1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2020/11/24
あからさまに謂う
2・11・24
今朝のメッセージは、先ず「発表・はっぴよう」との言葉が告げられて来て、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「1時30分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私が何等かの会議を招集しなければ成らない様子が映し出されて来て、何時・何処で・何の目的でを探って居ると、左の耳元でアカイエ蚊の羽音が聴こえ意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時10分」であった。
其れから再び眠ると、今度は「あからさまに謂う」との言葉が聴こえて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時24分」であった。
其れからPCを立上げ、先ず「あからさま」を検索すると次の様に載っている。
あから‐さま の解説 国語辞典
[形動][文][ナリ]
1 包み隠さず、明らかなさま。また、露骨なさま。「あからさまに非難する」「あからさまな敵意を示す」
2 物事が急に起こるさま。にわかなさま。
「嗔猪 (いかりゐ) 、草中より―に出でて人を逐 (お) ふ」〈雄略紀〉
3 一時的なさま。ほんのちょっと。
「をかしげなる稚児 (ちご) の、―にいだきて遊ばしうつくしむほどに」〈枕・一五一〉
次に、今朝「発表」との言葉が告げられて来た「1時30分」の数字から、1月30日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/1/30本日1月30日は、私の74歳の第一目であり、今朝のメッセージは其れに相応しいモノであった。
昨夜は、入浴を済ませてから、神棚が有る部屋に入って、寝る準備を整えて居ると、行き成り頭上から、強く「ザー ザー ザー」と電波の様な物が、体内に染み込む様に降りて来る音が聴こえて来て、其れは屈み込んでも止まらずに、心拍程の感覚でしばらく続いた。
そして、少し落ち着いてから時計を確認すると、時刻は11時1分前であった。
そして、眠ってからのメッセージの映像は、体育館の様に広い空間・室内に20数名の男女が集まっており、私が祝詞か讃美歌の様な歌(マントラ)を歌い始めると、全員の身体が空中に浮揚し始めて、皆が天使・天女の様な気持ちに到達している事が感じられた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時50分・3時10分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私が姿の見えない男性に案内されて、何処かの受付のカウンターに到着し、私が自分の手に持っているパンフレットか申し込み用紙の上に、丸い黄色のバッジを載せて一緒に置くと、其の受付の人物が、紙面とバッジは全く関係の無い物であり、紙面の方は自分が受け取って、バッジの方は左隣りの机に座っている70歳位の男性に手渡した。
すると、其の男性は、其のバッジの意味が解っている様で、私に向かって二枚の名刺を出して、其の二人に会う様に勧めた。
其の二枚の名刺は、揃えて出すのではなく、左手と右手で別々に離して置いた。
其れは、私に左右の手で受け取れと、暗示している様であった。
其の二枚の名刺は、男性の物であり肩書が澤山書かれていたので、余程位が高い立場・役職に就いている人物である事が理解された。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時20分」であった。
其れから再び眠ると、今度は明るい世界に、文字が澤山記されている画面が映し出されて来て、其の文字が、私の目の前を、右側から左側に流れて行くのだが、其の文字は画数の多い漢字でもなく、日本語の平仮名でもない文字で、全く私には読み取れない文字・文章なのである。
私は其の文字文章が、何処の国の物であるのかを探ったのだが、心当たりが全く無く、其れは新しい時代の為に準備された物である事が、理解されて来た。
