1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2020/11/30
流儀が無用
2・11・30
本日で11月が終わり、明日から師走である。
今朝のビジョンには、私が姿が見えない何者かに依頼されて、要らなく成った家具類をリサイクル店に持って行く場面が映し出されて来た。
其れは、日本家屋の座敷に置かれている物であり、物が片付けられた床の間の様子が映し出されて来た。
そして、トラックでリサイクル店に到着し、積まれている物を降ろし始めると、其れは茶道に関係が有る備品である事が判った。
其れは、茶道具を並べる水屋や、自動で何時でもお湯が使える電気湯沸かし器や、飾りの置物などであり、茶碗や茶筅・棗(なつめ)等の、自分だけが使う物は混ざってはいない事が判った。
そして、其れを買い取る店の主人は、其れ等の物を引き取っても、買う人が居ないらしく、困った顔をして居り、金額の提示が無い儘であった。
其れから「流儀が要らない」との言葉が一言告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時28分」であった。
其れから、電気を消して再び横に成っていると、徳島の国府町に有る「天石門別八倉比売・あめのいわとわけやくらひめ」神社に存在する五角形の祭壇の様子が映し出されて来たので、起きて時計を見ると時刻は7時4分であった。
其れからPCを立上げ、「6時28分」の数字から、6月28日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/6/28昨夜は床に就いて居ると、いきなり私の上に白い60歳代位の霊魂・霊体が覆い被さって来る姿が映し出されて来た。
次に私の右側に、白い霊体がすっくと立ち、左手側には一体の霊体が私に仕える様に座った。
私は、是はどう言う現象なのかと意うと、私が立ち上がる場面が映し出されて来て、其の霊体達は、私の全身を保護するバリアと謂うか、白い「氣・エナジー(アストラル体)」の様な物と成った事が判った。
そして、眠ってからの映像には、「櫛玉饒速日命・くしたまにぎはやひのみこと」の御魂を意味する前田氏の存在が映し出されて来て、屋久島の山岳に通じるトロッコ電車の軌道敷設の権利を、取得したとの事が示されて来た。
次に私が、茶道の世界に参入する場面が映し出されて来て、何人もの茶人や、茶道具の世界に関わっている場面・様子が、次々に映し出されて来た。
其れから、最後に、黒い服装の45歳位の茶人(男性)が、「私のの師匠の息子・跡取りだ」と言う40歳位の男性を紹介する場面が映し出されて来た。
其の息子・後継者は、細身の躰であり頭の中心部分が禿げており、迫力が無いので、私が真剣に相手をしないでいると、其の後継者は私の方に背を向けて立ち去って行こうとして居た。
其の様子を見た私は、左側に立って居る茶人の方に、何か一言謂った。
すると、其の茶人が後を追い掛けて行き、私が謂った言葉を傳えると、其の後継者は元気を取り戻して、私の傍に引き返して来たので、私は無言で、右手の人差し指を、筆で「点・チョン」を打つ様な仕草で、台の上に押し付けていた。
すると其の男性は、私の左側を通過しながら其の様子を視て、私の後ろ側に回り込みながら、其の答えを見付けた様であった。
そして、其の答えは「乾坤一擲・けんこんいってき」との言葉と関係が有り、其の意味は「天上も 地下も無く 今の此処しか無い」との理・ことであり、 次に「自分自身を 打ち倒す」との言葉が、私の意識の内側に湧いて来て、其の理が「茶の道」の極意であると言うか、目的であるとの理・ことが理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は「7時25分」であり、其れはマヤ暦の「時間を外した日・休日」の日である事を思った。
其れからPCを立ち上げ「乾坤一擲」の言葉を調べると、次の様に載っている。
「乾坤一擲」の「乾坤」は天と地とを表し、「一擲」は投げることを意味する。つまり「乾坤一擲」は、天地どちらに転ぶかを賭けた一世一代の大勝負を意味する語。
「擲・テキ・ジャク・チャク」【解字】形声。「扌(手)+鄭」【字義】@なげうつ。㋐なげとばす。なげつける。「投擲」「抛擲」㋑さいころを投げて、ばくちをする。「打擲」は、むちなどで打ち叩く。「乾坤一擲」Aすてる。Bはねる。はねあげる。ふるう・振。 漢語林より
此の意味からすると、今朝の「自分自身を 打ち倒す」との言葉は、「天地どちらに転ぶかを賭けた一世一代の大勝負」をする・しようと考える自分を、打ち倒す理・ことの必要性を示しているので、其の大勝負をしようとする心・意は「茶道」の極意からは外れている事に成る。
詰まり、茶道の極意は「自分の立場を無くして 無空に成る為の作法であり 何かの目的・手段が有っては 茶は立てられない。」との事の様である。
其れに「投げ捨てる」との言葉は「闇雲に」との言葉と関係が有るので、「やけくそ」「一か八か」の心境では、何の成果も得られないとの事に成る。
其れを考えると、やはり頓智で有名な一休宗純禅師の「一休み 一休み」との漫画の風刺は、真意を突いている事に成り、人間は「何かを しなければ成らない」と考えている自分を停止させなければ、本来の自分の面目(めんもく)が解らない・判らないと言う理・ことの様である。
「面目・めんもく」仏教用語「人間の真の姿」「命のありさま」の意味。
「真の姿」「ありさま」という意味。
其れは、経済活動をして居る人達だけではなく、スポーツ選手や賭け事などをする人間も同じ事であり、我々人間は、自分自身の行為を止めなければ、真実の自分には気付けない・見えないと言う理・ことである。
其れに、悟りたいとの気持ちで、座禅や修行を続けて居る人も同じである。
これ等の事柄を考えると、今朝のビジョンは、昨夜眠る前に、私の身の回りに寄り添って来た三体の霊体は、茶道の世界の関係者であり、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」が、茶道の世界に熱心であった事と関係が有り、其の三体の霊体・御魂も「土肥無庵」か其の茶道の関係者であるとの事に成りそうである。・・
其れに、平成元年9月3日の夜中3時33分に聖徳太子の御魂から「ようやく高天原に達した。臨済から始める」との言葉も告げられて来ている。・・
其れに、私が平成元年3月13日に阿蘇の「日の宮幣立神宮」に参拝する事に成った事に関係が有る、故「西村見暁先生」は「聖徳太子の本願は 阿弥陀佛の本願」として、幣立神宮の境内に「聖徳太子廟」を建設してもいる。・・
私は、1990年3月27日に朝から急に躰が動き出し、軽トラックに鉈を積んで蘇陽の自宅を出発し、当てもなく一時間程走り、竹山の近くで車を止めて、竹山の中に押し入って行くと、根本が曲がっている風変りな一本の竹の前に辿り着いた。
其れで、其の竹を伐って自宅に引き返し、花立てにして水を入れ床柱に下げた。
そして次の日の新聞を見ると、其の日は京都の大徳寺で3月27日〜28日に掛けて「利休忌」が行われる日である事が判明したので、私は朝から、其の千利休の霊魂に依り憑れていた事が判った事が有る。
其れは、一休宗純禅師は、私に「風餐水宿・ふうさんすいしゅく」との言葉を使って自分の存在をアピールして来たが、千利休も自分の存在をアピール・証明する為に、私の行動範囲の中で、自分が好きだった竹材を探し回り、自分の忌の日に合わせて、私をその竹の生えている場所に連れて行ったのであろう。
其の事を考えると、昨夜寝て居る私の身体に、上から覆い被さって来た白服の霊体は、其の千利休の霊魂だったのかも知れない。
利休忌(2月28日 記念日)
安土桃山時代の茶人・千利休(せん の りきゅう)の1591年(天正19年)の忌日。法名の宗易(そうえき)から「宗易忌」ともされる。現在、「利休忌」は3月27日・28日に京都・大徳寺で行われ、法要と茶会が開催される。
千家流茶道の開祖・千利休は、秀吉の命により、天正19年2月28日に自害しました。その1ヶ月後れを命日とし、表千家は27日、裏千家は28日に追善茶会を行っています。表千家、裏千家ともに利休像をかかげます。当主が茶を献じて社中門弟が茶事で供養します。調度はすべて利休の遺品が用いられます。HPより
其れに、今朝のビジョンに「櫛玉饒速日命・くしたまにぎはやひのみこと」の御魂を意味する「前田氏」が、屋久島の山岳に通じるトロッコ電車の軌道敷設の権利を、取得したとの事が示されて来たのは、故「西村見暁先生」の霊魂が屋久島の私の実家の裏山に住んでいると、二年前の4月29日に示されて来ている事と関係が有りそうである。・・
此の文章には、故「西村見暁先生」の霊体が私の実家の裏に聳える矢本嶽に居るとの事と、「2027年まで掛かる。前田社長を連れて行け。」との事が告げられて来たと書いて有るので、今朝のビジョンで「前田社長が山岳に通すトロッコ軌道の権利を取得した」との件と関係が有り、是から7年間で、何らかの事が始められるのであろうか。
これ等の事からすると、平成元年9月3日の夜中3時33分に、聖徳太子が「臨済から始める」と告げて来た事が、愈々本格的に始まるとの事なのかも知れない。
「乾坤一擲」https://green.ap.teacup.com/20060818/5408.html
此の文章には、「茶道」の事が書いて有り、「全てを投げ捨てなければ 本来・真実の 自分の面目(めんもく)が得られない」と書いて有るので、告げられて来た「流儀が要らない」との言葉の意味が能く理解できる。
其れは「茶道」の世界が、作法・仕来りに雁字搦めに成っている事と関係があり、其れ等の流儀(ノウハウ)に固執していれば、真の自由は得られないと言う事であり、其れは茶道の世界だけではなく、宗教の世界で「祝詞・経典」や「儀式・作法」を習得して飯を食っている、「神官・僧侶・神父」も同じ状態であり、「老子・釈迦・イエス」が家族を持たず、「自由である事」をモットーとし、住所不定無職で所有財産が無い儘、人生を終えている事と関係が有りそうである。
其れから、起きた・起こされた時刻7時4分から、7月4日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/7/4今朝のビジョンは、先ず、目の前に、辞典「漢語林」の様に、漢字と其の説明の文章が、一字毎に次々に映し出されて来て、私は其れを、自分が打った物なのかと思ったが、其れはペーストされているだけの物であり、其れは是から、私が自分の物にして行かなければ成らない物である事が理解されて来た。
其れで私が其の漢字を良く見ると、画数は少ないのに、私が読めない・知らない文字が多数含まれている事が理解されて来た。
次に、田舎に若者が移住して邑・コミュニティーを造っている場面が映し出されて来た。だが、リードするリーダー・指導者が居ないので、鶏を飼い始めても、餌の遣り方・卵の産ませ方・野犬に襲われない防備など、全く出来ない事や、作物の育て方も出来ない事が映し出されて来て、私はプロの指導者を送り込まなければ、其の邑は直ぐに崩壊すると思った。
