1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2020/10/29
愛吉おじー
2・10・29
今朝のビジョンには、私が農村を訪ねると、其処には故「愛吉おじー」の家族が農作業を行って居る姿が在ったので、愛吉おじーの農園である事が理解できた。
そして中年の娘さんが、私を海岸の方に案内してくれると、其処は広い海原が眺められる高い断崖の上の大地である事が判り、断崖の右側を見ると深い溝が連なっているので、其れは地殻変動で段差が生じた場所である事が判った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時1分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、人間の行為と言うか、創作・創造の世界が映し出されて来て、其の人間が創り出す世界が、左右に分けられる場面・様子が映し出されて来た。
其れは、右側が「三通り・三世界・三割」であり、左側が「七通り・七世界・七割」であった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時31分」であった。
其れから再び眠ると、今度は日本語の横書きの文章が、縦画面に太目の文字で記されている場面が映し出されて来て、私が其の文章に目を通して行くと、私が知らない事が多く書かれているので、其れは、私の打った文章ではない事が判り、私が是まで認識して来た世界は、全体のほんの一部である事が理解されて来た。
次に、ヨチヨチ歩きが始まった初孫の男の子を見守っている夫婦の存在が映し出されて来て、私の意識は其の様子を眺めながら、人間の真の幸福がどう言う世界であるのかを、改めて考えさせられていた。
其れは、私自身には七人の子供が居るが、未だ体験が無い世界である。
今朝起きた・起こされた時刻は「8時15分」である。
其れからPCを立上げ、今朝起こされた「4時1分」「5時31分」「8時15分」の数字から、今年の「4月1日」「5月31日」「8月15日」の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/4/1・・私が阿蘇の蘇陽町に住んで居る時に、近所の本田茶園の草刈りを手伝っていた本田亮輔氏の雰囲気を持つ神様が登場して、私の左腕に黒い軟膏の様な物を塗り込んでから、「是で昔の事は 全て忘れられる」との事を言った。
其の軟膏が塗られた所は、先日火傷をしてアロエを塗ったのと同じ所である。
其れから再び眠ると、565」の数字が映し出されて来て、其れは私の精神性を示唆しており、私は左右のバランスを計りながら、真っ直ぐに走らなければ・飛ばなければ成らない事が示されて来た。
そして其の為には、私は味噌汁を食べて、腸内細菌を養わなければ成らない事が示されて来て「養老」ではなく「養楽」との漢字が映し出されて来た。
次に、川底に水が流れている石積みの堤防が映し出されて来て、其の石垣を二匹の子猫が這い登って来るので、私が川の中を覗き込むと、後から三毛猫の母猫が登って来る姿が見えた。
次に、林の小枝に、数羽の小鳥が止まっている場面が映し出されて来て、其の中の一羽が、先に枝から飛んで、空中で止まり、後ろを振り返って、人間の様な雰囲気で、残りの数羽を促すと、残りの数羽も飛び立って、一緒に旅立って行く様子が映し出されて来た。
次に、私の「約束は護る」のブログの存在が映し出されて来て、短い単語の中に「慈」の漢字が含まれている事が示されて来た。
そして其の「慈」の漢字は、現在問題に成っているウイルスの広がりと関係が有り、人間の気付きの為に起きた現象であるが、何処まで広がるのかを天神が苦慮している事実を、私に知らせる為である事が理解されて来た。
そして、私の息子「嵩靖・しゅうせい」が4歳位の姿で登場したので、意識が目覚め起きて時計を見ると時刻は「5時21分」であった。
其れから、黒いFAXの機械が一台映し出されて来て、是からの私の情報の発信・発送の形態を変えなければ成らない事が示されて来た。
其処で起きて時計を見ると、時刻は「7時37分・8時23分前」であった。
本日4月1日は「新年度」の始まり日であるが、今朝起こされた時刻は「1時1分」であり、其れは「1月1日・新年・元旦」の日付である。
其れで先ず、今年の1月1日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
驚いた事に、此の文章には、次の様に書いて有る。
・・由香のビジョンは、実家の東側に有る神社の参道側ではなく、西側のお寺に上がって行く側の参道が映し出されて来て、其の参道には一軒毎に、お揃いのセンスの良い看板が立てられており、夫々に地産地消の商店の屋号が記されており、実家の西の入り口には、其れらを纏めた看板が立って居たとの事である。・・・
何故、此の文章で私が驚くかと謂うと、今朝の由香のビジョンには、其の、由香の実家の西側の南北に通る道路が、家の敷地内を含んで、新しく舗装されて広く成っており、多くの人々が集まって来て、昨年5月に亡くなった由香の父親が、庭で人前で大きな鉄棒で大車輪の回転をしたり、曲芸をして、大喝采を浴びていたとの事だからである。
そして、家の中に入ると、東側に大きな浴場があり、その中には透き通った鯉やナマズ、ドジョウ、メダカ等の魚がたくさん泳いでいたとの事である。
其れが、東側を通る稲田姫神社の参道ではなく、真言宗のお寺に上がる西側の道路であると言うのは、此の1月1日の「政経は仏教に」との言葉と直接関係が有る事にも成る。
其れに、由香のビジョンには2019年8月27日に、「水門(みと)」との言葉が告げられて来て、実家の東側の稲田姫神社の参道から、竹藪を切り払って、新しい道路が真東に向かって走っている場面が映し出されて来て、次の日地図で調べると「高野山」に辿り着いく事が判ったのである。
今朝起こされた5時21分の数字から、昨年の5月21日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の「丹(あか)き&東風」との文章からも、東方の事を考える必要が有りそうである。
其れに今朝起きた・起こされた「7時37分・8時23分前」の数字から、昨年の8月23日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る・・
今朝のメッセージは、本日4月1日・新年度を期して、私は過去の事を一切忘れ、新しい気持ち・精神で事に当たらなければ成らない理・ことが示されて来ており、其の為に「鳳凰・おおとり」が私の左手の腕に治療を施したと言う事に成りそうである。
キー「鳳凰 卵 情報」・・
今朝のビジョンで何故、白バイが後から来て「何故モールをつけて走っているのか」と咎めたのかを思い、いま「モール」を調べると、次の様に載っている。
此のモールの意味からすると、新しい御世を開く為に集う仲間は、何らかのモールを着ける必要が有るのかも知れない。
そして其の事で、神仏の「慈・ジ・いつくしみ」に繋がると言う事であり、其れ等の人々は「ウイルス」から守られるとの事なのかも知れない。
其れに、今朝示されて来た「養」と「楽」の漢字を検索すると、次の文章が出て来た。・・
此の二つの文章の内容からすると、今朝示されて来た「養楽・やしなうたのしみ」との言葉の意味が能く理解されて来る。
其れに、今朝の由香のビジョンに、昨年5月に彼の世に往った父親が登場して、人前で踊ったり、鉄棒で大車輪の技を披露して喝采を浴びて居た場面は、天国で神の計画を知って、由香の使命だけではなく、自分の人生の不可解さの謎が解け、此の人間社会の存在を言祝いで居るとの事なのではないだろうか。
