1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2021/1/31
船出
3・1・31
本日で今年も早一ヶ月が終わる。
今朝のビジョンには、先ず、何処かの荒野に、長い高圧電線のコードが、列車のレール・軌道の様に二本敷かれる場面・様子が映し出されて来た。
次に、私の所に、洋服を着た中年の日本人男性が二人訪れて来て、私の前の左右に座り、何らかの話を始める様子が映し出されて来た。
次に、私が待合所のトイレの中の掃除を、壁の雑巾がけまで済まして、外に出ると、切符売り場に、襟を立てた防寒着を来た若い女性が二人並んで、待って居る様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時6分」であった。
其れから再び眠ると、今度は「船出」との言葉が一言告げられて来た後に、「天照皇大神・あまてらすおおみかみ」の名前の意味である、光輝く世界が映し出されて来た。
次に、故「渡邊達成」が海に潜るとの事で私が付いて行き、渡邊がスーツ姿で銛を手にして海に潜ると、比較的浅いサンゴ礁に大きな伊勢海老がいて、次々に澤山の伊勢海老が捕れるので、私は大きな網の中に其れを拾い集めて居た。
そして、渡邊の姿が見えなく成ったので、私は海から上がって渡邊の自宅に向かい、土間に置いて有る大きなプラスチックの箱の中に入れた。
次に、未婚の時の私の妹である「礒邉八重子」が、ボランティアで小学校の校庭の草刈りに出掛けているので、耕運機で迎えに行き、刈り取った草を積み込んで自分の牛小屋に運んでから、再び渡邊の家に向かうと、渡邊は三人の若者と一緒に、縁側にて漁網の修理を行って居た。
其れで私が、「伊勢海老は 箱の中に入れて措いたよ」と謂うと、渡邊は「ああ 漁業組合に降ろしてくれていたら 良かったのに。」と謂った後に、「川東義信おじが漁師を辞めると謂って居るので 伊勢海老用網を貰ったらどうか。」と謂うので、私は其れに対して、「私は 船を買おうと意っているので 丁度良い」と応答していた。
そして、今朝起きた時刻は「9時23分」であったので、其の数字は父方の祖父である「礒邉助次郎」の命日である事を思った。
其れからPCを立上げ、起こされた「6時6分」と「9時23分」の数字から、昨年の6月6日と9月23日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/6/6今朝のビジョンには、私の財産を盗んだ故「池田保」が登場して、慣れない手付きで皆の弁当のおかずを作って居た。
私は其の様子を見て、何処に届ける為なのだろうかと思って居た。
次に、新幹線の新型車両の屋根に、天窓と成るとても薄くて丈夫な板が、後方から前方に差し込まれる・取り付けられる様子・場面が映し出されて来た。
そして、其の様子を、NHKの人気の有る昔の男性のアナウンサーが現場中継をして居る、撮影現場の様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時13分」であった。
其れから再び眠ると、神(はたらき)の存在は神社や物に有るのではなく、風(空気)の中に有ると言うか、吹いて来る「風自体」である理・ことが示されて来た。
今朝起きた時刻は「6時44分・7時16分前」である。
今朝はPCを立ち上げ、先ず、起こされた時刻4時13分の数字から、今年の4月13日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章の内容からすると、今朝のメッセージは昨日の続きであり、森林・深い森で醸成された風・空気こそが、人間に正しい感覚・気配を与える物であり、其の風の中で毛穴を解放しなければ、「虚空蔵菩薩求聞持法・こくうぞうぼさつぐもんじほう」の会得は難しいと言う事なのかも知れない。
其の様に考えると、今朝のビジョンで故池田保が、皆の弁当のおかずを作って居た場面や、NHK(日本放送協会)が、JR(日本鉄道・ジャパンレールウェイズ・Japan Railways)の新車両の天窓の設置工事を取材していた場面の意味が、理解されて来る。
其れに、今朝起きた・起こされた「6時44分・7時16前」の数字から、昨年の7月16日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
今朝のメッセージは、昨日の午後6時10分に、私の左手の親指と人差し指に(來迎印)にカモ(神の電気信号)の反応が起きた事と関係があり、昭和19年6月10日(時の記念日)に、千葉県印旛郡公津村台方(現・成田市台方)に有る「麻賀多神社」に岡本天明が参詣した時に、境内の末社である「天之日津久神社」の祠の前で「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」が始まった事と関係が有り、其の中に「此の日本から 神一厘の仕組みが発動する」との事が告げられて来ている事が、愈々始まるとの事なのではないだろうか。
そして、其の事は、此の日本から新しい神風が吹くとの事であり、其の風を、悪い物(イメージ)にしては成らないので、私が池田保の存在を「私の財産を盗んだ人間」としていては、「泥棒の国」と成ってしまうので、「私に 自由を齎した人物」との意味にでも、言い換える必要があると言う事なのではないだろうか。
其れは、私を找し出して此の神の世界に送り込んだ「土肥無庵」の存在だけでは、財産が残っていては、其の管理運営から離れる事が出来ないので、其の役割を代わってくれる相手が必要不可欠であったと言う事である。
其れは、イエスキリストの物語・ストーリーには、「裏切りのユダ」が必要で有り、釈迦ブッダには「提婆達多・ダイバダッタ」の存在が必要であった事と、同じ手段・法則である事になる。・・
此の二人の存在を考えると、此の人間世界・社会は、映画や昔話の世界と同じであり、善人だけでは物語・ストーリーが成り立たないと言う事であり、悪人の役割がどうしても必要であり、彼等は其の悪役を無事に果たしたと言う事なのであろう。
