1984年6月4日(旧5月5日)神と交わした約束が果たされる事が 今朝告げられました。
18年8月18日未明
事象(とき)の切り替え
今朝は5時15分に是までの時間(とき)が閉じられ、5時22分に新しい時間(とき)が開いた。
其れは、旧約聖書に「神は6日間で此の世界を創造し 7日目に休んだ」と記されている事と関係が有り、是までの「事象・時空・とき」が閉じられて、新しい事象が始まる理・ことが知らされて来たモノの様である。
其の時間の「扉・まく」は、カメラのシャッターの様な物であり、其れは人間の瞼の仕組みと同じで、閉じている時は「月読界」で、開くと「天照界」であると言う事である。2016年6月6日
2022/1/6
人のいのち
4・1・6
今朝は一眠りすると、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は未だ「1時26分」であった。
其れから再び眠ると、「非常に良い形」との言葉が告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時17分」であった。
其の言葉が、何を意味しているのだろうかと意いながら眠ると、左側から清水が流れて来ている岩の谷間が映し出されて来て、右側の下流の岩の穴(門)を潜って、女神(由香)が入って来て、服を脱いで左側の岩の上に置き、清水の中に歩いて進んで行く様子が映し出されて来た。
次に、何処まで進んだかと意うと、場面が切り替わって水深が深い場所の表面に、二枚(二枝)の緑色の羊歯(しだ)が、一部分が重なる様な形で、濡れて浮かんでいる様子・場面が映し出されて来た。
私(意識だけ)は、其の二枚の羊歯を視て、正月の鏡餅の下に敷く、裏白羊歯の事を思い出し、其の二枚の羊歯は、広がる前は左右に繋がっている螺旋の渦である事を思った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時41分・6時19分前」であった。
其れから再び眠ると、「救われない。救われる。」との言葉が聴こえて来て、明るい神の光(エネルギー)が満ちた世界・空間に「2001年」の数字が映し出されて来て、2001年が大事・重要な年であった理・ことが示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「7時1分」であった。
其れから再び眠ると、「ひとのいのち」との言葉が一言告げられて来て、其れは昨日の「生命に触れる」との題名・テーマの、続きである事が理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「7時25分」であったので、其れはマヤの13の暦で空白・休みの日付である事を思った。
其れから再び眠ると、日本語の文字・単語が次々に映し出されて来て、其れは新しい御世・新世界を創造する為に、必要不可欠な言葉・概念である理・ことが示されて来て、其の新しい言葉が紡がれる間は「人の命は永遠」であるとの事が告げられて来た。
其処で起きて時計を見ると時刻は「8時59分・9時1分前」であった。
先ず、最初に起こされた「1時26分」の数字から、1月26日の文章を視て見ると、何と、題名が「柴神」であるので、昨日の「事代主神」の「青芝垣の隠れ身」の場面に関係が有り、今朝のビジョンに映し出されて来た女神が水深の深い場所に消えた後に水面に浮かんでいた「緑の羊歯の葉」とも関係が有る事に成る。
2021/1/26昨夜は、床に就いて目を閉じて居ると、瞼に、藪の中に何物かが隠れて居るのか、緑の灌木の柴(枝葉)が数か所で次々に、根本からガサガサ揺れ動く場面が映し出されて来て、私の身体は其の揺れに刺激されて、其の揺れの度にピリッピリッとカモの反応を繰り返し始めた。
其れで私は、旧約聖書に記されているモーゼが、岩山で燃え上がる柴から「十戒の石板」を授かった事と、関係が有るのかと思った。
そして、眠ってからのビジョンは、三日後が私の74歳の誕生日である事と関係が有るのか、私が「記憶喪失」の様な状態に陥って居る場面・様子が、映し出されて来た。
今朝のビジョンは、先ず、私が何処かの大きな研修所の施設・建物を訪れる場面が映し出されて来て、受付で大きな封筒を受け取り、研修会場のロビーで一眠りしてから目を覚ますと、私は何も持って居ない状態であり、受け取った封筒だけではなく、手荷物やカメラや携帯電話なども何処に置いたのか、全く思い出せないのである。