次に、黒い電気コードが伸びている場面が映し出されて来て、私が其のコードを辿って行くと、其の先には解読機械の様な物が存在するので、8ミリ映画のフイルムを見る様に、小窓から内部を透かして見ると、其の簡単に見えた文字の様な物は、記号の役割を果たしている物であり、機械を通すと、全ての記号が難しい、画数の多い漢字文字ばかりである事が理解されて来た。
其れで私は、未来の通信言語は「象形文字・表意文字」で物事・表示が明確に成る物であり、中国の漢字が「人工知能・AI」にて、世界共通用語に成る事が理解されて来た。
今朝起きた・起こされた時刻は、「8時54分・9時6分前」であった。
今朝の始めの映像は、昨日私に告げられて来た「一皮剥ける」との言葉と、由香のビジョンの「虹彩」の世界と関係が有り、宇宙の働きが一段進化した事を示唆しており、太陽光・磁気の存在・神(はたらき)が、人間に自覚される次元に至ったと言う事であり、神(はたらき)と人間の意識の壁が、無くなるとの事の様である。
其れは、人間の意識が「天使・天女」の様な立場に至るとの事であり、人間誰もが、太陽・ラーの磁気エネルギーを感知して、美しいオーロラの様な振る舞いが可能に成ると言う事である。
其れで、今朝の文章の題は「オーロラ瞑想」とした。
今朝のメッセージの様子からすると、一昨日の午後3時33分に、私の身体に、完全なブッダの意識状態が、収納された感覚が満ちて来た事が、関係有りそうである。
其れは、1984年6月に感じた「大悟・覚醒・成仏」の感覚とは、雰囲気が変わったモノ・現象であり、以前の其の時は、自分に光エネルギー・宇宙の情報が全て流れ込んで来て、歓喜が溢れ出す様な感覚であったが、一昨日の其れ・現象は、「全宇宙」と自分の肉体の全細胞・全感覚が「同調・安定・確定」した様なモノであり、其れこそが完全に、悩みや不安や興奮が何も無く「絶対の安心・安泰」の感覚・態勢であったのである。
其の感覚・態勢の結果として、昨夜、天空・宇宙の電波・波動が、私の身体に音を伴って降りて来たのであろう。
其の様に考えると、一昨日の午後3時33分に「完全なブッダ」と成る現象が起きた事は、私が平成元年3月13日の午後3時33分に阿蘇の「日の宮幣立神宮」の境内に在る「地球平和道場」で「日(太陽)の宮の神」が私の肉体に降りて来た事と、同じ年の9月3日の夜中3時33分に、聖徳太子の御魂が「漸く高天原に達した。リンザイから始める」と告げて来た事が、臨済宗の事ではなく、「神の臨在」との事であり、其れが一昨日実際に「降臨・臨在」したとの事なのかも知れない。・・
今朝起こされた時刻から、昨年の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
2019/3/10今朝のメッセージの映像には、古い三系統・三段階の鉄道の存在が有る事が示されて来て、其の古い鉄道や駅や列車が全て撤去されて、新しい物(システム)が造られる事が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「4時30分」であった。
其れから再び眠ると、今度は新しい列車が、右側後方から左前方に走行している場面が映し出されて来て、其の先頭列車の中は昼間の様に明るく、未だ数人程しか乗っていない事が判り、ガラガラの空席状態である事が示されて来た。
其れから、女神か男神か判らない声で、「全てが貴方の望む儘」との言葉が告げられて来た。
時刻は2019年3月10日8時18分であった。
其の数字から、私は2005年3月10日の夜に、全ての情報が私の身体に繋がって来る現象が起きた事と、平成18年8月18日にマヤ・アステカの神(はたらき)である「ククルカン・ケツァルコアトル」から「約束は守られる」と告げられて来た出来事を思った。・・
此の「時間は管理するモノ」の内容からすると、私が探し出した宝物は「時間・とき」である事に成りそうである。其れは、「時間は金なり」との言葉に通じており、我々人間は自分の持ち時間をどの様に使うかが、最も大事であると謂う事になる。
今朝のメッセージの映像に映し出されて来た、三系統の軌道が刷新され、其の列車に乗り込む人間が必要であるとの事は、愈々人類の未来・新時代が始まるとの事が示されて来ており、其れが5月1日に元号が変わる事と関連している。
其れも、古い形(軌道)が滅びる事の原因である様に感じる。