何れにしても本日4月1日(新年度)は、天地の喜びの始まりであるとの事なのかも知れない。
「養楽」https://green.ap.teacup.com/20060818/5320.html
此の文章には「・・私は過去の事を一切忘れ、新しい気持ち・精神で事に当たらなければ成らない理・ことが示されて来ており、其の為に「鳳凰・おおとり」が私の左手の腕に治療を施したと言う事に成りそうである。・・」と書いて有るので、今朝のビジョン・メッセージは昨日の続きの様である。
2020/5/31本日で五月が終わり、明日から六月である。
今朝のメッセージは、其の事に関係が有りそうで、花崗岩製の長四角な「禱り台」が地面に一個だけ置かれている場面が、映し出されて来て、其の禱り台の上に赤い炎が燃え上がる場面が映し出されて来た。
私は、其の場面から、旧約聖書に記されている、モーゼがシナイ山で神の炎で刻まれた十戒の石板の存在を思い出していた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「1時47分・2時13分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は、幾つかの他人の人生の「幕・締めくくり」の「世界・様子」に付いて示されて来た。其れは、光の無い世界での物語であり、男性の葬式の場面や、業績を上げた人物の銅像の除幕式の様子等である。
そして、私が、自然農法の世界を創り上げた、愛媛の故「福岡正信」の奥さんと言う設定の老女の面倒を看なければ成らない事に成り、最後には「丸裸」との言葉通りの世界と成ってしまい、集金に来た男性が、私の財布を見付けて、中を確かめると、お札が二枚だけ入っており、其れを取り出そうとすると、其の二枚のお札は、財布の中の仕切りの幕に、お札の模様が印刷されている物であり、私には小銭も残っていない事が理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時13分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、昨日のビジョンに映し出されて来た、塔の上の「高御座(水が溜められている石板造りの迷路)」が、太陽よりも光の強い光線を全体から発しており、全体(周りの世界・環境)を照らしている様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は7時21分であった。
其れから台所に行き、穀物コーヒーを飲みながら蓬団子を食べ、PCを立ち上げて先ず、起こされた7時21分の数字から、昨年の7月21日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此処で、男性の聲で「先ず 段取りが」と伝えられて来た。
『先ず 段取りが有る
其れは 君の心・意識の準備であり
其の心構えが 決まらなければ
何事も 始める事はできない。』8時12分
此の今告げられて来た、男性の聲の主は、7月21日の文章の内容から、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)のモノの様である。
其れを考えると、昨日の天神の優しさが満ちた石板造りの水タンク(高御座)全体が、今朝光り輝いている様子が映し出されて来たのは、釈迦ブッダの世界である「慈悲・いつくしみ)が、全開したとの事なのではないだろうか。
其れに、葬式等の死後の世界が映し出されて来た6時13分の数字を、6月13日の日付で考えると、昨年「切り開く能力・ちから」との言葉が告げられて来た日であるので、今朝「先ず段取りが」と告げられて来た言葉と、関連している。・・
驚いた事に、此の6月13日には、10時00分に女神の言葉で「・・其れが「統尊・すめらのみこと」の「高御座・たかみくら」の意味なのです。」と告げられて来ているので、昨日の「優しさが満ちた水タンク」の存在は、私に「命を探せ」と告げて来た女神の意識体其のモノである様である。・・
此の文章を打ってから、既に32年半が経過しようとしている。
此の文章には、「左手に水を入れる水壷を持っている 観音菩薩」の事が書いて有るので、昨日の「優しい意識で 水を白い石板の迷路・迷宮に注ぎ込む神」の存在と合わさって来るので、今朝其の高御座が強い光を全体から放っていた場面の事を、能く考える必要が有るのだろう。
そして32年半前に、和歌の綴りで「いのちを探せ 云った声 ・・・?」の主の存在が、私の後頭部の右上の奥に出て来たとの事は、「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」のチャンネルは、右後頭部の上部にある事にも成る。・・
今朝のメッセージは、自分の国・王宮・実家を失ってしまった釈迦(ガウタマ・シッダールタ)と、父親を支援しながら朝鮮半島を統一し505年間に亘り統治を続けた李王朝の立役者「李芳遠(イ・バンウォン、り・ほうえん)」の、対照的な人生を送った二人が登場した。
其の事は、今朝のビジョンに映し出されて来た太陽光線よりも強い・高い波長の高御座の光線の中では、一体のモノと成っており、釈迦(ガウタマ・シッダールタの世界である「久遠実成・くおんじつじょう」の世界・次元や、イエスキリストの謂う「永遠の命に入っている御魂」であり、「土肥無庵」の守護霊である「御祖神・みおやかみ」の世界・神界である事に成るのであろう。
其れで本日の文章の題は「永遠の命魂」とした。
昨日の櫓塔の上の「白い石壁製の水タンク・迷宮」が、今朝は光輝いて映し出されて来た事は、過去の世界で、様々な生き方をした・幕引きをした人々の霊魂が、美しく優しい水の中に存在する花崗岩製の板壁の迷宮の通路で、カルマ・業・柵の情報が濾過され、神の光(エナジー)に復帰したとの理・ことなのではないだろうか。
其れを考えると、今朝の最初のビジョンに、花崗岩製の禱り台が登場して、其の台の上に赤い炎が立ち上がる・燃え上がった事と関係が有り、ユダヤの神・石工の神が動き出したと言う事に成りそうである。・・
此の文章の内容からすると、今朝の高御座が光輝いて場面は、私が新しい御世を創造する為に、高圧のトランス体として、何らかのイマジネーションを膨らませる必要があるとの事なのかも知れない。・・
今朝のビジョンには、他人の人生の幕切れが、光の無い暗い世界で映し出されて来た。
其の場面には、銅像が建てられる様な業績を上げた人物の存在や、自然農法の世界を広めた人物の存在が在ったのは、過去の世界で業績を上げた者でも、未来世界の創造は出来ないと言う理・ことが、示されて来ているのであろう。
其れを考えると、様々な世界を体験させられた私が、人類の未来や、地球全体の環境・バランスを能く考えて、何らかの世界を創造・イマジネーションしなければ成らないと言う事に成る。
其れは、お釈迦さんが成仏した日、真珠湾攻撃が行われた日である同じ12月8日に殺された、「イマジン」の曲を作った「ジョン・レノン」の御魂が、今朝の高御座の光の中に含まれている事を願いたい。
「永遠の命魂」https://green.ap.teacup.com/20060818/5380.html
2020/8/15本日8月15日は終戦記念日であり、昭和天皇の玉音放送の後、奈良の「矢追日聖法主」に天神から新しい御世の始まりが告げられて来た日である。
今朝のメッセージは、其の事と関係が有り、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の発動が要求されて来た。
