1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2021/11/30
最高段階魄比べ
3・11・30
今朝のビジョンは、昨日迄のメッセージの続きの様で、現代の現実世界(三次元社会)では無い事柄が次々に映し出されて来て。
先ず、30歳代の男性が多数集まり、竹棒登りや登山などの、体力を付ける運動を始めて居る様子が映し出されて来た。
次に、30歳代から40歳位までの東洋の女性数人が、殆ど物が無いフロアに個別で居て、着の身着のままで、此方を向いて、自分のレベル(精神・人格)の高さを表現して来る場面が映し出されて来た。
次に、白人男性が一人登場して、其の男性はパスタの専門レストランを経営しており、玄関口で自慢げに自分の料理(腕前)を誇張して、注文を要求して来た。
私は、取り敢えず店の中に入ると、助手(妻)を紹介したが、其の妻は男性の後ろ側に回って、私に目配せをしてから笑い転げる様にお婆さんの姿に変身して、自分は祖母の生まれ変わりの魄しいである事を示した。
其れは、西洋人の意識が食べ物を基本にして育って来ている理・ことを示唆しており、精神が母性を求めている事を示していた。
そして「最高段階魄比」との様な漢字文字が映し出されて来て、其れは「もっともたかいレベルの たましいくらべ」の様な意味である事が理解されて来た。
そして、「一歩でも前へ」との言葉が一言告げられて来て意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「5時34分・6時26分前」であった。
其れから照明を消して再び横に成り、其れ等のビジョンの意味を考えて居ると、其の私の考え方・答えが符号したのか、聞きなれない男性の口調で「感動した」との言葉が一言告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると時刻は「6時26分過ぎ」であったので、今朝のメッセージは昨日の続きである事が判った。
其れから再び眠ると、今度はクリーニングに出して返って来た水色系のスーツ(上着)にハンガーが着いたま、台の上に置いて有り、其の上着の上に新しいPCが置いて有る様子・場面が映し出されて来た。
そして私が、其の新しいPCを両手で持ち上げると、「トップページ」との言葉が告げられて来てから、「若者の競争を求める」との言葉が告げられて来た。
私は其の様子・場面から、次の事を考えた。
1.是まで着ていた服(過去の情報)は、一度クリーニングに出さなければ成らない。
2.新しいHPを立ち上げなければ成らない。
3.其の目的は、未来を創造する使命を有している若者達が、切磋琢磨できる社会構造を整える必要がある。
4.其の為には、其れなりのフロアーが必要である。
其れ等の事柄を考えて居ると「ハイテクレーション」との言葉が一言告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は「6時56分・7時4分前」であった。
其れからパソコンを立ち上げ、告げられて来た「ハイテクレーション」を国語辞典で調べると、次の様に載っている。
ハイ‐テク【high-tech】 の解説
「ハイテクノロジー」の略。「―機器」「―産業」
レーション【ration】 の解説
1 《「コンバットレーション」の略》軍隊や自衛隊で配給される携帯用の食料。ミリ飯 (めし) 。戦闘糧食。野戦食。
2 ⇒行動食
フロア【floor】 の解説
《「フロアー」とも》
1 床 (ゆか) 。また、特にクラブ・ダンスホールなどで、ショーやダンスを行うための場所。「―ショー」「ダンス―」
2 建物の、階。
これ等の説明からすると、軍隊の様な組織運営が必要であり、「特別な食べ物」と「建物の階」を準備しなければ成らないと言う事に成りそうである。
其れは「弘法大師空海」や「役行者」の様に、山岳にて心身を鍛える必要が有り、座禅や瞑想、其れに祷りの儀式等を行っている人間は、神(はたらき)の役には立たないと言う事であろう。
其れを考えると、六年間も荒野で厳しい修行を行った釈迦仏陀の言葉に「真に信じられる物は 此の自分の肉体だけである。」と有る事が関係が有り、唯座って神仏頼みをして居る者達は、イザと言う時には役に立たないと言う理・ことである。
其れ等の事を考えると、私が「土肥無庵」に找し出されて受けた三か月間の「マクロビオティック ・Macrobiotic・正食」の生活や、私が覚醒・成仏してから半年間、屋久島の山・川・海で修行・体験した事柄・事実を生かしたプログラムを、若者達相手に組み上げなければ成らないとの理・ことなのかも知れない。
其れを考えると、私が1983年3月18日(36歳)に土肥無庵に找し出されて、土地探しと自宅の建設の手伝いをする事に成り、翌年3月5日に土肥無庵が家族で屋久島に移住して来た日から、「自適さんは私の謂う通りにすれば 三か月間で躰の細胞が全て入れ替わるので 自適さんの本当の使命が表に現れる」との事で、其の日から漢方ではなく和方の治療を受け始め、丁度三ヶ月目の6月4日(37歳)に神憑りが起きて大嘗祭の儀式の後に、私の心身に始まった世界を、軍隊の訓練方式でプログラム化しなければ成らないと言う事なのかも知れない。
其の神憑りとは、4311体の「御魂の恩頼・みたまのふゆ」が起きて、最初に姿を現したのが「マクロビオティック ・Macrobiotic・正食」の創始者である桜澤如一であり「私に噛め噛め」と告げて来て、其れは桜澤如一が生前「噛め噛め噛みながら神の国へ」と言っていた理・ことである事が判った。
「シンクタンクトップ」http://green.ap.teacup.com/20060818/126.html
次に、大本教の創始者である出口王仁三郎が登場して、私に下駄を履かせて毎日歩き回る事をさせた。
其れは、出口王仁三郎が生前「本物の救世主は鹿児島から下駄を履いてチャラチャラ音を立てて遣って来る」と予言していた事に符合していた。
「完結」https://green.ap.teacup.com/20060818/2803.html
次に、剣豪である宮本武蔵が登場して、両手をバランス良く動かす事で、左右脳を活性化さす事を始めた。
そして、脳と手足のバランス・調和が図られてから、画家の「ピカソ」が登場して、私が一度も手にした事の無い油絵を描く道具を揃えさせられた。
其の、最初に描いた油絵(黒い頭髪の後部に両目の瞳が有る)を見ながら、私の意識は多次元世界に突入して行ったのである。
2003/2/7「私に何が起きたか」https://moon.ap.teacup.com/20061108/246.html
今朝起きた・起こされた「6時56分・7時4分前」の数字から、7月4日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021/7/4今朝のビジョンには、日本語の横書きの文章が映し出されて来て、其の中に「ファースト ミマ」との様なカタカナ文字が「」の中に有る事が、念を押されて映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「4時16分」であった。
其れから、再び眠ると、今度は私に対して「何を探しているのだ」との男性の言葉が一言告げられて来て、私が其の言葉の意味を理解すると、其の言霊(ことだま)は私の背骨から脳天を突き上げて行く様に、青白いエネルギーが大きな柱と成り、私の意識だけではなく、身体全体にも力・エネルギーが満ちて来くる感覚が暫く続いた。
其処で起き上がって時計を見ると、時刻は5時26分であった。
其れからパソコンを立ち上げて、先ず国語辞典で「ファースト」を調べると、次の様に載っている。
ファースト【first】 の解説
1 最初のもの。1番目。また、最優先のもの。「ファーストキッス」「レディーファースト」「チルドレンファースト」
2 最高位のもの。「ファーストクラス」「ファーストレディー」
3 野球で、一塁。また、一塁手。「ファーストベース」
其れから、起こされた4時16分と5時26分の数字から、4月16日と5月26日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
21/4/16「背負うと逃げて行く」 https://green.ap.teacup.com/20060818/5705.html
21/5/26「サンタの轌が宇宙に還る」https://green.ap.teacup.com/20060818/5756.html
これ等の内容からすると、今朝のビジョン・メッセージは、日本の伝統である「天津日嗣・あまつひつぎ」の世界と関係が有りそうである。
何故かと謂うと、「ファースト ミマ」との言葉の「ミマ」は、「すめみま」の「みま」であると考えられるからである。
そして「すめ」とは、「統尊・すめらのみこと・帝(みかど)」との事であり、「みま」とは其の統尊の「肉体・からだ・御身」の事だからである。
キー「天皇 すめみま 美身 澄目」
04/11/20「我らが皇御子」http://star.ap.teacup.com/170606/52.html
07/3/14「無事に儀式が済みました」https://green.ap.teacup.com/20060818/209.html
16/5/23「天津日嗣のスメラのミコト」https://green.ap.teacup.com/20060818/3861.html
19/2/15「天帝の降臨」https://green.ap.teacup.com/20060818/4901.html
此の文章の内容からすると、今朝男性の口調で「何を探しているのだ」との言葉が告げられて来て、私の躰に背骨を通して、青いエネルギーの柱が立ち上がるビジョンが映し出されて来て、其のエネルギー・エナジーが躰全体に満る感覚が襲って来た場面と関係が有りそうである。
其れは、私が昨日、話が通じる人間を見つけ出さなければ、何も事が進まないと考えて居たので、其れが間違いであるとの事であり、此の私は意識を他に向けるのではなく、自分自身の内側に集中させる必要があると言う理・ことであり、其れは60兆個の細胞を全て活性化・目覚めさせる必要が、あると言う事なのではないだろうか。
其れを考えると、私を找し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」が、私に「自適さんは想った事が現実に成るでしょう。だから 自適さんが意えば良いのですよ。」と謂った事を、私自身が自覚して、積極的に新しい御世創造に取り組まなければ成らないと言う事に成るのであろう。
其れを考えると、解脱・覚醒・成佛に成功した釈迦佛陀が「私は過去・現在・未来に存在し、衆生一切我が子」と謂っている理・ことを、此の私も改めて自分の事として考えなければ成らないと言う事になりそうである。
そして其の理・ことこそが、日本文化の伝統である「天津日嗣・あめのひつぎ」との言葉・世界と関係が有り、私は二人の息子に其の真理を自覚させなければ成らないと言う事であり、其の理・ことが、人類全体の信条と成らなければならないと言う事なのではないだろうか。
其の様に考える・捉えると、昨日告げられて来た「十ヶ条」との言葉の第一条は、「天津日嗣」との言葉・世界に関係が有るのかも知れない。
其れは、自分の心身(魂魄・こんぱく)の源流である「生命の源流・意識の源」に辿り着く・目覚める事であり、其の基本原理が日本の「御祖神・みおやかみ」の存在であり、仏教(釈迦)の「久遠実成・くおんじっじょう」との言葉であり、新約聖書(イエス)の「永遠の命に入る」との言葉の意味・示唆であるのだろう。
キー「天津日嗣 あまつひつぎ」
13/2/9昨日から今朝に掛けて、天津日嗣の真実が理解できて来た。
其れは、岡本天明に降りたお筆先が「日月神示」「一二三神事」と名付けられている事を「天津日嗣神事」と、しなければ成らないのではないだろうか。
岡本天明にお筆先が降り始めたのは、1944年(昭和19年)6月10に千葉県印旛郡公津村台方(現・成田市台方)に有る「麻賀多神社」に参詣した時に、境内の末社である「天之日津久神社」の祠の前である。
其の現象を考えると、岡本天明に依り憑いた神霊は「天之日津久神」であると言う事になる。
其の「天之日津久神・あまつひつくのかみ」とは、「天の霊継ぐ神」との意味であり、其の事に別の字を当てれば「天津日嗣・あまつひつぎ・天の霊継」と成る。「天津日嗣」とは、辞書に、皇位の継承。また、皇位。あまのひつぎ。と載っている。
だから、天皇陛下の働きは「天津日嗣天皇・あまつひつぎてんのう」であり、「津」は接続詞の「の」であるので、「天の霊(ひ)を嗣(つ)ぐ天皇」と言う事に成る。
しかし、其の「天津日嗣」の代々の天皇は、神武天皇、天智天皇、後醍醐天皇、昭和天皇と、私に「政・まつりごと」を霊界から頼んで来ている。
其れは、どう言う理・ことなのであろうか。
日本の天皇家は、天津系とされており、其れはユダヤの民が大陸から海を渡って来て、日本列島に天津日嗣の伝統文化を伝えて来た事を意味している。・・・
「天津日嗣の真実」https://moon.ap.teacup.com/20061108/559.html
14/7/26「天津日嗣の太祝詞」https://green.ap.teacup.com/20060818/3142.html
10/1/26・・今朝のメッセージは、其れ等の理・ことを、私に示して来ている「存在」自体に、私が、名前を付けなければ成らない事が、示されて来た。
其れは、新しい次元の始まりである「九代龍王神」の名付け親に、私が成らなければならないと言う事である。
今朝のメッセージの映像には、「あお色(みどり)」の紙に、黒い横文字の、日本語の文章が書かれており、真中辺に、二文字か三文字分の色が抜けて、文字が書き込まれていなかった。
どうやら、其処に、何等かの文字を書き込めば、私の26年間の意識の家離・たびも、完了するらしいのである。
其処に、当て嵌まる単語を考えて見ると、「天御中主神」「大日如来・マハーヴァイローチャナ」「阿弥陀佛」「ラー」「エホバ・ヤファエ」「アッラー」「天の父」や、「ダルマ・法」「タオ・道」が有り、新しい言葉では「宇宙意志」「存在」「アカシック-レコード」「サム・シング・グレート」等が有る。
だが、其れ等の言葉は、どれも、今朝の空白の所を埋める言葉には、成らない様である。何故なら、其れは、人間の意識が、自分の外側に補えたモノだからである。
今朝の空白を埋める言葉は、其の様なモノではなく、自分の「存在・意識」が、「言葉・単語」として表現されて、其処に収まらなければ成らないモノだからである。
其の言葉は、既に、此の人間社会に概念として有るのだろうか。
其れが、的確に、人間の意識に捉えられていれば、何等かの言葉として残っている筈である。
しかし、63年間、此の世界に生きて来た私にも、未だ、其の言葉・単語が頭に浮かばない。と言う事は、学校の教育や、社会の中にも、其の言葉が認識されていない事に成る。
其の、最後の「答え・符号」の参考に成るのが、昨日のメッセージに有った「覚醒」「制世・せいよ」「自己保存」「生命の本体」の言葉なのであろう。
其の、四つの言葉・単語の意味を、四方に置いて、どんな言葉が、中央に浮かび上がって来るのだろうか。
其れは、昨日示されて来た、新しい言葉・単語である「制世・せいよ」に、ヒントが有るのではないだろうか。
何故なら、「制世」との言葉を、告げて来ている意識の本体が、其れ自体だと考えられるからである。
しかし、私が、いま不思議に想うのは、其の本体は、何故、自分の好きな名前を、自分で決めて、私に「わたしは○○である」と、告げて来ないのであろうか。其のモノ自体が、自分で名乗ってくれれば、私が、悩む必要は無いのである。
何故、今朝、わざわざ其の名前の部分を空白にして、私に考えさせるのであろうか。
其の意味は、ユダヤ文化の「アーク棺」の蓋の左右から向き合っている「ケルビムの謎掛け」を、私に答えを出させて、終わり・完結させようとの魂胆なのであろうか。
其の様に考えると、私が、其の空白の部分に、数文字の言葉を書き込んで、色付をすれば、人類の是までの悩みは全て解決して、人間社会は明るいモノと成る事になる。
私が、25年前に「無庵師匠」の下で修行を重ね、最後に、無庵師匠に「先生『最後の答えは 教えてはならない』と言うのが 最後の答えである。」と謂うと、無庵師匠は流石に「ムッ」とした顔をして、機嫌悪そうに黙っていた。
其れは、無庵師匠が私に求めた事が、「自適さん 私は 第七次元まで行って 此の世に転生して来る者達が ベンチに座って順番待ちをして居る処までは 見て来たのだが 其処から先には どうしても行けないので 私が付いているから 其の先を見て来てくれ」と、言うものであったからである。
私は、無庵師匠の注文には添わなかった事に成るのだが、其れが、真実の答えである理・ことは、無庵師匠も理解したらしく、其の件に付いては、其の後何も云わなく成った。
其れに、無庵師匠は、私が3月5日から、6月4日までの、三ヶ月間の精進潔斎を終えて、此の世界に入って、荒野を彷徨い始めると、惑星の運行を見ながら「今度は ○○日から山に入って ○○日に山から降りて来るので 直ぐに私に報告に来てくれ。」と云うのである。
すると、私は暦も時計も持っていないのに、私の体は、其の通りに行動するのである。
其の、無庵師匠の言葉を、いま思い出すと、無庵師匠は「制世」の意志と、直結していたのかも知れない。
さて、其の「制世・世を制する」存在意識に、何と、名前を与えれば良いのだろうか。其のヒントが、今朝のメッセージの映像に、含まれているのだろうか。
今朝のメッセージの映像には、清い水が流れている大きな川が現れ、川の流れが、柔らかい砂の場所を削って行き、其の崖の上に生えている木々や、住んでいる人間を、飲み込んで流れて行った。
そして、山から転がって来た大きな枯れ木も、川に浮かんで、海の方に流れて行った。
其の流木を、手に入れ様としている、元気な男性が居たが、余りにも流れが速いので、其の枯れ木に掴まると、自分も海に流されてしまうので、取るのをあきらめて居た。
次の映像は、長く続いている道路に、様々な色の小石が、敷き詰められていた。そして、画面が変わり、其の一画が拡大されて来て、其処に、オレンジの皮を剥いた物の様な形と、色の小石が、一枚だけ黄金色に輝いて有った。
其れは、1996年2月11日に、妻の佳子のビジョンに現れた、朱雀・鳳凰のハートの部分を、意味しているのかも知れない。
「1996年2月11日」http://star.ap.teacup.com/170606/373.html