其れを考えると、其の様な悪役が不必要な世界・人間社会が「楽園・パラダイス」であると言う事に成り、我々は出来るだけ早く、悪役(犠牲者)が必要ではない世界・人間社会を、完成させる必要があるのだろう。
其の為にも、此の東方の端にある「日ノ本の国」から、西に向かって、新しい神風を吹かせなければ成らないと言う事に成る。
キー「伊勢 東風 」・・
「神風が吹く国」https://green.ap.teacup.com/20060818/5386.html
2020/9/23本日9月23日は、私の父方の祖父「助次郎」の72回忌の日であるが、屋久島では全島で「岳参り」の行事が行われる日である。
其れを考えると、此処数日のメッセージは、今朝のビジョン・メッセージの前触れであったのかも知れない。
今朝のビジョンには、先ず、是まで私が度々行って来た、集いを行っている様子が映し出されて来た。
其れは、私自身が発起人と成って日付や場所を決定し、案内や食事の段取りに宿泊まで、全て準備して、資料作成から会の進行まで一手に行う場面である。
其の会合には、黒人男性を含め錚錚たるメンバーが集まったのだが、集まりが終わって見ると、是までと同じく、私の事・存在を理解できる人間は一人も居なかった。
そして、幾分気落ちした状態・気分に成って居ると、次に、明るい昼間の景色として、向こう側に明るい肌色の岩壁が存在し、其の岩壁を背景にして「 − f分の1」の式が記されている場面が映し出されて来た。
其れは、「神は f分の1の世界にある」との意味を示している様であった。
其処で意識が目覚めたので起きて時計を見ると、6時00分であり、長短の針は上下に真っ直ぐであった。
其れから縁側に出て見ると、明るくは成っているが、未だ太陽は昇ってはいなかった。
其れからPCを立上げ、先ず「f分の1」を検索すると、次の様に載っている。・・
此の説明からすると、今朝のメッセージは「神(はたらき)」は「1/fゆらぎの中に在る」との理・ことであり、其れはリラックス状態でなければ、実感・体感が無いので、緊張状態で集いを行っても、神(はたらき)は其処に現れないと言う理・ことが示されて来ているのではないだろうか。
其の様に考えると、「気功」の言葉等と関係が有り「気」の元字が「氣」であり、「目に見えない小さなもの」の意味であり、雲気・水蒸気などを言い表す物なので、形が定まっている・固形の物には神は棲まないとの理・ことであり、物の世界は神(はたらき)ではないとの事の様である。
其れを考えると、数字や文字自体には神は棲まないと言う事であり、数字や文字が神とのコミニケションに役立つのは、其の数字や文字を扱う人間の脳・意識に電気パルス(電気信号)として作用しているとの理・ことなのであろう。
キー「f分の1」
此の「花崗岩に含まれる珪素は、光りファイバーのガラス管として、磁気信号を送る為に、IT機器の主役の役割を果たし始めている。」との文章からすると、今朝のビジョンが、太陽光線が当たる岩壁を背景にして「 − f分の1」の式が記されていたのは、太陽光線が当たる岩壁(花崗岩・珪素)が、神(はたらき)の氣を感じる事が出来るf分の一の揺らぎの世界・舞台であるとの理・ことなのかも知れない。
キー「気 氣 き ケ 雲気 水蒸気」・・
今朝のビジョン・メッセージから、私が考える事は、年月日は、人間が創造した物ではなく、実際の物・天空の動きであるのでパワーは有るが、人間が作り出した神名は実体が無い物なので、神名で物事を考えても「f分の1ゆらぎ」は其処に発生しないとの理・ことなのかも知れない。
其れを考えると、日向の岩場で「祷り・いのり・帰命・ナーム・リリジョン・religion」をする事が、最も「f分の1ゆらぎ」の中に身を置く事に成りそうである。
「神は1/fゆらぎの中に」https://green.ap.teacup.com/20060818/5496.html
此の「神風が吹く国」と「神は1/fゆらぎの中に」の文章・名前には「神の世界」が共通しているので、今朝のビジョン・メッセージに「天照皇大神・あまてらすおおみかみ」の世界が映し出されて来た事と、関係が有りそうである。
其れに、今朝登場した「渡邊達成」が海に潜って澤山の伊勢海老を捕っていたのは、「伊勢神宮」と関係があり、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神が「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」である事と関係が有りそうである。
何故かと謂うと、「渡邊」の苗字は渡来系・天津族の「度会部・わたらいべ」が元であり、外宮の宮司家が「渡部・度会部」であった事と関係が有り「渡邊達成」との名前は「度会部の役割が達成された」との意味合いが有る事にも成る。
キー「渡部・度会部 伊勢 」
2014/4/30・・七、到着した建物に、「度会家(渡部家)」に伝わる古文書が保存されていたのは、伊勢神宮外宮の神官をしていた度会家の神事が、一番正しい物である理・ことを示している。
其れに、昨夜10時27分にカモ・(神の電気信号)の反応が左手の人差し指に来たのは、無庵師匠の生誕前夜・イヴであり、左手の人差し指は、精神的な指導者を意味しているので、無庵師匠が自分の願いが叶った事を、知らせて来たのであろう。・・
伊勢神宮の土地は、倭姫命に当時其の地を治めていた「磯部族」が提供した物であり、「度会家(渡部家)」は磯部の民の子孫である。
其の事を考えると、昨日昭和天皇の誕生日に、全ての「神霊の思頼・みたまのふゆ」が終了したと言うか、完成したのかも知れない。
其の様に考えると、大喪の日に「吾が身 すでに遠く 良き世を 願い奉る」と告げて来た昭和天皇の念いや、天智天皇の「神籬の代々の乱れを盃に菊一輪と輪廻飲み」との言葉も、解決の目途が立ったと言う事ではないだろうか。
