1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2020/4/30
自由に生きられる時代
2・4・30
本日で4月が終わり、明日から5月である。
今朝のビジョンには、自分の車が全て電動化されて、自分の仕事に必要な道具は、各部に収納されており、地球全体の様子・気候・気分に合わせて、状況を見ながら、自由に移動し、生活をする男性の様子が映し出されて来た。
そして、海や山の環境が自然に還っており、自分が食べたい分だけ採取して、食材として使用する様子が映し出されて来て、其れ等に必要な道具も、全て車の中に備えられている事が理解されて来た。
其の様な生き方であれば、自分の住宅や住所、其れに国家・国境も関係が無く、電子機器と「アドレス」「マイナンバー」を記憶(秘密)しておれば、現金を持ち歩かなくても良いし、格闘技の様な身を守る手段を持っていれば、何の心配もなく自由に生きられる事に成る。
其れは、私が36年前から始めた事が、一般的な生き方と成っている世の中であるとも謂えるだろう。
そして起こされた時刻は「6時12分」であった。
今朝はPCを立ち上げ、先ず、起こされた6時12分の数字から、昨年の6月12日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2019/6/12今朝は一眠りすると、男性の意思で「何から形に」との言葉が告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると時刻は「0時57分・1時3分前」であった。
其れから再び眠ると、何かの集会が開かれた様子が示されて来てから、其の会場で平気で写真を撮れる人間が、私の他にもう一人居る事が知らされて来た。
次の場面は、私が数人の仲間で、都会の高級な舞台裏の控え室に行く場面が映し出されて来て、私が大きな鏡の前に置かれている椅子に座って居ると、左隣の回転椅子に、他のグループのリーダーの男性(30歳代後半)が、私とは逆の左側の方の扉から入って来て座り、私に話し掛けて来た。
すると、其の男性が、もう一人写真を撮れる立ち場に在る人物である事が理解され、私が出身地を訊ねると、「八丈島が見える三宅島である」と答えた。
其れから、其の男性の顔や体が大きく変化していき、黄金体の大王である事が示されて来た。
次の場面は、左側に止め柱が存在する、白い大きな押し開きの戸の存在が映し出されて来て、其の戸の向かう側に、人間社会が存在する事が示されて来た。
そして、其の白い扉は、昨日の映像に映し出されて来た、「・・透けている白い鳳の右翼の羽根の向う側の下方に、人間社会が存在する場面が映し出されて来た。・・」との事と、関係が有る理・ことが理解されて来た。
其れから「596」の数字が映し出されて来たので、其の数字の意味を考えて居ると意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は6時6分であった。
今朝は先ず、PCを立ち上げ今朝起された「1時3分前」「6時6分」の数字から、今年の1月3日と、6月6日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の二日分の内容から考えると、今朝1時3分前に告げられて来た「何から形に」との男性の言葉は、私が人間社会を、新しい形に組み替えなければ成らない事が示されて来ており、其れが、昨日のメッセージの映像に映し出されて来た「白い鳳の右翼」と、今朝の映像に映し出されて来た「右側押しの白い大きな扉」に、関係が有るのだろう。
其れに、今朝黄金色の大王と成って行った男性の出身地が「三宅島」であると謂った理・ことは、「大国主命・おおくにぬしみこと」の長男である「事代主命・ことしろぬしのみこと・戎(えびす)」と関係が有るのではないだろうか。
其れが「事代主神」であれば、昨年の1月14日の文章に書いた事が、関係有りそうである。・・
此の・・1月3日は「大穴持御子神社(三歳社・みとせのやしろ)」の大祭日でもある。・・との事は、今朝1時3分に「何から形に」との言葉が告げられて来た時刻の数字と一致するので、祭神である「高比売神」の父親である「大穴持神・おうなむちのかみ(大国主命・おおくにぬし)」と関係が有りそうである。・・
此の三宅島が火山島である事からすると、6月7日のメッセージ「鉄火栓」で白い鳳が両翼を広げて地上の宗教世界を視察して場面と、「鉄火栓(マグマ栓)」との言葉が関係が有り、現代社会の宗教を消去・削除しなければ、新しい人間社会の文化が築けない理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れに、今朝「596」の数字が示されて来たのは、其の数字は「596・ごくむ・極無」と読めるので、其れは昨日の「「動かない者の手に 紀(とき)の管理が与えられる」との言葉と、6月3日の「時間を止める者がブッダ」との言葉に関係が有り、私は文章は記録しなければ成らないが、実際に行動を起こす事は御法度であると言う事なのではないのだろうか。
其れを考えると、今朝の映像で私が白い扉を押して、人間社会に出て行かなかった場面の意味が能く理解できる。
其れに、昨日のメッセージの映像で、白い鳳の右翼から人間社会の様子が透けて見えていた場面と関係が有り、其の意味は、私が「鳳・おおとり」の右腕の役割である理・ことを示唆しており、私は「鳳・鳳凰・鳥神」の右腕として、人間社会の動きを監視しなければ成らないと言う事であり、其れが、私が集会で写真撮影が許されている要因であるのだろう。・・
此の文章の内容からすると、今朝のメッセージの映像に登場した、もう一人の撮影者は、地上の現場を任される役割の男性の存在を示唆しており、「大穴持神・おうなむちのかみ(大国主命・おおくにぬし)」の御霊が、現在の世の中に下生して、動き出す事を待って居るとの事に成りそうである。
其れに、1月3日の文章の内容から考えると、今朝告げられて来た「何から形に」との言葉は、私自身が「何かの事柄を形にする事を 考えなければ成らない。」と言う事ではなく、「天神(てんのはたらき)から告げられて来る(意図・プログラム・計画)を 何から形に出来るか。」を、私が考えれば良いかと言う事であり、其れが聖王の役割である「御嚴・みいつ」「御稜威 ・みいつ」であるとの事なのであろう。
「何から形に」https://green.ap.teacup.com/20060818/5019.html
此の文章には、「鳳・おおとり」の事が書いて有るので、昨日のメッセージで、鳥神の娘三人が地上に使わされるビジョンが映し出されて来た事と関係が有り、其の三女神の成長に対して、私は何らかの事を「かたち・形」にしなければ成らないとの事なのであろう。
其れに、今朝のビジョンに映し出されて来た全てが電動化されている車の存在は、昨日のビジョンに二人の男性が旅に出発する様子が示されて来た事と関係が有り、新しい未来(情報)を組み上げられるのは、自由・フリーな生き方を望む男性でなければ成らないとの理・ことが、示されて来ているのであろう。
其れを考えると、「モーゼ」「須佐之男尊・すさのおのみこと」、「大国主命」「神武天皇」「櫛玉饒速日命・くしたまにぎはやひのみこと」「瓊瓊杵尊・ににぎのみこと」、等の政(まつりごと)・歴史に名を遺した人々が、故郷から離れて他国で政(まつりごと)を開始した事が其れに当たるし、精神的な世界を築いた「釈迦ブッダ」は「出家」を勧め、「イエスキリスト」は「親や兄弟を捨てて 私に付いて来なさい。」と謂っているので、皆が、旅が基本的考えである事と、関係が有りそうである。
キー「旅人 婿殿」
2008/4/9・・此の映像は、個人が行うべき暮らし向きに付いてであり、旅人に対する宿や、駐車場の設備や、携帯電話の必要性を示しており、昔の、ユダヤ民族の親方制度の在り様を、示して来ているのかもしれない。
昔のユダヤの風習では、男性は若者として育ったら、自分の家を出て、同じ屋根の下には三日以上寝ない様に旅を続け、自分に合った職種の親方に出会ったら、其処の弟子に成って、親方から技を学び、一人前に成ったら親方として独立をして、次の若者が訪ねて来るのを待って、其の技を継承して行く様に成っていたらしい。・・・
「人と物の管理」http://green.ap.teacup.com/20060818/701.html
2013/12/8・・本日12月8日は、釈迦仏陀が悟った日とされている。
今朝のメッセージは、其の釈迦の意識が、現代社会の様子を認識して、人間社会に最低限必要な物と言うか、人間が暮らして行く為に認識しなければ成らない、基本的な物事を示して来ている様な気がする。
今朝のメッセージの内容は、若者が自由に家離・たびの出来る、社会の整備が必要不可欠である理・ことが示されて来ている。其れは、釈迦が一生家離・たびを続けたので、釈迦の意識にとっては切実な問題であると言うか、釈迦が一番理解している世界なのであろう。
今朝の若者の家離・たびは、ユダヤ・イスラエルの伝統文化である、若者の旅の必要性を示して来ているのであろう。
「基本的な物事」http://green.ap.teacup.com/20060818/2895.html
2007/7/20今日、博多に向かう電車の中で、フト気付いた事は、日本の国造りは、旅人が婿殿に成る事で、国造りが出来ている事である。
「須佐之男尊」が海を渡って来て、奥出雲で「櫛稲田姫」を嫁に貰い、出雲の須賀で国造りを始め、「瓊瓊杵尊・ににぎのみこと」が鹿児島で「木花之佐久夜毘売命・このはなさくやひめ。別名・神阿多都比売・かむあたつひめ」を嫁に貰って日本に住み、「神武天皇」は奈良で「長髄彦・ながすねひこ」の身内の娘を嫁に貰い、国を治めている。
其れ等はみな、男性の旅人が、旅先の娘を娶る事で、其の土地に住む事が許されている事を示している。
そして、櫛稲田姫も、木花之佐久夜毘売命も、国津神である大山祇神の血筋である。
古事記にも、「鵜草葺不合命・うがやふきあえずのみこと」より前に、天神七代、国津神五代が有った事に成っているので、海を渡って来た側にも七代の先祖が有り、日本に既に住んで居た部族にも、大山祇神の先祖が在った事に成る。
其の事を考えれば、ライオンや、猿が、優秀な雄は自分の群れを出て、血筋の遠い群れの所に行き、ボスに成る自然の法則が、人間にも受け継がれている事に成る。
其れは、生物が近親結婚を避け、遺伝子が近く成る事を避けるシステムが、人間の無意識にも備わっている事を示している。
私の父方は、礒邉・磯部・石部で、鹿児島湾や伊勢湾に昔住み着いた部族で、母方は新潟の出なので、中国か朝鮮系ではないだろうか。
其の事を考えれば、私の血も遠い者同士の組み合わせと言うことになる。
其の様な事柄を考えれば、国際化して、混血が進む事は、良い事であると思わなければ成らない。
其れを裏付ける様に、ハーフの人達には不思議な魅力の有る人が多い。
是から世の中が激変し、様々な事が起きれば、混血化が進み、新しい雰囲気を持つ人々が増える事に成るのかも知れない。
其の様な事を考えれば、人間の未来も、結構楽しいものに成ると思われて来るから不思議である。
「婿殿・むこどの」https://moon.ap.teacup.com/20061108/298.html
2006/5/29今朝は「小川源一郎」との名が出て来て、其の人が、銀色に光る縦長の細い心棒らしき物を、何かの中心の位置から外して、納屋の棚みたいな所に収納してしまう映像が映されて来た。
小川源一郎さんとは、日月神事の岡本天明さんと親しくされていた方である。
其の人が外した、心棒らしき長い棒が、何だろうかと考えていると、「天津日嗣・あまつひつぎ」の縦の心棒が取り替えられる意味が伝えられて来た。
其の意味を良く考えていると、日本の国の歴史は、母系社会で構成されている事が見えて来た。つまり、他の民族の男性の血筋を導入する事で、「功・イサオ」を上げて来ているのである。
「須佐之男尊・すさのおのみこと」は、大陸から日本に渡って来て、出雲で「足ナズチ・手ナズチ」の娘である「櫛稲田姫」を娶り、須賀の地で新居を構え、四名の子供を残している。其の「足ナズチ」は「大山祇神」の子供である。
現在の、天皇家の元と成っている「瓊瓊杵尊・ににぎのみこと」は、大山祇神の娘「木花之佐久夜毘売命・このはなさくやひめ。別名神阿多都比売・かむあたつひめ」を娶り、其の姫から三人の子供が生まれている。
「神武天皇」は、奈良のナガスネ族に婿入りして、「媛蹈鞴五十鈴媛命」と結婚して、国の政治・まつりごとを任されている。
日本の歴史は、出雲も、南九州も、奈良も、皆、余所者の男が、嫁の里で暮らし始めた歴史なのである。
其の事から考えれば、日本の国造りの元は、全て大山祇神の一族の里と言う事に成る。
