1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2020/6/29
神は水鏡で遣って来た
2・6・29
今朝のビジョンは、「箱庭」とも言える様な雰囲気で、広い金属製のプールの中に、「祇園精舎・ぎおんしょうじゃ」の様な風景・景色が、写真の様に描写されている場面が映し出されて来た。
そして、其のプールの中の「水羊羹」か「寒天」のような物へ向けて、機械の歯が等間隔で降ろされ、全体が切断された。
其れから、其れを順番に掬い上げる機械が動き出して、他の全く同じ規模のプールの中に、全て移された。
所が、全て移し終えると、其の絵・景色・造形は滲んでしまって、元の状態には戻らない事が判った。
何とか、木々の緑色の部分は、ぼやけた状態で配置は判るのだが、中央部分に有った人間の活動風景や、人物の様子・状態は、全く復元できていない事が明確であった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時15分」であった。
其れから電気を消して、再び眠ろうとしたのだが、其のビジョンが何を示しているのかを考え始めた。
私は、其れは、昔の祇園精舎の様子を現代社会に復元しようとしても、自然環境や施設の建設は似せて造る事が出来るが、釈迦ブッダに代わる人間は居ないし、弟子達を参集する事や、其の時の講話・講義内容を復元する事は不可能である理・ことを考え始めた。
そして、其れが何故、プールの中に水羊羹の様な不安定な状態の物として映し出されて来たのかを考えると、祇園精舎の存在は、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が池で沐浴を済まてから菩提樹の根本で休んだ時に、突如解脱・覚醒が起きた事からの、延長線上の事である事を考え、今朝のビジョンには「ヴィシュヌ」が関係有るのではないかと思った。
其れに、一昨日の「現れたくない」との言葉に続く様に、昨日は書いてはいないが、「ほしい」との言葉が一言告げられて来て、其れは、私に何かして「欲しい」「願いたい」との事であったので、今朝のビジョンに関係が有るのかも知れない。
其れを考えると、完全に意識が目覚めてしまったので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時15分」であり、丁度一時間が経過しているので、其の儘起きてPCを立ち上げ、今年の3月15日と4月15日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/3/15昨日は南小国町の河津耕治氏に連絡をして、昨日の文章の件に付いて説明を行い、是からの事に付いて、暫く話した。
昨日の江藤敬介氏のブログには、ビジョン・夢に、紅白の美しい鯉が澄んだ池泉で泳いでいる姿が映し出されて来た事が書いて有り、電話では「朝起きると意識がとても爽やかであり、何の悩みも無い状態である」との事であった。
「紅白」の色は、目出度い事を示唆しており、意識・精神がとても爽やかであると言うのは、「日の宮幣立神宮」の湧き水で禊ぎ祓いを行った事と、神社の祭神が「江藤敬介氏」の人生を、言祝いで・壽いでいる事を、知らせて来ているのであろう。
今朝のビジョンは、其れらの事に関係が有るのか、男性の役割に付いて様々な事が映し出されて来た。
其れは次の様な場面である。
1. 便所が昔のポットン便所なので、近代的(洋式)な便所に改造する場面。
2. 日本式の庭の生垣を育てる場面。
*南向きの敷地で、裏に二階建ての建物が有るので、其の二階の窓から、自分の平屋の家庭が見えない様に、西・北側に常緑樹の生垣を育てる。
*南・東側には、通行人から邸内が見えない高さの生垣を育てる。
・ツツジは花が咲いて綺麗だが、冬間に落葉して中が透けて見えるので、常緑樹の浜ヒサカキを石垣の様に、剪定しながら育てる。
2. 家の庭に、防火の為の消防栓を設置する。
3. 三人程の子供の面倒を見ており、天窓から子供達を屋根上に上げて、廻りの景色や、天空の働きを認識させる。
・すると、母親が仕事から帰って来て台所に立った時に、下の娘が母親に其の体験を話し始め、母親は楽しそうに其の娘の話しを聴いてやって居る。
4. 私は知り合いの男性の家を訪ねると、其の人の弟が遊びに来て居り、警備会社に働いていると謂うので、其の弟に頼んで訓練施設を見学しに行く。
・男女が一緒に列を組んで、兵隊の様に駆け足で走って居る。
・男女とも、格闘技の技を磨いて居る。
・男性は大きな丸太を担いで歩き、体力強化している。
其れ等の映像が映し出されて来た後に、「12月8日」の日付が示されて来たので、私は其の日付は「釈迦ブッダ」が悟った日とされているので、男性の究極の役割は、自分・己の「覚醒・成仏」にあるのだと考えた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時54分・6時7分前」であった。
其れから再び電気を消して、其れ等の意味に付いて考え始め、今朝のビジョンは、何物が、私の脳裏に映像を映し出して来るのかを、考え始めた。
何故かと謂うと、今朝のビジョンは、単なる空想的な物ではなく、秩序立てられたモノであり、人間の生活現場や男性の果たすべき役割を、熟知していなければ、今朝の様な場面・映像が映し出されて来る事は、無いと考えるからである。
私に、今朝のビジョンから推測できる事は、家庭の生垣が主体・強調されて来ている事から、「やくも立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣造る その八重垣を」の和歌を詠んだ「須佐之男尊・すさのおのみこと」の存在である。
其の事を考えてから、起きて時計を見ると、時刻は7時3分前から2分前に成る所であった。
今朝は先ず起こされた6時7分前の数字から、昨年の6月7日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の文章の内容からすると、今朝示されて来た「12月8日」の日付は、釈迦牟尼世尊の意識・存在に関係が有る事は間違い無い様である。
次に起きた時刻の数字から「7月2日・3日」の日付の文章を視て見ると、次の様に記して有る。・・
此の「天文学・自然科学」の文章には、「須佐之男尊・すさのおのみこと」の事と釈迦牟尼世尊の事に触れており、其の二人に共通するのは8月23日の日付であり、始まりは「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」の因縁である。
今朝のビジョンの生垣の存在を考えると、私が和歌の発祥地とされている出雲の「須賀神社」に参拝した時の夜に、「八雲・やくも」は間違いであり「益母・やくも」であるとの理・ことが告げられて来たと関係があり、「須佐之男尊」が和歌(言霊・言語)の世界だけではなく「家庭」の有り方も、根本から立て直せとの事が、示されて来ているのではないだろうか。・・
これ等の文章の内容からすると、数日前から、和歌の事に付いて触れて来た事と関係が有り、屋久島の麦生集落から新し御世が始まると告げて来た「須佐之男尊・すさのおのみこと」の御魂が「黒い大蛇」の姿であった事を考えると、其の黒い大蛇は、中国の黄帝の背後・北の守護神である玄武(亀の体に巻き付く黒大蛇)と関係が有り、玉座(高御座)に座る黄帝の背後に存在する玄武神は、黄帝の背骨に這い寄って「脳髄・自律神経」を弄って、言葉を紡ぎ出す存在であり、其れが詔(みことのり)の始まりであるとの理・ことなのではないだろうか。
其の様に考えると、私が36年間取り組んで来た世界がどう言うモノ・世界であるのかの、謎が今朝解けた様な気がする。
其れは、私の意識が森に還って「グリーンマンと須佐之男尊」の意識を、蘇えらせた事に成るのではないだろうか。
其の様に考えると、「様・ヨウ・さま」の漢字が「木+羊+水」である事が、気に成って来る。
「様・ヨウ・さま」【解字】形声。「木+羊水」橡の正字で、とちの実の意味を表したが、相に通じ、ありさまの意味に用いる。
【字義】@さま。ありさま。かたち。ようす。状態「同様」Aかた。㋐のり。手本。方式。㋑いがた。ひながた。㋒あや。もよう。「模様」Bしな。いろ。物品の質や種類。「多用多種」C・・のごとくに。・・・のように。国語@さま。㋐姓名・職名などの下につける敬語。㋑語の下につけて、ていねいにいう語。「ご苦労様」Aヨウ。㋐将来をそのようにあれと希望する語。㋑ゆえ。わけ。㋒こと。ものごと。Bざま。ありさま。ていたらく。
漢語林より
【此処で、私の左の側頭部にカモ(神の電気信号)が降りて来る。
時刻は11時23分なので、新嘗祭11月23日と関係が有りそうである。】
此の「様」の漢字の意味・・@さま。ありさま。かたち。ようす。状態「同様」Aかた。㋐のり。手本。方式。㋑いがた。ひながた。㋒あや。もよう。「模様」・・からすると、一昨日のビジョンに映し出されて来た、海原・水面に必要とされる「△・三角」のトライアングルは、漢字の「参」と関係が有り、昨日私が、参人の「牛飼い・牽牛・彦星」と意思の疎通を図った事と関係が有り、男性の最大の役割・使命は仲間と協力しながら、「家庭を守護し 遺伝子・DNAの存続を図らなければ成らない。」との理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れは、生命の本質・原質を示唆しており、人間が創出した「神々」の世界を含む、あらゆる考え・概念は、40億年掛かって此処まで進化して来た、脳(遺伝子・DNA)の幻影から齎されたモノ・世界であり、其の事・様を全て空無に帰して、根本である家庭の有り方から、立て直して行かなければ成らないとの理・ことなのであろう。
其れは、「コロナウイルス退治」に頭を悩ます事から離れ、自分の家庭の有り方を、原点に還す事を考えなければ成らないと言う事にも成るのだろう。・・
今日「様」の漢字を打っている時に、私の左の側頭部にカモ(神の電気信号)が降りて来て、其れが11時23分であったのは、11月23日が「新嘗祭」である事と関係が有り、新嘗祭は「櫛御氣命・くしみけぬのみこと」の儀式であると言う事なのではないだろうか。・・
今朝のメッセージから考えると、熊野神社の祭神である海原を治める「須佐之男尊。別名・神祖熊野大神櫛御氣命・かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと」の神(はたらき)が、動き始めるとの事なのかも知れない。
「男性の役割」https://green.ap.teacup.com/20060818/5303.html