【度会神道・外宮神道】
伊勢神道(いせしんとう)とは、伊勢神宮で生まれた神道の説。外宮の神職(度会氏)の間で唱えられるようになった。このため、度会神道・外宮神道ともいう。
概要[編集]
鎌倉時代末期に、それまでの両部神道や山王神道などの本地垂迹説とは逆に、反本地垂迹説(神本仏迹説)が勃興するようになり、その影響で、伊勢神宮の外宮の神官である度会家行によって、伊勢神道が唱えられた[1]。伊勢神道は、『神道五部書』(偽書とされる[1])を根本経典とする。また、儒教・道教思想の要素もあわさった最初の神道理論とされる[2]。伊勢神道は、元寇により、日本を「神の国」であると再認識し、唯一絶対の日本の宗教が神道であるとする勢力のよりどころとされて、発展した。
その思想は、外宮の祭神である豊受大神を、天地開闢に先立って出現した天之御中主神や国常立尊と同一視して、内宮の祭神である天照大神をしのぐ普遍的神格(絶対神)とし、内宮に対抗する要素があった[3]。それまで、外宮の豊受大神は、内宮の天照大神に奉仕する御饌津神とされていたが、度会氏は『神道五部書』を根拠に、外宮を内宮と同等、あるいはそれ以上の権威あるものとし、伊勢神宮における外宮の地位の引き上げを目指した[1]。
伊勢神道の理論の構成には、中国思想の影響が多分にうかがえるが、絶対神の存在を強調することで、神を仏の上位におき、反仏、排仏の姿勢を示したのである[2]。
伊勢神道は、鎌倉時代・室町時代を前期、江戸時代を後期とする。代表的な神道家として、創唱者の度会家行のほか、出口延佳などがあげられる。
【神道五部書(しんとうごうぶしょ)】とは、伊勢神道(度会神道)の根本経典で、以下の5つの経典の総称である。
『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』(御鎮座次第記)
『伊勢二所皇太神御鎮座伝記』(御鎮座伝記)
『豊受皇太神御鎮座本記』(御鎮座本記)
『造伊勢二所太神宮宝基本記』(宝基本記)
『倭姫命世記』
いずれも奥付には奈良時代以前の成立となっているが、実際には鎌倉時代に度会行忠ら外宮祀官が、伊勢神宮に伝わる古伝を加味しつつ執筆したものとみられている。・・・ ウィキペディア辞典
今朝のメッセージの内容は、単なる私の血筋である「磯部・礒邉・石部」の事だけではなく、人類全体の精神構造と言うか、御霊・御魂の世界に付いて示して来ているのであろう。
其れは、世界中に存在するどの宗教よりも、日本の伝統である「禊ぎ祓い」と「神惟道・かんながらのみち」が、天の理に適っている理・ことを示して来ているのであろう。
そして、其の理が、私の「肉体・からだ・空蝉」を使って、蘇ったとの事ではないだろうか。
其の様に考えると、私の30年・一世に亘る努力が実ったと言うか、今世に降臨した自分の御魂の役割が、無事に果たせた事に成るのであろう。
是で、愈々、群馬県甘楽郡南北村黒滝山の黒滝不動尊に伝えられている「先代旧事本記大成経」が、世に出る体制が整ったとの事に成るのかも知れない。
「極まる」 http://green.ap.teacup.com/20060818/1298.html
「星が歩く」http://star.ap.teacup.com/170606/684.html
「度会家の文書」https://star.ap.teacup.com/20060505/95.html
2015/2/18・・次の映像は、私が小雨の降る中、傘を差して、三重県志摩市磯部町上之郷に在る「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」の境内を歩いて居る場面が、映し出されて来た。
其れは、私の視線が伊雑宮の境内を見ているのではなく、私が境内を歩いて居る姿を、何者かの視線が視ている場面である。
そして、其の場面が定着した一枚の画像と成り、其の写真の下を見ると、後は黒いネガフイルム状態であり、一枚も画像が映されてはいなかった。
其れは、私が1997年12月8日に、初めて「伊雑宮(磯部の宮)」を、出雲の「安部忠宏」氏や広島の「高木洋」氏と、三人で磯部町に住む「桑田啓夫」氏に案内されて、参拝した時の場面である。
今朝は、起きて直ぐにPCの前に座ったが、今朝の文章の題を何にすれば良いかが、判らないで居ると「風が吹く」との言葉が告げられて来たので、其の言葉を題にした。
今朝のメッセージは、私が初めて「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」に参拝した時の、自分の姿が映し出されて来たので、其の事を、テーマとして考えれば良いのであろう。
そして、「風が吹く」との言葉は「伊勢の神風」との事なのかも知れない。
「この神風(かむかぜ)の伊勢国(いせのくに)は、常世(とこよ)の浪の重浪帰(しきなみよ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うま)し国なり。是(こ)の国に居(を)らむと欲(おも)ふ」 日本書紀より
「伊雑宮(磯部の宮)」の祭神は「天照皇大神・あまてらすすめおおかみ」の「荒御魂」とされている。
そして、イスラエル(ユダヤ)の印である「六芒星・ろくぼうせい」が、石燈籠に刻まれている事でも有名である。
私が、其の伊雑宮(磯部の宮)に初めて参拝したのは1997年12月8日であるが、私は1984年11月21日に伊勢外宮に初めて参拝し、其の日は大王御崎の方を回って、其の夜は三重県志摩市阿児鵜方字西ノ河内の空き地で、車中にて一夜を明かした。
すると、未明に、男性神の上半身の姿が映し出されてきて、朝起きて車で走り始めると、磯部町に在る「正傳寺」の庭で、神憑りの車椅子のお爺さんに遭遇し、未来の事を頼まれたのである。