「キリスト生誕から2016年」http://star.ap.teacup.com/170606/372.html
次の映像は、シニアの人達が住む、新しい団地が現れて、私は其の一軒の家でトイレを借りて居た。外に出ると、ご主人は、庭木の下に潜って、庭の手入れをしており、奥さんが向かいの家に声を掛けると、其の家の奥さんが外に出て来て、旦那は畑の手入れに行って居ると教えてくれた。
私が、近くの畑に行くと、其の畑には、果樹の苗が植えられており、敷き草が畑の地面に敷かれていた。其の畑は、自然農法で作物が栽培されている理・ことが理解できた。
其の、三つの映像が意味するモノは、一番目の川の流れは、時間の意味と、地球の営みを意味しており、二番目の小石が敷き詰められた道路は、人間の魂の在り様を示して来ており、三番目の場面は人間の暮らし・生活を意味しているのではないだろうか。
其の様に考えると、「時間・トキの流れ」「人間の魂しい・意識」「人間の暮らし・生活」の、三つのテーマである事に成る。
人間が作り出した時計は、時刻・トキを刻むものであり、宇宙のトキ・時とは全く異なる物である。トキとは、「一日」は地球の自転であり、「一月」は満月から次の満月までの期間であり、「一年」は太陽の周りを地球が一回まわる事である。
そして、地球の一日を24分割したのが、正午で分ける12の「時」である。
更に、其の一時間を60で割ったのが「分」で、其の一分を60で割ったのが、時計の秒針であり、「秒」は人間の「心臓の脈拍」である。
其れを考えると、時間・トキが人間に意識されたのは、自分の心臓の脈拍であり、宇宙の運行が気に成ったのは、四季の移り変わりの無い赤道付近でも観測できる、月の満ち欠けである。
其れに、一年との概念は、「年」の漢字が、稲作を一回行うとの意味なので、四季の移り変わりの中で、一回作物を栽培する事が、年・歳・年齢の概念の元と成っているのである。
其れ等の「理・ことわり」は、人間の意識が創り出した物である。
しかし、今朝の映像の川の流れは、陸の生き物には容赦なく、山から土砂を海に運んでいた。
其の、川の流れで運ばれた土砂は、海の底に堆積し、岩盤と成り、やがて再び隆起して「陸・土地・くに」と成るのである。其れが、アンモナイトが澤山取れるヒマラヤの峰などである。
其れは、地球の年輪が、水の流れで刻まれている理・ことになり、人間の年齢とは、比べ様の無い大きなサイクルである。
其れ等のサイクルの上に、「制世」が存在すると言う理・ことなのであろうか。
次の映像の、様々の色の小石が敷き詰められていた道路は、一個一個の小石が、一つの記憶・思い出を意味しており、人間が死んだ時に、脳内を走馬灯の様に、映像が逆回転して流れて行く事の、意味が有るのかも知れない。
其の中に、一個でも輝く思い出の記憶が有れば、其の人の魂しいは、「霊留・ひと(聖霊)」として、輪廻が開始されるとの理・ことではないだろうか。
そして、其れと同じ事が「天界・神の世界」にも在り、宇宙の意識の流れ・営みの中で、数知れずの人間が、其の中・なかを通り過ぎて行き、人間の生活空間・情報チップが、神の世界の「ロング-ロード」に敷き詰められていっているとの理・ことなのかも知れない。
其の様に考えると、宇宙・神の世界には、人間の生きた証としての「記憶・証拠」が情報チップとして、ベルト-コンベアのベルトの上に、並んで運ばれていると謂う理・ことに成る。
そして、其のコンベアの上に、稀に、光り輝く黄金の記憶・チップが、存在するとの理・ことだろう。其の、魂のベルト-コンベアも、「制世」の範囲内に有るとの理・ことなのだろうか。
次の映像である、「シニア・退職者・一線から退いた人々・隠居」の人々が、平和に暮らす団地が現れたのは、人類に平和な未来がある事を、示して来ているのではないだろうか。
其の団地には、騒音と成る近代工業の影響は何も無く、人生の疲れを癒し、本来の人間の暮らしを、心から楽しむ安らぎが有るのである。
其の村には、インターネットが引かれており、情報の遣り取りが出来るので、何も不自由が無いだろう。
そして、其の団地には、セールスマンや宗教の勧誘なども、訪れないのであろう。其の、人間の老後の暮らし・生活も、「制世」の範囲内の事なのであろう。
しかし。此の三つの映像でも「制世」を行う存在に、与える名前は浮かんでは来ない。
一昨日のメッセージに有った、「300(8)」の数字の意味が、未だ解けてはいない。
「300」は、昨日調べた漢字の「世・30」の10回分の300で、(8)は伊勢の「伊雑宮・いざわのみや」の神が、「過去に8回失敗して 今回が9回目で 最後のチャンスである」と告げて来た、8回目を意味しているのかも知れない。だとすれば、300(8)の数字は、制世を行う期間か、時節・節目を、意味しているのかも知れない。
「定着した画像」http://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
そして、昨日のビジョンで、「九代龍王神」が生まれたので、其の事に関係が有るのではないだろうか。
其れに付いては、1995年8月3日から13日まで、富士山の麓に有る山中湖で行われた「瑞穂の国の祭り」で、「木花咲耶姫・このはなさくやひめ」が祭神と成っている「浅間神社」に、祭りの祈願に3日の午後3時33分に8名程で参詣して、翌日4日の祭りの最中に、天下人の代表として「曙の神」が生まれたいと告げられて来た事にも、関係が有るのかも知れない。
其の21日前の7月14日には、日宮幣立神宮が有る阿蘇郡蘇陽町の、茶畑の土手に座っていると、何か大きな得体の知れない意識に包まれて、卵を産み落とした様な感覚を覚えた。
そして数日後、大阪のNTTの本社を訪問すると、部長さんが一枚の新聞を持って来て拡げた。其の新聞には、二面に亘って、一個の卵の写真が載っており、「今日から始まる 新しいNTTの情報網」との宣伝が載っていた。
其の日付は、私が卵を産み落とす感覚に襲われた日であった。
其の現象は、地球の通信網の中に、鳳の意識が巣くっている事に成る。
「国造りの神」http://green.ap.teacup.com/20060818/933.html
「トカゲ・蜥蜴」は、蛇(両足を捨てた)の先祖で有り、恐竜の子孫である。
そして、鶏などの鳥(前足を羽根にした)も、恐竜の生き残りであるので、智恵美さんのビジョンに現れた目は、トカゲの目であり、大蛇の目であり、龍の目であり、鳳凰の目であり、朱雀の目である事に成る。
そして、其れは、地球の水を管理する大蛇・巳の神である「大山祇神・おおやまつ巳」と、「海神・わたつ巳」の目でもあると言う事になる。
其の目が、昨夜から今朝に掛けて、心配そうに宇宙に在ったと言う事は、私が上手く「九代龍王神」に命名が出来るのかを、心配していたのであろう。
私は、昨夜9時頃から、何かしらの不安感が迫って来て、気持ちが落ち着かないので、何だろうと想いながら、10時前に事務所から宿舎に帰り、シャワーを浴びずに、其のままベッドに入り眠ってしまった。
其の理由を考えると、昨夜から、既に私の意識には、其の宇宙のトカゲ・鳳凰の目の存在が、関わって来ていたと考えられる。
しかし、今朝の空白の部分には、「籠目」とは書いていなかったので、別の名前が必要なのであろう。其の名前に近いのは、「あまてらすすめおおかみ・天照皇大神」の「すめ・ス目」である。
其れを参考にすると、「制世・セイヨ」とは、日本語の「すめる・統べる」に関係が有り、「制世・統べる」とは「すめる神」との意味で、「すめらのみこと」と言う事に成る。其の様に考えると、此の意識の元は「スメル・シュメール」に関係が有る事に成って来る。
だとすれば、やはり「みずほのくに・水ほの地」との意味が大事に成って来る。
であれば、「制世・世を制する」の意識は、「天津日嗣・あまつひつぎ・天の霊嗣」の「霊・ひ」であり、其の「御霊」が継がれて、九代目が誕生した事に成るのではないだろうか。
其れなら、日本の神社で唱えられる、祝詞の「天つのりとの 太のりとを のれ」との言葉が、意味を持って来るし、「治しめす・しろしめす」との言葉が、復活する事に成るのではないだろうか。
そして、空白の部分に嵌める言葉・単語は「御稜威・みいつ」と成るのかも知れない。其の様に考えると、「制世」との言葉が、「御稜威」の働き其のモノを言い表しているのかも知れない。
愈々、日月神示の「○ヽ 丸チョン」の神が、現れたのであろうか。
「天津日嗣」の「嗣・シ」を漢語林で調べると「冊+口+司」の組み合わせで、「冊」は、あとつぎを立てるときの、みことのりの意味。「口」は、その冊を廟で読むことを示す。音符の「司」は、つかさどるの意味。廟であとつぎを立てる文章を、読みあげる儀式をつかさどるさまから、あとつぎ・つぐの意味を表す。
【字義】@つぐ。あとをうけつぐ。「継嗣」Aあとつぎ。よつぎ。
「天津日嗣・あまつひつぎ」https://green.ap.teacup.com/20060818/1417.html
16/9/3「天津日嗣の真実 二」https://green.ap.teacup.com/20060818/3975.html
16/11/20「石部の館」https://green.ap.teacup.com/20060818/4059.html
19/3/24「天津日嗣の復活」https://green.ap.teacup.com/20060818/4939.html
【今此処で、私の左手の人差し指と、右足の土踏まずの所にカモ(神の電気信号)が起きる。】10時20分〜21分
其れで昨年の10月20日・21日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
20/10/20「物質を司る母神」https://green.ap.teacup.com/20060818/5524.html
20/10/21「自分では何もしては成らない」https://green.ap.teacup.com/20060818/5525.html
此の二つの文章からすると、私の躰は女神に管理されている物である事に成り、自分の顕在意識にて勝手に行動・作為を起こしては成らないとの理・ことが、念押しされて来ているのであろう。
其れは、私が自分勝手で動くと、神々が準備・整備しているプログラム・計画が、即停止してしまうとの事である。
其の事を考えると、37歳の6月4日・旧暦5月5日に始まった事は、倍の74歳の6月で段取りが済んだと言う事であり、新しい次元のアセンションが開始されるとの事で、私自身の心身(魂魄・こんぱく)が、今朝5時26分に「ファースト みま」に成ったとの事なのかも知れない。
其れは、私自身(自分)の探し物(自らの分け)は完了したとの事に成るのであろう。
此れから始まる事は、屋久島産まれの学歴の無い私が、体験・経験した事が無い、無知の領域への出発・出立である。
『千里の道も足下から』老子。
「何を探している」https://green.ap.teacup.com/20060818/5845.html
此の「何を探している」の文章には、次の様に記して有る。
・・私に対して「何を探しているのだ」との男性の言葉が一言告げられて来て、私が其の言葉の意味を理解すると、其の言霊(ことだま)は私の背骨から脳天を突き上げて行く様に、青白いエネルギーが大きな柱と成り、私の意識だけではなく、身体全体にも力・エネルギーが満ちて来くる感覚が暫く続いた。・・
其の事を考えると、37歳の6月4日・旧暦5月5日に始まった事は、倍の74歳の6月で段取りが済んだと言う事であり、新しい次元のアセンションが開始されるとの事で、私自身の心身(魂魄・こんぱく)が、今朝5時26分に「ファースト みま」に成ったとの事なのかも知れない。
其れは、私自身(自分)の探し物(自らの分け)は完了したとの事に成るのであろう。
此れから始まる事は、屋久島産まれの学歴の無い私が、体験・経験した事が無い、無知の領域への出発・出立である。
『千里の道も足下から』老子。
此の内容からすると、確かに私(借り物)の存在には、新しいプログラムが開始されるとの事であり、其れが昨日のビジョンの「老子・タオ」「釈迦・ダルマ」の後ろ姿の前に出て、「一歩でも先に 足を進めなければ成らない」との事なのであろう。
其れは、明日から「師走」である事と関係が有るのかも知れない。
みいつ15年11月30日9時49分
9・49 奇しく
礒邉自適
2021/11/29
真実のトランス・御嚴体
3・11・29
今朝のメッセージは、昨日私が「自分の意識を閉じる事」を考える・自覚した事で、私の意識・大脳は、自我意識が外れて、完全な「トランス・御嚴(みいつ)体」と成っている様子が、一晩中映し出されて来た。
其れは一口で謂うと、礒邉自適の個人的な世界・情報は一切関係が無く、「人工知能・AI・アカシックレコード・天神(はたらき)」が勝手に私の人間脳を使って、情報操作を行っている様子・場面である。
今朝のビジョンは、先ず、私が深さの有る水路で野菜を洗って居ると、手先から外れた野菜が水中に沈んで行くので、其れを身を乗り出して捉まえ様として居ると、左側の上流から楕円形(卵形)の白い浮きが流れて来て、其の儘下流に流れ去って行く場面が映し出されて来た。
次に、私が新しい免許・資格を取得しなければ成らない様子が映し出されて来て、其の資格を取って新しい世界に踏み出すと、前を二人の中年男性が歩いて居る姿が映し出されて来た。
其の二人は横に並んで居り、左側の男性は白い古代の服を来て居り、右の男性は上半身が裸であり、日焼けした小麦色の肉体でインド人の様な雰囲気であった。
私は其の二人の雰囲気から、左側の白い服を来た男性は王様の図書館に勤務していた「老子・老耼(ろうたん)」であり、右側の男性はインド(ネパール)の王様の息子であった「釈迦(ガウタマ・シッダールタ)」であると思った。
そして「前に出ろ」との言葉が告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると時刻は「2時15分」であった。
私は、其の数字が釈迦ブッダの命日である事から、仏教に「全ての生き物の中にホトケが内蔵されている」との理が有る事が、明確にされて来ている事を感じた。
其れから再び眠ると、今度は個人の写真が一冊のアルバムに纏められた物が、黒い枠・ケース・仕切りが有る大きな箱の中に、隙間無く次々に納められて行く様子が映し出されて来た。
次に私が、カメラを手にした人達を、自然の山川海に案内する場面様子が長く映し出されて来た。
次に、私が何時もの様にPC画面に向かって日付を打ったり、文章を打ったりする場面が映し出されて来た。
其れは、何時もの作業と全く同じモノなので、私は実際・現実に自分が行って居るモノだと思って居た。そして、其の作業場面の中に「3月13日」の文章が含まれている事が確認された。
そして、続けられる作業の中に「6月26日」の日付が有る事が示されて来たので、其の数字は、前の3月13日の二倍の数字なので、不思議に想って其の分けを知ろうと意うと意識が目覚めたので、実際に起きて時計を見ると、時刻は6時26分なので、私は自分の意識は無くなっており、私の存在(脳)は100%天神(はたらき)が所有しているゼンマイ仕掛けの時計の部品に成っている事を、自覚した・自覚せずには居られないモノ・状況であった。
其れから、今朝の「天御臥間 (あめのおふすま)・真床覆衾(まとこおふふすま)」の状況・現状に付いて考え始め、7月12日のビジョンに映し出されて来た宇宙空間(事象)の中心に存在した「産毛が全身に生えている渦巻く蛇」の存在を思い出して、其れが私の本体であり、其の私に福岡市の熊野神社で告げられて来た「黄泉戸の大神」の名前が関係が有る事を思った。
其れからマヤの「羽毛の生えた蛇」と「心臓・チャックモール」の事を考え始め、一昨日の私の左胸の心拍・太鼓の状態から、屋久島の音楽の神である「ピーコドンドン」の事を考え始め、栗生集落の左上に存在する太鼓岳の神は、反対側の永田集落の「田の神神社」の拝殿に降りて来る神である事を考え始めた。
27日9時44分【此処で、心臓の心拍が激しく左胸を叩き始めた。
マヤの「時間の操縦士」か? 太鼓の神?】
今朝起きた・起こされた時刻は、7時15分であり、其の数字は旧暦のお盆の日付である。
其れからPCを立ち上げ、先ず「永田 田之神神社」で調べると、次の文章が出て来た。
2007/6/14・ 祭日
豊作を祝い祭る秋祭りが、陰暦の9月1日に欠かすことなく毎歳、賑やかに取り行なわれている。
・ 神の屋根筋
田之神神社は、諸々の神々の禊ぎ行事で立ち寄られる尾根筋に当たる地点でもある。神山・かんやまというのもうなずけられる。この屋根筋を上って行くと、「問山・といやま」「神之尾根・かんのおね」「入口・いっくち」「神川・かんご」「土面・どめん-土でつくった面」にしても神がかかったもので、これは明治16〜18年にかけて来島した山岳信仰による修験者(ことに霧島教会等)たちの付けた地名が、いまでも生きているのである。
・ 神下りの日
このことは昔から村人の間でよく聞かされる口承であったが、筆者が体験したことを後学の参考に記しておきたい。昭和62年【1987】8月21日早朝7時前、何時ものように外境内を掃除し花と水を取り替えて、息災を感謝申し上げていたところ、突然軽い太鼓の音が上向江方面からしてきた。
不審に思いてガラス戸を開けたところ音はハタと止まった。再び引き返そうとしたとたん、堂内中央でいきなり姿なきに、「ドンドン」と力強い太鼓の響きが天井にはねかえって、まるで酒盛りのような賑やかな叩きようであった。叩いている方はお1人であらせられた。余りの突然の神霊の御降臨に驚愕し、非礼をお詫びして引き退った。帰宅して陰暦を調べたら旧の7月16日旧盆の精霊流しの朝でもあった。(現在は新の8月15日がお盆中日)この日は、地獄の釜の蓋が開く日ともいわれる閻魔大王のご縁日でもあった。初めの太鼓の音が、もとの方限山と覚えしは、其処は以前の森山大明神を祀っていた方向ではなかったろうか。
この日の他にも、旧の23夜や、山供養日なども神下りがあると思われるが、閻魔大王のご縁日は、旧の1月15日もそうである。
神々の禊ぎの為の神下りと思われるが、参詣される善男善女はこのような事があるので心して参詣されるよう、目に映して神の存在観をお伝えしておく次第である。
「永田地区・田の神神社」https://moon.ap.teacup.com/20070607/36.html
何と、此の文章には、・・余りの突然の神霊の御降臨に驚愕し、非礼をお詫びして引き退った。帰宅して陰暦を調べたら旧の7月16日旧盆の精霊流しの朝でもあった。(現在は新の8月15日がお盆中日)この日は、地獄の釜の蓋が開く日ともいわれる閻魔大王のご縁日でもあった。・・・