「瓊瓊杵尊・ににぎのみこと」が日本に来た時には、既に、日本の国土には大山祇神の一族が、全国に住んで居た事になる。
其れは、稲田姫の祖父や、「木花之佐久夜毘売命・別名神阿多都比売」の父親などが、同じ先祖を有していた事になる。
おそらく、神武が婿に成ったナガスネの先祖も、三輪の大山祇神を祭る一族だったのであろう。
是で、今回6月11日(旧暦5月16日満月)に行なわれる、大山祇神の祠「建立百年祭」の意味が解けて来た。・・
現在、日本の天皇家は、男系血筋と決められているが、其れは、イスラエル・ユダヤからの流れや、中国の皇帝制度の影響を受けたからであろう。
処が、歴史を遡って見れば、元は大山祇神のおおらかさにより、受け入れられた事で、妻の里で国造りが行なわれた事が解かる。
古代の日本社会は、女性が中心の母系社会だったのではないだろうか。
其れが、中国の財産管理をする為の、男性中心システムが入って来て、現代の様な、男性中心社会に成って来たものと考えられる。
今朝のメッセージは、其の男性社会のシステムである「天津日嗣・あまつひつぎ」を、女性中心のシステムに、切り替えろと告げて来たのではないだろうか。しかし、現在・いまの人間社会の在り様や、人間の生き方が、神の意志に添わないものと成っているのは、確かである。
其処のところを、根本から遣り直せと告げて来ているのである。
今日、天皇家の在り様が話題に上っている。其れは、現在、皇室に男の子が誕生しないので、女子に天皇の継承権を与えるかどうかに付いて、議論が交わされているからである。
確かに、女性には「スメラノミコト・天皇・大君」に成る能力は無い。
其れは、女性と男性の脳の仕組みが、違うからである。
しかし、現在の世の中は、民主主義政治が行われているので、天皇はスメラノミコトの役割はしていない。だから、女性天皇が立っても、大して変わりは無いだろう。
「Y染色体が 大事だ」と云っている人が居るが、2千数百年遡れば、皆、婿殿なのだから、今回も、婿を迎えれば同じ事である。
ただし其れには、神の意志が反映されるかどうかである。
若し、神の意志が反映されないで、人間の勝手で事が済まされれば、天地のバランスは現在以上に、変しな事に成るものと考えられる。
今朝のメッセージは、其れ等の事も含んだ上で、是からの神柱を、どう立てて行くかを考えろとの事であろう。
現代社会は、昔と違い、インターネットが完備されているので、大きな権力中心の機構は必要ない。上から下への、命令系統は必要ないのである。
必要なのは、緻密な情報に拠る管理システムと、其れを、自由に使いこなせる、人脈のネットワークの存在である。
昔は、単一の民族や、部族毎に、スメラミコトの役割をする人間が居たのである。現在の社会の様に、政治機構がなくても、自分の民族の中に、スメラノミコトが一人存在して、部族間のコミュニケーションが計られれば、其れで良かったのである。
古代社会では、現在の社会の様に、他民族の事まで、管理しなくてよかったのだ。しかし現代社会は、世界が大きな組織のもと、情報で繋がっていて、政治的にも経済的にも、単独では、上手く事が進まない様に成っている。
現在の組織は、アメリカが中心的役割を担っているかの様に見受けられるが、政治は、大きく治める者が、最後には疲弊して潰れるのが、古今東西の歴史で証明されているので、出来るだけ早く、小さな組織の連合体に、組み替えなくては成らない。
其れが、母系社会的な機構である。
人間の社会は、政治的に動き出せば、軍備中心に陥り易く成る。
其れを、家庭中心の文化国家に変えて行けば、軍備よりも、環境中心の国家体制に持ち込み易い。
今朝のメッセージは、地球の自然環境を大事にし、家庭中心の平和な社会を構築するように、神が、支持を与えて来たものと考えて良いだろう。
其れが、日本列島に今まで根付いて来た伝統文化である。其の頂点に、スメラのミコトが存在したのだ。・・・
「母系社会への復帰」http://star.ap.teacup.com/170606/915.html
2008/11/4・・だから、日本の伝統文化の基礎は「食国の政・まつりごと」に有り、日本の「天皇・すめらのみこと」の役割は、其の「食国の政の長・おすくにのまつりごとのつかさ」を務める事に有るのだ。
だから、天皇とはテニスの稽古をしたり、外国に留学して英語等を習っている暇など無く、恋愛感情などを政(まつりごと)に取り込んでは成らないのである。
将来、天皇陛下と成るべき皇太子は、殿下として伊勢神宮で神の修行をして、自分が治める事に成る国家を、自由な身の内に見て歩く、旅をしなければ成らないのである。
其れが、「大国主命」や「饒速日命・にぎはやひのみこと」や「瓊瓊杵尊・ににぎのみこと」の若い時の姿である。
其の「食国の政・まつりごと」は「饒速日命」から始まったものではなく、出雲の「熊野大社」からの神事の延長である。
熊野大社の神は「神祖熊野大神櫛御氣の命・かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと」で、食べ物の神であり、素戔鳴尊の別名とも成っている。・・・
「食国の政の長」http://green.ap.teacup.com/20060818/939.html
2014/8/2「命蒔」https://wave.ap.teacup.com/20060106/552.html
2014/12/2「家離・たびの必要性」https://green.ap.teacup.com/20060818/3283.html
2015/6/25「名刺の要らない役割」https://star.ap.teacup.com/20060505/96.html
2018/2/15「全ての物質は水素原子の振動で」https://green.ap.teacup.com/20060818/4528.html
2018/5/14「石に・婿に」https://green.ap.teacup.com/20060818/4619.html
今朝のメッセージの内容からすると、娘時代に憧れる「白馬に乗った王子様が 自分を迎えに来る」との物語を、復活させる御世を、創造しなければ成らないとの事なのかも知れない。
私は子供の頃に、自分の実家の東側を流れる明星岳の河川「船行川」の河口に、茶系のスーツ姿のスマートな成人男性が海上を歩いて来るビジョンが映し出されて来て、其の男性が私を捜し出す事が目的である事を理解したので、私は其の人物が遣って来るまで、故郷から出る事はできないと意って居た。
其の事が1983年3月18日(12支×3回=36歳)に現実の事に成ったのである。
其れは、イエスキリストが誕生した時に、東方から三人の聖人が祝いに駆け付けて来た事・世界にも関係が有り、神(はたらき)のプログラムには、自由な旅人の存在が必要不可欠であるとの事にも成る。
其れを考えると、男性の役割の本質が、何処に有るのかの理も、自ずと理解されて来る事になる。
『当然の事として 其の報いは現れる』9時23分
父方の祖父の命日1946年9月23日
令和2年4月30日
礒邉自適
2020/4/29
新しい神仕組み
2・4・29
本日4月29日は、昭和天皇の誕生日であり、其の昭和天皇は身罷った1月7日の夜中に私の心臓に飛び込んで来て、御大葬の日に「我が身 既に遠く 良き世を 願い奉る」との言葉を私に自動書記で書かせ、阿蘇の「日の宮幣立神宮」の存在を知らせて来た。
其れで私は3月13日に「日の宮幣立神宮」に初めて参拝する事に成り、近くに空き家が有る事が告げられて来たので、其の空き家を競売で買って蘇陽町に家族で引っ越す事に成った。
そして、10年後の平成10年(98)4月29日に「井上佳子」の葬式を終えて、私は自分の荷物を出雲の安部忠弘氏に車で運んで貰い、出雲に引っ越す事に成ったのである。
其れを考えると、私が蘇陽町を離れてから、本日で12年が経過する事に成る。
今朝のメッセージは、其の昭和天皇の「我が身 既に遠く 良き世を 願い奉る」との言葉と関係が有るのか、新しい神仕組みが開始される事が示されて来た。
今朝のビジョンには、緑系色の鳥の羽毛の様な厚手の服装の日本人風で、20歳位の三姉妹(三つ子)が地上に降臨して、私の所に遣って来る場面が映し出されて来たので意識が目覚め、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時13分」であったので、私は其の時刻から其の三女神は「虚空蔵菩薩・こくうぞうぼさつ」からの使いであると思った。
其れから再び眠ると、今度は30歳代半ばの日本人男性が二人、色違いの布製の新しいボストンバックを持って、旅に出発する様子・場面が映し出されて来て、其のボストンバックには着替えや洗面用具程しか入っていない様で、ペシャンコの軽い状態である事が判ったので、旅の間に中身が詰められていく事が理解された。
私は其の二人の様子・雰囲気から、釈迦ブッダの言葉に有る「此の世界は二人で旅をしなさい。だが 相手が良くなければ一人の方が良い。」との理・ことを思い出し、其の二人の仲は理想的なものであると意っていた。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は6時25分であった。
今朝は先ず、PCを立ち上げ起こされた時刻6時25分の数字から、昨年の6月25日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2019/6/25今朝のメッセージには、日本の政の流れの中に有る「ユダヤ系」と「朝鮮系」を排除しなければ成らない理・ことが示されて来た。
そして意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時30分から31分」に成る所であった。
其れから再び横に成ったが、其の事が気に成って眠れないので、4時17分に起きてPCを立ち上げ、今年の3月30日と31日の文章に目を通して見た。
2019/3/30今朝のメッセージの映像は、明るい世界(昼間・天照界)で、人間社会の活動が彼方此方で行われている場面・様子が映し出されて来た。
次に、日本語の横文字で課題・テーマを意味するらしき、1〜2行の文章が書かれている紙面が映し出されて来て、其の文字の下は其の課題・テーマに付いての内容が書かれる幅広い空間が有って、其の下に同じ様に1〜2行の文章が記されている場面が、次々に繰り上がって来る映像が映し出されて来た。
そして、「いまはおさえている・今は抑えている」との言葉が一言告げられて来た後に、「風見神社」との文字が映し出されて来た。・・
「今は抑えている」
2019/3/31本日3月31日は年度末であり、明日から新年度が始まる。
今朝のメッセージは、人間や人間社会の「カルマ・業、罪穢れ」を表す映像が一晩中映し出されて来た。
そして最後に、個人的にも社会的にも、悪事を働いている男性の存在が映し出されて来て「11−11」の数字が示されて来て、其れは、個人的罪業と国家的な罪業の両方の、二種類が有る理・ことを示唆していた。・・
「個人と国家の罪業」
そして、文章を打ち始めると、4時34分に左手の人差し指にカモ(神の電気信号)が起きた。・・
4時59分 未だ、左手の薬指で始まったカモ(神の電気信号)の反応は、親指と共に終わらない。親指と薬指を合わせた手印は仏像の来迎印の形である
其れから再び眠ると、今度は身長が3メートルほどの身体の大きな女性が、水球模様が付いている薄紫色の服を着て、台所に立って居る場面が映し出されて来た。
そして、私は其の女性は食べ物の神(はたらき)である「豊穣の女神」であると思って居た。
次の映像は、大村医師の娘であると言う女性(実際には居ない)が、私に、自分の夫である「松本清張」の息子を紹介すると謂うので、付いて行くとその夫(事実ではない)は温泉で足湯をして居り、其の男性が顔を上げると、髭を生やしたとても細身の男性であり、私に「青学の人達と一緒に 農業を始めたいので 指導してくれ」と、謂うのである。
私は、其の肉体労働をした事の無さそうな、細身(華奢)の男性にはたして農業が出来るのだろうかと思って居た。
そして起きた・起された時刻は、7時31分である。
その7時31分の数字から、昨年の7月31日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
今朝のメッセージで、最初に示されて来た、日本の政の流れの中に有る「ユダヤ系」と「朝鮮系」を排除しなければ成らないとの事は、昨日「地球の新しい王」との言葉が告げられて来た事と関係が有り、新しい政(まつりごと)に付いて、具体的な示唆を与えて来ている様である。
