1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2020/12/31
二度と起こすな
2・12・30
本日は「新暦・ローマ暦」で、今年の最終日である。
昨夜は入浴して居ると、「土肥無庵」の口調で「二度とするな(起こすな)」との言葉が一言告げられて来たが、何の事を示唆しているのか、判らない儘眠った。
今朝のビジョンは、私の意識は山林や谷合いが続く広い土地で、何物だか判らない相手と、気功(両手から発するエネルギー)で戦って居る場面が映し出されて来て、最後には私一人の勝利で終わった。
だが、其の結果として、私が何らかの物を、他に移さなければ成らない事に成った。
そして、其の物を移動する手段として、私は日本式の握りが付いたスコップではなく、とても長い柄のついた西洋式のスコップで移し始めた。
其れは、相手・他人の手・作為が届かない距離・範囲を、確保する為である事が理解された。
其れから「梅田たいじん」との名前が示されて来て、其の名前は大人物である事が示されて来た。
次のビジョンは、私が乗用車を運転して急勾配の坂道を下って居ると、途中で「福岡緑進協会」を創設した白土宏氏が歩いて居るので、私は其の白土氏を乗せようと意い、ブレーキを強く踏んだのだが、効きが悪く、道路の右側部分が崖崩れを起こしているので、危ないと意い、助手席に乗っている若い男性に「ハンドブレーキを強く引いてくれ」と謂って居る場面が映し出されて来た。
次のビジョンには、青い海をバックとして、赤い花を咲かせている樹木の存在が映し出されて来た。
其の赤い花の存在は、横に順番に、咲いた花。→花が着いている枝。→枝が着いている幹。→木全体。と並んでおり、其の花木は「海紅豆・かいこうず」である事が理解されて来た。
今朝起きた・起こされた時刻は「9時34分・10時26分前」である。
其れからPCを立上げ、起きた・起こされた時刻10時26分の数字から、10月26日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/10/26今朝のメッセージは、昨日のビジョンで白い畳が敷き詰められている「地面(床)」に様々な意味が有る事が示されて来た事と関係が有り、私の意識は、其の白い地面・床の存在を探っている様子が映し出されて来て、昨日最後に、其の白い地面が地球儀の緯度線のカーブに沿って、北極圏を頭にして、扇(前掛け)の様な形に成っていた事を思い出した。
そして、神事が北方に向かって行われている事を考え始め、神武天皇が北方に進軍し、其れから東に向かって進軍したルートを思い浮かべていた。
其れで、私は、1984年6月4日(旧暦5月5日)に此の世界に飛び込んだ時に、「残り16年半しかない。」と告げられて来て、其れが2000年12月4日であり、「16年半」とは、神武天皇が南九州を出立して奈良・倭に辿り着くまでの年月であり、「12月4日」は、「長髄彦(ながすねひこ)」と「神武」が敵対している時に、天空が輝いて金色の鳶が舞い降りて来て、神武が手にする弓に止まった事から、長髄大王が「是は天意」だと感じて、神武に国譲りを決断した日である事を思い出して居た。
「天皇霊 神武天皇」https://moon.ap.teacup.com/20061108/567.html
すると、私の茶色の皮鞄の中身が映し出されて来て、其の中に白い菓子箱が入っており、其の箱の中身が「白い軽羹(かるかん)饅頭」と、「草色の饅頭」の二種類であり、其れが澤山作られて、皆に配られる儀式が是から始まる事が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時29分」であった。
其れから再び眠ると、今度は【血を流さない革命】との言葉が告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は「8時14分」であった。
其れからPCを立上げ、「3月29日」と「8時14分」の数字から、今年の「3月29日」と「8月14日」の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の「一息にはやらない.考える時間を与える」と「だいげんだっかふくげんこう」との言葉は、今朝告げられて来た「血を流さない革命」との言葉と関係が有り、神武天皇の東征(とうせい)が「血を流す戦いの連続」であった事を、「反省・遣り直す・繰り返さない」意味が示されて来ている事に成りそうである。
其れを考えると、12月23日の「元旦祭・矢追日聖誕生祭」の前に「12月4日」に一つの山場が有る事が考えられる。
其れに個人的には、私を找(さが)し出して、此の世界に送り込んだ「土肥無庵」の誕生日が明後日「10月28日」であり、其の日は「荒神様」の祭日でもある。
2010/10/28本日10月28日は、今は亡き私の師「土肥無庵」の誕生日であり、台所の神である「荒神様」の日でもある。
其の、荒神様からのメッセージなのか、今朝のメッセージには、横書きの文章が映し出されて来て、其の中に「食物」の言葉と「27」の数字が有った。
私は、其の「食物」と「27」の言葉と数字から、日本の食料自給率が27%にまで落ち込んでいるのだと思った。
日本の食料自給率はカロリーベースで、約40%有ると云われているが、卵や肉や牛乳を生産している家畜の餌の90%近くが、外国からの輸入穀物なので、飼料の輸入が止まれば、其の数字は一気に減るのである。
其れを考えると、今朝のメッセージの内容は、食料自給を考えろとの事ではないだろうか。
日本国の自給率が落ちて来たのは、戦後アメリカ国の圧力に拠り、日本の伝統であった「米飯・味噌汁・沢庵・魚」の食事から、「パン・肉・卵・牛乳」の食事に切り替えて来たからである。
そして現在では、米余りに成って、補助金を出して稲作を減らしているのである。
其れに、以前は、畑や水田であった山間地の土地に、杉が植林されてしまい、現在・いまでは、元の農地に返す事が出来なくなってしまっている。
今朝の映像では、雨が少ない南米の様な国の土地の山が、無理やりに機械で畑にされてしまい、作物が育たないので見捨てられて、砂漠の様な状態に成っている場面が映し出されて来た。
其の映像の意味は、もう地球の土地は、開発の限界に来ており、是以上農地を広げる事は無理であり、化学肥料を使って耕作を続けて来た農地は、ミネラルや有効成分を失って、作物が育たない状況に陥りつつあるとの理・ことである。
其れ等の事柄を考えると、我々の住む此の地球は、既に、自然回復度の限界を超えており、人類の生存危機が一気に訪れる理・ことを、自覚しなくては成らないのだ。
今月のニュースで、地球の人口が今年内に70億人に達すると報道されていた。其れは、地球環境が悪化しているのに、人口は増え続けている事に成る。
其れ等の事柄を考えると、此の侭では、人類には、明るい未来が無い理・ことは明らかである。
日本国では、ここ12年間、年間自殺者が3万人を越えているが、其れ等も大した事では無く成る日が、近付いているのだ。
今朝のメッセージには、もう一つの問題が提示されて来た。
其れは、村から住民が逃げ出して、空き家になった家の中に祀られている、神棚や仏壇の霊魂の処理である。
人間は、生活に困って村から逃げ出す時には、先祖の霊魂や、神様の事には無頓着である。だから、置き去りにされた霊魂や神霊は見捨てられた事に成り、行き場を失って、建物が崩れ去ったら、浮遊霊と成ってしまうのである。
今朝の映像では、私は、廃村と成った村の建物の中の、神棚や仏壇を見て回っていた。そして、其の村の中心的人物であった人の家に、村人に案内されて上がり込んだ。
其の家の広い部屋には神棚が有り、私が、其の部屋に入って神棚の前に座ると、左手の甲の部分の毛が黒く伸び始めて、20cmくらいの長さに成った。