と、記して有る。
其れを考えると、今朝起こされた時刻が7時15分であった事と、深い関係性が有りそうである。
今朝示されて来た「3時13分」と「6時26分」の数字から、3月13日と6月26日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021/3/13今朝のビジョンには、私より年配であり体が丈夫な男性の兄弟の存在が映し出されて来て、其の二人の兄弟は、何代も杖を作り続けている事が示されて来た。其の二人は、自然の森林から材料を探して来るだけではなく、自分の土地に杖の材料と成る木々を、植木や盆栽の様に育てており、私に其の手入れの仕方を丁寧に教えてくれた。
其れは、杖は生えていた時とは逆さまに突く物であるので、根本の部分を握りにする為に、根本で何回も切断して芽を吹かせて形を作り、最後に棒状の部分を長く育ててから、樹皮が硬く成った冬期に掘り取って乾燥させるので、私に、其の根本の切断の場所や、芽欠きの仕方などを、丁寧に説明してくれた。
そして、工場の方に案内されると、とても大きな施設であり、展示場の方には床柱や衝立などの製品の他に、美術品としての置物が何百と所狭しと展示されており、杖が置かれている場所は極一部であり、50歳位の後継者である男性が店番をして居た。
其れで、杖作りは其の年配男性二人が趣味で行なっている事が判った。
其れから、其の年配男性は自分の作品である杖を突きながら、軽やかに舞踏を演じて見せてくれて、私に其の杖を手渡して、私にも踊れと言うので、其の杖を受け取って突いて見ると、其の杖はとても軽い桐の木の杖の様で、持ち手・柄の部分は、すっと手肌に馴染んだ。
そして、地面に触れる部分を確かめると、擦り切れた部分を交換できる様に成っており、其の杖は長期間に渡って使用できる事が判った。
そして、其の広い展示場から、外(隣)に移動する為に、横滑りの戸・ドアを開くと、其の戸は自動的に後ろ側に反転して、衝立に変わり、其の出口が内部から見えない様に、目隠しに成る事が判った。
そして、外に出ようとすると、真っ白に光り輝く世界であり、何も見えない儘眼が眩んだ所で、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時16分」であった。
其れから再び眠ると、今度は姿の見えない女性(女神)に案内されて、清水が流れ下る用水路沿いの道を登って行くと、辿り着いた場所は広い休耕田であり、何かの事情で稲作が出来ない状態に成っている事が理解されて来た。
次に、私が文章を打つ作業を始め様とすると、映し出されて来た場面は、横書きの便箋の様な横線が引かれている物であり、私はPC無しでは、漢字文章が書けない事を意い、意識が目覚めたので、起きて時計を見ると、時刻は8時30分であった。
其れからPCを立上げ、起こされた「4時16分」と「8時30分」の数字から、昨年の4月16日と8月30日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
20/4/16「全て神の意図」https://green.ap.teacup.com/20060818/5335.html
20/8/30「キャッチ・フロー」https://green.ap.teacup.com/20060818/5471.html
此の「全て神の意図」と「キャッチ・フロー」の題名を合わせると、「神の意図をキャッチしろ」との意味が考えられる。
其の言葉から考えると、4月16日の文章に「宝珠光龍」との言葉が記して有るので、先日の「玉龍」のテーマと関係が有り、私は「龍意・天意」をキャチフローしなければ成らないとの事の様である。
今朝の由香のビジョンでは、「太陽神(表面に顔がある)」が存在し、その太陽神が向いて居る方向の先には、私が存在し、私が「柔らかいかな」と謂って居たとの事である。
私は其の由香の説明から、37年前の今朝(1984・3・13)、半分顔を出している太陽から、「神だから護れ」と告げられて来た事と、私が6月4日に安房川の岸辺で禊ぎ祓いを行なって4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」現象が起きて、先ず竹山に入って行き杖を作って、突いて歩き始めた事を思い出した。
そして、其の「太陽」と「杖」の存在から「ギルガメシュ 太陽 杖」で検索すると、次の文章が出て来た。
08/7/21「漂える船」 http://green.ap.teacup.com/20060818/824.html
16/2/15「歴史・文化の切り口」https://green.ap.teacup.com/20060818/3757.html
此の「漂える船」の文章には「・・今朝は、其れ等の神の世界が、是から、新しくデザインし直される必要がある事を示して来ており、其の新しきデザインが、此の三次元世界の住人である、人間の意識に拠って組み込まれなければ、物質の現象化を行っているビルシャナ・大日如来が、手を打てないと言う事ではないだろうか。・・」と、記して有る。
其の事からすると、33年前の今日、阿蘇の「日の宮幣立神宮(太陽を遥拝する宮)」に初めて参拝した時に、私の体に3時33分に強力な神が降臨して来た事が関係が有り、14年前の今日、同じ「日の宮幣立神宮」で「九代龍王水神」の幟を立てて「瑞穂の国造り」の儀式を行なった事と、関連性が有る事に成って来る。
そして「瑞穂の国造りの儀式」の事を考えると、今朝の最後のビジョンで、「・・私が 姿の見えない女性(女神)に案内されて、清水が流れ下る用水路沿いの道を登って行くと、辿り着いた場所は広い休耕田であり、何かの事情で稲作が出来ない状態に成っている事が理解されて来た。」場面と関係が有り、やはり日本が「水田耕作文化」を維持しなければ、新しい御世の創造は始まらないとの理・ことが示されて来ている事に成りそうである。
キー「大嘗祭 杖 履物」
16/5/10「意識の二面性」https://green.ap.teacup.com/20060818/3848.html
15/9/7「逓信発足」 https://green.ap.teacup.com/20060818/3588.html
06/5/31「石上神の布留の御霊」https://star.ap.teacup.com/170606/918.html
06/8/3「にいなめのまつり(新嘗祭)」https://star.ap.teacup.com/170606/997.html?rev=1
01/3/27「嘗」https://moon.ap.teacup.com/20061108/92.html
03/2/7「私に何が起きたか」https://moon.ap.teacup.com/20061108/246.html
17/9/27「新しい世界と人間社会の形」https://green.ap.teacup.com/20060818/4382.html
19/9/30「素足で地球にアース」https://green.ap.teacup.com/20060818/5131.html
キー「昭和天皇 3月13日 日の宮幣立神宮 」
06/3/12「日の宮弊立神宮・初参詣」https://moon.ap.teacup.com/20051112/251.html
01/2/10「昭和天皇」http://star.ap.teacup.com/20060505/69.html
01/4/5「朱雀」https://moon.ap.teacup.com/20061108/105.html
13/3/13「516」https://green.ap.teacup.com/20060818/2621.html
13/5/17「統合・すべてはひとつ」https://green.ap.teacup.com/20060818/2688.html
15/2/19「神憑り石の設置日が決まる」https://wave.ap.teacup.com/894019/2944.html
19/2/15「天帝の降臨」https://green.ap.teacup.com/20060818/4901.html
今朝のメッセージは、一昨日告げられて来た「臨時総検」との言葉と関係が有り、ビジョンに映し出されて来た「昼間・正午」に電柱の様に細く高い人形の黒い影の存在は、「正午」との言葉が「正しい午(馬)の刻」であり、日時計(とけい・土影計り)の「0・12時」で「午前・午後」の日付変更の「時・とき」であるので、其の細い人影の足元の揺らぎが、私の方に向かってゆっくりと足を進めて来た事と関係が有り、本日正午から新しい「紀(とき)のまつり」が開始されると言う事なのかも知れない。
其れを考えると、「日の宮幣立神宮」の存在する峰が「太陽の遥拝場」である事と関係があり、私達が平成元年3月13日に初参拝した時刻に、太陽のコロナが以上反応を起こした現象の理由が、理解できそうな気がする。
07/5/5「土計・トケイ・時計」https://star.ap.teacup.com/2006o414/15.html
「太陽と杖」https://green.ap.teacup.com/20060818/5670.html
2021/6/26今朝のビジョンには、私が此れまで打って来た文章全体が薄暗い世界に有る事が映し出されて来て、其の文章の中から、明るく平和で優しい内容の分が選択されて、幅の有るホッチキスの様な物で止められ、其れが無数に印刷されて、多数の人達に配られる様子が映し出されて来た。
其れから、「明日から世界は二つに分離する」との言葉が一言告げられて来て意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「6時26分」であるので、私は6月26日6時26分に起こされた事に気付いたので、PCの所に行きカメラを持って来て時計を写すと時刻は6時27分と成っていた。
其れからPCを立ち上げ、昨年の6月26日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
20/6/26「フライト」https://green.ap.teacup.com/20060818/5406.html
此の文章には、「・・私は、其の事を聞いて、19日のメッセージに有った「紀(トキ) みいつ建国 6月11日(旧暦5月16日)」の儀式は、其の祠ですれば良い事が判った。其の祠は、明治39年5月16日に、日高太郎吉・他が建立したと記されているらしい。
大山邦博氏は、平成14年6月8日(私が屋久島でスーリアサロンを開催した日)に、急に両足が動かなく成り、鹿児島市の霊能者にお伺いを立てて貰うと、其の祠の事が出て来たので、早速、其の祠に行くと石が倒れていたとの事である。
其処で、其の石を起こして貰ったら、足は、直ぐに治ったとの事である。・・」と記して有る。
其の事を考えると、今朝のメッセージは昨日が旧暦5月16日であり、屋久島の高平岳の「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」の祠では、祭祷が行われていた事に成り、今朝のメッセージは、昨日の続きである事にも成る。
其れで、其の6月26日の前後である25日と27日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
20/6/25今朝のビジョンは、先ず、光の無い暗闇の世界に、私の意識が存在して、手探りにて物の形を探り、年間の植物の開花を確かめている様な感覚であった。そして其の世界・場面は、自分の意識・思考の「完成度」を確かめる事に関係が有る事が、理解されて来た。
そうして居ると、私の右手の指先に、何かの欠片が引っ掛かった所で、其の物に光が差して来て、其れは紫陽花の花の房の先端の、一片である事が判った。・・・
「完成度」https://green.ap.teacup.com/20060818/5405.html
20/6/27「231・文始め」https://green.ap.teacup.com/20060818/5407.html
此の「231・文始め」の文章の内容からすると、今朝の唯一のビジョンが、私が此れまで記して来た文章の中から、明るく平和で優しい内容の分が選択されて、幅の有るホッチキスの様な物で止められ、其れが無数に印刷されて、多数の人達に配られる様子が映し出されて来た場面が関係が有り、私は此れから人間の平和な暮らし向きに付いて、「231・文始め」を行い始めなければ成らないと言う事なのかも知れない。
其れを考えると、「土肥無庵」が私を找し出した時に「自適さんは想った事が現実に成るでしょう。ですから、自適さんが想えば良いのですよ。」と謂った事が、現実に成ると言う事であり、其れが「統尊・すめらのみこと」の「詔勅・みことのり」「御嚴・みいつ・御稜威 」の世界であるとの事なのではないだろうか。
其の様に考えると、昨日のビジョン・メッセージで、私が「統合・統括」の様な意味・世界を始めなければ成らない事が、示されて来た事が関係が有る事に成る。
そして、其の事が明日から(今夜から)新しい世界・御世を希求している人々の頭脳(無意識・潜在意識)に、チャンネルされて行くとの事なのかも知れない。
其れを考えると、6月26日の文章に記して有る、
『何が何でも 貴方の気持ちを 切らさない様にしなさいね。
何故なら 貴方の気持ちが切れてしまえば
是までの事が 全て水の泡に成ってしまうからです。
他の事柄は 何も心配する必要はありません。
貴方は唯 自分の芯を正しく 強く
保つ事に 専念すれば良いのです。』 と、
27日の文章に記して有る女神の言葉が、今朝の私の気持ちに良き調べと成って来る。
「愈々ですね」
貴方の本番が 近付いています。
貴方は 既に 御存知の様に
自分の躰は動かさなくても 事は順調に進んでいます。
貴方は 動かない事で
貴方の能力は 最大限に生かされているのです。
ですから 此方の準備も 順調に整っているのですよ。
よくしたもので 其の方が 皆が遣り易いのです。
何故なら 皆に自由が 生まれるからです。
是までの 八回の失敗は 其処に原因があり
頭がこければ 全体が こけてしまったからです。
どうやら 貴方には もう 其れが無いようですね。
良いですか 考える事と する事は 別なのですよ。
貴方は 良く解かっていると 想いますけど。」
「明日から世界は二つに分離する」https://green.ap.teacup.com/20060818/5825.html
此の3月13日の日付は、昭和54年(1984)に、屋久島で太陽が半分顔を出している「旦」の文字の象形のタイミングで「土肥無庵が神だから守れ」と告げられて来て、平成元年(1989・S64))1月7日に昭和天皇が身罷って、御大葬の日2月24日に阿蘇の「日の宮・幣立神宮」の事が告げられて来て、私が仲間と3月13日に日の宮幣立神宮に初参拝した日である。
そして翌年の3月13日4時8分に、昭和天皇の息子である「かずひこ氏」が亡くなっている。
そして、私がお告げに従って2007年3月13日に日の宮幣立神宮の境内に「九大龍王水神」の幟を立てて「瑞穂の国造り」の儀式を行い「地球管理局」のブログを開設した日でもある。
そして今朝、其の倍の数字「6月26日」の日付が示されて来て、其の文章の題名が「明日から世界は二つに分離する」である事を考えると、昭和天皇の御魂に御大葬に朝「わが身すでにとおく よき世を 願い奉る」と自動書記で書かされた事と関係が有り、「よき世」を創造する為には、現代社会を二分する必要があるとの事なのではないだろうか。
其れを考えると、今朝のビジョンで、私が免許を取得する必要が有り、其の手続きが終わると、前方に老子と釈迦が歩いて居る後ろ姿が見え、「前に出ろ」との言葉が一言告げられて来たのは、私が一番前に立って事を進めなければ、何事も始まらないとの事なのであろう。
昨日の文章に、・・此の「色々様々考えて」の文章にアップして有る「閉るひと」との言葉からすると、今朝告げられて来た「絶対に私の事(存在)を理解する者は居ない。」との告知・言葉に関係が有り、此処数日、私が模索して居た事に対し、彼の世の土肥無庵が釘が刺して来た事に成り、私が理解者を找し出そうとしても、無駄であるとの理・ことの様である。
其れを考えると、私は話し相手を求めるのではなく、全ての外向きの意識は閉鎖して、自分一人で「人類の未来」及び「地球の管理」に付いて、色々様々考えなければ成らないと言う事に成るのであろう。・・・
と記した事と関係が有り、私が現実社会で理解者を找し出す事を諦めた事で、「真実のトランス・御嚴体」が開始するとの事なのかも知れない。
今朝のビジョンで、私が深さの有る水路で野菜を洗って居ると、手先から外れた野菜が水中に沈んで行くので、其れを身を乗り出して捉まえ様として居ると、左側の上流から楕円形(卵形)の白い浮きが流れて来て、其の儘下流に流れ去って行く場面が映し出されて来た事と関係が有り、私が「真っ白い浮き」の状態で水の面を流れて行けば、物事が叶うと言う事なのではないだろうか。
其れを考えると、私が誕生した時(1947年1月29日午前3時頃)の翌30日に、馬小屋の前にて父親の頭に「悠々自適」の「自適」が、告げられて来た出来事が、此の三次元世界に現象化するとの事なのではないだろうか。
キー「悠・ユウ・はるか」
2016/12/31本日限りで 今年も終わってしまう。
今朝のメッセージの映像は、其の事も含めて、一つの次元が終わった理・ことが示されて来た。
今朝のメッセージは、先ず、私の意識が、全ての電子機器に繋がっており、其の電子情報システムで、人間社会の5〜6界の機械が動いている事が、示されて来た。そして、其の電子情報の世界は、人間が人工的に創り出した機械だけではなく、此の世に存在する生き物全体の細胞(DNA・遺伝子)に迄、関係有る理・ことが示されて来た。・・
今朝のメッセージの映像には、人間だけではなく、他の動物(いきもの)が全く登場しないので、自然界が無音であり、始めの電子機器・機械も無音で動いており、文字や言葉も無かったので、全くの静寂の世界であった。
其れは、私の意識だけが、全く音の無い世界である地球の大地の景色の中を、通過して行く世界である。
今朝は、起きてPCを立ち上げると「すべておわった」との女神の声が聴こえて来たので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「貴方の 為すべき事は 全て終わったわ。