其処で、「3月25日」の日付が示されて来たので意識が目覚め、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時10分」であった。
其れから再び眠ると、透明感のある美しい自然の風景が映し出されて来て、其れは、現在の此方側の景色ではなく、次元が異なる神の世界であり、其れは同時に重なっているモノであり、覚醒した者・次元を上った者が、入れる世界である事が理解されて来た。
次に、私は其の世界に入ろうとすると、其の世界は波ガラス戸に遮られて、直接見えなく成ってしまったので、私は其の場から移動しようとすると、私の右手は、其のガラス戸・入り口の柱に固定されている事が判った。
其れは、私が直接右手で行動を起こす事を、神が禁じている理・ことが理解され、私は左手だけで、人々を未来世界・次元に送り込まなければ成らない事が、理解されて来た。
次に熊本県芦北町に住む「どれみ村」の代表である「天波博文」氏が登場して、農村の企画運営に彼方此方で関わりを持っている様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時1分」であった。
今朝は9時14分に起こされ・起きて、先ず3月25日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
3/25今朝のビジョンには、イスラエルの「六芒星」のマークではなく、徳島の各神社の境内に立てられている、忌部の五角形の柱の頭の部分のマークが映し出されて来て、其の五角形の中は、中心から五角に向かって、夫々が違う模様に成っていた。
其れは、其の柱の横面に刻まれている、神名の神(はたらき)と関係が有りそうであった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時11分」であった。・・
此の文章には、「・・宇宙を両翼とする鳳の存在と関係が有り、愈々滅びが始まるとの事なのかも知れない。」と書いて有るので、昨日のビジョンで、鳥神が郵便物の差し替えを行っていた事と関係が有り、「禊ぎ祓い」の世界、「惟神の道」に踏み出さない者は、次々に現在与えられている役目・使命から外されて行くとの事なのかも知れない。
其れを考えると、今朝のビジョンに映し出されて来た「五角形」の図に付いて、能く吟味しなければ成らないと言う事に成る。
徳島市の国府町に存在する「天石門別八倉比売命・あめのいわとわけ やくらひめのみこと」が祭神である「八倉比売命神社」には、入り口鳥居の右側に五神の名前が刻まれた「五角柱」の石碑が立っており、境内の中には五角形の井戸が存在し、神社の裏山には五角形の石組みの中に御神体が祀られている。
其の事を考えると、今朝映し出されて来たビジョンは、其の天石門別八倉比売命からのメッセージであり、明日3月26日から、岩戸が開かれるとの事であり、鳥神の意にそぐわない者は排除されるとの事なのかも知れない。・・
「蟻の這い出る隙間も無い」https://green.ap.teacup.com/20060818/5313.html
此の文章には「五角柱」の事が書いて有るが、昨日午後畑を確認に行くと、6月11の日付の小玉西瓜が、また罅割れしていたので、家に持って帰り、横に切断して見ると、切り口の中央が✇・三又に成っている事が判ったので、前日の分を視て見ると、同じ様に三又に成っている事が判り、水分の塊である西瓜の構造を支えているのは、其の三又の繊維である事が理解されて来た。
其の三又の構造から、私は現在の政治の根本である「三権分立」の事を想像し、聖書の「三位一体」や、仏教の「佛法僧」の仕組みに付いて考え始め、今回の西瓜の罅割れ現象は、神(はたらき)が其の三又構造を、私に気付かせる為の仕業・戦略ではないのかと考えた。
其れは、私が島根に住んで居る時に「出雲学びの家」でテキスト作りをした時、円の中心(霊完)を三方に分けて、「肉体・精神・知識」とした事と関係が有り、私は再び「人間の魂の完成」に向かって、何らかの意を図らなければ成らないと言う事であり、其の事は「左手(左大臣)」だけで行はなければ成らないと言う事なのかも知れない。
次に「5時1分」の数字から、今年の5月1日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
何と此の文章には、熊本県葦北町に住む「天波博文氏」の事が書いて有るので、「新次元へのスタート」の言葉に天波氏が関係があるのかも知れない。
其れに、此の文章には「弓」の事が書いて有るので、昨日のメッセージで滝の轟音が、耳元を唸って飛ぶ「鏑矢・かぶらや」の音に聞こえた事と関係が有り、名前に使用している「天の波」と関係が有るのかも知れない。
其れに、今朝起こされた9時14分の数字から、昨年の9月14日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章の内容からすると、安倍政権が「賭博場」建設を決めた事が、「天津日嗣神示」に有る「此の日本から神一厘の仕組みが発動する」との事に、逆行する事に成るので、其れを食い止める為に「新型ウイルス感染」の問題が起こされたのではないだろうか。
そして現在、夜の繁華街などで、集団感染が起きているのは、旧約聖書に記されている「ソドムとゴモラ」の滅亡の予兆を、人間に警告しているのではないだろうか。
其れを考えると、現在の世界の権力者のエゴは、全て、神の戦略の現れであり、故「井上佳子」に出雲の日御碕で1987年7月13日に告げられて来た予言は、日本国だけではなく、人類全体に対しての忠告であると言う事なのかも知れない。・・
今朝の文章の題は、漢字の「指導者」ではなく英語の「リーダー」とした。
其れは、今朝のニュースに熊本県の球磨川が増水して、下流の「葦北町」が冠水しているとの事なので、今朝のビジョンに其の葦北町に住む有機農業家である「天波博文氏」が指導者の立場である事と、「葦北・あしきた」とは「すすむ」の意味であり、アステカ文化のアステカ太陽暦に刻まれた「北・0度・12時・子(鼠)」が「葦の芽」である事と、「リードする」のリードは「葦笛」の事だからである。
何れにしても、雨水を管理する「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」や「水素/Hの氣・エナジー」の神(はたらき)は、私の右手は、門柱に縛り付け動かない様に固定して、私の潜在意識をフルに使い始めている様である。
「リードするリーダーが必要」https://green.ap.teacup.com/20060818/5414.html
此の文章には、何と「・・イスラエルの「六芒星」のマークではなく、徳島の各神社の境内に立てられている、忌部の五角形の柱の頭の部分のマークが映し出されて来て、其の五角形の中は、中心から五角に向かって、夫々が違う模様に成っていた。・・・」と書いて有る。
其れに此の「リードするリーダーが必要」の文章には、村造りと農業の事が書いて有るので、其れ等の人間が生活する場造りには、精神世界とは反対に「ノウハウ・基本の手法(学習・修練)」が絶体不可欠であるとの理・ことが、示されて来ている様である。
其れ等の事を考えると、私は中学校までしか机に座っていないが、私を找し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」は、大学の助教授をする次元まで至り、図書館の本は全部目を通したとの事で、私のどんな質問にも即答して居た事に関係が有り、野生児の私と、都会の文化を極めた土肥無庵との合一が、現在の私の意識(脳記憶回路)である事に成る。
其れに土肥無庵は、私が屋久島から旅立った後に、同じ年代の男性を数人育て様としたが、「自適さんが育っ為に 屋久島のエネルギー(氣)を 全部吸い上げているので 他には居ない。」と謂って居た事と関係が有り、人間は大きく育つ為には、自然の中で毛穴を開いて五感を研ぎ澄まし、「生命・いのち・みこと」を大きく成長させなければ成らないと言う理・ことなのであろう。
其れを考えると、江藤敬介氏が稲の株間を36・5pにして、日当たりと風通しが良い条件で育て様としている事と関係が有り、稲の生命(遺伝子・DNA)を目一杯発揮させようとしている事が、最も重要であると言う事にも成る。
何故かと謂うと、「謂」の漢字が「言+胃」であり、其の意味は「言葉は胃袋の中の穀物から発生する」であるので、新嘗祭・大嘗祭に使用する米は、江藤敬介氏が栽培する様な稲(精)でなければ、「神・示(祭壇)+申(雷・電気)」は降りて来ないと言う理・ことに成る。
「主食」https://green.ap.teacup.com/20060818/5068.html
其れは、野中の一本杉は、有名な「日立の樹」の様に、円錐型の樹形に成るが、人工林の杉の木は外側の木だけは、外側に枝葉を伸ばす事が出来ているが、中の木は全て、太陽の光を求めて梢が真っ直ぐに伸びるだけで、強い台風が通れば幹が中央で折れてしまう事と関係が有り、屋久杉の様に捻じれながら大きく育ち、台風にも平気でいる物とは、全く異なる木生を生きている事と関係があり、此の私は、野中の一本杉の生態(命・魂)であると謂えるだろう。
其れは、私し流の「流儀」ではなく、「惟神の道」の生き方であり、無意識状態で自然の法則に従って生きて来たとの事であり、其れが釈迦の謂う「ダルマ・法」であり、老子の謂う「道・タオ」の世界なのである。
其れに、今朝のメッセージに「天石門別八倉比売神社」の奥之院に有る五角形の祭壇の形が映し出されて来た事に、どの様な意味合いが有るのだろうか。
徳島に存在する多くの神社には、必ずと言って良いほど、境内に70cm〜1m程の五角形の石柱(五神名地神塔)が立てられており、其の五面には「倉稲魂命」「埴安姫命」「少彦名命」「天照大神(太陽の神)」「大巳貴命」の五柱の神名が刻まれている。其れは、徳島(阿波)全体の特徴の様である。
キー「徳島 五角形の石柱 天石門別八倉比売命 」
2010/11/1今朝のメッセージの映像には、大きな津波が襲って来る知らせが届き、私は数人で、山に向かって逃げて行った。そして、山の頂上に着くと、他の方向からも、数人の人が逃げて来た。
知らせを聞いて、山の上まで逃げて来た人数が少なかったのは、現代社会には、「天・神」の存在を信じている人間が少ない理・ことを、示唆しているのではないだろうか。
次の映像には、若者達が、穢れの無い土地と建物を、捜して居る場面が映し出されて来た。・・
其の若者二人と話して居て、私は、確かに、新しい時代の流れが起きていると言うか、新しい時代・御世の息吹を感じた。
其れは、私が26年間、全てを捨てて、宇宙の「働き(御陵威)」を支えて来た事に関係が有り、当時4〜5歳であった子供達が、ようやく世の中の動きに、影響を与える時節が、到来した事を意味しているのではないだろうか。
そして、其の若者達が出会う場を、創り出して行く事が、我々の役割であるのかも知れない。
