1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2020/2/29
貴方は確かな事だけを
2・2・29
昨夜は入浴してリラックスして居ると、自発動で両腕が動き出し、息を吐き切るヨガのポーズが始まった。
そして、肺の空気が湯船の蒸気と入れ替わった頃に「貴方は確かな事だけを」との女神の言葉が一言告げられて来た。
私は其の言葉から、今大問題と成っているコロナウイルス感染の拡大の問題は、「マクロビオティック ・Macrobiotic」の世界で予防効果があるのではないかと思った。
其れは、マクロビオティックの創始者である故「桜澤如一」がマクロビオティックを始めた原因が、自分が肺結核に罹って、其の結核菌を躰から追い出す為に、躰を陰性体質から陽性体質に替える事を考え、玄米、胡麻塩、三年味噌・醤油、古漬け沢庵、昆布出汁、三年番茶、等の陽性食品に変えて、肺結核を克服した事からである。
(逆 白米、白砂糖、精白小麦粉食品、化学調味料・添加物、生野菜・果物、酒、アイス、化学薬品・覚醒剤・麻薬・タバコ)
そして、私が此の神の世界に入ったのは、1983年3月18日に「土肥無庵」に捜し出され、其れから土地の取得と自宅建築に協力し、翌84年3月5日に土肥一家が屋久島に移住して来て、其の日から私も「マクロビオティック・正食」の生活を一緒にする事に成り、三か月後の6月4日(旧暦5月5日)に此の世界に飛び込む事に成ったのである。
其れから、インフルエンザが大流行し、周りの人々が風邪に罹っても、私は感染する事は無かった。
其れは、陽性の肉体の中では、風邪ウイルスは繁殖できない理・ことを証明している。
其れに、広島で被爆した人達でも、味噌汁を多く摂取していた人々は、被爆の後遺症を発病しなかったとの話も聞いた事が有る。
キー「白米 = 粕・かす」
2003/2/7・・一.1983年3月18日に、私を訪ねて土肥無庵が来て、屋久島に家を建てる事に成った。
二.その土肥無庵の家が、1984年3月5日に出来上がり、その日から 私も玄米自然食の食事を、その新しい家で共にする事に成った。
三.1984年6月4日(旧5月5日)が、丁度自然食を始めて丸三ヶ月目の日であった。
四.6月4日の朝から 不思議な事が始まり、それが一日中続いた。
私の家が 東方の斎忌殿となり、土肥無庵の新しい家が、西方の主基殿となったのである。
五.朝、東方の家から西の家に行き準備をする。
・西の家で 子供に神が憑き、命令を出し始める。
・時間調整がなされ、東の家に出発。
・東の家に着くと 今度は 私に神が憑いて、家の前の安房川で禊ぎをする。
・禊ぎが済んだら 家の畳の部屋で床に伏す。
・4311体の霊団が現れて 一番前に20年前に死んだ父親が立ち、私に「お前に苦労をさせたのは お前の精神を鍛える為であった。もう大丈夫だから 此の人達に身体を貸せ。だけど仕事だと想うな。遊びだ 遊びだと考えろ。」と謂う。
・私の口から、にぎり飯の要求が出される。
・にぎり飯が用意された処で 押入れに隠れる。
・家の前の 安房川の橋の中央に行き、川面に言葉を発す。
・東の家の用が済んで 西の家に帰る。
・それで その日の儀式は終了して 東の家に帰る。
一応、大嘗祭の儀式は済んで、4311体の聖霊は、私の体に寄り憑いた事に成り、私は次の日から、荒野を彷徨う事に成る。
先ず、竹山に出掛け、竹を切って杖にする。
4000体余りの霊が降りて来て、私の身体を使い始めた事は、神社の大祓祝詞にある「神霊の思頼・みたまのふゆ」が、現実として本当に起きた事に成る。
其の霊魂達が、私の体を借りて、始めた事の何例かを、次に挙げて見よう。
名前は、誰一人名乗る者が居なかったので、私が後の研究から、行為の内容で察して、「多分 誰であろう」と思うだけで、証拠は何も無い。
一.安房の、岡の上に在る寺に4〜5歳の男の子数名を連れて行って、一緒に本堂入口に立ち小便をする 。
(寺の住職が 本物で無い事を知らせたかった様である)寺に関係が在るのは、地元出身の「泊 如竹翁」(370年前の人)旧暦1月17日が聖誕祭。
二.痩せた、出歯の老人が出て来て、「カメ カメ カメ カメ」と歌を唄う。後に、玄米自然食を世界 に広めた「桜沢如一氏」が、「カメ カメ カミながら神の国」との歌を作っている事が判る。
三.下駄を履いて、毎日坂道を歩いて足を鍛える。
毎日、下駄の歯をコンクリートで摩って、底を平にして姿勢を正しくする。大本教の「出口王仁三郎」が、「今度の神は 下駄を履いてチャラチャラ来る」と、自分で予言をしていた為に、それを実行する。
(一.二.三は1984年6月)
四.右脳と、左脳の開発をしながら、左右のバランスを取り戻す為に、両手を平等に使い始める。「宮本武蔵」は両手を使う事で文武両道に長けていた。元の世で、弟子を育てていないので真剣である。・・・
「私に何が起きたか」https://moon.ap.teacup.com/20061108/246.html
2009/6/26・・其の秘密を知ろうと想えば、深い瞑想に入って「いのちの時間・トキ」を、遡らなければ成らないのである。其の場が、ブツダフィールドである祇園精舎なのである。
薬草辞典を見ると、人間が口に出来る食物は、米や芋類まで全て薬草として載っている。しかし、糠や胚芽を削り取った白米は、只の澱粉の塊りであり、スペースシャトルの燃料タンクと同じであり、燃え尽きたら捨てられる物でしかないのである。白米や卵の白身は、「胚芽・衛星・プログラム・いのち」を運ぶ為の、燃料である。
其れは、白砂糖と同じ物であり、大事な微生物の餌には成らないのである。ボカシ堆肥を作る為には、微生物の餌と成る米糠や、黒砂糖から鉄分やミネラルを全て抜き取った黒蜜が必要である。人間は、自分の腸内細菌・善玉菌を養う為に必要な、米糠や黒蜜を全部捨ててボカシ堆肥の材料にし、自分は粕(白い米)を食べているのである。
其の様な人達には、私の此の様な文章は、ただの幻覚や、まやかしにしか受け取られないであろう。しかし、伊勢の外宮の祭神である「豊受け神」とは、今朝の私の事であり、今朝の私の意識は、熊野神社の祭神である「神祖熊野大神櫛御氣の命・かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと」= 櫛御氣・くしみけ・串たま」の働きを果たしているのである
この様に書き進めて行くと、昨日の映像に現れた白く尖った建物は、新しき人類の意識のリンガであり、其の中に存在するのは、Y染色体なのかも知れない。生き物が、生殖作用を高めるのは、自分の生命が危険に晒された時に、慌てて遺伝子を繋ごうとする為だとの事である。生物は、環境が安定して良好な状態の時は、自分自身の成長や安定の為に、エネルギーを1番消耗する生殖活動は控えるとの理・ことである。
其れを考えると、私の生命も闘争心が消えて来ているので、無暗な活動を止めて安定を図っているのかも知れない。そして、意識が帰省本能に目覚め、根本・源に還ろうとしているのではないだろうか。
其の源に還る為に、7つのキーワードが必要なのであろう。其の行動が、密教の世界を創り出し、リリジョン・religion、ヨーガ等の価値観を生みだしたのであろう。
其れは、儚く消え掛かっている「Y染色体」を持つ男性が創り出した世界であり、安定した「X染色体」を有して・手持っている女性には、関係が無いのである。
其の様に考えると、残り4つのキーワードを探索する事などバカバカしく成り、気力が失われて来る。やはり、男性の寿命が短いのには、其れなりの理由・わけが有りそうである。其れも、DNAの情報に組み込まれているのであれば、男性は余程真剣に瞑想に深く取り組まなければ成らないのではないだろうか。
そうでもしなければ、蟷螂の雌のカルマ・業からは、逃れられないのである。
其の様に考えると、「法・ダルマの主人」とは、男性のリンガに有るのか、女性のミットに有るのかが判らなく成って来る。だからこそ、インドのヒンズー教の対象は「リンガ」であり、中国の「タオ・道」のマークは陰陽のモチーフの形であり、「色・ショク」の漢字は男女の交尾の姿の象形であるのだろう。
今朝のメッセージの映像には、明け方に成って、筆字で大事な文字が幾つか書かれる場面が現れて来た。其れは、筆の達人である聖霊が現れて、私に書の世界を伝授する感じが色濃く有った。墨の筆字は、白い紙面に黒い墨字の跡を残す事である。
其れは、昨日の映像に現れた、白い車と、黒い車に乗る男性に関係が有るのではないだろうか。車が意識の乗り物であれば、文字は意識を運ぶモノであるとも言える。
其の様に考えると、7つの鍵のシステムには、文字の世界も含まれているのかも知れない。6月30日の夏越の禊ぎまで、未だ大事な事が告げられて来そうである。私の意識が真っ白に成る前に、未だ伝えたい文字・言葉が残っているのであろう。
「法(ダルマ)の主人」https://wave.ap.teacup.com/20060106/382.html
2006/12/17・・そして「父性」との言葉が来て、「キリスト」「グノーシス」と言葉が繋がり、「趾」の漢字が出て「付いて来る」との意味が伝えられて来た。
私は、其の言葉で、魯迅の「誰かが 歩いた跡が 路に成る。」との言葉を思い出して居た。
すると、男性が机に向かって、何かのモノを真剣に見詰めて、勉学に勤しんでいる顔が、此方に向いて目の前に迫って来た。其の後、深緑・ふかみどりの空間が現れ、三角形の形が、其の空間を埋め尽くしているのが映し出されて来た。
今朝のメッセージは、私に、父性を発揮して、人類の学びの対象と成れ。
其の人生の軌跡のあとを、皆が歩く様に成るとの意味のようである。
・「キリスト・Christo」はポルトガル語であり、ヘブライ語の「マシーアハ」、ギリシャ語の「メシア(神に油を注がれた者)」の事で、「神が 遣わすべき 将来の王」の意味である。
・「グノーシス・gnosis」とは、ギリシャ語で「認識」の意味である。
@ ローマ帝国周辺に興った諸宗教思想における、救済をもたらす神の認識。
A キリスト教の異端思想。人間が肉体・物質世界から浄化され自分が神であることを認識することで救われると説く。広辞苑
是で見ると、グノーシスとは、インドの釈迦牟尼佛の訓えや、日本の神道の概念と同じ思想が、ローマ時代にも存在していた事に成る。
今朝のメッセージは、昨日の脅しの後に、救いの道を示して来た事に成る。
一昨日は、母性の働きを認識させて措いて、昨日は、地球の大禊ぎを見せ、今日は、人類の父として行動を起こせとの事で、其れを認識しろとの事のようである。
其れは、日本の「スメミマ・天皇・大君」の「吾が民」の概念と、釈迦牟尼佛の「衆生一切吾が子」との概念と同じモノを、私に植え付けようとの、魂胆が見え見えである。
そんな作戦に、うっかり乗ってしまえば、又イエスや、ジョンレノンや、ガンジーや、キング牧師の、二の舞に成ってしまう。
やはり、老子が謂う様に、其々の性に、任せた方が良いのである。
老子は、宇宙の法則・働きを「タオ・道」と呼び、其れは陰陽のシステムであるから、其の働きに、自然無為で従う方が良いと謂っている。
自然の陰陽の働きとは、雌は、良い花粉を欲しがり、雄は、自分の花粉を出来るだけ効率能く撒きたがる理である。
其れが、男と女の「性・サガ・本能」である。
其の働きに、割って入るとロクな事は無い。
其れが、老子の自然無為の価値観である。
人間が助かれば、他の生命のいのちが脅かされ、最後には、地球環境がバランスを壊して人類も全滅するのである。だから、出来るだけ、人類が穏便に数を減らした方が良いのである。其れが、ガイアにとっては都合が良いのだ。
私は、9月後半に体調が悪く成ってから、無農薬の胡麻と米糠を、フライパンで炒って食べている。其れで、ようやく身体の調子が元に戻って来た。
そんな食事をしている私には、誰も、後を付いて来る者は居ないだろう。
現に、家主の西川氏でも、笑って見ているだけで真似はしない。
しかし、西川氏も、私の理屈だけは理解しているようである。
其れは、西川氏も農家だから、ボカシ堆肥の作り方を知っているからである。
ボカシ堆肥は、米糠と籾殻等の有機物と、黒蜜と、土壌菌を混ぜて、醗酵させて作る物である。
「籾殻・もみがら」は、稲を玄米にした時に出る稲の殻で、米糠は玄米を白米にした時に出る廃棄物である。
其れと、黒蜜は黒砂糖を遠心分離機に掛けて、白砂糖を精製する時に、絞り出した粕の液体である。
何故、ボカシ堆肥に、其のような物を使うかと言うと、黒蜜にはサトウキビの汁に含まれていた、ビタミンやカルシウムや鉄分等が総て出ているので、微生物が喜んで食べて繁殖するからである。
だから、白砂糖には何の栄養も無いので、白砂糖で佃煮を作ると、カビも生えないし、腐れないのである。
腐れる事や、カビが生える事は、微生物の餌と成る物が有るので、繁殖すると言う事なのである。米糠も同じで、米糠油が取れるように、米糠はエネルギーの塊であり、白米から外された胚芽の部分は、米のコンピューター部分で、情報のICチップは胚芽に仕込まれているのである。
白米は、澱粉で、炭水化物だから、只のエネルギーとして燃えるだけの物で、スペースシャトルの燃料タンクみたいな物だから、燃えた後は、何も残らないのである。一方の胚芽は、来年の芽吹きの為の、情報を搭載した衛星の部分なのである。