何故かと謂うと、現在の皇室や宮内庁には、私に告げられて来る・降りて来るメッセージは全く届いていないからであり、天皇に降りるべきメッセージが私の方に来ているからである。
諺には「陰極まれば陽に転じる」との言葉が有る。
其の「陰」とは、物事が膨張・拡散してエネルギーを失い霧散して行く理・ことを意味しており、其の中に新しいモノ・事象の種子(場・実)が生じる理が「陽」の世界である。
其れは巨大に育った樹木が、自分で根や枝葉を管理できなく成って倒れた後に、太陽光が当たるので、新しい樹木の種子が芽を出して生長し始める事と同じ理である。
今朝のメッセージは、正に其の諺(ことわざ・言技)通りの出来事が始まる理・ことが示されて来ている事に成りそうである。・・
「全て貴方の望む儘に」「地上に降りる神霊達」
此の「地上に降りる神霊達」の文章の内容からすると、今朝の映像で、私がバッジを渡した男性が、私に二枚の名刺を出した事と関係があり、私が会わなければ成らない男性が二人存在するとの事であり、其の二人は、私と同じ様に、今回の神の計画・プログラムの為に、前以て降臨・臨在しているとの事なのではないだろうか。・・
此の「中庸の谿で戦う」文章の内容からすると、今朝の映像で、私のバッジを受け取った男性が、私に二枚の名刺を左右に分けて置いた事が関係が有り、私には左右の翼(左大臣・右大臣、左議政・右議政)が必要である理・ことを、示唆しているのであろう。
何れにしても、今朝のメッセージは、此の私が74歳の一日目に、新時代の幕開けが示されて来ている事に成る。
そして其の事の為に、「全て貴方の望む儘に」「地上に降りる神霊達」「中庸の谿で戦う」との文章の日付の時間に、起こされたのであろう。
「オーロラ瞑想」https://green.ap.teacup.com/20060818/5258.html
此の文章の内容からすると、私は先ず「中庸」の立場で、左右の翼(左大臣・右大臣、左議政・右議政)を找し出さなければ成らない様である。
次に、「会議」を行う必要が示されて来た「4時10分」の数字から、4月10日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/4/10今朝のビジョンは、先ず、一昨日のビジョンで二人乗りしていたオートバイが映し出されて来て、其のオートバイは金属製の物ではなく、陶器製(粘土・珪素とアルミの化合物)の物である事が判った。
次に、後ろに乗って居た男性の他に二人の男性が手伝ってくれて、大量の餅を搗き上げ、其の作業が済むと其の三人は帰って行った。
私は一人で、其の大量の餅を切り餅にして、20mもの長さが有りそうな、登り窯の様な竈(かまど)の上に並べる作業を始め、其れが済んでから竈の入り口に火を入れた。
すると、70歳位の男性が通り掛かって、私が行った作業の手順を調べて、儀式に間違いが無い事を確認してから、納得しながら再び先に通り過ぎて行った。
私は、一人で其の餅が焼けるのを見守って居たが、竈の長さがとても長いので、途中で炭の様に焦げている個所も有るので、私は其の作業は一人では駄目だと意い、竈の火を消してしまった。
次のビジョンは、私がテレビかラジオのトーク番組の作成に協力・参加している場面が映し出されて来て、私は自分の標準語を上手く話せる様に成る訓練を行って居た。そして其の中に、リーダー格の女性が存在して、其の女性の名が「たがまりこ」であると告げられて来た。
そして其の女性は、伊勢外宮の祭神と関係が有る事が示されて来た。
今朝起きた・起こされた時刻は「7時15分」である。
其れからPCを立ち上げ、7時15分の数字から、昨年の文章を確認すると、次の様に書いて有る。「良い子悪い子」・・
此の文章に目を通してから、PCを立ち上げ、題目を何にしようかと考えて居ると「何がなんでも」との女神の言葉が告げられて来たので、其の言葉を打つと、続きの言葉が告げられて来た。
「何が何でも 貴方にやって欲しい事が有ります。
其れは 貴方にしか出来ない 道標の完成です。
其の為に 此方は 最大の努力を 図りますので
貴方の面目を掛けて 其れを行ってください。
それがなければ 此のプログラムは
此の儘 立ち消えと成ってしまう可能性が高いのです。
其れは 人類の進歩の目途が 立たない事にも成るのです。
良いですか 是は 此処まで修行を続けて来た
貴方にしか 出来ない事なのですよ。
ですから 其の事に 意識を集中してくださいね。
アンデルセン 」 8時23分