今朝のビジョンには、太陽の働きを三分割して公表・表明しなければ成らない事が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時14分」であった。
其れから再び眠ると、緑の梢の先に、真っ青な空に白い雲が浮かんでいる場面が映し出されて来て、其の雲の存在は、太陽光の熱エネルギーで水が蒸発して発生しているモノ・現象であり、其れに拠って、地上に生物が存在している理が示されて来た。
其れから、女神の聲で、「貴方の良くない事は 自分が何物であるかを はっきりしない事です」と告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は7時30分に成る所であった。
其れで、起こされた「5時14分」と「7時30分」の数字から、今年の5月14日と7月30日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章の中には、「正傳矢追日聖法主」と「一休宗純禅師の悩み」の文章が貼り付けて有るので、一昨日の文章の末尾に「一休宗純禅師の悩みが晴れるのは、何時に成る事やら・・・。」と書いた事と関係が有り、一休さんが天皇の子供であった事と関係が有りそうである。・・
其れに、此の文章には、【私は最高レベル神霊を宿した「霊留・人・ひと」として・・と打った所で、私の右手の中指の指紋の所に強いカモ(神の電気信号)の反応が起きる】10時16分「10月16日 伊勢神宮」と記して有るので、昨日の文章に書いた・・【江藤敬介氏が登場して、私に右足を見せると、其の中指が、歯が抜け替わる時の様に、新しい指が中から伸びて来て、其れまでの指が抜け落ちそうに成っているのである。そして「9月8日」の日付が示されて来た。】との事が関係が有り、私の右手と、江藤敬介氏の右足は、「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の神(はたらき)の部分を示唆している様である。
其れを考えると、24日後の9月8日から「天照坐皇大御神御魂」の神(はたらき)が発動するとの事なのかも知れない。
今朝のメッセージで、太陽の働きを三分割して公表・表明しなければ成らない事が示されて来たのは、日本の「天照大神」の概念や、其のルーツであるエジプトの「ラー」と「イシス女神」の事を含め、太陽系の存在・仕組みと、神(はたらき)意識・情報の成り立ちを科学的に明確にしなければ成らないと言う事であり、其の作業に私が本格的に取り組む必要があるとの事ではないだろうか。
其れは、私が1984年3月13日の朝、太陽が半分顔を出している時に「土肥無庵が神だから守れ」と告げられて来た事や、昭和天皇の御魂の案内に拠って平成元年3月13日に阿蘇の「日の宮幣立神宮」に参拝する事に成り、参拝した時刻に太陽のコロナが異常現象を起こした事、其れに1997年5月10日に京都の大徳寺で、太陽から「写真を撮れ」と告げられて来て、杖を突いた写真を撮影した事等が関係が有り、私の意識・脳には太陽の意思が繋がっている事を、何らかの形で明らかにする必要があり、我々人間の存在は宇宙意識と密に繋がっている理・ことを、誰でも解る様に情報化しなければ成らないとの事なのであろう。
其れは、マヤ・アステカでも古代人が、日常的に自分の身体で感じ取っていた事であるから、人間社会で絡みついた柵(しがらみ)を、穢れの無い清水で禊ぎ祓いすれば、取り戻せる感覚である。
其の証として、此の私の存在と、36年間月日を重ねて来た、私の思考が役に立つとの事なのではないだろうか。・・
何れにしても、新しい御世は、人間が目に見えない神様を信仰する事を止めて、伝書バトや渡り鳥の様に、地球の磁気を自分の生体電気で捉えて、宇宙の波動と直接チャンネルし、他の生物の様に、潜在意識で自分自身の遺伝子・DNA情報を進化させて行く次元に入るとの事なのではないだろうか。
其れは伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の座が、自分の物・事と成ると言う事でもある。
「天照坐皇大御神御魂 」https://green.ap.teacup.com/20060818/5456.html
此の「永遠の命魂」と「天照坐皇大御神御魂 」の言葉・文章の内容からすると、今朝のメッセージで示されて来た、
・・人間の行為と言うか、創作・創造の世界が映し出されて来て、其の人間が創り出す世界が、左右に分けられる場面・様子が映し出されて来た。其れは、右側が「三通り・三世界・三割」であり、左側が「七通り・七世界・七割」であった。・・
との事は、次の様な事が考えられる。
右側の「三通り・三世界・三割」は、1、子供・子孫を作る事。2、食事を作る・食料の確保。3、家族を護る為に戦う事・住居を作る事。などの、「本能」の世界を示唆しているのではないだろうか。
そして、左側の「七通り・七世界・七割」は、一口に謂えば、他の動物とは異なる人間だけが行う事ができる「文化・文明」の世界の事であり、学問や芸術、政治や経済、精神活動・宗教、科学・化学、道具の開発・工業、等の世界を意味しているのではないだろうか。
そして、其の「三+七=十」の世界と「愛吉おじー」の名前に、何らかの事が関係有りそうである。
「愛・アイ」【解字】形声。「旡(頭)+心+足」「旡・キ・ケ」は頭をめぐらせふりかえる人の象形。ふりむき見る心のさまから、いつくしむの意味。夂は、足の象形で、いつくしむ心がおもむき及ぶの意味を表す。
【字義】@アイする。㋐いつくしむ。かわいがる。「溺愛」⇔憎。㋑こいしたう。「恋愛」㋒親しむ。Aめでる。好む。また、ほめる。賞美する。「愛読」Bおしむ。㋐大切にして手離さない。㋑物惜しみする。けちけちする。Cおしい。心残りである。残念。D「仏」異性や物をむさぼり求めること。十二縁起の一つ。Eキリスト教で、神が人類に幸福を与えること。また、人類をすべて兄弟としていつくしむこと。Fアイ。㋐愛情。㋑生きがいと考え考えて全てを打ち込む心。「学問への愛」
「吉・キチ・キツ」【解字】会意。士+口 士は、甲骨文・金文では、おの(斧)などの刃物の象形。口は、めでたいことを祈る言葉の意味。のりとのうえに、その内容を確保するための刃物を、まじないとして置くさまから、めでたいの意味を表す。吉を音符に含む形声文字は「固くひきしめる」の意味を共有し、姞・拮・硈・結・詰・・などがある。
【字義】@よい。㋐すぐれている。りっぱ。善。「吉士」㋑めでたい。⇔凶。「大吉」Aさち。さいわい。しあわせ。Bついたち。「吉月」C吉札。五札の一つ。四時の祭り。 漢語林より
此の「愛・@アイする。㋐いつくしむ。かわいがる。」と、「吉・めでたいことを祈る言葉の意味。@よい。㋐すぐれている。りっぱ。善。」の意味からすると、今朝のビジョンに映し出されて来た「初孫を見て居る祖父母」の存在や、4月1日の「養楽」の文章に書いて有る、「神仏の慈・ジ・いつくしみに繋がると言う事。自分の人生の不可解さの謎が解け、此の人間社会の存在を言祝いで居るとの事なのではないだろうか。何れにしても本日4月1日(新年度)は、天地の喜びの始まりであるとの事なのかも知れない。」との事と、関係が有りそうである。
2013/7/16・・ハートは、「心臓」の事である。其れは、漢字の「愛・エ」が「旡(頭)+心(心臓)+夂(足)」の組み合わせで出来ている事と関係が有り、「心・シン」の漢字が「心臓」の象形である事と通じている。
是までにも、心臓の事に付いては何回か触れている。・・・
「ハートが基本」https://green.ap.teacup.com/20060818/2749.html