そして籾殻は、90%以上が珪素・シリコンで出来ている。だから、其れ等が混ぜ合わされ、水が加えられれば、土壌菌にとっては天国なのである。
だから私は、毎日、胡麻と米糠と砂糖キビを煮詰めた汁とを、一緒に食べているのである。
後は、たまにタンポポの根で作ったタンポポコーヒーや、胡麻煎餅等も食べているが、無農薬大豆の豆腐屋が近くに在れば、オカラも食べれば尚更良いのだろが、其れは出来ていない。
これ等は、胡麻を除けば、殆んどが、家畜の餌である。
こんな価値観で生活して居るので、昨日の様なメッセージが来ても、何処吹く風で一向に気にする事も無い。
(是は嘘。昨夜は子供の事を考えたりして 胃が痛み 眠れなかったのである。)(私も味噌汁で野菜を食べているので 大豆の輸入が止まれば 国産大豆が値上がりして 自然食の味噌が買えなく成るので困るのである。)
だから私は、低コストで優秀な微生物を、お腹の中に養っている事に成る。
だから、其のお腹の中の微生物が「虫の知らせ」として、昨日の映像を映し出して来ているのである。彼等にしても、ノロウイルスが異常繁殖して、自分の住処である人体が失われれば、生存の危機に晒されるのである。
だから、現在の状況は、微生物の戦いが、人間の身体を舞台として、行われている事に成るのである。
せっかく此処まで、腸内の微生物が、自分の餌である堆肥の材料を集める為に、人体を改良して機能をアップして来たのに、此処で、ノロウイルスに其のシステムを破壊されたら、元も子もないのである。
(何だか 細菌戦争に成って来たので 話を元に戻そう)・・
今朝の映像では、深緑の三角形が空間を埋めていたが、其の映像の分けが解らない。三角形は、人間の視覚認識にも無くては成らないものであるし、星に衛星を着地させる時にも、認識作用システムとして必要なものである。
だから、空間が三角形で満ちていた理由は、認識作用・グノーシスを裏付ける物であり、微生物の世界でも、炭素系の周波数を使って、情報の認知作用をしているのかも知れないのである。
昨日の映像には、海の魚や、陸の小川に身を浸している「トカゲ」や「サンショウウオ」等が出て来て、水が不足して、生命の存続に関わる場面が次々に現れた。
今朝のメッセージも、昨日の続きで、地球生命全体が、統一場のチャンネルを使って、私に命の危機を訴えて来たのだろうか。
其れも、深緑の統一場に関係が有るのだろうか。
深緑は、翡翠の色であり葉緑素の色でもある。
だとすれば、木が伸びる姿や、葉の形を作るのにも、三角形の視覚システムが働いているとの事だろうか。
此処から先の世界は、専門家に考えて貰わなければ、私には、思索の触覚が伸びない。
今朝は最後に、深緑の場面が薄らいで、空色緑を背景に、二重丸が中央右側に一個在り、彼方此方に四角や三角の形が転がっていた。
其の二重丸が、私の意識に関係が有るようだったが、其の意味は、今朝の処は未だ分からない。若しかしたら、23年前に告げられた「事象の特異点」か「新しい座標軸」に関係するのかも知れない。
どうやら「ファイナル‐ファンタジー」とは、幾何学的な認識作用の世界で、生命や森羅万象の存在システムの、根源が明らかにされて来る次元なのではないだろうか。其れは、其れで、宇宙の成り立ちや、生命のシステムが、近代科学の技術で明らかに成ってくる世界である。
昔の世の中と違い、電波望遠鏡の出現で「阿弥陀仏」や「ビルシャナ」や「エホバ」の年齢が、137億だと判明して来たし、電子顕微鏡のお陰で、我々の身体の構造も6億年以上前に、其の基礎が出来ている事が判明して来た。
此処まで認識が進めば、もう宗教や哲学は必要ないのである。
後は、物理学や、数学で、生命の謎が解き明かされ、釈迦やゲーテやレオナルド・ダ・ビンチ等が知りたがっていた世界が、明らかにされてくるであろう。
私が出来る事は、屋久島の自然の中で、遊んで来た体験と見識を、次の時代を担う若者達に、伝えて行く事である。
其れが、私の歩いた足跡として残されるのであれば、一向に私はかまわない。
何故なら、其れだけの事なら、今のままの生活を続けるだけで、良いからである。しかし、是だけグルメ志向で、マグロの捕獲数がどうのこうのと云っているのに、米糠や砂糖の絞り粕やオカラを食べる世界には、誰も参入しては来ないだろう。
其れが、たとえ「役の行者」や「仙人」の世界に、近付く方法であるとしても・・。
「父性」https://star.ap.teacup.com/2006413/139.html
今朝のビジョンは、此の「父性」との文章の内容と関係が有るのか、「安倍晋三総理」が赤信号の横断歩道を渡り始める場面が映し出されて来て、其れにつられて男の子が歩き出そうとするので、私は其の男の子を急いで引き留めて居た。
私は其の「安倍晋三総理」の様子から、子供が居ない人間は、子供の安全や未来の事を我が事の様に真剣に考えないので、我が儘勝手に行動する事を示唆しており、権力者の家系・血筋は、赤信号が灯っていても、部下に他車・他者の進行を止めさせて、無理遣り自分の考えを押し通す癖・習慣が身に染み付いているのだと思っていた。
次に、私が縦書きの文章を書き始めると、文字が曲がっているので、其れを私の左後ろから視ているらしい、姿の見えない「女性教師・試験管・女神」が、「あら 〇〇症なのね」と云って来た。
其れに、私の文章の漢字には間違い文字が有るので、私は其の女性教師から書道を習い始め様と思って居た。
其れは、私が勉強に興味が無く、進学する気が無いので、漢字の書き取りをしない儘、大人(農業者)と成ってしまった事で、脳に漢字の字型が正確に収まっていない事と関係が有り、私の脳意識の基盤には、漢字文字に拠るデータベースが確立していない事が示されて来ているのであろう。
そして、何故今朝のビジョンに、安倍総理と私との二人の存在が登場したのかを考えると、私達二人が対照的な存在である理・ことが、示されて来ているのであろう。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時20分」であった。
其れから再び横に成って、今朝のビジョンの意味に付いて考えて居ると、瞼に、皮を剥いだ長い蛇の肉の様な物が、台の上に真っ直ぐ縦に置かれる映像が映し出されて来た。
だが、其れは蛇ではなく、牛馬程の大きさの動物の「背身・ロース」を細く切り取った物である事が、理解されて来た。
其処で起きて時計を見ると、時刻は8時8分であったので、其の「背身・ロース」の存在は「生命・いのち」か「岩戸開き」に関係が有るのだと思った。
2011/8/8「いのちの祭り」https://green.ap.teacup.com/20060818/2017.html
2014/8/8「女神からの協力要請」https://green.ap.teacup.com/20060818/3155.html
今朝起こされた時刻7時20分の数字から昨年の7月20日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2019/7/20今朝のメッセージの映像は、私の知り合いであり忠誠心の塊の様な「芳我美光」氏が登場して、私を仁徳に有る医師の自宅の離れに案内する場面が映し出されて来た。
其れは其の医師が、私の事を理解し、応援をしてくれる事を示唆していた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は2時9分であった。
其れから再び眠ると、大きな農園の存在が映し出されて来て、其の農園にはピーマンが広く栽培されており、農家が本格的な収穫を終えた後の残りを、一般の人々に解放して、好きなだけピーマンを収穫させている場面が映し出されて来た。
其れから、子供達が自然の中で様々な学習を行って居る場面が映し出されて来て、人間は太陽の下で育てられる事が基本である理・ことが示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は5時00分であった。
今朝最初に起こされた「2時9分」の数字と「芳我美光氏」の関係は、私が愛媛県伊予市中山に住んで居る時に、2001年2月9日に「グリーンクラブ」を立ち上げて、其のシール・マーク」を芳我氏が作ってくれた事が有るので、今朝の映像で、芳我氏が私の事を理解できる仁徳の有る医師の家に案内した事は、其の医師が「グリーンクラブ」の事に付いて理解できる御仁である事を示唆しているのではないだろうか。・・
此の文章の内容からすると、今朝の映像の農園の様子や、子供達の学習の風景からすると、其の「グリーンクラブ」の活動が、医師及び医療関係の手によって、立ち上げられることが示されているのかも知れない。
「太陽の子」https://green.ap.teacup.com/20060818/5058.html
此の文章には、「子供達が自然の中で様々な学習を行って居る場面が映し出されて来て、人間は太陽の下で育てられる事が基本である理・ことが示されて来た。」と書いて有るので、私の育ち方と関係が有り、漢字を習得する事よりも、太陽の下で学習体験を積まなければ、漢字の成り立ちである象形文字が理解出来ないとの理が理解されて来る。
其れを考えると、今朝のビジョンに映し出されて来た、蛇の様な形の細長い動物の「背身・ロース」が、台の上に真っ直ぐ縦に置かれていた場面は、動物の体骨の仕組みと関係が有り、脳髄(古皮質・蛇脳)を移動・運ぶ役割である、背骨(脊髄)を守り動かす筋肉の存在が重要であり、其の脊髄を真っ直ぐに立てる事が、縦線を通す・言霊を正しく紡ぐ事であるとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れで「縦線」で調べると、次の文章が出て来た。
2018/4/26今朝のメッセージの映像は、先ず私が、誰だかハッキリしない男性に誘われて岐阜に行く事に成ったのだが、自分の車を何処に置いてあるのか、思い出せないので、列車で行こうかかと考えたが、自分の荷物が何処に有るのかも判らないので、考えあぐねて居る間に意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「2時45分」であったので、私は其の数字を「245・にしご・西後」と記憶した。
そして再び眠ると、テーブル程の大きさの謄写版が映し出されて来て、私は其の謄写版に中央に、深緑色の幅10cm程の線を、縦に真直ぐに引こうとして居た。
だが、両手で押し上げる横棒が左右にずれるので、其の幅線は蛇の様に曲がって真直ぐに引けないのである。
それで私は、どうしたら真直ぐに引けるかを考え、中央に真直ぐな鉄棒を渡して、其れに横棒を固定し、中央にインクの着いた刷毛を取り付ければ良いのではないかと、意って居た。
其の事を考えてから、其の縦線を、何の為に引かなければ成らないかを考えていると、中央に古代人の顔をした鉄製の男子の顔が映し出されて来て、其の顔は現代人の顔に段々と進化して来た。
そして、其の縦線は人間の精神の道を意味しており、人間社会の中に「鉄人の心(意思・御魂)」を持った男性が、登場する必要が有る事が理解されて来た。
そして、其の謄写版の左側に、薄桃色の同じ幅線が引かれる場面が映し出されて来て、其れは女性用の道(ルート)を意味している事が示されて来た。
其れから「理」の漢字が一字映し出されて来て、其れは「日本語・やまとことば」で「ことわり」と読まなければ成らない事が示されて来た。
今朝は先ず、謄写版に付いて調べると次の様に載っている。
謄写版(とうしゃばん)は、印刷方法の1つ。孔版印刷の1種である。ガリ版(がりばん)ともいう。
謄写印刷の原型は、トーマス・エジソンが、1893年ごろに開発した「ミメオグラフ」である。これを日本に合うように改良し、謄写版(堀井謄写版)として発明したのが、堀井新治郎父子である。完成は1894年であり、これが現代につながる最初の謄写版印刷機であるとされる。ほぼ20世紀全体を通して、日本で多く使われた。1894年(明治27年)1月、堀井新治郎父子が謄写版を発明。7月に発売開始し、11月に旧原紙を発売した。
ウィキペディアフリー百科辞典 2018/4/26現在
此の謄写版の説明からすると、人間社会で誰かが不変の道(精神)に関して、ガリを刷って情報発信をしなければ成らない事が、示されて来ている様である。
其の事と、私が「岐阜」に行かなければ成らないとの事は、どの様な関係が有るのだろうか。
それと「理」の漢字を「ことわり」と読まなければ成らないとの事に、どの様な意味が有るのだろうか。
私に考えられる事は、「菊理姫」が祭祈されている白山と関係が有り、白山大権現の本体である「白龍」が巻き付く「剣・つるぎ」の役割と謂うか、働きを助ける為に、私の行動と謂うか、肉体が必要であると言う事が、示されて来ているのではないかと謂う事である。
白山は、日本の北陸地方、白山国立公園内の石川県白山市と岐阜県大野郡白川村にまたがる、標高2,702mの山である。日本百名山、新日本百名山、花の百名山及び新・花の百名山に選定されている。最高点の御前峰には、一等三角点と白山比口羊神社奥宮がある。
ウィキペディアフリー百科辞典 2018/4/26現在