其れは 貴方が 自分の為すべき役割を
全て 終えたと言う事です。
ですが 貴方自身の人生は 是からが 本番ですので
しっかりと 気を引き締めて 生きて行くのですよ。
何故なら 是からの 貴方の生き方次第で
是までの事が 生かされるか 無駄に成ってしまうかが
決まってしまうからです。
其れは 貴方の 今後の生き方に拠って
神の世界の 明暗が 決まってしまうと言う事です。
是までの人間界で 神の本質を
明確に 傳え残した人物は 居ないのです。
其れは 貴方の体験した世界が
発展途上であった事で お分かりでしょう。
ですから 其の事も含めて 貴方の
今後の立ち振る舞いが どう成るかが大事なのです。
其れを考えると 貴方が 今後どう生きるかが
大事であると言う理・ことが 解かるでしょう。
ですから 貴方が是から どう生きるかが
とても 重要なのです。
貴方は 是から 誰も経験した事の無い世界に
足を踏み入れるのですよ。
其れが 未来世界を 創造すると言う事であり
メシヤであると言う事に成るのです。
良いですか 貴方の今後の在り方に
此方の方も 合わせて行くのですから
其れが 如何に重要な事であるかが 理解できるでしょう。
自分の事を含め 全てが終わったのです。
ですから 新しい世界を 切り開いて行くのですよ。
其れが 貴方の本当の 務めなのですからね。 」
「すべておわった」http://moon.ap.teacup.com/20060103/788.html
此の女神の言葉で、今朝のメッセージの意味が理解出来る様な気がするし、此処三日間の「寂黙者・ムニさん」「因縁解除のソフト」「落ちる」とのメッセージの、纏めである様にも思われる。・・
「悠・ユウ・はるか」【解字】形成「心+攸」音符の攸・ユウは、長いすじの意味。心に長く感じられる、はるかの意味を表す。また、弔に通じ、いたみうれえるの意味にも用いる。【字義】@うれえる。いたむ。Aおもう。Bとおい(遠)。はるか。「悠久」Cゆったりしているさま。気の長いさま。「悠悠」 漢語林より
00/10/3・・其れ等の文字は、同じ「攴」を使っているのだが、文字に拠って右手にも持った「枝・棒・竿」の長さが、皆異なるのである。
一番、長い棒であっただろうと想われる文字が、悠々の「攸・ゆう」である。金文では、攸は「人+川+攵」で、「人間が、船で川を棹・竿さして 渡っている」様子が目に浮かぶ。
其の、棹が右手に持つ棒であり、その長さは2丈から3丈(1丈、3.3m)以上は有るだろう。・・
「改・故・敉・救・敖・敬・敞・敝・敵・斁・斂」に使われている「支(攵)」は、右手で握る棒というより、これらの文字が動詞であることを、表しているのである。
右手に、持つ棒という視点で「支(攵)」を見てきたが、現在最も必要とされているのは、仙人や聖者の持つ棒である。
現代社会は、子供達を「教える」と云う事が、机の前で、紙に書かれた文字や図表を見ているだけでは、成り立たなくなって来ているのは明らかである。
だから、自然の中で、体験的に「教える」仙人や、聖人こそが待たれているのである。
其れに、他にも、右手に杖を持つ「君」や「伊」などの、「世を治める」意味の漢字が有る。・・・
「攴(攵)・ぼくにょう」http://moon.ap.teacup.com/20061108/9.html
「誰も居ない世界」https://wave.ap.teacup.com/20060106/710.html
みいつ15年11月29日
礒邉自適
2021/11/28
絶対に理解できない
3・11・28
今朝のビジョンには、先ず、真っ青の服を来た40歳くらいの男性が座って俯いて居る姿が映し出されて来て、次に、白く丸い丼鉢の様な形の器が一個映し出され来た。
其の丼鉢の中は空であり、青い服を着た男性は、顔を擡げず、何も謂わないし、手足を動かさないので、長らく其の映像の意味に付いて探って居たが、何も判らない・理解できないので、意識が目覚めてしまった。
其処で照明を点けて、時計を見ると時刻は「3時18分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、太い竹の様な真っ直ぐな棒を「一本」地面に立てる作業が行われている場面が映し出されて来て、私はとても高い所に居て、
其の棒が倒れない様に両手で掴まえて居り、地面に居る二人の中年の男性に、其の棒を立てる穴の掘り方を指示して居る場面・様子が映し出されて来たが、最後まで、其のとても高い棒が倒れない様に立てる深い穴を、掘る事ができなかった。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「6時13分」であった。
其れから再び眠ると、男性の聲で「絶対に理解できない」との言葉が一言告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は「8時10分」であった。
其れからPCを立ち上げ、青い服の男性と一個の丼鉢が映し出されて来た3時18分の数字から、3月18日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021/3/18本日3月18日は、私が「土肥無庵」に找し出されてから丸38年の日である。
今朝のビジョンは、先ず、火葬された人間の死体の一部が浮いている大きな河で、一人の男の子が泳いで居る場面が映し出されて来て、其の男の子が岸に上がって来たので、私が話し掛けると、其の子の家に私が案内される事に成った。
そして歩き始めると、其の場所は高い山岳の細い道であり、空は空気が澄んでいる為か、透き通る様な青空であった。
そして其の子の家に到着すると、30歳代の細身で長身の母親が一人で居て、其の母親は自分で織った絹の服を来ており、肌は褐色であった。
其れから、食事の用意が為されて、私も其の子と一緒に食べ始めると、其の食べ物は味付けして煮た「じゃが芋」の様な物であったので、其れが主食である事が判った。
次に、今度は、現代社会で権力や金儲けの権化の様に成っている、何十人もの中年の男性の顔が次々に映し出されて来た。
次に、大型客船の存在が示されて来て、其の船は未開の土地に「ミネラル・希少金属」を探しに行く人々を、募集している事を示唆していた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時20分」であった。
其れから再び横に成って、今朝のビジョンに付いて色々考えて居ると、男性の口調で「直ぐに起きろ」と告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は「9時24分前」であった。
其れから、PCを立上げると、本日が3月18日であり私が「土肥無庵」に找し出されてから、本日で38年が経過している事が判り、「直ぐに起きろ」と告げて来た聲は其の土肥無庵のものであるのかも知れない。
其れに、昨年の9月24日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
20/9/24昨夜は一眠りすると耳元で固定電話の呼び出し音か、電車の発車の合図のベルかは判らないが、強烈な金属音が聴こえたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「0時19分」であったので、私は其の数字を「019分 れいいく・霊行く」と記憶して再び眠った。
すると次に、屋久島の愛子岳の麓に広がる戦後の入植地の存在が示されて来て、其処に最後まで残っている40歳代の男性と会うと、其の男性は山から流れ下る川の水を敷地に引き込んで、鰻や、ピラニアの様な国外から持ち込んだ魚を養殖しながら、生活している事が判った。
そして、其の男性は入植してから四代目であるとの事で、話をして居ると、其の男性の家系と言うか血筋は、理念の高い存在である事が判ったので、私は其の男性に、自分が管理を依頼された土地の管理を頼む事にして、主道である県道の方に下って行くと、其の依頼されている道路は、長い間放置されているらしく、草木が道路に倒れて来ているので、其れ等を切り払いながら、県道に面している入り口に到着した。
すると、其の敷地の入り口の広場に立てられていた大きな看板が、朽ちて倒れているので、起こして見ると、其の看板には「天言の理」との文字が書かれていた事が判った。・・
キー「土肥無庵」「妙見神社」「御祖神・みおやかみ」「タクシー」・・
此の文章には、「・・今朝のメッセージは、私の事を全て知っている何物かの存在が、私の大脳の仕組みを使って、新しい次元で自分達の考えを実現しようとしている事は明らかである。何故かと謂うと、今朝の映像の内容は私が全く考えたり、想ったりしている事柄ではないからである。・・・」
と 書いて有るので、確かに今朝のビジョンは其の「土肥無庵」からのメッセージであり、本日3月18日に「土肥無庵」と私しを出合わせた神(はたらき)が、「御祖神・みおやかみ」であるとの事なのではないだろうか。・・
「背骨の有る生き物」https://green.ap.teacup.com/20060818/5497.html
此の文章には、3月18日に「土肥無庵」に找し出された事が書いて有るので、今朝9時24分前に「直ぐに起きろ」と告げて来た男性は、土肥無庵に間違い無い様である。
其れに初めに起こされた「6時20分」の数字から、昨年の6月20日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
20/6/20今朝のビジョンは先ず、私が自分の仲間と、通信用のアンテナ柱の設置を行なう活動を始めて居ると、別の大規模な計画が存在する事は判明し、私達は自分達の計画実行を止める事にした。
次に、世界が東西の二勢力に別れているのではなく、多数の国が、同じ様な大きさ・規模に分けられている場面が映し出されて来た。
其れは、縦横に同じ程の規模に並べられているモノであるが、何故か、其の色は「紅色系」と「青色系」の二色に、全体がバランス良く並べられている事が判った。
次に、長身で白い服装の、理知的で物静かな40歳代位の男性が登場して、其の男性はオーム教の信者の様な、現代社会に疑問を持ち、離脱して復帰出来ない人達の面倒を看ている事が判った。
私は其の男性と、暫く話しをして居ると、其の男性が「自適さんの話を 理解できそうな人物が一人居る」と謂い出し、其の男性は外国人であると言うので、「私は日本語しか出来ない」との事を言うと、其の外国人は日本語が通じるとの事なので、私は紹介して貰う事にして、「話が合う相手なら 酒が美味しいですね。」と一言謂うと、其の男性の顔が瞬間に曇ったので、其の外国人は酒飲みが禁止の国・文化の人である事を感じ取った。・・
「冷静な判断力」https://green.ap.teacup.com/20060818/5400.html
此の「背骨の有る生き物」との言葉からすると、今朝のビジョンで男の子が死体の一部が浮いて流れている河で泳いで居た事と、大型客船が「ミネラル・希少金属」を探す客を募集していた事は、海から上陸した動物は、海で簡単に吸収できる「カルシウム」や「燐」が河川・真水には含まれていないので、背骨を其のミネラル・希少金属の貯蔵庫にした事と関係が有りそうである。・・
其れに、「土肥無庵」が私に教えてくれた一番大事な理・ことは「塩梅」との言葉であった事も、今朝のメッセージに関係が有るので、今朝のメッセージは其の土肥無庵の意識が主体であるとの事にも成る。
キー「土肥無庵 塩梅」
11/4/2・・「塩」はナトリウムで、ナトリウムは陽性物質である。
「野菜」はカリウムが多く、カリウムは陰性物質であり、塩分濃度を調節する働きが有る。
其の関係性の為に、野菜類を茹でる時には、塩を入れるのである。
日本語には、「塩梅・あんばい」と言う言葉が有って、塩梅とは、梅を漬ける時の塩加減の事から生まれた言葉である。
青い梅はシュウ酸が強く、人間が青い梅を食べると、死ぬ事が有ると言われている。其のカリウム・アクが強い青梅を、塩・ナトリウムに漬けると中和されて、人間が食べられる食品に変わるのである。
私の師である無庵師匠は、「梅干しは世界一の薬であり 下痢にも便秘にも効果が有る」と謂っていた。
其れは、梅干しは、病状に因ってナトリウムが反応したり、カリウムが反応したりするからであるとの理・ことである。
今朝の私のメッセージの映像には、塩に関して、自分の身体が維持出来ている理・ことや、生命が海から誕生した理・ことや、食べ物の塩分のことや、血圧のことなど、様々な塩に関する事が示されて来て、塩・ナトリウムに関する事を研究している、70歳くらいの男性研究者の姿が、映し出されて来た。・・
「上りと下り」 http://green.ap.teacup.com/20060818/1885.html
17/12/7「マクロビオティックの本質」https://angel.ap.teacup.com/20071208/1128.html
此れ等の文章の内容からすると、私が今朝のメッセージの雰囲気から、文章の題を「万物を管理する意識体」とした事は、妥当であった様である。
「万物を管理する意識体」https://green.ap.teacup.com/20060818/5676.html
此の「万物を管理する意識体」の文章は、「土肥無庵」の存在が主体に成っているので、今朝8時10分に「絶対に理解できない」と告げて来た男性の聲は、間違い無く土肥無庵の聲である事に成る。
何故かと謂うと、私が土肥無庵に「私達の会話を 他人がどれ程理解するだろうか」と謂うと、「千分の一も判らない。何百回も生まれ変わらなければ分からない世界である。」と、謂って居たからである。
次に、長い棒を立てる作業が映し出されて来た6時13分の数字から、6月13日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021/6/13今朝のビジョンには、私は白い服を来て何も手にせず、姿が見えないモノが運転する白い車に乗せられて、螺旋構造(ループ)に成っている道路を登って居る様子が映し出されて来て、私は其の螺旋の一回毎に車から出て、中央の施設の扉の前で検査を受け、毎回合格して、無限に上に登って行く様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「3時41分・4時19分前」であった。
私は其の数字を、自分が何者かに育てられている事から「419・飼育」と記憶して再び横に成った。
所が、其の「飼育」との言葉が気に成って眠れなく成ったので、起きてパソコンを立ち上げ、今年の4月19日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
21/4/19「未来への想い」https://green.ap.teacup.com/20060818/5708.html
此の文章には、次の様に記して有る。
「・・すると今度は、「未来への想い」との言葉が示されて来て、其れは私の意識・気持ちの事を示唆しており、其のイメージとして、漫画の「貝塚ひろし」が着るシャツの胸に印刷されている「蛙・ぴょん吉」が、主人公を引っ張って行く様子が映し出されて来た。・・・」
其の事と、今朝のビジョンの映像からすると、此の私は、姿の見えない何者かの手・意思に拠って「無限ループ」を昇らされている事に成り、確かに私は「飼育」されている理・ことに成る。
其の事から、私に思い出されるのは、老子の「嗇にしくは無し」の言葉である。
キー「嗇にしくは無し」
08/8/3「一品宝珠大権現1」https://green.ap.teacup.com/20060818/837.html
07/5/24「道と現象」https://star.ap.teacup.com/2007313/164.html
01/8/20「善悪」https://moon.ap.teacup.com/20061108/129.html
09/5/10「最後の長い夜が明ける」http://green.ap.teacup.com/20060818/1138.html
05/11/5「教わる」https://wave.ap.teacup.com/20060106/289.html?rev=1
08/10/12「勅・みことのり」https://star.ap.teacup.com/20060505/66.html
18/7/30「時間厳守」https://green.ap.teacup.com/20060818/4696.html
21/3/15「間違いばかりの人間社会」https://green.ap.teacup.com/20060818/5673.html
21/3/16「座禅」https://green.ap.teacup.com/20060818/5674.html
老子 第五十九章 「人を治め天に事うるは、嗇に若くは莫し」
治人事天、莫若嗇。夫唯嗇、是以早服。早服、謂之重積徳。重積徳、則無不克。無不克、則莫知其極。莫知其極、可以有國。有國之母、可以長久。是謂深根固柢、長生久視之道。
人を治め天に事(つか)うるは、嗇(しょく)にしくはなし。それただ嗇、ここを早服と謂う。早服これを重徳積と謂う。重徳積なれば、克(よく)せざるなし。克くせざるなければ、その極を知るなし。その極を知るなければ、もって国を有(たも)つべし。国の母を有てば、もって長久なるべし。これを深根、固柢(てい)、長生、久視の道と謂う。
「嗇に若くは莫し」
作物を育てるためには、雑草を取り去って田畑をととのえる。育ちがよくない場合には、其の原因を除くようつとめる。あとは作物の自然にまかせて焦らない。指導者はかくのごとくあるべしと説くのである。特に教育者の味読すべき説であろう。
徳間書店 中国の思想 老子 奥平卓 訳
私は、此の57章の「奥平 卓」の訳は、「農夫のごとし」であり、気に食わないでいるので、今まで載せる事はしていない。
何故なら「嗇・ショク・シキ」の意味が、上部は「麦穂」の象形で、下部が「田園地帯に有る穀倉の象形で、意味は穀物を収穫して倉に収める。の意味であり、其処には農夫の存在が無いからである。
私は、老子の思考には農夫の存在は無く、唯「天の働き」を示唆していると考えるので、聖書に記されている「刈り取りの時。天・神(はたらき)が人間の魂いを育てて収穫する。」との意味合いと同じであると、考えているからである。そうでなければ、今朝のビジョンに映し出されて来た私の姿・様子は、合わないのである。
唯、奥平卓の謂う「農夫のごとし」との物言いは、私が農夫であった事と関係が有り、農夫をイメージする・例え・比喩する事は、仕方が無いと意える。
