1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2021/2/28
私の意識の中の目線
3・2・28
本日で今年も早二ヶ月が過ぎ、明日から3月である。
昨夜も床に付いて目を閉じて居ると、瞼に映像が映し出されて来た。
だが其の映像は、想って居た南方の明るい世界(太陽・朱雀)ではなく、反対の暗い世界であった。
其のビジョンは、真暗の闇の中に銀色の粒子が渦巻いて穴(トンネル)が開き、物品が並んでいる通路の中を、姿が見えない存在が、懐中電灯の様なライトを照らして私を案内して行く場面である。
そして、目的の室内に到着したらしく、其のライトを消してしまった。
私の目が、其の真暗な闇に慣れて来ると、目の前に長いテーブルが置かれており、其のテーブル上には様々な料理が器・皿に盛られて、澤山並べられている事が判った。
私は、実際に其の料理を口にする事はなかったが、見た目や材料や匂いの情報から、私の口に合う物である事を理解できた。
其れから眠りに入ると、今度は、私が息子の様な年頃の若者の左側に付いて、面接の様な感じである建物の中に入って行くと、スーツ姿の二人の中年男性が、ロビーに立って到着を待って居る様子が映し出されて来たので、私は其処で立ち止まり、其の若者だけを其処に向かわせて、様子を遠くから眺めて居た。
そして、どうやら其の若者は気に入って貰えたらしく、二人と一緒に内側の部屋に向かって消えて行ったので、私は安心して居た。
すると、安心した私の身体は浮遊して、別の建物に向かうと、其の建物の中には、私がとても懇意にして居た一巡り上の故「松本幸(みゆき)」がテーブルに着いて待って居り、隣のテーブルに着いている年配の夫婦を「一番腕の良い製材所の主です」との意味で紹介してくれた。
其の松本幸は「木挽き歌」が得意な、屋久杉伐採の為の村である小杉谷に住む樵(きこり)であり、最盛期を過ぎてからは、麓に有る営林署が管理する屋久杉の苗を育てる「苗畑」に勤務して居た方である。
次のビジョンは、今度は農家の人達が働く農村の様子が映し出されて来て、其の村には若者の姿は見当たらず、全てが老齢の人達ばかりであった。
だが、農業技術は高い人ばかりであり、作付け作業を終えた男性は、一人で作業をして居る老女の所に軽トラで応援に向かって行った。
次のビジョンは、再び私が浮遊して、町の中に向かうと、大きな建物が存在し、建物の玄関口には多数の人々が集まって居り、中年女性の側に若い女性が一人居て、受付の事務を行って居た。
私は、其の儘、建物の中に行って行くと、其の建物は大きな学校の寮の様な施設であり、澤山の子供達が居る事が判った。
そして、二階への階段上がって行くと、7〜8歳の女子が俯いて泣いて居るので、私は其の前に座って聲を掛けると泣き止んで、笑顔を見せ、私の言う事に応え始めた所で、其の子の母親が階段から上がって来て、二人で部屋の方に向かって行った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時50分・6時10分前」であった。
其れから再び眠ると、男性の聲で「一人だけだ」と告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は「9時1分」であった。
其れからPCを立上げ、起こされた「6時10分前」と「9時1分」の数字から、昨年の「6月10日と「9月1日」の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2020/6/10本日6月10日は「時の記念日」であるが、「岡本天明」が昭和19年6月10日に、千葉県印旛郡公津村台方(現・成田市台方)に有る「麻賀多神社」に参詣した時に、境内の末社である「天之日津久神社」の祠の前で「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」が始まってから、丸76年の日である。
今朝のメッセージは、其の事と関係が有り「天津日嗣発動」との言葉が告げられて来た。
昨夜は、床に就いて目を閉じて居ると、瞼に、透明な一升瓶が一本立っている場面が映し出されて来て、其の中には水も入ってはおらず、栓・蓋も付いてはいない、唯の空瓶である事が判った。
次に、自分が居る家・部屋の壁が透明なガラスであり、其の硝子の外面には、車が高速で通過して、泥水が飛び散ったかの様に、人工的な汚れが付着している場面・様子が映し出されて来た。
其して、眠ってからの映像には、老人が居る家・施設に若者が集まって来て居る場面が映し出されて来て、其れは一軒・一ヵ所だけではない事が、理解されて来た。
そして、私の意識が接した老人は二名であり、其の二人は両方とも、痩せ型で静かな優しさの権化の様な老人であり、私は其の二人の存在から、子供と仲良く遊んで居たと聞く「良寛和尚」や、私が蘇陽町に住んで居た時に、時々訪ねていた阿弥陀信仰の「西村見暁先生」の存在を思い出して居た。
そして、私は其の二人のどちらを支持しようかと意って居ると、其の内の一人の男性が、道路や公園の落ち葉を吹き寄せる機械の様な物を持ち出して来て、森を背景として、霧か煙の様な気体を放出させ始めたので、私は其の行為は、森を背景に虹の橋を架けさせ様として居るのだと意った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時10分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、天空に真っ直ぐ伸び上がる大きな青竹・若竹の存在が目の前に映し出されて来て「天津日嗣発動・あまつひつぎはつどう」との言葉が強くハッキリと告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時7分」であった。
其れから、其の「天津日嗣発動・あめのひつきはつどう」との言葉を意識・頭脳の奥にしっかりと収納すると、左耳の鼓膜にキーンと圧力が掛かって来たので、時計を見ると時刻は7時12分であり、5分が経過した事が判った。
私は其の現象から、私が自分の意識に「あめのひつきはつどう」の意味を収めてから、其の「言霊・ことだま」が天・宇宙に木霊して、響き渡って自分の耳に返るまで5分掛かる理・ことを理解した。
其れは、私が36年前に同じ様な現象が有り、其の時は往復に二時間程掛かっていた事が、随分と早く成っているので、宇宙意識の密度(新しいプログラムのエナジー)が高く成っている事を意った。
其れから起きてPCを立ち上げると、「貴方は梢に」との女神の言葉が告げられて来たのでワードを立ち上げて、其れを打つと続きの言葉が告げられて来た。
【貴方は梢に】
貴方は 梢に止まって居る 鳥の存在なのよ。
だから 天気と風向きに 絶えず
意識を 向けて居なければ成りません。
だから 其の事以外の事に意識を向ける必要は無いのです。
其れが 統尊の神(はたらき)なのです。
良いですか
此処からが 本番ですので 貴方は
高御座に 納まって居なければならないのです。
ですから 考える事も する事も無しですよ。
令和2年6月10日9時8分
「貴方は梢に」https://moon.ap.teacup.com/20060103/974.html
此の女神の言葉からすると、76年前の今日始まった「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」が、是から現実世界(三次元世界)で本番が始まるとの事なのであろう。
昨夜眠る前に、瞼に映し出されて来た、栓・蓋の無い「空の透明な一升瓶」の存在は、私の是からの意識状態を示唆しており、其の中には水も入っていない事は、私は是から、最も大事な「水素/H]の事さえ、考えては成らないとの事なのであろう。
次の、自分が居る家・部屋の壁が透明なガラスであり、其の硝子の外面には、車が高速で通過して、泥水が飛び散ったかの様に、人工的な汚れが付着している場面・様子が映し出されて来た事は、高御座の存在は他人の息が掛かっても成らない事を示唆しており、人間社会の業・カルマが届いては成らないとの理・ことであり、其れが皇帝・天皇が御簾の内に在る事の意味なのであろう。
其れに、「天津日嗣発動」との言葉が告げられて来た時刻が、7時7分であったのは「七夕」と関係が有り、天の川(銀河の中心)への願い事の世界と関係が有り、天空に向かって真っすぐに立っていた「若竹・青竹」の存在は、宇宙意識と人間の魂しいの繋がりを示唆しており、其れが新しくパイプとして繋がった事を示して来ているのであろう。
今日は、「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」の始まりから丸76年の日である事から、私はハレー彗星が此方側に回り込んで来る時に、自分が38歳と成るので、38年前に誕生して76歳に成る人間がどの様な魂しいの人間であるかに興味を覚え、日本中の旅に出て「矢追日聖法主」や「中屋龍州」等に出会い、其の人達が私の事を理解する人間であったので、彗星の軌道・年数と人間意識の関係が有る事を確信したのである。
其れを考えると、私自身も残り三年で、自分の魂しいの完成を確かめなければ成らないのかも知れない。
今朝は、起きて台所に行き、私が「今朝は 優しさの権現みたいな老人が 二人出て来た。」と謂うと、由香が笑いながら、自分のビジョンにも、自分の知り合いで、皆から「優しい人」と謂われている年配男性が登場し、とても優しい四拍子のリズムで、わらべ歌で子供に語り掛けるような口調で話す言葉が背中越しに聴こえて来たとの事なので、此の私も、今朝登場した肩の力の抜けた優しい老人・翁に、成れば良いのだと思った次第である。
今朝登場した優しい老人は、他人を喜ばす為に自然の森を背景にして、虹の橋を架けようとして居た。
其れが成功しなかった理由は、天空に「虹(虫・龍+工作)」を架けるのは、龍神の仕事であるので、其の龍神の仕事を横取りしては成らないとの理・ことなのかも知れない。
「あめのひつくのかみ発動」https://green.ap.teacup.com/20060818/5390.html
此の「あめのひつくのかみ発動」の文章には、「老人が居る家・施設に若者が集まって来て居る場面が映し出されて来て、其れは一軒・一ヵ所だけではない事が、理解されて来た。」と記して有る。
其れは、今朝のビジョンに生死に関わらず、プロフェッショナルな老人が多数登場した事と関係が有り、後継者の若者の姿が見えなかったのは、日本の高い技術の後継者が途絶えて行っている理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