今朝のビジョンには、日本語の長い文章の存在が有る事が映し出されて来て、其の文章の全体の様子から、私が此処まで取り組んで来た世界・探索・創造の作品は、全体の一部である事が理解されて来たのは、私の役割が統尊(すめらのみこと)であり、全体的な「統尊・すめらのみこと」の「詔勅・みことのり」「御嚴・みいつ・御稜威 」を、必要と考え続けて来た事が、終わりを迎えた事を示唆している様である。
其れを考えると、確かに私は「養楽」の事を、真剣に考えなければ成らないとの事なのではないだろうか。。
其の様に考えると、今朝のビジョンに映し出されて来た、孫のヨチヨチ歩きを楽しむ祖父母の姿・様子は、此の私を、其処へ導く為の誘い水なのかも知れない。
其の様に考えると、今年の12月23日の日付は、私自身には左程関係が無いと言う事であり、余り真剣に考える・取り組む必要は、無いと言う事にも成りそうである。
其れは、神界・霊界・四次元世界に、其れなりの準備が整ったとの事であり、此の私(礒邉自適)は他人には出来ない部分・分野を担っていた事に成り、其れを無事に果たした事にも成るのではないだろうか。
令和2年10月29日
礒邉自適
2020/10/27
九津島は大輪の華が咲く
2・10・27
昨夜は、私の臍の左側の内部に強い痛みが急に起きて来たので、内臓に何等かの以上が発生したのかと意ったが、暫くすると痛みが消えたので、カモ(神の電気信号)の現象に似たモノであると考え、時刻を確認すると時刻は10時5分であった。
そして、12時前に床に就いて目を閉じて居ると、脳内が昼間の様に明るく成って来て、空中にススキの穂などの、植物の長い繊維が多種類乱舞する場面が映し出されて来た。
其れから、其の長い繊維の様な物はミロクの世界へと移り変わって行き、電子顕微鏡で観察できる細胞の繋がりの世界へと移り変わって行った。
其処で照明を点けて時計を見ると、時刻は「0時32分・1時28分前」であった。
其れから眠りの世界に落ちて行くと、今度は私が炊き出しの現場で、食べ物を煮る作業を行って居る場面が映し出されて来て、皆に煮えた事を云えてから、自分の丼を捜しに行って帰って来ると、私の所だけではなく、数か所の釜が全て、一滴の汁も無い様に空に成っており、私自身は何も口にする事が出来なかった。
其れから帰る為に、雨靴から自分の靴に履き替え様と意い、玄関の方に行くと、買ったばかりの私の新品の靴は無く成っており、残っている靴は片方だけの古い物だけであり、私が履ける様な物は見付からないので、裸足て外に出ると、其処は京都(帝都)の一部である事が判った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時17分」であったので、私は其の数字を「417・よいな・良い名」と記憶して、再び眠った。
すると今度は、私が山から麓の町に降りて行くと、緩い傾斜の道路の右側の部分には、次々に食事が出来る店舗の建設が始まっており、途中から営業が始まっている店が有るので、其の店を覗くと、店内は昼間の様に明るく、様々な料理が品の良い陶磁器製の器に盛られて、所狭しと並べられている様子が見えた。
其の料理は、完全な和食であり、私は魚類が好きなので、其れ等の献立を中心に視て行くと、白身のフグやコイや鰻などの身が、細切りにされ、タレに浸して食べたり、サラダ風に食べる様な盛り付けてあり、マグロや動物性の赤い肉類は一つも見えない状態であった。
私は、其れ等の料理が薄味である事が判ったので、何十軒もの店(全ての店内が昼間の様に明るい)で、何百皿も見ながら前に進んで行った。
そして、私が食べ始めていた物は、細く刻んだ河豚皮混じりの、サラダの様な食物であり、私が勘定を頼むと、日本酒を飲みながら同じ物を十一皿食べている事が判った。
そして、支払いを使用とすると、大きな「九」の文字が旗印の紋の様に映し出されて来て、次に「津島」との漢字が映し出されて来て、最後に、白い一重のクチナシの花の様な大輪の花が、一厘上向きに咲いている映像が映し出されて来た。
其れは、繋いで意味を考えると、「九津(の)島 大輪の白い花が咲く」との事に成り、「九州には白い大輪の華が開く」との意味に成ると想った。
今朝は最後に、「獣人は 毛物臭くなく 是からも前を進む」との言葉が告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は「8時46分・9時14分前であった。
今朝起こされた「1時28分前」「4時17分」「9時14分前」の数字から、1月28日・4月17日・9月14日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/1/28本日1月28日は、私の72歳の最後の一日である。
今朝のメッセージは、其の事に関係が有る様な内容のモノが示されて来た。
今朝の映像には、先ず、明るい世界に、若草色の空間を背景として、日本語の平仮名の短い単語・文章が、数行記されている段落が、広く隙間を空けて、縦に幾つも並んでいる様子が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時34分・ 5時26分前」であったので、私は其の数字を「434・よみよ・読み世」と記憶した。
其れから再び眠ると、今度は「何もしないでいいのよ」との女性・女神の聲が聞こえて来て、次に「4月13日」の日付が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時13分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、線と点で描かれている「黒いアゲハ蝶(人間の大脳?)」の様な図形が一枚、活版印刷の様な雰囲気で映し出されて来て、「製作技能」との言葉が告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は「8時18分」であった。
其れで先ず起こされた「5時26前」の数字から昨年の5月26日の文章を見てみると、次の様に書いて有る。・・
2019/5/26今朝は一眠りすると意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「2時2分」であった。
其れから再び眠ると、人間の生き方に三段階が有る理・ことが示されて来て、私は、其の内の二段階が終了して、是から三番目の世界に取り組まなければ成らない事が映し出されて来た。
そして、其の事に「安心」「ニルバーナ」の概念が関係有る事が示されて来たので、起きて時計を見ると時刻は6時30分であり、其れは「12時・零時」の針の位置とは反対側であった。
今朝は先ず、PCを立ち上げて「安心」と「ニルヴァーナ」を調べると次の様に載っている。
「安心・アンジン」
1 仏法の功徳によって、迷いがなくなった安らぎの境地。
2 阿弥陀仏の救いを信じて、浄土往生を願う心。
ねはん【×涅×槃】の意味《(梵)nirvāṇa・ニルヴァーナの音写。吹き消すことの意》仏語。
1 煩悩 (ぼんのう) の火を消して、智慧 (ちえ) の完成した悟りの境地。一切の悩みや束縛から脱した、円満・安楽の境地。仏教で理想とする、仏の悟りを得た境地。 出典:デジタル大辞泉(小学館)・・「三段階」
此の文章に貼り付けて有る女神の言葉には、『・・貴方は 世間に対して 何もする必要は有りませんが 其れは貴方自身が 未来を思考する為のモノなので、是からが貴方の正念場であると言う事なのです。』と有るので、今朝「何もしないでいいのよ」と告げて来た女性・女神の言葉は、同じモノ・正体であり、其れが「4月13日」の日付と関係が有ると言うのは、4月13日が京都の嵐山の麓に存在する法輪寺の「虚空蔵菩薩・こくうぼさつ」の大祭日であるので、私に言葉を告げて来る神(はたらき)は、其の虚空蔵菩薩である事に成りそうである。