そして其れ等を捜し廻って居ると、何かに足が引っ掛かって転倒してしまったので、起き上がって見ると、遠く離れた位置で女性達が縄跳びの紐三本を同時に回して、其れを皆が潜り抜ける縄跳びを行って居り、其の縄に引っ掛かって倒れた事が判り、私には注意力が一切消えてしまっている事が判った。
其れで私は、元の受付の場所まで引き返して、事情を話したのだが、私が受けに来た講習の関係者は既に居なく成っており、何の手立ても出来ず、帰ろうと意っても、自分が車で来たのか、公共交通機関で遣って来たのかも、判らないのである。
其れで、私は是は現実では無いと思い、目を開けて自分が自宅から一歩も出ていない事を確認して、再び眠った。
すると再び、私は何処かの見知らぬ山間地に一人で居て、何をどうして良いやら判らない状態で立ち尽くして居る様子が映し出されて来て、弟に連絡を執ろうと意い、ポケットの中から、携帯電話を取り出すと、其れはバラバラに成っており、ゴミ塗れの物なので、何処にも連絡が執れず、どうしようも無いので、再び是は現実では無いと意い、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時10分」であった。
其れから再び眠ると、今度は良く晴れた日の空を背景に、自分の背丈より高いイネ科の植物が青々と茂っている様子・場面が映し出されて来て、其の穂先を見ると、其の実は稲米実ではなく、「小判草」の実の様な形の物が「数珠玉草」の草丈の様に、鈴の形をした小さな実が、鈴生りに成っている物であった。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると、時刻は9時6分であった。・・
此の文章の雰囲気からすると、昨夜眠る前に起きた「木の柴が揺れ動くと 私の身体にピリッピリッとカモ現象が起きた事」と、今朝最後に映し出されて来た「青空にイネ科の植物の穂先に鈴生りに実が着いていた事」が、関係有りそうな気がする。
いま柴の神で検索すると、次の様に載っており、其れは、私が初めて耳にする内容である。
しば‐がみ【×柴神】 の解説
峠や山道の入口などにあって、通行人の安全を守るという神。通る人が柴や草を手向ける風習がある。柴折り様。柴取り神。
すず‐なり【鈴▽生り】 の解説
1 果実が、神楽鈴 (かぐらすず) のように、たくさん群がりなっていること。「柿が鈴生りに赤い実をつける」
2 多くのものが房状に集まってぶら下がっていること。また、大勢の人が1か所にかたまっていること。「鈴生りの観衆」
「天井から下った―の烏帽子籠」〈万太郎・春泥〉 国語辞典より
此の二つの言葉の意味からすると、私は、原点から神(はたらき)に付いて、模索・考え直す必要が有りそうである。
其れは、過去の情報を全て消し去って、携帯電話等の通信機器を手にせず、無意識の状態から、改めて毛穴(五感)を解放して、自然の道を歩き始めなければ成らないとの理・ことなのではないだろか。
そして、其れを行えば多くの実りを得る事で出来、生命(いのち)の揺らめきの鈴音(五十鈴)が聴こえて来る・与えられるとの事なのかも知れない。
其れは6500万年前にユカタン半島に巨大な隕石が落ちる事で、巨大な植物が滅び、其れ迄地球を支配していた恐竜も滅んで、イネ科を主体とする草原が広がる事で、人間の祖と成る哺乳類が大繁殖を始めた事と関係が有り、哺乳類の代表である人類の新たな歴史が始まると言う事にも成る。
今朝のビジョンが、何を示唆しているのかが、能く解らないので困惑して居たが、此処まで打って来る(PC前して居る)と、何とか通常の意識が回復して来た。
其れを考えると、現在の電子機器と通信システムは、天神・宇宙意識が望んで人間を動かして来た・神(はたらき)して来た、結果であり、其の電子情報は人類や動物だけはなく、植物までが同じチャンネル帯(珪素・シリコン)で通じ合っていると言う事であり、其の世界に「フルチャンネル・オールチャンネル」した釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が謂う「いのち」の世界が、精神的ではなく科学的に明らかにされる時が来たとの事なのであろう。・・