其の現象は、霊魂の情報・エネルギーは陰である左手から、人間の身体に入り込む理・ことを示している。そして、頭髪だけではなく、身体全体の毛から「物の怪・ケ」が吸い込まれると言う理・ことに成る。
其れは、霊的な場所に行けば、産毛が逆立つ事が有るのとも、関係が有るのだろう。
我々人類は、聖霊の住む自然の森を破壊し、水を汚染し続けて来た。
そして、其れ等の自然霊を祭る事も忘れ、村から逃げ出す時には、自分の先祖の霊や、神様の祭壇さえも置き去りにして行くのである。
利用するだけした神様を、処理しないで、其の侭置き去りにして行く事は、契約違反であると言う理・ことに成る。其の様な人間は、何処かに新たに住む事が適っても、良い人生を送る事には成らないであろう。
今朝のメッセージの内容は、人間の暮らしにとって「食物」と「霊魂」の存在は、切っても切れない関係が有る事を、示して来ているのではないだろうか。
だからこそ、此の日本の伝統文化には、天皇家の「新嘗祭」や大嘗祭が有り、民間の家でも「お盆」や「正月」には、神棚や仏壇に食べ物が供えられ、「直会・なおらい」や「先祖供養」が行なわれるのである。
今回、私が訪問した、「くりもと地球村」の代表である「佐藤文彦氏」の自宅には、百年に一度巡って来る「村の神様」の社が飾られていた。
百年に一度とは、一生に位置度しか無い巡りである。
其の神棚が、今年、佐藤家に巡って来た事にも、何等かの意味が有るのではないだろうか。
昨日は、高松道の板野インターを降りてから、途中のスーパーで夕食の材料を買って、夕方の混雑した道路に出ると、ラジオで「唯今の時間は 6時30分です」と云っている。すると、前を走っている車の番号が「6・30」であり、時間と合っている事に気が付いた。
私は、其の現象で、「時・とき」を管理する神が、完全に、私の意識と行動を管理している理・ことを実感した。
今日は、無庵師匠の生誕69年の記念日である。
私は、2001年11月7日に亡く成った、無庵師匠のお墓には、未だ墓参してはいない。しかし、今朝のメッセージの内容からすると、無庵師匠はいまだに、私を見守っている様な気がする。
其れを考えると、お墓や、仏壇や、お宮は、此の生きて居る人間の肉体や、意識に、最大の存在としてあると言う理・ことに成って来る。
だとすれば、やはり、私が、神棚や仏壇の前に座れば、体毛に霊魂・御霊が作用して来るのは、本当の事なのかも知れない。
そして、其の鎮魂の力を維持する為には、自分の身体の管理が一番大事であるので、良質の食べ物が途切れない様にする事は、人間にとって一番大事な理・ことなのであろう。
其の様に考えると、昔から「荒神様(竃神・食べ物神)」をお祭りして来た事は、最も大事な仕来たり・風習であると言う事に成るのだ。
今朝のメッセージは、新しく開発された村が、放置されて行く映像が映し出されて来ている。其れは、一昨日のメッセージに有った、都会の崩壊だけではなく、村が崩壊して行く事を示唆している。
其れを考えると、私は、都会と農村の暮らしを、両方考えなければ成らないらしい。其れも、霊魂の祭り事も合わせてである。
「荒神様の日」https://moon.ap.teacup.com/20061124/68.html
今朝映し出されて来た菓子箱の中身は、「白い軽羹(かるかん)饅頭」と、「草色の饅頭」の二種類であり、其れが澤山作られて、皆に配られる儀式が是から始まる事が示されて来たビジョンは、軽羹が鹿児島の名産・銘菓であり、材料が自然薯である事は、自然薯がミネラルが豊富な食べ物である事と関係が有りそうである。
今ここで、昨日のビジョンに、木々に這い上っている大きな自然薯の蔓が映し出されて来ていた事を思い出した。
キー「自然薯 ミネラル」・・
今日の所は、是くらい打てば、天国の「土肥無庵・荒神様の御魂」も納得するのではないだろうか。
「血を流さない革命」https://green.ap.teacup.com/20060818/5530.html
此の「血を流さない革命」の文章には、私を找し出して此の神の世界に送り込んだ「土肥無庵」の事が書いて有るので、昨夜入浴中に告げられて来た「二度と起こすな・するな」との言葉は、二度と戦いに拠る革命を起こすなとの事が告げられて来ている事に成りそうである。
其れに、今朝のビジョンで私が自然環境の場で、何物かと気功の様な技で戦って居た場面は、イエスキリストが言葉や両手のパワーで奇跡を起こして居た事と関係が有り、イエスキリストはユダヤの神官や為政者の手に因って磔で血を流して死んでいるので、其の様な事柄も、二度と起こしては成らないとの理・ことが、示されて来ているのであろう。
其れに「梅田たいじん」と言う大人物の存在は、由香の家庭教師であった故「梅田泰昭・うめだやすあき」の名前と通じており、其の梅田氏は周囲の人達が「キリストみたい」と云っていたとの事であり、山の中で育ち自然の暮らしを続け、素手で野ウサギを捉えたり、テーブルの上に数秒で簡単に鶏卵を立てたりする等、抜きん出た能力の持ち主で、猟銃の流れ弾が家に飛んで来た時は、抗議をすると大の大人二人が小便を漏らすほどの威圧感があり、教え子を救う為にヤクザの所へ訪ねて行く等、困っている人々の助けを当たり前に出来る人物であったとの事なので、今朝の長い西洋のスコップの意味は、其の梅田氏の御魂であった様である。
何故かと言うと、今朝の由香のビジョンに、其の梅田先生が現在の自宅を訪ねて来て、玄関から一番奥の台所まで入って来ており、「是までにも数回訪ねて来ている」との事が知らされたとの事だからである。
其れから、今朝の私のビジョンで「福岡緑進協会」を創設した白土宏氏が歩いて居るので、私は其の白土氏を乗せようと意い、ブレーキを強く踏んだのだが、効きが悪く、道路の右側部分が崖崩れを起こしているので、危ないと意い、助手席に乗っている若い男性に「ハンドブレーキを強く引いてくれ」と謂って居る場面が映し出されて来た場面の意味は、次の様な事が考えられる。
人間の森林破壊が急速に進んで、自然環境が崩壊している現状を示唆しており、其の人間の行為には、中々ブレーキが掛からない事が、示されて来ており、其れが今年の大晦日に示されて来たのは、人間の「煩悩・ぼんのう、カルマ・業」の深さを示唆しているのかも知れない。
其れに、今朝の最初のビジョンから、私の意識に浮かんで来た事は、死海文書に記されていると聞く、イエスキリストの言葉「貴方達は 神は何かと訊かれたら 此の大自然その物と答えなさい」であり、私の是からの行為と言うか意いは、人間の手の及ばない次元で、天神・宇宙の意に適う「想い・希望」をプログラムしなければ成らないとの事なのかも知れない。
其れに、青い海をバックに赤い花が咲いているビジョンが映し出されて来たのは、日本神話で「須佐之男尊・すさのおのみこと」の役割が「海原・うなばら」を管理する神(はたらき)である事と関係が有り、赤い花が咲いていた花木の名前が「海紅花」である事も符合している事に成る。
キー「イエスキリスト 神は何かと訊かれたら此の大自然その物と答えなさい」
2019/4/2・・是等の事から考えると、今朝のメッセージの映像で、物事の存在が表記されている画面の最上段の左側に「2月15日」の日付が記されている場面が映し出されて来た事は、覚醒成仏した人間だけが、一切の物事を管理統制できるとの理・ことであり、覚醒成仏した釈迦仏陀の「本当に頼れる物は 此の自分の肉体だけである」との言葉と関係が有り、人間は神仏の存在に頼ると言うか、依存心があっては成らないとの理・ことであり、其の依存心が有る間は「成仏・覚醒」する事は不可能であるので、「統尊・すめらのみこと・大君」の役割は果せないとの事なのであろう。・・