其れに、女神が言葉に深く関わりを持っている事を考えると、虚空蔵菩薩とは「真言・マントラ」を重要とする真言宗の「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の別の呼び名であるのではないだろうか。
其の様に考えると、真言宗の開祖である「弘法大師空海」の御魂が、其の法輪寺の登り階段で私を待って居り、「わが弟子未だ我を越えず」と告げて来た事の意味・行動に付いても、腑に落ちてくる。
其れに、『是からが 貴方の正念場である』との女神の言葉は、今朝告げられて来た「製作技能」との言葉が、今朝映し出されて来た活版印刷のアゲハ蝶の様な図画・絵と関係が有るとの事で、私は其の様な作画の技能を持ち合わせていないので、「製作技能」の有る人材を捜し出して、私に告げられて来る「虚空・宇宙」の意思・物事を、製作・作成させる必要があるとの事なのではないだろうか。
そして、若草色の空間を背景として、日本語の平仮名の短い単語・文章が、数行記されている段落が、広く隙間を開けて、縦に並んでいる様子が示されて来た事は、日本語・大和言葉の概念で思考する必要が有り、白いに印刷されていた「黒いアゲハ蝶(人間脳?)」の図形は、日本人(国つ神・地祇)の言語脳でなければ成らないとの理・ことであり、今朝映し出されて来た易しい平仮名の文字単語は、日本人が手紙の事を「てふてふ・蝶々」と謂い表す事と関係が有り、今朝のメッセージは「虚空蔵菩薩求聞持法・こくうぼさつぐもんじほう」の世界が、丸事示されて来た現象・ものなのかも知れない。・・
此の文章の内容からしても、今朝の映像に映し出されて来た 段落を広く空けた易しい日本語の短い平仮名文章は、地球生命の最先端を進んでいる「脳細胞(遺伝子・DNA)」からの「てふてふ・蝶々(和歌・俳句等の言葉技能)」であった事に成りそうである。・・
其れに、今朝「製作技能」との言葉が告げられて来た8時18分の数字から、昨年の8月18日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2019/8/18本日8月18日の日付は、平成18年8月18日にマヤ・アステカの神である「ククルカン・ケツァルコアトル」が、「約束は守られる」と告げて来てから、丸13年と成る日である。其れに、其の三年前の2003年8月18日には、私が由香のガイドとして屋久島の奥岳(東経130度30分)を縦断した日でもある。・・「黒人とプレート」
此の文章の内容から考えると、私は、自分の大脳の言語機能の初期段階まで、遡る必要がある事に成り、其の次元・基から日本語の「言霊・言の葉」を蘇させなければ成らないとの事なのかも知れない。
其れを考えると、矢張り私が無意識に自動書記で書かされた「海渡族の謎を追え」との言葉・世界・課題は、未だ完了してはいないと言う事であり、スンダランドの事に付いては、未だ下駄の鼻緒に、足指を通しただけの段階であると言う事に成りそうである。
其れは、私が此の世界に飛び込んだ時に、紙に螺線の上に日本語の「あいうえを・・」の48文字を渦巻状に書き、其の世界に付いて「土肥無庵」と話してして居ると、奥さんが「貴方達の会話は しりとりゲームの様で ムズムズするので 止めてくだい」と謂われた次元に、もう一度意識を戻す必要が有るのだろう。
其れは、釈迦牟尼世尊の法華経の中に有る「十二支縁起」の教訓をマスター・習得した私(久遠実成・くおんじつじょう)が、是から、其の十二支縁起を逆に、日本語(マレー語)の48文字の「言霊・言の葉」を使って、新しい言葉・文字の世界を組み上げ・意味付けて行かなければ成らないと、言う事に成るのではないだろうか。
其れは、間違った・基本・真実から外れた言葉・言霊が、現在の乱れた世相を創り出している要因であるので、「真言・マントラ」を蘇させなければ、「虚空蔵菩薩」&「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の神(はたらき)が、動き様が無いと言う事でもある。
其の様に考えると、 此処数日の「何も無い所から」「アゲイン(again)」「宇宙システムは会議的」「皇帝」「OH分子記号」等のメッセージの流れが、読み解けそうな気がする。
いま「読み解けそうな気がする」との言葉を打って、今朝起こされた「4時34分」の時刻の数字を、私が「434・よみよ・読み世」と記憶した事を思い出した。
其の「読み世」との言葉を考えると、やはり今朝の女神の言葉は弘法大師空海の「虚空蔵菩薩求聞持法・こくうぼさつぐもんじほう」の世界と関係が有り、昨日の文章に書いた「水・OH分子記号」と「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の件と、今朝のメッセージは繋がっている事に成る。
今朝の文章の題は「製作技能」としていたのだが、其れでは一部的であると意ったので「森羅万象の流転を観る」とした。
*「安心・アンジン」・・との事が載せて有るので、明日1月29日に満73歳の誕生日を迎える私の本名「自適(悠々自適の言葉)」にとって、其の方が合っていると意するからで有る。
其れは今朝女神が告げて来た「何もしないでいいのよ」との言葉とも関係が有り、無為自然の生き方でなければ、「虚空蔵菩薩求聞持法・こくうぼさつぐもんじほう」&「天の御臥す間(あめのおふすま)真床 襲衾(まとこおふすま)」の実行は、不可能であると考えられるからである。
其れに、昨日の「水・OH分子記号」との件から考えると、私が此の世界に飛び込んだ時に、「アンテナが二つ要る。四次元プログラム・水素原子管理」との事の「水素原子管理」が「OH分子記号」との言葉に関係が有り、「何もしないでいいのよ」との言葉は、私に告げられて来た「事象の特異点」と「新しい神の座標軸」との役割・姿勢に関係が有るのだろう。
「森羅万象の流転を観る」https://green.ap.teacup.com/20060818/5256.html
2020/4/17「さあ 是からが 貴方の本番よ。
何もかも無くした時点から 新しく組み立てるのです。
其れが 貴方の真骨頂と成るのです。
良いですか 余計な事はしないで
自分の潜在意識の聲を 聴き取るのです。」8時46分
しん‐こっちょう〔‐コツチヤウ〕【真骨頂】 の解説
そのものが本来もっている姿。真面目 (しんめんもく) 。
「真骨頂を発揮する」 国語辞典より
今朝のビジョンには、私が是まで取り込んで来た世界が、全て無に帰している様子が映し出されて来て、最後に崩れ去ろうとしているのは、「グリーンクラブ」のアイディア・企画であり、女性(女神)が乗っている緑色の円筒形のエレベターの施設の壁が、今にも崩れ落ちそうに成っている場面が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時5分前」であった。
其れから再び眠ると、私の意識が「土肥無庵」に捜し出される前の状態に、還っている様子が映し出されて来た。
私は現在は無い、以前の自宅に帰って居り、PCに向かって作業をしている場面が映し出されて来た。すると、私のPCの上部に貼られている、薄いアンテナのパネルの左端がポロッと欠けて下に落ちた。
其れで弟に、其の事を伝えると「電気店に連絡して修理して貰え」と謂って、お金を私の机の上に置いて帰って行った。
其れで教えて貰った番号に連絡すると、男性が電話に出て場所を訊くので、私が「安房川の吊橋の袂です」と謂うと、相手が「エッ」と反応を示したので、私は吊橋が架かっていたのは昔であるので、「大橋ではなく 上流の橋の側です」と謂ってから、建物の様子を説明して居た。