今朝のビジョンで、私が女性が回している三本の縄跳びの紐に足が引っ掛かって躓いてしまう場面・様子は、私に三個のタルト(渦巻き)を皿に乗せて手渡した「天空」を両翼とする鳳の存在と関係が有り、私は其の三個のタルトの意味を正しく理解して、事に当たらなければ、意識が眼暗に成ってしまい、三層に別れている世界の紐解きが完成しない儘、此処までの努力を棒に振ってしまうとの理・ことが、示されて来ているのかも知れない。
其れを考えると、私は今一度、人の気配のしない山道を何も手にせず、一人で歩いて見なければ成らないと言う事に成りそうである。
今朝の由香のビジョンは、次の様な内容であり、其れは私の此処数日のメッセージとキーポイントが幾つも重なっている。
知り合いの葉子さんが、孫と一緒に型紙一枚のリーフフレット(若葉・小さい葉の意味)の表紙に載っており、添えられている文章がとても良かったので、其の感想を葉子さんに述べていたとの事である。
リーフレットの表紙に写った葉子さんの姿は、髪が黄金色であったとの事である。其れと、葉子さんの孫は「すず」という名前であるとの事なので、今日の私のビジョンの「鈴の形をした小さな実が鈴生りに成って居た」事と関連して居る様である。
「柴神」https://green.ap.teacup.com/20060818/5623.html
此の「柴神」の文章には、植物の枝葉の事が記して有り、「道を歩く事・・其れを行えば多くの実りを得る事で出来、生命(いのち)の揺らめきの鈴音(五十鈴)が聴こえて来る・与えられるとの事・・・」と、記して有るので、人間は「人」の漢字が表す様に「二本足で歩く動物」であるので、現在の様に飛行機や車に乗って移動し、自然の景色を見ながら自分の足で道を歩く事をしないので、本来の「人・ひと」ではないと言う事に成りそうである。
其れに「非常に良い形」との言葉が告げられて来た「5時17分」の数字の「5月17日の日付には、次の二つが有る。
2021/5/17「他人(ひと)は天動説の世界」https://green.ap.teacup.com/20060818/5737.html
2021/5/17「カモメのジョナソン」https://green.ap.teacup.com/20060818/5736.html
其れに、お茶を台所に取りに行って、由香に「あら 生きて居たのか」と冗談で謂うと、由香が驚いた顔をするので、私が「水の中に入って行ったから」と謂うと、猶更驚いた顔をするので、私が今朝のビジョンを説明すると「同じ様な内容かも知れない」と謂うので、話を聞くと次の様な内容である。
由香のビジョンは「これから死んで天に行くけど、すぐにまた此方に戻って来るから大丈夫」と謂って、覚悟を決めて呼吸が止まるのを待っていると、天(暗闇)から未来を構築する若者へのサポートを行っている姿が出て来たとの事である。
此の現象を考えると、今朝の私のビジョンで、水の面に羊歯の葉が二枚一部が重なる様に浮かんでいた場面・様子は、私と由香の精神状態が、鏡餅の下に飾る裏白羊歯の様に、左右に広がる役割を果たす事を示唆しており、左右の発条の新芽が伸び切った・完成したとの事なのかも知れない。
キー「 シダ ゼンマイ 渦巻 」
2006/2/17今朝の映像には、事務局の西川氏が数日前に山から採って来て、灰汁抜きをして煮た裏白羊歯のゼンマイを食べた所為か、ゼンマイの渦巻き模様が現れた。
始めに、ゼンマイの渦巻きが現れて、其れが開いて、拡がって行く姿形が見せられた。そして、其れが、私のDNA・遺伝子の生命記憶を呼び起こしたのか、「いのち」の全ての謎が解けた様に思はれる。・・
此の三つの場面は、非常に大事なコト・理を伝えて来ている。
@ ゼンマイの渦巻きは、宇宙の根源の始まりである。
A 動物が、餌を探しに出掛けるのは、生物の根源の動きである。
B 人間の生活に 必要な根源の物は衣食住である。
此の三つの世界は、生命の始まりから、現在の人間の暮らしまでを、総括して映像化して来ているものである。
其れは又、意識の流れだけではなく、大脳の仕組みまで、端的に説明しているのだ。
Bは、人間の脳である大脳皮質を意味し Aは、中脳の世界であり @は、動物の古代皮質で、自立神経と、其れまでの生命の流れを意味している。