2020/9/1「ナニモナサザルナ」の意味が解りましたか。
何もしない事で 此処まで到達したのです。
其れが「自然無為」との言葉の神髄なのです。 8時38分
今朝のビジョンは、ホームセンターから配達されて来たのか、50本程の野菜の苗が、庭先に置かれている場面が映し出されて来て、「今日からガーデニング」との言葉が一言告げられて来た。
そして、私が中学生の時から、父親から畑を借りて、草花を栽培し、5円・10円の束にして店に卸したり、学校の教室の窓際に、自分で作った竹筒に飾ったりしていた時の映像が、フラッシュバックされて来た。
其れから、畝作りで育っている作物の背景(隙間から見える向こう側)が、紅色に光輝いている場面・様子が映し出されて来て、其れは太陽光が生命のバックボーンである理・ことを、示唆している事が理解されて来た。
今朝は「とわからのかぜ」との言葉が一言告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時31分」であり、長短の針が重なっていた。
今朝は畑に下りて、畑の写真を撮影しながら、胡瓜・ニガウリ・茄子・オクラ・花おくら・ミニトマトを収穫してから、水掛を行なった後、PCを立ち上げると、冒頭の言葉が告げられて来た。
其れは、昨日日付を告げて来た「土肥無庵」の御魂からのモノであり、2001年11月7日に霊界に還った無庵師匠の霊魂が、生前に続いて此の私をしっかりとサポートして来た事を示して来ている事に成る。
其れは、土肥無庵は北九州市小倉三萩野生まれなので、産土神である足立山(霧々岳)の麓に有る妙見宮の「御祖神・みおやかみ」が、重なっている事に成り、最高レベルの神(はたらき)である事にも関係が有る。
本日9月1日が、旧暦7月14日で「秋禊ぎ」の日である事を考えると、今朝のメッセージは、「土肥無庵」が私を1983年3月18日に捜し出して、屋久島に土地を購入し、自宅を新築して1984年3月5日に家族で屋久島に移住して来て、私は其の日から三ヵ月間の「マクロビオティック・Macrobiotic」の食事指導を受け、6月4日(旧暦5月5日)に安房川の岸辺(自宅前)で「禊ぎ祓い」を行って、真実の「大嘗祭」の儀式が始まり、4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が起き、其れから昨日迄「12237日」で完結したとの事なのではないだろうか。
其れに、其の「12237日」の数字は「12237・いにふみな・胃に文名」と読めるので、漢字の「謂・言+胃」の文字と関係が有り、「マクロビオティック ・Macrobiotic」の鉄則・真理・真実と関係が有り、数霊的にも「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」と直接関係が有り、時間(とき)的にも「ククルカン・ケツァルコアトル」や「時間の操縦士」とも関係が有り、私の「心臓・こころ・息」の鼓動数(秒)と、「年・月・日・時・分」の数学的世界も、符合して来る事にも成る。
2018/1/13「謂・言+胃」 https://wave.ap.teacup.com/20060106/803.html
2018/10/8「年月日時分秒」https://green.ap.teacup.com/20060818/4769.html
其れを考えると、今朝長短の針が重なっている「6時31分・むさい・無歳・無味一」に「とわからのかぜ・永遠からの風」との言葉が告げられて来たのは、「太陽系惑星と人間の躰の仕組み」が「神(はたらき)の領域」である理が示されて来ていると言うか、「神其の物」が私の「全身全霊」である事に成り、私の存在其の物が「現人神・あらひとかみ」の言葉の意味である事に成る。
其れを考えると、28日の「陽が発生する場所」のビジョン、
・・北米のセコイヤ杉が生えている森林の様な場所が映し出されて来て、其の林の中から、薄紫色の、真丸の空間が広がっている事が示されて来た。
其の丸い物を良く確かめると、其れは、点描写の様に、薄紫色の小さな点々が中心から360度に広がって行っている物であり、其れは「粒子」が「気・エネルギー」の様に、森林の中(空間)から円形に広がって行っている物である事が判った。そして、其の薄紫色の円形の広がりが「陽」の場であるとの事が告げられて来た。・・・
との事は、今朝告げられて来た「とわからのかぜ・永遠からの風」との言葉が意味する世界の「発生場・みなもと」であるとの事が考えられる。
其れは、老子の謂う「道・玄」の世界・概念の「分け」が、三次元世界である地上に降ろされた事に成るのかも知れない。
其れを考えると、此処三日間の「ミニマム・コンセプト」「キャッチ・フロー」「ナイス・ボディ」の言葉・メッセージは、非常に重要な言葉であり、弘法大師空海の「真言・マントラ、大日如来・マハーヴァイローチャナ」や、「土肥無庵」が私の中に視たモノの世界が、現実の事として確認される時節が到来したとの事であり、其れは「永遠に吹いている風(氣)」が科学的に検証されるべき時代・次元に至ったとの事なのではないだろうか。
其れは、老子の謂う「道・玄」の世界が、解り易い形・かたちで、一般人に紐解かれると言う事であり、現在の学校教育や宗教(おおもとのおしえ)が、根本的に改革されるとの事にも成る。
今朝告げられて来た「今日からガーデニング」との言葉は、私は「土肥無庵」の言葉(無庵師匠が背負っていたプログラム)に拠って、開かれた世界・教室から外に出て、父母の懐で、自由に好きな事ができていた世界に、還れる時節が来たとの事なのかも知れない。
其処にこそ「永遠に吹いている風」に「うぶ毛」を晒せる空間が、存在するとの事である。
今朝の由香のビジョンでは、私と一緒に湖の畔に居て、湖の方に目を向けると、雪景色で、中心には雪を被った大きな鳥が一羽だけ居り、とても幻想的であったとの事である。
今日は文章をアップしようとすると、頭に「言の葉風(ことのはかぜ)」との言葉が告げられて来たので、検索を掛けると昨年の8月14日の「常盤の風」の文章が出て来た。・・
「常盤の風」https://green.ap.teacup.com/20060818/5084.html
驚いた事に、此の8月14日の文章には、旧暦7月14日は「夏(秋)禊ぎの日」であると書いて有り、本日の日付と符合している。
是は、どう謂う事であろうか。
「永遠・とわ」の間に「き」を入れると「ときわ・常盤」である。
其れを考えると、今朝の由香のビジョンに、湖に大きな鳥が一羽居たとの事は、私に三個の渦巻を渡した鳳(トライタルトファー)と関係が有り、「ときわのかぜ」とは、「言の葉風」「真言・マントラ」の「大日如来・マハーヴァイローチャナ」と関係が有るのではないだろうか。
「とわからのかぜ」https://green.ap.teacup.com/20060818/5474.html
此の「とわからのかぜ」の文章には、次の様に記して有る。
「・・昨日日付を告げて来た「土肥無庵」の御魂からのモノであり、2001年11月7日に霊界に還った無庵師匠の霊魂が、生前に続いて此の私をしっかりとサポートして来た事を示して来ている事に成る。其れは、土肥無庵は北九州市小倉三萩野生まれなので、産土神である足立山(霧々岳)の麓に有る妙見宮の「御祖神・みおやかみ」が、重なっている事に成り、最高レベルの神(はたらき)である事にも関係が有る。」
「・・土肥無庵が私の中に視たモノの世界が、現実の事として確認される時節が到来したとの事であり、其れは「永遠に吹いている風(氣)」が科学的に検証されるべき時代・次元に至ったとの事なのではないだろうか。」
此の「土肥無庵」の存在を考えると、今朝9時1分に告げられて来た男性の聲の「一人だけだ」との言葉は、其の「土肥無庵」の御魂からのモノの様である。
何故かと謂うと、私が土肥無庵に「私達が話している事は 他人にどれ程理解されるだろうか」と謂うと、「千分の一も分からん。100回程生まれ変われば 少しは解るかも知れない」と、応答した事が有るからである。
キー「土肥無庵 千分の一も分からん 100回程生まれ」
2018/2/16本日2月16日は、旧暦の元旦である。
今朝のメッセージの映像には、四名の男性が映し出されて来たが、其の人達は人間社会には関わりを持たないで、夫々が自分の好きな様に、自然の中で単独生活を続けて居るので、「暦・カレンダー」が必要では無いから、正月・元旦等の事は全く関係が無さそうである。
今朝のメッセージの映像には、黒い世界を背景として、元気で明るく、溌剌とした表情をした、小学生の男の子の姿が此方向きに映し出されて来た。
次に、其の少年の気持ちが私の意識に乗り移ったのか、私は人里離れた海岸の岩場に遊びに行った。
すると其処には、一人で暮らしている60歳位の男性の姿が在った。
其の男性が暮らして居る場所は、沖に壁に成っている、大きな岩の真ん中が、大きな穴に成っており、其処から押し寄せる波が、中に入り込んで来る場所で、内側が池の様な入り江に成っているのである。
其の入り江を見下ろせる場所の石を片付けて、平地にした場所に、其の男性は一人で暮らしており、周囲には肥えた黒土を運んで来て畑を造り、何種類かの野菜が栽培されていた。
私は、其の男性に、「黒土は 何処から 何で運んで来たのか。」「水は何処に有るのか。水道は引いて来ているのか。」「道路は有るのか。車を持っているのか。」「家族は居るのか。」「食べ物はどうしているのか。」等と、多くの事を聞きたいと思ったのだが、何か質問をすると怒られそうなので、黙った儘、入り江を見下ろす位置に設置されている、木のベンチに腰を下ろして静かにして居た。
すると、其の場面は終わり、舞台の上か、神棚の様な雰囲気の、壁・幕を背景にして、三名の60歳代の男性が「三仏」か「三神」様に横に並んで、写真撮影でもする様に身を正して、此方を向いて座って居る上半身の姿が映し出されて来た。
其の三名の男性は、同じ様な背格好で、夫々個性を現すカジュアルな服を着ており、物静かな雰囲気の人達であったので、其の人達も浮世離れをして、何処かで自然な暮らしをして居るのだろうと思われた。
今朝のメッセージは其れだけであるので、昨日のメッセージに登場した「藤山幸盛」の世界と関係が有り、一人の自由人の存在から、人間社会全体の在り方の方に、シフトして来ている様な気がする。
今朝は、起きてPCを立ち上げ、今朝の文章の題を何にしようかと思って居ると、今朝の四人の醸し出す雰囲気から、其の人達には「賢(さか)しら」の感じが無かったので「賢しらではない人々」とした。