何故最後に、童話作家である「アンデルセン」の名前が告げられて来たのであろうか。・・
何故、童話作家のアンデルセンの名前が告げられて来たかを考えると、起こされた時刻7時15分の数字の日付の文章が「良い子悪い子」である事と関係が有り、子供の成長には何等かの「物語・ストーリー」が必要不可欠であり、大脳の情報次第で人間の気持ち・精神が、決定してしまう理・ことが、強調されて来ており、其の事に、是から私が取り組む必要があるとの事なのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝のビジョンで、私が放送番組の収録に関わって居た場面が関係が有り、私は劇作家の様な役割を果たす必要が有るとの事なのかも知れない。
そして其の事と「伊勢外宮の祭神」と「たがまりこ・多賀真理子」との名前にどう言う関係が有るのだろうか。
私に考えられる事は、伊勢外宮の祭神の祭神が琵琶湖の近くに存在する多賀大社から分霊した物であるので、「多賀の神の真理」を明らかにして報道・劇物語にする必要が有るとの事なのではないだろうか。
其れを考えると、私が2010年4月28日に伊勢外宮に参拝した日から酷い頭痛が始まった事と関係が有り、外宮の神が多賀大社の祭神である事と、関係が有るのだろう。
キー「多賀大社 頭痛」・・
【豊受大神】とようけ‐の‐おおかみ〔‐おほかみ〕 の解説
伊弉諾尊 (いざなぎのみこと) の孫、和久産巣日神 (わくむすびのかみ) の子。五穀をつかさどる女神で、伊勢神宮の外宮 (げくう) に祭る。豊宇気毘売神 (とようけびめのかみ) 。とようけのかみ。とゆけのおおかみ。国語辞典より
其れに今朝の映像で、私が20mもの長さが有りそうな登り窯で、搗いた餅を焼こうとして居た場面は、熊野大社で毎年10月15日に行われる「保食神・うけもちのかみ・受け餅の神」の儀式である「亀太夫神事」と関係が有り、「御饌都神・みけつかみ」や「宇迦之御魂神・うかのみたまのかみ」と関係が有る事に成る。
其れに、由香の今朝のビジョンにも、大きな窯が出て来て火が付いている場面が映し出されて来たとの事である。・・
其れに、正月に神棚にお供えする重ねて置く「鏡餅」が、七回半トグロを巻く大蛇(大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神)の存在と関係が有る。
其の七回半トグロを巻く大蛇の身体を伸ばした姿が、今朝のビジョンに映し出されて来た登り窯の存在であり、上に並べ置かれた切り餅は、大蛇の鱗を意味しており、私一人では、其の大蛇の身・存在を守る・維持管理する事は、不可能であるとの理・ことが示されて来ているのであろう。・・
其れに今朝のビジョンに、一昨日のビジョンで私が二人乗りをしていたオートバイが金属製の物ではなく、陶器製の物であったのは、陶器を作る粘土が珪素・シリコンとアルミの化合物である事と関係が有り、我々の魂しいが乗り物としている此の肉体は、「珪素・シリコン・シリカ」が受容体として、機能している理が示されて来ているのであろう。・・
此の「文字の力」の文章の内容は、昨日の「文字曼荼羅」のビジョンと直接関係が有るので、人間の意識を組み上げて来た意識構造は、太陽の神(はたらき)の影響にて出来上がって来た物であると言う事であり、其の仕組み・世界を古代の人々が潜在意識で感じ取って居たからこそ、アステカの「シュー・コアトルのベア」の太陽の石鏡や、中国の神獣鏡(銅鏡)の存在、エジプトの太陽の船に乗り込んでいる「イシス神」の頭に鏡が取り付けられており、日本でも三種の神器の鏡が中央に置かれるのであろう。
其れを考えると、未来社会創造にとって最も大事・重要な事は、是から文化を創造して行く子供達(男子)の教育に対して、根本からの改革が必要であるとの事であり、現在・いま子供達の意識に悪影響を与えている物事を、此の世から一掃しなければ成らないと言う事に成る。
其れを考えると、現在拡散し続けている新型ウイルスが子供達にはほとんど害を与えていない事の理由が分かる。
「物語・ストーリー」https://green.ap.teacup.com/20060818/5329.html