2008/6/3・・私が、1984年11月21日の早朝、初めて伊勢神宮外宮に参拝してから、大王岬を回り、三重県志摩市阿児鵜方字西ノ河内の電電公社の電波塔の近くの広場で、車中に一泊した時の未明に、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照皇大神・あまてらすすめおおかみ」の上半身の姿が、夢枕に現われた。
そして22日の朝、車を運転して磯部町を走って居ると、道路の右側に在る「正傳寺」の階段が気に成り、道路の横に車を止めて、階段を上がって行った。
すると境内に、神懸りに成った車椅子に乗ったお爺さんが居て、其の傍らでは、お婆さんが「朝から お爺さんの気が狂った」と云って、激しく泣いて居るのである。其のお爺さんは、寺の住職に向かって「地球が危ない」と叫んで居るのである。
其のお爺さんは、私が階段を上がって境内に入ると、私の気配を感じたらしく、後ろを振り向いて、「ああ お前だ。此処の坊主では 何にも解らん。」と云った。
そして、私に「是まで 八回トンネル潜りに失敗して 今回が九回目で 最後のチャンスである」と云い、更に「早稲田や 慶応に 沢山孫が居るので 助けてくれ。」と、云うのである。・・・
「定着した画像」http://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
私は、伊雑宮(磯部の宮)の存在は、早くから知る事に成ったのだが、何故か参拝する事が出来ず、縁合って参拝できたのは、1984年11月21日から13年後の1997年12月8日であり、12月8日は釈迦が仏陀と成った日であり、太平洋戦争が始まった日でもある。
何故、私が初めて伊雑宮(磯部の宮)に参拝する日が、其の12月8日でなければ成らなかったのか。其れは、私の「礒邉・磯部・石部・石工」の血筋と、「伊雑・いざわ・イザヤ」と、「釈迦の霊魂」の存在に、何等かの関係が有るからであろう。
其れは、「イザヤ」の名がヘブライ語で「ヤハウェは救いなり」を、意味するとの事と関係が有り、釈迦の霊魂は、四国の「金刀比羅宮」からヒマラヤの山麓に位置する「ネパール」に派遣された御魂である事が、私に示されて来た事と関係が有るのだろう。
香川県仲多度郡琴平町の、象頭山の頂上には「大物主神」を祭祀する神社が在り、其の大物主神は奈良の三輪山「三輪神社」の祭神であり、其の「大物主神・大巳貴神・おおなむち」は、「饒速日命・にぎはやひのみこと」の御魂であり、其の饒速日命は「天照大神」の孫である。
そして、其の天照大神を祭祀する血筋は、エジプトから脱出した「ユダヤ・イスラエル」の部族である。
何故、私が其の様に考えるかと言うと、日本書記に・・「この時、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)が天皇に告げた神託は、「大田田根子・おおたたねこ・意富多多泥古」を神主にして「大物主大神・おおものぬしのおおかみ」を、市磯長尾市を神主として日本大国魂大神を祀れば、天下は鎮まる・・」と有り、大田田根子は「大物主大神」の子孫であり、其の大田田根子の大田が、島根県太田市に在る「物部神社」の地名に、成っていると考えられるからである。・・
今朝のメッセージの映像では、私が18年前の1997年12月8日に、伊雑宮(磯部の宮)に参拝した時の姿を、何物かが視て居て、其れを今日まで記憶していた事に成る。
其の意識が、神社の祭神である「イザヤ」か「天照皇大神」であれば、1984年11月22日の未明のビジョンに現れた、神の姿と関係があるのかも知れない。
其の11月22日は、奈良の「石上神宮・いそのかみじんぐう」や天皇家などで、新嘗祭が行われる日でもある。・・
「風が吹く」https://green.ap.teacup.com/20060818/3365.html
2008/8/4「新しい次元へのアセンション」https://green.ap.teacup.com/20081229/13.html
2014/2/25「天津日嗣・あまつひつぎ」https://green.ap.teacup.com/20060818/2976.html
2014/5/30「自我意識が消えた時に其れが始まる」https://green.ap.teacup.com/20060818/3084.html
2016/10/20「建国」https://green.ap.teacup.com/20060818/4025.html
2018/6/1「正しい心の整備と儀式」https://green.ap.teacup.com/20060818/4637.html
2019/2/27「死に掛けている最後の蜂」https://green.ap.teacup.com/20060818/4913.html
2019/3/24「天津日嗣の復活」https://green.ap.teacup.com/20060818/4939.html
2019/4/17「渡来家の文書再考」https://green.ap.teacup.com/20060818/4963.html
其れから、渡邊達成が「川東義信おじが漁師を辞めると謂って居るので 伊勢海老用網を貰ったらどうか。」と謂うので、私は其れに対して、「私は 船を買おうと意っているので 丁度良い」と応答して居た場面に付いては、次の様な事が考えられる。
故「川東義信氏」は、軍隊で大砲の筒を一人で担いで運ぶ力持ちであり、私の父親が「主任・事務係」で就職した時には、重石(タングステン)鉱山の重い機械を麓から明星岳の裏山(船行岳の中腹)まで運んで組み立てる仕事に従事して居た人物である事が関係が有り、今朝のビジョンで私の所に来た男性二人は、事務系であるとの事なのかも知れない。
其れを考えると、74歳と成った私は、現場の力仕事は無理でも、働き盛りの能力の有る男性達の相談役や、未来社会創造の為に旅をしようと考えている若い女性の切符の手配程度の事は可能であるとの事なのかもしれない。