今朝は先ず「賢しら」で検索を掛けると、次の様な文章が有った。・・
今朝のメッセージの様子から、私に考えられる事は、男子の精神構造と言うか、意識の基盤・土台の形成には、小学生の時に認知した視覚(世界)に因って、意識を向ける方向が設定され、其れが一生の人生(生き方の方向性)を決定してしまうと謂う事ではないかと言う事である。
其れは、英才教育との言葉が有る事と関係が有り、三歳時から「ピアノなどの楽器の練習」「アイススケートやサッカー等のスポーツの練習」「一流大学に進学する為の勉強」等の世界に閉じ込められた人間とは、全く事なる自然の生き方の世界であり、生まれた実家の職業も関係無く、本人の意識が目覚めた時点で、目の前にどの様な世界・現場が存在するかである。
其れは、最初から人間社会で生きて行くか、大きな自然環境・宇宙の営みの中に身を置いて、自然の法則(道)に意識を向けて、自分の存在意義を確かめる為に生きて行くかの差である。
其の点に付いて考えると、私は後の方の世界を生きて来ており、其の事が、現在の礒邉自適と言う人間を創り出している事に成り、其れは、前の様な生き方の人間とは、同じ現在の事象・時空の中に存在しても、全く異なる世界(異次元)を生きて居る事に成る。
だからこそ、私の謂っている事、書いている事が、他人には真に理解されないのであろう。
其れを考えると、確かに「土肥無庵」が私に謂った事が能く理解されて来る。
其れは、私が土肥無庵に「私達の話している事が 他の人がどれだけ理解するだろうか」と謂うと、土肥無庵は「千分の一も分からない。100回程生まれ変わって来たら 少しは理解するだろう。」との事であったからである。
其の意味でも、私が世界自然遺産に登録された屋久島が、未だ自然状態を維持していた頃の屋久島に生まれ育った事が、非常に重要な事であったと謂う事に成るのであろう。
「賢しらではない人々」https://green.ap.teacup.com/20060818/4529.html
2018/10/10「自然に学ぶ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4771.html
昨日は、四日目の眠る前のビジョンは「南方・太陽・朱雀」に関するモノであろうか」と予想したのだが、案に計らず、昨夜のビジョンは反対の闇の世界であった。
私は、其の理由として、今朝の私の意識は浮遊して居たので、其れは私自身の意識ではなく、何物かの意識体であり、三日間に映し出されて来た場面は、「東向きに歩く。西向きに流れ下る川。北向きに山岳を眺める。」であるので、私の意識は三日間とも南から北向きであった事に成る。
其の理由を考えると、其の意識体は、南側から北側を向いて居る物の存在・立場を意味している。
だが、其れが「太陽神・天照神・朱雀の目線」である事を考えると、今朝のビジョンが夜間である事は、太陽神ではない事に成る。
何故かと謂うと、太陽は一定して正面から地球を照らしているが、地球の方は24時間で一回転するので、太陽が同じ場所を照らしているのは数時間であり、決して影である地球の夜を視る事は決して無いからである。
其れを考えると、此処四日間、私の顕在意識に映し出されて来た映像は、「天照大神」や「月読み命」の意識体ではない事に成り、別の存在・神(はたらき)の呼び名・神(はたらき)を考えなければ成らないと言う事に成りそうである。
其れを考えると、我々は、「天照界」や「月読界」との区別を止めなければ成らないと言う事であり、夜間でも懐中電灯や電気を点けて行動する、我々人間の意識を重要・柱として、此の天地人の世界・関係性を明らかにして、認識(かんがえ)を変えなければ成らないと言う事に成るのであろう。
其れを考えると、今朝「お前が一人だけである」との意味の言葉を告げて来た者が「土肥無庵」で在れば、其の聲の背後には「御祖神・みおやかみ」が存在するとの事であり、妙見神の祭神が「北斗信仰」であり、其の北方の中心に「紫微垣・しびえん」が存在するとの事は、銀河の中心を意味し、其れは銀河の回転軸であり、ブラックホールの存在も関係が有るので、太陽や月の存在が意識(海馬)に納まっている間は、今朝のビジョンの解読は不可能であるとの事に成るのであろう。
「天御中主は御祖神」http://green.ap.teacup.com/20060818/3414.html
令和3年2月28日
礒邉自適
2021/2/26
「わすれるな」
3・2・26
昨夜は床に就いて目を閉じて居ると、瞼に映像が映し出されて来た。
その場面は、木々が繁茂している山中の窪みから水が泌み出して、左の方に次第に量を増やしながら下り始め、やがては小川と成り流れ始めて、最後には村が存在し、橋が掛かっている河川と成って行く場面である。
そして、眠ってからの映像には、お通夜の会場の様な場面が映し出されて来て、後継者を決める会合が為されているが、中々話し合いが纏まらず、其の内に高齢の男性の死体を保存してある棺桶の中から、蛆が下に落ち始めた。
私は其れを視て、妻と二人で其の部屋から退出しようとして、立ち上がって歩き始めると、足裏がベタつくので、床に敷いてある絨毯には、既に死体から出た汁が泌み出している事が判った。
其れで私は、気持ちが悪いので、足を洗う場所を探そうと思っている所で意識が目覚め、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時8分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、日本語の横書き文章が間隔を開けて箇条書きに記されている場面が、繰り上がって行く場面が映し出されて来た。
其の文章は、少し字体が大きい漢字混じりの文章であり、未だ、完結していない文章・内容で、日本語・大和言葉の概念に、どの漢字を当てれば良いかが、検討されながら、作製中である事が判った。
私の意識が、其の文章を客観的に目を通し始めると、其の箇条書きの文章の段落には頭に数字番号が記されている事が判明し、最後の文章の頭には12の数字が付いている事が判ったので、其れは、何等かのテーマで十二箇条の文章が作製されている途中である事が理解された。
私は、其の箇条書きの文章の中から、三箇条の文章の単語を読み取ったのだが、今は思い出せない。
思いだせる感覚は、人間・男性の生き方には、何等かの「競争・闘い・競い合い・助け合い」が、必要不可欠であるとの理・ことである。
いま私に理解できる事は、其の文章は、私が直接に関わっているモノ・世界ではなく、私が此処まで思考・詮索して来た事柄から、何物かが、必要な物事(言葉・論理)を抜き出して、人間が人間として、此の三次元世界で生きて行く為の、倫理を十二箇条に纏める・組み立てる作業を始めている事が、示されて来ている事に成る。
其れは、聖徳太子が作製した「十七条憲法」の様な形ではあるが、聖徳太子の作製した「十七条憲法」は政治の世界での「公務員綱領」の様な物であるので、今朝映し出されて来た文章の内容は、どちらかと謂うと、モーゼが岩山で燃える柴の火の神から受け取った、人間の生き方を示す「十戒の石板」の内容に近いモノ・世界の様である。
そして最後に、男性の聲付きで「わすれるな」との言葉が一言だけ示されて来たので、其の聲のトーンから、私を找し出して此の神の世界に送り込んだ「土肥無庵」の事を思い出し、今朝の十二箇条の文章作製の現場・世界は「御祖神・みおやかみ」と呼ばれている意識体・思考体系の神(はたらき)のモノである事を想った。
其処で起きて時計を見ると、時刻は8時31分であった。
其れからPCを立上げ、先ず、起こされた「5時8分」の数字から、昨年の5月8日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2020/5/8今朝のビジョンは、先ず「志村けん」の姿ではないのだが、志村けんだと言う名前の設定で、良く晴れた日に、其の男性がスポーツカーの後ろに女神を乗せて運転して居る場面が映し出されて来た。
そして、山越えをすると、下り坂で其の車が転げ落ちて行くので、私の意識が其の女神の安否を気にすると、女神は無傷なので安心した。
処が、全く同じ映像場面が、繰り返し10回以上も映し出されて来て止まらないので、私はいい加減、其れが嫌に成って来たので、何とか止めようと意い、無理に起きて照明を点け、現実世界に意識を戻してから時計を見ると、時刻は「2時28分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私にとって必要な若者が、動き回るのに足が無いので、車を捜し出して来たが、其の車はジョイントが壊れていて動かないので、私は取り敢えず他のメーカーの車のジョイントを外して来て、其の車に合う様に、鉄工場で改造を始めて居た。
次のビジョンは、私の父親が所長として務める事に成り、屋久島に渡って来た「重石(タングステン)鉱山」が有る明星岳の山裾の様子が映し出されて来て、其処に、若者が定住できる村を諏訪と言う名前の40歳位の男性が建設の為に働いて居る様子が映し出されて来た。
そして私は、其の男性に「櫛玉饒速日命・くしたまにぎはやひのみこと」の御魂である「前田氏」を紹介する為に案内して、説明を受けて居た。
其れは、木々に被われている鉱山の跡地を、出来るだけ木々を残して道路を整備し、住宅を建設する物であった。
其れから、男性の聲で「此方は1941年から動いている」との言葉が一言告げられてきた。
其れで、起きて時計を見ると時刻は「6時45分・7時15分前」であった。
其れからPCを立ち上げ、今年の2月28日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
「志保続」https://green.ap.teacup.com/20060818/5287.html
此の文章には、・・其処で「志保続」との文字が大きく映し出されて来たので、其の文字の意味を理解しようと意った所で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は「6時45分・7時15分前」であった。・・・と書いて有るので、今朝起きた・起こされた時刻が「6時45分・7時15分前」であった事と同じであるので、今朝のメッセージも「志保続」との言葉と関係が有りそうである。