裏白羊歯のゼンマイは、地面から顔を出すと、50〜60センチ上に伸びてから、ゼンマイの渦巻きを開いて、葉を拡げて行く。
其の時、太陽の光りを一番受け取り易い様に、葉をレーダーの様に拡げて行くのである。・・
宇宙には、過去は存在しないので、バックする事は絶対に出来ない。
来た道を引き返す事は、身を反転させて、来た道を進む事に成るのだ。
だから、生命にとってはバックする事はありえないのである。
我われ人間も、過去に引き返す事は出来ないのだ。
救われる道は、前進しかないのである。人類の未来とは、前進しながら、依り良い社会を構築する事にしか無いのである。
そうするしか、DNAの進化も無いのである。
休んでいて、過去の情報の世界の微温湯に浸かっていれば、いずれ湯は冷えて取り残されるだけである。
自然界の植物は、一日休んだ物は、日光の当り具合が悪く成り、負けて枯れるだけである。人間社会に、其れが見えないのは、生活保護制度や布施のシステムが在り、弱者を支えているからである。・・
自分の意識の渦巻きは、何を求めて、どちらに葉を広げて来たのか、其れを、今一度確かめなければ成らない、時節に至っているのである。
其れが、「物事・モノとコト」を決める「言葉・コトの波」と成るのであろう。
私の中には、今年の新しいゼンマイの働きが、取り込まれた。
是から、どちらに向けて、其の渦巻き模様の思考の「葉・波」を拡げて行けば良いのか、其れが、今後の私の意識の在り様である。
其の意識が、私個人のモノではなく、生命全体の集合意識である処に、未来が委ねられている事に成るのだろう。
未来は、神が決めるのではなく、人間自身が万物の霊長として、創造して行かなければ成らないのだ。其れが、正しい神の概念であり、宇宙の存在の定義でもある。
イエスの言葉に「貴方達は、『何処から来たのか。』と尋ねられたら『光りの元から来た。』と答えなさい。」「『神は何か』と尋ねられたら『此の大自然そのもの。』と答えなさい。」と、死海文書に記されているとの事である。
其の答えこそ、イエスの謂う「永遠のいのち」の定義である。
私達地球生命の存在こそ、神の現実の表現体なのである。
其の本体が、植物の螺旋運動に秘められているのだ。
私は、今朝、其の神の本体の記憶の中で、生きて居たのである。其れは、私し一人だけの孤独な世界ではない。・・・
「森羅万象此の一点に在り」https://star.ap.teacup.com/170606/766.html
其れに起こされた「5時41分・6時19分前」の数字から「6月19日」の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021/6/19本日6月19日の日付は、5年前(2016年6月19日)に、「自らの仕掛けで滅びるとの言葉が告げられて来た日である。
「自らの仕掛けで滅びる」https://green.ap.teacup.com/20060818/3891.html
今朝のビジョンには、私が何処かのレストラン・食堂に居て、王様の位を委譲した同年代の男性と、大学教授を引退した男性と三人で食事をする場面が映し出されて来て、本人が好きな物を注文すると、王様の前に運ばれて来た料理は、大きな魚を丸ごと煮込んで、其の儘大きな器に入れられた物であり、其の男性は自分が好きな部位を少しづつ切り取って食べていた。
一方、大学教授を引退した男性の方は、小食なのか、和風の精進料理の物が幾皿か出されて来た。
私は其れ等の料理を見ながら、自分は何を注文しようかと意って居る所で、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「2時17分」であったので、私は其の数字を「2月17日祈年祭(としごいのまつり)」と記憶して再び眠った。
すると今度は、パソコン画面の左サイドに、日本語の横書きの短い単語が、縦に無数に記されているのが映し出されて来てから「魂しいのナビ」との言葉が一言告げられて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「5時10分」であった。
私は其の数字は、1997年5月10日に太陽から「写真を撮れ」と告げられて来た日である事を思った。