此の【理】の「㋑ただす。整える。すじを通す。処理する。さばく。」との説明からすると、今朝の映像で示されて来た「縦線」を引く事に関係が有り、縦線に付いては以前に書いた文章が有る。・・
此の【理】の「㋑ただす。整える。すじを通す。処理する。さばく。」との説明からすると、今朝の映像で示されて来た「縦線」を引く事に関係が有り、縦線に付いては以前に書いた文章が有る。・・
其れから「菊理姫」「七回半トグロを巻く」で検索すると、次の様な文章が有る。
是らの内容から考えると、今朝のメッセージは東方の国「日本」から、何を核心として発信すれば良いのかが、理解されて来る気がする。
しかし、今朝のニュースでは、2020年の東京オリンピックや、福島県のポスターに出ているTOKIOの「山口達也」が、高級官僚に続いて、人道に外れた行為を行い、様々な世界に混乱を引き起こしている。
其れ等の出来事を考えると、確かに、日本から神(はたらき)の禊ぎ祓いが始まっているのかも知れない。
其れを考えると、昨年6月17日のメッセージで四次元世界のスケジュールに10月22日の日付だけが記されていた事が、何を意味していたのかが理解されて来るし、皇太子の新天皇「即位の礼」が来年10月22日に決定されている事に対しても、すこし心配が起きて来る。
其れを考えると、確かに精神的な鉄人が存在しなければ、人類は救われないのかも知れない。
其れが「キリスト・メシヤ・ジーザス・救世主・弥勒菩薩」の名で呼ばれる役割の人間なのであろう。・・
其れは、昨日「岐阜」の事が示されて来て、今朝の出来事であるので、四次元の神(はたらき)が、此の三次元世界に現実として、現象化する時節が到来したとの事なのであろう。
其の様に考えると、現在・いま悪行が噴出して来ている「政治家・官僚・芸能界」の世界は、神(はたらき)の選別が始まっていると謂う事であり、本日が倭姫命の御魂であった井上佳子の命日である事と関係が有り、1987年7月12日に出雲の日御碕で井上佳子に告げられて来た事が、現実と成って来ている事にも成る。
「縦線を通す」https://green.ap.teacup.com/20060818/4600.html
2018/4/27本日4月27日は、1998年に41歳で死亡した倭姫命の御魂であった「井上佳子」の命日である。
今朝のメッセージの映像は、先ず私が、姿の見えない男性に案内されて歩いて行くと、古代の石組みの城壁が存在して、堀の部分は埋め立てられて、農作物が植えられており、城内の部分は芝生が植えられている場面が映し出されて来た。
次に、木造の大きな建物が映し出されて来て、其の中には古代の武具や骨董品などが、美術館・博物館の様に展示されており、奥の方に有る部屋に小柄で高齢のお婆さんが居て、付き添いとして娘さんが側に居た。
そして、其のお婆さんが、是まで私の身の上に起きた事の説明を始めたので、私は、此の老婆は何故、私の事を何でも知っているのだろうかと不思議に思うと、其の背景には、姿はハッキリとはしないのだが、大きな人物(男性意識)が存在する事が示されて来た。
そして、其の大きな男性の存在(はたらき)の一部は、私が24歳の頃に自分が飼っていた牛を鹿児島の市場で、競りに掛ける時に世話してくれた人物の父親であるとの事で、私が其の息子は、当時、私と同年代であったので、現在はどうして居るのだろうかと訊ねると、「直道・なおみち」と言う名の立派な息子が育っているとの事であった。
其の、私が屋久島から船に牛積んで行った時に、其の市場が開かれた日に世話をしてくれた人物が、泊めてくれた自宅の場所は、私の父親の実家が有る谷山の近くであり、鹿児島の薩摩藩の殿様の出城が有った址が、「慈願寺公園」に成っている場所に、通じる道路沿いである。・・
*「直・チョク・ジキ・ただちに・なおす・なおる」【解字】象形。上にまじないの印の十をつけた目の象形で、まっすぐ見つめるの意味を表し、一般に、まっすぐであるの意味を表す。直を音符に含む形声文字に、値・埴・植・殖・置などがある。【字儀】(一)@なおし。㋐曲がっていない。まっすぐである。⇔曲。「一直線」㋑正しい。よろしい。⇔曲。㋒すなおである。「実直」Aなおくする。なおす。㋐ただす。(正)㋑のばす。曲がっているものをのばす。Bあたる(当・値)。㋐むかう。対する。向かい進む。㋑相当する。㋒事に当たる。㋓その場に臨む。Cとのい。また、とのいする。「宿直」D助字。㋐ただ。㋑ただちに。
(二)@あたい(値)。㋐ねだん。価格。㋑賃金。俸給。Aあたいする。値打ちがある。Bあたる。あう。=値。
国語@なおす。㋐病気をなおす。㋑修理する。訂正する。Aなおる。㋐もとのようになる。㋑変わる。改まる。Bジキ。㋐間に物や人を入れないですること。ジカ。直接。㋑時を移さずにすること。すぐ。即時。㋒すぐに、ただちに。Cひた。㋐ひたむき。ひたすら。㋑純粋。㋒一面。むやみ
*「道・ドウ・みち」【解字】形声。金文は、「行+首」音符の首は、くびの意味。異民族の首を埋めて清められた、みちの意味を表す。
【字義】(一)@みち。㋐通りみち。道路。㋑すじ。条理。正しいみち。㋒人が守り行うべき正しい道理。人道。儒家の教えとして説く、仁義。徳行。㋓道家で宇宙・万物の根源。㋔働き。㋕方法。手段。㋖主義・主張。㋗教え。教訓。また、説教。㋘政令。制度。㋙学問。技芸。「芸道」「茶道」Aみちする。㋐通る。通じる。㋑行く。道に従って行く。B神の道。道祖神。また、その祭り。C道教。黄帝・老子の教えに基づいて神仙・養生などを解く教え。また、それを修める道士をいう。D僧侶。・・
(二)@いう。かたる(語)。とく(説)。「報道」Aみちびく。てびきする。=導。Bみちびき。案内。Cおさめる。(冶)Dよる(由)。より従う。Eより(従)。通って。経由して。
漢語林より。
其の様に考えると、現在・いま悪行が噴出して来ている「政治家・官僚・芸能界」の世界は、神(はたらき)の選別が始まっていると謂う事であり、本日が倭姫命の御魂であった井上佳子の命日である事と関係が有り、1987年7月12日に出雲の日御碕で井上佳子に告げられて来た事が、現実と成って来ている事にも成る。
私は1884年6月4日に此の世界に入った時に、4歳以下の子供達に導かれたので、其の事から自分の事務所・店舗の入り口のガラス戸に、「スターチャイルド集まれ」と書いた紙を貼り付けたので、私は頭が変しく成ったと思われ始めたので、私は其の紙を剥がしたのだが、其の事が現実の事と成るのかも知れない。
一昨日のメッセージの映像では、東京都知事の「小池百合子」氏が、海の深さも確かめないで、崖から飛び込んで、岩に当たって気を失い、身動き一つしない場面が映し出されて来た。
其れは、正に「崖から飛び降りる」との言葉の通りであり、「小池百合子」氏の行動が、良い意味では思い切って崖から飛び降りたので、現在の政治の危機が始まったと謂う事にも成りそうである。
何れにしても、新しき建物を建てる時には、先ず、其れまでの古い物を壊さなければ成らないので、その事が始まっているのであろう。
其れこそが、伊勢神宮を創建した皇女・斎宮「倭姫命・やまとひめのみこと」の言葉の意味であろう。
「直道・なおみち」https://green.ap.teacup.com/20060818/4601.html
此の二つの文章には、現在の政府が終焉を迎える事が書いて有るので、今朝のビジョンに安倍総理大臣が赤信号で横断道路を渡って行く場面が映し出されて来た事と関係が有り、「直道・なおみち」との言葉は、現在北海道の知事を務めている「鈴木直道」氏と同じ名前である。
其れを考えると、鈴木直道氏が縦線・縦糸の役割を果たす役目・役割の人物であるとの事も考えられるし、其の「鈴木・すずき」の名前は、2008年6月3日のメッセージで告げられても来ている。
2008/6/3本日6月3日は、私が1984年6月4日に、此の神の世界に入って24年目の最後の日であり、伊勢神宮を創建した皇女・斎宮である「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった「井上佳子」と1986年6月3日に高知で初めて出会ってから丸22年の日でもある。・・
そんな状況の中で、私が昨夜見たビジョンは、白板が一枚現れて、其の白板には、写真の様な絵が、前面に何枚か描かれていた。
そして、其の絵を拭って全部消すと、新たに、新しい絵が白板の全面に現れて来た。しかし、其の絵は、白板に直接印刷されているらしく、幾等拭っても消えない物である事が解った。
そして、「椨川地区」と場所の指定が有って、「すずき」との名詞が告げられて来た。
其の椨川地区とは、昨日の花崗岩のブロックの上位に当る部分で、角度は60度の方向で「寅・トラ」の方角に当り、椨川神社のご祭神は「須佐之男尊」と「饒速日命・にぎはやひのみこと」である。
其の椨川神社の祭神と、「すずき」の言葉と、新しく定着した画像との関係には、どう言う意味合いが有るのだろうか。
鈴木とは、日本で一番多い人名だが、人間の姿が出て来なかったので、人名とは関係が無いのかもしれない。・・
聞いた話に拠ると、伊勢神宮の境内を流れる「五十鈴川・いすゞかわ」の上流には、「鈴木・すずき」と言う名の木が500年置きに生え変わるとの話で、其の枝に実が着く事が、「ひえだ神社」の「日枝(ひえい・比叡・日吉)」の意味だとの事である。
其れが真実の事ではなくても、其の話を聞いている私の記憶を使って、メッセージを送って来ているのかもしれない。其れが、「須佐之男尊」や「饒速日命」に関係が有り、新しく定着した画像に関係が有るとの事だろうか。
須佐之男尊と、饒速日命に共通するのは、力の有る「大王」のイメージである。其れは、新しい大王が誕生して、新しい御世を治めるとの意味を、含んでいる様にも想える。
そして、500年毎に生え変わる「鈴木」の御神木は、世代交代の周期を意味しているとも、解釈が出来るのである。
其の、世代交代に関して、三人の女神が登場する必要があるとの事ではないだろうか。そして、今回行なわれる世代交代の御世とは、過去の画像が完全に消されて、新しき神の計画の画像が、焼き着けられる・印刷されるとの事なのかもしれない。
以前に、本で見た事がある「冨士神界」の様子を描いた掛け軸の様な絵には、富士山の上空に三人の女神が立って居り、山の麓では儀式が行なわれている場面であった。
其の絵に、描かれている場面の中央では、巫女が神懸りに成って舞っており、其の四方には「言音・はやし」を挙げる役割の人間が座って居る。
そして、舞う巫女が発する言霊を聴き取る男性が一人傍らに控え、其の儀式を見守る長老方が五名〜七名?、富士山を背景に、此方側を向いて座って居る様子が描かれていた。
其の絵は、古代で行なわれていた儀式の模様を伝える為に、描かれた物であったのだろう。其の絵が示している事は、冨士山・御岳の背景には三人の女神が存在し、其の女神の意思に通じるのには、巫女の舞いと、言葉が発せられる装置が必要であるとの事である。そして、其の状況から、正しい情報を汲み取るには、人生体験豊かな長老が五名以上、立ち会う必要があるとの事ではないだろうか。
其の様子から連想されるのは、青森県に在る有名な太陽ストーン-サークルである。
其の太陽ストーン-サークルは、ピラミッドであると云われている黒又山を背景にして造られている。
私が、其処で見たビジョンは、中央に立てられている立石の所に神官が立って居り、其の神官の周囲には、各部族の長老が、自分の住んで居る地域の石を持って円形に集まり、神のお告げが降るのを見守っている光景であった。
其れ等の、古代の儀式の様子を参考にして考えると、其の頃起きたであろう現象が、今起きようとしているのではないだろうか。
其の様に考えれば、私に、是まで起きた様々な現象も理解出来るし、是からどの様な行動を起こせば良いのかのイメージも湧いて来る。・・
其の、神との会話の方法として、今朝は白板が利用されたのであろう。
其の白板に映し出された映像こそ、此の三次元の現世を構成している物質の世界である。
其の事実を考えると、此の我々の住む三次元世界は、神が人間の意識を組む為に、創り出しているモノ・現象であると言う事に成る。
そして其の一部として、我々の肉体も存在しているのである。
其の様に考えると、此の自分の肉体や、財産等に意識が執着する事は、真実の道から外れる事に成る。
ノストラ・ダ・ムスの予言は、其の真実の道を一人も歩く者が現れなければ、神は希望を失って、此の現象世界の縁・結びを解いて、原子分解してしまうとの意味を、含んでいるではないだろうか。
其れは、聖書にソドムとゴモラの物語で、既に記載されている事である。
今朝は、何とか、其れが回避される目途が着いたので、白板に新しい縁・プログラムが定着したのかもしれない。・・
そして、其れ等の者が現れるのは、「最後の時である」とも謂っている。
其の意味を考えると、確かに、現在の様子は、其のトキが間近に迫っている気配がする。
愈々二つの道が、はっきりと提示される時節が、廻って来たと言う事ではないだろうか。
其れが、「紀(トキ)の祭り」の意味なのであろう。
「定着した画像」https://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
此の文章には、「冨士山・御岳の背景には三人の女神が存在し、其の女神の意思に通じる・・云々」と書いて有る。