今朝の「愉伽さん」のビジョンも、其の事に関係が有るのか、今回のフェスティバルに参加して、歌を歌ってくれた天波博文氏が現れて来て、「撮影する人達を 呼べ」と云ったらしい。其れは、人々の出会いの場を用意して、情報として、流せとの事なのではないだろうか。
其れが、音楽と、有機農産物の宅配を、20数年間行なって来た「天波博文」氏が云ったのは、音楽と、食べ物付きの祭りの開催を、しろとの理・ことなのかも知れない。・・
今朝のメッセージの映像は、人間のカルマ・業で穢れた環境が、地球自身の力に拠って清められ、新しい未来が築かれる事を、意味しているのかも知れない。そして、若者達が、新しい土地と事務所を捜して居たのは、若者達に古い概念を押し付けては成らないとの理・ことを、示唆しているのではないだろうか。
昨日は、徳島の人達が「空の人」と呼んでいる山人が暮らす、山の上の農家を、50名の人達が小雨降るなか訪問して、自然農法の畑を見学した。
その事が、今朝のメッセージの映像に、作用したのかも知れないが、核戦争でも起きないかぎり、人類が滅亡する事は無い理・ことを、示しているのかも知れない。古代から続く、山の暮らしが、若者に受け継がれれば、日本人のDNAも継続する事が出来るのだ。其の様に考えると、私の気持ちも楽に成って来る。
今朝は、朝起きて、土間の広間に出て来ると、夜勤から帰って来た鎌田名臣氏が、愉伽さんと二人で、蕎麦を刈り取って括って櫓に干す、稲藁をすぐって居た。
私が、其の側に寄って行くと、左手の指にカモ・(神の電気信号)が来た。
其れは、稲藁に神が宿る理・ことの証明に成るのかも知れない。
其れを考えると、昔からの、稲穂を家中に飾ると「福の神」が訪れるとの言伝えも、本当であると言う事になる。
其れは、何故、古代人が稲藁で大蛇の姿を作って、神の御神体としたのかの謎を、解く鍵ともなる現象である。
神山町の神社には、どこにでも、必ずと言って良いほど、境内に70cm〜1m程の五角形の石柱が立っており、其の五面には「倉稲魂命(稲の神)」「埴安姫命(土の女神)」「少彦名命(智慧・薬の神)」「天照大神(太陽の神)」「大巳貴命(国造の神)」の五柱の神名が刻まれている。
其れは、徳島(阿波)全体の特徴の様である。
今日は、11月1日で「111」の数字の日である。
今朝は、其の「倉稲魂命(稲の神)」が、「かまだ庵」に来ていた事に成るのであろう。
「穢れの無い土地と家」https://green.ap.teacup.com/20060818/1715.html
此の「穢れの無い土地と家」の文章の内容からすると、昨日告げられて来た「清州」との言葉と関係が有りそうである。
其れに天石門別八倉比売命は、天津神・渡来系である忌部(いんべ)の祖である
2010/10/3・・今朝のメッセージの映像は、此処百数十年で、10倍に増えた人間の数に、地球が対応できなく成り、人間を減らす対策を採るが、其れに拠って行き場・生活の場を失う、女性や子供達を救う対策を、私に図れとの事ではないだろうか。
今朝のメッセージの映像では、建物の屋根を葺くのは、各国の寄せ集めの材料ではなく、同じ材料で屋根を葺かないと、雨漏りを防ぐ事が出来ない理・ことが示されて来た。
其の意味は、建物の中の部屋の造りや、置く品物や飾り着けは、各民族の伝統に従えば良いが、屋根だけは、何所の国の建築様式にするか、決めなければ成らない理・ことを意味している。
其れは、「同じ屋根の下に暮らす」との意味が含まれており、昨日のメッセージに有った「天石門別八倉比売命・あめのいわとわけ やくらひめのみこと」の名の意味に関係が有り、ヤクラとは、屋倉・やくらであり、櫓・やぐらの意味が有り、皆を同じ屋根の下に集める、母親の意味が有るのかも知れない。・・
日本の古い神社の境内には、昔 力比べをした丸い「力石」が、現在でも置かれている。其れは、或る程度の力がなければ、木材を運んだり、田畑を切り開いたり、米俵を担いだり出来なかったからであろう。
現在では、試験の点数が良かったり、PC操作の技術等が高ければ、力が無くても仕事は有るが、昔はそうではなかったのである。
今朝のメッセージの映像は、人間が同じ屋根の下で暮らして行く事や、村社会の在りかたに付いて、示唆して来ているのではないだろうか。
其の様に考えると、自然神である「弁財天・サラスヴァティー」や「十一面観音」などの働きが、人間の母親である「天石門別八倉比売命」の働き・意識に、移されて来たとの事なのかも知れない。
昨日から、私が気に成っている事は、10月13日に行なわれる、阿波徳島の「天石門別八倉比売命」の御陵の上に組まれている石組が、五角形であり、阿波の神社の境内には、何所でも五角形の石柱に、神名が刻まれている事である。六角形の石柱は造り易いが、五角形の石柱は造り難いのである。
何故、わざわざ造り難い「五角形」にしなければ成らないのか、其処に阿波の神事の秘密が隠されているのではないだろうか。
昨日、珪素に関する資料に目を通して居ると、珪素は、五角形の形をしている理・ことが書いて有った。其れを考えると、阿波の「忌部・斎部・いんべ」の記録に、神山町から「神凝り石」を拾って来て、其れに神を付けて「天皇・すめらみこと」の道を広げて行ったとの事が、「珪素(石英)」に関係が有り、古代人が珪素の働きに気付いていた事に成る。
其れは、私の身に、26年前に起きた出来事でも明らかであり、私の身体を使用して来た4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」の中心・根本に、其の阿波「忌部・斎部・いんべ」の古代霊が関わっていた事は、間違いないのである。其れは、私の礒邉・磯部・磯辺の姓・血筋に深く関わりの有る事であり、いま其の御霊が、本格的に動き出しているのであろう。
其れは、「忌部・斎部・いんべ」の祖と、「饒速日命・ニギハヤヒ」の息子である「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」と、イスラエルの「石工・メイソン」と「かど族・帝(ミカド)」にも関係が有る事なのであろう。
イスラエルのマークに使われている、五昴星の意味が、少しずつではあるが解けて来ているのであろう。
私は、10月13日は、徳島市の国府に在る「天石門別八倉比売命」の大祭に参加し、14日には、愛媛県大洲市にある「少彦名神社」の秋期大祭に参加する事にしている。・・
今朝、朝食の後、愉伽さんと話して居ると、愉伽さんの今朝のビジョンに、青色の高い椅子が現れたとの事で、愉伽さんが高さ調整で低くしてから、其の椅子に座ると、右隣に座って居た男性が、名刺を差し出したとの事である。
其の名刺には、「手力男」との文字が書いて有ったとの事である。
私は、其の「手力男・たじからお」の言葉を聞いて、今朝の重量挙げの格好をして、二人で大笑いをした。何と、重量挙げは「アゲル」、岩戸は「アケル」で、方向性の違いはあるが、同じ力持ちの意味合いが有る。
其れに、「天石門別八倉比売命」の夫が、其の手力男命であるとの事である。
何と、今朝は愉伽さんと私に、岩戸開きの「神・はたらき」が示されて来たのである。
「同じ屋根の下」https://green.ap.teacup.com/20060818/1685.html
2012/3/29今朝のメッセージの映像は、私の意識の前に、二人の息子が、跽いている姿が映し出されて来た。そして、私の意識は、女性の意識である事が解った。
そして、其の意識は、徳島に祀られている「賀志波比売・柏姫・かしわひめ」の様な気がした。
徳島県の阿南市見能林町青木に有る「賀志波比売神社・かしわひめじんじゃ」と、津森山の「津森神社」に祀られている「賀志波比売」は、天照神とされている。
其の、賀志波比売の「神・はたらき」の名が「天石門別八倉比売命・あめのいわとわけやくらひめのみこと」で、徳島市国府町に有る「阿波一宮」に祀られている。
今朝のメッセージでは、其の息子二人に、母親が「二つとも8月8日から動き出す」との意味の事を、告げていた。しかし「天石門別八倉比売命」には、娘は三人いるが、息子は「日鷲の命」一人だけである。二人の息子が居るのは、出雲の「須佐之男尊・すさのおのみこと」の妻である「櫛稲田姫」で、息子の名は「湯山主命」と「五十猛命・いそたけるのみこと」である。
其れに、天照大神の子である天忍穂耳尊と、高皇産霊尊の娘である「栲幡千千姫命・たくはたちぢひめのみこと(別名 萬幡豊秋津 師比売命・よろづはたとよあきつしひめのみ こと)」との間には「饒速日命・にぎはやひのみこと」「瓊瓊杵尊・ににぎのみこと」の、二人の息子が居る。
だから、今朝のメッセージに現れた二人の息子とは、其れ等の働きと言うか、関係が、政・まつりごとの仕組みとして、一体と成って、示されて来たのかも知れない。
其れが、何故、8月8日から始まるのかと言うと、平成22年の4月に「愉伽さん」のメッセージで「8月8日に徳島に集まれ」と有ったので、阿波忌部の子孫である三木信夫氏が当主の、三木家の上に有る「阿波神社」の三木山山頂に8月8日午後8時8分に11名が集まった。
しかし、其の夜は何事も無く、翌日前田氏を空港に送って帰り道に「06・10」の車のナンバーが気に成って、阿波一宮」に参拝し、其の神社の説明版を見ると、其の神社の祭神が「天石門別八倉比売命」で、大祭が「8月8日」と書かれていたのである。・・
今朝、私が感じる事は、既に、私の意識は私自身のモノではなく、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の意識と成っていると言うか、完全に潜在意識が禱りの源に還り(帰命・ナーム)していると言う事である。
だから、「すめらのみこと」の役割である「御稜威・みいつ」の働きが、出来るのであろう。
其れに、3月26日のメッセージの映像に現れた三人の女学生は、自転車で学校に向かっていた。今考えると、其の三人の女学生は「宗像三女神」であり、私が、神界に新しく開校した学校に、通学している事になる。
其の様に考えると、私は28年掛かって、神界に、新しい意識の学校を、創設した事に成るのではないだろうか。
今朝のメッセージでは、「8月8日から二つの事を始める」との、女神の意識が示されて来た。其れは、8月8日が「天石門別八倉比売命・あめのいわとわけやくらひめのみこと」の大祭日である事と、関係が有るのだろう。
其れは、「天石門別・あめのいわとわけ」の役割・はたらきの名に、意味が有るのではないだろうか。
そして「二つの事」とは、私が此の神の世界に入った時に告げられて来た「四次元プログラム」と「水素原子管理」の二つのシステムの事ではないだろうか。
其の二つに付いては、両方ともHPを準備していたが、「水素原子管理」の方の「森の木」は、人脈が変化したので現在は閉鎖しているが、「四次元プログラム」の方は「みいつ 君の光」として、残してある。・・
昨日は、「富士の仕組み」として、文章を書いたが、「日月神示」には「富士の仕組み」と「鳴門の仕組み」と有る。
富士の仕組みとは、日本から新しく起きる政治的な仕組みの事である。
其れに対して、「鳴門の仕組み」とは何であろうか。
「鳴門」は、阿波徳島の海峡の呼び名であり、渦潮で有名である。