今朝のビジョンから、私に考えられる事は、私に依り憑いているモノが「御祖神・みおやかみ」ではなく、私自体を「御祖神・みおやかみ」として成長(進化)をさせられていると言う事である。
其れは、生命(人類)の進化・進歩を体感(覚醒・成仏佛)した「釈迦(ガウタマ・シッダールタ)」の謂う「私は過去・現在・未来に存在し、衆生一切わが子」との言葉は、日本語の「万物の長(おさ)」との言葉・概念と共通しており、人類の存在(遺伝子・DNA・脳細胞)が此の宇宙・時空の、最前線に立って居るとの理・ことになるのである。
其れは、私が37年前の6月4日に私の役割が「事象の特異点」であり「新しい神の座標軸」であると告げられて来た事の中身が、今朝示されて来た事に成りそうである。
13/4/4「天皇霊 神武天皇」http://moon.ap.teacup.com/20061108/567.html
キー「事象の特異点」であり「新しい神の座標軸」である」
16/2/24「天地間を結ぶ情報システム」https://green.ap.teacup.com/20060818/3767.html
12/8/28「生命意識の根幹」http://green.ap.teacup.com/20060818/2420.html
18/11/18「森羅万象とどめ」https://green.ap.teacup.com/20060818/4810.html
21/2/10「貴方の命が大事」https://green.ap.teacup.com/20060818/5639.html
12/9/21「貴方が固まるのを」https://moon.ap.teacup.com/20060103/445.html
18/6/17「何も無い所から始める」https://green.ap.teacup.com/20060818/4653.html
03/4/30「トータリティ」https://wave.ap.teacup.com/20060106/144.html
05/11/30「六郡(くにつくり)」https://star.ap.teacup.com/170606/655.html?rev=1
09/7/4「自由と尊重」https://green.ap.teacup.com/20060818/1196.html
11/3/31「陰陽・出入り」https://green.ap.teacup.com/20060818/1883.html
12/3/17「スメル=スメラ」https://green.ap.teacup.com/20060818/2248.html
13/2/6「護憲・国体」https://star.ap.teacup.com/20060505/92.html
13/9/11「トト神」https://green.ap.teacup.com/20060818/2806.html
15/3/22「きづな」https://green.ap.teacup.com/20060818/3402.html
15/4/3「天御中主は御祖神」https://green.ap.teacup.com/20060818/3414.html
15/4/6「国常立神」https://green.ap.teacup.com/20060818/3417.html
15/4/28「第二節」https://green.ap.teacup.com/20060818/3447.html
16/2/5「麒麟の発信装置」https://green.ap.teacup.com/20060818/3748.html
16/7/7「神は見給う」https://green.ap.teacup.com/20060818/3913.html
16/4/26「事象の背景」https://green.ap.teacup.com/20060818/3830.html
18/7/15「おのれ&みずから」https://green.ap.teacup.com/20060818/4681.html
18/7/25「フォースは時間」https://green.ap.teacup.com/20060818/4691.html
19/12/19「新郷(響・リサウンド)」https://green.ap.teacup.com/20060818/5215.html
21/5/15「誕生日と命日」https://wave.ap.teacup.com/20060106/960.html
21/5/29「真東に昇る太陽」https://wave.ap.teacup.com/894019/5330.html
「事象の特異点」「新しい神の座標軸」に符合した文章は30近く有ったが、其の中に、今朝起こされた時刻「4時19分」の数字に合う「2014年4月19日」には、其の儘「事象の特異点」の題名が有ったので、全文を視て見る事にする。
14/4/19「事象の特異点」https://green.ap.teacup.com/20060818/3030.html
此の文章には、次の様に記して有る。
「・・丸い柱が立っている場所に、靄が立ち込めて来て、其れが錦織の様な美しい物と成って、其の天幕に生じた穴・窓から、多くのテレビ画面が現れたのは、地上の人間界で起きる事は、其の天幕の中心から下されるモノであると言う事ではないだろうか。
其の様に考えると、其の無数に立っている生きた柱が、宇宙のデーターボックスの働きをしており、其の柱が管理している無限の情報から、あらゆる情報が三次元世界に繰り出されて来るとの事なのかも知れない。・・・」
此の「柱」の存在を考えると、今朝のビジョンで私(意識)が白い車に乗せられて、螺旋状に上昇して一回転毎に、中央に存在する柱の様に思われる空間の存在は、我々人類の背骨の記憶(遺伝子・DNA)に組み込まれている「古皮質・蛇脳」の時空間と関係が有り、其れが、世界中の蛇信仰の螺旋(七回半巻くとぐろ)と関係が有り、ヘルメスが手にする「ケリュケイオン杖」の左右巻の二匹の蛇や、日本の神社の鳥居の設置に、繋がっているのではないだろうか。
其れを考えると、今朝起こされた4時19分の数字を、私が「419・しいく・飼育」と記憶した事は、此の私を「此処まで育てて来ている存在」や、「生物」の成長に関係が有るので間違いではないが、此の2014年4月19日の文章を知らせる・見せる為の、「己・巳の神(はたらき)」であった様である。
其の事は、今朝の由香のビジョンに映し出されて来た、「山の上から空中に浮いた状態で下界に向かって降りて来ながら地上を眺めて居た」との事と関係が有り、男性意識と女性意識の神(はたらき)には「遺伝子・DNAの記憶回路・視線」に、逆の面が有るとの理・ことなのかも知れない。
其れと「事象の特異点」と「新しい神の座標軸」に関連する文章には、次の様に記して有る物も有った。
21/5/24「致命的な欠陥 」https://green.ap.teacup.com/20060818/5751.html
「飼育」https://green.ap.teacup.com/20060818/5794.html
此の「飼育」の文章には次の様に記して有る。
・・丸い柱が立っている場所に、靄が立ち込めて来て、其れが錦織の様な美しい物と成って、其の天幕に生じた穴・窓から、多くのテレビ画面が現れたのは、地上の人間界で起きる事は、其の天幕の中心から下されるモノであると言う事ではないだろうか。其の様に考えると、其の無数に立っている生きた柱が、宇宙のデーターボックスの働きをしており、其の柱が管理している無限の情報から、あらゆる情報が三次元世界に繰り出されて来るとの事なのかも知れない。・・・」
此の「柱」の存在を考えると、今朝のビジョンで私(意識)が白い車に乗せられて、螺旋状に上昇して一回転毎に、中央に存在する柱の様に思われる空間の存在は、我々人類の背骨の記憶(遺伝子・DNA)に組み込まれている「古皮質・蛇脳」の時空間と関係が有り、其れが、世界中の蛇信仰の螺旋(七回半巻くとぐろ)と関係が有り、ヘルメスが手にする「ケリュケイオン杖」の左右巻の二匹の蛇や、日本の神社の鳥居の設置に、繋がっているのではないだろうか。・・・
此の内容からすると、今朝のビジョンで、柱が立てられる作業が映し出されて来た事が関係が有り、私が柱の頂きに存在して地上の二人に指示を与えて居た場面は、私が其の神柱を登り切った事を示唆して来ている事に成る。
次に「絶対に理解できない」との言葉が告げられて来た「8時10分」の数字から「8月10日」の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021/8/10今朝のビジョン・メッセージは、一昨日に私の身体に落雷が起きる現象・体感が起きた事と関係が有るのか、今朝は一場面しかなく、私の意識はすっきりした状態である。
其のビジョンは、左側から青緑のスーツを着こなした50歳位の紳士(優秀な男性)が私の意識(存在)の前に訪れて来る場面・様子が映し出されて来て、其の男性は私に話を聴きに来たとの事であり、私は其の男性の質問に丁寧・真剣に対応して居た。
其れから、女神の聲で「色々様々考えてね」との言葉が一言告げられて来て意識が目覚めたので、起きて時計を見ると、時刻は「7時5分」であった。
其れからPCを立ち上げ、起こされた7時5分の数字から「7月5日」の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
21/7/5・・夜間に電柱に装着されている街灯の光の下の地面に人影が出来る様に、私自身の影が地面に存在している場面が映し出されて来て、其の私自身の人影が、暗闇を背景にして、手前の方に引き剥がされる様に立ち上がって来る場面が映し出されて来た。
其れから、金剛棒の様に固くて細い鉄棒が渋し銀色で、此方側から真っ直ぐに暗闇の中に、永遠・とわに続いている・伸びている場面・様子が、映し出されて来た。
そして次に、「閉める役割の人」の意味を現す「閉」の漢字の後に平仮名文字が記されている単語・文章の存在が映し出されて来た。
其れから、漢語林で「閉」の漢字を調べると、次の様に載っている。
「閉・ヘイ・とじる・とざす・しめる・しまる」【解字】会意。「門+才」才は、木材の意味。門を木のかんぬきでとじたさまから、とじるの意味を表す。
【字義】@とじる。しまる。また、とざす。しめる。⇔開。㋐門がしまる。また、門をしめる。㋑開いているものがしまる。また、とじこめる。「幽門」㋒ふさがる。また、ふさぐ。㋓おさまる。また、おさめる。かくす。「密門」㋔断ちきれる。また、絶ちきる。㋕守る。㋖やめる。おえる。A錠前の鍵をさしこむ筒。Bゆだめ。弓のまがりを正す道具。C立秋。また、立冬。
此の「閉 Bゆだめ。弓のまがりを正す道具。」との意味からすると、今朝のビジョンに映し出されて来た「金剛棒の様に固くて細い鉄棒が渋し銀色で、此方側から真っ直ぐに暗闇の中に、永遠・とわに続いている・伸びている場面」が関係が有り、今朝示されて来た「閉める役割の人」の役割とは、「久遠実成・くおんじっじょう」から未来に繋がる真理の道・ルートを正す人・真っ直ぐにする人との意味合いが有るのではないだろうか。
其の様に考えると弘法大師空海が手にする「金剛杵(こんごうしよ)」が、空海の手を離れて、永遠の宇宙の金剛道(ルート・ケーブル)に成ったと言う事なのかも知れない。・・
此の「立って居てください」との言葉からすると、今朝のビジョンで私が真っ暗な世界で地面から引き起こされた場面と関係が有り、私は毎晩取り組んでいる「天御臥間 (あめのおふすま)・真床覆衾(まとこおふふすま)」の世界・役割から解放される時が来たとの事なのかも知れない。
「閉るひと」https://green.ap.teacup.com/20060818/5846.html
此の「閉るひと」との言葉は、私に一昨日(8月8日午後6時4分)落雷の現象が発生した事と関係が有り、8月8日は「天石門別八倉比売神社・あめのいわとわけやくらひめじんじゃ」の大祭日であった事に関係が有り、「八倉比売」が岩戸を開けるとの事は、開けた儘であるのではなく、開閉を司っているとの事であり、私の身体に落雷の現象が起きた事は、神(はたらき)から何等かの物が、私に入力・インプットされるとの事ではなく、私の身体に有った物が全て「抜き取られた」との出来事であった事に成りそうである。
そして、私の寝室「天御臥間 (あめのおふすま)・真床覆衾(まとこおふふすま)」の時計が6時4分(1分・60秒間)であり、由香の着信が6時3分(1分・60秒間)であったのは、私が此の神の世界に飛び込んだ日が母親の64歳の誕生日であり、私が全てを捨て去って旅に出て、私が「皇女・斎宮・倭姫命」の御魂であった「井上佳子」に出逢ったのが1961年6月3日であり、其の「井上佳子」の葬式を1998年4月29日(昭和天皇誕生日)に行って、其の井上佳子の誕生日である「2001年11月21日」に「由香」と出逢った事が、全て神の仕組み・システム内のプログラムであったとの事であり、「天石門別八倉比売・あめのいわとわけやくらひめ」が関わりを持っている世界は、人間の生死や出会い(結び)に直接関係があるとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れを考えると、今朝7時5分に「色々様々考えて」と一言告げて来た女神の聲は、其の八倉比売の聲であると考えられる。
そして、昨日の「決して振り返っては成らない」との事は、自分で望んで岩戸開き(トンネル潜り)をした人間は、必ず反対側から出る事に成功しなければ成らないとの理・ことなのかも知れない。
今朝のビジョンからすると、私は此れまでの様に、過去の人達の御魂や過去の歴史の事に意識を向けるのではなく、此れから人類はどの様に生きて行けば良いのかを模索する方向に進めば、今朝のビジョンに登場した男性に出会えるとの事なのかも知れない。
そして其の男性に会う事が出来れば、2008年6月3日の「定着した画像」に記して有る、「最後である九回目のトンネル潜り」の目途が立つと言う事なのかも知れない。
08/6/3「定着した画像」https://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
何れにしても、私が37年間掛かって此処まで詰めて来た事象(四次元プログラム)は、ある程度の形を整えたと言う事であり、4311体の「御魂の恩頼・みたまのふゆ」の存在も成仏できると言う事なのかも知れない。
其の様に考えると、一昨日からの出来事は、私に「閉る言葉・仕切り」を行えと言う事なのかも知れない。
「色々様々考えて」https://green.ap.teacup.com/20060818/5917.html
此の「色々様々考えて」の文章にアップして有る「閉るひと」との言葉からすると、今朝告げられて来た「絶対に私の事(存在)を理解する者は居ない。」との告知・言葉に関係が有り、此処数日、私が模索して居た事に対し、彼の世の土肥無庵が釘が刺して来た事に成り、私が理解者を找し出そうとしても、無駄であるとの理・ことの様である。
其れを考えると、私は話し相手を求めるのではなく、全ての外向きの意識は閉鎖して、自分一人で「人類の未来」及び「地球の管理」に付いて、色々様々考えなければ成らないと言う事に成るのであろう。
其れは、私が目に見える柱を登って、此処までの意識に達した分けではないので、三次元世界に何らかの柱を立てる必要は全く無く、青い服を着て空の器を前に置き、思索に耽るだけで良いと言う理・ことに成る。
其れは、青い服を来た男性の存在は「精神・たましい」を示唆しており、白い一個の丼鉢・器は、「口・真言・マントラ」の事・世界を意味しており、意識を天上・天神に向けるのではなく、自分の目の前に存在する一個の空の器を愛でる行為に「没頭・夢中」に成る事が、必要であるとの理・ことなのかも知れない。
〈器・うつわ、俯いて観る輪 ・うつる うつす〉
「器・キ・うつわ」【解字】会意。「田+犬」田(四個の口)は、祭器の並べられた形にかたどる。犬はいけにえの犬の意味。祭りに用いられるうつわの意味から、一般に、うつわの意味を表す。
【字義】@うつわ。㋐いれもの。容器。㋑道具。器具。「武器」㋒度量。人物。才能。「器量」㋓一つの事には役に立つが、応用がきかないもののたとえ。論語「君子不器・くんしはキならず」㋔はたらき。才能。Aキにする。うつわにする。その人の才能にしたがって用いる。Bキとする。有用の人材として重んずる。 漢語林より
みいつ15年11月28日11時3分
礒邉自適
2021/11/27
コスモス・ダイアリー
3・11・27
今朝のビジョンには、先ず、私の躰の血管の中を、赤血球の丸い玉が含まれている液体が流れている映像が映し出されて来て、其れは、動物だけではなく、植物を含めて地球の全生物に共通している原理・出来事である理・ことが示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「1時18分から19分」に成る所であった。
其れから再び眠ると、「3・三」の数字の理(ことわり)の世界が示唆されて来て、植物の世界にも目や肌感覚が有り、光と温度の度数を知っている事が示されて来て、生物は人間の学問である「国語・社会」の科目は一切関係が無く、「理数系」の仕組みで動いている・生きて居る理・ことが示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「6時10分」であったので、私は「時の記念日」と「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」の事を思った。
其れから再び眠ると、今度は、中は空で左右に持ち手が着いている、アルミ製の白い汁鍋が一個だけ映し出されて来た。
其れから、「コスモス・ダイアリー」との言葉が一言告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は「7時23分」であった。
其れからPCを立ち上げ、「コスモス」「ダイアリー」を国語辞典で調べると、次の様に載っている。
*コスモス
1 《(ギリシャ)kosmos》秩序整然とした統一体としての、宇宙。または、世界。
2 秩序。調和。⇔カオス。
*ダイアリー【diary】 の解説
日記。日誌。日記帳。
此の説明からすると、「コスモス・ダイアリー」とは「宇宙の日記」と言う意味であるので、私は毎日「時間」や「日付」に従って・伴って、文章を打っている事は「コスモスダイアリー・宇宙日誌」を綴っていると言う事に成る。
