1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2020/7/31
日戸・ひと
2・7・31
本日で7月も終わり、明日から8月である。
8月3日は、私の両親が1946年8月3日に、屋久島の安房川の岸辺に艀(はしけ)で上陸してから、丸74年と成る日である。
私は、其の両親が上陸した船着き場で、1984年6月4日(旧暦5月5日)に「土肥無庵」が見守る下、禊払いを行うと「大嘗祭」の儀式が始まり、4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」現象が起きて、此の神(はたらき)の世界に飛び込んだ。
今朝のビジョンは、昨日のビジョンに映し出されて来た三段の箪笥形式の思考枠組みの世界の続きであり、私の意識は、其の思考の枠組みに関わっており、幾つかの内容を組み立て(作成)て居る様子が映し出されて来た。
今朝は6時8分に起こされたので、PCを立上げ、6月8日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/6/8「咲いては 閉じて 実を残す」
今朝のビジョンには、先ず、何組かの男性と女性が、恋文の様な言葉を交わす様な場面が映し出されて来て、私が其の言葉を書き留めた紙片を見ると、何故か、女性の言葉は「・・・・・」で記されており、男性の言葉は「□□□□□」で記されている事が判った。
私の意識は、其れは「・(点・一次元)−(線・二次元) □(面・三次元)」とされている世界と関係が有り、女性の存在は「一次元・原点・源」であり、男性の存在は「三次元・面積・行動・拡散・縄張り宣言・踊り場」に関係が有ると意っていた。
次に、屋久島の行政の様子が映し出されて来て、以前「下屋久町(南半分)」と「上屋久町(北半分)」と別れていた時に、両町の文化・生活・価値観が異なり、人間の人格・性格に違いが有った事が示されて来た。
其れは屋久島は2000mの山岳が中央に聳えるので、日本アルプスの南側「関東」と北側「裏日本」の様に、気候が異なる事で、天候や農耕に差が有る事で生じる世界である。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時55分・5時5分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私の身近に数頭の茶色の犬(猟犬?)が居る場面が映し出されて来て、飼い主が食事の合図である笛を吹いた音が聴こえて来た瞬間に、其の数頭の犬は皆一目散に駆け出して逃げて行く場面が映し出されて来た。
私は、其の犬の様子を見て、現在の人間は、お金を餌として飼いならされており、私が使える物ではない理・ことが理解されて来た。
其れから「第四章」との言葉が告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時8分」であった。
其れで、私は本日6月8日の6時8分に起こされた事を確認した。
すると、頭に「咲いては 閉じて 実を残す」との言葉が、脳裏・潜在意識から響いて来たので起きて、PCを立ち上げると「貴方は ワタシが」との女神の言葉が告げられて来たので、ワードを立ち上げて其れを打つと、続きの言葉が告げられて来た。
「貴方は ワタシが」
貴方は ワタシが選んで 育てた者なので
貴方に万一 何がが有れば
是までの事は 全て無駄に成ってしまいます。
ですから 絶対に 無理な事はしないでね。
貴方が 貴方の儘であれば 此方は
何も 心配をする必要は 有りません。
ですが 貴方が他人に 何かを頼まれて
其れに 従ってしまうと 此方は
何もできなく成ってしまうのです。
良いですか 貴方は 即 ワタシの存在なのですから
決して 其の事を忘れては成りませんよ。
何故なら 其処に 全ての
「色・rūpa・ルーパ・縁起」が発生して来るのですから。」
「貴方は ワタシが」
其れから、今朝起こされた5時5分前の数字から、今年の5月5日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の文章の内容からすると、先日「シラスの取り過ぎ」との言葉が告げられて来た事と関係が有り、「グリーンクラブ」の会員・仲間を増やせとの事は、陸の農林業だけではなく、海の漁業者も含めろとの事に成りそうである。
其れから、昨年の6月8日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
其れに「11月8日」の日付は、昨日のビジョンに登場した「土肥無庵」の命日が「2001年11月7日」であるので、11月8日は霊界・四次元世界での始まり日であるので「118g0」とは、「土肥無庵」が霊界にてスターターを鳴らすと言うか、旗振りを行うとの事が示されて来ているのかも知れない。
其れを考えると、矢張り「土肥無庵」が私に書いて渡した「ナニモナサザルナ」のメモ書きの言葉が、最も大事であり、私も「牟尼・世尊」の立場を確実な物としなければ成らないのであろう。
「第四章」https://green.ap.teacup.com/20060818/5388.html
此の「第四章」との言葉からすると、一昨日「パシッ」と音がして、暗い世界に白い四角な窓・空間が開き、全体に広がって行った場面と関係が有り、此の文章に書いて有る「□(面・三次元)」の世界が開いたとの事であり、其れは神(はたらき)の世界の「第四章」の始まりであるとの事なのではないだろうか。
今朝は起きて来た由香に「何かビジョンを見なかった」と訊くと、見たとの事であり、其れは次の様な事である。
始めに、人間の脳を取り出して、手術か手入れ(掃除)の様な事を行っており、其の脳は肌色ではなく、紅い色をしていたとの事である。
次に、自分の意識(立場)が深い森の中に在って、車で空中を飛行して麓に降りて行こうとして居たとの事である。
其の由香のビジョンも、人間の意識を切り替えると言うか、新しい次元に移管する事が示されて来ており、深い森の中から下界に降りるとの事は、神意識が深い森・原始林に在ると言う事に成るので、人間の意識は650万年前に類人猿から分離した時点から発生した物であると言う理・ことが、示されて来ているとの事にも成る。
其れを考えると、私が産まれ育った屋久島は、1400万年前に海底から浮上した花崗岩の島であるので、其の人類の意識(電磁気情報)を記憶していると考えても、間違いでは無いと言う事に成り、仏教の須弥山との言葉・概念とも、無縁ではないと言う事に成る。
其れを考えると、仏教の有名な言葉「色即是空 空即是色(色・rūpa・ルーパ・縁起)」の縁起が何時起きたかの事も、次期が固定されて来ると言う事にも成るだろう。
其れは、「神・ゴッド」の概念を創り出したのは、人間自身であり、天神・地神が存在するのではなく、此の138憶年前にビッグバンで誕生した宇宙空間の時間・事象の最先端に存在する「人間・ひと」が、神であると言う事に成るので、今朝の文章の題は「現人神・あらひとかみ」にしようかと意ったが、辞典で調べると「天皇」の事と書いて有り、古代から存在した「シャーマン・神人」の事ではなく成っているので、取り敢えず「日戸・ひと」とした。
其れは、是まで使用して来た「霊留・ひと」の言葉の「霊が止まった躰」との言葉も合わなく成り、人間の身体こそが「宇宙自身の現象体」であると言う事に成り、確かに類人猿から進化した人間の脳は、「自分が何物で 何処から来たのか」との長年の悩み・疑問が解決され、人間自身が「吾(神の言葉を守る物)」から、「我(刈り取りを行う物)」へと、自覚が変わる時節・ときを迎えた事に成るのであろう。
「日戸」とは、「岩戸開き」を起こなった人々の世界や、「大和・やまと・山門」との言葉とも関係が有り、其の「岩戸(シリコンの情報扉)磐境・いわさか」の世界(コンセプト)こそが、私が1984年11月22日に伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」に頼まれた「最後のトンネル潜り」の注文の課題である事に成るのだろう。
2008/6/3・・私は1984年11月22日に、三重県志摩市磯部町上之郷に「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」が存在す磯部町で、男性神である「天照皇大神」が霊夢に現れ、「此れまでに トンネル潜りに八回失敗して、今回が九回目であり、此の地球では最後のチャンスである」と告げられている。・・・
「定着した画像」 http://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
其れに「岩戸・山門」ではなく「日戸」としたのは、昨日のビジョンで三段作りの箪笥の一番上の段・箱が「火」がテーマであった事と関係が有り、此の宇宙は無の中に「火・ビッグバン・大爆発(水素・電子と原子核とが結合)」に因って始まっている事と関係が有り、其の子供である「太陽・ヘリウムの核融合」の光熱・波動で、地球の「草木・石炭・石油・ガス」等、火熱の元と成る物が一切できており、其の草木・植物を食べる事で、我々人間を始めとする動物・昆虫類がエネルギーを貰って生きているからである。
驚いた事に「太陽 石炭 石油 礒邉自適」で調べると、何と「やまと」の文章だけが出て来た。
2005/10/6今朝のメッセージは、文字や言葉ではなく、森の中の一筋の道が、現われただけだった。
しかし其れは、今までのメッセージの終極を示す様な感じがするモノである。
昨日のメッセージの「木の汁」「デモンストレーション」「ステージ」この三つの単語が、最後の言霊であった様だ。
そして、今朝は、其の短い言葉さえ無く、木汁のデモンストレーションのステージが現われたのだ。
「木の汁」とは、ミトコンドリアのプールの事なのだろう。
我々地球生命は、其のプールが存在する事で、いのちを繋いで来たのだ。
一切の「いのち」の元は、植物の体液に在るのだ。
だからこそ、木は、人間の言葉は話さなくても、釈迦を仏陀にし、私を誘ったのである。
静かな森の中は、木々の息吹だけが在る所だ。
しかし、其の世界を能く考えて見れば、太陽の光りエネルギーを葉で受けて、根から酸を出して岩を溶かし、水を循環させ、全ての生命を支えているのである。
木が地球に存在しなければ、酸素も無いし、石炭や石油も無かった事になる。あらゆる動植物が、植物の体液の中を泳ぐ、目に見え無い存在に支えられて来たのである。
木々は、言葉は使用しなくても、確かな情報を有している。
杉はスギの、公孫樹はイチョウの、確かな周波数を使っている。
其れは、静電気の様な振動波であるが、生命全体の周波数の海の中で、其々のチャンネルを有しているのである。
私は21年前、屋久島の森の中に素っ裸で過ごし、彼等の周波数の海に入り込んで行った。そして、木々とのコンタクトのお陰で、全国の旅が出来た。
天河神社の、反対側のお寺の公孫樹や、富士浅間神社の太郎杉などは、全国の木の司令塔と成って、連絡を取り合ってくれたのである。
そんな世界は、古代では当たり前だったのである。
だからこそ、神社には鎮守の森が造られ「神籬・ひもろぎ」が植えられたのだ。
屋敷の門には、木のアーチが作られ、茶道の世界では露地が有り、神社では榊木の枝で頭の上を祓われる。
それらの作法の原点には、木々の持つ力が認識されて居たのだ。
1994年3月22日の未明、私の意識が、宇宙船のコックピットの様な所に在って、地球に近付いて来た。
そして、山岳地帯の上空まで来ると停止し、或る一画に四角な枠を嵌められて、其の一画が拡大されて来た。
其の焦点は、或る山の山頂に向かい、一本の大きな木に近付いて行った。
其の木は、大きな岩が点在している中に、一際大きく目立つ木である。
其の木の、大きく横に伸びた枝の下に岩が在り、其の岩の上に、人間が一人白い衣を被って座って居る。
私が、其の人の顔を覗こうとして、目線を近付けて行くと、突然、其の人の姿が消え、替わりに「風 麦東 陶(ふうれんとう)」との文字が、現われて来た。「ふうれんとう」とは、「人間の生活習慣や 風習を 練り鍛えて 人を導き教える。」との意味である。
何故、其の人が、山奥の大きな木の下に座って居たのだろうか。
其処にも、重要なメッセージが込められている。
私の意識を、誰がコントロールしているのかは判らないが、人が木の下に座し動かない事は、木の情報を、人間の意識に伝える為に、トランスの役目を果たしているとも考えられる。
漢字の「休」は「人+木」の組み合わせで、人が木に寄り掛かって休んでいる象形文字である。
人間が、木の下に居ると言う事は、木の力に自分を委ねる事である。木の下で、無心に成った時に、人間の魂も原点に還れるのだ。
原点とは、いのちの基であり素である。
私達の迷いの元は、其の木の下から、離れた事で生じて来たのだ。
今朝のメッセージでは、一本の木ではなく、長い道が、森の中に続いており、其の道を私の意識は進んで行った。
そして、道を取り巻く周囲には、其のモノ言わぬ木々が、いのち豊に息づいているのである。
私の意識は、其の道を進みながら、その道が「やまと」に続いているのだと感じた。
「やまと」は「大和・山門・山戸」であり、其の意味する処は深い。大和とは調和であり、神秘であり、偉大なモノでもある。それは、人類全体の魂を包み込む力が有る。
日本の神社で唱える「大祓への祝詞」には、「国つ神は 高山の末 短山の末に登り座して 高山のいほり 短山のいほりを掻き別けて聞こしめさむ・・・」とあり、神は山に住んでいる理に成っている。