其れを考えると、「鳴門の仕組み」とは阿波徳島から起きる、「渦・うず」を意味しているのではないだろうか。
京都には、「秦 河勝・はたのかわかつ」の名に関係がある「秦氏」が築いた町「太秦・うずまさ」が有る。秦氏は、中国から日本に渡って来た、ユダヤ族であるとの事である。
其れに、ユダヤを意味する「石工・メイソン」の秘儀には「石の上に立つ 兵士の謎を解く鍵とは 生ける力のダイナムを 正しく応用することであると知るとき 彼は結社の神秘を学び取り ルシフェルの力は彼のものと成る」とある。
此の「ルシフェル」とは、光の天使の意味であり、其の力とは「宇宙に渦巻く力」であり、時間・トキの事象である「螺旋・うずまさ(渦定・ただしくおさまるうずまき)」を、司る事であるのだろう。
其れを考えると、阿波忌部の働きは石英・水晶が含まれている「神憑り石」に、「すめらのみこと」神霊を憑依させて、「天皇・すめみま」の住居に祭祀させ、移住地を拡大する事にあった事が、見えてくる。
阿波忌部が開いて行った土地には、五角形の石碑が建てられ、五角形の井戸が掘られている。其の五芒星の印は、ユダヤ族に関係が有り、イスラエルの国旗の印にも使われている。
私の姓である「礒邉・いそべ」は鹿児島湾の磯部町であるが、日本各地の「磯部・石部」と同族であり、其れは「石工・石屋」の意味である。
伊勢湾の磯部町には、六芒星のマークが有る「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」が存在し、「天照皇大神・あまてらすすめおおかみ」が祀られている。
其の「天照皇大神」は男性神であり、エジプトの太陽神である「女神イシス」が取り込まれた、日本の「天照大神・女神」ではない。
其れに、「いざわ宮」の「いざわ・イサワ」の名は、山梨県の「石和・いさわ」の元に成っている、山梨県笛吹市石和町 物部十柱明神の祭神「饒速日命」他9柱と関係が有り、旧約聖書にある預言者「イザヤ」の名であり、イザヤの予言を信じる民であるのだろう。
今朝、私が感じる事は、私が1984年6月4日旧暦5月5日に、安房川の岸辺で「無庵師匠」の下で禊ぎ祓い・パプテスマを受けて、4311体の聖霊に満たされ、此の神の世界に入った事は、4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が新しい学びをするモノであり、其れは、別の言い方をすれば、私の心身を使って、過去の霊魂が、現在の世の中を、全員で認知する事であったのであろう。
其れは、過去の時代を生きた人々が「自適の学校」に入学して、現代の人間社会を学ぶ事であったのだろう。
「鳴門の仕組み」https://green.ap.teacup.com/20060818/2260.html
2011/5/5・・今朝のメッセージの映像は、日本建国の父である「神武天皇」に関係が有るのか、新しい世界を創造する為の、施策と言うか、心構えの様なモノ(内容・イメージ)が、長い間映し出されて来た。其れは、人類の過去の記憶と言うか、此れまでの共通概念・古い体質が、全部消去されて、新しい意識の枠組みを、組み上げる為の準備の様なモノ(世界)である。
其れは、未来創造と言うか、新しい天地創造の様なモノ(世界・イメージ)である。其れには、ジョンレノンの曲「イマジン」が、関係有る事が示されて来た。
「天地創造」とは、旧約聖書にも出て来る言葉であるが、日本の古事記にも同じ様な物語がある。しかし、其れ等の物語は、古代人の誰かが考え出したモノ(イメージ)であり、神が直接、示したモノではないのである。
其れ等の内容は、昔の誰かが、私の様に、眠りの中で見たビジョンを、言葉にして、誰かに伝えたモノであり、全てが、真実の世界・モノではないのである。
何故なら、我々が、現在・いま存在する宇宙は、約138億年前に発生した物であり、太陽系は50億年前に生まれ、地球は46億年前に塊り、生命は40億年前(±2億年)に発生し、人類はまだ長くても650万年前に、類人猿から突然変異した物であるから、人類が、頭・脳で考え出すモノ(世界・イメージ)が、全て正しい譯・わけでもないのである。其れを、後生大事に抱え込んで、如何にも、絶対の真実の様に敬う事は、間違いなのである。
其の物語こそが、禊ぎ祓うべきモノなのではないだろうか。
何故なら、650万年前に発生した人間の姿が、絶対神として「天の橋」を渡って来て、地上を創り出したり、人間を生み出したりする譯・わけが無いからである。真実とは、138億年前に誕生した宇宙自身が、永いトキを掛けて、進化し続けて来た姿が、此の地球では人間の姿であり、其の人間の最先端に脳が存在するのである。
そして、其の人間の脳が記憶を辿るところ(世界)に、神話が誕生しているのである。
今朝の映像では、其のブラックボックスを止めている物が、五本のネジ釘であり、其のネジ釘は螺旋構造を意味していた。其の後、本のネジ釘は、古い箱から抜き取って、新しい箱を止める釘に使用されたので、箱は新しい物に創り替えられるが、ネジ釘は、古い物が代々使われ続けて来ている様である。
其れを考えると、阿波徳島の「天石門別八倉比売命・あめのいわとわけやくらひめのみこと」の御陵に有る、五角形の「磐座・いわくら」や「井戸」は、其の宇宙の記憶を閉じ込める為の、ブラックボックスを意味しているのかも知れない。其の様に考えると、イスラエル(神の民)の五芒星のマークや、アークの箱の意味も理解できて来る。
今朝のメッセージでは、其のアークの秘密の謎解きの為と言うか、新しい「ブラックボックス(樫の板で出来た木製の箱)」を造る為に、五人の人材が必要である理・ことが示唆されて来た。しかし、其の五人を、私の此れまでの人脈から探り出そうとしたが、一人として、誰であるかが判明しては来なかった。
其れに、其の五人が男性なのか、女性なのかも判らないのである。・・
今朝のメッセージの中で、重要な理・ことは、天地創造との概念は「水」の流れのイメージの中に在り、水の流れが時間・トキを創り出しており、其の水の流れが智慧を司る「青龍」の存在に繋がり、水の流れ・時間の流れ其のモノが龍体として、人間の意識の中に棲んでいるのである。
其れを考えると、旧約聖書に有る「神は 水を 天と地に分けた」との謂いや、「釈迦」や「イエス」や「瓊瓊杵尊・ににぎのみこと」が水浴びにて、神の意識に目覚めた事の意味も、理解出来て来る。
其れを考えると、水辺に生える「菖蒲・しょうぶ」が、男子の穢れを祓うとの意味合いも、理解できる様な気がする。
其れ等の男子の思考の中に、「大山祇神・おおやまつみかみ」や「海神・わだつみ」が、七回半螺旋を巻く大蛇として、水田で育つ稲わらの姿で、編まれる事も関係があり、山頂の水分け峠の御神木に巻き着けられたり、綱引きの後、河川や海に帰される事も、人間の潜在意識と関係が有るのだろう。
40億±2億年前に、粘土の水(ミネラルの海)の中で誕生したDNA(いのちの鎖)は、現在・いまも生命の体の中で、命・いのちの鎖を繋ぎ続けているのである。其のDNA・いのちの鎖が、今日も私の中で、自分が生きて行く環境を、整え様と働いて居るのである。
其れが、天地創造の概念として、人間の意識の中に立ち現われて来るのであろう。其の様に考えると、日本語の人・ひとが「霊留・ひと」である事も、理解されて来る。
今朝は、水の流れと、人間の生命・精神・男の子の事を考えていて、私の二人の息子は、母親と生まれた場所は異なるが、生活用水と言うか胎盤の羊水は、生活排水や塩素に汚染された水ではなく、山から流れて来る自然水で育っている。其れは、私が、水道の水は飲めないので、どんな所に住んでも、山まで水汲みに行って、生活を続けていたからである。
だから、私は二人の息子の、体内水を守ってやった事に成るのだ。
其の事が、私が子供達に出来た、唯一の事なのかも知れない。
昨日の「愉伽さん」のビジョンには、農家に多くの人々が集まり、お祝いをして居たとの事である。
そして、今朝のビジョンは、金色に輝く太陽の写真を、撮って居たとの事である。
其の愉伽さんのビジョンの意味を考えると、農耕民族である日本人の暮らし向きが、日の目を見るとの理・ことなのかも知れない。
そして其れが、日の丸を国旗とする日本精神と言うか、日本の伝統文化の復活を、意味するのではないだろうか。
其の様に考えると、本日が旧暦4月3日で神武天皇祭の日である事も、納得できる事に成る。
「天地創造」https://green.ap.teacup.com/20060818/1919.html
【五芒星】
五芒星(ごぼうせい)とは、五光星、五稜星あるいは五角星(英: five-pointed star)と呼ばれる5つの角を持つ星マークのうち、互いに交差する長さの等しい5本の線分で構成され、中心に五角形が現れる図形である。五線星、星型五角形(星型正五角形)ともいう。
5つの要素を並列的に図案化できる図形として、洋の東西を問わず使われてきた。世界中で魔術の記号とされ、守護に用いることもあれば、サタニズムに見られるように上下を逆向きにして悪魔の象徴とすることもある。悪魔の象徴としてとらえる際には、デビルスターと呼ばれることもある。
用例
古代西洋
歴史的に確認されているもっとも古い五芒星の用法は、紀元前3000年頃のメソポタミアの書物である。シュメール人はこれをUB(ウブ)と呼んだ。さらに下向き五芒星を「角・小さな空間・穴」などの意味を表す絵文字とする。エジプトでは子宮を表させていたことから性的意味合いがあるとも言われている。バビロニアでは、図形の各側面に前後左右と上の各方向を割り当て、それぞれ木星・水星・火星・土星、そして上に地母神イシュタルの現れとされた金星を対応させた。五芒星に五惑星を対応させる考え方は、後のヨーロッパにも見受けられる。
また、火・水・風・土の四大元素に霊を加えた5つのエレメントにもそれぞれの頂点が対応させられ、それは現在でも魔法などのシンボリズムに使われている。
陰陽道と安倍晴明の桔梗印
五芒星は、陰陽道では魔除けの呪符として伝えられている。印にこめられたその意味は、陰陽道の基本概念となった陰陽五行説、木・火・土・金・水の5つの元素の働きの相克を表したものであり、五芒星はあらゆる魔除けの呪符として重宝された。
日本の平安時代の陰陽師、安倍晴明は五行の象徴として、五芒星の紋を用いた。「安倍晴明判(あべのせいめいばん)」や「晴明九字(せいめいくじ)」とも言い、キキョウの花を図案化した桔梗紋の変形として、「晴明桔梗(せいめいききょう)」とも言う。家紋として現在使用されているものの多くは、桔梗紋の清明桔梗と見られ、現在も晴明神社の神紋などに見ることができる(セーマンドーマンも参照)。
フリー百科事典『ウィキペディア』2020/11/30現在
此の説明からすると、天石門別八倉比売命は岩戸開きを行った「手力男命」の妻であり、其の息子が「天日鷲命」であり忌部の祖であるので、今朝映し出されて来た五角形の祭壇は、新しい岩戸開きが始まるとの事なのかも知れない。
2012/2/5・・・鳴門の仕組みとは、1昨年の4月に愉伽さんのメッセージに「8月8日に神が降臨する」との啓示が有り、阿波忌部の神社が有る徳島県木屋平の山の頂上に有る広場に「忌部・斎部・いんべ」の本家である「三木信夫氏」をはじめ、「饒速日命の御魂が付いている名古屋の前田氏など、総勢11名が集まって、午後8時8分を待ったが何事も起きなかった。