此の文章に書いて有る「多賀の神の真理」との事からすると、私が1984年11月21日に伊勢外宮に初めて参拝し、其の夜に伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」が姿を現した事が関係が有り、私が11月22日に磯部町に辿り着く様に、「ときを司る神」が動いており、昨日のメッセージが農業の世界一辺倒に成っていたのは「新嘗祭・大嘗祭」がどんなに重要であるかが示唆されており、其の新嘗祭の儀式が数千年前から傳えられて来た「物語・ストーリ」のテーマであるとの事なのであろう。
其れに伊勢外宮に灌頂された「多賀神社」では「田植え祭り」は氏子が少なく成った為に途絶えているが、伊勢の「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」の方では毎年夏至の日に盛大に行われてもいる。
「伊雑宮・磯部の宮」https://moon.ap.teacup.com/20051112/217.html
其れから、「あからさまに謂う」との言葉が告げられて来た「7時24分」の数字から「7月24日」の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/7/24本日7月24日は、マヤの「13の月の暦」の大晦日であり、明日25日は「時間の拘束が無い日」とされ、26日が「一年の始まりの日」である。
今朝のビジョンは、一口に謂うと、私の認知しない世界・ところで新しい建国の儀式が行われている様子・場面が映し出されて来て、私の存在(意識)も、其の会場に入る為に、何列か人々が並んで居る受付の列の中に在った。
すると、後から到着した仲間らしき男性が、私に、「井上佳子(伊勢神宮を創建した斎宮・倭姫の御魂)」から伝言を受けたとの事で、其れは「花 七色」との言葉であった。其の「花 七色」との言葉は、日本原産である「紫陽花」が七色に変化すると言われている事と関係が有り、奈良の「矢追日聖法主」に終戦日に天神が告げて来た「新しい世の中は紫陽花の花の様な仕組み」との言葉と、関係が有りそうである。
「正傳矢追日聖」https://star.ap.teacup.com/170606/210.html
其の矢追日聖法主は、1911年(明治44年)12月23日(旧暦11月3日)「冬至」生まれであり、其れは、マヤの13の月の暦で2012年12月23日から新しい御世・世界・次元が始まるとされていた事と深い関係が有り、其のマヤの予言は、私に2012年11月11日に「8年先延ばしにする」と告げられて来て、其れは今年の12月23日である。
【此処で私の右手の小指にカモ(神の電気信号)の反応が起きる。】8時18分
此の8時18分の数字は、マヤ・アステカの神である「ククルカン・ケツァルコアトル」が「約束は守られる」と告げて来た平成18年8月18日の日付であり、小指は「指切り拳万」の約束の作法に使う指なので、矢張り今朝のメッセージはマヤの神(はたらき)である「時間の操縦士」に関係が有る様である。
其れに私は、其の三年前の2003年8月18日に由香のガイドで屋久島の奥岳縦断(東経130度30分・御稜威ライン)を行ってもいる。
今朝起きた・起こされた時刻は「6時21分であったので、今年の6月21日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章には、次の様に書いて有る。
「・・今朝起こされた時刻は、「4時13分前」「6時13分」「8時13分前」である。何故「13分」であるかを考えると、私が「土肥無庵が神だから守れ」と告げられた日。岩手県の五葉山でイエスキリストの御魂と遭遇した日。昭和天皇の御魂のお告げにより「日の宮幣立神宮」に辿り着いた日。マルチンルターの縁(弁財天・サラスヴァティー・水・湖を持つもの)で江藤敬介氏に出会った日などが、13日である事が関係が有り、虚空菩薩の祭り日が4月13日である事に絡んでいるのかも知れない。其れに、「6時13分」が「前」ではなく「過ぎ」である事を考えると、昨年の6月13日のメッセージが「切り開く能力・ちから」である事と関係が有り、既に「新しい御世の創造」は始まっているとの事なのではないだろうか。・・・」
此の「13日」の日付の事を考えると、「マヤの13の月の暦」の世界は、私が1984年3月13日に太陽が太平洋に半分顔を出している時に「神だから守れ」と告げられて来た時から連動しており、私が11月半ばに全国の旅に出発し、12月13日に私が酒井勝軍が神の宝剣を受け取ったとされている五葉山で「イエスキリスト」の御魂と遭遇した事も、設定済みの出来事であったと言う事に成りそうである。・・