出雲では、其の神々が住む所を「くまくましき所」と呼ぶ。
其れが熊野(くま乃)の語源であり、アイヌでは森の神の化身として熊(くま)を神としたのだ。
イエスの言葉も、死海文書の中では「貴方達は 他人に 神は何かと訊かれたら、神は この大自然 全てであると答えなさい。」と述べたと、書かれているとの事だから、イエスも同じ事を感じ取っていたのだろう。
森の中に、神が住むのではなく、自分自身が、森の神の化身として目覚めるのである。其の為に、神社やお寺は、水清き山中に建てられたのだ。
其の事からも明らかな様に、自分自身が森の中に立ち入り、木の波動をダビングして、生命のデモンストレーションとして、ステージに立たなければ成らないのだ。
昔は、山の中に在った神社や寺が、今では周囲が開発され、町中に成ってしまっている。そんな所に出掛けて、塩素入りの水で禊いでも、チャンネルは開かない。
「ふうれんとう」とは、先ず、これ等の事柄から改善して行かなければ成らないのではないだろうか。
他の星の生命体が、地球人の様な姿をして居る分けがない。木や草こそ、地球生命の原点なのだから、緑色をした草木の様な動物が、他の星では動き回っているかも知れないのだ。
山の木々こそ、宇宙意識其の物の、現われなのかも知れないのだ。
その木をドンドン殺して行けば、自分の肺は、其の内呼吸が出来なく成る。
人間は、自分の手で、自分の肺を虐めている事になる。
地球の、空気中の酸素濃度は20・93パーセントである。
其の濃度が、数パーセント少なくなれば、呼吸が難しく成るらしい。
森こそ、私達の身体を進化させて来た、育ての親なのだ。
森に還るとは、親元に返る事なのである。「やまと」とは、其の意味までが、含まれた言霊なのかも知れない。
私の生まれた所は、「矢本嶽・やもとだけ」である。
神は、私の意識の基を、始めから考えていて、「やもと」を誕生地と決めたのではないだろうか。
「おやもと」が「大和」であるなら、私の意識は「吾」として、木々のデモンストレーション(示威運動)を担って居るのだろう。
この地球を、ステージとして。
「やまと」https://star.ap.teacup.com/170606/596.html
此の文章の内容からすると、今朝の由香のビジョンは、其の森の神(はたらき)が、人間社会に降りて活動を始め様としている事を、知らせて来ているのであろう。
そして、其の森の神の意思を受け入れる為には、大脳の大掃除をしなければ成らないと言う事であり、其の為に必要な事が「清水に拠る禊ぎ祓い」の儀式なのである。
其れは、釈迦仏陀・イエスキリスト・伊邪那岐命が、川を泳いで渡ったのではなく、ただ水浴び・沐浴をして、神の世界(四次元)に入ったのであるから、「彼岸に渡る」との言葉を変えなければ、「彼岸・パーラミター・波羅蜜」の言葉に惑わされて、誰も「真実の世界に目覚める事」が出来ないと言う事にも成る。
2001/3/1「禊ぎ」https://moon.ap.teacup.com/20061108/78.html
今朝は「やまと」の文章に目を通して、15年前屋久島に帰って居る時の自分の意識が、純粋であった事に気付き、今日は是以上「三段の箪笥」の中身に付いて、詮索する気力が失せた。
令和2年7月31日
礒邉自適
2020/7/30
新しい思考システム
2・7・30
今朝のメッセージは、昨日パシッと音がして、暗い世界に白い四角な窓・空間が開いて広がって行った事と関係が有るのか、「霊界・月読み界・四次元世界」が新しく成るとの事が示されて来た。
先ず、薄い空色・水色の縁取りがある新しいベッドが、運び込まれて来る場面・様子が映し出されて来て、其れは、新しい「天の御臥す間(あめのおふすま)真床 襲衾(まとこおふすま)」が開始される事を、示唆している様であった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時11分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、三段作りの箪笥の様な感じで、物事が分けられている様子・場面が映し出されて来た。
其れは上の段・箱の中は、「火」がテーマであり、其れは太陽の光や熱等と関係が有り、簡単に言うと「天文学」の様な世界であり、純粋な科学の世界を示唆している様な感じである。
中の段・箱の中には、「食」がテーマの様で、様々な野菜や果物類が並べられている事が判った。
下の段・箱の中は、四角なテレビかPCの画面が幾つも横に並べられており、其処に映し出されている映像・番組は、機器毎に番組・内容が全て分かれている物なので、一つの機器をチャンネルで変えるのではなく、其の機器・画面が左右にスライドして、必要な画面を中央に持って来れる仕組みに成っていた。
そして、私が見ていると言うか、関わりを持っている番組・世界は、自然の生き物と人間・人類の関係性に付いて、根本的な所から認識できるプログラムの構築である事が示されて来た。
其れ等の内容・映像が長く続いたので、全体的にボヤけてしまい、確かな映像・内容は是以上思い出せない。
今朝は8時前に起きて、先ずPCを立上げ起こされた5時11分の数字から、5月11日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/5/11今朝のメッセージには、私が残り4年で「77歳」に成る事が示されて来て、其れは「7歳×11回」と「11年×7回」が重なる事が示されて来た。
そして其の事は、動植物の世界と関係が有り、其れに合わせて生物が皆複雑に絡み合って存在・生きている理・ことが示されて来た。
そして、其れ等のリズムと人間社会の流動が関係有り、棚卸の様な事が必要不可欠であり、其の為に禊ぎ祓いの世界が必要である事が示されて来た。
其れから、私が最も重要視しなければ成らない事は、水の循環であり、其の為に温度が大事である理・ことが示されて来た。
そして「黒い太陽」との言葉が告げられて来て、意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は7時15分である。
今朝最初に示されて来た、私が残り4年で「77歳」に成り、其れは「7歳×11回」と「11年×7回」が重なるとの事は、7歳が男性の躰のリズムである事と、太陽の活動周期が11年である事と関係が有りそうである。
男性の7歳のリズムは、男子の心身が七年刻みであり「7年×3回=21歳」で成人と成り、「7年×7回=49歳」が厄年であり、以前は男性の一生が50年と云われていた事が其れに関係が有りそうである。
其れに対して、女性の心身のリズムは3年であり、「3×6回=18歳が成人であり、3×11回=33歳が厄年である。
キー「男性7年 女性3年」・・
此処で今、私の右足の親指と人差し指の中間の付け根にカモ(神の電気信号)の反応が起きたので時刻を確かめると9時25分であるので、昨年の9月25日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2019/9/25昨夜、其の風呂の中で考えていた事は、陽のエネルギーと陰のエネルギーの比べ方である。
其れは、「収縮=拡散」「ブラックホール=ホワイトホール」「闇=光」「インプット=アウトプット」「発信=受信」「話す行為=聴く行為」「攻撃=守り」等であり、自分が是から、自分のエネルギーを、どの様に使えば良いかと謂う事である。・・
此の「充分な練習を積んだ」との言葉からすると、今朝のメッセージが、此れまでとは異なり、漠然とした内容である事と関係が有り、私は此れまでとは違う意識で、物事を考えなければ成らないとの事が、示されて来ている様な気がする。・・・「ポテンシャルを高める」
其れに、今朝「黒い太陽」との言葉が告げられて来て、起きた時刻が7時15分であった事から、昨年の7月15日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の二つの文章の内容から考えると、私は人類全体の「ポテンシャル」を高める為に何等かの指針を示す必要があり、其れは最高レベルの教育理論と、其れを理解できる学習の場を創造しなければ成らないとの事なのではないだろうか。
そして、其の事・世界を造り上げる為には、精神論(道徳・宗教)を説くよりも、生命のリズムを理解する事を中心に据える必要があり、其の「生命のリズム」と「宇宙(自然)の関係性」を理解すれば、自ずから精神性は養われて来る・育つと言う理・ことなのではないだろうか。
其れを考えると、私に告げられて来ている「紀(とき)のまつりを行え」との言葉も、何を主体とすれば良いのかが、理解出来る様な気がする。
今朝告げられて来た「黒い太陽」との言葉は、以前に書いた文章のタイトルであるので、調べると次の様な事が書いて有る。・・
此の文章に有る「私の63歳の誕生日」「宝珠光龍・宝珠を手にした光の龍神」の言葉は、5月3日のビジョンに映し出されて来た「宝珠」と関係が有り、私は10年遅れの73歳で、其の「宝珠光龍・宝珠を手にした光の龍神」の存在を内蔵した事に成りそうである。
「生命のリズム」https://green.ap.teacup.com/20060818/5360.html
此の文章には、次の様に書いて有る。
「・・動植物の世界と関係が有り、其れに合わせて生物が皆複雑に絡み合って存在・生きている理・ことが示されて来た。そして、其れ等のリズムと人間社会の流動が関係有り、棚卸の様な事が必要不可欠であり、・・・」
此の内容は、正に今朝のビジョンで、私が関わりを持つと言うか、受け持っていた分野の世界其のモノである。
是で、新しい次元での私の役割が何であるかが、明確に成って来た様である。
『ですが 其れは 貴方の一部であって
貴方は 全体の事に
目を向けて 居なければ成らないのですよ。
其れが「統尊・すめらのみこと」の
「御嚴・みいつ・御稜威 」であると言う事です。』
令和2年7月30日
礒邉自適
2020/7/29
彼岸の意味
2・7・29
今朝のメッセージは、先ず、「彼岸花・曼珠沙華」のバルーンを三組、3000mの高さに迄、上げなければ成らない事が示されて来た。
そして、縁日の様な雰囲気の通りが映し出されて来て、私の意識は、姿が見えない同じ年程の「妻・女神?」と二人で歩いて居る様子・場面が映し出されて来て、休みたく成ったので「茶店」に腰掛けて小豆善哉を注文してから、私は店員に「お握りはないですか」と訊いていた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時31分」であった。
其れから、再び電気を消して横に成ったのだが、其の意味を理解出来ないと言うか、何を示して来ているのだろうかと考え始め、眠れなく成ったので起きてPCを寝室に持ち込み、3月31日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/3/31本日3月31日で本年度が終了し、明日から新年度である。
今朝のビジョンには、先ず、仕事を失った男性達が、農業の実習を受けている場面が映し出されて来て、其の人達は、先ず初めに、柔らかく耕された平地に、果樹の苗を植える作業を行って居た。
其れは、小学生でもできる簡単な農作業である。
次に、私の意識は、其の人達の食事の面倒をどの様に看れば良いかに悩んで居た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時16分」であった。
其れから再び眠ると、私自身は、直接には何も現場に関わっては居ないのだが、様々な分野で、新しい世の中を創造する為に、人々が活躍している様子が映し出されて来て、其れは、私の身体を通(トランス・御稜威)して起きている現象であり、私が余計な事を考えたり、行動したりすると、其の世界は中断・停止してしまう事が示されて来た。
其の映像の最後には、高校や大学を卒業した位の年代の女性達が数十人、校庭で朝礼を行っている様な場面が映し出されて来て、其の女性達は、皆優秀な成績の者が招集されたかの様な感じであり、学生服ではないが、清楚な軽い服装で、肥満な人は一人も見当たらなかった。
そして、「叡智の天才」との言葉が告げられて来たので、起きて時計見ると時刻は6時29分であった。
【今此処で右足の小指にカモ(神の電気信号)の反応が起きた。10時13分
今朝はPCを立ち上げ、先ず「叡智」「天才」の言葉を国語辞典で調べると、次の様に載っている。
えい‐ち【英知/×叡×智/×叡知】 の解説
1 すぐれた知恵。深く物事の道理に通じる才知。
2 哲学で、物事の真実在の理性的、悟性的認識。
また、それを獲得しうる力。ソフィア。
てん‐さい【天才】 の解説
生まれつき備わっている、並み外れてすぐれた才能。また、そういう才能をもった人。「数学の天才」「天才肌のプレーヤー」
今朝の始めのビジョンは、戦前は農家が多く、殆どの人々が農林漁業の兼業であったので、戦後の焼け野原状態で国の援助が無くても、自分達で住まいを建て、作物を作り、自給自足にて、戦後の復興を成し遂げて来たのであるが、現在・いま、其の様な事態が起きれば、自分で何も手仕事が出来ない人々が、路頭に迷う理・ことが示されて来ているのであろう。
今朝起こされた時刻「3時16分」から、昨年の3月16日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