次の、白い鳥が深い森の中に解け消えて行く場面が映し出されて来て、其れが「イエスキリスト」の霊魂である様に感じた場面は、イエスキリストの言葉に「貴方達は 何処から来たかた訊ねられたら 光のもとから来たと答えなさい」「神は何かと訊かれたら 此の大自然その物と答えなさい」と有る事と関係が有り、イエスの御霊も成仏して、自分の意念の世界に解け消えたとの事なのではないだろうか。・・
「完結」https://green.ap.teacup.com/20060818/4948.html
2009/8/4・・昨日8月3日は、私の両親が、此の屋久島に渡って来て、63周年目の記念日であった。其の日のビジョンに、「神籬」と「磐境」と「森の中を流れ下る水」が、映し出されて来たと言う事は、私の人生と言うか、私の両親を屋久島に導いた背景に、大自然を棲み処とする「神霊」が存在する事を、示して来ているのではないだろうか。
イエスキリストの言葉には、「貴方達は 何処から来たかと訊かれたら 光の源から来たと 応えなさい」「神は 何かと訊かれたら 此の大自然 全てであると 応えなさい」とある。
今朝のメッセージの映像は、正に、其の自然の中に住む神の存在が、示されて来たモノ・現象ではないだろうか。
其の様に考えると、今朝の映像で議長席に座っていた男性は、キリストを意味している事に成り、イエスの願いが成就する時節が近付いている事に成る。・・
「神籬と磐境」https://green.ap.teacup.com/20060818/1228.html
2019/8/28今朝のメッセージの映像は、長い間、若者達が創造している未来世界・社会の様子が映し出されて来た。
其れは、次の様な場面・様子である。
1、現在の社会体制が全く無い。
2、30歳位の年代が中心で、年寄りが居ない。
3、皆が、自分が考えている事を、布の様な白い紙(和紙?)に、デザインとして描ける能力を有している。
4、全員の身のこなしが軽やかである。
5、テレビやラジオ等の放送(マスコミ)が一切無く、静かである。
6、女性は、化粧や余計な飾り物が無い姿である。
7、男性にも、煙草を吸ったり酒を飲んだりしている人は居ない。
其れ等の映像が、長い間映し出されて来て、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時58分から59分・4時2分前から1分前」に成る所であった。・・
此の1日の文章の中に有る、「水色文字」「西から東に向けて舗装道路が通っており・・」「起きて、時計を見ると時刻は6時00分であり、時計の針は南北を差していた。・・」との事は、昨日の由香のビジョンの「・・実家の庭先から、竹藪を切り払って、真東に向けて新しい道路が出来ている映像が映し出されてきて、「水門」と書いて「みと」と呼ぶと告げられたとの事で、起きて時計を見ると、針が真っ直ぐで、6時丁度であったとの事である。・・」との事と、符合している。
其れに、今朝の由香のビジョンは、由香が何処かの施設に居て、青年が2,3人、少年が20〜30人程居り「いたずらや虐めをしてはいけない」と、説いて居たとの事である。
其の今朝の由香のビジョンも、新しい御世創造に必要な条件が、示されて来ているのであろう。
其れに4月2日の文章の題は「完結」であるので、其れも昨日の「何も無い所から始める」との事と関係が有る。
今朝のメッセージの映像は、是までに全く映し出されて来た事が無い世界・映像なので、昨日書いた「何も無い所から」の文章と関係が有り、「何も無い所から始める」との事がどう言うモノ・世界であるかが、示されて来ているのであろう。
其れで、今朝は、昨日の由香のビジョンが気に成るので、由香の実家(神辺)から真東に何が有るのだろうと思い、日本地図を広げて定規を当てて見ると、高野山に当たる事が判った。
其れを考えると、高野山を開拓・開基した「弘法大師空海」の存在が関係有り、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の世界か、「虚空蔵菩薩・こくうぼさつ」の世界と関係が有りそうである。
今朝起こされた、4時2分・1分前の数字から、今年の4月1日・2日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の文章の内容からすると、6時00分を示す長短の針の方向は、磁石の南北と関係が有り、其れは地球儀の位置を示す東経線と関係が有る。
其れを考えると、由香の実家(稲田姫神社の門前)から真東に、新しい道路が通じていたとの事は、緯度線を意味している事に成る。
そして、其の道路・緯度の線が高野山に突き当たるとの事は、「恵果和尚」が弘法大師空海に灌頂を授けてから「大日如来は 汝の国に在り 汝は直ぐに自分の国に帰れ 次は 我れが汝の弟子に生まれ変わって来る」と、伝えた事に関係が有り、其の二人の約束が、現実化する時が到来したとの事に成るのではないだろうか。・・
今朝は、日本地図を広げて、由香の実家から真東が何処に成るのかを調べて居ると、大雨の情報が全国を報道されているので、「家は大丈夫ですか」と、様子を尋ねる電話が其の松本から掛かった。
いま携帯電話を確認すると、電話が掛かった時刻は「8時3分」である。
其の8時3分の数字は、私の両親が屋久島に上陸した8月3日の日付と同じであり、昔し屋久島の岳参りが行われた日が「8月3日」であった事とも符合している。
其れ等の事を考えると、確かに、総合的な神(はたらき)が私の背後(虚空)で動いている事は、間違い無い様である。
其れに、由香の実家の上には「真言宗」の寺院があり、その横に「櫛稲田姫・くしいなだひめ」が祭神である神社が有って、その神社の鳥居の下に実家が存在する事に関係が有り、其処から高野山に向かって新しい道路が通じているとの事は、弘法大師空海だけではなく、櫛稲田姫の夫である「須佐之男尊・すさのおのみこと」も関係している事にも成る。・・
本日8月28日は、私が平成3年8月28日に福岡緑進協会の代表である「白土宏」氏に初めて大分県日田市の「切り株山」で出会った日である。
2001/4/11今朝のメッセージには「治・ジ」という漢字が出て来て、「新しき 世界を知らしめる こと」という言葉を受け取った。
ようやく、神の図り事が、我々の住む現実世界に定着する事に成った様である。 そして昨日、「白土宏代表」と話し合い、4月29日に蜂起する事を決定した。
「白土宏氏」は、現在69歳であり、一生を天下国家の為に捧げてきた方である。
私が、其の白土氏に初めて出会ったのは、平成3年8月28日に大分県日田市で行われた会合の席であった。翌29日の朝、朝食をとって居ると、白土宏氏が私に話し掛けて来て、「君は 他の人と考えが異なっていて 気に入った。四国に在る 私の所の神社に入って くれまいか。」と云うのである。
私が、神に頼まれた事は、神の用意してある人の縁を結ぶことであり、未だ、その期間が9年残っていたので、その時はその話を断ったのである。
処が、昨年平成12(2000)年6月5日に東京のホテルで再びお会いしたときに、「自適君よ うろうろするのはもう限界だ。四国の山中に入って 頭を冷再び「白山菊理姫」は、この世の「結び」を司っている様である。
「菊」の「理」とは16方位を表している。天皇家の働きは、この16方位の「菊花紋」の中心に在る事が役目である。
それは、2666年前に動いた神武天皇に始まり、これまで続いて来た一つのサイクルは、次の「2666年(666×4)」へ移行しようとしている。
其れが、「治しめす」と謂う事なのである。
「治・ジ」という漢字が、どうして政治に使われているのか。それは、「治める」ことは天皇の「言葉・詔・みことのり」に拠って為されるからである。・・・
「第一次治ろしめし」https://star.ap.teacup.com/170606/453.html
此の「第一次治ろしめし」の言葉からすると、「第二次治ろしめし」が始まるとの事なのかも知れない。やせ。」と云われたのである。