今朝のビジョンには、新しい時代・次元の王である若い男性の存在が映し出されて来たが、其の人物の手前には黒糸の網(御簾)が降ろされているので、顔を確かめる事は出来なかった。
其れは、今月18日のビジョンに映し出されて来た男性・王の存在と関係が有り、今朝の若者が、其の王に成る迄には20〜30年の歳月が必要であり、此の私も其の若い男性が「新しい王・統尊」に成る迄、何らかの役割を果たさなければ成らないとの事の様である。
私が此処の所、気に成っている事は、衛星写真で中国の病院の駐車場の車の台数を調べると、昨年の8月から台数が増えており、其の原因を調べると患者に新型ウイルスと同じ様な症状が見られるので、新型ウイルス感染は8月から始まっていたとのニュースである。
私が何故、其の報道を気にするかと言うと、昨年の6月30日に「明日から始まる」との事が告げられて来ているので、新型ウイルスの発生には天神の意図が働いているのではないかと想われるからである。
何れにしても、本日7月24日に明日の事を書かされたのは、私にも明日、休日(時間の拘束が無い・解かれる。)が、与えられると言う事なのかも知れない。
「マヤ暦の大晦日」https://green.ap.teacup.com/20060818/5434.html
此の文章には、・・今朝起こされた時刻は、「4時13分前」「6時13分」「8時13分前」である。何故「13分」であるかを考えると、私が「土肥無庵が神だから守れ」と告げられた日。岩手県の五葉山でイエスキリストの御魂と遭遇した日。昭和天皇の御魂のお告げにより「日の宮幣立神宮」に辿り着いた日。マルチンルターの縁(弁財天・サラスヴァティー・水・湖を持つもの)で江藤敬介氏に出会った日などが、13日である事が関係が有り、虚空菩薩の祭り日が4月13日である事に絡んでいるのかも知れない。其れに、「6時13分」が「前」ではなく「過ぎ」である事を考えると、昨年の6月13日のメッセージが「切り開く能力・ちから」である事と関係が有り、既に「新しい御世の創造」は始まっているとの事なのではないだろうか。・・・と、記して有る。
此の内容は、一昨日から続いている「13日」の日付と関連しているので、本日まで三日間「13」の数字が重要事である事が示されて来ている事に成る。
其の「13」の数字は、私が此の世界に飛び込んでから、「鉛筆削り」「佃・つくだ(作り田)」「13」と、分けが分からないテーマ・言葉が示されて来て、最後まで「13」の数字の意味が分からず、其れが判ったのは京都の嵐山の麓に存在する「法輪寺」の4月13日に行われる「13参り」の事であり、其れは「虚空蔵菩薩」が13佛の13番目として祭禱(さいき)されている事から来ており、其の法輪寺は弘法大師空海が高野山に上る迄住んで居た場所であり、私が36年前に始めて訪れた時に、法輪寺の入り口の階段で「我が弟子未だ我を超えず」と弘法大師空海から告げられて来た寺である。
2018/4/1・・其の様に考えると、本日4月1日が新年度の始まり日である事と関係が有り、私が今朝「4時1分」に起こされた出来事の意味も理解されて来る。
昨夜は、「阿弥陀如来」がご本尊である仏壇と、「天照皇大神」の掛け軸が下げられている床の間に、初物の「タラの芽」の天麩羅を供えて、手を合わせると「13」との数字が告げられて来た。
其れは、京都の嵐山に有る「法輪寺」のご本尊である「13仏 虚空蔵菩薩」の事を意味している。
其れに、私の後に続いて禱った由香には「是までの事は鍛える為であった」との事が示されて来たとの事である。
其れ等の事を考えると、「とおかみえみため」との祝詞の言葉は、自分自身の精神を鍛えて、頭の中ではなく、自分の腹(五臓六腑)の中に、神(はたらき)が収まる為の作法に必要な物であると言う事であり、其の事が修練されていなければ、どの様な「ひび割れ(物の現象化・形態)」を見ても、正しい討窮(トウキュウ)は起きないと言う理・ことなのであろう。・・
此の窮の漢字の意味からすると、私と由香の苦しみは窮まりを迎えて、終わりに成ると言う事なのかも知れない。
其の様に考えると、私が此の世界に飛び込んだ時に、「鉛筆削り」「佃・つくだ(作り田)」との言葉と、「13」の数字を解く事に、難儀した事が、全て解決したと言う事であり、其の事の背景には「虚空蔵菩薩」の働きが存在したと言う事に成るのであろう。・・