しかし、次の日、前田氏を空港に送って帰る時に、信号で「 6・10」のナンバーの車が横から出て来て前に走り出したので、其処に有る神社にUターンして参詣し、説明書きを見ると、祭神が「天石門別八倉比売命・あめのいわとわけやくらひめのみこと」で大祭日が「8月8日」と書いてある。
天石門別八倉比売命は、岩戸開きの「手力男命」の妻で、「日鷲の命」や「事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)」の祭神「ことのまま姫」や、高知の浅倉神社の祭神「天道日女命・あまのみちひめのみこと」などの母親神である。
其れに、「忌部・斎部・いんべ」が、石英・水晶・珪素の縞模様が入った「神凝り石・かみこりいし」に、神様を「愉伽・ゆか」して、「帝・みかど(カド族)」を支えて、全国に国を広げて行ったと、忌部の本家である三木信夫氏宅の庭の石碑に記されてあった。・・・
「悟り・覚醒・生活」https://green.ap.teacup.com/20060818/2204.html
キー「五角形 」
2002/3/14今朝の霊夢は、「亀甲紋・きっこうもん」が一個映って、その周囲に、人の名前らしき文字が書かれていた。亀甲とは、字の如く、亀の甲羅の事だが、私が亀の体の紋様を調べて見たら、六角で出来ている紋は頭部に一ヶ所しか無く、他の甲羅の部分はバラバラの形をしている。
亀の甲羅は、頭部に六角の紋が一個だけ有り、其の紋から全体の紋は広がっているが、鼻へ向う部分に、小型の五角形が一個付いている。
其の、五角形と六角形のどちらが、亀の甲羅の形にとって、大事であるかは判らないが、其処は、脳に近い部分なので、情報のコントロールセンターも、亀甲の広がりと無縁ではないだろう。
今朝の霊夢には、人間の名前が、亀甲紋様の周囲に記されていたので、中心的な人物、21世紀を組み立てるべき、情報センターに関係する人達が、集められると言う、知らせなのだろうか。
出雲には、天津族を出迎え、道案内をしたと云われる「猿田彦神」を祭祀する「佐太神社」が在るが、その佐太神社には三社が祭られている。
三社の中心が「猿田彦神」で、神紋は「扇」であり、向って左側の「須佐之男命」の神社の神紋が「亀甲」で、右側の「天照大神」を祭る神社は「輪違い」の神紋となっている。
「須佐之男命・すさのおをのみこと」の神紋が、「亀甲紋」とされている事から察すれば、今朝のメッセージは須佐之男命の働きが、動き出すと考えて良いのだろうか。
「スサノオ」の日本語を調べてみると、「スサ」は「苆(草+切)」の漢字が有り、苆は「草」や「藁・わら」を切り刻んだ物で、日本家屋の土壁に、壁土が崩れない様に、繋・つなぎとして土に練り込む材料である。
其れから考えると、「スサ・苆」とは、「切り刻んでいるが、繋がっている形態の物」と、受け取って良いだろう。
神社での、お祓いの時に、使用する「みてくら・幣(ぬさ)」も、紙を折って切り、スサ状に作ってある。「ぬさ」も「スサ」と同類のものであろう。
「ぬさ」は、叩・はたきの様にもなっているし、昔の武士の戦さの時に、殿様が右手に持って、馬の上から進軍の合図をするのも、似たような物ではないだろうか。
須佐之男命の事を「荒(すさ)振る神」とも言って、「荒神(こうじん)様」として、祭っている所も有る様に、「スサ」は生命の勢いにも捉えられている。
「スサノオ」とは、生命・スサの尾(動物的象徴)、生命・スサの穂(植物的象徴)的、表現方法ではないだろうか。
須佐之男命が、神に治める様に告げられた世界は、海原である。
地球上に、生存するあらゆる生命の誕生は、海からである。
須佐之男命が、司っている世界は、生命全体の「DNA・遺伝子」の鎖ではないだろうか。全生命の鎖を「スサ」と考えれば、古代の人々の潜在意識が、何を、意識の対象にしていたかが見えて来る。
亀の存在は、「亀は万年 鶴は千年」と昔から云われる様に、一番の長寿の生き物とされている。亀甲がなぜ、須佐之男命の神紋になったのかは判らないが、海→ 命→ DNA→ 亀→ 須佐之男・スサと、繋いでイメージすれば、当たっていなくても、外れているとは、言えないのではないだろうか。
そうであれば、今朝の霊夢は、生命の新しき繋がりと、再出発のネットワークの事を、知らせて来たモノかもしれない。
新しい仕組みと、出発の「みてくら・幣(ぬさ)」が振られるのも、近いのではないだろうか。
「亀甲紋」https://star.ap.teacup.com/170606/369.html
此の亀の頭が「五角形」と「六角形」に成っている事からすると、8月8日の忌部の集まりに参加した「江藤敬介氏」が、今月11月13日のビジョンで見せられた、自宅の庭に池が有り其の池・プールで3m程の巨大な海亀が泳いでおり、其の背中には、ボセイドンが手に持つ三又の槍の様な物が付いていたとの事が、関係有りそうである。
其の事を考えると、今年の8月8日に江藤氏が亀の形をした屋久島の北の岬・頭に存在する「矢筈神社」に参拝した事と関係が有り、矢筈岬を頭とする亀が、新しい「秋・穐(禾+火+亀)あき・とき」を開始するとの事であり、其の為に東経130度30分の御稜威ラインが必要であり「九州・九津島」が新しい「清州・きよいくに」と成るとの事であり、「筑紫の日向のおどのあわぎ原の禊ぎ」が重要であるとの事なのであろう。
其れを考えると、由香に2010年の4月に、「8月8日(天石門別八倉比売命神社の祭日)に降臨すると告げられて来た神は、新しい扉門を司る神(はたらき)であるとの事なのであろう。
令和2年11月30日
礒邉自適
2020/11/28
自分の座を確認する事
2・11・28
「私は 過去・現在・未来に在り 衆生一切我が子」
昨夜は入浴して居ると、「これから 一番いそがしくなる」との言葉が、告げられて来た。私は、其の「いそがしい」との言葉は、漢字の「忙(心を亡くす)」ではなく、「急がしい」との意味である理・ことを理解して居た。
今朝のビジョンには、南瓜の蔓に黄色い花が、咲いている様子が映し出されて来た。
次に、日本語の横書きの文章が、枠の中に記されている場面が映し出されて来て、其の枠外の右上に、見た事が無い難しい漢字が、二文字記されているのが映し出されて来て、其の二文字は「かいそう(かえる・かえす)」の意味が有る事が示されて来た。
其の二文字の右側の漢字の旁に「喿」が付いている事だけが、記憶に残った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時56分・6時4分前」であった。
其れから再び眠ると、「闘争心」との言葉が告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は「7時48分・8時12分前」であった。
其れからPCを立上げ、漢語林で「ソウ」で「喿」が旁の漢字を調べると、「髞」の漢字が有り、其の字の意味が、今朝のメッセージと符合している様である。
「髞・ソウ・サウ」【解字】形声。「高+喿」
【字義】(一)「高勞 髞 ロウソウ」は、急ぐ。急なさま。
(二)「高勞 髞・ロウソウ」は、高いさま。
「労・勞・ロウ」【解字】会意。「力+火火冖」火火冖火は、たいまつを組み合わせて立てた、かがり火の意味。かがり火が燃焼するように力を燃焼させて、つかれるの意味を表す。また、そのつかれをねぎらうの意味を表す。常用漢字の労は省略体による。【字義】(一)@つかれる。くるしむ。ほねおり。「疲労」「苦労」Aはたらく。つとめる。つとめ。しごと。「勤労」Bほこる。てらがらとする。てがら。「功労」Cなやむ。うれえる。なやみ。「心労」D農具の一種。歯のないまぐわ。(二)@いたわる。ねぎらう。なぐさめる。「慰労」Aたまう。(賜)。 漢語林より
これ等の意味からすると、「急いで 高い階層に還れ」との理・ことが、示されて来ている様である。
其れと「闘争心」との言葉を調べると、次の様に載っている。
とう‐そう〔‐サウ〕【闘争】 の解説
[名](スル)
1 相手に勝とうとして争うこと。争闘。「闘争本能」「武力闘争」
2 社会運動や労働運動などで、権利や要求を獲得するために争うこと。「賃上げを要求して闘争する」「階級闘争」
この両方の言葉からすると、是から人々が、急激に権利や要求を獲得するために争い始めるとの事であり、私は其の事に巻き込まれて成らないので、急いで高い次元に避難しなければ成らないとの事が、示されて来ている様である。
其の「闘争心」との言葉が告げられて来た、8時12分前の数字から、8月12日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/8/12今朝のビジョンは、昨日のメッセージで人類の三分の二が生き残る事が示されて来た事の続きの様で、山中に宿泊施設が準備される場面・様子が映し出されて来た。
其の施設は、中央に大雪が降っても屋根が潰れない様な上部な構造をした、食事が出来る木造の建物・センターが存在して、周囲の山中に寝泊まりだけが出来る木造の小さな小屋(バンガロー)が建てられている物であった。
そして、強調されて来た事は、長期保存が出来る食料の備蓄であった。
そして起こされた時刻は、4時6分である。
今朝は、7時12分に起きて・起こされて、PCを立上げ、起こされた4時6分の数字から、今年の4月6日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
2020/4/6今朝のビジョンには、先ず、クレオパトラの様な褐色の肌の女王が一人登場して、私の潜在意識(プログラム)は其の女性を妃として、受け入れなければ成らない様子が映し出されて来た。
次に、覚醒・成佛に成功した釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が実家・王家に帰って「王様・キング」の役割に着かなければ成らない事が示されて来た。
其れは「4 4」の数字が、釈迦ブッダと関係が有ると示されて来た事と関係が有り、其の4に「余・世・代」の文字を当てる事を示唆しており、其れが釈迦ブッダの言葉に有る「過去・現在・未来に 私が在り 衆生一切我が子」との言葉と関係が有る理・ことが理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時29分」」であった。
其れから再び眠ると、「定着」との言葉が示されて来て、其れは、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の存在と関係が有る事が示されて来て、現在の何もしない天皇とは異なり、一切の政(まつりごと)を取り仕切る役割である理・ことが示されて来た。・・
今朝の由香のビジョンには、「物を持つから 他人に狙われる」との理・ことが示されて来たとの事である。