「新しい御代」https://green.ap.teacup.com/20060818/5098.html
2019/5/8「政の原点は自給自足」https://green.ap.teacup.com/20060818/4984.html
何と、此の「新しい御代」には白土宏氏の事が中心に記されているので、今朝のビジョンに其の白土宏氏が登場した事と繋がって来る。
其れを考えると、本日「大晦日」に私の三人の父親の二人が登場して来た事に成り、父親の霊魂が、今晩私の自宅に還って来るのであれば、三人の父親の御魂が揃う事にも成るし、其の父親の霊魂が屋久島の母親の所に還るのであれば、由香の精神の支えと成って温かく見守り導いて居た梅田先生が、昨夜から来て居るので、やはり私達二人の父親役・守護御魂が三名が関係している事になる。
2001/1/11私は、現在「三番目の父」と考えている方の所で、生活して居る。
一番目の父とは、私が17歳の時に他界した、自分の実の父親の事である。
私が、母親のお腹に宿ったのは、父親の故郷である鹿児島市の谷山町だったそうだ。
私の両親は、中国の満州から、21年4月24日に山口県長門市仙崎港に引き揚げて来て、父親の故郷である谷山(現鹿児島市)の実家に帰り、昭和21年8月3日に鉱山の仕事で屋久島に渡って来ている。
屋久島の、東南に位置する安房地区の、一番山手に当る矢本岳の麓で、私は昭和22年1月29日午前3時頃、礒邉家の初子として生を受けた。
其の矢本岳は、林芙美子の小説「浮雲」の文章の中に出てくる、「硯を立て掛けた様な山」として登場している。
其の、矢本岳の山麓に広がる農場に定住した父は、黒砂糖の工場を建設し、地元の人達と馴染んで事業を行って居た。
私は、其の、黒砂糖工場のサトウキビを圧搾するディーゼルエンジンの音や、汁を煮詰める煙や、湯気の匂いの中で育ったのである。
私が、生まれ育った実家の裏山は、直ぐ国有林であり、大きな木が繁っており、メジロなどの小鳥が、巣を掛けて雛を育てていた様な、自然環境である。
実家の前方には、他人の家が一軒も見えず、サトウキビ畑とサツマイモの畑が広がっていた。サツマイモ畑で、芋の収穫をしていると、野生の鹿が、サトウキビ畑の中から飛び出して来る事も有った。
そんな環境の中で、私は17歳まで育ったのである。
そして、私が17歳の秋、父親は過労から風邪をひき、急性肺炎を起こして、49歳であっさりこの世を去った。幸いにして、私は中学卒業後、直ぐに、父の農業を一年半手伝っていたので、父親の死後、母親と共に働き、四人の弟妹を育てたのである。
亡く成った父親が、中国から持って帰った物が二つ有った。
其れは、一つは中華鍋で、もう一つは「不見不言不聞、見猿・聞か猿・云わ猿」の三匹の猿の小さな像である。
私の父親は、料理が好きで、中国・満州に居た時は、地元の人々とよく宴会を開いていたらしい。終戦の時には、満州の人達が「引き揚げずに 中国に残りなさい」と、皆が泣いて止めたと聞く。
そんな父親だから、屋久島に住んでからも、地元の人々と良い友人関係を築き、私の家には、よく人が集まって来ていた。
その頃の事で、私が子供心によく覚えているのは、父が家で飼っていた豚を、集まって来た人達が屠り、外に有った露天の五右衛門風呂で熱湯を沸かし、其の熱湯の中に屠った豚を入れて、毛を剥いでいた様子である。
其の時の豚肉の味は、はっきりとは記憶に無いが、近頃の豚肉の味とは確かに違っていた。
そんな私の父親は、集落の役職を七つ程引き受けていた。
私の父親は、他人の相談事にもよく乗って居たので、そんな父親を見ながら育った所為か、私も、父と同じ様な付き合い方を、他人としている。
ともかく、私が、世界自然遺産に登録された屋久島の自然の中で37年間育ち、自然と人間の繋がりを、深く体験できたのは、両親が此の屋久島で、私を生み育ててくれたからだと深く感謝している。
周囲の環境全てが、人工物である都会で育って居れば、私の人格は、今とは全く異なったものに成っていただろう。
私の父親は、机に向かわない私に、「勉強をしなさい」と云った事が一度も無い。其れは、現在の社会では、考えられない事ではないだろうか。
私の父親は、「学校は 子供の世界だから 大人が顔を出してはいけない」と謂って、一度も小学校・中学校を通して、学校に現れた事は無かった。
其の様な父の静けさは、私の気質に大きな影響を与えている。
二番目の父とは、人生の転機を齎してくれた人で、私の恩師である「土肥無庵(秀基)」である。
私は、其の土肥無庵師匠に1983年3月18日に初めて出会い、84年6月4日(旧暦5月5日)私を真理の究明への旅へ、送り出してくれたのである。
其の無庵師匠は、屋久島に住んでいた人ではなく、屋久島に土地を買い、その土地を切り開き、神社風の建物を建て、私は、其の無庵師匠の家で丸三ヶ月間「精進」の世界を、実行したのである。
其れは、完全な自然食・マクロビオティックの世界で、私の肉体全体の浄化をし、価値観の転換が行われたのである。無庵師匠は、奥さんと共に、私の為に数ヶ月間の時間と、エネルギーを注いで下さったのである。
私の父親は、生活の根本を私に教え、無庵師匠は、都会の文化や物の素晴らしさを、教えてくださったのである。
そして、三番目の父とは、現在お世話になっている「財団法人福岡緑進協会」の代表である「白土宏氏」である。
白土宏氏は、福岡の財閥の家に生まれた方である。其の白土宏氏は、祖父や父親が、太平洋戦争の頃まで、様々な人達を、精神的にも、経済的にも支えていた様子を、身近に見て育ったとの事である。
其の白土宏氏の生き方は、屋久島の農家に生まれ、自然の中で育った私の様な者とは、全く違う育ち方をしており、言葉の使い方や、他人を動かす方法が、是まで私が知っている人達とは、全く違うのである。
私は、現在53歳であるが、この三人の父の働きから、三様の学びを得て、一人の大人としての人格を築こうとしている。
日本の神道では、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」の禊ぎ祓いから生じた子に「三貴神」が在る。其の「三貴神」とは、一人目は「月読の命」で夜の国を治め、二人目は「天照大神」で昼の光の国を治め、三人目の「素戔鳴尊・すさのおのみこと」が、海原を治める役目となっている。
私の謂う三人の父親は、実の父親が、自然の波動を読む力を育ててくださり、二番目の父である無庵師匠が、太陽の光で見える物の世界の見方を教えて下さり、現在、三番目の父が、人を動かす行動と言葉を、教えて下さっているのだ。
この三つの働きが、身に着いて、初めて「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」の神の名の、「ナギ(凪)」の状態が、保たれるのではないか。
古事記では、伊邪那岐命の上には、まだ15段階の神が存在する理・ことに成っている。日本の神社の、神の住む社の階段は、下から上の社まで16段が有る。其れは、この神の数と同じである。
私の、人生の旅も、ようやく其の上がり段の、一番下の場である「白砂の地面・イソの段」を通過して、神の世界の一段目に、辿り着いたと言う事だろうか。
しかし、其の考えや、思いも、祓わなければならないのである。
何故なら、これ等の考えも、「積み氣枯れ・罪穢れ」の一つかも知れないからである。
「三人の父」https://moon.ap.teacup.com/20061108/41.html
此の「三人の父」の文章の内容は、本日が大晦日である事の雰囲気に、合う様な気に成って来た。
令和2年12月31日
礒邉自適
2020/12/29
環境・コンセンサス・マン
2・12・29
今朝のビジョンには、私が誰か判らない中年の男性に案内されて行くと、着いた場所は、岩山に掘られた大きな洞窟・神殿の様な大広間であり、其の大広間の奥は祭壇の様な物と成っており、左隅から右隅まで、様々な神様が祭禱(さいき)されている事が判った。