其れに、渡来系の渡邊達成に、私が「船を買おうと想っている」と謂った事は、今朝「天照皇大神」の世界の前に「船出」との言葉が一言告げられて来た事に関係が有り、以前の旅には船や乗り物が関係が有った事と繋がりが有るが、今朝のビジョンの最初に、長い高圧電線のコードが、列車のレール・軌道の様に二本敷かれる場面・様子が映し出されて来た事と関係が有り、電子情報通信システムが完成・整備された現在では、船や列車に乗って、遠出をする必要が無いと言う理・ことなのではないだろうか。
其れに、結婚前の「礒邉八重子」が ボランティア活動で小学校のグラウンドの草刈り作業を行って居た意味は、未来社会はボランティア(出雲弁では、てご)が八重咲と成る世であるとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
キー「出雲 てご 社会 」
2001/8/24・・今朝のメッセージに、「あそびこころが 本当のこころ」と出て来た。其の、言葉の中では「本当」だけが、中国からの輸入の言葉で、「あそび」も「こころ」も、日本の言葉である。
「あそび」の「こころ」が、何の「こころ」か、本当に当たる言葉を捜してみる。
「本当」を、日本語読みすると「もとに あたる」と読む。
「本に当たる」とは、根本の事である。
是を、日本の古い言葉で探ると、「根の国・島根」が出て来る。
大陸から、「素戔鳴尊」が辿り着いた国が、根の国・島根である。
島根は、「出雲の国」と呼んだ方が、覚えが良い。
其の出雲の国は、「大国主命・おおくにぬしのみこと」が国造りをして、天津族の「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)」に、国を譲った国柄である。
出雲には、古い言葉が澤山残されている。
・「ひと」は「人」ではなく「霊留・ひと」である。
・「ありがとう」と「ごめんなさい」等の、新しい言葉は無く、「だんだん」である。
・「くまくましき谷」が、神の宿る土地であり、・「すがすがしい地」が、人の住む土地である。
出雲の言葉には、仕事に仕える人の言葉が無い。
有るのは「てご」と言う言葉で、其れは「ボランティア」の意味の「手伝う」との意味である。
全てが、部落共同体、氏族支え合いの言葉だ。
言葉が、「あそび」で出来ているのである。
出雲の言葉は、コミュニケーションの言葉であり、ビジネスの言葉ではない。
人間は「霊留・ひと」として、全ての暮らしは「おかぐら・神楽」なのだ。
生きる事を楽しみ、あそび感覚の時、人の言葉は、心の素のままに現れるのだ。
現代社会は、ビジネス社会だから、全てが、駆け引きの手段に、言葉が使われている。
何の「すがすがしさ」も「くまくましさ」も残って無い。
人間の、本当の真心の言葉は、神と共に在る時、神楽の状態の時が、真実の言葉である。
「神楽・かぐら」とは、神霊と共に、遊ぶ時の言葉だ。
我々人間は、この地球に仕事をしに来ているのではなく、神の為に、生を楽しみに来ているのだ。
その、遊びの心の状態に、真実の言葉が交わされるのである。
その証拠が、子供達の遊びの言葉だ。
彼らには、駆け引きの心は無い。我々成人が、子供の心を取り戻す時、真実の言葉が蘇るのだ。その場が、神社のお祭りで、お供え物を、神霊と共に食べる「直会・なおらい」の食事である。
「直に会う」とは、誰と会うのか。
それは、「産土神・うぶすなかみ」であり、「氏神様・うじがみさま」と言う、先祖の御霊なのである。
真実の言葉は、先祖と共に生きる為に、絶対的に必要な物なのだ。
それが、今日の、私の「あそび」の言葉であり、私と、神霊とのコミュニケーションなのである。
「遊び心が本当の心」http://wave.ap.teacup.com/20060106/180.html
2015/8/7・・今朝のメッセージの内容は、私が是まで取り組んで来た世界は、其の役割を終えたので、私は「縄文人・むかしびと」の様な意識に還る事を意味しており、其れは顕在意識の私だけではなく、私の潜在意識の中に巣くって居る、山中の磐座に棲む神霊も、山から下りて、家族の住む村に帰郷するとの事であろう。
其れは、我々此の世に活きて居る人間が、神の世界に「祷り・帰命・ナーム・リリジョン・religion」事とは反対に、神霊が我々の住む村に帰命・ナームすると言う理・ことである。
其の様に考えると、「お盆」や「正月」だけではなく、一年中「御祖神・みおやかみ」が我が家に還って来ると言うか、毎日共に生活すると言う事に成るので、墓地や墓石が必要ではなく、我々の日常の食卓に何時も「先祖霊・みたま」が居ると言う事になる。・・
そして、其の延長線上に、家庭の食卓では出来ない、神霊とのコミュニケーションを図る為の施設が、近くの杜の中に存在する「お籠り所・神社」なのである。
だが、現在は、都会の大きな神宮や神社だけではなく、田舎の神社までも、鍵が掛かっており、夜中に人間が拝殿に入る事は、禁止されている。
其れは、昼間の御利益信仰の儀式だけではなく、夜間の神社の在り方まで、狂っている事に成るのである。
私が此の神の世界に入った時は、毎晩のように屋久島中の神社を巡り、真っ黒な社の中に一人で籠り、自分の意識をクリアにして行った。
そして、其の半年の修行が済んでから、全国の旅に出発したのである。
どうやら、今朝のメッセージは、其れ等の事柄も、もう直ぐ私の意識から消去されて、私は元の原住民に還れるのかも知れない。
そして、其の世界こそが、物を噛み切る為の「前歯」の構造ではなく、自分の思考を深める為に噛み締める「奥歯」の構造であり、神を支える基台は、人間の奥歯の根に有るとの理・ことではないだろうか。
其の様に考えると、私を捜し出した土肥無庵が最初に、私に対して行った事が、歯を調べる事であり、直ぐに北九州市小倉に連れて行って、歯の治療を済ませた事である。
そして、三ヶ月間のマクロビオティックの生活で、4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が起きて、最初に姿を現し「噛め 噛め」と云って来たのが、マクロビオティックの世界を創出した桜澤如一であった事の意味も、能く理解できて来る。・・