2020/4/15今朝のビジョンは、先ず「天皇家・王家」の嫁取りの基本が成っていない理・ことが示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時17分」であった。
其れから再び眠ると、今度は「〇〇鬼一郎」との名前の40歳位の男性が登場して、私が其の男性と話をして、其の男性の事が気に入ったので、「櫛玉饒速日命・くしたまにぎはやひのみこと」の御魂を意味する前田氏の会社の社員を10名程借りて、其の男性に未来創造の企画・実践を依頼した。
所が、現実世界では、其の事に耳を貸す者が一人も居ない事が判り、おまけに、此方の支援者だと思っていた財団の会長が、老害の所為なのかアメリカの女優のファンに成って、全く話が通じなく成っているとの連絡が有り、私は自分の考えが受け入れられる状態ではない事を理解していた。
今朝は起きた・起こされた時刻は、7時19分である。
今朝起こされた「4時17分」と「7時19分」の数字から、昨年の4月17日と7月19日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
今朝のビジョンで、私が行動を起こそうとして居た事は、此の文章の内容と関係が有り、未だ、期が熟していないとの事なのであろう。
此の文章の内容からすると、先ず若者(優秀な男性)相手に、初歩的な「禊ぎ祓い」の儀式・修行を受けさせる事から始めなければ、何事も始まらないと言う事であり、其の様な社会風潮が起きる迄、今回のウイルス感染の現象は止まらないとの事なのかも知れない。
其れは、現在行われている対策が、莫大な予算を組んでマスクや金銭を配る・当てるだけで、他に、何の対策も行われていない事で顕かである。
其れに、天皇家や宮内庁・神社庁にも「神(はたらき)」の世界に付いて、何の言動も行動も起きない。其れは、現在の天皇陛下の詔(みことのり)が一切無いし、其れを禁じている憲法の存在も問題である。
其れを考えると、天神・宇宙意思に出来る事は、今回のウイルス感染で人心を改めさせる手段しか無いのかも知れない。
私が、此の世界に入った原因は、欲望・我欲に目が眩んで居る人類を、核に拠る第三次戦争で滅ぼす計画が神に有り、其の核戦争の放射能汚染で、私の一人息子が死んで私は泣きながら葬式をする場面が映し出されて来た事に有るので、核戦争が起きることを考えれば、遥かに慈悲深い神の配慮であると受け止めることが出来るのである。
2006/6/3「神との約束」 https://star.ap.teacup.com/170606/923.html
2008/6/3「定着した画像」https://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
其れに、今朝のビジョンで「天皇家・王家」の嫁取りの基本が成っていない理・ことが示されて来たのは、美智子妃の祖父が「水俣病」を発生させた会社の社長を務めていた人物である事や、美智子妃は天皇家の伝統を拒否して、息子の育てて方を伝統から外した事にも要因が有るのだろう。
だから、現在の天皇陛下には、天津日嗣(あまつひつぎ)の伝統や概念が継続されていないのである。
試しに、一年前の4月15日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2019/4/15今朝のメッセージの映像は、幾つもの政府(まつりごと)の部署の様子が映し出されて来て、其処で働く・務める人間の食事が、最も重要である理・ことが示されて来た。
そして、私の意識も其の中に在って、食事を一緒にすると、其の皆の食事がバラバラであり、食事に対する概念・心掛けが全く成っていない事が判り、其れは主食が決まっていない為に、皆の食事が道法に適っていない事が理解されて来た。
私は、其の人達と接触して、日本人は米を主食とする食生活に戻らなければ、「身土不二・しんどふじ」や「産土神」の言葉・概念も理解されないし、日本国の呼称である「豊葦原瑞穂の国」の言葉も死語に成ると思って居た。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は「5時15分」であった。
其れから起きて、先ず、5時15分の数字から、昨年の5月15日の文章を見て見ると次の様に書いて有る。・・
此の文章の内容からすると、私は此れまでの様に天神(てんのはたらき)の働きに、唯一筋に従って、メッセージを解読・記録して行くだけでは、未来世界・社会が創造される訳ではなく、私自身が此の三次元世界・現象界をどの様に改善しなければ成らないかを、能く考えなければ成らないと言う事に成る。
其れを考えると、私は天神(てんのはたらき)からのメッセージを唯受け流しているだけでは駄目であると謂う事に成るので、一昨日示されて来た「鬼門のアースの切断」は、私が降ろされて来る「神・シン・かみ」の漢字の象形である「示(祭壇)+申(雷・電気)」の「トランス行為」から、「アース・大地に逃がす」事を止めて、ロス無く人間社会に通電しなければ成らないと謂う事に成るのであろう。そして、何処に通電するかと謂うのが、今朝の映像に映し出されて来た、「政府・政(まつりごと)」の現場であるとの事なのであろう。
そして、今朝の映像に映し出されて来た、官僚の食事の世界こそが、「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」が務めた「申食国政太夫・おすくにのまつりごともうすのまえつきみ」の役割であり、私に其の事を行えとの事なのであろう。
『其れは 貴方の役割が 本番を迎えると言う事であり
背水の陣で 其れに取り組む必要があると言う事です。』7時6分
此の女神の言葉からすると、「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」の御魂・存在と女神は一体的に動いていると言う事であり、其の事に私が関わりをもてば、「はたらき・働(人間+動)」が生まれると言う事なのではないだろうか。
今朝のメッセージの内容から、私に考えられる事は、イエスキリストの言葉に有る「一緒に食事をしなさい」との言葉と、日本語に有る「同じ釜の飯を食った仲」との言葉である。
キー「一緒に食事をしなさい 同じ釜の飯を食った仲」・・
此の、「カンパニーとはラテン語で『一緒にパンを食べる仲間』の意味」との文章からすると、今朝のメッセージは、私に「一緒に米飯を食べる仲間」を集めろと謂う事なのかも知れない。「官僚と食事」
此の文章に書いて有る事も、今回の「ウイルス感染」が止まらなければ、罰金モノの世界であるので、私は何の手出しも出来ない事に成る。
「未だ何も手を付けられない」https://green.ap.teacup.com/20060818/5334.html
此処で眠く成って来たので眠る事にする。5時14分
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すると今度は、私が何処かの山村を訪れて居る場面が映し出されて来て、其処には民家に温泉が引かれており、五右衛門風呂が並んでいる掛け流しの風呂場で、ゆっくりと寛いで居ると、此の村に目ぼしい人々を集めて、新時代・新次元の人類の生き方を模索すれば良いのではないかと、想い始めていた。
今朝は7時45分・8時15分前に起きて、由香を仕事に送り出してから、PCを立ち上げると、「貴方に難しければ」との女神の言葉が告げられて来たので、ワードを立ち上げ其の言葉を打つと、続きが告げられて来た。
「貴方に難しければ ワタシで始めます。
ですが 其れを
貴方の意識が 認知していなければ
此のプログラムは 進行しないのですから
其処のところを 貴方は 十分に
知って いなければならないのですよ。
良いですか 其れは 誰かの脳を
一度通過しなければ 人間に通じないからです。
其の為に トランス体のしての
「御嚴・みいつ・御稜威 」が必要不可欠なのです。
だから貴方は 自分が直接できない事でも
無抵抗で 情報を通さなければ 成らないのですよ。
だからこそ 無空の世界が必要なのです。
其の為に 貴方は 余計な事を考えたり
行動を起こしたりしては 成らないのです。
良いですか 「紀(とき)のまつり」は
順調に進んでいる 運んでいるのですから
貴方は 平穏に にこやかに 毎日を過ごし為さい。
其の事こそが 此方の段取りを
速やかに 進める事に成るのですから 。」
「貴方に難しければ」https://moon.ap.teacup.com/20060103/978.html
其れから、今朝再び眠った「5時14分」の数字から、今年の5月14日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/5/14今朝のビジョンには、痩せ型の白髪の年配男性が登場し、私は其の男性の家の建築や庭造りを、楽しみながら手伝って居た。
そして、其の場所は朝鮮半島である事が判り、其の男性は「中国(唐)」が敵であった事を話して居た。
私は其の事から、其の男性は唐と手を組んで百済を滅ぼした「李芳遠・イ・バンウォン」ではなく、滅ぼされた側の百済の人間である事を理解していた。・・
今朝目覚めた時刻は、1時26分と3時15分であり、起きた時刻は7時26分である。・・
此の三日分の文章の内容から考えると、今朝私が考えなければ成らない事は、自分自身が楽しめる「人生」「国造り」「人間世界」の創造・創出であり、其れが無ければ、神々が動き出せないとの事である。
其れを考えると、一昨日のビジョンに濃紺のスーツ姿の矍鑠とした人物が、山岳から麓に下りて来た事と関係が有り、其の人物・男性の姿は、「土肥無庵」の精神が加味された「御祖神・みおやかみ」の存在であり、私は最高レベル神霊を宿した「霊留・人・ひと」として立ち上がると謂うか、行動・言動・詔(みことのり)を始める必要があるのかも知れない。
【私は最高レベル神霊を宿した「霊留・人・ひと」として・・と打った所で、私の右手の中指の指紋の所に強いカモ(神の電気信号)の反応が起きる】
10時16分
キー「10月16日 伊勢神宮」
2009/10/16・・今日は、PCの前に座ると、一休さんの事が脳裏に浮かんだので、一休禅師の事に触れようかと想って、文章の題を「一休禅師の悩み」としたのだが、意わぬ方向に筆・手が進んでしまった。
しかし、其の心象風景は、余り変わってはいないであろう。
何故なら、天皇の落とし子であった「一休宗純禅師は、自由奔放に生きて居て、時の権力体制や、宗教の世界は、インチキである理・ことを世に示す為に、竹光を振り回して、往来を歩き回って居たとの事である。其れは、杖を振り回しながら念仏踊りをしていた、一遍上人とも通じる処がある。昨日15日から、明日17日迄の三日間は、伊勢神宮の「神嘗祭・かんなめさい」が行われる日である。