何と此の文章には、「竹の筒(トンネル)」との言葉が有るので、其れは昨日のビジョンに映し出されて来た、修行を始める人達の身の丈に合った「節の有る竹筒」が与えられる世界と関係が有り、昨日のビジョンで皆が転がして進む「節竹」は、其の人間の「時節・時間・紀・器量・うつわ」を示唆しており、其れは「水の世界」から齎されるモノ・世界であるとの理の様である。
其れに先程10時13分に、私の右足の小指に起きたカモ(神の電気信号)の現象から、昨年の10月13日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章の内容からすると、昨日のビジョンで聖水を溜めた磁器(珪素・シリカ)製の丸い器の中心に、天空から一筋降りて来た光エネルギーの正体と、其れに拠って齎せる、藍色の「模様・絵柄・情報」との関係性を具体的に解析する必要が有る事に成る。
其れに、「叡智の天才」との言葉が其の事に関係が有り、私に起きている現象は、私が世界自然遺産に登録された山川海の自然豊な屋久島で産まれ育ち、学問が中学までの義務教育だけある事が関係有り、私の意識・知識は空に近かかったので、禊ぎ祓いが割合に簡単だったとの理・ことなのではないだろうか。
其れに、屋久島の自然環境の中で36歳まで暮らした私の魂しいは、個人の「場・グランド」が無い・狭い大都会に産まれ育った人間とは、竹筒の大きさが格段の差があり、カルマ・業の巨大な渦巻きである大都会に産まれ育った人間には、自分自身の時空を持つ・抱える事が、不可能であるとの理・ことなのであろう。
其れが、私の話す事が、都会産まれの人達には理解されない事の原因の一つなのであろう。
其れを考えると、「叡智の天才」との言葉は、私が「精神」との言葉の意味に近い「肉体・からだ・空だ・殻だ・空蝉」を此処まで保ち得て来たと言う事に成るのかも知れない。・・
「叡智の天才」との言葉が告げられて来た「6時29分」の数字から、昨年の6月29日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
昨日は江藤敬介氏から連絡が有り「今朝のメッセージでは、自分の役目が『大君の庭番』であるとの事が告げられて来てから『殿様が要る』との言葉が告げられて来た。」との事だったので、私は「昨年 組合長との言葉が告げられて来ているので 其れに関係有りそうですね。」と答えた。
其れが、今朝「叡智の天才」との言葉が告げられて来た6時29分・6月29日の文章の題である。
是は、どう言う事なのであろうか。
と言う事は、昨日の江藤敬介氏のメッセージと、今朝の私のメッセージ(神計らい)は連動・連結している事に成るので、同じ神意識が動いている事には、間違いが無い様である。
其れを考えると、本日3月31日が本年度の収支日である事が関係が有り、明日4月1日の年度始めから、何らかの事が新次元で始まるとの事なのかも知れない。
若しかしたら「殿様が要る」との言葉は「殿・しんがり」が登場して号令を発しなければ、「先鋒・先頭・前衛」が動き出せないとの理・ことが示されて来ているのかも知れない。
「叡智の天才」https://green.ap.teacup.com/20060818/5319.html
此の文章の最後に記して有る「・・若しかしたら「殿様が要る」との言葉は「殿・しんがり」が登場して号令を発しなければ、「先鋒・先頭・前衛」が動き出せないとの理・ことが示されて来ているのかも知れない。」との事からすると、昨日「武富氏」から電話が掛かり、「自適さんが 表に出なければ 纏まらない。」と謂って来た事と関係が有りそうである。
其の「自適さんが 表に出なければ」との言葉は、「土肥無庵」が私を捜し出した時に、私に謂った事と共通している。
キー「土肥無庵 自適さん 台の上」
2015/3/27・・其れから、一眠りすると、一行の日本語の横書きの文章が映し出されて来て、其の文章の最後には、句読点である「。」が打たれており、次の書き出しに「11月21日」の日付が書かれていた。
そして、40歳代程の男性の声で、「立って居てください。立って居てください。」と、数度念を押す様に告げられて来た。
私が、11月21日の数字を「井上佳子の誕生日か」と問うと、「違う」との事であり、次に「一休禅師の命日か」と問うと、其れも違うとの事なので、「S・T スピリチュアルタイム」の日かと問うと、「そうだ」との事であった。
其れから、「わかれ道」との言葉が告げられて来た。
其れで、「S・T スピリチュアルタイム」の事を続ける事が、是からの私の役割である事が判ると、瞼の中に、夜が明けたかの様に、光が充ちて来て明るく成ったので、目を開けて電灯を点けて、時刻を確認すると「5時32分」であった。・・
今朝、「立って居てください」と告げて来た男性の声の主が誰かを考えると、昨夜入浴して居る時に左手にカモ・(神の電気信号)の反応が有った時刻が、11時7分であったので、2001年11月7日が命日である「土肥無庵」の言葉であったのではないだろうか。
其の土肥無庵は、私に会った時に「世の中が行き詰った時に 自適さんが 台の上に立って 人々を導く役目だ」と云ったので、其の事が、継続されていると言うか、本当の事に成るとの事なのかも知れない。
2009/6/7・・朝のメッセージの映像は、私の意識が、地球上で暮らす人間の状況を、全部コントロールしている場面だったので、日本語の「現人神・あらひとかみ」の概念に合っており、「すめらのみこと・皇帝」の「御陵威・みいつ」の働きが、私の「身体・ミマ」を「通過・トランス」している理・ことに成る。
其れを考えると、私の意識が、「神・蛇・祀」の役割を果たしている事に成るので、「ちきゅうそうた」とは、地球に対して、全ての手段を採るとの意味で、「地球総手」の漢字で良いのかも知れない。
そして、自適の体は、其の為に使われているとの理・ことであろう。
其れは、26年前に無庵師匠が私に云った、「自適さんは 総べての事が想った様に成るでしょう。だから 自適さんが 人類の未来を救う為に 台の上に立って人々を導く時が来るのです。」「だから 仕事を全部止めて 家族とも離れて 私の下で修行をしてください。」と、云った事が、いよいよ現実に成ると言う事でもあるのだろう。・・・「地球総手 自適」
今朝の瞼の内側が明るく成る現象は、私の脳の視覚神経に其の様な情報を、天神(てんのはたらき)が送り込んで来た現象であろう。
そして、其れが、5時32分であったのは、「532」の数霊(かずたま)が「532・ごみに・塵に」と読めるので、「S・T スピリチュアルタイム」を切っ掛けとして、「人心」か「人民」の道が、分かれるとの事なのではないだろうか。・・・
「立って居てください」https://wave.ap.teacup.com/20060106/569.html
其の「土肥無庵」が私を捜し出した時点(1983年3月18日)では、携帯電話だけではなく、PCやインターネットも無く、ましてやスマートフォンの様な通信システムが無かったのだが、現在・いまでは自宅に籠って居ても、世界中の情報が手に入るし、自分の考えや存在も世界中に発信ができる様に成っているのである。
其れを考えると、私は「殿・しんがり」との日本語の言葉・概念や、老子の謂う「我に三宝有り」との言葉が、私に合っている事に成る。
要するに、現実に表・人前に立たなくても、「統尊・すめらのみこと」の「詔勅・みことのり」や「みいつ・御嚴・御稜威」を行う事は可能であると言う事である。
老子六十七章「われに三宝あり」
天下皆謂我大似不肖。夫唯大、故似不肖。若肖、久矣其細也夫。我有三寳、持而保之。一曰慈、二曰儉、三曰不敢爲天下先。慈故能勇、儉故能廣、不敢爲天下先、故能成器長。今舍慈且勇、舍儉且廣、舍後且先、死矣。夫慈、以戰則勝、以守則固。天將救之、以慈衛之。
天下みな「わが道大なるも不肖(ふしょう)に似る」と謂う。それただ大なり、故に不肖に似る。もし肖なれば、久しいかな、その細なるや。我れに三宝有り、持してこれを保つ。一に曰く慈、二に曰く、三に曰くあえて天下の先たらず。慈なり、故によく勇なり、倹なり、故によく広し。あえて天下の先たらず、故によく器長と成る。今慈を舎(す)て勇ならんとし、倹を舎てて広からんとし、後を舎てて先ぜんとすれば、死なり。それ慈はもって戦えば勝ち、以って守れば固し。天これを救わんとすれば、慈を以ってこれを衛(まも)ればなり。
訳
「大きいことは大きいが、どことなくぬけているようだ」わたしの説く「道」を、世間はこのように批評している。「道」はたしかに大きい。大きいからこそまがぬけて見える。まがぬけて見えないくらいなら、大きいなどとはいえはしない。
この「道」から、三つの宝が引き出せる。第一は、「人をいつくしむ」心である。第二は、「物事を控えめにする」態度である。第三は、行動において「人の先に立たない」ことである。
人をいつくしむからこそ、勇気が生まれる。控えめだからこそ、窮まることがない。人の先に立たぬからこそ、人を指導することができる。
もし、いつくしむ心を持たずに、ただ勇のみをこころざし、控えめな態度も知らずに、ただ無窮のみを願い、退くことも忘れて、ただ人に先立つことのみを考えるなら、結果は破滅あるのみだ。
いつくしみの心をもつ者は、戦えばかならず勝ち、守れば難攻不落である。いつくしみの心、それはまさしく、天が万物を保護する心なのだ。
徳間書店 中国の思想 老子・列子 奥平 卓 訳
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今朝は3月31日の文章に目を通してから、再び横に成ると、暗い場面の中にパシッと音がして「白い四角な空間」が広がる場面が瞬間的に映し出されて来て、「岸は無い」との言葉が一言告げられて来た。
其れは、仏教で言う所の「彼岸」が無いと言う事の様であった。
其処で照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時25分」であったので、私は其の数字を「425・しにご・死に後」と記憶して、再び眠りの中に落ちて行った。
其れから、次々に、様々な人達の様子・行為・仕草が映し出されて来て、其の人達は、「彼岸・ひがん」の言葉は知って居て、お盆の行事や、葬式に参加していても、自分が其の「彼岸」の言葉・世界を、自分の物とする行為・考えが何も無い理・ことが示されて来た。
其れは、特に薬物依存の人達や、芸能関係の人達であり、中には精神世界の哲学者や、社会心理学の教授なども、混ざって居た。
そして、其の人達とは反対側・別の世界を生きて居る人間として、長い間代々に亘り水田稲作を続けて居る人達が居る理・ことが示されて来た。
其れは「豊葦原瑞穂の国」との言葉と関係が有り、「彼岸花・曼珠沙華」のバルーンを三組、3000mの高さに迄、上げなければ成らない事が示されて来たのは、彼岸花が稲穂が実って色付いた季節に、水田地帯の風景を美しく彩る花である事と関係が有り、其の彼岸花のバルーンを3000mの高さまで上げなければ成らないとの事は、富士山の高さを意味しており、富士山が日本の象徴(御神体山)である事と関係が有りそうである。
其れとバルーンが、一つではなく、三つ上げなければ成らないとの事は、彼岸花が「赤色・黄色・白色」の三色が有る事に関係が有るのか、三の数字が、様々な世界の要点を示す物なので、「通り一遍」「一辺倒」に考え・捉えては成らないとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
ひ‐がん【彼岸】 の解説
《(梵)pāramitāの訳「到彼岸」から》
1 仏語。生死の迷いを河・海にたとえた、その向こう岸。悟りの境地をいう。⇔此岸 (しがん) 。
2 「彼岸会 (ひがんえ) 」の略。《季 春》
3 雑節の一。春分の日と秋分の日をそれぞれ中日とする各7日間。春の彼岸と秋の彼岸。
4 向こうがわの岸。
「蛍は…スウと遠く―の葦間に消えた」〈木下尚江・良人の自白〉
梵語 pāramitā パーラミター
波羅蜜(はらみつ、パーラミー、サンスクリット語パーラミター)とは、仏教において仏になるために菩薩が行う修行のこと[1]。到彼岸(とうひがん)、度(ど)、波羅蜜多(はらみった)などとも訳す[2][注釈 1]。六波羅蜜と十波羅蜜がある[1]。
語源
サンスクリット文法による語源的解釈では、Pāramitā を、"pāramī"(「最高の」を意味する "parama" の女性形)+ "-tā"(抽象名詞をつくる接尾辞)と分解し、「最高であること」、「完全であること」とされる[要出典]。しかし中国およびチベットなどの北伝仏教の伝統的な解釈では、これを"pāram"(彼方、"pāra" の 業格)+ "ita"(動詞 "i" 行くの過去分詞女性形)と読み、「彼方に行った」すなわち此岸(迷い)から彼岸(覚り)に到る行と解するのが通例である[4]。例えば、漢語訳における「度(ど)」、「到(とう)彼岸」などの訳語や、チベット語訳の「パロルトゥ・チンパ」(pha rol tu phyin pa)も「パロルトゥ」(pha rol tu)が「pāram」、「チンパ」(phyin pa)が「itā」に相当する語である[4]。
フリー百科事典『ウィキペディア』2020/07/29現在
此の「彼岸・パーラミター」の言葉を毎日使用している僧侶が、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)の様に、覚醒・成仏していないのだから、確かに「彼岸 此岸」との言葉は、「架空・例え」の言葉にしか過ぎず、今朝示されて来た「岸は無い」との言葉が告げられて来た時に、暗い場面の中にパシッとの音がして「白い四角な空間」が広がる場面が瞬間的に映し出されて来た事は、どの様に理解すれば良いのであろうか。