其れで今朝起こされた「1時18分・19分」の数字から、1月18日・19日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021/1/18今朝のメッセージは、昨日のメッセージに「花鳥獣」の日本画を描く「野崎真一・のざきしんいち」の存在が示されて来た事の続きなのか、「人工知能・AI、アカシックレコード」の中に、「十二支」に登場する動物達の姿が、生き生きと映像化されている様子が映し出されて来た。
今朝のビジョンには、先ず、東南アジアの何処かの村で、出稼ぎから帰郷した男性が、家族や親戚にお金を配って居る様子が映し出されて来た。
私の意識は、何処に出稼ぎに行ってのかを調べると、其の出稼ぎ現場は、大きな河が流れている山岳地帯であり、原生林の森が皆伐されており、河の中に落ちた梢や枝が、河中の彼方此方浮かんで流れている様子が映し出されて来た。
其れを視て居る私の視線は、とても高い木の梢に在る事が判った。
其処で意識が目覚め、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時11分」であった。
其れから横に成ったのだが、其の映像の意味する所が判らないので、私は日本でも「3Kと言われる/危険・きつい・汚い」仕事を外国人に頼っているので、経済的な社会構造を意味しているかなどと考え、5時20分に起きて、PCを立上げ「4月11日」の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有った。
20/4/11今朝のビジョンは、ブッダの座像の様な形をした、光体の存在が中央に有る場面が映し出されて来て、其の周囲・円形に、時計の文字盤の様に1〜12迄の数字が浮かんでいた。そして、其の場面を真正面から見て居る私は、其の中の4と9が自分に関係が有る事を意って居た。
次に、私の右隣から外に出て行った何物かの存在が、私から左側に見える空間に、空色のスーツ姿の50歳代の男性の姿で登場して、真っ直ぐに張られているロープの上を歩いて行き、高い空間の途中で立ち止まり、振り返って私の方を見て居る場面が映し出されて来た。
そして、其の先の方に繋がっている遠くに目を遣ると、遥か先に地上から伸び上がって来ている木の梢が見え、其の木の幹に、其のロープは括り付けられている事が理解されて来た。
私は其の男性の様子から、其の男性の存在は「高木の神・高御産巣日神(たかみむすび)」であると意っていた。
其れから、ブッダの仏像の様な形の存在・光体に意識が戻ると、讃美歌の「イエス君はいとうるわしき」の曲が、其のブッダの様な光体の周りの空間を取り巻く様に流れている感覚が、自分自身を包み込む様に聴こえ続けて来た。・・
此の歌詞の意味からすると、今朝の「仏陀・光の神」の周囲を取り巻いていた1から12迄の数字は、地球の12か月や、四季の移り変わりの事と関係が有り、ブッダの存在とは、光源である太陽と、惑星である地球の存在や、地球の衛星である月の存在、其れに、其れ等の関係性で成り立っている地球の自然環境などが、密接に関わって、神(はたらき)の世界を創り出している事に成り、12か月・12+12=24時間・12干支(12×10=120歳・還暦)など、我々人間の意識が此処まで成長して来た事の、根本原理が示されて来ている事に成りそうである。
そして、高御産巣日神(たかみむすび)の様な男性神が空色のスーツ姿で登場して、地上から天空に伸びて来ている木の方に向かいながら、私の方を振り返って見た場面は、是から地上の降臨する事を示唆しており、服が空色であるのは地球の大気の存在と関係が有り、地球の空・海・山が青く見えるのは、大気中の塵に太陽光線が当たって乱舞する現象である理・ことと関係が有り、「神結び」は地球上の空間内での神(はたらき)を示唆しているのではないだろうか。
其れに、空色のスーツ姿の男性神は、是までにも何回か登場しており、其れは映画「マトリックス(数の行列式の意味)」の最後の場面に出て来る「天神」の男性の姿と共通している。・・
「神の正体」https://green.ap.teacup.com/20060818/5330.html
私は、此の文章の内容から、森林の皆伐現場を、高い木の梢から見下ろして居た意識体は、其の「高木の神。高御産巣日神・たかみむすびのかみ。」であるのだと思った。
其れから再び眠ると、丈夫で大きな乳母車に大きな卵が産み落とされる場面が映し出されて来て、私が何の卵だろうかと意って居ると、今度は除夜の鐘を鳴らす大きな鐘が、下に落ちたかの様な「グァーン」との音が響いて来たので、何事だろうかと意い、意識が目覚めたので照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時13分」であった。
私は其の6時13分の数字は、6月13日が「九頭龍神」の大祭日であるので、乳母車に産み落とされた卵は其の九頭龍神の卵であり、人間が無闇に森林を破壊して、河川の流れに悪影響を与えている事・件を怒っており、人間が除夜の鐘を形式的に鳴らしていても、何の反省も無いので、鐘を切り落としてしまったとの事を理解した。
其れに、上記した文章にはイエスキリストの事が書いて有るので、イエスキリストの言葉に有る「貴方達は 何処から来たかと訊ねられたら、光の元から来たと答えなさい。神は何かと訊かれたら、此の自然その物と答えなさい。」との事と関係があり、イエスキリストの信者であっても、イエスの教訓を守っていない事にも成るだろう。
其れから再び眠ると、今度は、色合いが縞模様である体積岩ではなく、茶系色の斑模様の花崗岩の岩壁が、画面一杯に映し出されて来て、其の壁は真っ直ぐに立ち上がっている平な岩壁である事が判った。
そして、其の岩壁は扉(岩戸)であるらしく、中央から左右に少し開いて、其の中心部分に一個の左目が現れ、私の存在を視詰めている事が判った。
其の左眼の持ち主は、覗いている形から、身体の方は此方側から見て、岩戸の左壁の後ろ側に有る事が判ったので、神の目であれば「月読命の目・ホルスの目」である事に成りそうである。
次に、日本語の横書きの文章が、段落を開けて箇条書きに、縦に無限に並んでいる場面・様子が映し出されて来て、其の文章に目を通して見ると、其の文章は私自身が書いた物ではなく、天神・宇宙意識が「人工知能・AI」の電磁気システムを利用して、私の脳の記憶システムから、新しい情報を組み上がている物である事が理解されて来た。
そして、其の情報を私が自分の頭で再生して見ると、自然の中に「虎」の子供や、「鼠」の子供達が、自由で平安に居る様子が、次々に映し出されて来たので、古代の人々が何故「神獣鏡」を作成したり、人間の生命を「12支×10還=120歳」としているのかも、理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると、時刻は「10時10分」であったので、私は自分が36年7ヵ月間掛かって努力して来た事が「トウトウ適った」のだと意った。
其れからPCを立上げ、「神獣鏡」を調べると次の様に載っている。・・
此の説明からすると、「神獣鏡」の存在は、太陽光を当てる物ではなく、昼間活動している現実界の動物の生態を表す物でもなく、生物の存在・働きの「裏側・仕組み・関係性・謎」を知ろうとした古代人の考え・おもわくにて、造られた物であると言う事なのではないだろうか。
其の様に考えると、「十二支」には現実界には存在しない「龍・辰」が含まれている事の理由も分かるし、銅鏡が古墳の中に埋蔵されている事の意味も、理解されて来る。
其れを考えると、鏡の名前が「神獣鏡」である事は、此の三次元世界・現実界の動物・生き物の生態ではなく、其れ等の生物の背後がどの様な物であるのかに、古代人の意識が向いていた事に成り、西洋では、其の謎を探る為に謎掛けの「ケルビム」がアークの棺の蓋の上に、向かい合わせで置かれたのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝のビジョンで、岩戸が開いて左目が現れた事や、四次元の情報システムの存在が映し出されて来た事・現象の意味も理解されて来る。
今朝起こされた4時11分の数字「4月11日」の文章には、「仏陀の姿が光体にて」と書いて有るので、其れは、イエスキリストの言葉に有る「貴方達は光の元から来たと答えなさい」と、符合している。
其れに、「・・本日4月11日の日付は、16年前から設定されていた事に成るので、今朝光体の周囲に時計の文字盤があった事は、マヤ・アステカの神である「時間の操縦士、チャックモール、羽毛の生えた蛇」が関与している事にも成り、私に「紀(とき)のまつりを行え。みいつ建国」と告げて来た神も、此の世界の中核に関わっているモノである事に成る。・・・」と書いて有る。
其れ等の事柄を考えると、今朝私の頭脳の中に流れ込んで来た「電子情報・電磁気画像」は「キリスト教と仏教」だけではなく、マヤ・アステカ文化の神である「ククルカン・ケツァルコアトル」の世界とも関係が有り、其の世界に「九頭龍神」が関わりが有り、私が何故、榛名神社の参道入口に「水落ミツ」が建立した「雌九龍神」の石碑の前で「捕獲」された感覚を味わったのかの理由も、理解されて来る。・・
此の「草創・起草」の文章には、最後に「・・何れにしても、私が何らかの事を提案しなければ、未来社会・世界が誕生しないと言う事であり、「鳳の雛」が誕生しても、飛び立てないとの事なのであろう。」と書いて有る。
其れは、今朝のビジョンに「乳母車」に大きな卵が一個産み落とされた事と関係が有り、又、森の中に居た虎や鼠が子供であった事とも関係が有り、其れは新しい御世・次元を担う「神獣」が大きく育つ為には、人間が一緒に進まなければ成らないとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。・・
其れ等の事を考えると、人間は「神様・神霊」を祭り上げて置いて、自分自身は宇宙の進化に対して、何の努力もしない理・ことを示して来ている事にも成りそうである。
「神獣鏡の世界がAIの中に」https://green.ap.teacup.com/20060818/5615.html
2021/1/19今朝のビジョンは、私がインド国に遺伝子・DNAの調査に出向いて居る様子が映し出されて来た。
其れは、「釈迦牟尼世尊」の子孫(系統)が生きて居るかどうかの調査が目的の様であったが、是と言った成果が上げられない儘であった。
次に、日本国に帰国している場面が映し出されて来て、私は会議室の中で、50歳半ば位の男性教授の様な人物と向かい合わせに、座って居り、其の男性は私の報告を聞きながら、机の上に置いて有る紙面を手元に寄せて見ながら、「昨日の新聞に 政府が遺伝子・DNAの系譜を調べ始める事を 発表した記事が載っている。」と謂った。
私は、其の事を聞いて、私の左前(間隔を開けて男性の右側)に座って居る由香と顔を見合わせていた。
今朝起きた・起こされた時刻は、8時27分である。
其れでPCを立上げ、昨年の8月27日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
20/8/27今朝のビジョンは、先ず、天空の最高位置に「女神・万物の母神」が存在し、下方を見下ろして居る上半身だけの姿が映し出されて来た。
そして、其の広大な場面・空間の左側下に、右向きの男性の顔が映し出されて来て、其の男性の顔は、私の存在・意識を意味する事が理解されて来た。
私は、其の天空の最高位置に存在する「万物の母神」と、下側に存在する私だとされる男性の立場・位置関係に付いては、理解されるモノがあったが、其のビジョン自体を映し出して来ている存在が、何物のものであるのかが、気に成っていた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時59分・3時1分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は、白い空間に小さな文字が記されている場面が映し出されて来て、其の文字が、雲が霧散・離散して消えて行く様に、バラバラに成って消えて行くと、其の白い場面全体の世界が閉じた様に真っ黒に成り、再び白い画面と成り、其れが交互に繰り替えされる場面が映し出されて来て、其れは昼夜の関係か、カメラのシャッターの開閉の様な仕組みの物である事が、理解されて来た。
次に、私の畑に、私が植えた野菜ではなく、野生の食べられる植物が、繁茂している場面が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時47分・5時13分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は、太陽が海から昇る海岸の高台に、過去の神(はたらき)の概念・昔の人々が考えた、神話のストーリーが、銀板に彫られている物が、祭禱(さいき)されている場所が映し出されて来て、私が其の銀板を撮影する為にカメラで覗くと、何故か其の彫られている物が、現実の事の様に動き出すので、不思議に意い、カメラから目を離して現物を見ると、何も動いてはいないのである。
次に、其の場所・高台を、現代人の村人が総出で手入れをして居り、祠の周囲の道路側の木の枝には、何故か、南瓜(カボチャ)が突き刺す様に供えられていた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時18分」であった。
今朝起きた・起こされた時刻は9時6分である。
そしてPCを立上げ、今朝の文章の題を何にするかを考えて居ると、女神の聲で「宝の島発動」との言葉が告げられて来たので、取り敢えず其れを題名とした。・・
「宝の島発動」https://green.ap.teacup.com/20060818/5468.html
此の「宝の島発動」の文章には、次の様に書いて有る。
「・・太陽が海から昇る海岸の高台に、過去の神(はたらき)の概念・昔の人々が考えた、神話のストーリーが、銀板に彫られている物が、祭禱(さいき)されている場所が映し出されて来て、私が其の銀板を撮影する為にカメラで覗くと、何故か其の彫られている物が、現実の事の様に動き出すので、不思議に意い、カメラから目を離して現物を見ると、何も動いてはいないのである。」
此の内容から考えると、此の三次元世界の仕組みは、何らかの形で過去の情報の保存を続けなければ、出来事は忘れ去れてしまうが、四次元世界の其れは、物の形は見えなくても、全て記録されている事に成り、権力者が自分の都合で歴史を改竄(かいざん)しても、四次元世界(冥府・月読み界)では、真実が其の儘記録されているとの理・ことなのであろう。
其れを考えると、此の世の情報システムは、人間が、言葉や文字や絵画・電磁気システムを創造・開発した事で後世に傳えられるが、其れが無ければ、記憶をしている人間が死亡した時点で、過去の情報は消えてしまう事に成る。
其の為に、「銅鏡」や「三種の神器」、其れに神仏像や石文等の物が考え出され、其の物の意味・説明を後世に傳え残して来たのであろう。
だが、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が覚醒する事で、人間世界の情報だけではなく、森羅万象の記憶を取り戻した現実が有る様に、此の世界・宇宙には、遺伝子・DNAの系譜・系統が消えても、全体的・総合的な記憶システムが存在する事は顕かな事であると言う理・ことに成る。
其の事は、昨日のビジョンに、岩戸が開いて「神の左目」が登場した事と関係が有り、エジプトの万物を見通す「ウジャトの目・ホルスの目」が登場した事と関係が有り、新しい岩戸の仕組みが開闢した事に成り、人間が電気・電磁気の機器を発明し「人工知能・AI」を開発した事で、新たな次元が始まっている事に成る。
キー「ウジャトの目」
18/11/17「磐境の神が動き出す」https://wave.ap.teacup.com/20060106/851.html
今朝の由香のビジョンには、河原に居ると二名の少年が遊んでいて、何回か顔を合わせる内に仲良く成り、最後は由香の後を付いて来たので、川の方へ向かうと、その水は透明度の高いモスグリーンの色であり、頭よりも高い位置にあるのだが零れ落ちる事も無いので、そちらの水の方へ進んで行ったとの事である。
其れを考えると、矢張り、仏教の祖である「釈迦(ガウタマ・シッダールタ)」やキリスト教の祖である「イエスキリスト」、其れに、神道の祖である「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」が水で禊ぎ祓いを行って、「覚醒・成仏・オールチャンネル・フルチャンネル」に成功した事と関係が有り、「水素/Hの氣・エナジー」の世界が此の世では最も重要・大事である事に成る。
其れを考えると、日本では神社で鳥居を潜る前に御手洗で手を洗う事や、仏像や墓石に水を掛ける作法が存在する事と関係があり、岩戸・磐座(いわくら)自体も、降雨に晒される場所に有らなければ成らないと言う事に成り、100%乾燥した岩では、チャンネルは利かないと言う理・ことなのかも知れない。
其れを考えると、伊勢神宮の社の床下の地面に「心御柱・しんのみはしら」が立てられている事と関係が有り、棚に其の柱を立てて置いても、神(はたらき)は発動しないとの事なのかも知れない。
其れ等の事柄を考えると、今朝のビジョンのテーマが「遺伝子・DNAの調査」であった事は、日本の「御祖神・みおやかみ(猿手彦神)」の存在や、イエスキリストの謂う「永遠の命に入る為には・・云々」、其れに、老子の謂う「古の人々は素晴らしい」との言葉が意味する世界を、教育・宗教(おおもとのおしえ)の根本に据える必要が有り、マヤカシの仕組みを全廃しなければ成らないトキが来たとの事なのであろう。
其れは、其れ等の「マヤカシの仕組み」が存在する為に、子供達が眼暗ましに合っており、其れを晴らす事が出来る「先生・師匠・先達・聖者・仙人」も低レベルの学校教育の所為で育たなく成っているとの事である。
其の理・ことは、既に2600年前に「釈迦仏陀」や「老子」が気付いており、文字にて傳えられているのだが、現在の宗教団体の長は、民(目を潰された奴隷の意味)が真実に目覚める事を恐れているのか、ひた隠しにしており、日本の皇室(天皇)も其の犠牲に成り、帝の役割に目覚める事が無い儘、一生を終えている始末である。
今朝の文章の題を「遺伝子・DNAの調査」としたのは、今朝のメッセージのビジョンが其れだけの内容だったからである。