有り難い事に、私にはITに拠るPCのブログ戦略が有るので、其の様な行動を起こす必要はない。私は一休禅師の、頓知と「風餐水宿」の屋号を受け継げば、其れで良いと想っている。しかし、古い物を早く壊せと告げて来る女神・シバ神が、後ろに迫っているのであれば、悠長な事を謂っている譯・わけにも行かないであろう。
是で、今日の、外宮の祭神である「豊受大神」への、私の「奉幣(ほうへい)の儀」は、済んだのであろうか。
先程の10時16分の「カモ(加茂神・雷神)」の現象と、此の検索に掛かって来た「一休禅師の悩み」の文章から考えると、私は自分の屋号として来た「風餐水宿」との言葉の呪縛から離れて、新しい屋号を考える必要があるのかも知れない。
「男性の喜びとは何」https://green.ap.teacup.com/20060818/5363.html
此の「男性の喜びとは何」との言葉は、3月15日の「男性の役割」との言葉と関連しており、4月15日の「未だ何も手を付けられない」との言葉にも関係が有り、今朝の女神の言葉「貴方に難しければ ワタシで始めます。」とも繋がって来る。
其れに、其れは、一昨日の「現れたくない(実行したくない)」との言葉と、昨日の「ほしい(欲しい・願わくば)」との言葉にも、関連して来るので、今朝のビジョンで私が何処かの山村の民家で、かけ流しの温泉にてゆっくりと寛ろいで居り、其の山村に目ぼしい人達を集め様と考えて居た事・意識は、「釈迦ブッダ」か其の本体である「ビシュヌ」の意識であったのかも知れない。
今朝の文章の題は、映し出されて来たビジョンが、プールの水面に描かれていた「絵・ビジョン・風景」であったので、私は「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」の事を考え、更に日本の「神は水鏡で遣って来た」との言葉を思い出したので、其れを題とした。
『何から 何まで ありがとう』11時17分
「バカに付ける薬は無い」の言葉の裏返し、らしい。
「あほ」に成る事が良いらしい。
「自分自身を打ち倒す」との言葉が 効いたのか。
令和2年6月29日
礒邉自適
2020/6/27
231・文始め
2・6・27
今朝のビジョンは先ず、私の意識が、太陽光・日当たりの良い山丘が連なる谷間の村々を視て廻っている様子が映し出されて来て、私が通過した場所の跡には、足跡を意味するのか「点々・・・」や、コースの意味なのか「線 ―」が残っている映像が映し出されて来た。
そして、場面が変わり、其の点と線は、私の現地調査後の記録・報告文書の事を示唆している事が、示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時31分」であったので、私は其の数字を「231・ふみはじめ・文始め」と記憶して再び眠った。
すると今度は、戦争で焼けたのか、大津波が襲って水に浮く物が全て流されてしまったのか、鉄や石の様な物しか残っていない町の址が映し出されて来て、私は一人で其の中を歩いて、砥石や金梃子(てこ)等を拾いながら、歩いている場面が映し出されて来た。
次に、私は定期船が通っていない離れ小島に、自宅と成る家を手に入れて、生活用品を揃えて居る場面が映し出されて来て、其処は他人の影響が何も無いので、静かに暮らせる事を確認して、安らかな気分に成って居た。
だがガスコンロのガスが無いので、煮炊きをする竈を作らなければ成らないと意って居た。
次の映像は、其の小島ではなく、本土の様子が映し出されて来て、地面には毒の有る「水仙」しか生えていない様子が示されて来て、其の理由は食料難の為に、他の毒の無い草が、全て食べられてしまった結果を示している事が、理解されて来た。
次に、人間が通らなく成った山道に、木々が育ち始めている様子が示されて来て、森の中では、私の知り合いらしき樹医をしている男性が、老木(御神木)が出来るだけ長生きする様に手入れをして居る場面が映し出されて来て、私は其の男性と樹木の事に関して色々話して居た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時55分・5時5分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は雨音と共に雷鳴が轟き始めた。
そして、其の音を聞いて居ると、空気中に溜まって来ている「+・−」の電気粒子の所為か、雷から空中に放射・伝波されている「電気・磁気・大山祇神」との繋がりなのかは判らないが、様々な世界が瞼・脳裏に映し出され始め、私は其の映像が余りにも現実的な場面なので、昔の人が雷を「かみなり・神鳴り」と呼んだり、「神・シン・ジン」の漢字を「示(祭壇)+申(電気・雷)」としているのかが、理解される様な気がしてきた。
其れから、女性・女神の聲で「現れたくない」との言葉が一言告げられて来た。
其れは、地球全体・生命全体の事を考える女神が、暴走・破壊を止めない人間の数を減らさなければ、どうにも成らない次元に至っているのだが、其れを始めれば、感謝される所か、逆恨みされて、「悪魔・悪神」であるかの様に受け取られかねない事を、気にしている事が理解されるモノであった。
其処で起きて時計を見ると、時刻は8時24分である。
今朝の最初の場面は、太陽の「陽」の漢字と、「郡」の漢字の世界が示されて来ており、人間の暮らしの原点を見つめ直す必要がある事が示されて来ているようである。
キー「陽 郡」
2014/9/14本日の日付は「9・14」で、149の数字は123の二乗である。
第一次世界大戦は、1914年に始まり、第二次世界大戦(日本参加・太平洋戦争)は、1941年に始まっている。
今朝は、起きて洗面を済ませ、PCの前に座ると「愈々ですね」との言葉が有ったので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「愈々ですね」
貴方の本番が 近付いています。
貴方は 既に 御存知の様に
自分の躰は動かさなくても 事は順調に進んでいます。
貴方は 動かない事で
貴方の能力は 最大限に生かされているのです。
ですから 此方の準備も 順調に整っているのですよ。
よくしたもので 其の方が 皆が遣り易いのです。
何故なら 皆に自由が 生まれるからです。
是までの 八回の失敗は 其処に原因があり
頭がこければ 全体が こけてしまったからです。
どうやら 貴方には もう 其れが無いようですね。
良いですか 考える事と する事は 別なのですよ。
貴方は 良く解かっていると 想いますけど。」「愈々ですね」
今朝のメッセージの映像は、先ず、昨日の続きの様で、神の光の中で、人間の躰の五臓六府の仕組みや、五感である「視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚」などの働きが、全てバラバラにされて、其の働きを、明確に認識する必要がある事が示されて来た。
其れは、男女の肉体の仕組みの違いや、五体の骨組・筋肉組織・神経組織・血管網などや、爪・髪・髭・歯、其れに脳の働きなど迄、全てを認識する事である。
次の映像は、雪が降っている真冬の天候の中に、私が歩いて居り、途中で数人の女性が、氷が張る湖の側の土地で、食べられる野草を雪の下から捜し出して、摘み採って居るのに出会った。
其の中の一人が、私が普通の服装をしているので、自分の黒い毛皮のコートと、帽子と手袋を貸してくれた。
私は、其れを着て、自分も野草摘みを手伝っていた。
すると、誰かが、車で私を迎えて来たので、借りて着ていた物を脱いで、其の女性に返した。すると、其の女性が、心配そうに「大丈夫ですか」と、私に問うた。私は、其の慈愛に満ちた女性の顔を見て、何処かで会った事のある、懐かしい顔であると思った。
だが、其れが、誰だか判らないでいると、映画で観た事のある、イエスキリストの母親「マリア」ではないかと思えて来た。
其処で一度目覚めて、トイレに行き、再び眠った。
すると、木造の古い田舎の家屋の中に、私は居て、他にも数人の同じ年代の男性が居て、土間で薪ストーブ焚いて暖を取っていた。
そして、私が外に出て見ると、30代後半の男性が三人来て居て、巻尺で屋敷の周囲を計測して居るので、私が「貴方達は 何をして居るのか」と厳しく尋ねると、責任者の男性が「貴方が 代金を払わないので 利息が膨らんで300万円を超えたので 屋敷を競売にかけるのだ」と、言うのである。
私は、物を買って代金を払っていない覚えも無いし、屋敷を抵当に入れた覚えも無いので、其の男性に「会社と自分の名前を云え」と言ったのだが、其れに対して何も返答をしないのである。
其の様な問答をして居ると、其の男性の仲間が二人・三人と次々に遣って来て、段々の数が増えて来たので、私は其の人達に、日本語の「ひと」との言葉は、「霊留・ひと」で「霊が留まる」との意味であり、霊魂が留まって居無い人間は、「只の空だ・ただの肉体だ・殻」と、説教を始めた。
すると、段々の人数が増えて来て、屋敷内に入り切れなく成って来て、近所迷惑に成るので、観覧席の在る競技場の様な所に移動した。
そして、其の競技上の様な場所も一杯に成って来た。其れは、男性ばかりなのだが、中に三人だけ女性が並んで座っていた。
其れから、自宅に帰って居ると、大きな車の後部座席に、60歳位の立派な男性が三人乗って、私を訪ねて来た。
そして、其の三人の男性を家に通すと、私の書いた文章が、長々と映し出されて来て、其の文章の中に「阝」と「易」の文字が有る事が、強調されて来た。
今朝のメッセージの映像は、其れだけなのだが、全体的な繋がりが、私にも良く解からない。
今朝の映像で、雪の中で野草を摘んで居た、数人の女性の他は、私の所に集まって来たのは全て男性だったのだが、観覧席に三人だけ女性が居た。
其の三人の女性は、姉妹の様だったので、「宗像三女神」を意味していたのかも知れない。
そうすると、最後に、私の家に訪ねて来た立派な三人の男性は、「造化三神」だったのかも知れない。
其の様に考えると、今朝の映像に登場した人物は、全て現実界の人々ではなく、神界か霊界の人々であったと言う事に成って来る。
何故、今朝の映像で、何百人もの男性が、私の話を聞きに、集まって来たのであろうか。
其れは、今朝の女神の言葉に有った様に、愈々本番が始まるとの事であり、此の三次元世界である現実界にも、何等かの兆候が表れるのであろうか。
今朝のメッセージではっきりしているのは、私が、多くの男性に説法を始めた事と、私の長い文章が映し出されて来た事である。
其の私の文章の中には、「阝」と「易」の文字が有る事が強調された。
其の「阝」と「易」の文字は、合すと「陽」の漢字と成り、太陽の陽である。