其れは、千葉県成田市台方の麻賀多神社の境内に在る「天之日津久神社」の祠の前で、岡本天明に降りた「日月神示・天津日嗣神事」に「此の日本から始まる神一厘の仕組み」と関係があり、日本の伝統文化が復活すると言う事であり、私は日本の神霊の総元締である、熊野大社の祭神である「神祖熊野大神櫛御氣の命・かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと」の御魂を受け継いだと言う事に成り、自分の「御祖神・みおやかみ」に、恥をかかせずに済んだのではないだろうか。
本日8月7日は、月遅れの七夕であり、一週間後には、お盆の行事が全国で行われる。そして、私の両親が屋久島に渡って来た旧暦の七夕は、今年は8月20日である。
其れまでには、何等かの決着をみるのであろう。
「根の国・底の国」https://green.ap.teacup.com/20060818/3557.html
本日も何とか、ビジョン・メッセージの解読が出来た様である。
どうやら、私のPC前の作業は、神社の砂庭・斉庭の中に建っている神社の階段が、「磯の段」から神(天御中主)の祭壇の部屋まで、16段である事と関係が有り、私の意識は、其の段階(螺旋の一段毎)に振り出しに戻されている様である。
其れを考えると、「アークの棺」の蓋の上の左右に乗っている「ケルビム」の謎かけゲームが、本日まで続いていたとの事に成りそうである。
令和3年1月31日
礒邉自適
2021/1/29
カルマ・業の処理
3・1・29
本日1月29日は、私の満74歳の誕生日である。
今朝のビジョンは、先ず、日本猫である「三毛猫」が多数、左側から右方向に向かって、澤山立ち並んでいる3〜4段の鉄棒の間(ジャングルジム?)をジャンプしながら渡って行く場面・様子が映し出されて来て、其の数が「120」である事が示されて来た。
次に、相撲の土俵に有る「四本柱」の様に、大きな白金の四本足の火箸が立っている場面が映し出されて来て、其の火箸の足は、カメラの三脚の様に、三本継ぎに成っている事が判った。
次に、白い大きな繭(まゆ)が一個置かれている場面が映し出されて来て、其の繭の中には私の体(蛹)が入っているとの事が示されて来て、私は一度繭の中に籠って、羽化・飛翔する時期を待たなければ成らない理・ことが示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時58分・8時2分前」であった。
其の8時2分前の数字は、昨日の文章に追記した日付「8月2日・3日」であるので、PCを立上げて昨年の8月2日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/8/2本日8月2日は、私の両親が1946年8月2日の夕方、屋久島の渡る為に船に乗り込んだ日であり、母親のお腹には、三ヵ月の私の命が宿っていた事に成る。
今朝のビジョン・メッセージは、万物の母(宇宙意識)に見守られている私が、是から何を行えば良いのかを、一晩中模索して居る様子が映し出されて来た。
其れは、一口に謂えば「私が残りの人生をどの様に過ごすか」がテーマと成るが、其れは自分自身の生活に付いてではなく、人類がどの様に生きて行けば良いのか、地球の環境保全をどの様にするかという事である。
そして、最も重要な事は人類・人間の人口・数に付いてであり、是以上人口が増えれば、地球全体がダメージを受けて、人間自身の生活も立ち行かなく成るとの事である。
其れは人間が、宇宙探査機を飛ばして、人類・地球人が住めるのは、此の地球しか無い理・ことが明らかに成ったので、はっきりと理解できる事である。
今朝のビジョンには、「三分の一」との数学式が示されて来て、其れは人類を「三分の一」残すか、「三分の一」減らすかの、間で、メモリが移動・スライドしているメーターのメモリの存在であり、其れは、私に以前見せられている「地球管理のテーマ」や「棒計りを手にする女神」の世界と関係が有り、其の事が現在「新型ウイルス感染」の出来事で、現実化している事が理解された。
其の「三分の一」の数式の言葉は、私が1984年6月4日に「覚醒・成仏」した時に、其処にまで、私の意識を持ち込んで来た「土肥無庵」が、「是で 三分の一は 残せるかも知れない」と謂った言葉・世界と関係が有り、其れから36年間が経過して、其の「土肥無庵」の言葉が現実と成って来ている事が示されて来ている事に成る。
【地球は 私達人類に与えられたパラダイスです。私達には 此の地球を護る責任と義務があるのです。其れが 果たされてこその楽園なのです。】
「現在人類にとって一番の問題は森林の減少にあります。私達人類を含む生物は森林の滅亡と共に亡びます。21世紀は人類にとって最後の価値判断を迫られる時代となるでしょう。」
「1984年6月4日(旧暦5月5日)に、地球の主である白山権現の白龍が現れて 地球が私の左掌に乗せられ 地球の未来を託されました。 それから22年が経とうとしております。 今朝 ようやく其の準備が出来た事が知らされました。 是からは 具体的な事柄が始まると想います。2007年3月13日
「地球管理局」https://star.ap.teacup.com/2007313/
今朝起こされた時刻は「6時30分」であり、其れから再び眠り、起きた時刻は「9時3分」であった。其れで、今年の6月30日と昨年の9月3日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の「成長した魂しい」と「事の始まり」の題名や、文章の内容から考えると、明日8月3日の日付が、両親が74年前に屋久島に上陸した日であり、私の身体・細胞に屋久島の水の情報が流れ込んだ事と関係が有り、私の肉体を構成している「60kg×60%=36kg」の水の世界が、地球全体・生命全体とシンクロ現象を起こすと言う事なのかも知れない。