其の富士山・御岳の背景に存在する三人の女神とは、25日のビジョンで「瑞垣・みずがき」の上に置かれた神の光に満ちた三個の球石と関係があり、此の三次元世界に三体の女神が降ろされた事を示唆しているのかも知れない。
何故かと謂うと、其の日の由香のビジョンは、光沢のあるピンク色の車が登場して、其の車は4人が横に並んで座れるシートで、由香の右側で運転する女性は「慶子」であり、直ぐ左には「小百合」、左端は「敬子」の順番で座って居たが、交差点に入る前に、由香が運転を交替し、進み始めたとの事があったからである。
其れは「慶」が「よろこぶ・いわう・さいわい・めでたい」を意味し、「小百合」が「笹百合・白百合」であれば「純潔・無垢」を意味し、「敬」が「うやまう・礼をつくす・真心をこめてつとめる」の意味であるので、新しい御世が始まる為に、其の三つの世界を司る女神が、由香の為に使わされた事を示唆している事に成る。
其れに、今朝の由香のビジョンでは、夢の中で私が由香に「何かビジョンをみたか」と訊ねるので、「実家の居間が映って来た」と答えると、「やっぱりな」と謂っていたとの事である。
其れは、由香の実家が稲田姫神社の参道の側に有り、「定着した画像」の文章には「須佐之男尊・すさのおのみこと」が祭神である屋久島の「椨川神社」と「鈴木」の事が書いて有るので、鈴木の姓は、和歌山県新宮の熊野大社(須佐之男尊)を信仰する「鈴木」が、日本で最大の人口を数える鈴木家の元であるとの関係が有る。
其れに、屋久島の麦生集落に有る須佐之男尊が祭神の「祇園様」で「大蛇」が檻の中に囚われている映像が映し出されて来た事と関係が有り、言霊を司る「大蛇神」を表舞台に出さなければ成らないと、謂う事なのではないだろうか。
2008/4/30今朝のメッセージの映像は、大きなコンクリートの建物の奥から、真っ黒な大蛇が目を覚まして、出て来る映像から始まった。
其の大蛇は、屋久島では毒蛇であるマムシを食べてくれるので「助け蛇」と呼んでいる、真っ黒な「カラスヘビ」である。
(此処で左手の薬指に強くカモ(神の電気信号)が有る。)
其のカラス蛇は、普通の蛇と大きさは変らないのだが、今朝ビジョンに現れた大蛇は、頭が檻の金網に痞(つか)えて、身体の半分も出ていないので、残りは未だ、建物の奥のトンネルの中に残っていた。
私は、其の大きなカラス蛇が冬眠から目覚めて、建物の奥のトンネルから建物の中に出て来て、檻の戸の部分を鼻で押し開こうとしているので、長い棒で其の網戸の部分を押さえ、建物の中に居る人達に向かって、直ぐに外に出る様に云った。
すると、大人の人は、其の蛇に驚いて野外に慌てて逃げ出して行った。
処が、七歳ぐらいの子供が二人遣って来て、檻の金網を登って、足を檻の内側に垂らしているのに、其の大蛇は、子供には何もしないのである。
私は、其の様子を見て、其の大蛇は、人間に危害を加える存在ではない事が解かった。
今朝「カラス蛇」を検索をすると、辞典の説明は無くて、私の記事が出て来た。其れは、昨年の12月10日の日記である。其の文章には、カラス蛇は神の使いであると書いてある。
今朝の映像に現れたカラス蛇が、神の使いを意味しているのであれば、其のカラス蛇が大きく成長して、眠りから目を覚まし、此の世に現れ出る事を意味している事に成る。
其の大蛇こそ、大山祇神の本体であり、世界の時間を管理し、生命や水を管理している本体である。私は、昨日、最後に残っていた、麦生地区の森山に有る「大山神社」に参詣した。
そして、祠から下って来て、鳥居の注連縄を潜ろうとすると、丁度正午・0時を知らせる、チャイムの音が鳴り響いたのである。
だから、私は、参詣が未だであった、屋久島の最後の神社の鳥居から、正午に外に出た事に成るのだ。
其れは、今朝のカラス蛇が、岩穴から外に出る事と、関係が有ったのかもしれない。
時を知らせる「チャイム・鐘」の事に付いて思い当たるのは、私が24年前、此の世界に入ってから、屋久島の石塚山に登る途中で「アンジェルスの鐘を背負え」と告げられ、後に、其のアンジェルス(エンジェル)の鐘は、ミレーの晩鐘の絵に描かれている、夕方の時間を知らせる鐘の事で、農夫の感謝の祷りの意味で有る事が判明した。
其の出来事を思い起こすと、私は最初から、天使に「トキ」を知らせる鐘を、背負わされていた事に成るのだ。
何の事はない、私は母親のお腹の中にいて、昭和21年8月3日に、母親が艀(はしけ)から安房川の岸に降り立ち、次の艀で荷物が下ろされるまで、川岸の砂の上に座っている時に、安房川のアナコンダに憑依されてしまっていたのである。
其れが、今朝、ようやく私の潜在意識から、表に現れて来たのであろう。
「助け蛇が目を覚ます」https://star.ap.teacup.com/20060505/49.html
2007/12/10・・今朝の映像に現れた三匹の蛇は、自分の中に住んでいる「三つの性質」を意味しており、人間の意識の選択には、三つのパターン(三つのエラブ・選択)があり、人間の「選択・えらぶ」作業は「善悪」とか「損得」の二元論だけではなく、もう一つ、答えを出さずに「逃げる・避ける」行為の、蛇の存在が在ると言う理・ことを、示しているのではないだろうか。
其れが、身体は大きいが、無害で逃避癖の有る青大将なのである。
屋久島では、カラス蛇の事を「助け蛇」と呼ぶ。其の分けは、カラス蛇は、人間には何の害も無く、マムシを食べて、人間を助けてくれるとの理由からである。
屋久島にはマムシは居るが、コブラやハブ等の強烈な毒を持つ蛇はいない。
其の、屋久島に居ないコブラが、とても大きく凶暴な姿で現れたのは、何かを象徴しているのであろう。・・・
「三匹の蛇(スリースネークス)」https://green.ap.teacup.com/20060818/570.html
2019/4/22・・其れに、今朝の映像に映し出されて来た、黒い大蛇の姿はインドのアナコンダ」の概念と関係が有り、日本の「大山祇神・おおやまの巳かみ」や「十五夜綱引き」の行事と関係が有るのではないだろうか。
「足元から興せ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4968.html
2014/7/12「純粋意識」https://green.ap.teacup.com/20060818/3127.html
今朝の由香のビジョンに、私が由香にお告げを訊ねる場面は、私の今朝のビジョンで、私の書いた縦書きの文章が蛇の様にくねっていて、真っ直ぐな縦書きの文章を書く練習を始めなければ成らないとの事で、正しい言葉を紡ぐ為に「5・7・5・7・7(31)+脳髄=言霊」を支える背肉・筋肉を鍛えて、背筋を真っ直ぐに伸ばして、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の「マントラ・真言・詔(みことのり)」の役割を果たさなければ成らない事が、示されて来ているのではないだろうか。
本日2月29日は、四年に一回しか巡って来ない日なので、四年間の冬眠から覚めた蛇神が、作用して来ているのかも知れない。
其の様に考えると、昨夜告げられて来た「貴方は確かな事だけを」との女神の言葉や、一昨日の「人は 素足の両足裏で 地球の大地の感触を楽しむ。」との言葉が関係が有り、9千万年前に足を失った蛇・スネークに変わって、足の裏で、確りと大地にアースする必要があるのだろう。14時57分
令和2年2月29日
礒邉自適
2020/2/28
志保続
2・2・28
昨夜は風呂で、正座をし躰を固定させ、両腕の力を抜いて水中に浮かべて居ると、其の両手が緩やかに動き出し、水中で両手の掌を気功の8の字風に切り返し始めた。
そして、其れは、池の中で鯉が胸鰭を動かして、体の向きを変える動きの様である事を感じて居ると、「貴方の能力を試し為さい」との女神の言葉が告げられて来た。
其の女神の言葉で、私の思考が動き始めて、次の言葉が紡がれて来た。
『鯨は両手を広げて 大海原を旅し
鳥は 両手を広げて 空中を滑空し
人は 素足の両足裏で 地球の大地の感触を楽しむ。』
そして、眠ってからのビジョンには、次の様なビジョンが映し出されて来た。
日本建築の畳の座敷が映し出されて来て、茶道の様な雰囲気で、痩せ型の60歳代の男性(亭主)が、竹笊に入れた蕎麦を、盥桶の様な器の中に入れ、手で直に其の蕎麦を掻き回しながら、水蕎麦として、豪快に手際よく食べ始める場面が映し出されて来た。
そして、私は一番左側の「末客」の席に座って其の様子を見ており、私の右側には「三客」「次客」「正客」の三人が順番通りに座って居る事が確認された。
そして、一番右の正客の方に、蕎麦が入れられている盥桶が回され、順番に其の水蕎麦が食べられる事が理解されて来た。
私は、自分の順番が来るまで時間が有るので、席を立って店の方に行き、山葵(わさび)がないかを確認して居ると、店内には手作りの信楽焼き風の、「山葵入れ」や、「湯飲み」などの陶器類が売り物として並べられており、私は其の陶器が自分の好みに合っている事が自覚され、其の店舗・主には「侘び・寂び・枯れ」の世界が有る事を認識していた。
其処で「志保続」との文字が大きく映し出されて来たので、其の文字の意味を理解しようと意った所で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は「6時45分・7時15分前」であった。
其れからPCを立ち上げ、起こされた「7時15分前」の数字から、昨年の7月15日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2019/7/15今朝のメッセージの映像は、先ず、10代の小学生達が、良い子のグループと、悪い子のグループが、別々に、集団で自然の中で遊んで居る場面が映し出されて来た。
次に、町の中で祭りが行われている様子が映し出されて来て、各班の子供神輿の列が、河川に架かる太鼓橋の上を渡って来る場面が映し出されて来た。
私は、自分の長男である「海生」と、昼飯を一緒に食べようかと思って人垣の中に入って行ったが、途中で海生の姿を見失ってしまい、会う事が出来なかった。
其の映像の意味に付いて考えて居ると、「良い子 悪い子」との言葉が頭に浮かんで来たので、意識が目覚め起きて時計を見ると、時刻は7時16分であった。
其れからPCを立ち上げて、昨年の7月16日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の文章を書いて・打ってから明日で丸一年と成る。
其の事を考えると、今朝のメッセージは「子供達に 神に対する信仰心(依存心)を 持たせては成らない」との事が、示されて来ているのではないだろうか。
其れは、釈迦牟尼世尊、老子、イエスキリスト等の偉人が、宗教団体や建物を建設し、神頼みをする事を戒めているので、顕かな事である。
其れを考えると、私の両親は神社や寺院に子供達を連れて行く事は、一度も無かったし、私が産まれ育った松峰区(開拓村)には神社が存在しなかったので、神社の行事など何も無い環境であった事が関係有りそうである。
だが私の息子は、母親「美代子」が創価学会の信者であるので、現在でも学会活動・公明党の活動に染まったままである。
其れを考えると、今朝のメッセージも「精進」「禊ぎ祓い」とのテーマと関係が有り、最初から禊ぎ祓いが必要に成る様な事は、しなければ良いと謂う事に成る。
だが今朝のメッセージの映像には、良い子(素直な子)と、悪い子(悪戯子)のグループが、別々の集団で遊んでいる場面が映し出されて来た。
其れに、子供神輿は、其の子供達が一人残らず参加する行事なので、何等かの集団行動・活動が、必要不可欠であるとの理・ことが示唆されているのであろう。其の最大のモノ・世界が、学校教育の存在である。
其れを考えると、学芸会・運動会・遠足・修学旅行などが、其の一環であると言う事に成るであろう。だが、其れだけでは、天神(てんのはたらき)や「御祖神・みおやかみ」・先祖霊等の存在を傳える事が出来ないので、何らかの手段・方法が、必要であると言う事に成りそうである。
今朝は、由香に「何かビジョンを見なかったか」と訊ねると、見たとの事であり、其の内容は次の様なモノである。
先ず、広い真直ぐな道を歩いて進んで行くと、突き当たりの右の角に「黒柳徹子」が立って居て、其の右手の直ぐ横には岩肌が剥き出しに成った場所が在り、其処は何人かの人が亡く成った場所である事が伝わって来た。
其処で、手を合わせて禱りを捧げた後、その横にある建物に入っていくと、古民家を再生した趣のある建築で、とても心地の良い空間であったとの事である。
突き当たりの左手には、小さな建物があり、其処は道を歩いて来た人達の休憩所に成っている様で、中に入るとインドの神様の様な出で立ちで、恰幅の良い、宝石・アクセサリーを身に着けた人達が3,4人ほど居て、自分用に小さな薄紫のクリスタルが付いた耳飾のような物が置いてあり、「もっと欲しいのなら、まだある」と謂われたが、欲しいと思わないので、そのままにしていたとの事である。
次の映像は、父方の祖母が出て来て、「墓に物凄いお金を掛けてきた」という趣旨の事を謂うと同時に、数式が出て来て、それを計算するのに疲れたとの事である。