*「陽・ヨウ」形声。阝+易。音符の易は、日が上がるの意味。おかの日の当たる側、ひなたの意味を表す。」
【字義】「@ひ(日)。Aひなた。日の当たる所。山の南側。川の北岸。B易の用語。天・春・夏・日・天子・君主・父・夫・風・火・剛・仁徳・奇数などのように、主に積極的・男性的な性質を持つもの。Cあらわれる。また、あきらか。Dそと(外)。うわべ。また、うわべだけの見せかけ。Eきよい。すむ。
Fたかく大きい。また、貴い。Gいきる。また、生。Hいつわる(偽)。
漢語林より
其の、陽の文字を使用した言葉には、次の様な単語がある。
「陽澤」天子の恩徳をいう。
「陽道」⇔ 陰道。@陽の道。男子。君子。父・夫として取らなければならない生活態度。A太陽の軌道。B男子の生殖力。C山の南側の道。
「陽徳」@陽気。万物を成長させる気。A太陽。
此の、「陽」の文字の意味を考えると、慈悲の顔を持つ聖母マリアらしき女性が、厳寒の中で野草摘みをして居たのは、ただ単に「飢え」を意味しているのではなく、「陰徳」の世界を示していたのではないだろうか。
「陰性」⇔陽性。@暗い・消極的な性質。
「陰道」⇔陰道。@陰の道。臣・子・母・妻としてとるべき道。A喪事や戦争。B月の軌道。C女子の生殖力。D山の北側の道。
「陰徳」@人に知られない善行。A地の徳。地が万物を育てている徳。
転じて婦人の徳。婦徳。
*「陰・イン」は「阝+侌・今」の組み合わせで、音符の「今」は、含に通じ、含むの意味。雲が太陽を覆い含む意味から、くもり・かげの意味を表す。のち、篆文は、云を付し、雲につつまれるの意味を明らかにした。
【字義】@かげ。アひかげ。日のあたらないところ。㋑物におおわれている所。「樹陰」㋒山の北側。また、川の南岸。Aおおう(蔽)また、おおい。Bくもる。かげる。C移って行く日かげ。転じて、時間。「光陰」D暗い。Eしめる。また、しめり。Fひそかに。ひそか。G男女の生殖器。特に、女性についていう。H易学の用語。陽(男性的・動・剛)に対して、消極的・女性的なもの。地・水・女・静・内・夜・月・雨・寒・秋・冬などをいう。⇔ 陽。
此の意味からすると、空が曇り、雪が降る厳寒の中に居て、湖の側の大地から、野草を摘み採って居た女性達と、慈悲深い聖母マリアの存在は、正に其の「陰」の世界を表している。
と言う事は、今朝のメッセージの映像は、最初に映し出されて来た、人間の肉体の働きを全てバラバラにして、其の部分的な働きを、再確認する事が求められて来た事と関係があり、先ず「男女・陽陰」の役割から理解する事を、示して来ている事になる。
此れは、ナカナカ大仕掛けの学問の世界であると言うか、確かに、「大学・おおきなまなび」の世界が示されて来ている事に成る。
其れを考えると、今朝PCに向かった時に、先ず、女神の言葉で「愈々ですね」と告げられて来た事が、信憑性を持つと言うか、天神・宇宙意識の働きの大きさが、能く理解されて来る。
老子の「タオ・道」の世界は「陰陽」がテーマであるが、弘法大師空海も「乾坤は 教籍の箱なり」と謂っているので、私は、其の二人が謂う世界に、入り込んで行く事に成り、其れが、「愈々私の本番である」と言う事なのかも知れない。・・・
「阝+易=陽」http://green.ap.teacup.com/20060818/3195.html
2005/11/30今朝のメッセージは、是からは、私一人の能力では、とても間に合わない状況が起きることが、感じられるものであった。
と言うのは、神の世界が、次元の壁を壊して、一気に今の時間(トキ)にシフトして来たらしいからである。
別な言い方をすれば、「森羅万象が 今のトキに溶け込んで来て 情報(エナジー)が 人類の思考と同化する。」となるだろうか。
思考の仕草を導く為に、仮の絵柄を表記すれば
天のみなか主
タカミムスヒの神 カミムスヒの神
ウマシアシカビヒコジの神 アメノトコタチの神
クニトコタチの神 トヨクモの神
以下(男神)ウヒジニの神 スヒジニの神 以下(女神)
ツノグヒノの神 イクグイの神
オホトノジの神 オホトベの神
オモダルの神 アヤカシコネの神
イザナギの神 イザナミの神
の 神々と、名付けて呼ばれて来た、宇宙の働きが、其の拘束から解かれ、総べてが、一つの時空に溶け込んでしまったと、説明すれば、何となくイメージ出来るだろうか。
中国の老子が、「恍なり惚なり。惚なり恍なり。」と謂っている世界と云えば、簡単な世界ではある。
其処は、未だ、約束事が何も決められていない世界であり、拘束力が働いていないエナジーだけの世界である。
今朝の私は、其のエネルギーの満ちた世界の中に、意識が目覚め、パソコンのシステムを探り出そうとするのだが、其れさえも、エナジーの中に溶け込んで捜せない。
そうする中で、漸く「六郡」と言う言霊を捉まえる事が出来た。
其の言葉を、パスワードに使い、パソコンを操作すると、22日のメッセージ に現われた、物の形が幾つも在った画面を、捜し出す事が出来た。
しかし、22日の映像には、黒い画面の中に白抜きで現われた物の形が、今朝はエネルギーが満ち溢れた、紫色の中に、金色で現われた。
其の色は、紫微垣(しびえん)として、中国の古典「普書」に出てくる、北斗星の北に有る天帝の居所とされている、紫微宮の色である。
古代の人達は、天位とは紫微北辰に在ると、ちゃんと概念化しているのである。総べての物は、其の紫微垣から生じる事を知っており、日本語では、其の場を「天の御中主」と呼んで来たのだろう。
今朝の言霊は「六郡」と出て来た。
何故「六合」か「六郷」ではなかったのだろうか。
【六合】は 天地と四方。宇宙全体。全世界。の意味である。
六合はクニ・国の意味に使われる。六の漢字は家屋の象形である。
漢字の、数字の文字は、家を建て・村を造り・暦を刻む事を順番に説明している。一・二・三・四(元字は4本線)は、家屋を建設する為の材料と成る柱の数である。
「五」は、基礎の上に柱を立て、桁を乗せて柱を真っ直ぐに正しく立てる。の意味である。
「六」は、其の上に屋根が被った状態で、村が出来上がって行く様子を意味している。
「七・八」は、木に刻みを入れる意味で、暦を刻む事から来ている。
「九」は極まる意味で、「十」は針の形である。
漢字の数は、村が出来て行く順番だが、日本の数字の「ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・ここ・と(たり)」は、宇宙の始まり「火・風・水・世」から、「飯・息(むす)・名(な)・矢・此処・当(足り)と、人間の暮らしを説明している様である。
漢字の十(針)も、日本語の当たるで、足りも、「とおす。通じる。完成。」の共通の概念を持つ様である。 (是は 私の勝手な解釈です。)
では何故「六合」ではなく「六郡」なのだろうか。
「郡」の漢字は「君+阝」で、「君」は神事を司る族長の意味。祝詞の意味。で、「阝」は邑の意味だから、「神事を司る族長を中心にして 群れる村・国」との意味に成る。
「六郡」とは、其の様な村に、家を造り 暦を刻む。との意味だろうか。
ようやく此処まで頭を整理して来たが、未だ、具体的な物事の把握までは至らない。
簡単に、今日感じる事を述べれば、現在、神社に御備えして有る鏡は、必要ではなく成ったとの事である。
現在の鏡は、キンピカな物であるが、其の前は銅鏡であった。
其の鏡の始まりは、岩鏡と言って花崗岩の岩が対象だったのである。
現在の鏡は、神通力が無く成った祭祀王が便利上、創り出した物である。
其れが、今世に成り、石英・珪素に拠る、光りファイバーや太陽電池パネル等が出来、クオーツ発信機等が出来たので、其の振動は、情報産業の機器類に拠って、各家庭まで隙間無く飛び交っている。
だから、神社の鏡を使用しなくても、宇宙の振動波には、誰でも気軽にアタック出来る様に成った。
人間の認識には上らなくても、携帯電話では、別の情報が、其の機器の電波に相乗りしているのである。だから、パソコンの存在は、新しい時代の岩鏡と言えるだろう。
私の脳は、其の相乗りの電波にトランスしているのだ。
其れを、神の世界と云うのは、もう時代遅れと成るだろう。
今朝の意識の世界は、愈々神(宇宙意識)と、人間の脳(電気システム)が、お互いに「意乗る・祈る」時点に、達したとの事だろう。
私は21年前、神に身体を貸せと云われた。
其の用は「新しい事象の特異点・新しい神の企画の座表軸」と、される為であった。其の事が、現実と成って来ている様である。
特異点と座標軸は、センター的な意味合いがあり、全体に対しての部分である。其れは「ゼロ・O・零」が、全体との掛け合いの処に位置している事が、理解出来るものだ。
「九」で極まって「トー・十」で抜けて行くのだ。
其処には、新たなOからの始まりが待っているのである。
王の位置が、目の前に現存した「老子」と、「王」の立場を捨てた釈迦の意識の位置関係が、現在・いま何処・いずこに在るのだろうか。
釈迦は、王の存在意義を、悟ることが出来たのであろうか。
其れに、神武は王の立場の認識があったのだろうか。
老子と、釈迦と、神武を、パネリストに迎えて「紫微垣」をテーマに、会議を開いて見たいものである。
私は、取り敢えずここらで一休みさせて貰おう。
私の答えは、トートー 的(まと)に 当ったのであろうか。
「六郡(くにつくり)」https://star.ap.teacup.com/170606/655.html
2017/6/5「六合」https://wave.ap.teacup.com/20060106/756.html
邑(阝)部
阝・おおざと偏 邑が旁になるときの形。邑(阝)を音符として、人の住む地域・地名を表す文字ができている。
こざと‐へん【▽阜偏】 の解説
漢字の偏の一。「防」「隊」などの「阝」の称。
[補説]漢字の右側にある「阝」は「おおざと」という。
「郡・グン」【解字】形声。「阝(邑)+君」音符の君は、群に通じ、むれの意味。邑は、むらの意味。村の一郡、行政単位の一つを表す。
【字義】@こおり。グン。周代以後の地方行政区画の名。周代は県の下。戦国時代以後は県の上。Aつかさ。郡の役所。国語。グン。日本の地方行政区画の一つ。府県の下。
漢語林より
今朝のビジョンは、私が進んで行く方向の左上に太陽が有る事で、右側に縦に繋がる山・岡は、全て「日向・ひむか・陽向か」であり、太陽光を谷合いにまで目一杯に受けており、其の谷合いから流れて来る水に拠って、豊な生活を続けて居る人々の邑が、谷間毎に並んでいる事が判った。
其れは「小郷偏」が、一個所の邑を意味し、幾つも其の邑が繋がっている・群れているのが、のが「大郷偏・郡」である。
其れは、其の様な環境条件の下で生活して居る人々には、今朝女神から告げられて来た「現れたくない」との言葉は、関係が無い事になり、今朝のビジョンの滅びの世界は関係が無い事に成る。