暗い世界に、四方に白い空間が瞬間的に拡大する場面は、「闇が晴れる」との事にも、自分の意識の無明が取れる、意識が真っ新に成る、等との意味に取れるので、其れは私が36年前(6月4日・旧暦5月5日)に、安房川を泳いで向こう岸との間を一往復してから、20年前に死亡した父親の霊魂が、4311体の霊体を連れて帰って来て、「此の人達に身体を貸せ」と謂った時の状態と言うか、現象世界が、どう言う事であったかが、映像にて示されて来たのではないだろうか。
其の瞬間に「パシッ」と音がした事は、カメラの「シャッター・幕」と関係が有り、「悟り・覚醒・成仏」の瞬間と言うか、門戸は、カメラのシャッターの様な仕組み・からくりであり、其れは自分の脳の中に存在する物で、河川の岸は直接には関係が無いので、彼岸との言葉は適切ではないとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れは、釈迦仏陀・イエスキリスト・伊邪那岐命が、川を泳いで渡ったのではなく、ただ水浴び・沐浴をして、神の世界(四次元)に入ったのであるから、「彼岸に渡る」との言葉を変えなければ、「彼岸・パーラミター・波羅蜜」の言葉に惑わされて、誰も「真実の世界に目覚める事」が出来ないと言う事にも成る。
2001/3/1「禊ぎ」https://moon.ap.teacup.com/20061108/78.html
今日は、「代々に亘り水田稲作を続けて居る人達」の事が告げられて来たので、江藤敬介氏に電話を掛け「何かビジョンを見なかったか」と訊ねると、自分の身体に大きな翼が付いている映像が映し出されて来て、翼を広げて飛び立てる場所を探して居る場面と、床の間に掛け軸が下がっており、其の掛け軸から色んな情報が抜け出して来るので、全ての掛け軸を巻き取ってしまう場面が映し出されて来たとの事である。
其の江藤敬介氏のビジョンは、飛翔する場面が「彼岸に渡る」との事と関係が有り、床の間の掛け軸は「他人の想念に拠る作品」なので、他人の情報がカルマに成るとの理・ことが示されて来ている様である。
其れは「土肥無庵」が、「絵画・作品は 其の人の頭の排泄物である」と謂って書画が一切無く、仏壇や神棚等が無かった事にも通じている。
其れに、由香のビジョンには、知り合いの三姉妹の家に行き、「美穂」という名の子供の面倒を看てくれと頼まれていた場面と、4歳児〜年子の子供が5人居る若い夫婦と一緒に道を歩いて居て、心から楽しく子育てをしている様子であったとの事であり、「豊葦原瑞穂の国」と関係があるのではないかと思った。
其れは、由香の御魂は「櫛稲田姫」であるので、稲作文化を守っている家は、子孫に恵まれて永続する理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
令和2年7月29日
礒邉自適
2020/7/28
皆が人真似で生きて居る
2・7・28
昨日は12時47分に佐賀の「武富勝彦氏」より、久し振りに電話が掛かり、一時間以上に渡り、近況報告が有った。
そして最後に、「自適さんが 表に出なければ 纏まらない。」との事を謂った。其れは、1992年に「御稜威クラブ」を立ち上げた時の事務局長が武富氏だったからである。
2008/7/22・・「御稜威倶楽部・みいつくらぶ」とは、私が27年前に神の世界に入った時に、天に「新しい神の名は」と訊いた時に「みいつ」との応えが有り、辞典で「みいつ」を調べて見ると、「天子の威光・天皇・すめらみことから発せられる御威光・威霊(神霊の威光)」の意味と説明されている。其れに付いては、以前2008年7月22日の文章が有る。・・・
「御陵威は変圧機・トランス」http://green.ap.teacup.com/20060818/825.html
今朝のビジョンには、先ず、私の意識が、教会の様な三角屋根の木造の建物を建築して居る様子が映し出されて来たが、其れは、私自身の意識ではなく、イエスキリストの御魂が、自分の意いを現実化したいとの思念の現れの様な感じであった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時16分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私の知らない場所で、知らない人達が色々な事を行って居る場面が、次々に映し出されて来た。
其れは、大きな西洋式の邸宅や乗馬クラブ、着飾った貴族だけが集まる社交場、等である。
私は、仕事が休みらしく、縁側・縁台の様な所に座って居ると、独身男性達が遊郭の様な感じの施設が有る街中に出掛けるらしく、私を誘いに来たが、私は其れを断って、静かに座っている動作を継続して居た。
次に、日本の寺院や神社の様子が映し出されて来て、僧侶や神主は、昔の手法・儀式を唯傳えているだけで、何も真実が傳わって来ていない理・ことが、示されて来た。
其れは「イエスキリスト」や「釈迦仏陀」が、過去の伝統や風習を止めさせる事に努力した事に反しており、また、日本の伝統である「惟神の道」や「禊ぎ祓い」の事と通じており、古い体制や価値観を捨てる事が、真実の宗教(おおもとのおしえ)である理・ことが、守られていない事に成る。
今朝は「7時14分」に起こされて、台所に行き、由香の今朝のビジョンを訊くと、実家に若い頃の母親が光輝いて座って居る姿が映し出されて来たとの事である。
其れから、「二重螺旋構造」との言葉が出て来て、同時に螺旋構造で伸び上がっている物体が映し出されて来て、一つは長い遺伝子・DNAの螺旋の様な形態の物であるが、一つは四隅の角が丸みを帯びている筒の様な物で、内側の遺伝子・DNAの螺旋(紐・蛇)が枠外に飛び出さない様に、保護をする役割の物であったとの事である。
私は、其の由香のビジョンから、其の四角な筒は、老子の謂う「道・タオ」や、釈迦の謂う「ダルマ・法」の世界と関係が有り、人間の「遺伝子・DNA(生命)」は、宇宙の法則・自然の掟である「道法」に拠って、脱線しない様に保護されているとの理を感じとった。
そして、其の道法が現代人の認識から外れ去っているのは、現代社会の教育が其の「道法」を知らない人々に拠って行われているので、元に戻そうにも、戻せないと言う事である。
其れは正に、旧約聖書に記されている「蛇が勧誘する知識の果実を喰う事」であり、老子の謂う「民に教育をしては成らない、賢しらが増えるだけである。」との事や、「マクロビオティック ・Macrobiotic」の創始者である「桜澤如一」が謂っている「此の母親のバカ共が 大事な息子を奴隷にする為に 受験勉強ばかりをさせている。」との事とも通じている。
2018/2/16「賢しらではない人々」https://green.ap.teacup.com/20060818/4529.html
今朝は、PCを立ち上げて先ず、今朝起こされた「3時16分」の数字から、「3月16日」の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/3/16 『何もかも貴方の一身に』
何もかもが 貴方の一身に 掛かっています。
ですが其れは 貴方自身が心を悩ます事ではなく
貴方自身が感じる 喜びの中に有ると言う事なのです。
ですから貴方は 他の出来事に意識を向けるのではなく
貴方自身の心に 自分が何を望んでいるかを
明確にして行かなければ成らないと言う事になります。
其れが 成佛に成功した 貴方の役割であり
「御稜威 ・みいつ」の働きなのですよ。
「女神のメッセージ」
昨夜は床に就いて暫くすると、左足の土踏まずの中央に、蜂に刺された様な痛み(カモ)が起きて来たので、何事かと思って照明を点けて時計を見ると、時刻は「0(12)時12分」であり、再び横に成っても其の痛みは暫く続いた。
そして、眠ってからの映像には、白磁製の四角な聖水を溜める器・鼎(かなえ)の存在が映し出されて来た。
其れは、器の正面に「青龍」の浮彫の絵が描かれている物で、四隅の角に付いている脚は、其の龍神の足の様な感じであった。
そして「464・四六四」の数字が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時28分」であった。
其れから再び眠ると、今度は餅を搗いた時に使用する、粉を敷いたもろぶたの存在が映し出されて来て、其のモロブタの中には、蕎麦粉で作った御萩か、クッキーの様な形の、薄茶色の食べ物が、澤山並べられていた。
其れから「何もかも貴方の一身に」との女神の言葉が告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は7時21分であった。
其れからPCのワードを立ち上げ「何もかも貴方の一身に」との文字を打ち込むと、冒頭の言葉が告げられて来た。
其れから起こされた「3時28分」の数字から、昨年の3月28日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の「静かに生きてね」の文章は、昨日のメッセージと連動しており、今朝告げられて来た女神の言葉の意味とも、関係が有る。
次に、今朝起きた・起こされた時刻7時21分の数字から、昨年の7月21日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
其れに、昨夜左足の土踏まずの中央部分に強いカモ(神の電気信号)の反応が起きた事から、「仏足」を調べると次の文章が出て来た。・・
此の「約束は護られる」の文章の内容は、13年前の3月13日に阿蘇の「日の宮幣立神宮」の境内に「九代龍王水神」の幟旗を立てて儀式を行った事が、関係有る事に成る。・・
此の文章の内容からすると、今朝告げられて来た「水の器・鼎」と「464」の数字が関係が有り、四神の龍神の「いき・息・息吹」が関係有りそうである。
其れを考えると、中の「6・六」は「六合・国」の意味であるので、新しい国を造る為に、両方から龍神が息を吹き掛ける意味が、含まれている事に成りそうである。・・
此の文章の内容からすると、先日のビジョンに、新しいガラス張りの正倉院が映し出されて来て、新しく三枚サッシの硝子窓が組み立てられる様子が示されて来た事が関係が有る事に成る。
これ等の事柄を考えると、昨夜「0(12)時12分」に、私の左足の中央の「法輪」の所に、強いカモ(神の電気信号)の反応が起きた現象は、「ヴィシュヌ」が歩き出すと言う事であり、新しい世界を創造する為の法輪(転輪聖王・チャクラヴァルティン)の回転が始まる・動き出すと言う理・ことなのであろう。
何故、其の法輪が動き出す時間が、「0(12)時12分」であったのかを考えると、私が2010年9月29日に浜松市の蕎麦屋「鈴川」で蕎麦が出されるのを待って居ると、左手の親指の指紋の真ん中に、強いカモ(神の電気信号)の反応が12時12分に起きた事と関係が有り、其の事が後に祓い戸の神である「瀬織津姫・せおりひめ」に繋がった事と関係があり、私や釈迦だけではなく、イエスキリストも「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」川で水浴びを行う事で、此の世界に入った事が関係有りそうである。・・
此の「遷都の必要性」との言葉は、正に、今朝告げられて来た「水を張る鼎」の存在と、「464・四六四」の数字に関係が有り、出て来た食べ物が餅ではなく、蕎麦粉の製品であった事の意味が符合している事に成る。
「何もかも貴方の一身に」https://green.ap.teacup.com/20060818/5304.html
此の文章に書いて有る女神の言葉からすると、私自身が何等かの事を意念すると言うか、考え出さなければ何も始まらないと言うか、古い形(かたち)が消えて行かないと言う事であり、其れは、昨日「武富勝彦氏」が電話を掛けて来た事と通じている。
今朝起きた・起こされた「7時14分」の数字は、「夏・秋 禊ぎ祓いの日」である7月14日の日付と符合しており、今年の旧暦7月14日は新暦9月1日である。
其れで、昨年の9月1日に何を書いているのかと意い、調べると、何と「初めての事が始まる」の題である。
2019/9/1昨夜は、床に就いて目を閉じて居ると「初めての事が始まる」との言葉が一言告げられて来た。
そして、眠ってからの映像には、彼方此方で長く冬眠していた熊が、起き出して来る様子が映し出されて来て、其の準備・対応を急いで行わなければ成らない事が示されて来た。
其れは、熊の姿は全く見えないのだが、人里に近い山中や、人間が飼っている熊や、動物園などの熊の事であり、腹が空いている熊が人間社会に一気に目覚めて出て来れば、危害・被害を人間社会に与えるので、早急に対策を計らなければ成らないとの事である。
だが、騒いでいる割には、熊の姿が一頭も見えないので、其れは動物の熊の事ではなく、人間が長い間意識が眠って居て、其れが全国(世界中)で一気に目覚めて来るので、其の混乱でパニックが起きる事を示唆しており、早急に対策を計らなければ成らない事を示唆している理・ことが理解されて来た。
そして、私も其の対策に出掛けなければ成らないと意い、服を着替え様とすると、壁に掛かっている服は、冬用の分厚いオーバーコートだけであり、其の服を着てしまえば、寒くは無いが、身動きが出来なく成る物である事が判った。
次に、何処かの家の中が映し出されて来て、家内に有る古い服や不必要な物が、廊下に山の様に集められている場面が映し出されて来て、其れは、不必要な物を全て処分しなければ成らない事が、示されて来ている理・ことが理解されて来た。