其の後、実家を中心に、右手にある神社の随身門、左手奥にある本家、左手の山上にある観音堂(十一面観音)の三つの場所が順番に示され、「深く掘り下げて調べなければ」と、強く感じていたとの事である。
其れらの場面は、墓・本家=亡く成った場所=先祖供養・鎮魂、古民家=随身門=神社、インドの神=観音=仏教 と、関連している。
其の由香のビジョンから、私が即座に考えた事は、男性の役割は本来「狩りに出掛ける」「家族・部族を守護する為に戦う」に有るので、外向きの活動が目的・本能であり、其れが現在では、政治・経済・教育・宗教・芸術・建設などの分野と成っていて、行動力・想像力が必要とされているので、其の為に、男子は子供の頃から、仲間造りや、自分の能力の向上に務める・修行する必要がある理・ことに成る。
其れを考えると、女性の役割は、子育てや家事に能力を発揮する事にあるので、暮らしの伝統を継いで行かなければ成らないと言う事であり、先祖供養や、町村での文化行事は女性の役割・役目であると、理解できる事に成りそうである。其の様に考えると、今朝の二人のビジョンは、男性と女性の役割と謂うか、立場が示されて来ていると捉えても間違いではないだろう。
「黒柳徹子」の名前の「徹・テツ・とおる」は、辞典に次の様に載っている。
*「徹・テツ」【解字】会意。甲骨文は、鬲+又。鬲は、かなえの象形。又(手)を付し、食後のあとかたづけをするの意味を表す。常用漢字の徹は、「彳+育+攴」の会意文字。育は鬲の変形、攴は又の変形。一般に、事が最後のかたづけにまで行く、とおす、とどくの意味を表すようになり、彳を付した。【字儀】@とおる。(通)また、とおす。突き通す。「貫徹」「徹底」Aとどく。達する。とどける。Bあきらか。「明徹」Cのぞく(除)取り去る。はぎ取る。また、捨てる。Dこわす。こぼつ。Eつらねる。(列)。つらなる。F夜を明かす。
漢語林より
此の「徹・テツ」の漢字の意味からすると、今朝のメッセージは、男女ともが、自分の役割を「貫徹・徹底」しなければ成らない理・ことが、示されて来ているのであろう。
其れを考えると、「男女同権」などの言葉・概念は止めて、男性は女性の、女性は男性の役割を、互いに認知・理解して、尊重しながら、相互協力に努めなければ成らないと言う事であり、其の理を第一義として、社会の組み立てを、行って行かなければ成らないと言う事に成るのであろう。
そして、其れを第一義とすれば、宗教や天皇家の存在も必要では無く成るし、天皇陛下が交代する度に、年号が変わる様な面倒も無く成る事に成る。
きー「男性と女性の役割」
是等の文章に目を「徹・とおす」と、私は36年前に「土肥無庵」に捜し出されて、真実の答えを得る為に、此の世界に送り込まれた事の、答えを導き出したのではないだろうか。
其れは、人間が万物の霊長として、どう在るべきかが鉄則である。
今朝の文章の題は「良い子 悪い子」としたが、其れは子供達自身に罪が有るのではなく、其の子供達が育った環境条件に有るので、其処の事・件から、私に対策を図れと言う事なのかも知れない。
「良い子悪い子」https://green.ap.teacup.com/20060818/5053.html
此の文章の内容から考えると、今朝告げられて来た「志保続」との言葉は、「侘び・寂び・枯れ」が理解できる様な人間を育てる必要が有る理・ことが示されて来ており、其れが「水蕎麦」「山葵」「陶器」の世界に関係が有ると言うのは、其の世界は日本人と言うか、日本文化でなければ成らないとの理が、示されて来ている事に成りそうである。
其れに、私が「末席」に座していた事から、「末客」を調べると、次の様に載っている。
「末客」
名〙 茶道で、茶会のとき、末席にすわる客。正客に対して亭主の手助けをして、茶碗その他の取次ぎ、待合その他の後始末など万事に気を配り、茶事を円滑に進める役。昔は正客の従者、または茶頭役がこれに当たった。詰(つめ)。
精選版 日本国語大辞典の解説
此の説明の意味からすると、昨夜入浴中に告げられて来た「貴方の能力を試し為さい」との女神の言葉は、私に「亭主」ではなく「末席・詰め」の役割を果たせとの事であり、其れでなければ「志保続・志しを保ち続ける」事は不可能であるとの理・ことなのではないだろうか。
其の様に考えると、矢張り私には老子の言葉に有る「我に三宝有り」との言葉が、思い出されて来る。
2001/12/20仏教に「三宝」との言葉が有り、それは「仏・法・僧」で、「ブッダ・釈迦」と、「その教え・経」と、それを学ぶ「僧」が、三つの宝だと言うのである。私は、どうも、それを聞いて釈然としない気持ちが有る。
日本の神社で、使用するお供えの台も三方(三宝)と呼んで、前方と左右に穴が開いており、神様側だけに一ヶ所穴が開いていない。
これは、穴の開いていない方が、神の世界、四次元を表し、穴の開いている方が、三次元世界を表しているのだろうと思われる。
三次元を簡単に言えば、縦、横、高さで認識する世界と言えよう。
三宝の言葉は、中国の言葉であるので、釈迦の教えの中には「三宝」の言葉は無いだろう。釈迦自身が、「自分と 自分の教えが 宝だ」とは、謂っていないであろうと想われる。
仏教の経典が漢字なのは、仏教が中国を経由して、日本に伝わって来たからである。日本に伝わった、仏教経典の中身は、中国の老子の教えが、明らかに混入している。
釈迦も、老子も、紀元前600年程前の人で、同時代の聖者である。
「玄奘(三蔵法師)」がインドに渡り、中国に経典を持ち帰ったのは西暦645年唐の時代である。鳩摩羅汁にしても、西暦400年に、長安で佛典を訳しているのだから1000年もの間、中国には、老子や孔子の教えが存在していた事になるので、100%釈迦の教えに変わる事は、考えられない。
実際、仏教に使用されている「和光垂迹、和光同塵」は、老子の道徳経に出て来る「和光同塵」から来ていると思われる。
釈迦の教えの中に、和光の概念が有るか、無いかは私には分からないので、あくまで私の推測でしかないのだが、間違いではないだろう。
私が気にしている事は、「三宝」の言葉なので、話を元に戻すと、老子の道徳経の中にも三宝の言葉が出て来る。
67章「我れに三宝有り」
「我有三宝 持而保之 一曰慈 二曰倹 三曰不敢為天下先」
(我に三宝有り、持して之を保に、一に曰わく慈、二に曰わく倹、三に曰わく敢えて天下の先たらず)の、文章である。
訳
第一は、「人をいつくしむ」心である。
第二は、「物事を控えめにする」態度である。
第三は、行動において「人の先に立たない」ことである。
人をいつくしむからこそ、勇気が生まれる。控え目だからこそ、窮まることがない。人の先に立たぬからこそ、人を指導することができる。
中国の思想 老子・烈士 徳間書店 奥平卓訳
一の「慈・ジ」は、仏教の慈悲の心や、イエス・キリストの愛の教えと同じものだろう。
二の「倹・ケン」は、足りるを知るで、現状の不足を唱えないで、満足する事を意味し、仏教の教えとも同じである。
そして、三は、お釈迦さんやイエスキリストの教えの中には、出てこない様に思える。
其れは、釈迦は、行動する事を止める理を教えているし、イエスは「教えを広めなさい」と、行動を起こす事を、弟子達に云ったとされているからである。
老子の場合は、一と二で、精神的な事を主に言っているが、三は、人を指導する立場に在る者の、心構えを謂っている。
「人の前に決して立つな」ではなく「あえて立つな」とは、「自分から 進んで立つな」の意味であって、世の中に必要とされ、他に立つ者が無ければ、其れはそれで、仕方が無いとの理・ことではないだろうか。
とかく人間、特に男性は、人の前・さきに立ちたがるものである。
其れは、子供の時の「お山の大将」の気分が、抜けきれないからであり、其れは男性が、雄の本能を持っているのだから仕方の無い事なのだ。
現在の、アメリカ国の様子・在り方を見ていると、その典型を見ている様である。
アメリカ国には、カトリック教の信者が多いと聞いているけれど、イエスキリストの教えが、全然守られていない。
其れに、中国や、インドも、老子や釈迦の教えを実行しているとは想われない。
是からの日本国の役割は、人間が幸福になる為の宝は何なのか、その理・ことを、世界に示す事であり、また其の時節を、迎えていると私は想う。
其れには、老子の「三宝」の訓えが、適切ではないかと意う日々である。
「我に三宝有り」https://moon.ap.teacup.com/20061108/150.html
2016/10/3私は今日、改めて老子の凄さに付いて実感を強めた。
其れは、私が37歳から今日まで、32年間に亘り神霊界に対して活動を続けて来たが、本日老子の謂う「自然無為」の世界に、立ち返らなければ成らない事が示されて来たからである。
昭和19年6月10日に、千葉県成田市台方の麻賀多神社の境内に在る「天之日津久神社・あめのひつくかみやしろ」の祠の前で、岡本天命に降り始めた「日月神示・天津日嗣神事」には、「道院殿老祖様(老子の概念から生じたモノ)」だけを中に祀れ」との事が記されている。
其の理由を考えると、老子だけが他の教祖とは違い、弟子を一人も採用していないし、教団の様な物も形成していないので、カルマ・業が何も無いと言う事にあるのではないだろうか。
其れでも、老子の教えが、今日まで2500年もの間、傳えられ続け、人気が有るのは、老子は王様の図書館に勤務しており、漢字に付いて熟知していたので、出国の途中函谷関(かんこくかん)の関守である「尹喜」に請われて、自分の考えを「道徳経」5000字に纏めて残す事が出来たのである。
他の、釈迦牟尼佛の仏教経典や、イエスの「新約聖書」は、本人が書き残した物ではなく、他の人間が本人の説法を言い伝えた物が、書き留められた物であるので、本人の真意が何処まで傳えられている物であるのかは、定かなではないのである。
だから、老子以外の宗教経典は、勝手に書き換えられているので、無制限に分派・分裂して行き、本来の教えが何処に有ったのかは、判らなく成ってしまっているのである。
其れに比べて、老子の道徳経が原文が其の儘残っているので、道教の様な宗教が派生しても、原文が読まれる事で、本筋が明確に成り、インチキな宗教が拡大する事が無い。
だからこそ、「日月神示・天津日嗣神事」では、「道院殿老祖様」の存在・御霊だけを中に祭り、他の神霊は、外に祀れと告げられて来ているのであろう。
其の老子は、私が1984年6月4日に此の神の世界に行ってから、姿を見せた事が有る。・・
老子の言葉には、「道を外れれば 神霊も力を発揮する事ができない」と有る。
其の意味を考えると、自然無為の行き方を貫かなければ、天神(てんのはたらき)の役には立てないと言う事であり、御稜威 ・みいつの役割も出来ないと言う事である。
「老子の凄さ」https://moon.ap.teacup.com/20061108/646.html
今朝のビジョンに登場した「亭主」は、「千利休」や「一休宗純禅師」「弘法大師空海」ではなく、私に見覚えが有る人物ではなかった。
昨夜告げられて来た「貴方の能力を試し為さい」との言葉と、今朝のビジョンを考えると、私が「末席・詰め」の役割を果たす為には、「亭主」の役割を熟せる人物を捜し出さなければ成らないと言う事であり、其れが出来なければ、私の「志保続」は適わないとの事なのであろう。
今朝起こされた時刻7時15分前の数字・日付の文章の題名は「良い子悪い子」である。
皮肉にも、昨日は安倍総理大臣が3月2日から、全国の「小学・中学・高校」の休校を宣言してしまった。
「後手後手だ」と言われれば、今度は、基本的方針や具体的な指針を出さないまま、しかも「小学・中学・高校」だけを、コロナウイルスの発生が確認されていない地域にまで休校にしてしまうと言う、愚かさを曝け出して、日本国中をパニックに陥れてしまっている。
天神は「悪人・悪神」を総動員してまで、人類に禊ぎ祓い(7月15日・夏禊ぎ祓日)を迫って来ている様である。
其処までしなければ、人間の魂しいが、本来の所に復帰できない次元まで、此の世は腐り切っている・穢れ切っているとの理・ことなのであろう。
令和2年2月28日
礒邉自適
2020/2/26
立つ瀬が必要ではない
2・2・26
昨夜は入浴して居ると、「己と全体」の関係性の様な事が、イメージに浮かんで来た。
其れは「自分は 宇宙全体に繋がっており 宇宙全体が 自分の現象化である」との理・ことで、「一は全体(百%)であり、全体(百%)は一である」との理・ことである。
そして其れは、自分を「百・千・万」に分けて行く事は可能だが、振り返って見れば、元の「一(はじめ)の己」に還ってしまうと謂う理・ことでもある。
昨夜入浴している時に感じたモノ・気配は、精神・意識の旅を終えた自分が、温かい産湯に帰って居た事にも成るのであろう。
其れを考えると、私が其の様な意識に「陥る・落ち入る・嵌まる」原因は、昨日の「あたしに従いなさい」との女神の言葉と関係が有り、私の意識は73年振りに産婆さん(観音菩薩)の掌の中に還った事に成るのではないだろうか。
其れは「あたしに従いなさい」とは、日本の伝統的な言霊「かんながら・惟神」と関係が有り、「神のおぼしめしのままに」との人間側の「言葉・世界」が、神の側から示されて来た事に成る。
かん‐ながら【随=神/惟=神】 の解説 国語辞典