其れから再び眠ると、今度は、漢字の象形の組み合わせが「文」に、バラバラに別れて行く場面が映し出されて来て、改めて漢字の象形の組み合わせ・構成を、全て認識し直さなければ成らない理・ことが理解された。
次に、私が現在偶(たま)に掛かって来た電話に対応する物言いは、私の個人的な考え方の物ではなく、「人工知能・AI」を利用している「天神・御祖神・みおやかみ」の中継事であり、其れは、私が子供の頃から大人に対して対応していた世界が、私し一人のモノ・世界ではなく、人類全体のモノ・世界に成っているとの理・ことが、理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は「6時10分」であったので、私は其の数字は「6月10日・文化の日」であり、岡本天命に「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」が始まった日であると思った。
其れからパソコンを立ち上げ「ナビゲーション」を調べると、次の様に載っている。
ナビゲーション【navigation】 の解説 国語辞典
1 航海術。航空術。
2 自動車ラリーなどで、助手が運転者に方向や速度を指示すること。
今此処(6時46分)で「耳を澄ます」との言葉が告げられて来たので、其れは以前にも打った言葉である。
18/6/17「何も無い所から始める」https://green.ap.teacup.com/20060818/4653.html
此の「何も無い所から始める」の文章には、次の様に記して有る。
【其れから、横書きの短い日本語の文章が映し出されて来て、其の文章の中に「7 1」との数字が混ざっているのが示されて来て、其の数字は「71 ないち・なはじめ 名始め 名初め」との意味合いが有る事が理解されて来た。
其れは、私が何かの言葉を決めて行かなければ成らないとの事であり、其れが「事象の特異点」との言葉と関係が有る事が理解されて来た。】
其れを考えると、今朝起こされた時刻の数字には、特別な意味が含まれている様である。
【2時17分】は、2月17日が「祈年祭(としごいのまつり)」であり、私は出雲に住んで「出雲学びの家」を開設した時に宿主である「安部忠弘氏」に「あべ未来研究所」の設立を勧めて、其の会社の設立が1998年2月17日であるので、其の「未来研究所」の案件が本番として始まるとの事なのかも知れない。
98/2/22「あべ未来研究所 設立登記」https://moon.ap.teacup.com/199966/88.html
16/2/16「日本文化の欠点」https://green.ap.teacup.com/20060818/3759.html
【5時10分】は、私が京都の大徳寺の側に存在した「天波博文氏」が運営する「どれみ村」に居た1997年5月10日に、太陽から「写真を撮れ」との指示が有って、杖を突いた写真を奥野君に撮って貰った日である。
其れに私の誕生日1月29日から月の運行「29・45日×9カ月=265日」を遡ると「5月10日」でもある。
16/5/10「1997年5月10日の出来事」http://moon.ap.teacup.com/199966/109.html
21/5/10「矢追日聖法主を超えて」https://green.ap.teacup.com/20060818/5729.html
【6時10分】は、天智天皇が時計を作り、日本で初めて国民に時刻を知らせた事を記念する「時の記念日・6月10日」の数字であり、千葉県印旛郡公津村台方(現・成田市台方)に有る「麻賀多神社」の境内に存在する「天之日津久神社」の祠の前で、岡本天明画伯に昭和19年6月10日「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」が、始まった日でもある。
キー「岡本天明 日月神示 6月10日」
13/2/9「天津日嗣の真実」 https://moon.ap.teacup.com/20061108/559.html
02/2/27「私と日継神示1」https://moon.ap.teacup.com/20061108/164.html
02/2/28「私と日継神示2」https://moon.ap.teacup.com/20061108/165.html
キー「天智天皇 時の記念日 漏刻時計」