次に、姿は見えないのだが中年の女性(女神)が誘いに来たので、私は其の女性と一緒に出掛けた。
そして、到着した建物の中に入って声を掛けると、姿がはっきりしない中年の男性(男神)が上から梯子で下りて来て、棚から生ビールのジョッキの様な器を取ってカウンターの上に置き、鳥龍茶の様な飲み物を半分程注いでくれた。
そして、カウンターに高い丸い椅子を二脚置いてくれたので、私達は其の高椅子に並んで座った。
其れから、暫くすると三人で一緒に出掛ける事に成り、其の男性が自分の左胸と、私達の左胸に、マゼンタ色の「牡丹・ぼたん」様な花のリボンを付けてから歩き出したので、私達は多くの人々が待つ会場に、貴賓として、招かれている事が理解されて来た。
其処で、意識が目覚めたので照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時57分・6時3分前」であった。
其れから再び眠ると、私の顔が、丸い向日葵の様な形に成っている映像が映し出されて来て、其れは満面の笑顔であり、私自身がとても驚きを感じて居る場面であったので、どうやら、私が自分の顔を鏡に映して見て、其の自分の顔に驚愕して居る場面の様であった。
そして、其の画面の意味は、100%の陽性の魂しいを示唆しており、1%の陰の影も無い事が理解されて来た。
そして、「27+2+残り観客全員」との計算式が示されて来て、其れは、現象・事象を観察・観戦している人達は、月齢30・31の中の1か2の範疇の働きでしかない理・ことを、示している事が理解されて来た。
其れは「27 何かの役割に参加している人々(3世界×7光)」+「2 陰陽・男女の神(はたらき)」+「残り観客全員・眺めているだけの人々・観察者」=調読界。であり、其れが「太陽(全エネルギー)天照」の存在と対比しているとの理・ことの様である。
今朝は、9時25分に起きて・起こされてPCを立ち上げると、「何でも彼んでも」との女神の言葉が告げられて来たので、其の言葉を打つと次の言葉が告げられて来た。
「何でも彼んでも 噛んで見なければ
納得しない貴方は 困ったモノね。
でも そんな貴方が 逞しい相手だからこそ
此処まで 物事が進んで来たのだから
何も 文句は言えないわね。
ですが 此処から先は 何事にも
自分から手を出しては なりませんよ。
何故なら 今後のスケジュールは
決定しているのだから 貴方が勝手な
動きをすると 全て停止してしまうからです。
貴方には もう 自分の持ち時間は 何も有りません。
ですから 貴方は頭を空にして
唯 事象の動きに 身を任せて居なさい。
其れだけが 貴方の役割であり
それ以外の動きをする事は ご法度です。
此処まで 進んで来た事を
壊す様な事を 起こしては成りませんよ。
(ゆっくりしなさい それが一番良い方法なのです)
「何でも彼んでも」https://moon.ap.teacup.com/20060103/949.html
今朝起こされた「5時57分・6時3分前」の数字から、今年の6月3日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の文章には、「・・今朝私の意識が、東西(太陽の移動ルート)の畝溝を横切って進み、「山鳥(朱雀)」の首を絞めて殺してしまった事と関係が有り、私は時を運んでいた「鳥神(はたらき)」から、本日6月3日に自由に成ったと言う事に成るのかも知れない。・・」と書いて有り、今朝の映像で梯子で下りて来た男性が「鳥龍茶」をジョッキに注いでくれた事に関係が有り、「鳥龍」は鳥神と関係が有るので、今朝の太陽神と関係が有りそうである。
其れに、此の文章には出て来ないが、2008年6月3日に「定着した画像」の文章を書いて有り、其の内容は、私が1984年11月半ばに屋久島を出発して、初めて伊勢神宮(外宮)に参拝して、其の夜に、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」が夢枕に登場した日であるので、今朝のメッセージに太陽神が現れた事と関係が有る。・・
此の文章の内容からも、私は太陽神(天照・ラー)の神(はたらき)に直に接触した事に成り、私は35年掛かって、漸く目的の世界・次元に本日9月1日に辿り着いた事に成るのであろう。
其れを考えると、今朝女神が告げて来た言葉が理解出来るし、是まで長い間、私の意識を支え(コントロール)て来た女神は、太陽神と関係が有ると謂う事にも成る。
今朝のメッセージで、姿は現れなかったが、熊が長い冬眠から覚めて、人間社会に出て来る事で、大騒ぎが始まるとの事は、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が予言した「人類の目覚め」と関係が有り、更に「熊」は日本列島の先住民である「アイヌ・蝦夷」の神であるので、其の古代の神(はたらき)が登場する事が、示されて来ているのかも知れない。
其れは、昨日告げられて来た「溜まって来た悪を放つ」との言葉と関係が有り、人間社会に未曾有の出来事が発生・はじまるとの理・ことが、示されて来ているのであろう。
だが、其れに対して、此の私が、直接関わる事はご法度であると言う事であり、私自身が其の事に意識を向けてしまえば、全ての神(はたらき)のスケジュールが狂ってしまい、最後のチャンスである九回目のトンネル潜り(アセンション・人類の次元上昇)が失敗し、取り返しがつかなく成ると言う事なのであろう。
今ここで試しに、今朝起きた9時25分の数字から、昨年の9月25日の文章を視て見ると、「生き残る者は少なし」との題名であるので、今朝起きるのが遅く成ったのも、神(はたらき)の策略である事に成り、神(はたらき)の存在の証明とも成るので、今朝のメッセージは只の情報として受け流すのではなく、真剣に受け止めなければ成らない事に成る。・・
此の文章には、「・・私の入っているグループの男性が驚いた声を出して、壁を指差しているので、其方を見ると白い壁に、男性の上半身の姿が浮かび上がって来ており、其の顔の額(第三の目)から、何かのエネルギーが放射されている事が判った。そして、其の男性の顔が誰のモノであるかと意うと、其れは弘法大師空海の顔であり、其の映像の意味は、是から世の中に激しい変動が起きる事を示唆している事が分かり、「生き残る者は少なし」との言葉が一言告げられて来た。・・」と書いて有る。
此の「弘法大師空海」の事を考えると、今月27日の由香のビジョンに、由香の実家から真東に向けて新しい道路が造られており、其の先を定規を当てて調べると、高野山であった事と関係が有り、此れからの動きは、由香の実家が有る方面に移るのかも知れない。
今朝の由香のビジョンは、葬儀の場面が三回続けて映し出されて来て、葬儀用の祭壇を貸してあげていたとの事である。
そして、自分は葬儀には参加しておらず、動き回っていたとの事である。
其の由香のビジョンも、今朝の私のメッセージと連動しているので、人々の死が多発する理・ことが示されて来ている事になる。
其れは「大日如来・マハーヴァイローチャナ」天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の神(はたらき)に関係が有ると謂う事に成るのであろう。
其れ等の事を考えると、一昨日の「それでは皆様さようなら」との言葉は、「昭和天皇」の言葉ではなく、私の守護霊の言葉であったのかも知れない。
「初めての事が始まる」https://green.ap.teacup.com/20060818/5102.html
此の文章には「・・其の由香のビジョンも、今朝の私のメッセージと連動しているので、人々の死が多発する理・ことが示されて来ている事になる。・・・」と書いて有るので、今年起きている「ウイルス感染」に拠る65万人もの死者数と関係が有りそうである。
其れに、東京オリンピックの開催が決定して直ぐに、由香に「東京オリンピックは上手く行かない」との言葉が告げられて来たので、其の時から「ウイルス感染」の事は、天界のプログラムに拠って決定されていた事に成る。
其れを考えると、今朝の由香のビジョンは「天神・万物の母神」に取って必要な「血統・血筋・遺伝子・DNA」は、安全に守られる・確保されると言う事が示されて来ている事に成りそうである。
其の様に捉えると、私が此の神の世界に飛び込んだ時に、老子が座長と成って世界の人種・人口の割り振りを決めているビジョンが映し出されて来た事が、現実として現象化している事にも成りそうである。
キー「 老子 白人 黒人 インデアン 」
2003/9/27・・私が、メッセージを受け始めた最初の頃、映って来た場面に、人類の「宗親・もとおや」らしき霊が現れた事がある。
其れは、山中に在る昔風の古い家屋に、座敷と土間があり、その土間に輪切りの丸太の椅子が有って、三名の男性が座っている。
其の三名は、インディアン風の男性と、白人と、黒人の代表みたいに見えた。
其の三名が静かに座っていると、中国人風の男性が遣って来て、履物を脱いで座敷に上がり、無言で座った。
すると、それを待っていた三名が、土間の椅子に腰掛けたまま話を始めた。
話の内容は、自分達の子孫を、どれだけの割合で残すかの相談だった。
そして、三名の話し合いが終わると、座敷に座っていた男性は、又無言で立ち上がり、履物を履いて静かに帰って行った。
現れた男性は、四名とも魂のレベルが高く、完成された人格なのは、誰の目にも明らかな程、調っていて矍鑠・かくしゃくたる人物達であった。
その様子は、映画でも見た事が無いし、小説の世界でも描写されていない光景である。
私が、何故、その様な場面を見せられたのかは分からなかったが、今朝「宗動」との文字が映されて来たので、18年も前の映像を思い出してしまった。
「宗霊・みたまおや」が、動き出す事が、人類にとって、吉い事なのか、悪い事なのかは、私には判断出来ないが、人類全体の未来にとっては、喜びの方に向かうのであろう。
しかし、整理される余分な血筋は、どの様に反応するのだろうか。
野鼠・のねずみは、仲間が繁殖し過ぎると、一部の仲間を種として残し、残りは集団自殺をして、食糧難から全部が死滅する事を回避するという。
現代社会の人類の状況を考えると、異常発生した野鼠と、同じ状態だとも言える。
第三次世界大戦が起こり、若し、核が全部使用される事に成れば、集団自殺をする事に成る。
私が、18年前に見せられた映像は、其の場面だった。
「人間が 此のままの状況で進めば その様にさせるしかない」との、神の意志だったのである。
その事で、人間に核を創らせたのも、神の意志である事が解った。
野鼠の行動の背景にも、神の意志が働いているのである。
人間自身が、生き方を変えれば、野鼠の様に種族を残す事が出来るのである。 それは、一見薄情な様子に見受けられがちだが、全体的に長いスパンで見れば、理に適っていると言える。
野鼠が、皆で話し合って、行動に移るのではなく、全体の潜在意識の中に、其のプログラムが内蔵されているのである。
其の、内蔵されている力こそ、神が介入している世界であろう。
人間の存在は、数が多ければ良いと言う分けでもない。
人間は、神の意識に拠る物を、積み上げて行く、仕組みの一部なのだから、其の役目を果たさなくては、存在する意味が無いのだ。その役割を果たすには、数だけが多くても役に立たないのだ。
エジプトの死者の書には、「此の世には、一人の『霊止・ひと』の為に、何千人もの土を捏ねて作った、泥人形の魂の人間が存在する」と、載っている。
其れ等の、泥人形(土霊・どれい・奴隷)の魂の人達は、役目が終われば、土に還されてしまうのだ。
私の意識が、此処までに育つのに、どれ程の人達が働かされたのであろうか。当の本人達は、自分の意識があると意っているのだろうが、それは、神がその様に思わせて、人間を使用しているだけなのである。・・・
「宗動・血筋を別ける」http://star.ap.teacup.com/170606/119.html
2016/10/3「老子の凄さ」https://moon.ap.teacup.com/20061108/646.html
何れにしても、「万物の母神」の「慈しみ&悲しみ」の下で、九回目である最後のチャンスの「トンネル潜り・アセンション・次元上昇」のプログラムは、順調に進んでいるとの事なのであろう。
今朝の文章の題は「皆が人真似で生きて居る」とした、其れは「学習」との言葉が「まねる・ならう」の意味であるので、子供の頃に教育を受けた結果、皆が自分自身の本分を忘れた儘、一生を送っているとの事であり、其処から脱出して自分自身の「命・みこと・さだめ・運命」に目覚める事が、「解脱・覚醒・成仏」の世界であり、其の為の儀式・作法が「禊ぎ祓い」の儀式である。
今朝の状況から考えると、最後のチャンスが9月1日であり、残り34日しか無いと言う事に成りそうである。
令和2年7月28日
礒邉自適
2020/7/27
真心が欲しい
2・7・27
今朝のビジョンは、先ず、都会の人々が田舎に向かって、右側から左方向に、次々に脱出して行く様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「0時45分・1時15分前」であったので、私は其の数字を「045・れいしご・霊死後」と記憶して再び眠った。
すると今度は、13歳の男の子が、私が海岸の岩場に置いていた、黒い一本の杖を届けてくれる場面・様子が映し出されて来た。
其れで、其の杖を抜いて中を視て見ると、中の空洞には電子機器が詰まっているが、海水に浸かったので、使えなく成っている事が判った。