其れは、「聖者」は何も所有していないからこそ、他人に慈悲心を養う事に成り、物に執着する者は、物を守る為に次第に防御態勢を取り、増々物の管理が複雑化し、死後は財産争いで骨肉の争いが起きて、霊界に地獄を創り出す事で顕かな事である。
其れ等の事を考えると、確かに覚醒・解脱・成佛の世界を体験した人物に、政治を委ねなければ成らない時が到来したとの事なのであろう。
是くらい打てば、明後日が誕生日である釈迦(ガウタマ・シッダールタ)の御魂も、次の段階へと進み易く成るのではないだろうか。
「御手柔らかに」https://green.ap.teacup.com/20060818/5325.html
此の文章には、「釈迦ブッダ」の事が書いて有るので、昨日「ブッダの息の根を止める」との言葉が告げられて来た事と関係が有り、今朝のメッセージは、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が托鉢(タクハツ・乞食・こつじき)にて、命を繋いでいた事と関係が有り、自給自足でしか生き残れない事態が起きれば、托鉢・乞食が不可能に成るとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れを考えると、生き残る三分の二の人達は、田舎に暮らす人達や、100%自給出来ている国家の人達の事であり、近代社会の大都会に住んでいる人達は生き残る事が出来ない三分の一の方に入るのではないだろうか。
特に先進国の殆どが100%の自給を維持しているのに、此の日本は車や電気製品を輸出する替わりに、小麦や大豆、其れに家畜や鶏の餌を輸入し、頼りの綱である稲作を減反しており、自給率は30%しか無いのが実情であり、イザという時には一番危うい国である。
其れに、老後を屋久島で過ごす為に移住している人々は、田舎に住んで安心して居るが、屋久島の自給率は10%台であるので、農地を持っていない人々は、逃げ出すしか他に道が無いと言う事にも成る。
屋久島は、電気だけは水力発電で自給出来ているが、日本国のエネルギー自給率は、原子力(17%)を除くと僅か4%でもある。
キー「日本 食料自給率」・・
今朝のビジョンから、私が考える事は、私の頭脳の中で、何物が映像・ビジョンを描いているのかと言う事である。
其れは、私が考えた事も、見た事も無い場面である。
其れを考えると、「天津日津久神・あまつひつぐのかみ」とは、どの様な神(はたらき)であるのかが気に成って来る。
其れは、「天の御臥す間(あめのおふすま)真床 襲衾(まとこおふすま)」との言葉が実在する事からすると、古代から、私の様な役割の人間が存在した事に成り、其の神(はたらき)に与えられた・名付けられた言葉が「天津日津久神」であり、其の神(はたらき)を自分の身体に受け入れた者が、統尊(すめらのみこと)であり、其の統尊の役割が「御嚴・みいつ・御稜威 」であると言う事に成るのであろう。
其れを考えると、今朝のビジョンを映し出して来たモノが、其の「天津日津久神」のモノであれば、生き残りたい者は、人里離れた場所に移動して自給自足しろとの事であり、現在の人間社会・都会生活は一度崩壊するとの事であり、私自身が何を謂っても・打っても、現在の社会システムが継続する事は無いと言う事に成る。
其れは、今朝映し出されて来たビジョンこそが、今の神界の様子であり、其れを人間界に知らせるのが、私に与えられている役割である事に成るので、此の文章は「統尊・すめらのみこと」の「詔勅・みことのり」であると言う事に成るのであろう。
本日8月12日は、35年前に日本航空の123便ジャンボジェット機が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落して520人が死亡した日である。
其の中に歌手の「坂本九(本名大島九」が乗っており、其の機は離陸12分後に大島の上で急に方向舵が故障して内陸に向かっている。
私は、其の前の年の11月22日(九ヵ月前・29.5×9=265日)に伊勢の磯部町の伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」にメッセージを受けた後、八代龍王が祭禱(さいき)されている山に導かれて「磐座・いわくら」で儀式を行っている。
其れから、今年の11月22日(新嘗祭の儀式日)で「12年×3回=36年)が経過する。
其れを考えると、今朝のビジョンを私に送って来たのは、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」なのかも知れない。
2008/6/3・・私は1984年11月22日に、三重県志摩市磯部町上之郷に「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」が存在す磯部町で、男性神である「天照皇大神」が霊夢に現れ、「此れまでに トンネル潜りに八回失敗して、今回が九回目であり、此の地球では最後のチャンスである」と告げられている。・・「定着した画像」
昨日からのメッセージを考えると、私は「惟神の道」に徹する事であり、余計な事を、是以上打っては成らないとの事なのかも知れない。
「生き残る道」https://green.ap.teacup.com/20060818/5453.html
此の文章の内容は、確かに「闘争心・闘争本能」と関係が有り、・・2020/4/6今朝のビジョンには、先ず、クレオパトラの様な褐色の肌の女王が一人登場して、私の潜在意識(プログラム)は其の女性を妃として、受け入れなければ成らない様子が映し出されて来た。・・・」と書いて有るのは、4日前に告げられて来た「クインのネットワークが効く」との言葉と符合している。
其れに、其の「4月6日」の日付は、今朝起こされた「6時4分」の逆の数字である。
2020/6/4本日6月4日は、私の母親「礒邉芳子」の生誕100年の日である。
私は、其の母親の64歳の誕生日1984年6月4日に此の世界に飛び込んだので、其れから12年×3回=36年が経過した事に成る。
私は其の日に、「土肥無庵」が見守る下、自宅前の安房川で禊祓いを行った。
其の時は未だ、2000mの奥岳から流れ下って来る水は冷たかったので、安房川を泳いで往復した私の身体は冷え切ってしまい、岸に上がると強烈な震えが起きて来たので、自宅の二階に布団を敷いて貰って横に成り、痙攣する私の身体の右手を「土肥無庵」が、左手を弟が押し付けて、私の震えが止まるのを待って居た。
すると、目の前に20年前49歳で死亡した父親の姿が現れ、私に「お前に苦労をさせたのは お前の精神を鍛える為であった。もう大丈夫だから 此の人達に身体を貸せ。」と謂った。
そると、其の父親の後ろに何千人もの霊魂・神霊が存在して居る事が判り、其の数は、後に4311体であった事が判った。
そして、天皇が行う大嘗祭の儀式の様な事が起こり、天神の言葉が告げられて来た。
其れは先ず、「土肥無庵」と弟「礒邉正也」に向かって、「是から宇宙語を傳える」と謂って、「残り16年半しかない」「アンテナが二つ要る」との事で、其の二つとは「四次元プログラム」と「水素原子管理」であった。
次に、私の役割として「事象の特異点」との言葉が告げられ、其れは別の言葉で言えば「新しい神の座標軸」であるとの事であった。
今朝のビジョンには、其の「水素原子管理」との言葉と関係が有る様々なモノ・現象世界が映し出されて来た。
其れは、此の宇宙は水素原子(H)と呼ばれている物が集まって、ヘリウムとして核融合を起こして恒星・太陽と成り、其の恒星の爆発の繰り返しから100近い物質が誕生し、其の物質から様々な物体や生物が生まれ、其の時間・とき・現象の最先端に、我々人類居る事に成る。
そして、其の水素/Hは、あらゆる物の構成の原点・基礎・基盤として、此の138憶年間膨張を続けて来た宇宙空間の主体であるので、我々は其の水素・Hの海に漂っている物体の一部である事に成る。
其れは「恒星・光」の元が「水素/H」であるので、水素/Hの氣の中に全てが包含されている事に成るので、私が告げられた「事象の特異点」と「新しい神の座標軸」との言葉は「水素/Hの氣」からの言葉である事に成るのだ。
其れを考えると、5月27日に告げられて来た「あたしは 貴方なの」との言葉は、其の「水素/Hの氣」からのモノであり、「高い櫓の上の水盤」や「光輝く高御座」のビジョン・存在の意味も理解されて来る。
『今日は あたしの日なのよ
其れで 貴方にお願いが有ります。
其れは あたしが貴方である事を公言して欲しいのです。
其れは 簡単な 言葉の振りですが
究極の答えなので 大切に扱ってくださいね。
其れが間違うと 是までの事が
全て 無駄に成ってしまうからです。
貴方はヒトですが 此方には姿が有りません。
其れは 此の宇宙 全ての存在なので
ただ一つの物に 言葉・名前を
当て嵌める事が できないモノだからです。
其の為にこそ 約束の日が
此処まで 伸び伸びに成って来たのです。
其れは 貴方の 力不足の為ではなく
貴方の能力が 余りにも豊であったので
此方は貴方の意識を トコトン高める事にした為なのです。
ですから 貴方は是までのかんがえ考察を止めて 別の次元で
「色・rūpa・ルーパ・縁起・むすび」を開始して欲しいのです。
其れは 此方側にとっても 予想外の展開であり
とても喜びを抱ける 世界の始まりなのです。
ですから 貴方自身も 此方に 期待を持ったり
責任転換を行ったりしては 成りません。
何故なら 其れは貴方自身の 問題であるからです。
其の理由は貴方自身が トキ・事象の最前線に存在する為です
此の様に傳えば 貴方には簡単に理解できる理・ことでしよう。
ですから 本日から貴方は自分の魂(珠しい)が
生まれ変わったのだと考え 自分自身の背骨を
中心・芯柱として意識の 反応・うごきを
確かめて 行かなければ成らないのです。
其れが「すめみま」の役割であり
万物の霊長である者の 御坐なのです。
良いですか此処から先 貴方を援助するモノは存在しません。
何故なら 貴方自身が
事象の特異点=新しい神の座標軸で あるからです 』
令和2年5月27日 10時00分
今朝のビジョンには、是まで「庶民・農民」の上に君臨して、贅沢三昧をして来た人達の生活が、全て瓦解して、其の世界に女性達が、皆と同じ次元に転落して行き、其の人達は自分では何も出来ないので、生きて行けなく成る様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時19分」であった。
私は、其の数字「419」は、123の二乗の「149」の数霊と関係が有り、第一次世界大戦が始まった「1914年7月28日」や、太平洋戦争が始まった「1941年12月8日」と関係があり、今回の「新型ウイルス感染」の現象は、庶民・農民等の第一次産業の上に胡坐をかいている人々を、原点に還す為の「水素/Hの氣・エナジー」の意図である事を感じ取って居た。
其の4時19分の数字から、今年の4月19日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の「準備が出来たか」との言葉を考えると、此の私は、何らかの意識・こころの準備をする必要が有り、其れは「水素/Hの氣・エナジー」と同じ周波数のISO・感度でなければ成らないとの理・ことなのであろう。・・