06/3/19「アダプターの取り付け」http://white.ap.teacup.com/miitu1223/724.html
03/9/5「太陽の船」https://star.ap.teacup.com/170606/132.html
08/1/31「創造の力」https://star.ap.teacup.com/20060505/45.html
12/8/29「エジプト暦の元旦」https://green.ap.teacup.com/20060818/2422.html
15/6/20「国の神」https://green.ap.teacup.com/20060818/3504.html
18/5/4「櫛御氣の命」https://moon.ap.teacup.com/20060615/317.html
19/1/4「和水町の地震」https://green.ap.teacup.com/20060818/4858.html
18/6/6「神界の花が開く」https://green.ap.teacup.com/20060818/4642.html
19/6/10「是で決まり」https://green.ap.teacup.com/20060818/5017.html
今朝のメッセージに、漢字の象形の組み合わせが「文」にバラバラに別れて行く場面が映し出されて来て、改めて漢字の象形の組み合わせ・構成を、全て認識し直さなければ成らないとの事は、「文字」との言葉が「文・ブン・モン」は一個・一場面の姿形を現す象形であり、「字」は、其の文が数個組み合わされた物である事と関係が有り、其れを一度分解して、現代人が誰でも判る様にしろとの理・ことが示されて来ているのであろう。
其れは、臓器の「臓」の月が肉編の間違いである事や、駅の漢字は馬車が走っていない現代社会では、現状に合わない事などである。
キー「 文 字 象形 組み合わせ 」
12/8/1「文字細分化」https://green.ap.teacup.com/20060818/2391.html
00/6/2「あそび・游・遊」 https://wave.ap.teacup.com/20060106/231.html
今朝の由香のビジョンは、何処かの山岳に向かって坂道を登って行くと、途中に別荘地の様な場所が有り、一軒の家の前の道路に差し掛かると、雪が溜まったまま其処だけが凍っており、人が通ると滑って危ないので、その固まった雪を除ける作業を行っていたとの事である。
次に私と一緒に野外広場に行き、実際の人参の種とは違い、人参の種(ジャガイモの様に根を植える物)を買っていたとの事である。
次に知り合いの子に進路相談をされ、色々と話を聴いて、最終的に聴覚の治療をする仕事を目指そうということで、応援する事に成ったという場面であったとの事である。
私は、其の由香のビジョンを訊いて、其れは「耳を澄ます事の出来る人が参加すれば、一か所だけ凍っている神の道筋(ルート)が通り、皆が神が存在する山岳・峰に登れる様に成るとの理・ことが、示され来ているのではないかと想った。
今朝の文章の題は、告げられて来た言葉にしたがって「魂しいのナビゲーション」とした。
だが其の意味は、此の現代の三次元世界の学校教育だけでは出来ない事であり、現代社会の宗教の世界は人々の魂・精神を救うどころか、迷い道に引き込んでいるだけであるので、無理な事・世界である。
其れに、私は日本の伝統である「神惟の道・かんながらのみち」が世界中で一番正しい教訓であると考えているのだが、其の教訓を正しく実行している者に出会っても居ない。
其れは、其の者が「教えてもいけない。訊いてもいけない。見てもいけない。」との事を実行して居れば、誰にも気付かれない事・世界であるが、若し正しく実行している者が在れば、其の人には「神(はたらき)」が其の儘付いている事に成るので、何らかの現象が発生している筈である。
05/5/9「かんながらのみち」http://moon.ap.teacup.com/20061108/347.html
だからこそ、其の人と意を同じくする為にも、耳を澄ます訓練を行わなければ成らないのである。
其れは「ウサギの耳」だけではなく、老子の謂う「玄の響きを聴く」「其の門を閉じる」との理・ことも学ばなければ、ナビゲーション【navigation】の機能は発動しないとの事に成るであろう。