私は其の男の子に、「他にカメラ等は 残っていなかったか」と訊ねると、「其の杖が一本だけ 岩場の隙間に挟まっているだけで 他には何も無かった。」との応答だったので、私は自分の荷物は、全て高波で海に流されてしまった事が理解された。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時57分・4時3分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は、高台の日当たりや風通しの良い土地に、一本の「スモモ・プラム」の木が生えており、其の幹枝には赤く熟した果実が、たわわに実っている様子が示されて来た。
私は、其の様子を視て、其れは太陽の働き(意思)で実った物であるので、其のスモモ・プラムの果実を、仲間に配らなければ成らないと意って居た。
今朝起きた・起こされた時刻は、7時20分である。
其れからPCを立ち上げ、今朝起こされた「1時15分前」「4時3分前」「7時20分」の数字から、1月15日・4月3日・7月20日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/1/15今朝のメッセージの映像は、先ず、白い服を着た「土肥無庵(御祖神・みおやかみの御魂)」が、白い服を着た40歳位の「検事(国の番人)」を私に紹介する場面が映し出されて来た。
そして、其の検事が、私の事を認めたのか、検事の職を止めて、私の弁護士に成るとの事であった。
処が、私の所に遣って来た人物は、黒いスーツ姿で黒い眼鏡を掛けており、顎髭を蓄えているので、私は別人かと思ったが、顔や目を能く見ると同一人物である事が判った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「1時35分・2時25分」であった。
其れから再び眠ると、今度は私がオートバイを運転して、大きな施設に向かい、建物の玄関の左の方に停車して、建物の中に入って行き、二階に有る「自然森林保全課」の部署に向かうと、其の部署は閉鎖されて、看板も外されているのである。
私は帰る事にして、オートバイの所に行くと、短時間であったにも関わらず、其のオートバイは誰かに盗まれて無くなっているのである。
仕方無く、交通機関を使って帰ろうと思い、自分の持ち物を確かめると、私の姿は、赤系のアロハ模様の短パンに、腰にバスタオルを巻いただけの上半身裸であった。
其れで、私は其の姿で街中の駅に向かう事が出来ないので、近くの建物の中に入って行った。
すると、其の建物の中には、数人の男性がたむろして居り、中心の奥には40歳位の長身の男性が机に腰掛けて、皆に話をして居り、其の人物は何処かで見た事が有りそうな顔であり、話す聲に力が有り、話している内容が正当派である事が理解できたので、私は其の人物はリーダーの資格が有ると意い、其のグールプと行動を共にする事にした。
そして夜に成ると、其の人達が車検が切れている古いトラックを運転して、潰れかかっている様な冷凍倉庫の施設に向かい、鍵をこじ開けて、中に積んで有る冷凍の鶏肉を其のトラックに積み込み、食料が無い人々の所に届けて回るのである。
そして次の場面は、昼間に車に乗り込んで、とても高い岩山の麓に到着し、誰かが「此の山の目の部分に 赤い石を嵌め込まなければならない」と謂うので、其の山を見上げると、其の山は木が茂った緑豊かな山であるが、見事な円錐形のピラミッド型の岩山であり、確かに、アメリカのドル札の絵に有るピラミッドの目の部分に、窪みが有る事が判った。
だが、其処に岩を納めるには、樹木の下を潜りながら急斜面を登って行かなければ成らないので、人間が担いで行ける大きさの物であれば可能なのだが、其の山の大きさに対しての岩は、とても人力で動かせる物ではない事が理解された。
其処で、私は自分の両手のパワーで、其の目の位置まで持ち上げ様としていると、場面が変わり、其の岩は、電柱の上に載っているトランス・変圧器の形をした、白い岩の形に変わったので、其れならヘリコプターで吊り上げて運べると意っていた。
其処で「君は見えていない」との言葉が、一言告げられて来て意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時12分」であった。
今朝は、先ずPCを立ち上げ、起こされた2時25分前と7時12分の数字から、昨年の2月25日と7月12日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の二つの文章の内容からすると、今朝告げられて来た「君は見えていない」との言葉は、「君」は「きみ 貴方(私個人)」の事ではなく「大君・天皇・統尊(すめらのみこと)」の事を示唆しており、現在の御世には、真実の「君・クン」が存在していないとの理・ことが、示されて来ているのであろう。
キー「君・クン・きみ 右手+杖+口」・・
今朝のメッセージの映像には、「土肥無庵」が「御祖神・みおやかみ」の姿・役割として登場し、国の司法に関わっている優秀な男性法律家を辞めさせ、変装させて私の弁護に当たらせるとの事は、現在の世の中が崩壊寸前であり、其の崩壊から人間を救う神(はたらき)が行動を始める為には、私の身を守護する必要が有ると言う事を、示唆しているのであろう。
其れは、私が、南の海で海水浴を行う様な無防備の儘の身状態である理・ことを示唆しており、私が安心して、此の毎日の作業が続けられる状態・状況でなければ、「君・クン・きみ」の仕事が出来ないとの理・ことが、示されて来ているのであろう。
アメリカの1ドル札にも印刷されている「プロビデンスの目・万物を見通す目」と関係が有り、其の働き・役割を現実のモノ・世界として、発動させなければ成らないと言う事なのであろう。
キー「万物を見通す目・石工の目・プロビデンスの目」・・
其れに、今朝の映像で円錐形のピラミッドの目の位置に嵌め込む石が「赤い目」でなければ成らないとの事は、1985年9月6日の息子の夢に登場した「赤い目の黄金龍」の存在と関係が有り、其の黄金龍の存在は、私が1985年(S60)11月10に気功家の「中健次郎氏」と大阪で開催された講演会で出会い、亀岡市の杉岡氏の自宅に泊めて貰う事に成り、其の夜黄金龍が私の躰に巻き付いて来る現象が起きたので、翌日11月11日11時11分に儀式を行った事にも関係が有りそうである。
それらの出来事を考えると、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」が背負っていた神(はたらき)のプログラムが、愈々発動すると言う事であり、其れは、私が中国の王様・皇帝の鍼師の子孫である「清水先生」に受けた治療の効果が、現れる時節が到来したとの事なのかも知れない。
本日1月15日が本来の成人式の日である事を考えると、私に依り憑いている黄金龍の神(はたらき)が、漸く「一龍神前」に成ったとの事も考えられないことではない。
「君は見えていない」https://green.ap.teacup.com/20060818/5242.html
2020/4/3今朝のビジョンには、先ず「三国一の花嫁獲得」との言葉が示されて来てから、若者の男性の存在が三人居る映像が映し出されて来た。
そして、其の人達が食べるのは、平たく厚い「焼肉・ステーキ」で、自分好みの香辛料やタレを使用している様子が示されて来た。
次のビジョンは、「櫛玉饒速日命・くしたまにぎはやひのみこと」の御魂を意味する前田氏が、部下と共に、屋久島を訪れて居る場面が映し出されて来て、私は送迎を担当して居り、其の部下の中に一人、30歳代後半の男性が居て、私の行為行動が気に入らないらしく、私の服装や履物やベッドの使用の仕方まで、私のする事に一々ケチを付けるのである。
次に、九州が出身である別の男性は、屋久島の萱(かや)が気に入ったらしく、帰る間際に萱の大きな束を持って来て、車に積み込むと言うので、五人乗りの乗用車はトランクが手荷物で詰まっており、乗せる事が出来ないので、私は運転を他の人に頼んで、自分の車を置いて有る場所まで歩いて行く事にした。
其の自分の車は、原地区に置いている心算で歩いて行くと、途中で自分には今車が無い事が理解されて来て、私は自分が居る周囲の観察を始めると、屋久島の美しい自然の様子が次々に映し出されて来た。
次の映像は、私の意識(龍神?)が、太平洋から屋久島の南東にある「鯛の川」の入り江に向かって、海上を進んで行き、トーローの滝壺から、川を「モッチョモ岳」に向かって登って行く様子が映し出されて来た。
私は其の映像から、屋久島の音楽の神である「ピーコドンドン」の存在を思っていた。
すると「じしょく・自食」との言葉が告げられて来て、其れは、自分の身体のリズムを維持する為には、他人の手に触れた食べ物ではなく、自分自身で作った食事をしなければ成らない理・ことを、示唆している事が理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時8分」であった。
其れから、7時13分におきてPCを立ち上げると、男性の声で「今日から本番。何から 何処から 始めるか。」との言葉が告げられて来たので、其れは本日4月3日が、日本の歴史の基・始まりと成っている神武天皇の命日で「神武天皇祭」が行われる日である事と、関係が有りそうである。
今朝は先ず、起こされた6時8分の数字から、昨年の6月8日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の文章には、入り江や河口の場所と水の事が書いて有るので、今朝のビジョンで私の意識が入り江から滝を登って、山岳の方に登って行った場面と関係が有りそうである。
其れから起きた起きた時刻7時13分の数字から、昨年の7月13日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章には、私に「肉を煮るのに鍋は貸せない」との事を謂う男性の存在が記されているので、今朝のビジョンに大きな焼肉・ビフテキを食べる男性が登場して来た事と関係が有りそうである。
其れに、其の人達と「三国一の花嫁獲得」との言葉の関係は、肉食の男性達は積極的に自分の生活領域を離れて、伴侶の獲得に、外の国に出掛ける性格・気性を有している理・ことが示唆されている様である。
其れから、龍神が原の「トーロの滝」から山岳に登って行くと云われている事が、現実の様に映し出されて来た事から、以前の文章を調べると、次の様に書いて有る。・・
此の文章の内容からすると、今朝のメッセージは一昨日の「養楽」と昨日の「頭ではなく躰全部の細胞で」の続きであり、其れが、今朝の「自食」との言葉の意味へと続いて来ている事に成る。
今朝のビジョンで、屋久島の「萱・かや」が気に入って、車に積んで持ち帰る男性の存在は、屋久島で毎年9月15日に島内全体の村落で行われる「十五夜の綱引き行事」と関係が有りそうである。
何故かと謂うと、屋久島は80%以上が山岳・山林であり、平地・耕地が少なく、水は豊でも水田が少なく稲藁が無いので、大綱(大蛇)を編む材料は萱だからである。
其の事を考えると、今朝屋久島の萱の束を持って帰る男性が、「櫛玉饒速日命・くしたまにぎはやひのみこと」の御魂を意味する前田氏の部下であるのは、渡来系(天津神)であるユダヤ・イスラエル(放牧)民族が、エジプト経由で日本に持ち込んで来た鳥居の両脇に置かれている阿吽の「高麗獅子(ライオン=ユニコーン・一角獣)」を撤去して、地祇(くにつかみ・国津神)である「大蛇・龍神(大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神)」に、取り換える必要が有ると言う事に成るのかも知れない。・・
何故かと謂うと、ライオンは肉食獣の王様であり、大山祇神(大蛇)は「雨・水」を司る神であり、稲作文化の守護神だからである。
其の稲作を無農薬・無肥料栽培で行っている江藤敬介氏から12時33分に電話が有り、「今朝の夢では 親牛から離されて成長し 市場に出された牛が抽選で当たって貰ったので、其の牛を何処で飼育すれば良いかを考えて居た。」との事である。
私は其れを聞いて、私のビジョンと関係が有り、江藤氏の夢は牛神信仰のシュメール時代の歴史・文化を示唆しており、其れは歴史的に、現在とスンダランド文化(マレー語)の中間に当たるのではないかと意った。
何れにしても、今朝のメッセージは、行き過ぎた現在の破壊的な大量生産・大量消費文明を、何処まで戻せば良いのかを、考えろとの事なのかも知れない。
「自食」https://green.ap.teacup.com/20060818/5322.html
2020/7/20今朝のメッセージは、先ず、私の畑に自生して来て茂っている南瓜の蔓が映し出されて来て、其の蔓には、実の着いた雌花と、雄花が咲いている様子が映し出されて来た。
其れは、イチョウやヤマモモが雌雄の木が別々に別れて受粉をするが、南瓜や西瓜などの瓜類や、稲などは、自家受粉する理・ことを示唆しており、生物は雌が基本的物である理・ことを示していた。
其れから、「真実」との言葉が示されて来て、此の私と自然の生き物は其の真実の世界を生きて居るが、現代社会の人間と、家畜化・養殖化・ペット化等、改良されてしまった生き物は、真実の世界を生きていないとの理・ことが、理解されて来た。