*「志・シ」【解字】形声「心+士(之)」音符の之・シは、ゆくの意味。心のゆき向かうこと、こころざすの意味を表す。【字義】@こころざし。心の向かうところ。意向。目的。めあて。「初志」「大志」Aこころざす。心を向ける。目標をたてる。Bしるす。㋐おぼえる。記憶する。㋑書きしるす。記憶する。また、その記録。「三国志」Cしるし。㋐めじるし。㋑旗。のぼり。D文体の一種。記録文。
国語 こころざし。㋐厚意。親切。㋑お礼や感謝の意を表す為の贈り物。
*「保・ホ・たもつ」【解字】形声 「人+フ」音符のフは、乳児を抱きかかえる形にかたどる。成人が乳児を抱いてまもる、たもつ・やすんずるの意味を表す。甲骨文・金文などは、人が子を背負っている形にかたどる。保を音符に含む形声文字は「たもつ・安んずる」の意味を共有している。【字義】@たもつ。㋐もち続ける。そのままの状態を続ける。「保持」㋑守る。Aやすんずる。安らかにする。㋐かばう。助ける。㋑育てる。養う。「保育」Bうけあう。責任をもつ。また、うけあい。「保証」Cもり役。かしずき。また、つきそう。Dたのむ。たのみとする。Eやとい人。使用人。また、つかう。Fとりで。小さい城。Gむつき。H五戸を単位とする組合制度。
*「続・ゾク・つづく・つづける」【解字】形声「糸+売(賣)」音符の賣・ショクは、属に通じ、つづくの意味を表す。【字義】@つづく。つらなる。つながる。「継続」Aつづける。㋐つらねる。㋑つけ足す。㋒つなぐ。Bつぐ(継)。絶えた所をつぎ続ける。Cつづき。㋐つづくこと。㋑後につづくもの。二の舞。
漢語林より
此の続の説明に有る「Bつぐ(継)。絶えた所をつぎ続ける。」の意味からすると、「志保続」との言葉は、私には「天津日嗣を保つ志しを持て」との天神のメッセージであると思われて来る。
其れを考えると今朝のビジョンに、実際の「志村けん」の姿ではないのだが、志村けんと言う名前の設定で、良く晴れた日に、其の男性がスポーツカーの後ろに女神を乗せて運転して、山から転げ落ちる場面が十数回も繰り返し映し出されて来て、起きた時刻が「2時28分であったのは、西洋暦の2月が28日しか無い事と、関係が有りそうである。
其の原因は、皇帝が自分の産まれ月が8月であり、8月が1日少ないのを嫌がって、2月から日(時・間)を盗んだ事と関係が有り、志村けんのギャグが、ズッコケて笑いを取ることは、人々を「間抜け」にしたとの事であり、其の事で、女神が山越えに失敗する事に成ったとの事なのではないだろうか。
其の事と、今朝7時15分前に、男性の聲で「此方は1941年から動いている」との言葉が一言告げられて来た事を考えると、昨日私が取り敢えず文章を打ってから、畑に下りて、野菜の水掛と収穫を行い、再びPCに向かうと、右の耳元で男性の大きな声で「お前はエンジンと成って 前田社長の会社の若者を動かせ」と告げられて来たので、私は其の男性の言葉を訝し気に思ったのだが、右手の台の上に置いてある携帯電話が気に成るので、視て見ると前田氏より着信が有るので、掛け直すと是からの事に付いて色々話す事に成った。
今朝のビジョンに登場した、明星岳の鉱山跡に新しい村の建設を行って居たのが諏訪氏であったのは、諏訪が「櫛玉饒速日命」に国譲りを行った大国主命の次男である「建御名方命」の子孫であるので、現在の政(まつりごと)を大国主命の精神(次元)に戻せとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其の様に考えると、私の為に働く若者の、動かない車のジョイント部分を、私が他のメーカーのジョイントを改造して、動く様に改造していた事の意味が理解されて来る。
ジョイント【joint】 の解説[名](スル)
1 パイプなどの接合部分。継ぎ目。また、接合用部品。
2 連携すること。提携。「家電メーカーがジョイントして広告を出す」
其れに、今朝のビジョンで車を運転して居た男性が志村けんであるとの設定を考えると、8日の潮騒の場面で、男性の聲で、
「時を回してくれ チャップリンの様に ゆっくりと。
ワタシは 潮騒が砂を練る動きの様に在る
ワタシはその様なモノ。
少し待って 風が止まれば ワタシは漕げない。」
と、告げられて来た「時を回してくれ チャップリンの様に」との言葉と関係が有り、其れはチャップリンが大きな歯車の中に自分が挟まって、廻って行く演技を行っている姿と関係が有り、チャップリンは理知的に人間社会の仕組みを揶揄しているが、志村けんのギャグはズッコケて、人間を間抜けにするとの事が、示唆されているのであろう。
其れを考えると、「志保続」「天津日嗣を保つ志しを持て」との言葉は、統尊(すめらのみこと)の役割である「統尊・すめらのみこと」の「詔勅・みことのり」「御稜威 ・みいつ」「御嚴・みいつ」の言葉や「極」の漢字の意味が関係が有り、「間抜け」では、其の神(はたらき)が出来ないとの事に成る。
キー「厳・ゲン・ゴン・きびしい」・・
「御稜威・みいつ」http://star.ap.teacup.com/170606/38.html
昨日昼間、耳元で大きな声で「お前はエンジンと成って 前田社長の会社の若者を動かせ」告げられて来た男性の言葉からすると、私は、自分で直接行動は起こさなくても、自分が神(はたらき)を動かす「エンジン」の様な役割を果たす必要があるとの事であり、其れは私の現在の行為・行動と関係があり、未来創造の為に役立つ「検索エンジン」の様な物を準備する必要があるとの事なのかも知れない。
「殿産婆」https://wave.ap.teacup.com/20060106/777.html
「統尊はマイクロプロセッサの役割」https://green.ap.teacup.com/20060818/4508.html
サーチ‐エンジン【search engine】 の解説 国語辞典
インターネット上で目的とするウェブページや情報などを検索するためのシステムの総称。ディレクトリー型サーチエンジンとロボット型サーチエンジンの2種類に大別される。検索エンジン。
「新しい村の建設」https://green.ap.teacup.com/20060818/5357.html
此の文章には、「此方は1941年から動いている」と記して有り、1941年は12月8日に大平洋戦争が始まった年であるので、私の父親が敗戦にて満州から引き上げて来て、屋久島に住む事に成った事も、全て神仕組みであると謂う事に成る。
其れに「わすれるな」と一言告げられて来た起きた時刻が8時31分であった事から、昨年の8月31日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2020/8/31本日で8月が終わり、明日9月1日は旧暦7月14日で、「秋禊ぎ日」である。
今朝のメッセージは、其の事と関係が有るのか、私の思考・脳の働きは、人間社会に積み上げられて来ている「知識・情報」ではなく、五感の気(エナジー)に拠って働いている理・ことが示されて来た。
今朝のビジョンと言うか、私の意識状態は、厳しい暑さの所為で起きる「夏疲れ」の症状の様で、自分の肉体が岩場の重なりの中に挟まれて居て、植物の蔓に絡め取られて、吸収されて行く様な場面・状況が、現実感を持って襲って来たので、急いで照明を点けて現実世界を確かめて、其のビジョン・場面を打ち消した。
其処で時刻を確認すると、2時27分であった。
其れから再び眠ると、今度は私の意識は南方の海岸に在って、誰だか知らない・判らない男性・客人を案内して居る場面が映し出されて来た。
そして岩場を歩いて行くと、大きな魚が所々に捨てて有り、客人が「何故大きな魚が捨てられているのですか」と質問するので、其の捨てて有る魚を確かめて見ると、其の魚は地元民が食べない魚であるので、私は「釣れたけど 食べないから 持って帰らなかったのでしょう」と、応答して居た。
次のビジョンは、私が数軒の建物が並んでいる自然の森の中に居て、車で自然探索に出掛けた二組の客人の帰りを、待って居る場面が映し出されて来た。
そして、其の二組の客人が二台の車で帰って来たので、私は夫々別の建物に案内して、風呂やトイレの扱いを説明していた。
どうやら、私は、民宿の様な施設の管理を行って居る様で、其の建物は自然の森の中に在るが、ライフラインが整っている近代的な建物施設である事が理解されて来た。
其れに、客人が運転している車は四駆の新型の車であり、客人達はスーツ等の洋服を着用しており、教養のある都会人である事が理解されて来た。
其れで、私は自分の身なりを確認すると、私は上着は着て居らず、南方の原住民の様な姿・恰好である事が判った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時27分」であり、初めに起こされた時から丁度1時間が経過している事が判った。
其れから再び眠ると、「ナイス・ボディ」との言葉が一言告げられて来て、其れは私の肉体の事に付いてであり、私が「土肥無庵」に連れられ北九州市の洋服の仕立て屋に行くと、店の主人が「是が本当の肩甲骨」だと驚く様に謂うので、其れは私が中学を卒業してから毎日砂糖キビの束を大型トラックに投げ上げて居た所為だと理解した事や、全国の旅に出てから足の相を見る専門家が「こんな足を見た事が無い。」と謂い、其れは私の土踏まずが発達している事を意味し、私が中学校まで裸足で通学していた事や、子供の頃から山岳・山中を駆け回っていた事と関係が有る事が理解されて来た。
其れに、私は子供の頃から猿の様に木に登って、様々な木の実を食べて居た事や、川に鰻の罠を仕掛けたり、海で魚釣りや貝取りをしていた事と関係があり、砂糖キビを齧る事で顎が発達している事にも関係があり、私は学校の授業時間以外は殆ど机に座る事なく、野外で朝から晩まで躰を動かして、身体を鍛えて来た事が、並みの人達とは違う五感を養う事に成った理・ことが、示されて来ているのであろう。
そして、其の私の体験の多さ・積み重ねが、神のメッセージを受け取るアンテナ・受信に役立っているとの事であり、私の意識の基盤が、人類が650万年前に類人猿から分離した次元迄、里帰りをしている事に成るのであろう。
2018/7/9・・是等の15年程前の文章を読むと、確かに私は、都会で高度な教育を受けて育った人達は違い、独特な意識(脳味噌)の構造をしている事に成り、其れが、138億年の宇宙年齢(情報)や、38億年の生命情報(記憶)と関係が有り、世界自然遺産に登録される様な、山川海の自然環境の中で肌感覚で育って来た、私の意識感覚・センサーは、何物に換える事が出来ない、貴重な存在であると謂えるのかも知れない。
其れを考えると、私の人生はとても恵まれていた事に成り、全ての神々に、心から感謝の念を抱かなければ成らないと言う事に成りそうである。