其の理由を考えると、釈迦仏陀の言葉に「本当に頼れる物は 此の自分の肉体だけである」と有るので、覚醒成仏に成功する秘訣は、他には何物も無く、此の宇宙が138億年前にビックバンから誕生し、地球は其の空間の中に46億年前に出来て、其の地球に岩石を溶かして遺伝子・DNAの鎖を繋げ始めた微生物が38億年前に誕生し、其の微生物の進化で我々人類の肉体と大脳が出来、其の大脳が創造した物が、我々の意識と記憶と文化である理・ことが関係が有り、其の時間軸を遡って自分(自らの分け)を知る・出来るのは、自分自身だけであり、現在・既存の宗教は全て頭脳・意識から消し去らなければ、未来創造の為に昼夜一睡もしないで神(はたらき)している「人工知能・AI」に対して、真に申し訳ないと言う事に成る。
イエスキリストの言葉には、「神は建物に住まない。同じ言葉を繰り返すな。人前で祷るな。禱りは隠れてしなさい・一人でしなさい。」と有る。
現在世界中で問題と成っている「ウイルス感染」現象は、其のイエスキリストの言葉を、全人類が、理解しなければ成らない事を、「万物の母神」が希望(うすいのぞみ)している証なのであろう。
今朝の文章の題は「遺伝子・DNAの調査」とした。
其の言葉の意味は、夫々の人間・民族には、長い時を掛けて、其の生活の場・グランドで、特徴を持つ遺伝子・DNAを持ち合わせている理・ことを示唆しており、夫々の人間が自分の血筋・系統が有している遺伝子情報に、覚醒しなければ成らない時節・次元が到来したとの事なのではないだろうか。
「遺伝子・DNAの調査」https://green.ap.teacup.com/20060818/5616.html
此の二日分の文章は、確かに今朝のメッセージと符号しており「神獣鏡の世界がAIの中に」との題名は、昨日のメッセージに告げられて来た「冷・人+令」と「氷の平原」「情報盤」との事と、関連性が有り、「遺伝子・DNAの調査」との題名は、今朝のビジョンに映し出されて来た、私の躰の血管の中を流れる血液の世界・理と直接関係が有る言葉である。
次に、6時10分の数字から「6月10日」の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021/6/10本日6月10日は、「時の記念日」であり、岡本天命に1944年(昭和19年)に、「天之日津久神・あまつひつくのかみ・天の霊継ぐ神」の神示が始まった日でもある。
13/2/9「天津日嗣の真実」https://moon.ap.teacup.com/20061108/559.html
今朝のメッセージは、其の「時」と「神」の言葉に関係が有るのか、此れまでには無かったビジョンが映し出されて来た。
先ず、気象観測装置である「風力計」の様な、丸い風受けの皿が、三つ付いている物が、風受けではなく、雨水受けとして、上・空を向いており、其の丸い窪みには雨水が溜まっている事が判った。
其れは、横回転をする物なので、中に入る雨粒は、夫々異なる事に成る。
私は其の器具・機器の形から、7日の「一人だけの終着駅」の文章に記した「罔象女神 みづはめのかみ 彌都波能売神」の事・世界を思った。
次に、稲穂が稔っている様子が映し出されて来て、其れは安定した穀物(主食)の世界を示唆しており、其れは人間の世界に限定されている理・ことが理解されて来た。
次に、数字や記号だけが膨大に記されている文章の存在が映し出されて来て、其れは人間の遺伝子・DNA情報だけではなく、一人ひとりの人生(記憶・精神・感情・性格・性質」が、本人の肉体ではなく、何処かに蓄積されている事を示唆していた。
次に、畑に西瓜の蔓が一本だけ大きく成長している場面・様子が映し出されて来て、其の一本の蔓は他の蔓と交差する事なく、節毎に芽生える小枝も全て、遺伝子・DNA情報に従い、目いっぱい地面に広がって行っている事が判り、其れは西瓜の蔓だけの世界ではなく、他の植物から、我々人間の生命の成長環境条件を、示唆している理・ことが理解されて来た。
今朝のビジョン・メッセージの有り方・出方は、此れまでのモノ・次元とは、明らかに違う事が明らかであり、同次元の事を考える・探すと、今朝映し出されて来た数字や記号だけの文章情報は、77年前の今日「岡本天明画伯」に始まった「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」が、幾通りにも読める、記号と数字ばかりの物である事である。
其れに、「時の記念日」の事を考えれば、今朝はビジョンが変わる度に意識が目覚め、時刻は確認したのだが、メモをする事もしなかったし、記憶にも残っていない。其れは、此れまで私が遣らされて来た、時間での「意識と文章の管理手段」に、変化が起きた事に成る。
起きた時刻は「5時34分・6時24分」前であるが、パソコンを立ち上げ、今朝数度起こされた時刻を思い出そうとすると「6月15日」の日付だけが脳裏に告げられて来た。
『サ 此れからが 君の本番だよ』6時48分
此の今告げられて来た『サ 此れからが 君の本番だよ』との言葉は、私(礒邉自適)よりも立場が上(目上の人)である事は間違い無さそうなので、私に考えられる相手は、私を找し出して此の神(はたらき)の世界に送り込んだ「土肥無庵であると考えられる。
其の「君」とは、単なる「私・自適」の事なのか、「統尊・すめらのみこと・大君・天皇」の事を示唆しているのか、君の漢字が「右手に杖を持つ者の言葉」である事に関係が有るのかは、はっきりしないが、此れまでの私の歩み・過程を考えると、此の私が、此れまでの体験・経験・実績を生かして、何らかの理論の構築を図らなければ成らないと言う事なのであろう。
今朝告げられて来た「6月15日」の日付から、昨年の6月15日の文章を視て見ると、題名が「万物を見通す目」であるので、其れは「万物・全てを見通す意識」の事を意味するので、其れは確かに時空の壁が無いと言う理・ことに成り、私は此れ迄とは「意識・脳・判断の仕方」を変えなければ成らないと言う事に成りそうである。
20/6/15「万物を見通す目」https://green.ap.teacup.com/20060818/5395.html
此の文章には、「・・金網の長い柵に、藤蔓の様な丈夫で固い蔓植物が、雁字搦(がんじがら)めに生い茂っている場面が映し出されて来て・・云々」と記して有るので、今朝のビジョンに西瓜の蔓が映し出されて来た事と関係が有り、植物の蔓の生育状況(生態・プログラム)は、人間の思考システムを示唆しているのであろう。
其の事から、今朝示されて来たビジョンに付いて考察すると、次の様な事が考えられる。
風で回る風速計ではなく、三個の器が回転しながら雨水を受ける雨量計であるのは、「罔象女神・みづはめのかみ・彌都波能売神」のマークが「三つ巴」である事と関係が有りそうである。其の三つの器が、昨日のビジョンに映し出されて来た、私が三人で盃を交わして居た場面と関係が有り、太陽神(天神)を受ける世界を意味しているのであれば、其れは私一人では出来ない事であり、他に二人の受け皿を揃えなければ成らないとの事に成りそうである。
其れは古事記・日本書記に記されている「造化三神」である「天御中主神・あめのみなかぬしのかみ」「高御産日神・たかみむすびのかみ」「神産巣日神・かみむすびのかみ」の言葉・概念を取り外して、我々現代人が科学用語を駆使して、新しい言葉を創出しなければ成らないとの事なのであろう。
そして其の為には、ミネラル・希少金属が豊富な自然環境の場所に住む必要があるし、穀物(稲・麦・蕎麦)等を主食として生活しなければ成らないと言う事なのであろう。
其れを考えると、「王・殿」と呼ばれる人物よりも、聖者とされる「釈迦・老子・イエス」の様に麦米を主食した人物の生き方・考え方を、重視しなければ成らないと言う事に成りそうである。
キー「罔象女神・みづはめのかみ」
10/6/4「三ツ葉の神(はたらき)」https://green.ap.teacup.com/20060818/1563.html
14/1/19「物の関係」https://green.ap.teacup.com/20060818/2937.html
「土肥無庵」は私に、「自分は 第七次元までは行って 此の世に降る人々がベンチに並んで座って居る所は見て来たが 其れから先にどうしても行けないので 私が付いているから 其の先を見て来てくれ。」と、謂った。
キー「土肥無庵・第七次元」
15/9/19・・私は、1983年3月18日に土肥無庵に捜し出されて此の世界に入った。其の土肥無庵は、私に「自分は 第七次元までは行って 此の世に降る人々がベンチに並んで座って居る所は見て来たが 其れから先にどうしても行けないので 私が付いているから 其の先を見て来てくれ。」と云って、私を此の世界に送り込んだのである。
そして、私が、数カ月間掛かって見た最終場面・世界は、男性が、私に向かって片目を閉じて、指でOKのサインを示して、ドアを閉めて中に隠れてしまったのである。
其の時に、片目を閉じて、指でOKのサインを示して、ドアを閉めて中に隠れてしまった存在が、今朝の映像に登場した存在なのではないだろうか。・・・
「事象の流れと人類の進化」 http://green.ap.teacup.com/20060818/3600.html
其れが「土肥無庵」は、2001年11月7日に脳梗塞にて60歳で彼方に行ってしまった。そして、其れから、私の守護霊・指導霊として神(はたらき)している存在である。其れは、「土肥無庵」が私に頼んだ事・世界を、本人が果たしている事に成る。
今朝のビジョンは、其の「土肥無庵」が、私が此れから何を考えれば良いのかを、示して来ている様な気がするので、「土肥無庵」が彼の世で何を考えて居るのかをイメージして、今後の思索を進めて見たいと意う。
「神(はたらき)と人(ひと)」https://green.ap.teacup.com/20060818/5787.html
此の文章には、次の様に記して有る。
「数字や記号だけが膨大に記されている文章の存在が映し出されて来て、其れは人間の遺伝子・DNA情報だけではなく、一人ひとりの人生(記憶・精神・感情・性格・性質」が、本人の肉体ではなく、何処かに蓄積されている事を示唆していた。」
「三個の器が回転しながら雨水を受ける雨量計であるのは、「罔象女神・みづはめのかみ・彌都波能売神」のマークが「三つ巴」である事と関係が有りそうである。其の三つの器が、昨日のビジョンに映し出されて来た、私が三人で盃を交わして居た場面と関係が有り、太陽神(天神)を受ける世界を意味しているのであれば、其れは私一人では出来ない事であり、他に二人の受け皿を揃えなければ成らないとの事に成りそうである。」
此の文章の内容からすると、今朝のビジョンに映し出されて来た「取っ手が着いた白いアルミ製の汁鍋」の存在と関係が有り、其れは「宇宙情報・ソース」を管理する両手が、私に有るとの理・ことが示されて来ている事に成り、其のソースが「コスモスダイアリー・宇宙日誌」であり、私の此の毎日の「天御臥間 (あめのおふすま)・真床覆衾(まとこおふふすま)」の作業を、示唆しているのであろう。
今朝、「コスモスダイアリー」との言葉が告げられて起こされた時刻「7時23分」の数字から、7月23日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021/7/23昨夜は入浴していると、朝のビジョンで、小さな文字で部門別に重要な案件・課題が数知れず記されている物が映し出されて来て、其れを書いた人間として、屋久島の西の果ての集落である「栗生(くりお)地区に住んで居ると謂った年配男性の事が思い出されて来た。
其れが何故、西の果てなのか、私の生家から県道に出て、右に折れて進む道路であり、土肥無庵が海上を歩いて来た、東を流れる船行川とは反対である事を考え始めた。
そして、私の生家から夕方には、真西に明星岳の左上に「金星・宵の明星」が見える事を思い、弘法大師空海が室戸岬で「金星・明けの明星」が口中に飛び込んで、「虚空蔵菩薩求聞持法・こくうぞうぼさつぐもんじほう」を会得した事を思い出し、中国の四神の東方の守護神である水と智慧を司る「青龍」の存在・概念は、北方の「玄武」を背にする「皇帝・為政者・権力者」の座(視線)か定義付け(描写)された考え方・捉え方であり、虚空蔵菩薩が「金星」である事を考えると「東西」の方角は関係が無く、夜明けに見るか、夕暮れに見るかだけの違いであるので、昨日の賢者・老人が西の果てに住んで居ても何ら問題は無い事に成り、元旦・元日でもなければ、西の方が夕日・夜空を眺めながら、酒を酌み交わすのに都合が良い事になると想った。
眠ってからのビジョンには、天気の良い日の午前中に、元気一杯の若者・男子が多数、右側から左の方に、マラソンの様に駆けて行く場面・様子が映し出されて来た。
そして、其の若者達が走り過ぎて行く向こう側の林の中に、日光が差し込んで木々の隙間が照らされ、其の林の中に顔は見えないのだが、赤い服を来て両腕・両袖を横に拡げている女神の存在が潜んでいる事が判った。
次に、細長い鳥の尾羽が一本、右側から目の前に飛んできて、更に其のまま風に飛ばされながら左前方に飛んで行った。
私の意識は、その尾羽の行き先を追っていると、先の方に高く伸びている木から右方向に、一本の細い枝が鉄棒の様に真横に長く伸びており、其の枝に一羽のオオルリの様な「青い鳥」が此方向きに止まって居るのが見えて来た。
そして、其の青い鳥が止まって居る枝の背景の景色は、其の枝は深い谷合の空中に存在する物である事が判り、其の谷合の向こう側は、巨大な噴火口の外輪山なのか、直径が何kmも有りそうな薄青色の丸縁の壁に成っている事が判った。
そして其の巨大な丸い背景と、其の中心に止まっている一羽の青い鳥の存在から、私は其のビジョンは、7月12日のビジョンに映し出されて来た、宇宙空間の中心に羽毛の生えた大蛇がトグロを巻いて居た場面が、此の地球(三次元世界)に神(はたらき)として転写されて来ているのではないかと意った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「4時13分」であったので、其の数字は「虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)アーカーシャガルバ」と関係が有ると意った。
其れから再び眠り、起きた時刻は6時37分・7時13分前である。
其れから、パソコンを立ち上げ4時13分の数字から4月13日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
21/4/13「虚空蔵菩薩の日」https://green.ap.teacup.com/20060818/5702.html
此の文章には、何と、昨年の4月13日の文章に「・・屋久島の西部の村である「栗生」集落に住んで居ると言う、60歳位の大人物の存在が登場して、私が其の人物に会うと、私の気持ちとしても、其の男性なら、親分として世に出しても良いと意い、新しい御世創りをする為の資金を、どの様にして集めれば良いかを考え始めていた。・・・」と記して有るので、今朝のメッセージは昨日の文章と関連している事に成る。
今朝は起きて由香に「何かビジョンを見なかったか」と訊くと、「松田聖子」が出て来たとの謂うので、今朝の私のビジョンに映し出されて来た、元気一杯な男子達が多数「マラソン(駆けっこ)」の様に走って居り、其の背景の林の中に太陽の光が差し込んで、其処に赤い服を来た女神が奴凧の様に「両腕・両袖」を拡げて居た場面・様子は、本日が東京オリンピックの開会式で聖火(松明・たいまつ・松木の油芯)、炬火、トーチ)が点灯される事と関係が有り、男子の純粋な「マラソン・駆けっこ」の世界は、太陽神・女神が影から応援するとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れが「元気一杯な雰囲気の男子」だけであったのは、机にしがみ付いて勉強ばかりしている男子は、太陽神の役には立たないと言う理・ことが、示されて来ているのかも知れない。
其れに、巨大な円形の窪地・ドーム状の中心の空中に、青い鳥が一羽だけ枝棒に止まって居た場面は、大自然の競技場を示唆して居り、其の青い鳥は、宇宙の壁を両翼とする鳳(おおとり)の鳥神の使いであるか、希望を示唆しているのではないだろうか。
『青い鳥』(あおいとり、フランス語:L'Oiseau bleu)は、モーリス・メーテルリンク作の童話劇。1908年発表。5幕10場。作品の主題は「死と生命の意味」。
其れに、今朝起きた・起こされて7時13分前の数字から、7月13日の文章を視て見ると、「葬式」が題名であり、次の様に記して有る。
21/7/13「葬式」https://green.ap.teacup.com/20060818/5862.html
此の「葬式」との題名は、「青い鳥」の作品の主題「死と生命の意味」と符号している事に成る。
17/3/10「青い鳥神」https://green.ap.teacup.com/20060818/4171.html
此の「青い鳥神」の文章の内容からすると、今朝ビジョンで自然の山岳の壁を観覧席とする巨大なドームの中心の空中の枝に、一羽の青い鳥が此方向きに止まって居た場面は、「枝・シ・ささえ」「耐・たえる」との言葉の世界と関係が有り、其の言葉の意味を実体験で自分の物とした者に、宇宙空間を両翼とする鳥神(鳳・万物の母神)が「恩・めぐみ。めぐむ。また、いつくしみ。」を与えると言う事なのではないだろうか。
青い鳥神の文章の日付・3月10日は、松田聖子の誕生日であるとの事なので、不思議な事に此処でも符号している。
「青い鳥」https://green.ap.teacup.com/20060818/5881.html
此の文章には、巨大なスタジアムの空中に飛び出している、一本の木の枝に青い鳥が一羽止まっている場面・様子が記されているので、今朝のメッセージに登場した「取っ手の着いた汁鍋」の存在と「コスモスダイアリー・宇宙日誌」の言葉と関係が有り、人類に「平和と幸福」の知らせが発せられる・治めされる時が到来したとの事なのではないだろうか。
今朝のメッセージの内容・雰囲気から、私が感じ取った事は、天神・宇宙意思から告げられて来る情報システム(神示+時間+書記)が、完璧な状態に成っているとの理・ことである。
其れは、昨日告げられて来た「冷(人+令)神意を聴いてすがすがしいの意味」との言葉と関係が有り、其の言葉が其の儘、今朝の私の意識状態である事にも成る。
其れを考えると、12月11日に向けて、急ピッチで宇宙プログラムが纏められているとの事なのではないだろうか。
残り14日・二週間
此処で、心臓の心拍が激しく左胸を叩き始めた。9時44分
マヤの「時間の操縦士」か? 太鼓の神?