[副]《古くは「かむながら」と表記。「な」は格助詞「の」に同じ、「から」は素性・性質の意》
1 神であるままに。神として。
「久方の天つ宮に―神といませば」〈万・二〇四〉
2 神代のままに。神のおぼしめしのままに。
「葦原の瑞穂 (みづほ) の国は―言挙 (ことあげ) せぬ国」〈万・三二五三〉
其れを考えると、皇女・斎宮である「倭姫命・やまとひめのみこと」の言葉に有る「ゆまわり つつしみ」との言葉が理解されて来るし、何故「惟神の道」に「禊ぎ祓い」の儀式が不可欠であるかの理由も能く理解されて来る。
其れに「統尊・すめらのみこと」の立場がどの様なモノであり、「詔勅・みことのり」「御嚴・みいつ」「御稜威 ・みいつ」の言葉が、何を意味するのかも、現実の物・事として理解されて来る。
2005/9/10「倭姫命のおことば」
黒(きたなき)心 なくして 丹(あか)き 心をもちて
清く潔(いさぎよ)く 斎(ゆまわ)り 慎(つつし)み
左の物を右に移さず 右の物を左に移さずして
左を左とし 右を右として 左に帰り 右に廻る事も
万事 違(たが)う 事なくして 大神に仕え奉れ
元(はじめ)を元とし 本(もと)を本とする故なり
「倭姫命のおことば」https://star.ap.teacup.com/170606/573.html
今朝のビジョンは、東京大学を卒業したと謂う男性が、私の娘と結婚したいとの事で、娘と一緒に私の所に遣って来る場面が映し出されて来た。
其れで私が、其の東京大学を卒業したと謂う男性の中身を抜き出して見ると、蓑虫(みのむし)の身を巣から抜き出してしまう様に、中には何も残らず、空の頭に空の体だけが、脱ぎ捨てた服の様に残っただけであった。
其れで、私は、娘の為に何とかしなければ成らないと考え、出掛け様とすると、私の履く雨靴が、左足はスムーズに入ったのだが、右足の方がきつくて入らないのである。
其れで私は、自分の右足が太い事が判ったので、右足に履くサイズの大きな靴を探し始めたのだが、見付からないので、出掛ける事が出来なかった。
其の映像で、私は、自分が行動派であり、理屈は少ないのだが、能く考えないで、直ぐに行動に移してしまう癖が有る理・ことが理解されて来た。
其れから「立つ瀬が無い」との言葉が示されて来て、其れに対して「立つ瀬は必要ない」との言葉が示されて来た。
そして、其の「立つ瀬は必要ない」との言葉は、私に対する物であり、私には、何の立場も必要ではない理・ことを示唆している事が理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は「6時13分」であった。
其れからPCを立ち上げ、起こされた6時13分の数字から、昨年の6月13日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2019/6/13今朝のメッセージは、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」の能力(ちから)が、改めて驚異的なモノである理・ことが理解されるモノであった。
其れは、「土肥無庵」の行動が時間厳守であり、目的地に向かって歩く事が、三歩早くても遅くても、駄目だったからである。其れは、ゆっくりでもなく、早く歩く事でもなく、心臓の鼓動に合わせて歩く行為・行動なので、時間(とき・事象)を歩く・進む事を意味している。
今朝は、其の「土肥無庵」の「行動・振る舞い・仕種(しぐさに)に付いて、長らく思い返して居ると、「きりひらくちから」との言葉が一言告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は7時30分であった。
其れからPCを立ち上げ、先ず起された時刻7時30分の数字から、昨年の7月30日の文章を視て見ると、何と、題名が「時間厳守」である。・・
此処で「何がおきても」との言葉が告げられて来た。
『何が起きても 貴方自身は 動揺してはなりません。
何故なら 貴方が揺らぐ事は
全ての中心軸が 失われる事に成るからです。
だから 貴方が此の世界に入った時に
「事象の特異点」と「新しい神の座標軸」との
言葉を伝えたのです。
良いですか 何が起きても 貴方自身には
何も関係が無いのですから 馬耳東風の気持ちで
トキを過ごしなさい。
其れが「統尊・すめらのみこと」の
「高御座・たかみくら」の意味なのです』10時00分
馬耳東風の解説 - 三省堂 新明解四字熟語辞典
ばじ-とうふう【馬耳東風】
他人の意見や批評に注意を払わず、聞き流すことのたとえ。
もとは春風が馬の耳に吹く意。人が心地よいと感じる春風が吹いても、馬は何も感じないように見えることからいう。
▽「東風」は東から吹く風。春風のこと。「東風、馬耳を射る」の略。
「土肥無庵」は、他人の家を訪問する時は、何かが有って遅れては成らないので、近くまで行って措き、約束の時間ジャストに玄関の呼び鈴を押す事を徹底していたし、私と二人で福岡空港でタクシー乗り場に向かうと、「自適さんが三歩遅れた。あのタクシーに乗らなければ成らなかったのに」と謂うので、次の機会に、私が早足で歩くと「自適さん 前のタクシーに乗ってしまうよ」と謂っていたので、自分の歩く足と心臓の鼓動に、身を任せていた様である。
キー「土肥無庵」の思い出
今朝はPCを立ち上げると、男性の声で『今日は私の誕生日である』と告げられて来たのだが、心当たりがないので、暦を見ると本日6月13日は旧暦5月11日である。
其れで、由香に其の事を云うと、本日6月13日は朝鮮の王様「李王朝」三代目国王「太宗(テジョン)」の誕生日であるとの事である。
其れに、今朝の由香のビジョンには、タレントの関根麻里(夫は韓国人)が登場し、英語で「Part of Eperor」と一言云い、続けて由香にも同じく云う様に促されたので、一呼吸おいて、同じ言葉を云ったとの事である。
すると其の後、一人の男性が直ぐ目の前に現れて、ものすごい剣幕で、「なぜ直ぐに云わなかったのか」と、一瞬、間が開いた事に怒り狂い、握りこぶしを作って腕を振り上げたので、由香は殴られると覚悟したが、男性がしたのと同じように、目の前に有ったテーブルを思い切り「ドーン」と叩いて、「一呼吸したけど、ちゃんと云ったでしょう」と、謂ったとの事である。
其の「Part of Emperor」は、「皇帝の一部」と謂う意味になるとの事である。
其れに、由香には昨日の夕方頃、頭頂部から全体にエネルギーが降り注いで来ていて、ふと気に成って「太宗」の事を調べて居たので、今日が誕生日だと知っていたとの事であるが、旧暦は全く気にしていなかったので、昨日が旧暦5月10日で「太宗」の命日である事には気付いていなかったとの事である。
其れは、昨日が「太宗・李芳遠」の598回忌である事に成り、昨日から私の家に李芳遠の御霊が来ていた事になる。
【太宗(テジョン、たいそう】、1367年6月13日 - 1422年5月30日永楽20年5月10日は、李氏朝鮮の第3代国王(在位:1400年 - 1418年)。初代国王李成桂の五男。本名を李芳遠(イ・バンウォン、り・ほうえん)という。即位前は靖安君、靖安公[1]。
1422年、病で薨去した。享年55歳。太宗は薨去する際、当時大旱魃が発生しており民たちの苦痛がひどくなることを心配して「余が死んで鬼になれば神々に私の民たちを助けてくれと頼もう」という遺言を残した。そして太宗が薨去すると直ちに空から雨が降った。その後、太宗の命日である5月10日がくるたびに雨が降り出すので、人々はこの雨を「太宗雨」と呼んだ。
ウィキペディアフリー百科辞典 2019/6/13現在
是等の事柄からすると、私に起きた4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」の中には「神武天皇・天智天皇・後醍醐天皇」の他に、此の「太宗・李芳遠」の霊魂も混ざっていた様である。
其れを考えると、私に「1000億円規模で朝鮮を含めて新しい国造りを行え」と告げて来て居た霊魂は、其の「太宗・李芳遠」であった事に成りそうである。
是で、又一つ、情報(霊魂からのメッセージ)が解読できて来たので、消去(鎮魂)する事が出来そうである。
其れを考えると、「仲哀天皇・ちゅうあいてんのう」に「大陸に渡れ」と神が告げて来て、仲哀天皇が山の上から西海を眺めたが、其の様な陸が見えないので、云われた事を実行しないので、神霊が仲哀天皇を殺した為に、神功皇后(じんぐうこうごう)が「武内宿禰」と供に、朝鮮に渡った事が関係が有りそうである。
其れは、死んで霊界に行った者は、自分の故郷に帰りたくても自分が肉体を持たないので、誰かの肉体を借りなければ成らない理・ことを示唆しており、伊勢神宮を創建した皇女・斎宮「倭姫命・やまとひめのみこと(仲哀天皇の大叔母)」が「奈良に帰りたい」と謂うので、高知の「井上佳子」に頼んで、車で伊勢から奈良に逆コースで旅をした事も、関係が有ると謂う事に成る。
今朝7時30分に告げられて来た、「切り開く能力・ちから」との言葉は、様々な意味合いが有り、簡単には片付けられない言葉・世界である。
何故かと謂うと、其れは、私が単独で森林を伐り開くとか、道路を通すとの事ではなく、人類の未来を切り開く・開拓するとの意味合いであるので、自分が刃物や重機を使って出来る事ではなく、意識での「意念力・創造力・持続力」を発揮する事であるので、自分の心身を極限まで集中する必要が迫られる世界であるからである。
其れは、昨日告げられて来た「何から形に」との言葉と関係が有り、一昨日のメッセージ「動かない者の手に紀」との言葉と関係が有るので、私は無一物の状態で意識を組み込む必要が有る事に成る。
其れこそが、釈迦牟尼世尊の言葉に有る「過去・現在・未来に我は在り 衆生一切わが子」との世界であり、老子の謂う「我に三宝有り」との言葉の世界を実行するとのなのであろう。
改めて「太宗・李芳遠」の存在・生き方を考えると、李芳遠は兄弟・親戚だけではなく、政治的に敵対する者達を悉く殺している。
其れは、最高権力者として最後まで行き切った人間であるので、磔に成って殺された「イエスキリスト」や火炙刑の「ジャンヌダルク」、其れに恨みを持って祟った「平将門・菅原道真・山家清兵衛・聖徳太子」とは異なり、この世に恨みを抱いている者ではないので、自分の意思を強く維持できる者であるからこそ、最後まで私に依り憑いて居た事に成る。
私が35年前、此の世界に飛び込んだ時は、天神(てんのはたらき)が私に其の存在を示す為にイエスの世界の様に、色々・様々な奇跡現象を現して来た。
そして、私が完全に天神(てんのはたらき)の存在を信じてからは、人間の繋ぎ(縁結び)や カモ(神の電気信号)は続いているが、其の様な奇跡現象は見せては来ない。
其れ等の事を考えると、私は是から、自分の視線(感覚器官)を外界に向けるのではなく、自分自身を中心とした物にして行かなければ成らないのであろう。其れこそが、私が此の世界に飛び込んだ時に、告げられて来た「事象の特異点」と「新しい神の座標軸」との言葉の意味なのであろう。
私は是まで、数え切れない程「6月13日」の日付が潜在意識に浮かび上がって来て、幾ら考えても関係性が見当たらなかった。
其の事が、本日で解決したのかも知れない。
私は是まで、自分が打っている内容が度々・ころころ、変わる事は自覚して居たが、私は「4311体の霊魂に身体を貸しているのだから」と考え、其の件に付いては、余り気にしない様にして来た。
本日で、韓国・朝鮮の関係が終わるのであれば、意識がすっきりとして、禅譲に入れるのかも知れない。
「切り開く能力・ちから」https://green.ap.teacup.com/20060818/5020.html
此の文章の内容からすると、此の私には「何の立場も必要ではない」と言う事であり、私は静かに自分の座に座って居れば、「事足りる」との事の様である。
其れこそが、中国の王様の鍼師の子孫である「清水先生」が、「何も頭に浮かべては成らない」と言う治療を私に施した事が、最も正しいと言う事であり、其れは「土肥無庵」が私に手渡したメモ書きの内容と通じている事にも成る。
2007/2/26・・しかし、今、私の頭は真っ白で、なんにも考えられない状態である。
私は、1995年の8月に東京都調布にお住まいの針師である「清水先生」に探し出されて、中国の王様が受ける針の治療を二ヶ月に亘り、六回受けた事が有る。
其の時に、針師に云われた事は「北を背にし 南を向いて椅子に正しく座り 呼吸を整え 頭に一切の言葉を 想い浮かべては成らない」との理であった。
其の事が、今の私に、現実として起きて来ているのだ。
其の時の日記の内容(東京都目黒から通う8月19日・21日・23日 9月5日夜中に阿蘇の自宅で寝て居る時に、鼻の下に遠隔針を打たれ「9月13日までに来い」と告げられたので、7日の11時30分の飛行機で羽田に向かう。9月14日5時清水先生宅。24日日曜日11時〜3時まで。)
其れ等の事柄を考えると、今朝の状況こそ、神々と精霊達が此処まで私を導いて来た事が完成したことを意味し、23年前に私を探し出した無庵師匠の云った事が、現実と成った事を証明しているのではないだろうか。
今朝の文章の題は、「平らかに成った世界」と成ったが、其れは、今の元号「平成」の意味である。・・・