其れは、74年前は唯分裂を起こしている三ヵ月の細胞に、屋久島の水が取り込まれ始め、36年前には完成した大脳が禊ぎ祓いに拠って覚醒し、新しい情報を取り込み・認知して、是から、水の世界に、新しい記憶情報を与えて行くと言う事に成り、其れが「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」の世界であると言う事に成るのであろう。
キー「弁財天 天河神社」・・
今朝のビジョンでは、私の意識が様々な分野に関わっている様子・場面が映し出されて来た。
其の事を考えると、天神(宇宙意識・万物の母・四次元)の世界では、既に次の準備がどんどん進んでおり、現在地球全体に起きている様々な出来事は、其の天神の手中のプログラムである事に成りそうである。
何れにしても、9月1日(旧暦7月14日)までには、はっきりした事が見えて来るのではないだろうか。
本日、私に理解できる事は、中国の「老子」は自分の考えを「5000文字」道徳経に纏めて書き残して居るが、日本の稗田阿礼は、過去の言い傳え・神話を記録しただけで、自分の考えを書き残したのではないので、同じ文字の世界でも、老子と稗田阿礼とは、全く次元が異なる事に成る。
其の事から、私は自分の立場・行為を考えると、其の過去の二人の人間とは、違う事を行っていると言う事になる。
「万物の母の愛の下で」https://green.ap.teacup.com/20060818/5443.html
此の文章の内容からすると、此の私は本日満74歳にして一度繭の中で巣籠りをして、次の脱皮・羽化を待たなければ成らないとの事であり、人間社会の様子・次元が変化を始めるには、暫く時間(年月日)が必要である理・ことが、示されて来ているのであろう。
其れを考えると、土俵の櫓(やぐら)の四本柱の様な「大火箸」が映し出されて来たのは、四本柱の中に在る丸い土俵は、人間社会の舞台・踊り場を示唆しており、其の櫓の柱が火箸であった事は、人間の「カルマ・業火」を示唆しており、天神が燃えている炭火(木炭)を選り分けるとの理・ことが、示されて来ている事に成る様である。
其れは、釈迦仏教の「法華経」の中に有る「三車火宅(さんしゃかたく)」の教訓と通じている事に成り、上記した「万物の母の愛の下で」の文章の内容と符合している事に成る。
キー「釈迦 三車火宅」
2019/3/2今朝のメッセージは、昨日女神の声で「貴方次第よ」と告げられて来た事と関係が有るのか、人間社会の悪と謂うか業・カルマの世界が、次々に映し出されて来た。
私は、其の映像内容から仏教(釈迦の教訓集)の「三車火宅(さんしゃかたく)」の世界が思われて来た。そして、私が現在の人間社会を改革出来るのかを考えると、とても不可能であると意えて来た。
何故かと謂うと、私が35年間取り組んで来た文章の内容を真に理解した上で、行動に移す人物が居ないので、人間社会に対して自分の努力が無駄と成ってしまうのではないかと思うからである。
特に、今回、私の故郷である屋久島で起きた、町役場に勤務する40歳代の男性が観光客から集めた協力金を、ITの競馬等で2900万円も使い込んでしまったという事件は、私にとっては大変なショックである。
そして、日本の長者番付け一位である「孫正義」氏は、自分の会社の株を6000億円も購入して会社の株値を上げ、年収100億円(株配当が主)を得ているとの報道も、私には不可解な事である。
其れ等の出来事は個人的な事であるので、現在の日本の政府が嘘吐きを長として、悪さを続けている事よりは、罪は軽いのかも知れない。
今朝のメッセージの映像で、最後に、夜の闇の中にとても大きな大木(御神木・神籬・ひもろぎ)が立っている場面が映し出されて来て、其の根株の中に、大きな真珠の様な球が三個埋まっているのが映し出されて来た事が、私の救いである。
私は、其の真珠の様な白い球三個から、2016年6月19日のメッセージの映像で、天空を両翼とする鳥神が三個のタルト(渦巻き)を皿に乗せて、私に手渡した場面を思い出し、其の御神木の根株の中に埋まっている三個の球は、天空の神の意識は、地上では御神木の枝葉として、羽根(意思)を拡げているのではないかと想った。
「自らの仕掛けで滅びる」https://green.ap.teacup.com/20060818/3891.html
今朝は、其れ等の事を長らく考えて居て、起きて時計を見ると、8時2分であり其れは私の両親が屋久島に渡る為に、鹿児島港で夜船に乗り込んだ日付である。(いま此処で 私の右手の薬指にカモが起きた)9時47分(くしな)
今朝は先ず、PCを立ち上げ「三車火宅(さんしゃかたく)」を調べると、次の文章が有る。
2018/11/18・・其れを考えると、其の場面は法華経の譬喩品に有る「三車火宅(さんしゃかたく)」の教訓と関係が有り、今朝のメッセージに登場した刑務所の所長らしき人物の存在は、釈迦牟尼世尊の霊魂であると言う事に成り、「釈迦(ガウタマ・シッダールタ)」が私に、自分の謂いたかった理・ことを世の中に傳える事を頼んで来ている事に成る。・・・
「森羅万象とどめ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4810.html
此の「貴方は依頼主を超えた」の文章には「・・空中に天津金木に使う、木片(算木)が20個程現れて、空中で、正しい「上下・梢根・陰陽」に向き・方向を変えながら、綺麗に並んだ。其れから、其の木片は、丸い円形に拡がって、空中に菊の紋の様に停止した。・・」と、書いて有るので、其れは、今朝のメッセージの映像と関係が有り、私は世間の出来事に気を揉む必要はなく、自分自身が楽しく暮らせる御世を想う事が重要であり、其の事が白山権現菊理姫の本体である白龍が私の躰に巻き付いて来て「地球の管理を任す」と示して来た事と関係が有るのだろう。
「自分の中に住む白蛇」https://star.ap.teacup.com/170606/1036.html