「自然に帰る」 https://wave.ap.teacup.com/20060106/835.html
「源へ還る意識」https://wave.ap.teacup.com/20060106/305.html
今朝起こされた2時27分の数字から、今年の2月27日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章には、「・・其の石垣の岩の隙間に、マメ科の植物が彼方此方に発芽して、伸び始めている様子が映し出されて来た。」と書いて有るので、今朝のビジョンで植物が私の肉体に侵入して来た場面は、植物が根から酸を出して岩を溶かして吸収している事と関係が有り、私が「いそべ・礒邉・磯部・石部・石屋・石工」の血筋と関係が有る事が、示唆されているのではないだろうか。
其れに「・・私の身体は白毛の類人猿の姿であり、白い子猿を懐に抱いて、椅子の上に、猿其の物の様子で座っており・・」と書いて有るので、今朝の私の姿が森の中に暮らす原住民の様であった事とも符合している。
其れと「98%の繋ぎ目の掃除」との言葉は、明日9月1日が旧暦7月14日で「秋禊ぎ日」である事と関係が有り、意識の継ぎ目を徹底的に禊ぎ祓う必要が有るとの事であり、今夜が「天津日嗣・あまつひつぎ」の最終日であるとの事なのではないだろうか。
其れに、次に起こされた3時27分の数字から、3月27日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
「宝の島は永遠」https://green.ap.teacup.com/20060818/5315.html
此の「宝の島は永遠」の文章には、「神様も佛様も自適さんのファンに」と告げられて来たと書いて有るので、私が屋久島で産まれ育った事と関係が有り、私の意識は自分の物ではなく、屋久島自体が、私の躰を使用して、本来の「磐座・いわくら」の情報・記憶を再生したとの事なのではないだろうか。
其の様に考えると、私はライアル-ワトソンの著作である「アフリカの白い魔術師」に書いて有る「岩に棲む蜥蜴」の役割を果たした事に、成るのではないだろうか。・・
「ネィティブ・アフリカン」https://green.ap.teacup.com/20060818/5108.html
今朝は此処まで打ってから畑に下りて、水掛けを行い帰って来てPCに向かうと、男性の聲で「3月17日」「5月18日」「6月18日」「10月13日」の日付が告げられて来たので、其の日付の文章を確認すると次の様に書いて有る。・・
「宗教の近代化」https://green.ap.teacup.com/20060818/5144.html
此の文章には、二度「土肥無庵」が出て来るので、今朝日付を告げて来た男性は其の土肥無庵の御魂である様である。
其の理由を考えると、私の文章の内容や日付を記憶できるのは、「図書館の本は全部読んだ。書いて有る文章は捲るだけで全て記憶できる。」と謂い、私の風変りな質問にも直ぐ応答していた土肥無庵にしか不可能な事であり、其の土肥無庵の意識は17歳の時に頭蓋骨骨折事故を起こしてから、小倉の妙見宮の祭神である「御祖神・みおやかみ」が守護霊と成っているからである。
「無庵師匠の御魂」https://green.ap.teacup.com/20060818/2915.html
私は其の「土肥無庵」に捜し出されて、三ヵ月間の「マクロビオティック ・Macrobiotic」生活の後1984年6月4日・旧暦5月5日に安房川の岸辺で、土肥無庵が見守る下で禊ぎ祓いを行い4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」現象が起きた。其れから、本日で12237日と成る。
今年は4月が閏月であったので、明日9月1日が旧暦7月14日「秋禊ぎ日」である。
今朝で文章の題が、三日連続「英語・カタカナ」である。
其れを考えると、明日から始まる禊ぎ祓いは日本だけではなく、世界全体の出来事と成るとの事なのではないだろうか。
「ナイス・ボディ」https://green.ap.teacup.com/20060818/5472.html
此の文章には、「土肥無庵」の事が記して有るので、矢張り今朝「わすれるな」と一言告げて来たのは、其の土肥無庵の御魂からのモノである事は間違い無い様である。
だが何故、「忘れるな」ではなく日本語の「わすれるな」であったのだろうか。
古語辞典では「わす-れる。わす-る」で、「忘」は漢語林には次の様に載っている。
「忘・ボウ・わすれる」【解字】形声。「心+亡」音符の亡は、なくなるの意味。心の中から記憶がなくなる・わすれるの意味を表す。
【解字】(一)(二)わすれる。㋐記憶から消える。思い出せなくなる。「備忘録」㋑おろそかにする。注意がむかない。
其れに、此の文章には次の様に記して有るので、昨日のビジョンに、磐の側に生える植物を背景にして、顔が判らない人物・人型が映し出されて来た事と関係が有りそうである。
「・・私の意識状態は、厳しい暑さの所為で起きる「夏疲れ」の症状の様で、自分の肉体が岩場の重なりの中に挟まれて居て、植物の蔓に絡め取られて、吸収されて行く様な場面・状況が、現実感を持って襲って来た。」
其れに、昨日のビジョンには、「黄・白雲母」がキラキラと光っている渦巻模様が有る岩壁、→堆積岩の頁岩板が散乱する地面、→白い倒木が燃えて灰に成る場面が映し出されて来た事と、今朝のビジョンに、死亡した老人の肉体が朽ちて行く様子が映し出されて来た事と、後継者決まらない事に関係が有るのなら、「土肥無庵」が告げて来た「わす-れるな」との言葉は、四次元世界・冥府の「御祖神・みおやかみ」が、三次元世界・現実界に現れる形態・すがたが「統尊・すめらのみこと」であるとの事であり、天津日嗣(あまつひつぎ)の継続(傳統文化)を忘れては成らないとの理・ことなのではないだろうか。
其の様に考えると、昨夜眠る前に映し出されて来た、山岳から泌み出す水が山を下って海にまで流れ下って行くビジョン・場面は、海水の蒸発→雲→雨→山岳→泉→河川→海原の水の循環だけではなく、地球生命の一部である人間の「御魂」の循環・輪廻転生を示唆しているのではないだろうか。
「泌・ヒツ・ヒ」【解字】形声。「氵(水)+必」音符の必は、閉に通じ、とじるの意味。とじられたところから、ひっそり流れ出る水の意味を表す。
【字義】@ながれ。早い流れ。細い流れ。Aいずみ。また、泉の流れるさま。国語。しみる。しみ出る。にじむ。にじみ出る。「分泌」
漢語林より
昨日と今朝の文章には、前日の夜、眠る前に瞼に映し出されて来た映像の事が記して有る。
其れは、眠ってからの霊夢ではないので、私の脳・顕在意識には、何等かの投影機能が備わっている事に成り、其れは霊界人からのメッセージではなく、地球・大地のシステムを熟知している何等かの意識体が、私の脳の視神経システムに関りを持って来ている事に成る。
其れは、「幻覚」との言葉に当たるモノ・世界ではあるが、内容が幻覚ではなく、学校で学習する「自然科学」の世界であるので、理数系に国語・社会・歴史が加わっている事に成る。
其れを考えると、私の脳意識と謂うか、情報システムは、学校教育の世界が有って、私が義務教育を受け、一応の言語システムを基板としているからこそ、視神経(天照界)の神(はたらき)を、言葉・文字にて記録する事が可能と成っている事が判る。
だが、私が此処まで記録している事を、正しく理解してくれる人間は、「土肥無庵」の他には未だ現れてはいない。
其れを考えると、此の私が死亡してしまえば、私が是まで覚えて来た事柄は、誰にも伝授されていないので、「忘れ去れて行く」との事に成り、現在の宗教世界は「老子」「釈迦」「イエス」がしては成らないと教訓した事ばかりを行っているのと同じ事が、是から永遠と続いて行く事にも成る。
だが今朝の霊夢には、何物かわ判らないが、漢字混じりの日本語で、人間の生き方に関する「十二箇条」の条文の作製・創作を行っている事が示されて来た。
其れを考えると、肉体・手足を有しない神(はたらき)の為に、此の私は、神(はたらき)の代理として、其の十二箇条の条文の完成に協力して、此の人間世界・社会に「天神・宇宙意思」を明らかにする役割が残っているとの事に成りそうである。
其れは、人間が開発した「人工知能・AI」では、人間の精神世界の問題は解決できないと言う事でもあるのだろう。
令和3年2月26日
礒邉自適
2021/2/25
私は磐部の子孫
3・2・25
本日2月25日は、私の三女「舞光・まいか」の誕生日であり、其の舞光の名前は、翌日26日に高千穂の「岩戸神社」の山手の道路をダンプカーで走行中に、私の脳内に告げられて来た・降ろされて来たモノである。
昨夜は、其の事と関係が有るのか、床に就いて目を閉じて居ると、瞼に「黄雲母」や「白雲母」が渦巻模様に光っている、岩壁の存在が映し出されて来た。
次に今度は、黒い堆積岩の頁岩が、板状に剥がれ落ちて砕け散っている土地の存在が映し出されて来て、私の意識は其処を暫く進んで行った。
けつ‐がん【×頁岩】 の解説
シルトや粘土の堆積岩 (たいせきがん) で、板状に薄くはがれる性質のもの。泥板岩。シェール。国語辞典より
すると、大嵐が通り過ぎた後なのか、隕石でも落ちて爆風で倒れたのかは判らないが、原始の森の大きな木々が、倒木して白く乾いている場所が有り、雷でも落ちて発火したのか、火が燃え広がって行き、燃えた木の幹から白い灰が剥がれ落ちて行く場面が映し出されて来た。
其れから眠りに落ちると、屋久島で晴れた日の屋外会場で、集会・つどいが行われている場面が映し出されて来て、私は、其の会場で料理を配ったり、写真撮影等のスタッフ役を果たして居た。
次に、今度は私が其の人達に招かれて、都会での集いに参加している場面が映し出されて来て、会場の壁には、私が撮影した物として、三枚の大きな写真が横に並べて飾って有り、其の写真は屋久島の岩場の植物を撮った物で、一番右の写真は植物を背景として、緑系の服を来た人物の上半身が写されている物であったが、顔の部分は白くボケていて人相が全く判らない物であった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は4時20分から21分に成る所であり、長短の針が重なっていた。
其れから再び眠ると、今度は野菜を栽培する畑の様子が映し出されて来て、其の畑の土は、山林の落ち葉から出来た腐葉土であり、化学物質が一切含まれていない昔ながらの自然の物なので、其の土を吸収した野菜を食べる事で、本来の人体の細胞が維持される理・ことが示されて来た。