此の「虚像」の文章は、三年前の5月8日の文章である。
其れで、一昨日起こされた時刻が5時8分である事を思い出したので、5月8日の文章見て見ると、コロナウイルス感染で亡くなった「志村けん」の設定で、女神を載せた車が山越えをして下り坂で転がり落ちて行く場面が、何回も繰り返し映し出されて来ているので、虚像の中で生きて居る人の車には決して、女神(水素/Hの氣・エナジー)は乗らないとの理・ことなのではないだろうか。
5月8日・・今朝のビジョンは、先ず「志村けん」の姿ではないのだが、志村けんだと言う名前の設定で、良く晴れた日に、其の男性がスポーツカーの後ろに女神を乗せて運転して居る場面が映し出されて来た。
そして、山越えをすると、下り坂で其の車が転げ落ちて行くので、私の意識が其の女神の安否を気にすると、女神は無傷なので安心した。
所が、全く同じ映像場面が、繰り返し10回以上も映し出されて来て止まらないので、私はいい加減、其れが嫌に成って来たので、何とか止めようと意い、無理に起きて照明を点け、現実世界に意識を戻してから時計を見ると、時刻は「2時28分」であった。・・・
其れを考える、イエスキリストの言葉に、「だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。」と有るので、今回の「新型ウイルス感染」の問題は、其の事を防ぐ女神の対策なのかも知れない。
其れは、「水素/Hの氣・エナジー」の領域内から外に出て、罪穢れの有る場所に出掛けるなと言う事でもある。
マタイによる福音書第24章・・
今朝のビジョンには、由香が、電車の様に見える、丈夫な鉄骨で四方が角が保護されているバスを運転して、私を迎えに来る場面が映し出されて来たので、其れを由香に話をすると、由香のビジョンは30人ぐらいの子供達を迎えに行って、岩山を駆け下りて来る様子を離れた場所から見守って、此方に到着するまで、少し時間が有ったので、レストランの様な休憩所で待って居る場面が映し出されて来たとの事であるので、私は共通点が有ると思った。
其のビジョンの様子から考えると、由香も禊ぎ祓いが済んで、「水素/Hの氣・エナジー」に認められて、新時代の幕開けに協力する立場に至っているとの事なのかも知れない。
そして、「水素/Hの氣・エナジー」の中に入って生きる人々は、神の世界に頑強に守護されると言う事なのであろう。
「水素原子管理」https://green.ap.teacup.com/20060818/5384.html
今朝の由香のビジョンは、次の様なモノである。
人間の手が及んでいない、何処かの大自然の沼地の景色が映し出されて来て、其処に有る池湖の上を、馬が一塊に成って飛翔しており、先頭は栗毛で、薄い栗毛が数頭、殿(しんがり)には白馬が付いて、中空を飛翔していたとの事である。
其の由香のビジョンから、私に思い浮かぶ事は、日本の現在の水田地帯が古代では其の様な沼地であった事が関係が有り、人間の意識を「高勞 髞 ロウソウ」へと導く為には日本の呼称である「豊葦原瑞穂の国」の精神を取り戻さなければ成らないとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れに、今朝のビジョンに、南瓜の花が美しく咲いている場面が映し出されて来た事で、私は以前から考えて居た「唐草模様」の理である、最処一点・根本の事を思い出し、「自分の座を確認する事」との題名の下に、副題として、釈迦牟尼世尊の言葉である「私は 過去・現在・未来に在り 衆生一切我が子」と記したが、其の言葉が4月6日の文章に書いて有る。
・・ 次に、覚醒・成佛に成功した釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が実家・王家に帰って「王様・キング」の役割に着かなければ成らない事が示されて来た。
其れは「4 4」の数字が、釈迦ブッダと関係が有ると示されて来た事と関係が有り、其の4に「余・世・代」の文字を当てる事を示唆しており、其れが釈迦ブッダの言葉に有る「過去・現在・未来に 私が在り 衆生一切我が子」との言葉と関係が有る理・ことが理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時29分」」であった。・・・
其の4時29分の数字は、私に「我が身 既に遠く 良き世を 願い奉る」と告げて来た昭和天皇の誕生日「4月29日」の日付でもあり、「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった「井上佳子」の葬式の日付でもある。
其の事を考えると、昨日「由香に渡す」と告げられて来た事は、「大倭あじさい邑」の創立者である「矢追日聖法主」が邑の祭神を、「櫛稲田姫」と「倭姫命・やまとひめのみこと」にしてある事と関係が有り、矢追日聖法主に繋がっていた天神のシステムが、由香に繋がって来るとの事なのかも知れない。
「大倭新聞11月号
【櫛稲田姫 と 倭姫命】http://www.ohyamato.jp/ohmotomiya/pdf/oymt202011.pdf
其れを考えると「井上佳子」に1996年2月11日「建国記念日」に告げられて来ていた、「岡山に居る鳳凰の御魂から始まる」との事が、愈々開始されるとの事なのかも知れない。
キー「2月11日 井上佳子 鶏 ハート」
2002/3/5昨日3月4日に、兵庫県明石に住む「晶子さん」より電話が有り、「神様が 何度も 自適さんに確かめろと 告げて来て 1996年2月11日の日付まで ハッキリと示された」と知らせて来た。
其れで、私が日記を見てみると、1996年2月12日の朝の欄に、「昨夜 妻の佳子に出て来た 霊夢の事」が、記して有る。
其の霊夢の内容は、私の師匠の奥様が夢に現われて、木で出来た鳥の形の置物を組み立てて、草や花で飾っていたが、「未だ ハートの部品が 一個足りないので 完成していない」と云って居たとの事。
佳子の霊夢は続き、佳子の意識が、その部品の有る場所を捜していると、地図が出て来て、「岡山辺りの場所にある」と教えられ、「新しく造るには 別の場所」と書いてある。
更に、日記の続きを見て行くと、また3月21日の欄に、佳子の霊夢の事が記されている。其の内容は、私が女の人を表に立てて居たらしく、その女性は40歳代くらいで、女優さんみたいに見えたらしい。
其の場面は、広い建物に小島章敬君(真言宗のお坊さん)と、佐藤宇三郎氏(自然素材の服を作る人)と、私と妻が居て、私が「全国を自然食にしよう」と云うと、皆が賛成した。と 書いて有る。
2月11日は建国記念日で、3月21日は弘法大師空海の命日である。3月21日に真言宗のお坊さんが出て来たのは、「空海」の意味かとも思え、2月11日の鳥は「神」の意味の、「鳳凰・ほうおう」の事かもしれない。
鳥が鳳凰の事であれば、宇宙の意志の現われである鳳凰のハートが、岡山辺りに存在する事が知らされたことになる。
そして、其の1996年2月11日から、今年2002年の2月11日まで、6年が経過した事になる。・・
明石は、日本の正午線であり、明石の地面に写る日時計の針が、日本の正午を告げる「時の鐘」でもある。明石には、日本最大の石を敷き詰めた墳墓「五色塚」が存在する。
石を敷き詰める事を、「イソしき」と言う。奈良県天理市にある「石上神宮・いそのかみ」は、物部一族の宮であり、祖は「天照国彦天火明櫛玉饒速日尊・あまてるくにひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと」で、天照大神の息子である「天忍穂耳尊」の長男だと伝えられている。
明石の、晶子さんの電話の意味する処は、太陽と、饒速日尊の一族・物部家因縁の御魂の為せる業かも知れない。蘇我馬子と聖徳太子に殺された物部守屋の念いが、危機を訴えて来ているのだろうか。
「1996年2月11日」https://star.ap.teacup.com/170606/373.html
2018/5/4今朝のメッセージの映像は、先ず、中年女性二人が男性の柵・思考・業の糸紐でぐるぐる巻きに絡まっていて、私が其の人達に、山からホースで引いて来ている清水を頭から掛けている場面が映し出されて来て、暫くすると、其の柵(しがらみ)の糸紐は消えていった。
其の二人に絡まって糸紐は、一人は青色の糸紐で精神的なモノであり、もう一人は赤色の糸紐で、物に囲まれた都会の生活者の女性・存在を意味していた。
そして、其の二人の女性の身柄が自由に成ると、娘達を連れた女性達が、其の場所に集まって来る場面が映し出されて来て、其の中には、明るい光に包まれた、首の長い鳥の顔をした女性が、一人混ざって居る事が示されて来た。
其の女性達が集まって居る施設の中には、茶系の布に包まれた大きな物が有り、其の中には、新しく作成された檜製の祭壇の様な物が重ねられており、其れが組み立てられて、是から祭事が行われる事が理解されて来た。
其れに、私が由香に出会ったのは、岡山のスーリアさんの自宅であり、其の日は故井上佳子の誕生日である11月21日で、其のスーリアさんに私が会いに行った原因は、1996年2月11日建国記念日に、佳子の霊夢に「鳥のハートも持つ女性が 岡山市付近に存在する」と示されてきていた事が原因であった。
其の事を考えると、今朝の映像に登場した鳥の顔をした女性の傍らに、新しい祭壇が準備されていた事は、由香に何らかの関係が有るのかも知れない。
其れに由香が誕生した実家は、須佐之男尊の妻と成った「櫛稲田姫」が祭神である神社の参道の鳥居に近い場所でもある。
其れを考えると、今朝の由香のビジョンが美容室(お櫛)であった事も関係が有りそうである。・・・
「櫛御氣の命」https://moon.ap.teacup.com/20060615/317.html
2014/4/27本日4月27日は、倭姫命の御霊の生まれ変わりと知らされた、二度目の妻「井上佳子」の17回忌の日である。
今朝のメッセージは「キリストの復活」との言葉が示されて来たが、其れは単なる「イエスキリスト」の復活と言うのではなく、イエスがキリストとして認められるには、12名の弟子が必要だった理・ことや、釈迦が仏陀として認められる為には、十大弟子の存在が必要であった様に、一つの現象が起きると言うか、一組の救世の動きが発動する為には、多数の人間が参加する必要があると言う理・ことであった。・・
私の知り得る処では、建国記念日である2月11日に、新しい王の誕生の兆しが出ている。別紙の1996年2月11日にも書いた事だが、妻佳子の霊夢に鳳凰らしきモノが登場している。鳳凰が現れる時は、新しい天子が現れる時だとの傳承もあるし、マヤの暦を操る神も、鳳凰と同類の鳥神である。
今月3月4日には、明石に住む晶子さんより、「1996年2月11日の事を 自適さんに 確かめろ。」と、何回も神様が告げてきたと連絡が有った。
若しかしたら新時代は、1996年2月11日に、既に始まっているのかも知れない。