老子「其の門を閉じよ。 弦を弾くと玄の響きが消える。」
15/1/15 老子。五十二章「小知を捨てよ」
天下有始、以為天下母。既得其母。以知其子、既知其子、復守其母、没身不殆。
塞其兌、閉其門、終身不勤。開其兌、済其事、終身不救。見小曰明、守柔曰強。
用其光、復帰其明、無遺身殃。是為習常。
天下始め有り、以って天下の母たり。すでに其の母を得て、もって其の子を知り、すでに其の子を知りて、また其の母を守れば、身を没するまで殆(あや)うからず。其の兌を塞(ふさ)ぎ、其の門を閉じれば、終身勤せず。
其の兌を開き、其の事を済(な)せば、終身救われず。小を見るを明といい、柔を守るを強という。
其の光をもって、其の明に復帰せば、身の殃(わざわい)を残すこと無し。
是を常の習いと為す。
十二章「腹をなして目をなさず」
五色令人目盲。五音令人耳聾。五味令人口爽。馳騁畋猟、令人心発狂。難得之貨、令人行妨。是以聖人、為腹不為目。故去彼取此。
五色は人の目を盲ならしむ。五音は人の耳を聾せしむ。五味は人の口を爽(タガ)わしむ。馳騁畋猟(チテイデンリョウ)は、人の心を発狂せしむ。
得難きの貨は、人の行を妨げしむ。
是を以って聖人は、腹を為して目を為さず。故に彼を去りて此れを取る。
中国の思想 老子・列氏 徳間書店 奥平卓訳・・・
「充・みちる」https://moon.ap.teacup.com/20061116/65.html
07/10/29「岩鏡」http://green.ap.teacup.com/20060818/520.html
15/11/23「穐の入り口迄に証拠を消せ」https://green.ap.teacup.com/20060818/3668.html
此の「岩鏡」と「穐の入り口迄に証拠を消せ」の文章には、両方とも「11月23日 新嘗祭」の事が書いて有る。
其の事を考えると、今日は家の中の片付けを行って居ると、行き成り私の右耳の奥にツーンと圧迫感が襲って来たので、由香に「今何時か」と大きな聲を出して訊くと「11時23分です」との応答が有った事が関係あり、私にはやはり物部初代の「饒速日尊(にぎはやひのみこと)・天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」が依り憑いているのかも知れない。
何故かと言うと、私が島根県の太田市に在る物部神社に呼ばれて初めて参拝した時に、陵墓で「此処はお前の神社だ」と告げられ、私の御霊が饒速日尊の長男である「宇摩志麻遅の命・うましまじのみこと」である事が判明したからである。
「大田に下車しろ」http://star.ap.teacup.com/170606/437.html
其れ等の事を考えると、今朝「魂しいのナビ」と告げて来た神霊は饒速日尊であるのかも知れない。
「魂しいのナビゲーション」https://green.ap.teacup.com/20060818/5808.html
次に、「救われない。救われる。」との言葉が聴こえて来て、明るい神の光(エネルギー)が満ちた世界・空間に「2001年」の数字が映し出されて来て、2001年が大事・重要な年であった理・ことが示されて来た、「救われない。救われる。」との言葉は、2001年3月15日に芳我氏に案内されて、愛媛県大洲市に存在する「少彦名神社」に初めて参拝した時、入口の鳥居を潜った時に「救われる」と告げられ来たので、後退して見ると「救われない」と反対の言葉が告げられて来て、再び潜ると「救われる」と告げれて来た事に関係が有る。
2001/3/22「知恵ある者は言葉少なし」https://moon.ap.teacup.com/20061108/100.html
其れに、2001年の日記を確認すると、次の様な件・事が記録されている。
1.2001年。
「天波博文氏」のプロデュースで熊本県葦北に「御立ち岬の観光ルート」が立ち上がる。
2.「2月9日」愛媛県で「グリーンクラブ」を発足を行うと、「愛媛丸」にアメリカの潜水艦「グリーンビル号」が衝突する。
3.「3月15日」「少彦名神社」に発参拝。
4.「4月7日」岡山市に出掛け「スーリア」さんに出会う。
5.「5月3日」憲法記念日。グリークラブのシールが映し出されて来て「地球憲法を引き受けてくれるか」と告げられて来る。