是等の内容を考える、本日のメッセージは、昨日の「出世鳥」との言葉と関係が有り、私と由香の存在は、一皮向けて、次のステージに上がると言う事なのかも知れない。
「とおかみえみため」https://green.ap.teacup.com/20060818/4573.html
2019/7/30・・此の「春宮・はるのみや」から、本宮 (ほんみや)に向かう「中山街道」の左側に、春宮の御神行の祭りに使用される「早苗」を栽培する小さな水田が境内に有る「御作田社」が存在する。
其の名前である「つくりだ」との言葉は、私が此の神の世界に飛び込んだ時に、告げられて来た重要な言葉・単語の一ツである。
「つくりだ」とは、諏訪の「春宮」から、「上社」に向かって歩いて行く昔の「中山道」の左側に、春宮の末社である「御作田社」が在り、私は其の「つくりた」の意味と、存在を探し出すのに、随分と長い年月が掛かっている。
何故、今朝、其の「作り田」の事が告げられて来たかを考えると、稲作の事を一番大事に考えろとの事ではないだろうか。・・」
「主食」https://green.ap.teacup.com/20060818/5068.html
其れに、其の「4月13日」の日付は、私の長男である「海生・かいせい」の誕生日であり、其の海生が36年前の夜中に「水 水」と何度も謂うのに、疲れている妻「美代子」が起きないので、仕方なく私が階下に降りてコップに水を汲んで、息子を抱きかかえて飲ます時に、息子と眼が合い、頭(意識)がクラクラして来て、何だろうかと意い、コップを台所に置いてから、鏡で自分の顔を映して見ると、私の顔は青白い死人の顔として見えた。
私は自分の其の顔を見て、医者に「仕事はするな」と謂われているのを聞かずに、注射と投薬を受けながら仕事を続けて居た自分は、死期が近付いているのだと意い、屋外に出て安房川の辺をぶらぶらと歩いた事がある。
其れ等の状況の中で、「土肥無庵」に找し出されて「貴方は内臓が半分腐れている。」と謂われ、一切の事を止めて「土肥無庵」の自宅で農作業や周囲の整備を続けながら、「マクロビオティック ・Macrobiotic」の世界を3月5日から6月4日まで三ヵ月間続け、此の神の世界に飛び込む事に成ったのである。
其れに、息子の名前「海生」は、太陽が海から昇って来る事と、生命が海から生まれた事を掛けて命名した物であり、偶然か必然かは判断できないが、3月13日に半分顔を出した太陽から、「土肥無庵が神だから守れ」と告げられて来て、全てを「土肥無庵」の為に掛ける事を決意したのである。
だから、息子「海生」が私を「水」の言葉で起こした出来事は、「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」か、「水素/Hの氣・エナジー」の世界の出来事・プログラムであったと言う事にも成るのだろう。
昨日は「博く・傳える」がテーマであったが、今朝は「発表」「会議」「あからさまに謂う」がテーマである。
其の事を考えると、「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」か、「言葉・真言・マントラ」を最大のテーマとする「大日如来・マハーヴァイローチャナ」が、関りを持って来ている事に成り、真言宗を起こした弘法大師空海が、其の法輪寺で私が訪れるのを待っており、「我が弟子 未だ我を超えず」と告げて来た事に関係が有り、空海の師である「恵果和尚」が灌頂の儀式の後に、空海に「大日如来は汝の腹中に在り 汝は直ぐに日本に帰れ。次は私が汝の弟子に生まれ変わる。」と告げて、直ぐ亡くなっており、日本に帰国した空海は「阿字の子は あ(吾)の地に帰る」と謂っている。
其れを考えると、矢張り太平洋が丸見えである室戸岬の岩場で、明けの明星である「金星」が口中に飛び込んで来て「虚空蔵菩薩求聞持法・こくうぞうぼさつぐもんじほう」を会得・マスターした弘法大師空海が、同行二人の相手として、此の私を選んだと言う事であり、弘法大師空海の「口と耳(求聞)」の神(はたらき)が、「終了 C13」との言葉を生み出したのではないだろうか。
令和2年11月24日
礒邉自適
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