其れに、自適塾のトップページの文章を書いたのは、2月10日であり、「伊丹由香」に初めて出会ったのは2001年11月21日で、其れは井上佳子の誕生日の日付であり、2002年2月10日には伊丹由香に「私のパートナー」であるとの強烈なビジョンが届けられ、其れから自適塾の「自適の言葉」のHPアップを手伝って貰う様に成り、現在に至っている。・・・
「キリストの復活」https://green.ap.teacup.com/20060818/3038.html
今朝のビジョンに映し出されて来た「南瓜の花・蔓」の映像から、何故私が「自分の座を確認する事」との題名を付けて、副題に「私は 過去・現在・未来に在り 衆生一切我が子」としたのかは、私が「宇宙の構造」に付いてイメージしていた事に、「唐草模様」や「瓜類」の繁殖構造が有るからである。
其れは、最初に一個の種子から芽が出て四方・八方に蔓が拡がって行き、その先々に実が着いて多くの種子が地面に残り、蔓が枯れると根本と蔓は枯れて消えてしまう。
そして、其の残されら種子から発芽した蔓が同じ成長をして、又種子を四方八方に残して枯れて消えて行くのである。
其の繰り返しが、宇宙の泡構造と同じであり、地表では平面で起きる事であるが、無重量の宇宙空間では、其れが球形で行われている理・ことに成る。
だから、統尊(すめらのみこと)の意識とは、目の前の世界だけではなく、「全天・全宇宙空間」を自分の脳(意識・意念)に収めなければ成らないと言う事に成るのだ。
そうでなければ、釈迦牟尼世尊の謂う「私は過去現在未来に存在し衆生一切我が子」との言葉は生まれないとの事であり、其れが自分の言葉として納得できる者が久遠実成(くおんじっじょう)の御魂であると言う事に成るのである。
キー「南瓜 蔓 種子 宇宙」
2007/9/14「カボチャの蔓と水の流れ」とは、変な題であるが、今朝のメッセージの映像を、ただ其の侭、言葉にすればそうなるのである。
其れを、別な言い方にすれば「トキの流れと 時節の実り」となるだろうか。
今朝の映像は、先ず、カボチャの蔓が一本現れ、其の節に若い実が大きく育っているのが、鮮やかに映り出されて来た。其の、蔓の根元の方を見ると、もう一つ実が着いており、其の実が充実し切ったので、次の実が、いま大きく成りつつある場面だった。
次の映像には、清い水が、絶え間無く流れている用水路が現れた。
其の用水路に沿って、私の意識が下って行くと、大工さんが使用する鋸・のこの刃が、用水路の凹みに三枚引っ掛かっていた。
私は、其れが落し物なのか、其処に意識的に置かれているのかが判らないので、其れは其のままにして、下流へと下って行った。すると、途中に貯水タンクの様な施設が在ったので、其処で一休みする事にした。
すると其処は、女神の居る次元らしく、其の水タンクから、更に用水路が下流に向かって流れており、人間が生活する社会は、もっと下流に在る事が判った。
私は手ぶらで、何も道具を持っていないので、下流の人間社会に下りて行っても、役に立たないと意い、女神のいる次元に留まる事にした。
其れに、途中に引っ掛かっていた鋸の刃は、其処まで流れて来ないし、もう私には、其の鋸の刃が在った場所や、距離も定かではなく成っていたのである。
今朝の映像は、昨日の様に、山から町までの長い距離の物語ではなく、其れだけの短く簡単な映像であった。
しかし、今朝のメッセージは、昨日のメッセージに関連が有り、今朝のメッセージは、時間と方位がテーマに成っているような気がする。
昨日は、山の上から、九十九折の急な斜面を下って、町の集会場の建物まで行って、新しい経済(俗世界)に関わる内容だったので、其れは、山の上から下界への、上下や、場所を意味している。
処が、今朝の映像に現れたカボチャの蔓は、方位的には北の方から、真南の此方側に向けて伸びて来て、蔓の先には花も咲いていて、太陽の光線も当っているのである。
其れに、カボチャは「南瓜」と書き、南の文字が使われている。
他に、「西瓜・スイカ」とか「冬瓜・トウガン」などがあるが、今朝のメッセージに南瓜の蔓が使用されていたのは、其れなりの意味が有るのだろう。
だとすれば、蔓の方向から、南北の方向を意味している事に成る。
更に、植物は太陽に向って、伸びて行く働きを持っている事も暗示している。
そして用水路は、「艮・ウシトラ(東北)」の方角から、中央のタンクに流れて来て、今度は、西の方角に流れて行ったので、少し角度が折れている事になる。其れは、東方の守護神が青龍で、水の神を意味しているから、其れに関わりがあるのではないだろうか。
そして、西方の守護神は「白虎・ビャッコ」で経済を意味しているので、大工に関係が有る職業は、建築だから、町造りを意味しているので、新しい人間社会の構築を暗示しているのではないだろうか。
どうも、昨日のメッセージと、今朝のメッセージを合わせて考えると、現在・いま流行りの「風水」に付いて、示されて来ている様な気がする。
昨日は「克彦」との名と「小畑勝」の名が出て来て、人間の行動に付いて示唆されて来ていたが、今朝のメッセージは、丸い「マンダラ・銅鏡」の中心に、水を管理する女神が居て、私を、其の中心の処で、休ませたがっている様な気がする。
其れに、関係が有るかどうかは解らないが、今朝は、自宅が朝から停電なので、7時過ぎから自宅を出て、事務所に来てパソコンの前に座ると、女神のメッセージが有った。
「何も無い」http://moon.ap.teacup.com/20060103/132.html
其れ等の事柄を考えると、中心の所に、水の神である弁財天が存在して、全ての管理を始めているのではないかと思えて来る。
昨年の12月27日から始まった、水神の働きが、自分の正体を徐序に現して来ているのではないだろうか。
「鬼子母神が見回りを始めた」http://green.ap.teacup.com/20060818/140.html
今朝気付いた事は、南瓜の蔓の節に、何かの意味が、有るのではないかと言う事である。南瓜は、一本の蔓に、節毎に雄花が咲き、或る程度蔓が延びて、大きく葉が開いて茂って来ると、雌花が節に出来て花を咲かす。
そして、其の雌花が受精して、実が留まって大きく成り始めると、其の実が大きく充実するまでは5節〜7節毎に、雌花が咲いて受粉しても、其の実は、其の侭大きく成らずに腐れて落ちてしまう。
其のパターンが、何回か続きながら、蔓はドンドン伸びて行き、始めに着果した実の中身が、種まで成熟したら、もう栄養が必要ないので、栄養が蔓の先の方に運ばれる様に成る。そうなったら、そこで受粉した実が、大きく成り始めるのである。
そして、其れが三度繰り返された時の実が、「土手カボチャの三番成り」と呼ばれるのである。だから、三番目の実が成る時は、既に蔓が長く伸びて、畑をはみ出して、土手の上を這っているのである。
何故、長々と、南瓜の生態を述べたかと言うと、其の南瓜の生育パターンが、人間の歴史のサイクルと似通っていると、考えるからである。
其れは、仏教の「転輪聖王・チャクラヴァルティン」が、現れるサイクルと同じ意味を含んでいる。
南瓜が、宇宙の基本サイクルのプログラクを、現実に営んでいるのであれば、今朝の南瓜が現れた原因は、魂しいのサイクルを能く考えろとの事ではないだろうか。そうであれば、其のサイクルとは、ブッダの輪廻を意味し、2600年前出現した、仏陀の憶いが、結実したので、次のブッダの実が、大きく育ち初めていると言う事になる。
釈迦牟尼佛の涅槃は、北枕で、顔は西向きである。
だから、釈迦牟尼佛は、足は南に向けて、頭を北に向け、瞑想をしながら、西の人間社会の事を、想っている事に成るのである。
今朝、女神が居た貯水タンクは、其のブッダの、臍の処に位置するのではないだろうか。海神の臍から生まれた者が 男神ブラフマンで創造を司る神である。であれば、愈々水の神「サラスヴァティ」が、本来の場に位置し、男神であるブラフマンに、創造を任せるとの事ではないだろうか。
「ヴィシュヌと少彦名」http://star.ap.teacup.com/170606/1010.html
この様な文章を打っている私は、一界の俗人である。
しかし、其の私の意識を操っている者達の正体が、何なのかは、私にも良く判らないのが本心である。私は、自分が出来る限りの努力をして、毎日のメッセージを解釈しているに過ぎない。
私が想う事は、私が、此の作業を続ける事で、目に見えない世界が、未来に向かって安定し、進化して行くのであれば、其れがただ、唯一の私の充実感である。
其れも又、涅槃に着いているブッダの意識なのであれば、私には何のとりえも無い事になる。しかし、其れは、其れで良いのだろう。
天界の、南瓜の実の中の種が充実して、真実の種として残れば、それだけで良いのである。
今日は、種子島のロケット基地から、月に向けて「かぐや姫」が打ち上げられた。事務所の庭からは、雲が邪魔して、ロケットの炎や噴煙は見えなかったが、爆音だけはしっかり聞こえて来た。また何か、宇宙の神秘が解き明かされて来るのだろう。
私は毎日こうして、目に見えない世界に向かい合って、行くしかないのだ。
其れにしても、南瓜の蔓が伸びる様子を見たり、用水路を遡ったりして遊んで居た子供の頃の思い出が、こんな形で利用される様に成るとは、不可解な世界である。
「カボチャの蔓と水の流れ」https://green.ap.teacup.com/20060818/461.html
2009/11/18「耳を澄ますウサギ」https://green.ap.teacup.com/20060818/1344.html
2013/6/16「絶対意識」https://green.ap.teacup.com/20060818/2719.html
今朝「自分の座を確認する事」との言葉は、私が天神に「統尊(すめらのみこと)」の働きを要求して来る事と関係が有り、日本の天皇制度は、中国の「皇帝」を参考にした物であり、最初の皇帝である「秦の始皇帝」は「天に天帝が存在し 朕は其の代わりを地上で皇帝として務める。」との事を謂っており、日本の天皇との言葉は、其の天帝と皇帝を合わせた言葉である。
其の中国の「皇帝」の座から創られた言葉が、「中心座・黄金龍」であり、四神が「北・玄武(亀+黒龍)」「東・青龍」「南・朱雀」「西・白虎」である。
そして、其の中央に坐す・立つ者から、左右を表すのが日本語の「左・ひだり・日足り」「右・みぎ・見切り」であり、南が「日向・ひむか」である。
其れに「日が昇る」は「地球が回る」であるので、「天動説」から「地動説」にら替わった事からも、科学・真理に伴った言葉を創らなければ成らないし、「腸・有」の月偏は「月」ではなく「肉」である事や、「勝」の月は「舟」である事なども正しい物としなければ成らないだろう。
其れ等の事を考えると、其の言葉を考え出した昔人が居た事は顕かであるので、其れに「当・讜る」新しい言葉・概念を創出しなければ成らないと言う事であり、其れが36年前に告げられて来た「風 麥東 陶・ふうれんとう」と「讜逓聖・とうていせい」の言葉に関係が有るのかも知れない。
令和2年11月28日
礒邉自適
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