其れで私は「身土不二」や「産土神」の言葉と、自分が以前書いた「植木鉢の土は何処へ消えたのか」と「何故自然農法か」との文章を思い出していた。
其処で起きて時計を見ると、時刻は「5時49分・6時11分前」であった。
其の6時11分前の数字から、私は「2006年3月19日に 「紀(とき)のまつりを行え。御稜威建国・6月11日」と告げられて来た事を思い出し、其れが気に成って眠る気がしないので、起きてPC前に座した。
其れで縁側を見ると、縁側のカーテンの隙間から見える屋外は、未だ暗いままであった。
キー「紀(とき)のまつりを行え。御稜威建国・6月11日」
2017/6/11本日6月11日の日付は、私が2006年3月19日に「紀(トキ)の祭りを行え」「御稜威建国6月11日」と告げられて来て、2006年6月11日に第一回の大山祇神の大祭を行なった日である。
其の成り行きは、私が2002年に屋久島に帰って6月8日にスーリアサロンを開催した日に、故「大山邦博」の足が突然動かなく成り、其の原因が「大山祇神・おおやまづみかみ」の石碑が倒れている事に有るとの事で、2006年6月11日(旧暦5月16日)に大山邦博に協力する形で始まった物である。
其れに、いま調べると、昨日「6月10日」が旧暦の5月16日であり、昨日が其の大山祇神の大祭日であった事に成る。・・
其の数字から考えると、今朝の映像場面の最後にロール紙・白いテープの様な物が、上から下に通っており、其れが私自身の意識状態であったのは、私の「自己の死(自我意識の消滅)」と関係が有り、私の中で、何等かの事が死を迎えた理・ことが、示唆されているのではないだろうか。
其れが、何であるかは、18段階のプロペラシャフトが、下から上に繰り上がって行く・運ばれて行った事と関係が有り、日本の神話の神名である十七段階が回収・消滅した事に成るのかも知れない。
其れに、9レーンとは、是までの日本の神話が「天御中主神の座」の下に、8段階の陰陽16神名であった事と関係があり、新たに9段階目(九次元)の階梯・レーンが開設されたと言う事でもあるのかも知れない。
其れは、私が「九代龍王水神雄」であると予言されていた事と関係が有り、私は是までの人生で、自分にインプットされて来た情報を、全て消去(まっさら)にして、九代龍王水神の次元の情報を、宇宙根源の意識体である女神の下で、組み立てて行かなければ成らないと言う事なのかも知れない。
其れ等の事を考えると、本日6月11日には、天界で大きな事が始まっている事に成り、私は其の事に対して、白紙の状態から何等かの事を、思索しなければ成らないとの事なのであろう。
「女神の下へ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4268.html
2021/1/30本日1月30日の日付は、1947年1月30日に父親が畑から馬の手綱を引いて、馬小屋の前まで帰って来た時に、父親の頭に「自適」との言霊が降りて来て、父親は其れは私の名前だと直感して、手綱を放り出して自宅に駆け込み、母親に「この子は自適だ」と謂った日であるので、私の名前が決まってから74年の日である。
今朝のビジョンには、人の姿は見えないのだが、私はオクラの実ではなく、葉ばかりを食べて居る様子が映し出されて来て、右側には桑の実ではなく、葉を食べている生き物が在る様子が示されて来て、左側には枯れ木の幹を食べて木屑を排出している生物が在る事が映し出されて来た。
私は、其れ等のビジョンの意味が判らないので、不安な気持ちを抱いた所で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時48分・6時12分前」であった。
其れで、映し出されて来た映像の意味を考えると、昨日のビジョンで一個の大きな白い繭(まゆ)が映し出されて来て、其の繭が私が籠る物である事が示されて来た続きである事を考え、今朝映し出されて来た変化する人間の顔は、人間だけの世界ではなく、地球生命全体の輪廻転生、遺伝子・DNAの継続が、示されて来ている理・ことを思った。
其れで気持ちが落ち着いたので、照明を消して、再び横に成ると、今度は「6月11日」の日付が示されて来たので、私は其の日付は「紀(とき)のまつりを行え。みいつ建国 6月11日」と告げられて来ている事に、関係が有ると思った。
其れから、夜明け前の仄暗い天空に人間の顔が一つ浮かんでいる場面が映し出されて来て、其の顔は、次々に変化して行く様子が長く続いたので、私は其れは、日本神道の「御祖神・みおやかみ」や、仏教の「久遠実成・くおんじつじょう」「輪廻転生・りんねてんせい」、其れにイエスキリストの謂う「永遠の御魂・いのち」の世界が、映し出されて来たモノ・現象だと確認した。・・・
「紀(とき)を開ける」https://green.ap.teacup.com/20060818/5628.html
2014/6/10「トキの正体」https://green.ap.teacup.com/20060818/3094.html
2014/10/7「太元尊神」https://green.ap.teacup.com/20060818/3221.html
2015/3/27「立って居てください」https://green.ap.teacup.com/20060818/3407.html
2015/5/4「富士と鳴門の仕組み」https://green.ap.teacup.com/20060818/3454.html
2016/5/25「動き出す神の世界」https://green.ap.teacup.com/20060818/3863.html
2016/7/13「タイムゲート(時の門」https://star.ap.teacup.com/20121223/133.html
2017/7/15「保護プログラム」https://green.ap.teacup.com/20060818/4305.html
2017/9/18「殿産婆」 https://wave.ap.teacup.com/20060106/777.html
2019/5/4「紀・キ 自分」https://wave.ap.teacup.com/20060106/872.html
2019/5/31「ひこ 是で始める」https://wave.ap.teacup.com/20060106/877.html
2020/1/3「微笑みの返し方」https://green.ap.teacup.com/20060818/5230.html
2020/7/6「神が何故人間に頼んで来るのか」https://green.ap.teacup.com/20060818/5416.html
2020/8/23「弁財天の宝船から丸24年」https://green.ap.teacup.com/20060818/5464.html
2020/12/30「写真を撮り続けろ」https://green.ap.teacup.com/20060818/5596.html
其れから、初めに起こされた4時20分から21分の時刻から、昨年の4月20日と21日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2020/4/20今朝のビジョンは、先ず、私が自分の五感である「視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚」の器官・仕組みを、機械類である「映写機・録音機・拡声器・検査機器」の様に、掃除をしなければ成らない様子・意味が映像にて示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時25分」であった。
其れから再び眠ると、今度は私が一人で、田舎の畑で野菜の栽培作業を行って居ると、都会から来た人達が私の生命を狙っている事が判明したので、私は其の作業を止めて、急いでもっと山の方に避難して行った。
すると一軒の立派な日本建築の建物が有り、入り口が開いているので、私は其の建物の中に入って、隠れる事にした。
暫くすると、其処の主の男性(70歳位)が友人(50歳代)と一緒に帰って来たので、私が事情を二人に説明すると、主の方が私に自分の服を着せて、身内であるとの事にした。
そうして居ると、犬を連れて私を追跡して来た二人が、其の家に到着して私を引き渡す様に迫ったが、主と其の友人が頑として、自分の身内だと言い通したので、疑いながらも、仕方無く引き返して行った。
其れから、主と其の友人の二人が、秘密の書類の様な物を私に見せて、私にも其の世界をマスターする様に謂った。私が其の書類の目次を見ると、其れは聖書の様に第何章・何項目との数字が記されている物で、究極の理論・識見が記されている事が理解されて来た。
そして、私にも「自分の識見を書いて見ろ」との事なので、私は一瞬瞑目してから頭に浮かんだ事を紙に書いて見た。其れは、次の様にである。
「歩き出せば 止まれない 其れが人間である。一心 丸太
私はなにゆえ 此処に存在するのか。 一 丸 (はじめ まる)」
すると其の主は、私の事を認めた様で、私の事を友人に任せて、奥之院に報告に向かった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時25分」であった。
其れから再び眠ると、今度は山中に暮らして居る男性が、人間が荒らしてしまった山中に、以前生えていた蘭やエビネやオオタニワタリ等の苗を育てて、植える作業を行っている様子が映し出されて来た。
私は、其の人達の様子を見ながら、自分が若い頃に屋久島の自然破壊をした事を悔いていた。
次に、村の中に「マクロビオティック」の小さな食堂・レストランが存在している場面が映し出されて来て、其処には三人の女性が働いており、私が入り口で献立や説明・案内文に目を通して居ると、経営者の女性が出て来て、メニューの説明をしてくれた。・・
これ等の文章の内容と、今朝のビジョンの場面・様子の関係を考えると、是から増々禊ぎ祓いが激しく成る人間社会の出来事が、私の存在に関係が有るとの誤解が生じ、私の身に危険が迫る懸念が有るとの事であり、私は是以上人間社会に関わる必要が無いとの事なのかも知れない。
そして、既に、次の世界は準備されつつあるとの事であり、我々人間には感知できない世界で、此の世が管理されているとの理・ことが示されて来ているのであろう。