其の理由は、本能(遺伝子・DNA)の儘に生きる事は、宇宙の道法に適っているが、大脳が発達して本能以外の情報を垂れ流している人間(他人)の影響を受けた物(動植物)は、既に、其の宇宙の道法から外れてしまっているからである。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時1分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、小さな鈴の様な物が、穀物の実の様に、何百個も付いている植物の枯れた茎束が、空中で、何者かの手に拠って振られる様子が映し出されて来て、其の美しく爽やかな音が、地上に広がって行く様子が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時44分・4時16分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私の屋久島の実家の様子が映し出されて来て、家の裏山の数か所が光り始め、何故か、若い頃の母親らしき人物が、窓から潜る様にして、室内に侵入して来た。
そして、優しい聲で「ワタシを信用して」との言葉が、一言告げられて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時19分」であった。
今朝起きた・起こされた時刻は7時30分である。
其れからPCを立ち上げ、今朝起こされた2時1分の数字から「2月1日」の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「自己最高位」との言葉と、文章の内容からすると、今朝の示されて来た「真実」との文字と「ワタシを信用しなさい」との言葉は、「ワタシは貴方 貴方はワタシ」と告げられて来た事と関係が有り、私の心身を占有しているのが「万物の母」であるので、私は自我意識を消して親鸞上人が謂う「他力本願」の気持ち・精神で在れば良いとの理・ことなのではないだろうか。
其れは、既に私は釈迦仏陀の謂う「久遠実成・くおんじつじょう」の世界に達して居り、イエスキリストの謂う「永遠の命の世界」に入っており、其れは老子の謂う「雄の立場を知った上で雌の立場に身を置く」との事であり、私は「祷り・いのり・帰命・ナーム・リリジョン・religion」&「三昧・サマディ・悠々自適」の日々を、送っている事に成るのであろう。
其れに、今朝のビジョンで私の実家の裏山が数か所光り始めてから、私の母親の若い頃の姿らしき人物が、窓から侵入して来たのは、私の母親自体が、其の「万物の母」の神(はたらき)であった理・ことを、示しているのではないだろうか。
其の様に考えると、私が此の世界に飛び込んだ日が、其の母親の64歳の誕生日である1984年6月4日であった事の理由・謎も解けてくる。
次に起こされた「3時44分・4時16分前」と「4時19分」の数字から、4月16日・19日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「全て神の意図」と「準備が出来たか」の文章には、今回問題に成っている「新型ウイルス感染」の共通点が有り、我々人間・人類に新しい価値観の創造と、現実的な対応が求められて来ている様である。
其れに起きた起こされた時刻7時30分の数字から、昨年の7月30日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「主食」の文章の内容から考えると、今朝示されて来た「真実」との言葉は「主食」が「穀物・植物の実」であるか、「動物の肉・乳」であるかが関係が有り、「自国を守る定住型」と「他国を侵略する移動型」の生活スタイル・民族の違いが関係が有り、何方が、真実の生き方・精神の進歩が有るのかを、考えなければ成らないのではないだろうか。
それを考えると、日本列島は山が険しく雨が多いので、家畜の放牧には向かない反面、河川・水に恵まれているので、水田稲作に向いており、農業者は自分の土地管理と暮らし向きの為に、意識は暦を始めとして内向き・内省的に成り、魂しいが充実化し易いとの事があるのではないだろうか。
其の様に考えると、漢字を考えた人々が暮らした場所が中華地域であり、満人や蒙古系ではないので、万里の長城の歴史でも分かる様に、其処には主食の違いが表れている事に成る。
其の様に考えると、今朝のビジョンに映し出されて来た、小さな鈴の様な物が何百個も付いている、植物の枯れた茎束が、空中で、何者かの手に拠って振られる様子が映し出されて来て、其の美しく爽やかな音が地上に広がって行く様子が示されて来た場面が関係が有り、天神・万物の母神は、動物食ではなく、穀物食の世界・人間の方を言祝いでいるとの事なのかも知れない。
其れを考えると、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」が、漢方やドイツ医学ではなく、「和方」の御殿医の家系であった事と関係が有り、私は其の無庵師匠に「三ヵ月間私の謂う通りにすれば 体の細胞が入れ替わるので 自適さんは本来の宿命が現れる」と謂われ、三ヵ月間の治療受けた末に覚醒・成仏を体験する事が出来た事が、「天神・万物の母」の意図であった事に成り、其れが2月1日に告げられて来た「自己最高位」との言葉と関係が有り、其れは自分の心身を「万物の母」と一体化させた事に有るのだろう。
其れは諺に有る「人間は万物の長」であるとの事を、私は現実としてモノにしたと言う事に成り、「土肥無庵」の教えを「真実の物」にしたと言う事にも成るのだろう。
今朝のビジョンに、雌花の雄花が咲いている南瓜の蔓が映し出されて来たのは、生命の仕組み・基礎が、雌が土台である理・ことを示唆しており、私の魂しいは「万物の母」の懐に里帰りをしており、老子の謂う「雄の立場を知った上で 雌の立場に身を置く」との理・ことが、現実の事として、起きており、其れが生命の営みの真実であるとの事なのではないだろうか。
其の様に考える・捉えると、私は他人の謂う事に耳を貸さず、ただ万物の母(女神・宇宙意思)に心身を預けて居れば良いとの事なのであろう。
「真実を生きている物」https://green.ap.teacup.com/20060818/5430.html
此の「真実を生きている物」の文章は、今朝のビジョンに映し出されて来た真っ赤に熟した「すもも・プラム」と関係が有り、其れは生命を育てているのが太陽(天照神)であり、其の天照神の意思を理解し、感謝できる者が「真実を生きている物」であり、其の真っ赤に熟した果実は「真実」の証であり、人間の「心臓・こころ・ハート」を示唆しており、万物の母神が「ほしい」と要求して来ているのは、人間の「まごころ・精神(きよいカモ)」であると言う理・ことに成る。
其れを「感じた・知った」人々・人間が、昔しメキシコ半島に居て、生きた人間の心臓を、太陽(時を知らせる雄鶏)に捧げる事を思い付いたのであろう。
だが「13の月の暦」の関係者の中には、「現代の60と12の数字に縛られた暦から脱出しなければ成らない」と述べている人が居るので、其れは大きな間違いであり「60」こそが、地球時間の正確なリズムである人間の「心臓の鼓動」であり、「12」は安定した60の鼓動に合う「肺・呼吸」のリズムなのである。
キー「1年 地球自転365日 月30 肺12 心臓60」
2014/6/10・・時間・時刻の「時・ジ・とき」は、「日+寺」の組み合わせで、寺は「止+寸」の組み合わせで、「寸」は「右手+左手の親指」の組み合わせで右手の脈を左手の親指で計る意味である。
其の事から、「寺」は立ち止まって自分の心臓の鼓動を確かめる事であり、「時」は太陽の位置を計るの意味である。・・・
「トキの正体」http://green.ap.teacup.com/20060818/3094.html
2006/8/20宇宙の秘密は、やはり謎に包まれている。
今日は、水の中に自分が溶け込んでいる感覚が続いた。
其れは、宇宙の波動がそうなのか、自分の身体中のおよそ70%の水が、自己主張をしていたのか判らない。
宇宙の総ては、水素原子に拠って成り立っている理・ことは近代科学で証明され、我々の住む惑星の中心である太陽は、水素ヘリウムの活動でコロナ温度100万度K(内部6000度K)で燃えている。
そして、逆に水素をマイナス273・15度まで冷却すると、水素は凍りつき超伝導が起きると云われている。
今朝の感覚は、其のどちらでもなく、静かな中に、安定した感覚が在るだけなのだ。其れは、老子の謂う「恍なり惚なり、惚なり恍なり」と似通っている。
しかし、老子の其れは、質量を「陽」として感じている世界だが、私の今朝の感覚は、光りではなく、静かな水の世界「陰」として、在った様だ。
其処は、温度の上下等は皆無の世界である。
燃える太陽や、0度の水は「命・いのち」を生み出す事はないが、今朝の世界は、我々の住む此の地球の温度が、生命の温床に成っている事が、神の意図ではないかと想わせるものがあった。
生命が存在しなければ、生き物の意思も生まれないし、脳の活動も無いことになる。其処のところを考えれば、此の、地球の生命が存在する温度の範囲こそ、神が存在しているベッドではないだろうか。その様に考えれば、涅槃姿の仏陀こそ「神」其のモノの現れではないかと想えてくる。
総ての生き物の情報を身に蓄えて、思考を止めている仏陀こそ、神そのモノの「イマ・居摩」ではないのだろうか。
人間の平均体温36・5度は、地球の一公転間の自転回数365・4日に対応しているかのようであるし、心臓の鼓動を1秒として、其の60回を1分とし、60分を1時間として、1分間の呼吸の数12回を、1日の時間割として来たのも、人間の無意識と、惑星活動の働きが、影響し合っての事だと考えても、何等不思議ではないだろう。
其処の次元に心身を置けば、人間自身には、何の悩みも不安も無いことになる。其の理を、釈迦牟尼佛は説明したかったのではないだろうか。
そう考えれば、釈迦は水(陰)を意識し、老子は光り(陽)を意識していたことになる。
何故、我々人類は、自分の脳・意識で、宇宙を感じる事が出来るのだろうか。
其の不思議さを想えば、人間と神は、一体と考えるのが自然であろう。
今朝の感覚は、無言の神の「存在・意識」の中に、私の意識も在ったのだと考えれば、自分の思考も落ち着いて来るし、納得も行く。此の感覚は、男性のモノと言うより、女性の感覚だと言った方が、当っているだろう。そう考えれば、女性こそ「神」其の侭の現れ身だと成ってくる。
太陽や月は、子供を産む事が出来ないが、女性は、無から子供を生み出す事が出来るのである。其れ以外には、此の宇宙には、神秘は存在しないのだ。
我々人類は、其れが、余りにも身近に起きている為に、其の神秘を認識する事が出来ないのである。
其の女性の働きは、文字や言葉が必要のない世界である。
宇宙の真実の世界には、文字や言葉が必要無いのだ。其れが、釈迦や老子が把握した世界なのである。
是まで、私が22年間続けて来た作業は、其の、釈迦や老子の達した世界まで行き付いていない人々が、其処にまで達する為に、私の心身を使って、探索を続ける為だったのである。
其れは、今回が初めてではないのである。
過去に、其れが、何回も繰り返されて来たからこそ、日本には「神霊の思頼・みたまのふゆ」なる言葉が有り、神社で「鎮魂」「振魂」の儀式が続けられ、「大祓への祝詞」が奏上され続けられて来たのである。
其の基が、石上神神宮の物部の儀式なのである。其の儀式の呼び名が「天津日嗣」なのだ。そして、人類全体の「スメミオヤ(先祖代々の御魂)」の協力を仰ぐのが、「天津日嗣の太祝詞・あまつひつぎのふとのりと」なのである。・・・
「水の感覚」https://star.ap.teacup.com/170606/1015.html
2017/8/5・・穀物を升で計る意味の「科」他に、「計・量・度・m・g・ℓ・時・速・」等々様々な尺度が使用されている。
其の中で、最も人間に必要とされていると言うか、最初に意識された物は、心臓の鼓動であろう。
其れは、暦・カレンダーの数字を見れば明らかである。
・秒は、心臓の鼓動・脈拍であり、其れが60回で一分とされている。
時(日+寺)← 寺(止+寸)← 寸(右手+左手の親指)左手の親指で右手の脈をはかる意味。
・日は、地球の自転。正午の棒の陰(地面計り・土計・とけい)
太陽一周 365・25日(365.242199日)
・月は、29・5日の満ち欠け。一ヶ月。12回が一年 4年に一回閏月
・年は、歳 米・穀物の収穫を一年に一回行なう事から来ている。
中国の漢数字は、一・二・三・四が家の材料である柱の数。五が組み立てで、六は家が立ち並んで村が出来る(六合)。七は木に暦を刻む事を意味する。
だが、人間の手足の指の数は夫々5本で、合計20本である事は決まっているし、昆虫の足は「六足・むし」で、獣の足は「四足・しし」と決っている。
其れは、生き物は数を認識しなくても、細胞のDNA・遺伝子レベルで決っている理・ことを意味している。
其れを考えると、人間も自分の手で物を作り出す前は、数の概念は必要ではなかった事に成る。
だが、現在では宇宙が凡そ138億年前に誕生し、太陽は50億歳で、地球は46億歳で、地球生命は40億年±2億年に誕生された判り、我々人類は約650万年前にアフリカ大陸で、類人猿から分離したとの事が化石の調査で判明しており、空間の広さも宇宙の星の距離を、00光年として計測される様に成って来ている。
だが、其れ等の物の世界は、科学的手法で「数字」に置き換える事が出来ているし、人間の運動能力や肉体の様子としては数字に置き換える事が出来るが、精神・魂しいの方は目に見える物でもないし、手で触る事も出来ないので「量・質・重・高低」として、数字に置き換える事が未だできないでいる。