其れは、今朝起こされた時刻が「8時24分」であった事と関係が有り、昨年の8月24日の文章が「老子の桃源郷」である事と関係が有るのだろう。
2005/8/24今朝のメッセージは、釈迦も、弥勒も、確かに光りのリンク・ボックスに納まって、もうカルマ・業が終った事が示されて来た。もう、弥勒の下生や、イエスや釈迦の復活は、幾ら待っていても無い。
何故かと言えば、もう彼等は無事に役目と言う業を終えて、宇宙のエナジーの中に還ってしまったからである。
もう、神と人の間には、老子の思考しか残っていない。釈迦やイエスは、他人を救おうとのカルマが本人を苦しめて居たのだ。
其れ等が、私のトランス作用に因り、本来の処に納まったのだ。
弥勒にしても、釈迦の存在に於いて、余計な念いを抱いてしまったのだ。
其の弥勒の想いが、無から12番下の兜率天に在り、私の父親や、私の意識に影響を与え、長い間、思念の闇を作って来た。ようやく弥勒も想いを遂げて、何段かは、無の世界に近付いただろう。
日本の「惟神・ながら」の世界は、16段有るので、弥勒が何処まで上昇したかは判らないが、釈迦の御霊と合体する事で、同じ次元に到達出来たと想う。私の意識も、21年前の自分の意識に、返して行かなければ成らない時を向かえた様だ。
今朝のメッセージの映像では、駅に出掛けても新幹線みたいな列車は無くて、小型の列車が一日に何本しかなく、おまけに乗客も数人しかいない。
とても、採算がとれる様な状況ではなかった。
場面が変わって、スーパー等も無く、野菜が欲しくても、自分で作るか、知り合いに届けて貰うぐらいの感じでしか、流通システムも無い様である。
其れ等の場面から、想像される世界は、老子の「桃源郷」の世界である。桃源郷とは、現在のピンクの色気とは全く関係が無く、反対の世界であり、「恍惚」も歌の「恍惚のブルース」とは、全く反対の世界の言葉である。
老子の謂う桃源郷とは、国は小さく、人口は少ない。たとい人並みすぐれた人材が居ようとも、腕をふるう余地すらない。住民はすべて生命を大切にして、遠くへ足を伸ばさない。舟にも車にも乗る必要がないし、武器も使い道がない。文字を書いたり読んだりするこざかしらを忘れて、ひたすら現在のままの衣食住に満足し、生活を楽しんでいる。手の届きそうなすぐ隣の国とも、絶えて往来しない。これが、わたしの理想郷である。
(徳間書店・中国の思想・老子・列子・奥平 卓 訳)
今朝の、私の意識が行動して居た世界は、全く、其の様な村の風景と暮らし向きであった。
私の名の自適は、「悠悠自適」の自適である。其の名は本名であり、私が産まれた時に、私自身が持って来た名前だとの事である。
私が、今回、現世に産まれて来る前、どんな次元に住んで居たのかは判らないが、多分、老子の思考に近い次元に存在して居たのだろう。
弥勒やイエスより、少しでも低い次元の魂なら、彼らの思考に負けてしまい、彼等の意識の世界に埋没してしまう。彼等の、過去の思考を解く処か、彼等の意識を増幅させる事に成って居たであろう。
「岡本天明氏」の神経を通して降りた「日月神示」は、「天津日嗣神事」であり「老子だけを中に祭り 他の神は皆外に祭れと」有る。老子だけが、天の霊を継ぐ(天のひつぎ)の意識体なのである。
老子の意識だけが、人間の知る処として残されて居る唯一の宗なのである。
昨日も、文章を書き終えてから瞑想をして居ると、「・・せこ・こせ・・」と平仮名で文字が出て来た。
昨日は、其れが、何の意味だか解からなかったのだが、今朝のメッセージを解読していると、「こ・KO」の音魂が一番大事なのではないかと想われて来た。
其れは「せこ・こせ」の言葉の中心が「こ」だからである。「こ」は此処の「こ」であり、個々の「こ」であり、呱々・戸々の「こ」でもある。
「こ」は、人間が自分のこころの位置や、立場を其処に定置させる為の音霊であり音魂なのだ。「こ」は、釈迦が悟って立ち上がり「天上天下唯我独尊」と意識した、其の時の、本体の意識体なのである。
何処かに、何かが在るのではなく、此の吾が身の本体が、宇宙其の侭の現象物なのである。137億年歳の自分が、今現在、此処に存在するのだ。
其の意識の吾なら、もう一切の思考が生まれない。思考が生まれなければ、悩みも迷いも生まれない。
だから、釈迦の教えにも「言葉で 思考する事を 全て止めなさい。言葉が全て頭から消えたトキに 安らぎが訪れる。」とある。
日本語の「なやみ」とは、「名で病む」との意味であろう。佛教の12縁起では、其の理を詳しく説明している。「法華経の12縁起」
釈迦が、弥勒の問いをはぐらかしたのは、其のことの為だったのだ。今回、その事は解決した。だから、もう弥勒の課題は解決したので、弥勒が、何かを此の世で起こす事は無い。
故に、弥勒が何か事件を起こす事はないし、イエスが直接現れる事も無い。
もう、人間の依存心を、神々が採り上げる時代は過ぎ去ったのだ。
此れからは、真実だけが明かされ、人間自身が、自分の努力だけで、物事を解決して行かなければ成らないのだ。だからもう、神の救いを当てにしては成らない。釈迦も、老子も、2500年も前に、其の真実を明かしているのだ。
もう人間は、神や、他人の力を当てにするのではなく、自分の力を、自分自身で試さなければ成らない次元に到達したのだ。其の為のI・T社会である。
皆で智慧を出し合い、バランスの取れた地球環境の中で、宇宙の進化の容として生きて行かなければ成らないのだ。他人の所為にするのでも無く、全てを自分の責任として、取り組んで行かなければ成らない。
この世界は、総べてが、人間の生み出したカルマで出来ている。
人間の業を、総べて取り除いてしまえば、美しい地球環境が有るだけなのだ。
弥勒も、イエスも、其の人間のカルマの中で、もがいただけに過ぎないのだ。もう、彼等の、苦しみも、悲しみも、取り除かれ、老子と同じ次元で、人間の在り様を眺めて居る事だろう。
「老子の理想郷」https://star.ap.teacup.com/170606/558.html
此の文章の内容からすると、今朝最初に起こされた時刻が「2時31分」であり、私が其の数字を「231・ふみはじめ・文始め」と記憶した事は、岡本天明に6月10日「時の記念日」から「天之日津久神社」の祠の前で始まった、「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」の世界と関係が有り、「老子の桃源郷」の言葉を「心の指針・魂しいの柱」にしなければ成らないとの事なのではないだろうか。
其の様に考えると、日月神示に有る「道院殿老祖様(老子から派生した概念)だけを中に祀り 他の神は外に祀れ」とある事と関係が有り、其の老子の理想郷の教訓こそが、現在大問題と成っている「コロナウイルス感染」の良薬に成る事は間違い無い様である。
2009/9/15其れは、老子の「道徳経」の5000字の中に有る「理想郷」の世界である。
中国の思想・老子「道徳経」第80章 わが理想郷
小國寡民。使有什伯之器而不用。使民重死而不遠徙。雖有舟輿。無所乘之。雖有甲兵。 無所陳之。使人復結繩而用之。甘其食。美其服。安其居。樂其俗。鄰國相望。鷄犬之聲相聞。 民至老死。不相往來。
国は小さく、人口は少ない。たとい人並すぐれた人材がいようとも、腕をふるう余地すらない。住民は全て生命を大切にして、遠くへ足を伸ばさない。舟にも車にも乗る必要がないし、武器も使い道がない。文字を書いたり読んだりするこざかしさを忘れて、ひたすら現在のままの衣食住に満足し、生活を楽しんでいる。手の届きそうなすぐ隣の国とも、絶えて往来しない。 これが、私の理想郷である。 奥平卓訳 徳間書店
「虚空見(そらみつ)日本の國」https://green.ap.teacup.com/20060818/1272.html
2003/5/22・・私が、歴史の中で、最も、人間として熟した人物を挙げるとすれば、中国の「老子」である。
老子の残した思考の種子が、私の中で芽生えて育っているのであれば、私には一番嬉しい事と言える。
私の本名は「自適」であるが、母親の話では、此の名は、私が自分で持って来た名前であるとの事である。
「自適」の語は、「悠々自適」の「自適」であり、老子の生き方を、一言で言うならば「悠々自適」の生き方をした者と成るだろう。
そして、私が屋久島を出て、旅の途中で、最初に買う事に成った本が、老子の本であるのも、何かの因縁が有ったのだろう。
そして、旅の途中で、全ての本を捨てようとしたら、夢の中で、ゴミ箱の中から、その老子の本だけが飛び出して来たので、未だに、老子の本は、私の座右の書として手元に置いてある。
何故か、老子の本「道徳経」は、他の人は難しいと言うが、私にとっては、自分が書いた物の様に、能く理解が出来るのである。
人間に、魂の転生と言う現象が実際に有るとすれば、私の意識の奥に、老子の思考の種子が発芽している事に成る。
私は、38歳で旅に出て、初めて、老子の書物に接する事が出来た。
私が18年間、横道に逸れる事無く、旅を続けられたのは、其の老子の「道徳経」を、何時も身近に置いていたからであろう。
しかし、私にしても、最初から老子の魂・精神を、理解出来た分けでは無い。私に其の老子の言葉が、理解出来るまでに成長するには、実に大変な仕掛けがあったのである。・・・
「自分の存在理由が解ける」https://wave.ap.teacup.com/20060106/51.html
2018/10/9・・是等の文章の内容からすると、今朝の映像で「老子」が自分の考えを5000字に纏め上げている「道徳経」の内容が、「郁・イク」の漢字の意味である【かぐわしい。香気のさかんなさま。】と関係が有るのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝のメッセージで「老子」の道徳経の内容が「美味である」との事の意味が理解されて来る。
其れに付いて考えると、次の様な事が思い浮かぶ。
・老子は2600年前に、王様の図書館に勤務していたので、当時の漢字の意味を正確に理解していた。
・老子の考察は、王様・皇帝がどの様な人間であれば良いかを、熟知していたので、王様・皇帝などよりも、意識が高い次元に在った。
・老子の道徳経の文章には、他人への悪口や攻撃などの気配が一切無い。
・老子の道徳経は、退職して国を出る時に、関所の番人に「貴方の考えを書き残さないと出国を許可しない」と謂われて書き残した物であるので、自分の人生の総纏めであり、孔子の様に就職したい為の教訓とは違う。
・老子は一人の弟子も採用していないし、他人への講義も行ってはいないので、他人に対するおべっか等の気持ち・世界が全く無い。
・老子は「玄」との言葉を使っているので、宇宙の暗黒物質・ダークマターの世界を認知していた。
其れに「恍なり惚なり 惚なり恍なり」と謂っているので、此の宇宙が光エネルギーである理・ことも認知して居た。