そして「5月10日」の日付が示されて来たので、起きて時計を見ると、時刻は7時33分・8時27分前であった。
今朝は先ずPCを立ち上げ、起こされた時刻「8時27分前」の数字から、昨年の8月27日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の文章を読んでから、ワードを立ち上げ、今朝の文章の題を何にしたら良いかと考えて居ると、冒頭の女神の言葉が告げられて来て、其れは、此の文章の題「何も無い所から」との言葉の意味と共通している。
其れに、起こされた2時5分前の数字から、今年の2月5日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「子供達の時代が始まる」との言葉は、上記の「何も無い所から」の文章の最後に書いて有る「是で、私が、新しい王と成る若者を何処に案内したら良いかが判って来た。」との言葉と関係が有り、私は自分自身では何もしなくて良くても、子供達・若者達に対して、自分の体験・修練を活かして、道標を立てる事の役割が残っているとの事なのかも知れない。
其れに、今朝告げられて来た「5月10日」の日付が関係が有るのではないだろうか。何故かと謂うと、其の5月10日の日付は私が1997年5月10日に「太陽から写真を撮れ」と告げられ、京都の大徳寺で杖を突いた写真を奥野君に撮って貰った日付であるので、子供達・若者達が、「太陽(天照皇大神・あまてらすおおみかみ)、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命・つきさかき いつのみたま あまさかる むかつひめのみこと)」からのメッセージを受け取るチャンネルを、授ける事が可能であると意うからである。
其れに、昨年の5月10日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
今朝のビジョンには、2001年5月3「日憲法記念日」に、私の横顔が印刷されている「グリーンクラブ」のシールが映し出されて来て「引き受けてくれるか」と告げられて来た企画(女神のプログラム)が、崩壊仕掛けている事が示されて来た。・・
そして、私のPCの上部のアンテナパネルが欠け落ちる場面が映し出されて来た。其の場面から、私に思い出される事は2006年8月18日に「約束は守られる」と告げて来た「ククルカン・ケツァルコアトル」が、顔を出したリボンの部分である。・・
此の文章の内容から考えると、昨日8時43分に、私の右足の中指にカモ(神の電気信号)の反応が起きた事と関係が有り、今朝のビジョンで、私のPCの上部のアンテナパネルの「ククルカン・ケツァルコアトル」の顔(リボン)の部分が剥がれ落ちても、私のPC作業に支障が無いとの事は、私が神社の鳥居や参道の「色・rūpa・ルーパ・縁起」から縁が切れて、一人歩きが出来る状態に成ったと言う事なのではないだろうか。
其の様に考えると、昨日のビジョンで、私が自転車の鍵をペンダントにしている高貴な男性の後に付いて行った事と関係が有り、私は「顕光〇」の三文字の裏に隠されている二文字の単語を知り得たとの事に、成るのではないだろうか。
其れを考えると高平岳の参道入り口に建っている「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」の祠の前で、「撞賢木厳之御魂天疎向津媛命・つきさかき いつのみたま あまさかる むかつひめのみこと」が「此処は 旅人にとって終着のところ」と告げて来た事の意味も理解されて来る。・・
其れに、此の「旅人の終着駅」の文章は2006年7月2日の物であるが、其れは私が丹後半島(9号線)で日本一周の旅を終えた1985年7月2日から、丁度21年の日でもある。
其れで、屋久島の山が動き出した日付を調べると、2005年4月16日であり、次の日(本日から15年前)の文章には、次の様に書いて有る。
「原点に還る」https://green.ap.teacup.com/20060818/5336.html
2020/9/14今朝のビジョンは、霊界・冥府の様子と言うか、情報システムの存在が示されて来た。
そして、顔は現在の私の物ではないのだが、私の来世の顔だとの設定で30代の男性の顔が映し出されて来て、其の顔は心臓の鼓動程の速度で、コマ送りで動いていた。其れは、私には来世が約束されていて、長くは霊界・冥府に留まれない理・ことを示唆している様であった。
其れから、人々が集まっている建物に行くと、何故か柳生新陰流11代目であると謂っていた「杉岡半太夫政房氏」の姿が在って、女性の指導者に「運動不足です」と急かされて、一緒に運動を始めている様子が映し出されて来た。
其れは、霊界に在っても、心臓のリズムが適用されていて、肉体を失っても、何らかのリズムが必要であるとの理・ことの様である。
其れと、柳生新陰流11代目であると謂っていた「杉岡半太夫政房氏」が運動不足であると謂われて、女性と一緒に運動を始める場面は、霊界にあっても、何らかの気持ちを維持して居なければ成らないとの理・ことの様である。
其れ等の事柄を考えると、今朝のメッセージは輪廻転生の世界に付いて、何らかの理(ことわり)が示されて来ており、輪廻をする際にも、其の人成りの技(わざ)や命(みこと)等の特徴が無ければ、人間社会に降臨するにしても、適当な人材(からだ)が宛がわれないとの理・ことなのかも知れない。
其れは守護霊・守護神に成るのは、相手の人間のプラスに成らなければ成らないからである。
本日は此処まで打ってから、畑に下りて、昨日買って来た、秋冬野菜の苗の植え付け作業を行って居ると、頭に「ワンチャンス」との言葉が一言告げられて来たので、私は其のワンチャンスの言葉から、私が此の世界に飛び込んだ日に「残り16年半しかない。チャンスは一度 失敗は許されない」と告げられて来た事を思い出した。
其れで時刻を確認すると、時刻は11時13分であった。
其れから13時過ぎに自宅に帰り、シャワーを浴びてから昼食を摂り、再びPCに向かい、昨年の11月13日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2019/11/13今朝のメッセージの映像は、若い人達が私の文章の影響を受けて、新しい事を始める為の会合を開く事に成る様子が映し出されて来た。
そして、私は其の会合で講演をしなければ成らない事に成り、会場に到着して車から降り、玄関の階段の一段目を上がろうとすると、左足に履いている靴の靴底が剥がれてしまい、歩く事が出来なく成ってしまった。
そして、其の原因は、私が履いていた靴はが極端な上げ底に成っている為である事が判った。・・
其れから再び眠ると、今度は若草色の丸い器が一個映し出されて来た。其の器は、スパゲティー用の皿程の丸い物ではあるが、浅い丼の様な造りであり、中には皿饂飩を食べたのか、少し汁が残っており、彼方此方に鰹の削り節の破片が付着していた。・・
私が「土肥無庵」に捜し出されて、三ヶ月間のマクロビオティックの指導を受けた時は、玄米+味噌汁(昆布出汁)、梅干・海苔、野菜類の天麩羅+大根おろし、魚を自分で釣って来た時は刺身、食後に会話を楽しむ時は胡麻クッキー+ピーナッツ、等であり、飲み物は番茶で、ジュースや牛乳やアルコール飲料などは一切無かった。
私は其の後、屋久島の荒野を数ヶ月間彷徨い歩き、屋久島の自然の中で草木の実や、海岸の貝類などを食べて過ごし、全国の旅を始めた時には、車に寝具と食事道具・水タンクを積み込んで、一切外食無しで過ごしたのである。・・
「精神世界に上げ底は駄目」