其れを考えると、今朝のビジョンで私が、自分の五感「視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚」の掃除を徹底しなければ成らない様子が示されて来た事が関係有り、私は是までに認識・検知できていない世界に、再び挑戦して行かなければ成らないと言う事であり、其の究極の世界が言葉・マントラ・真言に関係があるとの事なのかも知れない。
其の様に考えると、今朝のビジョンで、私が自分の名前を「一心丸太・いっしんまるた」「一(はじめ)丸(まる)」と記して居た事が関係が有り、自分の意識・精神・気持ちが「完全な〇」に成る様に務めなければ成らないと言う事なのではないだろうか。
其れは、老子の謂う「伐り出したばかりの樸。手を加えない自然のままの木・きじの意味」と関係が有るのかも知れない。
老子 第十九章 「作為を捨てよ」
絶聖棄智、民利百倍。絶仁棄義、民復孝慈。絶巧棄利、盗賊無有。此三者、以爲文不足、故令有所屬。見素抱樸、少私寡欲。
聖を絶ち智を棄つれば、民利百倍す。仁を絶ち義を棄つれば、民は孝慈に復す。巧を絶ち利を棄つれば、盗賊有ることなし。この三者、もって文足らずとなす。故に属する所あらしむ。素を見(あらわ)し樸を抱き、私を少なくして欲を寡(すくな)くす。
才能などというものを重視さえしなければ、競争はなくなり、人民は安らかに生きられる。道徳などというものを強制しさえしなければ、心を偽る必要がなくなり、人民は自然の情愛に立ち返る。
商工業などというものを廃しさえすれば、欲望をそそるものがなくなり、人民は盗みをしなくなる。才能、道徳、商工業の三者は、いずれも作為であって自然に反する。すべて取るに足らない。治世の根本は、人民の本性を回復するにある。すなわち。無心にさせ、私欲をなくさせることである。
徳間書店 中国の思想 老子・列子 奥平 卓 訳
*「樸・ハク・ホク・ボク」【解字】形声。「木+業」音符の業・ボクは、ト・ボクに通じ、ボクッと割れるの意味。ボクッと割れただけの木、手を加えていない自然のままの木、きじの意味を表す。【解字】(一)@あらき。まるき。切り出したままで、まだ加工しない木材。A生まれたまま。きじ。自然のままの素質。Bかざりけがなくて、すなおなこと。誠実。「質樸」「樸実」Cじみ。はででないこと。質素。(二)むらがる。密生する。むらがりしげる子木。漢語林
此の老子の言葉からすると、現在世界中で大問題と成っている「ウイルス感染」の出来事・現象は、人類全体が老子の謂う「樸」を悟る為に神が与えた試練なのではないだろうか。
其の様に考えると、明るい未来が準備されている事になり、此の私も、改めて自分を「一心丸太・いっしんまるた」「一(はじめ) 丸(まる)」に還す必要が有り、其の為には自分の五感「視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚」の大掃除(大禊ぎ祓い)が必要であるとの事なのであろう。・・・
「私は何故此処に存在するのか 」https://green.ap.teacup.com/20060818/5339.html
2020/4/21今朝のビジョンには、韓国のドラマで「李芳遠・イ・バンウォン」の役を演じた「キム・ヨンチョル」が登場して、私と二人で歴史を構築する乗り物の操縦席に居て、キム・ヨンチョルの方が操縦席に座って、操縦版を操って居おり、私は其のヨンチョルの後ろに立って其の様子を視て居た。
だが、其の操縦版が、三分の一程右側に偏っているので、私が後ろから手を伸ばして、其れを正確な位置に戻そうとすると、「キム・ヨンチョル=李芳遠」は其の私の手を払い除けて、右側に偏った儘操縦を止めないのである。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時16分」であった。・・
其れからPCを立ち上げ、文章の題を「歴史と時間」と打つと「ときのこうちく・こうせい」との言葉が告げられて来たので、「紀(とき)の構築・構成」とした。
*こう‐ちく【構築】 の解説
[名](スル)組み立てて築くこと。「城を構築する」「理論を構築する」
*こう‐せい【構成】 の解説
[名](スル)
1 いくつかの要素を一つのまとまりのあるものに組み立てること。また、組み立てたもの。「国会は衆議院と参議院とで構成されている」「家族構成」
2 文芸・音楽・造形芸術などで、表現上の諸要素を独自の手法で組み立てて作品にすること。「番組を構成する」
其れから、起こされた時刻「2時16分」と「4時16分」の数字から、今年の2月16日と4月16日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
「全て神の意図」https://green.ap.teacup.com/20060818/5335.html
【此処で私の左手の中指の付け根にカモ(神の電気信号)の反応が起きる。】
9時27分
いま起きた、カモ(神の電気信号)の場所が、左手の中指の付け根である事は、「時空の球」を手にする龍神の存在と関係が有り、「宝珠光龍」と「顕光〇」の言葉に関係が有るのではないだろうか。
其れを考えると、昨日の私の署名が「一心丸太」「一丸・はじめまる」であった事に関係が有りそうである。・・
「紀(とき)の構築・構成」https://green.ap.teacup.com/20060818/5340.html
この4月20日の文章には、「2時25分」に起こされたと記してあるが、今朝は、「由香」も夜中に目が覚めた時間が「2時25分」であったとの事である。
其れで、本日が舞光の30歳の誕生日である事から、「舞光・まいか 高千穂 岩戸神社」で調べると、次の文章が有る。
2005/12/20今朝の意識の目覚めは、「きらら」の言葉の音で開いた。
「きらら」とは、言葉と言うよりは、殆ど音の世界である。
きららとは、「キラキラ」の「キ」が、一個抜けた言葉だろう。
朝、事務所に出て来て、早速広辞苑で「きらら」を引くと「雲母」とある。
次に、今度は雲母を引くと【雲母】単斜晶系、六角板状の結晶をなす珪酸塩鉱物。真珠光沢を持つ。硬度2.5〜3.多く花崗岩中に含まれ、はがれ易い。白雲母・黒雲母などの種類がある。耐火性が強く、また電気の絶縁に用いる。きら。きらら。うんぼ。マイカ。と 載っている。
私は、此処まで読んで、想わず机を叩いてしまった。
其れは「マイカ」が、私の娘の名だからだ。
1991年2月25日に娘が産まれたので、名前を考えながら、ダンプカーで高千穂の「天の岩戸神社」の上の村から、堆肥の材料にする鶏糞を運んでいると、頭中に漢字で「舞光」と出て来て「まいか」と読む事が示されて来たが、「舞光」では「マイコウ」なのだが、「光」は「街の灯光(トウクァ・クァウ・カ)」の読みが有るので、漢字で「舞光」の字を当てて名前とした。
其れが「雲母」の事で、英語の「mica」であったのだ。
あれから、既に14年も経っている。
宮崎県の高千穂に在る「岩戸神社」は、天の岩戸の伝承の発祥地である。
其処で、花崗岩に含まれる「きらら」の名が出て来ていたのだ。
何と、14年前に、岩戸開きのヒントが示されていたのである。
屋久島は、全島花崗岩で出来ており、1400万年前から浮上して来た、花崗岩の塊である。私は、其の屋久島で産まれ育ち、花崗岩の山頂の岩上で、昼寝をして遊んで来た。
屋久島の山には、幾つかの掟がある。
其の一つに、「山々の峰で昼寝をしてはいけない。昼寝をすると、神様に憑依される。」とある。私は、其の禁を頻繁に犯して居たのだ。
其の結果が、現在・いまの私の人生である。
大本教の「出口ナオ」のお筆先には「石がしゃべり出す時節が来る。」とある。その時節が、到来して来ていたのだ。・・・
「きらら」https://star.ap.teacup.com/170606/1137.html
2019/2/25今朝のメッセージの映像は、一個の生塵を入れるボックスが映し出されて来て、其の中を綺麗に掃除をし、其のボックスの中に「時間・とき」を三分割して収める場面が映し出されて来た。
そして、其の「事・行為・作業」は「総務」の役割である理・ことが示されて来た。
本日2月25日は、私の娘「舞光・まいか」の28歳の誕生日であり、其の「マイカ・mica・きらら・雲母」の名前が告げられて来たのは、1991年2月26日に高千穂の岩戸神社の裏山をトラックで走行して居る時である。
【雲母(うんも)】は、ケイ酸塩鉱物のグループ名。きらら、きらとも呼ばれる。特に電気関係の用途では、英語に由来するマイカの名前で呼ばれる事も多い。英語のmicaはラテン語でmicare(輝くの意)を由来とする。
今朝のメッセージは、其の「岩戸神社」の存在と関係が有るのか、「時間・とき」は管理されるモノではなく、管理するモノである理・ことが、示されて来た。其の事で、私は此れまでの出来事が全て理解できる様な気がして来た。
其れは、次の様な事柄である。
1.「時の祭りを行え」ではなく、何故「紀(とき)の祭りを行え」と告げられて来たのか。
2.何故「ほととぎす」が「時鳥」と記され、禽鳥類(朱鷺・とき)、鳶・とんび)、隼・はやぶさ)が、「時・とき・事象」を運ぶ・知らせる物であるとされるのか。
3.中国の皇帝が何故、椅子に深く腰掛けて、心臓の脈拍が変化しない為に、物事を一切考えては成らないのか。
4.日本の天皇・皇室が、職業に就いては成らないので、苗字・姓を持たないのか。
5.「マクロビオティック ・Macrobiotic」の創始者である桜澤如一の教訓。
・玄米を一口運んでから、箸を置いて50回以上噛む。
・男性は奴隷・勤め人と成っては成らない。
6.私が此の世界に入った時に、あらゆる時計を壊した事。
7.1年・1月・1日・1分・1秒は、全て物の回転・動きで生まれているモノであり、其れ等の物がなければ「時間・とき」は存在しない。
8.瞑想とは、其れ等の時間・ときの束縛から自由に成る行為である。
9.時間とは「管理されるモノ」ではなく、「管理するモノ」である。
・其れが「統尊・すめらのみこと」「メシヤ・キリスト・救世主」の「仕事・役割・つとめ」である。
10.進む光は、重力で空間が歪んでいる所では曲がる。
11.何故、「統尊・皇帝・大君・聖者・仙人」が高圧者でなければ成らないのか。
・高圧者は電圧が高い理・ことで、強い磁力線を維持しているので、自分の空間を創り出し、時空を自由に管理する事ができる。
・イエスキリストが、数々の奇跡を起せたのは、其の力が強かった。
12.人間は本来自由に生きる生物であり、時間や組織や法律に管理されて生きる存在ではない。