其れをハカるのは、未だ、人間の六感に頼るしか無いのである。・・・
「最初に計ったもの」https://wave.ap.teacup.com/20060106/772.html
2010/1/26・・其の、三つの映像が意味するモノは、一番目の川の流れは、時間の意味と、地球の営みを意味しており、二番目の小石が敷き詰められた道路は、人間の魂の在り様を示して来ており、三番目の場面は人間の暮らし・生活を意味しているのではないだろうか。
其の様に考えると、「時間・トキの流れ」「人間の魂しい・意識」「人間の暮らし・生活」の、三つのテーマである事に成る。
人間が作り出した時計は、時刻・トキを刻むものであり、宇宙のトキ・時とは全く異なる物である。
トキとは、「一日」は地球の自転であり、「一月」は満月から次の満月までの期間であり、「一年」は太陽の周りを地球が一回まわる事である。
そして、地球の一日を24分割したのが、正午で分ける12の「時」である。
更に、其の一時間を60で割ったのが「分」で、其の一分を60で割ったのが、時計の秒針であり、「秒」は人間の「心臓の脈拍」である。
其れを考えると、時間・トキが人間に意識されたのは、自分の心臓の脈拍であり、宇宙の運行が気に成ったのは、四季の移り変わりの無い赤道付近でも観測できる、月の満ち欠けである。
其れに、一年との概念は、「年」の漢字が、稲作を一回行うとの意味なので、四季の移り変わりの中で、一回作物を栽培する事が、年・歳・年齢の概念の元と成っているのである。
其れ等の「理・ことわり」は、人間の意識が創り出した物である。
しかし、今朝の映像の川の流れは、陸の生き物には容赦なく、山から土砂を海に運んでいた。・・・
「天津日嗣・あまつひつぎ」https://green.ap.teacup.com/20060818/1417.html
2018/11/22「直徳」https://wave.ap.teacup.com/20060106/852.html
此の「水の感覚」の文章の内容からすると、今朝のビジョンで電子機器が内蔵されている私の杖が、海の高波で使えなく成っていた場面は、私の精神の旅(探索)は是以上必要では無いと言う事であり、次の段階・次元は13歳の男子に委託すれば良いとの事であり、其の事に「虚空蔵菩薩」の存在が関係が有るからこそ、弘法大師空海が京都の嵐山の麓に存在する法輪寺の登り階段で、私を待って居り、私に「わが弟子いまだ我を超えず」と傳って来たのであろう。
2017/9/30・・今朝のメッセージは昨日の続きであり、人間の子供達の存在は、水環境と植物の存在に拠って支えられており、其の人間の存在は、他の全生命と同じ立場であると言うか、均等である理・ことが示されて来ており、其の理を子供の時から確りと自覚できる教育環境を整える必要が有ると言う理・ことなのであろう。
そして、男子には13〜14歳の頃に、海から山まで歩いて、直接自然の有り様を学ぶ・自覚・体験する事が欠かせないと言う理・ことなのであろう。・・
「均しい生命達」http://green.ap.teacup.com/20060818/4386.html
キー「法輪寺 虚空蔵菩薩 13歳」
2017/10/3・・今朝起きて台所に行った時間が、4時13分であったのは、京都市嵐山の麓に存在する「法輪寺」の本尊である「虚空蔵菩薩」の大祭日である「4月13日」の日付でもある。
其の4月13日の祭りは、数え年で13歳と成った子供達が、儀式を行う物であるので、富士山での中学二年生の登山の行事とも関係が有り、13歳から14歳の子供の精神性・意識状態が、其の年頃に、決定すると言うか最も重要である理・ことが、認知されていた事に成るのであろう。
其の法輪寺の横に、「弘法大師空海」が高野山に上る前まで住んで居たとの事であり、富士山の「村山浅間神社」の境内には、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」が祭られているお堂が存在するので、今回の動きには「大山祇神・おおやまづみかみ」と「木花之開耶姫・このはなさくやひめ」だけではなく、「弘法大師空海」の御魂が絡んでいる事に成るのであろう。
「お荷物」https://green.ap.teacup.com/20060818/4389.html
2013/8/22・・其の弘法大師空海は、京都の嵐山に有る法輪寺で出て来て、「未だ 我が弟子 我を超えず。」と云って来た。其れは、弘法大師空海が中国の恵果和尚から引き継いだ密儀が、未だ誰にも正しく伝わっていない事を意味している。
私が、出雲の安部忠宏氏の所で初めてセミナーを始めたのは1997年3月21日である。其の日は、弘法大師空海の1212回目の命日であり、其れからも毎月の21日の月命日は空海が重点的に私の身体を使っている様である。
しかし其の弘法大師空海も、此処から先の未知の世界には、踏み込めないとの事であろうか。若しそうであれば、此処から前は、未だ世界が出来ていないとの事なのかも知れない。若し有るのなら、彼等が先に調査をして、道案内をすれば良い事だからである。
そう考えると、もう此処から先は、道祖神の猿田彦も道案内が出来ない事に成る。其の様に考えると、身体を貸してさえいれば良いと、気楽に考えて居て私の考えは、今後通用しない事に成る。
(此処で 左手親指の指紋の所にカモ(神の電気信号)が起きて来た)・・・
今朝の女神のメッセージには、次の様に有った。
「其れは 貴方が 自分の人生を 選ぶ様に
真魚も 自分の生き方を 選んだだけの事です。
ですが 貴方は 自分の死を
最後まで 見つめなければ 成りません。
其れは 人間の一生が どう言う モノであるかを
確かめる為に 是非 必要な事なのです。
貴方の人生は 其の為に在るのです
其の為にこそ 屋久島で 貴方を育てのです。・・・」
此の女神の言葉に拠ると、弘法大師空海が、恵果和尚から受け継いだ法統を、次に継ぐ事だけを考えて、自分の人生を放棄してしまい、自分の人生を完結していないので、私は、空海や早死にした父親の分も長生きして、自分の加齢に因って自分の意識が、どの様に成って行くのかを、観極めなければ成らないと言う事に成る。
其れは、是まで宗教を興した人々には、為されていない行動であり、宗教を興さず、弟子を一人も採らなかった老子でさえ、5000字の道徳経を残して函谷関・かんこくかんから国を出た後、何も情報を残していないのだから、人間にとって一番重要な事であるのかも知れない。・・・
「我が弟子未だ我を超えず」https://green.ap.teacup.com/20060818/2786.html
2018/4/13本日4月13日は、虚空蔵菩薩の祭りの日である。
今朝のメッセージの映像には、マイケル・ジャクソンの死に因って、東洋と西洋の文化が二つの古い布袋に詰められ、広い棚の左端の一番上段に、収納されてしまう場面が映し出されて来た。
其れは、東洋と西洋の精神文化の優劣の判断が、先送りされてしまう事を意味していた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「4時30分」であったので、私は其の数字を「430・しさんぜろ・資産ゼロ」と記憶して再び眠った。
すると今度は、私が新しい竹の仙人杖を作っている場面が映し出されて来て、私は其の杖を自分の背丈に合わせて、地面に着く部分を鋸で切り落とし、短くしていた。
今朝は起きてPCを立ち上げると、「貴方には」との言葉が告げられて来たので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「貴方には 個人的な財産は 何も必要は有りません。
何故なら世界の全てが 貴方の人生の舞台装置だからです。
其れは 貴方が 統尊の働きだからです。
貴方の意識は 個人的な物を
管理する様には 働いていないのです。」
私は此の女神の言葉から、今朝のメッセージの映像の意味が理解されて来た。
其れは、イエスキリストの言葉に、次の様に有るからである。
「私の教えを拡めなさい。持って良いのは 杖の他は下着一枚だけ。」
「何を話すかは考えないで良い、其の時に聖霊が舌を借りるから。」
「私の家で食事をしてください。泊まってくださいと謂う人が居ない村は 神がいないから通り過ぎなさい。」
其れに「マイケル」の名前は、次の様に辞典に載っている。
【マイケル】(英語: Michael)は、旧約聖書の『ダニエル書』、新約聖書の『ユダの手紙』『ヨハネの黙示録』に登場する大天使ミカエルの英語形。およびそれに由来する、英語の人名。短縮型はミカ(Micah)、マイク(Mike)、ミック、ミッキー(Mickey)。[1]ドイツ語ではミヒャエル、フランス語ではミシェル、イタリア語ではミケーレ、スペイン語・ポルトガル語ではミゲル、ロシア語ではミハイル、フィンランド語ではミカに相当する。
ウィキペディアフリー百科辞典 2018/4/13現在
何故「虚空蔵菩薩」の大祭日に、「大天使ミカエルの死」と「東洋と西洋の文化の優劣」、其れに私が新しい「杖」を準備する場面が、映し出されて来たのであろうか。
私は1984年11月中旬に全国の旅に出発して、翌年の3月頃に「虚空蔵菩薩」が祀られている京都市嵐山の麓に有る「法輪寺」で弘法大師空海に「我が弟子 未だ我を超えず」と告げられて来た事が有り、昨年其の法輪寺の敷地内に、弘法大師空海が高野山に上がる迄暮らして居た事が判った。
其の事を考えると、今朝の映像に映し出されて来た二つの布袋に詰められた東洋と西洋の文化は、「仏教(密教)」と「ユダヤ教(キリスト教)」に関係が有り、其の事に、杖を突く旅の世界が共通するとの事なのかも知れない。
今朝のメッセージから、私に考えられる事は、古い東西の文化を棚上げして、新しい価値観と謂うか精神文化を立ち上げなければ、未来を担って此の地球に誕生して来る子供達の意識が、育たないと言う理・ことが示されて来ているのではないかと謂う事である。
其れは、天使の存在を当てにするのではなく、自分自身が未来を創造する役割である事を、13〜14歳の年齢の時から自覚させる事である。
其の様に考えると、本日4月13日が京都の法輪寺で13歳の子供達相手に儀式が行われる日である事と繋がって来るし、昨年8月13日のメッセージで富士山からカモ(神の電気信号)のエネルギーが、全国に拡がる映像が映し出されて来た事とも繋がって来る。
今朝のメッセージの内容からすると、真実の世界を生きる為には、財産の有無は殆ど関係が無いと謂う理・ことであり、其の事に「杖」の存在が関係有ると謂う理・ことである。
其れに、今朝の映像で私が作っていた仙人杖は、枯れた竹製の物であったので、昨日のメッセージの映像に映し出されて来た、人間の意識の成長過程を示唆する枯れ竹と関係が有り、地面に着く先の部分を切断して切り詰めると謂う事は、是から未来を創造する為に、不要と謂うか、邪魔に成る部分である事が示唆されており、非科学的な旧約聖書や、古事記などの神話を、子供達に教える必要が無いと言う事が、示されて来ているのかも知れない。
何故なら、近代科学の発展で、人類の歴史や、宇宙の成り立ちも明確に成って来ているので、古い神話は子供達の意識の組み込みに対して、邪魔に成るからである。
何れにしても、私には個人資産は何も無く、自分の財産管理に意識を使う必要は何も無いので、全力で地球の未来と謂うか、人類の今後の為に意識を集中しろと言う事なのであろう。
「資産ゼロ」http://green.ap.teacup.com/20060818/4585.html
2018/7/28・・其れに、戯言(ざれごと)で謂えば、今朝の葱の世界は、神社で大事な役割を務めている「禰宜(ねぎ)職」と関係が有り、権禰宜こそが「聖職」であると謂う理・ことなのかも知れない。
要は、食事の世界こそが「命・DNA・遺伝子」に直結するモノなので、第一の本能である味覚が働かない者は、直会(なおらい)を開催する資格が無いと謂う理・ことでもある。
今朝のメッセージの映像で、男性の畑に薩摩芋(唐芋)の苗が植えられていたのは、私が育った家庭の主食が米ではなく、薩摩芋+麦飯であった事と関係があり「豊葦原瑞穂の国」との言葉は、人類全体には通用しないと謂う事であり、水田稲作文化だけの人間に固執する事を、私に止めろと謂う事なのではないだろうか。
其れに、今朝登場した男性が30歳代であったのは、私が此の世界に入ったのが、37歳の時であった事と関係が有り、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が覚醒したのが36歳の時であり、イエスが目覚めたのが30歳の時であるので、覚醒する為には30歳代の体力や経験が、必要であると謂う理・ことが示されて来ているのではないだろうか。
「森羅万象の流転の中に生きる」https://green.ap.teacup.com/20060818/4694.html
本日7月27日は、五歳下の弟(昭和27年7月27日生)の68歳の誕生日である。
私は其の弟に男子が誕生した事で、礒邉家を継がなくても良いと考え、全てを捨てて此の世界に入る事の決断ができたのである。
其の事を考えると、物事の一切が「万物の母神」に管理されていると言う事に成り、其れに対して返せるモノは、唯一「まごころ」だけであるとの理なのであろう。
其れは「資産0」でも可能であり、誰も(万民)が出来る事である。
令和2年7月27日
礒邉自適
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