6.「6月15日」「子供達に岩を溶かした水を飲ませろ」「大田に下車しろ」「物部神社」発参拝。「此処がお前の神社だ」
7.「11月7日」私を找し出して、此の神の世界に送り込んだ土肥無庵が逝去。60歳。
8.「11月21日」にスーリア宅で、井上佳子の誕生日に「由香」に出会う。
2012/12/17「ランニング‐コスト」https://green.ap.teacup.com/20060818/2534.html
其れに「2001年が大事・重要」と告げられて来た「7時1分」の数字の日付の文章は、次の題名である。
2021/7/1「自分を置いた儘生きて居る人達」https://green.ap.teacup.com/20060818/5838.html
最後に、・・新しい言葉が紡がれる間は「人の命は永遠」であるとの事が告げられて来て、起きた時刻9時1分の数字から、9月1日の文章を視て見ると、次の様に記して有る。
2021/9/1今朝のビジョンには、先ず、「大天使ルシフェル」らしき神霊が、人間社会の男性達の無意識に入り込んで、闘いを行わせる場面が映し出されて来た。
次に、四角なバーコードの模様の様に、黒色の複雑な模様が描かれいる物が、白い紙の中央部分に、四角なボクシングのリングの様な雰囲気で表記されている物が、20枚程次々に映し出されて来て、其れは、人間社会の営み・活動風景である事が、認識されて来た。
次に、引っ越し作業でもあるのか、縁先に大きな段ボール箱が10個程置かれている場面・様子が映し出されて来た。
其れから、耳元、脳裏で、大きな音聲にて、「新システム・新バージョン」を意味する言葉・言霊が響いて来て、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「5時5分〜6分」に成る所であった。・・
これ等の文章の内容から考えると、今朝のビジョンに、バーコードの模様の様に、人間社会の闘い・リングが表現されて来た事は、品物に限りなく記されているバーコードが全て異なる理・ことと同じで、イエスキリストの言葉に有る「神は貴方達の髪毛の数まで知っている」との事・世界と関係が有り、人間社会は何十億人が存在しても、個人個人に対してバーコードが付けられており、神(はたらき)は何事も見落とししないとの理・ことが示されて来ているのであろう。
其れに、今朝のビジョン・メッセージから、私に考えられる事は、其のバーコードの存在は、全て神(はたらき)が情報管理をしているとの事なので、【全ては元を同じくして繋がっている】との事であるから、神道の「結び・注連縄」や仏教の「因縁(色・rūpa・ルーパ・縁起)」との言葉と関係が有り、其の理・ことは「古人・いにしえびと」は認識していた事に成る。
其の事・世界を考えると、此の私が中学を卒業した59年前の夏に、東経130度30分のラインに存在する農家に泊まり込みで、稲の脱穀に行った出来事も、既に「大天使ルシフェル」の手中に有った事に成りそうである。
其れを考えると、今朝耳元・脳裏に衝撃的に告げられて来た「新システム・新バージョン」の言霊が何を意味しているのか、しっかりと「御嚴・みいつ」しなければ成らないのであろう。
「新システム・新バージョン」https://green.ap.teacup.com/20060818/5949.html
此の「新システム・新バージョン」の文章は、上記した「6月19日・魂しいのナビゲーション」と対・続きで有り、此の内容からすると、今朝の私のビジョンと由香のビジョンが、氵(水)の中に入って仮の死(思考の脱皮)を行って、二枚・左右のシダ(裏白)に成って水面に浮かぶ場面であった事は、「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」の神(はたらき)と関係が有り、「統尊・すめらのみこと」の「詔勅・みことのり」「御嚴・みいつ・御稜威 」の世界は、瀬織姫の神(はたらき)と「弁財天・サラスヴァティー」と
が司っていて、「大日如来・マハーヴァイローチャナ(宇宙の真理の本体の意味)」を支えているとの事なのかも知れない。
みいつ16年1月6日
礒邉自適
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