「ユダヤ系」とは、渡来系・天津神である「天津日高彦火瓊々杵尊・あまつひだかひこ ほのににぎのみこと」と兄の「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊・あまてる くにてるひこ あまのほ あかり くしたま にぎはやひ の みこと」が日本の政治を行った・始めた事と関係が有り、其の政(まつりごと)は、聖徳太子の時代から百済王朝の影響を受けて、「物部守屋」が殺された事と関係が有るので「朝鮮系」と言う事に成るのであろう。
其れを考えると、天智天皇の両親の頃から百済王朝の子孫に成って居る様なので、現在の天皇系はその子孫であるので、「新しい地球の王」には成れないと言う事に成るのであろう。
其の「ユダヤ系」と「朝鮮系」を政(まつりごと)から排除するとの事は、日本で最初に出雲の国造りを行った、「大国主命・おおくにぬしみこと」の時代・次元まで、遡って政(まつりごと)を立て直さなければ成らないと言う事に成る。
其れを考えると、昨年の1月14日のメッセージで「三輪が動く」と告げられて来た事が関係が有り、「大物主神」「大穴持神・おうなむちのかみ(大国主命・おおくにぬし)」の政(まつりごと)の次元から、考え直さなければ成らないと言う事になる。・・
是等の事がらを考えると、今朝のメッセージに登場した「松本清張」は小説家であるが、「歴史研究家」でもあった事と関係が有るのではないだろうか。
そして、其の息子が私に「青学の人達と一緒に 農業を始めたいので 指導してくれ」と謂った事は、政(まつりごと)は農業が基本であるとの理を示唆しており、青山学院大学はキリスト教の大学であり、キリスト教は世界で最も信者の多い宗教なので、宗教の概念(学び)の中に農学を導入する事が、必要不可欠であるとの理・ことが示されて来ているのであろう。
其れに、松本清張の息子の嫁が「大村雄一医師の娘」であると言うのは、医療の世界も抜本的な改革が必要であると言う理・ことなのであろう。・・
今朝は、私のメッセージの映像に、とても大きな女性が、水球模様が付いている薄紫色の服を着て、台所に立って居る場面が映し出されて来て、私は其の女性を「豊穣の女神」であると思ったが、今朝の由香のビジョンには、釈迦仏陀の涅槃姿の様に、左手を支えにして横に成っている、黄金の巨大な蛙が映し出されて来たとの事である。
私は、其の巨大な「豊受姫・豊穣の神」と「黄金の蛙」の存在は、新しい地球に対するメッセージであり、蛙が縄文時代では雨を齎す神とされていた事と関係が有り、地球環境が安定して食べ物に恵まれる理・ことが、示されて来ているのではないかと思った。
何れにしても、今朝のメッセージは、人間の努力次第で、良い未来社会が誕生する理・ことが、示されて来ているのであろう。
「新しい政(まつりごと)」https://green.ap.teacup.com/20060818/5033.html
此の「新しい政」の文章の内容からすると、今朝のビジョンは確かに新しい神仕組みが始まると言う事であり、私の所・存在には、真っ新な三女神が使わされるとの事であり、私が此処まで積み上げて来た情報・認識を土台として、優秀な若者二人が、新しい旅に出発する事に成るとの事の様である。
其れを考えると、新しい神仕組みは「天界」で始まるのではなく、「地上・地球」で始まるとの事であり、我々は是までとは異なる次元で物事・神事を考える必要があり、是までの様に、神仏に向かって手を合わせる・神仏に依存する事は、停止しなければ成らないと言う事に成る。
其れは、是まで我々が信仰して来た神(はたらき)の世界は、全て人間が考え出した・創造したモノ・世界であり、真実のモノではないので、是から、我々は自分自身が「創造の神(はたらき)」の役割を果たさなければ成らないと言う事に成る。
其れを考えると、今朝のビジョンで、私の下に使わされて来た真っ新な三体の女神は、「太陽・地球・月」の「存在・役割・働き」であるとも考えられない事ではない。
其れを考えると、2016年6月19日に天界を両翼とする鳳が、私に三個の「タルト・渦巻」を手渡して来たビジョンが、今朝は「三姉妹・三女神」の姿として、映し出されて来たモノ・現象なのかも知れない。
キー「天界を両翼とする鳳 タルト・渦巻」
2016/6/19・・其れは、是から始まると言うか、新しい「人間界」と「天界・宇宙」の関係性に付いてであり、私の此の世の肉体は、其れ等の事に対して、一晩中のた打ち回る様に、向きを変えて居た。 其の状況の中で、はっきりと記憶に残されたのは、「ファー」と言う言葉が、「天界・天蓋」を意味し、其のファーを背景(子宮壁)として、「后・きさき・母神」の姿(其の顔は人類が其の次元まで進化する象徴)が神々しく現れ、「タルト」との言葉が告げられて来てから、「栗たると」の様な丸い形の物を三個、私の前に差し出した。
私は、其の三個のタルトを、自分の刀で切ろうとしたのだが、其れは、私が手にする刃物では、絶対に切れないモノであり、その三個のタルトから、地上に、神の意思と言うか、プログラムが、降ろされて行く理・ことが示されて来た。・・・
「自らの仕掛けで滅びる」http://green.ap.teacup.com/20060818/3891.html
2016/7/7今朝は、映像が映し出されて来た後に「ジェシカ」との言葉が一言告げられて来たので、6時50分に起きて台所に行き、蓬団子を二個食べながら、穀物コーヒーを飲んで、PCを立ち上げて、先ず「ジェシカ」の意味を調べると、語源がヘブライ語で「神は見給う」と言う意味だと判明し、時刻を確認すると「7月7日7時7分」であった。
ジェシカ・Jessica【語源】ヘブライ語で「神は見給う」
たま・う〔たまふ〕【賜う/▽給う】
《上位から下位に物や恩恵を与える意から、その動作主を敬う語となる。現代では文語的な文章か、特別の堅い言い方でないと尊敬語としては用いない》
1 「与える」「くれる」の尊敬語。お与えになる。くださる。「おほめのお言葉を―・う」2 人をおよこしになる。
国語辞典
た・ぶ 【賜ぶ・給ぶ】[一]他動詞バ行四段活用
活用{ば/び/ぶ/ぶ/べ/べ}
お与えになる。下さる。▽「与ふ」の尊敬語。
出典徒然草 二三一「切りぬべき人なくは、たべ」
[訳] 切るのにふさわしい人がいないならば、ください。
古語辞典
今朝のメッセージの映像は、其の「ジェシカ・Jessica・神は見給う」との意味の通りの場面であり、昨日のメッセージで食べ物の事が日本語の「食べ物」ではなく、ユダヤ人の聖書に出て来る言葉「マナ」で告げられて来た事の謎が解けた。
マナ(食物)
マナ(Manna・ヘブライ語 旧約聖書「出エジプト記」第16章に登場する食物。イスラエルの民がシンの荒野で飢えた時、神がモーゼの祈りに応じて天から降らせたという。この時人々は「これは何だろう」と口にし、このことから「これは何だろう」を意味するヘブライ語のマナと呼ばれるようになる。
マナは、神が作った超自然的なものだとされている。聖書には、「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。」(出エジプト記16:4)と記述されている。また、40年間にも亙って群衆の腹を満たし続けたことからも、自然のものではないとされている。
ウィキペディアフリー百科辞典 2016/7/7現在
今朝のメッセージの映像は、先ず、未明に、水が入った、透明な水色系のガラスコップが三個、横に並んでいる場面が映し出されて来た。
其れから、明け方に、私は、高校生位の年頃の男子が、多数集まって居る、研修所か、キャンプ場の様な所に、教師の役割で居る場面が映し出されて来た。
そして、其処で、食事に出されている食べ物が一皿、映し出されて来た。
其れは、水色系の細長い平皿に、料理が三品並べられている物であった。
其れから、連絡が有って、何処かに呼び出され行くと、其処には姿の見えない女神の存在が有り、テーブルの上に、私への食べ物が一皿置かれていた。
其の食べ物を確認すると、其の食べ物は、若者達に出されている物と、全く同じ皿と料理なのである。
私が、何故、女神が私に用意してある食べ物と、多数の若者達が食べる食物が、全く同じ物であるのかを考えて居ると、其の皿が、空中に浮かんで、暗黒宇宙の中に飛んで行った。
そして、其の三品が載った皿が、一個の銀河と成り、次々に分裂拡大して行き、現在の天文学で映像化されている、全宇宙に散らばっている数千億個と言う銀河の存在その物と成った。
(観測可能な宇宙の範囲だけでも、少なくとも1700億個)
そして、最後に「ジェシカ」との言葉が一言告げられて来たのである。
今朝のメッセージは、本日が七夕である事に掛けており、細長い平皿は、人間が天に願い事を書く、短冊の意味を、表しているのではないだろうか。
しかし、其の一枚の皿が、全宇宙の何千億個の銀河と関係が有る・繋がっていると言う事は、我々が口にする食べ物の世界は、全宇宙の銀河と同じ様な意味を持つ存在であり、其の食べ物を食べて生かされている我々の存在は、正に「ジェシカ・Jessica・神は見給う」の世界であると言う事に成る。
其れを考えると、我々人間の存在は「貴重・とうとい・いとおしい」モノであり、涙が込み上げて来る様な感覚に成ってくる。
今朝の映像には、最初に、水が入った三個の透明なグラス・容器が映し出されて来た。私は、其の映像は、直ぐに「罔象女神・みつはのめのかみ」の世界であると想った。
そして、其の三個の水のカップと、平皿の上に盛られていた三品の食べ物は関係が有り、水の存在が私達その物であり、水の無い世界では、食べ物だけではなく、生命自体が存在できない理・ことを、示して来ているのであろう。・・
今朝のメッセージは、6月19日のメッセージで示されて来た「Tritarte fur・トライタルトファー」の「天蓋に内側に定着している 女神の働きから生まれる 三個の螺旋の宝珠」の世界が、具体的に示されて来たモノであり、私は順調に「天津日嗣神事」を進めている事に成るのであろう。・・
本日は7月7日であるが、一ヶ月前の6月6日のメッセージには「時・とき」の切り替えに付いて示されて来ている。
其れを考えると、確かに「神(はたらき)」は「時間・日付・暦・カレンダー」を管理している事に成り、マヤ・アステカの人々が、何事も、暦で判断していた事の理由・わけが理解できて来る。・・
私は1984年6月4日から、32年間此の世界に取り組んで来たが、今朝のメッセージの映像は、是までの事が最終段階に至っている様な感じが有り、今朝の内容は七夕に相応しいモノであると思う。
其れは、私が32年前に告げられた私の役割が、「事象の特異点」であり「新しい神の座標軸」との件が、何とか果たせた事に成るのではないだろうか。
其れに、最初に「四次元プログラム」「水素原子管理」の二つの「アンテナ(システム)」が必要であると示されて来た事も、今朝の映像に水が入ったカップが映し出されて来た事で、上手く事が進んでいると言う事に成るのであろう。
「神は見給う」https://green.ap.teacup.com/20060818/3913.html
そして其の事が、「虚空蔵菩薩・こくうぞうぼさつ」との名前に関連しているとの事なのではないだろうか。
キー「虚空蔵菩薩・こくうぞうぼさつ」
2008/3/14今朝のメッセージの映像は、雨期で湿った大地を、山へ向かって這い上がって行く「いのちたち」の最先端に、私の意識が存在している事が示されて来た。
そして、私の母親や、29歳で亡く成った弟が、私の進む道を、支えて居てくれた事が示されて来た。
今朝のメッセージの映像は、私が男性だから、精子のカルマを潜在意識に持っているからかも知れないが、陸に這い上がった動物が、水が流れて来る「源・水もと」へと、這い上がって行く原因を示しているのかも知れない。
其れは、稚鮎や、鰻の稚魚や、鮭が産卵の為に、川を必死に遡って行く事に似ていて、人間の意識も、自分の生命の源が、水の存在に関係が有る理を、無意識で知っているのではないだろうか。
後6日で、「春分の日(20日)」であり、春の彼岸の中日である。
私達は、子供の頃から、春の彼岸には、「川を 河童が山に上って行き、秋の彼岸には、山から川を下りて行く」と、聞かされていた。
今朝のメッセージの映像は、其の事が、満更嘘でもない様に想われるものである。
其れは、人間の意識の中に「源・水もと」に引かれる潜在意識が潜んでおり、山の泉に、神が住むと考えられ、「御嶽・みたけ・ウタキ」信仰が生まれる原因と、成っているのではないだろうか。
だからこそ「川上・かわかみ」との言葉が有り、「神・シン」を「かみ」と呼び、自分の事を「みずから」と自覚するのかも知れない。
其れを科学的に考えれば、森林を形成している植物は、皆、数億年前に海から陸に這い上がって行った物であり、其の植物の活動で落ち葉が生まれ、其の落ち葉を微生物が分解して、森の栄養であるフルボ酸鉄が生まれ、其のフルボ酸鉄を含んだ水が川を下って、水田を肥沃にしている。