「マクベス」https://green.ap.teacup.com/20060818/4379.html
是等の事柄からすると、昨日のメッセージの映像で、長い文章の接頭に「何事も無為自然に運ぶ様にする。何事も惟神で行う。」との意味の文章が一行記されていた事が関係有り、私自身が「想う・思う・意う」事は「作為・行為」には成らないと言う事に成るのではないだろうか。
何故なら、私は自分自身(個人的)の為の「金儲け」や「幸福」に付いては、何も考えていないからである。
何故、私の行動が其の様なモノであるのかを考えると、私の両親の生き方がダビングされている所為であるのかも知れないが、故郷の泊如竹翁の御魂や、「釈迦(ガウタマ・シッダールタ)の想い・念いが、私の生命(いのち)の根源に巣くって居る事が要因であるのかも知れない。
今朝のメッセージの映像は、全てが暗い・闇の様な舞台・世界・スクリーンの中での場面であったので、私が「自分が此れまで行なって来た事は、何であったのだろうか」と思い、文章を打つ気力も無かったのだが、摂り合えず記録だけして措こうと意い打ち始めると此の様な物と成った。
其れを考えると、私と・PC=IT=電磁気・電波=アンテナ=アカシックレコードが繋がっており、其れが「神籬・ひもろぎ」=「磐境・いわさか」=「神界・天神」の形として、古代から「シャーマニズム・Shamanism」として、傳へ続けられて来ている世界なのであろう。
此処まで打って来れば、昨日告げられて来た「貴方次第よ」との女神の言葉も何となく理解されて来るし、今朝9時47分に、私の右手の薬指にカモ神の電気信号が起きたのは、仏教の「薬師如来」の働きに関係が有るか、私が其の数字を「947・くしな・櫛名」と記憶した事が当たっていれば、「須佐之男尊・すさのをのみこと」の名前の別名が「神祖熊野大神櫛御氣の命・かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと」である事や、妻と成った「櫛稲田姫・くしいなだひめ」の存在や「玉串・たまくし」等の世界と関係が有り、私が新しい御世を創造する為の行動や言葉に、其れ等の神(はたらき)が力を貸してくれる理・ことが示されて来ているのかも知れない。
何れにしても、私は他人の存在や行為を気にする事なく、楽しい自分の世界・ライフスタイルを創造して行かなければ、此の世は全く変化しないと謂う事なのかも知れない。
何故なら、神仏には過去の世界は興味がないので、新しい世(枝葉)を拡げる事にしか、神(はたらき)を貸さないと謂う理・ことなのであろう。
「人間の性(さが)」https://green.ap.teacup.com/20060818/4916.html
此の文章には、「・・今朝は、其れ等の事を長らく考えて居て、起きて時計を見ると、8時2分であり其れは私の両親が屋久島に渡る為に、鹿児島港で夜船に乗り込んだ日付である。(いま此処で 私の右手の薬指にカモ(神の電気信号)が起きた)9時47分(947・くしな・櫛名)・・・」と、書いて有り、今朝起こされた「8時2分前」の数字と符合しているので、矢張り今朝のメッセージは「人間のカルマ・業火」に付いて能く考えろとの事が、示されて来ている事は顕かである。
其の事と、初めに映し出されて来た「三毛猫の渡り」に、どの様な関係が有るのだろうか。
三毛猫(みけねこ)とは、3色の毛が生えている猫の総称。単に三毛(みけ)とも言う。英語ではキャリコ(英: calico)と呼ばれる。
概要
一般的に白・茶色・黒の3色で短毛の日本猫。白・茶色・こげ茶のものを「キジ三毛」、縞模様(トラネコ)との混合のものを「縞三毛(しまみけ)」と特に分けて呼ぶことがある。
ネコの遺伝子の特徴上、そのほとんどがメスであり、オスは滅多に出現しない。また、オスの場合でも生殖機能を持たないことが多いため、オスではないとの考えもある[1]。そのため、伴性遺伝の具体例として遺伝学の教科書などで扱われることが多い。[要出典]
フリー百科事典『ウィキペディア』2021/1/29現在
此の説明からすると、三毛猫は日本の猫であり、殆どが雌であるとの事は、日本の女性を示唆しており、其れが、左側から右方向にジャングルジムを飛び越えて・駆け抜けて行く様子は、日本人女性の本質が「左側・四次元世界・精神界」から「右側・三次元世界・現実界」に駆け抜ける・飛び抜ける能力を有しているとの事が、示されて来ているのではないだろうか。
其の様に考えると、其の数が「120」であると言うのは、人間の寿命が「12支×10還=120歳(全還暦)」である事と関係が有り、日本人女性が長寿である理・ことを示唆しており、其の理由が「和食」の傳統に有るとの理・ことなのかも知れない。
其れを考えると、地球環境の保全を考える事は、即、人間の長寿に繋がると言う事であり、日本・瑞穂の国の伝統文化を今一度見直して、人類全体が地球に負担・付加を与えないライフスタイルを、此の日本から世界に広げなければ成らないと言う事であり、現在大問題に成っている新型コロナウイルス感染にも、効果を発揮するとの事なのではないだろうか。
其の新型コロナウイルスは、中国の動物食の傳統から発生しているとの事であるが、欧州で最初にペストの大感染が生じたのは1347年であり、其の時も中国からの貿易船が欧州に持ち込んだ物であるとの事で、其れは中国での人骨発掘調査で顕にされているとの事である。
其れ等の情報は、現在世界中で共通意識と成って来ており、現在の電子通信システムの存在は、良い意味での文化・文明の発展と成っているのである。
其れを考えると、私が此処まで打ち続けて来た「文章・情報」も、何れ世界全体で共通意識と成る日が来るのかも知れない。
其れを考えると、私は其の時節まで「巣籠・冬眠」をするのも、良い手立てと成るのではないだろうか。
令和3年1月29日
礒邉自適
1 2 3 4 5 | 《前のページ |
次のページ》