・老子の5000字の文章は、全て「四文字の格言」の様な内容を含む物なので、其の5000字の内容を現在の文筆家の様に書くと、何十冊もの本に成ってしまうモノ(世界)である。
そして、老子の言葉には「道を外れれば 神霊も力を発揮できない」と有って、「天は大なり 地は大なり そして人も大なり」と有る。
其れは、人間の存在は天地と同じ力を持っており、神霊でも道に従わなければ成らないと有るので、老子自身は神仏を崇拝する考えは無かった様である。
其れは、神仏の存在は否定しないが、神霊も道に従わなければ成らないと言う事であるので、老子には通常の信仰・宗教心は無かったと言う事に成る。
其の老子の考えと言うか、気持ちが人間社会に浸透して行くとの事を考えると、今朝告げられて来た「最終プログラム」との言葉は、岡本天明の「ひふみ・霊文神示・日月神示・天津日嗣神事」に「道院殿老祖様(老子から派生した概念)」だけを中に祀れ」と有る事と関係が有り、天津日嗣の世界(プログラム)が始まると言う事なのかも知れない。
『真にそうである。だから お前自身は 何も考えては成らない。』・・・
「最終プログラム」https://green.ap.teacup.com/20060818/4770.html
2016/10/3私は今日、改めて老子の凄さに付いて実感を強めた。
其れは、私が37歳から今日まで、32年間に亘り神霊界に対して活動を続けて来たが、本日老子の謂う「自然無為」の世界に、立ち返らなければ成らない事が示されて来たからである。
昭和19年6月10日に、千葉県成田市台方の麻賀多神社の境内に在る「天之日津久神社・あめのひつくかみやしろ」の祠の前で、岡本天命に降り始めた「日月神示・天津日嗣神事」には、「道院殿老祖様(老子から派生した概念)だけを中に祀れ」との事が記されている。
其の理由を考えると、老子だけが他の教祖とは違い、弟子を一人も採用していないし、教団の様な物も形成していないので、カルマ・業が何も無いと言う事にあるのではないだろうか。
其れでも、老子の教えが、今日まで2500年もの間、傳えられ続け、人気が有るのは、老子は王様の図書館に勤務しており、漢字に付いて熟知していたので、出国の途中函谷関(かんこくかん)の関守である「尹喜」に請われて、自分の考えを「道徳経」5000字に纏めて残す事が出来たのである。
他の、釈迦牟尼佛の仏教経典や、イエスの「新約聖書」は、本人が書き残した物ではなく、他の人間が本人の説法を言い伝えた物が、書き留められた物であるので、本人の真意が何処まで傳えられている物であるのかは、定かなではないのである。
だから、老子以外の宗教経典は、勝手に書き換えられているので、無制限に分派・分裂して行き、本来の教えが何処に有ったのかは、判らなく成ってしまっているのである。
其れに比べて、老子の道徳経が原文が其の儘残っているので、道教の様な宗教が派生しても、原文が読まれる事で、本筋が明確に成り、インチキな宗教が拡大する事が無い。
だからこそ、「日月神示・天津日嗣神事」では、「道院殿老祖様(老子から派生した概念)」の存在・御霊だけを中に祭り、他の神霊は、外に祀れと告げられて来ているのであろう。
其の老子は、私が1984年6月4日に此の神の世界に行ってから、姿を見せた事が有る。・・
老子の言葉には、「道を外れれば 神霊も力を発揮する事ができない」と有る。其の意味を考えると、自然無為の行き方を貫かなければ、天神(てんのはたらき)の役には立てないと言う事であり、御稜威 ・みいつの役割も出来ないと言う事である。
「老子の凄さ」https://moon.ap.teacup.com/20061116/47.html
2002/1/28「〇の概念」https://star.ap.teacup.com/170606/386.html
2018/3/4「同じ物が有る」https://moon.ap.teacup.com/20061116/51.html
今朝の最初のビジョンは、私が屋久島の東南向きに位置する矢本嶽の山懐に産まれ育った事と関係が有り、太陽の光を全身に浴び、雷のエネルギーをチャージしながら、思考を膨らました事が、其の儘「天の御臥す間(あめのおふすま)真床 襲衾(まとこおふすま)」の温床・土台・基礎に成っている理・ことが、表されている事に成る。
其れを考えると、私の意識の寝床は「日向」であり、「日高見の国」の伝統を宿している事に成りそうである。
今朝のビジョンの状況からすると、コロナウイルス感染の問題は、未だホンの入り口にしか過ぎず、8年間延長された2012年12月23日のマヤの予言が、本格的に開始されると言う事であり、其れを考えると今年の旧暦7月14日の「夏・秋禊ぎ祓い」を真剣に実行する事が、生き残りの道・方法であり「現れない(実行したくない)」と告げて来た「女神(万物の母)」の悲しみの涙を見なくて済むとの事なのではないだろうか。
2012/11/11今朝のメッセージの映像には、黄色のシャツを着た人々が、各部所に登場して、活動が始まっている場面が、映し出されて来た。
其れは、昨日のメッセージに有った「国造りのポスター」に関係が有り、何処からかの指示で、黄色いシャツが配られ、仲間作りが行われる事を、示して来ている。
其の映像から考えられる事は、何処かに、指令室の様な物が有って、一つの物事・計画に従って、各地で新しい動きが始まる事を、意味しているのであろう。
昨日のメッセージの映像では、現実社会に実在する様な女性が、私に「貴方を8年間 かう」と告げて帰って行った。
私は、其の女性に告げられた「かう」との言葉が、一日中気に成っていて、昨夜風呂に入っている時に、「あなたのことを かっています」との言葉が有る事に気付いた。
昨日のメッセージの映像の中で、私は、崩れ落ちて行く大地の上に、倒れている大木(御神木)を護ろうとしていた。
其の行為は、全国に植樹をして回った「須佐之男尊・すさのおのみこと」と息子の「五十猛命・いそたけるのみこと」、其れに娘二人「都麻津姫命 つまつひめ」「大屋津姫命・おおやつひめ」の行為を支える事に、繋がるのではないかと思った。
其の、私の行為と言うか、気持ちが、マヤの予言に有る2012年12月22日の次元変化を、8年間先延ばしするとの事ではないだろうか。
私は、1984年6月4日(旧暦5月5日)に、此の神の世界に入った時に「地球の未来を任す」「チャンスは一度 失敗は許されない」「16年半掛かる」と告げられ、其れは2001年12月4日であると考え、活動を続けた。
其れが、現実世界では未だ表に出ないので、12月6日付で「森の木」と「木のネット」のHPを立ち上げた。
其れから、今年の12月4日で12年が経過する事に成る。
其れが、更に8年間、先に延ばされるとの事であれば、2020年12月4日まで、此の気持ちを延長せねばならない事に成る。
今朝改めて「かう」の言葉を検索して見ると、次の8単語が有る事が判った。
1カウ【cow】 2か・う【支う】 3か・う【交う】 4か・う【肯ふ】
5か・う【変ふ】 6か・う【換ふ/替ふ/代ふ】7か・う【買う】
8か・う【飼う】
*か・う〔かふ〕【▽支う】 [動ワ五(ハ四)]
1 棒やくさびなどを、物に当てて支える。当てがって支えとする。「心張り棒を―・う」
2 鍵やかんぬきなどをかける。「鍵を―・う」
*か・う 〔かふ〕 【▽肯ふ】 [動ハ下二]
承諾する。肯定する。→かえにす →がえんずる「即ち使ひを遣はして喚(め)す。しかるを来(まうき)―・へず」〈斉明紀〉
*か・う【交う】[動ワ五(ハ四)]
(動詞の連用形に付いて)互いに…する、…して擦れ違う、の意を表す。「呼び―・う」「行き―・う」
[動ハ下二]入れ違いにする。さしかわす。
此の「かう」の言葉を考えると、昨日の「貴方を8年間 かう」との言葉は、私の行動・活動を、8年間「支える」「承諾する」「肯定する」「互いに…する」との意味が、有る様である。
其の言葉の意味を考えると、昨日のビジョンに現れて「貴方を8年間 かう」と告げた女性は、地球を管理する「女神」であったのかも知れない。
其の女性が来ていた服は、茶色がかった赤紫のツーピースで、軍隊の女性が着ている様なデザインであった。
其の服の、色相やデザインから考えると、大地の女神は、戦いの準備を既にしており、私の活動に対して、人類を減らす為の地球浄化の活動を、一時的に停止して、私の行動と言うか、気持ちを、8年間支えるとの事ではないだろうか。
そして、其の大地の「女神・ガイヤ」の希望・期待に応える為には、世界中に黄色いシャツを着て、活動を始める仲間・組織作りをする必要が、あるとの事ではないだろうか。
いま「黄色いシャツ」で検索すると、タイ国で活動している「民主連合」の活動が出て来た。やはり、タイ国か、ミャンマー国の民衆に、何等かの神の計画が関係有るのかも知れない。
其れに、黄色の布は、日本でも「黄色いハンカチ」の映画がヒットした事が有るので、黄色い色には、心理的な作用も有るのだろう。
いずれにしても、2012年12月22日〜23日に照準を合わせて来た、自分の意識を8年間延長して、地球の自然環境に、意識を向けなければ成らない様である。
「黄色いシャツ」https://green.ap.teacup.com/20060818/2497.html
其れに起こされた5時5分の数字は、今年の5月5日の文章の題が「光のエナジーが神」であるので、今朝の最初のビジョンと関係が有り、母神は太陽(恒星)の神であるのかも知れない。
2020/5/5「光のエナジーが神」https://green.ap.teacup.com/20060818/5354.html
令和2年6月27日
礒邉自適
2020/6/26
フライト
2・6・26
今朝のビジョンは、先ず、私が家具や備品などが一切何も無い、何処かの宿泊施設に、誰だか判らない男性と二人で宿泊して居り、朝起きてから、何処かに向かう為に、其の男性がグリーン色の新しい飛行機を、滑走路に出してエンジンを始動している場面が映し出されて来た。
其れで、私は其の施設は飛行場である事が判った。
其の滑走路に出されている飛行機は、練習用のプレぺラ機の様で、名前や飾りが一切無い、グリーン一色の物であり、何処に向かうのかも、一切判らない状況の儘であった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は3時38分・4時22分前から、39分・21分前に成る所であった。
私は、照明を消して再び横に成ったのだが、其のビジョンの意味が全く分からないので、起きてPCを立ち上げ、今年の4月21・22日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/4/21今朝のビジョンには、韓国のドラマで「李芳遠・イ・バンウォン」の役を演じた「キム・ヨンチョル」が登場して、私と二人で歴史を構築する乗り物の操縦席に居て、キム・ヨンチョルの方が操縦席に座って、操縦版を操って居おり、私は其のヨンチョルの後ろに立って其の様子を視て居た。