更に、其の水は海に流れ出して、植物プランクトンの餌と成り、其の植物プランクトンが動物プランクトンの餌と成り、其の動物プランクトンが小魚の餌と成り、其れを鰯や鯖が食べ、其れを鰹やマグロが食べているのである。
其の理を考えれば、生命の源は森に在る事に成り、其の生命・いのちの元に意識が還ろうとするのは、当然の事と謂えるであろう。
其の潜在的な生命情報が、人間に、神・上の世界を創造させているのであろう。
だから、古代に同じ様なビジョンを見た者が居て「人間は 粘土(アルミと珪素の化合物)で創られた」と謂い、其れが、旧約聖書の物語に成って来たのであろう。
更に、最初に創られたアダムの骨から、イブが創られたと有るのは、動物が海から陸に這い上がる時に、カルシウムやミネラルを蓄える貯蔵庫として、甲殻ではなく骨格を用意した事を、潜在的に感じ取って、説明したものではないだろうか。
聖書も、コーランも、仏教経典も、みな人間が、言葉や文字を発明したからこそ、伝えられて来た物である。
だから、言葉や文字がなければ、宗教も無いと言う事に成る。
そして、言葉や文字がなければ、全ての人々が、私の様に、毎日見る夢を真実の世界と憶いながら、生活して居たのではないだろうか。
だからこそ、学校が無い自然の中で、生活して居る現住民は、夢を大事に考え、其れを見せてくれる精霊を、神として来たのである。
だから、学校が出来て、聖書やコーランや経典を、机の上で勉強する様に成れば、神やブッダは、本の中に閉じ込められ、もう夢の中には現れなく成るのである。
昨夜は、ベッドに着き眠りに入る前に、「あつらえる」との言葉が伝えられて来た。私は「イスラエル」ではないかと疑問に意ったが、やはり「あつらえる」との言葉である事が分った。
朝 PCで其の単語を検索すると、
*あつら・える【誂える】動ア下一] あつら・ふ[ハ下二]
@自分の思いどおりに作らせる。注文して作らせる。「洋服を―・える」2) 人に頼んでさせる。
と有るので、ついでに似た言葉を検索して見た。
*しつら・える〔しつらへる〕【▽設える】
[動ア下一] しつら・ふ[ハ下二]《「しつらう」(四段)の下一段化》
@ こしらえ設ける。備えつける。「庭に物置を―・える」「部屋に飾り棚を―・える」
*こしら・える〔こしらへる〕【×拵える】こしら・ふ[ハ下二]
@ある材料を用いて、形の整ったものやある機能をもったものを作り上げる。また、結果として不本意なものを作ってしまう。「弁当を―・える」「藤棚を―・える」「家を―・える」「こぶを―・える」
A手を加えて、美しく見せるようにする。化粧したり衣装を整えたりして飾る。「顔を―・える」「身なりを―・える」
B工夫を巡らし、ないことをあるかのように見せかける。「話を―・える」「うわべを―・える」
C手を尽くして、必要なものを整える。用意する。「頭金を―・える
D友人・愛人などを作る。「女を―・える」
Eなだめる。とりなす。 国語辞典より
此れらの言葉から、理解出来ることは、「あつらえる」は他人に注文して作らせる意味であり、「しつらえる」と「こしらえる」は、自分で物を作る事を意味している様である。
何故、昨夜「あつらえる」の言葉が告げられて来たのであろうか。
私が、昨日書いた文章は、儀式の件と、藤原の姓に付いてと、虚空蔵菩薩に付いてである。
虚空蔵菩薩に付いて触れれば、弘法大師空海の「虚空蔵求聞持法・こくうぞうぼさつぐもんじほう」の世界がある。
虚空蔵菩薩とは、─引用開始─
・・・「虚空蔵」は文字通り「虚空を蔵する」の意で、虚空蔵菩薩とは広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩、という意味である。そのため智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰される。その修法「虚空蔵求聞持法」は、一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるというもので、これを修した行者は、あらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるという。・・・・ 〜引用終了〜 ウィキペディア辞典
と有り、弘法大師空海は、四国の室戸御崎で其の事に成功したと伝えられている。其の事と、今朝の私のビジョンとの関係性は何であろうか。
私は、昨日の夕食で「タラの芽」の天麩羅を腹一杯食べたが、其の事で、自然との結び付きが深く成ったとの事であろうか。
弘法大師空海は、「虚空蔵求聞持法」を行じて、其れに成功し「金星・明けの明星」が自分の口に飛び込んで来る現象を体験して、大悟したと伝えられている。其の弘法大師空海の霊魂が作用して、今朝のビジョンを私に送り込んで来たのであろうか。そうであれば、生命の最先端に立って居る意識体は、弘法大師空海のモノであった事に成る。
今年の「春分・彼岸の中日」は3月20日だが、弘法大師空海の1173回目の命日は、次の日の21日である。其の日まで、残り7日である。
昨夜の「あつらえる」とは、其の日までに、何かをあつらえる必要が有るとの事であろうか。
其れに、神が私に求めて来ている事は、地球全般の事に付いて、全てを網羅する情報の組み込みである。其れが、大日如来の化身である虚空蔵菩薩の意志であり、弘法大師空海の本願であれば、私一人の能力では手に負える事ではない。
だからこそ、「あつらえる」との言葉を伝えて来たのではないだろうか。
屋久島では「了解」の意味の言葉は「ジャー・ジャー」か「よー・よー」と云い、鹿児島弁では「じゃっど」と云う。
昨夜、藤田さんに、オランダ語で「イエス・yes」を何と言うのかと聞くと、「ヤー」でスペルは「ja」との事、それだと屋久島の安房の方言である「じゃー・jya」や「よー・yo」は、「ヤー・ya」と、同類の言葉である事に成るのではないだろうか。
私は、24年前の1984年6月4日に、4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」を受け、其れから、其の霊魂・精霊・神霊の云う事を聞いて行動して来た。しかし、其の霊魂に対して、明確に「はい」とか「イエス」との返事を返してはいない。
何故かと言えば、返事をしなくても、其の前に、私の意識を占有し、手足の動きや、言葉を支配しているのだから、答えずとも、其の様に働いていたからである。つまり、抵抗しても無駄だったからである。
しかし、昨夜の様に、他人に向けて「あつらえる」事を依頼するのであれば、他人を、此の世界に引き込む事に成るので、おいそれと「いえす」と答えられないのである。
何故、今に成って、私の意識が「返事・応答」を気にするかと言えば、私の応答しだいで、精霊や神霊が動く時節が、到来している様に感じるからである。
其れに、今朝のビジョンでは、生きとし生ける物達の最先端に、自分の意識が在るとの事だから、人類の都合だけで、返事をする分けには行かないのである。
其れは、万物の霊長の立場として、「衆生一切・生きとし生ける物」の全体的バランス・調和を、図らなければ成らないからである。
今朝、私に理解出来る事は、地球上の全生命には、基本的な処に共通の「データソース・DataSource」が存在し、其れが、生命全体で情報を共有していると謂う事である。其れを、仏教では「仏の世界」と呼んでいるのであろう。
「誂える」とは、スーツを新調する意味でもある。
其れは、是まで着ていた服を、脱ぎ捨てる事でもある。
其の理・ことを考えれば、此処から先は、どんな宗教やイデオロギーも、脱ぎ捨てて、掛からなければならないと言う事でもある。
果たして、全く新しいスーツを、何処に発注すれば良いのだろうか。
其れも、データソース・DataSourceの中に、既に組み込まれているとの事であろうか。そうであれば、私は是からも、現状維持を続ければ良いと言う事に成るが、今日の処は、是以上の事は分らないので、明日のメッセージを待つしかないだろう。
「源へ還る意識」https://wave.ap.teacup.com/20060106/305.html
2008/7/8昨日の「芙蓉峰・富士山」のビジョンが、何であったのかが、今朝のビジョンで明らかに成って来た。
其れは、生命情報発信のアンテナが「珪素・シリコン・ヌカ」であり、其のヌカ「松果体・額(ぬか)」が、全宇宙の森羅万象に通じており、「時空」を支えていると言う理・ことである。
其の領域を、「無意識」の世界とか、「仏・ほとけ」の世界とか、「命・いのち」の世界とか、呼んで来たのである。
今朝のメッセージの映像は、黒い「えらぶうなぎ・エラブ鰻」の稚魚が、10匹ほど地底の水溜りの中で、泳いでいるのが映り出されて来た。
次に、私の持っている辞書の「漢語林」と「古語辞典」が、左上の床の間の棚か、右側に有る玄関の下駄箱の横に、置かれる場面が映されて来た。
其れは、是から、外界に泳ぎ出して行く稚魚達が、広い海原で、何を基準に生きて行くかを、示唆して来ている。
「エラブウナギ」とは、屋久島の横に有る「口永良部島・くちのえらぶ」に生育する海蛇の事であり、「沖永良部島・オキノエラブ」と同じく、海蛇が産卵に上陸するので、其れを捕まえて、食料にしていた古代海人が、島名に食べ物の名前を付けて、呼んでいた名残りを示している。
其れは、屋久島が「鹿・やくの島」である事で、理解出来る。
其の蛇を、「エラブ」と呼んで居た事が、「選ぶ・選択」の概念を表す言葉として、現在まで伝わっているのである。だから、世界中の古代宗教には、蛇が絡んでいるのである。
漢字の「選・セン」は、「行+共+巳+巳」の組み合わせで、字義は「自分の中に 二匹の蛇が共に住んで居て どちらに行くかを競って 選択する」の意味である。
其れは、人間の脳の古代皮質である、蛇の脳の働きを意味しているのである。
其の蛇の脳が、人間の自律神経を司り、ホルモン分泌の調節を行っているのは、現代科学の常識である。
そして、其の理を知って居た「釈迦仏陀」は、人間は言葉に拠って「悩む(名病む)」ので、物に名前を付けて言葉を使う事を止めろと、法華経の十二縁起の中で説いているのである。
それは、日本の「惟神の道」では当然の理・ことであるので、神社では、手や口を清めてから、拍手を打ち、言葉の元と成る意識を、祓うのである。
其れが、神社での本当の祓いの意味である。
だから、日本では、理屈を捏ねると「理屈を云うな」と、戒められるのである。其れは、人間の意識が、言葉に拠って組み立てられ、其の言葉に拠って「善悪」とか「損得」を考え、悩みを興して、ホルモン分泌を狂わせて、病気に成る事を示唆している。
だから、「余計な事をかんがえるな」と言う日本の言葉は、「的・まと」を射ているのである。
其の事をはっきりする為に、今朝の映像は「漢語林」と「古語辞典」を映し出して来たのであろう。
漢語林は、中国で創られた漢字の成り立ちを記しており、古語辞典は古代の日本語の意味を解釈しているものである。
其れが、床の間の棚の上に置くか、下駄箱の横に置くかの「選択・チョイス・エラブ」が、今朝示されて来たのである。
其の意味する事は、言葉や文字を飾り物にして拝むのか、自分が歩く為の履物とするのかを、明確に意識しろとの事であろう。
其れ次第で、今度、日本から世界に送り出す「般若波羅密(弥勒の情報)の智慧」が、認められるか、非かを、示しているのであろう。
其れは、智慧を象徴する蛇が、大地を這いながら、二枚に分かれた舌先を空中に出し、臭いを嗅ぎながら、行き先を選択する事と同じ行動を意味している。
現代社会の、科学の世界で解明されて来た理・ことは、人間の脳の仕組みが、二者選択の情報整理で成り立っていると言うことである。
其のシステムが応用され、現在の「1」か「0」かと言う磁気信号システムの、コンピューターが開発されたのである。
其の、磁気信号システムが、人間の脳でも働いており、其のシステムこそ、古皮質である蛇の脳の働きなのである。
其の古代脳のアンテナが、「珪素・シリコン・ぬか」の純粋な結晶体である、「松果体・松毬・第三の目・額の印」なのである。
其の「シリコン・珪素」は、地球の酸素を除くと、次に多い物質であり、大地を形成しているのは、珪素であると言うことになる。
だから、地球上の全生物は、珪素を身体の基礎にして、水で循環機能を作り出して蠢いているのである。だから、動物だけではなく、地球の全生命の意識の目は、「珪素・シリコン」の周波数で開かれていると言う事に成るのである。
だから、其の宇宙の神秘を知ろうとする人間は、大地に額付(ぬかづ)いて祷るのである。其れは、自分の意識と大地を結び付け様とする行為である。
そして、其の「珪素・シリコン・ぬか」の周波数の、携帯電話のスイッチが入って「本機・プロバイダー」に繋がる事が、「覚醒・かくせい」であり「ブッダ・仏(成仏)」に成ると言う事なのである。