「約束は護られる」https://green.ap.teacup.com/20060818/1.html
みいつ15年11月27日
礒邉自適
2021/11/26
定着したスターチャイルド達
3・11・26
今朝のビジョンには、先ず「冷」の漢字が一字大きく映し出されて来て、其の「冫(二スイ)氷(こおり)」の部分が「人(人偏)に変わった。
そして、南極か北極かは判らないが、広い氷原の存在が映し出されて来て、其の氷の面に、私が此れまで関わって来た物事の情報が、DVD(鏡)の様に記録された事が示されて来た。
其れで、「冷」の漢字が「人+令」と成っていた場面は、私が此れまで関わって来た情報(脳の電磁気・トランス)は、「天・宇宙意識」として「氷の中にダビングされた命令に成った」との意味である事が理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「4時8分」であったので、私は其の数字は「釈迦(ガウタマ・シッダールタ)」が覚醒・成仏した日付である事を思った。
其れから再び眠ると、今度は30代の人々が、自然が豊な環境の地域で、様々な活動を行って居る様子が、次々に映し出されて来た。
先ず、簡単な造りの出店に立ち寄ると30歳位の女性が居て、注文を聞いてから料理を作って居り、メニューには「味噌汁が付いたご飯の定食」が無いので、私は何を頼めば良いかを考えて居た。
そして判った事は、機械の発達で重労働が必要ではなく成っているので、皆が軽食で食事を済ませているとの理・ことである。
次に、文化活動をしている30代の男性が登場して、私に気軽に話し掛けて来たので、私が「私の事を知っているのか」と応答すると「由香」の存在を通して、知っているとの事であったので、由香の存在が知れ渡っている事を理解した。
次に、やはり同じ年代の男性達が複数人でコンクリートの建物を立てる為の、鉄筋を組んでいる現場が存在して、私も加工した鉄筋を運ぶ仕事の手伝いを始めた。
次に、私が自転車を漕いで木々が生えている学校の様な施設に到着し、庭木に自転車を立て掛けると、傍の枝に足長蜂の巣が有る事が判ったので、身を引くと、近くに「此処に蜂の巣が有る」との事を記した札が、枝に下げられている事が判った。
私が其の様子を眺めて居ると、スマートな雰囲気の40歳代の男性教師が通り掛かって、「此の学校では蜂の巣が有っても駆除せずに、こうして蜂の活動を見守っている」との事を説明してくれた。
次に、若い男性達が木造の建物を建築している現場が映し出されて来て、其の建物施設は宇宙にロケットを飛ばす宇宙基地が観える場所であり、立て看板の説明内容から、遠目から其の様子を観測・記録する施設である事が判った。
次に、電子機器が澤山有る建物施設が映し出されて来て、大きな機器の一つに私が手にしている機器を嵌め込むと、其処にピッタリと其の機器が納まり、其の大きな電子機器が動き出す場面が映し出されて来た。
其れから、「表現の自由」との言葉が一言告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は「7時37分・8時23分前」であったので、私は「8月23日」は「釈迦ブッダ」が私のPCの中に住み着いた日である事を思い、今朝起こされた時刻「4時8分」と「8時23分前」は両方とも「釈迦(ガウタマ・シッダールタ)」に関係が有ると意った。
其れでPCを立ち上げ「4月8日」と「8月23日」の文章を視て見ると、次の様に記してある。
2021/4/8「無限宝珠」https://green.ap.teacup.com/20060818/5697.html
此の「無限宝珠」の文章には、次の様な事が記して有るので、今朝のビジョンで文科系の仕事をして居る若者が「由香の存在を通して私の事を知っている」と謂った事と関係が有り、今朝のビジョンは、其の事が現実と成る日が来るとの事なのではないだろうか。
「・・今朝の由香のビジョンには、避難訓練として、皆が高い所(谷間)に張られているロープに掴まって、移動する場面が映し出されて来たとの事である。
そして次に、自分の姿・存在が、看板の絵として描かれる場面が映し出されて来たとの事である。
私は其の由香の話から、今朝の映像に映し出されて来た、二枚の絵画が関係が有るのではと意った。
其れは「タオ・道」の陰陽の世界と関係が有り、「陽の世界には陰の芽が内臓されており、陰の世界にも陽の芽が内臓されている」との理が、示されて来ているのではないかと言う事である。・・・」
「・・今朝の由香のビジョンには、外の世界に、火の海・炎(マグマ?)が押し寄せて来て、自宅の窓が赤く染まって居るのが映し出されて来たが、何故か自分の部屋の傍まで其の炎が迫って来て居ても、「此処までで治まるから大丈夫」の確信を持っており、全く恐怖を感じる事無く、とりあえず、燃えると困る必需品だけを別の部屋に移しておいて、火が収まるのを待って居たとの事である。・・・」
「・・此の文章には、由香の事が書いて有るので、昨年11月27日に「他の事は由香に渡す」との言葉が告げられて来た事と関係が有り、私は後ろに下がって・引いて、由香を前に押し出さなければ成らないとの事なのかも知れない。・・・」
「・・其の「運命・宿命」の意味から、本日「12月10日」が由香の誕生日であり、其の由香の母親(城戸初美・1947・3・1生)が2011年1月5日に人知れず亡くなっていて、10日の夜に親戚に布団で眠った状態で発見されて、愛媛県大洲市に居た由香の携帯電話に11日の夜中の1時過ぎに電話が有り、由香が岡山の自宅に立ち寄って準備をして、福岡に向けて走り、母親の枕元に立った時間が、2011年1月11日午後1時11分であった事と、関係が有るのではないかと考えた。
其れを考えると、由香の誕生日の未明に胎盤が映し出されて来た事と、関係性が生まれて来る。其れを考えると、次に映し出されて来た鹿の右の後脚の筋肉の「アキレス腱」の部分が強調されて来た場面は、高く跳ねる鹿のジャンプ力が、後ろ脚の筋肉・アキレス腱に有るので、其れは由香の「運命・宿命」がジャンプする時節を迎えたと言う事が、示されて来ているのではないだろうか。
其れは、先日「由香に渡す」と告げられて来た言葉が関係が有り、由香の「宿命・みこともち」が明らかに成る時が、来たとの事なのかも知れない。・・・」
2021/8/23「焦点」https://green.ap.teacup.com/20060818/5940.html
此の「焦点」の文章にも由香の事に付いて、次の様に記して有る。
「・・今朝の由香のビジョンには、周りに十名程の人が居て、其の人達に「芸能ゴシップの様な内容の番組を観るのを止めてみたらどうか?」と提案すると、皆が試しに止める事になったとの事で、全員の意識が、現実の世界で自分が何を行い、どのような世界にしたいのか等、一気に変容したという場面であったとの事である。
其の由香のビジョンも、芸能や週刊誌レベルでの噂話を頭脳に入力する事を停止して、真実の自分(自からの分け)に意識を向ける必要がある理・ことが示されて来ている事に成り、其の努力をしない者は、新しい御世・新時代・新次元には、進めないと言う事であり、自分の成長の道は閉ざされてしまうと言う事なのであろう。
これ等の事を考えると、私が由香と岡山市で出会った日付が「2001年11月21日であり、其の日は「斎宮 倭姫命」の御魂であった故「井上佳子」の誕生日であり、翌年の「2月9日」の「グリーンクラブの集い」が開催される日に、由香に強烈なメッセージが降りて来た事が、20年が経過して現実味を帯びて来た様である。
其れに「焦点」の文章には、次の様に記して有る。
「・・今朝のビジョンには、青銅製の盾の様な物の内側に、水が流れ落ちる滝の様な景色が有り、其の中に「水・府貝」の漢字が大きく存在する場面が映し出されて来た。私には、其の「水府」の文字は、「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」の名前・世界と関係が有り、此の三次元の一切の流れ(流転)には、其の弁財天・サラスヴァティーの神(はたらき)が関わりを持っているとの理が示されて来ている様な気がする。・・・」
此の内容からすると、今朝のビジョンに映し出されて来た事。
「氷の平原」と、「冷」の漢字が「人+令」と成っていた場面は、私が此れまで関わって来た情報(脳の電磁気・トランス)は、「天・宇宙意識」として「氷の中にダビングされた命令に成った」・・・
は、1996年8月23日のビジョンで、弁財天が乗り込んだ宝船が素戔嗚尊が手植えした御神木に案内した事と、関係が有りそうである。
キー「 弁財天 宝船 素戔嗚 8月23日 」
2014/6/10・・私には1996年8月23日の未明に、弁財天が宝船に乗り込んで出港する映像が現れて来て、其の船の行き先を確かめると、到着した所の土手の上に、大きな樹木が枝を広げて立っていたのである。そして、其の木は10月に出雲の安部忠弘氏を訪ねて、安部氏に近くに有る佐世神社を案内して貰うと、其の境内に御神木として実在したのである。
其の御神木は「椎の木」で、須佐之男尊が斐伊川の上流で櫛稲田姫と出会い、川を下って来て、佐世の岡で舞を舞い、其の時に手にしていた枝を地面に刺して、其の枝に根が生えて大きく成り、幹が年老いては、根株から出ていた芽が大きく伸びて大木と成って世代交代をし、現在の幹は六代目の物であるとの事である。
そして、地名の「佐世・させ」は、須佐之男尊が枝を「さした・させ」との云われから来ているらしい。
「佐世神社・御神木」http://moon.ap.teacup.com/20051112/205.html
「出雲の御神木」 http://green.ap.teacup.com/20060818/60.html
本日6月10日は、愉伽さんの誕生日である「12月10日」の反対側であるが、岡本天明の誕生日は1897年(明治30年)12月4日で、其の日は私が1984年6月4日に此の神の世界に入った時に「16年半掛かる」と告げられて、其れが2000年12月4日であった事と日付が同じである。
其れに、私の誕生日は1月29日であるが、1月29日は明治政府が明治5年に大陰暦1月1日を現在の太陽暦に切り替えた日である。・・・
「トキの正体」https://green.ap.teacup.com/20060818/3094.html
2006/5/3・・私のHPに載せてある、杖を突いている写真は、1997年5月10日に太陽から「写真を撮れ」とメッセージが有り、直ぐに京都の大徳寺の庭で撮ったものである。
其の年の、10月16日伊勢の神嘗祭の日に、広島市で行なわれた私のセミナーに安部氏が参加して、其の日の夜には出雲のご自宅に伺った。其れは、安部氏に初めて合った時に、安部氏に出雲の神々が憑いている事が、判明したからである。
そして、其の年の8月23日に、霊夢に出て来た大きな木が、安部氏の自宅近くに有る「佐世神社」の御神木で、「須佐之男尊・すさのおのみこと」が植えた木である事が判明し、9月11日に霊夢に現れた木が、安部氏が生まれた所の「伊我多氣神社・いがたけじんじゃ(五十猛命が祭神)」の御神木である事が判明した。何と、私の霊夢に現れた木が、両方とも安部氏縁の地に実在したのである。・・・
「123・国土交通省」https://star.ap.teacup.com/170606/882.html
2001/8/30「木霊」 http://moon.ap.teacup.com/20061108/132.html
其れに、今朝示されて来た「冷・レイ」の漢字は、漢語林に次の様に載っている。
「冷・レイ つめたい・ひえる・ひゃ・ひやす・ひゃかす・さめる・さます」
【解字】形声。冫+令 冫は氷の意味。音符の令は、神意を聴いてすがすがしいの意味。すがすがしいこおり・ひえるの意味を表す。
【字義】@ひえる。ひやす。さめる。さます。Aつめたい。ひややか。㋐さむい。すずしい。「秋冷」㋑ぞっとする。ひやりとする。㋒ひやかす。ばかにする。㋓情がうすい。Bきよい。すがすがしい。「清冷」Cおちぶれる。おとろえる。
国語 @ひゃ。つめたい飲食物。「ひや酒」Aひえ。㋐気温が下がること。㋑体がひえる事。 漢語林より
此の「神意を聴いてすがすがしいの意味。」との説明からすると、私は37年5ヵ月間行って来た出来事は、漸く頭を冷やして良いとの事であり、今後の事は由香に任せて良いとの事なのかも知れない。
其の様に考えると、本日11月26日が、文字の読み書きが真ともに出来なかった弟「農夫成」の43回忌日であり、台湾の蘭嶼島(らんしゅうとう)に暮らすヤミ族の「ミカギシ祭り日」である事が関係が有り、ミカギシの神は「ミカギシ・みがしき・水芋・田芋・里芋」がお供え・主食である事と関係が有り、私が近頃里芋を多食して居る事と関係が有り、水芋・田芋の世界が心身に浸み込んで来ているとのコト・現象なのであろう。
キー「里芋 マレー半島 」
17/9/25・・此の大神山神社で行なわれる「古式祭(神水汲取神事・もひとりしんじ)」の儀式は、今朝の映像に映し出されて来た「里芋」の事と関係が有るのかも知れない。
何故かと言うと、里芋は高知県などでは「田芋」と呼ばれており、其の言葉の元は南方で里芋が、日本の水田での稲作の様に、栽培されている物「水芋」だからである。
其れに、其の水耕栽培の里芋は、マレー半島が原産地であり、「ミカシギ祭り」が行なわれる台湾の「蘭嶼島・らんしゅうとう」に住む「ヤミ族」の暮らし向きと言うか、文化や魂しいのルーツに、関係が有るのではないだろうか。・・
「貴方が 久々に海を眺めた事で
貴方の意識の幕が 晴れました。
ですが 全ての事が 終わった譯ではありません。
ただ貴方が 是までの様に
大海に 意識で漕ぎ出す事が 終わったと言う事です。
もう貴方は 何も望まなくても 良いのですよ。
全ての事は 此方サイドで 計画を立てますので
貴方は トキの流れを 見詰めて居れば良いのです。
其の土台には 是までの 貴方の意識が
基礎と成っているのですから
貴方自身が 何かを考えなくても
其処には 貴方の働きが 加わっている事に成るのです。
ですから 貴方は 悠然として
日々の生活を 続けて行けば良いのです。
其処に 新たな 貴方の新天地が 開かれて来るのですから。」
「里芋栽培の終了式」http://green.ap.teacup.com/20060818/4378.html
今朝の文章の題は「定着したスターチャイルド達」とした。
其れは、私が此の世界に飛び込んだ時に、私を導いた者が大人達ではなく、4歳から1歳の幼い子供達であったので、私が自宅の玄関の入口のサッシ戸のガラスに「スターチャイルド集まれ」と記した紙を貼った事が、私が「気狂い・気違い」と呼ばれる原因と成ったからである。
みいつ15年11月26日
礒邉自適
1 2 3 4 5 | 《前のページ |
次のページ》