私の意識は、其の祭壇に祭られている神様を左側から右端に向かって、神(はたらき)を観て行った。
すると、右端の最後の物から強い反応が起きたので、近付いて良く視ると、其れは神仏の像ではなく、大きな桜木の根の芯の部分である硬い「芯・ジン」である事が判った。
私は、其の桜の根の部分である芯・ジンの存在から、何故強い波動の反応が起きるのかを考え、其れは桜が日本国の象徴とされている事から、「腐っても鯛」との言葉の意味と同じく、日本国・日本民族の中には、未だ固い「芯・ジン・神・精神」が残っているとの理・ことが、示されて来ている事を思った。
そして私が、手で直接触れて動かすのではなく、両手から放出するエネルギーで祭壇の組み換え・整理を始めると、其れを見た男性が電話連絡をして、実力者である地元の男性が集まって来て「愈々始まるのですか」と私に謂いながら、皆で広間全体の大掃除を始める様子が映し出されて来た。
そして次に、東北地方を示唆する様な寒い陸地の景色が、映し出されて来て、其処で旅館を経営しながら観光業界に力を発揮している気丈夫な婦人の姿と、政治に関係しながら、漁村を取り仕切っている頑強な中年男性の存在が映し出されて来た。
其れから「環境・コンセンサス・マン」との言葉が一言告げられて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時12分」であった。
其れから再び眠ると、「ニュートラル人」との言葉が一言告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時25分」であった。
其れから再び眠ると、私の肉体が棺(ひつぎ)の中にミイラの様に真っ直ぐに寝かされて居る感じに成り、其れは肉体と言うより、石か金属の塊りの様な感じであり、私は其の感じから、確かに自分は「珪素・シリコン・シリカ」製の「トランス体」成って居るのだと感じて居た。
今朝起きた・起こされた時刻は、「8時44分・9時16分前」あり、長短の針がピッタリと重なっていた。
其れからPCを立上げ、起こされた時刻3時12分の数字から「3月12日」の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/3/12『貴方は 見事に 遣り遂げたわ。
ですが 其れは 新しい御世の 入り口が
開いただけの事であり 未だ 何も
完成してはいないので 是からが
人類の 正念場であると言う事です。
ですから 貴方にとっては 是からが本番であり
あらゆる事を 考え興さなければ 成らないのですよ。
其れは「久遠実成・くおんじつじょう」からの
「ネバー エンディング ストーリー」なのです。
ですから 是は 貴方の個人的な 物語ではなく
全宇宙の物開けの 現象なのです。
それを考えれば 貴方に告げた
「事象の特異点」と「新しい神の座標軸」
の言葉の意味も 能く理解できるでしょう。
ですから 貴方は 見事に 其の役割を
果たしている事になり 事は
現代進行中であると 言う事なのです。
何事も 貴方の 無為自然の態度に
掛かっていますので 精進を 貫いていきなさいよ。
其処に 此方の 全エネルギーが
注ぎ込まれる事に 成るのです。』
令和2年3月12日9時48分(くしや・串矢)
昨日は、不思議に思える事が起きた。
其れは、昨夜、昼間に撮影した写真をパソコンに取り込むと、何故か、右側に据えてある定着カメラと、左側に置いて有る望遠の手撮り用カメラの枚数が、両方とも「55枚」であり、合わすと110枚なのである。
其れは、前日据え付けカメラが「270枚」で、望遠の手持ちカメラが「482枚」で、多数であった事とは反対の現象であり、其の原因は、前日は一日中薄曇りであった為に朝から夕方まで、シャッターを切る事が出来たが、昨日は一日中晴天で、被写体が太陽光で白く飛んでしまい、写真に成らなかった為に起きた、出来事である。
私は、其の「55+55=110」の数字と、左右に置いてあるカメラの位置から、「両手・両翼」のバランスの世界に関係が有り、先日のビジョンの新しい「正倉院」の事と、「三枚の硝子窓」のビジョンに、関係が有るのではないかと想った。
そして、眠ってからの映像には、現代社会で事業(金儲け)に成功している人々の様子が映し出されて来て、其の人達は「賢しら」な人達であるので、其の人達には決して関わっては成らない理・ことが示されて来た。
そして、其の原因・要因は、イエスキリストの言葉・予言に有る「其の時」と、旧約聖書に記されている「蛇が勧める知識の果実」の教訓が、併合されて示されて来ている事を感じ取って居た。
いま此処で「10時53分」との時刻が告げられて来たので、時刻を確認すると、10時52分であり、直ぐに其の「10時53分」に変わった。
此の「時間・時刻」の指示現象から考えると、私に告げられて来ている「紀(とき)のまつりを行え・みいつ建国」との言葉が関係が有り、其の事が、明日3月13日から、始まるとの事なのではないだろうか。
其の様に考えると、私が「マクロビオティック ・Macrobiotic・正食」を1984年3月5日に始めてから、8日目の3月13日に、太平洋に半分顔を出した太陽から「神を守れ」と告げられて来た事と関係が有り、其の後「日連上人」の霊魂が「私は悟っていなかった 曼荼羅を破ってくれ」と告げて来て、私が其れを実行した事が、離婚の引き金と成った事に関係が有り、日蓮上人の「立正安国論」の意いが、イエスキリストの意いと、重なって来ているのではないだろうか。
キー「国体」・・
此の「62・牟尼のページ」の文章には、「そして、其の延長線で「相対界2・絶対界8」の割合が、イメージされて来た。」と書いて有る。
其の事を考えると、昨日の「左側・手持ち・望遠レンズ、55」と「左側・据え付け、55」の数字は「50=50、フィフティフィフティ」ではなく、事態が「55%=55%=110%」の比率に成ったとの事であり、其れは現代社会の上(情報)に「55%=55%=110%」の情報を覆い被せれば、過去の情報・データーが、「5%+5%=10%」のプラス分で、覆い隠されて、過去のカルマ・業・柵が消去され、全てが新しく生まれ変わるとの理・ことなのではないだろうか。
其れは、昨日の「考え興し・妨げるモノ無し」との言葉が関係が有り、今朝のビジョンは昨日のメッセージの続きである事に成りそうである。
其れを考えると、私が2007年3月13日に、「日の宮幣立神宮」の境内に「9×2=18菊花紋」の幟旗を立てて儀式を行った事が、漸く日の目を見るとの事なのかも知れない。・・
此の記述には、「白鬚神社の祭神とされていることもある」と記されている。
其れを考えると、由香の母親が熱心に信仰して居た神が、其の「白鬚神」であり、其の神棚は現在でも其の儘残されており、私は其の祭禱(さいき)は継続しており、私は其の祭壇の間を左にして、毎日PC作業を行っているのである。
其れを考えると、昨日の「55枚+55枚」の私の身体の動き・意思には、其の「白鬚さん」が関わりを持っており、私が1984年11月に屋久島から旅に出発して、此の家に住む事に成ったのも、36年前の6月4日に「残り16年半しかない」と告げて来た存在・正体も、其の「白鬚さん」であった事に成り、「13066日」掛かって漸く明日3月13日から、「日の宮幣立神、太陽神、ラー、天照坐皇大御神御魂 」が、活動を開始するとの事なのかも知れない。・・
其れに、今朝は明日3月13日が64歳の誕生日である江藤敬介氏に電話を掛けると、今朝のビジョンには、「水が澄んでいないと棲まない種類の泥鰌・ドジョウが、泉池に澤山居る様子が、映し出されて来た。」との事であった。