そして、其の珪素の携帯電話で送られて来る情報が、全生命の情報と言う事であり、其れを釈迦仏陀が悟った世界、チャンネルした世界として、「仏の世界」と云うのである。
だから、釈迦仏陀が謂う「衆生一切我が子」とか、天皇陛下が謂う「国の民草」とは、其の携帯電話を持って、シリコン情報センターと遣り取りを開始した者の、言う言葉なのである。
昨日の映像は、其の本機が日本の富士山であり、世界の峰に、其の情報が発信されると言う事なのである。其れは、千葉県房総半島の東の鼻先で、海に揚がる太陽を観ながら育って、釈迦仏陀の法華経の神髄に触れた「日蓮」が気付いた事であり、日本の富士山・芙蓉峰から世界に向けて、公宣流布が行われると預言したのである。
昨日、繋がった岩手の「天海さん」は、宮澤賢治の気持ちの代弁者と成っており、其の宮澤賢治は日蓮宗法華経の行者である。
其れに、終戦の日の「昭和天皇」の玉音放送の後に、「日本から 世界に向けて新しい精神革命が始まる」と、神に告げられた「矢追日聖」の家も代々、日蓮宗の熱心な信者である。
其れ等の事柄を考えると、日蓮にも「ククルカーン・白山菊理姫」の御加護が在った事に成るし、其れは、永平寺の「道元禅師」と守護霊が同じであると言う事になる。
道元禅師の教えの元は「摩訶迦葉尊者」で、法華経は「舎利弗尊者」が聞き取りした釈迦の説法である。其の、摩訶迦葉と、舎利弗は、同じ釈迦仏陀の十大弟子のメンバーである。
其の事を考えると、様々な方向に分裂していた釈迦仏陀の教えが、是から、「白山菊理姫・括る神・ククルカーン」の働きで、一つに成るとの事ではないだろうか。其の様に考えると、今朝の霊夢に現れた「エラブウナギ」の稚魚達は、地涌の菩薩と言うか、新時代の、法華経の行者の誕生を意味しているのかもしれない。
そして、今朝、辞典が床の間の棚の上と、下駄箱の横に置かれていた映像の意味は、言葉は飾って拝むモノではなく、自分が歩く為の履物にする方が、正しい「選択・チョイス・エラブ」である事を、示唆しているのであろう。
其れは、「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」や「天照大御神」等と書いたお札を、床の間や仏壇に掛けて拝むのではなく、言葉や文字の存在は、自分が正しい道を歩く為の履物であり、道標であるとの理を、示して来ているのだろう。
其れは、お金儲けや、権力獲得の為に、日常の行為を行っている者が、神棚や、仏を供養する仏壇に、文字を書いた札を下げて、拝している事の間違いを、指摘している。
神や、仏の名を書いた札を、拝する事は、神や仏の行いが、自分にも授かる為に祷るモノであり、自分のエゴが、増幅する事を願うモノではないのである。
其の理を、明確にしなければ、此の日本から、新しい精神革命が起きる事には成らないのである。
現在の日本の状況は、テレビ番組の内容が、世界一低俗であるし、食べ物に、添加物や防腐剤が混入されているので、一番大事な人体が汚染され、世界一自然流産や奇形が多いし、先進国の中で、一番食料自給率も低い国である。
其れに、世界一地震の多い国であり、津波の心配も有る。其れ等の事を考えると、此の日本国は、世界のお手本として、良い国に当るどころか、悪い手本なのである。
其れを考えると、是から、日本で起きる事は、カルマの浄化であり、其の浄化の中から、新しい菩薩が、人心救済の為に立ち上がるとの、事なのかもしれないのである。
私を捜し出して、此の世界に入れた無庵師匠は、「自適さん 広島や長崎に原爆が落とされたのは 広島や長崎のカルマ・業が強かったからだ」と云ったのである。其れは、原爆の被害を受けた広島や長崎、其れに予定地であった小倉の町が、軍事産業の港町であったからだとの事である。
其の事を考えると、暴飲暴食を競ったり、世界一食べ物を捨てたりしている此の国は、一番先に、天罰を下されても、文句が言えない状況である。
だからこそ、私が、其の国難を避ける為に、選ばれたのかもしれないのである。
今朝の映像には、整理された文章が、次ぎ次に映し出されて来た。
其の、完成された文章の意味は、日本に、新しい価値観の理論が組み込まれ、正しい言霊・ことたまが、世界に向けて発せられる準備が、整った事を意味しているのかもしれない。
そうであれば、我々現実界の人間も、其の言霊が発せられる準備を、整えなければ成らないと言う事である。其れが、昨日の富士山・芙蓉峰のメッセージだったのかもしれない。
国産である「日蓮上人」の意識が、現在・いまどの程度まで、レベルアップをしているのかは解からないが、此の文章に「日蓮」の名と、「公宣流布・こうせんるふ」の言葉を打ち出した処で、私の身体に身震いが来た。
其れは、日蓮上人の霊魂の喜びか、興奮が有ったからの、症状だったのかもしれない。
其の身震いが、日蓮一人のモノではなく、空海や、最澄や、一休や、歴代の天皇霊までが、後押ししての事であれば、私に、24年前に起きた4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が、念いを叶えたと言うか、愈々本番を迎えて、此の三次元世界に現れるとの事なのかもしれないのである。
其の様に考えると、20年振りに、4311人の霊魂の先頭に立って、姿を現した私の父親が、6月24に母親の所に還って来て、同衾した事の意味も理解されてくる。
私の父親は、私が17歳の秋に、49歳で此の世を去っている。
其れが、38歳の6月4日に、20年振りに、4311体の霊魂を伴って現れ、「お前に苦労をさせたのは お前の精神を鍛える為であった。もう大丈夫だから 此の人達に身体を貸せ。だけど仕事だと想うな。遊びだ 遊びだと考えろ。」と、私に告げた。
其の夜から、私の身体には霊魂の侵入が始まり、私の手足や口は、私の意識とは違う動きを始めて、私は、自分の身体のコントロールが、利かなく成ったのである。
其の日から、24年の月日が経過し、ようやく私の父親は、其の大役から外されたのではないだろうか。
其れは、私の意識から4311体の霊魂が外れても、私の意識が崩れ去る事が無く成ったからではないのだろうか。
そうであれば、是から私は、何事も、自分の顕在意識で判断しなければ成らないと言うことである。
其れは、空海の謂う「虚空蔵菩薩求聞持法・こくうぞうぼさつぐもんじほう」が、私の意識内に修まったとの事なのかもしれない。
そうであれば、昨日のビジョンで、富士山・芙蓉峰を背景に、世界の山々の連峰を見回していた光景は、私の修了書であったとの事ではないだろうか。
其れに、人間の意識には、其れ等の立っている物が、「生命樹」や「時間の柱」として考えられ、七夕やクリスマスツリーとして、樹木が立てられるのである。
其れに、聖書に登場する、蛇の住む林檎の木も生命樹であり、カバラの秘儀も生命樹を基本としている。
だからこそ、奈良の三輪山や、琵琶湖の三上山等の「三室山」にも、蛇が住んでいるし、アステカのピラミッドにも大蛇が巻き付くのである。
其のイメージの奥には、「珪素・シリコン・ぬか」で立ち上がった富士山が隠されていたのである。
其れが、弥勒菩薩が住んで居ると伝えられている「兜率天・とそつてん」が存在する、「須弥山・しゅみせん」と言う事ではないだろうか。
昨夜は、午後訪れた「大山高則氏」と一緒に食事をした。
大山高則氏には、毎回来る度に「釈迦仏陀」の御霊が付いて来ていたし、今年に入って大山高則氏と夜食事をする日は、毎回、私に関する何かの記念日なのである。
其れなのに、昨日7月7日は「七夕節」であるだけで、是と言った記念日ではなかったのである。其れを考えると、昨日芙蓉峰が映って来た事と関係が有り、7月7日は、私の新しい記念日であるとの事なのかもしれない。
父親が死んでから、私が自分の力で始めた事は「牛飼い」であるので「彦星・牽牛」と関係が無いわけでもないのである。
能くは解からないが、何か、目出度い事が起きている事だけは、間違い無さそうである。
「生命樹の本体」https://green.ap.teacup.com/20060818/810.html
何れにしても、今朝のメッセージは「虚空蔵」の中で、新しき神意識が動き始めている事が示されて来たのであろう。
『其れは 貴方自身の 意いの中であると
言う事でもあるのですよ』 10時44分
令和2年4月29日
礒邉自適
2020/4/28
近代社会の欠点
2・4・28
昨日文章を書き終えた時に、
女神『ごくろうさまでした。』9時46分
男性神『こちらから 指定するものはありません。
貴方の思惑でどうぞ。』9時53分
と、告げられて来た関係が有るのか、守護霊が外れた私の意識(頭脳)は、自由・フリーに成った為に、「土肥無庵」に捜し出される前の「悩み多き状態」に成っており、2時過ぎ迄、悶悶として居た。
そして眠ってからの映像には、健康・優秀(優しさ・智慧者)・かっこいい・スマート等の言葉が全て当て嵌まる、60歳半ばの男性が私の所に訪ねて来て、紛争の仲裁を手伝ってくれと謂うので、私は其の男性の様子・雰囲気から、手伝う気に成り、ノコノコと現場に出掛けて行った。
だが、其の現場は、日本人の世界ではなく、中東の様な人種の世界であり、皆が自分の部族・家族を守る為に、お互いが一歩も引き下がる事が無いので、何も解決できないままであった。
次に、日本社会の様な場面が映し出されて来て、皆が田舎に逃げ出す為に、必要な物を奪い合う様にして、車に積み込んで居る様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時4分」であった。
其れから、再び電気を消して横に成り、今朝のビジョンの意味に付いて考えて居ると「200万」との数字が告げられて来たので、私は其の数字は、ウイルス感染の死亡者数であるのだろうかと意った。
そして、今朝起きた時刻は7時20分である。
今朝は、PCを立ち上げ今朝起こされた「6時4分」と「7時20分」の数字から、昨年の6月4日と7月20日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2019/6/4本日6月4日は、私が1984年6月4日に屋久島の安房川の岸辺で、「土肥無庵」が見守る下「禊ぎ祓い」を行って、4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」を受け、神の世界に飛び込んでから、丸35年目の日である。
そして、最初に告げられて来た言葉が、「残り16年半しかない」「アンテナが二つ要る。四次元プログラム=水素原子管理。」「事象の特異点・新しい神の座標軸」等のテーマ・課題であった。
今朝のメッセージの映像は、先ず、四枚開きのサッシ戸の入り口が土台からこじ開けられて、屋内の物が全て無く成っている場面が映し出されて来た。
其れは、私が必要としている生活必需品を始め、事務関係の機器・用具や、文章などの文字関係・写真記録などの物が、全て何も無く成ってしまっている事を示唆していた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「4時3分」であったので、神武天皇の大祭日(命日)である4月3日の事を思った。
其れから再び眠ると、私が訪ねた家が、調理場や風呂だけではなく、トイレも無い家屋であり、食料も無いので、全く生活が出来ない条件の施設なのである。
そして、庭の方に出て見ると、畑も無く、食べられる野草も無い事が判った。
其れ等の、人間の暮らしに必要な物が何も無い状況を考えていると、日本語の横文字の文章が映し出されて来て、其の文章の中に「广・ゲン・ゴン・家」中に「甲」「乙」の様な簡単な文字が入っている、二文字が混ざっている事が、認識された。
次に「91」と「61」の文字が映し出されて来て、其れは「九(陽)の一(はじめ)」と「六(陰)の一(はじめ)」を、示唆している事が理解されて来た。
其れから「何も無い時間軸から」との意味が示されて来たので、照明を点けて時計を見ると時刻は「7時15分」であった。
今朝はPCを立ち上げ、今朝起された「4時3分」の数字から、今年の4月3日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「建国」文章の中に貼り付けられている、三つの文章の題・内容は「建国」のテーマと共に、今朝のメッセージ「何も無い時間軸から」とのテーマの前置きである様である。・・
是等の文章の内容から考えると、今朝のメッセージは、是まで人間が築き上げて来た「文明・文化」を一切消去して、「無・空」から「立ち上げる・組み直す・考える」必要が有ると言う事であり、其れは、昨日の「時間を止める者がブッダ」との言葉と関係が有り、「陰・六 & 陽・九」の世界を「一・はじめ」から創出・創造しなければ成らないと言う理・ことが、示されて来ている事に成る。