「平らかに成った世界」http://green.ap.teacup.com/20060818/200.html
2014/5/30「自我意識が消えた時に其れが始まる」https://green.ap.teacup.com/20060818/3084.html
2013/11/7「ナニモナサザルナ ソノママデヨイ」
自然無為
達人が平凡に生くることこそ
本科 なり
カンヨウ
必要 こそ道
無庵記
「神情朗達」https://green.ap.teacup.com/20060818/2863.html
どうやら私には、「瀬織津姫・瀬に居る祓いの神」の存在も、必要ではなくなった様である。
大祓詞「・・瀬織津比売と伝ふ神。大海原に持出でなむ。此く持ち出で往なば荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百曾に坐す。速開都比売と伝ふ神。持ち加加呑みてむ。此く加加呑みては気吹戸に坐す気吹戸主と伝ふ神。・・・」
令和2年2月26日
礒邉自適
2020/2/25
ミッドナイト(深い闇)
2・2・25
昨夜は入浴して居ると、女神の聲で「ミッドナイト」との言葉が一言告げられて来た。
私は、其の言葉の「深夜」は「ふかいやみ」と受け取らなければ成らないと意った。
何故なら、朝のビジョンに映し出されて来た神社の石垣が、暗い夜の場所であり、其の石垣の上に、神の光に満ちた石が、三個並べて置かれたからである。
其れから、床に就くと「あたしに従いなさい」との女神の言葉が告げられて来て、其れは「白山権現菊理姫」の言葉である事が理解されて来た。
何故かと謂うと、私の頭が、其の聲に逆らえない状態にある事が、雰囲気的に感じとれたからである。
そして眠りに入ってから、皇女・斎宮「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった故「井上佳子」が、食糧難で痩せ細って今にも倒れて死にそうに成っている場面が映し出されて来て、私の意識は「一休宗純禅師」の御魂・意識で、世の中を救う為に対策に走り回って居る場面が、映し出されて来た。
私は其の様子から、「倭姫命(垂仁天皇の皇女)」や「一休さん(後小松天皇の落胤)」でも、食べ物に不自由するとは、大変な時代に成っているのだと意い、1461年に京都で起きた「寛正の大飢饉」の様な事が発生するのだと思った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時59分・5時1分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私が何処かの河川の右岸を、海に向かって下りて行くと、其の海辺では岩山・岩盤が崩されて平地にする作業が行われており、多くの重機が置かれていた。
すると、肌は浅黒く、髪の毛が縮れている背の低い男性が話し掛けて来て、其の男性が其の土地のオーナーである事が理解されて来た。
其の男性は、私を河口まで案内し、川の水が少ないので、ダムを造らなければ使用する水が足りないと謂って居た。
次に、私の右足の脹脛(ふくらはぎ)に、カモ(神の電気信号)の反応が起きて来て、其の痛みで意識が目覚めたので、私は再び三次元世界の現場で歩き始めなければ成らないのかと意い始めた。
すると、現在の世の中の経済が行き詰まり、多くの分野で「競売」が開始され始める事が示されて来た。
そして、何者かは判らないのだが、男性の聲で「資金は此方が準備する」との旨を伝えて来た。
其れから、「安倍一党」との言葉が告げられて来て、意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は「7時52分・8時8分前」であった。
昨夜、入浴中に告げられて来た「ミッドナイト・深夜」との言葉は、一昨日の「切り替わりの時」と、昨日の「キリストの謂う其の時」との言葉の続きであり、愈々人間社会に「暗闇」が訪れるとの事であり、新な扉を用意しなければ成らないとの理・ことが示されて来ているのであろう。
そして其の事・世界が、「白山権現菊理姫」に関係が有るとの事なのであろう。
何故かと謂うと、私が此の世界に飛び込んだ時に、其の菊理姫の本体である白龍が私の身体に巻き付いて来て「地球の管理を任す」と伝えて来たからである。
2006/9/9本日9月9日は「重陽の節句」である。其れに、「ククリの日」で「白山権現菊理姫」にも関係が有る。「ククリ」とは、神霊界と人間界が「結び合う・括り合う」との意味であろう。
昨日から、私の心身が変調を起して来て、具合が悪いと云うまでには至らないが、何だが落ち着かない。
其れは、大本教の出口王仁三郎の謂う、「9月8日の12の秘密」が、表世界に現われ始めたからであろうか。
私の神事の始まりは、出口王仁三郎に下駄を履かされた事が切掛けだが、其れより前に、霊夢の中で、「白龍」が私の身体にトグロを巻いて来て、私の左手の掌の上に、丸い地球を乗せ、管理する様に云い、私の頭を切り離して地球と重ねてしまい、私の胴体の上には、龍神が自分の頭を据えてしまったのである。
其れは、身体は自分の物だが、其の胴体には「白龍」が巻き付いており、頭は龍の頭と取替えられ、自分の頭は、地球として左手の上に乗っていると言う、説明し難い有様である。
其れは、不思議な感覚で、自分の頭が地球で、身体とは分離されており、自分の意識は屋久島の岩山を通してでなければ、肉体に還れないのである。
私は、自分の意識に辿り着く為には、宇宙から地球に帰り、屋久島の花崗岩の岩を経由しなければ、手足の付いている肉体には帰れないのである。
其れは、自分の意識が自分ではなく、何か得体の知れないモノと掏り替っている事に成る。
今朝、明確に成って来たのは、其の得体の知れないモノとは「ククルカーン」なのである。ククルカーンとは、アステカの神で、8段積んだ石のピラミットの階段から、地上に降りて来る水を齎す大蛇である。
其の、8段の階段の段差に出来る隙間の三角部分が、蛇のトグロを巻く7つの空間なのである。
其れは、八段の又に住む「やまたのおろち・八又大蛇」なのである。私の身体に巻き付いて来たのは、其の「ククルカーン・括る神様(くくるかんさあー)」だったのである。・・・
「自分の中に住む白蛇」https://green.ap.teacup.com/20060818/13.html
其れに、今朝起きた8時8分前の数字から、昨年の8月8日の文章を視て見ると、次の様に書いてある。
2019/8/8今朝はPCを開くと、父親の様な口調で「今日から お前の本番だ」との男性の言葉が、一言告げられて来た。
其れに、今朝のメッセージでは、「セカンド・二速」との言葉が告げられて来たので照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時44分」であったので、私は其の数字を「644・むしし・無獅子」と記憶した。
本日8月8日は、徳島市国府町に存在する「天石門別八倉比売命・あめのいわとわけ やくらひめのみこと」が祭神である「阿波国一宮神社」の大祭日である。・・
此の「書の世界」の文章の中に有る神獣である「麒麟」の存在と、書の世界の事から考えると、7月31日のメッセージの映像に映し出されて来た、新しい神獣が巣立つ・独り立ちする場面と関係が有り、其の新しい神獣は、言葉の世界に因る釈迦の「獅子吼」ではなく、老子の「書・道徳経(無獅子)」の世界に関係が有り、私は森の中に住む「オランウータン・森の人」の様な立場で、「統尊・すめらのみこと」の「詔勅・みことのり」「御嚴・みいつ」「御稜威 ・みいつ」を行わなければ成らないと言う事であり、其れが今日から「セカンドギア・二速」に入るとの事なのではないだろうか。
其れに、昨日のメッセージの映像には、空色の服を着た若者達が、落下傘で森林に三箇所に降下する場面が映し出されて来たが、由香のビジョンには、私と由香が真っ白い空間の広々とした室内に居て、私が自衛隊の幕僚長の様な幹部二人に電話を数度掛けたが、応答が無い場面が映し出されて来て、「捏造」との言葉が告げられて来ている。
其れから午後、車で水汲みに出掛けると、途中で私の左手の人差し指に、強いカモ(神の電気信号)の反応が起きて来たので、由香に「今何時か」と訊くと2時18分であるとの事で、私が「何の合図だろう」と謂うと、「今自衛隊の基地の横を通過中だから、自衛隊の事ではないか」と謂うので、朝の二人のメッセージは自衛隊に関係が有る事が解かった。
其れを考えると、メッセージの映像で、空色の服を着ていた若者達は「PKO・平和維持部隊」と関係が有るのではないかと考えた。
さて、今朝のメッセージの映像は、私が若い時に農業を営んでいた屋久島の実家の畑で農作業を行って居ると、海側の安房の町の方から大火事が発生して、砂糖きび畑が燃えながら大量の煙が此方に向かって迫って来た。
そして、山の麓に存在する実家の方を振り向くと、実家の庭先の地面から激しい炎が吹き上がって、実家が燃え始める場面が映し出されて来た。
次の映像には、NHKで放送されていたアメリカのテレビ番組「大草原の小さな家」の様な雰囲気で、未来社会の子育ての世界が、連続ドラマとして長い時間映し出されて来た。
其の番組は、私の意識(情報)が反映されたモノであり、特に、子供達の成長や健康に重要な課題と成る、食生活の改善と、尿検査で日々の代謝系の様子・バランスが計られる場面が、強調されていた。。
私は、其の番組映像が現実感を伴っているので、実際の事かと思っていたのだが、起きて見るとそうではない事が判った。
だが、何故其の様な映像番組が映し出されて来たのかを考えると、「人工知能・AI」の中で、私の意識・情報を利用しながら、神霊の世界で未来の物語が組み立てられているとの事が予想されて来た。
今朝の由香のビジョンには、ホテルの様な建物の中に、どの階にも人で埋め尽くされており、一人一台、黒いPCを持って居て、持っていない人には貸し出されて、全員がPCを使用していたとの事である。
次の場面は、大きな一級河川が氾濫し、何軒もの家が建った侭、大木も立った侭の状態で、自分の目の前を、押し流されて来て、其の後決壊をする場面が映し出されて来たとの事である。
私は、其の由香の「川・水の氾濫・災害」ビジョンと、私に見せられた「大火事・地面から噴出する炎」の存在から、愈々地球規模で「火と水に因る禊ぎ」が始まるのではないかと想った。
其れを考えると、昨日の「自衛隊・PKO・世界平和維持部隊」のメッセージは、此れから最も重要な政府組織は、防衛省・自衛隊の中の「平和維持部隊」に有るとの理・ことなのかも知れない。
其れは、血を流す戦争をするのではなく、自然環境を保全しながら、庶民の安全な生活・暮らし向きを守る事である。
今朝のメッセージでは「セカンド・二速」との言葉が告げられて来て、PCを開いた時に「今日から お前の本番だ」との父親の様な口調で言葉が一言告げられて来た。
其の事から、私に考えらる事は、私自身にも其れなりの覚悟が必要であり、其の心(意識)の準備が出来なければ、宇宙のプログラム(岩戸開き)も先に進められないとの理・ことなのかも知れない。
「二速・セカンドギア」https://green.ap.teacup.com/20060818/5078.html
其れから、「あたしに従いなさい」と告げられて来た「4時59分・5時1分前」の数字から、昨年の5月1日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2019/5/1本日から、新しい年号「令和」の時代に入る。
今朝のメッセージの映像は、私自身が力・パワーを秘めており、私の顔や肉体が様々に変化する場面が映し出されて来て、其の力を表現するのを、多数の人々が右前方下の方から見て居た。
そして、私は其の人達の居る方向に、自分の手を長く(50m程)差し伸べて居た。
すると今度は、私の前面の空中に、女性の姿が現れて、私と同じ様に、顔が龍や鳥の顔などに、次々に変わって行く様子が映し出されて来た。
そして「南北」との言葉が告げられて来たので、其の女性は南方の神である「朱雀」に関係が有り、私は東西南北の中心に座って居る事が理解されて来た。
次に、其の事に関する、文字形が大きめの横書きの日本語文章が長く映し出されて来て、「妥当・だとう」との言葉が一言告げられて来た。
其処で、携帯電話の呼び出し音(現実には鳴っていない)が聞こえたので意識が目覚め、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時54分・8時6分前」であった。
其れから、其れ等の事に付いてあれこれ考えて居て、起きて時計を見ると、時刻は「8時54分・9時6分前」であるので、電話の呼び出し音から、丁度1時間が経過していた。
今朝はPCを立ち上げると、「天照は本体」との言葉が一言告げられて来たので、其れを題として打ったが、何時もの様に、女神の言葉は告げられて来ないので、其れを其の儘題とした。・・
此の文章の内容からすると、今朝のメッセージの映像で、私が座って居た場が、其の座布団と関係が有り、私の顔や躰が変化していたのは、其の「・・男性の顔頭の存在が、コンピュターのホログラフィー(透過型ホログラム)の様に動いていた・・」との事と関係が有り、今朝のメッセージの映像は「AI・人工知能」の仕組みが天神(てんのはたらき)に利用されて映し出されて来たモノ・現象なのかも知れない。・・