此の文章の内容からすると、昨日の文章の内容と関係が有り、地球・世界全体が動き出しても、此の私は其れ等の動きに同調して、自分の調子・リズムを崩しては成らないと言う理・ことであり、一歩でも間違った動きをすると、九回目である最後のチャンスを失ってしまうとの事なのかも知れない。・・
要するに「勇み足」が許せないと言う事なのであろう。
「来世の約束」https://green.ap.teacup.com/20060818/5487.html
此の三日分の文章「森羅万象の流転を観る」「原点に還る」「来世の約束」の内容は、今朝映し出されて来た「香りの良い梔子(くちなし)の花」と、「獣人は 毛物臭くなく 是からも前を進む」との言葉と関係が有り、万物の霊長としての人間は、「獣・動物」の一種ではあるが、是からも高貴さを醸し出す生き物として、事象の最先端を進んで行かなければ成らないとの理が示されて来ているのであろう。
そして、「九州には白い大輪の華が開く」との言葉・ビジョンは、私が36年前此の世界に飛び込んだ時に、屋久島の地図に南北に線が通っている事が示され、私が其の線を確認して東経130度30分・御稜威ラインとして自覚した事に関係が有り、九州は日本列島とは向きが異なって「南北」の方向を向いており、私が其の線上に石碑を建立している事が、「九州には白い大輪の華が開く」とのメッセージとして、示されて来ているのであろう。
其れに、昨夜私の腹部に痛みが発生した10時5分の時刻・数字から、10月5日に文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/10/5今朝のメッセージには、先ず、私(意識)が関西方面から四国の善通寺市当たりに在る建物に帰郷する場面が映し出されて来た。
次に、右側から左に向けて「四分の一」「二十分の一」「四十分の一」の数式が順番に並んで出現して来る場面が映し出されて来た。
次に、真っ暗な世界に、白い形の物が横に三つ並んでいるのが映し出されて来た。其れは、一個の白い箱か一枚の白い厚紙を、縦に刃物で綺麗に切断した物ではなく、左右に引き裂いたかの様に、分かれ目・切断面が乱れている物であった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時16分」であった。
私は、其の「6・16」が「三枝祭り(笹百合祭り)」の日付けである事と、今朝私の意識が四国の善通寺付近に帰郷して居た場面から、弘法大師空海の事を思い出し、今朝の「三つに引き裂かれていた白い世界」は、密教の「三密」である「身・口・意」に通じ、今朝映し出されて来た三つに引き裂かれていた白い物が、人間の「身(遺伝子・DNA)」「口(言語)」「意・(意識・情報)」を、示唆しているのではないかと思った。
其れから再び眠ると、男性の聲で「意いを持って進め」との言葉が告げられて来たので照明付けて時計を見ると、時刻は7時4分であった。
其れから再び横に成ると、三つに分かれていた物の右側に、漢字文字が一行横に並んでいる物が、映し出されて来て、記憶力の弱い私は、其の中から「反則・のりにはんする」「定理・さだまったことわり」との言葉を何とか覚える事ができた。
其れから、私は自分の意識の中に、三つに分かれていた物を並べて、其の比率を自分なりに比べると、左から「50−15=35」と出来て、物体的には其の比率で良いが、「四十分の一「二十分の一」「四分の一」との数字は、其の中で身削げる物・消去・変革が可能な分量・%を示唆しているのではないかと意った。
其れは「身(遺伝子・DNA)」「口(言語)」「意・(意識・情報)」で考えると、「身(遺伝子・DNA)」は頑張っても「四十分の一・2%(桜澤如一の謂いに寄ればマクロビは耳の相まで変わる)」しか変えられず、自分の初期脳の言語の基礎・基盤(言葉に因り築き上げられた性格・性質)は「二十分の一・5%」しか変えられないと言う事であり、外国語を習得するにしても、自分の言語・初期脳を通しているとの理・ことなのではないだろうか。
其れに対して、自分の「意・(意識・情報)」は「四分の一・25%」が「身削げる物・消去・変革可能」と言う事なのかも知れない。
今朝は、其れ等の事を考え、7時20分に起きて台所に行き、テーブルに座って穀物コーヒーを飲んで居ると、男性の聲で「転輪聖王を打ち出せ」との言葉が強く告げられて来たので、部屋に行ってPCを立ち上げると時刻は、「8時3分であった。
其れから「転輪聖王・チャクラヴァルティン」で検索を掛けると、次の様な文章が有った。・・
此の2012年8月3日の「天輪・チャクラ」には、本日8月3日は、私の両親が、1946年(昭和21年)8月3日(旧暦7月7日)に、初めて屋久島の安房川の岸辺に上陸した日である。其れから、今日で66年が経過した事に成る。・・本日8月3日は、旧暦の6月16日で、月齢は14・9日であり満月である。其の日に、輪宝が現れると言うのは、「チャクラヴァルティン・転輪聖王(てんりんじょうおう)」の伝説が、真実であると言う事に成る。
転輪聖王獅子吼経の文言には、「自らを島としなさい。自らを帰依処としなさい。他を帰依処としてはならない。法を島としなさい。法を帰依処としなさい。他を帰依処としてはならないのである。・・・」と有る。
其の経文の内容を考えると、私の両親が屋久島に渡って、私を屋久島で産み育てた事と、関係が有りそうな気がする。・・と、書いて有る。
此の「本日8月3日は旧暦の6月16日・満月」との文章・数字は、今朝起こされた時刻が6時16分であり、私がPCを立上げて「転輪聖王・チャクラヴァルティン」を打ち出した時刻が8時3分であった事が共通しているので、「神 はたらき」と「霊夢・ビジョン」と「時刻・とき」と「私の躰の動き」が、一体化している事実・ことは明白である。
其の事と、今朝私の意識が四国の善通寺市に在った事は、昨日のビジョンで「白地の新しい本を 敷地の入り口に落として行った 老齢の運転手」は、弘法大師空海の霊魂であり、私が新時代の幕開けの場所に落ち着いた事で、自分の故郷に帰郷したとの事であり、今朝のビジョンは弘法大師空海が高野山で即身成仏(三次元世界の人生に終止符を打ってから)1165年振りに、故郷である讃岐国多度郡屏風浦に帰って、現代の電気通信システム(パソコン電波・ライン)を使って、私に指令を送って来ている事に成りそうである。
弘法大師空海が「神霊の思頼・みたまのふゆ」の世界で、最初に存在を示して来たのは、私が1984年に初めて高野山の入り口の門前に車で到着した時に、「穢れているから入るな」と告げて来た時であり、二度目は、私が京都の嵐山の麓に在る法輪寺の階段を上がり始めると、「我が弟子 未だ 我を超えず」と告げて来た事が有り、其の後、私のスケジュールの3月21日は、其の弘法大師空海が占有している事は顕かである。・・
此の文章の内容からすると、確かに今朝のビジョン・メッセージは、弘法大師空海からの物であり、12月23日までの残り日数のスケジュール調整は、弘法大師空海に任せて、私は自分の「心臓・こころ」に意識を合わせて居れば良いとの事なのかも知れない。
「転輪聖王を打ち出せ」https://green.ap.teacup.com/20060818/5509.html
此の文章には、「遺伝子・DNA」と「弘法大師空海」の事が書いて有るので、昨夜眠る前に、植物の長い繊維が明るい世界で乱舞する場面が映し出されて来て、次に、電子顕微鏡で観察できる遺伝子・DNAの鎖(スサ・苆の緒)」が映し出されて来た事と関係が有りそうである。
其の理由は、弘法大師空海の師である中国の「恵果和尚」が「大日如来・マハーヴァイローチャナは 汝の腹中に在り 汝は直ぐに日本に帰れ。私は今度は汝の弟子として生まれ変わる。」と謂った事に関係が有り、昨夜午後10時5分に、其の「大日如来・マハーヴァイローチャナ・宇宙の真実の本体の意味」が、私の腹中に棲み付いたと言う事に成るのではないだろうか。