私が35年前、此の世界に飛び込んだ切っ掛けと謂うか、神のプログラム・計画を引き受けたのは、自分の息子(海生・4歳)が第三次世界大戦(核戦争)の放射能汚染で死亡し、私は其の息子の遺骸を両手で抱いて、泣きながら葬式をする映像を見せられたからである。
だが、今朝のメッセージの映像は、人類が創造して来た文化文明が何も無い・全くの無から、人間の生活や文化を立ち上げて行かなければ成らない理・ことが示されて来ているので、35年前の時点とは、状況が全く異なると謂うか、反転している事に成る。
其れに、今朝「何も無い時間軸から」との言葉・意味が告げられて来た時刻が「7時15分」であったのは、本来のお盆が旧暦の7月15日に行われていた事と関係が有り、「何も無い時間軸から」との言葉の意味は、仏教(釈迦の教え)である「お盆・彼岸に渡る」との世界と関係が有り、今朝のメッセージは昨日のテーマ・題「時間を止める者がブッダ」の続きである事にも成る。
『私は 過去・現在・未来に在り 衆生一切わが子』
キー「お盆 彼岸に渡る」・・
此の「十二因縁起」の内容から考えると、私は其の釈迦牟尼世尊の教えと謂うか、真髄を、今朝体得した事に成り、其の時点から「新しい座標軸」を立ち上げて行かなければ成らないとの事なのであろう。
其れは明日6月5日が、私が此の世界に飛び込んでから「12干支×3回=36年」の「一・はじめ」の日である事と関係が有り、「陰・六 & 陽・九」の世界を「一・はじめ」から創出・創造しなければ成らないと言う事なのであろう。
今朝のメッセージの映像の文章の中に、「广・ゲン・ゴン・家」中に「甲」「乙」の様な簡単な文字が入っている、二文字が混ざっている事に、どの様な意味が有るのだろうか。
甲乙には、「甲乙付け難い」との言葉が有る。
甲乙(こうおつ)付(つ)け難(がた)・い
二つのものに差がなく、どちらが優れているかを決めるのが難しい。「―・い作品だ」 デジタル大辞泉の解説
此の言葉からすると、今朝の映像で、家の中の物品が全て持ち出されていた事と関係が有り、甲乙の後に「91」「61」の数字が示されて来たのは、「陰陽・雌雄・男女」「乾坤」「拡散&収縮」「+(プラス)−(マイナス)」等の存在・はたらきには、順位が付けられない・対等の関係であるとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れは、老子の「タオ・道」の概念と通じており、「广・ゲン・ゴン・家・空間」の中は、陰陽(ペアー・番)が存在しなければ、物事が成り立たない理(ことわり)が示されて来ているのであろう。
「何も無い時間軸から」https://green.ap.teacup.com/20060818/5011.html
此の「何も無い時間軸から」の文章の内容から考えると、今朝示されて来た「200万」との数字がウイルス感染による死亡者の数であるとすれば、現在の死亡者数が20万6000人超であり、10倍程の数に成るので、200万に達するまでには、世界の経済が大打撃を受け、壊滅状態に成るので、新しい価値観の社会構造を立ち上げなければ成らないとの事なのかも知れない。
2019/7/20今朝のメッセージの映像は、私の知り合いであり忠誠心の塊の様な「芳我美光」氏が登場して、私を仁徳に有る医師の自宅の離れに案内する場面が映し出されて来た。
其れは其の医師が、私の事を理解し、応援をしてくれる事を示唆していた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は2時9分であった。
其れから再び眠ると、大きな農園の存在が映し出されて来て、其の農園にはピーマンが広く栽培されており、農家が本格的な収穫を終えた後の残りを、一般の人々に解放して、好きなだけピーマンを収穫させている場面が映し出されて来た。
其れから、子供達が自然の中で様々な学習を行って居る場面が映し出されて来て、人間は太陽の下で育てられる事が基本である理・ことが示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は5時00分であった。
今朝最初に起こされた「2時9分」の数字と「芳我美光氏」の関係は、私が愛媛県伊予市中山に住んで居る時に、2001年2月9日に「グリーンクラブ」を立ち上げて、其のシール・マーク」を芳我氏が作ってくれた事が有るので、今朝の映像で、芳我氏が私の事を理解できる仁徳の有る医師の家に案内した事は、其の医師が「グリーンクラブ」の事に付いて理解できる御仁である事を示唆しているのではないだろうか。
2010/10/4「ポータルサイトグリンクラブ」
2005/2/10「グリーンクラブ」
此の文章の内容からすると、今朝の映像の農園の様子や、子供達の学習の風景からすると、其の「グリーンクラブ」の活動が、医師及び医療関係の手によって、立ち上げられることが示されているのかも知れない。
「太陽の子」https://green.ap.teacup.com/20060818/5058.html
此の文章は、昨日の「緑のネットワーク」の文章と関係が有り、私自身が自分の考えで、何らかの思惑・プログラムを立ち上げる・考え出さなければ、天神・神々も手を差し伸べる事が出来ないとの事なのかも知れない。
今朝のビジョンは、昨日起き掛けに「世界各地で紛争が多発する」との言葉が一言告げられて来た事と関係が有るが、私は新蓬の草餅を食べる事で、穏やか・しあわせな気分に成り、其の穏やかな気持ちの儘、此の文章を打つ事が出来た。
そして、私は、「全ての事から卒業しているとの事であり、是以上精神・こころを悩ます出来事は起きないと言う事なのであろう。」と書いたが、実際には床に就いて目を閉じると、「土肥無庵」に捜し出される前の、様々な物事に悩みを抱いて居た状態に帰って居た。
其れを考えると、私は「霊留・ひと」の間は「しあわせ・仕合わせ」であるが、一旦霊魂が離れて「からだ・空・殻」に成れば、人間社会のカルマ・業に飲み込まれてしまう・取り込まれてしまう人間の儘である事に成る。
其れを考えると、「霊留・ひと」と「信仰心」の言葉を、再構築しなければ成らないのではないだろうか。
其の意味でも、昨日紹介した矢追日聖法主の講話は、大変参考に成るモノであり、頭の整理に役立つ事に成る。
「おおやまと新聞」4月号 http://www.ohyamato.jp/ohmotomiya/pdf/oymt202004.pdf
「御魂鎮めをする事の意味」昭和44年4月23日
矢追日聖法主 57歳
其の矢追日聖法主の話の内容からも、我々は神霊界の働きと共同参加で、何か新しいプログラムを立ち上げる事が必要であるとの事なのであろう。
私は是までの36年間で、様々な事・企画を立ち上げて動いて来たが、其れは時期尚早なのか、私の考えが未熟である為か、耳を貸す人々が少なかった為か、将又(はたまた)私には神のメッセージを受け取る義務・役目が有るので、天意が深入りをさせない様に図らった所為なのかは分からないが、現在の時点では何の計画も無い。
其れらの計画を、再び復活させる気力も財源も人材も無いが、是までの行動では様様な体験・経験を積んでいるので、若者達の相談役程度の事は出来る・可能であろう。
私が36年間思い入れをして来たのは「正しい世界暦・カレンダー」と「新しい政(まつりごと)」を立ち上げる事である。
其の事が受け入れられる世の中にでも成れば、すぐにでも皆が実行に移せるし、其の為のアイデアを持っては居る。
キー「新しい暦」
1995/5/17・・20年8月15日、日本は天皇陛下の玉音放送と共に敗戦を迎え、無条件降伏と成った。
其の日、奈良市の登見に有る民族祖廟大倭神宮にて、一人の大和男子が、涙して地面に平伏して居た。其の大和男子とは「矢追日聖」の事である。
矢追日聖とは、明治44年(1911)12月23日に、大倭神宮の神域で誕生した者である。
其の地は、神武天皇東征の時、空が黄金に輝き出して、其の空から金の鳶・トビが降りて来たとの伝承の地「登見(鳥見)」である。
そして昭和20年8月15日、此の瑞祥の地で、矢追日聖に神意が示されたのである。
其の神意とは、「日聖よ泣くな これは神の計画である」と告げられ、次に地球儀が映り、其の地球儀には世界中に日の丸が立っていて、「日聖よ 日本から 新しい精神革命が起き 人類救済をする為に 今回の戦争は 必要であったのだ」と、示されたのである。
其の、新しい精神革命・新しい価値観とは、
1)太陽運動の冬至を元旦とした暦に拠る生活。
2)あじさいの花の様な仕組みの価値観と ネットワーク社会。
・ネットワークは コンピュータと衛星通信網に因って可能に成った。
・現代の西洋暦は 冬至より一週間遅れており 本来の太陽暦とは言えない。
現在の暦では、冬至は12月23日前後なので、西洋暦の元旦は、其れより一週間遅れていて正確な太陽暦ではない。
だから、是を一週間前に進めて、太陽の動きに正確に合わせ、其れに、月齢と他の惑星の動きもインターネットに拠り、何時でも把握出来る様にする。
其れに拠って、人類の意識が宇宙に向かい、體のリズムや農耕・漁業まで、古代の人達の様に、人間と宇宙の関係を実感体験できる様になる。・・・
「新しい暦を考える会」http://star.ap.teacup.com/2007313/422.html
2007/5/1・・そして、私に現われた暦は、新しき社会で使用される物で、自然の移り変わりや惑星の運動に適った物だと言う事だろう。
私は、12年前に「新しき暦を創る会」の名刺を作り、近江神宮に出入りしながら其の暦の必要性を多くの人に話して来た。新しい暦・カレンダーとは、世界共通の暦で、惑星の運行に合った物で、皆が受け入れられる価値観に基づいた物である。
現在、多くの国で使用されているローマ暦は、新年が冬至から1週間も遅れているし、偶数月である2月は28日で、8月は31日・12月31日と、日付も王様の都合で真面な物ではないのである。
人間の、体のリズムは、月の運動に因る潮の満ち干きに拠って創り出された物だから、月の運動を意識から外してはいけないし、地球の北半球と南半球は、夏と冬の季節が反対なので、祭りや暮らしを一色単にする分けにも行かないのである。
其れ等の事柄を踏まえた上で、世界全体で使用出来る暦を創る必要が有るのだ。・・・
「新しい暦」http://green.ap.teacup.com/20060818/273.html
2007/2/18「月讀界・つきよみかい」https://star.ap.teacup.com/20060505/27.html
2014/7/26「天津日嗣の太祝詞」https://green.ap.teacup.com/20060818/3142.html
2016/9/10「物の形とアイデンティティ」https://green.ap.teacup.com/20060818/3984.html
2017/4/6「生きる命」https://wave.ap.teacup.com/20060106/735.html
2019/8/19「2月30日」https://green.ap.teacup.com/20060818/5089.html
キー「新しい政(まつりごと)」
1994/7/211984年6月4日。此の日は、私にとって最大の人生の転機となった。玄米自然食を3月5日に始めて、丁度3ヶ月目の日の事である。
私は、無庵師匠に1983年3月18日に捜し出されて、「自適さんは 使命の有る人だから 仕事を全部止めなさい。食事を正したら 3ヶ月で細胞が全部入れ替り 新しい人生が始まるから」と云われて、其れを実行して居たのである。
50日程で、58kg有った体重が48kgを割る処までに減った。
しかし、私の体の生体電気は高まり、螢光燈を外して手に持つと、明かりが灯る様に成り、部屋の中に置いて有る携帯ラジオの電池が充電されて、鳴り出したりする様に成ったのである。
そして、其の日は静かに訪れた。
無庵師匠が、私の事務所の机の椅子に静かに座って居る。私も、其の向かい側に有る机の椅子に座って居た。すると、私は突然、入神状態に陥って、勝手に口がしゃべり出したのである。
「先生 後16年半しかない」「アンテナが二つ要る」「チャンスは一度 失敗は許されない」と、無意識にて謂った。
其れから、弟に向かって紙を用意するように云って、私は立ち上がり、両手を大きく広げ「お前達は 私の両手の中だ」「ただ今より 宇宙語を伝える」と云うのである。
其の時、私は自分の意識は有るのだが、自分の口と、肉体の動きを、自我意識では制御出来ないのである。
神掛かりの人で、自分が何を云っているのか、分からない人が居るらしいが、私の場合は全部覚えているのである。
其の時、私の口から発生された言葉は、世界の組織として「四次元プログラム」と「水素原子管理」の仕組みを、創れとの事であった。
そして、自分の手にペンを持って書いた紙には「海渡族の謎を追え」と有った。