だが、其の操縦版が、三分の一程右側に偏っているので、私が後ろから手を伸ばして、其れを正確な位置に戻そうとすると、「キム・ヨンチョル=李芳遠」は其の私の手を払い除けて、右側に偏った儘操縦を止めないのである。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時16分」であった。・・
其れからPCを立ち上げ、文章の題を「歴史と時間」と打つと「ときのこうちく・こうせい」との言葉が告げられて来たので、「紀(とき)の構築・構成」とした。・・
今朝のメッセージの要点は、其の「李芳遠・イ・バンウォン」が操縦する・構築した「紀(とき)のまつり」の乗り物は、三分の一右側に偏り過ぎているとの事であり、是から始まる新しい御世は、正しい方向でなければ成らないとの事なのであろう。
其れを考えると、終戦日に天神から、新しい御世創りを依頼された故「矢追日聖法主」が霊夢に登場して、私に「順道・じゅんどう」との掛け軸を見せた事が関係が有り、矢追日聖法主の意念を、正しく実行しなければ成らないとの事なのであろう。・・
『何が何でも 貴方の気持ちを 切らさない様にしなさいね。
何故なら 貴方の気持ちが切れてしまえば
是までの事が 全て水の泡に成ってしまうからです。
他の事柄は 何も心配する必要はありません。
貴方は唯 自分の芯を正しく 強く
保つ事に 専念すれば良いのです。』11時42分
今朝起きた・起こされた8時16分前の数字から、昨年の8月16日の文章を見ると、題が「彼岸から此岸に渡って来る御魂」であり、矢追日聖法主の事が書いて有るので、昨日霊界のトロッコ列車に乗って居た故「藤山幸彦」や、今朝乗り物を運転して居た「李芳遠・イ・バンウォン」の存在と関係が有り、次元・事象が切り替わる時は、霊界人達も共に、新しい世界に引っ越しをするとの事であり、其れが聖書に有る、イエスキリストに悪霊達が「其の時が来たのか」と謂った時が、到来したとの事なのではないだろうか。・・・
「紀(とき)の構築・構成」https://green.ap.teacup.com/20060818/5340.html
此の「紀(とき)の構築・構成」の文章には、乗り物の操縦席に事が書いて有り、女神の言葉として次の様に記して有る。
『何が何でも 貴方の気持ちを 切らさない様にしなさいね。
何故なら 貴方の気持ちが切れてしまえば
是までの事が 全て水の泡に成ってしまうからです。
他の事柄は 何も心配する必要はありません。
貴方は唯 自分の芯を正しく 強く
保つ事に 専念すれば良いのです。』
此の女神の言葉からすると、私が昨日の文章に「私は屋久島の深い森の中に静かに座って、粘菌の様子を観察して居た子供の時・頃に還って良いのではないだろうか。」と、書いた事と関係が有り、私は「自分が 休む事を考えてはならない。」との事なのかも知れない。
其の様に考えると、今朝のビジョンで用意されていたグリーン色の新しい飛行機の存在は、マヤ・アステカの「時間の操縦士」と関係が有り、私は新しい次元・世界にフライト・飛行しなければ成らないとの事が、示されて来ている事に成る。
2020/4/22本日4月22日は、西暦で弘法大師空海の1185回忌である。
空海(くうかい、774年〈宝亀5年〉- 835年4月22日〈承和2年3月21日〉
本年の旧暦3月21日は、西暦4月13日であるので「虚空菩薩」の大祭日と重なっていた事に成る。
今朝のビジョンには、一晩中、過去の世界を生きた人々の姿が「白日(太陽光線の下)」に次々に映し出されて来た。
其の人々は、現代社会では「変人・かわった人間」と呼ばれそうな人々であるが、「天才」か「個性の強い人間」と呼ばれそうな人々でもある。
其れは「エジソン」や「モーツアルト」が子供の頃から変わった人間であった事と関係が有り、「一休さん」や「良寛さん」等も、現代では「気が変に成った人間」と呼ばれる様な振る舞いをしているので、同じ様な世界・人生を過ごした人間であるとの事に成るだろう。
何故、今朝、其の様なビジョンが一晩中映し出されて来て、殆ど熟睡できなかったかを考えると、昨日と一昨日のビジョンに過去世の人間が映し出されて来た事が関係が有り、過去世の霊魂・神霊が、新しい御世・次元に、写真の「モノクロ(過去情報)ネガ」から、「今世・カラー(色・rūpa・ルーパ・縁起)ポジ」に焼き直されているとの事なのかも知れない。
其の様な今朝の状況の中で、起こされた時刻は「2時2分」「3時15分」であり「8月11日」の日付が示されて来た所で、起きて時計を見ると、8時13分前であった。
其れからPCを立ち上げると、「3月18日」の日付が告げられて来て、ワードを立ち上げると「賢しらが消えるとき」との言葉が脳内に湧き出して来たので、其れを題として打った。
其れで先ず、今年の3月18日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の文章の内容から考えると、今朝PCを立ち上げた時に「3月18日」の日付を告げて来たのは、其の「土肥無庵」の御魂であり、此の文章には蚊に起こされた時刻が「1時1分」であると記して有るので、今朝初めに起こされた時刻が「2時2分」であった事と関係が有り、時間に「うるさかった・やかましかった」土肥無庵が、霊界人の先頭に立って、私の援護に付いて居るとの事なのではないだろうか。
其れは、1984年6月4日(母親の64歳の誕生日)に数えきれない霊界人を連れ帰って来た私の父親(勲・いさお)と、役割をチェンジ・交代している事に成り、私は強力な背後霊を獲得した事に成りそうである。
其の様に考えると、私は一昨日の「藤山幸彦」や、昨日の「李芳遠・イ・バンウォン」の事を考える必要はなく、安心して事に当たることが出来ることに成る。
今朝起こされた「2時2分」と「3時15分」の数字から、今年の2月2日と3月15日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章にも「土肥無庵」の事が書いて有るので、矢張り今朝2時2分に私を目覚めさせた・起こしたのは土肥無庵の御魂である事が考えられるし、其の事を考えると土肥無庵がマヤ・アステカの神である「時間の操縦士」に席に座ったとの事であり、昨日のビジョンで「李芳遠・イ・バンウォン」の後ろに立って操作盤を正しい位置に戻そうとしていた人物・魂しいは、「土肥無庵」の意識体であった事に成りそうである。・・
此の「男性の役割」の文章の内容からすると、一昨日からのビジョンは、男性側の霊界の世界・事象であり、女性側の世界・事象は、別の次元に存在する事に成りそうである。
其の様に考えると、私が是まで何度か触れて来た、男性の役割は「魂しいの継続・魂(コン)」であり、女性の役割は「肉体・遺伝子・DNAの継続・魄(パク)」にあるとの考えが正しいとの事に成りそうである。
其れに、起きる前に告げられて来た8月11日の日付の文章を見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「キリストの願い」の文章から考えると、私を捜し出して此の神の世界に送り込んだ「土肥無庵」の父親がキリスト教の神父であった事や、私の母親がキリストの教えを基にした学校である岡崎市の現「金城学院大学」を卒業している事などが関係が有り、イエスキリストの御魂も「土肥無庵」と重なっているとの事なのであろう。
其の様に考えると、昨日の「紀(とき)の構築・構成」との言葉も、17歳の時に頭蓋骨骨折の大怪我をして、意識不明状態で魂しいが小倉の「妙見神社、御祖神・みおやかみ」の神社の階段を登って行くと、階段の上に真っ白い神様が立って居て、「お前は未だ役目が有るから帰れ」と告げられ、意識が回復した「土肥無庵」からの言葉であった事に成りそうである。
『其れは 貴方の意いが 其の様に 此の世界を
創り上げていると 言う事なのです。』12時25分
12月25日 イエスキリスト誕生日 完璧現象
是こそが「紀(とき)のまつり」なのであろう。
「賢しらが消える時」https://green.ap.teacup.com/20060818/5341.html
此の文章の内容からすると、今朝滑走路に飛行機を出して、エンジンを始動していた男性の存在は、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」の御魂であり、私を新しい「紀(とき)の構築・構成」に、導こうとしている事に成りそうである。
今此処で、PCの中央に小さな蠅が来て止まり、私の方に頭を向けて、左右の羽根を交互に動かし始めた。
其の羽根の動きは、手旗信号の様に、何かの暗号・メッセージを私に送って来ている様な感じである。
若しかしたら、英語で蠅は「fly・フライ」なので、本当に今朝の飛行機と関係が有るのではないだろうか。
其れに、私に「紀(とき)のまつり」との言葉が告げられて来た日のビジョンには、蠅取紙に澤山の蠅が飛んで来て止まる映像が映し出されて来ている。
2006/3/19今朝の映像は、玄(宇宙の赤黒いエナジー)の世界に、最初の記号が書き込まれているのが映って来た。其の文字を解読すると、紀元の「紀」で、其の音は「トキ」であることが示された。
そして、天井から白い幕の様な蠅取紙が降ろされ、其れに、自然にドンドン蠅が止まって、くっ着くのが見えた。
そして「みいつ 建国 6月11日」と言葉が有った。
今朝事務所に来て、6月11日の旧暦を調べると5月16日である。
其の日付には、心当たりは無いが、宇宙の運行か、人間の意識を動かすのに、其の日に、何等かの設定が、必要である理・ことを告げて来たのであろう。
其れに、漢字の「紀」は「糸+己」の組み合わせで「己」は糸巻きの形で「紀」は「糸筋を分ける」の意味を表わしており、転じて、治める・きまりの意味を表わす。と、漢語林には載っている。
今朝のメッセージは、宇宙が、ゼロから情報を組み上げる事を意味し、天が幕を降ろして、必要な人間を、其れに止まらせるとの事であろう。
其の為には、人間界に糸筋を別ける人間が必要で、其の為に、私の22年間の国内の旅が、必要だったのだと考えられる。
私は外国に行った事が無いので、外国の空気には触れていない。
だから、日本国内の情報を分析しながら、新しい国を創造して行けば良いのだ。その事が、インターネットで世界に拡がれば、世界は新しく成る。
其の為に、是だけの通信システムが必要であるし、地球は、其の為に自分を犠牲にしながら、人口と経済を維持して来たのだ。