私は、其の江藤氏のビジョン・メッセージは、「弁財天・サラスヴァティー」の名前の意味が「水(湖)を持つもの」である事と関係が有り、やはり江藤敬介氏の守護霊は弁財天・サラスヴァティーであるとの理・ことが示されて来ており、本日が「イブ・誕生前夜」である江藤氏の存在を、神々が言祝いでいるとの事なのであろう。
其れを考えると、私が江藤氏に13年前の1月13日に出会った時に、江藤氏の背景に花畑の映像が映し出されて来た事は、真実の世界であり「パラレルワールド」の入り口が無農薬・無化学肥料の自然栽培で、稲作を行っている江藤氏の姿・存在は、日本の呼称である「豊葦原瑞穂の国」の象徴であるとの事なのではないだろうか。
其れに、今朝の由香のビジョンは、少し離れた場所に、70歳位の男性が此方を向いて座って居り、周辺には4人ほどの人が居て、一人一人の姿の前に「巳」の漢字が浮かんで来たとの事で、其の後、先ほどの70歳位の男性が、由香を見て「メッセージ」を告げて来たとの事である。
次の場面では、由香が紙に50番ぐらいまでの数字を書いて、数字毎にハサミで切って、外から見えないように、不透明な器に入れて、番号くじを引いてもらう準備をしていたとの事である。
其の由香のビジョンも、此の家に白髭さんが実在する事を示唆しているのかも知れない。
今朝は、PCを立ち上げると、冒頭の女神の言葉が告げられて来たので、其の言葉の意味に付いて考え始め、天気が良いのでマクロレンズのカメラを手にして、暫く、庭と畑の写真を撮って廻った。
私は、自然さえ近くに存在すれば、余計な事を考えずに済む様である。
「貴方は見事に遣り遂げたわ」https://green.ap.teacup.com/20060818/5300.html
此の文章には、日本の「国体」に付いて特集して有るので、今朝のビジョンに映し出されて来た「桜木の芯・ジン」の意味と符合している事に成る。
其れに起きた時に、時計の長短の針が重なっていた「9時16分前」の数字から、9月16日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/9/16今朝のビジョンには、一晩中、現在の世の中・人間社会のシステム・様子とは異なる世界が映し出されて来た。
先ず、人工衛星から見える夜景の町の存在が映し出されて来て、灯りの並びから、其の町は川筋に在る細長い町である事が理解されて来た。
次に、昼間の人間社会の営みが映し出されて来て、其の社会システムは中年の女性(婦人)が指導者である事が示されて来た。
次に、人家・家庭の庭に、周囲に水を撒ける太目の長い青色のホースが這っている場面が映し出されて来て、其の生活環境では、水が自由・身近に使える事が理解されて来た。
次に、働き手が居なく成った所為なのか、農地に作物が植えられておらず、荒れ果てている場面が映し出されて来た。
次に、日本語の横書き文章で、世の中の有り様に付いて、箇条書きに書いてある画面が、上から下に次々に澤山下って行く場面が映し出されて来た。
次に、精神・法典に付いて書いて有る日本語の縦書きの太字の文章が、右側から左側へ流れて行く場面が映し出されて来た。
そして、本日の日付である「9月16日」が映し出されて来た所で、意識が目覚めたので照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時3分」であった。
今朝のビジョンから私が感じた事は、是までのモノとは違い、私の姿や「神・はたらき」が関わりを持っているとの事が、何も示されて来なかったので、人間自身が物事を考えて、社会構成を行って行く時節が到来した事が、映し出されて来ている様である。
全体的には、戦争や災害等が無く、平和である事が能く理解される場面・様子であった。
今朝の全体の様子から私に想われる事は、老子の謂う最高次元の政治が行われている人間社会の存在である。
キー「老子 政治 」・・
今朝のメッセージは、昨日告げられてきた「総理大臣に成れ」との言葉と関係があり、其れは、現在の総理大臣とは全く異なる次元の話であり、昨日最後に書いた「新旧の別れ道」との言葉と関係が有り、新しい道・ルートが示されて来た事に成るのであろう。
其れを考えると、今朝のビジョンに、私の意識や神(はたらき)の存在が、示されて来なかったのは、私の意識の背景に存在する本体が、自分の存在を明確にして来たとの事が明らかである。
今朝のビジョンから私が感じた事は、私が産まれ育った家には、裏山から水が引かれて来ており、畑の作物の水掛や、夏の水遊びが自由に出来、私が子供の頃から水の存在と戯れて来た事に関係が有り、今朝のビジョンで、庭に置かれていた青いホースの存在や、川筋の町の夜景は、人間の生活にとって水の存在が欠かせないと言う理・ことであり、水の存在(水素/Hの氣・エナジー)に絶えず感謝をしなければ成らないと言う事なのではないだろうか。
其れに、今朝のメッセージでは、最後に本日の日付である「9月16日」の数字に意味が有る事が示されて来た。
其の事から、私に考えられる事は「916」の数字が「旧16」と読めるので、現在の天皇家が使用している「十六方菊花紋」は「旧体制・旧次元」の物であるので、是から「新体制・新次元」の「マーク・印章」に替わるとの事であり、其れが、私が2007年3月13日に阿蘇の「日の宮幣立神宮」で「十八方菊花紋」が付いた「九代龍王水神」の幟を立て、「瑞穂の国造り出発の儀式」を行った事と関係が有ると言う事である。
其れに、其の経緯には平成元年1月7日に身罷った「昭和天皇」の御大葬の日に、其の昭和天皇の御魂から「我が身 既に遠く 良き世を 願い奉る」と告げられ、在る事さえ知らなかった「日の宮幣立神宮」の存在を知らされ、3月13日に初めて参拝する事に成ったので、歴代の天皇の御魂の意思に沿った行動であるとも謂える出来事なのである。・・
天皇霊其の二「昭和天皇」http://star.ap.teacup.com/20060505/69.html
天皇霊其の一「天智天皇」http://star.ap.teacup.com/20060505/67.html
天皇霊其の三「後醍醐天皇http://star.ap.teacup.com/20060505/91.html
天皇霊其の四「神武天皇」http://moon.ap.teacup.com/20061108/567.html
昨日のニュースでには、「・・菅新総裁と、二階幹事長・佐藤総務会長・下村政調会長・山口選対委員長の「4役」はいずれも男性で、5人の平均年齢は71.4歳だった。・・」と報道されている。
其の事・現実を考えると、確かに日本国の「政治・まつりごと」末期症状に至っている事に成り、旧体制の儘では、日本国家は、新時代の日の出を見ない儘、破綻して行くとの事の様である。
其れは、新旧交代には必要不可欠な事態・現象なのであろう。
今朝「9月16日」の日付が示されて来た「7時3分」の数字から、7月3日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
これ等の言葉からすると、私の役割は未だ残っている様である。
「全く新しい世界」https://green.ap.teacup.com/20060818/5489.html
其れから、告げられて来た「環境・コンセンサス・マン」との言葉から、「コンセンサス」との言葉を調べると次の様に載っている。
コンセンサス【consensus】
意見の一致。合意。「社内のコンセンサスを得る」
コンセンサス‐ほうしき〔‐ハウシキ〕【コンセンサス方式】 の解説
会議の決定に際し、票決によらず、反対意思の表明がないことをもって決定成立とする方式。 国語辞典より
其れに、「ニュートラル人」との言葉が告げられて来た7時25分の数字から、7月25日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/7/25本日7月25日は、マヤの「13の月の暦」で「時間を外した日」とされている日である。