其の時には、これ等の事柄が、何の事だか良く解らなかったが、大体起きた事を説明すると、この様なモノだったのである。
其の日から、今日まで様々な事が続いている。
此の日の出来事を、私なりに判断すると「四次元プログラム」とは、「絶対世界」の事であり、「魂の世界・精神・霊界」の事だと想う。
其の世界を、プログラムする組織が一つと、もう一方の「水素原子管理」とは「相対世界」の事であり、目に見える物質の管理である。
つまり、宇宙の物質は、水素原子を元として出来てきたモノであるから、地球のエネルギーや資源を含む、一切の管理をする組織の事だと考えられる。
私達人類は、神の計画に因って、此の地球上に人間として存在している。
神は、次の段階へと進む為に、新しい計画を始めているのである。
其の、新しい世界が創造される為には、古い世界が壊されなければならない。
古い世界を、誰が壊すのか。其れを、人間自身の手で行なうか、神の意志で行なうかである。
神が発動して、神の手で壊す事に成ると大変である。
其れは人間にとって、未曾有の危機と言うことに成るのではないだろうか。
それよりも、人間が自らの手で、静かに穏やかに、壊していった方が良いと想われる。
幸いにして、「米・ソ」の対立による最大の緊張は、一応は遠のいた。
現在、日本の政治や経済は、21世紀に向かって大きな岐路に立たされている。古い体制に、しがみ付いて離れようとしない者と、改革を進めようとしている人達が居る。
私の他には、神のメッセージとして、天の計画を知らされている人達は居ないのだろうか。人間の知識だけでは、簡単に事が進まないようである。
私が、神からのお告げを受け始めて、やがて10年になろうとしている。
いまの段階で、私のイメージする処を述べてみようと意う。
「四次元プログラム」として、現世にあるモノ、それは「宗教」と「教育」である。
私達は、生きて此の世に存在している間の、魂しいの段階に拠って、見えない世界との交流にも格差が有るようだし、死後も、その人の魂しいの修業レベルの高低差に因って、霊界での住む世界が異なってくるようである。
・ 現在、世界には様々な宗教が有る。
宗教は、その民族の生活習慣と密接に関わっており、切っても切り離せないものとなっている。そして、宗教の違いは、戦争の大きな原因でもある。
私達は、今回の禊ぎのトキを最後のチャンスとして、世界を一つのネットワークで繋ぎ、平和を確立し、維持する体制を整えなければ成らないのである。
そして、新しい教育体制を確立し、世界人・地球人としての意識を持てる人材を、育てる社会を創造しなければならない。
その為には、文部省を政府から独立させ、体制からの押し付け教育ではなく、また個人より社会体制の方が大事と言う教育でもない、個人個人が主体性と自覚を持ち、責任と義務を果たしながら、幸福な人生を送れることを指針とする、価値観を創出しなければならないのである。
そんな社会を建設する為に、必要な人材を育成する教育機関を創設しなければならないのだ。其れは、真に完成された教育の基盤創りである。
学校の教育課程の中で、宇宙と人間の関係性を学び、魂しいの進化の為の学問を行なえば、宗教家は必要なくなるのである。
教育機関の運営費は、現在行なわれている、国が国民から徴収した税金の一部を教育費とするのではなく、最初から教育費として別会計で徴収する税金と、民間からの寄付によって運営して行くのである。
「四次元プログラム」の組織運営による学校で、心身共に豊かな人間を育成し、世の中に送り出すのである。
一方「水素原子管理」とは、世界人類を始め、全ての生物、エネルギー、資源など、目に見える世界の全てを、管理運営する組織である。
現在、地球環境は日増しに悪化している。一日も早く、人類活動の方向転換を計らなければ、危うい状態に陥ってしまう。
現在の国連を一層整備し、各国政府はその内に入り、軍隊は国連の機関としての世界警察と成り、各国の国家警察は其の一部の組織として整備され、其の組織は地球全体の環境の復興と、全世界の国民の安全を守る為のものとならなければならない。
国連(世界政府)は、世界の人口と食料の安定を計るために、常時、世界人口と食料を把握し、それを調整し、地球環境保全に最大限取り組まなければならない。
・ 現在の政治体制を、根本的に変革するのである。
先に述べた、二組織「四次元プログラム」「水素原子管理」の人選は、小さなブロックから各二名を選び、その代表が、順次上の代表を選んでいく形が良いと思う。
「四次元プログラム」の人材は、精神的かつ絶対界に対して能力のある人で、「水素原子管理」の人材は、相対界に対して能力のある人である。
両組織とも、お互いが顔を知り得て、人間性を確認できる範囲の中から、自分達の代表を選ぶのである。
そうして選ばれた人達であれば、公の立場から物事を判断できる人に拠る、組織運営が出来る事になる。
基本的な、民主的土台から選ばれた人達に拠って、次の段階の人選が成されるのである。
二段階目は、先に選ばれた人達の中から、公民館運営が出来る規模の代表を選ぶ。この段階で、ゴミやリサイクル等の処置の仕組みを可動させる。
三段階目は、二段階で選ばれた人達の中から、代表を各一名選び、次の県段階へ送り出す。
其れは、現在の県議会議長の規模で、「四次元プログラム」の方は学校問題を、「水素原子管理」の方は、今の政治の部分を取り扱う。
四段階目は、県の代表として国会へ一人送り出す。
この人達50名くらいで「国の政治・まつりごと」を行なう。
「四次元プログラム」の代表は、精神的な指導・講演などで多忙になってくるであろうが、全国に50名くらい居れば大丈夫のことと考える。
五段階目は、国の代表を、この中から選んで国連議員とする。
そして最終の六段階目で、世界の長が誕生することになる。
(尚、事務系統は各分野において専門家が行なうこととする)
精神的な「長・おさ」が、「四次元プログラム」の長として出る事に成るが、現在存在する「天皇。ローマ法王。ダライラマ」等の存在の頂点に立ち、世界の宗教の束ねとして、世界人類の魂しいの中心と成るのである。
魂の中心が出来ると、教育の方向性も安定して、青少年達は明るく、勉学の道を進むことが出来ると考えられる。
「水素原子管理」の、相対界の代表としての長は、各国の代表「現在の大統領・総理大臣・書記長」等が、国連に集まって決めるのであるが、此の段階まで上がれる人は、精神的にも完成されているものと考えるので、世界をバランス良く管理指導すると想像出来る。
以上述べた各段階は、任期を定めるので世襲制が無く成り、真実の有る平等な社会となる。
其の様な社会であれば、皆が等しく、スタート線からのゼロの出発なので、能力次第でトップまで運ばれて行く事に成るから、国民には無限の希望が生れ、魂しいの修業と、人生体験を積んで行くことが楽しくなるであろう。
そう成れば、若い人も学問するのが楽しくなり、一生を積極的に生活できる様に成るであろう。
・世界には国境が無くなり、人々は自由を得る。
土地は、個人や国の所有物でなくなり、土地其の物は、地球本体だという認識が、人類共通の概念となる。
土地は、国連が管理し「保全地」「公園」等の公用地を除いた残りの土地を、誰でも自由に借りられる様にする。
借り手である国民は、税金を納める代りに「借地料」を払えば良いし、個人の所有権が無く成る事によって、「先祖代々の土地を 守らなければ成らない」と言う、束縛からも離れることが出来る。
人々は皆、継続の束縛から自由となり、親の後を継ぎたい者は継げば良いし、自由に成りたい者は、世界中何処にでも好きな土地・国に行き、職業を選択することが出来る。
其の様な社会体制が出来上がれば、人間は皆、好きな様に人生を送ることが出来るだろう。
食料を、人口密度の高い都市まで運ぶのではなく、身土不二の原則に法り、人間の方が、食料の有る所へ移動すれば良い。
出来るだけ、エネルギー消費の少ない社会を造り上げ、世界の人々は笑顔の絶えない理想郷に住まなければ成らない。
以上述べた様な社会こそ、老子の言う「道・タオ」に適った国の在り方であり、イエスや、釈迦が、夢見た世界である。
私は、これ等の事が自分一人の夢ではなく、世界の人々が同じ夢を見ることに拠って、現実と成ると想う。
私は、全世界の人達が、皆同じイメージを持ち、一人一人が、其の様な夢に向かって歩き始めれば、世界は百%そう成ると想うのである。
今はもう、一部の権力者と、経済的に強い者だけで、人間社会を組み立て維持することは出来ない時代と成ろうとしている。
権力と経済は、民が存在してこそ維持できるのである。全体が滅ぼうとしている時に、今の座にしがみ着いて居ると、その者こそ一番の悲劇を迎えるトキを、自ら招く事に成るであろう。
神の「其の日」は、一日一日と近付いているのである。
どちらの道を選ぶかは、人間一人一人に委ねられている。
其れが、神の愛である。
神は、今度こそ、人類最後の飛翔をすることを願っている。
我々は、いまこの時代に生ある事を、感謝しなければならないのである。
「我われの使命」https://moon.ap.teacup.com/20061108/14.html
2006/1/6「龍蛇の警告」https://star.ap.teacup.com/170606/714.html
2009/1/4「地球の管理」https://green.ap.teacup.com/20060818/1000.html
今朝のビジョンから私に考えられる事は、一人や二人の賢者・聖人・キリストが現れても、其の人間の謂う理・ことを、人々が理解できなければ、人間社会が正しく生まれ変わる事は不可能であるとの事である。
其れを考えると、今回のウイルス感染の問題は、天神・宇宙意思にとって、人間に気付きを与える為の、最上の手段・謀(はかりごと)であるとの事なのかも知れない。
令和2年4月28日
礒邉自適
2020/4/26
慈悲と人情
2・4・26
今朝のビジョンは、私が劇作家としてプロデュースした作品・物語が、「オスカー賞」を受賞する様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時10分」であった。
其れから再び眠ると今度は、「天皇」と「乞食(こつじき)」が同類である事が示されて来て、乞食の方が「慈悲」と「人情」に充ちている理・ことが示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は7時25分である。
其れからPCを立ち上げ「オスカー賞」を調べると、次の様に載っている。
*オスカー像(オスカーぞう、英: Oscar Statuette)は、アカデミー賞の副賞で、裸の男性の立像である。
アカデミー賞各賞の受賞の際に、刻印され贈呈されている。
*アカデミー賞
アカデミー賞(アカデミーしょう、Academy Awards)は、アメリカ映画の健全な発展を目的に、キャスト、スタッフを表彰し、その労と成果を讃えるための映画賞。授与されるオスカー像から、単にオスカー(Oscars)とも呼ばれる。
アカデミー賞は授賞式前年の1年間にアメリカ国内の特定地域で公開された作品を対象に選考され、また映画産業全般に関連した業績に対して授与される。
前年の作品が対象となるため(第7回から)、2012年に開催されたアカデミー賞を2011年度などと表示することが慣例である。第1回アカデミー賞は、1927年から1928年7月31日までに公開された映画がノミネート対象となっている。なお、テレビ中継はアメリカの放送局、ABCで放送され、日本ではWOWOWで放送される。
フリー百科事典『ウィキペディア』2020/04/26現在
其れから、起こされた「4時10分」と「7時25分」の数字から、今年の4月10日と、昨年の7月25日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/4/10今朝のビジョンは、先ず、一昨日のビジョンで二人乗りしていたオートバイが映し出されて来て、其のオートバイは金属製の物ではなく、陶器製(粘土・珪素とアルミの化合物)の物である事が判った。
次に、後ろに乗って居た男性の他に二人の男性が手伝ってくれて、大量の餅を搗き上げ、其の作業が済むと其の三人は帰って行った。
私は一人で、其の大量の餅を切り餅にして、20mもの長さが有りそうな、登り窯の様な竈(かまど)の上に並べる作業を始め、其れが済んでから竈の入り口に火を入れた。
すると、70歳位の男性が通り掛かって、私が行った作業の手順を調べて、儀式に間違いが無い事を確認してから、納得しながら再び先に通り過ぎて行った。
私は、一人で其の餅が焼けるのを見守って居たが、竈の長さがとても長いので、途中で炭の様に焦げている個所も有るので、私は其の作業は一人では駄目だと意い、竈の火を消してしまった。