しかし、今朝のメッセージは、もう地上の人間を、其の侭継続するのではなく、飛ぶ意志の有る者、宇宙の存在に向かって、ジャンプする者だけが、新しい神の世界に、留まれる理・ことを意味している。
其れは、飛ぶ為には、身を軽くしなければ成らないので、物事を抱え、両手が塞がっている者は、フライ出来ない理を伝えて来ている。
(フライ・f l y が蠅のことだとは 知らなかったなー)
イエスキリストの言葉に、「永遠のいのち・魂に入るには、財産を有し 其の財産の管理に明け暮れて居る者は、ラクダが針の穴を通るよりも難しい。」とある。其れは、神の世界には、物質が必要ない理を説明しているのだ。
新しい地上天国は、誰も、魂しいが物質に縛られる事は無く、自由に生を楽しめるのである。
私は22年前に全てを手放し、こうして何の不自由も無く、神の世界にタッチしている。其れは、神の手助けをする為に、両手を開いたからである。
自分の為に、何かを握って居る者は、神が救いの手を差し伸べても、其の神の手と握手が出来ないのだ。
この様にして、新しい世界が始まるのである。
其れは、イエスキリストの長年の苦しみが終える事でもあり、釈迦牟尼佛の念願が果たされる事でもある。・・
今年の6月11日は、旧暦の5月16日で満月であり、鹿児島湾の満潮が6時10分である。此の6時10分に意味が有るようだ。
中山博さんのメッセージには「二つの球」と出て来ている。
其れが「潮満ちの球・潮引きの球」なら6月11日の6時10分に、月の出を拝さなければならない。何故なら「カレンダー」の語源は、満月が顔を出した時に、月が「出たぞー」と叫んで、知らせる事を意味しているからである。
其れは、日本語の「サケブ・サケンダー」に関係が有るものと想われる。
私が1984年1月10日に、初めて近江神宮の「天智天皇祭」に参加したら、天智天皇が私の身体に憑依し、次の詩を書かされた。
其れは「神籬の 代よのみだれを さかずきに 菊一輪と まわし飲み」と言うものである。其れは、天智天皇が、自分の国の乱れ様に心をくだいている事を示している。その詩の意味は、「自分と一緒に 座を組んで 国の乱れをどうにかしよう。」とのことだろう。
671年には、呪術行者の役小角(えんのおづぬ)が、金峯山に蔵王権現を祀る。とも有るので、此の年には、地球にとっても、強い情報がインプットされた事が理解出来る。
天智天皇の国造り以後、1333年(666年後)の「後醍醐天皇」の祭り事は成功していないし、役小角より強い霊力を持った者も、その後現れてはいない様なので、時間設定を6月11日の6時10分とするのは、意味有るものと受け取れる。私は何度も、近江神宮には足を運び、新しい暦の発行の件に付いては、話しをしている。
世界には、未だ、共通のカレンダーは出来ていない。其れに、6月には祝日が無いので「6月10日・時の記念日」を祝日にしようとの話しも有る。其れは、近江神宮内に「全国暦の会」の事務局が在るからである。
17日にはハヤブサが現れ、18日には暦が現れた。
そして、今朝は「紀・トキ」を告げて来た。此れはイエスキリストの謂う「其のトキ」が訪れたと言うことだろう。
私の子供の頃は「此の指止まれ。」と云って、遊び友達を集めて居た。
しかし、今度は、人間が「此の指止まれ。」と云うのではなく、神がパソコンの中で、蠅・フライ集めをするらしい。其れは、神自身が、魂しいの刈り取りを始める事を意味している。
インターネットの情報網こそ、神の救いの手なのであろう。
もう昔のイエスキリストや、釈迦牟尼佛の様に、直接、救い主が人間の身体を借りて、目の前に歩いて現れる事は無いのだ。
其処には唯、釈迦牟尼佛の謂う「ダルマ・法」と、老子の謂う「タオ・道」が、新しい「紀・トキ」の言葉として示され、其の概念が、世界中に浸透して行くのだろう。
其れは、イエスの言葉「其のトキ」が、キリスト・メシアの言葉として、世界に認められる事でもあるのだ。
「 紀(トキ)」https://star.ap.teacup.com/170606/815.html
2006/3/21本日3月21日は、「弘法大師空海」の1171回目の命日の所為か、重要な事が判った。と言うのは「みいつ建国」の儀式の場所が、判明したからである。
今日昼間、日本とキューバの野球試合を観ていて、日本が勝ったので喜んで居ると、丁度そこに「走る魚屋さん」が遣って来た。
すると一緒にテレビを観ていた西川氏が、「お祝いをしよう」と言い出して、屋久島鯖の首折れと、歯鰹を二匹買ったので、私が早速、刺身に切ってビールで乾杯と成った。
私は、ビールを飲みながら、「日本にプロ野球が出来て 今年が72年目で、日本に野球が伝わったのは1872年なので、72の数字が重なるね。」と話して居た。其れは、昨日、渡邊延朗氏より大成経の72巻に関する本が、届いた事も意識に影響していた。
そんな話しをして居ると、遊びに来て居た「大山邦博氏」が、私に「石塚山に一度連れて行ってくれ」と言い出した。理由を聞くと、自分がお守りしている神様の祠が出来てから、今年の旧暦5月16日で丁度100年に成るので、其の日に、何かをしなければ成らないと言う。
其の、祠の祭神の名は「大山祇神」だとの事である。
私は、其の事を聞いて、19日のメッセージに有った「紀(トキ) みいつ建国 6月11日(旧暦5月16日)」の儀式は、其の祠ですれば良い事が判った。其の祠は、明治39年5月16日に、日高太郎吉・他が建立したと記されているらしい。
大山邦博氏は、平成14年6月8日(私が屋久島でスーリアサロンを開催した日)に、急に両足が動かなく成り、鹿児島市の霊能者にお伺いを立てて貰うと、其の祠の事が出て来たので、早速、其の祠に行くと石が倒れていたとの事である。
其処で、其の石を起こして貰ったら、足は、直ぐに治ったとの事である。
それから直ぐに、祠の整備をして、今日に至るとの事であった。・・・
「大山祇神(おおやまづみ)」https://moon.ap.teacup.com/20060615/112.html
此処まで分かったので、眠る事にする。
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すると今度は、是までに見た事が無い、ハイレベルのビジョンが映し出されて来た。
其れは登場する神々や人間の存在がレベルが高く、建物施設や舞台・備品も全て国宝と成る様な物ばかりであり、映像も現実世界よりもリアルな感じの場面・世界である。
そして其の世界は、私の意識と直結しており、私の意思・思惑が其の儘反映されて来る事が判った。
其れは、私の意識が自分自身のモノ・世界ではなく、天神と謂うか、宇宙の有り様・仕組みが、其の儘、私の脳細胞・思考システムに、組み込まれている様な世界であった。
其れに、其の様なハイレベルな人間・人材や、人工物は現在の世界には無いので、其れは過去の世界が現れて来ているモノではなく、未来世界が映し出されて来ているモノである事が理解出来た。
其れに、4月22日の文章の内容からすると、「土肥無庵」が私を捜し出した時に、私に「自適さんは想った事がそう成るでしょう。だから 自適さんが想えば良いのですよ。」と謂った事が、現実と成ったとの事なのかも知れない。
2019/3/10・・諺には「陰極まれば陽に転じる」との言葉が有る。
其の「陰」とは、物事が膨張・拡散してエネルギーを失い霧散して行く理・ことを意味しており、其の中に新しいモノ・事象の種子(場・実)が生じる理が「陽」の世界である。
其れは巨大に育った樹木が、自分で根や枝葉を管理できなく成って倒れた後に、太陽光が当たるので、新しい樹木の種子が芽を出して生長し始める事と同じ理である。
今朝のメッセージは、正に其の諺(ことわざ・言技)通りの出来事が始まる理・ことが示されて来ている事に成りそうである。
今朝示されて来た「三軌道・三段階」のシステムは、私には幾つかの解釈は有るが、其れを個々が自分で判断する事が、現代人に課されている課題なのであろう。
今朝告げられて来た「全て貴方の望む儘に」との言葉は、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」が、私に謂った「自適さんが想えば良い」との事が、現実と成る時節が到来したと謂う事なのかも知れない。
・・今朝のメッセージの内容と謂うか、私の進行方向に蔓の生垣が一緒に伸びて行く場面を考えると、確かに「土肥無庵」が私に謂った「自適さんは想った事がそう成るでしょう。だから 自適さんが想えば良いのですよ。」との事が、現実・真実の事として始まっていると謂う事に成りそうである。
其れが、本日が「建国記念日」である事を考えると、私が此の世界に飛び込んだ日(1984年6月4日)に「後16年半しか無い」と告げられて来た事は、神武天皇が奈良・大和で金鵄降臨の瑞祥・現象から、婿入りを決めた日「12月4日」であるので、日本の歴史が本日から新しく始まるとの事なのかも知れない。
因みに、建国記念日は1月1日であった物が明治6年に2月11日と定められたが、其の日は明治5年1月29日であったとの事であり、其の1月29日は私の誕生日でもある。・・・
其れを考えると、一昨日雀の写真を整理して居た時に「静かにして居なさいね」と、女神の声で一言告げられて来た事と関係が有り、私は何もしないで静かにして居れば、全てが上手く運ぶとの事の様である。・・・
「全て貴方の望む儘に」https://green.ap.teacup.com/20060818/4924.html
今朝のハイレベルなビジョンの内容からすると、私が1984年11月22日の未明に、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」から頼まれた「九回目のトンネル潜り」は、現在の人類全部ではなく、神が地球に送り込んでいる人材に拠って準備されており、此の三次元世界に、別の世界として重なっているとの理・ことであり、其れがイエスキリストが謂う「其の時」や「針の穴を潜る」との言葉と関係が有りそうである。
2008/6/3「定着した画像」http://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
2016/12/8「女神の両腕」 https://green.ap.teacup.com/20060818/4077.html
今朝の由香のビジョンでも、散歩に出掛けるほどの気分で、飛行機で出掛けようとしていたとの事である。
何れにしても、私は新しい飛行機を飛ばすイメージを、膨らませなければ成らないのであろう。
令和2年6月26日・旧暦5月6日
礒邉自適
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