、少しは気分が楽に成って来た。・・
本日6月28日は旧暦5月25日で、屋久島聖人と呼ばれている泊如竹翁の353回目の命日である。
夕方6時から、安房に在る「泊如竹翁廟」の前の通りが歩行者天国と成り、出店が出て、ライブや泊如竹翁物語の紙芝居等が催される。
泊如竹翁は島津藩の学者であり、三重の藤堂家の客員教授でもあり、沖縄の尚王とも付き合いがあった人間である。
其の事を考えると、大統領に招かれて講義に出掛けると言うイメージは、其の泊如竹翁の霊魂の仕業なのかもしれない。
其の様に考えると、全て辻褄が合って来る。
私が初めて、霊的な行動を始めたのは、其の泊如竹翁のお墓が在る廟からであり、大山祇神の祠をお祭りしている大山邦博氏に現れて、指示をしているのも其の泊如竹翁の霊魂である。・・・
「三つの基本方針」https://green.ap.teacup.com/20060818/797.html
昨日江藤敬介氏は、福岡県八女市に存在する岩戸山古墳の式典に、参加したとの事で、其の為か不思議な夢を見たとの事である。
【岩戸山古墳)
被葬者
被葬者は、6世紀初頭に北部九州を支配した筑紫君磐井(筑紫国造磐井)と考えられている。文献から被葬者と築造時期を推定できる日本で数少ない古墳の1つである[4]。
筑紫君磐井は『古事記』『日本書紀』に反乱伝承が記されている(磐井の乱参照)。また『筑後国風土記』逸文(『釈日本紀』所収)には岩戸山古墳の状況や位置が記されており、別区では裁判を思わせる記述もある[4]。同文によると、磐井は生前から墓を作っていたが、戦に敗れ放棄したという。
なお、古くは石人山古墳を磐井の墓とする説が主流であった。昭和31年(1956年)、森貞次郎が岩戸山古墳を磐井の墓に比定し、現在まで定説となっている。
磐井(いわい、生年不明 - 継体天皇22年(528年?[注 1]))または筑紫 磐井(ちくし の いわい)は、6世紀前半(古墳時代後期)の豪族。カバネは君。
『日本書紀』では「磐井」、『古事記』では「竺紫君石井(ちくしのきみ いわい)」、『筑後国風土記』逸文では「筑紫君磐井」と表記される。『日本書紀』では筑紫国造とするが、これは後世の潤色とされる[1][2]。
ヤマト王権との間で起こった磐井の乱で知られるほか、この時代では珍しく墓の特定が可能な人物として知られる。
日本書紀
『日本書紀』継体天皇21年(527年?)[注 1]6月3日条によると、近江毛野が軍6万人を率い、任那に渡って新羅に奪われた南加羅・喙己呑(とくことん)を再興して任那を合併しようとした。これに対して、筑紫君磐井が反逆を謀って実行する時をうかがっていると、それを知った新羅から賄賂とともに毛野の軍勢阻止を勧められた。そこで磐井は火国(のちの肥前国・肥後国)と豊国(のちの豊前国・豊後国)を抑えて海路を遮断し、また高句麗・百済・新羅・任那の朝貢船を誘致した。そしてついに毛野軍と戦いになり、その渡航を遮ったという[2][3]。
継体天皇22年(528年?)[注 1]11月11日条によると、磐井は筑紫御井郡(現在の福岡県三井郡の大部分と久留米市中央部[2])において、朝廷から征討のため派遣された物部麁鹿火の軍と交戦したが、激しい戦いの末に麁鹿火に斬られた。そして同年12月、磐井の子の筑紫君葛子は死罪を免れるため糟屋屯倉(現在の福岡県糟屋郡・福岡市東区[2])を朝廷に献じたという[2][
フリー百科事典『ウィキペディア』2019/11/12現在
日本の現在の皇室は、ユダヤ・イスラエル系ではなく、聖徳太子の時代後に百済人に入れ替わっている。
其れ等の事を考えると、新羅系が権力を握っている現在の韓国との関係を、再構築する必要が迫られているのではないだろうか。
『ですが 貴方は 直接その事に
直接関わる必要は 有りませんよ。』12時22分
今朝の文章の題は、洞窟の二人の存在が楽しめたので「道化師の楽園」とした。
令和1年11月12日
礒邉自適
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