次のビジョンは、私がテレビかラジオのトーク番組の作成に協力・参加している場面が映し出されて来て、私は自分の標準語を上手く話せる様に成る訓練を行って居た。
今朝起きた・起こされた時刻は「7時15分」である。
其れからPCを立ち上げ、7時15分の数字から、昨年の文章を確認すると、次の様に書いて有る。・・
此の文章に目を通してから、PCを立ち上げ、題目を何にしようかと考えて居ると「何がなんでも」との女神の言葉が告げられて来たので、其の言葉を打つと、続きの言葉が告げられて来た。
「何が何でも 貴方にやって欲しい事が有ります。
其れは 貴方にしか出来ない 道標の完成です。
其の為に 此方は 最大の努力を 図りますので
貴方の面目を掛けて 其れを行ってください。
それがなければ 此のプログラムは
此の儘 立ち消えと成ってしまう可能性が高いのです。
其れは 人類の進歩の目途が 立たない事にも成るのです。
良いですか 是は 此処まで修行を続けて来た
貴方にしか 出来ない事なのですよ。
ですから 其の事に 意識を集中してくださいね。
アンデルセン 」 8時23分
何故最後に、童話作家である「アンデルセン」の名前が告げられて来たのであろうか。・・
何故、童話作家のアンデルセンの名前が告げられて来たかを考えると、起こされた時刻7時15分の数字の日付の文章が「良い子悪い子」である事と関係が有り、子供の成長には何等かの「物語・ストーリー」が必要不可欠であり、大脳の情報次第で人間の気持ち・精神が、決定してしまう理・ことが、強調されて来ており、其の事に、是から私が取り組む必要があるとの事なのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝のビジョンで、私が放送番組の収録に関わって居た場面が関係が有り、私は劇作家の様な役割を果たす必要が有るとの事なのかも知れない。
キー「多賀大社 頭痛」
【豊受大神】とようけ‐の‐おおかみ〔‐おほかみ〕 の解説
伊弉諾尊 (いざなぎのみこと) の孫、和久産巣日神 (わくむすびのかみ) の子。五穀をつかさどる女神で、伊勢神宮の外宮 (げくう) に祭る。豊宇気毘売神 (とようけびめのかみ) 。とようけのかみ。とゆけのおおかみ。国語辞典より
其れに今朝の映像で、私が20mもの長さが有りそうな登り窯で、搗いた餅を焼こうとして居た場面は、熊野大社で毎年10月15日に行われる「保食神・うけもちのかみ・受け餅の神」の儀式である「亀太夫神事」と関係が有り、「御饌都神・みけつかみ」や「宇迦之御魂神・うかのみたまのかみ」と関係が有る事に成る。
其れに、由香の今朝のビジョンにも、大きな窯が出て来て火が付いている場面が映し出されて来たとの事である。・・
其れに、正月に神棚にお供えする重ねて置く「鏡餅」が、七回半トグロを巻く大蛇(大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神)の存在と関係が有る。
其の七回半トグロを巻く大蛇の身体を伸ばした姿が、今朝のビジョンに映し出されて来た登り窯の存在であり、上に並べ置かれた切り餅は、大蛇の鱗を意味しており、私一人では、其の大蛇の身・存在を守る・維持管理する事は、不可能であるとの理・ことが示されて来ているのであろう。・・
其れに今朝のビジョンに、一昨日のビジョンで私が二人乗りをしていたオートバイが金属製の物ではなく、陶器製の物であったのは、陶器を作る粘土が珪素・シリコンとアルミの化合物である事と関係が有り、我々の魂しいが乗り物としている此の肉体は、「珪素・シリコン・シリカ」が受容体として、機能している理が示されて来ているのであろう。・・
此の「文字の力」の文章の内容は、昨日の「文字曼荼羅」のビジョンと直接関係が有るので、人間の意識を組み上げて来た意識構造は、太陽の神(はたらき)の影響にて出来上がって来た物であると言う事であり、其の仕組み・世界を古代の人々が潜在意識で感じ取って居たからこそ、アステカの「シュー・コアトルのベア」の太陽の石鏡や、中国の神獣鏡(銅鏡)の存在、エジプトの太陽の船に乗り込んでいる「イシス神」の頭に鏡が取り付けられており、日本でも三種の神器の鏡が中央に置かれるのであろう。
其れを考えると、未来社会創造にとって最も大事・重要な事は、是から文化を創造して行く子供達(男子)の教育に対して、根本からの改革が必要であるとの事であり、現在・いま子供達の意識に悪影響を与えている物事を、此の世から一掃しなければ成らないと言う事に成る。
其れを考えると、現在拡散し続けている新型ウイルスが子供達にはほとんど害を与えていない事の理由が分かる。
「物語・ストーリー」https://green.ap.teacup.com/20060818/5329.html
此の「物語・ストーリー」の文章・メッセージは、正に、今朝のオスカーの言葉と関連している事に成る。
2019/7/25昨日は午後パソコンに向かって居ると、睡魔が襲って来たので、作業を中止して暫くベッドに横に成った。
すると、意識一杯に澄み渡った青空が映し出されて来て、其の中央に、白いスジ雲が螺旋状態で天空に伸び上っている場面が映し出されて来た。
そして、其の螺旋状態のスジ雲は、空中に螺旋構造のタイムトンネルの様なモノが存在し、其の影響で白いスジ雲が外側に巻き込まれている事が理解出来て来た。
其れは、私が35年前に此の世界に飛び込んだ時に、高圧電線からマイナス電気(粒子)を自分の肉体に充電して、天空(宇宙)にタイムトンネルの穴を開け、時代毎の神霊を、現在・いまの時空に集めた事と関係が有りそうである。
其の事と関係が有るのか、今朝のメッセージの映像には、私の是までの行動・関わりで、此の三次元世界(人間界)に、男女の区別無く、新しい人材が用意されている事が示されて来た。
次の映像は、とても背の高い杉林の中に、一段と高く大きく聳えている木の上から、私が逆さに地上に向いて降りて行くと、其の地上には、日本人の人間国宝に選ばれた各分野の年配の男女が、私が降りて来るのを待っている姿が在った。
次に、私は年配の男性執事の様な人物に案内されて、立派なホテルの様な建物施設の中に入って行き、部屋の中で、正式な服装に着替える場面が映し出されて来た。
次に、白胡麻の様なとても小さな粒が一粒載っている、赤みかかった色の丸い敷物(円いお盆の様な形)が映し出されて来て、其の敷物は、広いグレー色のマットの上に置かれている事は判った。
次に、額縁の中に幾つかの「○▽◇」の様な形が、様々な色違いで、数個組み合わされている作品が、次々に数十枚映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は7時4分であった。
其れから、しばらく横に成って今朝のメッセージを反復して居ると、時計の秒針の音が耳に響いて来て、私の心臓の鼓動と共鳴している様な気配が感じとれて来たので、私は、1分の60秒は12進法で「12×5=60」なので、半還暦の60歳と関係が有り、全還暦の120歳は「12年×10回=120年」である事を想った。
其れに、私が安静にして居る時は、脈拍(心臓の鼓動)は一分間に60回であるが、呼吸(肺の動き)は一分間に12回である。
其れを考えると、一日が「12時×2=24時」で割り切れる事の不思議さを感じ、地球の自転と人間の心臓の鼓動の回数が、何故一致するのかを想った。
そして、其の理・ことが、人間が「彼岸に渡る・済度される」事の近道であると思った。
何故かと謂うと、仏教の「精進・しょうじん」との言葉は、「絶対安静」の言葉と関係が有り、人間が全ての行為・行動を停止して、誰とも会わず、言葉も使わずに脳を休めれば、1分間の脈拍が60回に安定するからである。
そして、其の事からマヤ文化で生きた心臓が捧げられる「チャックモール」の事を思い出し、本日7月25日は、マヤの暦で「時間の無い日」である事を思った。・・
此の文章に書いて有る「トーテンポール」の存在は、今朝のメッセージの映像で、私がとても高い木の上から、人々が待つ地上に降りて行った事と関係が有り、今朝の私の意識は「高木の神(高皇産霊神・たかみむすび)」の存在を表していた様である。
其れに、白胡麻の様なとても小さな粒が一粒載っている、赤みかかった色の丸い敷物(円いお盆の様な形)が映し出されて来て、其の敷物は、広いグレー色のマットの上に置かれていた場面からは次の様な事が考えられる。
1白胡麻の様なとても小さな粒が一粒。
・地球生命が40億±2億年前に海に誕生した理・ことと関係が有り、其の小さな粒は「生命のモト種子」を示唆している。
・其れは、「素戔嗚尊・すさのをのみこと」が、海原を治める役割である事と関係が有り、三種の神器の勾玉や、エジプトの「アンク」の概念に通じている。
2赤みかかった色の丸い敷物(円いお盆の様な形)。
・地球に生命が誕生したのは、太陽の働きで海水が凍り付かず、植物の炭酸同化作用で酸素が発生し、其の酸素に因って動物が生きられる。
・太陽光線の存在で昼間が有るので、視覚(眼のはたらき)が生れ、物が見える事で脳が発達し、物に名前を付ける事で、人類の文化が発生した。
・其れは「太陽信仰」の原点であり「天照大神・ラー」の名が考えられた。
3広いグレー色のマット。
・其れは「無」の概念と関係が有り、宇宙空間を示唆している。
・其れは、日本の「月読界」やエジプトの「冥界、ホルス神」と関係が有る。
・全ての現象物の存在は、グレーである、意味の無い世界・混沌から生じた理を示唆している。
次の、額縁の中に幾つかの「○▽◇」の様な形が、様々な色違いで、数個組み合わされている作品が、次々に数十枚映し出されて来た場面は、此の三次元世界が生じた理由(わけ)が示されて来ており、其れが、日本の「ムスビ」の世界や、インドの「縁起・色・ルーパ」の世界と関係が有る。
其れを考えると、今朝の映像で私が高い御神木の上から、逆さに地上に降りて行く姿は造化三神の一神である「高皇産霊神(たかみむすび)」の働きを示唆しているのであろう。・・
今朝の最初の映像には、私の是までの35年間の行動の影響で、男女の差別無く様々な人材・働きが生れている事が示されて来た。
其れは、私が1984年6月4日に安房川の岸辺で土肥無庵が見守る下、禊ぎ祓いを行って此の神の世界に飛び込み、4311体の霊魂に自分の身体を貸して、35年間取り組んで来た事が、漸く、日の目を見る時が来た事を意味しているのであろう。
そして、私が高い木の上から、逆さ向きで地上に降りて行くと、日本人の人間国宝に選ばれた各分野の年配の男女が、私が降りて来るのを待っている姿が在った場面は、此の日本国で長年積み上げられて来た、様々な日本文化が、新しい時代に必要であるとの理・ことが示されて来ており、私は其れ等の人々の理解・支えに拠って、認められる事に成る理・ことが示唆されているのであろう。
そして私が立派な建物施設の中で、執事の世話を受けながら正装に着替えて居た場面は、私を捜し出して此の世界に送り込んだ土肥無庵が、私に謂っていた事が、ようやく現実と成る日が訪れたと言う事なのかも知れない。
「高木の神」https://green.ap.teacup.com/20060818/5063.html
此の「高木の神」の文章の内容からすると、今朝のメッセージで、「天皇」と「乞食(こつじき)」が同類である事が示されて来て、乞食の方が「慈悲」と「人情」に充ちている理・ことが示されて来た事が関係有りそうである。
1.「天皇」と「乞食(こつじき)」が同類である事。
天皇と乞食は同じく仕事(金を稼ぐ事)をしていない。
2.乞食の方が「慈悲」と「人情」に充ちている。
乞食とは「釈迦ブッダ」が「乞食・こつじき」で暮らして居た事と関係が有り、
釈迦仏陀は慈悲の権化であり、人情の世界で生きて居た。
3.現在の法治国家の世界・仕組みには、「慈悲」「人情」「愛情」「感謝」「恩義」「仁義」などの、人間社会の模範・潤滑油の言葉・概念が、法律用語から消えてしまっている。
4.天皇・皇族は、税金を使って贅沢な生活を送って居るが、憲法で詔(みことのり)をする事が禁じられているので、全く統尊(すめらのみこと)の役割を果たしていないので、最早現代社会には必要ではない。
5.天界・宇宙意思は、「インターネット」「人工知能・AI」の存在で、電磁気的に神(はたらき)をしている。
これ等の事柄を考えると、今朝のビジョンで、私が劇作家的なプロデュースを行っている場面は、釈迦仏陀の「乞食生活パターン」を、社会の表舞台に出す物語・ストーリーを、想像・創作しなければ成らないとの事なのであろう。
其れを考えると、矢張り、私を捜し出して此の神(はたらき)の世界に送り込んだ「土肥無庵」が、私に謂った事が本番を迎えた事に成りそうである。
令和2年4月26日
礒邉自適
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