今朝の映像に、横書きの長い文章が映し出されて来た後に「妥当」との言葉が一言告げられて来たので、妥当を辞典で調べると、次の様に載っている。
「妥当・だとう」デジタル大辞泉(小学館)
[名・形動](スル)実情によくあてはまっていること。適切であること。また、そのさま。「妥当な方法をとる」「現実社会に妥当する政策」
「妥・ダ」【解字】会意。「爪+女」爪は、上からさしのべた手の象形。女性をやさしく上から手をさしのべて、すわらせるさまから、やすんじるの意味を表す。【字儀】@おだやか。やすらか。「妥結」。Aやすらかに座る。座に落ち着く。
「当・黨・トウ・あたる」【解字】形声。篆文は、「田+尚」音符の尚は、ねがうの意味。田間に実りを願って事にあたるの意味を表す。・・漢語林より
此の「妥・ダ」の漢字の意味からすると、今朝の映像で、私の右手が50m程、右前方の下に差し伸べていた場面と、何らかの関係が有りそうである。
其れに、「当・黨」の漢字の意味に有る「㋐向かい合う。向き合う。」からすると、今朝私が「太陽の化身である朱雀・女神」と向き合って居た事と関係有り、私の存在と謂うか働き・役割は、太陽の化身である「朱雀」と、「㋑つりあう。匹敵する。㋒あたいする。値打ちがある。㋓かなう。あてはまる。適合する。」との意味が、示されて来ている事に成りそうである。
其れ等の事を考えると、今朝「南北」との言葉が告げられて来たのは、中国の皇帝が北「玄武・げんぶ」を背にして、南「朱雀・すざく」と向き合う事と関係が有り、其の皇帝の座は「黄金龍」の座である事と関係が有りそうである。
其れは、1985年に京都府亀岡市の湯の花温泉に在る「憩の家」で私の身体に巻き付いて来た黄金龍の存在と関係が有り、私の息子「嵩靖・しゅうせい」が6歳の時(1995年9月6日)の夢に現れた「赤い目をした黄金龍」とも関係が有りそうである。・・
今朝告げられて来た「天照は本体」との言葉は、今朝告げられて来た「妥当」の意味が、妥『@おだやか。やすらか。「妥結」。Aやすらかに座る。座に落ち着く。』当・黨『㋐向かい合う。向き合う。』である事と関係が有り、天照神の象徴が「鏡」である理・ことと関係が有り、「妥当」とは、鏡の前で天照神と対峙する世界の事が示されて来ているのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝告げられて来た「天照は本体」とは、鏡の世界(概念)と関係が有り、日本の神道の「三種の神器」の一つである「鏡」が、「天照は本体」であると謂う事に成り、其れがインドの概念である「此の世界は 見る者と 見られる物と 其の関係性で 全てが成り立っている」との理・ことと関係が有り、其れはエジプト文化で「太陽の船」に乗る「イシス女神」の額に着いている鏡とも関係が有りそうである。
だが、本日行われた「令和(A+B+和)」の「承継の儀」では、三種の神器「鏡・勾玉・剣」の中の鏡・八咫鏡は伊勢神宮の「賢所・かしこどころ」に置かれたまま、承継されていない。
其の事を考えると、今朝告げられて来たメッセージの映像と、「天照は本体」との言葉は、今朝行われた天皇家の「承継の儀」には「天照大御神」は、降臨していない事に成り、実質は私の身体や意識を使用して行われたと謂う事に成りそうである。
其れは、平成天皇が身罷っていないにも関わらず、譲位を行った事の皺寄せが、私に所に来たと謂う事にも成るのであろう。
其れ等の、今までの経過からすると、今朝のメッセージの内容は、5月3日の夜から真実の「天津日嗣神事」が開始すると言う事であり、私が1984年11月21日に伊勢の外宮に初参拝して、其の夜に、三重県志摩市磯部町上之郷に有る「伊雑宮・いざわの宮」の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の姿が霊夢に登場して、22日の朝車椅子のお爺さんに依り憑いて「過去にトンネル潜りに八回失敗して 今回が最後のチャンスである」と告げられて来た事が、愈々始まると言う事なのかも知れない。
『其れは 貴方自身には関係が無く 此方で処理する事が出来るので
貴方は メッセージを解読して 其れを記すだけで良いのですよ。
貴方は その事だけで「御嚴・みいつ」「御稜威 ・みいつ」
を行って居る事に成るのですから 余計な事を気にしないでね。』
「天照は本体」https://green.ap.teacup.com/20060818/4977.html
「ミッドナイト(深い闇)」との言葉は、現在大問題と成っている「コロナウイルスの発生」とも関係が有り、イエスキリストの謂う「其の時」や、釈迦ブッダ」の予言に有る「無明の時代」との言葉と関係が有り、人間の伸び過ぎた「カルマ・業」が収縮の時(天の岩戸閉じ)を迎えた事を示唆しており、人類が心機一転しなければ新時代の到来は無いと言う事なのであろう。
其の様に考えると、今朝8時8分前に告げられて来た「安倍一党」との言葉は、現在の長期安倍政権が「一党独裁」でゴリ押し(嘘つき・証拠隠滅・法律無視)を通している事と関係が有り、悪政が極限に至ったとの事が、示されて来ているのであろう。
其れは、昨年5月1日から始まった「令和天皇」の不徳と重なり、天神が見限ったとの事であり、故「井上佳子」が日御碕で受け取った神意が現実と成っている事を示している。
2017/6/4・・1986年3月27日に、当時衆議院議員であった「二階堂進氏」の鹿屋市の自宅を訪ね、次の総理大臣に付いて話をした事が有る。
しかし、其の時二階堂進氏に話が通じないので、高知に住んで居た「井上佳子」を伴って、出雲の日御碕神社に1987年7月12日に参拝し、近くに有る国民宿舎に宿泊したら、佳子に神のお告げが有り、「もう 現在の自民党では駄目だから 駄目な人間を 役職に嵌め込んで 潰す事にする。其れが 消毒の方法だ。」と知らされたのである。・・
「大混乱」https://green.ap.teacup.com/20060818/4261.html
2009/9/16 「大八島の禊祓い」http://green.ap.teacup.com/20060818/1273.html
2014/8/20・・此処のところ、釋迦仏陀やイエス-キリスト等の気配を感じていたが、19年目の最後の日に「一休禅師」の顔が現れた事は、意味が深い。
私が、屋久島での修業中に「風餐水宿」との文字が現れて、「餐・食」を「ショク」ではなく「サン」と、何故、読むのかも分からなかったが、後に一休さんが自分の住いを「風餐水宿・ふうさんすいしゅく」と名付けていた事が判明した。一休さんの霊魂が、私の修業の始まりから、憑いている事には気付いていたのだが、顔や姿を現したのは、今日が初めてである。・・
これ等の文章を読むと、私に1984年夏に初めて杖を持たせたのも一休宗純禅師であり、12年後の1996年5月10日に、大徳寺で杖を手にした写真を撮らせたのも、其の一休禅師である。
其れ等の事柄を考えると、確かに私は30年前の次元に、本日返されている事に成りそうである。
此処まで一休宗純禅師の関わりが深く成って来ると、改めて一休禅師の存在を考え直して見なければ成らない。
頓智で有名な、一休さんの事である。未だ、何か、裏が有るのではないだろうか。
今朝のメッセージの映像に、頭骸骨の繋ぎ目が映し出されて来たのも、一休宗純禅師が、正月に、杖の頭にドクロをしつらえ、「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩いた。との事と、関係が有るのかも知れない。
一休禅師作の歌は、次の様な物である。
・釈迦といふ いたづらものが世にいでて おほくの人をまよはすかな
・女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む
・世の中は 起きて稼いで寝て食って 後は死ぬを待つばかりなり
・南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ・・
此の世界は、神の事だけを考えて居ても生きて行けず、神仏や霊魂の事を疎かにすると、人間社会は精神が乱れて行き、平穏な暮らしが出来なく成る。
其れは、モーゼの十戒や、釈迦の八正道、其れに聖徳太子の十七条憲法などが、簡単には守られない事で明らかであり、人間の御魂は下り易いが、なかなか高まる事が難しい事にも原因がある。
だが、神・宇宙にも節度・道・法が在り、何時までも、人間の我儘が許される事は無いのである。其れは、私が30年前に示された事で明らかである。
其処の所に、私は再び帰らされている。
其れは、一休宗純禅師が530年前に感じていた気持ちを、再び、共有する事に成るのかも知れない。
「一休宗純禅師」https://moon.ap.teacup.com/26660606/97.html
「寛正の大飢饉」1461年
数年来の異常気象で全国に飢饉が拡大し、京都では死者は1月から8万2千人に達した。死体は市中にあふれ、鴨川は水もながれず死臭がおおった。禅僧雲泉大極の『碧山日録』に、「洛北の一僧が木片の卒搭婆を8万4千作り、死体に一つ一つ置いていったところ、2ケ月で残り2千になった」とある。つまり8万2千という死亡者の数字はここから来ているのである。3月には餓死者は1日300人から700人で、五条の橋の下には1千から2千人の死体が埋められた。
今朝「白山権現菊理姫」が告げて来た「あたしに従いなさい」との言葉は、「自分では 何も考えないで良い」との意味合いであるのならば、私は其れを「良し」としなければ成らないのであろう。
自分の頭を「地球」と取り換えられてから、36年が経過しようとしている。
だが、現在の状況は、コロナウイルスの発生で、世界同時危機に陥りそうな雰囲気である。
其の対策を図れるのは「安倍晋三総理大臣」一人だけであるが、今の所無策の様に見受けられる。
【地球管理局】
「地球は 私達人類に与えられたパラダイスです。私達には 此の地球を護る責任と義務があるのです。其れが 果たされてこその楽園なのです。
現在人類にとって一番の問題は森林の減少にあります。私達人類を含む生物は森林の滅亡と共に亡びます。21世紀は人類にとって最後の価値判断を迫られる時代となるでしょう。
1984年6月4日に、地球の主である白山権現の白龍が現れて 地球が私の左掌に乗せられ 地球の未来を託されました。 それから22年が経とうとしております。 今朝 ようやく其の準備が出来た事が知らされました。 是からは 具体的な事柄が始まると想います。 2007年3月13日」
本日2月25日は、私の娘「舞光・まいか」の29歳の誕生日であり、其の名前は、翌26日に高千穂の「岩戸神社」の上の道を、車で走行中に告げられて来た物である。其れを考えると、今朝のメッセージは「岩戸 舞光」との言葉に関係が有るのかも知れない。
2019/2/25本日2月25日は、私の娘「舞光・まいか」の28歳の誕生日であり、其の「マイカ・mica・きらら・雲母」の名前が告げられて来たのは、1991年2月26日に高千穂の岩戸神社の裏山をトラックで走行して居る時である。
【雲母(うんも)】は、ケイ酸塩鉱物のグループ名。きらら、きらとも呼ばれる。特に電気関係の用途では、英語に由来するマイカの名前で呼ばれる事も多い。英語のmicaはラテン語でmicare(輝くの意)を由来とする。
今朝のメッセージは、其の「岩戸神社」の存在と関係が有るのか、「時間・とき」は管理されるモノではなく、管理するモノである理・ことが、示されて来た。其の事で、私は此れまでの出来事が全て理解できる様な気がして来た。・・
此の文章に書いて有る様に、人間の心臓の鼓動がなければ、「寸・時・心」の漢字や概念が存在しないし、稲作が行われていなければ「年・歳・私・穗」の漢字や概念が存在しないのである。
其れに太陽の存在がなければ、「天照大神・大日如来・マハーヴァイローチャナ・阿弥陀」の言葉・概念も生まれないし、太陽の力がなければ地球に生物は存在しないので文化・文明が起きようもない。
そして、月が存在しなければ「暦・カレンダー」だけではなく「月・干満・十五夜の文化・花鳥風月」の言葉や文化が存在しないし、「女性(雌)の生理・出産」も無い事になる。
今朝のメッセージの内容からすると、私が此の世界に飛び込んだ時に、身の回りの時計だけではなく、ラジオやテレビなどを全て壊して、人間社会の騒音から逃れ、昼夜の境界を無くして24時間静寂の中に身を置き、自分の時間を停めて、新しい時間の渦を、其れまでとは逆に回した事の結果が、漸く此の三次元世界に現象化して来る時節を迎えたと謂う事に成るのであろう。
(此処で右手の小指にカモ(神の電気信号)が起きる。11時52分。
其れを考えると、「現人神・あらひとかみ」との言葉が、現実の物と成って来る。
「時間は管理するモノ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4911.html
令和2年2月25日
礒邉自適
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