「13の月の暦」は「ホゼ・ アグエイアス氏」がマヤ暦を参考にして創作した物であり、原住民の暦とは別物であるが、知識の無い私を動かす為に、マヤの神(はたらき)である「ククルカン・ケツァルコアトル(時間の操縦士)」が、其れを利用しているのだと思われる。
今朝のビジョンは、其の事と関係が有るのか、私の意識は、神(はたらき)や佛(悟った者)の世界とは全く関係が無いと謂うか、全く別の次元・世界に在る事が感じられる世界(ところ)に存在する感じのモノであった。
今朝のビジョンには、先ず、サイドカー着きのオートバイの様な車の存在が映し出されて来た。其れは、サイドカーが真横に着いている仕組みではなく、真後ろで引く仕組みであり、オートバイも通常の物ではなく、大型の物であった。
そして、其の後ろに引いて有る車は、大型の乳母車・ベビー用カーシートの様な物であるので、私はどんな大きな幼児を乗せるのだろうかと意った。
すると、次に映し出されて来たビジョンは、人間の大人程の黒い鉄のロボットか鎧の様に見える、人の形の物がシートに寄りかかって居る様子が映し出されて来て、其れは純粋な珪素・シリコン・シリカの金属である事が、理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時47分・3時13分」であった。
其れから再び眠ると、人間の夫婦・番いの存在が映し出されて来て、其れは、生命の現象の最も表面であり、其の背景には、あらゆる地球生命の存在が有る理・ことが示されて来た。
そして、其の原点の別れ道・枝に単細胞と多細胞が有る事が示されて来て、雌雄・男女が分かれる事に成った理由を明確に認識しなければ成らない事が示されて来て、其処には、我々が考えている人間の姿をした神々の存在は、一切無い理・ことが示されて来た。
そして、其れ等の生命の営みに、日本人の考え(概念)である「産土神・うぶすなかみ」「身土不二・しんどふじ」「医食同源・いしょくどうげん」等の世界が、大事・重要であるとの理・ことが認識されて来た。
そして、「いのちの原点・根源」との意味の言葉・ことだまが、告げられて来た・脳裏を占めて来たので、意識が目覚め起きて時計を見ると、時刻は7時38分で長短の針が重なっていた。
其れで起きてから、時計の針を巻き戻して分度器で計って見ると、右から230度・左から130度の所であり、私が作成している屋久島の地図上の線では、其の「230度・130度の位置は西部林道の小楊子々岳295m(大川滝の手前)を通る場所であり、西南・裏鬼門・坤(ひつじさる)225度・135度の少し上である。
其れに反対側の50度・310度は楠川の「屋久島大社」を通り、北東・鬼門・丑(うしとら)45度・315度の少し下である。
其れから、「いのちの原点・根源」との言葉・意味が告げられて来た「7時38分・8時22分前」の数字から、昨年の8月22日の文章を視て見ると、題が何と「生命と時の関係」であり、正に、本日の「課題・テーマ」とピッタリ合っているので、私の意識はマヤ・アステカの神(はたらき)である「ククルカン・ケツァルコアトル」に管理されていると謂うか、其の神(はたらき)自体(時間・とき)を生きている事に成る。・・
今朝の由香のビジョンは、自宅が新しい無垢の木の造りで立て直されており、家の中の物は殆ど無く、現在の仏壇や神棚・床の間が存在しないで、西側の部屋に白い祭壇が有るだけで、其処に向かっていると、数代前のご先祖らしき、とても優しそうなお婆さんの存在が感じられ、心から感謝の気持ちで手を合わして居るが映し出されて来たとの事である。
其の由香のビジョンも、先祖の禱りと西方の方角が示されて来ており、「西方浄土」の「南無阿弥陀如来」と関係が有りそうである。
其の由香は、2003年8月18日に私がガイドをして、南北に連なる屋久島の奥岳(東経130度30分の線上)を縦断して、18日の夜は永田岳(1886m)の頂上に存在する神様を祭禱する「磐座・いわくら」でお籠りをして、19日の午後永田集落のバス停に下りた事が有る。
そして、三年後の2006年8月18日にマヤ・アステカの神(はたらき)である「ククルカン・ケツァルコアトル」が顔を出して「約束は守られる」と告げて来たのである。
私は2002年4月24に屋久島に18年振りに帰島し、1984年6月4日に安房川の岸辺で禊払いを行って4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」現象が起きた時に、11月半ば迄、屋久島の荒野を彷徨い歩き、自分が体験した出来事から「風水盤」の事を考え、屋久島の東経130度30分の線上の中心に在る寝待岳(麓・神様の窪)を中心とする風水盤の作成の作成を考え、屋久島の地図を購入して、丸い島に方位の線を引いて、屋久島全体の集落や、神を祭禱(さいき)する山や森の位置を確認して、不思議な事が判ったのである。
今朝の神界の様子は、其の事と関係が有り、私は36年前の次元まで還って、屋久島の存在と、神々の働き・仕組みを今一度、再確認する必要があるようである。
其れを考えると、今朝のビジョンに大型の「乳母車・ベビーカー」の存在が映し出されて来て、其の車に乗るモノが黒い金属(珪素・シリコン・シリカ)製の、大きな人間の姿であったのは、私が屋久島での修行中に、屋久島中の石を集め回り、自分の寝室の布団の上にS字型の螺旋構造で並べ、其の両方の渦の中心に柱石を立てて、其れが完成すると、四次元の事象・次元が稼働を始め、部屋の中が歪み始めて、様々な現象が発生し始めた事と、関係が有るのではないだろうか。
其れは、人間だけではなく、地球生命全体が、其の珪素・シリコン・シリカで体・殻が作られているとの理・ことであり、其の珪素の周波数が、物である太陽光(波動・粒子)の速度よりも格段に速く、宇宙空間を飛び交っていると言う事であり、其のシリコンの周波数が、単なるタンパク質である遺伝子・DNAを、生命情報を持つ物として動かしている、本体であるとの理・ことなのではないだろうか。
其れは40億年±2億年前に、岩を溶かして生き始めた、命の始まりである微生物の存在と関係が有り、釈迦仏陀の謂う「久遠実成・くおんじつじょう」や、イエスキリストの謂う「永遠の命に入る為」との言葉と関係が有り、今朝私は、生命の根本が珪素・シリコンである理を示された・知らされた事に、成るのであろう。
キー「珪素 シリコン 松果体」・・
何れにしても、私はもう一度、生命の原点・根源に向かって、長い触覚を伸ばして行かなければ成らない様である。
「命の根源」https://green.ap.teacup.com/20060818/5435.html
ニュートラル【neutral】 の解説[形動]
1 いずれにも片寄らないさま。中立的。中間的。「ニュートラルな物の見方」
2 自動車などで、ギアがかみ合わず動力が伝達されない状態。
国語辞典より
『自適さんは 私の云った事は 無視しても良いから
自分の想い通りに 動きなさい。
何故なら 自適さんが 動かさなければ
何物も 前に進めないからです。』9時49分
此の、今告げられて来た言葉は、私を找し出して此の神(はたらき)の世界に送り込んだ「土肥無庵」からのモノであり、「私の云った事とは」次の言葉の事であろう。
「ナニモナサザルナ ソノママデヨイ」
自然無為
達人が平凡に生くることこそ
本科 なり
カンヨウ
必要 こそ道
無庵記
「何も為さざるな」https://sun.ap.teacup.com/20061030/31.html
此の「何も為さざるな」との言葉は、今朝7時25分に告げられて来た「ニーュートラル人」との言葉と合っており、私はギアを入れて、走り出しては成らないとの事になる。