今朝のメッセージの映像で、時間を三等分するボックス・箱が「生塵ボックス」であったのは、生塵が人間の生活・行為を意味しており、其れ等の物は「過去・すぎさった」物であるので、「ときの中」に塵程も残しては成らない理・ことを示唆しているのであろう。・・・
「時間は管理するモノ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4911.html
其れに私は、2006年6月15に「雲母運営委員会」成るブログを立上げてもいる。
kirara.steering.committee(きらら・ステッィアリング・コミッティ)新しき世界の 価値観を構築する為に用意した。
其れから、「6時11分」に起こされる時に映し出されれ来た「土と農作物」の関係に付いては、次の様に記して有る。
2001/3/4・・「身土不二・しんどふじ」とは、「身体と生活する場所とは 切っても切り離せない 一体のモノである」と言う理である。
特に、その土地の田畑や、山野で採取した食べ物を、食べると言う事が、大事であると言う訓えである。
現代の日本人の食生活は、其の食材を、世界中から集めて来ている為、身土不二の生活とは、全く違うものになっている。
人間の身体は、季節に合わせて、ホルモン分泌が調節され維持されている。
自然の樹木が、春に芽を出し、花を咲かせ、夏には葉を茂らせて、秋が来れば、実を稔らせえて紅葉し、葉を落として冬の眠りには入る様に、人間も、季節に拠って内臓の働きを調整しているのである。
したがって、東京に住んでいる人が、鹿児島で収穫された筍・たけのこを食べると言うのは、鹿児島の方が一ヶ月早く春を迎えている為、東京に住む人の体には、一ヶ月早い季節の食べ物を、摂り入れる事に成るのである。
筍・たけのこは、陰性の食物で、夏の準備をする為に、肉体に働き掛ける物であり、一ヶ月早く筍を取り入れると、東京で過ごしている人間の肉体には合っていないので、体の調子を狂わせる事に成ってしまう。
季節の違いだけでなく、植物の持っている自然の情報も、土地によって違う。鹿児島には、鹿児島の自然情報があり、其れを、植物は、その土地の土や、水や、風などから受け取っているのである。
だから、東京の土地の持つ情報とは、全く違うのである。
東京の人が、鹿児島の情報を身体に取り込んでも、全く意味が無い。
「身土不二」http://moon.ap.teacup.com/20061108/85.html
2005/4/17・・植木鉢に、土を一杯入れて植物を植え、数年間植え替えをしないでいると、中に入れた土が全部消えてしまい、植物の根だけが鉢中一杯に詰まっている。
鉢の中に入れた土は、何処に行ってしまったのであろうか。
その答えは、書籍などにも載っていない。
どうして、鉢中の土が全部植物の根と入れ替わってしまったのか。
その答えは、植物の根が酸を出して土を溶かして吸収し、自分の身体としてしまったからである。
自然を観ても、自然芋・自然薯は地中に伸びて行くのに、人の指先の様な形の芋の先端から酸を出して、土を溶かしながら穴を空けて行き、その穴の中に自分の栄養・澱粉を芋として留め込んで行く。
特に、自然芋や薩摩芋、ジャガ芋は「粘土(アルミと珪素の化合物)」が好きで、粘土を与えると健康に良く育つ。
それは、芋類がアルミや珪素分を好んで吸収するからであろう。
「土を食らう」との言葉も使用されているが、それが、どんな過程を経てそう成るのかは、未だ明確にはされていない。・・・
「植木鉢の土は何処へ消えたのか」https://moon.ap.teacup.com/20061108/335.html
1995/7/4「なぜ自然農法か」http://moon.ap.teacup.com/20061108/29.html
2016/6/29「産土神」https://green.ap.teacup.com/20060818/3902.html
2015/12/6「メッセージの文章と食物」https://green.ap.teacup.com/20060818/3681.html
これ等の事柄から、今朝のメッセージを考えると、私の「産土神」が屋久島である事と関係が有り、其の屋久島は1400万年前にマグマから誕生した花崗岩の塊りである事と関係が有り、私の身体や精神は、其の屋久島の化身であるとの事に成るので、此の私の今日の意識が「神霊の思頼・みたまのふゆ」等の出来事から自由に成る事で、本来の「命・みこと」に立ち戻ったとの事なのではないだろうか。
其れは、私の姓である「礒邉・いそべ」が、元はユダヤ・イスラエルの「石工・メイソン」であり、日本に渡来してから「石部・磯部・石上(いそのかみ)・度会部(らたらいべ)・物部」と成った事と関係が有り、其の石部の血筋(遺伝子・DNA)が、昨夜から表に現れ始めたのと事なのではないだろうか。
今ここで、私の右手の人差し指の先に、激しいカモ(神の電気信号)の反応が起きた。11時4分「114・いいし」
此の今起きたカモ現象は、「石部の血筋(遺伝子・DNA)が昨夜から表に現れ始めた」と打った事を、裏付けるモノである事に成る。
其れを考えると、昨夜眠る前に映し出されて来た岩壁の「黄・白雲母」の渦巻き模様は「磐」の漢字の意味と関係が有りそうである。
「磐・ハン・バン」【解字】形声。「石+般」音符の般は、大きいの意味。大きいいわの意味を表す。【字義】@いわ(岩)。いわお。大きく厚い岩。巨石。盤石。Aわだかまる。とぐろをまく。Bぐるぐるめぐる。行きつもどりつする。4つらなる。結びつく。漢語林より
其れに、四国の山中に存在する平家の落人の村に有る日の出を拝む巨石の説明書きには、「磐」の字に「いそ」と仮名が振ってあったので、平安時代までは、「いそ」に磐を当てていた事は間違い無い様である。
其れで、今朝の文章の題は「私は磐部の子孫」とした。
振り返って見れば、屋久島の最高峰である「宮之浦岳・1936m」の神体が動き出したの2005年4月15日であった。
2011/5/9昨日のメッセージで、「クライマックス」の言葉が、「森の極相」との意味である事が判って驚いたが、今朝のメッセージは、屋久島の深い森の御神木の様な木々の、梢が映し出されて来た。
そして、奥岳の山頂に、緑色をした女性が一人座って居て、其の女性の緑の髪の毛が、川の水の流れの様に、麓まで流れ下って来る映像が、映し出されて来た。其れは、屋久島の伝説に有る山姫の姿なのか、昨日が「母の日」だったので、地球の女神である「マザーアース」が、姿を現したモノ・現象だろうか。
其れとも、昨日の文章に書いた、ケルト文化の「グリーンマン」の女性版の姿なのであろうか。
屋久島の黒味岳の麓に有る、「花之江河・はなのえごう」はミズゴケが積もって出来た湿地帯であるが、所々に水が湧き出る泉が有る。
其の泉で、白い服を着た長い髪の毛の若い女性が、髪を洗っている姿を昔の人達が見ており、近年でも、其の姿を見た山岳信仰の女性が存在する。
昨日は、愉伽さんが奥岳の「太忠岳・たちゅうだけ」に登り、其の足で太忠岳と石塚山の中間に位置する「花折岳・はなおりだけ」に登ったとの事である。
若しかしたら、今朝のメッセージの映像は、其の事にも、関係が有るのかも知れない。
何故かと言うと、私が26年前に、其の花折岳に初めて登山した日の夜、自宅で眠っていると、夜中に、「石塚の 四方の山に尋ねても こたえかえらじ 己に聞けよ」と、告げられた事が有るからである。
其れに、山に登る途中では「アンジェルスの鐘を背負え」と告げられて、其れは後に「アンジェルスの鐘」が、ミレーの絵画「晩鐘」に描かれている鐘の事であり、農作業を終えた夫婦が、一日の無事を感謝する、祷りの対象である事が判った。
そして2005年4月15日には、宮之浦岳を中心とする奥岳の峰々から、白い龍体の様な神のエネルギーが動き始め、石塚岳と花折岳・太忠岳の三つの峰が連なる所まで下って来た。
そして次の日16日には、其処から「雪岳」→「トイモ岳」を通って、高平岳まで下りて来たのである。
「動き出した御嶽」http://moon.ap.teacup.com/20060615/80.html
「紀(トキ)」 http://moon.ap.teacup.com/20060615/15.html
「大山祇神」 http://moon.ap.teacup.com/20060615/112.html
私は、其の白いエネルギー体は「大山祇神・おおやまつみかみ(おおやまの巳かみ)」の働きであると考えていたが、今朝のメッセージの映像からすると、其れは、緑を育てている、水の働きである様な気もして来る。
確かに大山祇神とは、山の水を管理する「蛇神」である。
其れが、男性の神ではなく、女性の神であるのなら、少し考えを変えなければ成らない。其の答えとしては、其の、地球に緑を育てている女性の神が、人間の男性に憑依している形が、「大山祇神・おおやまつみかみ」と呼ばれる、男性の働きであるのかも知れないのである。
其の様に考えると、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」と「伊邪那美命・いざなみのみこと」の結びの役割をした事に成っている、「白山菊理姫(括る神・ククルカン)」と、今朝の緑の女性神との関係が、気に成って来る。
「グリーンマザー」https://green.ap.teacup.com/20060818/1923.html
今朝のビジョンには、屋久島の岩場に生える植物の存在が映し出されて来て、其の植物の群れを背景として、緑系の服を来た顔が判らない人物の上半身が映し出されて来た。
若しかしたら、其の人物・人型は、此の「グリーンマザー」の文章に記して有る御神体と関係が有り、其の神(はたらき)は岩のミネラルを吸って生きる植物の精霊であり、其の磐を食べて生きる生命体は、38億年前に地球に発生した原始生物の子孫(基板)を意味しているのかも知れない。
何れにしても、今朝のメッセージは、自然環境の中で産まれ育った者でなければ、昨日のメッセージの「天地間に存在する 偉大な人(トランス体、帝・統尊・現人神」には成れないとの理・ことが、示されて来ているのであろう。
今朝のビジョンには、広い原始の森が大嵐で倒木と成り、白く枯れあがっている状況で、火は着いて燃え広がり、焼けた幹から白い木灰が地面に落ち始めている場面が映し出されて来た。
其れは、全ての人間が何れ、灰と成って行く運命である事と同じ世界であるので、我々人間は、生きて居る間に、何等かの結果を出して措かなければ成らないとの理・ことなのかも知れない。
令和3年2月25日
礒邉自適
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