2002/9/4今日は、「慈悲は 神の心に近づく階段」との題名で文章を書いて、転寝・うたたねをして居ると、「あじのさと」との言葉が聴こえて目が覚めた。
「あじのさと」とは「味のさと」ではなく、仏教の言葉の「阿字観」の「阿字の里」である。
「阿字」を、辞典で調べると、「仏教の用語で、梵語の12の母音の第1。事物の始まり。根本を象徴する文字。特に密教では空を象徴するものと考え、阿字の形、音、意味を観ずる阿字観により、真理を体得できるとする」と 載っている。 辞典 言泉
日本の神社に行くと、鳥居の所に「あ・阿」と「うん・吽」の高麗獅子の像が置かれている。この「あ」の像も、同じ意味を持っている。
右側の方の、口が開いている方が「あ・阿」の像であり、始まりの意味を表し、左側の口が閉じている方が「うん・吽」の像で、終了の意味を表している。
参道を歩くのも、階段を上がるのも、「あ」の右側から中に入って、左の「うん」の像の方から出て来るのが、作法として決められている。
「あ」は、森羅万象の始まりとされている。
その「阿字」が、私に今日出て来たのは、何故であろうか。
今までに、此の様な事は無かった。・・
皆が知っている弘法大師空海は、「阿字の子は、阿字の地に帰る」と詠っている。空海が、中国の師匠「恵果」に、密教の秘法を全部伝えられた後、恵果は空海に告げたという。
「大日如来は 汝の腹中に在り、直ぐ日本に帰れ。今度は 私が汝の弟子と成って、日本に産れる」と、それを聞いた空海は、約束の年数に至っていないのに、日本に直ちに帰国したのである。
そして、朝廷の許しが出る迄、福岡の地で待ったと云う。
空海は、次の大日如来の現れる地を求めて、全国を巡った末、現在の高野山を定めたとの事である。
私が、旅の最中に、高野山の奥の院に入ろうとすると、山門の所で「今は 汚れているから入るな」と告げられ、そのまま下山し、未だに高野山には上がっていない。
空海は、生前に、恵果より受けた密教の秘法を、授ける者が現れなかったので、生きながら、魂しいを肉体から引き剥がして、霊界にて1300年間、自分の後継者の育成に力を注いでいるのだ。・・・
「阿字の郷」https://wave.ap.teacup.com/20060106/102.html
其の様に考えると、昨夜眠る前に映し出されて来た明るい世界の空中で乱舞する様々な植物の長い繊維は、「スサ・苆のお・尾・穂・緒(遺伝子・DNAの鎖)」を示唆しており、「大日如来・マハーヴァイローチャナ・宇宙の真実の本体」とは其の遺伝子・DNAの鎖を意味し、海原を治める・司る役目である「須佐之男尊・すさのおのみこと」の名前・言葉の意味と通じて来る。
其れを考えると、日本語の「腹の虫が治まらない」「虫の知らせ」との言葉が関係が有り、腸内に棲む三万種の細菌が食べ物次第で強弱が入れ替わる事と関係があり、今朝のビジョンで私が山から下りて行くと、何十軒もの和食の店が並んでいた事と関係が有り、私が「河豚・ふぐ・福」の皮のサラダを日本酒を飲みながら十一皿食べていたのは、「虫・龍・スサノオ」の意識体であった事に成りそうである。
腸内細菌(ちょうないさいきん)とは、ヒトや動物の腸の内部に生息している細菌のこと。ヒトでは約3万種類、100兆[2]-1000兆[1] 個が生息し、1.5kg-2kgの重量になる[1]。
概要(編集)
ヒトをはじめ哺乳動物は、母親の胎内にいる間は、基本的に他の微生物が存在しない無菌の状態にある。生後3-4時間後には、外の環境と接触することによって、あるものは食餌を介して、あるものは母親などの近親者との接触で、あるものは出産時に産道で感染することによって、さまざまな経路で微生物が感染し、その微生物の一部は体表面、口腔内、消化管内、鼻腔内、泌尿生殖器などに定着して、その部位における常在性の微生物になる。一部の原生動物や古細菌を除き、その多くは真正細菌である。一般には常在細菌と総称されることが多い。このうち消化管の下部にあたる、腸管内の常在細菌が腸内細菌である。腸の内面を広げるとテニスコート1面分にも相当しさながら花畑のように細菌類が生息していることから「腸内フローラ」とも呼ばれる。フローラは「花畑」を意味する[1][信頼性要検証]。1960年頃までは腸内には大腸菌しか認識されていなかったが、今日ではこうした考えが一般化した。
腸内環境は嫌気性であり、腸内細菌の99%以上が嫌気性生物である偏性嫌気性菌に属している。これらの腸内細菌の代謝反応は還元反応が主体であり、また種々の分解反応が特徴的となっている[3]。嫌気呼吸の種類には、嫌気的解糖、硝酸塩呼吸、硫酸塩呼吸、炭酸塩呼吸などがあり、基質を還元することによって代謝に必要な電子を得ており、例えば、硝酸塩から亜硝酸塩を、硫酸塩から硫化水素を、炭酸からメタンを生成するような例がある。
腸内の細菌叢を構成している腸内細菌は、互いに共生しているだけでなく、宿主であるヒトや動物とも共生関係にある。宿主が摂取した食餌に含まれる栄養分を主な栄養源として発酵することで増殖し、同時にさまざまな代謝物を産生する。腸内細菌が発酵によって作り出したガスや悪臭成分がおならの一部になる。腸内細菌は、草食動物やヒトのような雑食動物において食物繊維を構成する難分解性多糖類を短鎖脂肪酸に転換して宿主にエネルギー源を供給したり、外部から侵入した病原細菌が腸内で増殖するのを防止する感染防御の役割を果たすなど、宿主の恒常性維持に役立っている。しかし、腸管以外の場所に感染した場合や、抗生物質の使用によって腸内細菌叢のバランスが崩れた場合には病気の原因にもなる。また、後述に示すような生理作用があるため、腸内細菌間のバランスを崩すと脳をはじめ、心臓、関節など一見腸とは関わりがなさそうに見えるあらゆる部位の病気に発展する可能性を持っており、寿命にも大きな影響を及ぼす[1]。
糞便のうち、約半分が腸内細菌またはその死骸であると言われている。宿主であるヒトや動物が摂取した栄養分の一部を利用して活動し、他の種類の腸内細菌との間で数のバランスを保ちながら、一種の生態系(腸内細菌叢、腸内常在微生物叢、腸内フローラ)を形成している。腸内細菌類が「縄張り」を主張し、侵入してきた新しい菌に対しては腸内フローラを形成している細菌類が攻撃を加える。このため病原菌などは通常駆逐され、病気や老化から守る役割を果たしている[1]。腸内細菌の種類と数は、動物種や個体差、消化管の部位、年齢、食事の内容や体調によって違いが見られるが、その大部分は偏性嫌気性菌であり腸球菌など培養可能な種類は全体の一部であり、VNCの種類も多数存在する。なお、その名称から腸内細菌の代表のように考えられている大腸菌は、全体の0.1%にも満たない。・・・
フリー百科事典『ウィキペディア』2020/10/27現在
此の説明内容からすると、今朝のビジョン・メッセージは昨日の続きであり、明日10月28日が荒神様(竈神・須佐之男尊)の大祭日であり、私を找し出して此の世界(神(はたらき)、マクロビオティック・Macrobiotic)に送り込んだ「土肥無庵」の生誕79年の日である事が、関係が有るのだろう。
其れに、今朝の由香のビジョンには、「山の下 龍の介」との名の人物が登場したとの事であるので、今朝のビジョンで私の意識が山を下って「河豚・ふぐ・福」の皮のサラダで日本酒を飲みながら十一皿(11の数字は太陽の活動周期)も食べて居た事と、符合している。
令和2年10月27日
礒邉自適
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