だが、「私の云った事は無視しても良いから 自分の想い通りに動きなさい。」との事は、其れが足枷に成って、私が動き出す事に躊躇して居れば、未来創造が出来ない・紀(とき)のまつりが起きない・御稜威建国が始まらない。との事の様である。
其の様に考えると、昨日の文章に書いた「老少」との言葉が関係が有り、私は日常は子供の様な純粋さと、翁の様な熟練した精神で、未来社会の創造に関わる人々の環境を、整えていかなければならないとの事なのかも知れない。
其の様に考えると、今朝告げられて来た「環境・コンセンサス・マン」との言葉の意味が「意見の一致。合意。が図られる環境を整える人」との意味合いである事と関係が有り、私は由香がビジョンで見せられている事を、現実として迎えなければ成らないと言う事なのかも知れない。
2002/12/2512月7日の朝、岡山の「伊丹由香さん」から電話があり、私が夢に出て来たとの事。
其の場面は、私が寝ている建物が地方に在り、建物への階段を上って行くと、玄関先が開いた土間の様に成っていて、入口を囲む様に、数人の男性が座って話しをしている。話しをしている男性は、方言で話していたので、地方だと分かったとの事。
挨拶をして、中に入ろうとすると、取次ぎの年配の女性(60歳位)が居て、私が筆で書いた紙を見せ、其の紙には「酒を飲んでいる方は 御遠慮下さい」との内容が書いて有ったそうだ。
其の建物で、私が何をしていたかと言うと、布団に横になって居たらしい。
其の電話連絡を受けて、私はまた、同じメッセージが来たと思った。
と謂うのは、1986年12月31日の未明、高知県で「井上佳子(私の後の妻:平成10年死去)」の見た夢で、やはり私はある建物の中で、布団に横になって居たとの事。
其れと、同じ情報がまた出された事になる。
16年前の夢と同じ夢が、別の女性に出て来るのは、夢の世界がどう言うシステムに成っているのかを調べるのに、参考になるのではないだろうか。
16年前の佳子の夢は、高知県中村市の四万十川の下流の中洲に宿泊した時に、見た霊夢で、世界中から何万人もの人々が、奈良県奈良市に有る平城京に集まって居て、平城京の広場には、白い布を掛けたテーブルが、何列も長く並べられており、詰襟の人達が多数立っているのが見えたとの事である。
そして、其の会場には御神輿が出ていて、祭りの感じがしたと謂うのである。
其の夢で、佳子自身は広場の入口に立っており、自分が焼いたクッキーを、入場する人々の口の中に、一個ずつ入れてやると、皆が入口に置かれている箱に、100円玉を一個ずつ入れて行ったとの事である。
その内に、私が見えない事に気付いて、私を捜したら、私は小さな建物の中に居て、布団に横になって居たと云うのである。
其の佳子の夢からすると、私は表の舞台には出ないで、何時も瞑想しているのが役目の様である。
不思議な事を、もう一つ挙げるならば、佳子が夢を見た1986年の12月31日は、中村市から愛媛県の方に回り、宇和島市に在る「和霊神社」の境内にて、二人で年の瀬を過ごした。
電話が有った、私の夢を見た女性は、和霊神社に行った事が無いにも関らず、今月9日に、和霊神社が創建された経緯・いきさつを全部、夢物語りで見ているのである。
登場人物まで、確かに全部見ているので、私は驚いてしまった。
私の行動と、夢を見た二人の女性、そして「和霊神社」と「平城京」と地方の建物、其れ等の関係性は、何を告げて来ているのだろうか。
佳子は、平城京には行った事が無いのであり、和霊神社の夢を見た人も、未だ和霊神社に行った事が無いのである。
未知の事柄が、どの様な情報システムで、夢に現れ出て来るのだろうか。
そして、私は、自分では布団に寝ている自分の姿は、見えないのである。
夢とは、現実と同じで、自分の姿を見る事が出来ないものらしい。
夢とは、第三者の立場でしか、見る事が出来ないらしいのだ。
若しかしたら、私達が夢見る世界は、自分の世界ではなく、私達の肉体に憑依している霊魂が、見ているモノなのかも知れない。
そうであれば、人間自身ではなく、霊魂の方が情報を集めている事になる。・・・
「自分の見る夢では 自分の姿が見えない」http://moon.ap.teacup.com/20061108/222.html
2018/1/21「父親と息子」 https://green.ap.teacup.com/20060818/4503.html
キー「環境」
2008/2/4・・今朝は、其の文章の後に「環境デザイン」のテーマの「境・キョウ」が、抜け落ちているのが映されて来た。
いま、其の「境」を漢語林で調べて見ると、「土+竟」の組み合わせで「竟・キョウ」は、くぎりの意味。くぎりの土地。さかいの意味を現す。と有る。
*「境・キョウ・ケイ・さかい」【解字】形声。「土+竟」音符の竟・ケイは、くぎりの意味。くぎりの土地、さかいの意味を表す。
【字儀】@さかい。境界。くぎり目。「国境」「越境」Aさかいの内側。しきられた地域。領地。Bところ。場所。「異境」C場合。めぐりあわせ。地位。「境遇」「逆境」Dありさま・様子。「心境」
其の意味は、新しい国造りをする為には、古い社会と、ハッキリと境目を着けて、行なえとの事かも知れない。
境目がハッキリしないと、今朝の私の夢の様に、旧体制の人間が、遊び半分に遣って来て、邪魔をするので、共倒れと成るとの意味ではないだろうか。
其れと、環境の「環・カン 玉+罘口」は、日本語では「たまき」と読むが、本来は「てまき・手巻き」で、手に巻く腕輪の事であり、自分の身の回りの事を意味している。だから環境とは、自分の身の回りに、他とは境目を作り、自分の環境を守る理を意味しているのである。
*「環・カン」【解字】形声。「王(玉)+罘口」音符の罘口・カンは、めぐるの意味。輪の形をした玉の意味を表す。【字義】@たまき。璧の一種。穴の直径が、周辺の幅と等しいものをいう。Aワ・かん。輪状のもの。Bめぐる。㋐ちりまく。かこむ。㋑まわる。巡回(旋回)する。Cめぐらす。とりかこむ。
漢語林より
だから、此処まで暴走した、人間のカルマ・業の世界は、もう誰も止めようが無いと言う事であろう。
「神・天帝」が、人間に求めて来ている事は、早く目覚めた者から、新体制を構築し、其々が、自分自身で生き残れとの事であろう。・・・
「さかい目」https://green.ap.teacup.com/20060818/630.html
此の文章には、「・・其の意味は、新しい国造りをする為には、古い社会と、ハッキリと境目を着けて、行なえとの事かも知れない。境目がハッキリしないと、今朝の私の夢の様に、旧体制の人間が、遊び半分に遣って来て、邪魔をするので、共倒れと成るとの意味ではないだろうか。・・・」と、書いてあるので、今朝告げられて来た「コンセンサス・マン」の前に「環境」との言葉が付いていた意味も理解されて来る。
私のブログの文章は、殆どが夢見の世界を分析した物である。
私と夢の世界の繋がり・関係は、子供の時に眠る為に目を閉じると、意識が奈落の底(ブラックホール・タイムトンネル)に引き込まれて、終点に辿り着くと、映像が映し出されて来たり、聲が聴こえて来る事が有った事・現象が、今日に成ってからも続いて来ている結果である。
「タイムトンネル」https://star.ap.teacup.com/170606/123.html
其の夢見の世界は、イスラエルの「ヤコブ」と12名の息子達と家族が飢餓から救われたのは、ヤコブの息子「ヨセフ」がエジプト王が見た夢の解釈を行って、エジプトが難を逃れた出来事に拠るモノである事や、「イザヤ」の夢見に因る予言に従って、日本にイスラエル・ユダヤ人・天津族が辿り着いた出来事も有るからである。
其れと同じ様な事・世界が、私と関係者に、現在・いま起きているとの事であり、其の事が大詰めに至っているとの事なのであろう。
令和2年12月29日
礒邉自適
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